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「戦争前夜」・人々のくらし -経済破綻としのびよるイクサの足音-: 沖縄地域学リポジトリ

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Academic year: 2021

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(1)

Author(s)

宮城, 晴美

Citation

沖縄県女性史研究 = BULLETIN OF WOMEN'S HISTORY

IN OKINAWA(2): 67-85

Issue Date

1998-09-16

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/8453

(2)

「戦 争 前 夜」 ・ 人 々 の く ら し

一 経 済 破 綻 と しの び よる イ ク サ の 足 音 一

宮 城 晴 美

は じ め に

本 稿 で は、 大 正 末 期 か ら 昭 和 初 期 に か け て の い わ ゆ る 「ソ テ ッ 地 獄」 と い わ れ た 時 代 の な か で、 女 性 た ち が “疲 弊” を ど う 生 き、 行 政 の 救 済 策 に ど う 対 応 し て き た か に つ い て 見 て い き た い 。 こ の 時 期 の 県 民 生 活 に つ い て は 多 く の 研 究 者 が 詳 し い 論 文 を 発 表 し て お り こ こ で 改 め て 述 べ る ま で も な い が、 女 性 に と っ て の 昭 和 近 代 史 が 、 “ 疲 弊 ” か ら の 脱 却 と 「銃 後 の 務 め」 と い う 二 つ の 大 き な 使 命 を 背 負 っ た 時 代 だ っ た と 考 え れ ば、 あ え て 女 性 の 視 点 か ら の ア プ ロ ー チ の 必 要 が あ る と 思 っ て い る。 つ ま り 、 貧 困 か ら の 脱 却 を 大 義 名 分 に 行 政 当 局 が 押 し つ け て き た 「自 力 更 生 」 や 「生 活 改 善」 に 取 り 組 む こ と で 婦 人 会 (連 合 婦 人 会 )活 動 が ス タ ー ト し、 結 果 的 に は 「戦 争 参 加 」 と リ ン ク し た 女 性 た ち の 昭 和 近 代 史 が あ っ た か ら だ 。 「貧 困 」 で ス タ ー ト し て 「戦 争」 で 終 わ っ た 昭 和 近 代 史 の 構 図 の な か で 、 今 回 は と く に 日 中 戦 争 前 の 「女 性 た ち の 動 向 」 に つ い て 論 述 し た い ま た 本 稿 で は 二 つ の 公 立 女 学 校 の 県 立 移 管 問 題 に つ い て も、 あ え て 記 述 し た 。 経 済 破 綻 の 影 響 を 直 接 受 け た 女 学 校 が 、 生 き 残 り を は か ろ う と 運 動 を 展 開 し た そ の プ ロ セ ス に 、 当 時 の 経 済 状 況 や 社 会 環 境 を 少 な か ら ず 垣 間 見 る こ と が で き る の で は な い か と 思 っ た か ら で あ る

廃 校 寸 前 の 女 学 校

経 済 破 綻

第 1 次 大 戦 後 の 特 需 に よ る 砂 糖 相 場 の 高 騰 で、 一 時 的 な が ら も1919、 20 ( 大 正 8 、 9 ) 年 の 沖 縄 県 民 は か つ て 味 わ っ た こ と の な い 好 景 気 に 酔 い し れ て い た。 と こ ろ が そ れ か ら 間 も な く ヨ ー ロ ッ パ 市 場 の 復 興 に よ っ て 砂 糖 相 場 が 暴 落 し、 サ ト ウ キ ビ 生 産 農 家 が 多 数 を 占 め る 県 民 は そ の 後 の 銀 行 倒 産 や あ ら ゆ る 要 因 が 加 わ っ て 一 転 し て 疲 弊 の 苦 汁 を 味 わ う こ と に な る。 さ ら に1927 (昭 和 2) 年 に は じ ま る 金 融 恐 慌、 そ の 2 年 後 の 世 界 恐 慌 の あ お り を 受 け て 吹 き 荒 れ た 昭 和 恐 慌 (1930 年 ∼ 31年 ) に よ っ て 日 本 全 国 が 慢 性 的 不 況 に 陥 り、 大 正 一 67 一

(3)

末 期 か ら 昭 和 初 期 に か け て の 沖 縄 も 他 府 県 と は 比 較 に な ら な い ほ ど の 経 済 破 綻 に 見 舞 わ れ る の で あ る こ の 疲 弊 の 原 因 に つ い て 『疲 弊 セ ル 沖 縄 県 ノ 現 状 ト 災 害 復 旧 事 業 』 (1930 年 刊 ) か ら 要 約 す る と1)産 業 が イ モ、 サ ト ウ キ ビ に か た よ っ て い る た め、 砂 糖 の 相 場 暴 落 で 農 民 生 活 に 「一 大 脅 威 」 を も た ら し て い る こ と (2)過 去 10年 間 、 移 入 が 移 出 を 上 回 っ て い る こ と (3)国 税 が 膨 大 で あ る こ と か ら、 極 度 の 金 融 難 と な っ た こ と4)他 府 県 に 比 べ て 経 済 力 が 弱 い に も か か わ ら ず 「警 察、 教 育 、 社 会 事 業 」 な ど 、 「 全 国 一 律 ノ 法 制 上 ノ 取 扱 」 を 受 け る た め、 「貧 乏 人 ノ 金 持 交 際 二 陥 リ 県 経 済 ハ 極 度 ノ 困 難 二 陥」 っ た こ と (『沖 縄 県 史 第 3 巻』 経 済 644頁 よ り 引 用 ) な ど が あ げ ら れ て い る。 ま た そ の 他 に も、 た と え ば 東 京 日 々 新 聞 記 者 の 新 妻 莞 は、 「人 口 過 剰 に よ る 島 喚 経 済 の 破 滅 」 と 表 現 し、 具 体 的 に は 「限 ら れ た 島 の 生 産 で あ り 無 限 にふ え る 人 口」 の た め 、 イ モ を 主 食 に し て い る に も か か わ ら ず 、 多 額 の 食 糧 費 の 援 助 を 県 外 に 仰 が な け れ ば な ら な い こ と、 金 利 が 高 いた め 事 業 が 起 き ず、 「製 糸 女 工 を つ の っ た ら 高 女 出 身 者 が 続 々 で た」 と い わ れ る ほ ど に 働 き 場 所 が な い の が 沖 縄 の 実 情 だ と 分 析 し た (湧 上 聾 人 編 『沖 縄 救 済 論 集 』 10 ∼ 12 頁 )。 当 時 の 識 者 は あ ら ゆ る 観 点 か ら 疲 弊 の 原 因 を 取 り 上 げ て い る が、 い ず れ に せ よ 県 民 生 活 は 異 常 な ほ ど に 破 綻 を き た し、 小 学 生 の 長 期 欠 席、 欠 食 児 童 の 増 大、 幼 女 の 辻 遊 廓 へ の 売 買 な ど そ の 弊 害 は 子 ど も た ち に ま で 及 び、 多 く の 家 庭 が 貧 困 の ど ん 底 に 陥 れ ら れ て い た 。 そ の た め 食 い 扶 持 を 求 め、 大 正 末 期 か ら 昭 和 初 期 に か け て 海 外 移 民 、 県 外 出 稼 ぎ へと 人 口 流 出 が 相 次 い だ 海 外 移 民 で は フ ィ リ ピ ン 、 ペ ル ー 、 ブ ラ ジ ル 、 ハ ワ イ を 最 多 に 、 渡 航 者 が 1923 (大 正 12) 年 の 1,256人 に 対 し て 4 年 後 の1927(昭 和2 ) 年 に は 約 3 倍 の3,290人 (『 沖 縄 救 済 論 集 』 302∼303頁 ) と な り 、 そ の 年 の 海 外 在 留 者 は26,488人 (う ち 、 女 8,370人、 男 18118人 ) と な っ て い る (沖 縄 県 調 査 )。 ま た 県 外 出 稼 ぎ で は 、 表 1 と 表 2 に 見 ら れ る よ う に、 1925年 に は 紡 績 女 工 を 中 心 に 女 性 が 過 半 数 を 占 め て い た も の の 、 翌 年 に は 男 性 の 流 出 が 目 立 ち、 全 体 的 に は 男 女 あ わせ て 前 年 の60 % 余 り の 増 加 と な っ て い る 。 な か で も 目 を ひ く の が 国 頭 郡 の 人 口 に 対 す る 出 稼 ぎ 者 の 数 ( 表 2 ) で、 約12% の 住 民 が 県 外 に 出 て お り、 生 活 の 厳 し さ を う か が わ せ る も の が あ る 。 一 68 一

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表 1 県 外 出 稼 者 に 関 す る 調 査 (沖 縄 県 警 察 部 保 安 課 ) 1925年 8 月 末 現 在 出 稼 者 数

出 稼 者 10 ,829 9,097 19,926 紡 績 業 従 事 者 7669 1178 8 ,847 紡 績 業 比 率 7082% 1294 % 4440% 表 2 県 外 出 稼 者 に 関 す る 調 査 (沖 縄 県 警 察 部 保 安 課) 1926年 末 出 稼 者 数 1926年 末 県 民 人 口 人 口 に 対 す る 出 稼 者 比 率 郡 市 性 別 出 稼 者 計 性 別 人 口 総 人 口 性 別 比 率 (% ) 女 793 26 ,925 2.95 那 覇 市 一一■.・・,,oo .一一一■■,,●■●響●o冒一一一一一一一 1 , 804 人 ・o冒・..一,,・・響・.一一一一一卿辱,・・ 50573 人 3.57% 男 1011 23 ,648 4.28 女 651 11 ,165 5.83 首 里 市 卿一● ,一一幽■ 1 , 406 一一,・噂o o,幽一曹 一,■,■● 一幽一一圏一■ 21 , 241 一 ,一一・,, ・.冒o−一 冒一一一●●● 層● 6 . 62 男 755 10 ,076 7.50 女 3 ,705 72,825 5.09 島 尻 郡 一一曹一, .,,ロロー一一一一 .一一一,, .oロー一冒一一 ■,曾 8 , 146 一一一 ,,・噛一一 一■,,●,, ,●oo 141 , 068 ,,o一 冒冒冒.一一, 一.,,... o−一一一 ・ 5 . 77 男 4 ,441 68,243 6.50 女 3624 74982 483 中 頭 郡 . 一一一一一一 一●o・ o噛一,.. .卿.曾「.一冒 冒一一一一甲 一 7 , 477 ,o一幽..一, ,・・.oo冒 冒一一一・, ,・. 145 , 555 . .9,., 6■.一,, ,●●●●●■■ o冒冒■ 5 . 14 男 3853 70573 265 女 6107 54410 1122 国 頭 郡 ■,. −P,,曽 ●冒響層一 一一曹一一,, o,,,一冒一 一r,●● 12 , 341 冒,9−. 一,,o・一 一一.一一■ ,■o曾,魯 一 103 , 311 ., ...冒冒一 冒.曽一.・, ・,,,. 冒■■, 11 . 95 男 6234 48901 1275 宮 古 郡 女 ,.冒, ,■一.甲 57 ,,o冒冒 冒一9幽一一一 ●一,●,o− ,一.■ 440 28 , 459 瞭,■,層.一 一一...響■幽■一,一 一7.,・ 56 , 238 0 . 20 ・曽, 9・… , 一一.■一一一 一一,,■ ,■● 0 . 78 男 383 27779 138 女 260 16512 157 八 重 山 郡 ・,.一., ■,●・冒,冒一.一 ・一,… o o冒冒■一.■ P, 525 一一一 ,,・,冒幽,,■瞭曹● ●■冒, 33 , 549 .oo・ 一,冒一■■一 一,,■●●冒 ●■,.. . 1 . 56 男 265 17037 156 女 15 ,197 285,278 5.33 合 計 曽 一一曽・・, 冒一.. P曽一・,・冒 冒■一一一一 一.一,・, .・ 32 , 139 一一・「 .冒・冒一 一■曽■●曽 ●,o−一一 一 551 , 535 .一一曽 .・・,,−冒 噛..冒一一 .曹一曽曾 5 . 83 男 16 ,942 266,257 6.36 当 時 の 国 頭 郡 は 名 護 町 恩 納 村 金 武 村 久 志 村 東 村 国 頭 村 大 宜 味 村 羽 地 村 今 帰 仁 村 、 本 部 村 、 伊 江 村 の 11 町 村 か ら な り 、 那 覇 か ら 遠 く 隔 て て い る だ け で な く 、 道 路 一 69 一

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整 備 も な さ れ ず 、 住 民 は 陸 の 孤 島 に 等 し い 貧 し い 生 活 を 強 い ら れ て い た。 そ の あ お り は 教 育 現 場 へ と 波 及 し、 教 員 の 給 料 不 払 い、 遅 払 い と い う 事 態 が 生 じ た。 1926年 の 1 月 か ら 3 月 ま で、 伊 江 村 だ け が 毎 月 期 日 に 支 払 っ て い る も の の 、 残 り の 町 村 は 遅 払 い か 支 払 い の め ど が 立 た な い と い う 状 況 で あ っ た ( 前 掲 書 26頁 ) 。 実 は こ う し た 厳 し い 財 政 難 が、 北 部 唯 一 の 高 等 女 学 校 を 破 産 寸 前 に ま で 追 い 込 ん で い た の で あ る 。

存 亡 の 危 機 に 瀕 し た 国 頭 高 女

お そ ら く 1925、 26年 頃 の こ と か と 思 わ れ る が、 沖 縄 を 訪 ね た 東 京 日 々 新 聞 の 記 者 が 書 い た 「破 産 の 公 立 女 学 校 職 員 た ち 逃 げ 出 す 」 と い う 記 事 の な か で、 国 頭 高 等 女 学 校 の こ と を 次 の よ う に 紹 介 し て い る 。 破 産 す る も の も あ ら う に 公 立 の 女 学 校 が 破 産 し た 。 こ れ は 天 下 広 し と 錐 も 沖 縄 県 国 頭 郡 の 11 ケ 町 村 組 合 立 国 頭 女 学 校 の 外、 ち ょ い と 他 に あ る ま い と 思 ふ。 ( 中 略 ) 生 徒 の 数 が 全 部 で 200の 小 さ い 学 校 、 中 庭 の 廊 下 の 突 き 当 た り、 も う 教 室 は 尽 き て 寄 宿 舎 に な っ て い た い や 破 れ た 障 子 一 中 に は 半 分 紙 の は つ て な い 障 子 の 間 に 、 ふ る び た 畳 が 見 え た か ら 寄 宿 舎 と 思 つ た ま で “ そ ば に 寄 る と 筒 抜 け に 室 内 が 見 え た (中 略 ) そ こ へ 校 長 が や つ て き た 。 校 舎 が い た ん で ゐ ま す ね 。 え 、 お は な し に な り ま せ ん 。 余 り ひ ど い の で 生 徒 に 危 険 で す か ら 再 三 修 繕 方 を 請 求 し た が 大 工 を 寄 越 し て く れ ま せ ん 。 仕 方 な く 私 が な ほ し ま す と、 今 度 は そ の 金 が 来 や し ま せ ん お 困 り で せ う ね。 何 し ろ 、 た つ た 9 人 の 教 員 の 俸 給 が 滞 り が ち な の で 1 月 分 は 2 月 9 日 ま で に 3 度 に 分 け 、 2 月 分 は 3 月 8 日 ま で 同 じ や う に 3 度 に、 3 月 分 は 全 教 員 に300円だ け そ の 月 の 22 日 に 払 ひ あ と は 4 月 の 半 に な り ま す が 出 さ う も あ り ま せ ん。 ( 中 略 ) そ れ で 困 る の は 生 活 費 の 問 題 で す が 食 へ な い と こ ろ に 居 れ な い の で 義 務 期 限 内 で も 教 員 が ド シ ド シ 逃 げ て 行 き ま す 。 も う 二 人 逃 げ ら れ 近 く も 一 人 出 や う と し て ゐ ま す が、 と め た い に も と め ら れ ま せ ん (『沖 縄 救 済 論 集』 20 ∼22頁 ) 。 国 頭 高 等 女 学 校 は 1920 ( 大 正 9 ) 年 に 国 頭 郡 各 村 組 合 立 「女 子 実 業 補 習 学 校 」 と し て 旧 農 林 学 校 跡 に 設 立 さ れ 、 翌 年 に は 「女 子 実 科 高 等 女 学 校」、 さ ら に1924 (大 正 13) 年 に は 一 70 一

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「高 等 女 学 校 令 」 に 基 づ い て 国 頭 高 等 女 学 校 ( 国 頭 高 女) と な り 、 国 頭 郡 の 11 町 村 組 合 に よ っ て 運 営 さ れ て き た (注 ; 名 護 村 は1924年 に 町 制 施 行)。 と こ ろ が、 沖 縄 全 体 が 経 済 破 綻 を き た し た 頃 、 不 況 の 波 は 否 応 な し に 国 頭 郡 に ま で 押 し 寄 せ、 各 町 村 の 財 政 は 危 機 的 状 況 に 陥 っ た の で あ る 。 次 第 に 組 合 費 を 滞 納 す る 町 村 が 増 え、 国 頭 高 女 の 管 理 運 営 も お ぼ つ か な く な っ て い た 。 設 立 当 初 か ら 脆 弱 な 財 政 の な か で 運 営 さ れ て き た こ と も あ っ て 、 組 合 費 の 滞 納 は 即 高 女 の 存 亡 に 関 わ る も の で あ っ た。 そ れ に 輪 を か け る よ う に、 道 路 建 設 工 事 の 優 先 順 位 を め ぐ っ て 村 同 士 が 対 立 し た こ と か ら 組 合 の 解 散 を 求 め て 脱 退 の 意 思 表 示 を す る 村 が 相 次 ぎ、 組 合 の 維 持 す ら 不 可 能 と な っ た た め、 国 頭 高 女 は1σ30 (昭 和 5 ) 年 の 3 月 で 廃 校 に 追 い 込 ま れ よ う と し て い た。 も っ と も 前 記 の 新 聞 記 者 が 見 た よ う な 状 況 で あ れ ば、 事 態 が 急 速 に 悪 く な っ た と い う よ り、 4 、 5 年 も 前 か ら 存 続 が 危 ぶ ま れ て い た と 考 え た 方 が い い だ ろ う こ う し た 動 き に 、 国 頭 郡 の 住 民 は 黙 っ て は い な か っ た。 創 立 以 来300人 の 卒 業 生 を 出 し、 200 人 余 り が 在 学 し て い る こ と を 考 え る と 存 続 す べ き だ と い う 声 が 新 聞 を 賑 わ し、 町 村 長 、 町 村 組 合 の 関 係 者 は 県 知 事 に 陳 情 を 繰 り 返 し た。 ま た 地 元 選 出 の 県 会 議 員 の 元 に も 存 続 を 訴 え る 数 多 く の 手 紙 が 舞 い 込 ん で き た と い う 。 そ こ で 地 元 選 出 の 県 会 議 員 は、 1929 (昭 和 4 ) 年11月 開 会 の 第39回 通 常 沖 縄 県 会 で こ の 問 題 を 取 り 上 げ、 国 頭 高 女 の 県 立 移 管 を 訴 え た 。

沖縄 県 立 第 三高等女 学校 の誕 生

そ れ に 対 し て 守 屋 磨 瑳 夫 知 事 は さ っ そ く 議 案 を 追 加 し、 国 頭 郡 町 村 組 合 か ら の 寄 付 を 見 込 ん で 教 育 費19563 円 の 歳 出 の う ち15 ,439 円 の 予 算 を 「第 三 高 等 女 学 校 費 」 と し て 計 上 し た の で あ る 。 議 案 説 明 の な か で 知 事 は 提 案 理 由 を 次 の よ う に 述 べ て い る 。 (前 略 ) 思 フ ニ 国 頭 方 面 二 於 テ ー ツ ノ 女 子 教 育 機 関 ト シ テ 高 等 女 学 校 ノ 存 置 致 シ マ ス ル ト 云 フ コ ト ハ 地 理 的 ヨ リ 見 マ シ テ モ ド ウ シ テ モ 必 要 ナ 次 第 デ ア ル ト 私 ハ 考 ヘ テ 居 リ マ ス 現 在 ア リ マ ス ル 女 学 校 ヲ 廃 校 二 帰 セ シ メ 225 名 現 在 学 ン デ 居 ル 生 徒 ヲ 途 方 二 暮 レ シ メ 尚 ホ 将 来 学 校 二 学 ブ ベ キ 運 命 ニ ア ル ベ キ 幾 多 ノ 可 憐 ナ ル 女 子 ヲ シ テ 女 学 校 教 育 ノ 機 会 ヲ 失 ナ ハ シ メ 危 機 二 暴 露 セ シ メ ル ト 云 フ コ ト ハ 洵 二 忍 ビ 難 キ コ ト デ ア ル ト 確 信 致 シ マ ス 何 ト カ シ テ 此 学 校 ヲ 救 ヒ 国 頭 方 面 ノ 女 子 ヲ シ テ 安 ン ジ テ 学 業 を 受 ケ シ メ ル 機 会 ヲ 与 ヘ シ メ ル コ ト ニ 努 力 致 シ テ 居 ッ タ ノ デ ア リ マ ス ( 「第39回 通 常 沖 縄 県 会 議 事 録」 よ り 『沖 縄 県 議 会 史 』 第 4 巻 514頁 所 収 ) と 、 国 頭 高 女 を 県 立 に 移 管 し て 廃 校 を 避 け る た め に も 満 場 一 致 の 賛 成 を と 求 め た 一 71 一

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と こ ろ が 、 基 本 的 に は 賛 成 な が ら も 議 案 提 出 が 性 急 す ぎ る と い う 理 由 で 、 議 決 を 先 送 り す る よ う 一 部 の 議 員 か ら 反 対 意 見 が 出 さ れ た。 内 容 を 調 査 す る 時 間 が 必 要だ と い う こ と や、 町 村 組 合 内 に 確 執 が あ る 以 上 寄 付 も 望 め な い な ど、 島 尻 郡 、 那 覇 市 選 出 議 員 が 難 色 を 示 し た の で あ る と こ ろ で、 高 等 女 学 校 の 存 続 の 必 要 性 を 認 め る な ら、 も っ と 内 容 的 に 踏 み 込 んだ 女 子 教 育 の 意 義 を 前 提 と し た 議 論 が 展 開 さ れ て も い い は ず で あ る 。 と い う の も 、 こ の こ ろ の 高 等 女 学 校 の 設 置 目 的 が 「国 民 道 徳 ノ 養i成 二 力 メ 婦 徳 の 酒 養 二 留 意 ス ヘ キ モ ノ ト ス 」 (1920 年 「高 等 女 学 校 令 同 施 行 規 則 中 改 正」 『日 本 婦 人 問 題 資 料 集 成』 第 4 巻 523 頁 所 収 ) と 謳 わ れ て お り 、 い わ ゆ る 良 妻 賢 母 思 想 を 培 う 精 神 教 育 を 主 目 的 と し た も の で あ った 。 こ の 善 し 悪 し は と も か く と し て、 明 治20年 ご ろ か ら 女 子 教 育 の 普 及 に 努め て き た 沖 縄 県 が 、 風 俗 改 良 を 中 心 に、 他 府 県 な み に 女 性 の 資 質 を 向 上 さ せ よ う と 躍 起 に な っ てき た 経 緯 を 考 え る と 、 国 頭 高 女 の 存 置 の 必 要 性 を 教 育 的 見 地 か ら 問 い そ う な も の で あ る 。 し か し、 「可 憐 ナ ル女 子」 に 学 業 を 続 け さ せ る と か 議 長 が 国 頭 郡 出 身 で あ る な ど、 県 会 に し ては 次 元 の 低 い 議 論 で 終 始 し た そ れ も そ の は ず 、 国 頭 高 女 の 県 立 移 管 問 題 は 政 争 の 具 と し て 利 用 され て い た 。 当 時 の 民 政 党 員 で あ る 守 屋 知 事 は 、 多 数 野 党 の 政 友 会 に 属 し て い た 国 頭 郡 選 出 議 員 3 人 の 民 政党 へ の 鞍 替 え を 条 件 に、 国 頭 高 女 の 県 立 移 管 を 承 諾 し、 ま た 国 頭 郡 の各 町 村 長 も 民 政 党 員 に な る こ と を 約 束 し た と い う の で あ る ( 『沖 縄 県 史』 4 巻 542 頁、 『沖 縄 県 議 会 史』 第 4 巻 5 17頁 ) 。 こ の こ と は、 間 も な く 行 わ れ る 衆 議 院 議 員 選 挙 を 前 に、 少数 与 党 で あ る 民 政 党 内 閣 の 挽 回 を ね ら い、 知 事 が 県 政 を 利 用 し て 地 方 に ま で 党 勢 拡 大 の 手 を 延ば し た と 考 え た 方 が い い の か も 知 れ な い 。 こ う し て、 波 瀾 含 み の 国 頭 高 女 県 立 移 管 問 題 は、1930 (昭 和 5 ) 年 の 実 現 に む け、 県 会 議 員 30 人 中 16人 の 過 半 数 に よ っ て か ろ う じ て 可 決 さ れ た の で あ る 。 沖 縄 県 立 第 三 高 等 女 学 校 (三 高 女 ) の 誕 生 で あ っ た 。 「ソ テ ッ 地 獄 」 と い わ れ る ほ ど の 貧 し い 生 活 の な か で 、 生 徒 の 家 族 の生 活 も 厳 し い も の が あ っ た と 思 わ れ る が、 親 た ち は こ の 問 題 に ど う 取 り 組 んだ の か、 ま た 学 校 生 活 に 何 を 期 待 し て い た の か、 あ い に く 手 元 に 資 料 が な い た め、 記 述 でき な い こ と を お 許 し 願 い た い 。 国 頭 高 女 問 題 で 大 揺 れ に 揺 れ た こ の 第 39回 通 常 沖 縄 県 会 で は ま た、 首 里 市立 女 子 工 芸 学 校 の 県 立 移 管 に つ い て も 意 見 書 が 提 出 さ れ て い た。 そ れ に つ い て は 後 述 し た い 。 一 72 一

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2 「ソ テ ツ 地 獄」 か ら の 脱 却

「沖 縄 県 振 興 計 画」

さ て 、 沖 縄 県 民 の 窮 乏 を 打 開 す る た め、 大 蔵 省 で は 1928 (昭 和 3 ) 年 に 産 業 資 金 と し て 無 利 息 で 250 万 円 を 沖 縄 県 に 貸 し 付 け た が、 こ の 救 済 措 置 で も、 県 民 の 生 活 は 悪 く な り こ そ す れ 一 向 に 改 善 策 が 見 出 さ れ な か っ た 。 そ の た め 新 た な 産 業 助 成 費 が 継 続 し て 支 出 さ れ る こ と に な っ た が、 経 済 回 復 の 手 助 け に は な り 得 な か っ た。 そ こ で 沖 縄 県 は 1931 (昭 和 6 ) 年 に 「振 興 計 画 案」 を 作 成 し 、 国 へ の 働 き か け を 行 う と い う 手 段 に 出 た。 翌 年 の 10月 11 日、 内 務 大 臣 を 筆 頭 に 内 務 省 会 議 室 で 「第 1 回 沖 縄 県 振 興 計 画 調 査 会」 が 開 か れ、 井 野 次 郎 沖 縄 県 知 事 が 「蘇 鉄 地 獄 ノ 惨 ハ 更 二 深 刻 ト ナ リ マ シ テ、 飢 餓 地 獄 ノ 場 面 ヲ 展 開 シ テ 居 ル ト 云 フ ヤ ウ ナ 有 様 デ ア リ マ ス 」 と 各 種 事 業 別 に 沖 縄 の 深 刻 な 実 情 を 訴 え 政 府 へ の 要 請 を 行 っ た 。 そ し て 「振 興 計 画」 の 目 的 と し て 港 湾 、 道 路、 航 路 改 善 な ど 「交 通 ノ 利 便 ヲ 図 ル コ ト」 「土 地 ノ 開 拓 改 良 ヲ 為 ス コ ト」、 自 給 の 途 を 講 ず る と と も に 輸 出 貨 物 の 増 加 を 図 る た め 「産 業 ノ 合 理 化 ヲ 図 ル」 、 「衛 生 状 態 ノ 改 善 ヲ 図 ル 」、 「金 融 ノ 円 滑 ヲ 図 ル 」「販 路 ノ 拡 張 ヲ 為 シ 、 其 販 売 方 法 ノ 合 理 化 ヲ 図 ル 」 と い う 内 容 を 掲 げ、 そ れ を 達 成 す る こ と に よ っ て 沖 縄 県 の 総 体 的 に 健 全 な 発 展 を は か り た い と い う 趣 旨 が 報 告 さ れ た (「沖 縄 県 振 興 計 画 調 査 会 議 事 速 記 録」 よ り 『沖 縄 県 史』 15巻 602、 606頁 所 収 )。 知 事 の い う 「蘇 鉄 地 獄 ノ 惨 」 と は ど う い う こ と な の か 、 沖 縄 県 民 の 窮 乏 ぶ り に つ い て 述 べ て い る の で 口 語 訳 で 紹 介 し よ う ( 沖 縄 県 に は ) 56ケ 市 町 村 が あ る が、 そ の う ち 予 算 総 額 が 2 万 円 未 満 の も の が 13ケ 町 村 あ る 。 そ の た め 役 場 吏 員、 教 員 俸 給 の 支 払 い が で き な い 町 村 が 現 在26ケ 町 村 あ り、 そ の 金 額 は 8 万 円 に も の ぼ っ て い る 県 民 は 常 食 で あ る イ モ さ え 食 べ ら れ な い 状 態 で、 生 活 状 態 は 他 府 県 人 に は 想 像 で き な い だ ろ う 。 た と え ば 家 屋 は ( 部 屋 が ) 狭 く て 軒 は 低 く 、 暗 い と い う あ り さ ま だ。 食 べ 物 は イ モ だ が そ の イ モ も 食 べ ら れ ず、 ソ テ ツ か イ モ の 葉 を 食 べ て い る 。 そ の た め、 最 近 1 年 の ソ テ ツ の 消 費 高 は 約 1 万 4 千 貫 (5・25 ト ン ) に の ぼ っ て い る し か も そ の ソ テ ツ を 食 べ た た め に 中 毒 を 起 こ し、 7 月 頃 、 家 族 全 員 が 死 亡 す る と い う の が 多 々 あ っ た 。 さ ら に ソ テ ツ も 食 べ る こ と が で き な い で 欠 食 す る 児 童 が 極 め て 多 い。 い わ ゆ る 飢 餓 地 獄 の 場 面 を 展 開 し て い る と い っ た あ り さ ま だ ま た 飲 料 水 に し て も ほ と ん ど が 雨 水 を 瓶 に 入 れ て そ れ を 用 い て い る。 給 水 設 備 が な い た め 衛 生 上 悪 い う え に 蚊 の 発 生 が 非 常 に 多 い。 井 戸 が あ る と こ ろ で も 設 備 が 不 完 全 な た め 汚 一 73 一

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水 が 浸 入 し、 ま た 水 質 が 悪 い た め に 各 種 の 伝 染 病は も ち ろ ん、 消 化 器 系 の 病 に か か る 者 が 多 い。 こ の よ う な 生 活 状 態 の 報 告 は 極 め て一 部 分 で、 枚 挙 す る に 忍 び な い も の が あ る の で 省 き た い と 思 う (前 掲 書 603∼ 604頁 )。 1932年 当 時 の 沖 縄 県 民 の 生 活 状 態 に つ い て 、 行 政 レ ベ ル で 把 握 し て いる だ け で も 厳 し い と い え る が、 実 際 の 県 民 生 活 は、 生 活 の 基 本 で あ る 衣 食 住 す ら 十 分 な も の で は な く 、 知 事 が 述 べ た 以 上 に ひ ど い 状 況 が 各 地 で 見 ら れ た 。 県 民 を 救 済 す る 目 的 で 計 画 さ れ た 「振 興 計 画 案」 は、 1933 (昭 和 8) 年 か ら1947 ( 昭 和 22) 年 ま で の 15年 計 画 と し て 総 経 費 6,846万 5 千 19円 が 承 認さ れ 、 産 業 、 土 地 改 良、 道 路 橋 梁 、 港 湾 、 治 水、 鉄 道 、 保 健 施 設、 振 興 計 画事 務 費 、 航 路 改 善 な ど の 実 施 が 決 定 さ れた (「昭 和 18 年 知 事 事 務 引 継 書 類」 『沖 縄 県 史 料』 近 代 1 136 頁 所 収)。 時 あ た か も 満 州 事 変 勃 発 翌 年 の こ と で、 日 本は 太 平 洋 戦 争 の 敗 戦 に い た る 「15 年 戦 争 」 へ の レ ー ル を 自 ら 敷 き 、 フ ァ シ ズ ム 体 制 を 構 築 し は じ め て いた 。 大 蔵 大 臣 の 高 橋 是 清 は 国 内 的 に は 恐 慌 か ら の 脱 出 、 国 外 的 に は 満 州 国 へ の 軍事 強 化 を ね ら っ て 軍 需 産 業、 重 化 学 工 業 へ 巨 額 の 軍 事 費 を 投 入 し、 1932 年 に は 日 本 経 済 を 回 復 に 転 じ さ せ た。 そ の 一 方 で 農 村 救 済 を 目 的 に 「時 局 匡 救 ( き ょ う き ゅ う) 事 業」 と し て 道 路 建 設、 河 川 改修、 治 山 治 水、 港 湾 改 良 な ど の 公 共 工 事 を 起 こ し て 、 失 業 し た 農 民 に 就 労 の機 会 を 与 え よ う と 1934(昭 和 9 ) 年 ま で の 3 年 に わ た っ て 総 額 8 億 6,487万 円を 計 上 し た の で あ る 。 さ ら に こ の 救 済 策 を 補 完 す る た め に 「 農 山 漁 村 経 済 更 生 計 画 」 を 実 施 し、 農 民 の自 力 更 生 を は か ろ う と し た。 こ の 計 画 は 各 農 山 漁 村 の 経 済 事 情 の 基 本 調 査 を 行 い 、 こ れ を もと に ・ 負 債 整 理 ・ 生 産 増 殖 と そ の 統 制 ・ 販 売 購 買 の 統 制 ・ 消 費 節 約 ・ 自 給 生 活 の 拡 充 等 を 指 導 す る と い うも の で あ っ た。 指 導 者 は 「経 済 更 生 委 員 会」 の 委 員 と し て 地 元 の 役 場 吏 員 、 学 校 教職 員、 農 会、 漁 業 組 合、 産 業 組 合 の 職 員 な ど 各 方 面 の 主 要 な 人 物 が あ て ら れ た (「経 済 更 生 計 画 資 料 」 『沖縄 県 農 林 水 産 行 政 史 』 11巻 171∼ 176頁 所 収 )。 「沖 縄 県 振 興 計 画 」 は ま さ に こ う し た 政 策 と ワ ン セ ッ ト で 実 施 さ れ る こ と に な る の で あ る 。 し か し な が ら 「時 局 匡 救 事 業」 や 「農 山 漁 村 経 済 更 生 計 画 」 は 巨 額 の 投 資 に も か か わ ら ず 、 貧 農、 労 働 者 の 救 済 には な ら な か っ た (永 原 慶 二 編 『日 本 経 済 史』 295 頁 ) と い わ れ る よ う に 、 「沖 縄 県 振 興 計 画 」 も 「『自 力 更生』 の た め の 誘 い 水 と し て 立 案 さ れ た の で あ っ て 、 直 接 生 産 者 や 都 市 居 住 民 の ギ リ ギ リ の生 活 を 把 握 し た 上 で 、 県 民 生 活 を 向上 さ せ る た め に 立 案 さ れ た わ け で は な か っ た。 『銃 後』 た る 農 山 漁村 を こ れ 以 上 窮 乏 に お と し い れ た の で は 、 戦 争 政 策 を 遂 行 す る こと が で き な く な る と い う こ と か ら、 対 中 国 侵 略 を 拡 大 す る 上 で 障 害 と な ら な い 程 度 に、 本 県 を 『ソ テ ッ地 獄 』 か ら 『救 済』 す る 必 要 が あ っ た の で あ 一 74 一

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る 。 そ の 必 要 の か ぎ り で の 『救 済』 お よ び 『振 興 計 画』 で あ っ て、 け っ し て そ れ 以 上 で は な か っ た 。」 ( 『沖 縄 県 史』 3 巻 736頁) と い う 指 摘 も あ る。 と こ ろ が、 当 時 の 沖 縄 県 民 は そ ん な こ と を 知 ろ う は ず も な か っ た 。 と く に 女 性 た ち は 婦 人 会 を 結 成 し 生 活 改 善 や 家 庭 教 育 振 興 な ど 積 極 的 な 活 動 を 開 始 し た の で あ る

県 外流出 続く

た し か に「時 局 匡 救 事 業 」 に よ る 公 共 工 事 で、 1932 (昭 和 7 ) 年、 33 年 の 失 業 者 は 急 激 に 減 少 し た。 (表 3 ) を 見 て も わ か る と お り、 首 里 市 と 那 覇 市 の 職 業 紹 介 所 の 数 字 は 如 実 に そ れ を 示 し て い る。 沖 縄 県 社 会 課 に よ れ ば、 1930年 の 国 勢 調 査 が 示 し た 県 内 の 失 業 者 は 856人 で、 2 年 後 に は 1,099人 と 予 測 さ れ て い た が 「時 局 匡 救 事 業」 が 導 入 さ れ た こ と で そ れ ほ ど の 失 業 者 は 出 な か っ た と い う 。 し か し こ の 数 字 は、 あ く ま で も 賃 金 の 支 払 い を 前 提 に 労 使 の 雇 用 関 係 が は っ き り し て い る も の が 対 象 で あ っ た 。 実 際 は 県 内 8 万 8 千 の 農 家 戸 数 中 、 過 半 数 が 5 段 未 満 の 小 農 で 農 家 1 戸 あ た り の 年 額 粗 収 入 は 300円 内 外 に 過 ぎ ず、 失 業 者 同 様 に 生 活 難 に 見 舞 わ れ て い る 人 は 数 万 に 及 ぶ こ と が 推 測 さ れ た。 ま た 、 自 営 業 者 に し て も 、 零 細 の わ ず か な 収 入 で な り た っ てy・る の が 多 く、 な か に は 事 業 不 振 の た め 生 活 困 窮 に 陥 っ て い る 人 々 が、 1933年12月 1 日 現 在 で 4 千 人 を 超 え て い る と い う 現 実 が あ っ た ( 『沖 縄 県 社 会 事 業 要 覧』 33 頁 ) 表 3 首 里 市 職 業 紹 介 所

1 9 2 9 ( 昭 和 4) 年 47 34 81 42 86 128 34 30 64 1 9 3 0 (昭 和 5) 年 36 117 152 51 241 292 15 71 86 1 9 3 1 (昭 和 6) 年 40 ・ 94 134 50 246 296 13 53 66 1 9 3 2 (昭 和 7) 年 56 85 141 71 194 265 38 64 102 1 9 3 3 (昭 和 8) 年 38 138 176 ・36 222 258 15 93 108 一 75 一

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那 覇 市 職 業 紹 介 所

1 9 2 9 (昭 和 4) 年 30 197 227 67 344 411 10 69 79 1 9 3 0 (昭 和 5) 年 38 184 222 54 365 419 9 55 64 1 9 3 1 (昭 和 6) 年 48 205 253 132 655 807 14 63 77 1 9 3 2 (昭 和 7) 年 95 265 360 68 559 627 13 88 101 1 9 3 3 (昭 和 8) 年 130 293 429 89 700 789 13 90 103 「沖 縄 県 社 会 事 業 要 覧 」 (1934年 4 月 ) 離 島 の 座 間 味 村 で は、 経 済 厚 生 委 員 会 に よ る 住 民 の 自 給 能 力 を 調 査 し た 結 果、 農 漁 業 で 生 活 で き る 家 庭 が わ ず か35% で し か な か っ た。 結 局、 残 り の 65% が 「時 局 匡 救 事 業」 に よ る 道 ぶ し ん の 収 入 に 頼 っ た 。 当 時 の 賃 金 は 、 日 当 で 女 が 35 銭 、 男 が 50 銭 で 、 7 割 を 県 費 、 3 割 を 村 費 で 負 担 す る こ と に な っ て い た。 し か し 座 間 味 村 は そ の 3 割 分 の 費 用 を 捻 出 で き ず、 結 局 県 費 負 担 分 の 女25銭、 男35銭 だ け を 支 払 い、 住 民 か ら 批 判 を 受 け た と い う ケ ー ス も 見 ら れ た ( 『座 間 味 村 史』 上 巻 289 頁 ) 。 ま た 国 頭 郡 で は 、 休 暇 を 利 用 し た 三 高 女 の 生 徒 た ち が 道 路 改 修 工 事 の 人 夫 を や る こ と で、 学 資 稼 ぎ に 利 用 す る (「大 阪 朝 日 新 聞」 鹿 児 島 沖 縄 版 1933年 5 月 24 日) な ど 「時 局 匡 救 事 業」 は 一 時 的 な “小 遣 い ” を 与 え た 程 度 で 県 経 済 を 潤 す ほ ど の 効 果 は な か っ た 。 そ れ を 裏 付 け る か の よ う に、 一 時 は 出 稼 ぎ 先 の 工 場 の 経 営 不 振 で 帰 郷 者 が 多 か っ た も の の、 こ の 時 期 か ら 県 外 へ の 出 稼 ぎ 者 が 再 び 増 え は じ め て い た 。 1932 (昭 和 7) 年 末 現 在 の 沖 縄 か ら の 出 稼 ぎ 者 は、 (表 4) に 見 ら れ る よ う に、 樺 太 や 台 湾 な ど39ヵ 所 に 1 万 7 千 人 余 り が 出 か け 、 そ の な か で も 製 糸、 紡 績 業 が 圧 倒 的 な 比 重 を 占 め て い た。 沖 縄 県 社 会 課 で は 「風 俗 習 慣 ノ 異 レ ル 所 二 行 キ テ 活 動 セ ン ト ス ル モ ノ ナ レ バ 相 当 ノ 準 備 教 育 必 要 ナ リ 」 と 、 と く に 紡 績 女 工 に 対 し て は 出 発 前 に 県 庁 に 集 め 、 県 外 で 生 活 す る の に 困 ら な い よ う 指 導 を し た と い う (「沖 縄 県 社 会 事 業 要 覧」 39頁 )。 一 76 一

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(表 4 ) 出 稼 道 府 県 別 人 員 調 査 表 ( 昭 和 7 年 末 現 在 )

「沖 縄 県 社 会 事 業 要 覧」

東 京 府 352 596 948 広 島 県 13 4 17 大 阪 府 3358 3869 7227 長 野 県 1 1 2 静 岡 県 198 69 267 千 葉 県 13 12 25 鹿 児 島 県 172 284 456 長 崎 県 4 3 7 福 岡 県 85 303 388 和 歌 山 県 716 481 1,197 兵 庫 県 323 468 791 岩 手 県 『 1 1 愛 知 県 166 171 337 島 根 県 1 一 1 北 海 道 19 28 47 香 川 県 1 1 2 京 都 府 116 132 248 奈 良 県 4 3 7 熊 本 県 36 67 103 宮 崎 県 12 30 42 神 奈 川 県 667 656 1,323 福 井 県 一 3 3 三 重 県 59 39 98 大 分 県 20 17 37 佐 賀 県 4 7 11 台 湾 816 1064 1 ,880 鳥 取 県 24 16 40 朝 鮮 1 1 2 愛 媛 県 一 2 2 樺 太 庁 『 2 2 岡 山 県 141 24 165 岐 阜 県 34 10 44 佐 賀 県 140 85 225 高 知 県 30 12 42 山 口 県 72 53 125 群 馬 県 52 2 54 福 島 県 1 2 3 南 洋 庁 255 722 977 宮 城 県 一 1 1 計 7889 9 ,243 17,132 (注 ; 合 計 の 数 字 が 合 わ な い の も あ る が、 原 文 の ま ま と し た ) 一 77 一

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県 民 が 他 府 県 に 出 か け 、 ど の よ う な 仕 事 に つ い た か は (表 5 ) の と お り だ が 、 土 木 建 築 業 に 女 性 が 80人 も お り 、 「時 局 匡 救 事 業」 の “ 恩 恵” と は い え 県 外 で も こ う し た 厳 し い 仕 事 に 従 事 し て い た こ と を 考 え る と 、 当 時 の 沖 縄 で の 生 活 の 厳 し さを 改 め て 思 わ ず に は い ら れ な い (表 5 ) 職 業 別 出 稼 状 況 調 査 表 (昭 和 7 年 ) 「沖 縄 県 社 会 事 業 要 覧」 (1934年 4 月 )

主 な 出 稼 先

主 な 出 稼 者

出 身 地 名

工 業 製 糸 紡 績 酒 造 豆 腐 寒 天 製 造 そ の 他 工 業 5 ,012 3,350 8,362 和 歌 山、 大 阪 、 愛 知 滋 賀 東 京 島 尻、 中 頭 、 国 頭 那 覇 鉱 業 炭 鉱、 そ の 他 鉱 山 38 183 221 福 岡、 大 阪 島 尻、 中 頭 土 木 建 築 業 大 工、 石 工、 土 方 日 傭、 そ の 他 土 木 建 築 業 80 807 887 大 阪、 神 奈 川、 東 京 国 頭、 島 尻 商 業 売 薬 各 種 行 商 そ の 他 商 業 261 446 707 鹿 児 島 東 京 大 阪 台 湾 那 覇 、 島 尻、 中 頭 農 業 養 蚕 茶 ? 農 耕 牧 畜 そ の 他 250 590 840 南 洋 台 湾 宮 崎 中 頭 国 頭 林 業 製 炭、 そ の 他 林 業 一 12 12 愛 知 中 頭 漁 業 漁 労 そ の 他 54 977 1 ,031 台 湾 南 洋 鹿 児 島 島 尻 糸 満 町 宮 古 戸 内 使 用 人 戸 内 使 用 人 1 ,431 1,239 2,670 台 湾 大 阪 東 京 和 歌 山 八 重 山 郡 雑 業 仲 士 雑 役 夫 そ の 他 雑 業 763 1619 2 ,382 台 湾 、 大 阪 東 京 島 尻 中 頭 国 頭 計 7 ,889 9,223 17,112 こ の 厳 し さ は 大 人 だ け で な く 、 子 ど も た ち に も ふ り か か っ て いた。 両 親 が 働 き に 出 て い る あ い だ 乳 幼 児 を 預 か る 施 設 が な い た め 、 小 学 生 が 幼 い 妹 や 弟 を お ん ぶ し て 学 校 に 通わ な け れ ば な ら な か っ た の で あ る 。 沖 縄 県 学 務 課 の 調 査 に よ れ ば、 1932年 度 に 乳幼 児 の 子 守 を し な が ら 通 学 し て き た 尋 常 科 の 児 童 が 1,251 人、 高 等 科 が 113人 い たと い う 。 し か し、 そ 一 78 一

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れ で も 通 学 し て く る 子 ど も は ま し な 方 で、 29日 以 内 の 欠 席 者 が 尋 常 科 で 540 人、 高 等 科 で 34人 、 30日 以 上 が 尋 常 科 の50人、 180日 以 上 が73 人 で、 長 欠 児 童 が 出 た 学 校 は 尋 常 小 学 校 で68 校、 高 等 科 が 9 校 と い う 数 字 を 示 し た (「大 阪 朝 日 新 聞」 鹿 児 島 沖 縄 版1933年 8 月 16 日 ) そ れ だ け で は な か っ た。 女 児 の 辻 遊 廓 へ の 身 売 り も 相 次 い で い た の で あ る。 と く に 借 金 を 抱 え た 家 庭 で は、 女 児 を 芸 酌 婦 、 娼 妓 に し て そ の 前 借 金 を 得 る こ と で 負 債 の 返 済 に 当 て る と い う ケ ー ス が 多 数 み ら れ た。 1932 (昭 和 7) 年 に 内 務 省 社 会 局 社 会 部 が 調 査 し た 「 農 漁 山 村 二 於 ケ ル 生 活 困 窮 概 況」 に よ れ ば 、 沖 縄 県 の 場 合、 「新 二 芸 酌 婦、 娼 妓 ト ナ リ シ 者」 が1930 (昭 和 5 ) 年 に は27 人、 翌 年 が45 人 で、 年 齢 的 に は10歳 か ら20歳 の 女 性 た ち だ と い う 。 そ し て 前 借 金 の 額 が17、 8 歳 未 満 が200円 な い し300円 、 そ れ 以 上 の 年 齢 だ と 400 円 か ら 600 円 が 支 払 わ れ た ( 『日 本 婦 人 問 題 資 料 集 成』 第 7 巻 323頁) と い う 報 告 を し て い る こ う し た 親 の 借 金 払 い の た め に 女 児 が 身 売 り さ れ る ケ ー ス が 全 国 各 地 で み ら れ た た め 政 府 は 1933 ( 昭 和 8 ) 年 3 月31 日 「児 童 虐 待 防 止 法」 を 公 布 し、 14 歳 未 満 の 女 児 を 保 護 す る べ く そ の 対 策 に の り だ し た。 沖 縄 県 で は そ れ を 受 け、 同 年 9 月 27日 「児 童 虐 待 防 止 法 施 行 規 則」 を 制 定 し10月 1 日 か ら 実 施 に う つ し た 。 事 前 に 情 報 を 得 た 時 の 新 聞 は 、 「 本 県 名 物 の 辻 遊 廓 に お け る 14歳 未 満 の 小 女 郎 に も 恩 典 が あ る」 と し て、 次 の よ う な 記 事 を 載 せ て い る 。 (前 略 ) 辻 で は14 歳 未 満 の 子 供 が 酒 間 を 斡 旋 し 芸 酌 婦 の 領 域 ま で 進 出 し 、 か つ 舞 妓 等 も 大 抵14歳 未 満 が 多 い の で、 そ れ ら の 小 女 郎 を 抱 へ て ゐ る ア ン マ ー (女 将 ) 連 は 一 斉 に ふ る へ 上 っ て ゐ る ( 「大 阪 朝 日 新 聞 」 鹿 児 島 沖 縄 版 1933年 8 月 8 日 ) 結 局 、 沖 縄 県 が 調 査 を 開 始 し た 10月 中 に 摘 発 さ れ た の は 5 人 で、 4 人 が 芸 妓、 一 人 は 遊 芸 と い う こ と で あ っ た (1934年 「沖 縄 県 社 会 事 業 要 覧」 21頁)。 県 は 「 将 来 其 絶 無 ヲ 期 ス ベ ク 」 と、 そ の 後 も 「不 遇 児 童」 の 発 見 や 処 分 後 の 監 督 を 行 っ て い く こ と を 記 し て い る が 、 大 人 た ち の 処 分 は ど う で あ っ た の か、 具 体 的 な 説 明 が な い の は 残 念 で あ る 。

女 子 工 芸 学 校 の 県 立 移 管

さ て 、 行 政 が 不 況 脱 出 の て こ 入 れ を 行 っ て も、 住 民 生 活 は そ う 簡 単 に 好 転 で き る も の で は な か っ た 。 こ の 時 期、 首 里 市 で も 財 政 が ひ っ 迫 し、 1929 (昭 和 4 ) 年 か ら 首 里 市 立 女 子 工 芸 学 校 を 県 に 移 管 す る よ う 沖 縄 県 会 で も 意 見 書 が 提 出 さ れ て い た が 、 しば ら く 鳴 り を ひ そ め て い た も の の 1933 (昭 和 8 ) 年 に 再 び 浮 上 し て き た。 首 里 市 で は 農 業 と 酒 造 業 が 主 な 一 79 一

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産 業 で あ っ た が、 と く に 人 口 の 約 半 数 が 農 業 人 口 で、 そ の 多 く が 「貧 乏 小 作 人」 で 成 り 立 ち 、 ま た 酒 造 業 に し て も 売 り 上 げ の 半 分 以 上 が 国税 と し て 持 っ て い か れ る た め、 首 里 市 の 財 政 は 火 の 車 で あ っ た (『那 覇 市 史』 通 史 篇 第 2 巻 558∼559 頁)。 こ う し た 状 況 下 で 女 子 工 芸 学 校 を 運 営 す る こ と は 財 政 上 困 難 で あ る と い う こ と が、 県 立 移 管 を 求 め る 大 き な 要 因 と な っ て い た。 首 里 市 立 女 子 工 芸 学 校 は、 1887 ( 明 治 30)年 4 月 28日 に 首 里 区 長 の 朝 武 士 干 城 に よ っ て 女 子 実 業 補 習 学 校 と し て 首 里 尋 常 高 等 小 学 校 女 子 部 に 付 設 さ れ た も の で 、 そ の 後 1903(明 治 36)年 に 首 里 区 立 女 子 工 芸 学 校 、1911(大 正 10)年 の 市 制 施 行 で 首 里 市 立 女 子 工 芸 学 校 と な っ て い る ( 『首 里 高 等 女 学 校 創 立 百 周 年 記 念 誌 』 27頁 )。 首 里 市 で は 財 政 難 の ほ か に、 当 時 の 工 芸 学 校 の 在 学 者 が 中 頭 郡 出 身 が85 人、 首 里 市 62人 、 島 尻 郡 55 人、 那 覇 市44 人、 宮 古 郡 26 人、 国 頭 郡14 人、 入 重山 郡 8 人 (「 第 47 回 通 常 沖 縄 県 会 議 事 録 」 よ り 『沖 縄 県 議 会 史』 第 5 巻 584頁 ) で、 地 元 首 里 出 身 者 は 21% で し か な く 「県 的 ノ 学 校 デ ア ル」 こ と が 主 張 さ れ た 。 沖 縄 県 会 で 質 問 に 立 っ た 議 員 は 「 今 年 度 で 校 舎 が 新 築 さ れ て 設 備 が 整 う こ と に な っ て お り 、 も し 県 に 移 管 さ れ た ら 首 里 市 か ら 相当 期 間 寄 付 を し て も い い と い う 申 し 入 れ が あ る 。 ま た 『男 女 ノ 教 育 ノ 機 会 ヲ 均 等 ナ ラ シ メ ル ト 云 フ ヤ ウ ナ 点 カ ラ 見 マ シ テ』 一 日 も は や く 県 に 移 管 し た 方 が い い 」 (前 掲 書 よ り 口 語 訳) と 訴 え た。 そ れ に 対 し て 県 側 の 答 弁 は、 首 里 市 が 校 舎 を 新 築 し、 数 年 間 県に 寄 付 す る 余 裕 が あ る な ら し ば ら く 首 里 市 の 経 営 に し て は ど う か と、 け ん も ほ ろ ろ に こ の 問 題を 退 け た の で あ る 。 こ れ に 対 し て 県 会 は さ っ そ く 全 会 一 致 で 次 の よ う な 意 見 書 を 提 出 し た 。 首 里 市 立 女 子 工 芸 学 校 県 立 移 管 二 関 ス ル 意 見 書 首 里 市 立 女 子 工 芸 学 校 ハ 本 県 唯 一 ノ 女 子 実 業 教 育 機 関 に シ テ 其 入 学 志 願 者 ノ 状 況 並 在 学 生 徒 ノ 実 情 二 徴 ス ル モ 是 ヲ ー 市 立 学 校 ト シ テ 放 置 シ 得 ベ キ モ ノ ニ 非 ラ ス 速 カ ニ 県 立 二 移 管 シ テ 其 形 式 ヲ 整 へ 内 容 ノ 充 実 ヲ 期 ス ル ハ 沖 縄 県 振 興 計 画 ノ 実 施 期 二 入 レ ル 今 日 最 モ 緊 急 ヲ 要 ス ル 教 育 施 設 タ ル ヲ 失 ハ ズ 県 当 局 ハ 宜 シ ク 弦 二 思 ヒ ヲ 致 シ 昭 和 9 年 度 ヨ リ 其 実 現 ヲ 計 リ 以 テ 名 実 共 二 備 ハ ル 本 県 女 子 実 業 教 育 機 関 タ ラ シ メ ム 事 ヲ 要 望 ス 右 府 県 制 第 44条 二 依 リ 意 見 書 提 出 候 也 昭 和 8 年 12月 24日 提 出 者 玉 城 尚 秀 他29人 (名 称 略 ) (前 掲 書 671頁 ) こ こ で は 「沖 縄 県 振 興 計 画」 に か ら め て 県 立 移 管 の 申 し 入 れ を し て い る が、 し か し 県当 局 は 国 頭 高 女 の と き の よ う に 即 決 し た わ け で は な か っ た。 女 子 工 芸 学 校 の生 徒 た ち は 県 議 一 80 一

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や 行 政 の 関 係 者 に 学 校 の 県 立 移 管 を 要 求 し、 首 里 市 当 局 は 再 三 に わ た っ て 沖 縄 県 に 陳 情 を 繰 り 返 し た 。 ま た、 県 会 で は ち ょ う ど 1 年 後 の 「第49回 通 常 沖 縄 県 会」 で、 前 年 と ほ と ん ど 同 じ 内 容 の 意 見 書 を 再 び 提 出 し た。 こ う し た 動 き に 、 沖 縄 県 が や っ と 重 い 腰 を あ げ た の は 1935 (昭 和 10)年 に な っ て か ら で あ っ た。 「昭 和 10年 知 事 事 務 引 継 書 」 で は、 県 財 政 の 厳 し さ か ら す ぐ に 県 立 に 引 き 継 ぐ と い う の は 難 し い が、 「実 業 教 育 費 県 費 補 助 金 」 と し て 支 払 っ て き た 850円 を 昭 和 10年 度 か ら 2 ,000円 に 増 額 す る こ と を 認 め る と い う 決 定 を し た 。 そ し て 同 年12月 の 「第51 回 通 常 沖 縄 県 会」 で は、 県 立 移 管 を 前 提 に12,923 円 の 予 算 を 議 案 と し て 提 出 し た の で あ る。 こ れ に 対 し て 議 員 か ら 、 「女 子 工 芸 学 校 ハ 本 県 ノ 家 庭 ノ 賢 母 良 妻 を 養 成 致 シ マ シ テ 本 当 二 実 社 会 二 活 動 ス ベ キ 婦 人 ヲ 養 成 ス ベ キ 唯 一 ノ 女 子 教 育 機 関 デ ア リ マ ス 。 従 ッ テ 之 二 対 シ マ シ テ ハ サ ウ 云 フ 人 物 ヲ 養 成 ス ル ニ 十 分 ナ ル 設 備 ト 云 フ モ ノ ガ 必 要 デ ア リ マ ス 」 (「第 51回 通 常 沖 縄 県 会 議 事 速 記 録」 『沖 縄 県 議 会 史』 第 6 巻 214頁)。 そ の た め に は 設 備 を 充 実 さ せ な け れ ば な ら な い が こ の 予 算 額 で は 不 十 分 だ と、 疑 問 を 呈 す る 発 言 が 出 て き た 。 県 は そ れ に 対 し 「向 こ う 5 年 間 首 里 市 か ら13,278円 の 寄 付 を 受 け 、 そ の 中 か ら 昭 和 15年 ま で の 問 に 染 料 科 の 設 備 、 織 物 実 習 教 室 の 建 築 、 機 織 台 35台 の 新 調 、 家 事 科 の 設 備 、 裁 縫 科 の 設 備、 ミ シ ン 8 台 の 購 入 に 当 て る 」 こ と を 約 束 し、 翌1936 (昭 和11)年、 首 里 市 女 子 工 芸 学 校 を 県 立 に 移 管 し た の で あ る し か し な が ら そ の 1 年 後、 玉 城 尚 秀 県 議 他 26人 の 連 名 で 「沖 縄 県 立 女 子 工 芸 学 校 設 備 充 実 に 関 す る 意 見 書」 が 出 さ れ た 。 「裁 縫 、 機 織 、 染 色、 家 事 料 理 等 の 主 要 科 目 に 対 す る 実 習 設 備 不 完 全 に し て 、 教 授 上 誠 に 遺 憾 の 点 少 な か ら ず。 県 当 局 は 速 に 其 の 設 備 充 実 の 実 現 を 計 り 以 て 名 実 共 に 女 子 実 業 教 育 機 関 た ら し め る 事 を 要 望 す」 ( 「沖 縄 教 育」 第245号 昭 和 12年 1 月 よ り 『那 覇 市 史 資 料 篇 第 2 巻 中 3 』 189頁 所 収) と い う 内 容 で あ っ た 。 “ 昭 和 15年 ま で の 問” に 設 備 投 資 を 行 う と い う 約 束 で は あ っ た が、 こ の 段 階 で す で に、 授 業 に 支 障 を 来 し て い た の で あ る

国 民 更 生 運 動

婦 人 会 の 設 置

荒 れ 狂 う 不 況 の な か、 住 民 の 窮 乏 ぶ り に 対 し て 沖 縄 県 が と く に 取 り 組 ん だ の が 「国 民 更 生 運 動 」 で あ っ た 。 こ の 運 動 は1932 (昭 和 7) 年 9 月 5 日 に 内 務 省 か ら 全 国 に 向 け て 命 じ ら れ た も の で、 県 は 「振 興 計 画 」 を 進 め る う え で 沖 縄 県 民 に 国 家 の 最 大 課 題 で あ る 「自 力 更 生」 に 着 手 さ せ る 必 要 が あ り、 講 演 会 や 懇 談 会 の 開 催、 宣 伝 な ど こ の 運 動 に は 県 を あ げ て 取 り 組 ん で い た 。 し か し な か な か そ の 成 果 が あ が ら ず、 1933 (昭 和 8 ) 年 、 「県 民 一 般 一 81 一

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ノ 自 覚 奮 起 ヲ 促 シ 以 テ 其 ノ 日 常 生 活 裡 二 其 ノ 趣 旨 ヲ 体 現 セ シ ム ル ノ 要 ア リ」 (「沖 縄 県 社 会 事 業 要 覧」 昭 和 9 年 4 月 ) と 、 「国 民 更 生 運 動 」 を 日 常 的 に 取 り 組 む と い う 意 味 の “ 生 活 化 ” を 打 ち 出 し た の で あ る 。 そ れ は 全 国 規 模 で 進 め ら れ て い た 「生 活 改 善」 を 沖 縄 の 実 情 に 合 わ せ て 強 化 し て い く こ と に つ な が っ た 。 県 は ま ず 「生 活 改 善 同 盟 会」 を 設 立 し、 那 覇 市 首 里 市 は 各 町 各 通 り 単 位 に 、 町 村 は 字 単 位 に 細 分 化 し、 次 の 事 項 の 実 施 を 図 っ た 。 1 、 講 演 会、 協 議 会、 懇 談 会 等 の 開 催 1 、 祝 祭 日 の 家 庭 化 1 、 早 寝 早 起 き の 励 行 1 、 定 時 励 行 の 徹 底 1 、 予 算 生 活 の 実 行 1 協 調 讃 和 の 実 現 1 、 住 宅 台 所 便 所 等 の 改 善 1、 食 糧 の 合 理 化 1 、 社 交 礼 儀 の 改 善 1 、 道 路 の 清 掃、 修 理 そ の 他 社 会 奉 仕 の 実 行 1 娯 楽 の 改 善 1 、 そ の 他 必 要 な る 事 項 (前 掲 書 ) そ し て 各 種 団 体 ( 向 上 会、 自 治 会、 婦 人 会、 青 年 団、 在 郷 軍 人 会等 ) の 緊 密 な 連 携 を は か り 、 協 力 を も と め あ う こ と が 要 望 さ れ た。 地 域 の主 た る メ ン バ ー を つ な ぐ こ と に よ っ て 地 域 住 民 に 強 い 影 響 を 与 え る こ と が 可 能 で あ っ た か ら だ 。 た だ、 こ れ ら の 内 容 の ほ と ん ど が 家 庭 生 活を ベ ー ス に し た 改 善 で あ り、 実 施 す る に あ た っ て 大 き な 期 待 が 寄 せ ら れ た の が、 連 合 婦 人 会 の 役 割 で あ っ た 。 1930 (昭 和5 ) 年 に は 全 国 で す で に 「家 庭 教 育 の 振 興 と 家 庭 生 活 の 更 新 を 図 る 」 こ と を 目 的 に、 文 部 省 後 援 の 大 日 本 連 合 婦 人 会 (理 事 長 ・ 島 津 治 子 前 皇 后 宮 女 官 長) が 結 成 さ れ て お り 、 「 国 民 更 生 運 動 」 が 展 開 さ れ て か ら は 「家 庭 生 活 の 更 新 を 中 心 と し て 国 民 更 生 運 動 に 婦 人 と し て 参 加 す る こ と が よ り 効 果 的 で あ る 」 と 生 活 改 善 を 中 心 に 活 動 を は じ め て い た (大 日 本 連 合 婦 人 会 編 「系 統 婦 人 会 の 指 導 と 経 営」 『日 本 婦 人 問 題 資 料 集 成』 第 4 巻 695頁 所 収 ) 。 こ の 大 日 本 連 合 婦 人 会 の 地 方 版 と し て 、 沖 縄 で も1932年11月18日 には 美 里 村 美 東 小 学 校 区 域 で 美 東 学 区 婦 人 会 が 組 織 さ れ 、 「国 民 精 神 の 発 揚、 自 力 更 生 の 高 潮 、 家 庭 生 活 の 合 理 化 、 社 会 公 共 に 奉 仕」 を 目 的 に 活 動 を 行 っ て いた 。 ま た 翌 年 1 月17日 に は 「国 民 更 生 は 婦 人 の 力 に 挨 つ 」 を 標 語 に 那 覇 市 の 10婦 人 団 体 を 統 合 し た 那 覇 市 連 合 婦 人 会 が 結 成 さ れ 、 「吾 々 は 婦 人 の 本 分 を 守 り 国 民 精 神 の 酒 養 に 務 め 和 衷 協 同 家 庭 社 会 の 改 善 向 上 に 協 力 せ ん 一 82 一

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事 を 期 す 」 こ と を 宣 言 (前 掲 書 ) し、 活 動 を 開 始 し た 。 当 時 の 婦 人 会 は 市 町 村 中 心 と 学 区 域 中 心 に 、 那 覇 に10 (那 覇 市 連 合 婦 人 会 と し て 統 合)、 首 里 1 、 島 尻 郡 22、 中 頭 郡 13、 国 頭 郡 10、 宮 古 3、 八 重 山 郡 6 の65地 域 に 設 置 さ れ て お り、 「自 力 更 生」 を 旗 頭 に 部 落 の 生 活 改 善 や 家 庭 教 育 の 振 興 を 目 的 に 活 動 し て い た が 県 当 局 は こ れ ら を す べ て 統 合 さ せ 「一 段 と 婦 人 の 自 覚 奮 起 を 促 す」 こ と を 目 的 に1934 (昭 和 9) 年 3 月 3 日、 沖 縄 県 連 合 婦 人 会 を 結 成 し た 。 す で に 「15 年 戦 争 」 に 突 入 し た 日 本 は 対 中 国 侵 略 に 狂 奔 し て お り、 県 当 局 は 「沖 縄 県 振 興 計 画 」 を 盾 に 「銃 後 」 の 安 定 策 と し て 生 活 改 善 を 中 心 と し た 物 心 両 面 の 「自 力 更 生」 を 婦 人 会 に 押 し つ け て き た の で あ る。 ま た 新 聞 も 「非 常 時 日 本 に 相 応 は し き 県 下 各 市 町 村 の 婦 人 会 は そ れ ぞ れ 各 方 面 で 真 面 目 な 活 動 を な し、 生 活 改 善、 家 庭 教 育 振 興 そ の 他 に 努 力 し て ゐ る が 県 の 振 興 計 画 案 も 緒 に つ き ま す ま す 婦 人 会 の 活 動 に 挨 つ も の が 多 々 あ る」 と、 婦 人 た ち に な お 一 層 の 自 力 更 生 の 努 力 を 促 す 記 事 を 掲 載 し た ( 「大 阪 朝 日 新 聞」 鹿 児 島 沖 縄 版 1934年 2 月 3 日 )。 こ の 婦 人 会 が 統 合 さ れ た こ と で 行 政 と 婦 人 団 体 は い よ い よ 太 い パ イ プ で つ な が る こ と に な り、 上 意 下 達 の 「生 活 改 善」 が 女 性 た ち の 手 に よ っ て 着 実 に 進 め ら れ て い く の で あ る

生 活 改 善

さ て 、 生 活 改 善 同 盟 会 を 組 織 し た も の の 思 う よ う な 成 果 が あ ら わ れ な か っ た の か 、 県 当 局 は 「社 会 教 化」 の 名 の も と に、 あ ら た に 次 の 項 目 を 掲 げ、 徹 底 し た 改 善 を は か る よ う 指 示 し て き た ( 以 下、 「沖 縄 県 社 会 事 業 要 覧 」 参 照 )。 (1)時 間 尊 重 、 定 時 励 行 な か な か 時 間 を 守 ら な い 沖 縄 県 民 に 生 活 改 善 の “ 第 一 歩 ” と し て 時 間 を 守 る よ う 奨 励 し て き た 県 は、 ま ず 時 計 の 購 入 が 先 だ と 啓 発 を 進 め て い た。 し か し 生 活 が 貧 し い な か、 時 計 を 購 入 で き る 家 庭 は (表 6 ) に 見 ら れ る よ う に 全 体 の 4 割 強 で し か な か っ た。 そ れ だ け 見 て も 当 時 の 生 活 水 準 が う か が え る の で は な い だ ろ う か

表 6

有 時 計 家 庭 調

調 査 戸 数

有 時 計 戸 数

割 合

1928 (昭 和 3 ) 年 116 ,738 23,902 20.0 1931 (昭 和 6) 年 123 ,255 31,834 25.8 1932 ( 昭 和 7 ) 年 126376 33190 26.3 1933 ( 昭 和 8 ) 年 126466 33 ,750 26.7

「沖 縄 県 社 会 事 業 要 覧」

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② 勤 倹 奨 励

「防 貧」 の た め に 貯 蓄 を 奨 励 し た も の で、 と く に1928 (昭 和 3) 年11月 の 「御 大 典 記 念 事 業」 と し て 実 施 さ れ て き た が、 「未 ダ 遺 憾 ナ キ ヲ 得 ズ 更 ニ ー 段 ノ 策 励 ヲ 」 と 発 破 を か け て い る 。 日 々 の 生 活 で も 厳 し い な か、 県 が 唱 え る “ 貯 蓄 奨 励 ” に 応 え る こ と が で き た 県 民 が ど の 程 度 い た だ ろ う か。 (3)社 交 儀 礼 の 改 善 沖 縄 県 民 は 旧 慣 に と ら わ れ 、 冗 費 が 多 い た め に 家 計 が 厳 し く な っ た と 判 断 し た 県 は、 と く に 冠 婚 葬 祭 の 無 駄 遣 い を な く す よ う 、 向 上 会、 自 治 会 、 婦 人 会 に 申 し 入 れ を し た 。 そ の 内 容 は、 「結 婚 披 露 ハ 可 成 自 宅 二 於 テ 質 素 ニ ス ル コ ト」 や 「御 祝 儀 ハ 規 定 ノ 金 額 (都 市 ハ 1 円 以 下、 農 村 ハ20銭 以 下) ヲ 超 エ ザ ル コ ト」、 「葬 式 ノ 時 刻 ハ 必ズ 守 ル コ ト 」 「仏 事 ハ 精 神 的 儀 礼 ヲ 重 ン ジ 冗 費 ノ 節 約 ヲ 図 リ 近 親 者 二 於 テ 行 フ コ ト」 「忘 年 会 ハ 可 成 遠 慮 ス ル コ ト」 な ど17項 目 か ら な り 、 内 容 を 見 て い る と 当 時 の 生 活 の 窮 乏 状 態 で は た し て こ こ に 掲 げら れ て い る よ う な 冠 婚 葬 祭 を 行 っ て い る 県 民 が ど の 程 度 い た か は な は だ 疑 問 で あ る 。 お そ ら く 都 会 を 中 心 と し た 冠 婚 葬 祭 の 制 約 だ と 思 わ れ る 。 と い う の も 、 次 の 「農 村 台 所 改 善」 を 見 る だ け で も 生 活 の 貧 し さ が う か が え 、 農 民 に と っ て 県 の い う 冠 婚 葬 祭 を 行 う こ と す ら 困 難 だ っ た の で は な い だ ろ う か。 (4)農 村 台 所 改 善 農 家 あ 主 婦 が 、 毎 日、 通 風 採 光 の 悪 い 台 所 で 働 い て い て 「一 家 ノ 健 康 ト 経 済 二 無 関 心 ナ ル 有 様 」 だ と 、 県 は 具 体 的 な 標 準 を 設 け て 「家 庭 生 活 の 改 善」 と 「衛 生 思 想」 の普 及 の た め に 台 所 改 善 を す る よ う 求 め た 。 こ れ は 県 民 の 栄 養 状 態 が 悪 く 「食 糧 改 善 ノ 方 法 ヲ 講 ジ 栄 養 状 態 ヲ 図 ラ ン 」 こ と を 最 大 の 目 的 に し て お り、 次 の よ う に 標 準 が 設 け ら れ た。 ① 明 る く す る こ と … … 適 当 な 所 に 採 光 窓 を 設 け る こ と ② 便 利 に す る こ と … … 井 戸 、 流 し、 食 糧 棚、 か ま ど 等 の 位 置、 並 び に 構 造 及 び 食 卓 (農 家 の 昼 食 は 土 足 の ま ま 食 事 が で き る 工 夫 ) の 改 善 ③ 衛 生 的 に す る こ と … … 炊 事 場 の 土 間 を コ ン ク リ ー ト に し て 、 排 煙 装 置 (煙 突 ) 防 蝿 設 備、 流 水 装 置、 調 理 台 等 を 設 置 す る こ と ④ 経 済 的 に す る こ と … … 旧 式 の か ま ど は 改 良 か ま ど に 改 め 、 燃 料 の 経 済 を は か る こ と ⑤ 防 火 上 の 工 夫 を す る こ と … … 薪 、 マ ッ チ 等 の 置 場 を 一 定 に す る こと こ の 改 善 を 促 進 す る た め、 「改 善 を す る う え で の 標 準 設 計 」 が 配 ら れ 、 改 造 資 金 と し て 一 84 一

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毎 月 30 銭 以 上 の 積 立 を 行 う こ と な ど が 要 求 さ れ た。 そ し て 婦 人 会 が 中 心 と な っ て 毎 月 1 回 以 上 の 各 戸 の 台 所 巡 視 が 義 務 づ け ら れ 、 さ ら に 毎 年 春 秋 2 回 の 台 所 品 評 会 が 催 さ れ た 。 県 民 の 生 活 破 綻 か ら の 脱 出 を 県 民 自 身 の 努 力 に 求 め た 県 の 政 策 で あ っ た。 ま た 県 学 務 部 で は、 郷 土 教 育 の 一 端 と し て 各 小 学 校 で 「家 庭 に お け る 改 善 す べ き 事 項」 を 調 査 し、 ① 予 算 生 活 を し て な い ② 貯 金 を し て な い ③ 掛 買 い が 多 い ④ 燃 料 の 無 駄 が 多 い な ど を 報 告 し た。 そ れ に つ い て 「要 す る に 経 済 観 念 に 乏 し く 生 活 が 科 学 的 で な い」 と 結 論 づ け、 婦 人 会 や 処 女 会 (女 子 青 年 会 ) を 動 員 し て 改 善 に 乗 り 出 す こ と を 決 定 し た と い う (「大 阪 朝 日 新 聞」 1934年 2 月 28 日 ) し か し な が ら 、 あ ら ゆ る 改 善 を 求 め ら れ て も 基 本 的 に 生 活 困 窮 の 事 実 は 逃 れ よ う が な か っ た。 1934 (昭 和 9) 年 1 月 の 新 聞 で は、 旧 暦 の 正 月 を 前 に 年 を 越 せ な い 那 覇 市 の 貧 民 が 3 50 人 も お り 、 市 で は 1 戸 平 均 5 人 で 1 円30銭 の 救 助 金 の 支 出 を 決 め た こ と が 報 じ ら れ た が 市 民 の 人 口 の 割 合 と し て は 少 な い も の の 、 ぎ り ぎ り の 生 活 を 送 る 人 は 多 か っ た こ と が 推 測 さ れ る 。 同 年 2 月 の 那 覇 市 は、 4 月 か ら 高 等 科 に 進 む 児 童 が 減 少 し、 授 業 料 が 減 収 に な る こ と で 学 務 課 が 頭 を 痛 め て お り 、 そ の う え に 数 年 来 の 授 業 料 の 滞 納 が 続 き、 学 校 運 営 の 面 で 深 刻 な 事 態 に 直 面 し て い た の で あ る (前 掲 新 聞 1934年 2 月 28 日)。 都 市 部 で こ の 状 況 で あ れ ば 、 農 村 部 は 推 し て 知 る べ し で あ ろ う 。 そ の 1 例 と し て、 風 呂 の な い 生 活 を し て い る 農 村 地 帯 へ の 補 助 事 業 が 決 定 し た 次 の 文 章 に 見 る こ と が で き る の で は な い か。 1935 ( 昭 和 10) 年 の 「知 事 事 務 引 継 書 」 の な か で、 緊 急 に 取 り 組 む 社 会 事 業 と し て 「共 同 浴 場 の 設 置 」 を 取 り 上 げ 、 浴 場 の な い 農 村 に 1 ヵ 所 100円 の 補 助 を 3 ヵ 所 に 行 づ こ と を 決 め て い た。 当 時 の 農 村 で は 家 庭 の な か に 風 呂 を 設 置 し て い る 所 は ほ と ん ど な く、 村 民 は 年 中 冷 水 で 浴 び る か 製 糖 鍋 を 利 用 し て 湯 を 沸 か し 体 を 拭 く 程 度 で し か な か っ た。 そ の た め 、 村 や 部 落 独 自 で 「共 同 浴 場 」 を 設 置 す る よ う 奨 励 し て も 資 金 が な く、 継 続 事 業 と し て 補 助 を 予 算 化 し て い た の で あ る 以 上 の よ う に 、 経 済 的 に ど ん 底 に 陥 っ た 県 民 を 、 行 政 は 「対 中 国 侵 略 を 拡 大 す る 上 で 障 害 と な ら な い 程 度 に」 “ 救 済 ” に 乗 り 出 す が、 そ の 手 段 と し て 県 民 に 「 自 力 更 生 」 「 生 活 改 善」 を 押 し つ け て き た こ と に な る。 そ れ は、 結 果 的 に 女 性 た ち が 戦 時 生 活 に む け て 組 織 力 を 蓄 え る こ と に 連 な り、 愛 国 婦 人 会 、 国 防 婦 人 会 と し て 日 中 戦 争 勃 発 後 の 「国 民 精 神 総 動 員 運 動」 や 「国 家 総 動 員 法 」 の 名 の も と に 集 結 さ せ ら れ、 「 銃 後 の 務 め 」 を 存 分 に “ 発 揮 ” し て い く の で あ る (那 覇 市 女 性 室 宮 城 晴 美 : み や ぎ は る み) 一 85 一

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