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宮沢賢治文学における地学的想像力 (8) : 応用編・「岩頸」意識について -〈現実〉と〈心象〉-

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(1)

︻ 論文 ︼

宮沢賢治文学

における

地学的想像力

応用編

: ﹁

岩頸

意識

について

︿

現実

︿

心象

本稿 は ﹁ 宮沢賢治文学 における 地学的想像力 ﹂ という テーマ の 下 に 企図 された 、 連作論文 の 一 つである 。 これまで 、 ︵ 一 ︶ ﹁ 基礎編 ・ 珪化木 ︵ Ⅰ ︶ 及 び 瑪瑙 ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学文学部第 21 -2号 ︶ 、 ︵ 二 ︶ ﹁ 基礎編 ・ 珪化木 ︵ Ⅱ ︶ ﹂ ︵ ﹁ 言語文化 ﹂ 第 20号 、 文教大学言語文化研究所 ︶ 、 ︵ 三 ︶ ﹁ 基礎編 ・︿ まごい 淵 ﹀ と ︿ 豊沢川 の 石 ﹀ ﹂ ︵ ﹁ 注文 の 多 い 土 佐料理店 ﹂ 第 12号 、 高知大学宮沢賢治研究 会 ︶ 、 ︵ 四 ︶ ﹁ 応用編 ・ 楢 ノ 木大学士 と 蛋白石 、 発展編 ・ ジャータカ と 地学 ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学文学部第 22 -1号 ︶ 、 ︵ 五 ︶ ﹁ 応用編 ・ 修羅意識 と 中生代白亜紀 ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学文 学部第 22 -2号 ︶ 、 ︵ 六 ︶ ﹁ 応用編 ・ 第三紀泥岩 と 影 ︱ 朔太郎的不安 との 類似性 ︱ ﹂ ︵ ﹁ 文教大学国文 ﹂ 第 38号 ︶ 、 ︵ 七 ︶ 基礎編 : ﹁ ︹ 地質調査 ルートマップ ︺ ﹂ の 検証 ︵ その 1 ︶ ︱ ﹁ 五間 ヶ 森 ﹂ とその 周辺 ︱ ﹂ ︵ ﹁ 文学部紀要 ﹂ 文教大学文学 部第 23 -1号 ︶ を 発表 している 。 本稿 では 、 賢治 テキスト にしばしば 見出 される ﹁ 岩頸 ﹂ の 語 に 着目 し 、 ﹁ 岩 頸 ﹂ という 地学用語 を 、 賢治 の ︿ 心象 ﹀ 世界 の 特異性 を 示 す マーカー として 捉 え 直 すことができるのではないかという 仮説 をたて 、 その 立証 を 試 みる 。 キーワー ド : 岩頸 、 心象 、 地学 、 沼森 、 南昌山

(2)

一 ︿ 伸 びるもの ﹀ としての ﹁ 岩頸 ﹂ ﹁ 歌稿 B、 № 240﹂︵ 大正四年四月 ︶ に 次 の 短歌 があ る 。 毒 ヶ 森 南昌山 の 一 つらは ふとおどりたちてわがぬかに 来 る 。 大正四年四月 は 、 賢治 が 盛岡高等農林 に 入学 した 時 期 である 。 賢治 の 立 ち 位置 が 不明 なためか 、 解釈 の 難 しい 作品 となっている 。﹁ 一 つら ﹂ という 表記 も 曖昧 である 。 その 上 で 私 は 、 毒 ヶ 森 、 南昌山 のうちの 一 つ が 突然踊 り 立 ち 、 伸 びるようにして 、 遠 く 離 れた 自分 の 額 に 向 かってくる 、 という 内容 の 短歌 と 読 みとって いるが 、 そうした 内容 であるとするなら 、 この 短歌 を 一般尋常 な 短歌 として 扱 うことはできない 。 ﹁ 大正三年四月 ﹂ に 見出 される 、 病的 と 判断 できる 短歌群 ︵ 具体例 は 拙論 ︵ 六 ︶﹁ 応用編 ・ 第三紀泥岩 と 影 ︱ 朔太郎的不安 との 類似性 ︱ ﹂ ﹁ 文教大学国文 ﹂ 第 38 号 を 参照願 いたい ︶ を 前提 とするならば 、 この 短歌 に 関 しても 、 実際 に 賢治 の 目 にはそのように 見 えたのだ と 判断 することが 、 もっとも 自然 であろう 。 次 に 引用 するのは ルイス ・ キャロル 著 ﹃ 不思議 の 国 の アリス ﹄︵ 田中俊夫訳 、 岩波少年文庫 より ︶ の ﹁ 涙 の 池 ﹂ の 章 である 。 ﹁ まあ 、 へんてこれんな !﹂ と アリス はさけびま した 。︵ あんまりおどろいたので 、 とっさのまに 正 しいことばづかいを 忘 れてしまったのです 。︶ ﹁ あたし 、 こんどは 世界一大 きい 望遠鏡 みたいに ぐんぐんのびてゆくわ ! 足 さん 、 さような ら !﹂︵ なぜって 、 アリス が 足 のほうを 見 おろす と 、 足 ははるかかなたに 遠 ざかってゆき 、 もうほ とんど 見 えないくらいでした 。︶ これを 視覚異常 と 捉 え 、﹁ 不思議 の 国 の アリス 症候 群

(Alice in Wonderland syndrome, AIWS)

と 呼 ぶこ とがある 。 一九五五年 に 精神科医 トッド ︵ John Todd ︶ により 名付 けられたもので 、 知覚 された 外界 のものの

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大 きさや 自分 の 体 の 大 きさが 通常 とは 異 なって 感 じら れる 状態 をいう 。 足 が 遠 く 伸 びていった アリス の 場合 は ︿ 小視 ﹀ の 状態 で ︵ 図 1 ︶、 山 が 額 に 伸 びてくると 感 じた 賢治 の 場合 は ︿ 大視 ﹀ の 状態 といえるだろう 。 その 原因 を 問 うことは 本稿 の 狙 いではないので 、 ここ では 精神科医 ・ 福島章 の 著 ﹃ 不思議 の 国 の 宮沢賢治 ︱ 天才 の 見 た 世界 ︱ ﹄︵ 日本教文社 、 平 8 ・ 8 ︶ を 紹介 するにとどめる 。 ︿ 少視 ﹀ にしろ ︿ 大視 ﹀ にしろ 、 視覚 の 変容 であり 、 今回 の 例 は 両例 とも ︿ 伸 びる ﹀ ということで 共通 する 。 アリス は 足 が 小 さく 見 えることにより 自分 の 身体 が 伸 びたと 認識 したと 考 えられ 、 賢治 の 場合山 が 大 きく 見 えることにより 、 山 が 伸 びたと 認識 したと 考 えられる のである 。 賢治作品 で 、 木 が 踊 りだしたりすることは 童話 ﹁ か しはばやしの 夜 ﹂ を 挙 げるまでもなく 、 決 して 珍 しい ことではない 。 電信柱 ですら 歩 きだす ︵ 童話 ﹁ 月夜 の でんしんばしら ﹂︶。 それにしても 、 なぜ ﹁ 毒 ヶ 森 ﹂ や ﹁ 南昌山 ﹂ といった 山 が 踊 り 立 ったのか 。 それを 、 賢治 の アニミズム 的傾向 として 分析 することや 、﹁ 不 思議 の 国 の アリス 症候群 ﹂ として 説明 することも 有効 な 方法 ではあるだろうが 、 賢治文学全体 を 視野 に 入 れ たとき 、 さらに 多面的 に 考察 しなければならない 複雑 さが 賢治 の テキスト には 存 するといわざるを 得 ないは ずだ 。 私 は 、 有効 と 思 われる 分析 の 一 つに 、 賢治 の ﹁ 地学 的想像力 ﹂ というものを 想定 しているが 、 本稿 では 特 に ﹁ 岩頸 ﹂ という 賢治 の 地学的 な 知見 を 視点 に 、 考察 図1 アリス(挿絵 ジョン・テニエル)

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を 進 めていきたい 。 ﹁ 毒 ヶ 森 / 南昌山 の 一 つらは / ふとおどりたちてわ がぬか に 来 る ﹂ という 短歌 において 、 毒 ヶ 森 、 南昌山 という 実在 の 山名 が 使用 されたことの 背景 には 、 おそ らく 地学的意味 がある 。 毒 ヶ 森 も 南昌山 も 賢治 が ﹁ 岩 頸 ﹂ と 捉 えていた 山 だということだ 。 そして 、 ﹁ 岩頸 ﹂ に 関 わって 、 特 に 重要 なことは 、 賢治 テキスト におい て ﹁ 岩頸 ﹂ は ︿ 伸 びる ﹀ ものとして 扱 われている 点 で ある 。 童話 ﹁ 楢 ノ 木大学士 の 野宿 ﹂ に 次 のような 箇所 があ る 。 ﹁ ははあ 、 あいつらは 岩頸 だな 。 岩頸 だ 、 岩頸 だ 。 相違 ない 。﹂ そこで 大学士 はいゝ 気 になって 、 仰向 けのまゝ 手 を 振 って 、 岩頸 の 講義 をはじめ 出 した 。 ﹁ 諸君 、 手 っ 取 り 早 く 云 ふならば 、 岩頸 といふの は 、 地殻 から 一寸頸 を 出 した 太 い 岩石 の 棒 である 。 その 頸 がすなはち 一 つの 山 である 。 えゝ 。 一 つの 山 である 。 ふん 。 どうしてそんな 変 なものができ たといふなら 、 そいつは 蓋 し 簡単 だ 。 えゝ 、 こゝ に 一 つの 火山 がある 。 熔岩 を 流 す 。 その 熔岩 は 地 殻 の 深 いところから 太 い 棒 になってのぼって 来 る 。 火山 がだんだん 衰 へて 、 その 腹 の 中 まで 冷 え てしまふ 。 熔岩 の 棒 もかたまってしまふ 。 それか ら 火山 は 永 い 間 に 空気 や 水 のために 、 だんだん 崩 れる 。 たうとう 削 られてへらされて 、 しまひには 上 の 方 がすっかり 無 くなって 、 前 のかたまった 熔 岩 の 棒 だけが 、 やっと 残 るといふあんばいだ 。 こ の 棒 は 大抵頸 だけを 出 して 、 一 つの 山 になってゐ る 。 それが 岩頸 だ 。 ははあ 、 面白 いぞ 、 つまりそ のこれは 夢 の 中 のもやだ 、 もや 、 もや 、 もや 、 も や 。 そこでそのつまり 、 鼠 いろの 岩頸 だがな 、 そ の 鼠 いろの 岩頸 が 、 きちんと 並 んで 、 お 互 に 顔 を 見合 せたり 、 ひとりで 空 うそぶいたりしてゐるの は 、 大変 おもしろい 。 ふふん 。﹂ それは 実際 その 通 り 、 向 ふの 黒 い 四 つの 峯 は 、 四人兄弟 の 岩頸 で 、

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だんだん 地面 からせり 上 って 来 た 。 楢 ノ 木大学士 の 喜 びやうはひどいもんだ 。 ﹁ ははあ 、 こいつらは ラクシャ ン の 四人兄弟 だな 。 よくわかった 。 ラクシャン の 四人兄弟 だ 。 よしよ し 。﹂ 注文通 り 岩頸 は 丁度胸 までせり 出 して ならんで 空 に 高 くそびえた 。 ﹁ 岩頸 ﹂ に 関 し 、 賢治 は 楢 ノ 木大学士 の 口 を 借 り 、 かなり 正確 な 解説 を 書 き 込 んでいる 。﹁ えゝ 、 こゝに 一 つの 火山 がある ﹂ から ﹁ それが 岩頸 だ ﹂ までが ﹁ 岩 頸 ﹂ の 地学的解説 に 当 たる 。﹁ 手 っ 取 り 早 く 云 ふなら ば 、 岩頸 といふのは 、 地殻 から 一寸頸 を 出 した 太 い 岩 石 の 棒 である ﹂ という 表現 もある 。 さらに 見落 としてならないことは 、 この ﹁ 岩頸 ﹂ た ちは ︿ 伸 びている ﹀ ということである 。﹁ それは 実際 そ の 通 り 、/ 向 ふの 黒 い 四 つの 峯 は 、/ 四人兄弟 の 岩 頸 で 、/ だんだん 地面 からせり 上 って 来 た ﹂。﹁ 注文 通 り 岩頸 は / 丁度胸 までせり 出 して / ならんで 空 に 高 くそびえた ﹂。 この テキスト において 、 ﹁ 岩頸 ﹂ が ︿ 伸 びる ﹀ のは 、 夢 の 中 での 出来事 ということになっている 。 楢 ノ 木大 学士 が テキスト 上 で 見 ている ︿ 現実 ﹀ は 通常 の ﹁ 岩頸 ﹂ ︵﹁ 四 つの 峯 ﹂︶ であるのに 対 し 、 夢 の 中 の ﹁ 岩頸 ﹂ は 、︿ 伸 びた ﹀﹁ 四 つの 峯 ﹂ である 。 次 の 引用 は ﹁ 第一夜 ﹂ の 末尾 である 。 ここでは 作品 の 視点 が ﹁ 岩頸 ﹂ 側 にあり 、 いわば ︿ 実在 する 夢 の 世 界 ﹀ を 感 じさせる 仕組 みに なっている 。 ﹁ そんなら 結構 だ 、 さあもう 兄 さんたちはよくお やすみだ 。 楢 ノ 木大学士 と 云 ふやつもよく 睡 って ゐる 。 さっきから 僕等 の 夢 を 見 てゐるんだぜ 。﹂ すると ラクシャン 第四子 が ずるさうに 一寸笑 ってかう 云 った 。 ﹁ そんなら 僕一 つおどかしてやらう 。﹂ 兄 の ラクシャン 第三子 が ﹁ よせよせいたづらするなよ ﹂ と 止 めたが いたづらの 弟 はそれを 聞 かずに

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光 る 大 きな 長 い 舌 を 出 して 大学士 の 額 をべろりと 嘗 めた 。 大学士 はひどくびっくりして それでも 笑 ひながら 眼 をさまし 寒 さにがたっと 顛 へたのだ 。 いつか 空 がすっかり 晴 れて まるで 一面星 が 瞬 き まっ 黒 な 四 つの 岩頸 が たゞしくもとの 形 になり じっとならんで 立 ってゐた 。 ここの 引用 では 、 特 に ﹁ 光 る 大 きな 長 い 舌 を 出 して / 大学士 の 額 をべろりと 嘗 めた ﹂の 表現 に 注目 したい 。 楢 ノ 木大学士 の 視点 で 構図 を 分析 した 場合 、 大学士 は 自分 の 方 に 伸 びてきた 岩頸 によって 額 をべろりと 嘗 め られた 、 ということになるはずだ 。 この 構図 は 、 冒頭 引用 した 短歌 ﹁ 毒 ヶ 森 / 南昌山 の 一 つらは / ふとおど りたちてわがぬかに 来 る ﹂ と 同 じである 。 ということ は 、 楢 ノ 木大学士 の 夢 の 中 での 体験 は 、 ︿ 伸 びる ﹀ ﹁ 岩 頸 ﹂ として 、 賢治自身 の 体験 が 作中 に 取 り 入 れられた 結果 ということになる 。 二 ︿ 心象 ﹀ としての ﹁ 岩頸 ﹂ ︿ 心象 ﹀ の 語 は 、︿ 心象 スケッチ ﹀ という 語 ととも に 、 詩集 ﹃ 春 と 修羅 ﹄︵ 大正 13・ 4 ︶ や 童話集 ﹃ 注文 の 多 い 料理店 ﹄︵ 大 13・ 12︶ 段階 からの 使用 であり 、 それ 以前 に 作 られた 短歌作品 に 見出 すことはできない 。 しかし 、 短歌中 に 指摘 できる 視覚異常体験 ︵﹁ 不思議 の 国 の アリス 症候群 ﹂︶ を 伴 った 短歌 は 、 おそらく 先 駆的 な ︿ 心象 ﹀ の ︿ スケッチ ﹀ と 位置 づけて 差 し 支 え ないと 私 は 考 えている 。 青春時代 ︵ 盛岡中学 ・ 盛岡高 等農林 ︶ に 書 き 留 められた 短歌 の 幾 つもの 素材 が 、 後 の 詩 や 童話 、 さらに 文語詩 にまで ジャンル を 超 え 引 き 継 がれたことの 理由 も 、 そこにあるといえると 思 う 。 童話 ﹁ 烏 の 北斗七星 ﹂、 童話 ﹁ ガドルフ の 百合 ﹂ など が 好例 である 。 また 、 葛丸川 の 調査 の 際 に 作 られたと 推定 される 短歌 ︵ ﹁ 歌稿 A﹂ № 668、 大正七年五月以降 ︶ ﹁ ほしぞらは シ 静 ヅ にめぐるをわがこゝろあやしきもの に 囲 まれて 立 つ ﹂ は 、 童話 ﹁ 楢 ノ 木大学士 の 野宿 ﹂ の

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原点 を 示 している 。 特 にここでは 、 短歌 と 文語詩 をつなぐものとして 、 ﹁ 岩頸列 ﹂︵﹁ 文語詩一百篇 ﹂︶ に 注目 したい 。 変形 の 三連仕立 てで 、 内容的 には 第一 連 は 第三連 に 接続 し 、 それを 断 ち 切 るように 第二連 が 挿入 されていると 見 る ことができる 。 内容 が 奇妙 で 、 解釈 に 戸惑 う 点 も 多 く ある 。 特 に 第二連 の 存在 がこの 文語詩 の 解釈 を 難解 に している 。 とはいえ 、 分 かりにくいところに 賢治文学 の 本質 が 垣間見 えることも 多 々 あるので 、 あえて 、 第 二連 を 考察 の 対象 としたい 。 西 は 箱 ヶ と 毒 どく ヶ 森 、 椀 コ 、 南昌 、 東根 の 、 古 き 岩頸 ネ ツ ク の 一列 に 、 氷霧 あえかのまひるかな 。 からくみやこにたどりける 、 芝雀 は 旅 をものがたり 、 ﹁ その 小屋掛 けのうしろには 、 寒 げなる 山 によきによきと 、 立 ちし ﹂ とばかり 口 つぐみ 、 とみにわらひにまぎらして 、 渋茶 をしげにのみしてふ 、 そのことまことうべなれや 。 山 よほのぼのひらめきて 、 わびしき 雲 をふりはらへ 、 その 雪尾根 をかゞやかし 、 野面 のうれひを 燃 し 了 おほ せ 。 ﹁ 毒 ヶ 森 / 南昌山 の 一 つらは / ふとおどりたちてわ がぬかに 来 る ﹂ と 比較 した 場合 、まず 見 て 取 れるのは 、 毒 ヶ 森 、 南昌山 という 山 の 名 が 共通 している 点 である 。 文語詩 ﹁ 岩頸列 ﹂ の 場合 、 毒 ヶ 森 、 南昌山 は 岩頸列 の 一 つとして 、 箱 ヶ ︵ 森 ︶ 、 ど 毒 く ヶ 森 、 椀 コ 、 南昌 ︵ 山 ︶ 、 東根 ︵ 山 ︶ の 中 に 付置 されている 。 地学的 に 見 た 場合 これらの 岩頸列 が 本当 にすべて ﹁ 岩頸 ﹂ なのか 、 地質図 で 判断 する 限 りでは ﹁ 岩頸 ﹂ とはいえない 山 も 含 まれていると 思 われる 。 そこで 本 稿 では 、 とりあえず 、 代表的 な ﹁ 岩頸 ﹂ と 見 られ る 南 昌山 に 的 をしぼり 考察 することにする 。 南昌山 は 江戸時代 に ﹁ 日本名山図会 ﹂ の 一 つとして 描 かれ ︵ 図 2 ︶、 かつ 近年登山 コース が 整備 され 、 比 較的容易 に 頂上 に 立 つことができる 山 である 。

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実地調査 の 結果確認 できたことは 、 南昌山 ︵ 写真 1 ︶ は 基本的 には 石英安山岩 ︵ デイサイト ︶︵ 写真 2 ・ 顕 微鏡写真 1 ︶ から 成 る 山 だということである 。 ただ 、 裾野付近 は 流紋岩質凝灰岩 ︵ 写真 3 ︶ に 覆 われており 、 はっきりとした 石英安山岩 ︵ デイサイト ︶ の 露頭 を 確 認 するためには 五合目以上 に 登 らなけ ればならないだ ろう 。 石英安山岩 ︵ デイサイト ︶ は 二酸化 ケイ 素 を 63∼ 70 パーセント 程度含 む 岩石 で 、 流紋岩 に 次 いで 粘性 のあ る マグマ が 固 まったものである 。 また 、 周囲 の 流紋岩 質凝灰岩 は 男助層 と 呼 ばれる 凝灰岩層 である 。 南昌山 の 形成過程 であるが 、 凝灰岩層 を 突 き 破 って 南昌山 の マグマ が 上 がってきたのか 、 南昌山 の 形成後 凝灰岩層 に 覆 われたのか 、 現時点 では 明確 でない 。 た だ 、 凝灰岩層 の 風化 は 石英安山岩 ︵ デイサイト ︶ に 比 べかなり 早 く 進 むため 、 南昌山 が ﹁ 岩頸 ﹂ らしく 見 え ることになる 。 実際 、 南昌山 を ﹁ 岩頸 ﹂ と 呼 ぶことに 問題 はな いようである 。 なお 、 加藤貞一 は ﹃ 宮沢賢治 の 地的世界 ﹄︵ 愛智出 版 、 平 18・ 11︶ で 、 南昌山 に 関 し 地学的 な 説明 を 施 し 図2 南昌山の絵図(日本名山図会)

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ているが 、 間違 いが 多 いのでここに 指摘 しておく 。 加 藤 は 南昌山 の 中腹 から 採取 したという 流紋岩質凝灰角 礫岩 の 写真 を 提示 しつつ 、 一方 で 、﹁ 南昌山 の 大部分 は 流紋岩 です ﹂ と 述 べ 、 さらには 、﹁ 南昌山山頂部 は デイサイト 質 といわれるので 、﹃ これはこれ 安山岩 の 岩頸 にして ﹄ というのもあながち 間違 いではありませ ん ﹂ と 、 説明 にまったく 一貫性 がない 。 問題点 だが 、 まず 、 加藤 の 引用 する ﹁ これはこれ 安 山岩 の 岩頸 にして ﹂ の 元 となる 短歌 ﹁ いまははやたれ か 惑 はんこれはこれ 安山岩 の 岩頸 にして ﹂ ︵ ﹁ 歌稿 A、 № 336﹂、 大正五年七月 ︶ は 、﹁ 石 ヶ 森 ﹂ を 歌 ったもの で 、 南昌山 のことではない 。 また 、﹁ 南昌山 の 大部分 は 流紋岩 です ﹂ という 説明 も 間違 いで 、 南昌山自体 は 変質 デイサイト ︵ 石英安山岩 ︶ を 主体 とした 山 で 、 流 紋岩 は 調査 した 範囲 ではどこにも 存在 していない 。 確認 できるのは 、 山 の 中腹 より 下 で 、 デイサイト を 覆 うように 存在 する 流紋岩質 の 凝灰岩 である 。 地学 の 専門家 である 加藤 が 、 火山岩 である 流紋岩 と 堆積岩 で ある 凝灰岩 を 取 り 違 えるはずはなく 、 疑問 は 増 すばか りだが 、 加藤 が 採取 したものは 決 して 南昌山 それ 自体 からのものではない 。 おそらく 、 加藤 は 南昌山 の 麓 ︵ 南 昌神社付近 ・ 男助層 ︶ を 観察 しただけと 思 われる 。 も し 加藤 が 中腹 から 採取 した 流紋岩質凝灰角礫岩 を 、 南 昌山 を 成 す 主 たる 岩石 だとするなら 、 マグマ の 塊 であ るはずの ﹁ 岩頸 ﹂ の 定義 から 南昌山 は 大 きく 外 れるこ とになる 。 南昌山 は デイサイト ︵ 石英安山岩 ︶ の 山 だからこそ 、 賢治 は ︿ 岩頸 ﹀ と 呼 んだのである 。 むろん 、 流紋岩 で も ︿ 岩頸 ﹀ を 形成 するが 、 南昌山 の 場合 には 当 てはま らない 。 さて 、︿ 岩頸列 ﹀ の 一 つ 南昌山 が ﹁ 岩頸 ﹂ であり 、 また 、 他 の 山 々 も 賢治 が 記 すように ﹁ 岩頸 ﹂ であった として 、 そのことが 文語詩 ﹁ 岩頸列 ﹂ の 成立 、 解釈 に どのような 意味 をもつのか 。 私 の 問題意識 からいえば 、﹁ 山 によきによきと 、 立 ちし ﹂ をどのように 解釈 するかが 重要 となる 。 一般的 には 、 村上英一 が ﹃ 宮沢賢治 文語詩 の 森 ﹄ ︵ 柏書房 、 平 9 ・ 6 ︶ で 記 したように 、︿ 客 の 不入 り ﹀ に 関 わる うらぶれた 感 じを 表現 したものと 捉 えるのが 妥当 とい えるだろう 。

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ただ 、 第二連 は 、 第一連 、 第三連 と 異 なり 、 ︿ 現実 ﹀ の ︿ 岩頸列 ﹀ を 描写 したものではなく 、 伝聞 の 形式 を とっている 。 つまりあえて 伝聞 の 形式 をとった 意図 と いうものがあったはずで 、 私 はそれを 、﹁ 芝雀 ﹂ が 体 験 した ︿ 禍 々 しき 事 ﹀ と 解釈 できるのではないかと 考 えている 。 つまり 、 真 の 理由 は 、﹁ 小屋掛 け ﹂ のうしろの ︿ 岩 頸列 ﹀ が 、﹁ によきによきと 、 立 ちし ﹂ ことにあった のである 。 山 が ﹁ 立 ちし ﹂ とは 、︿ 伸 びた ﹀ ことであ り 、 前章 で 確認 した 童話 ﹁ 楢 ノ 木大学士 の 野宿 ﹂ での 、 ﹁ だんだん 地面 からせり 上 って 来 た ﹂ や ﹁ 丁度胸 まで せり 出 して ﹂ に 相当 する 表現 と 判断 したい 。 同作品 には 、﹁ 楢 ノ 木大学士 の 喜 びやうはひどいも んだ ﹂ といった 楽 しげな 表現 も 見出 され 、 一見 、 文語 詩 ﹁ 岩頸列 ﹂ 第二連 を ︿ 禍 々 しき 事 ﹀ と 読 むことの 傍 証 とするにふさわしくないと 思 われるかもしれない 。 しかし 、 岡村民夫 が ﹃ イーハトーブ 温泉学 ﹄︵ みすず 書房 、 平 20・ 7 ︶ で 、﹁ 楢 ノ 木大学士 の 野宿 ﹂ 第三夜 の 恐竜 の 長 い 頸 と 第一夜 の ﹁ 岩頸 ﹂ との イメージ の 関 連性 を 指摘 しており 、 私 の 解釈 の 可能性 を 後押 しして いるように 思 う 。 自分 の 額 の 前 に 迫 りくる 恐竜 の 長 い 頸 が 大学士 にとって ︿ 禍 々 しき 事 ﹀ に 他 ならないとす れば 、﹁ 岩頸 ﹂ が ︿ 伸 びる ﹀ ことも ︿ 禍 々 しき 事 ﹀ の 範疇 だろう 。 童話 ﹁ 楢 ノ 木大学士 の 野宿 ﹂ は 、 本来 ︿ 禍 々 しき 事 ﹀ を ユーモア に 包 んで 物語化 した 作品 と 考 えら れる 。 ﹁ 芝雀 ﹂ は 、 おそらく 、 ﹁ 小屋掛 け ﹂ のうしろの ︿ 岩 頸列 ﹀ が ﹁ によきによきと 、 立 ちし ﹂ ことに 驚 き 、 み やこに 逃 げ 帰 ったのである 。 そのような 解釈 に 立 った とき 、 はじめて 、 ﹁ みやこ ﹂ に 帰 った ﹁ 芝雀 ﹂ の 、 ﹁ 口 つぐみ ﹂﹁ とみにわらひにまぎらして ﹂ といった 負 の 反応 に 対 し 、 書 き 手 が ﹁ そのことまことうべなれや ﹂ と 追認 することの 整合性 も 見 えてくるのである 。 文語詩 ﹁ 岩頸列 ﹂ の 第一連 ・ 第三連 は ︿ 現実 ﹀ とし ての ﹁ 岩頸 ﹂ であり 、 第二連 は ︿ 心象 ﹀ としての ﹁ 岩 頸 ﹂ といえるのでないだろうか 。 賢治 の ︿ 心象 ﹀ 体験 が ﹁ 芝雀 ﹂ を 通 じ 再現 されているとの 判断 である 。

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三 ︿ いかり ﹀ と ﹁ 岩頸 ﹂ ﹁ 初期短編綴等 ﹂ として 纏 められた 小品群 の 一 つに ﹁ 沼森 ﹂ という 作品 がある 。﹁ 沼森 ﹂ は 盛岡市 の 北東 部岩手郡滝沢村 に 位置 する 582㍍ の 山 で 、 晴 れていれば 岩手山 が 間近 に 見 える 場所 にある ︵ 写真 4 ︶。 本文 に 登場 する ﹁ 大森 ﹂﹁ 石 ヶ 森 ﹂ も 実在 の 山 で 、 ほぼ 同 じ 区域 に 存在 している 。 ﹁ 沼森 ﹂ という 作品 も 実 に 不思議 な 内容 を 有 してい る 。 しかし 、 これまで 、 ほとんど 研究 の 対象 とされる ことはなかった 。 本稿 では ﹁ 岩頸 ﹂ に 関 わる 重要 な 作 品 と 位置 づけており 、 ご く 短 い 作品 でもあるので 、 全 文 を 引用 する 。 石 ヶ 森 の 方 は 硬 くて 瘠 せて 灰色 の 骨 を 露 はし 大森 は 黒 く 松 をこめぜいたくさうに 肥 ってゐる が 実 はどっちも 石 英 サ 安 イ 山 岩 だ 。 丘 はうしろであつまって 一 つの 平 らをこしら へる 。 もう 暮 れ 近 く 草 がそよぎ 防火線 もさびしいの だ 。 地図 をたよりもさびしいことだ 。 沼森平 といふものもなかなか 広 い 草 っ 原 だ 。 何 でも 早 くまはって 行 って 沼森 のやつの 脚 にかゝ りそれからぐるっと 防火線沿 ひ 、 帰 って 行 って 麓 の 引湯 にぐったり 今夜 は 寝 てやるぞ 。 何 といふこれはしづかなことだらう 。 落 ラ リ 葉 ク 松 など 植 えたもんだ 。 まるでどこかの 庭 ま へだ 。 何 といふ 立派 な 山 の 平 だらう 。 草 は 柔 らか 向 ふの 小松 はまばらです 、 そらはひろびろ 天 も 近 く 落 ラ リ 葉 ク 松 など 植 えたもんだ 。 はてな 、 あいつが 沼森 か 、 沼森 だ 。 坊主頭 め 、 山山 は 集 ひて 青 き 原 をなすさてその 上 の 丘 のさ びしさ 。 ふん 。 沼森 め 。 これはいかんぞ 。 沼炭 だぞ 、 泥炭 があるぞ 、 さ てこそこの 平 はもと 沼 だったな 、 道理 でむやみに 陰気 なやうだ 。 洪積 ごろの 沼 の 底 だ 。 泥炭層 を 水 がちょろちょろ 潜 ってゐる 。 全体 あんまり 静 かす ぎる 、 おまけに 無暗 に 空 が 暗 くなって 来 た 。 もう 夕暮 も 間近 いぞ 。 柏 の 踊 りも 今時 だめだ 、 まばら の 小松 も 緑青 を 噴 く 。

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沼森 がすぐ 前 に 立 ってゐる 。 やっぱりこれも 岩 頸 だ 。 どうせ 石英安山岩 、 いやに 響 くなこいつめ は 。 いやに カンカン 云 ひやがる 。 とにかくこれは 石 ヶ 森 とは 血統 が 非常 に 近 いものなのだ 。 それはいゝがさ 沼森 めなぜ 一体坊主 なんぞに なったのだ 。 えいぞっとする 気味 の 悪 いやつだ 。 この 草 はな 、 この 草 はな 、 こぬかぐさ 。 風 に 吹 か れて 穂 を 出 して 烟 って 実 に 憐 れに 見 えるぢゃな いか 。 なぜさうこっちをにらむのだ 、 うしろから 。 何 も 悪 いことしないぢゃないか 。 まだにらむの か 、 勝手 に しろ 。 柏 はざらざら 雲 の 波 、 早 くも 黄 びかりうすあか り 、 その 丘 のいかりはわれも 知 りたれどさあらぬ さまに 草 むしり 行 く 、 もう 夕方 だ 、 はて 、 この 沼 はまさか 地図 にもある 筈 だ 。 もしなかったら 大 へ んぞ 。 全 く 別 の 世界 だぞ 、 気 を 落 ちつけて ︵ 黄 のひかり ︶ あるある 、 ある には 有 るがあの 泥炭 をつくったやつの 甥 か 孫 だ ぞ 、 黄 のひかりうすあかり 鳴 れ 鳴 れかしは 。 実 はこの 作品 は 注意深 く 読 むと 、 世界構造 が 微妙 だ が 二重 になっていることが 分 かる 。 二 つの 世界 の 存在 が 前提 となり 、 賢治 と 思 しき 人物 と 沼森 との 関係性 と が 成 り 立 っているのである 。 すな わち ︿ 現実 ﹀ 世界 と ︿ 心象 ﹀ 世界 の 存在 である 。 ただ 、 書 き 手 にとって ︿ 現 実 ﹀ 世界 は ︿ 心象 ﹀ 世界 に 包含 されているような 認識 システム がとられている 。 したがって 読者 は 、 常 に 書 き 手 の ︿ 心象 ﹀ 世界 から ︿ 現実 ﹀ 世界 を 覗 く 仕組 みに なっている 。 世界構造 の 二重性 という 点 からいえば 、 この 作品 は 、 童話 ﹁ インドラ の 網 ﹂ のような ︿ 異世界 への 紛 れ 込 み ﹀ を 扱 った 作品 の 一 つとして 位置 づけることができる 。 ﹁ はて 、 この 沼 はまさか 地図 にもある 筈 だ 。 もしなか ったら 大 へんぞ 。 全 く 別 の 世界 だぞ ﹂ と 恐 れる 賢治 ら しき 主人公 は 、 地図 に ﹁ 沼 ﹂ の 記載 されてい ることを 確認 し 、 自分 のいる 世界 が ︿ 現実 ﹀ 世界 であることに ほっとするのである 。 この 作品 のさらに 興味深 いところは 、 沼森 が ︿ いか り ﹀ の 感情 を 持 っているということである 。﹁ 沼森 ﹂ に 関 しては ﹁ 歌稿 A、 № 337﹂︵ 大正五年七月 ︶ に 、 そ

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の 原形 を 見出 すことができる 。 この 丘 のいかりはわれも 知 りたれどさあらぬ さまに 草穂摘 み 行 く この 短歌 は 、 ﹁ 丘 のいかり ﹂ の モチーフ が 、 作品 ﹁ 沼 森 ﹂ の 成立 に 欠 かすことのできない 条件 として 当初 よ り 存在 していたことを 明 らかにしている 。 それにして も 、﹁ 丘 のいかり ﹂ とは 何 か 、 今 ここで 答 え を 提示 す ることはできないが 、 沼森 が ﹁ 岩頸 ﹂ であることと 、 ︿ いかり ﹀ をもった 存在 であることとが 、 繋 がってい るのではないか 、 という 推定 を 提示 しておく 。 沼森 がすぐ 前 に 立 ってゐる 。 やっぱりこれも 岩 頸 だ 。 どうせ 石英安山岩 、 いやに 響 くなこいつめ は 。 いやに カンカン 云 ひやがる 。 とにかくこれは 石 ヶ 森 とは 血統 が 非常 に 近 いものなのだ 。 賢治 は 沼森 や 石 ヶ 森 ︵ 写真 5 ︶ を 、 石英安山岩 から なる ﹁ 岩頸 ﹂ と 見 ている 。 また 、 詩 ﹁ 小岩井農場 ﹂ 下 書 、 第五綴 の 中 で 、﹁ 鞍掛山 ﹂ にふれた 詩句 だが ﹁ あ れはきっと / 南昌山 や 沼森 の 系統 だ / 決 して 岩 手火山 に 属 しない 。/ 事 によったらやっぱり / 石英安山岩 か もしれない ・ ・ ・ ﹂ と 記 しており 、 やはり ﹁ 沼森 ﹂ と 、 新生代第四紀 の 噴出 である 岩手山 との 違 いを 強 く 意識 していたことが 確認 される 。 おそらく 、 賢治 は ﹁ 岩頸 ﹂ の 形成 を 、 新生代第三紀 の 火山活動 に 因 るものと 認識 していたのである 。 沼森 が ﹁ 岩頸 ﹂ であるという 賢治 の ︿ 現実 ﹀ 世界 で の 地学的知見 は 、﹁ 岩頸 ﹂ が ︿ 伸 びる ﹀ 存在 であると 同時 に ︿ いかり ﹀ をもった 存在 であることをも 、︿ 心 象 ﹀ 世界 において 可能 にしているのではないだろうか 。 四 ︿ テキスト の 揺 れ ﹀ と ﹁ 岩頸 ﹂ 次 の 二 つの 短歌 を 比 べてみる 。 石 ヶ 森 ﹁ 歌稿 A、 № 336﹂︵ 大正五年七月 ︶ いまははやたれか 惑 はんこれはこれ 安山岩 の 岩

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頸 にして 石 ヶ 森 ﹁ 歌稿 B、 № 336﹂︵ 大正五年七月 ︶ こゝに 立 ちて 誰 か 惑 わん これはこれ 岩頸 なせる 石 英 ー 安 なり 歌稿番号 が 同 じということは 、 基本的 にこの 二 つの 作品 が 同 じものであることを 意味 している 。 ﹁ 歌稿 A﹂ と ﹁ 歌稿 B﹂ とは 推敲 の 前 と 後 に 喩 えられるかもしれ ない 。 それにしても 不思議 なのは 、﹁ 石 ヶ 森 ﹂ の 岩質 が 、﹁ 歌稿 A﹂ では ﹁ 安山岩 ﹂ であるのに 対 し 、﹁ 歌 稿 B﹂ では ﹁ 石 ﹂ と 表記 されていることであ る 。 ﹁ 歌稿 A﹂ が ﹁ 歌稿 B﹂ より 古 い 成立 ︵ 書 き 写 し ︶ であることは 確 かなので 、 まず 考 えられることは 、 賢 治 ははじめ ﹁ 石 ヶ 森 ﹂ を ﹁ 安山岩 ﹂ の 山 と 判断 してい たが 、 その 後何 かの 機会 に 石 であることが 判 明 し 、 そのため ﹁ 歌稿 B﹂ の 段階 で 書 き 直 したという 推定 である 。 しかし 、 この 推定 は 当 てはまらないだろう 。 なぜな ら 、 賢治 は 大正五年 ︵ 盛岡高等農林二年 ︶ の 夏期実習 での 地質調査 ︵ 大正六年一月 に ﹁ 盛岡附近地質調査報 文 ﹂ として 地質図 とともに 完 成 ︶ の 段階 で 、 ﹁ 石 ヶ 森 ﹂ を 石 英 ー 安 として 判断 しているからである 。 ﹁ 石英 安山岩 ﹂ の 項目 に 、﹁ 図幅 の 北西隅石 ヶ 森付近 に 稍 々 広 く 現出 し 灰白色 なる 石基中 に 斜長石石英及 び 疎 に 稍 大 なる 黒色 の 輝石 を 散点 す ﹂ と 記述 されており 、 かな り 早 くから 賢治 は ﹁ 石 ヶ 森 ﹂ を 石英安山岩 の 山 と 判断 していたことが 分 かる 。 安山岩 と 石英安山岩 との 違 い は 、 見 かけでの 観察 の 場合 、 石英 の 結晶 が 観察 される か 否 かで 区別 されることが 多 い 。 賢治 は 報告書 から 分 かるように 石英 の 結晶 の 存在 を 確認 しており 、 石英安 山岩 と 判断 したのだろう 。 実際 に ﹁ 石 ヶ 森 ﹂ の 頂上付近 の 岩石 を 採取 、 観察 し てみると 、 見 かけは 安山岩 である ︵ 写真 6 ︶ 。 そこで 、 より 確実 な 知見 を 得 るために 、 考古石材研究所 の 柴田 徹氏 に プレパラート の 作成 と 偏光顕微鏡 による 観察 を 依頼 した ︵ 南昌山 の プレパラート の 作成 も 同氏 による ︶ 。 その 結果 は 、 石英 が 確 かに 存在 しており ︵ 顕微鏡写真 2 ︶ 、 賢治 の 観察自体 に 間違 いのなかったことを 示 し

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ている 。 ただ 、 石英 の 結晶 の 総量 が 少 なく 、 柴田氏 の 判断 では 、 一般的 には 安山岩 と 名 づけられるだろうと いうことであった 。 ﹁ 沼森 ﹂ も 同様 で 安山岩 ︵ 写真 7 ︶ と 見 られるが 、 やはり 石英 の 結晶 を 確認 することがで きる ︵ 顕微鏡写真 3 ︶。 したがって 、 沼森 がすぐ 前 に 立 ってゐる 。 やっぱりこれも 岩頸 だ 。 どうせ 石英安山岩 、 いやに 響 くなこいつめは 。 いやに カンカン 云 ひやがる 。 とにかくこれは 石 ヶ 森 とは 血統 が 非常 に 近 いものなのだ 。 という 先 に 引用 した 右 の 表現 も 、 地学的 に 的 を 射 た ものだということが 証明 される 。 ﹁ 石 ヶ 森 ﹂ に 関 し 、 賢治 は 最初 の 段階 から 石 と 判断 していたことはほぼ 確実 で 、 だとするならば 、 残 された 可能性 は 筆写 ミス である 。﹁ 歌稿 A﹂ は 、 そ の 大部分 が 妹 トシ による 筆写 と 判断 される ので 、﹁ 安 山岩 ﹂ と 書 かれたのは 、﹁ 歌稿 A﹂ 段階 での 妹 トシ の 筆写 ミス であり 、﹁ 歌稿 B﹂ の 段階 で 賢治 により 、 正 しく 石 に 直 された 、 という 推定 である 。 ただ 、 筆写 ミス は 可能性 としては 残 るとはいえ 、 考 えにくいことでもある 。 もし 筆写 ミス でないと 仮定 し 、 考察 を 進 めるなら 、 そこから 、 賢治 の ﹁ 岩頸 ﹂ 意識 に 関 わる ︿ テキスト の 揺 れ ﹀ という 問題 を 取 り 出 すこと ができるのではないかと 考 えている 。 ここでも 結論的 なことを 述 べることはできないが 、 次 に 挙 げる 詩 に 見 られる ︿ テキスト の 揺 れ ﹀ と 比較 し てみることは 、 賢治 の テキスト の 成立 を 考察 する 上 で 、 何 らかの 切 り 口 になるかもしれない 。 前稿 の ﹁ ︵ 七 ︶ 基礎編 : ﹁ ︹ 地質調査 ルートマップ ︺ ﹂ の 検証 ︵ その 1 ︶ ︱ ﹁ 五間 ヶ 森 ﹂ とその 周辺 ︱ ﹂ ︵ ﹁ 文 学部紀要 ﹂ 文教大学文学部第 23 -1号 ︶﹂ で 扱 ったこ とだが 、 詩 ﹁ 風景 と オルゴール ﹂︵﹁ 春 と 修羅 ﹂ 第一 集 ︶ に 描 かれる 松倉山 と 五間森 の 場合 にも 、︿ テキス ト の 揺 れ ﹀ が 指摘 できるのである 。 繰 り 返 しになるので 全体 の 引用 は 避 けるが 、 まずは ﹁ 松倉山 や 五 け 間 ん も 森 り 荒 っぽい 石 英 サ 安 イ 山 岩 の 岩頸 ﹂ という 箇所 に 注目 しておきたい 。 字句 のまま 解釈 するなら 、 松倉山 や 五間森 は ﹁ 石 英 サ 安 イ 山 岩 ﹂ でできた ﹁ 岩頸 ﹂ だ 、 ということになる 。

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まず 第一 に 、 松倉山 は ﹁ 石 英 サ 安 イ 山 岩 ﹂ の 山 でないこ とを 確認 しておく 。﹁ 松倉山 ﹂ は シルト 質凝灰岩 であ る 。 正確 を 期 すため 山 の 様 々 の 箇所 から 複数 の 標本 を 採取 し プレパラート も 依頼 し 作成 したが 、 判定結果 は 同 じであった 。 実 は ﹁ 風景 と オルゴール ﹂ の 次 に 置 かれている 詩 ﹁ 風 の 偏奇 ﹂ には 、﹁ おゝ 私 のうしろの 松倉山 には 用意 さ れた 一万 の 珪化流紋凝灰岩 の 弾塊 があり ﹂ という 表現 がある 。﹁ 珪化流紋凝灰岩 ﹂ というのは 、︿ 珪化作用 を 受 け 硬 くなった 流紋岩質 の 凝灰岩 ﹀ ということであ り 、 柴田徹氏 が 鑑定 した ﹁ シルト 質凝灰岩 ﹂ と 同 じで ある 。﹁ シルト ﹂ は 粒子 の 大 きさを 示 す 言葉 である 。 賢治 はなぜ 、 松倉山 を 石 安 イ 山 岩 と 記 したのか 、 大 きな 問題 である 。 第二 に 、 五間森 も ﹁ 石 英 サ 安 イ 山 岩 ﹂ の 山 ではない 。 五 間森 は 賢治 が 実地調査 した ﹁ ︹ 地質調査 ルートマップ ︺ ﹂ に 、 賢治自身 ﹁ Lip. ﹂ ( リパライト の 略 で 流紋岩 のこと ) と 記 している 。 賢治 はなぜ 五間森 を ﹁ 石 英 サ 安 イ 山 岩 ﹂ の 山 としたのか 、 地学的見地 からいえば 明 らかな 誤謬 で ある 。 五間 森 が 流紋岩 であることは 、 前稿 で 確認 して いることである 。 このような ︿ テキスト の 揺 れ ﹀ がなぜ 生 じたのか 。 地学者 ・ 宮沢賢治 という 視点 を 取 るかぎり 、 解 けない 謎 として 残 ることになるだろう 。 ここで 仮説的 に 提示 できることは 、 このような ︿ テキスト の 揺 れ ﹀ も ︿ 岩 頸 ﹀ 意識 に 関 わっているのではないかということであ る 。 賢治 は 松倉山 と 五間森 を ﹁ 岩頸 ﹂ と 捉 えている 。 しかし 、 前稿 ︵ 前出 ︶ で 触 れたように 、 松倉山 も 五間 森 も 、 一向 ﹁ 岩頸 ﹂ らしくないのである 。 松倉山 は 岩 質 が 凝灰岩 ︵ 堆積岩 ︶ であり 、 ︿ 岩頸 ﹀ の 資格 がない 。 五間森 は 流紋岩 なので ﹁ 岩頸 ﹂ となりうるが 、 山頂 が 押 しつぶしたように 平 らで ﹁ 岩頸 ﹂ らしくない 。 それでも 賢治 が 両山 を ﹁ 岩頸 ﹂ であるとしてこだわ るとするなら 、 逆 にそこに 、 問題 を 解 く 鍵 が 隠 されて いるかもしれない 。 考 えられることは 、 賢治 はその 内 部 ︵︿ 心象 ﹀︶ に 、 岩 の 種類 や 、 山 の 形状 を 無視 して まで ﹁ 岩頸 ﹂ と 呼 びたい 事情 を 有 していたのではない かということである 。 その 内部 の 事情 が ︿ テキスト の 揺 れ ﹀ を 生 んだ 原因 ではないか 、 という 推定 である 。

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わたくしはこんな 過透明 な 景色 のなかに 松倉山 や 五 け 間 ん も 森 り 荒 っぽい 石 岩 の 岩頸 から 放 たれた 剽悍 な 刺客 に 暗殺 されてもいいのです ﹁ 岩頸 から / 放 たれた 剽悍 な 刺客 に / 暗殺 されても いいのです ﹂ とは 奇抜 な 表現 である 。 考 えるに 、﹁ 岩 頸 から / 放 たれた 剽悍 な 刺客 ﹂ とは 、 何 らか ︿ 伸 びる ﹀ ﹁ 岩頸 ﹂ と 関係 があるのではないだろうか 。﹁ 岩頸 ﹂ は 賢治 にとって ︿ 伸 びる ﹀ ものとして 認識 されている がゆえに 、﹁ 刺客 ﹂ となることが 可能 なのかもしれな い 。 ﹁ 楢 ノ 木大学士 ﹂ が 恐竜 という ﹁ 刺客 ﹂ に ﹁ 暗殺 ﹂ ︵ 食 べられそうになる ︶ されるということと 、 ︿ 心象 ﹀ 世界 の 問題 として 共通 しているといえるだろう 。 ﹁︵ 気 の 毒 な 二重感覚 の 機関 ︶﹂ という 詩句 も 確認 できるが 、 そこにわれわれは 、 賢治自身 の ︿ 現実 ﹀ ︿ 心 象 ﹀ という 二 つの 世界 に 生 きる 不安 と 恐 れを 読 み 取 る ことができるだろう 。 また 、﹁ 岩頸 ﹂ は ︿ いかる ﹀ 存在 でもあった 。 散文 ﹁ 沼森 ﹂ に ﹁ 沼森 めなぜ 一体坊主 なんぞになったのだ ﹂ とあったが 、﹁ 坊主 ﹂ になるとは 山 の 木 を 切 られたこ を 意味 するように 思 う 。 木 を 切 られて 坊主 となったこ とが 沼森 の ﹁ いかり ﹂ の 原因 と 想定 できるなら 、 詩 ﹁ 風 景 と オルゴール ﹂ での ﹁︵ しづまれしづまれ 五間森 / 木 をきられてもしづまるのだ ︶﹂ ということとの 、 か すかではあ るが 、 繋 がりが 指摘 できることになる 。 す こし 異 なるが 、 清作 に 無断 で 木 を 切 られて ︿ いかり ﹀ をあらわす 柏 の 木 の 大王 ︵ 童話 ﹁ かしはばやしの 夜 ﹂ ︶ との 共通性 も 連想 される 。 さらに 、﹁ なぜさうこっちをにらむのだ 、 うしろか ら 。/ 何 も 悪 いことしないぢゃないか 。 まだにらむの か 、 勝手 にしろ ﹂ という 賢治 とおぼしき 人物 の 沼森 に 対 する 感情 も 見逃 すことができない 。 このような 、 過 剰 なまでの 自意識 は 、 先 に 引用 した ﹁ 楢 ノ 木大学士 の 野宿 ﹂ の 原体験 と 推定 される ﹁ 歌稿 B、 № 668﹂ ﹁ ほし ぞらは / しづにめぐるを / わがこゝろ / あやしきもの にかこまれ て 立 つ ﹂ にも 見 て 取 れるのだが 、 いうまで もなくこの ﹁ あやしきもの ﹂ が ﹁ 岩頸 ﹂ であることに 意味 がある 。 賢治 にとって ︿ 伸 びる ﹀ 岩頸 は 、 ︿ 心象 ﹀ 世界 において 、 人間同様感情 を 有 し 、 にらんだり 、 い

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かりをあらわにするのである 。 おそらく 、 賢治 の 自意識 が 暴走 してしまったような 場合 、 ︿ 現実 ﹀ 世界 の 地学 ︵ 科学 ︶ が 後退 し 、 ︿ 心象 ﹀ 世界 にふさわしい 地学 があらたに 現 れ 、︿ テキスト の 揺 れ ﹀ としてそのまま 残 されることになる 、 というこ となのではないだろうか 。

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参照