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Mary Poppins 物語におけるナニーの存在と役割

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Mary Poppins 物語におけるナニーの存在と役割

福 本 由紀子

P. L. Travers (1899-1996)によって書かれた Mary Poppins 物語シリーズ六巻1

は、 す べ て Banks 家 の 子 ど も た ち と 乳 母( 通 常 ナ ニ ー(nanny)、 ナ ー ス (nurse)と呼ばれる2が、本論文ではナニーとする)である Mary Poppins をめ

ぐる物語となっている。シリーズを通して Mary Poppins は Banks 家を計三回 訪れる。その三回の滞在時の出来事が各々Mary Poppins、Mary Poppins Comes Back、Mary Poppins Opens the Door に描かれ、残りの三作では過去三回の登場

時のエピソードが断片的に語られる。 ナニーとは、イギリスの上・中流階級の家庭において子どもの世話をするた めに雇われる使用人のことであるが、単に子どもの世話と言っても、授乳から 身の回りの世話、躾、子どもの心理的なサポートなど多岐に渡り、子どもの養 育に関して両親以上に親密に関わる存在である。そして、母親と子ども、ナ ニーと子どもの関係、また家庭におけるナニーの地位や役割は時代によって変 化する。 このような子どもにとって最も身近な存在であるナニーが、児童文学作品に おいても重要な役割を担っていることは想像に難くない。しかし、The Secret Garden の主人公 Mary のインドでの乳母 Ayah やイギリスの Mr. Craven の屋敷

での女中 Martha、Peter Pan and Wendy の犬である乳母(nurse)の Nana、Ballet

Shoes の乳母(nurse)の Nana など印象的なナニーもしくは子どもの世話係が

登場する作品3はあっても、いずれも脇役であり、実際にナニーを主人公とす

る作品はそれほど多くはない4。ナニーをタイトルに冠したものでは、

Christiana Brand (1907- 88)作のNurse Matildaシリーズ5があるが、Mary Poppins

の影響が強く感じられ、イギリス児童文学におけるナニーの物語として、 Mary Poppins を越えるものはないのではないかと考える。

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- 2 - 実際に物語のなかで Mary Poppins というナニーの果たした役割を明らかにす ることが目的である。第一章では19-20世紀におけるイギリスの家庭での使用 人、主にナニーと子ども部屋のありようについて考察し、第二章ではイギリス の伝統的なナニーとしての Mary Poppins の働きを明確にしたい。第三章では Mary Poppins が物語のなかで何を体現しているのか、単なるナニーではないそ の独自性を追求し、第四章においては Mary Poppins と子どもたちとの別れの 場面を中心に、物語を通して感じられる喪失感について考察したい。

I.イギリスの家庭におけるナニーの様相

19世紀から20世紀前半におけるイギリスの家庭の様相を探ってみると、中流 階級の家庭の場合、比較的小さな家庭においても多くが使用人を必要としてお り、彼らは通常住み込みであった。特に、ヴィクトリア時代には使用人を保有 する余裕のある雇用者の数が増大し、1901年までに国内の使用人の数は約150 万人となり、家事使用人の全盛期となった(Horn 15)。使用人と一言で言って もその専門性は多様であり、雇用主の経済力によって人数も様々である。また、 使用人のなかにも上級使用人(upper servant)と下級使用人(lower servant)が おり、その階層構造は顕著である。例えば、ヴィクトリア時代の使用人の状況 を詳細に記したThe Duties of Servants--The Routine of Domestic Service (15-20)

The Rise and Fall of the Victorian Servant(30, 209-213)を概観しただけでも、

男 性 の 使 用 人 と し て、 家 令(house-steward)、 客 室 接 待 係(groom of the chambers)、執事(butler)、従僕(valet)、下男(footman)、御者(coachman)、 馬丁(groom)、料理人(cook)、給仕(hall-boy)、小姓(page)、庭師(gardener)、 狩猟管理人(game-keeper)、屋内手伝い(boy in house)、厩舎番(stable-boy) 等々、女性の使用人として女中頭(housekeeper)、小間使(lady’s maid)、料理 人(cook)、乳母(nurse/nanny)、子守女中(nursemaid)、酪農婦(dairy-maid)、 台所女中(kitchenmaid)、客間女中(parlour-maid)、流し場女中(scullery-maid)、 家女中(housemaid)、洗濯女中(laundry-maid)、雑役女中(maid-of-all-work) 等々が挙げられている。執事や女中頭などの上級使用人は屋敷の運営に必要な 権限を与えられて下級使用人を管理監督し、上級使用人各々には専用の使用人

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- 3 - もついていたのである。 ここでは、本論の主眼となるナニーについて詳しく見ていきたい。そもそも 18世紀頃まで、ヨーロッパの裕福な家庭では、母親たちは出産後自らの胸の形 が崩れるのを良しとせず、赤ん坊に乳を飲ませるために貧しい女性を雇ってお り、それら授乳のための乳母のことを“wet nurse”と呼んだ。それに対して、 子どもの世話をする乳母のことは“dry nurse”と呼ばれ、後に wet nurse が見 られなくなってからは、単に“nurse/nanny”と呼ばれるようになる。当時、母 乳には力があるとされ、赤ん坊は wet nurse の外見や性格まで吸収すると考え られたため、彼女らは重要視されていた。しかしながら、神学者や医者は wet nurse の雇用に対して否定的であり、その声は18世紀になるとかなり強いもの となった。また母乳には病気から子どもを守る力があるという考え方が広まり (実際この点に関しては中世から言われていたことではあるが)、母親が自ら赤 ん坊に授乳する傾向が強まっていった。その結果、wet nurse は19世紀までに はほぼ見られなくなる。 子どもの養育への関心が高まるのは18世紀以降であったが、その頃までは、 上・中流階級における養育に関して一番の権限を持っていたのは母親であった。 けれども母親の占める役割は徐々に少なくなり、ナニーに頼る部分が増大し、 結果として、子どもたちが両親と過ごす時間は限られたものとなっていく。 子どものいる使用人保有階級の家庭は、子守女中(nursemaid)を少なくと も一人は雇うべく努力し、その大多数は子どもの世話係(child minder)として、 子どもの服を着せ替えたり、遊んだり、散歩に連れ出したりした。一方、比較 的大規模で裕福な家で雇われていた乳母頭(headnurse6)もしくはナニーと呼 ばれる使用人は、一家の子どもたちを養育する全権をほぼ一任されていた。そ こでは、両親と子どもたちは一日にせいぜい一時間ほど、午後に客間で顔を合 わせる程度であり、子どもたちは大半の時間をナニーと過ごすのであった。こ のように、ナニーは家庭における自分の領域をそれ以外の世界からは完全に独 立させ、子ども部屋の掃除や雑用仕事をする他の使用人らとは一線を画してい た。ナニーは “she[= nanny] regulated his life from the largest down to the smallest particulars”(Gathorne-Hardy 74)と言われるほど、子どもたちのすべてを取り しきり、熱心に躾を行い、子ども部屋を効率よく運営することを最も重要な任 務と考えていた。

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- 4 - 中流階級以上の家庭において、ナニーと子どもたちの居場所である、“day nursery”や“night nursery”と呼ばれる「子ども部屋」が意図的に作られるよ うになったのはヴィクトリア時代であるといえよう7。19世紀まではカントリー ハウスを設計する際に、子どもの居場所の必要性や家の中に置かれるべき場所 について深く考慮されることはなく、他の部屋との著しい区別はなかったもの が、子どもにきちんとした部屋をあてがうよう、両親と簡単に行き来できるよ うに細心の注意が払われ、子ども部屋は両親の居間や書斎、寝室、更衣室の上 の階に作られ、子どもの状態をすぐに覗きに行けるように専用の階段もつくよ うになる (Girouard 286)。そしてナニーと子どもたちは、昼間はほとんどの時 間を一緒に子ども部屋で過ごし、夜はすぐそばの night nursery で眠っていた (ハリソン(1996) 350)。食事もそこで他の家族とは別にとっており、要するに、 彼らの生活空間の大半は子ども部屋だったわけである。 このような子ども部屋は、以下のように、家の中で実質的に他とは隔絶され ており、独自の空間を形成していた。

“this psychic separation is expressed physically. It may have its own staircase, its own door out into the grounds, it may be in a separate wing, a separate corridor, a separate floor, cut off and even silenced from the rest of the house by a muffling, brass-studded, green baize door. ” (Gathorne-Hardy 77) さらに、ナニーは料理人に対して、子どもたちのための料理などに関して指図 したため、使用人同士の争いの種となることもあり(Horn 73-76)、「育児室と 台所の間には確執が絶えなかった。育児室の食事時間と食堂での食事時間は食 い違い、乳母は乳母で自分の預かる子どもは何が食べられ、何を食べるべきか について口うるさく、そのうえ他の召使いたちは、乳母自身召使に過ぎないの に…二階にまで食事を運んで、給仕をしなければならないことに腹を立ててい た」(ハリソン(1993) 226)と、その対立は詳しく記されている。“the feeling of the nursery is that it is separate. Nanny is separate, suspended half-way between the mother and the rest of the staff, half-parent, half-servant [. . .] The other servants look on the nursery as a separate and almost alien world.” (Gathorne-Hardy 77) と、 ナ ニーは多数いる使用人のなかでも、他の使用人とは明らかに違う特別な立場に

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- 5 - あり、囲われた場所にいたのである。

子ども部屋とその周辺は、“Her kingdom--where she sits, all-powerful and fairly beneficent, sewing, chiding, comforting, watchful, rocking in her rocking chair in front of a coal fire--consists of a day nursery, a night nursery [. . .] a still-room or pantry and possibly the room of her servants” (Gathorne-Hardy 77)とあるように、ナニー の支配下にあったため、ナニーによっては権力を行使し、子どもたちに独裁的 な態度で残酷で悪意に満ちた行動を取る者もいた。子どもたちは通常両親から 隔離されているため、ナニーは子どもたちに君臨し、それに対して子どもたち も両親には何も言えないことも多かった。このような非情なナニーのいる一方 で、子どもに愛情を注ぎ、強い絆で結ばれたナニーも当然ながら存在する8 実際、両親との実質的な関わりの少ない家庭で育つ子どもたちにとって、ナ ニーは唯一愛情と安心感を与えてくれる存在でもあった。P. L. Travers 自身も “The relation of servant and child can be, indeed, both intimate and profound--a closer

one than all other early ties [. . .] The mother [. . .] she has little authority; she does not even understand the infant’s language” (Riley 175)と、母親ではなく、使用人 (ナニーだと考えられる)と子どもの親密な関係について述べている。

さらに、子どもたちの世界そのものである子ども部屋で、親や血縁関係のあ る家族ではないが親以上に子どもと親密に過ごす存在として、ナニーが子ども 時代に大きな影響を与えることは以下に述べられるとおりである。

The nursery is oftener than not the children’s world; their mother is to them the beautiful lady whom they see ten minutes during the day, and whose visits to the nursery are of the briefest; when this is so, the influence of the nurse is supreme over the minds of her charges [. . .] her example and authority are paramount [. . .] (Barnes 110-11) ナニーの力が絶大であったのは1850年から1939年頃であると言われているが (Gathorne-Hardy 74)、その影響がここまで大きくなると、ナニーの出身階級が 問題となる。ナニーの雇い主は上・中流階級家庭である一方、ナニー自身は労 働者階級である。子どもの世話を、母親と離れた状態で下の階級である他人に 任せるという習慣は特に19世紀中頃からよく見られるが、ヨーロッパでもイギ

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リス特有のものであるという(Gathorne-Hardy 21, 315)。このようにナニーが 下層階級に属していたため、The Duties of Servants

の「ナニーの仕事」(108-117)においても、子どもはナニーの階級の習慣をすぐに身につけてしまうた め、lower class のナニーが気をつけるべきことが多々記されている。「躾のなっ ていない下層階級であるがゆえの不適当な衝動」(undue impulsiveness which springs probably from an undisciplined mind, which is the attribute of the class to which they belong)に始まり、短気や思慮のない処罰、甘やかし、無駄話をす ること、粗野な言葉遣いやマナーなど、ナニー本人の育ちや資質に関わるよう な項目が羅列される。特に発音や話し方には階級の違いが顕著に現れるため、 コックニーなどの労働者階級独特の訛りに気をつけるよう記される。さらに、 ナニーに必要な資質として、「誠実さ、知性、朗らかさ、清潔感」(truthfulness, intelligence, cheerfulness and cleanliness)が挙げられ、このような資質は下層階 級出身である使用人には通常見られないものだとまで書かれている (Miall 64-65)。 ナニーは、使用人の世界においては一目置かれる存在であると同時に孤立し ており、子ども部屋を支配するほどの力を振るう一方で、雇い主側から見れば、 下層階級の使用人に過ぎないが、目の届かない場所で子どもを託す手前、無下 にもできないという複雑な立場にいる。ナニー自身も、自らの階級を越えた躾、 教育を子どもたちに授けなければならないという責任と気概、また重圧をも感 じていたに違いない。 子どもたちはこの階級的ヒエラルキーを幼いうちから理解しており、その上 でナニーにわざと反抗することもあったと考えられる。また、ナニーに対する 強い愛情と同時に、自分よりは下(弱い)という感覚も持っていただろうとの 指摘もある(新井 221-22)。しかしながら、実際、子どもたちが家の中で階下 の召使いの領域に行っては階上に連れ戻されるという場面はよく目にするもの であり、ナニーと子どもとのつながりは階級を越えたものであったと言える。 次章で考察する Mary Poppins 物語におけるナニーと子どもたちの関係におい ても、階級差から来る両者間の溝は明確には見られない。 このように、本章では19-20世紀初頭に見られるナニーの様相を概観してき たが、次に Mary Poppins が典型的なナニーであったことを含め、物語に描か れるナニー像について検証する。

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II.ナニーとしての Mary Poppins の役割

最初に、Mary Poppins 物語における家庭の状況と使用人について具体的に見 ていきたい。Mary Poppins がナニーとして過ごす Banks 家は以下のように描写 される。

Cherry-Tree Lane, where the houses run down one side and the Park runs down the other and the cherry-trees go dancing right down the middle [. . .] Number Seventeen [. . .] it is the smallest house in the Lane. And besides that, it is the only one that is rather dilapidated and needs a coat of paint. (Mary Poppins (以後 MP とする) 1)

物語の中心となる Cherry-Tree Lane には Admiral Boom の凝った“the grandest house”がある一方で、17番地の Banks 家はこの通りで最も小さく、古ぼけた 家という設定である。さらに、“But Mr. Banks, who owns it[=the house], said to Mrs. Banks that she could have either a nice, clean, comfortable house or four children. But not both, for he couldn’t afford it” (MP 1-2)とあるように、Banks 夫妻は立派

で住み心地の良い家は諦めなければならなかった。

Mr. Banks はロンドンの金融街 the City の銀行で働いており、夫妻には Jane、 Michael、双子の John と Barbara という四人の子どもたち(後の巻ではもう一 人 Annabel が加わる)がいる。そして“Mrs. Brill to cook for them, and Ellen to lay the tables, and Robertson Ay to cut the lawn and clean the knives and polish the shoes” (MP 2)と、料理人と女中と下働きの三人の使用人を雇っている。した がって、「基本的には最小限三人の使用人、すなわちコックとパーラーメイド (食卓に侍する女中)とハウスメイド(主として部屋の掃除を受け持つ女中) の三人か…コックとパーラーメイドとナースメイド(子守女中)の三人を雇わ ないかぎり」ミドルクラスの家庭にふさわしいように機能することはないと言 われるように(角山・川北160)、中流階級家庭としてぎりぎりの状態にある。 さらに、以前雇っていたナニー Katie Nanna の代わりを見つける際には、Mr. Banks が「最低限の賃金で最高のナニーを」(“require the best possible Nannie at

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the lowest possible wage” MP 3)と言わなければならないほどの経済状態であり、 中流階級の下層に属しているといえよう。それでも最低限の使用人を雇ってい るあたり、「社会的にまともな暮らしをしていると考えるヴィクトリア時代の 家庭のほとんどすべてが、財政の許す限り、できるだけ多くの召使を雇うこと によって、自分の地位を見せびらかしたものである」(シーマン 161)という 風潮に、世間体を気にする Banks 夫妻が完全に振り回されていることは容易に 窺える。

Katie Nanna の急な辞職で Mrs. Banks は困り果てるが、とりあえずの子ども たちの食事や風呂の世話は料理人の Mrs. Brill と女中の Ellen が行う。子ども たち自身は “they have never liked her[=Katie Nanna]. She was old and fat and smelt of barley-water, anything would be better than Katie Nanna” (MP 4)と、Katie Nanna

について嫌悪感を持って話す。ここから、子どもたちとのトラブルでナニーは 去ったのではないかと推察できる。Mary Poppins Comes Back においても、

Michael は Nurse Green に唾を吐きかけて追い出しており、ナニーと容易に良 好な関係を持つような子どもたちではないのである。

このような一家の窮地に、突如として救世主のように現れるのが Mary Poppins である。Mrs. Banks は当初から Mary Poppins の高圧的な態度に圧倒さ れ、使用人採用には必要とされる人物証明書(reference)は提出しないという 彼女の言い分もすぐに受け入れ、ナニーとして迎え入れる。これは、後述する Mary Poppins の特殊性もさることながら、家におけるナニーの必要性も端的に 表している。ナニーの不在状態は、Mary Poppins Comes Back、Mary Poppins Opens the Door 両巻の冒頭にも次のように描写される。

“I won’t stand it! I simply will not stand any more!” shouted Mr. Banks, striding angrily from the front door to the foot of the stairs and back again [. . .] “I don’t know what’s come over this house [. . .] Nothing ever goes

right--hasn’t for ages!” [. . .] said Mrs. Banks [. . .] “It is quite true. Nothing does go right nowadays. First one thing and then another.” (Mary Poppins Comes Back

(以後MPCB とする) 2-4)

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nobody to look after you[=children]. You must all go into the Park and play there till Tea-time.” (MPCB 8)と母親は子どもたちの世話を放棄し、彼らだけで外出さ

せる。さらに、次巻でもナニー不在時の騒ぎと困惑が見て取れる。

Inside the house, Mr. Banks was marching up and down, kicking the hall furniture. ‘I’ve had about all I can’t stand!’ he shouted, waving his arms wildly [. . .] Everything’s the matter!’ [. . .] thought Mrs. Banks miserably, with five wild children and no one to help me. I’ve advertised. I’ve asked my friends. But nothing seems to happen. (Mary Poppins Opens the Door (以後 MPOD とす る) 2-6)

いずれも家の中の秩序は乱されて家族各々が不快感を抱えることとなり、ナ ニーが一家のなかで不可欠の存在であることが暗示される。また、Mary Poppins は Banks 家に雇われるに当たって、自分がこの家に満足している限り (“as long as I’m satisfied”)は留まると述べ、自分はこの家にとって大変な名誉 になるだろうと言わんばかりに(“as though she[=Mary Poppins] were doing us [=the Banks’] a signal honour” MP 8-9)、自ら選択して働いてやるのだという姿 勢を示し、ナニーの必要性を誇りを持って主張しているかのようである。自ら の外出日を決める際にも、主人である Mrs. Banks の「二週間おきの木曜日に 二時から五時まで」という提案を(“Every third Thursday [. . .] Two till five”)、 「上流の家では一週おきの木曜日に一時から六時までだ」と(“The best people [. . .] give every second Thursday, and one till six” MP 15)、上流階級の習慣を例

にとって一蹴する。そこには、受け入れてもらえなければ出て行くまでだとい う自信と高慢さが垣間見え、使用人といえども必要なことは主張するというナ ニーの特質を備えている。 Mary Poppins が現れたことによる夫妻の安堵は言うまでもなく、そこから一 家の状態そのものが好転していくのだが、ここでナニーと直接関わることにな る子どもたちと Mary Poppins との関係構築について見ていきたい。子どもた ちは、風に乗ってきたかのように家に到着し、玄関から二階まで階段の手すり の上を滑り上がってきた不思議なナニーに最初から惹きつけられる。一方で、 以下のように、Mary Poppins のほうが子どもたちの品定めをして、ナニーにな

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- 10 - ることを決定するという上下関係が示される。

Mary Poppins regarded them[=children] steadily, looking from one to the other as though she were making up her mind whether she liked them or not. “Will we do?” said Michael. [. . .] Then, with a long, loud sniff that seemed to indicate that she had made up her mind, she said: “I’ll take the position.” (MP

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初対面の日から、子どもたちは Mary Poppins にいつまでもいてほしいと願う ほどの従順さを示し(“Mary Poppins, [. . .] you’ll never leave us, will you? [. . .] we hoped you wouldn’t be going away soon” MP 13)、Mary Poppins のほうが「風 が変わるまではいます」と(“I’ll stay till the wind changes,” MP 13)、留まるも 去るもすべて自分の意のままだと言わんばかりである。これらの様相は、前章 で見たヴィクトリア朝の居丈高な、けれども責任感と使命感のあるナニーとそ れに従う子どもたちを思い起こさせる。 ナニーとしての Mary Poppins は、余計なことを言わない、さっさと行動する、 口答えをしない、良い子にする、妹弟の面倒を見る、手を洗う、など日常生活 において常に厳しく子どもたちを躾け、手際よく子ども部屋を整頓し、食事の 準備をし、子どもたちに食べさせ、風呂に入れ、着替えさせ、寝かせる。子ど もたちのことは常に、「身だしなみ良く、きちんとした格好で人と会えるよう にしておく」 (“neat and tidy and ready to greet” Mary Poppins and the House Next

Door 27) 必要があると考えている。さらに子どもたちを瞬時に観察し、Jane

は「不注意で思慮がなく、だらしがない」「強情で怠惰でわがまま」であるこ と(“Careless, thoughtless, and untidy” MPCB 22, “Wilful, Lazy, Selfish child”

MPOD 24)、Michael は「大変騒がしく、いたずら好きで手に負えない」こと

(“very noisy, mischievous, troublesome” MPCB 22)、双子の John は「不機嫌で興 奮しやすく」(“Peevish and Excitable”)、Barabara は「まったくの甘えん坊」 (“Thoroughly spoilt” MPCB 22)で、2人とも「喧嘩好き」(“Quarrelsome twins”

MPOD 25) で あ る こ と、Annabel は「 怒 り っ ぽ い 甘 え ん 坊 」 で あ る こ と

(“Fretful and Spoilt” MPOD 25)を指摘する。また、子どもたちが Mary Poppins に従う様子は、“They hurried eagerly to obey her [. . .] They undressed and bathed

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in the wink of an eye. Nobody dawdled over supper, nobody left a crumb or a drop. They pushed in their chairs, folded their napkins and scrambled into bed.” (MPOD 25)と描かれ、上記すべてにおいて Mary Poppins の躾内容が窺えるが、それ らはいずれも、ヴィクトリア時代の子どもたちに課せられた厳しい躾を感じさ せるものである。同時に、以下のように記された当時のナニーの仕事内容とも 一致する。

The nurse, or “nanny,” undertook the infant’s physical care; she dressed it, changed its napkins, washed and bathed it, fed it, even took it into her bed at night early in the century. Most nurses also gave their tiny charges the continuous attentive, responsive, and loving care essential for normal emotional, physical, and mental development. (Gerard 39)

ここから、Mary Poppins が典型的なナニーとして勤め、子どもの養育に手腕を 振るっていたことが見て取れる。Mary Poppins 自身が“I bring the children up in my own way and take advice from nobody.”、“I can manage anything--and more, if I choose.” (MPCB 40, 223)と自らのやり方に自信を持ち、それを主人にも堂々

と 言 っ て の け る。 主 人 の ほ う で も“You[=Mary Poppins] are a Treasure--a perfect Treasure--an absolutely wonderful and altogether suitable Treas(ure)” (MPCB

223)と彼女を賞賛し、一家にとって不可欠の存在だと認識している。 東風(厳しい冬)に乗ってやってきて西風(春)とともに去る Mary Poppins は、まさに秩序の維持が厳しい状況にある一家にやってきて、子どものみなら ず大人に対しても指導的に振る舞い、結果として家庭を立て直したところで去 ることになる。Mary Poppins がいる限り、すべてうまくいくと言われるほどに (“As long as Mary Poppins was in the house, everything had gone smoothly.” MPOD

12)、Mary Poppins は使用人でありながら、家庭の柱となるほどの存在感を示 すのである。

一方、Mr. Banks の子ども時代の家庭教師(governess)として登場する Miss Andrew は、“Holy Terror” と あ だ 名 さ れ、“she[=Miss Andrew] was--er--very strict. And always right. And she loved putting everybody else in the wrong and making them feel like a worm. That’s what Miss Andrew like!” (MPCB 32)と、高

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圧的で嫌みなナニー像のカリカチュアとして描かれる。子どもたちを頭ごなし に怒鳴りつけ、“Don’t be impudent. Children should be seen and not heard!” (MPCB

39)と言い放つ。「子どもには厳しく接するのが子どものためでもあり、子ど もたちもこうして厳しくされることを喜ぶといった、ヴィクトリア朝的な考え 方」(新井205)のもとに躾をするにしても、冷静に且つ愛情を持って養育する Mary Poppins とは対照的である。

子どもたちは Mary Poppins の周囲に起こる不思議な出来事に魅了され、厳 し く 理 不 尽 な 態 度 を 取 ら れ よ う と、“you could not look at Mary Poppins and disobey her. There was something strange and extraordinary about her--something that was frightening and at the same time most exciting.” (MP 11) と、すっかり彼女の

虜になり素直に彼女に従う。Mary Poppins は躾と共に魅力的な遊びの世界を提 示して子どもたちの心を掴んでいるわけだが、次章では子どもの遊び空間を共 有し、導く存在としての Mary Poppins の独自性について見ていきたい。

III.Mary Poppins のナニーとしての独自性

ここまで、Mary Poppins がヴィクトリア時代の典型的なナニーの様相を示し ていることが明らかとなったが、この Mary Poppins というナニーは物語のな かで、実際何を体現しているのだろうか。これまでの Mary Poppins 研究にお いて、「ナニー」の観点での論及を探ると、Margery Fisher は Mary Poppins の ナニーとしての側面とその魔法について言及している9。また、八代華子は Mary Poppins 物語をナンセンスの観点から分析した論考において、子ども時代 の終焉の意識についてナニーとの関係において少し触れているが(17)、いず れもナニーとしての Mary Poppins に焦点をあて、その独自性を深く追求する ことを主眼にしたものではない。そこで本論第三章、四章では、イギリスの伝 統的なナニーとしての Mary Poppins が、イギリス文化において理想的なナニー の代名詞となるほど人々の印象に残るのはなぜなのか、その独自性を分析した い。 物語は全巻を通して、Mary Poppins が子どもたちの世話をしながら方々に連 れて行き、そこで不思議な体験をさせ、子ども部屋での日常生活に戻って来た

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- 13 - 時には彼らに見せた人物や出来事に関しては何も語らず、まるで何もなかった かのように振る舞う、というパターンの繰り返しである。 そもそも、Banks 家を初めて訪れた時から、階段の手すりを滑り上がり、 空っぽに見える“carpet-bag”から到底中には入りきらないものを次々と取り 出し、いきなり子どもたちを非日常のなかに巻き込んでいく。その後は、散歩 や買い物に出るたびに、笑いガスで空中に浮かびながらティパーティをしたり (“Laughing Gas”)、世界各地を一瞬にして旅したり(“Bad Tuesday”)、空に金 色の紙の星を貼り付けたり(“Mrs. Corry”)、夜の動物園で動物たちと宴をした り(“Full Moon”)、ギリシア神話の星の娘(“Christmas Shopping”)やすべてが あべこべになってしまう Mr. Turvy と出会わせたり(“Topsy Turvy”)と、子ど もたちに次々とファンタジーの世界を体験させる。

子ども部屋での子どもの世界とは、子どもたちが想像力を駆使して遊ぶ空間 だと定義できるが、その想像の世界を Mary Poppins は現実のものとして眼前 に差し出す。それらすべては、子どもたちにとって、世界とはどのようなもの であるのかを学ぶ新しい出会いと体験であり、“We are all made of the same stuff [. . .] The same substance composes us--the tree overhead, the stone beneath us, the bird, the beast, the star--we are all one, all moving to the same end” (MP 159)とあ

るように、動物も自然も子どもも大人も皆同じであり、世界は驚きに満ちてい ることを体験として感じさせる。これが、ナニーとしての Mary Poppins の、 この世の理を教える手法であり、彼女は子どもの遊びの空間を共有すると同時 に子どもの世界を広げ、彼らに新しい世界観を提示しているのだといえる。 Mary Poppins は子どもたちを冷厳に指導しながら、素知らぬ顔で驚きと喜び を添える。例えば、厳めしい顔つきで薬を飲ませる時、子どもたちが渋々口に 入れると、それはストロベリーアイスやライムジュース味に、赤ん坊たちへの 薬はミルク味に変わる。無表情で、嫌な薬も彼らの好物に変えてしまうわけで ある。また、子どもたちが自ら持て余すほどに機嫌が悪い時には、頭ごなしに 叱るのではなく、ベッドの悪い側(the wrong side)から起きたからだろうと、 世の中の別の見方を提示する(“Bad Tuesday”)。「冷たく、はっきりした」 (“cold, clear”)「特別にこわい声」“peculiarly threatening voice”で注意はするが、

無理矢理言うことを聞かせようとするのではなく、子どもたちを不思議な世界 に巻き込んで苛立った心を発散させ、治めようとする。場合によっては、彼ら

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は非日常的な体験のなかで怖い思いをし、結果的に Mary Poppins に救われる ことになる。例えば、朝から機嫌の悪い Michael は Mary Poppins の不思議な磁 石を勝手に持ち出して窮地に陥るが、すんでのところで彼女に助け出される。 その時彼の心は柔らかいものに包まれたように感じられ、Mary Poppins に感謝 しながら悪かった自分を反省し、次のように心穏やかに眠りにつく。

the heavy burning thing that had been inside him[=Michael] all day had melted and disappeared. He felt peaceful and happy, and as if he would like to give everybody he knew a birthday present [. . .] he thought, too, how warm he was and how happy he felt and how lucky he was to be alive. (MP 92-93) Mary Poppins は不思議な出来事にも、子どもの態度の悪さにも触れず、ただ暖 かいミルクを飲ませ、居心地良くベッドに入れてやると、夕食の後片付けへと 部屋を出て行くのみである。 このように、Mary Poppins は直接的に子どもたちの悪い行いを正すのではな く、いったん距離を置いて彼らと接し、別世界でもある遊びの世界を体験させ、 自ら反省するように促す。彼女の厳しく有無を言わせぬ態度とは対照的に、非 日常の世界の驚異や喜び、楽しみで子どもたちを魅了する。そして非日常の世 界にいるときもナニーとしての役割は忘れない。例えば、子どもたちとペパー ミントキャンディのステッキで空を飛びながら、“Quietly, please! No horseplay, Michael! Put your hats straight and follow me!” (MPOD 153)と、行儀について注

意する。このように、教訓的配慮のみで子どもを世話するのではなく、子ども の遊びの世界を共有し、導く存在となっている。 すなわち、Mary Poppins というナニーは、大人の常識で子どもを縛るのでは なく、子どもの空間や時間、子どもの世界を体現し、それを広げる大人、子ど もの延長上にいる大人として描かれるのである。日常生活のなかに非日常の出 来事を散りばめ、新しい世界を見せる。しかし、それらについての説明はせず、 “Mary Poppins never told anybody anything”(MP 14)、“She knows everything, but

she never tells”(MP 139)という態度を終始貫くため、押しつけがましさは一 切感じられない。

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as the fairy tales” (Travers (1980) 194)と述べ、Mary Poppins に“everybody’s got a Fairyland of their own”(MP 26)、つまり大人にも子どもにも自分だけのおと ぎの国があると言わせる。神話の息づく非日常の世界と共存し、子どもたちの 心 の 中 の“fairyland”に新しい風景を加えるのが、ナニーとしての Mary Poppins の役割だと言えよう。Travers はさらに、“aware of all you have learned and garnered and having it available in case the young ones want it. You will not force it on them, but simply tell it.” (Travers (1980) 199)と、fairyland の要素や知恵を ただ手渡すことが老婆(old woman)の役割だとする。これが、深くを語らず 子どもたちに fairyland を体験させる、Mary Poppins のナニーとしての対し方に 反映されているのであろう。

日常のなかに非日常を持ち込む手法は、Edith Nesbit からつながるエブリディ マジックの系譜上にあり、Travers 自身も“the fantastic things must be rooted in something that’s of an everyday nature”(Commire 159)とファンタジー的要素と 日常とのつながりについて述べている。実際Five Children and It (1902)にお

ける砂の妖精(Sand-fairy) Psammead10と Mary Poppins には、顕著な類似が見

られる11。一時的に両親と離れて暮らす5人の兄弟姉妹が砂利掘り場

(gravel-pit)で出会う妖精 Psammead は、気まぐれで短気な性質であり、子どもたちは 無愛想な Psammead の機嫌を伺いながら、礼儀正しく丁寧に、おだてるように 話さなくてはならない。一方、誉めてやると気をよくするし、優しく扱ってや ると親切にもなる。Mary Poppins も同様に気難しく、子どもたちの言葉ですぐ に気を悪くし(“it was the easiest thing in the world to offend her” MP 25)、自尊心 が強く自信に溢れ(“Mary Poppins was very vain and liked to look her best. Indeed, she was quite sure that she never looked anything else” MP 15)、子どもたちは不思 議な世界を体験させてもらうために、彼女に対して常に気を遣って接しなけれ ばならない(“Don’t let’s ask her anything else or we’ll never get there”、“it was better not to argue with Mary Poppins” MP 28, 43)。

そして両者ともに、子どもたちに体験させる魔法の世界には限りがあり、 Psammead の場合は日没までに魔法の効力は消え、Mary Poppins の場合はほぼ 一日もしくは一夜限りの出来事に収められている。そして、Psammead はイギ リスの妖精の伝統、つまり大人から子どもへと語り継がれてきた超自然の存在 のイメージを借りており、Mary Poppins 作品のなかには神話的要素が多々見ら

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れる12。さらにどちらにも、無愛想な外見とは対照的に子どもたちへの愛情が

見え隠れする。Mary Poppins は“I do what I like” (MP 177)と言いながらも、 その行動は子どもたちを魅了し、必要があれば彼らを助け、最終的に彼女が去 るときには子どもたちは言いようのない寂しさに襲われるのである。このよう に、Mary Poppins は(人間の)ナニーでありながらも、魔法の世界を体験させ る魔女、超自然的存在であると言えよう。 Mary Poppins というナニーは、子どもの世話をする使用人という枠を越えた 存在であり、子ども部屋(子どもの空間)の支配者であると同時に、子どもた ちと不思議な世界を共有し、世界を見る新しい目を提示する、「おとぎ話その もの」(“a fairy-tale come true” MPOD 220)であり、いわば子どもの世界の体現 者なのである。追記するならば、このような Mary Poppins の真価を理解して いるのは子どもたちだけであり、Mary Poppins の最終章で、母親に至っては彼 女のことを、暇乞いもせず黙って出て行った高慢で失礼な人物だと考えている。 一方、子どもたちは“Au revoir”(To Meet Again)と去っていった Mary Poppins との「再会」を待ち望むのである。

IV.Mary Poppins 物語における喪失感

Mary Poppins が子どもの世界の導者であるとするなら、物語中には子どもの 世界の喜びと共に、絶えず何らかの喪失感が感じられる。第二章で言及したよ うに、Mary Poppins の登場とほぼ同時に、子どもたちは彼女との別れを予感し て不安感を抱き、彼女のほうでもいつでも出て行く準備があることを匂わせる。 ここで、この喪失感が意味するものを考察するため、各巻の最終場面、つまり 子どもたちとの別れの場面を挙げてみたい。 Mary Poppins では、風の激しく吹く日の夕方、子ども部屋を整頓し終えた Mary Poppins は、帰ってくるまでおとなしくしているようにと子どもたちに言 うと静かに出て行く。Jane には自分の絵を、Michael には思い出の磁石を贈り、 東風と共にやってきた Mary Poppins は予告通り西風と共に去っていくのであ る。子どもたちは“Mary Poppins, come back!” [. . .] “Mary Poppins is the only person I want in the world!” (MP 186-88)と、涙を流して嘆き悲しむが、残され

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たメッセージから再会が約束されていると理解し、“Joy and understanding shone in their eyes [. . .] Michael gave a long sigh of relief”(190)と、何とか心を 落ち着ける。

次に、Mary Poppins Comes Back で Mary Poppins が Banks 家に戻ってくると、

子どもたちは“That was all that mattered [. . .] They felt peaceful and happy and complete.”(27)と、興奮して喜びに身を震わせる。そして、最終章での二回 目の別れは次のように描かれる。前巻では直接別れを告げることなく去った Mary Poppins で あ る が、 こ こ で は“All good things come to an end, sometime [. . .] Nothing lasts for ever.” (286)と、別れを予感させる言葉をしばしば口に

する。Mary Poppins は公園に子どもたちを連れて行き、彼らの大好きなメリー ゴーランドに乗せる。夕闇のなかで子どもたちは、“It seemed as if they would never stop, as if there were no such thing as Time, [. . .] “For-- --Never again! Never again!” was the thought in their heart” (300)と、まるで時の感覚がなくなってし まったような、そしてこの満ち足りた時間はもう二度とないかのような気持ち に陥る。ここでもまた、Mary Poppins は“All good things come to an end” (301) と物事には終わりがあることを繰り返す。 そして、子どもたちがメリーゴーランドから下りると、今度は Mary Poppins 自身が乗り、メリーゴーランドごと空の彼方へと去っていく。前回同様、子ど もたちが帰ってきてと叫ぶも、彼女は振り返ることなく飛び去ってしまう。今 回残していったものは、子どもたちと Mary Poppins が一緒に描かれたロケッ トペンダントだった。子どもたちは真実を大人に話しても無駄だと悟り、彼女 が空の彼方に去っていったことは胸の内に留める13

Mary Poppins Opens the Door で、最後の訪問として三度目に Mary Poppins が

戻ってきた時、彼女は“I’ll stay till the door opens.” (28)と予告する。最後の別 れの場面では、前二回と同様、Mary Poppins は子ども部屋の掃除、整理整頓、 縫い物といつもにもまして忙しく働いた後で、子どもたちを連れて公園に散歩 に行く。子どもたちは夕闇が迫っても、Mary Poppins と共に「決して終わるこ とのない夢」に包まれているかのように感じる。前回の別れ際、時の感覚を 失ったように感じたのと同様である。しかしとうとう終わりが来て、彼女は 「行く時間です」(“It is time to go”)と、静かに且つ「厳しい調子ではなく」 (“no sternness”)告げ、子どもたちは「楽しく穏やかに、静かに」(“happy and

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calm and silent”)それを受け止める(243-45)。そして、Mary Poppins は“Now, be good children! [. . .] And remember all I have told you.” (259)と穏やかに言う と、赤ん坊の Annabel を抱いて先に家へと戻る。

Jane と Michael が弟妹を連れて子ども部屋に帰ると、そこに Mary Poppins の 姿はない。よく見ると、暖炉の火が窓に映り、その向こうにもうひとつの子ど も部屋が映し出され、彼女はその中の“the Other Door”から出て行こうとし ている。そして、帰ってきてと叫ぶ子どもたちに微笑みかけると、去っていく のである。 このように別れの場面では三回とも、Mary Poppins のいつもの厳しさは影を 潜め、彼女は穏やかな別れを望むかのように微笑みを浮かべ、言葉少なに去っ ていく。最初の二回の別れでは子どもたちに贈り物を残し、空の彼方へ去るこ とで空からの再登場を暗示するが、三回目には何も残さず、別世界へ消えて行 くがごとく窓に映った扉から出て行き、もう二度と戻らないことが予測できる。 最後の二回の別れにおいては、Mary Poppins は “Shall we [. . .] Live happily ever afterwards?” と尋ねる Michael に対して、半分悲しげに半分優しく微笑みながら、 “Perhaps [. . .] It all depends [. . .] On you.”(MPOD 232)と答えるなど、この楽

しい「時」は永遠ではないこと、物事には終わりがあること、だからこの 「時」を、これまで伝えてきたことを忘れないように、というメッセージを強

調する。

これらの Mary Poppins と子どもたちとの別れは、ナニーと子どもとの決別 という点から、子ども時代の終焉を意味すると言えよう。前述のように、Jane と Michael は Mary Poppins がいついなくなるかわからないことへの不安を常に 感じているが、それは、彼女がいつかは終わりを迎える子ども時代を象徴して いることから来るのではないか。以下のように、実際、年上の Jane のほうが、 Mary Poppins 喪失への痛みや不安を Michael よりも強く感じている。

Her heart felt tight and heavy in her chest. (MPCB 287)

And a thought that she could not quite get hold of was wandering round in her mind. Something--was it a memory?--whispered a word that she couldn’t quite catch [. . .] “I feel I’m going to lose something” (MPOD 238-41)

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このことは年上であることでの落ち着きや思慮からくるものであるとも言える が、同時に弟よりも一足早く大人になっていく Jane の子ども時代との別れを より強く表すものでもあろう。そして、悲しむ弟を慰めるのもまた、母親では なく Jane なのである。このように、Mary Poppins との別れは子ども時代の終 焉を表すものであり、その予感が作品中での喪失感となって表れている。

このような子ども時代への哀感は、A. A. Milne の The House at Pooh Corner (1928) での最終章における、Christopher Robin14と Pooh との別れの場面を思い

起こさせる。Christopher Robin が Pooh に“when I’m not doing Nothing, will you come up here sometimes [. . .] promise you won’t forget about me, ever. Not even when I’m a hundred.”と、Pooh に対して大人になってもいつも共に遊んでいた この森にいてほしい、自分のことを忘れないでほしいと願う。Pooh は頷き、 “whatever they go, and whatever happens to them on the way, in that enchanted place

on the top of the Forest a little boy and his Bear will always be playing.” (Milne 175-76)と物語は閉じられ、学齢に達した Christopher Robin が Pooh との遊びの世 界を去ることが暗示され、同時に、子ども時代は誰の心の中にもあること、子 ども時代を忘れないことの重要性が伝えられる。

Mary Poppins 物語においても、子ども時代の「記憶」がキーワードとなって いる。Mary Poppins は別れ際に、“remember all I have told you” (MPOD 259)と

Jane と Michael に語りかけ、彼らは Mary Poppins の去った空に向かって、“We’ ll never forget you, Mary Poppins!” (MPOD 269)と叫ぶ。その空に流れ星が横切

ると、彼らは悲しみと共に優しい気持ちに満たされ、“all their lives they might remember Mary Poppins”(MPOD 268)と願う。そして、以下のように、今後 もずっと Mary Poppins を忘れないこと、彼女は子どもたちの心の中にずっと 存在するのだというメッセージと共に物語は幕を閉じる。

in the summer days to come and the long nights of winter, they would remember Mary Poppins [. . .] The rain and the sun would remind them of her, and the birds and the beasts and the changing seasons. Mary Poppins herself had flown away, but the gifts she had brought would remain for always. (MPOD 269)

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Jonathan Cott は、記憶の問題は Travers のどの本でも扱われており、Mary Poppins のシリーズでは、ほとんど誰もが思い出しているか、思い出すのを忘 れているかだと指摘する(305)。顕著なエピソードは“John and Barbara’s story”の章(MP)である。生まれて間もない双子の John と Barbara は日の光 や風や木、ムクドリとも会話でき、彼らの言っていることがわからない大人は 馬鹿みたいだと言ってのける。だが、Jane や Michael 同様、歯が生えて一歳に なると自然や動物の話を理解できなくなってしまうどころか、彼らと会話でき たことすらすっかり忘れてしまう。末娘の Annabel も生まれて間もない頃は、 誕生前のことを覚えており、鳥たちにこの世に旅して来た時のことを話すが、 成長するにつれ、やはり忘れていくのである。人間とは成長と共に何かを失う、 忘れていく生き物だと皮肉と哀しみをもって描かれるのだが、Mary Poppins だ けは「とびきりの例外」(“the Great Exception” MP 130)で、何も忘れることは ない「完全無欠の、驚くべき、素晴らしい奇跡」(“an absolute, Marvellous, Wonderful Wonder” MPCB 151)の存在だとされる。つまり、“the embodiment of authority, protection, and cynical common sense; her powers are magical. Basically, she is the Good Fairy, whom we are all seeking, but in priggish human guise.” (Riley 175)と Travers が述べるように、権威と厳しい社会的規範を備え、子ども、大 人の別なく守り導き、同時に子どもも大人も超越した超自然的存在としての Mary Poppins は、人間の誕生前の神話的世界からの知恵と喜びを子どもたちに 伝え、それらを記憶しておくことの重要性15と、同時に忘れてしまうことの悲 哀を示す存在なのである。

Notes

1  Mary Poppins 物語シリーズの主たる作品は、Mary Poppins (1934), Mary

Poppins Comes Back (1935), Mary Poppins Opens the Door (1943), Mary Poppins in the Park (1952), Mary Poppins in Cherry Tree Lane (1982), Mary Poppins and the House Next Door (1988)である。さらに Mary Poppins の登

場する他の作品には、A から Z までのアルファベットを用いたキーワー ドで小さな物語を綴ったMary Poppins From A-Z (1962)、イギリス料理の

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レシピと Mary Poppins の1週間の物語のついた Mary Poppins in the Kitchen (1975)がある。

2  Nanny という呼び名が一般的になったのは1920年代だと言われており、そ れまでは Nurse もしくは Mrs. と呼ばれていた。子どもの世話をする職業 を表す語としては、他に mother’s help, lady help, lady nurse, children’s nurse, nursemaid, nursery maid, nursery governess, babysitter(主にアメリカ), au pair 等がある(Holden 25)。

3  Frances Hodgeson Burnet, The Secret Garden(1911); J. M. Barrie, Peter Pan

and Wendy(1911); Noel Streatfield, Ballet Shoes(1936)。

4  Katherine Holden は Nanny Knows Best の第7章“Imaginary Nannies in Fiction and Film” (192-216)において、ナニーの登場する一連の作品(大人向け の小説、映画、TV シリーズを含む)を解説している。

5  Nurse Matilda (1964), Nurse Matilda Goes to Town (1967), Nurse Matilda Goes

to Hospital (1974)からなる物語シリーズ。行儀が悪く悪戯ばかりで手に負

えない Brown 家の子どもたちのところに、器量の悪い老婆 Nurse Matilda がやってきて、魔法で子どもたちを躾けようとする物語。

6  裕福な家庭では、headnurse の下には undernurse がつき、さらに彼女らの 世話や子ども部屋の掃除、洗濯などをする nursery-maid がいることもある。 7  実際13世紀には 「 子ども部屋 」(nurcerys)が見られるのだが、徐々に普

及していったのは18世紀になってからである(Gathorne-Hardy 55)。 8  素晴らしいナニーの例としてよく取り上げられる Sir Winston Churchill

(1874-1965, 英国の政治家・著述家で首相在職期間は1940-45, 1951-55年) のナニー Mrs. Everest は、Winston の誕生直後から八歳になるまで昼も夜 も共に過ごして世話をし、“[she] was destined to be the principal confidante of his joys, his troubles, and his hopes [. . .] she adored Winston [. . .] the total love and undiluted attention of this good woman concentrated entirely on his well-being” (Gathorne-Hardy 26)と、その愛情と絆は深いものであった。 9  “Magic is something she is obliged to perform and which she feels will do her

charges no good. But she cannot help being magic, for she is an elemental [. . .] she is an old friend of the Greek gods; she appears out of the sky on a kite-string; she orders the elements and promotes the unlikely everywhere. That is one side of

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her. The other side is the Nannie, with her expressive sniff, her despotic commands, her love of the last word.” (Fisher 148)

10 砂の妖精 Psammead は、Edith Nesbit の Five Children and It (1902), The Phoenix

and the Carpet (1904), The Story of the Amulet (1906)の三作に登場する。

11 Margeory Fisher や安藤美紀夫の論などに Nesbit 作品との比較が見られる。 12 Mary Poppins 物語における神話性に関しては、Margery Fisher、Jonathan

Cott、Mary DeForest 等多くの論考がある。

13 P. L. Travers は“one of the underlying assumptions in Mary Poppins is that the young know more than grown-ups do.” (Commire 156)と大人の無知について 述べている。

14 実際の Christopher Robin は、九歳まで愛情深いナニーの完璧な庇護のもと で育てられた。Christopher が “So much were we together that Nanny became almost a part of me. Consequently it was my occasional encounters with my parents that stand out as the events of the day.” (C. Milne 35)と回想するように、 ほとんどの時間をナニーと共に過ごし、両親とは決まった時間にだけ会う という、典型的な中産階級の子ども時代を送っていた。

15 P. L. Travers は自分がかつて子どもであったことを覚えていることの重要 性について“On Not Writing for Children”(1975, 15-22)のなかで語ってい る。

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参照

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