経済体制移行論の再登場
福 田 敏 浩
1.はじめに
20世紀は経済体制実験の時代である。世界各地でさまざまの経済体制が制度 化され,その優劣が競われた壮大な実験の時代である。19世紀半ばに頂点を極 めた自由資本主義は,19世紀後半からの干渉主義の過渡期を経て,1930年代に 誘導資本主義へ転換した。以来,この誘導資本主義は西側先進諸国に定着して 今Bに至っている。 ロシア革命は社会主義の実験に道を開いた。ロシアおよびその後のソ連を実 験場として繰り広げられた社会主義の建設は目まぐるしい動きを示した。ロシ ア革命からわずか20年の間に戦時共産主義,ネップそして管理社会主義と三つ の実験が立て続けに行われた。その管理社会主義がソ連の大地に根づいたのは 1930年代半ばであった。第2次大戦後になると,ソ連圏に組み込まれた東欧諸 国でソ連型管理社会主義の建設が進められ,1950年置半ばごろまでにはどの国 でもその制度化が完了していた。 だが,東欧における管理社会主義は長続きせず,1950年代初頭のユーゴスラ ヴィアの市場社会主義への転換を先駆けとして,50年代半ばにはポーランドお よびハンガリーが管理社会主義から離脱する動きを示した。この動きは一時ソ 連の圧力で阻止されたものの,1960年代に入ると復活した。ソ連・東欧諸国が 全般的な経済危機に見舞われ,いわゆる経済改革を余儀なくされたからである。 中でも急進的な道を選択したのはチェコスロヴァキアとハンガリーであった。 両国はともに1968年から市場社会主義の建設に乗り出したが,チェコスロヴァ キアの改革は政治体制の民主化をも射程に入れていたためソ連の介入を招き,18 彦根論叢 第282号 わずか1年で挫折してしまった。政治改革を慎重に回避したハンガリーは経済 改革を続行し,市場社会主義のモデル国となった。 1980年週末まで東側諸国には管理社会主義と市場社会主義の二つの経済体制 が並存していたのだが,1989年の東欧革命および1991年のソ連の消滅・ユーゴ スラヴィアの分裂によって事態は急激に転換し始めた。共産党政権の跡を襲っ い た非共産主義政権は,社会主義体制からの離脱を志向するようになった。管理 社会主義の国であれ,市場社会主義の国であれ一斉に社会主義の放棄を宣言し たのである。 以上の現実の動きにパラレルな形で経済体制論の論調も変化してきた。大ざ っぱに言って,20世紀の前半は資本主義から社会主義への移行を説く体制移行 論が支配し,第2次大戦後から50年代末にかけては両体制の対立を強調する両 体制並進論が論壇を賑わし,東の経済改革と東西冷戦の雪解けに象徴される60 年代には両体制の接近を主張する収敏説がブームとなった。70年代および80年 代の半ばごろまでは,東西の政治・経済体制が比較的安定していたためか,東 西両地域をカバーした経済体制動向に関する研究は低迷していたが,80年代後 半になるとソ連でのペレストロイカの始動,ハンガリーでの政治の民主化およ び一層の市場化の進展,ポーランドでの市場社会主義への転換など東側諸国に おける体制変動が契機となって,この方面の研究が再び活発化した。東欧革命 以後の今日では社会主義から資本主義への移行を説く経済体制移行論が世界の 論壇を賑わしつつある。 本稿の目的は,そうした経済体制移行論を中心にして最近の経済体制論の動 向を展望し,最後に,試論風にではあるが,私見を提示することにある。 II.経済体制移行論の系譜 経済体制移行論は最近になって登場したのではない。ある体制から他の体制 1)旧社会主義諸国の政権党の中には,ルーマニアの民主救国戦線党のように旧共産党の後 身とも言えるものもある。この国の政権は厳密には非共産主義政権とは言えないかもしれ ないが,その政権も最近では私有化や市場経済の導入などを開始しつつある。
への移行を説く学説は,古くから存在する。19世紀にはドイツ歴史学派の経済 発展段階論やマルクス(K.Marx)の学説が登場し,人類史的スケールでの移行 論が展開されたことは周知のごとくである。20世紀になると,さまざまな立場 からする移行論が多彩に展開されるようになった。立ち入ってみよう。 1.社会主義者の移行論 20世紀の前半に支配したのは社会主義者の側からの移行論であった。その背 景にあったのは,世界恐慌に象徴される資本主義の動揺とロシア革命以後の社 会主義の登場であった。東西のマルクス主義者たちは,資本主義から社会主義 への必然的移行を声高に主張した。ドイツではゾンバルト(W.Sombart)が資 本主義から民族社会主義への移行を説いた。ゾンバルトの主張は経験に即した 科学的な説というよりもむしろ信念の表明に近いものであったが,その目的は 2) ナチズムと同様にドイツ人のためのドイツ社会主義を提唱するところにあった。 ドイツではまた自由社会主義サイドからも移行論が提出された。その代表はリ ッチュル(H.Ritsch1)の説である。かれは資本主義の構造変化を自由経済から 独占資本主義経済への変化と捉え,さらにその延長線上に市場と計画から成る 3) 自由社会主義(Freiheitlicher Sozialismus)の到来を予想した。 第2次大戦後になると,資本主義の再生と安定化に伴い,資本主義から社会 主義への移行論は従来の勢いを失っていくが,それでも東西のマルクス主義者 の問では引き続き唱えられ,時とともに,ますます現実から遊離した教条的イ デオロギーに変質していった。50年代以降に台頭したのは,誘導資本主義と管 理社会主義の並存という現実を踏まえて両体制の異質性や対立性を強調する体 制並進論であった。資本主義対社会主義,市場経済対命令経済,アメリカ経済 対ソ連経済などの立論方法を採る論説は,ほとんど例外なしに体制並進論のカ テゴリーに属していた。また,このような形での両体制の横断的比較を旨とす 2)Sombart〔24〕.ハイエクは,ゾンバルトを「ドイツにおける国家社会主義の発展のおそ らく最初の代表者であり,しかもある意味ではもっとも特徴的な代表者でもあった」と決 めつけている。Hayek〔11〕邦訳,225ページ。 3) Ritschl (19) Kap.5, 6, 7.
20 彦根論叢 第282下 る比較経済体制論がとくにアングロ・アメリカ圏で定着したのも50年代である。 体制並進論は主として西側の非マルクス主義者および実証的研究者たちによっ て唱えられた。 2.自由主義者の移行論 東の管理社会面i義に変化の兆しが見え始めた50年代末ごろから西側の経済体 制論に変化が生じた。東西両体制の共通性や両者の相互接近を説く収金面が登 ;面したのである。この説はティンバーゲン(JTinbergen)やガルブレイス(J. K.Galbraith)やソロ キン(P. Sorokin)といった世界的に一級の学者たちに よって唱えられたために国際的な注目を集め,賛否両論入り乱れての激しい論 4) 争を巻き起こした。ブレゲル(E. Bregel)やレオンティエフ(L Leontiev)やマ イスナー(H.Meissner)らの東のマルクス主義者は,先に見た体制移行論の立 場から両体制の相互接近の事実を否定した。また,タールハイム(K.C. ThaL heim)やクニルシュ(P. Knirsch)やボーンステイン(M. Bornstein)らの西側 の実証的体制論者は,両体制の相互接近は認められず,むしろ両者は体制レベ ルでは並進している,という並進論を唱えた。 さらに,西ドイツの新自由主義者ヘンゼル(KP. Hensel)は,その体制非両 立論一資本主義的要素と社会主義的要素は両立しえないとする説 をもって大 士説に批判を加え,収敏説の主張する混合経済(市場と計画,私有と公有の混合体 制)の存立困難を指摘した。 ヘンゼルは後に,60年代から70年代初頭にかけてのソ連・東欧諸国の体制動 向の観察をもとに注目すべき移行論を提唱した。それは旧来の資本主義から社 会主義への移行ではなく,逆に社会主義から資本主義への移行を説くものであ った。ヘンゼルの目には当時のソ連・東欧諸国の自由化・分権化への動きは資 5) 本主義への移行の胎動と映ったのである。このようなヘンゼルの移行論は,「プ ラハの春」の挫折後の収敏説ブームが去った時代に唱え.られたために国際的な 注目を集めることはなかったが,今から振り返って見るとその先見性には刮目 4)船軍説および収敏論争の細目については福田〔3〕第2章を参照されたい。 5) Hensel (12) S,174−181.
すべきものがある。現在,流行しつつある新しい移行論はヘンゼル説の延長線 上にあるとも言えるからである。 III.最近の経済体制学説 東西両地域を対象にした経済体制動向の研究は1970年忌以降下火になり,国 際的論争の的となるような新説は出現しなかった。70年代から80年代前半にか けては,エルマン(M.Ellman)やコルナイ(J. Kornai)による東西両体制の並 6) 進論のほかは取り立てて言うほどの説は登場しなかった。もっともかれらの並 進論と言えども別に目新しくはなく,先に見た50年代および60年代の並進論と 同内容のものであった。 80年代の後半になると,東側諸国での政治・経済体制の変動に伴い,三つの 新しい説が登場した。収敏説,接近論および移行論がそれである。順に見てみ よう。 1.新しい収敏説 この説を打ち出したのはホルバート(B.Horvat)とシク(0. Sik)である。 ホルバートはユーゴスラヴィアの自主管理社会主義のイデオローグとして,シ クは1968年の「プラハの春j当時の「人間の顔をした社会主義」のデザイナー として夙に知られている。両者の収敏説は60年代の旧収敏説と次の三つの共通 点を持っている。第1は,新旧の収敏説とも体制二分法の立場に立ち,東と西 にはそれぞれ一つの経済体制しかないと考えている点である。第2は,東西両 体制は相互に接近しやがて第3の体制へ収束すると考えられている点である。 第3は,両体制が収敏しゆく第3の体制として各論者が理想とする経済体制が 想定されている点である。新旧収論説の違いは,旧収敏説が西側の非マルクス 主義者によって唱えられたのに対し,新収敏説が東の改革派マルクス主義者に よって唱えられたことと,第3の理想的体制が輪帯旧説では市場と計画,私有 7) と公有の組合わせから成るいわゆる混合経済であるのに対し,新収敏説では市 6)詳しくは福田〔3〕第2章を参照されたい。 7)混合経済を最適体制(optimum regime)という形でもっとも具体的に論じているのは ティンバーゲンである。Tinbergen〔25〕,Tinbergen〔26〕Part IV.
22 彦根論叢第282号 場社会主義であること,に見られる。 ①ホルバート説 ホルバートが収敏説を唱えたのは東欧革命の発生した1989年であった。かれ は当時の東西の経済体制の動向から,東の国家主義(statism, etatism)と西の資 8) 本主義は社会主義に収束しつつあるという結論を導き出した。国家主義とは東 側諸国に制度化されてきた(一党独裁+行政的計画+政治的・経済的ヒエラルキー +国家的所有から成る)現存社会主義を指す。社会主義とは,ホルバートが理想 とする理念的経済体制である。つまり,社会有(自主管理),市場および計画か 9) ら成る人間的にも効率的にも最適の経済体制にほかならない。社会有は社会の 全成員による生産手段の所有方式を意味し,具体的には企業の全メンバーによ る自主管理の形をとる。市場と計画は補完の関係にあり,市場の機能しえない 領域で計画(中央機関の干渉)を利用すると考えられている。ホルバート説の決 定的な難点は,東西の経済体制動向の綿密な実証的検討なしに東西両体制の収 敏を説いているところにある。経験科学的分析と言うにはおよそ程遠い現実遊 離の信念の表明と言わざるをえない。 ちなみに,ホルバートの最新の論文を見ると,現在旧社会主義諸国で展開さ れつつある所有方式の転換に関して,これらの国々の政府が実施しつつある国 有企業の私有化(privatization)は期待するほどの成果を挙げえないこと,むし ろ国有企業の社会有企業(民主的な自主管理の株式会社または有限責任会社)への 10) 転換の方がよりベターな結果をもたらすことが指摘されている。その論拠とし てホルバートは,ヒエラルキー的な私企業よりも従業員の民主的決定を軸とす る社会有企業の方がより効率的であること,テクノロジーの発展はチームワー ク,注文生産および小規模組織を要求しているが,それらを満たすのは自主管 ユユ) 理企業しかないこと,を挙げている。このようなホルバートの主張は,要する 8) Horvat (13) p. 241. 9) Horvat (13) p, 234. 10) Horvat C14) pp.92−93. 11) Horvat C14) p,90.
に旧社会主義諸国はかれの言う社会主義の制度化を行うべきだということに尽 きるのだが,果たして社会有企業は私企業よりも効率的と言えるだろうか。国 有企業にせよ,ユーゴスラヴィア型社会有企業にせよ,一般に公有企業は「万 人のものは誰のものでもない」という無責任のシステムであり,リスクテイカ ーの不在・企業家精神の欠如・イノベイターの不在・モラルハザードの蔓延(予 算制約のソフト化)のゆえに低効率にあえいできたことは経験が教える通りで 12) ある。確かにハンスマン(H.Hansmann)が指摘するように,労働者自主管理 は,従業員全員が同一の仕事をする企業(たとえば,法律事務所,会計事務所,投 資銀行,マネジメント・コンサルタントなど)では効力を発揮するかもしれない。 だが,大企業は言うに及ばず中小企業でも,従業員=所有者たちの間に社内分 業およびそれにもとつく職階的ヒエラルキーのあるばあいには自主管理企業の 効率は決して高くないことは,ユーゴスラヴィアの経:験が教える通りである。 社会有企業を国民経済的規模で制度化するのは問題と言わねばならない。 ②シク説 シクが収敏説を唱えたのは,東欧諸国が社会主義からの離脱を開始した1990 年である。かれの立論方法は基本においてホルバートと同様である。西の資本 主義と東の社会主義は「第3の道」(Der dritte Weg)へ収束しつつあるという 13) のである。ここに「第3の道」とはシクの理想とする最適経済体制であり,「入 14) 間的経済民主主義」(Humane Wirtschaftsdemokratie)と名付けられている。 「人間的経済民主主義」は共同所有(Miteigentum),市場経済および政府計画 から構成される。共同所有は具体的には企業従業貝洋上による一種の持株会社 (Mitarbeitergesellschaft)の形をとる。この企業では従業員は同時に所有者だか ら全員が意思決定へ参加でき,自主管理が可能となる。Mitarbeitergesellschaft はホルバートの社会有企業と同じであることが知られる。 シクによる東西両体制の第3の道への収束の論証は十分とは言えない。ホル 12) Hansmann (10) p. 291, p. 294, 13) Sik (23) S.3Z 14) Sik (22], Sik (23) S.30, S.36−37.
24 彦根論叢 第282号 バートと同じように現実の動向に即した綿密な論証がほとんどないのである。 あるのはただ,両体制は第3の道に収敏しつつあるという主張だけである。シ クの願望の表明と言われても仕方がないであろう。 2.接近論 筆者はかって,80年代の東西諸国の体制動向の観察をもとに接近論を提唱し 15) たことがある。それは,東側の一部の国の経済体制が西の誘導資本主義へ接近 しつつある,というものであった。もっと具体的に言うと,ユーゴスラヴィア およびハンガリーの市場社会主義が誘導資本主義に,とりわけ中・長期の経済 計画を制度化したフランス型の誘導資本主義に接近しつつある,という説であ った。 筆者の「所有,相互・上下調整の三元論」からすれば,1930年代に定着した 誘導資本主義の基本構造は私有+市場経済+誘導方式から成り,後発の市場社 会主義の基本構造は公有+市場経済+誘導方式から成る。このようであれば市 場社会主義は相互調整方式(市場経済)と上下調整方式(誘導方式)の両面で誘 導資本主義に接近しつつあると言わざるをえない。ただ,両体制は所有方式の 面で決定的に異なるので市場社会主義の誘導資本主義への全面転換を言うわけ にはいかない。ユーゴスラヴィアおよびハンガリー以外の東側諸国の経済体制 は管理社会主義であり,その基本構造は公有+中央管理経済+指令方式で示さ れるから,管理社会主義と誘導資本主義は並進していると言わざるをえず,前 者の後者への接近を説くことはできない一というのが,筆者の主張の眼目で あった。このような筆者の接近論は,東欧革命までの体制動向を踏まえて提唱 されたものであり,東欧革命以後の変化を視野に入れてはいなかった。1990年 代に入ると,様相は一変した。市場社会主義の国も管理社会主義の国も誘導資 本主義への移行を志向するようになったのである。筆者の接近論は現実妥当性 を失ってしまった。現実に忠実たろうとすれば移行論を主張せざるをえないで あろう。筆者の現在の考えについては後に述べてみよう。 15)福田〔3〕第3章を参照されたい。
3.移行論 1990年代になると,ソ連・東欧諸国は一斉に社会主義からの離脱を開始した。 その深度についてポーランドのヴィニェツキ(J.Winiecki)は,今回の変化は旧 体制の改革(reform)ではなく,過去との決別を意味する転換(change)だと述 16) べているが,それは東西の経済体制研究者の多数の声を代弁していると言える。 また,変化の方向については,社会主義から資本主義へ向かいつつある,とい 17) う意見が大勢を占めている。「社会主i義から資本主義へ」,「市場資本主義への移
18) 19)
行」,「共産主義から資本主義への移行」などの表現がこのことを端的に示して いる。このように体制転換と資本主義への移行というのが,東西の経済体制研 究者の問に支配している見解なのである。そうした中にあって比較的体系的な 20) 移行論を展開しているのはコルナイである。次にかれの説を簡単に見ておこう。 ①コルナイ説 ソ連・東欧諸国では東欧革命以後従来の共産党独裁の政治体制が崩壊し,少 なくとも形の上では西欧型議会制民主主義への移行が開始された。それとほぼ パラレルに経済体制も転換し始めた。コルナイはこのような東欧革命後のソ連 21) ・東欧諸国の体制をポスト社会主義(post−socialism)と呼ぶ。共産党独裁の崩 壊によって社会主義の時代は終わり,これらの国々は別の政治・経済体制への 転換を開始したと言うのである。「社会主義体制とは共産党政権によって統治さf 22)
れる国々のシステムである」という定義であってみれば,共産党独裁の崩壊は 必然的に社会主義体制の倒壊を意味するのでなければならなくなる。時代はだ からポスト社会主義の段階になったと言えるわけである。では,ポスト社会主 23) 義とは何か。コルナイの提出した解答は資本主義であった。 16) Winiecki (27) p. 809. 17) Brada, King (1) p. 37, McKinnon C17) p. 97. 18) Furubotn (9) p.201. 19) Poznanski (18) p.57. 20)コルナイ説については福田〔7〕を参照されたい。 21) Kornai (16) p.389. 22) Kornai (16) p. 11. 23) Kornai (16) p. xxv, p. 90, p, 389.26 彦根論叢 第282号 社会主義はなぜ崩壊したか。ソ連起源の古典的社会主義は,共産党独裁,国 家的所有および官僚的調整から構成された。これらの三つの構成要素の間には 親和性と高い凝集性があったので古典的社会主義は安定したシステムであった のだが,やがて崩壊への道を歩むようになる。その理由としてコルナイは,経 済的困難の集積,経済の不調に対する公衆の不満の増大,権力者に対する信頼 24) の喪失および外国の情勢変化の四つを挙げている。古典的社会面i義の代案とし て提唱され,ユーゴスラヴィアおよびハンガリーで実験に付された市場社会主 義も結局は失敗してしまった。コルナイはその究極の原因として市場社会主義 の不安定性を挙げている。この不安定性は市場社会主義の根幹を成す構成諸要 素の組み合わせからくる。つまり,公有方式と市場経済を組み合わせたところ に起因する。それは凝集性の低い「弱い結び付き」であったために低効率を招 25) いてしまった。 古典的社会主義も市場社会主義も失敗し,ポスト社会主義の時代が到来した。 旧社会主義諸国は一斉に資本主義への転換を開始した。コルナイによれば資本 主義の基本構造は,権力の分割性(民主主義),私有および市場経済から成る。 東欧革命以後,旧社会主義諸国では議会制民主主義への転換が成り,その体制 のもとで各国の非共産主義政権は私有化と市場経済化を実施しつつある。この ような動きは,コルナイからすれば,まさに資本主義への移行以外の何もので もないのである。 コルナイ説のポイントは政治的ファクターの強調にある。社会主義および資 本主義の根幹を成すのは政治体制であり,しかも現在のポスト社会主義への移 行を招いたのは政治体制の転換である,と考えられているのである。このよう な意味でコルナイのアプローチの方法は政治経済学的であり,かれの体制移行 論は政治規定因説だと言える。 ②その他の説 コルナイと同様の政治規定因説を唱えているのは,シュヴァルツ(G.Schwa− 24) Kornai C16) pp.383−386. 25) Kornai C15) pp.44−47.
rz)である。シュヴァルツはドイツのオルド自由主義(Ordoliberalismus)の系 譜に連なる学者だが,そのかれは東欧革命以後の旧社会主義諸国の情勢を非自 由秩序から社会国家(Sozialstaat)への,つまり西側先進諸国型の福祉国家への 26) 移行と捉え,移行のモーターは政治的ファクターにあると見ている。つまり, 東欧革命による権威主義から民主主義への政治システムの転換が社会国家への 移行を招いたと考えているのである。 シューラー(A.SchUller)の説も政治規定因説に属する。かれによれば,ソ連 ・東欧諸国の資本主義への転換を招いた直接の原因は政治的企業家(politischer Unternehmer)としての政治家個人の度量である。つまり,ゴルバチョフ(M. Gorbachev)によるブレジネフ・ドクトリンの放棄が,いわば意図せざる結果と 27) して体制転換を招いたと言うのである。 以上のごとく最近の経済体制移行論では,東欧革命,ソ連の消滅およびユー ゴスラヴィアの分裂といった政治的大事件がきわめて短いタイムスパンの中で 続発したためか,政治経済学的アブV一チと政治規定即事が主流となっている。 IV.私見 形態論的移行論一 現在,CIS諸国,中欧・東欧諸国は社会主義から離脱し,西側先進諸国を手本 にして政治・経済体制のドラスティックな転換に着手しているが,事態はまだ かなり流動的であって,そうした転換がすべての国で成功するかどうか予断を 許さない。このような過渡期にある国々の現在進行中の事態を対象にしてまと まった説を提示するのは容易でないが,東欧革命以後の事実を踏まえてここに 敢えて筆者なりの移行論を提示してみよう。もとより,これは筆者の最終的見 解というには程遠い中間的ないわば目の粗いデッサンでしかない,ということ をあらかじめ断っておきたい。 1.経済体制の変動方向 26)Schwarz〔2!〕.シュヴァルツ説については福田〔8〕をも参照されたい。 27) SchUller (20) S.47.
28 彦根論叢 第282号 筆者の経済体制論は,そのアプローチにおいて形態論であり,その内容にお 28) いて「所有,相互・上下調整の三元論」の特徴を持っている。三元論とは,経 済体制の基本構造は所有方式,相互調整方式および上下調整方式の三要素から 成る,とする説である。筆者はこの説をもって第2次大戦後の東西諸国におけ る現存の経済体制の基本型を誘導資本主義,管理社会主義および市場社会主義 の三つに定型化してきた。誘導資本主義は私有+市場経済+誘導方式から成る。 管理社会主義は公有+中央管理経済+指令方式から,市場社会主義は公有+市 場経済十誘導方式から成る。 すでに触れたように,東欧革命の発生する80年代末までは市場社会主義は誘 導資本主義へ接近しつつあった。また,80年代後半にはペレストロイカに乗り 出したソ連が市場社会主義を志向し,ポーランドは市場社会主義の制度化を開 始した。他方,東ドイツ,チェコスロヴァキア,ルーマニアおよびブルガリア の管理社会主義と西側の誘導資本主義の問には体制レベルでの共通項は存在せ ず,両者はいわば並進していた。このような構図は東欧革命によって一変し, その後に成立した非共産主義政権は社会主義の放棄を宣言した。とりわけ西ド イツに吸収合併された東ドイツはもとより,ポーランド,チェコスロヴァキア およびハンガリーの中欧三力国は,西欧型議会制民主主義の導入とともに経済 体制の転換に乗り出した。国有企業および国有資産の私有化,市場経済の制度 化(価格の自由化,財・サーヴィス市場・生産要素市場・金融市場・資本市場の制度 化)および誘導方式(国家の間接的経済規制)の制度化が精力的に推進され始め う た。このような体制転換はサックス(J.Sachs)に代表されるアメリカのマネタ リストやIMFや世界銀行の強力な支援によって推進されているが,その転換 の方位は,筆者の立場からすれば,明らかに誘導資本主義に向けられている。 ロシアやバルカンの東欧諸国も中欧ほど鮮明ではないが,少なくとも政府声明 等で判断する限り,誘導資本主義への移行を展開しようとしているように思わ れる。 28)筆者の説については福田〔2〕第6章および福田〔3〕第1章を参照されたい。 29>詳しくは福田〔6〕および福田〔8〕を参照されたい。
筆者の立場からすれば,CIS諸国,中・東欧諸国の今回の体制変動は社会主義 の枠内での改革ではなく,それを超える体制転換であり,体制転換の方向は誘 導資本主義に向けられている,ということになる。この限りで筆者の見解は上 に紹介した最近の移行論者と同様である。ホルバートやシクの二型説は現実妥 当性を欠くと言わねばならない。 2.体制移行の誘因 誘導資本主義への移行を促した誘因は何か。筆者は,主要な誘因は二つあっ た,と考える。一つは経済的誘因であり,もう一つは政治的誘因である。 ①経済的誘因 経済的誘因とは,経済の停滞である。ソ連・東欧諸国の経済は量的にはもと より質の面でも西側諸国に後れをとってしまった。その原因としては,1960年 代の経済改革の時代にほかならぬソ連・東欧諸国の政治指導部が見抜いていた ように,いわゆる外延的成長政策の行き詰まりと,管理社会主義の機能低下が 考えられる。こうであったからこそ60年代の経済改革では,一方で科学技術革 命の旗印のもとに内包的成長政策への転換が目指され,他方で管理社会主義の 改革が行われたのである。しかしソ連や東ドイツなどの国々での経済改革は, 管理社会主義のマイナーチェンジに終始したため,結局は失敗した。管理社会 主義の基本構造がそのまま保持されたため,供給の需要への不適合,高インプ ット・低アウトプット,イノベーションの停滞,低品質,監督官庁と企業との 間のパターナリズム(企業の予算制約のソフト化)などの宿弊は除去されなか 30) つた。内包的成長政策への転換も成功しなかった。管理社会主義の基本構造の 温存は,それと表裏一体の関係にあった外延的成長政策の放i棄を不可能にし, 31) 科学技術革命を単なる掛け声に終わらせてしまったからである。 管理社会主義から市場社会主義への移行を選択したハンガリーの経済改革も 失敗した。ハンガリーの改革者たちは,国有方式のもとで市場経済と誘導方式 を制度化すれば効率が大幅に改善されるに違いないと考えたのだが,実際はそ 30)管理社会主義の構造的欠陥については福田〔3〕第7章を参照されたい。 31)ソ連における科学技術政策については福田〔3〕第7章を参照されたい。
30 彦根論叢 第282号 う のようにはならなかった。別の機会に詳述したように,その究極の原因は国有 方式を温存したところにあった。効率の見地からすると,国有と市場,国有と 誘導方式は両立しえないことが分かった。1980年代のハンガリーで結局は生産 手段の私有化政策が展開されざるをえなかったことが,何よりの証拠である。 このような意味での体制非両立論は,すでに古くからミーゼス(L.v. Mises) やオイケン(W.Eucken)やハイエク(F. A. v. Hayek)やヘンゼルらの新自由主 義者によって唱えられてきた。近くはコルナイによっても主張されていること は上述の通りである。ハンガリーおよびユーゴスラヴィアでの市場社会主義の 実験を客観的かつ冷静に観察してきた者ならば誰しも,これらの論者の体制非 両立論に同意せざるをえないであろう。 ②政治的誘因 管理社会主義および市場社会主義を1980年煮魚まで存続せしめてきたのは政 治であったように思える。管理社会主義の国はもとより市場社会主義の国にお いてさえも一党独裁の全体主義政治体制が保持されてきた。また,強力な軍事 力を有したソ連を盟主とするワルシャワ条約機構という全体主義の国際連帯組 織の果たした役割も見逃せない。低効率からくる国民のフラストレーションは このような二重の全体主義政治体制によって押さえ込まれてきた。少なくとも 経済停滞が表面化した1960年代からほぼ20年間に及ぶ社会主義経済体制の延命 は,この政治体制の存続をもってしか説明がつかない。しかし,共産党主導の 経済改革の失敗は結局は全体主義政治体制の弱体化を招き,国民の経済的不満 ばかりか政治的不満の噴出を抑さえることができなくなった。1980年代初頭の ポーランドにおける「連帯」主導の反体制運動の急激な高まりがこのことを端 的に示している。 このような情勢のもとで,政治体制の改革によって難局を乗り切ろうとした のはハンガリーとソ連であった。ハンガリーでは1983年に同一選挙区複数候補 制・秘密投票制を柱とする選挙法ができ,非共産党員の議会への進出に道が開 かれた。一党独裁の枠内であったが,政治の民主化への端緒が開かれたのであ 32)福田〔5〕。
る。だが,これによって一層政治の求心力が弱まり,やがて89年の政治革命の 発生を見ることになった。ハンガリーの経験は,社会主義経済体制に市場経済 を導入すると一方で私有化が,他方で政治の民主化が余儀なくされることを示 している。 ソ連では80年代後半にペレストロイカが開始された。それは当初,一党独裁 と管理社会主義の枠内でのマイナーな改革を目指したが,やがて両者の大幅な 改革へと急展開して行った。経済面では1987年の後半からハンガリー型市場社 会主義への移行が,政治面ではハンガリーと同様の選挙法の制定で政治の民主 化が開始された。また,グラスノスチによって言論・思想・信条面でのプルー ラリズムも容認されるようになった。しかし,このようなペレストロイカは, 経済の一層の混乱を招き,民心の離反と民族自立を加速し,意図せざる結果と 33) してソ連の解体を招いてしまった。ソ連の経験は,経済の停滞は政治を不安定 化し,政治の不安定は政治体制の民主化を呼び,最終的に全体主義的階級国家 の崩壊を招く,ということを示している。 1989年の東欧革命は以上のような文脈の中で発生した。その直接の契機はゴ ルバチョフ・ショックであった。つまり,かれによる内政面でのペレストロイ カの推進と外交面でのブレジネフ・ドクトリンの放棄であった。このことによ って東欧諸国のソ連に対する恐怖心や警戒心が薄れ,6月のポーランドを皮切 りに10月には東ドイツとハンガリーで,11月にはチェコスロヴァキアとブルガ リアで,12月にはルーマニアで共産党独裁が崩壊し,1990年になるとこれらの 国で総選挙が行われて西欧型議会制民主主義への移行が開始された。このよう な東欧革命は,今度はソ連にインパクトを与え,1990年の共産党独裁の放棄・ 複数政党制の導入,1991年の共産党の解散・連邦の解体といった大事件が矢継 ぎ早に発生した。現在,これらの国々では資本主義への移行が開始されている ことについてはすでに触れた通りである。 以上の事実を踏まえて整理すると,次のように言えるだろう。誘導資本主義 への移行の直接の誘因は政治革命であるが,そのより根本的な誘因は経済体制 33)詳しくは福田〔4〕を参照されたい。
32 彦根論叢 第282号 の機能低下に基づく経済の停滞である,と。誘導資本主義への転換に果たした 政治革命の役割は軽視できない。1989年の革命直前まで管理社会主i義を頑に堅 持していた東ドイツおよびルーマニアが,政治革命以後に,誘導資本主義へと 急旋回したことを思えばなおさらである。経済および政治の両面で改革の先端 を走っていたハンガリーについても政治革命の影響は大きかった。1980年代の 私有化および政治の民主化は社会主義の原則から逸脱したものではなかった。 誘導資本主義および議会制民主主義への移行には,やはり,全体主義政治体制 の放棄が必要だったのである。上に見たコルナイやシュヴァルツやシューラー の政治規定因説は,直接の誘因は政治革命であった,と言う限りで妥当する。 筆者もこの限りでは政治規定因説を支持する。しかし,政治革命が唯一の誘因 なのではない。政治革命をもたらしたのは経済の停滞だったからである。より 根本的な原因は経済の面に求められるべきである。政治規定因論者は,一連の 政治的事件に気を取られて社会主義経済体制の構造的欠陥からくる経済の停滞 ヨの にまで目をむける余裕がなかったような印象を受ける。
V.むすび
ソ丸型管理社会主義の成立に与ったのは,戦争と政治革命であった。ロシア に管理社会主義をもたらしたのは第1次大戦とロシア革命であり,東欧諸国で の管理社会主義の制度化に決定的に与ったのは第2次大戦とソ連の後押しを受 けた人民民主主義革命であった。政治革命による全体主義政治体制の成立は, その物質的基盤として管理杜会主義の建設を必要とした。全体主義が管理社会 主義を呼んだのである。共産主義エリートの権力基盤は経済の支配にあり,そ のために生産手段の国有化を行って国民から生産の権利・営業の権利を取り上 げ,資源配分を官僚の手に委ね,ノルマという名の強制労働を国民に指令する 措置が取られたのである。ユーゴスラヴィアの市場社会主義はソ連との政治的 確執から生まれたが,ハンガリーの市場社会主義は経済の停滞から生じた。も っともそのハンガリーにおいてさえも市場社会主義の選択で共産党独裁の延命 34)コルナイ説に対する批判については福田〔7〕を参照されたい。経済体制移行論の再登場 を図るという政治的配慮が働いていたのではあるが。 現存社会主義の終焉は経済の不調によってもたらされた。経済の不調は全体 主義の弱体化を招き,80年代記から90年代初頭にかけての政治革命を誘発した。 その政治革命は,全体主義から民主主義への転換をもたらし,誘導資本主義へ の移行を加速した。 以上が筆者の現時点でのさしあたっての結論である。 参照文献 (1) Brada, J., King, A. E.:Is there a J−Curve for the Economic Transition from Socialism to Capitalism ?, in : Economics of Planning, 25, 1992. 〔2〕福田敏浩『比較経済体制論原理一形態論的アブu一チ 』晃洋書房,1986年。 〔3〕福田敏浩「現代の経済体制論』晃洋書房,1990年。 〔4〕 福田敏浩「諸秩序相互依存パラダイムの応用一現存社会主義の崩壊に寄せて 」, 『彦根論叢』,第275号,1992年。 〔5〕福田敏浩「所有と市勝一一市場社会主義の失敗に寄せて一」,『彦根論叢』,第276・277 号,1992年。 〔6〕福田敏浩「中欧の体制転換 社会主義から資本主義へ 」,「彦根論叢』,第278号, 1992年。 〔7〕福田敏浩「体制転換の政治経済学 コルナイ説をめぐって 」,「彦根論叢』,第279 ・280号,1992年。 〔8〕福田敏浩「中欧の経済体制転換に関する研究動向」,『彦根論叢』,第281号,1993年。 (9) Furubotn, E, G.:Eastern European Reconstruction Problems:Some General Observations, in:ノburnal Of Institutional and Theoretical Economics,148,1992. 〔10〕 Hansmann, H.:Ownership of the Firm, in:ノburnal of Law, Economics, and Organization, vol. 4, no. 2, Fall, 1988. 〔11〕 Hayek, F. A. v.:The Roαd to Sθ癬。〃z, London 1944,西山千明訳「隷属への道』春 自社,1992年。 (12) Hensel, K. P.: Grundformen der Wirtschaftsordnung: Marletwirtschaft− Zentralverwaltungswinschaft, MUnchen 1972. (13) Horvat, B. : Contemporary Socialist Systems and the Trends in Systemic Reforrns Worldwide, in : Gomulka, S., et al. (eds.) : Economic Reforms in the Socialist Vl)Torld, London 1989. (14) Horvat, B. : Nationalization, privatization or socialization : the emergence of the social corporation, in: Targetti, F. (ed.) : Privati2ation in EzaroPe : VVest and East E)tpen’ences, Aldershot・Brookfield USA’Hong Kong・Singapore・Sydney 1992. (15) Kornai, J : The Affinity between Ownership and Coordinatien Mechanisms : The
34 彦根論叢 第282号 Common Experience of Reform in Socialist Countries, in:Bogomolov, O T.(ed.〉: Marleet Forces in Planned Economies, London 1990, 〔16〕 Kornai, J.=The Socialist System’The Political Economy(ゾCommunism, P「in’ ceton 1992 〔17〕McKinnon, R.1.=Taxation, Money, and Credit in a Liberalizing Socialist Econ− omy, in:Economics of Planning,25,1992. 〔18〕Poznanski, K.:Market Alternative to State Activism in Restoring the Capitalist Economy, in:Economics Of Planning,25,1992. 〔19〕 Ritsch1, H,, Theoretis(:he Volkswirtschaftslehre, Erster Band, Gntndlagen und Ordnungen der Volkswirtschaft, TUbingen 1947. 〔20〕 SchUIIer, A.:Anstitze einer Theorie der Transformation, in:ORDO, Bd.43,1992. 〔21〕Schwarz, G,:Marktwirtschaftliche RefQrm und Demokratie−Eine Hassliebe ?: の コ コ コ Uberlegungen zur Interdependenz der Ordnungen beim Ubergang von der Komman− do−zur Wettbewerbswirtschaft, in:ORDO, Bd.43,1992. 〔22〕 Sik,0.:Humane VVinschaftsdemokratie, Ein dn’tter Weg, Hamburg 1979. 〔23〕 Sik,0.:」Dze sozialgerechte Marktwi7tschaft−Ein Weg ftir Osteurol)a, Breisgau 1990. 〔24〕Sombart, W:Deutscher So2ialismus, Berlin 1934,難i波田春夫訳『ドイツ社会主義』, 難波田看…夫著:画集10,早稲田大学出版部,1982年。 〔25〕Tinbergen, J.:Some Suggestions on a Modern Theory of the Optimum Regime, in=Feinstein, C. H.(ed.):Sociαlism. Capitalism&Economic Growth, Essays present− ed to Mazlri’ce Dobb, London 1967 〔26〕 Tinbergen, J.=Production, Income and Welfare, The Search for an OPtimal Social Order, Whistable 1985. 〔27〕Winiecki, J:The Polish Transition Programme=Underpinnings, Results, Inter− pretations, in:Soviet Studies, Vo正.44, No.5,1992. 一1993 ・ 3 ・ 23一