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19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者

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滋賀大学経済学部研究年報Vol.11994 一123一

19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者

鳩 澤

工 はじめに  本稿は,19世紀ドイツ語圏における鉄道技術 者Eisenbahntechnikerをひとつの社会的集団 として把握する試みである。その意図するとこ ろを以下に述べる。  鉄道技術者を対象に考察をすすめる作業は当 然,技師lngenieurないし技術者Techniker研 究の一環となる。あらためていうまでもなく, 技師とは,工業化にともなって新しく出現した 職業身分のひとつである。かつて工業化研究の 二大焦点であったといえる「資本(家)」と 「労働(者)」の中間に位置する存在である (Zwischengruppeとしての)この技師・技術者 に,研究関心が集められるようになったのは遅 くとも70年代とされるが,それらにおいてとら れている,もしくはとられるべきパースペクティ ヴにはどんなものがあるだろうか。ここではま ず,P・ルントグレーンの概念と整理を借用し  ユラ よう。ひとつは経営史(企業誌)的観点(A) といえるものであり,いまひとつはより社会史 的なそれである(B)。双方とも, 「工業化と 技師/技術者の関係」を明らかにするという問 題意識で大きくは収敏するものである。この点 で,基本的に研究のフレームワークを技術的達 成におく,より「ハード」な「技術史」的研究 と区別されよう。  さて最初の経営史的パースペクティブとは, 端的には近代の産業企業組織における技術管理, 技術者管理に主な着眼点をおくものだといえよ う。いいかえれば「技師/技術者の企業内外で の役割」が取り扱われる。一方,社会史的研究 はより包括的であり,「歴史社会学」的アプロー チに沿って認識の一般化が志向される。つまり 個別企業の枠組みは分析上,とりあえず決定的 なものではなく,端的には「企業家」や「労働 者」と同様の「社会的集団Soziale Gruppe」 としての技師/技術者に着目する。いいかえれ ば「技師/技術者の社会における位置づけ」を 取り扱うものであろう。  では,鉄道技術者の研究が技師/技術者研究 においていかなる意味を持つかを,これら二つ のパースペクティブに関して考察してみよう。  ただちに考慮されるべきは,鉄道業の「ドイ ツ工業化」におけるリーディング・セクターと          しての機能である。これは双方のパースペクティ ブに決定的な影響を与えるべきものであろう。  (A)経営史(企業史)的アプローチ  経営管理史的な問題関心で鉄道を取り扱った

代表例として,まずA・D・チャンドラーの

『スケール・アンド・スコープ』における記述 をあげねばならない。この大著ではとくに19世 紀ドイツ語圏(「ドイツ」)の鉄道について一 節が割かれている。そこでのチャンドラーの評 価は,近代産業企業の管理組織にとっても労使 関係にとっても,「官僚制国家の代表的機関で ある鉄道」は,なんらモデルを提示し得なかっ た,というものだった。ここでは技師をふくむ 鉄道職員は,ゾンバルトの言葉を借りて「『上 司が話しかけると直立不動の姿勢をとる』75万 1) Lundgreen 1975, “Einleitung” 2) Fremdling 1985

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一 124 一 滋賀大学経済学部研究年報VoL1 1994        ヨ  人の兵士」だったとされる。こうした評価は,        の Kocka 1987におけるそれと共通する。しかし ここでは管理システムとしての現実の官僚制の 可能性が,やや先入主的・類型的にネガティヴ       のにとらえられているように思える。しかも一方 でKocka 1987においては,ドイツ語圏の鉄 道における経営管理問題経営技術,組織構造… についての立ち入った研究が不足していること を指摘しているのである。そうした個別問題の 中には,とくに「専門的な能力を持った職員に     の 対する刺激」があげられていることに注意して おきたい。この点についても,当時ドイツ語圏 で最大の規模をもった企業であった鉄道が,伝 統的な官僚制の(「悪しき」)影響から一歩も 出ることがなかったということがありえただろ うか。  (B)社会史的アプローチ  Eisenbahntechnikerのドイツ語圏社会にお ける出現の,他業種のIngenieurらのそれとの 時間的位置づけには興味深いものがある。伝統

的な意味でのIngenieurである技術軍人や

Wasser./Wegeingenieurといった土木健設) 官吏Baubeamteに比べ,邦(国)官吏Staats− beamteとしての鉄道技術者はもちろん相対的 に後発者である。だが,一方では産業企業の発 達にともない台頭した新しい社会集団である Ingenieurに対してはそれに先行する存在であっ た。これに関連して,社会的地位の問題が出て くる。伝統的な教養市民層にとって,または彼 らに準拠する価値体系にとって,工業技術の担 い手であるTechnikerは, Handwerker(手工 3)Chandler 1990(邦訳S.352ff.) 4)なおコッカは論文執筆以前に『スケL一一ル・アン ド・スコープ』の草稿を読んでいる。Kocka 1987脚注(7) 5)Kocka 1987の訳者,加来祥男の解説に明らか な通り,そこにはM・ヴェーバーの強い影響が ある。コッカのヴェーバー評価についてはKocka 1976参照 6)Kocka 1987(邦訳S.140)        の 業者)と同格の存在であったが,Baubeamte すなわち官吏としてのTechnikerに対しては, それとは異なった社会的地位が与えられていた。 Bauratといった称号の存在がそれを示す。で はEisenbahntechnikerはこの価値体系の中で, いかなるランキングを与えられていたのだろう か。そして,ドイツ語圏最大の技師組織である VDI(ドイツ技師協会)に拠った新しいlnge− nieurのその後の活動のうち,自らの社会的ア イデンティティの確立については,「1848年革 命」の余波があった創立初期をとりあえず除く ならば,そのモデルに伝統的な「官僚階層」が        のおかれていったことがっとに論証されている。 ここには,Eisenbahntechnikerの存在の持つ, なんらかの影響はなかったであろうか。  以上のように二つのパースペクティブによる とき,Eisenbahntechnikerを対象とする研究 には,少なくとも一定の貢献が期待できるとい えよう。  ここで本稿での方法論を明らかにしておこう。 表題に掲げたとおり,今回は「社会集団として のEisenbahntechniker」をとりあつかう。よ り社会史的なパースペクティブによるアプロー チを試みるわけである。  経営管理史のパースペクティブについては, いうまでもなく個々の鉄道企業に即したケース・ スタディと,それらの集積が必要である。鉄道 業における経営管理史については新旧の重要な 研究があるが,そのうち方法論上意識的なもの としてPierenkemper 1976があげられる。こ の論文には初期鉄道企業が直面した4つの問題 がまずあげられているが,その中に「単純労働 力に関してのみならず,特に職能者Qualifi一       ラ zierte Pesonenの調達」がある。 Qualifizierte Personenは一義的には熟練労働者,なかんず 7)Scholl 1978 S.19 高橋S.31 8)McClelland 1991における一般化(邦訳 S.170−171) 9) Pierenkemper 1976 S.38

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19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者 (鳩澤  歩) 一125一 くトンネル開削や架橋に専門的に働くそれであ るが,広義での(そして当時一般的な概念での) Technikerを含むと考えてよいだろう。しかし Pierenkeエnper 1976においては初期鉄道会社組 織の経営トップのリクルーティングが主要な考 察の対象となっているため,この問題への対処 については直接の記述がない。Kocka 1987が 指摘するとおり,経営管理のより技術的・実際 的・実践的側面についての研究は,ドイツ語圏       では不足しているといえる。  これに対して社会史的アプローチについては, 初期の技師/技術者研究という形で,先行研究 が部分的には豊富であったといえるかもしれな い。「ドイツ工業化」初期においてIngenieur の相当部分をEisenbahntechnikerが占めてい た(質・量双方の面で比重が高かった)のは, リーディング・セクターとしての鉄道業の役割 から容易に推察できることであるし,その証例 としてVDIの1861年の議長Vorsitzenderであ るTheodor Simons(Eisenbahn−Bauinspektor u.Dlrektor d. Kgl. SaarbrUcken−Trier−Luxem− burger Eisenbahn)や, VDIに先行する技術 者団体であるArchitekten−und lngenieur Ver− ein zu Hannoverの創立者であり,1868年以降

はVDIを取り込んだ(これはVDIが拒絶)全

ドイツ規模の包括的なTechnikervereinを企図

したハノーヴァー国鉄勤務のAdolf Funk

       ユエ (1819−1889)の名をあげうるであろう。また Ingenieurの社会的地位を物語る代表例である    ラ 発言を残したKPh.Max Maria von Weber (1822−1881)は,ライプッィヒードレスデン鉄 道勤務を皮切りに長くザクセン国鉄に勤務した Eisenbahntechnikerであった。  しかし,それだけに独立した職業集団として のEisenbahntechnikerをとりあげるべきだと いう問題意識は,先行研究には欠けているか, 10)Kocka 1987(邦訳S.140) 1!>Scholl 1981 S.11,〈表3>60参 12)高橋1993S.11,<表3>19参 もしくは必ずしも明示的ではなかった。  いままで無定義に使用してきた「社会(的) 集団」というタームに照らして考えてみよう。 「社会集団」とは最も一般的な概念でいうと, 相互作用・社会行為の体系である。具体的には, 相互作用に参加している複数の成員の間でコミュ ニケーションが働いており,それが成員の行動 になんらかの効果を持ち,全体系をなしている 場合,それは集団と呼ばれる。社会集団はさま ざまな基準によってさらに分類されるが,その 最も基本的な要件は,成員に共通の規範とわれ われ意識We−Feelingがある社会的単位である ということであろ智。  たしかに強固な内部ヒエラルキー(と同時に, 限られたものとはいえ昇進機会)を持った鉄道 業組織において,広義の鉄道職員Eisenbahner に共通の意識は現実には(スローガンは別とし       ユ   て)乏しかったとされている。しかし熟練労働 者・下級職員養成に関して鉄道業は内部養成の システムをいちはやく確立したのみならず,基 本的に「純血主義」 (徒弟採用に関する縁故採        エの 用)をとっていた。そして中・上級以上職員で あるEisenbahntechnikerについては,早期か ら「団体Verein」が結成されてきた。1842年 にVDI以前の「失敗に終わった」試みのひと     つとはいえVθrein fUr Eisenbahnkunde, Berlin      の が結成され,1850年以降はドイツ鉄道技術者協 会Verein Deutscher Eisenbahn−Technikerが          ラVdEVに助言を行い,81年には「主に国営・民 営鉄道および鉄道設備の納入会社の上級官吏・ 職員によって構成された」ドイツ機械技術者協        会が設立されている。また後述のように19世紀 中起からは「Eisenbahntechniker」を対象とし 13)斉藤1980S。72ff. 14) Klinksiek 1985 S.268ff. 15)麻沼1991 16)McClelland 1991における評価(邦訳S.83) 17) Spath 1985 S.585 18)Kocka 1987(邦訳S.154) 19)Chandler 1990(邦訳S.354)

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一 126 一 滋賀大学経済学部研究年報 Vol.1 1994 た技術専門誌が,かれら自身の手によって発行 されている。これらは共通の規範と感覚を持つ 成員の集合である「社会集団」の実在の証拠と なるであろう。  たしかにEisenbahntechnikerは「社会団体」 では,初期には「建築家一技師協会」に属し, またのちにはVDIがドイツ語圏最大の技師組 織として大半の鉄道技師をも包摂した。だが興 味深いのは,鉄道資材の規格化をめぐる1876− 89年のEisenbahntechnikerとEisenhUttentech一        niker(VDEh)の争いである。社会心理学で は,いったん形成された集団内集団は,より大 きな集団内でいったん人為的に消滅させられた かに見えても,潜在的外集団とのかかわりの中 で持続されていく傾向があることが実証されて   り いる。Eisenbahntechnikerをひとつの社会集 団として把握する根拠がここにもあるといえる のではないか。  さて,(A)(B)双方のパースペクティブが 相互に補完的であることはいうまでもない。鉄 道研究の発達に比して,ドイツ語圏の鉄道技術        ラ者/技師研究はまだ未開拓の部分が少なくない。 いずれ進められるべき(A)的パースペクティ ブによるケース・スタディ(それは問題関心と して(B)的ではなくとも,方法論的に(B)       が的アプローチをとりうるが)のために,(B) 的問題関心にもとつく,Eisenbahntechniker の実態についてのある程度まとまった知識が必 要となろう。それらは作業上必要となる(作業 のよすがとなる)問題設定に貢献するだろうか らである。 20)Lundgreen 1981 S.120ff.なおDelisie, Karl  (1827−1909;<表3>N17参)は, VDI内でネ  ジの規格化に貢献したと記録される。 21)Scherif&Scherif 1953参照 22)山田1988参照。なおドイツ語圏の鉄道技術者  を取り扱った論考として,種田1993S.61ff.が  ある。 23)たとえば菅山1993

H 作業とデータ

1.分析作業  本稿での作業の目的は,Eisenbahntechniker の集団としての特徴を社会的関連Soziale Ver− flechtungenの点から整理することである。こ こではまず,広義の社会的流動性Social mo− bilityの調査を行う。すなわち, Eisenbahn− techniker個々の例について,(A)社会的出自 (B)職歴一企業内昇進(C)学歴 に着眼す る。これらはすべて,社会的水準で見た場合の, 世代間流動性(移動)と世代内流動性(移動) に関連するものである。  こうした分析・整理は一定の社会集団を対象       ぬとするとき非常に一般的なものである。だがと くに「技師/技術者」は工業化期に新しく形成 された職業集団であるから,その研究において は,こうしたアプローチがとりわけ重要性を持 つ。わが国の工業化期に対しては内田星美,天        の 野郁男の諸研究がまずあげられるが,ドイツ語 圏についても,Berlin Gewerbe−lnstitut(Aka− demie)生徒の社会的出自を調査したLund− green 1975,社会的流動性に対してより明示的 な関心を持つKaelbele 1983,総括的なものと してKocka 1981aなどをあげるべきだろう。  とりわけ初期工業化ハノーヴァーのケース・ スタディであるScho111978では,ハノーヴァー 国鉄に勤務するEisenbahbauningenieurについ         て分析が加えられている。本稿はその分析方法 をおおむね継承するものであるが,しかしここ では,こうした一連の分析整理を支えるいまひ とつの軸として,鉄道業における土木・建設部 門Bauwesen構成者と機械部門Machinenwesen 構成者との差異,すなわちありうべきEisen− bahntechniker集団内部における土木(建設) 24)企業者についての研究例は豊:富であるが比較的  最近のものとして,たとえばSchumann 1992  が挙げられる。 25)内田1978a,1978b,1987 天野1989 S.485ff. 26) Scholl 1978 S.170ff.

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19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者 (鳩澤  歩) 一 127一 官吏ないし土木(建設)系職員と機械技師ない し機械系職員との差異に関心を払いたい。

 鉄道一蒸気機関車によるそれ一出現の技

術史上における意義のひとつに,Bauwesenと Maschinenwesenの従来にない結合があげられ よう。リーディング・セクターとしての鉄道業 は明らかにもっとも早い時期に,またもっとも 大規模に機械工業製品を利用した部門のひとつ     り であった。それは同時に,もっとも早い時期に 機械技師を企業経営内部に包含することを意味 した。このことは伝統的にHandwerkerとみな されてきた機械技術者を,19世紀中半(1856/ 57)以来VDIが目指すようになった社会的地 位にあるIngenieurという存在にまで引き上げ   る契機になるはずだったろう。しかしこの点に ついては,1867年におけるVD正役員・VDI創 立メンバーのひとりリヒャルト・ペ一戸ースの 証言がある。  「土木・建設業Bauwesenは,プロイセン では既にずっと早くから,整備された統一的 な職業教育制度をもっていた。このことから, 次のような異常で不当な事実が説明できる。 国有鉄道Sttatseisenbahnenの全ての最上位 の技術的ポストは建設官吏Baubeamteによっ て占められ,他方では,その活動範囲が重要 であるにもかかわらず,機械部の主任Chefs des Maschinenwesensは理事会Direktionに         入ることができない。…」  このペ一戸ースの発言は「異常で不当な事実」 のいまひとつとして,本来Ingenieurが担当す べきボイラーの交換にともなう安全管理が土木・ 建設一,鉱山官吏に任されていることをあげて 27)Wagenblass 1973または小笠原1994 S.107ff.  は氏の既発表論稿にもとつく整理。 28)Scholl 1981 S。14ff.高橋1992,1993 29)Lundgreen 1981 S.75なお引用の訳文は  1(ocka 1987(邦訳S.147)によるが,“Bau−  wesen”のみ訳を改変した。 いるが,要するに教育システムの伝統の有無が 土木・建設系技術者と機械系技術者の昇進・企 業内の待遇に格差をもたらしているというので ある。これを受けてKocka 1987では議論を発 展させ,これを教育システムを含む官僚制のド イツ語圏における伝統が,鉄道業において決定 的な影響力を及ぼした(宮僚制が鉄道業管理の         モデルとなった)証左としている。既に述べた ように,それがゆえに鉄道業管理がドイツの経 営管理に対して持つ影響を低く見積もること, あるいはあまりにネガティブな評価を加えるこ とには(コッカ自身の指摘に従えば,現在の研 究状況からみて)なお一定の留保が必要であろ う。ただ「官僚制の影響」という点について, ことに合衆国との比較に関する限りコッカの論 証はまったく適切であることは疑いない。だが まさにそのために,Eisenbahntechnikerを観 察の主要対象とする本稿において,ペータース 証言のような部門間較差・差異はなおあらため て検証を加えられるに価しよう。  したがってここでひとつの作業仮説をおき, その検討という枠組みで以降の議論を進めたい。 それは,「19世紀における鉄道業の発展にとも ない,当初,伝統的諸条件によって存在してい た鉄道業内部の土木・建設一機械両部門の較差 は消滅し,社会的出自・教育・企業内昇進等に ついて平準化がみられた」というものである。 これは一部分ですでに同時代の証言によって否 定されている。だが,これをフレームワークと して分析に用いることは,社会集団としての Eisenbahntechnikerの動向を観察するという 本稿の目的に沿うものであろう。  「3」で結果が示される分析の手順は以下の 通りである。すなわちデータ・ソースからの最: 初のサンプリングによってEisenbahntechniker の動向を通観し,ひとつの時期区分を行う。そ の時期的グルーピングにそって,社会的流動性 の動向を観察する。 30)Kocka 1987(邦訳S.148ff.)

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一128一 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.1 1994

2.データ・ソースについて一技術専門誌

 ‘‘Organ fUr die Fortschritte des Eisen−  bahnwesens in technIscher Beziehung,,につ

 いて一

 本稿で主にとりあげるのは,19世紀当時の鉄 道技術専門誌であり,同時にドイツ鉄道管理協 会(Verein der deutscher Eisenbahn−Verwal− tungen;VdEV)の技術関係の機関誌であった ‘‘ nrgan fUr die Fortschritte des Eisenbahn− wesens in technischer Beziehung”(1845− Wiesbaden)である。そこに記載された19世紀 中(1864−1900)の追悼文を主要なデータ・ソー スとした。  まず,“Organ…”誌(以下,“Organ”)に ついて概観しておこう。  “Organ”の初代発行者は,当時Taunus−

BahnのObermaschinenmeisterを務めていた

エドムント・ホイジンガー・フォン・ヴァルデッ ク(1817−1886)であった。1845年のことであ り,かれは1849/50年には画期的なLokomo一         tivesteurung開発に成功している。編集30周年   回雇頁 (‘‘Organ  12,1875, S.302−308) によれ ば雑誌発刊は,ホイジンガー・フォン・ヴァル デックのプライヴェートな活動として企図され た。その目的は,1.未発達であり,なお重要 な文献も存在しない鉄道技術の分野における自 己学習 2.他の諸路線における建設・運営の 経験の収集 3.鉄道業における新しいCon− structionenの報告にあった。発行実現には2 年を要したが,その間に「ドイツとオーストリ ア」の一線のEisenbahn−lngenieur多数の参加 を得ている。  1850年半の中ごろ,ホイジンガーの転出によ り編集・発行はブラウンシュバイクのシェフラー にゆだねられた。しかし1863年末,VdEVがラ イプッィヒで発行されている機関誌,“Zeitung 31) Tiffe 1985 S.48 32)“Organ”121875 S.3G2−308以下の“Organ”  発刊についての記述は,基本的にこの記事による。 des Vereins Deutscher Eisenbahn−Verwal− tungen”に加えて鉄道技術専門誌の発行を決 定,“Organ”があらためてVdEVの機関誌と して発行されることになった。このときホイジ ンガーが再び編集発行人となり,ページ数と版 型を(図表掲載の便宜のため)拡大し,64年に 新輯第1巻第1号を発行した。総べージ数は各 巻計280ページ弱。この当時は年6回の発行で あり,記事内容は大きく5つの鉄道技術分野に 区分された。すなわち,1.Oberbau,2. Bahn− hofseinrichtungen, 3. Maschinen一 und Wagen− wesen,4. Signalwesen,5. Allgemeine;鉄道 吏員の組織,技術職員の訓練,工場・路線労働 者,雪害対処法…であり,オリジナルの論稿と 鉄道業の発達についてのBerichtによって成り 立っていた。このスタイルは以後踏襲される。  また1865年から71年にかけて,ドレスデン (65),ミュンヒェン(68年),ハンブルク(71 年),デュッセルドルフ(74)の各地で開かれ た“Eisenbahn−Techniker−Versammulung”に おける発表と討議を各回掲載しているが,これ も30周年以降にも踏襲されている。  “Organ”編集部は同時にVdEVの技術関係 書出版業務を担っていたが,とくに重要なのは 74年以降の>Handbuch der speciellen Eisen− bahn−Technik<全7巻の出版であろう。>Kal− ender fUr Eisenbahn−Techniker〈発行と併せ て,これらは1846年の創立来,VdEVの基本的 な目標だった鉄道設備と鉄道業務の統一化を技 術面からサポートする活動だったといえよう。 この30周年の際には既に,Eisenbahntechniker の量的増大とおそらくはそれに伴う投稿増によっ て,別冊もしくは付録誌の発行が必要とされて いる。  そして50周年をむかえる1895年には,ついに

年6回発行から月刊への転換がVdEV総会で

決定,実現を見た。それは「鉄道交通網の伸張 と稠密化,それにともない高まりつつある新た なBetriebsmittelの創出と, Betriebseinrich− tungen/一 Anlagen改良の必要によって,技

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19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者 (鶉澤  歩) 一 129 一 障碍の貢献に対して形成される不断の要求に照 らせば,現行の年6回発行はもはや時宜にそぐ       わぬ感がある」からだと説明されている。実際 には1880年代後半以降,鉄道網のドイツ語圏と        りわけライヒにおける伸張は減速している。こ のことを考え併せると,こうした処置がとられ た理由は,世紀転換期の鉄道業において技術革 新が新段階をむかえたという,明記されている 事実以外にも求められなければならない。たと えばEisenbahntechnikerの「学術化」の進行 といった事情があるのかもしれない。これは本 稿の後段の議論と関係してくるところである。  なお編集者は,1886年のホイジンガー・フォ ン・ヴァルデックの死去によりアドルフ・クリ スティアン・ヴィルヘルム・フンク(1819−1889) とその甥・養子のGnバークハウゼンG.Bark一         hausenに代わった。フンクの死後はバークハ ウゼンが編集者の地位につき,20世紀をむかえ    ている。  さて,当該時期の“Organ”には,総計109 名についての追悼録が記載されている。それら の内訳は,官有鉄道/私鉄双方の鉄道企業勤務 の技術者を中心に,鉄道建設請負会社勤務の技 術者, 「壁書の技師Civilingenieur」,アカデ ミシャン,鉄道関係機械製造メーカーなど様々 である。これらはすべて1875年新羽第12巻以降 のものであり,それ以前に追悼録は記載されて いない。ただし,1875年の追悼録は30周年記念 のホイジンガーによる回想記事の一部であり, 1855年死亡のEduard Schinz(<表3>1参) から始まって1874年死亡のH.E.Bauke(<表 3>12参)にいたるまで,75年以前に死去した 12人について情報を得ることができる。しかし, いうまでもなくこれはデータ数としてはあまり に過小にすぎる。そのうえ“Organ”が追悼録 を記載した109人中数名は明らかに鉄道業以外 の技術者(たとえば製鋼業者クルップなど)や, 鉄道技師ではあってもドイツ語圏での活動が全 くない外国人であり,これらは当然分析の対象 から除外される。  そこで補助的なデータ・ソースとしてドイツ 語圏の代表的な歴史人名辞典であるNDB(ノ イエ・ドイツチェ・ビオグラフィ 現在16巻ま で)を利用せざるを得なかった。“Organ”の 追悼録における人物の採録の基準は必ずしも明 確ではなく,上述のような問題も生じるが,専 門誌としての性格から“Organ”によるEisen− bahntechnikerの規定をうかがうことが可能で ある。それは,すでに述べた追悼録対象者の内 訳から判断する限り,かなり緩やかなものとな ろう。つまり,「鉄道の建設または運営(企業 での鉄道関係の機械設備の製造を含む)の参加 経験者,または現場あるいは専門教育機関にお いての,鉄道業に関し一定水準以上の技術的な 養成の経験者(もしくはその双方)」。それにし たがってピック・アップした結果,108人置名 を得た。その中には,Eisenbahningenieur, Eisenbahntechiniker, Lokomotive−Techniker, などの他にIndustrieller, Maschinθnfabrikant, Bauingenieur, Verkehrsfachmannといった肩 書きの持ち主を含むことになった。しかしなが ら,これらを併せてもデータ数の絶対的不足は 解消しない。しかもNDBを使用する際に不可       露な問題点を抱え込むことになってしまった。 そのうち最大の問題は,NDBが現在に至るま で未完であるということだが,その他の問題点 は本来のデータ・ソースである“Organ”使用 に際しても共通である。  まず筆者が異なるため記述方式が不統一であ り,必ずしも全ての場合について必要な情報が 得られるとは限らない。また追悼録・人名辞典 33) “Organ” 32 1895 S.1 34) Fremdling 1985 S.14 35) “Organ” 23 1886 S.17ff. 36)“Organ”261889以降 37)社会経済史学会近畿部会例会(1993・6・19)に  おける進藤修一報告『十九世紀ドイツ化学者の社  会史一教育を中心にして一』を参照。

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一130一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.1 1994 <表1> ドイツの諸鉄道会社・路線における技術職員technischer Beamter(1964−66) 会社・路線 Ostbahn Niederschl.一Markisch Westphalish. Oberschlesisch. Wilhelmsbahn

Tannusbahn

Frankfurt−Hanauer ハノーヴァー国鉄 Altona−Kieler Berlin−Hanmburger ナッサウ国鉄 Sifd−Norddeutsche Graz−Kofflacher Brunn−Rossitaer Mochas−FUnfkirkener Theiss−EB Kaiserin−EB Hess.一Ludwigsbahn Hess.一F.一W.一Nordbahn Main−Weserbahn Main−Neckerbahn バイエルン国鉄 ヴュルテンベルク国鉄 Berlin−Anhaltisch. B.一Potsdam−Magdeburg Pfalzisch. ThUringisch.一Werra Niederschl.一Zweigbah Neise−Brieger K.一F.一Nordbahn Kdl’i”i−Mindener ザクセン国鉄 ブラウンシュバイク Aussig−Teplitzer Buschtehrader Oppeln−Tarnowitzer Aachen−DUssel−Ruhr. Holsteinisch.     計

B

L188148488407325842206497980340990553531

 2    1     7

      112   95111 52  11  4142    21

︶        7 1 ︵ (2)総雇員(3)距離*

 2774 121.73

 3693 51.62

 1497 51.86

 1347 34.74

 455 24.56

 220 6.71

 238 5.46

 3622 119.68

 912 32.8

 1517 39.66

 638 23.21

 600 27

 150 5.31

 110 3.75

 195 8.08

 1040 73.41

 1860 73.5

 1129 26.36

 680 19.81

 1080 27

 332 11.82

 6229 184.95

 2202 76

 1325 47.4

 1161 19.74

 1353 30.33

 1551 60.02

 219 9.5

 135 6.18

 2670       81ユ3

 4634 68.86

 4173 33.82

 1589 33.29

 158 2.5

 ? 9.72

 ? 10.12

 ?     ?  ?      ? (52038) (1471.6)     *Pr.Meile キロ換算  (1)/(2)  (3)/(1)

 917.2 O.008 43.7

 388.8 O.002 48.6

 390.6 O.005 48.3

 261.7 O.006 23.8

 185.0 O.009 46.2

  50.5 O.036 6.3

  41.1 O.014 10.3

 901.4 O.022 11.6

 247.0 O.009 30.9

 298.7 O.009 21.3

 212.5 O.016 21.2

 203.4 O.045 7.5

  40.0 O.020 13.3   28.2 O.013 14.1   60.9 O.025 12.2

 590.6 O.094 6.0

 553.6 O.029 10.3

 198.5 O.Oll 16.5

 149.2 O.018 12.4

 203.4 O.009 20.3

  89.0 O.018 14.8  1393.0 O.009 25.8

 572.4 O.013 19.7

 357.0 O.eO5 51.0

 148.7 O.003 16.5

 228.4 O.013 12.7

 452.1 O.006 45.2

  71.6 O.014 23.9

 46.5 O.030 11.6

 611.1 O.015 15.3

 518.7 O.004 27.3

 254.7 O.012 5.2

 250.7 O.O13 12.5

 18.8 O.032 3.8

 73.2 ? 14.6

 76.2 ? 25.4

 ?     ?     ?  ?     ?     ワ (11084.7) (O.018) (20.86) source; “Organ” 1864. S.225−226/1865. S.44−46. S.95. S.181−182. S.234−235, 1866, S.140 に収録されている人物の分布にはなんらかの偏 りがあるはずである(それらはほとんど最終的 に「Rat」の称号を得た人物であるので,社会 的流動1生調査のサンプルとしては問題がある)。 さらに,これは本報告の方法論と重なることだ が,19世紀のドイツ語圏を包括的に扱い,あり うべき地域性を捨象する可能性があるサンプリ ングに果たして意義を認められるのか,という 問題が大きい。  これらは全て,より緻密なケース・スタディ の実行によってしか解決されない種類の問題で ある。ただ最後の「地域性」の問題については, とりわけ本報告での鉄道のような,地理的普及 度の高い「技術」とそれを取り扱う者について の考察では,それ自体をなお検討の対象とすべ きであろう。この点を考慮しても,本報告の ようなまったく一次的なアブU一チにも若干の 意味が存しよう。 皿 分析結果 1.

 <表1>は,“Organ”新輯第1巻から第3

巻にかけて掲載されたドイツ語圏の国有鉄道を

(9)

19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者 (鶉澤  歩) 一 131 一 (1) Mitglied d. Direktion (3) lnspector (4) Conducteur/Baumeister (6) Maschinen一/Werkmeister (7) Maschinenverwalter (8) Oberingenieur (9) lngenieur (10)その他 (11)  計 (12) 戸〆員数 (13)路線キロ数 (11)f(12) (13)/(ll) (1)一ト(2)/(12) (9)/(12) <表2> 主要国有鉄道の技術職員の構成   プロイセン国鉄/管轄下私鉄ハノーヴァー国鉄

        11 5

(2) Direktor/Baurath (excl. (1)) (5) Ober/Bezirksmascinenmeister 00ρOQJ2002  1 ーハ0  8 11541 2871 0.030  33,4 0.OO12 噌⊥ρ0門D9臼り01 111    1 39々8

1 7

 3622  859 0.091  11.O O.0044 0.0036 バイエルン国鉄 3(1)*.**    2 4(1) *    5 2(1) * *

  40

  54

6229  1780 0.030  33.O O.OOO8 0.oo64 * “Obermaschinenmeister”を含む **“Mitglied d. Direktion”を含む 出所;“Organ”1864, S.225.226/S.273−2741865 S.95 ふくむ諸鉄道企業に雇用された技術職員tech− nischer Beamteの人名録をもとに作成したも のである。ここには38企業,路線について約 700人の技術職員が確認できる。1874年のプロ イセン統計年報により,1869年度のそれら企業・ 路線に勤務する常勤の(日雇いをふくまない) 職員数を得ることができるが,それらと比較し たとき,“Organ”読者中のコアの部分をなす だろう鉄道技術職員の企業内での位置づけ,そ の他についてなんらかの判断は可能かもしれな い。たとえば,Engel 1874によれば,1860年 代末当時でドイツ語圏の鉄道業の総雇員数は        ラ97183人と,10万足らず。 「技術職員」を〈表 1>での概観にしたがってその2%程度とすれ ば,およそ2000人が19世紀後半における「技術 職員」の総数だったといえる(総職員に占める

高・中級技術者の割合は,1985年現在のDB

      ラ

ー雇用者28万人一で4%程度。)

 しかし注意すべきことは,もとの“Organ” 記事において「技術職員」としてのリスト・アッ 38) Engel 1874 tab.14 39)種田 1993S.67 プの基準が,企業・路線ごとにきわめて多様で あったことである。いいかえれば,どの程度の ランクまでを「技術職員」としてリスト・アッ プすべきかの基準が異なっている。たとえば Theissbahnのように三等lngenieur−Assistente までをリスト・アップしている例もあれば,プ ロイセン国鉄のようにMaschinenmeisterまで に限る(これが一般的だが)場合もある。しか しここでより重視すべきは,各路線における技 術職員の職名・職階の多様性であろう。  <表2>にもそれはあきらかである。これは プロイセン国鉄/管轄下私鉄,ハノーヴァー国 鉄,バイエルン国鉄を例示したものだが,たと えば同じlngenieurという名の職にしても,ハ ノーヴァーとバイエルンの両国鉄の経営組織に おいてその職階や職能に差異がありそうである。 また鉄道業についてドイツ語圏では先進的であっ たハノーヴァー国鉄と,残り二つとはInspek− tor, Direktorといったより高位の職階の占め る割合に差が大きい。 「技術職員」一人あたり の路線規模などについて相似的なプロイセンー バイエルン両国鉄問には,Ingenieurという職 名の有無がある。また,表示はしなかったが,

(10)

一i32一 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.1 1994 オーストリア・ハンガリーの官許私鉄において はフランスで教育をうけたフランス人技師が招 かれ,したがってフランスの鉄道業の影響が決          るの定的だったといわれる。これらは,1860年代当 時のドイツ語圏の鉄道において,技術者部門で の組織編成に地域的な多様性があったことを明 らかにするものである。  さてく表3>に,すでに説明した通りのデー

タ・ソースから得た19世紀中の鉄道技術者

Eisenbahntechnikerの経歴を,ほぼ生年順に 列挙した。総計194名であり,両データ・ソー スの記載を併せたものより少なくなってしまっ た理由は3つある。1・“Organ”掲載の追悼録1 中,本稿の目的にそぐわないものがあった。2・ 情報の不足によって分析対象にできないものの 存在。3・重複(6件)である。これらについ てもナンバリングを施したので,表編の整理番 号には脱漏があることをお断りしておく。これ らEisenbahntechinikerの数は非常に少ないが, 対象とする時間スパンは大きい。よってこれら を時期的にグルーピングする必要があろう。  狭い意味での「ドイツ」における鉄道業の発 達は,ゾンバルトにしたがい,路線網の伸張に        むうよって時期的に段階区分される。すなわち,  1.1835−45;前段階…比較的緊密な関係に        ある近傍地域の連絡路線建設        (2130km) 2. 3. 4. 以下の議論では,  一60;骨格形成期…長距離路線の伸    張。諸地方の重要都市間の連絡。    リストによるプランの実現化    (11600kn)  一80;Vollbahnenシステム…おお    まかな鉄道網の完成(33800㎞) 一1914;さらなる建設とシステムの枝    分かれ…小鉄道建設に重要性)      この時期区分を基準として 40)de Serrer, August(1841−1900);<表3>参  107 41) Henning 1979 S.162 用いる。  もちろんこれは最も単純な指標に基づくもの であり,もちろん本稿のような研究の場合,た とえば国有化の進展を含む企業経営形態の変化 や,または鉄道技術上の達成を時期区分のメル クマールとする方がより適当であるかもしれな い。またこの区分は,ドイツ人によるトルコ, タイ,中国等での鉄道建設について全く触れる ことがないが,鉄道技術者にとって海外での就       ゆ職は第3時期から重大な意味を持った。現に追 悼録やNDBにとりあげられる技師も海外での 鉄道建設をその主要業績とする例が目だってく るのである。しかしそれら全てを考慮にいれた, おそらくはやや複雑なものになるだろう指標は, それ自身が議論の対象となるべきであって,本 稿のような1次的アプローチにはそぐわない。 そこでもっとも単純な年代による区分もまず有 効なものとして考えられる。だが,この時期区 分には労働市場の規模という側面から,Eisen− bahntechnikerの行動を考察できるという利点 がある上に,単純な年代区分からさほど逸脱す るものではないという長所がある。  したがって,〈表3>のリストを以下のよう にグルーピングした。まずGerstner(1756− 1832;<表3>N40), Baader(1763−1835; <表3>Nl)をゾンバルトの「前段階」以前 に属するとして除外した。かれらは前鉄道時代 の先駆的技術者であるが,ドイツ語圏における 蒸気機関を使用した鉄道の敷設以前に世を去っ ている。Krause(1790−1860;<表3>N85) の活動も,むしろ前鉄道時代の(めぐまれぬ) 先駆者として区分されるだろうと考えた。残り 191名について,個人の就職決定をひろく20才 前後周辺としたうえで,鉄道業に就職した年, ならびに技術部門での管理職であるInspektor, Obermaschinenmeister就任年を個々のケース について判断した結果,ゾンバルトの段階区分 に対応させて, 42)杉原1990参照

(11)

19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者 (鳳睾  歩) 一133一  第1グループ;  一1820年出生  第2グループ;1821−30年代出生  第3グループ;1840−1850年代前半出生  第4グループ;1850年代後半以降出生 という風に区分した。これらは厳密な意味での コーホート(同時出生集団)ではないし,俗に いう世代区分にもあたらない。しかし,“Organ” 追悼録中の,19世紀当時のEisenbahntechniker       の 当人たちの「世代」感覚を示す記載や,NDB    う の記述には適合するものである。  さて,これら各グループについて分析に入る 前に,個々のサンプルから得られた情報の紹介 もふくめて予備的な考察をおこなっておくのが 適当だろう。とりわけ第1グループ「最初の Eisenbahntechniker」の哲隻得していた相対的に 高いといえる地位については,注意を払ってお く必要がある。  鉄道業がドイツ語圏に移入された1835年以来, 鉄道の建設・運営にとって技術者の不足は重要        らう な問題となった。当局・経営者側としてはこの 事態に対して,外国からの技術者の招聰という       の 手段をとった例もある。だが,より一般的に講 じられたのは,従来の技術者層からの促成であっ た。第1グループの大半について,鉄道業が最 初の就職先ではないというのは彼らの出生年か ら照らして当然のことながら,そのうちには Baubeamteあるいは技術将校の出身者が相当 量を占めていることに注意したい。  この典型例をハノーヴァーに見ることができ る。ハノーヴァーでは従来のBaubeamtの試 験制度(これはWasserbauingenieurについて) について40年代以降,内容の規格を整備し,法

吏/官吏のそれに近づけた。またHohere

Gewerbeschuhleにおいて47年以降,鉄道技術 の講義を導入した。その一方で奨学金制度を充 実させ,人材の供給源を従来の技術官吏のそれ から拡張することを試みている。1830年代から のおよそ15年間における鉄道技師に対する技術 教育体系化の成果は,96%がHohere Gewer− beschuhleもしくはポリテクニクムの卒業生で あるという1843−66年における状態にあきらか   まの である。またバイエルン政府も,デニス,パウ リといったビッグ・ネームのもとで勤務した当 時26才のバウエルンファイントを44年,技師養 成機関の教官に移動し,官命によるベルギー・ イングランド留学から帰還ののちはただちにポ         リテクニクムの教授としている。技術教育シス テムの充実という点でたとえばプロイセンに全        のく同様の事態が進行したと考えられる。  しかしこうした雇用者サイドの活動は,労働 マーケットにおけるEisenbahntechnikerの供       給不足を短期的には解消できなかった。したがっ て需要超過にあった指導的な鉄道技術者,なか んづくEisenbahnbauingenieurには,当時の基       り準からは非常に高いといえる報酬が支払われた。  また,技術者の不足はかれら初期Eisenbahn− technikerの鉄道企業における(経済面以外で の)地位を高めたと考えられる。リクルーティ ングにおける影響力がただちに挙げられる例で ある。ミュンヒェンーアウグスブルク線建設に      らの おけるデニスの他,ハスウェルを招いたシェー 43)たとえばKress, J.R.v.(1817−1881);〈表3>  22 44)たとえばGolsdorf, LA.(1837−1911);〈表  3 >N49 45) Liebl 1982 S.61ff. S.156 Wortmann 1972 S.  65 46)Scholl 1978 S.179ff.またたとえばハンブルク  については,Limdley, Walter(1808.1900);  〈表3>N96をその例として挙げられる。 47) Scholl 1978 S.190ff. 48)Bauernfeind, C.A.v.(1818−1894);<表3>82 49)高橋1986参照 50) Lundgreen 1975 S.247ff. 51)Lieb11982 S.168ff./Scholl 1978 S.213ff./ま  たとくに機械系技術者については,Lundgreen  1975S,262ここでは試補期間の低賃金と本採用  時の格差が示され,鉄道企業の賃金体系の特徴が  説明される。 52) Liebl 1982 S.155−162

(12)

一134一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.1 1994  おう

ナーや,プラーゲンら自分が養成した若い

Ingenieurを大量に動員し,オーストリアでの        らの鉄道建設をおこなったエッェル,同様の例とし       うの てにロシアにおけるゲルストナーらの名をあげ ることができる(こうした状況は,工業化初期 にはどの国でもかなり一般的に見られるはずで ある。)技術者の側に一種の「遊牧(放浪)生      らの 活」を強いたともいわれるこの需要超過は,第 2グループに基本的に引き継がれる。一面では もちろん,専門化の進行によって,初期の鉄道 業務すべてを統括するEisenbahntechniker像 には大きな変化が生じずにはいられなかった。 だが,Eisenbahntechnikerの社会における最: 初の位置がこのようなものであったことは記憶 されるべきであろう。初期時点で「鉄道技師不 足」という市場状況に規定されていたEisenbahn technikerの社会集団としての性質に,いかな る変化が生じたか。これもまた,分析の視角と したい。  締めくくりに技術的な問題点と併せて,第4 グループについてまとめておきたい。第4グルー プは,本来のドイツ語圏内において鉄道建設が ほぼ完成した時期に鉄道技術者としてのキャリ アを開始した人々であり,本来的な鉄道業勤務 ではたとえばNDBに記載されることは少ない。 したがってサンプル数は本稿の分析中,極端に 少なくなってしまった。したがって以降の分析 は,極力第1∼3グループまでを考察の対象と したい。 〈表4>  19世紀Eisenbahntechnikerの社会的出自 父の職業  高級官吏

 将官

 教授

 聖職者  弁護士

 医師

 大土地所有者  企業家  高級技術官吏  高級船員  その他自由職  Hohere Schichten

243523343855

1    

1 σ 5

(o/o) 手工業者 小売商・飲食店主 農家(営農家) 中級官吏 技術者 従業員・職員 教師 下士官 不明 Mittlere Schichten 13  6  2  3  8  2  3  2 0.8 40 労働者 下級官吏 使用人 不明 Untere Schichten 2.5 0 0 2.5 5 事例数      126 不明      65 計      191 source; “Organ” 1864−1900, NDB 1−16 2. A・社会的出自  〈表4>を見てみよう。データ・サンプル中, 53)Schoenerer, M.R.(1807−1881);<表3>21/  Haswe11, John(1812.1897);〈表3>N60 54)Etzel, Karl v.(1812−1865);<表3>5/Pragen,  Wilhelm v.(?一1885);<表3>38 55)Gerstner, F.J.(1756−1832);<表3>N40 56)Heusmger, Edmund v.W.(1817−1886);<表  3>41のNDBにおける記述。 父親の職業または家系が判明したのは現報告の 段階ではおよそ2/3,明確ではないが類推可 能な4名をあわせて126名である。これを階層 Schichtに応じて整理区分したものはく表5− 1A>に見ることができる。  これらで明らかになるのは,鉄道業関係の技 術者の出身は圧倒的に社会の中層より上からだ といえることである。下層に区分された2人の うち,「不明」とした土木・建設系技師のバウ エルンファイントとシュヴェードラーは,とも

(13)

19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者 (鳩澤  歩) 一135一 〈第5> Eisenbahntechnikerの社会的出自 <5−IA>総合 社会的出自(%)       1   2

  他聡

    合

繋計陥

    く

  他 系系・十 設械明言 建機不 GUi⊥OrD 只U=JrO只U

4じ020∩0444

3 事例数総数

 71 59 87

 41 55 86

 8i 12 18

 51 126 191

社会的出自(%) 1   2       30003ρ︶4nδ3り0 〈5−2>第1グループ 建設系 機械系 不明・他  計 00QU8ρ0 2∩乙2∩乙

﹁0264

不明

 32

 36

 33

 34

総数

 87

 86

 18

 191 社会的出自(%) 1  2  3  不明 総数

 63 25 131 24 31

gij gg igl ig 22

 55 32 131 38 5,7

〈5−3>第2グループ   他 系系・十 四械明言 建機不 社会的出自(%) 1  2  3  不明 総数

 69 23 81 13 29

 55 4s Ol 22 3s

 67 33 Oi 3 8

 61 37 31 38 72

<5−4>第3グループ 建設系 機械系 不明・他  計 社会的出自(%) 1   2   3  不明

i糊講■i

 48 48 el 31

〈5−5>第4グループ   晶 系系・十 設械明言 建機不 総数

 19

 20

  2

 41

社会的出自(%) 1  2  3  不明 総数

 50 50 O[ 8 8

;1鴛IIll

 53 47 Oi 19 21

source; “Organ” 1864−1900, NDB 1−16       うに家がたいへん貧しいとの記述があるだけであ る。だが19世紀前半に限らず一般的に一家の経 済状態と階層とは必ずしも相関しているわけで もないだろうから,ここに分類するのは不適切 だったかもしれない。下層出身者はEisenbahn一 57>Bauernfelnd, C.A.v.(1818−1894);〈表3>  82/Schwedler, J.W。(1823.1894);〈表3>77 technikerにおいてほとんど無視できる割合し か占めなかったといえそうである。問題は下層 中間層(手工業者や従業員)の占める割合であ る。というのはそれが社会的上昇度の目安とな るからであるが,これもく表4>の結果では相 当高い。これらを技術者Techniker一般につい てのルントグレーンやケルブレ,ハノーヴァー の初期鉄道技師についてのショルなど,先行研    うの 究の結果にほぼ一致する。  上層出身者の割合について比較すると,Lund− green 1975の1855−67年のGewerbe−lnstitut      うの 卒業生の調査や1907年(の大ベルリン市)の高 等教育を受けた技術者を扱ったKaelble 1983    の      わ の結果や,Scholl 1981のそれよりもやや大き い。また興味深いのは,その値(71/127= 56%)は伝統的な土木官吏の出身階層に占める       ラ上層の割合(道路技師=43%,治水技師=44%) よりもかなり高いことである。しかしここでは, データ・ソースの性質(追悼録・人名辞典)か ら生じるサンプルの「上方バイアス」を考慮し なければならない。そこで「不明」部分を含め て割合を試算すると,<表5−1B>のように なる。19世紀当時の追悼録の性質上,Hohere Sichten出身は明記された可能性が高いので, 中層以下の割合はかなり高まりそうだというこ とがわかる。以下の分析では,これが念頭に置 かれねばならない。なお,下層出身者の低い割 合については,先行研究に一致するものである。  これらを時期的にグルーピングすると,社会 的出自の動向についての知識が得られそうに思 える。現実に,手工業者出身はむしろ初期の第 1,第2グループに偏っていることなどは事例 に明らかである。しかし〈表5−2>∼<5> に示された%による全体的な動向からの判断は 避けるべきであろう。なぜなら,土木・建設系 58)Kocka 1981a脚注30 Scho111981 S.206ff. 59) Lundgreen 1975 S.12e 60) Kaelble 1983 S.51 61) Scholl 1981 S.206 62) Scholl 1981 S.IOI S.151

(14)

一136一       <表6> <6−1>第1グループ  〈建設系〉就職時の職階  社会的出自 1 2 3 計

   1 6 5 0 11

   2 3 2 0 5

   3 1 0  0  1

   言十 107017

<6−2>第2グループ  〈建設系〉就職時の職階  社会的出自 1 2 3 計

   1 1 4 5 le

   2 1 0 1 2

   3 1  0  0  1    計    3 4 6 13 <6−3>第3グループ  〈建設系〉就職時の職階  社会的出自 1 2 3 計    1 0  2  1  3

   2 1 0 0  1

   3 O O O O

   計    1 2 1 4 <6−4>第4グループ  〈建設系〉就職時の職階  社会的出自 1 2 3 計    1 O  O  I  I

   2 0  1 2 3

   3 O O O O

   計    0 1 3 4 <6−5>総合  く建設系〉就職時の職階

 社会的出自123計

   1 7 11 7 25

   2 5  3  3 11

   3 2 0 0 2

   言十      14  14  10  38 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.1 1994 Eisenbahntechnikerの社会的出自と就職時の職階 事実移動係数   O.53 「上昇」移動   O.24 「下降」移動   O.29 事実移動係数   O.92 「上昇」移動係数   e.17 「下降」移動係数   O.83 事実移動係数    1 「上昇」移動係数   O.25 「下降」移動係数   O.75 事実移動係数   O.75 「上昇」移動係数    o 「下降」移動係数   O.75 事実移動係数   O.74 「上昇」移動係数   O.18 「下降」移動係数   O.55 〈機械系〉就職時の職階 社会的出自 1 2 3

  1 1 0  !

  2 O  I O

  3 o  l e

  計    1 2 1 〈機械系〉就職時の職階 社会的出自 1 2 3

  1 5  1  2

  2 2  3  1

  3 O  O  O

  計    7 4 3 〈機械系〉就職時の職階 社会的出自 1 2 3

  1 2  1 0

  2 0  2  1

  3 O O  O

  計    2 3 1 〈機械系〉就職時の職階 社会的出自 1 2 3

  1 O  l  l

  2 O  I  I

  3 O  O  O

  計    0 2 2 〈機械系〉就職時の職階 社会的出自 1 2 3

  1 8 3 4

  2 2  7  3

  3 O  I  O

  計   10 11 7 計  事実移動係数

2 O.5

1 「上昇」移動係数

1 O.25

4 「下降」移動係数      O.25 計  事実移動係数

8 O.43

6 「上昇」移動係数

O O.14

14 「下降」移動係数      O.29 計  事実移動係数

3 O.33

3 「上昇」移動係数 。     o 6 「下降」移動係数      O.33 計  事実上動係数

2 O.75

2 「上昇」移動係数 。     o 4 「下降」移動係数      O.75 計  事実移動型数

15 O.47

12 「上昇」移動係数

1 O.11

28 「下降」移動係数      O.36 source; “Organ” 1864−1900, NDB 1−16 技術者と機械系技術者の動向の差が相当大きい からである。これらの表はむしろ,それを確認 するためにのみ有用であるといえる。  鉄道建設初期に活動した第1グループについ て土木・建築系一機械系を比較すると,上層出 身者の割合の相違が目につく。予想された通り, 土木・建設系について上層出身者の割合がより 高いが,これは初期のEisenbahnbauingenieur が伝統的なBaubeamteとの連続性が強いこと と関連しているといえそうである。また上層出 身者の占める割合はそれら土木官吏より(上述 のバイアスを差し引いても,なお)高いと考え    の られる。  しかし第2グループでは,機械系技術者につ いて上層出身者の割合が高まり,土木・建設系 63)Scholl 1981 S,218−220参照/なお高級官吏の  子弟の他に目だつのは聖職者のそれである。この  出身グループの割合は伝統的な土木・建設官吏に  ついてのそれよりやや高いという観察が可能だが,  その理由はここでは不明である。

(15)

19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者 (鵬澤  歩) 一 137一 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) ae) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21)   3. Beamte (制動手 (転轍手 (汽罐夫 (機械係 (電信係 (保線区主任 ((15)助手 機関士 製図工 工場長 (19)助手 電信係長 2. Beamte 区間ing. 機械マイスター 1. Beamte <表7> 鉄道技術職員の職階と平均的年収   (単位’プロイセン・ターラー)    (相当) Bremser) Weichesteller) Heizer) Maschinenverwalter) Telegraphisten) Bahnmeister) Assistent d. Ab. ing.) LokomotivefUhrer Zeichner Werkfuhrer Assistent d. Obering. Telegraphinspector    (相当) Kodukteur Eisenbahnbaumeister Abtheilungsmgenieur Maschinenmeister    (相当) Ober−Masehinenmeister Betriebsinspector Oberingenieur Betriebsdirektor 鉄道時代初期の指導的 Eisenbahningenieur

1850 1859 1860

5ρU

5412

293 271 179 416 476 522 497

0042

∩◎3 198 171 271 288 294 332 604 471 450 549 509 559 233 225 315 280 315 380 453 546 625 589 734 720

896 998

   1619    1168 11e5 1314 1637 1623 1775 2554 * ()内は,Engelの区分による「普通教育のみが必要な職員」   souree; Scholl 1978 S.235      Engel 1874 S.113   Vgl. ; Wortmann 1972, S.63−74 ?・?・ 平均 143.7 183.7 277.3 284.0 300.7 327.7 411.0 477.7 537.5 538.0 588.3 592.0 911.3 969.5 1220 1121.7 1377 1265.3 1442 1567.3 2677 2335.3 1550−5000 とならぶようになったことが注目される。ここ には父の機械会社を継承する(企業家一企業家) というケースはほとんどないので,現実に機械 系系を供給する階層の上昇があったと考えてよ いだろう。これは鉄道業における機械系技術者 の社会的地位(経済的報酬については未調査) の上昇を示すものかもしれない。そしてこの傾 向は,第3グループにも継続する。  逆に土木・建設系において中層出身者の%が 急増しているが,これについては前述の理由 (この調査では,中層出身者がやや過少に見積 もられるのではないか)があるので,第2グルー プの時期から土木・建設系については出身層構 造は安定的だったと考えるべきかもしれない。 したがって機械系の上層出身者という視点に考 察を限定するのが適当だろう。  ここにいたって,出身階層については機械系 と土木・建設系の問での平準化がすすんだとい う推測が可能である。しかしここでは観察結果 を述べるにとどめるべきであろう。  そこで,<表6−1>∼<4>の作業を行っ た。これは一般に社会の世代間流動【生を調査す る際の手続きによく似ている。世代問流動性の 調査は,子供の「最初の職業」と(その時点で の)父親の職層とについて比較を行うのが望ま       う しいとされるが,ここではある個人が鉄道業に 入ったときの職階を父の(できるかぎりでその 時点での)職業と比較したものである。ここで 64)安田1971S.133−138

(16)

一138一 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.1 1994 は土木・建設系部門と機械系部門とを疑似的に 各々一個の「社会」とみなし,社会的出自と鉄 道への就業動向とを対照することにより,それ ぞれの小「社会」のパフォーマンスの差異を調 べようと考えたのである。〈表7>の職階一覧 を見ればわかるように,ランキングは教育と報 酬のランキングを総合したものであり,官僚制 における厳密な位階ではない。したがってこの 作業によって,19世紀にドイツ語圏の技術者の 世界で進行し,しばしば研究でとりあげられて きた「職員一労働者」の分離を調べることは (部分的にしか)期待できない。 (下級職員か ら中級以上職員への上昇がまったく稀なケース だったという常識的な見解は,十分再確認され るようだが。)しかし記述分析に用いられる移 動係数の動向から,鉄道企業内の昇進システム の体系化の進行をうかがうことが可能である。 すなわちこのサンプルの場合は下層出身者がほ とんどいないので,事実移動係数が高ければ高 いほど,またその場合「下降」移動係数も高い ほど昇進システムは鉄道企業に内化されている といえる。すなわち上層出身者,中層出身者を 問わず平等に下のランクから鉄道業内の職業生 活をスタートするわけである。  4つの表を見ると,そうした事態が進行しな かったという印象はうけない。比較的事例数が 過少ではないく表6−2>と<3>を比較する と,土木・建設系においてその傾向は早く進ん だように見える。このような企業における内部       ら プロモーションの傾向が進展するには,就業前 の教育水準が技術者内で一定化することの及ぼ す影響は大きい。この点にペータース証言とは 別の角度から,土木・建設系が「既にずっと早 くから,整備された統一的な職業教育制度をもっ ていた」ことの効果を見ることができよう。以 上の観察結果は,次の職歴に対する調査に関連 するものである。 65)化学工業についての加来1986第4・5章とり  わけS.228ff.参照 B 職歴一企業内昇進について  さて,ペータース証言の直載的な検証を試み たのがく表8−1>∼<4>。管理職であるln− spektor,機械系の場合はObermaschinenmeis− terへの昇進,通常,鉄道職員にとってキャリ アの頂点である理事会Direktion入り(または      の 同等の待遇)について,それに要する年数と平 均就任年齢を比較した。  この結果は,土木・建設部二一機械部門の昇 進における較差を明らかにするものであった。 それは第1グループから第2グループへの移行 においてとくに顕著となる。  すなわち,1840年代にはいると鉄道技術者プ ロパーすなわちキャリアを鉄道企業ではじめる 者が一般的になる。その分,入社からInspektor やDirektor昇進までは,ある程度キャリアを 重ねて鉄道に参与した技術者の多い第1グルー プの時期よりも年数がかかるようになる。とこ ろが反面,鉄道建設の活発化=企業数・事業規 模の増大は昇進を実質的に早める効果も持って いる。土木・建設系の第2グループではその効 果が明らかであるといえる。Inspektor昇進ま での年数は増したが就任平均年齢は変わらず, InspektorからDirektion入りまでの期間なら びに理事会入りの平均年齢の値が下がっている。 一方機械系においては,昇進の全局面で前時期 よりも土木・建設系との較差が開いているので ある。  しかし,以後さらに鉄道建設が進む第3グルー プの時期において,両部門の較差は縮小したと 考えられる結果がでている。この間,土木・建 設系の昇進年動向には大きな変化がないので, これは企業内において土木・建設年内の昇進シ ステムを追随して採用する動きが機械系にあっ たことを意味するのではないか。第4グループ 66)“Direktor”という語は職階として少なくとも  1860年代まで特別の意味を持ったと考えられる。  Samman, August(1822.1889);<表3>56参  照。

(17)

19世紀ドイツ語圏における社会集団としての鉄道技術者 (鵬澤  歩) 一139一 〈表8> 〈8−1>第1グループ (1)就職→Inspektor (2)その年齢 (3) lnspektor.Direktor (4)就職→Direktor (5)その年齢 Eisenbahntechnikerにおける企業内昇進(平均値:年)       事例数      事例数 <8−2>第2グループ (1)就職→Inspektor (2)その年齢 (3) lnspektor−Direktor (4)就職→ Direktor (5)その年齢 <8−3>第3グループ (1)就職→Inspektor (2)その年齢 (3) lnspektor−Direktor (4)就職→Direktor (5)その年齢 <8−4>第4グループ (!) 就職→Inspektor (2)その年齢 (3) lnspektor’Direktor (4)就職→Direktor (5)その年齢 建設系  6.6 36.3  8.3 10.1 41 建設系 13 36.6  6.3 18.7 38.7 建設系  9.4 32.7  507 16 43 建設系  8 33.3 17. 20.3 43.8 8ρ0 14 事例数

17

1 13 事例数

5qO

4 事例煽 り01一 4 機械系 11 32.8 10.5 18.3 44.4 機械系 12.23 36.4 11.7 21.3 48.1 機影回 6.8 33 7 17.3 41.8 機械系 5 29 32.3 54 49畠 7 事例数

77

1 11 事例数 4qδ 6 事例数 1 2 においてはふたたびDirektion入りの年齢で較 差が開いている。このグループについてはサン プル数がいっそう過少であるため,判断を留保 したい。 C 教育  ペータース証言の核となる部分になる,教育 システムについては,最終学歴についてのデー タを整理した。<表9>である。  全期間を通じてみると,両部門間で出身校の 傾向に大きな差異はない。土木・建設系につい て,準・古典大学ともいうべき建築アカデミー やフランスでの相当校エコール・ポリテクニー クの比重が比較的高く,一方機械系については 非教養の実科学校や実習にいくらか重心がかかっ ているのを除けば,双方,約半数を19世紀技術 者養成の母胎となった各地のポリテクニークや その後進たるTH出身者が占める点で一致する。 鉄道技術者内部では,両技術部門の教育キャリ アの平準化が比較的初期に進行したといえよう。 第1グループから第2グループにかけて軍の技 術者養成の影響が消え,ゲヴェルベ・インスティ トゥートやポリテクニクムの比重が,古典大学 と対照的に高まっているからである。  そしてその傾向は機械系においてより先行し ており,現象的には土木・建設系が機械系を追 随したかに見える。ただしここでは,より一般 的な傾向を想起すべきであろう。つまり,1866 年にBerlin Gewerbe−lnstitutがアビトゥーア       りを要するGewerbe−Akademieとなった事実に 端的に示される,19世紀後半以降進行した技師 教育の「学術化」という傾向である。Berlin Gewerbe−lnstitutの機械部門学生が1876年まで 国家試験受験資格を得ず,その獲得が大きな問 題とされたことからも推察されるように,ここ 67)Lundgreen 1975 S.41ff.または高橋1993参  照。

参照

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