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選挙と村人――インド最貧州における民主主義の実践(中溝和弥)

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(1)

第Ⅲ部

選挙

社会

、生

(2)

選挙

農村社会

選挙は社会をどのように変えるか。言うまでもないこと だが、選挙とは、権力者を有権者が投票によって選ぶ仕組 みである。伝統的権力者が、選挙によって権力者としての 新たな正統性を獲得することもあれば、これまで権力とは 無縁であった者が代表として選出され、権力を獲得するこ ともある。多数決原則により一票でも多くの票を獲得した 者が代表として選出されるため、選挙には常に不確実性が 伴う。それゆえ、選挙は時として暴力を伴う激しい競合を 生み出してきた。 現在では選挙制度は私たちにとって当たり前のように存 在しているが、選挙権獲得運動の歴史が示すとおり、多く の国にとって普通選挙が実現したのは第二次世界大戦以降 の話にすぎない。権威主義体制が存在した途上国にとって は、自由で公正な選挙が制度的に保障されたのは、ごく最 近の話である。このように、普通選挙という仕組みは比較 的新しい制度であると同時に、民主化の動きが絶え間なく 続くことからわかるように、強い正統性を持っている。 正統性の源泉の一つが、一人一票に象徴される平等原則 である。金持ちであろうが貧乏人であろうが、一人が一票 しか持たない点では平等であり、一票が平等の価値を持つ が故に多数決が原則とされる。多数決によって権力者が選 ばれ、選ばれた権力者の多数によって憲法を頂点とする法 律が制定され、その法に基づいて権力が行使される。この 仕組みは、多数の支持を必ずしも必要としない伝統的な支

第Ⅲ部

選挙

壊す社会、

出す絆

選挙

村人

最貧州

民主主義

実践

中溝和弥

配構造とはかなり異質な世界である。 そ れ で は 、 選 挙の 持 つ こ の よ う な 平 等 性 は 、 そ れ ま で 選 挙 が 存 在 しな か っ た 伝 統 的 社 会 を ど の よ う に 変 え た だ ろ う か 。 と り わ け 、 不 平 等 を 構 造 的 に 抱 え る 伝 統 社 会 を ど の よ う に 変 え ただ ろ う か 。 本 稿 は こ の 問 題 を 検 討 す る た め に 、 途 上 国 の な か で は 例 外 的 に 民 主 主 義 を 独 立 以 来 維 持 し 、 普 通 選 挙 を 定 期 的 に実 施 し て き た イ ン ド の 事 例 を 検 討 す る * 1 。 な か で も カ ー ス ト 制 度 の 縛 り が 厳 し い と さ れ 、 か つ 最 貧 州 の 一 つ で あ る ビ ハ ー ル 州 の 一 村 の 事 例 を 取 り 上 げ て 検 証 し た い 。 選挙といっても、そのレベルは下院選挙、州議会選挙、 県・郡・村の三層構造からなる地方自治体選挙であるパン チャーヤット選挙までさまざまである。選ばれる代表がか かわる権力行使の範囲は、パンチャーヤット選挙、州議会 選挙、下院選挙の順に広くなるが、代表を選出する場であ る村の視点から見ると、村人にとって最も身近な選挙は、 パンチャーヤット選挙になる。換言すれば、下院選挙は代 表の権力行使の範囲の広さ故に、村人にとって最も縁遠い 選 挙 と な る。 調 査 村 に お い て あ る 指 定 カ ー ス ト (か つ て の 不 可 触 民) は、 「デ リ ー で 起 こ る こ と は 我 々 に は わ か ら な い」と述べたが * 2 、この認識は彼一人だけのものではない。 同 時 に 、 あ る 別 の 指 定 カ ー ス ト は 、「 ( 貧 困 層 の た め の 住 宅 建 設 プ ロ グ ラ ム で あ る ) イ ン デ ィ ラ 住 宅 計 画 を 使 っ て 家 を 建 て て く れ る と 言 う か ら 村 長 に 投 票 し た 」 と 二 〇 〇 四 年 に 語 り * 3 、 一 〇 年 後 の 二 〇 一 四 年 に は 、 自 分 が 貧 困 層 に 認 定 さ れ る に は 現 在 の 村 長 が 再 選 さ れ る こと に か か っ て い る 、 と 述 べ た * 4 。 こ の よ う に 村 人 の 生 活 に 直 結 す る こ と が 多 い の は、 村の選挙であると言えよう。 本稿の課題である選挙が農村社会に与える影響という観 点からは、村民の生活に最も近い村の選挙が重要な意味を 持 つ と 考 え ら れ る。 し た が っ て、 本 稿 に お い て は、 パ ン チャーヤット選挙のなかでも最下層のレベルである村の選 挙に焦点を当てつつ、下院選挙、州議会選挙など村人から はより遠い存在になる選挙も交えて、選挙が農村社会に与 えた影響について考察したい。

社会

構成

社会

選挙が農村社会に及ぼした影響について考察する前提と して、ビハール州の社会について概観しておきたい。鍵と なるのは、カースト、宗教、そして階級である。まずカー ストについてであるが、第一に身分制としての側面、第二 にアイデンティティとしての側面、最後に利益集団として の側面という、三つの側面を併せ持つことが特徴である * 5 。

(3)

う 。 イ ン ド は 独 立 後 直 ち に 、 か つ て の 不 可 触 民 、 お よ び 部 族 民 の 地 位 向 上 を 図 る た め に 、 彼 ら を 憲 法 で 指 定 カ ー ス ト / 部族として認定し、議会、公務員職、教育機関に一定の留 保枠を設けた。同じく、シュードラに属するとされた後進 カ ー ス ト に つ い て も、 長 い 論 争 と 政 治 的 闘 争 の 結 果 と し て、 公 務 員 職 に 関 し て 留 保 制 度 が 導 入 さ れ た (中 溝 二 〇 一 二: 七 九 ― 一 〇 二、 二 三 八 ― 二 四 九、 二 七 六 ― 二 八 三) 。 そうなると、今度は後進カーストと認定されれば、公務員 職に優先的に就職できることになる。この新しい状況を受 けて、なかにはカルナータカ州のリンガーヤット・カース ト の よ う に、 長 年 の サ ン ス ク リ ッ ト 化 の 成 果 と し て 上 位 カ ー ス ト と 認 定 さ れ た に も か か わ ら ず、 今 度 は 逆 に 後 進 カーストとしての認定を求めて、運動の方向を逆転させる 事例が出てきた ( Srinivas 1995: 114-115 ) 。カースト位階の 下降よりも公務員職の獲得という実利を優先する運動は、 カーストの利益集団としての機能をよく示している。 さて、このような機能を持つカースト集団のビハール州 における構成を確認しておきたい。 表1は、二〇〇〇年にビハール州が分離する前の社会集 団構成である。上位カースト、後進カースト、指定カース トの比率は、全国平均とほぼ類似しており、平均的な構成 と言えるだろう。最大のカースト集団は上層後進カースト のヤーダヴであり、上位カーストの総計にほぼ匹敵する。 第一の身分制は、バラモンを頂点とし不可触民を最下層 とする身分秩序であり、ヴァルナとジャーティという二つ の カ テ ゴ リ ー か ら 構 成 さ れ る。 ヴ ァ ル ナ (種 姓) と は、 バ ラ モ ン (祭 司 階 級) 、 ク シ ャ ト リ ヤ (統 治 者 階 級) 、 ヴ ァ イ シ ャ (一 般 庶 民) 、 シ ュ ー ド ラ (上 位 三 ヴ ァ ル ナ に 奉 仕 す る 階 級) の 四 つ か ら 構 成 さ れ、 こ れ ら の 下 に 不 可 触 民 が 付 け 加 え ら れ て、 五 ヴ ァ ル ナ 制 と 言 う べ き も の と な っ た (小 谷 二 〇 〇 三: 一 一 七 ― 一 一 八) 。 元 来「生 ま れ」 を 意 味 す る ジャーティは、この五ヴァルナのいずれかに位置づけられ ていた。 た だ し 、 こ こ で 注 意 し な け れ ば な ら な い の は 、 身 分 制 が 確 固 と し て 存 在 す る 一 方 で 、 決 し て 固 定 的 な も の で は な か っ た と い う 点 で あ る ( 中 溝 二 〇 一 二 : 六 八 ― 七 二 ) 。 二 〇 〇 〇 と も 三 〇 〇 〇 と も 存 在 す る と 言 われ る ジ ャ ー テ ィ 間 の 身 分 関 係 は 、 最 初 か ら 明 確 に 決 ま っ て い たわ け で は な く * 6 、 それ故にイギリス植民地政府が一九〇一年、一九一一年の センサスでカーストのランキングを導入しようとした際に は、 イ ン ド 社 会 に 大 き な 反 響 を 生 み 出 す こ と と な る (藤 井 二 〇 〇 三: 六 四、 七 八、 三 瀬 二 〇 〇 〇: 四 七 九 ― 四 八 〇、 四 八 三 ― 四 八 四) 。 具 体 的 に は、 植 民 地 政 府 が 定 め た 序 列 への異議申し立てが相次いだことに加え、ヴァルナ位階で シュードラに属するとされていたジャーティが、クシャト リア属性を主張して上位カーストへの上昇を試みる運動を 活発化させた。一例として、牛飼いカーストとして北イン ド一帯に存在するヤーダヴ・カーストを取り上げよう。 ヤーダヴ・カーストは、地域によってゴアラー、アヒー ル な ど さ ま ざ ま な 名 称 で 呼 ば れ て い た ( Srinivas 1995: 98-100 ; Blair 1969: 61 ; Frankel 1990: 63-65 ; Singh 1998: 3693-3696 ) 。 こ の 牛 飼 い カ ー ス ト が 身 分 の 向 上 を 目 指 し て 結 成 し た の が、 全 イ ン ド・ ヤ ー ダ ヴ 会 議 で あ り、 そ れ ま で の シュードラではなく、クシャトリヤ属性を主張して、菜食 主 義 な ど バ ラ モ ン の 生 活 習 慣 を 取 り 入 れ る 運 動 を 展 開 し た。社会学者シュリニヴァスがサンスクリット化と定式化 したこの過程が示すように ( Srinivas 1956: 481-496 ) 、身分 制は厳然として存在する一方で、カースト間の関係はダイ ナミックに変動する性格を併せ持っていることがわかる。 第二のアイデンティティとしての側面は、サンスクリッ ト化に引き付けて考えるとより明確になる。先述のヤーダ ヴ・ カ ー ス ト の 事 例 で は、 セ ン サ ス 調 査 の 際 に、 呼 称 を ヤーダヴで統一することが呼びかけられ、牛飼いカースト がヤーダヴとしての帰属意識を高めていくことになった。 サ ン ス ク リ ッ ト 化 が め ざ し た も の は 身 分 の 向 上 で あ っ た が、その過程で仲間意識を生み出すことになり、ここにア イデンティティとしての側面を見いだすことができる。 最 後 の 利 益 集 団 と し て の 側 面 は 、 独 立 後 の 留 保 制 度 に 代 表 さ れ る 積 極 的 格 差 是 正 措 置 の 展 開 が 象 徴 的 な 事 例 と な ろ カテゴリー カースト 総人口比 上位カースト バラモン(Brahmin) 4.7 ブーミハール(Bhumihar) 2.9 ラージプート(Rajput) 4.2 カヤスタ(Kayastha) 1.2 上位カースト総計 13.0 上層後進カースト

(Upper backward caste)バニア(Bania)ヤーダヴ(Yadav) 11.00.6

クルミ(Kurmi) 3.6

コイリ/コエリ(Koiri/Koeri) 4.1

上層後進総計 19.3

下層後進カースト

(Lower backward caste) 下層後進総計 32.0

後進カースト総計 51.3 ムスリム 12.5 指定カースト(ダリト) 14.4 指定部族 9.1 合計 100.0 表 1 ビハール州(分離前)における社会集団構成 (出所)Blair 1980: 65, Table 1. 翻訳 は筆者作成。 ( 注1)Blairは、 ベ ン ガ ル 語 話 者 (2.5%)を組み入れない場合の比率(コ ラムA)と組み入れた場合の比率(コ ラムB)の二種類を作成しているが、 本表では「コラムA」を採用した。 (注2)「上層後進カースト」カテゴリー に該当する「コイリ(Koiri)/コエリ (Koeri)」カーストには、表記のよう に二つの呼称が存在する。ブレアは 「コイリ(Koiri)」としているが、他の 文献では「コエリ(Koeri)」とされるこ とが多いことから、本稿においては 「コエリ」で統一することととする。

(4)

一九九〇年代以降のビハール州の政治変動は、このヤーダ ヴ・ カ ー ス ト の 結 束 が 一 つ の 大 き な 要 素 と な っ た (中 溝 二〇一二:二三三―二四九) 。 次 に 宗 教 集 団 で あ る。 ビ ハ ー ル 州 の 宗 教 集 団 構 成 も、 カースト集団と同じく全国平均とほぼ類似している。ヒン ドゥー教徒が多数派として八割強を占める一方、ムスリム は、一二・五%を占めている。ムスリムを単独の集団とし て考えれば、ヤーダヴを上回り上位カースト総計に迫る人 口規模を有しており、小選挙区制のインドでは人口比以上 の重要性を持つことになる。先述した一九九〇年代以降の 政 治 変 動 に ム ス リ ム 票 の 果 た し た 役 割 は 大 き い (中 溝 二 〇一二:二〇五―二三二) 。 最後に階級である。表2は、一九八〇年時点でのカース トと農地所有の関係を示したデータである。 上 位 カ ー ス ト の 九 一・ 四 % が 富 農・ 地 主 に 属 し、 指 定 カーストの九六・五%が貧農・貧中農に属すことからもわ か る よ う に、 カ ー ス ト 位 階 と 階 級 (農 地 所 有 規 模) が ほ ぼ 対応関係にあることがわかる。同時に、上層後進カースト の 三 〇 % 強 は 富 農・ 地 主 に 属 し、 後 進 カ ー ス ト で あ っ て も、裕福な層が一九八〇年代初頭にはすでに存在している ことがわかる。彼らの経済的台頭が、社会、そして政治の 変化を生み出す背景要因となった。この点は、調査村ムル ホ村の事例に則して後述する。

調査村

社会

ム ル ホ 村 は 、 ビ ハ ー ル 州 東 部 の コ シ 川 流 域 に 属 す る * 7 。 コ シ 川 は し ば し ば 氾 濫 す る こ と で 有 名 で 、 近 年 で は 二 〇 〇 八 年 に 、 ネ パ ー ル 領 内 の 堤 防 が 決 壊 し 大 規 模 な 水 害 が 起 こ っ た 。 ム ル ホ 村 は 高 台 に 位 置 し た た め 比 較 的 難 を 逃 れ た が 、 近 辺 一 帯 は 水 没 す る な ど 大 き な 被 害 を 受 け た 。 独 立 当 初 は 慢 性 的 に 発 生 す る 洪 水 の た め 開 発 は 遅 れ 、 コ レ ラ な ど の 疫 病 が 流 行 す る 瘴 癘 地 であ っ た * 8 。 現 在 は 、 コ シ 川 の 水 利 が 整 備 さ れ た こ と も あ り 状 況 は 比 較 的 改 善 さ れ て い る が 、 ム ル ホ 村 の 位 置 す る マ デ プ ラ 県 の 中 心 都 市 マ デ プ ラ 市 で も 電 気 は 日 に 四 〜 五 時 間 し か 通 電 し な い な ど 、 依 然 とし て イ ン フ ラに 問 題 を 抱 え て い る 。 ム ル ホ 村 で も 二 〇 一 〇 年 州 議 会 選 挙 前 か ら 電 化 が 徐 々 に 進 ん だ が 、 電 線 が 盗 ま れ る な ど し て 二 〇 一 四年五月時点でも多くの家庭に電気は供給されていない。 最初に、ムルホ村の社会構成を概観しておきたい。表3 は、二〇〇四年下院選挙時点での有権者のカースト構成を 示したデータである。 表からわかるように、ヤーダヴ・カーストが六二・三% と 圧 倒 的 な 多 数 を 占 め、 指 定 カ ー ス ト の ム サ ハ ー ル が 一 五・三%とこれに続いている。両者を合わせてムルホ村の 約八割近くを占めている。 ヤーダヴ・カーストの優位は、数にとどまらない。ムル ホ村には、独立以前に三〇〇〇エーカーの土地を所有した とされる大ザミンダールのマンダル家が存在し * 9 、独立後も 大地主としての経済力と、ムルホ村では優位カーストとな るヤーダヴの社会的権威に基づき、大きな影響力を行使し てきた。マンダル家当主のB・P・マンダル氏は一九五一 年から五二年にかけて行われた第一回州議会選挙で州議会 議員として当選の後、一九六七年選挙で下院議員にも当選 し、翌一九六八年にはビハール州で後進カースト出身者と し て 初 め て 州 首 相 に 就 任 す る な ど、 政 治 家 と し て 成 功 し た。いわば、大ザミンダールとしての社会的権威・経済力 を有した伝統的な権力者が、普通選挙を通じて権力者とし ての新たな正統性を獲得した事例と言える。 下院選挙、州議会選挙といった村人とは距離がある選挙 のみならず、村の政治においてもマンダル家の影響力は圧 倒的であった。ビハール州においてパンチャーヤット制度 が導入された一九五〇年代半ば以降、村長職はマンダル家 出身のスバーシュ氏が、二〇〇一年村長選挙で敗北するま 上位 カースト 上層後進カースト 下層後進カースト カースト指定 貧農・貧中農 7.9 51.8 89.5 96.5 中農 0.7 17.5 2.6 1.5 富農・地主 91.4 30.7 7.9 2.0 表 2 ビハール州におけるカーストと農地所有の関係 (1980 年) (出所)Prasad 1989: 104, Table A. (注)数値は%表示。貧農・貧中農、中農、富農を区分する具体的な 基準については、言及がない。 カテゴリー カースト 人数(人口比) 上位カースト バラモン(Brahman)   84(1.6) 上層後進カースト ヤーダヴ(Yadav) 3,184(62.3) バニア(Bania)   49(1.0) 下層後進カースト バライ(Barai)   14(0.3) ダヌック(Dhanuk)   9(0.2) ハルワーイー(Halwai)   96(1.9) カルワール(Kalwar)   42(0.8) カマール(Kamar)   29(0.6) カヌー(Kanu)   25(0.5) マリ(Mali)   17(0.3) マッラー(Mallah)   54(1.1) ナイー(Nai)   56(1.1) サオ(Sah)   31(0.6) タッタマー(Tattama)   126(2.5) テーリー(Teli)   12(0.2) 指定カースト チャマール(Chamar)   248(4.9) ムサハール(Musahar) 779(15.3) ドービー(Dhobi)   16(0.3) ドゥーム(Dom)   14(0.3) ムスリム   222(4.3) 合計   5,107(100) 表3 ムルホ村における有権者の社会集団構成(2004年) (出所)選挙管理委員会資料と現地調査より筆者作成。 (注)2004年有権者名簿に基づいた有権者の社会構成(人数・人口比) を表記している。インドにおいては、18歳以上の男女に投票権が与 えられている。括弧内は有権者総数に対する比率(%)を示す。

(5)

で務めてきた。現在のような形でパンチャーヤット制度が 整備されるのは、ビハール州においては二〇〇一年以降の ことであり、それ以前は選挙制度が十分に整備されていな かったものの、選挙自体は行われていた。スバーシュ氏は これらの選挙でも勝利しており、これも伝統的な支配層が 選挙によって新たな正統性を獲得した事例と指摘できる。

伝統的支配

凋落

選挙

しかし、マンダル家の影響力も変化を免れなかった * 10 。影 響力衰退のメルクマールとなったのは、選挙である。表4 が示すように、州首相を経験した先代の時代は、村人はお おむねB・P・マンダル氏を支持していた。 しかし、一九八〇年代初頭にB・P・マンダル氏が引退 し、息子のM・K・マンダル氏が政治活動を引き継ぐと、 村人の態度は変化する。多数派であるヤーダヴ・カースト の な か で M・ K・ マ ン ダ ル 氏 に 対 す る 支 持 は 次 第 に 減 少 し、選挙区全体においてもM・K・マンダル氏は、会議派 候補として戦った一九八〇年州議会選挙で敗北する。一九 九〇年州議会選挙にも会議派候補として立候補するが敗北 し、ムルホ村ではヤーダヴ・カーストの多くがM・K・マ ンダル氏を支持しない状況であった (表5) 。 お膝元での不人気にもかかわらず、M・K・マンダル氏 は挑戦を続ける。初挑戦から二五年後の二〇〇五年二月州 議会選挙でついに初当選を果たし、同年十一月州議会選挙 においても再選された。しかし、二〇一〇年州議会選挙で は、 所 属 政 党 で あ る ジ ャ ナ タ ー・ ダ ル (統 一 派) か ら 公 認 を得ることができず、失職することになった。 州議会選挙での敗北自体は、先代も一九五七年州議会選 挙 で 経 験 し て い る。 し か し、 地 元 ム ル ホ 村 で の 支 持 は 固 かった。それではなぜ、息子はムルホ村での支持を引き継 ぐことができなかったのだろうか。投票行動における政党 の重要性、候補者の資質、経済関係の変化という三点に整 理して考えてみたい。 まず第一点に関してであるが、投票行動において党と人 のいずれを重視するかという問題がある。一九八〇年州議 会選挙でM・K・マンダル氏に投票しなかったヤーダヴ・ カーストの多くは、後進カーストの利益を代表すると目さ れていた社会主義政党に投票した (表6) 。 こ れ に 対 し、 M・ K・ マ ン ダ ル 氏 が 公 認 を 得 た 会 議 派 は、上位カーストによる伝統的支配を体現する政党である と 考 え ら れ て い た。 一 九 七 〇 年 代 後 半 は、 全 国 的 に も ジャート・カーストに属するチャラン・シンが非上位カー スト出身者として初めて首相に就任するなど、後進カース トの台頭が明確な形を徐々に取り始めていた。ビハール州 においても、下層後進カースト出身のカルプーリ・ターク ルが、ジャナター党政権の州首相として安定政権を樹立す ることに成功し、長年の懸案であった後進カーストに対す る留保制度の実施を州レベルで実現する (中溝 二〇一二: 九 二 ― 一 〇 五) 。 社 会 主 義 政 党 の こ の よ う な 実 績 か ら、 社 会主義政党は後進カーストの利益を代弁する政党としての 信頼を勝ちえていく。この傾向は、一九九〇年州議会選挙 で、ラルー・プラサード・ヤーダヴ率いるジャナター・ダ ル政権が会議派支配を打ち破り、後進カーストが上位カー ストから奪権する下剋上の成功によってより強固になった (中溝 二〇一二:二三三―二三八) 。 とはいえ、第二に、候補者本人に魅力があれば、所属政 党の如何にかかわらず、少なくともお膝元では支持を集め ても不思議ではない。M・K・マンダル氏には、この点が 欠 如 し て い た。 先 代 に 対 す る 評 価 と は 対 照 的 に、 村 人 は M・K・マンダル氏について、親しみに欠けるなど肯定的 カースト 支持 不支持 不明 合計 ヤーダヴ 6 2 1 9 その他後進カースト 2 ─ ─ 2 指定カースト 1 2 3 ムスリム 1 1 合計 10 4 1 15 表 4 B・P・マンダル氏に関するムルホ村民の投票行動 (出所)現地調査(2004年2~5月、2005年2月)より筆者作成。 (注)聞き取りを行った52人のうち、回答を得られた15人の投票行動 を記している。数値は人数を示している。 質問は、「B・P・マンダル氏の存命中は、同氏を支持したか」という形 で行った。同氏が最後に戦った1980年選挙選挙から25年が経過して おり、当時は子どもであったため投票権を持っていなかった者、まだ 生まれていない者もおり、また投票権を持っていた者であっても、忘 れたと回答した者もいた。 カースト INC JD CPM その他 合計 ヤーダヴ 1 12 1 0 14 その他後進 カースト 0 2 0 0 2 指定カースト 7 1 0 1 9 ムスリム 0 4 0 0 4 合計 8 19 1 1 29 表 5 ムルホ村投票行動(1990 年州議会選挙) (出所)現地調査(2004年2~5月、2005年2月)より筆者作成。 (注)聞き取りを行った52人のうち、回答を得られた29人の投票行 動を記している。数値は人数を示す。1990年選挙に関し回答が得ら れた指定カーストはムサハールのみだった。「その他」に該当する政 党はジャナター党であった。 (略号)「その他後進」:ヤーダヴ以外の後進カースト。INC:インド

国 民 会 議 派(Indian National Congress)。JD: ジャナター・ダ ル

(Janata Dal)。CPM:インド 共 産 党( マ ル クス 主 義 )(Communist

(6)

な 評 価 を 与 え な い (中 溝 二 〇 一 二: 一 〇 七 ― 一 〇 八) 。 州 議会議員になってからも、二〇〇八年大洪水の際には自ら 先頭を切って州都パトナーに逃げた、として村人に嘲笑さ れるなど、評価の低さは相変わらずであった * 11 。有権者の投 票行動が、候補者よりも政党を重視する方向に動いていた ことに加えて、候補者本人に魅力が欠けていたことを要因 として指摘できる。 最後に、いくら所属政党が異なるとはいえ、さらに候補 者本人に魅力がないとはいえ、マンダル家の影響力が十分 に 強 け れ ば、 村 人 へ 支 持 を 強 要 す る こ と も で き た で あ ろ う。この最後の拠り所も揺らぎ始めていた。契機となった のは、緑の革命である。 一九六〇年代後半から導入された緑の革命は、ビハール 州では一九七〇年代前半から小麦革命として始まり、小麦 生産量が次第に伸びていった (図1) 。 緑の革命に最も積極的に呼応したのが、後進カースト農 民、なかでも比較的裕福であった上層後進カースト農民で あった ( Sharma 2005: 964 ) 。彼らが支持したチャラン・シ ンは、後進カーストの利益というよりは、農民の利益の実 現を強く打ち出した政治家であり、後進カースト農民も、 留 保 政 策 の 実 現 と と も に 自 作 農 重 視 の 政 策 を 支 持 し た ( Varshney 1995: 102-103 ) 。 ム ル ホ 村 で も、 管 井 戸 灌 漑 が 普及し始めたのは、一九七〇年代初頭からであった * 12 。管井 戸 灌 漑 の 導 入 に よ り 乾 期 作 (ラ ビ 作) で 小 麦 を 栽 培 す る こ とが可能になり、これまでの雑穀・豆類から、より収益性 の高い小麦へと作付けを変更した。小麦の品種改良も普及 したことから穀物の増産が達成され、ヤーダヴを中心とす る自作農は次第に豊かになっていったと考えられる。 同時に見逃せないのが、マンダル家の変化である * 13 。一九 八〇年代に入ると、マンダル家は農業経営への関心を次第 に失うようになり、多くの者がパトナーやデリーなどの都 市に居を構えて専門職などに従事し始める * 14 。二〇〇一年パ ンチャーヤット選挙でマンダル家出身の村長を破ったラー ジ・キショール・ヤーダヴ氏によれば、この動きと並行し てマンダル家は農地を次第に手放すようになったという * 15 。 このことは、マンダル家のムルホ村における経済力の低下 を意味し、裏腹にヤーダヴ農民はマンダル家から相対的に 経済的自立性を確保することになる。このような経済関係 の変化が、投票行動におけるマンダル家離れの背景として 存在したと考えられる。 M・K・マンダル氏に対する支持減少の背景には、以上 の三つの要因が存在した。マンダル家の影響力が次第に衰 えていくなかで、象徴的な事件となったのが、二〇〇一年 パンチャーヤット選挙であった。一九九三年の第九三次憲 法改正後、ビハール州で初めて実施されたパンチャーヤッ ト選挙で、マンダル家のスバーシュ氏は、対抗馬となった 新興エリートのラージ・キショール・ヤーダヴ氏にわずか 二票差で敗れる。二〇〇一年選挙より行政村の人口が最低 五〇〇〇人とされたことにより、ムルホ村は北隣のパラリ ア村と合併した。選挙戦においては、パラリア地区出身の ラージ・キショール・ヤーダヴ氏がパラリア地区の票をま と め た の に 対 し、 ム ル ホ 地 区 は 候 補 者 が 乱 立 し 票 が 割 れ た。しかし、このような事情はあったにせよ、村レベルの 選挙でも勝利できなかった事実は、マンダル家支配の凋落 を示すに十分であった。 6,000 5,000 4,000 3,000 2,000 1,000 0 1950-51 1955-56 1960-61 1965-66 1970-71 1975-76 1980-81 1985-86 1990-91 1995-96 1999-2000年 生産量:千トン 単位面積あたりの収穫量:kg/ha 作付け面積:千ヘクタール 図1 ビハール州における小麦の生産量・単位面積あたりの収穫量・作付け面積の推移 (出所)Indiastat(http://www.indiastat.com/default.aspx) 表 6 ムルホ村投票行動(1980 年州議会選挙) (出所)現地調査(2004年2~5月、2005年2月)より筆者作成。 (注1)聞き取りを行った52人のうち、回答を得られた31人の投票 行動を記している。質問は、「1980年州議会選挙において、何党を 支持したか」という形で行った。候補者名についても適宜確認した。 (注2)CPMの活動家はCPMに投票したと述べたが、マデプラ州議 会選挙区からCPM候補は出馬していない。 (注3)「その他」に該当する政党はジャナター党であったが、マデプラ 州議会選挙区から立候補した旧ジャナター党候補のうち、JNP(SC)、 JNP(SR)、JNP(JP)のいずれに投票したのかは定かではなかった。 (略号)「その他後進」:ヤーダヴ以外の後進カースト。INC:インド国

民会議派(Indian National Congress)。JNP(SC):ジャナター党(セ キュラー:チャラン・シン派)。CPM:インド共産党(マルクス主義) (Communist Party of India〔Marxist〕)。

カースト INC JNP(SC) CPM その他 合計 バラモン 1 1 ヤーダヴ 4 8 1 1 14 その他後進 カースト 2 1 3 指定カースト 10 10 ムスリム 3 3 合計 20 9 1 1 31

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れてきたが、いまだに封建的ではあるものの、かつてほど ではないという評価が一般的である。マンダル家の態度が 変化した背景には、一九九〇年代以降のビハール州政治の 変化に加えて、自身の政治力が低下したという認識が存在 す る と 考 え ら れ る * 16 。 こ の よ う な マ ン ダ ル 家 の 態 度 の 変 化 は、格差の甚だしかったムルホ村の社会関係が、相対的に 平等な方向へ進んだことを示している。これは格差がなく なったということでは決してないが、格差が縮小したこと を意味する。選挙は、この格差の縮小に一つの役割を果た したと言えるだろう。

選挙

社会変化

社会的弱者層

地位

変化

これまで選挙がムルホ村の社会に与えた影響を、マンダ ル家支配の凋落に焦点を当てて分析してきた。本節ではマ ンダル家支配以外の側面を検討したい。冒頭に述べたよう に、 村 社 会 に 与 え る 影 響 の 大 き さ と い う 観 点 か ら、 パ ン チャーヤット選挙に焦点を当てることにする。 最初に検討するのは、社会的弱者層の地位向上を目指し た留保制度の影響である。二〇〇一年選挙では、指定カー スト/部族に対する留保以外に、女性に対する留保枠が三 三%に設定された。二〇〇六年選挙では、ビハール州独自 の制度として、女性の留保枠が五〇%にまで拡大される一 方で、最後進階級 ( Extreme Backward Classes ) に対する 留保枠が新たに二〇%設定された。これは、二〇〇五年十 一月州議会選挙で勝利したニティーシュ・クマール政権の 肝いりの政策であった * 17 。 これら選挙における留保政策の導入は、期待された効果 を上げただろうか。女性の留保議席に関しては、二つの見 方がある。第一が、女性の地位向上にはほとんど影響がな いとする見方である。たとえば、ムルホ村においては、二 〇〇六年から村長ポストが女性留保議席の対象となった。 筆者は村長本人にインタビューを何度も試みたが、家の中 から出てきてくれたことは一度もなく、インタビューに応 じたのは前村長であり夫であるラージ・キショール・ヤー ダヴ氏であった。村人の評判を総合しても、実際に村長と しての仕事をしているのはラージ・キショール・ヤーダヴ 氏であった。そのほかにも、女性留保/最後進階級留保の 両枠を活用してパンチャーヤット・ショミティ ( Panchayat Samiti ) の 議 員 に な っ た A 氏 も、 筆 者 の 質 問 に 対 し、 夫 の 方 が よ く わ か る の で 夫 に 聞 い て く れ と 述 べ る ば か り で あった * 18 。A氏の場合も、村人の評判では、ほとんどの業務

指標

選挙

これまでマンダル家支配の凋落を、選挙結果を通じて分 析してきた。それでは選挙結果以外の指標で、マンダル家 支配の凋落を示すことはできるだろうか。とりわけ、マン ダル家支配の凋落を村人が認識できる指標は存在するだろ うか。 結 論 か ら 述 べ れ ば 、 選 挙 以 外 の指 標 を 用 い て 村 人 に 共 通 の 認 識 を 生 み 出 す ことは 困 難 で あ る 。 第 一 に 、支 配 力の 源 泉の 一 つ は 所 有 農 地 の 規 模 で あ る が 、 こ れ を 確 定 す る こと は 大 変 に 難 し い 。 ビ ハ ー ル 州 に お い て は 、 ザ ミ ン ダ ー リ ー 制 廃 止 に 引 き 続 く 一 連 の 農 地 改 革 法 の な か で 農 地 所 有 に 上 限 が 設 定 さ れ た が 、 上 限 設 定 を 逃 れ るた め に 土 地 台 帳 へ の 虚 偽 記 載 は 常 態 と な っ た ( Ja nn uzi 1 97 4: 77 -90 。 実 際 に マ ン ダ ル 家 の ス バ ー シ ュ 氏 や M ・ K ・ マ ン ダ ル 氏 に 農 地 所 有 規 模 を 尋 ね て も 、 法 定 上限 通 り の 回 答 し か 得 る こ と が で き な い 。 村 人 に マ ン ダ ル 家 が ム ル ホ ・パ ン チャ ー ヤ ッ ト 内 に 所 有 して い る 農 地 の 規 模 を 尋 ね て も 、 一 〇 〇 エ ー カー か ら 七 〇 〇 エ ー カ ー ま で 幅 が あ り 、 確 か な こ と は わ か ら な い ( 中 溝 二 〇 一 二 : 六 一 ― 六 二 ) 。 マ ン ダ ル 家 の 所 有農 地 が 減少 し た と いう 認 識 は 共 有 さ れ て い る にせ よ 、 不 確 実 性 の 高 い 状 況では、支配の凋落を示す指標としての力は弱いだろう。 第二に、小作契約の増減や、借金の有無など社会関係の 指標を考えることができる。これらは、マンダル家と直接 関係を切り結ぶ個々人の間では認識されても、ムルホ村全 体で契約の動向を把握するのは、マンダル家以外の人間に とっては困難である。村人に共通の認識を生み出す指標と しての力は、所有農地と同じく弱いと言えよう。 このように、社会・経済的指標の力が弱いなかで、選挙 結果という指標の力は群を抜いている。選挙では、マンダ ル家の候補を支持するか否かが端的に問われ、しかもその 問 わ れ 方 は 投 票 日 と い う 特 定 の 時 点 で の 判 断 に 集 約 さ れ る。加えてその結果は得票数という数字で、誰から見ても 明らかな形で判明する。影響力の程度を判定するのにこれ ほど適した指標はない。実際に、村人がマンダル家の影響 力の衰退を語る際に用いる指標は、所有農地の減少でもな く 、 小 作 契 約 の 減 少 で も な く 、 州 議 会 選 挙 に お け る M ・ K ・ マ ン ダ ル 氏 の 敗 北 で あ り 、 村 長 選 挙 に お け る ス バ ー シ ュ 氏 の 敗 北 で あ っ た 。 こ れ ら の 敗 北 を 通 し て 初 め て 村 人 は マ ン ダ ル 家 支 配 の 凋 落 を 認 識 し 、 こ の 共 通 の 認 識 が マ ン ダ ル 家の威信をさらに低下させる効果を持ったと考えられる。 それでは、選挙結果によって明らかになったマンダル家 支配の凋落は、どのような変化をムルホ村にもたらしたで あろうか。マンダル家は大ザミンダールとしての社会・経 済的影響力から、村人に対する態度は封建的であると評さ

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紛争解決制度

変化

選 挙 に 基 づ く 紛 争 解 決 制 度 の 導 入 も、 新 し い 変 化 で あ る。 こ れ ま で 村 で 揉 め 事 が 起 こ っ た 際 に は、 マ ラ ル ( Marar ) と い う 伝 統 的 な 調 停 者 が 解 決 を 担 っ て い た * 21 。 マ ラ ル と は も と も と 村 長 ( Pradhan ) の 意 で、 世 襲 さ れ て き た地位である。現在のムルホ村は一三の集落から構成され ているが、それぞれの集落にはマラルが存在するという * 22 。 筆者が聞き取りを行ったのは、ブディ集落のマラルD氏で ある。同氏によれば、D氏の先祖はブディ集落がジャング ルだった時代からここに住んでいたという。 二〇〇六年にパンチャーヤット制度の一環として裁判制 度が導入されるまでは、紛争が起こると当事者の申し出に 応 じ て、 マ ラ ル が 集 落 の 長 老 を 一 〇 人 ほ ど 伴 っ て 調 停 を 行っていた。案件は多岐にわたるが、一例として借金の調 停事例を紹介したい。あるムスリムがヤーダヴから一万二 〇 〇 〇 ル ピ ー を 借 金 し た が、 な か な か 返 済 し な い た め、 ヤーダヴは利子をつけて二万四〇〇〇ルピーの返済を要求 した。利子が高いと考えたムスリムの要請に応じてマラル が調停に入り、利子を半額の六〇〇〇ルピーとして合計一 万八〇〇〇ルピーの返済で双方の合意を取り付けた。この ような形で紛争の調停が行われていた。 それでは、二〇〇六年から導入された新裁判制度は、村 の紛争解決のあり方をどのように変えただろうか。マラル 本人によれば、新制度導入以降も、マラルの仕事が大変重 要であることに変わりはない。彼によれば、法的な権限を 持っているのは裁判長だが、社会的にはマラルが重要であ り、マラルなしには紛争は解決しない。現在でも、ブディ 集落にかかわる紛争がパンチャーヤット裁判の場に持ち込 まれたときには、マラルは裁判に呼ばれ、解決策を提示す るという。この点は、裁判長に対するインタビューからも 確認でき、今でも紛争が起こると、マラルの意見を求めて 解決するということであった * 23 。 ブディ集落のマラルは、単にマラルとして存在している だけではなく、パンチャーヤット制度のなかにも根を下ろ している。義理の娘はブディ集落が位置する第七ワードの ワ ー ド・ メ ン バ ー で あ り、 甥 は 第 七 ワ ー ド の 裁 判 官 ( Panch ) で、 副 裁 判 長 も 務 め て い る * 24 。 マ ラ ル は、 マ ラ ル として伝統的権威を保持すると同時に、選挙を戦って勝利 することにより、新制度のなかにも自らの足場を築いてい る と 言 え よ う。 ブ デ ィ 集 落 の な か で 紛 争 が 起 こ っ た 際 に は、まずマラルのところに紛争が持ち込まれ、それで解決 しないときは裁判官を務める甥のところに送られ、それで も解決しないときには、裁判長のもとに送られ裁判が開か れるということだった。そして、裁判長はマラルの意見に を夫が行っているとのことであった。 これに対して、留保議席は女性の地位向上につながって いるという見方もある。たとえば、二〇〇六年選挙から導 入 さ れ た 村 の 紛 争 解 決 制 度 に お い て、 裁 判 長 ( Sarpanch ) となったのは女性のB氏であった。B氏は留保枠を評価し ており、女性の意識向上につながると同時に、これまで男 性の裁判長にはなかなか相談できなかった女性も相談に訪 れるようになり、紛争解決制度の利用が進んでいると指摘 した * 19 。 留保制度が女性の地位向上に貢献したという評価を裏付 ける男性側の証言もある。ムスリム男性によれば、女性が 男 性 を 無 視 す る よ う に な り、 伝 統 が 崩 れ た と の こ と で あった * 20 。裏返せば、女性が自己主張を強めていることを示 している。 そ れ で は、 最 後 進 カ ー ス ト に 対 す る 留 保 は ど う だ ろ う か。これもおおむね最後進カーストの地位向上に貢献した という見方が主流である。先述のA氏も、本人に限ったこ とではあるが、議員に選ばれたことによって周囲の尊敬を 集めるようになったと証言した。表7はビハール州全体の デ ー タ で あ る が、 「留 保 制 度 に 関 す る 知 識 な し」 と 回 答 し た者が全体の六六%強に上るものの、一定の効果はあった ことを示している。 表 7 EBC 留保制度が EBC の地位向上に果たした役割

(出所)2010年州議会選挙に関するアジア開発研究所(Asian Development Research Institute)とアジア経済研究所の 合同調査。 (注)本調査は、2010年ビハール州議会選挙において、マデプラ(Madhepura)、シワン(Siwan)、テガラ(Teghara)、 ボドガヤ(Bodhgaya)の4選挙区で行った出口調査に基づいている。総回答者数は1,264人である。括弧内は、所属カー スト内での回答比率(%)を示している。たとえば、EBC留保制度がEBCの地位向上に大いに貢献したと回答した上位 カーストは40人であり、上位カースト総数(204人)の19.6%に当たる。 大いに貢献 一定程度貢献 まったく影響なし 未回答 留保制度に関する知識なし 全体 上位カースト   40(19.6)  55(27.0) 14(6.9) 2(1.0) 93(45.6) 204 後進カースト   68(14.4)  72(15.2) 25(5.3) 8(1.7) 300(63.4) 473 最後進カースト   23(9.1)   38(15.1) 6(2.4) 3(1.2) 185(73.4) 252 指定カースト/部族   13(7.4)   15(8.5) 3(1.7) 2(1.1) 143(81.3) 176 ムスリム   13(8.2)   19(11.9) 6(3.8) 2(1.3) 119(74.8) 159 合計 157(12.4) 199(15.7) 54(4.3) 17(1.3) 837(66.2) 1,264

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個々人の生活に結びついた利益誘導の約束が連発されるよ うになる。そして実際に、選挙結果によって個々人の生活 は大きく変化することになった。たとえば、先述の住宅建 設を約束された指定カーストは、投票した村長候補者が当 選したことにより、実際に住宅建設の資金を手に入れた。 生活インフラの観点からは、パラリア地区出身の村長が在 任中は、まずパラリア地区から電柱が整備された。二〇一 一年選挙でムルホ地区から村長が選出されると、今度はム ルホ地区の道路が舗装され、電柱が次々と敷設された。反 対に、パラリア地区の道路は、維持費が十分に配分されて い な い た め か、 二 〇 一 四 年 の 調 査 時 に は 傷 み が か な り 目 立っていた。 これらは一例にすぎないが、選挙の結果が、村人にとっ て重要な生活インフラの整備、そして生活そのものに直結 することを示している。生活がかかっている故に選挙戦は 熾烈なものとなり、村人にとって選挙はより重要な意味を 持 つ よ う に な っ た。 こ の 点 に つ い て、 バ ー ル テ ィ は、 ビ ハール州全体の傾向として、一九九〇年代より指定カース トの間にも、選挙に参加して投票することが重要であると い う 認 識 が 広 ま り 始 め た と 指 摘 す る ( Bharti 1990 ) 。 ム ル ホ村の事例ではないが、筆者が別に調査を行ったボージュ プル県ベラウール村においても、指定カーストの間に、投 票で社会を変えることができるという意識が一九九〇年代 に入って生まれ始めたという * 26 。 このように選挙が生活の改善にとって重要な手段となる 状況は、伝統的支配者が村長となることが当然だと考えら れていた時代と大きく異なっている。村人は、よりよい生 活を実現するために、その実現を約束する候補者に競って 投票し、権力を作り上げる。権力の定期的交代を制度的に 保障した選挙は、繰り返し実施される過程で、村人の生活 に次第に大きな影響を及ぼすようになったと指摘できる。

伝統

選挙

ムルホ村においてはマンダル家が支配者として君臨する ことが当たり前であり、ブディ集落においてはD家がマラ ルとして揉め事の調停を行うことが当たり前であった。多 くの人にとっては、物心がついた頃からマンダル家は支配 者、D家はマラルであり、彼らの正統性の根拠は、昔から そうであった、もしくはそうであったと皆が考える伝統で あった。 伝 統 と は 全 く 異 な る 正 統 性 原 理 を 与 え た の が 、 平 等 原 則 に 基 づ い た 選 挙で あ る 。多 数 決 原 則 に よ り 、 伝 統 的 支 配 者 と い え ど も 多 数 を 獲 得 で き な け れ ば 権 力 者 の 座 を 明 け 渡 し 、 マ ラ ル と い え ど も 裁 判 長 に 当 選 し な け れ ば 、 村 に お け る 最 従って決定を下すということであった。 それでは、村の紛争解決のあり方は、新制度導入後も導 入前と基本的に変化していないだろうか。裁判長、マラル 双方とも、そうではない、変化した、と強調する。裁判長 によれば、新制度の導入以前は、紛争が起こったときに村 人はどこに紛争を持ち込めばよいかわからなかった。新制 度導入後は、村人は紛争をパンチャーヤット裁判に持ち込 み、決定に不服があれば上級審に訴えることができる。村 人の権利意識は向上し、自らの権利が実現できていないと 考 え れ ば 訴 え る よ う に な っ た。 裁 判 長 が、 「私 は 選 挙 で 選 ばれた正統性を有している」と主張するように * 25 、裁判長は 伝 統 的 威 信 に 頼 る マ ラ ル と は 異 な っ た 正 統 性 を 有 し て お り、書面による裁定で紛争を解決する権限を持っている。 こ の よ う に 新 制 度 は、 伝 統 的 な 紛 争 解 決 の 方 法 と 比 較 し て、より効率的に紛争を解決する力を有しており、人々の 権利意識を向上させる効果を持ったと考えられる。 同 じ 変 化 を マ ラ ル に 語 ら せ る と 、 評 価 は 正 反 対 に な る 。 彼 に よ る と 、 新 制 度 の 導 入 は 紛 争 解 決 の 手 続 き を 複 雑 に し 、 裁 判 官 は 紛 争 解 決 に 当 た っ て 賄 賂 を 取 る よ う に な っ た 。 昔 は マ ラ ル の 決 定 に 皆 従 い 、 従 わ な い 場 合 は 村 八 分 な ど の 社 会 的 制 裁 が 行 わ れ て い た が 、 今 で は 決 定 に不 服 だ と 上 級 審 に 訴 え る よ う に な っ た 。 そ の 結 果 、 紛 争 調 停の コ ス ト が か さ む よ う に な っ た 。 訴 え ら れ た 方 は 傲 慢 に な り 、 マ ラ ル に より 罰 が 科 さ れ る と 、 警 察 に 賄 賂 を 渡 し て マ ラ ル を 逮 捕 さ せ る よ う な 事 件 も 起 こ っ て い る 。 こ の よ う な こ と も あ る た め 、 裁 判 官 は マ ラ ル と 異 な り 、 誰 が 本 当 の 犠 牲 者 な の か 探 ろ う と し な い 。 そ の 結 果 、 社 会 は 腐 敗 し 、 新 制 度 は 社 会 の 調 和 を 大 き く 乱 す こ と に な っ た 。 マ ラ ル に よれ ば 旧 制 度 の ほ う が 新 制 度 よ り 格 段 に 優 れ て い た 、 と い う 評 価 に な る 。 このように、新制度の導入は、村の紛争解決の仕組みを 大きく変えた。選挙で選ばれた裁判官、そして裁判長が紛 争解決の任に当たり、裁定に不服の場合は上級審に訴えら れるという制度は、伝統的な紛争解決の手法とまったく異 なっている。マラルが裁定を行い、裁定に従うことが村八 分という制裁の脅しにより強要された時代は、マラルの言 うように外観は調和が取れていたかもしれないが、裁定に 不満な当事者にしてみれば、権利を実現する自由を奪われ ていたとも言えよう。マラルという伝統的権威に対抗でき るのは、選挙によって選ばれたという正統性であり、この 正統性が村の紛争解決の仕組みを大きく変えたと指摘でき る。

生活

変化

選 挙 は 村 人 の 生 活 も 変 え る。 選 挙 が 競 合 度 を 増 す ほ ど に、 冒 頭 の 住 宅 建 設 の 約 束 に 典 型 的 に 見 ら れ る よ う に、

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◉注 * 1 イ ン ド は 一 九 四 七 年 の 独 立 以 来、 一 九 七 五 年 か ら 七 七 年 に か け て 二 年 弱 に 及 ぶ 非 常 事 態 体 制 期 を 除 き、 一 貫 し て 民 主 制 を 維 持 し て き た。 民 主 制 の 基 準 の 一 つ と し て よ く 参 照 さ れ る ダ ー ル の ポ リ ア ー キ ー に 従 う と( Dahl 1971: 248 )、 正 ポ リ ア ー キ ー の う ち、 O E C D 加 盟 国 以 外 で 民 主 制 を 維 持 し た 国 は、 イ ン ド、 コ ス タ リ カ、 ジ ャ マ イ カ、 ト リ ニ ダ ー ド・ ト バ ゴ の 四 ヶ 国 に す ぎ な い。 イ ン ド の 例 外 性 を 示 す 一 つ の 指 標 と 言える。 * 2 ム ル ホ 村、 K 氏 に 対 す る イ ン タ ビ ュ ー(二 〇 一 四 年 二 月 二八日) 。 * 3 ム ル ホ 村 、 L 氏 に 対 す る イ ン タ ビ ュ ー ( 二 〇 〇 四 年 四 月 )。 * 4 ム ル ホ 村、 L 氏 に 対 す る イ ン タ ビ ュ ー(二 〇 一 四 年 二 月 二 七 日) 。 現 在 の 村 長 は、 次 回 の 二 〇 一 六 年 選 挙 で 再 選 さ れ れば、貧困層と認定すると彼に約束した。 * 5 カ ー ス ト 制 度 に 関 す る 三 要 素 へ の 整 理 は、 東 京 大 学 比 較 現 代 政 治 研 究 会(二 〇 〇 八 年 一 一 月 二 二 日) に お け る 竹 中 千 春・ 立 教 大 学 教 授 の 示 唆 に よ る。 ラ ジ ニ・ コ タ リ は、 カ ー ス ト と 政 治 の か か わ り に 関 連 し て、 カ ー ス ト の 機 能 を、 ① 世 俗 的 側 面、 ② 統 合 的 側 面、 ③ 意 識 的 側 面 の 三 つ の 観 点 か ら 整 理 し て い る( Kothari 1970: 8-13 )。 こ れ ら は、 本 文 中 に 記 述 し た 第 二 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 側 面、 第 三 の 利 益 集 団 の 側 面 に ほぼ対応する。 * 6 一 九 九 八 年 に 刊 行 さ れ た イ ン ド 人 類 学 考 査 局 編 集 の India s Communies シリーズは、 全インドで二三八四のコミュ ニ テ ィ ー を 確 認 し、 一 九 八 〇 年 に 提 出 さ れ た 第 二 次 後 進 諸 階 級委員会報告は、 「その他後進諸階級」 として三七四三のカー ス ト / コ ミ ュ ニ テ ィ ー を 認 定 し た。 中 溝(二 〇 一 二: 六 九 ― 七〇)を参照のこと。とりわけ、注2を参照のこと。 * 7 筆 者 は ム ル ホ 村 に お い て、 二 〇 〇 四 年 下 院 総 選 挙 以 来 現 在 に 至 る ま で、 継 続 的 に パ ネ ル 調 査 を 行 っ て い る。 二 〇 〇 四 年 下 院 総 選 挙 の 際 は、 同 年 二 月 か ら 同 年 五 月 に か け て、 二 〇 〇 五 年 二 月 州 議 会 選 挙 の 際 は、 同 年 二 月 に 調 査 を 行 っ た。 二 〇 〇 九 年 下 院 総 選 挙 の 際 は、 同 年 五 月 に、 二 〇 一 〇 年 州 議 会 選 挙 の 際 は、 同 年 一 〇 月 か ら 十 一 月 に か け て 調 査 を 行 っ た。 二 〇 一 四 年 下 院 総 選 挙 の 際 も、 同 年 二 月 か ら 三 月 に か け て 予 備 調 査 を 行 っ た 後、 同 年 四 月 か ら 五 月 に か け て 調 査 を 行 っ た。 選 挙 期 間 以 外 に も、 二 〇 一 一 年 九 月 に 調 査 を 行 っ て い る。 調 査 の 対 象 と な る ム ル ホ 村 は、 正 式 に は ム ル ホ・ パ ン チ ャ ー ヤ ッ ト(行 政 村) と な る が、 パ ン チ ャ ー ヤ ッ ト は 日 本 で は な じ み の な い 用 語 で あ る こ と か ら、 便 宜 上、 村 と 表 記 す る。 行 政 村 は、 通 常 い く つ か の 自 然 村( Gaon ) か ら 構 成 さ れ て お り、 ビ ハ ー ル 州 の 場 合 は、 最 低 人 口 が 五 〇 〇 〇 人 と さ れ て い る。 自 然 村 は 日 本 の 概 念 で は 集 落 に 近 い の で、 本 稿 で は 集 落 と 表 記 す る。 こ れ に 加 え て、 同 じ パ ン チ ャ ー ヤ ッ ト に 所 属 す る が、 い く つ か の 集 落 が ま と ま り を 持 っ て い る 場 合 を、 地 区 と 表 記 す る。 ム ル ホ 村 に は、 ム ル ホ 地 区 と パ ラ リ ア 地 区 が存在する。 * 8 プ ラ バ ー シ ュ・ チ ャ ン ド ラ・ マ ン ダ ル 教 授( Bihar University ) に 対 す る イ ン タ ビ ュ ー に よ る(二 〇 〇 四 年 二 月 一五日) 。 * 9 ザ ミ ン ダ ー ル と は、 イ ギ リ ス 植 民 地 政 府 が、 地 租 収 入 を 終 的 な 調 停 者 の 立 場 を 譲 ら な け れ ばな ら な い 。 こ の よ う な 制 度 は 、 政 治 ・ 経 済 ・ 社 会 的 な 格 差 の存 在 を 常 態 と す る 伝 統的社会の原理とはまったく異なる原則に基づいていた。 これまでムルホ村の事例から検討してきたように、平等 原則に基づく選挙の導入は、伝統的社会を大きく変えてき た。マンダル家の支配は選挙を通じて衰退し、マラルの権 威は選挙によって裁判長に取って代わられた。留保制度の 導入によって、伝統的社会では考えられなかった女性の代 表が誕生し、最後進カーストや指定カースト/部族が村長 に就任する道が開けた。その結果として、社会的下層階層 の政治意識は向上し、紛争解決の制度化が進んだことで権 利意識が芽生えていった。 伝統的支配階層もこれらの変化をただ黙視していたわけ ではない。マンダル家は政治権力をあきらめず、二〇〇五 年 に は M・ K・ マ ン ダ ル 氏 が つ い に 州 議 会 議 員 に 当 選 す る。スバーシュ氏は、自らが村長に返り咲くことは断念し たが、二〇一一年選挙ではムルホ地区から立候補した現村 長を支援し、影響力を温存している。マラルはすでに見た よ う に、 ワ ー ド・ メ ン バ ー、 裁 判 官 の 地 位 を 確 保 し て い る。このように伝統的勢力も、選挙という新しい制度に適 応しながら影響力の確保に努めている。 冒 頭 の 問 い に 戻 ろ う 。 選 挙 は 社 会 を ど の よ う に 変 え た か 。 ム ル ホ 村 の 事 例 か ら 、 三 つ 指 摘 で き る 。 第 一 に 、 権 力 と 権 威 の 正 統 性 原 理 を 、 伝 統 か ら 個 々 人 の 平 等 性 に 変 え た 。 こ れ は不 平 等 を 前 提 と し た 伝 統 的 社 会 に お い て は 、 革 命 的 な 変 化 で あ っ た 。 第 二 に 、 正 統 性 原 理 の 転 換 に 伴 い 、 現 実 に 権 力 者 が 交 代 し た 。 村 長 は 、 二 〇 〇 一 年 に 大 地 主 か ら 新 興エ リ ー ト に 取 っ て 代 わ ら れ 、 二 〇 一 一 年 に は 階 級 的 に は 中 農 に 属 す る 獣 医 が 現 在 の 村 長 を 務 め る 。 裁 判 長 は 、 マ ラ ル か ら 識 字 率 向 上 運 動 の 活 動 家 へ と 変 わ っ た 。 最 後 に 、 代 表 の 交 代 は 、 村 の 社 会 関 係 を よ り 平 等 な 関 係 に 変 化 さ せ た 。 マ ン ダ ル 家 支 配 の 衰 退 は も と も と 存 在 し た 村 社 会 の 格 差 を 相 対 的 に 縮 小 し 、 最 後 進 カ ー ス ト 、 指 定 カ ー ス ト 、 女 性 に 対 する 留 保 枠 の 設 定 は 、 こ れ ら 社 会 的 弱 者 の 権 利 意 識 を芽生えさせ、彼らも次第に声を上げるようになった。 ここで留意しておきたいのは、平等な社会が実現したわ けではないことである。伝統的支配層は依然として権力を 温存し、政治的・経済的・社会的格差は厳然として存在す る。しかし、平等原則に基づいた選挙制度が導入されるこ とによって、これらの格差は縮小する方向へ動き始めてい る。 永 久 革 命 と し て の 民 主 主 義 を 支 え る 重 要 な 制 度 と し て、これからも選挙が社会を不断に変えていくことは確か である。

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で 選 出 さ れ る。 ワ ー ド・ メ ン バ ー は、 村 長 の 下 で 村 行 政 の 補 佐 を 行 い、 裁 判 官 は、 裁 判 長 の 下 で 裁 判 官 と し て 紛 争 解 決 に 従事する。 * 25 裁 判 長 で あ る B 氏 へ の イ ン タ ビ ュ ー(二 〇 一 四 年 二 月 二 七日) 。 * 26 ビ ハ ー ル 州 ボ ー ジ ュ プ ル 県 ベ ラ ウ ー ル 村 に お け る、 指 定 カーストへのインタビュー(二〇〇三年八月二七日) 。 ◉参考文献 小 谷 汪 之(二 〇 〇 三) 「カ ー ス ト と カ ー ス ト 制 度

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◉ 著者紹介 ◉ ①氏名…… 中溝和弥 (なかみぞ・かずや) 。 ② 所 属・ 職 名 …… 京 都 大 学 大 学 院 ア ジ ア・ ア フ リ カ 地 域 研 究 研 究科・准教授。 ③生年・出身地…… 一九七〇年、福岡県。 ④専門分野・地域…… 現代インド政治。 ⑤ 学 歴 …… 東 京 大 学 大 学 院 法 学 政 治 学 研 究 科 博 士 課 程( 政 治 専 攻) 単位取得退学、博士 (法学) 。 ⑥ 職 歴 …… 京 都 大 学 大 学 院 ア ジ ア・ ア フ リ カ 地 域 研 究 研 究 科・ 特 任 准 教 授 / 客 員 准 教 授、 人 間 文 化 研 究 機 構 地 域 研 究 推 進 セ ン タ ー 研 究 員( 二 〇 〇 九 〜 一 三 年 )、 京 都 大 学 大 学 院 ア ジ ア・ アフリカ地域研究研究科・准教授 (二〇一三年〜現在) 。 ⑦ 現 地 滞 在 経 験 …… イ ン ド・ ニ ュ ー デ リ ー、 国 際 交 流 基 金 ア ジ ア 次 世 代 リ ー ダ ー シ ッ プ フ ェ ロ ー( 一 九 九 六 年 三 〜 一 〇 月 )、 イ ン ド・ ニ ュ ー デ リ ー、 在 イ ン ド 日 本 大 使 館 専 門 調 査 員(一九九六年一二月〜九九年三月) 、 インド ・ ニューデリー、 ビ ハ ー ル 州、 文 部 科 学 省 ア ジ ア 諸 国 等 派 遣 留 学 生( 二 〇 〇 一 年三月〜〇三年二月) 、以降は断続的に調査。 ⑧ 研 究 手 法 …… 理 論 的 な 枠 組 み に 基 づ い た 仮 説 を フ ィ ー ル ド で 検証する手法を取っています。 ⑨ 所 属 学 会 …… ア ジ ア 政 経 学 会、 日 本 南 ア ジ ア 学 会、 比 較 政 治 学会、国際政治学会、日本政治学会。 ⑩ 研 究 上 の 画 期 …… 大 学 一 年 生 の 時 に 経 験 し た 冷 戦 の 崩 壊 で す。 世 界 は 変 わ る、 変 え る こ と が で き る と 実 感 し た 強 烈 な 経 験 で し た。 研 究 者 に な る こ と を 決 め た の も、 こ の 世 界 史 的 事 件が背景にあると思います。 ⑪ 推 薦 図 書 ……

James C. Scott, Weapons of the Weak: Everyday

Forms of Peasant Resistance, New Haven and London, Yale University Press, 1985.

参照

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