北海道における銀行の展開と発展(I)
13
0
0
全文
(2) . 18 巻. 第 1 号. 北海道教育大 学紀要 (第一部B). 昭和42年8月. 北海道における銀行の展開と発展 (1). 沢. 口. 信. ,. 光. 北海道教育大学ブ団=分校経済学教室. Nobumi tsu SAWAGUCH[:. The Es l i tab shment and. Deve l opment o f Banksin Hokka ido. ま. え. が. き. 昭和恐慌を契機と して大きく展開さ れた企業統合が戦時下に到. って更に強力に推進さ れ, 企業の 占化を完遂する, 銀行の場合は1県1行主義の行政的強 制の下に大型 銀行化を完遂する 戦後財 , 解体, 企業分轄によってそうした統合による独占的大企業は幾つ かと分轄されたのに 反し銀行 の. は分轄されることなく大銀行そのままの形で残されたのであり それ が戦後経済再建の , , そ して の後の高度成長の推進力となり, 且つ企業発展の中枢機関となった 戦後企業の自己資本の 乏し . は資本的に自立存在を不可能とし銀行依存への傾斜を著 しく増大 した 今日 銀行は企業の死 活 . , 制し生殺与奪 の権すら握っているかに見える そのような銀行の経済上に占める大きな力を考 , え ” 現下本道の銀行活動が如何にあるかについても関心が 持たれるのは当然であろう そこで本 . こおける銀行の現在の活動を観察する予備知識と して戦前の本道の銀行の消長興 亡の跡を深 ねて ようと思う. これ が本稿に取り組む第1の目的である 次に 第2の目的と して明治以降本道開発 .. こめ官により巨額の費用が投 じられて開拓が推進され, 従前産業と しては掠奪的漁業一本であ っ . ものが, 農業の発展はもとより近代工鉱業の隆盛をみるに到った そのような発 展過程の中で , , 千が如何と誕生 しそ して開発な り地場産業の発 展なりに如 何に寄与 した かである そう た し 二点 . ら本稿では本道における銀行の 展開発展についての小論を試みたいと思う ,. 目. 次. 1 , 銀行活動の段階区分 2 0年代の銀行 (第1期) , 明治初期および1 3 0年代の銀行 (第2期) , 明治2 (以上本号掲載) 4 30年代の銀行 (第3期) 明治 , 5 . 明治40年代から第1次大戦までの銀行 (第4期). 6 . 第1次大戦中から第1次大戦後の銀行 (第5期) 7 昭和金融恐慌期の銀行 (第6期) , 8 , 銀行の地域別不均等発展 9 . 満州事変から終戦までの銀行 (第7期) 10 . 大蔵省預金部資金の放出 -むすびにかえて-. -2 9-.
(3) . 沢. 口. 信. 光. 1. 銀行活動の段階区分 北海道の経済開 発は明治維新のスローガ ン殖産興業の名 の下に開拓使主導の下に推進されたが, それは半面士族授産事業 たるを濃厚にに 包含 しているのであり, 大規模移民に しても, あるものは ) 官による移民の中には特に士 族のみを所定 した士族屯田 旧藩主の推進の 下に展開されてい る し,i 0年後半においてもなお士族のみを対象と した岩見沢木古内鳥取各村の移民 兵制がある し, 下 って1 がある, 産業 的に みれば漁業が圧倒的に比重 が大きく, それ が主と して徳川末以来の旧場所請負人 たる漁場特によ って支配されているのであり, 工鉱業も官営工場官営鉱山が支配的であり, 民営活 動はなお準備期といえる. このような中で金融活動はやはり官の占める比重が大きいのであり, そ う じた中に民間銀行 の活動が始まる. 以上は10年代の本道経済と言えるが, そう した中にも本道 経 0年代後半から20年代にかけて民間に 済は位置的には道南から道央に移行 しつつあり, 官営工場は1. 払下げられ民 間工場に転身 して 民間 工場の主たる地位を占めるようになる. 旧士族を含めた貧民移 植政策から資本移植 政策に移 ってくる, 前にみた士族屯田も23年には 平民屯田にかわりその規模を. 大きくする. 全国 的にみても22年末をもって士 族授産政策は終 息 し, 士 族授産の勧業資本は終結整 理の段階に 入る, 23年には国会の開設, 商法の制定ありこの年をもってまさに封建制の後始末を払 拭 して ブル ジ ョア社会へさ らに 新たな出発をな した年とみな し得る, 平民屯田もそうした段階に対. 応 したものとみられ る. それはともかく, 本道を銀行面からみれば官の貸付, 国立銀行内地銀行支 店の時代から, 普通銀行 の本道本店の発生がみられるよ うになる, この期をそれぞれ第1期第2期. となすゆえんである. 30年代に 到ればわ が国の資本主 義が確立 した如く, 本道においても資本主義が確立 したとみられ る. 20年代にみた資本家的開拓政策がさ らに色濃く展開されてくる. 自生的資本の族出, 30年の国 有未開地処分法の成立33年拓殖銀行法の成立は資本家活動の態勢の整えられてきたことを意味する. し, また行 政的には32年の区制の 成立, 33年1級町村制の施行, 34年北海道議会の設立, 35年2級 0年代特別輸出港に止ま っていた小樽, 釧路, 室蘭が 町村 制の施行と自治体制 が整備されてくる, 2 32年には外国貿易 港と して登場 してくる, 鉄道敷設の増 大, 帆船より汽船の転換普及による輸送力 の拡大は工鉱農林の生産活動を促進 し, 内陸地開発 の進展は土功組合法を成立せ しめ, 銀行貸付の. 有力な対象と して登場 してく る. 日清戦争をはさんで30年代初期, 銀行の濫設期といわれる時代 が つ づくが30年代早くも資本主 義の景気循環の波に銀行の整備 が始まる. 40年代は日露戦争を契機と した企業会社数の増大, 資本金の増大, 電灯会社の従前 の電灯用電力の供給から動力エネルギー供 給と しての増 大がみられ るようにな るし, 一方内陸地開発は旭川その他内陸都市を誕生せ しめ, こ うした内 陸地に商 工資本家が誕 生してくる. 内地大資本が目だ って本道 企業に進出 してくる. そ し こてのよ うな状 態が第1次大戦前 まで続く. この期銀行活動の第3期第4期となすゆえんである. 次に第1次大戦期であるが, 本道経済活動も大戦下の好況に乗 じて活発となる し, 内地独占資本 が大挙 して 工鉱部門に進 入し, 主要鉱山は概ね中央資本の資本下に 立ち, また工業も中央大資本に づ 合流または編 入されてそ の傘下に飛躍 的発展をとげる, 農産物 の暴騰は農村都市をも活気 け銀行. の新設 が盛んに なる. しかしそう した中にもやがて 生 じた大戦後の反動恐慌は経済界を沈滞せ しめ 銀行活動も困 難に逢着するように なる, この期 銀行活動の第5期となすゆえんである. 次に大戦後より論義された金解禁がそ の準備段階と して大正末登場 し, これに沿って しきりに銀 行強化が強調されたが遂に昭和5 年6年金解禁実施,デフ レー ショ ン政策の徹底,世界恐慌の波及そ して生ずる一般恐慌の中に 銀行恐慌が展開され る, この期 銀行活動の第6期となすゆえんである. 0- -3.
(4) . 北海道における銀行の展開と発展 (1). しかるに恐慌は満州事変を誘発 し, 満州事変 から日華事変さらに太平洋戦争へととめどなく戦争. は進展し経済は戦 争の中にまきこま れてゆく, 本道の銀行 も前段階の困難から次第にたち直 ったも のの中央政府の意図に したがって統合から統合への道を辿り, 国債消化機関と しての地位におし下 げられ一県一行主義が完徹さ れて ゆく. この期を銀行活動の第7期となすゆえ んである, 以下各期につ って 銀行活 動がみよう. (注) 1 ) 藩主の推進による士族移民には明治2年伊達邦成による有珠郡移民, 同じく2年伊達邦直による石狩当 別村移民, 仙台藩片倉q・十郎による胆振幌別村札幌白石村移民, 4年徳島藩稲田邦植による静内移民, 4年鍋島直大による当別村高岡移民, 1 1 5年尾張徳川慶勝による八雲村移民,1 5年毛利元徳による大江村 移民, 1 6年前田利嗣による岩内郡前田村移民がある,. 2 , 明 治初 期および10年代の銀行 (第1期) 開拓使時代において官による民 金の直貸 しの役割りは大きい, けだ し, 資本蓄積 乏 しく且つ封建 制解体の中から放出された無主無産の士 族の多い当 時にあ ってはこのことは本道の みならず, 中央 政府によ って内地府県においても行なわれたところである, 中央政府の貸付と しては一般会計と し. て 「石高貸」 (各藩を通 じて管内の産業に融通) 「勧行貸」(為替会社通商会社銀行等に直接貸付). 「救済賃」 があり, 特別会計によるものと しては 「銀行会社人民貸」(貸付対象を工業商業に 限定,. こ貸付けた) と 「起業基金」(勧業 授産の資金で 銀行会社および少数の企業家 一一渋沢安田等--し 一部は士族の起業資金) がある. 以上は殆んどが維新から14年をもって終るが, 士 族授産がなお必 要であ ったので15年以降22年まで一般会計より年年50万円を支出して士族授産にあて られている, 「勧業資本 金」「勧業委託 金」 がそ れであり (付表 1) 6年に行なわれた岩見沢, 木古内, 鳥 , 明治1 取の各村の士 族移民は勧業資本 金の一部によ って行なわれたものであるD ところで, 本道におけ. る官金の貸付についてみれを 開拓使はそ の創設以来, 移民の保護産業振興のた め資金の貸付をな し. たのであり, それなく しては人民の扶植も開発も困難であ った. けだ し開拓創草にあ っては移民は 農漁商 工たるを問わず就業資 金に乏しく, あるいは既に就業中にあるものもなお生活の確立 しない. 場合が多く,いきおい開拓使はこ れら移民に無料給付の資金とは別に,就業資金家屋資金漁業資金を. 貸付たり商品流通資金を貸付たりしなければならなかった, 開拓使の貸付は 「開拓使事業報告」 第 5編に詳 しく述 べ られている し, これら貸付の準拠規則については同 じく 「開拓使事業報 告」 布令 類集下編に のせ られてあるが, いま貸付の数例をあげれば勧業貸付 家作貸付と して明治 2年 「開墾. 0両自費移住者家作料各金百両ヲ貸与ツ無利息1 規則ヲ定メ 募移工商営業資本1戸金3 0ヶ年賦完納セ ツム」 とあり, 4年2月 「近郊ヨリ札幌市街二移住願出ノ 者家作料トシテ1戸金百両宛無利息1 0ヶ. 年賦貸与ス」 とある, また5年6月 「諸官員本庁 管内永住者二限り…営繕費ヲ貸与シ無利息10ヶ年 2月 「日高静内沙流両郡移住兵庫宮城両県土族3 ヶ 賦完納セ ツム」 とある, 農業貸付と しては8年1. 年間米金ヲ貸与シ家録下付ノ節返納ノ約ァルモ未タ就産ノ目途立タス完納困難, 情状ヲ欄ミ貸与ノ 米 金悉皆棄損ス」 とある, また漁業貸付は4年3月後志国各郡石狩国厚田郡に漁業資金15 ,900両の 貸付のあ ったことがみえるが, 11年5月 「漁業資本乏ク 供給ヲ他二仰キ其息ノ重 ト産物ノ 低価ニョ. リ利ヲ失フ者砂カラス因テ該業 振興永遠自立ノ基礎ヲ固セソ為官金ヲ貸ッ」 とあ って, 官金貸付が 恒例とされるようになった, これ らはいずれも細民に対する官金貸付の数例であり, 且つ時に応 じ. て棄損を なして困窮を救 ったのであるが, 商人と して既に相当大をな している商八資本 家に本道産 物の流通促進の意図の下に流通資金と して供給されたものが開拓使設置の金融機関たる貸付会所の - 31 -.
(5) . 沢. 口. 信. 光. 貸付であり, それは東京 大阪函館の三ヵ所に設けられ た. そ してこの貸付会所の経営にあた ったも. のが御用達である. これは明治5年1月設置され, 12年1月 限り廃止さ れて いる. これはまさに官 設立の ブルジ ョア対象の銀行というべきであろう, こう した官の貸付について開拓使事業報告は次. ・移民保護物産蓄殖ノ 為ニシテ初メ 適誼ノ方法ヲ設ヶ移民就産資金等 のように述 べている. 「貸付ノ. 貸付スルモ準備未完, 富豪ノ徒漁利龍断ノ弊アルラ免 レス, 因 ッテ所在二貸付会所ヲ設ヶ物産転売 ノ道ヲ開キ或ヒハ漁業資本家屋改修費等貸与一二シテ足ラス, 是皆創業ノ際一時権宜ノ政ト難モ其 )」 とある 以上みた開拓使の諸種の貸付はこれを総合すれば明治 以テ開拓事業ヲ益スル少トセス2 . 2年開拓使設置 以来14年末まで (開拓 使は15年1月廃止されている) , 総額約648万円に達するの ) その貸付科目は第1表 のようになる 3 であり, . 第1表 開拓使による科目別年次別貸付金. 金 勧. 営繕, 家屋建築・改良. 御. 用. 達. 出. 港. 救 雑 計. 税 助. 額 千円 37 .O. 3. 169 .7. 6. 1 ,015 ,O 92 .4. 7. 470 ,8 3 1 1 ,3. 8. 607 ,3. 商業および諸品仕入. 運漕社営業資本 産物商会営業資本 造 船 資 本 海産税売下代. 金. 143 .4 122 ,8 125 ,8. 産 業 郡 民 営 業. 煎 海 鼠治 製. 年 次. 千円 420 M2 .8. 業. 漁 業 昆 布 採 取. 額. 107 .6 4 0 1 6 , .4 106 .3 35 ,O 10 .7 71 ,O 3 ,5. 4,4 4 2 6 , 2 ,8 4 6 7 8 , ,7. 4 5. 9 10 11 12 13 14. 計. 0 .9 42 .7 1 ,267 .2. 320 ,9 554 .6 834 .6. 535 .I 964 .6 711 .6. 6 ,478 .7. (注)1 . 産物商会は正式には北海道産物商会と称し貸付会所資本によ. \り設立された営業資本3万円の商会であって本道産物の委託販 売をなす, 2 , 運漕社は営業資本10万円を貸付会所より借りて設立された会 社であって貨物運漕及荷為替海上保険を 行なう. 3 , 本表は拓銀 「北海道金融史」 により集計, 9~p (原典は開拓使事業報告第5編 p ,688) .67. さて, そ うした官の貸付活動の中にあ っても, 本道にも既に三井組の金融活動は始ま っている. 三井組につし・て 言えば明治4年6月中央 政府によ って御用 為替座を仰付けられてし・る. これによ っ て三井組は東京, 京都, 横浜, 神戸, 函館に為替座を設立 した. のみならず明治5年1月以降政府. 0万円を発行 している二 また明治6年には札幌出張店を開設 して に委任されて開拓使正金党 換券25 いる. 三井組為替座は,国立銀行条例の改正により銀行名称の私唱禁止 がと かれるや,私立銀行三井. 銀行に改組され31店の開設となるが, 本道では1等出張店函館, 3等出張店札幌 が営業を継続する ことになる. しかし, これ らの出張店の業 務と しては官金の取扱いが極 めて枢要な地位を占めてい - 32 -.
(6) . 北海道における銀行の展開と発展 (1). 5万円中1 43 たのであり, 例えば9年7月よ り同年12月末に 到る函館出張店の 「預り金」 をみれば22 金 万円 (預金の64%) が宮金預りであり, しかも宮金の90%までが開拓使の預りであり残余の官 は 4 ) このような官金取扱いはただに函館出張所のみな 電信局船改所税関所裁判所預 りとなっている. らず札幌出張所においても, あるい は 明 治12年開設になった小樽出張店においても同様と思われ る, すなわち, 三井銀行本道出張所の活動について 「当時は (明治9年~15年 - 著者) , 開拓使本 庁並びに管下の公 金出納保管事務取 扱等が主な仕事で, 一般の銀行営業と しては極めて僅かな荷為 5 ) あるいは 「三井銀行は官署の出納 金取扱いに止ま 替業務を取扱 ったに過ぎ」 ないの一文がある, 6 ) しか し 三井銀行の本道にお り小樽 金融 界に資するところなかり し」 の小樽区史の一文がある, ,. いてみられるこのような官金取扱いは実は当時のわ が国の銀行にと って営業上極 めて重要な地位を 占めるものであり, それは銀行名称以前の小野組, 島田組 (ともに明治7年8年に没落) , あるい 7 ) 一方当時国立銀行条例に基づ き国立銀行の は安田商店においても同様重要な比重を占めていた. 設立が始ま っていたが, 同条例改正により正貨党 換の重荷 から解放さ れるに及んで続々そ れの設立 をみることになるが, こうした国立銀行は 銀行券発行の外に官公 金の預託運用によ って営業を営ん だのであり, 官 金出納 が営業上の重要業務であることは前記私立銀行の場合と変りなく, 国立銀行. 5年上期においても 総体と して官公 金の預金中に占める比重は明治7年62%, 日本銀行設立直前の1 8 ) ただ本店本道の国立銀行はそのような官公金取扱いを営ま ざれ る よ う で あ 23%となっている. 9 ) り, これが以外に早く不 振銀行のあらわれる一原因と思われる.. さて, 本道本店とする最初の国立銀行は函館の富商杉浦嘉七, 田中正右衛 門等による12年1月創 9国立銀行 (本店函館) 3年2月 臼杵藩士 (大分県) による第14 立の第11 3国立銀行 であり, ついで1 7 0 ) 年設置の小樽 4 4 国立銀行 による 2 しては東京第 1 なお支店国立銀行と の創立がある, , 函館, 札幌 1 2 ) 4国立銀行は業務不振 の各支店があるし, n)同年設立の第67国立銀行 小樽支店がある. 然るに第4 本道支店は第3国立銀行継承 ( しているし ) 月には東京第3国立銀行に合併 5年9 のため, 早くも1 , 4 9国立銀行の東京第11 9国立銀行との合 17年には第67国立銀行の小樽支店の閉鎖, 18年5月には第1 1 3 ) 私立銀行の本道本店の噛矢と して1 6年1月函館に 併, それにともなう本道営業所の閉鎖がある. 越前の富商山田又佐父子の経営するところであり がある 山田銀行は た山田銀行 設立され , 資本金 , 1 0万円, 大蔵省および農商 務省 管理局の現金取扱御用に従事したのであるが, 管理局の廃止ととも に御用を免ぜられ以後衰退 して23年12月に廃業 している, 同 じく16年, 第33国立 銀行は函館に出張 0年にはこれを支店と し一般業務を掌った 所を設け, 専 ら大蔵省為替御用を取扱 ったのであるが, 2. 0国立 がこれまた2 3年6月 閉鎖 している し, 本店そのものも25年解散消滅 している, また18年, 第2 1 4 ) 同行は荷為替に重きを置き且つ北陸諸県に支店をおき が開業 しているが 銀行 の函館支店 , , 同地 1 5 との取引関係の密接な商館商人に大いに利便を与えた, ) さて, 以上は本道の民間銀行の設立興廃の状況をみたのであるが, ここでこれら銀行の総体と し. 4 2年末預金残高14 ての 金融活 動をみれ ば明治1 .4万円, 18年1 ,2万円であり, 貸出 ,8万円, 15年末18 7 6 ) こ れ に よ っ て み れ ば預 金 に 比 して 残 高 はそ れ ぞ れ27 .7万 円 と な っ て い る, ,4万 円, 55.9万 円, 18. 貸出の大きいこと が目につく が, これ は当時貸出における自己資本の重要な意義をもつ金融機関の 金貸資本的な性格がなお強く残存 していること物語るものであり, これは経済発展の未熟による社. 会的遊休資金の貧困に由来するのは勿論であり, 当時の銀行の社会的資金の仲介機関と しての機能 8年に到 って預金, 特に貸出金が激減 し の低さを物語 っている, ところで, 年次的にみて15年より1 ているのが目につくが, これは西南戦役によって急増 した政府紙幣を鎖却 し, 新たに日銀による党 襖紙幣制度を確立Lようとする政府のデフ レー ショ ン政策によるものである. 因みに政府紙幣発行 一 33 -.
(7) . 沢. 光. 信. 口. 額は12年末1 30百万円が18年末には8 8百万円 (この年この外に党換銀行券4百万円の発行あり) で 1 7 ) あり, その縮少の程を知ることができる, のみならず16年, 国立銀行条例が改正され営業年限が 31年末をもって満期とさ れ, 満期後は普通銀行か解散の途をとるかにあ ったため, この間に既発行 の銀行券の鎖却を行なわなけれ ばならな かったため, 発券の吸収が国立銀行にと って重大な課題と な っ た の で あ り, こ の こ と は 貸 出 の 縮 少 を 一層 促 進 した と み る べ き で あ る. こ の よ う な 通 貨 の 引 締. めは 金融の梗塞をもた らしたことは当然であり, 当時の金融の中心たる函館の状況は .「経済界は劇 烈な変動のため頗る不安な状 態にあ ったので商業者の信用頗る減却 し, 銀行も個人も皆警戒 して容 の」 とある そ してそ れは18年上期に頂 点に達 したのであ 易に融通 しないので金融大いに塑塞 した1 . 5年の55 った, なお, この期の銀行金融の比重と して前記本道貸付の最高たる1 .9万円をと って開拓 使の貸出残高68 4年末) に 比べれ ばなお低 .7万円 (棄損分を含めれ ば74 .8万円--数字はいずれも1 い こ と を 知 る の で あ る, こ こ に も 官 に よ る 活 動 の 大 きさ を 感 ぜ ず に は い られ な い. 圏館における銀行状況 (明治15年末). 第2表 銀. 行. 株 金. 株 主. 名. 第113国 立 銀 行 第149国 立 銀 行 三 井 銀 行. 名 91. 千円 200. 15. 130. 紙. 幣. 発行高. 千円 160. 預り金 貸付金 千円 245. 千円 294. 80. 27. 117. O. 360. 171. (注) 函館県統計表による. 第3表 北海道における銀行状況 (明治19年末) 銀. 行. 名. 株 金 千円 200. 第113国立銀行 (函館) 山 田 銀 行 (函館). 100. 山 田 銀 行小 樽支 店 第2 0国立銀行函館支店. 86 7. 名. 預り金 千円 192 22. 貸付金 千円 131 206. 41. 所 藍. ; 三井 銀行ネ滋. 株 主. 62 12. ; . 78 6. 71. (注) 第1回道庁統計書による,. つぎに1例年次をとり10年代の銀行の個別的状況をみよう, 第2表は当時の商業活動の中心たる 函館を みたものであるが, 本道本店と して誕生し数年足らずの中に不振の中に 合併 してゆく第149. 銀行のひ弱さが感 じられ る し, それは社会的信用の しさの故に自己資本の貸付に 依存 してし、る こ とが知られる し, こうした状況は同 じく業務不振の中に潰滅する第3表の山田銀行についても言え. る, 第3表では小樽における銀行活動の低さが目につく し, 銀行貸付の約90%が函館によ って占め ら れて い る こ と を 知 る, G主) ‐160参照 なお岩見沢木古内 鳥取各村の士族移住の貸付は明治22年の 1) 我妻専作 「明治社会政策史」p , , 士族勧業資本金の最終処分に際して全額棄損された, (同 p ,243 . 参照) . 2) 大蔵省 「開拓使事業報告」 第5篇 p ,679 . 3) 拓銀 「北海道金融史」p .17 , 4 -3 .」.
(8) . 北海道における銀行の展開と発展 (1) 4 ) 拓銀前掲書 p , ,39 . ,12 5) 三井銀行 「北海道における三井銀行の歩み」p 7 7 6 ) 小樽区史 p,3 . 6% 7 0 .2万円で総預金額の5 ,6万円のうち, 官公預金1 7) 安田商店の場合, 明治9年1月末において総預金3 1 3 8 ) を占めている (加藤俊彦 「本邦銀行論」p , , , 8) 明治財政史第13巻 p ,444 . 49国立銀行一筆者) は国立銀行条例に準拠して 9) 拓銀刊行の北海道金融史に 「両行 (第113国立銀行と第1 」 とあり, 特に官公金の取扱いをな し たるものにして 紙幣発行の特典を得, 預金貸付及為替業務を営み 官公金の預金は全くみ 行の決算報告にも 1 3国立銀 年 1 2 月の第1 2 1 また明治 と れてないし たこ は指摘さ , 4 られない (p , 参照) . .p ,3 .33 4国立銀行については 「第44国立銀行は大蔵大輔の地位にあっ た岩橋轍輔が士族の金禄公債を集めて 1 0 ) 第4 を設けた… 明治11年8月設立 した銀行であるが北海道の投資に力をそそぎ, 直ちに函館札幌小樽に支店 北海道 然し轍輔等の積極政策のため業務不振に陥り15年には第3国立銀行との合併の止むなきに到り, 渡された れるやそれに譲 函館に設立さ , の営業はために第3国立銀行に継承されたが,16年山田銀行が ) . ,581 漁業者への融資を主とし」 とある (小樽市史第2巻 p 1年になっているも, 小樽区史や函館区史では明治12年になっている 11 ) 「北海道金融史」 では設立は明治1. それぞれ p . 参照) ,p .432 ,377 7国立銀行は山形県鶴岡町に本店を持つ資本金2万円 (8万円の誤りか? 7国立銀行については 「第6 12 ) 第6 -筆者) の銀行であったが, 藤山要吉の斡旋により小樽開運町に支店を開いたのであった, 藤山はその 580) , 支配人として活動 したが17年本店の都合で閉店の止むなきに到った」 とある (小樽市史第1巻 p. 1 3 三井出張店第1 ( …4行中 し 創立 3 年2月函館に 行は 1 4 9 1 国立銀 「 第 ては 49国立銀行の活動につい 13 ) 第1 .278) , 国立銀行第44国立銀行-筆者) 最も振わず活動見るべきものなかった」 とある (函館市誌 p のであり 設立したも は を資本化して 城一族が金禄公債 , 経営者は o国立銀行 伊予宇和島の藩主伊達宗 4) 第2 , 88 . いずれも旧宇和島藩士である (第1銀行史上 p ,7 , 参照) 0 参照 2 8 1 5 ) 函館市誌 p , . , 1 6 ) 拓銀前掲書 p ,40 , 1 7 . ) 東洋経済新報社 「明治大正国勢総覧」p .132 8 0 2 1 7 ) 函館市誌 p , .. 3 , 明治20年代の銀行 (第2期) この時代, 国内全般的に言えば紙幣整 理の過程は18年をもって終りをつげ, 日 本銀行の発足, 近 代的通貨制度の 確立により信用 制度は整備され, 他方官業 の払下げが 続 行 さ れ, 資本家企業の誕 )によるわが国輸出貿易の拡大, さ らにそれに 誘発される企業熱の促進がみ 生, 銀貨の世界的下落1 2 ) そ してそのような企業熱の具体的表われと しての会社 企業の族出に対処 して政府は会社 られ る. 活動の準拠と して商法を 公布することに なった, したが って銀行もまた会社形態をとる以上当然誕 生せる商法の適用を受けるこ とになる, しかし銀行 の場合 一般会社と異なる性格をもつ ことは当然 であり, 到底商 人社会を対象と した商法をも って規定するわけにはゆ かなし・のであり, そのため政 府はあらたに銀行条例および貯蓄 条例を制定 して銀行活 の準拠す べきところを規定することにな っ た, しかも一方では, 国立銀行 が営業満期に, またはそれ以前に普通銀行に転換をとげることにな び貯蓄銀行に関する条例を制定する必要 っていたからこれ等銀行を監督規制する上からも銀行およ ) かく して23年8月 銀行条例 貯蓄銀行条例の公布となる. があ った.3 許可, 銀行条例は僅か11ヵ条よりなるものであ ったか, 要項を列挙すれば, 銀行の定 義, 設立の 割引 店舗を開いて証券の , 為替事 業務の監督, 営業の制限であり, これをもう少 し詳 しく言えを, べきこ 業, 諸預り金, 貸付を併せなすものが銀行と して定 義され, 設立は大蔵大臣の認可を受ける 一方大蔵 べ と, 銀行 は大蔵 大臣に半年毎に営業報告をな し, 財産目録貸借対照表を公告す きこと, /10を 超過 大臣は銀行 の業務・ 財産を検査 し得る こ と, 一人一会社に対する貸付は払込資本 金の1 してはならないこと が規定された, これを要す るに銀行の 範囲を明確に し, それまで特に 一定のル 5- ー3.
(9) . 沢. 口. 信. 光. ) を一定のルールにのせ 且つ一人一会社の破産による 銀行の破産を防 ‐ルのないまちま ちな設立4 , 止 しようとするものであ った それは商法と同時に26年7月に施行された . . 次に貯蓄 銀行は国民の勤倹貯蓄を奨励 し 国民の零細貯蓄を保護するために 普通銀行以上に監督 ,. を必要と した. 貯蓄銀行条 例は全文1 2ヵ条よ りなるが要項を列挙す れ ば貯蓄 銀行の意義, 組織, 取 締役の責任, 貯蓄払戻 の保証, 貯蓄預金運 転の方法であ った . 複利の方法をもって一口5 円未満の預金を引き受る 銀行業が貯蓄銀行と定義され 資本金3万円 , 以上の株 式会社たるべ きこと, 貯蓄業務に取 締役は連帯無限責任 を負うべきこと 払込資本金の半 , 額以上の金額を公債証券をもって 供託所に預入れるべ きこと 貸付は国債地方債を質とする6ヵ月 , 以内の貸付けたるべきこと, 支払能力ある2名以上の裏書ある手形の割引 国債地方債の買入れに , 限るべきことが規定された それは商法銀行条例と同時に26年7月に施行された しか し貯蓄銀行 . , のかかる規定は預金者保護に徹 し過ぎ かえ って貯蓄銀行の発 展を防げる と し て28年には改正さ , れ, 貯蓄払戻の保証についての払込資 本の半 額以上供託とあるのを1 /4以上と し, 且つ資金運用 の 制限が一切削除さ れた, この条例 の改正によ り貯蓄銀行は急速に 発展する . さて, 商法の制定と言い 銀行条例貯蓄 銀行条例の制定 と言い経済発展に対応 するものであ たこ っ とは前述の如くであるが, かかる経済の発展は本道の経済に波及 しないではいないだろうし ひる , がえ って本道の膨大 な開発財政をみれば 開拓使 北海道 管理局二時代を合せて財政支出総計実に , , ) に達するのであ り これらの年々の支出は年に より差異ある 1 ,961万円5 も悠に一省の支出を凌駕 、 する規 模をもつものであ った このような財政 支出は本道の開発に直 接間接寄与 したであろうし . , それは民間企業の誘発を促進 したこと もまた疑いない かく して 日本経済の発展と本道の自生的発 . 展の両面 から本道企業は 勃興 したばかりでなく 一方 では官業の払下 の実施 6 ) )に , , 利子補給制度7 よる民営企業の育成政策 と共に, 他方では土地払下規則 の制定による資本導 入政策がと られるので ある, このような状況の下で本道において も銀行は新設 あるいは増資を重ねてゆくことになる し . か し他面 では企業の機関銀行と しての性格を備える ものも生 じてくる もとより全ての銀行はそう , とはいえないが, 前述銀行条 例は28年には早くも改正され 1人1会社に対す る貸付制限の資本金 , 1 0/1以内が削除さ れた. この事は自己企業に対する資金注入のため社会資金を集中する方便と して の銀行 をつくる事の 可能性を開 くものであ った 機関銀行の発生するゆえんである . , 第4表 北海道の会社生産額ならびに移輸出入額 会 社 数. 社. 社 払 込. 生. 産. 額. 資本金 農産物 水産物 工産物 鉱産物. ハ4 19. 18. ?. 852. 22. 57. 3 ,543. 677. 25. 52. 9 ,519. 28. 51. 11 ,107. 4 ,539. 2 ,001. 560 (MI 9 ) 6 560 ,804 7 Qt 2 ) 7 ,172 2 ,398. 3 ,323 ,. 8 ,395. 2 ,476. (千円). 計. 231. 6 ,182. 500. 8 ,531. 16 ,693. 1 ,575 14 ,146. 28 ,098. 2 ,100 16 ,294. 31 ,493. 11 ,362. 1 ) 鉱産物 は石炭のみをあらわす. ( 注 ( 2 ) MI9の工産物は拓銀 「北海道金融史」 に よった. 工産物については M20より M26まで統計を欠く ( )会社は本道本店 . 3 をあらわ す. ( 4 ) 新撰北海道史第7巻による.. さて, 以上の状況の下で本道銀行の設立をみよ う ただその前に20年代の本道経済の発展状況を . 一瞥 しておこ う. その場合第 4表でみるよ うに各生産物 の発展の跡が著 しいがな お水産物の収 獲 , が全生産 額の半分を 占めていることがわ かる しか し農産 物工産物の発 展速度は著 しい ただ生産 . . - 36 -.
(10) . 北海道における銀行の展開と発展 (1). 額計で実際は22年は表の 数字より幾分大きく 25年では幾 分 ・さいであろう (理由は第 4表の注を , 見ょ) それはと もかく 年 1 9 から約1 0年間に生産 額で約 2 , .7倍, 移輸出入額で2 ,8倍の増加がみら れる. なお, 22年に会社数の急増するのは官業の払下げにある 社数はともかく 払 込資本の増 加 . , は顕著である, 総 じて北海道の経済は急速な発 展を して いる さて 銀行の設立を年 次別にみるに , . まず, 2 2年7月 創設の北海 銀行 (本店札幌) がある 同行は資本金75万円であ り 旧尾張藩主 徳 . , , 川義礼が中心と なり, 株式の大半を所有し 他は旧藩士たる名古屋の豪商伊藤次郎左 衛門 松 ( , 坂屋 経営) 等いわゆ る尾張 8人衆が引受けて成立 した 銀行である 徳川義礼は八雲に993町歩の広大な , 農場を所有し, 且つ北海道炭磯汽船会社創立の発起 人であ り これら農場会社の金融な らびに現金 , 取扱いを引 受けるために 銀行設立に到 ったのであり 同行はいわばその機関銀行であ たわ けであ , っ る. そ して 銀行の経営には発起人たる旧尾張藩士 や名古屋の富商があた ている 8 ) ついで24年6 っ . 月屯田銀行 (本店 札幌) の設立があるが 同行は23年会計法の実施によ て各 官庁は特に規定 , され っ てある以 外は特別資産の保有が禁止されたことによ って 従来屯田兵司令官が保管運用 してきた 屯 , 田兵1 3箇中隊の積立金を運用するた め, この積立金を資本金と して設立さ れた株式組織の 銀行であ り, 資本金1 3万円, 屯田兵在籍者以外の株式所有を禁 じたものであっ た しか し 26年普通 銀行条 , . 例の実施に際 し, この制限を解 放 し全くの普通銀行に 転換をとげてし、る この外26年よ り29年まで , の間に設立されたものに 普通 銀行と して松前銀行 余市銀行 江差銀行 函館 銀行があり 貯蓄 銀 , , , , 行と しては札幌貯蓄, 小樽貯蓄, 函館貯蓄 の各行がある , まず普通 銀行についていえば, 松前銀行は渡島福山を本店と し資本金5万円をも て福山 町富裕 っ 者有志によって誕生 したものであるが, 31年には1 0万円に増資 している, 余市銀行は 林長左衛門 , 中村源兵術等漁業資本 家によって資本金1 0万円をもって発足 している. その意図するところは 「銀 行を起 しその営業によ り生ずる純益金の全部を挙げて積立金を為し之を以て余市郡赤井川山林原野 )」 て発起されたものである 営業報告mによ 約65 0万坪の開墾の資に 充てんと企て9 れば, 海陸産 , 物の商業・漁業金融 を主とするものであっ た 明治27年 行員4名と記録されていることの中に当 , , 時の資本金と合せ考え, その規模の程度を想像することができよう さて同行は3 0年増資 して50万 , 円とな し (株主は18名から28 1名に増 加) , 小樽に移 転して小樽 銀行と改称している. 江差 銀行は江 差町民永滝松太郎外9名をもって発起 し28年開業 資本金当初1 0万であっ たのを3 0年には20万 円に , 増資している, 函館 銀行は旧幕以来漁場特と して産 をなした広谷源治等1 06名が発起人となり29年 7月開設され資本 金50万円をもって発足 している . 次に貯蓄銀行について言えば, もともと貯蓄 銀行の業務は国立銀行または私立 銀行の兼営すると. ころであっ たが, 明治17年以降は貯蓄銀行に関する条規の制定に 到るまで しば らくその設立 ない , しは既設銀行の兼営を認めない方針が官によっ てとられていた しかるに 23年蓄貯 銀行条例の公 , , 布, 26年7月よりのこれ が実施により本道に も本道本店とする貯蓄 銀行が誕生するに 到る すなわ , ち, 小樽貯蓄銀行が28年10月資本金3万円をもって小樽に 29年札幌貯蓄が資本金6万円をも て , っ 札幌に, 同 じく29年函館貯蓄が資本金7万円をもっ て函館に誕生 している . 以上のタ トに本店内地銀行の本道 支店設置と して第3国立銀行函館 支店が20年に 田中銀行小樽 支 , 店が22年設置さ れている, さきに第44国立銀行が第3国立銀行と合併した際にその本道 支店が第3. 国立銀行に 継承さ れたことを述 べたが, 同支店は山田銀行が設立さ れるに及んで同行に譲渡され以 後第3国立銀行は本道支店をもたなかった からである ところで第3国立銀行は安田善次郎外54名 . が株主となり, 明治9年9月資本金20万円をもって設立さ れ安田商店の別働隊と して活動した た , だ し, この外安田による安 田銀行そのものが25年に函館支店が開設さ れているが これは32年閉鎖 ,. - 37 -.
(11) . 沢. 光. 信. 口. 中平八の創立 した銀行で している. 田中銀行は北海鉱山社長・北海道炭磯鉄道常議員たる東京の田 本道においては三井銀行支店が代 ある. なお, この期日 本銀行支店 が設置されている. 従来日銀は 39年 小樽 支店に昇 6年4月, 札幌。函 館・根室 に出張 所を小樽 に派出所 ( 理 していた のであるが2 店の設置は 三井銀行の 格) を設置 した, .但 し根室出張所は28年廃止されている. このような日銀支 ばならない, 23年日本最 活動ともひいては本道の 三井銀行活動とも関 係あるので一言ふれておかね るものであ った. そこ 初の恐慌に際 して三井銀行 も取 付に見舞われたが, これは巨額の不 良貨によ 故する政府大 金取扱に縁 で同行の経営 改善が重大な問題と して登場 した, 同行は不 良貨の病根 は官 てその病根 をたち 官に対する個人貸や, これと連 る情実貸にあると して官金取扱を断呼辞 退しもっ に して三井は25 切る方針を打出 したが, それはま た支店整理と も結 びつくものであ った, このよう 本道では26年2 年以降官金取扱を主と していた全国各支店出張所 の閉鎖にのり出 し, そう した中で 0 I D 室支店, 同年1 月 根室, 函館, 札幌の三支店所属各出張所・派出所の閉鎖, つ づいて26年9月根 2 0 国立銀 店は第 月札幌支店の閉鎖が行なわれた. これにより札幌支店は日銀札幌出張 所へ, 根室支 が, 38年には となる 店のみ 行へ譲渡されている. かく して三井銀行の本道活動は小樽, 函館の二支 函館も閉鎖 している. 金 さて, 以上はこの期の銀行の新設であ るが, 既設を含めてこの期の銀行の活動と して預 ・貸出. じく 貸 付 残 高 は 53,1 を みれ ば, 22年 末 預 金 残 高58,7万 円, 25年 末84.0万 円, 28年 末 261,7万 円, 同 付 残 高 18.7 万 円, 75.1万 円, 258,6万 円 と な っ て い る, さ き に み た18年 末 の 預 金 残 高 14.2万 円, 貸 7年6月 末) 第5表 本 道 に お け る 銀 行 状 況 (明治2 銀 本 道 本 店. 行. 地 本 店. (本 店). 13国立銀行 (函館) 第1 屯 田 銀 行 (札幌) 北 海 銀 行 (札幌) 松 前 銀 行 (福山) 余 市 銀 行 (余市) 小. 内. 名. 計. 第3国 立 銀 行(東京) 第2 0国立 銀行 (東京) 井 銀 行 (東京) 田 中 銀 行 (東京) 安 田 銀 行 (東京). 三. 小. 計. 合. 計. 資本金 謄本劉 預 金 貸出金. 千 544. 支店所在地. 千円 200. 千円 200. 千円 536. 200. 134. 158. 171. 75. 67. 176. 167. 50. 16. 30. 37. 100. 50. 3. 17. 625. 467. 903. 928. 11. 20. 41. 55. 10. 38. 57. 9. 10. 3. 16. 2. 4. 13. 1 ,040. 1 ,465. 1 ,000 250. 1 ,000 250. 2 ,000 500. 2 ,000 500. 1 ,000 4 .750. 1 ,000 4 ,750. 24 22 26. 小樽・函館 小樽 小樽. 27. 函館 函・樽・根室 函・樽. 小樽 函館. 4 3 2 1 9 ,綴 / / ,. (注) 大蔵省理財局「第1回銀行総覧」並びに道庁統計書, 北海道勧業年報による, 万円に比べれば22年にはそれ ぞれ3倍に増 大 しているわけ であるが, それよりも25年から28年にか けて預 金貸付とも異常な増大を しているのが目につく. これは第4表にみる如く本道経済の発展に. よることは勿論であるが, このほかにもあ る程度は既にみたように26年以降新設銀行 が数行誕生し たことによろ う. なお, この期1例年次をとり, 個別的銀行の状況をみたのが第5表であ る. 本道 3国立銀行 屯田 本店銀行の 公称資本はともかく払込資本の緩リv性が目につく し, 預金貸出では第11. 資本 銀行北海銀行 がやや大きく他行を離 しているが, 沿岸漁村に 生まれた銀行はそ の生後の若さと - 38 -.
(12) . 北海道における銀行の展開と発展 (1). の媛小故にその活動はまだまだ小さいと言わなければならない. 総 じて本道本店銀行は内地本店 銀 行に比べて預金量においても貸付量においても及ばない し, む しろ内地本店銀行の貸出活動の 熱意. の大きさがみられる, この期の本道銀行の活動は前記本道本店三 銀行と, 第3国立銀行第20国立銀 行三井銀行の6行 によ って代表さ れるとい ってよい し, 大まかに言 ってその活動は函館, 小樽, 札 - 幌につきると言 っても過言ではない. 僅かにこの期漁村の漁業資本がその一部 を 銀行資本 に転化 し たと言えよう, G主) 1 ) 銀価の金1に対する市価は明治1 7年17 9 1 6年25 ,7 ,21年2 .22 ,2 .97となっている (明治前期経済史料集 成 第12巻 p ) ,46 , . 2 ) 会社数に して明治1 7年1 98 (払込資本22百万円) が2 6年4 3(払込138百 万円) 輸出額にしてそれ ,2 ,13 ぞれ34百万円,90百万円となっ ている (日本経済統計集 p ) .125 . . 3 ) 銀行条例別定の理由書によると 「銀行の事業たる…広く公衆より預り金をなし巨額の資金を運転 し金融 を開導するの機関にしてそ の一成一敗は…市場一般の信用に影響し, ひいては全国の経済に利害を及ぼ す故に銀行業者のために 条例を設け, その冒険事業を防制し, そのさてつを未発に予防するは国家経済 のために はなはだ緊急なることとせられる」 とある (直接引用明石照男 「日本金融史」 第1巻 p ) ,130 , . 4) 銀行条例制定までの銀行設立状況をみれば三系列があげられる. 1 , 官がその設立を認可 したもの. これには”}大蔵大臣の指令に基づき地方庁で認可 したもの.( ロ )地方庁限りで認可 したもの. 2 ‘ 人民 相対に任すという指令を受けたもの. 3 随意に設立 した もの . , 以上である, 5 ) 明治大正財政詳覧 p,55 により集計, 但 し若干の樺太開拓分を含む, 6 ) 官営工場は明治5年より開拓使により設立された, 明治11年より払下げが開始され22年に終了する. 官 営工場を列挙すれば次の通りである.. 篠津味噌醤油醸造所, 札幌醤油製造所, 札幌馬具製造所, 札幌製油場, 根室製革所, 歯舞昆布精製所 函館製革所, 茅部鱈肝油製造所, 茂辺地煉化石製造所・同石灰製造所, 札幌麦酒醸造所, 札幌新旧製粉 幌製粉場, 上磯煉瓦石製造所, 根室木挽所, 札幌製網場, 七重水車製粉場, 場, 札幌葡萄酒醸造場, 札1. 七重製煉所, 別海織詰所, 紗那耀詰所, 札幌紡織場, 厚岸かき縫詰所, 紋別製糖所, 石狩耀詰所, 篠路. 醤油醸造場の以上である, だがこの期特筆さるべき は明治22年成立の北海道炭磯鉄道会社に対する官営 炭山の独占的払下げであろう, 7) 道庁は官営工場の民間払下による工業奨励の外に資本家を誘致せんとして, 水陸物製造改良の工業家も しくは資本金3万円以上に して成助の見込あるものに年5朱以下の利子を6年間保証 した (新撰北海道 史第4巻 p,659, ) ,. 8 ) 設立当時の頭取は丹羽維孝 (旧尾張藩士, 前阿仁鉱山所長)取締役藤平重資(旧尾張藩士徳川家家職). 長尾安吉 (尾張八人衆) となっ ている (第1銀行史上 p ) ,794 , , 9) 旧北海道銀行 「創立30年記念誌」1 3巻 p .1 , 1 0) 旧北海道銀行営業報告による. 1 1) 官金取扱いの排止のために閉鎖された出張所派出所は本道では福山, 江差, 寿都, 岩内, 古平, 石狩, 月形, 樺戸, 空知, 苫小牧, 室蘭, 勇払, 新冠, 浦河, 幌泉, 釧路, 厚岸, 標茶, 紗那, 網走, 紋別, J (三井銀行 「北海道における三井銀行の歩み」p 宗谷, 増 毛の各所であり ) ,26 , .. - 39 -.
(13) . 沢. 光. 信. 口. 付表 1 . 初 期 明 治 政 府 の 貸 付 金 -全国一. 勧. 般. 会. ロ 部 ). 貸. …. 貸. 約 7』00. 準備金中銀行会社人民貸 起 業 基 金 貸. 5 2 ,990 72 2 ,6 3 ,019. 間. 租. 救. 別. ( 特 一 会 計 金 ). 16 ,302. 貸. 業. 地. 金. 助. 勧. 行. 資. 本. 勧. 行. 委. 託. 金 金′-. 152. (注) 農林中央金庫史l p 3による .2 付表 2 . 本道本店ならびに本道支店設置国立銀行 資. 本. 金. 設 立 消 滅 営 業 創 立 時 M15・6末 最 終時 年. 月. 千円 年 月 年 月 200 凸江11・i1n430・ 7. (函館) 第11 3国 立 銀 行. 千円 150. 千円 200. (函館) 第14 9国 立 銀 行. 80. 80. 130. 12・ 8 18・ 5. 1 東京第1 9国立銀行へ合併. (東京) 第 44 国 立 銀 行 (東京) 第 67 国 立 銀 行 (東京)第 33 国立 銀 行 (東京) 第 20 国 立 銀 行. 700. 700. 700. 11・ 7 15・ 9. 80. 230. 160. 11・ 9 31・ 9. 東京第3国立銀行へ合併 満期継続. 200. 300. 300. 11・ 1 250 5. 250. 250. 250. 10・ 7 30・ 7. (東京) 第 3 国 立 銀 行 (東京) 第119国 立 銀 行*. 200. 300. 1 ,000. 9・12 29・11. 300. 300. 1 ,000. 11・12 31・12. 満期前特別処分・普銀継続. M2 5 ,5閉店. 満期継続 満期継続 満期解散. (注)1 , 営業最終時は国立銀行と‐しての消滅時をさす, * は支店を本道に開設せず 但し合併と関係あるをもって特にかかげた 2 , , , 3巻より作成. 3 . 明治財政史第1. 一 40 -.
(14)
関連したドキュメント
現代の企業は,少なくとも目本とアメリカ合衆国においては,その目標と戦略
3 「公害の時代」の道路緑化
近年,道路橋において,伸縮継手と支承をなくして走行性の改善を図り,さらに耐震性の向上を期待するため,鋼主桁と
市場を拡大していくことを求めているはずであ るので、1だけではなく、2、3、4の戦略も
トルコ石がいつの頃から人々の装飾品とし て利用され始めたのかはよく分かっていない が、考古資料をみると、古代中国では
上げ 5 が、他のものと大きく異なっていた。前 時代的ともいえる、国際ゴシック様式に戻るか
対象期間を越えて行われる同一事業についても申請することができます。た
❸今年も『エコノフォーラム 21』第 23 号が発行されました。つまり 23 年 間の長きにわって、みなさん方の多く