美的教育のための美術の一考察
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(2) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察. 美的教育のための美術 の一考察 川. 広. 治. 正. 次. 目. 1 3 の 任務 まえがき . 美術教育 目的と ( 目標) 1, 美術教育の目的・目標 1 . 「新教育」 的美術教育批 1 ロ, 美術教育の内容と方法 ≧ … U 1 I . 美術教育の内容の問題 2 2 . 美術教育の方法の問題 . 学習指導要領の美術教育 批判 3 , 美術教育の評価の問題. ま. え. が. き. われわれはすでに美的教育を研究せざるをえない理由は, 学校における芸術関係教科には果 して 明確に自覚された目的なり目標があるのかどうか, その目的・目標 が学校教育の目的に どのように. つらなっ ているのか, 芸術教科が他の教科, たとえば理科や算数・数学とどのように望ま しい人間 像に 向 け て 統 一 さ れ て い く の か, な どの 問 い に どう 答 え る の か と いう と こ ろ に あ る こ と を の べ て お. いたD. いやしくも学校教育にあっ て指導す,るかぎり, 目的・目標が自覚されていな ければな らな い. ところが現実は どうか, 日教組第六回全国教育研究集会の 「芸術教育」 分科会で も評価の問題 に関連して, 「私はわからなくても授業を しなければなりません」 という多くの 教師になんと答え ) ればよいだろう, と問題を提起し, 「芸術教育理論の貧困」 を反省 しているが2 , これこそまさに ) 」 と して自己批判 しなければならないことである, このように, 美術の 「教育学者の理論の貧困3 教科で子どもたちを指導 しながら, 評価を問題に しなかったり, できなかったり, ということがあ りはしないだろうか. 評価するためには目標が明らかでなければならない, 評価できないのは目標 が明 らか で な い か らで は な い か, た しか に 目 標 は 将 来の こ と と して, 望 ま れ て い る も の と して, 抽. 象的な理想像として しかとらえられないでもあろう. しかし, それへの目標は具体的に明確でなけ ればな らないであろう, 目標が不明確で抽象的であればあるほど, 指導はどうでもよい ものになり かねないであろう, 指導がよかったのか, 間違っていたのか, 正しかっ たのか, 正 しくなかっ たの か, 定めようがないであろう, ただ何となく指導 しているつもりでいるにすぎないものにな らざる をえない. 指導に責任を負いうるためには, 何よりもまず, 指導目標が明確に具体的に自覚され, 設定されていなければな らない. 評価を軽視したり, 評価をよけて通るとしたら, その指導は無責. 任とな らざるをえない, 評価を放棄 することは, 子どもの教育を放棄するこ とにほかな らない. 以上の理由から, われわれはまず美術に限定 して, 主として公教育のなかで, 日教組の教研集会 に結集した全国の教師たちによる実践的研究をより どころに しながら, この問題を検討 してみたい と思う. 1, 美術教育の目的・目標 93.
(3) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察. 1 . 「新教育」 的美術教育批判 戦後のいわゆる 「新教育」 は個人的自由主義の立場で 「個性の伸長」 ということを強調した, , そのことが民主 的教育であると考えられた. 戦前の軍国主義的国家主義の教育では, すべてがただ ひたす ら 「お国のために」 ということであっ たから, そう した全体主義的拘束からの解放が戦後の. まず第一の仕事であっ た, 昭和22年度の 「学習指導要領」 その一般編のはじめに, 「これまでの教 育では, その内容を中央できめると, それを どんなところでも どんな児童にも一様にあてはめて ,. 行こうと した, だからどう してもいわゆる画一的になっ て, 教育の実際の場での創意や工夫がなさ れる余地がなかった, このようなことは, 教育の実際にいろいろ不合理をもた らし 教育の生気を , ) そ ぐようなことになっ た4 ,」 と反省 しているように, 個人の自由,個性の伸長の主張は, その時点 では一応それなりに正 しかったであろう.. 個人の自由 ・個性の伸長というとき, 全体的な客観性にたい して 個々人の主観性, つまり主観 , 的感情が強調されることになりやすい. 一般に芸術は科学と区別して 後者が客観的世界の合法則 , 性に本質が求められるのにたい して, 芸術は個々人の主観的感情・欲望・衝動にこそ その本質を , みようとする. したがっ て芸術教育はすなわち情操教育であると考えるのが一般であ っ た で あ ろ. う, 新教育の美術指導が心理主義的傾向になるのもまた当然のなりゆきであっ たであろう. こうした傾向からして, 戦後の新教育のなかで, 美術教育は感情を豊かにするということをめざ. して, まず抑圧された感情を解放することを大切な問題と考えざるをえなかっ た. この具体的現わ れは昭和2 7年に誕生した創造美育協会 (創美) である, その宣言のなかで, 欧米の 「新 し い 心 理. 学」 に学びながら, 「児童の生まれ つきの創造力 を励まし育てる」 ことを原則と し, 「児童の個性 の伸長こそ新 しい教育の目標」 であるという5 ) . ここで 「創美」 の教育を全面的に批判することは. できないが, 「児童の生まれつきの創造力」 という考え方については検討 しておく必要があるよう に 思 う. い わ ゆる 「新 教 育」 の な か で 強 調 さ れ た 「個 性 の 伸 長」 に つ い て も , プ ラ グマテ ィ ズム に. もとづく その教育思想にた いする批判のなかで, すでに批判済みの問題であるが わが国のその後 , の美術教育の実践のなかではいまだ必ずしもそれは明らかに なっ ている とはいえないように思う,. 一般的に教育の問題と して個性を伸長するというこ とは当然のこととして 強調されなければならな. い目標ではある, しか しそれがプラグマティ ズムの観点から, また個人主義的自由主義の立場から 強調されるとすれば, 改めて個性と は何か, と問わざるをえなくなる・ , 美的教育の場合, 主観的感 情の問題・ 情操教育の問 題と して, 子ども個々人の感情を 主観的に強調する意味で個性の伸長 がと. くに問題に されるように思う. しかもそれが 「生まれつきの創造力」 というよ うに 文字通り生ま , れつきのものとして強調されるとした ら, それにたいする指導とは何か, と問わざるをえない と , ころが戦後の しかも日教組の教研集会の討論の過程でも, いまだに繰り返 し, ニュアンスの違いは ありながらも, 基本的には一貫 した対立点として尾をひいていると考えられる いたるところで現 . われる対立 的論争の見本は, かたや 「万物の中に造形的美をさぐらせる」 とか 「近代的造形感覚を. 育成する」 という考え方にたい して, かたや 「普通教育における図工教 育は, 生徒児童の生活現実 をはっ きりと認識 し, 追求し, その中における自己の人間的喜びや悲 しみを深く, する どく表現す. ) る 学習 を中核とすべきだ」 という考え方であり6 , 「美術教育は子どもの精神・感動・エネルギー の自由な表現, 抑圧されない自己主張を基本とすべきであるという ・立場」 と 「子 どもたちの本当の 自由な表現のためには, 事物や現象に ついての見方や感じ方, 表現方法技術についての指導が必要 ) であるという立場」 である7 . 教師の指導性や技術指導を強調する立場にたいする 「子どもの自発 性」 「子どもの感動」 を大切に しようとする立場の対立である. あるいはまた, 題材選択の視点に 関 しても, 「子どもの生活や興味から題材の価値や意味を見つけ出そうとする立場」 と 「造形的な 94.
(4) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察. ) 課題を題材の軸に定めようとする立場」 の対立という形になっ て現われる8 , 感動・エネルギ して立派な精神・ に この問題はいうまでもなく, 子 どもたちは 「生まれながら」 ーをもっているのだから, それを抑圧することなく自由に表現させればよいのだ, 解放された自己. 主張こそ基本だ, だから教師が外から指導的に規定すべきではないということ であってはならない だろう, 指導とは解放することだという 「新教育」 的ガイ ダンスでは, 結局, 「六・三制野球ばか り・がうまくなり」 ということになりかねない. 教育の目的は被教育者・子 どもの願いそのものであ ● っ てはならない. 子 ども追随では指導否定になる, 子どもの願いは どこまでも未成熟者の, 教育さ れねばならない子どもの願いなのである. 生まれながらに完全な創造力な どどこに もない. 学力と. しての創造力は教育によっ て育成されなければならない, 指導するか, しないかが問題なのではな い. 問題は どう指導するかにある, 「自由な表現」 といい, 「自己主張」 といっ ても, 子 どもはい ま表現す べき, 主張すべき何をもっ ているのか. 「何を」 主張し, 表現す る の か, そ の 「何 を」. は, 現実の事物や対象の認識な しにはありえない. 他の教科と同様に図工・美術の教科もまた子ど もの認識を育成しなければならない. 主張するといっても, コトバを知らずに 主張できない し, 文 章作成の能力な しに, 相手に自己を正 しく理解してもらうことのできるような話し方はできない.. 表現するといっ ても, 子どもの衝動的願望や, 雑多な経験内容がナマのままでただ表出されること であっ てはならない. 表現するということは, 生活体験のなかで, 感動に裏づけられた何かが主体 的に選択されていなければならず (テーマ設定) , それを造形的に 形象化す技術的能力をもっ て い ) なければならない9 , 要するに 「教育とは教育しないことである」 ということは, 悪 しき教育にた. いする消極的な批判 としてはいえても, それ以上の意味をもちえない. 美術教育の場合とて同様で あ る.. 2 . 学習指導要領の美術教育批判 戦後の民主教育のなかで, 文部省は どのような考えで, 指導してきたのであろうか, 昭和22年の学習指導要領から, 昭和33年の改訂に至るまでの, い わゆる 「試案」 の時代にあっ て. は, 「新教育」 的考えが一貫していたと見てよいであろう. 詳しくは後でもふれたい と思うが, 基 本的にはすでにのべ てきたように, 個性の伸長という観点は, 美的教育と しての図工 料 に お い て. は, 情操教育にその基本があるという考えに通ずるであろう. 昭和22年版 学習指導要領・図画工作 編では, 図工教育の目標を三つの主要能力に従っ て, 17の項目を設定 しているが, 第1の 「自然や 人工物を観察 し, 表現する力を養う」 の4項と, 第3の 「実用品や芸術品を理解 し鑑賞する能力を 養う」 の 4項とに, ともに 「豊かな美的情操」 をかかげていること, 昭和26年改訂版の学習指導要. 領・ 一般糖の図画工作科の説明のなかで, 小学校においても, 中学校においても, ともに 「創造的. な個性をじゅうぶんに伸ばす」 ことを主眼と していることによっても, その基本的方向を理解する ことができよう. いずれにせよ, これらの 「試案」 は, 現場教師の指導を拘束する性質のものでは. なかっ たことも注意しておきたい. しかし, 昭和33年の改訂以後は, 学習指導要領は国家基準と し て現場教師の教育実践を規定するものとなっ たことによって, かえっ て図工料教育の任務を改めて. 自覚的に検討せざるをえないものに した↓. 昭和33年版の改訂は改めて論ずるまでもなく, 「道徳」 を特設するところにその改訂のねらい が あったのである. それとの関連において, 美術・図工教科もとらえなければならない. ここでは詳 しく論ずることはできないけれども, そもそも教育学的常識に反してまで, 2領域の教育課程を 一. 950年のアメ リカの朝鮮侵略 挙に4領域にまでして, 「道徳」 を特設せざるをえなかったわけは, 1 戦争の失敗から, 日本を再びそのア ジア支配の手先に利用 したいアメリカ帝国主義の願いがきっ か けになっ て, 日本の支配階級もそれに便乗 して, 日本を軍国主義化し, 政治を反動化の方向に進め 95.
(5) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察. るために, 時の文相天野貞祐による 「国民道徳実践要領」 の国会提案となって現われた, それは幸 い白紙撤回されたが, 15年後殆 んど同じ内容と形式で 「期待される 人間像」 となって復活 したもの ・学的知識と民 である, その中味が示 しているように, 戦後日本の民主化が進み, 国民のあいだに料 主的理解がひろまることは, 独占資本の復活にとっては大きな障 害であった. さらに, 独占資本主 .学の振興を不可欠の条件とする, しかし働く労 義の発展のためには, 革新技術, したがってまた科 働者のなかに科学性が浸透していくことは, 必然的に反国民的 反動政治への国民の批判を発展させ ることになる. そこでいわ ばその 「解毒剤」 と して, また積極的には, 独占資本主義発展・労資協 調のための 「促進剤」 として, 換言すれば, いわゆる 「西の科学」 に対する 「東の精神」 として, 「道徳」 を教育課程に特設したのである. そうした 「道徳」 であれば, それは 教科の科学性や特別. 教育活動の民主性・自治性と矛盾するものでなければならないのである. したがって そ の 視 点 か ら, 改訂版,学習指導要領は教科として の図工・美術教育, クラ ブ活動としての児童・生徒の芸術 3年の学習指導要領をみよう. 小学校の 「図画工作」 の目 的活動を規制せざるをえなくなる. 昭和3 標では, 5つの目標がかかげられ, その1に 「絵をかいたり ものを作ったりする造形的な欲求や興 味を満足させ, 情緒の安定を図る」 とあり, また, 3では, 「造形的な表現や鑑賞を通じて美的情 操を養う.」 とある. そ してその終りに 「上に掲げた図画工作の目標は, 相互に密接な関連をもつ ものであるが, 目標1は, 図画工作科における指 導の出発点となり, またその基底となるものであ る,……図画工作科の特性上, 常にその指導の根 底には, 目標 1が考慮されなければならない,」 と ′いる. 中学校の 「美術」 の目標 目標1, すなわち 「情緒の安定を図る」 こと が繰り返し注意されて. 1 ) のなかでも, 4つの目標のなかで, 「表現意欲を高め, 創作の喜びを味わわせる」( , 「美的感覚 )「美術や自然美を愛好する心情」 ◎ 「情操を豊かにする」 ④というように. 意欲・喜 2 を洗練し」{ び,心情,情操という心理的側面が強調されていることに気 づくのである.. 終戦直後の民主教育のなかで, 個性の伸長と関連して感情の解放が強調されたのは, その時点で は進 歩的な意義をもっ ていたであろうが, 朝鮮戦争を契機としてつく られた日米 「安全」 保 障 条 約・サ ンフランシス コ 「平和」 条約という体 制のなかで, 日本の軍国主 義復活という反動教育の方 向で, 特設 「道徳」 を中核とする教育課程の枠のなかで, 図工・美術教科の指導が, 美的心情・情 操をとくに強調することは, 教育的に どういう意義をもつのであろうか. 現場教師の研究集会のな かで, この新学習指導要領 がはっきりと問題として提起された のは第 9回全国教研集会においてで. あったが, そこでは, 新指導要領が教育の理念としてめ ざしている人間像を, 「いわゆる 美的情 操 が陶冶され, 情緒の安定した, いいかえれば何の悩みも疑いもなく, 現実の社会状況にピッタ o ) 」 として批判 している. この批判は妥当であると考える, 反 リと適応していけるタイ プの人間像l. 国民的・反民族的な政治が進め られるに従い, 民主的な憲法の 基本的人権も次第に軽視され, 無視 されていくなかで, 日常生活においても必然的に矛盾が深化していく. それは当 然国民に不満とな ニ快く沈潜 っ て爆発するであろう. そうした状況のな かで, 子どもたち が生理的′D潜・情緒のなかマ していくと した ら, そういう方向への 教育は, いわば麻薬的な役割を演ずることになるであろう, 目覚ます教育で はなくて, 眠らせる教育という, 教育否定にな らざるをえない. すでに学校外の社 会 教 育 ・ マ ス コ ミ の な か で は, 池 田 ・ ロ バ ー トソ ン会 談 に お け る 日 本 政 府 の アメ リ カ に た い す る 責. 任と して, 「日本に愛国心と自衛のための自発的精神 が成長するような空気」 がかもし出され, 無 関心・無気力・ 無責任な青年が形成されつつある状況である. 自我の確立 が民主主義である, とい う一面的強調に よっ て, 世界の科学的客観性とは正反対の自我の内面に, 主観的心情・感情にこそ 自我の本質をみようと する主張によっ て, 実は自我を, 個性を無内容な幻想にしてしまう無国籍・ 無思想の教育が学校のな かでも行なわれていくことになる. それ が新学習指導要領の一 つの重要な 96.
(6) . 広川正治:英霊教育のための美術の一考察. 特徴ではなかろぅか. 昭和32年の時点ですでに 「機械化された 人間, 非独立的な人格の大量出現」 という現実をふまえ, これをどう克服するかという討論のなかで, その 「根本原因が歴史的社会の 社会的諸関係にあり」 として, その原因を表現活動のなかで追求しようとする考え方にたいして, 「それぞれの個人に, 極めて自由な表現活動をさせ, それによって健康な, 主体的で行動的な人間. をつく っ てゆく ことによって阻止できるという考え方」 の描画指導は, 結局, 春 画 的 落 書 に 「発 展」 したという事実が明らかになった日) . これは教師の観念的意図とは無関係に, 単なる心情的自 己主張の表現教育の性格を実践的に教えてくれているであろう.. さらに昭和43年に小学校の, 44年に中学校の学習指導要領が前回と同様国家基準として改訂され たが, その間に, 昭和4 1年の段階で 「後期中等教育の拡充整備について」 の別記として, 「期待さ れる人間像」 が 「中教審」 から答申されている. この答申を再改訂版のなかに浸透させることによ って, 分裂カリキュラムといわれた 昭和33年版学習指導要領を, かなり 「道徳」 の線に統合させて. いる, すなわち 「聖なるものにたいする畏敬の念」 「象徴天皇にたいする敬愛の念」 という点に一 貫性をもたせようと努力していることである, それは, 日本独占資本主義をいよいよ対米従属のも. とで帝国主義的に発展させるため の革新的科学技術教育の必要性にあわせたその 「西の科学」 にた いする 「東の精神」 としての性格をもつものになっている, とはいえ 「道徳篇」 でさえほとんど変. っていない内容であるように, 図画工作科・美術科においても, その目標は実質的には殆ん ど変っ ていない. その要点は 「美的情操を養う」(小) ことであり, 「情操を豊かにする」 (中) ことであ る. さらには 「美的直観力や想像力を育て」 「審美性を豊かにし」「自己表現の喜び」 「製作する喜. び」 「を味わわせる」(中) ことである, 日教組第18回全国教研集会の討議のなかで, 「今次の改 訂で注目されることは, 小学校・中学校を通じて美的情操 の教育であることを積極的におしだして き て い る こ と で あ る」 と い い, そ の 問 題 点 は, 「そ の こ と が どん な 具 体 的な 内 容を も っ て い る か と. いう点」 すなわち 「美しくないからということで, 子どもたちの現実とのかかわりにわく がはめら れたりする心配, 何をミ ということにわくがはめ られる心配が大いに ある」 ということ, 内容と 技術の分離, 見るということを通して思考を深めていくという論理の否定, 無系 統 性 な ど」 で あ 2 ) る1 . そ してやがて 「画一化した美的情操をねらう国家主義的色彩が強くなっ ている. 教科書には 濃 厚 に さ き ど り が み られ, 中 学 校 教 科 書 で は, ピ カ ソ の 『朝 鮮 の 虐 殺』 『ゲル ニカ』 ム ン ク, ツケ. イロス, ペンシャ ーソらの現実を鋭く描写した作品が消え去り , , 日本の芸術を中国・朝鮮の美術文 『 化ときりはな して扱う傾向は, 期待される人間像』 の 愛国心 と無関係ではなく, 明らかに中 教審路線のねらう. 教育の国家統制ミ という面から体制の意志で変えられてきたことを見ぬく必要. 3 )」 と 指 摘 さ れ る に い た っ て い る が あ る1 .. 以上でわかるように, 美術教育における自由な自己主張という心情主義は, 要するに現実生活か らの遊離, 対象にたいする客観的認識やそれを深める論理の軽視または無視, 指導の無思想性・無. 系統性な どが批判される. そういう性格の美的情操教育と, 天皇への敬愛の念という道徳教育との 関連に注意しなければならない. 3 . 美術教育の任務 (目的と目標) われわれの教育は抽象的な人間を対象にしているのではない. また真空のなかで教育しているの. でもない. 歴史的・社会的に規定された現実生活のなかで生きている子どもたちを同じ環境条件の なかで人間・教師として教育しているのである. まさに教師も子どもたちも, 「資本主義的生産様. 式が人間疎外をもたらしているという事実の中にある. アメリカ的な生活様式が, マスコミのあら ゆる手段をとおして流れこんでいるという事実の中にある. 無国籍的文化のはんらんの事実の中に 4 ) ある, 肉体的労働はいやしめられ, 精神労働といちじるしく差別されている事実の中にある1 .」こ 97.
(7) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察. による頭廃的無国籍的 うした現実社会のなかで 「美術教育の内容は次第に形式主義化し, マスコミi 美術の一週間数は圧迫され 美術文化に毒されつつあり, 受験勉強のために. , あるいは安易な息 抜 5 )」と 指 摘 さ れ る. い ま こ そ 人間 い か に 生く べ き か を 考 え さ せ, 感 じと ら き の 時 間 に な り つ つ あ る1 ,. せなければな らない,. 学校における図画工作・美術科の指導も学校教育の一環と しての美術教育であるかぎり, その目 的は大きく憲法や教育基本法が示 している通り, 人格の完成をめざし, 平和的国家およ び社会の形. 成者・主権の存する国民を育成することでなければならない. 改めて論ずるまで も な く, 図 画 工 作,美術科は, 子 どもの意識や感情・思想ともっ とも大きくかかわりあう教科である. すでに本紀 6 ) 要で 「芸術と教育」 との関連を検討 しつつ, そのー応のまとめで1 , 美的教育は, 「美による美へ. の教育」 であり, 「目的としては存在と当為との統一, 感性と理性との統一, 内容豊かな多様性が なんのと どこおりもなく調和的に総合的に統一されている人格, もっとも苦 しい義務をももっとも 献身的な行動をも, まことに遊ぶがごとく自然に遂行 しうる美しく幸福な人格の状態・ , 換言す れ 7 ) ば 「階級的視野をもった, 全面的に発達した人格をめざす, ものと考えた1 , 「手段と しては, 美 しき 魂 の 総 合 的 統 一 的 方 向 に お け る 媒 介 性」 で あ る と 考 え た. さ らに 「コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンの な い. と こ ろ に 教 育 は な り た た な い. 美 的 教 育 を 本 質 的 に 成 立 さ せ る も の は, そ の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンの. 形態と しての形象の教育からはじめざるをえない」 とすれば, 教育の観点からして, 芸術的認識に おけるコミ ュニケーショ ンの形態である形象の教育, つまり芸術教育, 普通教育と しては形象構成 ) 8 の技術教育, 芸術的認識を育成する教育が必要であることを 明らかに した1 , それでは, 以上のような美的教育の基本的考え方からして, 美術教育の任務は何か, 図画工作・ 美術科では, 何のために, 何を, どのように教育すればよいのか. 子 どもたちが仕合わせになれるように, 人間がひと しく, より幸福になれるような社会につくり かえていくために, 自然や社会のなかに客観的に存在する美を教えなければならない. 美は本来客. 観的に存在するものであるが, 人間にとっては芸術的 (形象による) 認識である. それは人類が社 会的生産活動のなかで形成 してきたものである. したがっ て美は一定の社会的・歴史的原因によっ 8 ) て制約されており, 階級社会にあっては, 美の価値評価も当然階級的性格を もたざるをえない1 . 文化一般がそうであったように, 人類のこれまでの 生産労働を中核とする生活上の努力によって, 美的価値もまた変化し発展 してきたものである. われわれはこの教科を通して子どもたちに, まず 第一に, 「人間の生きるための努力の美しさ」 を教えなければならない, 新しいより価値ある文化 の創造は, それをはげます感動は, 人間の生きるための努力, よりよく生きようと する努力にほか ならないからである, 社会が民主的発展をになう国民の主体性もここに発するからである.. 第2に, 「生命あるものの美 しさを教えよう.」改めていうまでもなく, わが国の現実社会はいま 公害に悩まされている, 年中行事化している風水 害・交通事故, 海や山や川, そして水に空気が汚 る. 平和憲法のもとでありな がら着々 染され, 人間の生命はいたるところで脅かされ, 損われてい●. と軍国主 義化が進められ, 暴力がはびこって来ている. 人間の生命はいうまでもなく, 動植物の生 命が犯されているところに, 平和が犯されているところに, 自然の美も, 社会の美も 存 在 し え な. い, 現実 生活のなかでの真に美 しいものと醜いものを見ぬく力・感じとる力を育てたい, 「生き続 けることの素晴らしさや喜びを知るとともに, 生命を傷つけられ, そこなわれているものへの思い やりや, しいたげられているもの同志の生きぬくための努力を考え, 生きていくための厳しさ, 悲. しさ, そして生命の崇高さを正 しく教えていくこと, 生命の真実を明らかに し,.生命の美しさの典 型化をリアルに形象できる力を養い, 教え育てて行きたい」 ものである, 第3に, 「労働の美しさを教えよう,」 生命をささえ,.社会を発展させ, 文化を向上させるもの. 98.
(8) . 広川正治;美的 教育のための美術の一考察. は, それは基本的にはつねに労働によってである. あらゆる生産面で, そして家庭で, 額に汗し, 生命をかけて働く 姿の美しさを描くこと, 作ることを通して教えよう.. 第4に, 「生活の美しさを教えよう.」 人間が生活環境を住みよいものにし, より価値高いもの にするために, 発明し, 新しい道具や機械・器具を造り出 して来た. またそれらを使用 している日 常生活のなかで新しい生活様式を生み出し, それを美しく して来た子どもたちの生活環境, 日常生 活のなかにある美しいものを認識するとともに, さらに生活を美しくする能力を身につけさせなけ. ればならない. 生活を見 る眼を深めたい. 第5に, 「風土の美しさを教えよう.」 すでに文部省の学習指導要領を批判するなかで論じてきた. ように, われわれの生 きた教育は, 現実生活から遊離した抽象論ではなく, 子どもたちが生活して いる現実社会にしっ かり足をふまえていなければならない, 地域の風土に根 ざしていなければなら. 史」 を教え ない. 子どもたちに ,「風土の自然に愛着を持ち, その風土とともに生きて きた民衆の歴 ) 9 るとともに, 風土との人間関係を理解させなければならない1 , 以上の諸目標は, 美術教育のねらいであるかぎり, 必ず描画や彫塑な どの造形技術による表現活 動を通して達成されなければな らないことはいうまでもない, ロ. 美術教育の内容と方法. 美術教育は何を, どう教えるのか. この問題について, これまで現場での実践的研究の積み重ね から確認されてきていることは, 植民地的文化情況の中で, 美術教育の内容は次第に 形 式 主 義 化 し, ,マスコミによ る頒廃的無国籍的美術文化に毒されつつあり, 受験勉強のために, 美術の一週間. 数は圧迫され, あるいは安易な息抜きの時間になりつつある. これにたい して 「われわれの美術教 育は, 民族の伝統の正しい継承の上にた って新しい美を発見させ創造させる仕事であること, 安価 で夢幻的な空想ではなくて, 現実の正 しい認識に裏 づけられた感動と想像力を重んじ, 思 想 と 感 ) 換 言す れ ば, 1, 「日 本 の 政 治 0 情・感覚と技術の有機的統一をめざす仕事であること」 であ る2 .. 的・経済的・文化的現実との深いかかわりの中で何を, どう教えるかを考えていくべ き で あ る こ と」 2, 「植民地的な, 無国籍的な文化の氾濫に対して 正しい意味での民族文化の確立の方向をめ ざしていかなければならないこと」 3, 美的教育・芸術教育は 「情操教育と同 義語ではない」 ので. あって, 「主として創造的活動をつうじて, 子どもたちのいきいきとした 生活を変革していく根源 的な力」 「子どもたちの自主性・自発性を育て, 新しい課題にとりくんでいく勇気と冒険心とを育 てていくこと」 4, 「創造的表現と鑑賞の仕事をつうじて, 美と真実を深く鋭く感じとることので 「創造的活動は, 頭と目と手との統合 きる見方や感じ方が教えられなければならない」 こと, 5, . 1 ) 的な 活 動 で あ・るこ と」 で あ る2 .. 1. 美術教育の内容の問題 図工・美術教科のなかで何を指導するのか. いや指導するとは どうすることか, がまず問われな 970年に入っ た段階でも, いまだに現場に おいては, 「上から教えこむ教 ければならないだろう. 1. 育の姿勢」 にたいする批判として, たとえば 「子どもは未発達といえるのか, ……… 育てるとか教 えるとか考えるべ きではなく, 子どもたちとのふれあいのなかで自分がふとっ ていくのだ」 と, 福. 2 ) 井は主張している2 . 子どもの創造性や個性は, 子どもをただ自然にまかせておけ ばのびていくの であろうか. 前にもふれたように, それは教育の否定にほ かならない. 子どもは真空のな かに生き ているのではない, いろいろな矛盾に充ちた現実社会のなかで生活しているのである, 子 どもの欲 求自体, かれの感情自体, 環境影響 (教育を中心として) のなかで発達するもので あ る, 現 実 に. は, 感情だけ切り離して発達させるわけにもいかない. 正しい教育であるかぎり, それはつねに弁 99. 1 ・ . . 1 ー . 」 , , . 1 1 ‘ . . ・ 1 ‐ ・ ・ 1. . 1 ・ 1 . ● 1 ・ . .. 1 : ●. 1 . ・ 1. ー ! !. ’ ‘ r ● ● ● . ● 1 . 1 . ; . ・ ● ● .. ● : ・ 」 ・ - -.
(9) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察. 証法的相互作用のなかで総合的に形成され, 発達するのである. まさに 「創造的活動は, 頭と目と 手との統合的な活動である,」しか しだからといっ て, 決して上から教師が一方的に教え込めばよい の だ な どと い う こ と で は 毛 頭 な い.. 指導するとは どうすることか. 「子どもの意識や感情に 刺戟的にはたらきかけようとするコマー シャ リズムやマスコミによる意図的な文化形 成や操作によっ て, 子どもの 意識が反動と退廃へおび 疎による生活の崩 3 ) きよせられようとして いる2 .」とくに近年は公害による自然環境破壊, 過密・過 ている子どもたちを 壊のなかに子 どもたちはさらされている, いろいろな悪 しき空気に汚染され , 美と真実に目覚まさなければならない. 目覚ますためには感動・意欲をよ び起す刺戟を与えなけれ ばならない, 自然や社会のなかの美に目覚ますためには, まず教師自身がその美に感動していなけ ればならない. 教師自ら感動すること・なしに, 子 どもたちのうちに 感動を呼び覚ますことは できな い, 存在の美については, 教師自身の感動が媒介となって子どもたちに 美的認識を呼びさますので ある. 本来美はおのずから喜びをもって価値へと誘い込む魅力あるものである, 「自然の美, とく .美しい快的な建物, 新しい都市, 橋と公園, に人びとの労働と意志によ って改造された自然の美, 勘を軽減する美事な機械, 民衆の創造力の多様な 作品--これらすべての, 美として知覚され, 労,. 体験され, 意識されるものは, 生活の新しい歓喜の創造に積極的に参加しようという意欲を呼びお 4 )」 の で あ る か ら, 教 師 は そ れ ら が も っ て い る 美 の 側 面 を み の がす こ と なく, 子 ども た ち に 示 こ す2. すことができなければならない, その意味で 「現実生活の実態を明 確につかみ, そこで自分が受け とめた喜びや悲しみや怒りを生き生きと他の人に伝えようとする意 欲にみちた 態度で現実を直視す 5 ) 」 こと るように子 どもをみちびき, その中で現実の視覚的真実を把握する力を与えてゆくという2 が美術教育の重要な任務となる. 熊本は木彫で 「手」 というテーマを与え, そのための材料になる お も しろ い 形 の 木 の 根, 木 のこ ぶ, 木 の 枝 な どを 探 して く る こ と を 夏 休 み の 課 題と した. そ の こ と. から 「日頃あまり気にとめずにいる木のかけ らからすばらしい 彫刻ができるということがわかれば 6 )」 と い っ て い る こ と に も 留 意 し て お き た ミも のゃ へ の 目 の む け 方 も か わ っ てく る の で は な い か2 L、.. わが国の歴史的社会的課題からして, まず認識させねばならぬものは, 現実生活である. そこで の喜びや悲しみや怒りをよ び さますことである. 現実生活のなかで, 人間の生命が犯 され, 脅かさ れ, 人間が機械化されている根本の原因が, 歴史的社会の社会的諸関 係のなかにある の で あ る か. ら, 「こうした社会的諸原因, 人間的諸関係を表現活動のなかで実感をもっ て把握させ, 人間存 在 ) 7 」 なけ の実相を明確に認識させることによっ て, 人間的自由の獲得への意志と志向をとらえさせ2 れ ば な らな い, 秋 田 は, 「一 日 一 つ, 美 しい と 感 じた こ と, お どる い た こ と な どを か く よ うに」 「小. 8 ) さいノー ト」 の実践を報告しているが2 , これはそのための第一段階での実践的試みであろう. 人間の生命の尊さ, 働くことの尊さを 認識させる具体的な手だてとして, 教材として, 手を観察 させ, 手の働き, 労働する手を, あるいはお父さんの労働ですリヘ った地下足袋を描画の対象に し 合ったが, 単な 9 ) ている実践が報告されてい る2 . 広島県山滝小学校では 「最初, 所謂 解放教育から女 る自己主張のための表現の教育的限界をしり, 次第に 一切の事象を客観的にとらえるためのリアリ ズム教育に移った. ある生徒は, 父親のハ ダシ足袋を熱心に描い てきた, その裏側のあらわれてい る 部 分 に 一 ヶ 所 磨 滅 して, ツ ル ツ ル に な う た と こ ろ が 描 け て い た, そ して そ の子 は, 足 袋 の 裏 の こ こ の テ ラ テ ラ した と こ ろ は, お 父 さ ん が い つ も 働く と きに 力 の 入 る 部 分 な ん だ, お 父さ ん は 足 の こ・ か ん で ゆく 活 生 は き りと も て の を つ に 力を入 れて働く ん ,だ, と い っ た. こ う して 実 感 を っ 父 っ . そ. してそれにたいする人間的愛情を深めてゆく, その愛情 が更に絵を美しくする. こうした指導こそ 0 ) また, 熊本は 「生活現実を直視させ, 生活の真実を知り, 叉表現するリアリ ズムの教育である3 .」・ 100.
(10) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察. その中から, なにが価値なのかをみいださせていきたいと考えて, 地域社会の経済を支える土台と なっている ミながれ船ミ をとりあげ」 ,新潟は 「大雪で自然とたたかう人間の姿」 を, 和歌山は近海 沿岸漁業による生活の維持が困難になってきている実態をほりさげ 「労働のきびしさ, 大切さをと \っ て, 浜で{ 1 ) らえていかせたいとねカ 動く 人をとりあげ」 ている9 . 現実生活を認識させ る場合, 当 然地域性をふまえざるをえなくな るであろう. 反動教育は昔も今も, 現実生活から遊離したもの で あり, したがってまた地域性を扶殺す るのが つねである. とくに現代の情報化社会のなかにあって は, 地域性の問題がみなおされなければならないであろう甥も このように子 どもたちが製作活動を 通 して, 生活 そ のも の の 実 質 を み て み, 描 い て み て, 真 に ヒ ュ ー マ ンな 人間 と して 成 長 し て いく よ. う導くところに美術教育の特質がある. 広島は生徒の卒業製作として原爆をテーマにとりあげた, 「共同作 『死の埋没』 は, 戦争を告発するものとして, 学校をかざっているものであ ること, しご と は 生 き て い る 友 だ ち の 手 や 耳 を ス ケ ッ チ し, そ れ を 死 のイ メ ー ジ に よ っ て 変 容 さ せ て いく , それ らは ドライ ポイ ントに 移 さ れ, 刷 り あ が っ た 作 品 の き り ぬ い た も の を あ っめ て, 構 成 を 討 議 の な か. ) 3 で決め, 最終的なまとめを美術クラブ員がやっていく, という順で進められた3 」 総合的な共同作 業である. 平和・生命の尊重の目標がめざされていることとあわせて, 後でもふれ る通り, 学級全 体の共同作業という組織的集団による方法がとられていることに注目すべ きである, またこのこと とも関連 して, 民族遺産の問題がある,. 4 昔から残っている大和の家をみ つめさせる実践指導が報告されているが3 ) 1 ) , この場合は( , 労働 2 1 ・生産と家との結びつき,( , 家を通して祖先の生活を理解し, 現在を認識していくことの大切さ と同時に,t } 3 そのことが広い世の中の暮しを理解していく基礎とな り, 将来の生活に希望と見通 ,. しを与える要素を含んでいるものと考えている, 熊本は五ッ木の子守唄を題材とした実践を報告し 5 ) ているが3 , その題材設定の主要な理由は 「五ッ木の子守唄は, 自分たちの地方の唄であり, 現在 商業主義的にゆがめられてしまっ てい るけれども, 本来, しいたげられた 民衆の歌なのであ る 自 , 分たちの祖先が, しいたげられながら, いかに生きてきたかを, この仕事を通して肌で感じと らせ たかった. 祖先のこうした泥くささや精神遺産, 文化遺産にもう一度照明をあてること によっ て, 現実をみつめ, 自分の足であるく前向きの心をしっかりと育てたい」 ということ にあっ た. そして 表 現 の し ごと を 進 め るた め に は ま ず感 動 やイ メ ー ジが は っ きり して い る必 要 が あ る. そ の た め に は. 文学を読み, 五ッ木の子守唄を歌い, 資料を集め, スケッチをとりという仕事をねばり強く続けて いる, ここには手だけでなく, 目も心も頭もともに協力して働いている. そういう教師の指導と子 どもたちの作業の過程で, 見方や感じ方も深められ, 表現の訴求力も大きく なっ てい く の で あ ろ う. ここにも見られるように, 感動も単なる衝動的なものであっ てはならな い, 質的に高め られな けれを ならない, 個性の美的発達には, 道徳的発達が, 情緒的発達には合 理的発達が統一されなけ. ればならない, 「真の美的快楽はつねに内容豊かであっ て, 美に対す る情緒的反応に理性が参加す るこ と は, そ れ を 豊 か に し, 深 め る の で あ る%)」 また 北 海道 では, オ ロ ッ コ 族 の 遺 産 で あ る オ ロ ッ. コの模様を, 彼らの歴史と今日の社会的現実のなかに位置づけながら, それらを教材化することに よって, 民主的な思想と感情の発展をはかろうとしている.」子どもたちはこの授業のなかで 「いま まで無関心だった少数民族の歴史と生活, そのなかでの文様に新しい目をそそ ぐようになった」 と 7 ) 報 告 さ れ て い る9 ,. 民族遺産・伝統を教材に とりあげる場合, 考えておかなければならないことは, 今日のわが民族 の歴史的課題のうえに立っ て, わが国の社会・生活の見通しをふまえていること, ( 2 1 , 感情そのも のは社会的習慣・生活様式や伝統のなかでこそ形成されるのだということを考 慮し, 民族の伝統を ) 尊重し, そのすぐれた部分をうけつぐこと,L 3 ,i外国文化の影響を否定したところに民族文化の発 101. 1 1 1 1 1 ・ 1 ー , . . ●. ・ - ● ..
(11) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察. 展はないと同時に, 自国の文化にたいする主体的な 立場をふまえることな しに, 正しい外来文化の ) 8 摂 取 も 考 え られ な い こ と な どで あ る3 .. ブ ーマを与えるということは子ども の感動を目覚ますため の方向づけである. しかし美術におけ るテーマは形と不可分のものであって, 抽象化された命題は創造の契機とはなりえない. しかしな が らま た, そ の テ ー マ の も つ 形 に 子 ども を お しつ け, 枠 づけ て しま っ て は な らな い. 実 践 的 指 導 の. 難しさがここにある. 理論的には, 感性的側面と理性的側面との統一ということであるが, 実践的 には どう統一するの か. 指導の具体的方法が問われることになる, 2 . 美術教 育の方法の問題 現場の実践的指導のなかでつねに問題になっ てきたことは, 教師の指導性と子ども の自発性との 正 しい統 一ということであった, 「子どもの感動だけでは絵は かけない, 表現の技術を教えなけれ ども に 美 的感 動 を よ び さ ま す た め に 9 )」 な の で あ る. 教 師 が テ ー マ を 示 す こ と に よ っ て 子. ば だ め9. は, 教師のそれにたいする感動 が不可欠である. それが指導性を持ちうるためには, 教師に 「明確 r 1 ) , 子ど な思想的立場」 がなければならない. 京都・大阪・滋賀はそれをつぎのように 指摘する. ( 義的な限 ) 2 , 単なる自然主 もたちの人間的な要求を正 しく育てようとするヒューマニ ズムの立場, (. 1 3 界にと どまらないリアリ ズムの立場, t , まわりの者とうちとげた話し合いをし, 表現を進める中 1 4 , 民族的文化遺産を掘り で連帯的な見 方・考え方を育てていこうとする集団主義的教育 の立場, { 働くものの側に立 6 1 って, 労働を重んずる 起 し, それを積 極的に継承発展させようと願う立場, { , 題 (テーマ) と呼ばれる, この考えに 0 ) 立場4 , このような立場から題材が設定された時, それは主 従えば, テーマはも はや単なる形ではなく. , うちに 思想性に裏 づけられた感動が脈打っ ている筈な 師自身のテーマに対する感動 であろ う. そうした は何よりも教 のである. そのこ とを実証するもの 感動と技術の, 感性と理性の, 思想性と具象性の統 「の模範が芸術家によるすぐれた芸術作品であ る. ここに芸 術作品鑑賞指導の教育的意義がある, すでに検討 して来たように, 子どもの感動といつて も無内容のものであっ てはならないし, 無方 向のものであってもならない. 「何に」 感動するのかの方向 づけが必 要である. 感動の方向 づけの ためにも, 単なる自然主 義的限界に止まることなく対象の本質 に 迫りうるためにも, 民族文化の掘 ・学的認識の育成との関連が必要になる. また, 子 ど も の 自 主 り 起しのために も, 他の 教科での科 性.自発性といっても, 個性の問題と 同様に, 集団的自治の保障のないところの自発性は, 与えら れた枠のな かでの自発性, 主人の命令に 喜んで協力する奴隷の自発性になり かねない, 池田・口ハ ートソ ソ会 談でいうところの 「愛国心と自衛のための自発的精神」 になり かねない. そうならない ためには, 子どもたちの自治を育成する生活指導との関連が必要である. 図工・美術の授業におい ても, 話 し合いのな かで表現を進める 連帯的な見方・考え方を育てていこうとする集団主義的立場. が不可欠なゆえんである. 図工・ 美術の指導 が戦前の手技訓練的手工教育にならないためには, 技術主義におちいらないた めには, 他教科との, 生活指導との一貫 した統合が考慮されていなければならないと 同時に, 何よ りも, 美術の指導そのものが総合的でなければならない. すでに論じたように 美的教育 の 本 質 は 「総合的 ・統一 的媒介性と して作用する」 ところにある. した がって, 手段としては, 「美しき魂 ) 8 の総合的・統一的方向における媒介性である1 ,」「目と手と心 の協同によっていとなまれる創造活 1 ) 」 ゆえんである, 動が, 頭と心の調和 的な発達にとって大きな意味を もつ4 美術作品の鑑賞では, まず 「絵を読みとる」 ことを指導しなければならない, あたかも 「本を読 2 ) むように, 絵がよめるということ」 が必要である4 , 愛知は高村光太郎の 「手」 平安の薬師如来の 「手」 の写真をつ か って話し合い, 木彫の 「手」 の仕事につなげていっ た. 話し合 い を 通 じ て, 102.
(12) . 広川正治;美的教育のための美術の一考察. かけている 「(薬師如来 「手」) というような感じを起させる造形のことばを理解させるには助言が. . ・ 1 1 ’ ● 1 ・ ー 1 1 一 ・ ● 」 ●. 3 ) ま た 岩 手 は, ロ ダ ンの 「カ レー の 市 民」 を 何 枚 か の 写 真 を つ か 必 要 で あ っ た, と 報 告 して い る4 .. ● . 1. く, 死への恐怖と不安, 重い足どり」(子どもの感想文) で, 生命を要求す るイ ギリス王の1 陣営に 4 ) 3 てあゆみを進める形象を子どもたち ( 中学 ) 向っ に感銘深く受けとめさせている ,. ・ 1 1 . ・ 1 . ・. 「生き生き」 とした手を彫りたいという意欲をもたせ ること ができた が, 「きびしい」 「力強い」 「何かを求めている」「何かを訴えている」(光太郎 「手」) , 「やさしい」「静か」「おおらか」「よび. って鑑賞させたことを報告してい るが, 「死んでもかまわないな どという 英雄気取りのようすはな. 要するに, 教師の指導はまず感動のよびさましから始まるだろう. 子どもの感動をより どころに しながら, それを発展させるためには, 合理的・科学的理性的な認識の発展・技術面の発展が伴わ. なければならない, 絵の具の用法と色の変化混色の指導, 観察法などの指導のっみ重ねが必要であ る, 教師の科学的合理的技術指導が行き届けばと どくほど, 子 どもたちは方向 づけられる, それは 当 然 の こ と で あ る. パ タ ー ンが 見 られ る か らい け な い の で は な い. そ の な か に 子 ども 自 身.の感 動 が. 生 き て い る か い な い か が 問 題 な の であ る, 群 馬 は 「牛」 の テ ー マ に 従 っ て, 「側 面 か ら が っ しり と. した牛の体躯・細い足などをとらえていかせようとしたのであるから, 絵柄が同じようになるのは あたりまえである,」 この指導を画一 化だという批判にたいして, 「画一的だという 人 は, も っ と そばによって, 一枚一枚の作品のなかに, 子どもたち一人ひとりがいるかいないか見 て も ら い た 4 ) い4 」 と い っ て い る が, そ う い え る よ う な 指導 こ そ 正 しい 指 導 では な か ろ ぅ か, 「類 似 性 があ る か. ら悪い, てんでんば らばらであるからよいということではない. 類似性が表現すべ き 内 容 か ら 離 5 )」 こ こ で 一 つ つ け れ, 形 式 的 な 固 定 した マ ンネ リ ズ ム に 堕 して い る な らば 悪 い パ タ ー ン 化 で あ る4. 加えておきたいことは, 「いつも青色と黄色の多い絵を描き, 線描もいかにもよわよわしく, 全く たよりない表現をし」 ていて, 「描画作業に集中するのはせいぜい一分位」 というその児童に粘土 をもたせるとまるで別人のように元気になり, 生き生きと仕事に熱中した」 という例にみられるよ うに, 「それぞれの児童には, 各自適合した表現材料があり, 子どもたちの個性の充全な発達をは 6 ) かるためには, 表現材料に注意する必要がある4 」 ということである,. 教師は美術においても, 共通に通用する美術のコトバをもっ て, 美術のコト バを教えなければな らない. それなしに美的感動も育たず, 造形能力も発達しない, 「一般的に対象の形や色を判断す 7 ) る時に, ことばの物さしが どうしても必要」 なのである4 , 欲求とか願望というもっ とも個性的な 内面 性 も, コミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンの 道 具 と して の コ ト バ を 身 に つ け, そ れ を も っ て 語 るこ と が で き る. かぎりにおいて自覚化されていくのである. 人格の感性的・感情的側面にとくにかかわる美術教育. ・ に おい て も, 美 術 的 コミ ュ ニケ ー シ ョ ンの 道 具と して の コ ト バ を 身 に つ け る こ と な しに, そ の 面 の. 人格的発展を期待することはできない. 人間的感動から, それを生み出す現実生活から遊離 してい ・バ,は単なる物理的音声に化してしまう. それと同様, 美術的形象も単なる 「観念の図 るとき, ゴー ) 8 解4 」 に 堕 して し ま う で あ ろ う.. いじ ゅ, お かあ さ ん の お ち ち 岡 山 は, 幼 児 た ち の どろ ん こ あ そ び の 中 で の つ ぶ や き 「ぐ じ ゅ, く. よ り, ち ょ っ と つ め た い, ぐじ ゅ, ぐじ ゅ, ぐじ ゅ」 を と らえ る, 子 ども は は じめ は 感 覚 と 感 情 で. 思考す る, それが表現の形をとるとき, 絵とか粘土と ,か, その他さま ざまな素材を使う初期の芸術 活動となる. 「子どものこの芸術活動は, 子どもの認識の発達と密接な関係をもって」 発達するの 9 ) で あ る4 . ま た 宮 城 は, ほ ん も の に 近 い さ っ ま 芋 の 色 を だ そ う と パ レ ッ トい っ ぱ い に 色 を つく り,. 泣きながら色をつくりあげていっ た子どもの作品が, みんなからすばらしい色だと称賛された実践 を報告し, これまで繰り返し対象の色や形を正しくとらえてかきあらわさせようとした実践に対 し ) 0 て, そ の没 個 性 や, カサ カ サ した 情 感 の な さな ど指 摘 き れ て きた こ と に 反 論 して い る5 .. 103. 1 1 ● 1 ‘ ・ ● . ● .. . 1 ● ● ● 1 ー 1.
(13) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察. 現実に対する認識を 深める指導, 感動の質を高める指導は, 美術教育においては, 以上でもわか るように, 表現意図と技術との弁証法的な実践的やりとりのなかで, 相互媒介しながら, 相互に高 め深めていくのである. 写生のしごとの重要性もここにある. まさに目と手との協力である描写の. 技術の高まりによっ て, 対象の認識が深められる50. そして 「くりかえ し, くりかえし接触するこ 2 ) とによっ て」 「美的趣味は」 「形成される」 のであり, 愛情が生まれてく るのである5 . 滋賀は写 } 3 2 ’ 1 ) 生 の し ごと の ね らい を, ( , も のに た い す る , 対 象 の 性 格 を と らえ る, ( , 視 覚 を た しか め る, (. ) 3 人間的感情を深める, 雑, 描写力を高める, とまとめている5 . べてがイ ンスタント化し す 現代の革新技術的商品生産の氾濫は, , 今の子どもたちは自分の手で 作る機会がきわめて少くなっ てきている. そこから, 「勉強あきち ゃっ た, テ レビあきち ゃった, 4 ) 」“と いうような意識をさえかもし出すのである, 科学的認識は ……今日帰ったら, 自殺しち ゃお5 実験によってであるように, 芸術的認識も, まさに手による造形的表現活動をぬきにしては発展し ない. すべて 観念的理解は経験に よって実践的に裏 づけられて真に身につく のである. 頭に もまし よっ て保証されなければならない, その意味で鹿児島の 「わたしのこげし作 て胸の理解は, 実践に・ り」 の実践は重要である. 「中学一年生の子 どもたちのなかで, ナイ フで削って物を作った経験の あるものは, 女子では皆無, 男子では四分の一という実態をと らえ, 手を使わない, 体をつかわな い, 一 日 中 テ レ ビに か じり つ い て い て, そ れ 以タトに 楽 しみ を 求 め よ う と しな い 子 ども の姿 が, 部 会. だけでなく, 農村にも徐々にしかも確実に浸透 しつつある点に注意を むけ」 「全身でものを作るこ とがたんに手先きを器用にする訓練であっ たり, 勤労を尊ぶ態度をつくるということではなく, そ の過程において, 自分を考え, 自分を自分なりに表現していく, 自己を主張 していくことだという 5 )」 と 主 こ と を た い せ つに した い,」 こ の こ と は 「美 意 識 の形 成に と っ て 不 可 欠 のこ と と 思 わ れ る5. 6 ) 張している. まさに同感である. すでにマルクスも指摘 している通り5 , 芸術的創造活動・身体的 とはで 美的感覚・美的情操を発展させるこ もできないし 存在する美を認識すること 実践なしに, , き な い.. 昭和33年の学習指導要領の改訂以後, デザイ ンが問題になっ ているが, それ がやや と も す る と 「現状における商業主義とのゆ着, あるいは消費者教育といった資本の要請な どの事実 に も と づ 7 ) き, 商業主 義的危険性が, また無国籍性や感覚主 義・形成主義のゆがみが批判されている5 , しか し装飾の仕事ともあわせ, デザイ ンは生活のなかに占める比 重はきわめて大きい. したがって芸術 三拝著生活のなかに生かすこと, 日常生活を飾る (美化する) ことは, 美的教育の重要 的表現能力を1. な側面であることを忘れてはならない, もはや繰り返す必要はないが, 要するに子どもの主体性, 子 どもの興味・感動をより どころにすることである. 上からの, 他からの要請というおしつけ作業 で あ っ て は な らな い. 関 連 し て, ポ ス タ ー 指 導 も 同 様 で あ る. こ の 場 合, 子 ども の 立場 で 「何 を 訴. 8 ) えようとするのか」 がとくに決定的に重要な指導点となるであろう5 .. 3 , 美術教育の評価の問題 われわれの問題設定の重要な理由であった 評 価の問題はわが国の現状での 指導実践のっみかさね の な か で も い ま だ 明 確 に な っ て い な い 難 問 題 で は あ る が, 一 応 の ま と め と して, こ の問 題 を 検 討 し て お き た い と 思 う.. まずこれまで学校での実践的指導のなかで研究討議されて来たところを見よう. それによれば図 工・美術科の指導は 「人間性をかくすところなく表示させることのできる教育の場」 であること,. 知識や技術だけではなく, 「態度の充分さや行為の誠実さによって総合的に評価できる場」 である 9 ) と5 こと, 「どんな人間も高い存在価値を持ちうる存在であることを教えうる場」 であるこ・ , また 子どもたち の考え方や感情, 「生活態度や製作態度ばかりでなく, そのとき どきの生理的状況や気 104.
(14) . 広川正治:美的教育のた めの美術の一考察. 質・体質まで製作品に反映される」 ものであり, 「児童の人間そのものが作品に形象化される」 も 0 ) のであること6 , したがって戦後一般に学校教育のなかで実施されてきて いる 「正常分配曲線によ る五段階評価というような評価法は不適当であること, 「百害あっても一利な い」 ことが確認され てきている60. そうした確認のうえに立って, 秋田は, 創造的表現力を高め るために どのように 評 価す べきなのかとして, 「表現, 観察, 形や線,,量感, 動勢, 構図, 想像, 材質感, 混色, 重色 , 持続力, 集中力, 作業能力」 といった項目に従っ て評価を試みた実践が報告され, この秋田の評価 は, 差別のための評価では・ なくて, 「指導のためのカルテ といった性質」 の 「指導のための評価」 2 ) で あ る こ と が 認 め られ て い る6 .. 本来評価は何よりもまず, 教師自身が自分のやっ てきた指導が どうであっ たかを 子 どもたちの , 学習結果にもとづいて点検総括することであ る, それに従っ て, 今後の指導を改善していく根拠 に. するためのものである, あわせて子どもたちにも, 自分の学習結果を反省 させ, 今後の発達の資料 にさせるためのものである. 決して子どもたちを結果 的にも差別す るものであってはならない と , くに美的教育としての図 工・美術教科の指導は, 人間の感情的側面に重点をおいた総合化をめざす 教育であっ てみれば, 一面的な評 価は許されないであろう, とはいえ図工・美術科の 評 価 と し て は, 秋 田 の 評 価 の よ う に, 指 導 計画, とく に そ の 目 標 を 基準 と して , 「指 導 の た め の カ ル テと い っ. た性格」 の評価は, 今後より深く検討していかねばな らないであろう, と同時に 子どもたち自身 , の集団的相互評価を提案したい, 教師の指導目標にもと づくいくつかのおおまかな基準に従 て っ , 子どもたちに自己評価と相 互評価を, 集団的話し合いのなかで組織する, そういう評価の指導を実 践的に研究していく必要があると考える, どこまでも子どもたちの芸術的認識を深め 創造的表現 , 能力を高める指導のためにである. 同時に具体的には, それを参考に教師の憤 りの評価とあわせ 勘案 して, 通知箸の評価にすることもできるであろう, (註) 1) 本紀要, 第一部C, 第19巻, 第1号の拙稿参照. 2) 日教組編 「日本の教育」 国土社, 第6集, 310ページ, 以下 「日本の教育」 の場合は集の み示す . 3) 同 上, 370ペ ー ジ.. 4) 山形寛著 「日本美術教育史」 隷明書房, 昭和42年,82 4ページ, 5) 同 上, 875ペ ー ジ.. 6) 第7集, 2 46ページ. 7) 第16集, 138ペ ー ジ. 8) 第22集, 169ペ ト ジ.. ) 箕田源二郎・鈴木五郎 「表現と認識」 (新しい絵の会編)1 9 3 4ページ参照, 、 10 ) 第6集, 191ペ ージ. 11 ) 第8集, 1 89ページ参照. 12) 第18集, 1 7 6ページ参照. 13) 第21集, 248ペ ー ジ.. 1 4) 第1 3集, 1 46ページ, 15) 第16集, 136ペ ← ジ.. 6) 本紀要, 第一部C, 第22巻, 第2号の拙稿, 1 1 7) 芸術および教育の階級性・党派性については, 本紀要, 第一部C, 第2 2巻, 第1号の拙稿参照. 18) 本紀要, 第1部C, 場22巻, 第2号の拙稿参照. 19 ) 北海道新しい絵の会編 「北海道の美術教育」 第1集, 2 , 美術教育の基本的考え方, 参照. 0) 第1 36ページ. 2 6集, 1 1集, 1 21 ) 第1 45ページ, 第1 4集,1 34ページ参照. 22) 第20集, 248ペ ー ジ. 23) 第21集, 244ペ ー ジ.. 2 4) ロシヤ・ソビエ ト連邦社会主義共和国, 教育科学カデミー, カイ←ロフ主監, 教育大学のための教科書 「教 育 学」 1956, CTP, 296. 105. : ● . : - r - . - ・ ー ・ :. r . ● ‐ ‘ 1 ● ● ● : : . ・ 二 : . ) ● . ・ 、. .. . : . : . ・ 1 : - .. 1 、.
(15) . 広川正治:美的教育のための美術の一考察 25 ) 第6集,29 4ページ. 0ページ. 26) 第20集, 29 27) 第8集, 1 86ページ. 28 3ページ. ) 第20集, 29 29 2集, 1 ) 第1 69ページ. 30 97ページ. ) 第8集, 1 3集, 1 31 ) 第1 46ページ参照. 32 65ページ参照. ・ ) 第22集, 1 33) 第20集, 298ページ. 3集, 15 34) 第1 5ページ参照. 35 ) 第12集, 1 71ページ参照. ’ 0 I 968 36) イ ェゴロフ責任編集, 「教育学」 プロスベシチェーニエ出班, 1 , , CT .41 37 ) 第20集, 291ページ参照, 73ペ←ジ参照, 38 ) 第11集, 155ペrジ, 第12集, 1 32ページ. 39 ) 第15集, 1 40) 同 上, 133ペ ー ジ.. 1 ) 第1 3集 ‐ 44ページ. 41 45ページ参照. 42) 第15集, 1 44 ,1 43) 第21集, 25 7ページ. 44) 同 上, 249ペ ー ジ.. 41ページ. ) 第1 6集, 1 45 42 43ページ参照. 46) 第7集,2 ,2 47) 第19集, 195ページ. 6ページ, 8 48 ) 第1 8集, 1 1集, 1 47ページ参照. 49 ) 第1 81ページ参照. 50 ) 第1 8集, 1 80 ,1 5 51 4ページ参照, ) 第1 7集, 1 52 85ページ参照, ) 第1 8集, 1 39ページ. 4集, 1 53 ) 第1 85ページ. 54) 第19集, 1 6ページ. 55 ) 同上, 18 5 6 ) マルクス・エンゲルス選集, 補巻4, 大月書店, 349 , 350ページ参照. 76ページ参照. 8集, 1 62ページ, 第1 5 7集, 1 7) 第1 79ページ参照. 58) 第18集, 1 43ページ参照. ) 第7集, 1 5 9 4 4ページ参照. 60) 同上,2 47ページ参照. 4集, 1 88ページ, 第1 61) 同上, 第2集, 1 62) 第21集, 255ページ参照,. 106. (本学 教授 ・函 館 分校).
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