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スポーツにおける東南アジアの経済発展と都市化

著者

宇佐美 隆憲

著者別名

USAMI TAkanori

雑誌名

アジア・アフリカ文化研究所研究年報

37

ページ

53(102)-64(91)

発行年

2002

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00009396/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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問題の所在 20世紀はまさにスポーツの世紀でもあった。 スポーツは世界の隅々にまで浸透し,地球規模 の共通文化となった。これによりスポーツは政 治的にも,経済的にも,非常に大きな影響力を 持つことになり,それはしばしばオリンピック やワールドカップといった巨大なスポーツイベ ントにおいて表面化した。 こうしたスポーツの拡散・浸透は,絶対的な 軍事力を背景としたコロニアリズムや政治経済 力に裏打ちされたネオコロニアリズム,あるい は文化帝国主義といった支配=被支配(従属) の関係による世界標準化(グローパル・スタン ダード)とともに,世界システムへの包摂を生 み出すことにもなった。特に,近代スポーツの グローパル化,あるいは越境によって,この担 い手となる選手や指導者,また施設や道具など にも国民国家の枠組みを越えた流動化がおこり, 近代スポーツのボーダレス化,脱地域化が進行 した。近代スポーツのグローパル化は,見方を 変えるなら,ナショナルなスポーツがインター ナショナルなスポーツに取って代わる過程でも あり,いわゆる「国際化」や「トランスナショ ナリズム」によって生まれた近代スポーツの 「脱国民国家化」とでも呼べる現象である。も ちろん,すべてのスポーツがその可能性を持っ ていたわけではないし,また,すべての国がナ ショナルなスポーツをインターナショナルなス ポーツへと昇華できたわけでもなかった。当初, 近代スポーツはヨーロッパ産のスポーツが主流 であったが,その後,徐々にではあるがヨーロッ パ以外の国々のスポーツも近代スポーツである

宇 佐 美 隆 憲

と認められるようになる。国際的なスポーツイ ベントの競技種目として取り上げられることで, 近代スポーツとしての認定がなされたといって よいであろうが,しかし,これ以前にユニラテ ラリズム的状況もみてとれることから,国家聞 の力学が作用し,近代スポーツの認定を左右し ていたことは間違いない(1。) 近代スポーツが各国に浸透することによって, 園内では,従来からおこなわれてきた「伝統ス ポーツ

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と,まさに世界とのチャンネルを持つ 「近代スポーッ」が併存するようになる。伝統 スポーツは,国家ないしは民族の歴史性,ある いは独自性を表出するための役割も求められる 一方で,近代スポーツは一つの物差しによって 国家聞の比較が可能となるため,特に国際的な 競技会は国家の威信をかけた戦いの場としての 役割を持つようになっていった。また,近代ス ポーツの出自が強調されずに,それが文化とし て,それぞれの国で何の抵抗もなく受け入れら れるようになると,時にはその社会の中で土着 化したり,スポーツそのものがローカルな形に 変化するといった状況も生まれた。いずれにし ても,近代スポーツがグローパル化することに よってスポーツそのものはボーダレスな状態と なるが(=無国籍化), し か し 競 技 そ の も の は国別対抗となり(2),結果的には共通のルー ルに乗っ取って国際的な位置を決定づける行為 が擬似的ナショナリズムを勃興させるという現 象を生み出している。 一方,

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国の威信をかける」という意味では, 競技会へ選手を送り込むだけではなく,競技会 が開催できることも,国の有り様を計る一つの 53 -(102)

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バロメータになっていった。ここには明らかに 南北問題の一つでもある経済格差も表面化して くる。例えば,オリンピックのこれまでの開催 地をみると 1896年の第 1回アテネ大会から 2000 年の第27回シドニ一大会まで,また 1924年の第 1回シャモニー・モンプラン冬季大会から 2002 年の第四回ソルトレークシティー冬季大会まで, ホスト国はいわゆる経済的に潤いを見せている 先進諸国側であり,特にオリンピックそのもの に商品価値が見いだされ,スポーツビジネスの 巨大マーケットへと変貌を遂げる 1984年の第23 囲ロサンゼルス大会以降をみても, 88年にアジ アでは東京大会に次いで2度目となる,ソウル 大会(第24回)が開催され,その後,バルセロ ナ,アトランタ,シドニーと続いた。なかでも ソウル大会に象徴されるのであるが,韓国は 1988年のオリンピックを挟む86年から 91年まで の聞に実質 GDPが10%以上も増加するという, 爆発的な経済成長を見せており, 1996年には一 人あたりの GDPが 1万ドルを超えることでメ ンノtー に な る と さ れ る OECD(Organisation for Economic Cooperation and Development :経済協力開発機構)に加盟している(3)。現 在, OECDの加盟国は 30ヶ国であり,そのうち アジアからは日本と韓国の

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ヶ国がメンバーと なっている。またオリンピックの夏季大会では 1980年に開催された第22回モスクワ大会(ソ 連),冬季大会では 1984年に開催された第 14回 サラエボ大会(ユーゴスラピア)をのぞくと, これ以外の大会は,現在のOECD加盟国が, すべてホスト国を勤めているのである。このこ とからも理解できるように,ある程度国の豊か さが保証される固ないしは,その見通しのある 国でなければオリンピックのホスト国になるこ とは難しいことを物語っているといえよう。 このように近代スポーツの世界的浸透は,単 に世界共通の文化という域にとどまらず,これ を起点として,政治的,文化的,経済的に大き な影響を及ぼしており,特に最近ではスポーツ のビジネス的価値に関心が寄せられるようになっ ている。これはスポーツイベントの商品価値が 認められ,スポーツマーケッティングという新 しい領域が注目を集めいていることも大いに関 係している(4。) 本稿では,スポーツマネージメントやスポー ツ産業と呼ばれるようなスポーツビジネスと直 接関係するような研究の方向性を意図したもの ではなく,国家間での比較を目的に経済発展と スポーツ活動の関係性を明らかにするための基 本的な議論を展開しようとするものである。こ れまでスポーツと経済活動について研究された ものの多くは,一国の経済活動の中で展開され ているスポーツの状況を分析するというもので, 残念ながら,本稿が意図するような視点による 先行研究はみあたらない(5)。また,部分的で あれ関連性のある議論も展開されているが,そ れらは先進諸国を対象にしたものであり,発展 途上国 (DevelopingCountries)ないしは最貧 困(Least-Less Developed Countries)を取り 扱った議論ではない。そのため本稿で対象とす るASEAN10ヶ国に限定される東南アジアの場 合,西欧などで展開される近代スポーツの導入 と状況は大きく異なり,また,これまで大きな スポーツイベントを自国で開催した経験を持た ない国が大半であることなどから,いわゆる先 進諸国におけるスポーツの理解をそのまま当て はめようとすると,そこには無理が生じてしま う。したがって,いわゆる発展途上国,あるい はかつての植民地における経済発展と都市化と いう問題を,スポーツあるいはスポーツイベン トに注目することで理解しようとするなら,基 本的な議論からもう一度積み上げていく必要が あると考えられる。本稿は以上のような立場か ら経済発展とスポーツの関係性を論じるもので ある。 1.近代スポーツの東南アジアへの伝播 東南アジアに近代スポーツがどのように伝播 していったのかを,一般論として語ることは, それほど難しいことではない。遅くとも,近代 スポーツが東南アジアの社会に受容されるよう になったのは,植民地時代のことであったから 54一(101)

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である。しかし,その当時,伝播したと考えら れるスポーツがどのように受容され,また,そ れが国内にどのような広がりを見せたのかにつ いては,断片的に史・資料が残されてはいるも のの,未だにほとんど手のつけられていない状 況にある。 たとえば,ビルマ(6)におけるサッカーの普 及を見ると(7),1880年代に英国人のサッカー クラブチームの練習を見て興味を持った現地の 若者たちが,見ょう見まねでおこなったのが, ビルマにおけるサッカーの始まりである。この 時期,サッカーをしていた人たちは,いわゆる サッカーのルールに則ってゲームを楽しんでい たわけではなかったようである。しかし, 1894 年にはビルマ国内で多くのサッカーの試合がお こなわれるまでになり,サッカーは非常に早い 速度でビ、ルマ国内に広がり,定着を見た。 1900 年にはシニアとジュニアのそれぞれのクラスで サッカーの大会が開催されるとともに,イング ランドの兵士たちともサッカーの試合をするこ とがあったようである。 1903年には多くのピル マサッカークラブが誕生し,組織された。こう したサッカーの普及の背景には,たとえば,英 国人の行政官で S

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John's Collegeの校長も歴 任 し た ジ ェ ー ム ズ ・ ゲ オ ル ゲ ・ ス コ ッ ト (James George Scott)のような人物たちが, 教育現場にサッカーを教材として持ち込むこと で,サッカーの普及に尽力するなどの活動も見 逃すことはできないほ)。 ピルマの事例に見られるように,東南アジア における近代スポーツの伝播は,宗主国によっ て持ち込まれた新しい丈化との接触によって植 民地にその文化が受容される,というステレオ タイプの文脈で語られることが一般的である。 しかし,東南アジアが接したスポーツのすべ てが当該社会で実施されるようになったわけで はない。たとえばピルマの場合,英国の国技と もいえるクリケットは定着しなかった。英国の 植民地としては稀なケースの一つである。現在, International Cricket Council(1. C. C.)のメン バーとして登録されているのは

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ヶ国であり, このうち ICCTest Championshipに出場でき る国は,南アフリカ,オーストラリア,ニュー ジーランド,スリランカ,イングランド,イン ド,西インド諸島,パキスタン,ジンパブエ, パングラディッシュである。また, 2003年1月 19日ならびに25日の ICCODI (On

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Day Inter -national) Championshipに出場した国は上記 の10ヶ国のほかにケニアが加わっている(9。) この出場固からも理解できるように,英国のい わゆる植民地統治を受けた国々がクリケットの ファーストクラスのクラブチームとして位置づ いている。しかしながら,現在においてもミャ ンマーはICCのメンバーとしての登録はされ ていない。 この問題に関して,今のところ決め手になる 資料はないが,断片的な情報から次のような可 能性を引き出すことができる。周知のように, クリケットの伝播は,英国の植民地統治を受け た国々の中に受容されたわけで、あり,たとえば, インドの場合にはこのクリケットが国民的なス ポーツとして定着した。ミャンマーの植民地の 歴史をみると,第3次英緬戦争によって英国に 統治されたピルマは,翌年の1886年にインドの ー州となり,インドの影響を強く受けることに なった。すでにインドでは19世紀初頭までにボ ンベイ,カルカッタ,マドラスなどの都市でク リケットのゲームがおこなわれるようになって いた。そしてピルマには,英国とともにインド からもクリケットが持ち込まれることになる。 このことはピルマ人にとってクリケットという スポーツが,英国の純粋な文化ではなく,イン ドの文化としても認識されるといった状況を生 み出した可能性がある。また,インドのように クリケットをおこなうことが擬似的な英国人に なることにつながるという考え方もなかったよ うである。このようにビ、ルマにクリケットが定 着しなかった理由は明らかではないが(10),し かし,いずれにしても植民地が宗主国のスポー ツをすべて取り入れてきたわけではないことが, この例治、らも理解されよう。 植民地側は宗主国の文化と接触することによっ 55 -(100)

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て,いわゆる異種混靖して新しい文化を生成し たり,その一方で、,両方の文化が何らかの形で 併存するパイカルチュラリズムのような現象が みられたり,あるいは文化的適応を起こしたり と,実に様々な状況が展開されていたといえよ

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近代スポーツ普及の条件 これまで述べてきた近代スポーツの伝播は, 宗主国と植民地といった権力関係の中で展開さ れたものだが,こうした国家間の関係性だけで すべての現象を論じることはできない。権力的 関係性が強制力を持たない場合や,それほど強 くない場合に近代スポーツが拡がりを見せるな ら,その社会で生活する人々が,何らかの形で スポーツの普及に影響を与えてきたからではな いかと考えることもできるからである。 ここでは,一般的にスポーツ普及に大きな影 響をもたらしていると思われる条件を提示して, 若干のキ食討を加えることにしたい。 (1) 自己実現のための余暇時間 スポーツ活動は,プロのスポーツ選手でない 限り,いわゆる余暇時間におこなわれている。 それも一定のまとまった時間を持つことで初め て実現可能となるわけで,細切れの時間が一定 量あったとしても,スポーツ活動を実践するこ とは極めて難しい。つまり,スポーツ活動を継 続するためには,日常的に余暇時聞が確保でき ることが必須の条件となるはずである。それで は,余暇時聞を一定量確保できる条件とは何か。 単純に考えるなら三つの状況が想定される。一 つは労働がなく,余暇時聞が十分に確保できる という状態である。他の一つが社会的システム の中に余暇時聞が組み込まれている場合である。 この二つの状況において,スポーツが選択され るのは一般的に後者の場合であろう。ただしこ の場合,基本となるのが労働時間である。これ まで余暇時間は労働時間の余りとして考えられ てきた。生産力が上がり,労働時聞が短縮され ることで,少なくとも労働とは切り離された余 暇時間が生まれてくる。しかし,余暇時聞が短 いのなら,これは労働と表裏の関係となり,余 剰分の時間は次の労働に向けて「休養」に当て られる。つまり,労働を再生産するための時間 として割り当てられているのである。ところが, 余剰時聞が増加していくと,余暇は労働から独 立した時間の領域を作り上げるようになり,自 己実現のための時間として利用されるようにな る。そしてスポーツ活動はこの時間を活用して 展開される。 このように考えていくと,スポーツが普及し ていくための条件のーっとして,いわゆる余暇 時聞が日常的に一定量確保できるという社会状 況にあることが必要だということになろう。 (2)

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見るスポーッ」と「するスポーッ」 上述したような余剰時聞が確保できる状況と いうのは,実はスポーツをおこなったり,見た りすることができるようになる選択肢を生み出 す条件にすぎない。スポーツが選択される条件 は,余剰時間によって決定するわけではなく, 個別のスポーツとの接触の仕方が大きな影響力 を持っている。ここではスポーツ種目の選択肢 の幅について考えていくことになるが,そのた めの考え方としてスポーツへの参加形態に注目 する。スポーツへの参加形態には「するスポー ッ」と「見るスポーッ」の 2つの形態が存在し ている。もちろん両者は完全に一致するもので はない。最初に,するスポーツの場合を考えて みると,するスポーツは実践するスポーツであ るから,それぞれの社会に住む人々の経済力と 連動する可能性が高い。つまり,個人所得に見 合ったスポーツ種目が選択されているわけで, 非常に費用のかかるスポーツ種目はそれが可能 な所得層では選択肢に含まれるが,そうでない 場合には選択肢から外れることになる。しかし, 一定の所得層で,あるスポーツ種目が選択され たとしても,その場合にはその社会で大衆化す る事が難しく,競技者人口の増加は見込めない。 特別な例外を除いて,競技者人口が増加しなけ れば競技力の向上も緩やかであり,また記録の 更新やメダルの獲得も難しくなると考えてよい であろう。もちろん,スポーツ干重目の選択は, 56 -( 99)

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宗教や社会的価値観とも大きな関係を持つこと になる。本稿が設定する東南アジアからは外れ るが,インドの場合,植民地時代にサッカーが 一部地域の教育現場で強制的に実施されること もあったようである(11)。このような植民地時 代の状況をみると,サッカーはインドに定着し たかのように見える。しかし,現在では一部の 地域でのみ実施されるにとどまり,インド全体 で展開されるメジャーなスポーツとはなってい ない。こうした背景には,ヒンドゥー教徒の多 いインドで,牛の皮で作ったサッカーボールを 蹴るという行為が特別の意味を持ち,容易に受 け入れられるものではなかった,ということを 物語っているのであろう。しかし,東南アジア に目を移すと,多くの国がサッカーを国民的な スポーツとして受け入れている。もちろん,フィ リピンのようにバスケットボールやビリヤード が国民的な人気を博す場合もあれば,インドネ シアのように集団競技ではないバドミントンが 世界的なレベルに達している国もある。ところ が,それ以外の国々では集団競技であるサッカー が国民的なスポーツの地位を獲得している,と いっても過言ではないであろう。経済的な側面 からサッカーを眺めてみると,サッカーという スポーツはボール一つあれば,大人数の人々が プレーすることの可能な集団競技である。つま り,サッカーにかかる費用を,単純にボール代 金だとするなら,これをプレーする人数で、割っ た金額が,サッカーをするための一人あたりの 投資額ということになる。しかし,ボールは毎 回購入する必要はないわけで、あるから,それを 考えると一人あたりの支出は決して高いもので ないことがわかる。 一方,見るスポーツとして位置づけられるも のは,メディア的価値の高いものが多く,それ は観客動員が多く,スポーツに参加する選手の 数よりもはるかに上回る観客や視聴者が見込ま れるものをいう。東南アジアの場合,メディア 的価値の高い総合的なスポーツイベントを誘致 し た 歴 史 は な い が , ア ジ ア 大 会 (ASIAN Games) レベルにおいては, 1954年の第 2回大 会(マニラ:1241名参加, 18ヶ国, 7種目), 1962年の第 4回大会(ジ、ヤカルタ:1527名参加, 18ヶ国, 13種目), 1966年の第 5回大会(バン コク:2500名参加, 18ヶ国, 15種目) 1970年の 第 6回大会(バンコク:2500名参加, 18ヶ国, 13種目), 1978年の第 8回大会(バンコク:400 0名参加, 27ヶ国, 19種目), 1998年の第13回大 会(バンコク:9699名参加, 41ヶ国, 36種目) であった。ちなみに, 2002年に釜山で開催され た第 14回大会では, 44ヶ国, 9919名が参加し, 38種目がおこなわれている。この数字を見ると, 東南アジアにおいてバンコクは,多くのスポー ツ種目を開催できるだけの施設と設備を有して いるとともに,少なくとも東南アジア圏におい てのバンコクという都市は,近年のアジア大会 を開催している他の都市(例えば,第 10回大会 のソウル,第

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回大会の北京,第四回大会の広 島)と同等か,あるいはそれ以上の施設を備え ているといえよう。そしてバンコクに代表され るような都市である限りにおいては,見るスポー ツとするスポーツの隔たりは小さくなり,スポー ツの選択肢の幅も広いと考えてよいはずである。 (3) 実践経験の機会 最後に,スポーツすることを経験する,とい う行為について触れておきたい。ここでは,先 に述べたようにスポーツが定着するのか,しな いのか,といった議論ではなく,様々なスポー ツを体験したり,経験したりするという問題を 中心に考える。 スポーツを実践するという場面は,様々な状 況が想定できるが,誰もが同じような条件でス ポーツを経験するのは,学校教育という場面で あろう。周知のように,学校という教育現場で は,多くの国家が日本の『学習指導要領

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と類 似する一定の教育基準を準備している。体育の 授業においても,教育目標はもちろんのこと, それを実現化するための教材も示されている。 ここで提示される教材は,基本的に全国のどこ でも実施可能なものでなくてはならないので, 特殊なものが取り扱われることはない。 しかし,東南アジアのすべての国々を一般化 57 -(98)

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することはできないが,日本のように学校の設 置基準が準備され,標準化されたものが全国に 設置されているわけではない。そのため,授業 教材として示されるスポーツ種目は,多くの学 校で実施可能なものでなければならず,それを 考えるなら,選択されるスポーツの種類は非常 に限られたものになっているはずである。また, 当該諸国のスポーツ・フェデレーションの数を 上まわるほどの教材が提示されることもない。 こうした状況を作り上げている一つの要因に経 済力という問題があることは言うまでもないこ とであろう。今まで体験することのなかった, 様々なスポーツ種目と接する可能性の一つを作 り上げている学校という環境もその国の経済状 態によって左右されることになり,閣の経済力 がスポーツ種目の選択肢の幅を決定していくこ とにつながっていると考えることができるわけ である。

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都市とスポーツ 都市杜会とスポーツの関係を考えるうえにお いて,その経済指標としてのスポーツ,あるい は産業としてのスポーツイベントを考えること は,非常に示唆的である。巨大産業化するスポー ツイベントは,時には都市開発と結びつき,ま た経済効果については今更述べるまでもなく, 非常に大きなものとなっているからである。 この点について,原田宗彦は都市開発という 視点から次のような指摘をする。すなわち,ス ポーツイベントは「都市の知名度を高め,多く のスポーツ・ツーリストを呼び込んで消費を活 性化し,スタジアムやアリーナの建設によって 都市インフラを整備する『キャタリスト j(触 媒)としての効果が期待されている

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[原田 2002 : 48Jという。つまり,巨大なスポーツイ ベントが招致される,あるいはそれを可能にす る規模の都市は,都市のインフラストラクチャー が比較的整備されているか,あるいはスポーツ イベントを招致することで総合的な都市開発を 考えているということであろう。 周知のように,オリンピックやワールドカッ プといった地球規模のスポーツイベントは,選 手や競技関係者だけではなく,観客をも含めて 収容を可能にする競技場やスタジアムが必要で、 ある。いうまでもなく多くの観客の収容が可能 であるなら,その移動をスムースにおこなえる ような交通網が整備されている必要がでてこよ う。このように考えていくと,スポーツのイベ ントが招致できるという都市は,少なくとも, そのイベントを実施することが可能なインフラ ストラクチャーが整備されており,なおかっそ の開発を完成させるための促進剤としての目論 見を持っているということを意味しているとみ ることもできる。 一方で,このような状況にある都市において は,少なからず,多種多様なスポーツ活動が展 開されており,それらの実施を可能とする施設 が存在している。そのため首都と呼ばれる都市 部においては,スポーツのフェデレ}ションの 数は最も多く,地方都市,農村部へと行くにし たがって,実施できるスポーツの数は少なくな る。このことはスポーツの選択肢を明らかにし ていく上で重要なことであろう。つまり,都市 部におけるフェデレーションの数が,当該国に おける実施可能なスポーツ種目の上限のめあす になるということである。例えば,現在わかっ ている範囲でこのフェデレーションの数をみる とミャンマーでは

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のフェデレーションが存在 するが[時本,宇佐美 2002: 107J,これに対 してラオスの場合は

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ほどのフェデレーション しか存在していない

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2001J。フェデレーション数に違いがある ということは,都市部で実施可能なスポーツ種 目に制限がみられる何らかの理由が存在するは ずで,ラオスの場合には,施設や競技場といっ たハード面の問題は,日本をはじめとする先進 諸国からの

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によって,ある程度クリアさ れるように思えるので,実際には,都市部の人 口格差も影響しでか,競技者人口がそれほどい ない競技種目については,未だにフェデレーショ ンが作り上げられていないとみた方がよいと思 われる。 - 58一(97 )

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さて,このような問題と同時に,もう一つは, 指導者の問題もあげられる。仮にハード面が充 実したとしても,様々な競技を直接指導する指 導者が存在しなければ,スポーツそのものの実 施は難しい。東南アジアの場合には,多くの外 国からの指導者が何らかの形で招聴されて指導 に当たっている。例えば,ミャンマーの場合で あるなら「国際協力基金:スポーツの専門家派 遣助成

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に基づいて派遣がおこなわれているが, ラオスの場合はこのような状況にないようであ る。ただし,近年では青年海外協力隊でラオス に赴任した隊員が空手のナショナルチームを指 導するとうこともあったようである。普通は, ナショナルチームのレベルともなると,それな りの指導者でなければ指導は難しいのであるが, ラオスの状況を見る限りでは,ナショナルチー ムといっても協力隊の隊員が指導できるレベル にあるということは,ナショナルチーム自イ本の レベルはそれほど高くないことを物語っている と言えよう。また,指導者は通常,中央の都市 部で指導をし,その競技種目がある程度定着し た頃に地方にも指導に出かける。 さらに,付け加えるなら,これまで紹介され ていなかったスポーツが他の土地から入り込ん でくる可能性の最も高いのも,主要都市である。 いうまでもなく,この主要都市で新しいスポー ツが受け入れられなければ,それは地方都市へ と広がりを見せていくことは少ない。 このように都市とスポーツの関係をみると, その広がりは,

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中心から周辺へ」という流れ を見せるが,ただし,都市周辺部へと新しいス ポーツが拡大したり,指導者が流れて行くわけ ではなく,一定のエリアを越えると,そこから 飛ぴ火して,地方都市の中心へと移動し,そこ から周辺部に若干の広がりを見せる。この現象 が次から次へと地方都市レベルで起こっていく わけで、ある。このような形で局地,局地に拠点 が出来上がり,これらがつながりを見せてネッ トワークの形成がはかられていくのが一般的で ある。

4.ASIAN GamesとSEAGamesにみる経 済発展と都市化

ここでは Asian Games (アジア大会)と South East Asian Games (SEA Games :東南ア

ジア大会)(12)を対象にして,この中にみられる

一つの特徴を明にすることにしよう。

まず,最初に 2002年 9月29日から 10月14臼ま でのあいだ韓国の釜山を会場にして開催された

表1 ASIAN Games国別メダル獲得順位

Rank NOC Country Gold Silver Bronzε Total I CHN People's Rep. of China 150 84 74 308 2 KOR Korea 96 80 84 260 3 JPN Japan 44 74 72 190 4 KAZ Kazakhstan 20 26 30 76 5 UZB Uzbekistan 15 12 24 51 6 THA Thailand 14 19 10 43 7 TPE Chinese Taipei 10 17 25 52 8 IND India 10 12 13 35 9 PRK D. P. R. Korea 9 11 13 33 10 IRI Islamic Republic 01Iran 8 14 14 36 11 KSA Kingdom 01 Saudi Arabia 7 1 1 9 12 MAS Malaysia 6 8 16 30 13 SIN Singapore 5 2 10 17 14 INA lndonasia 4 7 12 23 15 VIE Vietnam 4 7 7 18 16 HKG Hong Kong, China 4 6 11 21 17 QAT Qatar 4 5 8 17 18 PHI Philippines 3 7 16 26 19 BRN Bahrain 3 2 2 7 20 KGZ Kyrgyzstan 2 4 6 12 21 KUW Kuwait 2 1 5 8 22 S悶 Sri lanka 2 1 3 6 23 PAK Pakistan 1 6 6 13 24 Mya Myanmar 1 5 6 12 25 TKM Turkmenistan l 2 l 4 26 MGL Mongolia 1 1 12 14 27 UB Lebanon 1 1 28 TJK Tajik:istan 2 4 6 29 MAC 乱1acau 2 2 4 30 UAE United Arab Emirates 2 1 3 31 BAN Bangladesh 1 1 32 SYR Syrian Arab Republic 3 3 32 NEP Nepal 3 3 34 LAO LaosPe叩le'sDemocra品cRepublic 2 2 34 JOR Jordan 2 2 36 AFG Afghanistan 1 1 36 YE孔f Yemen 1 1 36 BRU Brunei Darussalam 1 1 36 PLE Palestine 1 l Total 427 421 502 1350 出典 http://www. busanasiangames. org/jpn/ - 59一(96 )

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第14回アジア大会を例に挙げることにしたい。 今回のアジア大会には, 44ヶ国が参加し,競技 数も38種目がおこなわれた。 ASEAN諸国10ヶ 国もこの大会に参加し,このうち一つでもメダ ルを獲得した国はタイ,シンガポール,マレー シア,ベトナム,インドネシア,フィリピン, ミャンマーの7ヶ国であった。アジア大会の公 表2 SEA Games 歴代開催地

Games Year Venue

21th SEA Games 2001 Kuala Lumpur, Malaysia 20th SEA Games 1999 Bandar Seri Begawan, Brunei 19th SEA Games 1997 Jakarta,lndonesia

18th SEA Games 1995 Chiang Mai, Thailand 17th SEA Games 1993 Singapore

16th SEA Games 1991 Manila, Philippins 15th SEA Games 1989 KualaLumpur, Malaysia 14th SEA Games 1987 Jakarta,lndonesia 13th SEA Games 1985 Bangkok, Thailand 12th SEA Games 1983 Singapore 11th SEA Games 1981 Manila, Philippins 10th SEA Games 1979 J akarta, lndonesia

9th SEA Games 1977 Kuala Lumpur, Malaysia 8th SEAP Games 1975 Bangkok, Thailand 7位1SEAP Games 1973 Singapore

6th SEAP Games 1971 KualaLumpur, Malaysia 5th SEAP Games 1969Rangoon, Burma 4th SEAP Games 1967 Bangkok, Thailand 3th SEAP Games 1965 Kuala Lumpur, Malaysia 2th SEAP Games 1961 R丘ngoon,Burma 1th SEAP Games 1959 Bangkok, Thailand

Laos Myanmar Vietnam 式ホームページが伝えるところによれば(13), 表1に示すように,タイが6位,マレーシアが 12{立,シンガポールが13i立,インドネシアカ'14 {立,ベトナムカ{15位,フィリピンカ宝18{立,ミャ ンマーが24位,ラオスが34位,ブルネイが36位, カンボジアはメダルを獲得することができなかっ た。 次に,東南アジア大会に日を向けてみよう。 東南アジア大会は

2

年に一度開催される東南ア ジアの中でもっとも大きな競技会で,表2に示 したように2001年までの聞に21回の大会が開催 されてきた。ここではASEAN10ヶ国が出揃っ た1995年,タイで開催された第18回大会以降の メダル獲得数を基準として1位には10点, 2位 には9点, 3位には 8点というように10位まで 全てに得点を与え,それをグラフ化したのが図 1である。この図に見られるようにメダルの獲 得数は,タイが最も高く次いでインドネシア, マレーシア,フィリピン,シンガポールとベト ナムカfならび,その後にミャンマー,ブルネイ, ラオス,カンボジアと続いている。この結果と 表

2

に示した開催国の一覧を見ていただきたい。 ホスト固となった回数は,マレーシアとタイが それぞれ5因。インドネシア,シンガポールが Indonesia Singapore 一+ー 21th

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20th - - 19th

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18th 図1 SEA Gamesメダル獲得順位 - 60一(95 )

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3回,フィリピンとビルマ(ミャンマー)が 2 回,そしてブルネイが1回である。ちなみに 2003年に予定されているホスト国はベトナムで, その後は 2005年にフィリピン, 2007年にシンガ、 ボール, 2009年にタイ, 2011年にインドネシア, 2013年にブルネイの順となっているb また,ピ ルマは 1960年代に 2度,ホスト固になっている が,その後は会場となっていない。また,第1 回大会から 1971年まではタイ,ビルマ,マレー シアの 3ヶ国によるローテーションであるが, 71年以降からはマレーシア,タイ,シンガポー ル,インドネシア,フィリピンというローテー ションに変わっていく。そして,これらのロー テーションに加えて 1999年のブルネイ,また 2003年に予定されているベトナムというホスト 国の

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犬況を考えると,カンボジア,ラオス,ミャ ンマーといった国々は,現時点では東南アジア 大会を開催できるだけのホスト固としての力を 備えていないと考えても良いのかもしれない。 次に,大会の種目についてみてみると, 21回 大会では, Aquatics (Swimming), Archery, Athletics, Badominton, Basketball, Billiards& Snooker, Bowling, Boxing, Cycling, Equstrian, Fencing, Football, Golf, Gymnastics, Hockey, Judo, Karate開Do,1ρwn Bowl, Netball, Pencak

Silat, Rowing, Sailing, Sepak Takraw, Shooting, Squash, Table Tennis, TaかKwon-Do,Tennis,

Volleyball, Weigtl江ting,Wushuの31種目がおこ なわれたが, 20回大会では 22種目にとどまって いる。種目数が20種目を下回るのは, 13回大会 までで, 14回大会から 19回大会までをみると, 26, 24, 28, 29, 28, 34と徐々にではあるが増 加の傾向を示している。ブルネイで開催された 20回大会は,これまでの種目数と比べると明ら かに少ないことがわかる。この理由は定かでは ないが,あくまでも可能性のーっとして考えら れることは,ホスト固となったブルネイの競技 力の

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系しているのではないかというこ とである。周知のように, 1984年に英国から独 立したブルネイは,その後,東南アジアでは類 をみない高い経済水準を維持する固となり,内 政も安定し,特に就業人口の 7割を占めるとい われる公務員に対する優遇政策や社会福祉制度 の充実,また非常に低額な公共料金など,人々 の暮らしは石油と天然ガスの産出に支えられた 国家財政に大きく依存しているO こうした社会 的環境は,スポーツやレジャーにも反映してお り,現在,約43ほどの組織が活動を展開してい る。 以上のような状況を見る限り,東南アジア大 会において多くのスポーツ種目を提供できるは ずである。しかし,この一方で、アジア大会のメ ダル獲得数が示すように,お世辞にも高い競技 力を持っているわけではない。今後の調査で確 認していく必要があるが,それほど競技力が高 くないということは,もしかすると規格にあっ た施設や道具が十分に用意されていないという ことも考えられるし,また高いレベルでの指導 が可能な指導者が少ないということあるのかも しれない。あるいは,東南アジアにおいて注目 度の高い東南アジア大会で,ホスト固が活躍で きないという理由から実施種目を減らした可能 性も残されている。いずれにしても,この点に ついては今後明らかにしていく必要があろう。 スポーツに見る経済発展モデルー今後の研究に 向けてー 最後に,これまで説明してきたことをまとめ て仮説モデルを提示することにしたい。経済発 展や都市化がスポーツ活動やイベントと深い関 係にあることは,ある程度理解されたと思うが, こうした関係性の背後には,近代的な思想が存 在している。そもそも近代スポーツは,近代合 理主義的な考え方をベースにして展開されてき た。例えば,どのようなトレーニングすること が効果的であるのか,または競技力を向上させ, 記録を出したり,メダルを獲得するためにはど のようにしたらよいのか,といった発想は,い かに効果的に生産性を高めるのか,短時間で仕 事量を増加させるのか,といった思想と結びっ くものである。 つまり,経済発展という思想は,近代スポー 61 -(94)

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ツを成立させる要因のーっと同根と見てよい。 こうした思想的一致は,形こそ違えども見据え ている方向性は同じであり,このような観点か らも,スポーツに注目することで経済発展や都 市化という問題に迫ることが可能であることを 示している。 特に経済的な指標と結びつけたモデルとして は,経済が徐々に発展し,上向きになっていく 一方で,個人所得も上昇する。これによってス ポーツ種目の選択肢も同様に増加するといった 状況が生まれる。しかし,スポーツをする環境 は,ある一定の経済力や対外援助といったこと がない限り,公共施設への投資は始まらず,し たがってスポーツができる環境は所得の上昇と 比例関係とはならない。ところが,経済的な状 況が一定の基準を過ぎた段階から,公共施設へ の設備投資が始まり,この時からスポーツの選 択状況に変化がみられ,いわゆる選択肢が増加 するという意味でのテイクオフが起こってくる と考えられる。 さらに,各国にあるフェデレーションの存在 は,本文中でも触れたように,少なからずスポー ツの様々な状況を考える上において示唆的であ ると思われる。どのくらいの数のフェデレーショ ンが存在しているのか,どのような種目のフェ デレーションが設置されているのか,当該国内 における競技力といった問題は,間違いなく経 済の問題と結びついている。 次に,スポーツイベントを実施するにあたっ て,まずは既存の施設の数というのが問題にな る。少なくとも都市部においてどのようなスポー ツ施設が,どの程度設置されているのかは,重 要な問題であるとともに,前述した公共投資や フェデレーションの問題とも関係するからであ る。また,自国の資金で開催することがそれほ ど簡単ではないと思われるので,結局は,何ら かの形で海外支援ないしは,メセナ活動を取り 入れることになると思われる。このような点も 考慮すると,諸外国からの金融支援の問題も加 味する必要がでてこよう。 さらに,オリンピックの場合にみたように

OECD

加盟国であることが,基本的にホスト固 となる条件ともいえたように,東南アジアの場 合でも同じように何らかの指標が存在するので はないかと思われる。 以上の点を考え合せて,スポーツと経済発展 の関係系を整理すると,発展途上国の場合,仮 にある一定の経済成長を示しているとするなら, スポーツに関わる様々な状況がそれに比例する わけではなく,ある一定の経済成長が見込めた 時点で,スポーツについては前述したスポーツ の選択肢の幅が膨らみテイクオフが起こるのと ほぼ同時に,スポーツを実践する人々も急速に 増加する。その後,経済成長の伸びに従うよう に上昇カ}ブは併走するように伸びを示すので はないかと推測される。 そこで,今後はこのテイクオフがどの時点で 起こるのか,また,その後,アジア大会などの ホスト固となるのは,どの程度経済成長を果た した時点なのか,といった経済成長のプロセス に対応させる形でのスポーツ活動の状況を明ら かにするとともに,このようなことを実証して いくための具体的な数字と,これを説明するた めの理論モデルを提示できればと考えている。 付記:本研究は平成 14年度文部科学省「私立大 学学術研究高度推進化事業」に係わる「学 術フロンテイア推進拠点」による共同研究 註 「東アジア・東南アジア諸国にみる経済発 展と都市化による伝統文化の変容大都市・ 地方都市・農村の比較一

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[拠点:東洋大 学アジア文化研究所(旧アジア・アフリカ 文化研究所)

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の研究成果の一部である。 ( 1 )例えば, 2004年に予定されている第28回オリ ンピック・アテネ大会の実施予定種目の中には, 柔道とテコンドーが含まれているが,これらの 競技がオリンピック種目として認定を受けたの は,日本と韓屈がそれぞれオリンピックのホス ト国を務めた年である。一概にはいえないこと だが,これまで様々な公開競技がおこなわれて きたが,アジアを発祥の地としたスポーツが公 62 -( 93)

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関競技を経て正式種目となったのは,テコンドー と女子柔道だけであり,この辺にも国家の力学 の存在が認められそうである (1964年の第18回 東京大会では柔道が正式競技として,また1988 年の第24回ソウル大会ではテコンドーと女子柔 道が公開競技として実施されるようになる)。 (2 )例えばワールドゲームスなども当初は,国家 という概念を抜きに純粋に競技力を競うという 形式を採用していたが,観客が動員できなかっ たことから,結果的には国家をはずすことはで きずに,国家聞の対抗戦という形を取らざるを 得なくなった。 ( 3 )経済協力開発機構については以下のホームベー ジを参照した。 http://www. oecd. org/EN/home/O" EN-home -O-nodirectorate-no-no-no-O,FF.html ( 4) 1980年代後半から,

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スポーツマネージメン ト

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スポーツ産業

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スポーツマーケッテイ ング」というジャンルが急成長し,様々な書物 が出版されている(日本で出版された代表的な ものとしては, [B.1.パークハウス 1995Jや [松田 1996Jがある)。こうした背景には, スポーツマーケッテイングという新しいビジネ ス領域が誕生し,スポーツに対する認識が大き く変化したことによっている。 ( 5)

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スポーツ経済学jやそれに類する学問分野 の成果は,これまでにいくつも出されているが, 不思議なことに,発展途上国や最貧困などを視 野に入れた研究は存在していないようである。 また,スポーツ消費行動そのものを経済学する という傾向が強く,本稿のように大雑把で、はあ るが,全体を見据えるような提案は少ない。 スポーツ経済学として代表的なものはウラジ ミ ー ル [1995J, 池 田 ・ 守 能 [1999J, 大 鋸 [1999J,原因 [2002Jなどがある。 ( 6) 1989年 6月 に 国 家 法 秩 序 回 復 評 議 会 (SlβRC: States 1ρw and Order Restoration Council)が 国 連 に 対 し て 英 語 表 記 の 変 更 を 届 け 出 た 。 こ れ に よ っ て “Burma"から“ Myan-mar"へと国名が変更された。ピルマという表 記そのものは,日本語の慣習的な使用方法だと 考えているが,ここでは取り敢えず, 89年を境 にしてこれよりも前をビルマ,後をミャンマー と表記することにする。 ( 7 )ピルマにおけるサッカーの普及については, ほとんど資料が残されていないが,ピルマ国内 で出版された[EncyclopediaMyanmar 1999Jや ビ ル マ サ ッ カ ー を 紹 介 し た [ テ ェ ゥ ン リ ン 1980J,の中に若干の記述がみられる。 ( 8 )残念ならが,スコットについてはよく解って いない。スコットの日記や記録などを基に彼の 妻が出版した“SCOTTof The Shan Hi1ls: Or -ders and lmpressions"が現在の所,唯一の資料 である。 ( 9 )これらの記述は InternationalCricket Coun -cil(ICC) websiteを参照した。 http://www.cricket. org/link_to_database/NA -TIONAL!ICCI (10)これらの記述については宇佐美 [2001Jを参 照のこと。 (11)石井昌幸 [1999Jが紹介したカシミール地方 の例は衝撃的である。1891 年,白人教師セシル-E.ティンダル=ピスコーがカシミール地方ス リナガールのミッションスクールでサッカーの 試合をおこなわせたという話である。ここには 新しい文化の導入の一つの形が描かれている。 (12)東南アジア大会は,タイ・オリンピック委員 会の副会長であった Laung Sukhumnaipradit によって発案されたもので,設立メンバーはタ イ,ビルマ,マレーシア,ラオス,ベトナム, およびカンボジアであったが,その後シンガポー ルも加盟することになる。さらに1959年12月に お こ な わ れ た 第 1回 大 会 か ら 第8回大会まで South East Asian Peninsular Games (SEAP Games)と呼ばれていたが,第9回大会からイ ンドネシアとフィリピンをメンバーに加え,そ の 後 ブ ル ネ イ も 参 加 す る こ と で 現 在 の よ う な South East Asian Games (SEA Games)と改称

されることになった。 (13)韓国釜山で開催されたアジア大会は,毎日, ホームページ上でも様々な情報が発信されてい た。本稿の基本的なデータもこのホームページ 上の資料を利用している。 http://www. busanasiangames.org/lntrol 参照文献 アレン・グットマン(谷川稔,石井昌幸,池田恵 子,石井芳枝) 1997

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スポーツと帝国一近代スポーツと文化帝 国主義

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昭和堂. B.1.パークハウス, (日本スポーツ産業学会) 1995

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スポーツ・マネジメント

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大修館書庖. EricR. Wolf 1997 (1982)百 rope and the PeopleWithout History", University of California Press, Ber -keley,lρs Angeles, 1ρndon. 63 -( 92)

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G.E.Mi仕on (Lady Scott)

1936 “SC01T OF THE SHAN HIL凶".Butler& Tanner Ltd., 1ρndon. 原田宗彦 2002

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スポーツイベントの経済学 メガイベン トとホームチームが都市を変える

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平 凡 社 (平凡社新書145). 平 井 肇 ( 編 ) 2000 スポーツで読むアジア

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世界思想社. The Ministry of Information 1999 “Encyclopedia Myanmar", The Ministry of Information (Forever Group), Yangon. (CD -ROM). 石井昌幸 1999 筋肉の福音ースポーツマン宣教師と文化 帝国主義一,

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現代スポーツ評論j1, 14-25. 池田勝,守能信次編 1999

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スポーツの経済学

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杏林書院. 松田義幸 1996

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スポーツ産業論

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大修館書庖. National Sports Committee 2001 “35thAnniversary Foundation of the Laos Sports". Lao N. S. C. Neil Tranter 1998 “Sport, economy and society in Britain 1750-1914", Cambridge University Press. 大 鋸 順 2000

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スポーツの文化経済学

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芙蓉書房出版.

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ミャンマー・オリンピック・カウンシル 法について

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ミャンマー(ビルマ)のスポーツ構造と 競技者育成システム

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第50巻5号, 397 -401. 2001

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ミャンマーに生きるスポーツーオリンピッ ク・カウンシル法で国民のスポーツ向上は可能 か

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アジア・アフリカ文化研究所研究年報』 第35号, 210-217. 2002

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スポーツ文化政策にみるポスト・コロニ アリズムーミャンマーの事例から-

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アジア のスポーツ文化に及ぼした植民地主義の影響

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側 水 野 ス ポ ー ツ 振 興 会 助 成 金 研 究 成 果 報 告 書 (スポーツ史学会), 54-61. 64 -( 91)

参照

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