アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 (東洋大学
法学部創設50周年記念号 第50巻第1・2合併号)
著者名(日)
佐藤 俊一
雑誌名
東洋法学
巻
50
号
1・2
ページ
243-265
発行年
2007-03-10
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00000615/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaアジア諸国の分権化要因に関する一仮説
佐
藤
俊
一
一 二 三 はじめに 西欧諸国の分権化要因 日本の世紀末の分権改革要因 アジア諸国の分権化要因 むすびに はじめに 筆者は、ここ数年来、文部科学省・学術フロンティアに認定された﹁東アジア・東南アジア諸国にみる経済発 展と都市化による伝統文化の変容−大都市・地方都市・農村﹂︵拠点校・東洋大学アジア文化研究所︶の一環と してアジア諸国を訪れ、地方制度と分権化に関する調査研究などを行ってきた。訪れた国は、韓国、台湾、タイ、 インドネシア、シンガポール、マレーシア、ベトナムである。もっとも、この中で韓国、台湾、タイ、インドネ東洋法学
二四三アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二四四 シアについては、地方制度と分権化に関するヒアリングや文献・資料収集などを基に調査研究報告をとりまとめ ︵−︶ たが、シンガポールとマレーシアは文献・資料収集に終わり、ベトナムについてはヒアリングなども行ったが、 まだ調査研究報告をとりまとめるに至っていない。 それはともかく、以上のような東アジア・東南アジア諸国の地方制度と分権化に関する調査研究で強く感じた ことは、次にある。それは、前記の調査研究報告をとりまとめた四力国における近年の分権改革が、一九八○年 代以降の西欧諸国における分権化の背景・要因と、あるいは日本の世紀末分権改革の背景・要因とはかなり異な った背景・要因に起因していると感じたことである。もっとも、全く異質というわけではない。同時代状況を共 有するということで、共通の背景・要因も見られるのだが、しかし、それ以上に異質面が顕著であるといえるの である。 そこで本稿は、これまでの調査研究を踏まえ、東アジア・東南アジア諸国の、とりわけ研究報告をとりまとめ た四力国における近年の分権化の背景・要因を仮説化してみようとするものである。そのために、まず西欧諸国 における分権化の背景・要因と、アジア諸国の一員でありながら、非アジア性を有しつつ、アジア諸国に影響を 及ぼしてきた我が国の世紀末分権改革の背景・要因を整理する。そして、それと比較しながら、四力国の近年に おける分権改革の背景・要因について、共通性以上に異質性について仮説化することにしたい。 なお、本論に入る前に次の二点を確認しておく。第一は、地方分権︵α8窪q巴一鋸氏9︶は、国︵中央政府︶の 事務権限をその地方出先機関に移譲する地方分散︵α998耳鍔江9︶とは区別されることである。第二に、かか
る区別における地方分権とは、新たに一定の自治︵統治︶権を有する地方政府︵自治体︶を創設したり、従来ま での自治︵統治︶権をより拡大することである。そして、その後者には二つの方途がある。一つは、国︵中央政 府︶から地方政府︵自治体︶へ事務権限を、したがって税財源を移譲することであり、もう一つは、地方政府︵自 治体︶に対する国︵中央政府︶の関与を縮小・廃止することである。我が国の世紀末地方分権改革は、後者の方 ︵2︶ 策を基軸にしたものであったが、本稿での地方分権︵80雲霞呂困江9︶、すなわち分権化ないし分権改革は二つ の方途を含むものとする。 西欧諸国の分権化要因 ﹃地方自治の世界的潮流﹄を編したJ・J・ヘッセは、戦後の西欧先進工業国において地方政府︵一8巴讐<①旨ー ヨΦ旨︶の重要性が増大した﹁決定的にして基本的な理由﹂は、﹁社会が変化発展する過程で生じる絶えざる多様 化にもはや中央レベルの標準化された対応では適切に対処できなくなり、間題解決とサービスの分配に対する全 ︵3︶ く新しいアプローチの仕方が求められていることに﹂あるとする。これを言いかえれば、分権化の根底的要因 は、農村型社会から都市型社会への転換とその発展︵拡大・深化︶であるということになろう。しかし、これは あまりにも一般的すぎる。J・﹂・ヘッセとL・﹂・シャープは、その﹁結論﹂において、そうした一般化で許 されるものではなく、経験的事実に基づいて地方政府を考察し、中央・地方関係の変化を説明することが必要だ ︵4︶ として、次のような分析を行う。
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アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二四六 確かに、戦後の先進工業国においては、地方政府の役割が拡大してきた。その理由の第一は、戦争の被害の後 遺症を回復すること、特に公共部門の社会基盤の再建・整備が必要とされたことである。第二は、一九五〇年代 の前半から始まった急速な都市化の進展による都市問題の噴出とそれへの対処である。第三は、公共部門におけ る必要な調整には、中央政府の部局や特定目的を担う単一機能的な行政機関より地方政府の方が相対的に優れて いることである。しかしながら、かかる要因による地方政府の成長の反面は、中央集権化︵09霞巴一鋸広9︶の進 行であった。すなわち、大きな政府化あるいは職能国家化、福祉国家化、積極︵介入︶国家化の進行であった。 だから、地方政府の役割の増大とは、拡大した中央政府の機能を補完する役割の増大であったのである。そうだ としても、そのことは地方政府の形態を変えた。すなわち、地方政府は、福祉国家全体の構成に不可欠な一部と して中央政府の政策︵施策・事業︶を実施する機関︵甜Φ暮︶に変わったのである。 ところで、一九七三年の石油危機を契機に世界経済は大きく後退し、西欧諸国も財政難にみまわれることにな った。そのため、中央政府は、以前にも増して地方の間題に関与するようになった。しかし、そのことは、それ まで築かれてきた中央・地方政府間の﹁新しい協同的パートナーシップ﹂関係に新しいジレンマを生み出した。 というのは、地方政府に対する中央政府の関与が増大したからといって、そのことが中央政府の行政サービスを 十分肩代わりすることにはなりえなかったからである。﹁新しい協同的パートナーシップ﹂関係は、政策執行に おける伝統的な﹁説明責任の主体﹂イコール﹁結果責任の主体﹂を分離せしめることになったので、中央政府が 両者を一致させるには大量の行政サービスを供給する地方政府を間接的に統制することを余儀なくしたのであ
る。ここに、西欧諸国のほとんどの中央政府が、新しい﹁実行または統制の不足というジレンマ﹂に直面するこ とになった原因があるのである。 かくして、かかる実行不足・統制不足の間題を解消しようとするため、一九八○年代に入ると先進西欧諸国は 中央・地方の政府間関係の改変を試み始めることになった。そして、その基本戦略ー合併などによる組織拡大 と地方政府の支出抑制・削減の他 の一つが地方分権化、すなわち地方政府レベルでの説明責任と結果責任の 一致化であったというのである。そして、事務権限の移譲による分権的な政策執行の方が、中央・地方政府間の 政策形成と実行の質を改善したり、地方政府の内発的な可能性を拡大することが広く認識されるようになったと いう。 そうした動向の中で、ヨーロッパ評議会︵Oo目良9国貫8①HO国︶の閣僚委員会が、一九八五年にヨーロッ パ地方自治憲章を採択し、また、世界八○力国以上の地方政府や自治体連合、地方自治関係機関が加盟している 国際自治体連合︵冒8旨簿一9巴d巳目9卜¢9霞一匡窃U一d一>︶も一九八五年に世界地方自治宣言︵一九九三年 ︵5︶ には新宣言︶を採択した。前者のヨーロッパ地方自治憲章は、公的事柄の運営への市民参加が民主主義の原理の 一つであり、この権利が最も直接に行使されうるのは地方レベルであるとともに、まさに前記した地方分権化の 動向を踏まえ、実効的な事務権限を持つ地方政府の存在が効果的で市民に身近な行政を可能にするとした。そし て、後者の新宣言は、ヨーロッパ地方自治憲章が中欧・東欧諸国の地方自治の建設指針となっていることを確認 したが、この新宣言自体もまた西欧諸国以上にアジア諸国の地方自治の憲法的保障に影響を及ぼしたとみれる。
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二四七アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二四八 さらにまた、一九八五年には、欧州委員会が一九九二年の市場統合を目指すための経済政策を打ち出した。そ の一九九二年には欧州連合条約︵マーストリヒト条約︶が一ニカ国で調印され、翌九三年には単一市場が始動す ることになった。そして、一九九七年には新欧州連合条約︵アムステルダム条約︶が一五力国で締結され、一九 九九年には単一通貨︵ユーロ︶も導入された。このような欧州統合の発展も、西欧諸国の地方自治に大きな影響 をもたらすことになった。ただ、研究者によって、その影響の評価には相違がみられる。 ︵6︶ 例えば、フランスの研究者はこう分析する。そもそも、F・ミッテラン政権による一九八二年以降の地方制度 改革︵分権改革︶と欧州統合は次元の異なる事象であったが、一九九〇年代に入ると両者が相互に関係し合うよ うになった。その主要因は、地方制度改革により総合的な国土開発の合理的な実行主体として権限を拡大してき た広域自治体︵県11α9巽冨琶①旨︶や地域圏︵州H議豊9︶が、欧州連合レベルではそれに共通の経済政策i特 に地域間格差の是正策1などの実行主体としての重要性を高めてきたことにある。すなわち、広域自治体や広 域圏が中央政府を迂回し、直接に欧州連合の政策決定過程に関与したり、国境を越えて隣接する地域同士が協力 しあってその発言権の強化を図ろうとし始めたことである。しかし、欧州地域政策の展開におけるかかる動向は、 逆に、中央政府がかつて地方分権化により地方政府に移譲した権限を回復させるかのごとく、むしろ中央政府の 役割を拡大するーいわば再集権化ーの結果を生んでいるという。 ︵7︶ これに対して、イタリアの研究者はこうみる。欧州統合という共通の目的とそのタイムリミットが﹁外圧﹂と なり、また、加盟国数が拡大する中で、欧州連合諸国は主要な政治的アジェンダを共有するようになるとともに、
西欧諸国に同様な行財政改革︵分権改革︶を促すことになった。そして、欧州連合がもたらした政治的、経済的、 社会的な統合のベクトルは、中央政府の重要性を相対的に低下させ、同時に地方政府間の競争を喚起しつつ、社 会的ネットワークー特に結節点としての都市ネットワークーという概念をもたらした。かくして、欧州統合 との関係における地方自治の再構築、都市ネットワークという概念の展開は、旧来の国家内における中央・地方 関係から地域を把握する狭隆性を克服する可能性を提供する。地方自治のアイデンティティの模索は、イタリア のみならず欧州諸国の現実の政治過程となりつつある。地方自治は、国家の枠組みを超えた課題となりつつあり、 地域は国家を超えて自身に回帰しつつあるといえるとする。 両者の見方の妥当性いかんは、欧州連合と加盟国の今後の展開をみなければならないであろう。そのこと以上 に、ここで重要なことは、さらに次のような地方分権化の背景・要因が指摘されていることを押さえることにあ ︵8︶ ろう。それを、欧州統合に加え、グローバリゼーションにも注目するM・キーティングに拠ってみよう。 彼は、一九六〇年代以降、西欧諸国が﹁近代化﹂を目指して地方政府システムの改革に努めてきたとし、その 理由を四点あげる。第一は、民問企業にならって地方政府の効率性をたかめる必要性。第二は、計画立案とイン フラの整備、経済開発の必要性。第三は、地域民主主義の衰退︵低投票率やエリート支配など︶を克服するため の民主化と市民参加の課題化。第四は、集権化に伴う中央政府の政治・行政的負担を軽減する必要性、である。 だが、石油危機以降、中央主導の地域政策が疑間視され、各地域が差別化と発展を求めて競争しなければならな くなった。地域政策のトップダウン型からボトムアップ型への転換である。それは、中央と地方の﹁中問﹂レベ
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二四九アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二五〇 ルの地域︵お四9︶の台頭をもたらしたが、欧州統合もさらにこの傾向を増進している。また、地域︵お笹9︶が、 例えば、スペインのバスクのように歴史的な﹁国家なき民族﹂として自立を求める政治的空間として台頭してい るところもあるとする。 いずれにしろ、西欧諸国の地方政府は再編成されてきたが、その多様性の中に共通の傾向がみられるという。 その第一は、前述したように、地域︵お笹9︶が政治代表や政策形成のための新しい、もしくは再活性化したレベ ルとして台頭し、他の地域や都市と競争する経済開発へ関心を集中させていることである。ただ、このことは、 グローバリゼーションや欧州統合の現実を反映しているのか、それとも有権者やその背後の利益動員を目的とす る政治家の操作によるものなのかは、検討を要するという。第二は国家が地方権力の多様なモデル、もしくは多 様な連合形態を容認したことによる地方政府の非対称化である。 結論的にいえば、地方政府の役割と地位は確実に変化している。従来、国家内の領域政治︵$三8は巴宕一庄8︶ は、中央と地方が権力と資源を交換する二者関係として理解することができた。中央政府は、体制や政権への政 治的支援と交換に、地方を国際市場から保護したり、地方へ資源を提供してきた。しかし、欧州統合やグローバ リゼーションは、旧来までのような交換をそのまま通用できなくした。地域︵お咀9︶や地方︵一〇〇巴一な︶は、中 央政府や私的セクタi、国際市場、ヨーロッパ諸組織へという複合的な依存関係に直面している。だから、地方 自治の意味も、古い制度の下での意味とは異なることになった。今や、自治政府に重要なことは、自立性を主張 することでなく、相互依存関係をうまく管理するー﹁ガバナンス﹂の観念を想起させるーことであるとする。
二 日本の世紀末の分権改革要因 我が国では、一九四七年における地方自治法の成立以降、特に地方サイドから一貫して分権化が求められ続け てきたといってよい。それは、戦後の地方制度改革が不徹底であったからだ。だから、世紀末の分権改革は、﹁い ︵9︶ わばこの﹃未完の戦後改革﹄をいまになって完成させよう﹂とするものであった。それは、いうまでもなく一九 九五年の地方分権推進法による地方分権推進委員会の設置に始まった。しかし、この改革の兆しは、一九七九年 の第一七次地方制度調査会︵以下、地制調︶答申が﹁国、地方を通ずる行財政の簡素効率化﹂と﹁地方分権の推 進﹂を提示した頃に見られ始めた。同答申は、その背景・要因を二点あげていた。第一は、地方行財政を取り巻 く環境が、高度成長から安定成長へ、資源・エネルギーの恒久的制約、高齢化社会への急速な移行によって決定 的に変化したことである。第二は、国民生活の各分野において他律から自律へ、画一から多様へ、集中から分散 ︵−o︶ へというように国民の価値観に変化が生じていることである。 もっとも、その後、改革課題は地方制度よりも中央政府レベルに移り、論議の主舞台も一九八一年発足の第二 次臨時行政調査会から一九八三年の臨時行政改革推進会議︵以下、行革審︶となった。しかし、第二次行革審は、 分権化論ないしは分権改革論の高まりの中で地方制度改革をアジェンダとして設定し、一九八九年には﹁国と地 ︵11︶ 方の関係等に関する答申﹂を行った。それは、﹁時代の要請に応えた制度の実現﹂が求められているとして、その 時代の要請を次のように指摘した。第一は、第一七次地制調答申が指摘したような国民の意識、価値観の変化で
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二五一アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二五二 ある。第二は、都市化、高齢化、国際化︵経済のグローバリゼーションや国際社会からの要請など︶を始めとす る広範な社会変化が、多様な二ーズに応え、間題解決能力のある地域主体の確立を求めていること。加えて、東 京への一極集中化と地域格差という歪みが、社会・経済・行政など各般の機能の多極化を求めていることである。 ︵1 2︶ 以上からすると、世紀末の分権改革には、改めて二種類の背景があったように思えると整理されている。一つ は、一九八○年代以降の国際状況の変化の中で日本という観点から求められた構造改革という文脈である。行政 改革も、規制緩和も、分権改革も、その一環であったと見られる。もう一つは、戦後地方自治の成長である。そ れは、戦後の地方制度の間題点を顕在化させ、しかも新たな地方の事情に不適合であることを明らかにした。そ れ故に、いずれの分野の問題にも共通する分権化という視点が、解決策の重要な柱として提案されることになっ たのであると見なされる。 いずれにしろ、一九九〇年前後頃から地方分権論ないしは分権改革論が高揚し、政界、経済界、労働界、学界、 メデイア業界などの各界が改革の必要性を唱え、様々な分権化構想や提言を行うことになった。ということは、 戦後民主化改革の一環である地方制度改革の成果を基本的に維持してやりくりしてきたが、もはや制度運用上の 改善や繕いの制度改革では内外の環境激変に対応しえなくなっているという時代認識ないしは歴史意識が醸成さ ︵13︶ れ始めていたことを意味しよう。そして、広い意味でのかかる時代認識・歴史意識が各界に共有されたことが、 世紀末の分権改革に着手せしめる大きな要因になったことは疑いないといえる。 以上のような流れを凝縮したのが、地方分権推進委員会が改革へ着手するに当たり、一九九五年一〇月に鮮明
にした﹁地方分権推進に当たっての基本的考え方﹂であった。それは、今や実行段階にある分権改革は、﹁明治維 新、戦後改革に次ぐ第三の改革ともいうべきもの﹂であるとし、その背景・理由を五点1これは、内容的には 少し異なるが、一九九六年三月の﹁中間報告﹂で﹁何故にいまこの時点で地方分権か﹂として追認されるーを ︵14︶ 指摘した。それを、少し敷術して述べてみることにする。 第一は、明治以来続いてきたといってよい中央集権型行政システムの制度疲労である。中央集権型行政システ ムは、限られた資源を中央に集中し、これを各部門間・地域間へ重点的に配分して効率的に活用することにより、 急速な近代化と経済発展に寄与し、比較的短期間に欧米先進諸国の水準へ追いつくことに大きく貢献してきたこ とは否定できないが、弊害もともなう。国家的統一のために地域社会の自治を制約し、国民経済の発展のために 地域経済を崩壊させ、全国画一の統一性と公平性を優先させ、地域的な諸条件の多様性を軽視し、地域ごとの個 性的な生活文化を衰微させる、などである。そして、今や内外環境の急変により弊害が顕著となり、新たな状況 への対応能力を失っているとする。したがって、この中央集権型行政システムの制度疲労とは、まさにシステム の構造改革を要請するという意味で独立変数的要因といえる。これに対して、以下の内外環境の変化は、従属変 数的な要因といえる。 第二は、変動する国際化への対応である。冷戦の終結やその後の経済のボーダレス化、グローバリゼーション は、国際交流や国際貢献の重要度を増している。だから、中央政府は、かかる国際化に対応するなどの本来はた マタエ すべき役割にその機能を純化し、強化する一方、内政事項については地方への関与を縮減したり、事務権限を移
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アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二五四 譲すべきだというのである。第三は、東京一極集中化の是正である。一九八○年代に入ると東京を頂点とする地 方大都市へ人口・産業などの集中化が急速に進行する一方、地方における新︵第二次︶過疎化が拡大し、深刻化 することになった。だから、この大きな歪みを是正し、多極分散型の国土と社会構造を構築するためには、地方 分権が求められるというわけである。この第二と第三の要因を強調したのは、小沢一郎に代表される国際貢献論 ︵16︶ 的地方分権論と、細川護煕などの地方経営的地方分権論であった。 第四は、多様で個性豊かな地域社会の実現である。この前提には、高度成長によって世界有数の豊かな経済社 会を実現し、多くの行政分野でナショナル・ミニマムの目標水準を達成したということと、にもかかわらず国民 の多くが日常生活の場で真の安らぎと豊かさを実感できないでいるという認識がある。そして、この原因は、全 国画一の統一性と公平性を過度に重視してきた中央集権型行政システムにある。だとすれば、ナショナル・ミニ マムをほぽ達成した今日に求められることは、地域間の個性差であり、その具現化には地域社会の自己決定権の 拡充が必須であるとする。第五は、欧米諸国に類例をみない急激なテンポで進行している高齢・少子化社会への 対応である。これにともなう行政需要は、住民生活に最も身近な自治体によるサ!ビスの供給体系の再編成と再 構築を要請している。それには、地方分権を推進し、行政の総合化と公私協働を促進する必要があるというので ある。 地方分権推進委員会が指摘した以上四点の従属変数的な要因の他に、急速な情報化も要因に加えてよいのでは ないかと思う。というのも、いわゆる情報技術︵IT︶革命は、確かに多様化した価値観に基づく行政需要の把
握、住民の行政に対する参加と評価、住民と行政との協働などをより効率的・効果的に展開しうる可能性を高め ているからである。 なお、松下圭一教授は、地方分権化の不可欠性・不可避性について独特の﹁成熟改革﹂論から三点の要因をあ ︵17︶ げている。第一の根本的な理由は、一九六〇年代、日本社会は近代化の成熟段階としての都市型社会へ転換した ことである。そして、それは国主導の近代化から自治体主導の近代化への転換でもあったが、そのことは自治体 が自治を担う﹁政府﹂として国から自立化し始めることだから、いわば熟柿が落ちるように分権化を不可避にし たというのである。第二に、都市型社会の成立は、同時に国際分業・国際交流を深めるため、国際協力だけでな マタ く、さらに各国の制度の世界標準化を、すなわち国際化を不可欠にすることである。だから、内政事項は﹁政府﹂ として成熟しつつある自治体に委ね、国は課題を純化し、国際化への対応が求められるのであるという。第三は、 分権化・国際化に加えて、政策水準の文化化が、すなわち自治体が地域的個性を生かす政策・制度開発に取り組 む段階に入っていることである。しかしながら、特に根本的要因とされる都市型社会の成熟化論は、あまりに一 般的すぎるだけではなく、一種の近代化論として基底還元主義的であると言わざるをえない。 三 アジア諸国の分権化要因 ︵18︶ アジア諸国の地方分権化は、J・J・リンスが析出した権威主義体制が一九八○年代の後期以降に解体し始め、 民主化︵号目oR簿一困江9︶の進行に共鳴して生じた。この点については異論のないところであろうが、しかし、
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二五五アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二五六 次の点については留意が必要である。 第一に、権威主義体制の崩壊をみることになったアジア諸国には、冒頭で示したような筆者が調査研究報告を 取りまとめた韓国、台湾、タイ、インドネシアのみならずフィリピンも含まれる。そして、筆者が訪れたシンガ ポールとマレーシアは、依然として権威主義体制が維持されている。しかし、いずれにしろ右の東アジア諸国お よび東南アジア諸国は、単に政治体制としての権威主義体制ではなく、国家主導の開発体制をとってきた点で共 通しているので、かかる観点から共通の研究対象とされている。そこで、本稿でも右のアジア諸国を対象とする ことにしたい。 第二に、右のアジア諸国に独特な権威主義体制については、開発独裁とか開発政治、抑圧的開発政治体制など と概念化されてきた。しかし、それらはいずれも不十分なので、国家主導型開発体制とか開発主義国家という概 ︵1 9︶ 念化も見られる。ここでは、概念論議には踏み込まず、ひとまず後者の概念に従うことにする。それによれば、 この体制は四つの基本要素から構成されるという。︵一︶開発至上主義の論理、すなわちある政権が創設・実施す る制度や政策の正当性が経済開発に置かれていることである。︵二︶国家主導型の経済開発である。そして、か かる経済開発政策を遂行するために中央集権的行政システムが確立され、テクノクラート官僚が権限を与えられ て合理性と効率性を原理とする行政を行っていることである。︵三︶政治体制が実質的には権威主義体制で、経済 開発の遂行を名目に国家権力の批判勢力に対する硬軟様々な抑圧が行われていることである。︵四︶権力集団が 軍もしくは政党にあり、統治形態が形式的には議会制民主主義の形ー擬似民主主義の形態1をとっているこ
とである。 第三は、体制変動ないしは体制移行に対する接近視座である。それには、大きく三つの視座がある。一つは、 政治的民主化を社会・経済的民主化の産物と捉える近代化の視座であり、二つは、資本主義的な世界経済システ センタ ペリフェリイ ペリフェリイ センタヨ ムが中心・周辺の二重構造からなり、周辺の政治経済的変動を中心が重層的に決定すると捉える従属化の視座で ある。三つは、前二者に共通な還元主義的アプローチを放棄し、国家の自律性に着目し、民主化を国家権力の担 い手である政治エリートによる選択と決定の産物と捉える国家の視座である。これら三つの視座には、それぞれ 理論的な難点・間題点がある。ただ、一般的に第二次世界大戦後、近代化の視座が主潮流となったが、一九六〇 年代からの民主化の後退により従属化の視座が台頭する。しかし、その後、再び民主化の波が訪れると、国家の 視座が従属化の視座にとって代わる一方、近代化の視座を理論的に再評価する動向も現れることになったとされ ︵20︶ る。 前述したアジア諸国の国家主導型開発体制の解体︵変動︶から民主化︵移行︶についても、一般的には国家の 視座がとられつつ、やはり近代化の視座の復活・新生化も見られる。中間層を核とする市民社会の形成・拡大論 ︵21︶ は、その一つといってよいであろう。しかしながら、かかる開発体制による経済成長が中間層を生成し、それが ︵22︶ 民主化を促進するという因果関係的な法則化には強い懐疑・批判も投げかけられている。 第四に、分権化は民主化に必ずしも連動するものではないことである。それは、我が国をみれば自明である。 我が国の世紀末分権改革は、戦後の民主化改革で不十分だった分権改革を完遂しつつ、新しい時代状況に向けた
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アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二五八 構造改革であるといえる。ところが、アジア諸国の分権化はまさに民主化と連動した。そのため、民主化は分権 化を包摂してしまうことになったといえるが、しかし、そもそも民主化とは何かである。 この間いに答えるには、民主主義概念まで立ち返らざるをえない。それには、理念としての民主主義と制度と しての民主主義があると同時に、民主主義を政治体制の評価基準とする場合には、二分法的アプローチと連続的 ︵23︶ アプローチがある。そうした中で、現実分析を行うほとんどの研究者は、制度としての民主主義概念に依拠して いるといえる。従って、多くの場合、R・ダールが提示した民主主義の分析概念としての﹁ポリアーキー﹂論か ら民主化の意味づけを、言いかえれば公的な異議申し立ての機会︵自由化︶と包括性︵参加度︶を民主化の測定 ︵24︶ 指標としているといえる。だから、本稿もこれに従う。ただし、民主主義を政治体制の評価基準にする場合の二 分法的アプローチと連続的アプローチについては、体制変動・移行に関する分析目的によっていずれのアプロー チをとるかが左右されるのであるが、いずれのアプローチをとるかは分権化の把握・分析に直接連接しないので、 この論点については立ち入らない。 さて、以上の諸点を踏まえ、国家主導型開発体制の崩壊から民主化の進展における地方分権ないしは分権改革 の要因について考えてみたい。この場合、地方分権ないしは分権改革は、韓国のような地方自治の停止状態の解 ︵2 5︶ 除も含め、冒頭のような意味とする。しかしながら、アジア諸国の地方分権ないしは分権改革は、民主化と深く 関連し、それと重層していることからすると、地方分権・分権改革には事務権限から税財源の移譲、さらには関 与の縮小・廃止にとどまらず、地方議会や地方選挙制度、はたまた地方公務員制度などの改革・強化も含めても
良いと思う。 そこで、まず第一にあげられる要因は、民主化の文脈、すなわち前述したR・ダールが提示した異議申し立て の機会︵自由化︶と包括性︵参加度︶の文脈である。具体的には、政党などの組織を形成し、政治参加する自由、 多様な情報源の開放と表現の自由、選挙・被選挙権の拡充と自由かつ公正な選挙、政治指導者が民衆の支持︵得 票︶を求めて競争する権利と自由などである。かかる意味での民主化は、地方レベルでの民主化に連動化する。 そして、それが、地域住民に身近な地方政府︵自治体︶の議員選挙に対する厳しい制約の解除のみならず、首長 の任命制や議会選出制から直接公選制の導入・拡充を求め、さらに地方議会改革や地方公務員制度改革などを促 すことになる。こうした流れは、韓国、台湾、タイ、インドネシアのいずれにおいても見られた。 第二に、国家主導型開発体制は、確かに経済成長をもたらした。しかし、そこには、二つの間題が発生した。 一つは、経済成長が急速・急激な都市化を促し、スラム地域や都市インフォーマル・セクターの拡大した﹁過剰 ︵26︶ 都市化﹂をもたらす一方、都市・農村間の格差を一層拡大した。特に地方・農村においては、都市化︵都市的生 活様式︶の拡大・深化に道路や上下水道、医療・保健衛生などの社会資本整備が追いつかず地方・農村の不満を 高めることになった。もう一つは、国家主導型開発体制は、経済開発政策を効率的・効果的に遂行するために、 官僚的な中央集権的行政システムを築いてきた。ところが、インドネシアに典型的に見られるように、経済開発 が軌道に乗り、成果をあげ出すと、中央集権的で画一的な開発計画は、計画の決定から実施まで時間がかかりす ぎ、むしろ非能率になるだけでなく汚職・癒着・縁故主義︵K・K・N︶を顕わにすることになった。そのため、
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アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二六〇 地方の実情などに適合した開発を自主的に、地域住民の要望・要求にも耳を傾け、かつ効率・効果的に推進する ︵27︶ ことが求められることになった。以上の二点も、地方分権ないし分権改革の背景・要因になったといえる。 第三は、地方分権ないしは分権改革の起因というよりは促進要因といったほうが良いといえるのだが、民主化 における分権改革の設計に対する国際的影響、例えば、一九八五年の世界地方自治宣言︵一九九三年の新宣言︶ や日本の分権改革の影響である。タイの一九九七年憲法は地方自治を憲法的に保障し、それに基づき地方分権推 進法が制定され、地方分権委員会の手で分権化が進められた。前者の地方自治の憲法的保障は、それを提唱した 世界地方自治宣言の影響も受けたものであった。また、後者の地方分権推進法・地方分権委員会という分権改革 ︵28︶ を推進する方式は、日本の方式をかなり参考にしたという。この日本の方式の影響は、韓国の分権化においても 見られた。 また、次のような、背景・要因も指摘されている。すなわち、地方分権ないしは分権改革の根本的で内在的な 原動力は、強圧的な抑圧的政治体制の終焉と民主化の高波であるが、しかし、分権改革を加速化している背景に は、一九九七年のタイ・バーツの暴落に始まった経済危機による公共部門のダウン・サイジング︵中央政府が財 政逼迫のため、その負担の軽減を図ろうと財源の裏づけなしに地方へ事務を移譲すること︶があるという。さら ︵2 9︶ に、分権改革の加速化には、民主化が過熱化・先鋭化することを沈静化しようとする狙いもあるとされる。前者 のダウン・サイジングは、以下でもふれるように、財政危機にみまわれてきた西欧諸国や日本にも見られること である。
なお、民主化についてもいえるように、分権改革の加速化には、いわば分権化が分権化を誘引するという側面 があるといえる。すなわち、首長や地方議員の直接選挙がかなり自由で公正に行われ、権限や地位の拡充が進捗 すると、よし、それは利益誘導であるといわれようと、支持︵得票︶の拡大を図るためにより事務権限や税財源 などのさらなる移譲を求め始めることである。このことは、我が国の世紀末にける分権改革後の状況が示すよう に、分権化は一度で完了するものでなく、数次︵段階︶にわたるものであることを意味する。 むすびに 以上、西欧諸国、日本、東アジア・東南アジア諸国における地方分権ないしは分権改革の背景・要因をみると、 中央政府が策定した画一的な政策や開発計画1それに基づく施策・事業1を忌避し、それぞれの地域の特性 や実情に応じた自主的な開発や地域づくりを求める声の高まりは共通しているといえる。これは、西欧諸国や我 が国の戦後における経済成長、あるいは国家主導型開発体制にあったアジア諸国の経済成長が、都市化による地 域的な多様化を促し、中央による統制的画一化の政策や計画の有効性を低下させたためといえよう。それに、グ ローバリゼーション︵経済のボーダレス化︶は、次の要因とあわせ、地域社会が自立的個性化を求める背景とな っているように思える。 また、前述したところであるが、西欧諸国では石油危機以降、我が国においては特にバブル経済の崩壊以降、 そしてアジア諸国では通貨危機以降とタイム・ラグをもって発生した財政危機も現れ方に相違が見られるものの、
東洋法学 二六一
アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二六一一 分権改革の背景・要因としては共通性を有しているといえる。西欧諸国では、大きな政府化において築かれた中 央・地方間の協同的パートナーシップ関係に生じた﹁実行または統制の不足というジレンマ﹂の解消を図ろうと いう形で、我が国では、世紀末の分権改革で手がつけられなかった税財政改革が﹁平成の大合併﹂と小泉内閣に よるいわゆる﹁三位一体改革﹂という姿をとり、そしてアジア諸国では、公共部門のダウン・サイジング化とい うようにである。 しかしながら、それぞれには、かなりの相違も見られる。西欧諸国の地方分権には、欧州連合︵EU︶の形成 が強い影響を与えていると言ってよさそうである。これに対して、我が国とアジア諸国は、ともに官僚的な中央 集権的行政システムをとってきたことは類似的であるが、決定的な相違点は、民主化と分権化の連関性にある。 我が国は、戦後改革によって民主化と分権化にひとまず決着をつけ、まがりなりにも議会制民主主義に基づく政 治を展開してきた。だから、世紀末の地方分権改革は、かかる民主主義体制における地方自治を新たな時代状況 にあわせ拡充しようとする構造改革であるとしたわけである。これを構造改革型分権化としよう。ところが、国 家主導型開発体制下のアジア諸国は、形式的には議会制民主主義の建前をとりつつも、実質的には開発独裁など ど称されてきた権威主義体制であった。だから、かかる体制の崩壊の反面となった民主化は、実質的な民主主義 体制の蘇生あるいは創建であり、その一環として地方分権ないしは分権改革が行われることになったのである。 これを民主化型分権とする。かくして、我が国とアジア諸国との分権化の間には、官僚的な中央集権的行政シス テムの機能障害ないしは制度疲労に対する改革という共通面があるようにみえながら、それは全く位相を異にす
るものだといえるわけである。 しかし、そうだとしても、アジア諸国の地方分権ないしは分権改革は、定着することができるであろうか。そ れは、民主化の動向いかんにかかわるであろうが、分権化そのものの観点からすると税財政改革が、特に基礎的 自治体︵市町村︶レベルの税財源の拡充が必須といえる。というのも、我が国の地方自治も長く﹁三割自治﹂と 言われてきたが、筆者が訪問調査したアジア諸国の基礎的自治体の自主的な税財源は三割にも満たないコ割∼ 二割自治﹂状態にあるからである。 いずれにしろ、本稿の整理が荒々であることは、十分に承知している。それゆえ、今後、改めて比較の観点か ら、西欧諸国と我が国の地方分権ないしは分権改革を再点検する一方、アジア諸国のそれを再・追調査すること によって、両者の共通性と相違性を緻密化することにしたい。 ︵1︶ パ ハ パ
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拙稿﹁戦後・韓国の地方自治制度の今日﹂﹃東洋法学﹄第四七巻第三号、二〇〇四年二月、同﹁タイの地方自治制 度改革ー状況と間題点﹂束洋大学アジア文化研究所﹃研究年報﹄第三九号、二〇〇五年二月、同﹁台湾の地方自治 制度−歴史と状況﹂﹃東洋法学﹄第四九巻第一号、二〇〇五年九月、同﹁インドネシアの地方自治制度と分権化﹂ 東洋大学アジア文化研究所﹃研究年報﹄第四〇号、二〇〇六年二月。 西尾勝﹃未完の分権改革﹄岩波書店、一九九九年、六一∼六二頁、一〇八∼二二頁。 ヘッセ編、木佐茂男監修・北海道比較地方自治研究会訳﹃地方自治の世界的潮流 ヘッセ“L・G・シャープ﹁結論”国際的視座から見た地方自治ー比較考察﹂、 法 学 ︵上︶﹄信山社、一九九 J・J・ヘッセ編、前 二六三︵5︶
((
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))
︵8︶ パ パ109
) ) パ パ パ パ ハ ハ パ パ パ 19 18 17 16 15 14 13 12 11 ) ) ) ) ) ) ) ) 以下、岩崎育夫﹁ASEAN諸国の開発体制論﹂、同編﹃開発と政治﹄アジア経済研究所、一九九四年、六∼一一 ﹂・﹂・リンス、高橋進監訳﹃全体主義体制と権威主義体制﹄法律文化社、一九九五年。 松下圭一﹃日本の自治・分権﹄岩波新書、一九九六年、五四∼五七頁。 兼子仁・村上順﹃地方分権﹄弘文堂、一九九五年、皿−四、を参照。 この点については、拙著、前掲書、第五章第三節、を参照されたい。 いずれも﹃自治研究﹄第七二巻第一号と第七二巻第五号、一九九六年、に収録の資料による。 拙著﹃戦後日本の地域政治﹄敬文堂、一九九七年、三九一頁。 新川達郎﹁日本における分権改革の成果と限界﹂、山口・山崎・遠藤編、前掲書、一六六∼一六九頁。 ) 臨時行政改革推進審議会室監修﹃行革審・全仕事﹄ぎょうせい、一九九〇年、所収。 一次ー第十九次﹂を参照されたい。 神戸都市間題研究所編﹃戦後地方行財政資料・第一巻﹄勤草書房、一九八四年、所収の﹁地方制度調査会答申・第 西尾、前掲書、一〇二頁。 ローバル化時代の地方ガバナンス﹄岩波書店、二〇〇三年、による。 以下、M・キーテング、津田由美子訳﹁ヨーロッパ民主主義諸国における分権化傾向﹂、山口・山崎・遠藤編﹃グ ∼七〇頁、七五頁、九一∼九二頁。 工藤裕子﹁イタリアの地方政府システム﹂﹃広域地方政府のシステム提言﹄総合研究開発機構、二〇〇五年、六九 久通良子﹃フランスの地方自治制度改革﹄早稲田大学出版部、二〇〇四年、七一頁および九三∼九四頁。 一九九四年一一月、これには、原文訳も付されている。 廣田全男・糠塚康江﹁﹃ヨーロッパ地方自治憲章﹄﹃世界地方自治宣言﹄の意義﹂﹃法律時報﹄第六六巻第一二号、 一九九七年三月の本論・第二。 掲書︵下︶、五九九∼六〇八頁、また、同論文をべースにした﹃地方分権の国際比較﹄神奈川地方自治研究センター、 アジア諸国の分権化要因に関する一仮説 二六四 頁、あわせ同﹃アジア政治を見る眼﹄中公新書、二〇〇一年、第六章、を参照されたい。ハ パ パ