2020 年ロシア憲法改正の射程
─プーチンの政治的遺産
永綱 憲悟
はじめに
2020 年前半にロシアで進行した憲法改正プロセスは奇妙な展開を辿った。 始まりは、議会権限の少しの拡大と大統領任期の限定についての、プーチン のわずかな示唆であった。終わってみれば、大統領権限の拡張とプーチン への再出馬権の付与、さらには対外主権の強調と集権的垂直統治の貫徹を含 み、全体を保守愛国理念で飾る憲法大改正となった。改正された条文の数は 全体の 3 分の 1 に及び、しかも異例の(かつ超法規的な)国民による賛意投 票を伴うものであり、実質上、現行のエリツィン憲法にかわる、新しいプー チン憲法の誕生と言いうるものとなった。ただし内容から見れば、普遍的な 人権と自由の保障を含むエリツィン憲法の骨格部分(第 1、2 章)には手を 付けなかったために、一つの憲法の中に、相反する原則─単純化していえ ば民主主義および国際協調主義の原則と権威主義および国家主義の原則─ が同居する混合的な憲法体制となった1)。 プーチンは、改正の骨格がほぼ固まった 3 月 6 日の時点で、国家会議(以 下、下院)会派指導者たちを前にして、今回の改正で、社会保障拡充など 「皆さんと私たちが」達成した事柄が憲法に書き込まれ、それは「おそらく は 50 年にわたり固定され」、将来の国家指導世代により実行されることにな るだろう、と改憲の長期的影響への期待を語っていた2)。同じ文脈で、政府 系シンクタンク社会調査専門研究所(EISI)の政治アナリスト、クズネツォフ(Gleb Kuznetsov)は、今回の改憲は 2024 年以降の政治安定のために、 プーチンが自身の「政治的遺産 politicheskoe nasledie」を憲法に確定しよう としたものと解釈していた3)。逆に改憲を全面批判する側も、この改憲が国 の保守的転換を固定化しようとするものであり、「プーチンの政治的遺産」 と位置付けていた4)。 プーチンが任期切れの 2024 年以降どのような地位に就くか(その問題も 本稿で検討する)にかかわらず、今回の改憲が、プーチンの 20 年間の統治 の集大成的意味合いを持つことについては、改憲推進派も反対派も一致して いるということになる。その集大成としての改憲の内容はどのようなものと なったのか。本稿では、改憲成立後の関連法改正にもいくらか言及しつつ、 改憲の射程を探ることとしたい5)。それは「プーチン個人統治体制」の特質 を確認する作業でもある。以下、改正内容とそれに関するプーチン発言に焦 点を当て、[1]国家機関問題(大統領権限強化・集権的統治の貫徹・対外主 権の強調)、[2]理念問題(保守愛国主義の喧伝)、[3]社会保障問題の順に 論じ、最後に[4]2024 年以降のプーチンのポストについて考察することと する。なお本稿で詳述できない改憲プロセスの主要事項を整理したものが表 1 である。適宜、参照されたい。
[1]国家機関問題─大統領権限強化・集権化・主権強調
そもそも今回の改憲は、「公的権力の組織と作動の諸問題整序の完成につ いて」というタイトルをもった法律採択という形式で実施された6)。つま り、権力機関の権限と相互関係をどう整えるかというのが改憲の第一の課題 であり、プーチンも 2019 年 12 月の大記者会見で改憲を示唆したさいには、 「議会権限の拡大」と「大統領任期」を検討課題としてとりあげていた7)。 翌 2020 年 1 月 15 日、年次教書演説最終部分でプーチンはこの国家機関問題 を中心に 7 項目にわたって改憲課題を示し、これがほぼそのまま改憲条文の 骨格となるのである8)(表 2 が教書演説での改憲提案の要点である)。本節では、このうち、< 3 >の後半(社会保障関連)をのぞく部分について、そ の内容を、改憲条文も適宜確認しつつ検討する。 表 1 2020 年ロシア改憲プロセス(主要事項時系列整理) 西暦 月日 主要事項 2019 12.19 プーチン、定例大記者会見で改憲を示唆。 2020 01.15 プーチン、年次教書で改憲 7 項目を提示。同日、大統領諮問機関として 改憲作業グループ編成。 01.20 改憲法大統領第一草案を下院に送付。 01.23 下院、改憲法第一読会(基本概念)採択(全会一致)。 02.13 プーチンと改憲作業グループ第二会合。 02.26 プーチンと改憲作業グループ第三会合。 03.05 改憲法大統領第二草案を下院に送付。 03.10 プーチン、下院登壇(大統領既存任期ゼロ化了解)。 同日、下院、改憲法第二読会採択(共産党議員 44 名棄権)。 03.11 下院、改憲法最終採択(共産党議員 43 名棄権)。 同日午後、連邦会議(上院)、改憲法承認(反対 1 名、棄権 3 名)。 03.12 地方議会、法案審議開始。13 時までに 65 議会が承認。14 日までに全 85 地方議会が承認。 03.14 大統領による改憲法案署名。同日、憲法裁判所に送付。 03.16 憲法裁判所、改憲法合憲判決。 03.17 大統領令(4 月 22 日を改憲への国民の賛否を問う「全ロシア投票日」と する)。 03.25 大統領令(新型コロナウィルス感染症拡大により、投票日を延期)。 あわせて 3 月 28 日より全国休業、国民に自宅滞在を指示。 06.01 大統領令(7 月 1 日を新たな投票日と設定)。 06.25 期日前正規投票開始。 07.01 全ロシア投票実施(投票率 69.97%、賛成率 77.92% で改憲成立)。 07.03 大統領令(7 月 4 日より改正憲法施行)。 ( 出 所 ) < Interfax>, https://www.interfax.ru/chronicle/izmenenie-konstituczii.html 他。 詳 細 は、 拙 稿 「2020 年ロシア憲法改正プロセス─プーチン個人統治体制の完成」『亜細亜大学アジア研究所紀 要』(2021 年 3 月刊行予定)を参照。
[1 - 1]大統領権限の強化 プーチンは今回の改憲で大統領がその権限の「かなりの部分を議会に渡し ている」とし、大統領権限は現行より制限されたと主張した9)。またとくに 改憲プロセスの全貌が不明であった初期の段階では、議会権限強化を歓迎す る議論が多数あった10)。しかし、採択された改正憲法では議会権限強化は ほぼ皆無であり、逆に多くの点で大統領権限の強化がみられることとなっ た。重要な順に確認しておこう。 (1)治安閣僚に対する大統領の制御権強化 これまでも連邦法および慣例レベルでは、治安閣僚は、首相ではなく、大 統領の直接指揮下にあった。今回、それが憲法レベルで確定された(83 条 д1)[改正憲法条文。以下数字はすべて同様]11)。治安閣僚とは、改正憲法 規定によれば、「国防、国家治安、内務、法務、外務、緊急事態防止および 災害被害除去及び社会保安」を管轄する連邦執行機関指導者のことである。 表 2 プーチン 2020 年教書における改憲 7 項目 (要点/①、②、・・・は筆者による区分) < 1 >国際法、国際機関決定に対する憲法の優先。 < 2 >①上下院議員、首相、副首相、閣僚、裁判官、知事の外国永住権保持禁止・②大 統領資格(25 年以上ロシア居住/外国永住権の所持歴なし)・③大統領任期(生涯通算 二期までに限定) < 3 >①「公的権力の統一的システムの原則」確立(国家機関と自治体機関の効果的相 互活動樹立)・②最低生活費以上の最低賃金・③年金の定期的な物価スライド調整。 < 4 >「国家評議会」の地位と役割を憲法で規定。 < 5 >①下院による首相候補・副首相および閣僚候補の承認。大統領は下院が承認した 副首相および閣僚候補者を拒否できない。 ②大統領は政府活動の任務と優先事項を定め、首相、副首相、大臣の解任権も持つ。 また軍およびすべての治安機構に対する指導権を大統領は保持する。 < 6 >武力省庁指導者(地方検察を含む)の任命は、連邦会議との協議後に、大統領が 行う。 < 7 >①名誉を棄損した、あるいは執務不能となった憲法裁判所及び最高裁判所裁判官 を大統領提案にもとづき上院が解任。 ②議会採択の法律案について大統領要請に基づき、憲法裁が合憲性審査。 (出所)< Kremlin>, 20/01/15, news/62582 なお拙稿(アジア研究所)に同様の、やや詳細な表を 掲載。
プーチンの年次教書での説明によれば、広大な国土、複雑な民族領域構成、 多様な文化歴史伝統を有するロシアは、「強い大統領共和国」でなければな らず、このため大統領は軍とすべての法治安システムの指導権を保持すべき であった。それを前提としたうえで、プーチンは「いわゆる武力省庁」指 導者任命のさいに、連邦会議(以下、上院)と「協議 konsul ‘tatsyia」を行 うという規定を加えた12)。しかし「協議」が何を意味するか定かではなく、 改憲作業グループ会合では、上院が「同意」を与えるにすべきという提案も なされた。だがプーチンはその提案を退け、治安閣僚が公の場で自分の仕事 について説明することの画期的意義を強調し、それが大統領をも制限すると し、「第一段階」では、これで十分と応答した13)。 これに加えて、検事総長及び次長について、これまでは上院に任免権が あったが、改憲により、こちらも上院との「協議」後、大統領が任命するこ ととなり、罷免については、「協議」も不要となった(83 条 е 1)。実は、今 回の改憲法の下院第一読会向け大統領第一草案では、この部分は手を付けら れておらず、従来通り、上院に任免権が残されていた14)。その後、下院第 二読会向け草案審議プロセスにおいて、下院の国家建設立法委員会での審議 の結果、検事総長及び次長の任免権を大統領に与え、上院には任命の際の 「協議」権のみ残されることとなった。同委員会委員長(同時に改憲作業グ ループ共同議長)のクラシェンニコフ(Pavel Krashennikov)によれば、そ れは他の治安閣僚任命手続きに合わせたものであった。だが上院の有する検 事総長任免権は、状況次第で、大統領権限を抑制するものであり、90 年代 末にエリツィンが自身の周辺の汚職疑惑を捜査する検事総長解任を企て上院 に阻止されるという経緯を持つ権限であった15)。 教書や第一草案で言及されていなかったこの修正が途中段階で行われたの はなぜだろうか。二つの解釈がありうる。一つは、上院権限が増すことを 嫌った下院側がイニシャチブをとって修正したというものである。もう一つ は、議会の権限を減らすこととなるこの修正をプーチンが当初段階では隠 し、後日、自らが直接関与しない局面で実施させたという理解である。明確
な根拠を示すことはできないが、後述の大統領既存任期の「ゼロ化(すなわ ちプーチンへの再出馬権の付与)」の改憲組み入れプロセスと合わせて考え ると、プーチンが当初は意図的に伏せておいたと見るほうが自然のように思 える。さらに推論すれば、治安閣僚任命における上院の「協議」という仕組 みそれ自体が、実は検事総長・次長任免権を上院から奪うための布石であっ たという解釈さえ可能かもしれない。いずれにせよ、大統領は憲法上でも、 検察を含む治安諸機関を全面的に制御する権限を得たのである。 (2)裁判官に対する制御 まず憲法裁判所(以下「憲法裁」)および最高裁判所(以下「最高裁」)の 長官・副長官について、連邦法に規定されていた、大統領による候補者提 案権が憲法上の権限となった(83 条 e /なお、提案された候補者の任命は、 現行通り、上院権限である)。また大統領は、裁判官としての名誉と尊厳を 毀損した憲法裁、最高裁、上訴審の裁判官(長官と副長官を含む)につい て、その職務停止を上院に提案できることとなった(83 条 e 3)。これまでは 裁判所内部での対応であり、裁判官解任プロセスに大統領が関与することは なかった。また憲法裁裁判官の定数が現行の 19 人から 11 人へと減らされた (125 条 1 項)。さらに 2020 年秋に採択予定の憲法裁判所法では、裁判官が 少数意見を公表することが禁じられ、一方、憲法裁長官には憲法裁裁判官以 外の者が就任する可能性も認められることとなった16)。いずれも裁判官の 独立性を弱め、大統領への依存を強める改正であった17)。 (3)議会との権限関係 まず上院との関係でいえば、上述の通り、治安閣僚任命のさいの「協議」 権を与える一方で、検事総長・次長の任免権を奪った。その一方で上院議員 任命については、直接選挙などの導入はなく、連邦構成主体(以下「地方」 と記す)議会および地方行政府の代表という規定が維持された。のみなら ず、2014 年改憲で導入された、大統領任命による「連邦代表」枠が定員の 1 割以内(およそ 17 名以内)から最大 30 名へと増員された。そしてその大統 領任命の上院議員のうち最大 7 名を「終身上院議員」とすることができるよ
うになった(95 条 2 項)。終身上院議員は「国家及び社会活動領域において 国にとって傑出した功績を有する市民」を任命することされた(95 条 5 項)。 総じて大統領の上院に対する影響力は強化されたとみなしうるであろう。 ついで下院についていえば、まず首相任命に関して、これまで「同意 soglasie」を与えるとされていたものが、「承認 utverzhdenie」へと改正され た(103 条 1 項 a)。プーチンは年次教書で「下院に首相候補者の同意のみで なく承認を委ねる」と誇らしげに語ったが、「同意」と「承認」がどう異な るのか何の説明もなかった18)。首相候補者の提案は従前通り、大統領より なされるものであった。のみならず、最終的な改憲条文では、これまで下院 が 3 回「同意」を拒否した場合、大統領は必ず下院を解散し、新選挙を行う こととなっていた。ところが改憲により、大統領は「下院を解散し、新選挙 を行うことができる」とされ、解散は義務ではなく大統領の有する選択肢の 一つとなった(111 条 4 項)。つまり、大統領は、最終的に下院の意向を無 視して自らの望む首相を任命し、それについて国民に問う義務もないという こととなった。しかも大統領判断での首相任命後 1 年間、下院は政府不信任 権を封じられた(117 条 6 項)。文字上は、「同意」が「承認」となったが、 手続きの実質から見れば、首相任命についての下院の影響力は減少したので ある。 さらに上下両院にかかわる部分では、両院が任命する、会計検査院長官、 副長官および検査官について、これまで大統領の関与は規定されていなかっ たが、改正により、「大統領の提案に基づいて」、各院で任命することとなっ た(83 条 e4)。より重要なのは、大統領による法案署名プロセスの修正であ り、今回の改正で、大統領は議会(上院および下院)が採択した法案につい て、必要であれば、署名前に憲法裁に憲法適合性判断を求めることができる こととなった(107 条 3 項)。とくに連邦憲法法律─国家機構上の重要問 題についての法律であり、特別多数決での採択が憲法上要請されている法律 ─について、いったん両院で採択された場合、これまで、大統領はその署 名を拒否することができなかった。だが改正憲法によれば、こちらについて
も大統領はいったん署名プロセスを停止し、憲法裁に対して憲法適合性判断 を求めることができることとなった(108 条 3 項)。総じて、プーチンの主 張とは裏腹に、改正憲法において、議会の権限は弱まり、大統領権限が強化 されたといえよう。 (4)大統領と首相政府 これまでも首相政府は大統領の指揮下にあり、大統領の意向次第でいつで も解任(総辞職)される立場にあった。改憲により首相政府の大統領への 従属はより強化された。まず大統領に対する「首相の個人的責任」が明記さ れた(113 条)。またこれまで大統領は、政府全体の解任権を有していたが、 これに加えて、首相一人を単独で解任する権利を得た(83 条 a および в 1)。 さらにこれまで副首相および閣僚の罷免は、「首相の提言に従って」大統領 が行うものであったが、改憲により、大統領単独判断での罷免が可能となっ た(83 条 в 1)。 一方で、首相の選んだ副首相及び閣僚候補者を議会が承認した場合、大統 領は「その任命を拒否する権利を有しない」とした(112 条 3 項)。これが 議会権限の強化例としてあげられたものであり、プーチンも教書演説でこれ を強調し、議場からの喝采を得た19)。しかしこの規定はいったい誰にどん な権限を与えたことになるのだろうか。かりに下院が首相の提示した副首相 及び閣僚候補者を拒否し続けた場合、大統領は、首相任命時同様に、その候 補者を任命し、必要であれば下院を解散するだけである(112 条 4 項)。一 方、首相が下院と結託して、大統領が絶対望まない副首相・閣僚候補者を提 案した場合どうなるか。大統領は、いったんその候補者を職につけ、その のち解任する、そのさい必要があれば首相も解任するだけであろう。そもそ も、それが分かっている首相が大統領の絶対望まない候補者を提案するメ リットは皆無であろう。結果的に、この規定の意味するところは、任命され た副首相・閣僚について、それに関わった下院にも一定の責任を負わせ、下 院が首相と緊密に協力して政策実現を図ることを求めたというにすぎず、大 統領の権限はこれにより少しも弱まらないとみるべきであろう。
以上のように、今回の改正では、治安関係閣僚、検察、裁判所、議会およ び首相政府に対してこれまでプーチンが行使してきた実質上および連邦法上 の権限を憲法に明記し、さらにそれを強化したという側面が強い。改憲作業 グループでは「大統領による憲法順守義務」をより明確に規定すべきという ような発言もあったが取り上げられることはなかった20)。表向き、議会権 限の強化が語られながら、実際にはそれが弱まり、大統領権力が強まるとい うのは奇異なことではあるが、詰まるところ「強い大統領」の必要性をプー チンが信じ、ロシアの政治幹部多数もそれに同調しているとすれば、当然の 帰結でもあった。 [1 - 2]集権的垂直統合の貫徹 プーチンは、就任以来、90 年代に地方が有していた権限を縮小させ、中 央集権化を進めてきた。知事の上院議員兼職の廃止、大統領による知事解任 権の強化、連邦管区制による知事監督、知事公選制の廃止(その後不十分な 形で復活)といった方策により、それは推進されてきた21)。それは地方行 政の乱脈抑制、そして法の全国的統一実現に寄与した。だが同時にそれによ り、自立的な政治勢力が衰弱し、自由な政治競争空間が狭まるという結果も もたらしてきた。 今回の改憲では、地方検察について、この流れに沿って集権化を進めた。 そもそも地方検察について、93 年憲法では「地方の同意」を得て、「検事総 長」が任命するとあったものを、2014 年改正により、「検事総長の提案によ り、連邦構成主体の同意を得て、大統領が任命する。また大統領により解 任される」と大統領による任免権を強化していた(129 条 3 項)。今回、こ れをさらに推し進め、地方検察についても、検事総長・次長の任命同様に、 「連邦会議との協議の後」、大統領により任命され、また協議なしに大統領に より解任できることととなった(83 条 е 1および 129 条 4 項)。地方の直接 関与機会も、また検事総長による提案もなくなり、大統領による検察の集権 的一元管理が確定した。
さらに、基礎レベルでの住民主体の行政統治単位である「地方自治」につ いても、今回の改憲により、その自律性を弱め、連邦政府統治へ組み込むと いう方策がとられた。そもそも現憲法は、地方自治の独立性を尊重し、「地 方自治機関は、国家権力機関22)の体系には含めない」と規定していた(12 条)。この 12 条は第 1 章「憲法体制の基本」に位置しており、その改正は容 易ではなかった。そこで持ち出されたのが、地方自治機関も国家権力機関も 「公的権力の統一システム」に入る(132 条 3 項)というロジックであった (これを早期から主張していたのは憲法裁長官のゾリキン(Varerii Zor’kin) である23))。そしてこのロジックにより、連邦が「公的力の組織化(71 条 4 項)」を担い、大統領が「公的権力体系に含まれる諸機関」を調整すること とされたのである。 プーチンは、改憲作業グループとの会合で、自治体が国の公的権力の統一 的体系に入っていないために財政の不透明な流れが生じるとして、国家機 関と自治体機関との協力の合法的枠組みを作るべきと説明した24)。しかし 憲法レベルで言えば、現状でも、地方自治機関には連邦法順守義務(14 条) があり、適切な立法と現場履行があれば、自治体行政の改善は可能であっ た。むろん、たとえば住民の医療行政について、地方自治体が十分な対応を なしえず、一方、地方政府機関が管轄外として放置するというような事態は 是正さるべきものであり、作業グループ会議において小児外科医の権威者ロ シャリ(Leonid Roshal’)が繰り返し訴えたことでもある25)。おそらく問題 は自治体にどのような権限と財源を渡し、地方政府との連携関係を築くかと いう行政連携体制の構築にあった。改憲議論では、そうしたことよりも垂直 的、集権的、一元的な統治体系の形式作りが優先された。このため、最終的 には、「国家権力機関は、地方自治体の形成および地方自治体の職員の任命 および解任に参加することができる」(131 条 1 1項)という前掲 12 条との 整合性がつよく疑われるような条項も出現することとなったのである。 この他、通常の地方区分に属さない、連邦直属の「連邦領域」創設(67 条 1 項)も中央集権化の一環であろう。さらに 2020 年秋に新たに制定され
た国家評議会法においても、地方および自治体を「公共的権力体系」のもと に中央集権的に一元管理するという姿勢が明記されている26)。こうして 93 年憲法が本来想定していた連邦制、自律的な地方自治の原則はほぼ換骨奪胎 化されつつあるといえよう。 [1 - 3]対外的主権強調(国際機関決定に対する憲法の優位性およびエリー トの国民化) 国家機関に関わる改憲内容の第三は、「主権の強化」と呼ばれる項目であ る。まず国際法、国際機関と憲法の関係について確認しよう。現行憲法は、 条約は法律を凌ぐが、憲法は条約に優先するという一般的な優先順位を定め ている(14 条 4 項/ 79 条/ 125 条 6 項)。今回の改正では、条約に基づき 自ら参加している「国際諸機関の決定が憲法に反する場合、ロシア連邦にお いて執行されない(79 条後段追加)」とし、その判断権を憲法裁判所に与え た(125 条 5 1項)。 こ れ は、 ゾ リ キ ン 憲 法 裁 長 官 が 早 く か ら 唱 え、 バ ス ト ル ィ キ ン (Aleksandr Vastrykin)検察捜査委員長が同調し、2015 年 7 月には欧州人権裁 判所の課した旧ユコス株主への賠償 19 億ユーロ支払いを否定する形ですで にロシア憲法裁が判決根拠とし、同年 12 月には憲法裁法改正(104-1 条追 加)で連邦法レベルで確立していた方式であり、今回それを憲法規定に格上 げしたということを意味する。国際法上は、国内法制を理由に加盟国が条約 上の義務を回避することは本来できないが、同時に、欧州人権裁判所などの 国際司法機関がその決定を履行させる強制力を有しているわけでもなかっ た27)。それゆえ今回の改憲が直ちに国際司法機関とロシアとの全面衝突を 生むわけではない。だがロシアの履行拒否が増えれば、一方で条約が空洞化 し、ロシアへの特に欧州からの非難が高まり、他方でロシア憲法 46 条 3 項 がロシア市民に認めている国際機関への人権問題での提訴権と新規定との間 の憲法内矛盾が表面化してくる可能性もあるだろう。 ついで国家機関指導者について、外国との関りを制限する規定が設けられ
た。現憲法では、ロシアの一般市民は、「外国の国籍(二重国籍)」を保持で きる(62 条)。これに対して、今回、憲法規定としては初めて、連邦機関指 導者および知事について「外国永住権」および「在外外国銀行口座」の保 持を禁じた(なお、選挙法や裁判官法などではすでに同様の禁止規定があっ た)。これを整理したものが表 3 である。 教書及び第一草案の段階では、永住権のみの規制であったが、第二草 案審議段階で、外国銀行口座保持規制が加わった。エリートの国民化 (natsionalizatsiya)と称されたこうした規制はプーチンが求めたものとされ ていた。そしてさらに、外国不動産についても保持を禁止すべきという議論 があったが、実際的ではない─ 2018 年のデータで 26 名の下院議員もし くはその家族が海外不動産を所有もしくは使用していた─ということでそ れは見送られた28)。 国家機関の在り方とは直接かかわらないものの、主権強調の文脈で取り扱 うべき改正条項が「領土割譲呼びかけの禁止」である。この規定は、プーチ ンの教書にも第一草案にも含まれていなかった。審議プロセスから言えば、 第二草案審議の中で─後述の「保守愛国諸規定」の一部として─提出さ れたものである。改正条文は以下の通りである。 表 3 ロシア国家機関指導者資格制限(憲法規定) 条文 年齢規定 ロシア居住歴 外国永住権 在外外国銀行口座 大統領 81 条 2 項 35 歳以上 25 年以上 不可# 不可 連邦会議議員 95 条 4 項 30 歳以上 永続的に居住 不可 不可 国家会議議員 97 条 1 項 21 歳以上 永続的に居住 不可 不可 首相・大臣ほか 78 条 5 項 憲法規定なし 憲法規定なし 不可 不可 検察 119 条 憲法規定なし 憲法規定なし 不可 不可 裁判官 129 条 25 歳以上 永続的に居住 不可 不可 知事 77 条 3 項 30 歳以上 永続的に居住 不可 不可 #過去の所持も不可。ただし、現在ロシアに組み入れられた地域の以前の市民権は可。なお、旧ソ 連諸国の市民権所持歴は不可。 (出所)改正ロシア連邦憲法全文、< Kremlin>, http://www.kremlin.ru/acts/constitution.
第 67 条第 2 1項 領土の一部の譲渡にむけた行動─隣接諸国家とロシ ア連邦との国境の限定、画定、再画定をのぞいて─、およびそのような 行動の呼びかけは許されない。 こ の 規 定 に つ い て は 俳 優 で 舞 台 監 督 で も あ る マ シ コ フ(Vladimir Mashkov)が改憲作業グループ会合で、「クリール諸島、クリミア、カリー ニングラード」を具体例にあげて譲渡禁止を訴えたことでよく知られてい る29)。プーチンはこの提案を受けいれつつ、「パートナー国との協議」が必 要と述べ、また「外務省の(とくに旧ソ連諸国との)国境画定に関する仕 事」を害しないようにすることが大事であるという留保をつけた30)。この 留保はそのまま条文に反映されている。 なお、2020 年 3 月末に政府系調査機関 VTSIOM の世論調査によれば、対 外主権強調の改正項目について、憲法に書き込むことが重要と考える者の 割合は、「領土割譲呼びかけ禁止」については 87%、また国家機関指導者の 「外国永住権」および「在外口座所持」の禁止については 83% であったのに 対して、国際法よりも憲法を優位とすることを重要とする者は 74% であっ た31)。
[2]理念問題─保守愛国主義の喧伝
保守愛国主義の諸規定は、年次教書や第一草案では皆無であり、第二草案 の審議段階で突然登場してきたものである。本来的な立法手続き─第一草 案で確定された基本概念に基づき第二草案を構築する─の考え方からすれ ば、これは奇異な展開であった。しかも草案提出者の大統領自身がそうした 大修正を提案するというのも奇妙であった。さらに付加された保守愛国規定 は憲法の第一章、二章の基本理念と衝突しうるものであり、総じて、立法手 続きのねじれ、大統領見解のねじれ、憲法規定内部のねじれという、いわば三重の意味でねじれた奇怪な事態が発生していた32)。 一歩間違えば改憲プロセスに大混乱をもたらしかねない、このような展開 をプーチンが当初から意図的に目論んでいたとは思えない。だが、保守愛国 提案を競って披露したのは、彼が任命した作業部会メンバーであった。そし て、それらの提案はプーチンが自身の周辺に置いた幹部層の発想にも合致す るものであり、またプーチン支持派国民にも歓迎されるものであった。改憲 投票での支持を増やすためにも、プーチンは、過剰なイデオロギー傾斜を適 宜抑えつつ、これら保守愛国提案の憲法組み入れを許容した。こうして、保 守イデオロギー的な装飾が改憲に加わることとなったのである。 当初、前文に置かれる予定であった保守愛国提案は33)、第三章「連邦構 造」の 67 条(連邦領域についての規定)のあと、新たな条文追加の形で改 憲に組み込まれた。表 4 はその骨子である(< >内は現憲法での規定の継 承/[ ]は引用者による補足/下線は引用者による強調)。以下、主な論 点 4 つについて詳述する。 [2 - 1]神への言及 まず、最も論議を呼んだのは、第 67 1条第 2 項の「神」についての言及で ある。というのも、憲法第 14 条は、ロシアを世俗国家とし、宗教団体と国 家の分離を謳っていたからである。改憲規定に「神への言及」を加えるこ とを最初に求めたのは正教会総主教キリル 1 世であった。総主教は、国民多 数が、正教徒以外も含めて、神を信じていること、また国歌の歌詞にすで に「神」への言及があることをその理由とした34)。これを作業部会共同議 長の一人クリシャスが支持し、前文への書き込みを示唆したのが発端であっ た35)。ところが大統領付置・人権評議会副議長で作業グループの一員でも あったキルコラ(Irina Kirkora)は即座にこれを批判し、国民の中には無神 論者もいること、また憲法基幹部分に矛盾することを指摘した36)。さらに もう一人の共同議長クラシェニンニコフも、法文書に記載があってもなくて も、「神は魂の中にある」として、憲法に規定することに反対した37)。
一方、ロシア共産党議長ジュガーノフは、「聖書の主題は共産主義イデオ ロギーの一部」にもなっているとして容認の姿勢を示した38)。また、イス ラム、カトリック、ユダヤ教ほか多数宗教の代表からなる宗教合同評議会 は、憲法での神についての言及を支持するという声明を出した39)。こうし て社会内の見解対立が明らかになるなかで、最終決定はプーチンに委ねられ ることとなり40)、改正条文のように、「我々に神への理念と信仰を伝えてき た祖先の記憶を保持し」というやや迂遠な形で神への言及が記載されること となった41)。社会学者ピピヤ(Karina Pipiya)によれば、1989 年に 17% で あった正教信者は、2019 年には 77% にまで増えており、その限りで憲法で の「神」への言及が支持される基盤はあった。しかしその一方で、強い信仰 表 4 保守愛国主義的改憲条文 第 671条[新規追加] 第 1 項 ロシア連邦はその領域におけるソ連邦の継承者である。 第 2 項 ロシア連邦は 、 千年の歴史で統合されており、我々に神への理念と信仰を伝え てきた祖先の記憶を保持し、またロシア国家発展における継承性を保持しつつ、歴史的 に形成されてきた国家の統一性を承認する。 第 3 項 ロシア連邦は、祖国擁護者を、敬意をもって追憶し、歴史的真実を擁護する。 祖国擁護における国民の偉功の意義を貶めることは許されない。 第 4 項 児童はロシアの国家政策の最重要優先事項である。国家は、児童の、全面的な 精神的、道徳的、知的、肉体的発展を促進し、児童の愛国主義、市民性、および年長者 への尊敬心の育成を促す。国家は、家庭教育の優先性を保障し、保護のない児童に対し て親の義務を果たす。 第 68 条[修正] 第 1 項 <ロシア連邦の全領域における国語は>、国家を形成する国民の言語としての <ロシア語である>。その国民は、同権諸民族からなる多民族同盟に入っている。 第 4 項[追加] 文化は多民族国民のユニークな遺産である。文化は国家によって支援さ れ、保護される。 第 72 条[修正] 第 1 項 ロシア連邦と連邦構成主体の共同管轄には以下が入る。 (71)[追加] [家族、母性、父性、子供の保護(前号(7)からの移動)];男と女の結 合としての結婚制度の保護;家庭における子供の尊厳ある育成のための、また成人した 子供による親の配慮義務実現のための条件の創出。 (出所)改正ロシア連邦憲法全文、< Kremlin>, http://www.kremlin.ru/acts/constitution.
心を持つとする者は 9%(主に高齢低収入女性)であり、教会が国家の決定 に影響を及ぼすべきではないとする人が 68% であった42)。改憲条文の曖昧 さは、このような国民の信仰意識を反映したものともいえるであろう。 [2 - 2]ロシア語の位置づけ ついでロシア語の位置づけに関する問題を取り上げよう。上記条文(第 68 条第 1 項)に明らかなように、もともと現憲法で「国語はロシア語」と 規定されていた。これに、ロシア語を形容する文言として「国家を形成する 民族」の言語という説明を付したのである。確認出来る限り、この提案は 2 月 13 日の改憲作業グループとプーチンとの会合で、在ロシア・ウクライナ 人団体の幹部のベスパリコ(Bogdan Bezpaliko)によって持ち出されたのが 最初である。ベスパリコは、過去のプーチンの発言に言及しつつ、一部地域 でロシア語の役割が減じられているとし、ロシア語を「全ロシアの国語」と し、各共和国言語を「共和国語」とする(現行では「国語」となっている) よう提案した。プーチンは趣旨に同意しつつ、憲法規定という文脈を尊重 し、慎重に対応すべきと回答した43)。2 月 26 日、プーチンと作業グループ との三回目の会合で、本条原案が提示され、結局、共和国の「国語」を規定 した 68 条の第 2 項はそのまま残された44)。 しかし、ロシア語を使う国民のみを「国家を形成する国民」とする規定 は、当然、民族共和国幹部の反発を招いた。タタールタン共和国ムフティー は、ロシア民族(russkie)が多数民族であり、その名前が国名となっている ことを認めつつ、ロシアの領域にロシア民族以外の多数の民族がいることを 指摘し、「我々、ロシア国民(rossiyane)もまたこの国家形成に貢献してき た」と主張した45)。他の民族共和国指導者からも異論が出るという予測も あったが、それ以上の反対は広がらなかった。上記の「神」の問題の争点 が、憲法規定に神概念を記載することの是非という、なかば抽象的な性格の ものであったのに対し、言語問題は規定の仕方次第で、非ロシア語住民の 大きな反発を招きかねない性格を有していた。保守愛国精神を打ち出しつつ
も、ロシア語住民偏重とならないような、微妙な記載がなされたように思え る。 [2 - 3]歴史的真実の擁護 上記 2 つが主に国内的な問題であったのに対し、歴史真実の問題は、対外 主張という側面を強く含んでいた。先に触れた「領土割譲禁止」同様、「主 権強調」の文脈でとらえるべき規定である。この提案を最初に唱えたのは、 他ならぬ改憲作業グループ共同議長の一人で、「国民的イデオロギー」の憲 法への書き込み提唱者の、政府系法学者ハブリエワ(Taliya Khabrieva)で あった46)。ハブリエワは、下院で第一草案が採択された 1 月 23 日の作業部 会で、「歴史の歪曲に対する防止と歴史記憶の保持」を憲法的価値に換え、 それを憲法前文に記載するよう主張した。これは、作業グループでの協議は 「プーチン提案の枠組みから外れない」47)という自らの当初の発言と矛盾す るものであり、他の共同議長にとっては驚きでもあった。彼女の発言に触発 される形で、「我らの偉大な勝利への称讃」「勝利大国としてのロシア」など の文言を前文に加えるべきとする見解が続出した48)。 もとよりプーチンは 2000 年代半ばごろから、「自国への誇り」を育てるよ うな教育が必要とし、愛国主義への傾斜を強めていた49)。改憲提案を行っ た 2020 年年次教書演説においても第二次大戦における「勝利についての真 実」を守る義務があるとしていた50)。だがそれを改憲内容に結びつけると いう発言はしていなかった。ハブリエワらは、プーチンの意を汲んで、ある いは自分の信念から(あるいは誰かに影響されて)自発的にこの問題をとり あげたように思える。 プーチンと改憲作業グループとの 2 月 13 日会合でこの件につき発言した のは統一ロシア党上院議員で国際問題専門家のプシコフ(Aleksei Puushkov) であった。プシコフは、ポーランドやバルト諸国などで、欧州を解放したの がもっぱら米国であるかのように、歴史の書き換えが起きているとし、憲 法前文に、「第二次大戦の勝利大国」としてのロシアという文言を入れるよ
う求めた。プーチンは自分がその問題について常に語ってきたし、歴史の 書き換えは有害であるとし、プシコフの見解に全面的に同意した。同時に プーチンは「それを憲法で書く必要があるか。書くとしたらどこでか。その ことを考える必要がある」と、プシコフ提言のそのままの実現にはやや疑 問を呈した。続けて発言した正義ロシア党上院議員ガリャチェワ(Svetlana Goryacheva)は、憲法 72 条(連邦と地方の共同管轄事項)に「歴史と偉 大な勝利への尊敬」を市民の間に生み出すような情報政策を含めるよう求 めた。一方、科学アカデミー世界史研究所所長チウバリャン(Aleksandr Chubar’yan)は、こうした発言すべてに賛同するとしつつ、提言された事項 を「憲法基準」とすべきか確信がもてないと留保した51)。 2 月 26 日のプーチンと作業グループとの第三会合では、本件のまとめ役 で下院教育委員会委員長ニコノフ(Vyacheslav Nikonov)─スターリンの 外相モロトフの孫で歴史学者でもある─により最終文案が提示された。そ れはほぼ改正条文に近いものであったが、「歴史の真実」の擁護に加えて、 「歴史偽造を許さない」とされていた。プーチンはこれを受け入れ、非常に 重要な提案であると評価した。だが、その後発言したチウバリャンが、歴史 偽造は許されないものだが、必ずしも偽造とはいえない多様な見解があるゆ え、「歴史理解の多様性を考慮したうえで」という限定をつけるよう提案し た。プーチンはこれを受け入れ、歴史解釈の多様性を認め、学問としての歴 史学を尊重するような文言とすることを約束した52)。おそらく、この結果 として、「歴史偽造」という単語が最終草案から消えたものと思える。愛国 理念を取り込みつつも、一気に極端な方向に向かわせないことで、大きな反 発や批判を防ぐ、しかし一定の地歩は築いておくというプーチンの政策手法 がここでも示されたように思える53)。 [2 - 4]伝統的家族政策 最後に国家と家族の関係である。ここでは主に二つの事柄が議論となっ た。一つは児童保護の問題である。これについては、すでに、現行憲法 7 条
に「家族、母性、父性、児童、障害者及び高齢者」への国家支援、38 条に 「母性、児童及び家族を国家の庇護のもとにおく」と謳われており、上述の 改正憲法第 67 1条第 4 項は実質上それを繰り返したものである。 ところが当初の案では、「児童は国家の重要な達成物」という文言が含ま れていた。これについて正教会側から、この記述は子供を家族から引き離す もので、むしろ西側的発想であるという批判がなされ、3 月 10 日第二草案 下院審議最終日に、「児童はロシアの国家政策の最重要優先事項である」に 修正されることとなったのである54)。家族や児童の保護は、主として、社 会政策あるいは教育政策の課題であるが、それが国家顕揚政策とまじりあっ ているため、こうした事態が生じていた。児童の「愛国主義」涵養もその文 脈で理解できる。またロシア政府の管轄のひとつとして、「伝統的な家族価 値の保持」が加わった(114 条 1 項 в)のも同様の傾向であった。 二つ目の問題は、「結婚制度」について(隠された問題をより率直にいえ ば性的指向少数者の権利について)の規定である(前掲、表 4 / 72 条)。現 行憲法は結婚についてとくに規定していないが、家族法典では、結婚には、 「男女相互の自発的同意」が必要との規定(12 条 1 項)があった。今回の改 憲に「男と女の結合としての家族」という規定を盛り込むことを提案したの は、正教会系の社会団体「世界ロシア人人民会議」の副議長で企業家のマラ フェーエフ(Konstantin Malofeev)であった。改憲作業グループ共同議長の クリシャスがこれを支持し、当初は前文に規定する方向であった55)。議論 の途中で、正教会法務部より、正確には「男と女の結合としての結婚」であ るべきと訂正意見がもたらされた。 改憲作業グループ第二会合でこの問題をとりあげた統一ロシア党女性下院 議員バターリナ(Ol’ga Batalina)は、いくつかの国で、いまや「パパ」「マ マ」にかわって、「第一親」「第二親」という概念が生まれていると危惧を表 明した。それに対してプーチンは、「自分が大統領である間、第一親ではな く、パパとママであろう」と断言した56)。こうして憲法レベルで同性婚が 否定されたのである。これにより 2020 年秋には「家族法」も修正され、こ
れまで容認されていた外国での同性婚登録、またトランスジェンダー婚も厳 密に禁じられる方向となっている57)。 以上の保守愛国諸規定追加改正は、信仰を持たない者、少数言語使用民 族、性的指向少数者などにとっては、いわば改悪といえるものであろう。他 方でロシア人多数派正教徒にとっては、実質的な経済社会生活の改善につな がるものではないが、自分たちの価値観が憲法に固定されたという精神的満 足感を与えるものであった。上述の通り、プーチンは改憲にこうした内容の 保守愛国条項を盛り込むことを綿密に計画していたわけではない。だがその 内容はプーチン自身がこれまで語ってきたことの延長線上にあるものであっ た。プーチンが特定の文脈と思惑の中で示した傾向を、プーチン支持者たち が一定の一般路線に固め、それが憲法のなかに理念あるいは規範として組み 込まれることとなったのである58)。 上述の 2020 年 3 月末の政府系調査機関 VTSIOM の世論調査によれば、憲 法に規定として書き込むことが重要と考える者の割合は、「歴史真実の擁 護」については 89%、また「国家を形成する国民の言語としてのロシア語」 規定については 86%、「男と女の結合としての結婚制度の擁護」については 83%、「ロシアはソ連の継承者」については 81% であった59)。
[3]社会保障の拡充─実質に乏しい投票動員手段
改正憲法は、社会保障領域では、年次教書にあった「最低生活費」を下回 らない最低賃金[表 2 の<3>②]、年一回以上の年金額の物価スライド調整 [表 2 の<3>③]、これに新たに加えて「社会的給付」の物価スライト調整 を定めた(75 条 5、6、7 項新規追加)。この他、改憲作業グループ会合で、 全国労組議長シマコフ(Mikhail Shmakov)は、「賃金の物価スライド」を主 張し、プーチンはこれも肯定した60)。だが、これは憲法には書きこまれな かった 。 プーチンは、改憲の理由の説明の一つとして、90 年代には実現できなかった社会的国家にふさわしい政策を今実現できるようになったことをあげてい た61)。また国民の関心の大部分も社会政策にあった。だが確定した改正憲 法には、上記 3 項目以外、社会保障の拡充に直接つながるようなものはな かった。のみならず、明記された 3 項目についても多様な問題が指摘され ていた。まず最低賃金についえいえば、そもそも「最低生活費」の水準が 低いという問題があった62)。実際、現行労働法に同様の規定があり、それ はすでに完全に実行されていた63)。反対派指導者のナヴァリヌィ(Aleksei Naval’nyi)はその額の低さをとりあげ、「憲法は貧困を保証する」と皮肉っ ていた64)。 また、年金の物価スライド調整についても、本来的には憲法ではなく連邦 法で扱うべき問題であると専門家は指摘していた。実際、現行法ですでに年 金スライド調整も規定されており、憲法規定で新たな財政支出が求められる わけではなかった。他方で、年金受給者約 4400 万人のうち約 970 万人を占 めるとされる現役者(多くは年金を得ても生活上、働かざるをえない労働 者)の年金が物価スライド調整の対象となるのかは不明であった65)。さら に、社会的給付金については、年金と異なり、調整の頻度が明記されていな いため、たとえば 3 年に一度の調整でも合憲ということになると指摘されて いた66)。 以上のように、憲法へのこの 3 項目の書き込みは、あいまいな部分も多 く、実質的に多数国民の社会保障の新たな拡充をもたらすようなものではな かった。にもかかわらず、世論調査では、国民の 9 割以上がこの改正項目を 支持していた。生活苦境のなか、国民平均で、収入の約 2 割を公的補助に依 存するという状況もその背景にあった。こうしてこれら 3 項目は、社会保障 政策の形をとってはいたが、実際には投票率を引き上げるための「人参」の 役割を担ったと批判されていた67)。
[4]2024 年以降のプーチンの職位
─多様なオプションの獲得
さてここまで改憲の具体内容を確認してきたが、そもそも今回の改憲は、 まず何よりも、任期切れの 2024 年以降、プーチンがどのような地位につく のかという問題、つまり「移行問題」と関連して議論された68)。というの も、上述の通り、改憲発端の教書演説でプーチンは、大統領任期の「通算二 期限定」と「議会権限拡大」という権力中枢権限の変更を示唆し、これが、 プーチンが 2024 年に大統領を退任する意思表明と受け止められたからであ る。ここから大統領離任後のプーチンがどのような地位につくのか、そして ─日本の新聞表現に従えば─どう「院政」を行うのか69)、ということ が議論の焦点となったのである。2024 年後にプーチン就任が想定されうる ポストとして取り上げられたのは、首相、下院議長、上院議長、国家評議会 議長の 4 つである。改正憲法でそれぞれの権限がどう増したか(減じたか) ということを軸に、一部、上述の大統領権限強化の議論と重なるが、プーチ ン就任ポストの可能性を検討してみよう。 [4 - 1]首相 首相就任というのは 2008 年にメドヴェージェフに大統領を譲ったケース の繰り返しとなる。実際、このシナリオを想定する者もあった。だが改正憲 法は首相に新たな権限をほとんど与えていない。閣僚人事について下院の承 認が必要となったため、首相は、これまで以上に、大統領と下院の両方を説 得する義務を負うこととなった。また首相政府には、上述のごとく、保守愛 国から社会保障までの、こまごまとした政策課題が憲法上、課されることと なった。プーチンがいまさら、そのような地位につくことはほとんど考えら れない、といえるだろう。[4 - 2]上院議長 上述の通り、改憲により、大統領に対する上院の実質権限が強まったわけ ではない。だが他の機関との関係では、名目的なものを含めて、上院の権限 が相対的に増していることにまず留意したい。大統領提案に基づく憲法裁判 所議長・副議長の任命(102 条 ж /現行では裁判官の任命のみ)、大統領に よる治安関係閣僚任命時の協議権(同条 к)、尊厳・名誉を汚した裁判官の 職務停止(同条 л /提案は大統領)、検事総長による年次報告の聴取(同条 м)などである。なお、上述の通り上院の現行権限のうち、検事総長および 次長の任免権については、それがなくなり、大統領による任命のさいの協議 権のみに減じられた(同条 з)。 一方、退任大統領(現時点の可能性としてはメドヴェージェフとプーチ ン)が望めば、終身上院議員となりうる(95 条 2 項)という規定も加わっ た(終身とは、つまり誰からも解任されないということである)。そして 上院議員の名称がこれまでのように「連邦会議の議員(chlen)」ではなく、 「senator(元老)」という、アメリカ上院議員に倣った、いくらか重みのある 用語になったことも無視できない(95 条 2 項他随所)。上院は下院採択済の 法案を審議するため下院程頻繁に開催されない。また、現行法では、上院議 長は安保会議のメンバーでもある。これらを考慮すると、退任後、プーチン が終身上院議員となり、そして上院議長になるという可能性は一定程度ある ように思える。 [4 - 3]下院議長 下院議長ポストは退任大統領にとって上院議長ほどの魅力があるように思 えない。まず、多数の法案処理と会派間調整という日常業務の多さ(煩雑 さ)からみて、退任後の大統領にふさわしいポストとは思えない。このポス トが、退任後のプーチンの行き場として取りざたされたのは、プーチンが下 院の権限を強化すると強調したためである。とくに上述の通り、下院が承認 した「副首相、大臣」候補者について「大統領は拒否する権利を有さない」
(第 112 条)という規定が画期的なものと喧伝されたのである。しかし、す でに説明の通り、また反政府系『ノーヴァヤ・ガゼータ』紙評論員で、サン クトペテルブルク市議会議員(ヤブロコ党会派)でもあるヴィシネフスキー (Boris Vishnevskii)が、第一草案公表直後に指摘した通り、議会が自らの望む 人物を首相に任じることができるわけではなく、「議会主義のどのような拡大 も提案されていない」のである70)。改憲法案審議中に、下院側は個々の大臣 の下院による不信任提起権を求めようとしたが、それは結局実現しなかった た71)。下院議長は、首相との関係では、たしかに現状よりも発言権を強化し たかもしれないが、それはプーチンが 3 月 10 日の下院での改憲法案審議で説 明した通り、「相互に責任を負う」72)という枠組みの中での強化であった。こ のような地位に退任後のプーチンが就く可能性は低いと見るべきであろう。 [4 - 4]国家評議会議長 4 つ目は、最も注目を浴びた、国家評議会議長である。プーチンは 1 月の 教書演説で、ロシアの各地方(連邦主体)には独自の問題、経験があり、そ れを考慮することが必要とし、「連邦レベルでの決定作成採択における知事 の役割を根本的に高める」ため、自身が 2000 年に創設した国家評議会につ いて「然るべき地位と役割を憲法に規定する」よう提案した73)。 これを受けてメディアや論者は、国家評議会に焦点をあてて改憲を議論す ることとなった。たとえばモスクワカーネギーセンター研究員コレスニコフ は、教書演説の翌日、いち早く、「プーチンとその組織装置」が国家評議会 に移行し、プーチンは「国父の地位」と、政府と大統領府を兼ね備えたよう な国家評議会に憲法上の職を得る、と展望した74)。同じく、ヴォドモスチ 紙社説も 、「強化された国家評議会への現大統領の移動」を、複数ある選択 肢のひとつとして掲げた。社説によれば、改憲案では議会も政府も裁判所も 新たな抑制均衡の仕組みに入っているが、唯一、国家評議会のみがそのよう な規制を受けていない。現在の国家評議会は、法規定により、大統領が議長 となっているが、かりに大統領の議長兼務が外れれば、別個の権力センター
となりうると社説は述べていた75)。 一方、改憲作業グループは国家評議会についての規定が「重要問題の一 つ」としたうえで、「上院との重複」を避けること、また「国家評議会編成 の原理も憲法に書き込む」よう大統領に求めた76)。実際、1 月 20 日に提示 された改憲第一草案では、国家評議会について次の通り規定された。 「国家権力諸機関の調整のとれた作動ならびに相互活動の保障、およびロ シア連邦の内政外交の基本方向ならびに国家の社会経済発展の優先方向の定 立を目的として、国家評議会を[大統領は]組織する; 国家評議会の地位 は連邦法で定められる」(この規定は、冒頭の「国家権力諸機関」を「公的権 力諸機関」に置き換えて、そのまま改正憲法に組み込まれた(83 条 e5))77)。 注目された第一点は、同条別項に規定された安全保障会議については大統 領が長となると述べられているのに対して、国家評議会についてはその文言 が記されていないという点であった。さらに第二点として、地方政策の範囲 を超えて「国家権力諸機関の調整」「内政外交の基本方向の定立」という国 政の大きな方針策定がその任務に掲げられていることが議論を呼んだ。とい うのもこれは憲法 80 条に規定された大統領の中心任務そのものであり、国 家評議会が、上院とではなく、大統領と重複する機関という性格を与えられ たのである。ここから、プーチンが、かつてのブレジネフ憲法第 6 条─共 産党を「ソ連社会を指導し方向付ける勢力」として位置づけていた─の役 割を担うこととなるという批判も生まれた78)。 ところがプーチンは、1 月 22 日、学生との会談で「転換期の国家活動安 定のためにカザフスタンやシンガポールにあるような何らかの特別機関」の 創設がありうるかという問い対して、ロシアでは「大統領の上位に立つその ような機関が出現すれば、二重権力に他ならなくなる」として強く否定し た79)。3 月 10 日、下院での演説ではさらに具体的に次のように述べた。 「安保会議やあるいは国家評議会などの権力機関、国民に直接選ばれてい ない機関に、大統領的性格の重要な権限を与えることは、正しくないし、受 け入れられないし、危険である(中略)[これを行なえば]必ず二重権力と
なり、社会の分裂をまねき、社会に否定的、もしかしたら悲劇的な影響を及 ぼす。これはやらないでおこう」80)。 実際、2020 年秋に準備された法案「国家評議会について」では、評議会議 長は大統領と明記された(8 条 1 項)81)。評議会メンバーには、現行の上下両 院議長、地方首長に加えて、新たに首相および大統領府長官が入った。現行 機関が中央と地方の調整という点に主眼を置くのに対し、新規の国家評議会 は、より広範に内外政策を取り扱うようになったが、大統領を助け、大統領 に提言するという諮問機関的性格に変更はなく、現時点では、この機関が退 任後のプーチンの権力基盤の一つとなるという想定は覆された82)。むろん、 将来的に法改正を行い、大統領以外の役職者(たとえば上院議長など)を評 議会議長とすることも不可能ではないが、現時点でそこまで想定するのは無 理があるだろう。 [4 - 5]大統領継続(既存任期のゼロ化) 改憲議論の最終局面で突如、公式に確定されたのが、大統領既存任期のゼ ロ化であり、これによりプーチンは、現憲法の「連続二期まで」という制限 を乗り越え、連続三期(場合によっては四期)、生涯五期(場合によっては六 期)大統領職に就く可能性を得ることとなった。条文は以下の通りである。 < 81 条 31項(新規追加) 第 81 条第 3 項の規定[二期までに限定]は、 大統領職に今ある者、もしくはあった者にも適用される。そのさい、大統 領職にあった任期数、および(あるいは)この制限を含む憲法改正が発効 した時点での大統領職任期は計算に入れない。そしてその人物が当該規定 の許す任期期間にわたり、大統領職を占める可能性を除外しない>。 奇異なルールであり、あたかも、禁煙を決めながら、それを開始するまで は今までの以上の喫煙を可能とする、というようなものである。だがおそ らく、今回の改憲の一つの目的はこの既存任期ゼロ化にあったものと思え
る83)。ただし、これにより 2024 年以降のプーチン大統領継続が決まったわ けではなく、プーチンがその可能性を得ることでレームダック化を回避し、 後継者をめぐる権力争いを押さえるということに主眼があった。実際、改憲 では、退任後の大統領待遇について、上述の終身上院議員ポスト以外にも、 現状、法律で規定されている刑事免責特権を憲法に組み入れ、現職大統領と 同等の手続きを経なければ免責特権が剥奪されないという仕組みも作られて いた(92 1条)。 こうしてプーチンは今回の改憲により 2024 年以降の自身のポストについ て多様な選択肢を確保し、決して特定させないという立場を築いた。だが、 プーチンにとっての最大の問題は、おそらく、自身が 2024 年以降にどんな ポストに就くかということ以上に、適切な後継者─自身に忠実でありつ つ、国民に支持され、かつ対抗幹部を押さえうる、かつてのエリツィンに とってのプーチンのような後継者、「部下にしたい男ナンバー 1」84)─を発 見できるか否かということであろう。それが叶わなければ、ゼロ化規定に則 り、再び大統領選挙に立候補するということになるだろう。そうなったなら ば、それは近隣の旧ソ連の途上諸国で行われてきた道を辿るということであ り(表 5 参照)、ロシアが普遍的なデモクラシーの道から、さらに遠ざかる ことを意味することになる。 国名 大統領名 在任期間 年数 任期延長方策(1 回目) 任期延長方策(2 回目) カザフスタン ナザルバエフ 1990-2019退任 29 年 任期延長 R(95 年) 任 期回数 制 限 廃 止 改 憲 (98 年) ウズベキスタン カリモフ 1990-2016死亡 26 年 任期延長 R(95 年) 任期ゼロ化 R(07 年) ベラルーシ ルカシェンコ 1994-現職 26 年– 任期新計算改憲(96 年) 任期回数制限廃止 R(04 年) タジキスタン ラフモン 1994-現職 26 年– 任期延長 R(99 年) 年齢制限廃止及び任期ゼ ロ化 R03 年 アゼルバイジャン アリエフ 2003-現職 17 年– 任期回数制限廃止 R(09 年) トルクメニスタン ニャゾフ 1990-2006 死亡 16 年 任期延長 R(94 年) 終身大統領/人民評議会 決定(02 年) キルギス アカエフ 1990-2005退任亡命 15 年 任期延長 R(94 年) 任期延長 R(03 年) R=レファレンダム (出所)< Vedomosti >, 20/03/11, https://www.vedomosti.ru/politics/articles/2020/03/10/824874-putin-ostatsya. 表 5 旧ソ連諸国における長期大統領
おわりに
以上見てきた通り、2020 年の改憲により、ロシアではさらに大統領権限 が強化され、集権的垂直統治が進み、対外主権が強調され、保守愛国理念が 公式イデオロギーに準じる形で唱えられることとなった。当初は、2024 年 に大統領任期の切れるプーチンのポストに関わる統治機構改編とみられてい たものが、最終的にはプーチン 20 年の統治実態を固定化し、それに理念的 粉飾を加えるという大規模な改憲となり、その内容はプーチンの政治的遺産 と称されることとなった。その射程は時間的には 50 年、内容的には国際機 関への対抗措置から自治体制御までを含む幅広いものとなり、さらには歴史 教育、性的指向少数者への対応、信仰など個人の人権や自由にもかかわるも のとなった。 この改憲を受けて行われた 2020 年秋の連邦法修正プロセスでは、「プーチ ン以上のプーチン主義者」「小プーチン」85)が出現し、プーチンの直接の指 示なしに、ロシア統治体制のいっそうの集権化保守化が進むという指摘もな されている。かくして、極端な粛清や大弾圧も露骨な不正蓄財もない、だが 同時に発展のダイナミズムに欠ける「プーチン個人統治体制」がロシアにお いてほぼ完成したとみなしうるであろう。 プーチン自身は、改憲の成果について、改憲成立後の TV インタビューで 少し謎めいたコメントを残している。すなわちソ連憲法では構成共和国に連 邦離脱権を認めていたことが解体に繋がった、つまりソ連憲法が自らのうち に「時限爆弾」を含んでいたとプーチンは指摘した。そしてそのような過ち を避けるために改憲が必要であったが、今や、改憲が成立したことで、「国 家体制が強化され、この先数十年にわたってのわが国の発展条件が作られる だろう」と将来のロシアの明るい展望をプーチンは示した。ただし、何が 現憲法の「時限爆弾」であったのかプーチンは特定して語ることはなかっ た86)。改憲結果からみれば、大統領権力の強化と保守愛国理念の公式認定 が、時限爆弾解除ということだったのであろうか。真偽は定かではない。いずれにしてもプーチンが、少なくとも外向きには、ロシアの独自の統 治体制への自信を示していることは確かである。すでに 2019 年 6 月、欧州 における移民流入混乱や LGBT 容認行き過ぎを指して、「リベラリズムは時 代にそぐわなくなった」とプーチンは語っていた87)。そして、2020 年 5 月、 改憲プロセスの最中では、ロシアが、その民族性と信仰により、「特別な文 明」であるとプーチンは誇っていた88)。 問題は、今回の改憲により、そのような特別のロシアにとっての長期の発 展基盤が作られたか否かである。改憲の本来の手続きや制度を軽視し、真意 を国民に隠し、動員手法で成立した改憲がそうした基盤になりうるか。ある いは、大統領権力を強化し、少数派への配慮を弱め、欧米世界から自らを隔 離し、過去を賛美する改憲が 21 世紀のロシアの土台となりうるか。かなり 危ういように思える89)。だが、さしあたりは 2021 年の下院選挙へ向けての ロシア政治の動きを追う中で改正憲法体制の実際を確認していく作業が必要 となるであろう。 注 # 本稿は、改憲プロセスに焦点を当てた別稿「2020 年ロシア憲法改正プロセス ─プーチン個人統治体制の完成」『亜細亜大学アジア研究所紀要』第 47 号(2021 年 3 月刊行予定)所収[以下、拙稿(アジア研究所)と記す]と対をなすもので あり、インターネット資料表記については、以下の通り、同稿と揃えることとす る。 (1)冒頭に<>で、新聞名、雑誌名、ニュースサイト名等を記す。公的機関サイ トの場合は、訳語を記載する。必要に応じて、当該機関等について説明を付す。 (2)サイト記事の公開日(掲載日)は、たとえば 2020 年 10 月 1 日であれば、 20/10/01 とする。 (3)最終アクセス日は、すべて、2020 年 10 月 31 日である。 (4)頻繁に利用する下記二つのサイトの URL については煩雑を避けるために末尾 部分(下記例の二重下線部)のみを掲載する。 < Interfax > https://www.interfax.ru/russia/697557. < Kremlin >[ロシア大統領公式サイト] http://www.kremlin.ru/events/president/news/26914.