タイの地方自治制度改革ー状況と問題点
著者
佐藤 俊一
著者別名
Sato Shunichi
雑誌名
アジア文化研究所研究年報
巻
39
ページ
29-39
発行年
2004
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00009373/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaタイの地方自治制度改革
l
状況と問題点
は じ め に 1 . 分権改革の経過と状況 2 . 現 在 の 地 方 制 度 の 構 造 3 . 地方自治制度の問題点 むすびに はじめに 近 年 、 アジア諸国の地方(自治)制度に対する関心が高まり、その研究 書も公刊されるに至っている。筆者もこれまで平成十四年の文部科学省・ 学術フロンティアによる﹁東アジア・東南アジア諸国にみる経済発展と都 市化による伝統文化の変容!大都市、地方都市・農村の比較﹂(拠点・東洋 大学アジア文化研究所)の一環として韓国と台湾を訪れ、両国の地方(自 治)制度の歴史や分権改革状況などを調査し、それらに関する文献、資料 を収集してきた。そして、その成果をひとまず研究リポートとしてまとめ てきた。このたび(二O
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四年八月十九日 j 二六日)はさらにタイを訪れ、 同様の調査を行ったので、同じくタイの地方自治制度の歴史や分権改革状佐
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況などについてのひとまずの研究リポートを作成することにした。 ところで、今回のタイ調査に当つては、岡田の地方(自治)制度等の研 究に関する第一線の研究者といってよい橋本卓教授の研究成果をベl
ス に してヒアリングや観察等を行った。それゆえ、本研究リポートの基礎は、 末尾の参考文献・資料に示した橋本教授の諸業績に負っていることはいう までもない。そうした中で、本研究リポートが一定の価値を有するといえ るならば、それは橋本教授の諸業績以上の新しい状況を記していること と、そうした状況等の調査を踏えて筆者なりに分権改革の問題点を考察し たことにあろうかと思う。 それはともかく、本研究リポートは、目次のように(一)分権改革の経 過と状況、(二)現在の地方制度の構造、(一二)地方自治制度の問題点へ焦 点を当てたい。そこで、この目次構成も示唆しているのであるが、次のこ とに前提的に留意されたい。すなわち、各国においてもそういっていいの だが、タイの地方制度という場合には、国(中央政府)の地方行政機関(い わゆる地方出先機関)とそれとは別個の地方自治制度から構成されること である。タイの場合、翻訳名称的にも両者まぎらわしい点があるので、特 九タイの地方自治制度改革状況と問題点 に注意を要するのである。 なお、本来ならばタイ調査の前に訪れた台湾についての研究リポートを 先行させるべきであるが、収集してきた文献・資料の活用上の問題から後 回しにせざるをえなかった。しかし、若干時閣を要するものの、台湾の地 方(自治)制度の歴史や分権改革の状況等に関する研究リポートは必ず公 表することにしたい。 1 . 分権改革の経過と状況 タイの戦後政治は、 クーデタという異常時から立憲、政党・議会政治へ という平常時に移行しつつも、再びクーデタという異常時へ還帰するとい う﹁悪循環﹂(チユラ
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ロ ン コl
ン大学、チャイアナン教授及ぴ村嶋英治) をくり返してきたとされる。この観点に立てば、最新の時期区分は一九九 一年二月の軍人達からなる国家平和秩序維持団によるクーデタの成功から 翌九二年五月におけるスチンダ1
軍部(陸軍司令官)内閣の崩壊特に ﹁五月流血事件﹂の発生による│あたりに設定することができるであろう。 しかし、そうだともしても、タイ政治の﹁悪循環﹂は、全く同一パl
ジ ヨ ンレベルでの循環ではなく、 いわゆる民主化へのバージョン・アップがと もなういわばトルネl
ド型の﹁悪循環﹂とみられる点に留意する必要があ ろ う 。 と す れ ば 、 一 九 九 一1
九二年以降の分権改革政策以前にも分権改革 が全くなかったもっとも分権改革とみなし、そう呼ぶか否かに疑義がな いわけではないが!とはいいえないのである。 以上のような観点から、まず一九九一 1 九二年における軍部のクーデタ とその軍部政権崩壊以前における地方自治制度の主たる変容点を整理して。
お こ 、 っ 。 タイの近代的な地方自治制度は、 一九コ一二年の立憲草命直後のテl
サ パl
ン法(一二三年)による都市部の市・町テ1
サ パl
ン、農村部の郡テl
サ パl
ンの設置ーとはいっても全国一律設置ではない│に始まるといえよ ぅ。しかし、根本的には内務省を頂点とする県・郡・タムボン(行政区)・ 村(ムl
パl
ン)という四つの地方行政単位│県知事・郡長は内務省から 派遣される官選官吏を通じた強力な中央集権体制のもとにあった。 第二次大戦後、立憲革命の若手軍人リーダーであったピブl
ンが政権の 座につくと、留学先であった西欧(特にフランス) の地方制度を念頭に白 治制度の拡大が図られた。すなわち、まず一九五二年にスカl
ピ バI
ン 法 (バンコクの衛生区を全国都市部に普及しようとした一九O
八年法)を復 活させるとともに、翌五コ一年には新テl
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ン法を制定した。そして、 一九五五年には不完全だが両自治体(スカl
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ンとテ1
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ン)以 外の農村部をカバーするために県自治体(。諸冨ロσ
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チヨ)を設置するその首長は国の地方行政機関 (実質は省局出先の集合体)としての県知事が兼任する│法制化がなされ るとともに、五六年にはタムボン行政組織法を制定した。後者のタムボン 行政組織法は、前述した国の地方行政単位であるタムボン ( 行 政 区 ) に 自 治体としての性格を付与するために法人格を与えるとともに、国の地方行 政単位であるタムボン ( 行 政 区 ) と 村 ( ムl
パl
ン ) の長等からなる準議 会としてのタムボン評議会を設置せしめるものであった。こうしたピブl
ン政権における改革は、現在の地方自治制度の根拠法となっているのであ るその後、ピブ
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ン は 、 一九五七年にサリット陸軍司令官によるクーデタ により追放された。そのサリットは開発(独裁)政治を展開するが、彼自 身の病気と死から政権はタノl
ムに継承された。しかし、 一 九 六0
年代を 通じた開発独裁政権下では、地方自治、分権改革は低滞化したといえる。 それをうち破ったのは、この開発独裁政権を打倒した一九七三年の﹁一0
・一四政変﹂であった。すなわち、この政変後に成立したサンヤl
内 閣 と国民代表議会は﹁一九七四年憲法﹂を制定し、それに初めて地方自治の 章を設けたのである。また、七五年にはバンコク県を都とするバンコク都 行政組織法を制定し、都知事の直接公選化を図った。 しかしながら、ヴェトナム戦争による反米闘争の激化と左派勢力の台頭 に危機感を抱いた軍部は、 一九七六年一O
月の﹁血の水曜日事件﹂(タマ サl
ト大学に集結した大学生・市民に対する虐殺事件) の当日にクーデタ を宣した。このため、民主化や分権化は中断した。だが他方で、軍内部で は左派勢力に対抗して民主化を先取りしようとする﹁青年将校団﹂(ヤング タ1
クス)と﹁軍民主主義グループ﹂が形成され台頭し、翌七七年一O
月 には前者を中心する軍人グループがクーデタを敢行した。そして、﹁一九七 八年憲法﹂のもと、軍管理の政党 H 議会政治を行った。そうした方式下で 一 九 八O
年にプレl
ム陸軍司令官が首相に指名され、以後八年間わたる長 期政権を築くことになった。 このプレl
ム政権下では、分権化の制度改革がそれほど進められたわけ ではない。目立った改革としては、バンコク都行政組織法を新法化し、 九七六年クーデタで中断された都知事の直接公選制を復活させたり、 カl
ピ パl
ン法を改正し、公選委員の増加を図ったぐらいである。しかし、 タイの地方自治制度改革│状況と問題点 一 九 六0
年代に入り着手された経済社会開発は都市化を促しながら、八O
年代に入ると量的拡大から質的充実へ転換しつつ地方自治の基盤の拡充を もたらしていた。このことが次期の大幅な分権改革の素地になったといえ る 。 と こ ろ で 、 一九八八年、総選挙で第一党となったタイ民族党のチャート チ ャ1
イがプレl
ム政権にとって代った。文民政権の誕生である。ところ が、ニの政権はこれまでにない経済成長を背景に内閣の私物化、政治の利 権化に走った。そのため、 スチンダl
陸軍司令官ら箪幹部か 一 九 九 一 年 、 らなる国家平和秩序維持団が、政治腐敗の払拭を大義にしてクーデタに踏 み切った。そして、翌九二年にスチンダl
司令官が首相に任命された。しコか
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は z 辞 l H の 止 弾 3 圧 で は とになった。そして、暫定内閣下で一九九二年九月に総選挙が実施され、 民主党の勝利とチユアン政権の誕生となり、以後、かなりの分権改革が進 められることになったのである。 まず第一は、 一九九四年のタムボン自治体法の制定である。これは、既 述のタムボン行政組織法において議決・執行機関が一体化されていたタン ボン評議会を両機関の分離した正式の地方自治体に切り変えようとするも のである。九九年まで約七千あるタンポン ( 行 政 区 ) の九割強にタムボン 自治体が設置され、議員選挙が実施された。そして、九九年には﹁一九九 七年憲法﹂と改正タムボン自治体法により、タンポン(行政区)の首長(カ ス ムナン)と村(ムl
パ1
ン)長がタムボン自治体議会の任命議員やタムボ ン自治体の執行機関となる暫定措置が排されることになった。タイの地方自治制度改革│状況と問題点 第 二 は 、 一 九 九 七 年 一
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月の新たな県自治体(オボI
チヨ)法の制定で ある。同法は、県自治体(オボ l チヨ)を従来管轄外にあったテ1
サ パ l ンとスカ1
ピ パ l ン (衛生区)をも包括する広域的自治体に編成し直すと ともに、従来、県自治体(オボI
チ ヨ ) の議員から互選されていた首長を 県民の直接公選に変えた。そして、 一九九九年にはスカ l ピ パ l ンのテ l サ パ1
ン昇格法が制定され、漸次スカ l ピ パ l ンのテ1
サ パI
ン化が図ら れることになったので、県自治体(オボl
チ ヨ ) は、テl
サ パl
ンとタム ボンという都市・農村部の基礎的自治体区域すべてを包括することになっ た 。 第三は、﹁一九九七年憲法﹂の第二八四条と第三三四条に基づき、 一 九 九 九年に地方分権推進法が制定され、地方分権委員会(中央省庁等委員や委 員会、地方自治体代表委員、学識経験者委員の三種各同数からなる)が設 置されたことである。同委員会は、事務・権限や税財源、職員等の地方移 管を図る分権計画を策定し、その実施状況を明らかにすることにした。こ のような分権化の推進については、日本の地方分権推進法や委員会が参考 にされたという。また、この改革で好余曲折があったものの、二OO
二年 には改革の実施機関として内務省に地方自治促進局が設置されることに な っ た 。 第四に、﹁一九九七年憲法﹂に基づき九九年には自治体の首長・議員に対 するリコール法が制定された。さらに、二000
年には同じく﹁九七年憲 法﹂に基づきテ l サ パ l ン法(五コ一年)を改正、また、二OO
二年は地方 自治体の首長・議員選挙法の制定により、テ l サ パ l ン及びタムボン自治 体の首長も住民の直接公選によることになった。 以 上 の よ う な 分 権 改 革 の 要 因 と し て タ マ サ l ト大学政治学部長の Z 島町山江口冨m w
可同町民博士は、大きく次の三点をあげていた。第一は、一九七 五年の総選挙以降、政党・候補の集票マシ1
ン化が進行する中で県自治体 ( オ ボI
チヨ)やタムボン自治体等の議員が、地位(ステータス)の向上の みならず、自治体レベルでの独自な利益配分を可能にする自主財源枠の拡 大を強く求めるようになったことである。第二は、地方の政治・行政にお けるボス支配を批判・改革するために、特に知識人を中心とした分権改革 運動が展開されたことである。第三は、﹁一九九七年憲法﹂が分権化の推進 と自治体の行財政や人事面などでの権限拡大を明文化し、それを具現化す る九九年の地方分権推進法が制定されたことである。 しかしながら、分権改革の先行きは楽観視できない。というのも、 Z 品 目 同 国 民 ロ 博 士 に よ れ ば 、 タ イ の 諸 政 党 、 国 会 議 員 、 財 界 、 官 界 、 マ ス ・ メ デイアのいずれも分権化には消極的な志向・態度を示しているとされるか らである。そして、さらにはこ00
一年の総選挙でチャワリット政権に代 り政権の座についたタイ愛国党q
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党首のタクシンは、 能率的で経済的な行政を進めるとして県知事の CEO ( ( V F同 町 内 切 同 町 門 戸 M H - 4 巾 。 同 内 常務 色
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,~は 対 する新たな指揮監督を図ろうとするものといえるからである。そうした点 については、次節で述べることにする。2
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現在の地方制度の構造 多くの国の地方制度は、 一般的には既述したように固(中央政府) の 地方行政機関(いわゆる地方出先機関)とそれとは別個の地方自治制から構 成されている。タイの地方制度もまさにそうであり、その現状は大概図の ようになっている。そこで、以下この図
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にそってみることにする。 まず、国(中央政府) の地方行政ラインである。それは、県・郡・タム ボ ン ( 行 政 区 ) ・ ムl
パl
ン (村)という四つのレベルから構成されるが、 首長が内務省から派遣される官選官更であるものと住民の選挙による公選 官吏(準公務員) のものとに二重構造化されている。すなわち、県知事・ 郡長は官選官吏であるが、区長(カムナン)、村長は公選官吏(準公務員) である。この二重構造は、国家統合の過程で伝統的な村落支配体制を中央 集権的な統治構造に接合したことに帰国しているようだ。というのも、 九世紀末、郡のもとに伝統的な村落を戸数ないしは住民数を基礎に行政村 化し、それを幾っかあわせたタムボン (行政区)を設置しつつ、既に村長 の直接公選化を実施しているからである。それ以来、タムボンの首長たる 区長(カムナン)は長く村長の互選であったが、現在では区長(カムナン) 選挙に立候補した村長に対する直接公選となった。 国の地方行政の最末端単位であるムl
パ1
ン・村長は郡長の指揮監督の もと治安や住民登録、選挙管理、教育、保健行政などを、また国の地方行 政の基礎単位とされるタムボン・区長(カムナン)はやはり郡長の指揮監 督のもと治安や開発行政などを担ってきた。しかし、タムボン ( 行 政 区 ) と ムl
パl
ン (村)に常勤職員がいるわけではなく、各行政区画ごとに首 長たるカムナンと村長及びその両者の補佐各二名や少数の委員が存するに すぎないのである。ところが、既述したように一九九九年には改正タムボ ン自治体法により区長(カムナン)と村長は従来のようなタムボン自治体 タイの地方自治制度改革│状況と問題点 の任命議員や執行機関たることが自動的に保障されなくなった。このこと は、特に開発行政とそのための予算執行に対する区長(カムナン)、村長の 権力(影響力) の縮小・後退となる。そのため、全国約三O
万といわれて きた区長(カムナン)・村長及びその補佐等は、分権改革に消極的・批判的 な姿勢をとっているとされる。 ところで、タイは中央部・南部・北部・北東部の四地域に分けられ、現 在、そのもとに合計七五県が存在する。そして、各県は郡・タムボン・ ムl
パl
ンというレベルごとに行政区画が細分化されるのだが、それぞれ の区画数は図ーーが一不すようにほぼ十倍化する。言いかえれば、県以下、 各レベルごと区画がほぼ 1 / 叩に細分化されているといえることである。 そうした全体構造のもとで、調査に訪れた中央部・バンコク都に隣接する ボトムタニ県の構成は、次のようであった。すなわち、県は七郡に区分化 さ れ 、 一 郡 は 六1
一四のタムボンに細分化される。そして、タムボンはさ らにムl
パl
ンに細分化されるのだが、 一タムボンが包括するムl
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ン 数は格差が大きく、最大は一二六タムボンで最小は二八タムボンである。 これが普通か特殊かは、各県ごとのデl
タが入手しえなかったので不明で あ る 。 それはともかく、国(中央政府) の地方行政機関(出先機関)そのもの であり、タムボン・区長(カムナン)とムi
パl
ン・村長を指揮監督する 県・郡については、次の点に注視する必要があろう。 第一は、固(中央政府) の地方行政機関たる県は、総合出先機関のよう にみえるが、実際には既述したように各省庁ごとの倒別出先機関の集合体 にすぎないことである。というのも、知事及び副知事は内務省から派遣さ一
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タ イ の 地 方 自 治 制 度 改 革 状 況 と 問 題 点 裁 主主 f l 'ミI 最 タイの地方制度(概要) 図-1 省 務 内 A、 A 国 他 地方自治促進局 地 方 行 政 局 他 局 局 体) 治 自 別 (特 自 (普 長 (地方行政機関)
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四 住 民 (注)一一+は指揮命令監督等のライン、~は住民の直接公選ライン、( )は2001年の実数れるが、他省庁もそれぞれの県行政分野を担う官吏を直接派遣(出向)し ているからである。だから、知事、副知事は、政府の指示、命令に従い内 務省各局及び省庁から派遣された各分野の事務担当官を指揮・監督し、国 の地方行政全般を統括し、県区域内の自治体の指導・監督を行うのだが、 その統括力は必ずしも強力とはいえないのである。特に、各省庁から派遣 されてきた官吏は、自らが所属する本省庁へ顔を向け勝だからである。 それゆえに、タクシン首相は、県知事の CEO 化に乗り出したといえる。 そ の CEO 化とは、知事に中央政府レベルの決定権限をそれなりに移譲す るとともに、すべての県官吏の人事配置権や県予算の無制限の支出権を与 えることによって、県行政全般に対する知事の統括力を大幅に強化しよう としたものである。こうして CEO 知事は、県レベルで分散化した各省庁 の権限を強力に統括することになるから、県は名実とも総合出先機関化す るわけである。しかも、知事は依然として内務省の官選官更であるわけだ から、内務省はより内政の総括官庁化し、むしろ中央省庁におけるその地 位を高めるともいえる。 第二は、知事・副知事のみならず約入
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名の郡長とその二倍以上の副 郡長も内務省の派遣である(それ以外にも内務省各局より県・郡の各行政 分野に派遣される)。そして、郡の郡長、副郡長と郡官吏は、県知事、副知 事のもとで治安維持や開発計画の実施など広く区長(カムナン)・村長を 指揮・命令するとともに、タムボン自治体を指導・監督してきた。しかし、 既述したようにタムボン評議会からタムボン自治体への転換とタムボン自 治体議員や執行機関から区長(カムナン)・村長の排除、それに加えて住民 登録などの郡事務のタムボン自治体への移管によって郡は地盤沈下し、そ タ イ の 地 方 自 治 制 度 改 革I
状 況 と 問 題 点 の存在意義が問われかねなくなり始めているという。 次に地方自治体であるが、それは図ーーが示すようにいわば普通自治体 と特別自治体の二種類からなる。そして、現在、普通自治体はオボ l チ ヨ ( 県 自 治 体 ) と テ l サ パ l ン・タムボン自治体のニ層からなり、特別自治体 は一九七一年にバンコク県とバンコク特別市など二県二市が大合併した 准 来 、 2 q a 一九七五年のバンコク都法に根拠づけられたバンコク都と、-大観光 地であるバッタヤ l 市の観光開発を進める一九七八年の特別法によるパツ カ 雪 アメリカの市支配人(
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制をとっていた 一九九九年に二元代表制へ改正された 1 の二つからなる。もっとも都 タ ヤ l 特 別 + 巾 │ 当 初 、 市部の自治体であるテI
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ン自治体は、人口規模などの点から五万人 以 上 、 一万人以上、七千人以上の三段階に分けられている。そして、タム ボン自治体も条件が整えば、テ l サ パ l ン自治体への昇格が図られること に な っ て い る 。 さて、県自治体(オボ l チヨ)は、都市部と農村部の自治体を包括する 広域自治体であるので、テ l サ パ l ン自治体とタムボン自治体を超える広 域的事務事業を担うとされているが、実際には両者の事務・権限などの関 係は必ずしも明確化されているわけではない。また、前述したように、従 来、県自治体(オボ l チヨ)の首長は県知事が兼任していたのを議員の互 選にかえ、さらに一九九七年には住民の直接公選にした。このようなこ元 代表制によって県自治体は、自治体としての性格をより強めることになっ たわけである。しかし、国の出先機関としての県との関係はまだスッキリ しない。例えば、ヒアリングしたボトムタニ県では、両者に重複するこ重 行政領域において対立などはほとんどなく、特に教育、スポーツや職業訓 五タイの地方自治制度改革!状況と問題点 練、ドラッグの取締りなどでは相互に協調しあっているという。そして、 県自治体(オボ
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チヨ)には自治権が認められているので、県知事は人事 や予算について勧告・助言は行うが干渉・介入を行わないとする。にもか かわらず、県知事には県自治体の人事や予算に対する拒否権が与えられて いるのである。 次に、基礎自治体としてのタムボン自治体の区域は、国の行政区域とし てのタムボン (行政区)と重層する。その面積は国土の約九七%、人口で は総人口の約七O%を占める。残りが都市部の基礎自治体であるテl
サ パl
ン自治体になるわけである。国の行政区域としてのタムボン及び村 ( ムl
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ン)は、主として治安・秩序維持の役割を担うのに対して、タム ボン自治体は開発の実施、環境の保全、教育、文化の整備などを担、つとさ れているが、実際には両者の重層による混乱状態にあるといわれる。また、 テl
サ パl
ン自治体とタムボン自治体は郡長により指導・監督されるので あるが、それ以上に県知事には両自治体の議会解散権、執行機関公吏の罷 免権、条例の承認権など強力な統制権限が与えられている。そうした点か らみると、さらなる分権改革が求められるといえそうである。3
.
地方自治制度の問題点 タイの地方自治制度の問題点については、以上の状況と構造で既にふれ た点もある。しかし、今回の調査を踏えた上で、地方自治の拡充という観 点から改めて問題点と思料される点を幾っか指摘したい。 第一は、テ1
サ パl
ン自治体とタムボン自治体レベルである。両自治体 に対する郡長を通じた県知事の統制権が強力であることは前述した。この ム ノ 、 ことは、内務大臣、内務省による中央集権的官僚的統制が依然として強力 であることを意味する。だから、さらなる分権改革が必要であろうとした が、それにはかなりの時聞がかかりそうである。そもそもチユアン政権を 誕生せしめた一九九二年の総選挙では、各政党とも県知事の直接公選化を た 公 。 約わ し
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ン自治体とタムボン自治体の自治能力を高める必要が ある。特に自治体としての十分な準備や行政能力が整わないうちに、タム ボン評議会のタムボン自治体化が図られたという。そのため、ほとんど自 治体としての体裁をなしていないタムボン自治体もあるという。調査に訪 れたボトムタニ県の比較的財政的に豊かなあるタムボン自治体ですら、登 録人口約一万六千人に対して地方公務員が一二人と常勤用務員四人、非常 勤用務員七四人にすぎなかった。そこで、特に弱小タムボン自治体の合併 推進は考えられないのかと問うてみたが、ある内務官僚は理由がさだかで はないが否定的であった。合併は、タムボン (行政区)とタムボン自治体 との行政区域的重層制を壊し、中央統制を困難にすることをきらうためか もしれない。 第二は、県自治体(オボ1
チヨ)についてである。調査に訪れたボトム タニ県では、首長が従来の議会の互選から住民の直接公選へ改革されたことによる変化についてこう述べていた。これまで首長は議会に対して弱い 立場にあったが、直接公選は候補者が政策(公約)を住民に直接明示する ことをもたらし、首長を議会のしぼりから開放することになったと。この ことは、他の県でも一般的に言えることではないかと思う。しかし、この 二元代表制化は、逆に首長と議会との確執・対立を惹起することにもなり かねない。ボトムタニ県では、実際それが生じていた。同県では最近首長 選挙があり、七名の候補者のうち元ビジネスマンの候補者が当選した 票率五二%)。ところが、彼は議会の承認がえられていないので首長へ正式 に就任できないでいるという。どうも利益(予算)配分をめぐって議会(主 勢力) の意にそわない候補者が当選してしまったためのようだ。当選者が 首長へ就任した後、議会が不信任議決をつきつけるのであれば分るが、就 任そのものについて議会が拒否権を有するようでは、結局、首長を議会が 互選するという従来の制度と同様になってしまうのではないか。法制度が そうなっているのでいたしかたないということであったが、 いまひとつ分 りにくい。ただ、そうした制度が改善されたとしても、この二元代表制化 は、これまで以上に利益配分、利益誘導をめぐり、首長と議会の確執・対 立を生み出しそうである。そのことは内務大臣・県知事という中央の介 入・関与を拡大させ、県自治体の独立・自主性を弱化せしめるのではない かということが危倶される。 第三は、バンコク都(回冨 KFH
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富 岳 - o u 。 ロ S ロ ﹀ 岳 回 目 同 阿 佐 可 釦 位 。 ロ ) に つ い てである。既述したように、 一九七五年のバンコク都法により現在のパン コク都となり都知事の直接公選化が図られた。しかし、都知事の直接公選 制はその後廃止され、それが復活したのは一九八五年である。現在、パン タイの地方自治制度改革│状況と問題点 コク都の人口 (住民登録者)は、六OO万弱で総人口のほぼ一O%強を占 める。ただし、これ以外に大量の未登録者や外国人労働者をかかえている。 調査時は、都知事選の終盤戦であった。立候補者は、驚くことに二二名と いう大量数にのぼっていた。この要因は、 いわゆる売名を目的にする泡沫 候補がかなりあることと、都知事選を国政進出へ利用しようとする候補者 も多いことによるという。特に後者の国政進出へのスプリングボ l ドにし 投 ょうとする企図は、都知事選のみならず県自治体の首長や議員選挙にも一 般にみられるものであるという。 ところで、バンコク郡は、県自治体と市自治体(テl
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ン ) の機能 をあわせもった自治体ちょうどわが国で戦後導入されたが陽の目をみな かった特別市のようなもの 1 で、県自治体に比すると自治能力はかなり高 いといわれる。その機構は、二元代表制をもって構成される。都議会は、 任期四年の六O名の議員からなる。これに対する行政機関は、基本的に知 事のもとに知事任命の副知事西名(それぞれが行財政全般、教育、保健衛 生、公共事業関係を担任)と顧問団が設けられ、その下に一五局が置かれ る形をとっている。そして、さらにバンコク都は五Oの地区に分けられ、 る 区 役す析
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状況と問題点 いても行政区の事務・権限強化や、将来的には基礎自治体化を図るような 分権改革が必要であるように思われる。 最後に、地方自治体と内務省、県との関係における知事のCEO
化の問 題がある。しかし、その問題点については、これまでにおいて既にふれた ところである。 むすびに 本研究リポートは、 タイの地方制度の表層にふれただけにすぎない。そ もそも税財政制度や一九九九年の地方人事行政法により地方人事基準委員 会のもとに置かれることになった人事行政制度には全くふれることができ なかったばかりでなく、国の地方行政制度としての県・郡・タムボン 政 区 ) ・ ムl
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ン(村)と地方自治制度としての各級自治体の職務権限及 び両者の関係についても深く立入ることができなかった。また、非常に根 強いとされている恩顧主義G
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百回)とそれに帰国するとされ ている︿腐敗﹀等の政治・行政上の問題点についても全くふれることがで き な か っ た 。 いずれにしろ、それらの考察については今後を期することに し た い 。 しかし、それ以上に、まずは一九九0
年代中期以降の分権改革の今後の 動向に注目したい。というのも、県知事の全面的なCEO
化を実現したタ クシン首相がひきいるタイ愛国党は、分権化に消極的だとされているから である。そして、そうした中で、 タクシン首相は、二 O O 五年一月の総選 挙を前に与党の国家発展党を吸収したり他党議員の一本釣りによって一党 優位体制を築こうとしているし、愛国党の大勝は間違いないとみなされて 入 い る か ら で あ る 。 ところで、最後に筆者は現在、 タイ語については読書きも会話も全く出 来ない。そうした中で今次の調査に当つては、本研究の研究員の一人であ る新潟国際情報大学の高橋正樹助教授に通訳と原資料の若干の翻訳等につ いて大変お世話になった。文末ながら改めてお礼を申し上げるとともに、 本文の記述については一切筆者に責任があることを記しておく。-
-f丁 ︹ 参 考 文 献 ・ 資 料 ︺ ・ 橋 本 卓 ﹁ タ イ ﹂ 、 森 田 朗 編 ﹁ ア ジ ア の 地 方 制 度 ﹄ 東 京 大 学 出 版 会 、 一 九 九 八 年 0 ・ 橋 本 卓 ﹁ 都 市 の 行 財 政 と 都 市 開 発 政 策 ﹂ 、 大 阪 市 立 大 学 経 済 研 究 所 監 修 ・ 田 坂 敏雄編﹁アジアの大都市川バンコク﹂日本評論社、一九九八年 0 ・橋本卓﹁タイにおける地方制度改革の動向と課題川1
川 ﹂ ﹃ 同 志 社 法 学 ﹄ 第 二 六 二 1 二六三号、一九九九年 0 ・橋本卓﹁タイの行政制度﹂、土岐寛・加藤普章編﹃比較行政制度論﹄法律丈 化 社 、 二 000 年 0 ・橋本卓﹁東南アジアの I T 化│タイの I T 政策と行政への影響﹂﹃同志社法 学﹄第二八二、二OO
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開 ﹀Z
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