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ジャワ農村の地方自治に関する調査ノート : ジョクジャカルタ特別州バントゥル県ジュティス郡チャンデン村の事例

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(1)

椙山女学園大学

ジャワ農村の地方自治に関する調査ノート : ジョ

クジャカルタ特別州バントゥル県ジュティス郡チャ

ンデン村の事例

著者

黒? 晴夫

雑誌名

椙山女学園大学 文化情報学部紀要

11

ページ

125-143

発行年

2012

URL

http://id.nii.ac.jp/1454/00001613/

(2)

[研 究 ノ ー ト]

ジャワ農村 の地方自治に関する調査 ノート

− ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ 特 別 州 バ ン ト ウル 県 ジ ュ テ ィ ス 郡 チ ャ ン デ ン 村 の 事 例−

黒  柳  晴  夫

1 。 は じ め に

本 報 告 の 調 査 村 チ ャ ン デ ン 村 (Desa Canden ) が あ る ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ 特 別 州 (Daerah Istimewa Yogyakarta )バ ン ト ゥ ル 県 (Kabupaten Bantul ) は 、 州 都 ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ 市 の 南 側 に イ

ン ド 洋 に 面 し て 位 置 し 、 ム ラ ピ (Merapi ) 火 山 を 源 に し た プ ロ ゴ 川(Kali Progo )、オ パ ッ ク 川(Kali Opak ) の 両 河 川 に 挟 ま れ た 火 山 灰 の 肥 沃 土 に 恵 ま れ た 平 坦 な水 田 稲 作 地 帯 を な し てい る 。 調 査 地 は、 ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ市 内 の 王 宮 か ら ほ ぼ 南 に 直 線 で12 km の と こ ろ に 位 置 す る ジ ュ テ ィ ス 郡 (Kecamatan Jetis ) チ ャ ン デ ン 杜 に あ る15 部 落 の一 つ プ レ ンブ ー タン 部 落 (Dukuh Plembutan ) で あ る 。 チ ャ ン デ ン村 の 面 積 は5.36 k㎡ で 、 表 1 に示 す よ う に 現 在 ここ に3.816 世 帯 、13,726 人 が 住 ん で お り、 人 口 密 度 は2,560.8 人/km2 に達 し て い る 。 プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 は、 村 内15 部 落 の う ち4 番 目 の 世 帯 数 を擁 す る 部 落 で、 表2 に示 す よ う に (調 査 時 点 が 異 な り 、 表1 と 数 値 が 一 致 表1  チ ャ ン デ ン 村 部 落 別 世 帯 数 ・ 人 口 数 N0. 部落名 世帯数(戸) 男(人) 女(人) 合計人口(人) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 Banyudono Beran Canden Gadungan Kepuh Gadungan Pasar Gaten Jayan Kirmgan Kralas Ngibikan Plembutan Pulokadang Suren Kulon Suren Wetan Wonolopo 283 268 390 212 165 181 159 260 332 280 294 315 210 277 190 492 423 630 362 312 280 292 482 588 512 503 561 378 497 311 528 492 655 387 341 313 298 504 616 577 534 555 410 552 341 1,020 915 1,285 749 653 593 590 986 1,204 1,089 1,037 1,116 788 1,049 652 合   計 3,816 6,623 7,103 13,726 ( 資料 ) チ ャ ン デ ン村 住民 台帳 より 作 成 。

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黒 柳 晴 夫 / ジ ャ ワ 農 村 の 地 方 自 治 に 関 す る 調 査 ノ ート 表2  チ ャンデ ン 村プレ ン ブー タン部 落組別 世 帯数 ・人 口数 組No 世帯数 人口数 組長名 組長生年月日 1 2 3 4 5 78 (戸) 47 61 47 42 215 (人) 127 196 131 12ト Sudarmaji Subagyohadi Sukamto Supriyanto Tumarjo 1943/6/23 1968/5/30 196711/10 1967/7/15 ? 合計 275 790 ( 資料 )中 部 ジ ャワ 地 震 直後 の2006 年6 月 初 め、村 が 被災 調 査 を 実 施し た際 の 世帯 表 に よ る。 しない が)部落内 は5 つ の隣組エ ル・テ ー(RT: Rukun Tetangga )に分 か れてい る。村 の東 側 を オパ ック川が流 れ、濯 漑用水 にも恵 まれてい るた め、人 びと の生 業は水 田稲作農業 が中心 となって いるが、 近年 はジョ クジャカ ルタ市内の事業 所や 商店な どに通勤し てい る人 も増 えている。 以下 は、 チ ャンデ ン村、 なかで もプレ ンブー タ ン部落 を中心 に2009 年8 月27 ・ 30 日、2010年8 月27 ・28・29・30・31 日、2011年3 月5 ・7 日 に 行った聴 き取 り調査 の聴 取内容 の記 録であ る。こ れは、 こ れまで論文 にまとめてこ なかっ た内容 の 部分で、 共同研 究者 の間で聴取内容 を共有 する 目 的 も果 た す た め に まと め た もの であ る6 そ のた め、時 間の経 過や調査 の経緯が分 かる ように記述 してあ る。記述 した聴取 内容 には、 聴取し た人や 時期 によって一 部に矛盾 した り異なった りしてい る とこ ろがあ るが、あ えてそ のまま掲載し たこと を断っ てお く。

2 。チ ャンデン村 の行政組織お よ

び各種組織

−2009 年8 月27 日 (木)(晴れ ) 聴取− 今 回 の調 査 は、 カ ウ ン タ ーパ ー ト のGadjah Mada 大学 地理学 部助教 授兼 人口政 策研究所 研 究 員 のSukamdi が オラ ンダ に出張 中の ため、 か れ の事前 の指示 で同研 究所助手 のToko とUmi お よ び 同 研 究 所 の ア ル バ イ ト 調 査 員Fajar が 協 力 し て く れる こ と に なっ た 。 か れ ら3 人 は 、Sukamdi の 指 導 を 受 け た 地 理 学 部 の 卒 業 生 で あ る 。 イ ンド ネ シ ア は、8 月22 日(土 ) から イ ス ラ ム 暦 第9 月 のRamadan に 入 り 、 ムス リ ム はこ の 月 の 間 断 食 (Puasa )を 行 う 。 そ の た め 、調 査 で 滞 在 中 は 断 食 月 と 重 な る た め 、 わ れ わ れ に同 行 し て く れ る 調 査 協 力 者 と 運 転 手 、 そ し て 村 の人 び と は 昼 間 何 も口 に し ない の で 、 調 査 中 は 基 本 的 に わ れ わ れ もこ れ に 従 う こ と に し た。 そ の た め 、 わ れ わ れ は 朝 食 の バ イ キ ン グ で し っ か り 食 べ る よ う に 心 掛 け た 。 予 定 の8:30 に、 チ ャ ン デ ン村 (Desa Canden ) 役 場 に向 け て 出 発 す る 。 大 学 正 門 を 出 てそ の ま ま 南 下 し 、 市 内 中 心 部 の 住 宅 密 集 地 を 通 り 抜 け Kraton (王 宮 ) 東 側 め 遊 園 地 前 の 道 路 を 通 っ て Parangtritis道 路 に入 る 。 Parangtritis道 路 は 、イ ン ド 洋 に 面 七 た 王 宮 の 儀 礼 施 設 が あ る 観 光 地 の Parangtritis 海 岸 に 向 か う 道 路 で あ る 。 朝 の 通 勤 ・ 通 学 の ピ ー ク 時 は す で に 過 ぎ て い た が 、 Parangtritis 道 路 は 市 内 に 向 か う 人 び と の オ ー ト バ イや ミ ニ バ ス 等 で 込 ん で い た 。 ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ市 内 南 側 を走 る 環 状 道 路 を 越 え て 南 下 し 、 王 宮 か ら 約12 km の と こ ろで 直 角 に左 折 し て 王 宮 墓 所 で 知 ら れ たImogiri 方 面 に 向 か う 道 路 に 入 る 。 そ こ を 約1 .5 km 進 ん で 直 角 に 右 折 し て 田 圃 の な か の 道 路 を2km 弱 南 下 す る と、 左 前 方 に チ ャ ン

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デ ン 中 学 校 の 平 屋 (一 部2 階 建 て) の 校 舎 が 目 に 入 っ て き た 。 そ の 南 側 に並 ん で い るの が チ ャ ン デ ン村 役 場 で あ る 。 9:20 頃 に そ の チ ャ ン デ ン 村 役 場 に 到 着 し た。 Fajar に 村 長 に 面 談 で き る か 確 認 し て も ら う 。 林 大 造 は 、 勤 務 先 の神 戸 大 学 防 災 安 全 研 究 所 の ジ ャ ワ 地 震 調 査 研 究 で、 村 役 場 に は 以 前 に 何 度 か 訪 ね た こ と が あ り 、 村 長 に も面 識 が あ る。 朝 は 村 人 の 相 談 や 手 続 き の 訪 問 客 が 多 い 時 間帯 で 、 村 長 は そ の応 対 に忙 し そ う で あ っ た が 、 そ の 時 間 を 割 い て わ れ わ れ の 聴 き取 り に 応 じ て く れ る と の こ とで 、 早 速 正 面 の村 長 の 執 務 し て い る 部 屋 に 入 る 。 と は い っ て も、‘ 平 屋 の 役 場 (36mx8m ) に は 村 長 め 執 務 室 の 他 に は そ の 両 側 に 事 務 室 が 大 小 計10 部 屋 あ る だ け で あ る。 1 。 チ ャ ン デ ン 村 村 長Supanto の 聴 取 (9 =20∼9 :45 ) 村 長 (Lurah ) のSupanto は 、 現 在57 歳 で 、州 職 を 定 年 に な っ た 年 の2008 年4 月5 日 村 長 に 選 出 さ れ 、就 任1 期 目で あ る 。 選 出 さ れる 前 は、ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ 特 別 州 の 職 員 で 、 定 年 直 前 ま で 州 知 事 の 議 定 書 の 作 成 や 儀 礼 担 当 の プ ロ ト コ ル の 職 務 を担 当 し てい た 。 ち な み に 公 務 員 の定 年 は 、 一 般 職員 は55 歳 、 教 員 は 校 長 を 頂 点 と し た 職 名 の ラ ン ク に よっ て55 ∼60 歳 、 大 学 教 員 や 研 究 所 研 究 員 は 教 授 な ど を 頂 点 ど し た 職 名 の ラ ン ク に よっ て 55∼65 歳 、 ま た 現 職 公 務 員 の 研 修 ・教 育 機 関 の教 員 で あ るWidyaiswara も 職 名 の ラ ン ク に よ っ て 55∼65 歳 と な っ て い る 。 現 行 の村 落 行 政 に か か わ る 制 度 は、1999 年 の 地 方 行 政 法 の 制 定 お よ び2004 年 の 同 法 一 部 改 正 に よ っ て い る が 、 村 長 の 任 期 は6 年 で 、 再 選 は1 回 ま で 認 め ら れ て い る 。 村 長 の 下 で 村 落 行 政 の 職務 に 従 事 す るCanden 村 の 役 場 職 員 (Pamong Desa ) は 、 村 長 と15 名 の 部 落 長 を 含 め て 全 部 で 32 名 (34 名 の 枠 が あ り 、 現 在2 名 の 欠 員 ) お り 、 表3 に 示 す よ う に そ れぞ れ 手 当 とし て 村 の 小 作 地 文化情報学部紀要, 第11 巻,2011 年 を 当 て た 役 職 田 を 給 さ れ て い る 。 役 場 の 組 織 は 、 村 長 の 補 佐 を す る 書 記 の 他 に5 つ の 係 に分 か れ て い る。 そ れ ぞ れ の担 当 者 は、 書 記 (Carik Desa ) はMashudi 、 財 政 (Keuangan ) はSubagyo 、行 政 (Pemerintahan )はSuroso 、開 発 (Pembangunan ) はBambang Suryadi 、宗 教 ・ 住 民 福 祉 (Agama &Kesejahteraan Rakyat ) は Badiman ( 大 卒 )、 総 務 (Umum )( サ ー ビ ス (Pelayanan ) と も 書 い て あ っ た ) は 女 性 の Sudiriyantini で あ る 。 2009年 の村 の 予 算 総 額 は 395.000,000 ル ピ ア (Rp ) で 、 そ の 内容 は 通 常 経 費 と 開 発 費 と で 全 て を 占 め て い る 。 村 単 独 の 原 資 と し て 村 有 田 の 小 作 料 (Tanah Kas Desa )が 僅 か な が ら あ る が 、 予 算 の ほ と ん ど は県 か ら の 配 分 金 であ る 。

1999 年 の 地 方 行 政 法 の 制 定 後 、旧 制 度 の 村 落協 議 会 (LMD : Lembaga Musyawarah Desa ) に代 わ っ て 村 落 議 会 (BPD : Badan Perwakilan Desa ) が 置 か れ る こ と に な っ た 。 前 者 の協 議 員 は13 人 で あ っ た が、 現 行 の村 落 議 会 の 議 員 は9 人 と な っ た。 新 制 度 で 選 出 さ れ た 最 初 の 議 員 で あ る 現 在 の 議 員 は2002 年2 月 の 選 挙 で 選 出 さ れ た も の で 、 議 員 の 任 期 は1 期10 年 で あ る 。 議 員 の 被 選 挙 権 者 に な る に は 幾 つ か の 要 件 を み た さ な け れ ば な ら な い が 、た と え ば 、年 齢 が60 歳 以 下 、学 歴 が 中 学 校 卒 業 以 上 で あ る こ と な ど も そ の 要 件 に 含 ま れ る 。 村 落 議 会 に は事 務 担 当 者 とし て村 落 議 会 書 記 (Kepala Ursan Tata Usaha BPD )が 置 か れ、村 落 職員 の1 人 が 専 従 で こ、れ に あ た る。 村 落 議 会 の 基 本 的 な役 割 は 、① 村 長 の 政 策 の 承 認 、条 例 の 制 定 、 ② 予 算 の 議 決 、 ③ 村 政 の 監 視 の3 つ で あ る 。

村 内 の 住 民 が 参 加 す る 各 種 の 組 織 に は 、 農業 振 興 や 農 業 技 術 の 改 善 と 普 及 の た め の 農 家 グ ル ー プ 連 合 (Golongan Kelmpok Tanl )、人 口 抑 制 や家 族 福 祉 向 上 な ど の プ ロ グ ラ ム を実 施 す る 婦 人 会 ベ ー カ ー カ ー (PKK : Pembinaan Kesejahteraan Keluarga ) お よ び 隣 組 エ ル ・ テ ー (RT:Rukun Tetangga ) に お け るPKK の 下 位 婦 人 組 織 の ダ

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黒 柳 晴 夫 / ジ ャ ワ 農 村 の 地 方 自 治 に 関 す る 調 査 ノ ート 表3  チ ャン デン 村村 長・ 村職員 の役 職田 N0. 名  前 職  名 圃場数 面積(ha) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 し19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 Supanto, SE Mashuci, BA Suroso Subagyo Bambang Suryadi Badiman(大卒) Sudiriyantini(女) Budiyono Arif Winarto Saryanto Rohgiyanto Sudiyatmi (大卒) Suharyanto Nursyamsu R. Agung Sudarto Sukarjo Rohmuji Ngatman Sumardiono

Sri Endang Sujati (女) Saring Sukardi Sunaryo (大卒) Sugiyono Suhardi (定年) Subadi Muslikah (女) Munadi Kabono Tutik Sunarti (女) Sardi Samijo Lastri(女) 村長 書記 行政係 財政係 開発係 宗教・住民福祉係 総務係 Gadungan Kepuh部落長 Gadungan Pasar部落長 Jayan部落長 Wonolopo部落長 Kirin ang 部落長 Ngibikan部落長 Banyudono 部落長 Suren Kulon部落長 Suren Wetan部落長 Gaten部落長 Beran部落長 Plembutan部落長 Canden部落長 Kralas部落長 Pulokadang部落長 村落議会書記 開発係 行政係 財政係 職員 職員 職員 職員 職員 職員 職員 5 4 2 4 4 3 3 3 2 3 3 2 6 2 5 2 3 2 3 3 5 4 1 4 3 2 2 2 2 2 2 3 3.9775 ・ 2.5855 2.6480 2.6795 2.5700 2.2000 1.5500 1.0000 1.0000 1.0000 1.0000 1.0000 1.0000 1.0000 1.0000 1.0000 1.0000 1.0000 1.0335 1.3050 1.2700 1.1100 1.0000 1.0000 1.0000 1.0000 0.4000 0.4000 0.4000 0.4000 0.4000 0.4000 合        計 96 40.3290

(資料) チ ャン デ ン村 役 職 田用 小 作 地 一覧(Rincian Tanah Kas Desa untuk Tanah Lungguh) に よる 。村 長 は2008 年 に就 任 。 2009年 時 点 。 サ ・ ウ ィ ス マ (Dasa Wisma )、 少 産 少 死 の た め の 育 児 改 善 と 母 子 保 健 改 善 の た め の プ ロ グ ラ ム を 実 施 す る 組 織 の ポ ス ヤ ン ド ゥ ー (Posyandu : Pos Pelayanan Terpadu )、 近 隣 地 区 内 の 夜 間 防 犯 警 備 の プ ロ グ ラ ム を 実 施 す る 組 織 の シ ス カ ム リ ン

(Siskamling : Sistim Keamanan Lingkungan) 、若 者 の 健 全 育 成 と 社 会 貢 献 を 推 進 す る た め の 青 年 組 織 の カ ラ ン・ タ ル ナ(Karang Taruna) 、な ど の ス ハ ル ト 体 制 の 時 に 作 ら れ た 組 織 がい ま もあ る 。 そ の 他 、 イ ス ラ ム 教 関 係 の ナ フ ダ ト ゥ ル ・ ウ ラ マ

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(NU : Nahdatul Ulama ) と ム ハ マ デ イ ヤ (Muhammadiyah ) の 組 織 も あ る 。 ま た 、 政 党 組 織 の 末 端 も 村 内 に は3 つ あ る 。 そ れ ら は 、 闘 争 民 主 党 (PDIP : Partai Democrasi Indonesia

Perjuangan )、 国 民 民 主 党 (PDK : Partai Demokrasi Kebangsaan )、 ゴ ル カ ル (Partai Golkar : Partai Golongan Karya ) の3 党 で 、 い ず れ も イ ス ラ ム 系 で は な い 政 党 で あ る 。 チ ャ ン デ ン 村 村 長 の 聴 き 取 り は 、 村 長 が 多 忙 な こ と も あ り 、 僅 か な 時 間 し か で き な か っ た 。 そ の た め 、 村 長 に は 関 係 資 料 の 複 写 等 を お 願 い し 、 村 内 全 世 帯 の 住 民 台 帳 の 複 写 を さ せ て も ら っ た 。 こ の 住 民 台 帳 資 料 に は 、 世 帯 ご と に 世 帯 構 成 員 全 員 の ① 世 帯 番 号 、 ② 個 人 番 号 、 ③ 名 前 、 ④ 性 別 、 ⑤ 出 生 県 名 、 ⑥ 生 年 月 日 、 ⑦ 血 液 型 ( ほ と ん ど 記 入 な い 、 ⑧ 宗 教 、 ⑥ 未 既 婚 別 、 ⑩ 続 柄 、 ⑥ 学 歴 、 ⑩ 職 業 、 ⑩ 母 親 名 、 ⑩ 父 親 名 、 ⑩ 障 害 者 、 な ど に 関 す る 内 容 が 掲 載 さ れ て い る 。 《同 席 し た 調 査 助 手Fajar に よ る 上 記Canden 村 村 長Supanto の 聴 取 メ モ 》 (1) 村 落 議 会 に つ い て

BPD (Badan Perwakilan Desa : 村 落 議 会 ) と BPD (Badan Permusyawaratan Desa : 村 落 協 議

会 ) 文化 情報学部紀要,第11 巻,2011 年 以 前 は 議 員 数 は13 人 だ っ た が、 旧BPD (村 落 議 会 ) か ら 新BPD (村 落 協 議 会 )に 移 行 し た 時 に 11 人 に な っ た 。 選 挙 区 (Distrik)は 、1 選挙 区 が 3 部 落 で 編 成 さ れ て い る 。 Canden 村 は15 部 落 か ら 構 成 さ れ て い る の で 、 選 挙 区 は5 つ に分 か れ て い る 。 選 挙 が 行 わ れ た の は2002 年2 月 。 任 期 (Jabatan ) は10 年 。 村 落 議 会 の 主 な 役 割 ( 機 能Fungisi ) は3 つ 。 ① 条 例 の 制 定 (Legislasi &Menyusun Peraturan Desa )。 ② 予 算 の 作 成 ・承 認 十(Anggaran )。 ③ 村 政 府 の 監 視 ニ (Pengawasan )。 こ の 機 能 はBantul 県 で は ま だ 実 施 さ れて い る 。 Canden 村 の 選 挙 区 は、 次 の よ う に3 部 落 の 組 み 合 わせ に よ る5 選 挙 区 で 編 成 さ れ て い る 。 1 . Pulokadang/Karalas/Canden 2. Plembutan/Beran/Suren Wetan 3 . Suren Kulon/Banyudono/Ngibikan 4.Kiringan/Wonolopo/Jayan

5 . Gadungan Kepuh/Gadungan Passar/Gaten

BPD (Badan Perwakilan Desa ) で は村 落 議 会 議 員 は 直 接 選 挙 さ れ た 。 し か し 、BPD (Badan Permusyawaratan Desa : 村 落協 議 会 )で は 、今 後 各 部 落 が 代 表 者(Wakil )を 選 出 し 、そ の 委 員 会 の 表4  現 村 落 議 会 議 員 と 出 身 部 落 1. 議長ketua 2. 副議長wakil ketua 3. 書記sekretaris 4. 議員anggota 5レ 議員anggota 6. 議員anggota 7. 議員anggota 8. 議員anggota 9. 議員anggota 10. 議員anggota 11. 議員anggota Tohayadi Basar Sunarjo Ponijan Kahno Totok Subroto Rajiman Buchori Sudaryanto Sonhaji Ngidikan 部 落在 住 Gadungan kepok (前 は現村 長 が議員 だ った) Canden Pulo Kadang Kralas Plembutan Suren Wetan Kiringan Kiringan Gadengan Pasar

Husen Yahya  Seren Kuron

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黒 柳 晴 夫 / ジ ャ ワ 農 村 の 地 方 自 治 に 関 す る 調 査 ノ ー ト

な か で 選 ば れ てBPD 議 員 に な る 。 議 員 の 要 件

・ 年 齢 の 上 限65 歳 。

・ 社 会 か ら 有 能 者 と み な さ れ て い る 人 (Tokoh yang dianggap oleh masyarakat )。 ・ 学 歴 が 中 学 校 (SMP ) 卒 以 上 。

・Pancasila と1945 憲 法 を 遵 守 す る こ と 。 BPD 議 員 に は , 県 政 府 か ら の 議 員 手 当 (Tunjangan Kehormatan ) が あ る 。

BPD 書 記 はKepala Bagian と 同 等 の 職 位 (Secretariat BPD Setingkat Kepala Bagian )。 (2 )Canden 村 の 開 発 予 算 (Anggaran Pembangnan ) 村 の 開 発 予 算 は395,000,000 ル ピ ア 。 予 算 の 主 な 構 成 は , 経 常 費 使 用 (Penggunaan Belanja Rutin ) と 開 発 費 。 予 算 の 年 度 は1998 年 度 か ら1 月 か ら12 月 の1 年 間 に 変 更 さ れ た 。 (3 ) 村 の 組 織 ・ 農 家 実 行 グ ル ー プ (GAPOKTAN → Kelompok Tani ) ・ 婦 人 会 (PKK 部 落 ご と に ) ・PKK の 長:PKK (Pembinaan Kesejahteraan Keluarga ) を 動 か す 人 → 村 長 の 妻

゜Posyandu (Pos Pelayanan Terpadu ) ・ 青 年 団 (Karang Taruna )

(4 ) 村 内 の 政 党

・PDI-P    ・ Partai Demokrat ・Golkar 2 。 前 チ ャ ン デ ン 村 プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 住 民Daridjo の 聴 取 (11 : 40∼13 : 00) 村 長 の 聴 き 取 り が 終 わっ た と き に、 村 長 執務 室 の 前 で わ れ わ れ の 訪 問 に 興 味 を 示 し た 男 性 が い た 。 聞 く と 、名 前 をDarijo と い い 、 わ れ わ れ の 調 査 対 象 部 落 の 一 づ で あ る プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 (Dukuh Plembutan ) に 住 ん で い た が 、2008 年 に 同 じ ジ ュ テ ィ ズ 郡 (Kecamatan Jetis ) 内 に あ る ト ゥ リ ム ル ヨ 村 (Desa Trimulyo ) に 転 居 し た と の こ と で あ っ た 。 Darijo は 、 前 住 地 で あ る チ ャ ン デ ン 村 役 場 に 書 類 の 申 請 の た め に 来 た よ う で あ っ た 。 現 在 は 公 務 員 を 定 年 に な っ て 時 間 の ゆ と り が あ る よ う な の で 、 わ れ わ れ の チ ャ ン デ ン 村 の 農 村 調 査 目 的 を 伝 え る と ど も に 、 で き れ ば 訪 ね た い 旨 を 伝 え る 。 役 場 で の 聴 き 取 り を 続 け る こ と が で き な か っ た こ と に 加 え て 、 村 の な か で も 目 当 て の イ ン フ ォ ー マ ン ト に 会 え な か っ た た め 、 結 局Darijo を 訪 ね る こ と に し 、・ か れ の 自 宅 に 向 か う 。 か れ の 住 ん で い る ト ゥ リ ム ル ヨ 村 は 、 ジ ュ テ ィ ス 郡 内4 ヶ 村 の 一 つ で 、 チ ャ ン デ ン 村 の 北 に 隣 接 す る ス ン ブ ラ グ ン (Sumberagung )村 の さ ら に 北 側 に 位 置 す る 村 で あ る 。 か れ の 家 は 、 ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ 市 内 か ら 出 て グ ヌ ン キ ド ル 県 (Kabupaten Gunungkidul ) に 通 じ る 幹 線 道 路 の イ モ ギ リ (Imogiri ) 街 道 沿 い の 交 差 点 に 面 し て い て 分 か り 易 く 、 途 中 で 一 回 付 近 の 住 民 に 尋 ね た だ け で 約7 km の 道 の り を 走 っ て か れ の 家 に 着 く こ と が で き た 。 か れ も す で に 帰 宅 し て い て 、 快 く 自 宅 正 面 の 応 接 間 兼 居 間 に 迎 え 入 れ て く れ11 : 40 ∼13 : 00 聴 き 取 り を し た 。 訪 問 が 昼 の 時 間 と 重 な っ た が 、 断 食 の 最 中 で 昼 食 時 間 に 配 慮 す る 必 要 が な い の で 、 か え っ て 有 り 難 か っ た 。 断 食 中 で あ る た め 、 来 客 で あ る わ れ わ れ に も 茶 菓 は だ さ れ な か っ た 。 Darijo は 、 上 に 記 し た よ う に2008 年 に チ ャ ン デ ン 村 プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 か ら 現 在 の ト ゥ リ ム ル ヨ 村 ト ゥ ラ ン バ ル 部 落(Dukuh Trambaru )に 引 っ 越 し て き た 。 か れ は 、1951 年7 月9 日 に ス ル タ ン の ハ ム ン ク ブ ヲ ノ (Hamengkubuwono )家 の 霊 廟 が あ る イ モ ギ リ 村 で 生 ま れ 、 現 在59 歳 で あ る 。 地 元 の 小 学 校 、 中 学 校 を 卒 業 し 、1969 年7 月 に 高 等 学 校 に 入 学 し 、1972 年6 月 に 同 校 を 卒 業 し た 。 そ し て 、1975 年12 月 に バ ン ト ゥ ル 県 庁 に 就 職 し 、 県 職 員 に な っ た1975 年 か ら1981 年 ま で 郡 役 所 ( 役 所 名 未 確 認 ) に 勤 務 しぐ つ い で1981 年 か ら 1987 年 ま で は ジ ュ テ ィ ス 郡 役 所 の 北 東 に 隣 接 す る プ レ レ ッ ト (Pleret ) 郡 役 所 に 勤 務 し た 。 そ し

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て 、1987 年 に 県 庁 本 庁 の 総 務 課 勤 務 と な っ て 1998 年 ま で 勤 務 し 、 そ の 後1998 年 か ら 県 庁 の 別 な 部 署 の 勤 務 と な り2007 年 に 定 年 を 迎 え た 。 子 ど も は4 人 で あ っ た が 、 う ち1 人 (男 児 ) は 生 後7 ヶ 月 で 死 亡 し 、 ま た 娘 は2004 年 の ス マ ト ラ 沖 地 震 で ア チ エ の 津 波 被 害 に あ っ て29 歳 で 死 亡 し た た め 、現 在 は 息 子2 人 が 健 在 で あ る 。 ま た 、 こ の 間 に 、1985 年 に イ モ ギ リ か ら チ ャ ン デ ン 村 プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 に 転 居 し た 。 プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 で はRT 第5 組 に 所 属 し た が 、 こ の 組 で は 組 長 (Kepala )、 書 記 (Sekretaris )、 会 計 (Bendahara )

の 選 出 は 、 組 の 寄 り 合 い の 席 で 役 職 ご と に 組 員 が 名 前 を 書 い て 投 票 し て 決 め て い た 。 こ れ ら の3 役 の 任 期 は1 期5 年 で あ っ た 。 Darijo 自 身 は 農 家 で は な い が 、 農 業 に 関 し て か れ か ら 聴 い た こ と を 示 す と 、 農 家 グ ル ー プ (Kelompok Tani ) は 、 水 利 の 作 業 と 費 用 の 徴 収 、 作 付 け 種 と 肥 料 ・農 薬 の 選 定 な ど を 行 う 。 と く に 、 農 家 グ ル ー プ は 濯 漑 水 利 組 織OPA (Organisasi Pemakai Air ) の 末 端 の 組 織 を 兼 ね て い て 、 そ れ ぞ れ の 用 水 路 の 改 修 、 用 水 路 か ら 田 圃 へ の 引 水 作 業 な ど も 行 う と と も に 、 水 利 費 の 徴 収 も 行 っ て い る 。 水 利 費 は 、1 ル バ ン (Luban =10 ㎡ ) 当 た り 50 ル ピ ア で あ る 。 そ の 他 に 、牛 を 飼 っ て い る 農 家 の グ ル ー プ (Kelompok Sapi ) も あ る 。 農 作 物 の 米 は 、仲 買 商 人 (Pedagang )に 売 る の が 一 般 的 で 、 小 さ な 農 家 で は 近 所 の ワ ル ン (Warung ) で 売 っ て も ら っ た り す る 。 村 長 は 、 地 元 の 製 糖 工 場 と 契 約 し て 役 職 田 の ほ と ん ど で サ ト ウ キ ビ を 栽 培 し て い る 。 田 植 え は 、 家 族 の 他 に 近 所 の ゴ ト ン ・ ロ ヨ ン (Gotong Royong ) で 行 う 。 稲 刈 り の 際 は 、 近 隣 の 人 が 稲 刈 り 作 業 に や っ て き て 、 作 業 を し た 人 に は そ の 人 が 収 穫 し た 稲 の7 分 の1 が 現 物 で 渡 さ れ る 。 バ ン ト ゥ ル 県 の 束 の 山 同 地 に 広 が る グ ヌ ン キ ド ゥ ル 県 は 、 カ ル ス ト 台 地 が 多 く を 占 め て 耕 地 に 恵 ま れ な い た め 、 牛 や 山 羊 な ど の 家 畜 を 飼 育 す る 農 家 が 多 い 。 グ ヌ ン キ ド ゥ ル 県 の 牛 を 飼 っ て い る 農 家 は 、 バ ン ト ゥ ル 県 内 の 農 家 の 稲 刈 り が 終 文化情報学部紀要, 第11 巻, 2011年 わっ た田圃 に来て、牛 の餌用 に任 意で稲 藁を集 め て、無 償で運 び出してい く。 ただし、 乾期作に栽 培 されるトウ モロ コシや 落花 生は、栽培 農家 が収 穫後 のト ウモ 白コシの茎 や落花生 の蔓 草を飼料 と し て売 る。 農家 が農地 を他の用途 に転用する のは、 一般 に は家 族や身内 のものに よっ てである。 農家 は、基 本的 に農地 は売 らないで、商店 や工場 には20 ∼30 年 の長 期間で貸 すのが普 通である。い ま住んでい る 土地 は1993 年 に宅 地 として 購入し た が、 そ の 時 の地価は1 ルバン当た り300,000 ルピ アであっ た。 それが現在 は1 ルバ ン当 たり3,000,000 ルピ アと10 倍 に も値 上 がりし てい る。現在 のプ レ ン ブ ータン部落辺 りの宅地地 価は、1 ルバン当た り 600,000 ルピ アであ る。県内 の西南 部の地方 で は 土 地 の面 積 を表 す 単位 とし て もう ひとつ1 ル ー (Ru =14㎡ )が使 われてい る。 また、相続は、農 地 も含 めて基本 的に男 も女 も1 対1 で相 続する。 《同 席 し た 調 査 助 手Faiar に よ る 上 記Daridjo の 聴 取 メ モ 》 ・ 稲 の 収 穫 労 働 力 は 、 田 の所 有 者 の都 合 や 判 断 に よ り、 もし 田 の 所 有 者 が気 に 入 れ ば 収 穫 労 働 力 に 認 め ら れ る。 そ れ は、 収 穫 時 期 に な る 前 の 仕 事 か ら 調 べ ら れ た 。 ・ グ ヌ ン キド ゥ ル か ら の収 穫 労 働 力 の多 数 は 、 ま ず 家 畜 の 餌 の た め の 稲 藁 を 得 た い が た め で あ る。    犬 ・収 穫 さ れ た 米 は 落 と さ れ( 脱 穀 さ れ)、束 ねら れ た稲 藁 は ト ラ ッ ク に積 ま れ る 。 ・1 グ ル ープ は 普 通8 ∼10 人 で あ る 。 ・ト ウ モ ロ コ シ か 落 花 生 の 収 穫 の た め に 収 穫 労 働 力 と し て 来 た 人 も収 穫 の 手 伝 い を 除い て 、ニト ウ モロ コ シ や 落 花 生 の茎 や 蔓 を得 る た め に は そ の 代 金 を 支 払 う 。 価 格 は 土 地 の所 有 者 と の 交 渉 次 第 で あ る 。        … … …… ・土 地 の 貸 借 期 間 は 工 場 の 利 益 の た め に20 ∼30 年 で あ る 。

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黒 柳 晴 夫 / ジ ャ ワ 農 村 の 地 方 自 治 に 関 す る 調 査 ノ ー ト ・ 自 分 が 住 んで い る 土 地 の1 ル バ ン の 価 格 は 300,000 ルピ ア以 上。 1993年 に購入し た。 ・相 続は、男 はSepikul、 女 はSegendong 。

3 。プ レ ンブ ータン部落とRT

1 組の組織

−2009 年8 月30 日 ( 日 )( 晴 れ卜 の 聴 取− 今 日 の 同 行 者 は 、 人 口 政 策 研 究 所 の ア ル バ イ ト 調 査 員 で 女 性 のVina と 、 昨 日 か ら 婚 約 者 の 父 親 の 見 舞 い に ジ ャ カ ル タ に 行 っ たFaiar の 代 わ り を 務 め るDwi Yantoro で あ る 。 Vina とDwi は と も に 地 理 学 部 の 卒 業 生 で 、 人 口 政 策 研 究 所 の ア ル バ イ ト 調 査 員 を し て い る 。

9:00 少 し 前 に 宿 泊 先 のGadjah Mada University Club (GMUC ) を 出 発 し 、 最 初 に バ ン ト ゥ ル 県 庁 舎 の あ る 県 の 中 心 に 向 か う バ ン ト ゥ ル 道 路 を 通 っ て セ ヲ ン 郡 (Kecamatan Sewon ) プ ン ド ヲ ハ ル ジ ョ 村(Desa Pendwoharjo )に 向 か っ た 。 バ ン ト ゥ ル 道 路 は 、 チ ャ ン デ ン 村 に 行 く 時 に 利 用 す るParangtritis 道 路 が 王 宮 の 東 側 を 南 に 向 か う 道 路 で あ る の に 対 し て 、 こ れ と 平 行 し て 王 宮 の 西 側 を 通 っ て 南 に 向 か う 道 路 で 、 ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ か ら イ ン ド 洋 沿 い に 西 に 向 か う 幹 線 道 路 で あ る 。 GMUC か ら 約12 km の 道 程 で 、 最 初 に 訪 問 す る プ ン ド ヲ ハ ル ジ ョ 村 バ ン ド ゥ ン 部 落 (Dukuh Bandung ) に 住 むHartant の 家 に 着 ぐ 。 こ こ は 、 バ ン ト ゥ ル 県 庁 の あ る バ ン ト ゥ ル 町 の 手 前 に あ り 、 王 宮 か ら7 km 程 の と こ ろ に 位 置 し て い るレ バ ン ド ン 部 落 は 、1984 年 以 来 黒 柳 が 通 い 続 け て い る 部 落 の ひ と つ で あ る 。 Hartant は1967 年 に こ の 部 落 で 生 ま れ 育 ち 、 父 は 中 学 校 教 員 を 勤 め て い た 兼 業 農 家 で あ う た 。 か れ は 、 長 男 で 下 に 弟 と 妹 か お り 、 ガ ジ ャ マ ダ 大 学 社 会 政 治 科 学 部 の 卒 業 生 で 、ト41 歳 に な る 。 黒 柳 が こ の 部 落 に 住 ん で 参 与 調 査 を し た1989 年 に は 、 か れ は 社 会 政 治 科 学 部 に 入 学 し た 年 で 、 黒 柳 の よ き 調 査 協 力 者 の ひ と り で 、 資 料 作 り や 部 落 地 図 作 り な ど 大 変 お 世 話 に なっ た。 当時、 かれは部 落の青年団長 を務める と と もに、 村の 連合 青年団 の役 員に も就い ていて、 学業 と両立させ ていた。現 在、か れはイスラ ム宗 教組織 の ムハマ ディヤが ジョクジ ャカルタ市内 に 経営 する幼稚 園のひとつ に管 理職 とし て勤務し て お り、2 歳下 の妻も同組織 の経営する 高等学校 の 教員 とし て勤務し ている。5 年ほど前 に、 両親 の 家 の北 側にあ る親の田圃 の一角を埋 め立てて新居 を建 て、 そこ に妻と2 人 の子どもと住 んでいる。 父 はすでに定年 になってい るが、両 親は健在で、 そこ には弟 と妹 が一緒に住 んでいる。そ のか れの 家に、今 日は 日曜日で午前 中は在宅し てい ると の こ とであった ので、26 日(水)の夕方 に聴 き取 り で伺っ た際に頼 んでおい た部落の世帯 の移動に 関 す る資 料 をと り に伺っ た ので ある。 20分ほ ど で 用 件 を 済 ませ、 バ ンド ゥ ン部 落 か ら南 東 に 約8 km の道 程を行 った ところ にある今 日の主 要訪問 先 のチ ャンデ ン村 プレ ンブ ータン部落 に向かう。 1 。 プ レ ン ブ ダー タ ン 部 落RT ・第1 組 長 Sudarmaji 宅 で の 聴 取 (10 : 30−13 : 00) 最 初 の イ ン フ ォ ー マ ン ト と し て 予 定 し て い た RT 第1 組 の 組 長 (Ketua Rukun Tetangga ) Sudarmaji の 家 に10 : 30 に 到 着 し た 。 か れ は 1943 年 生 ま れ の66 歳 で 、 現 在 は恩 給 生 活 者 で あ る の で、 予 想 通 り 在 宅 し てい て 、 早 速 わ れ わ れ は 部 屋 の左 側 にソ フ ァ ー と椅 子 が 置 か れ た 居 間 兼 客 間 に 迎 え 入 れ ら れ た 。 日 曜 日 で 仕 事 に 出 な い た め か、 玄 関 脇 の テ ラ ス で は ダ サ ・ ウ ィ ス マ の ア リ サ ン (Arisan ) を 終 え た あ と も6 ∼7 名 の 女 性 が 残 っ て お 喋 り を し て い た 。 ア リ サ ン は さ し ず め 日 本 の 頼 母 子 講 の よ う な も の で あ る 。 従 っ て 、 質 問 に 答 え て く れ た の はSudarmaii 夫 婦 の 他 に 居 合 わせ た ダ サ ・ ウ ィ ス マ の ア リ サ ン のあ と に 残 っ て い た 女 性 た ち で あ る 。 そ こ で 、 最 初 に 女 性 の 参 加 す る婦 人 会 組 織 に つ い て 尋 ねた 。 困  プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 の 婦 人 会PKK 3 役 は 、 会 長 (Ketua )、 書 記 (Sekretaris)、 そ

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れ と 会 計 (Bendahara ) で あ る 。 会 長 は 部 落 長 の 妻 が 就 任 す る こ と に な っ て い て 、 書 記 と 会 計 は 選 出 さ れ 、 任 期 は3 年 で 再 選 は 問 わ な い 。 活 動 領 域 は5 つ の 分 科 会 、 す な わ ち ① 会 員 の 相 互 親 睦 分 科 会 (Seksi Hubungan Musyawarah : Humas )、 ② 保 健 衛 生 分 科 会 (Seksi Kesehatan )、 ③ 教 育 分 科 会 (Seksi Pendidikan )、 ④ 農 業 分 科 会 (Seksi Pertanian )、 そ し て ⑤ 女 性 の エ ン パ ワ ー メ ン ト 分 科 会 (Seksi Pemberdayaan Perempuan ) に 分 か れ て い る 。 毎 月6 日 に 会 長 の 家 、 す な わ ち 部 落 長 ( 部 落 長 はSumardiyono で 、1967 年3 月16 日 生 ま れ の42 歳 、 高 卒 。 婦 人 会 長 の 妻Endang Sulastri は1968 年7 月16 日 生 ま れ の41 歳 で 、 大 卒 の ビ ジ ネ ス ウ ー マ ンWirausaha 。) の 家 で14 : 00 か ら2 時 間 前 後 の 集 会 が 開 か れ る 。 毎 月 の 集 会 で 必 ず 行 わ れ る 行 事 は 、 ア リ サ ン と シ こぐパ ン ・ ピ ン ジ ャ ム づSimpan Pinjam ) で あ る6 プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 の 総 世 帯 数 と 総 人 口 は 、2006 年5 月 の 中 部 地 震 直 後 の6 月 初 め に ま と め ら れ た 世 帯 調 査 票 に よ れ ば275 世 帯 、790 人 で あ る が 、 ア リ サ ン と シ ン パ ン ・ ピ ン ジ ャ ム に 参 加 し て い る の は そ れ ぞ れ 約100 名 で あ る よ も ち ろ ん 、 そ の ほ と ん ど の 人 は 両 方 に 参 加 し て い る 人 で あ る 。 ア リ サ ン は 、 毎 回 集 会 の 時 に 各 人 が5.000 ル ピ ア ず つ 持 ち 寄 り 、 そ の 金 を そ の 時 に 自 分 の 番 号 を 引 き 当 て た2 人 が 受 け 取 る 。 参 加 者 は 、 す で に 番 号 が 当 た っ て 金 を 受 け 取 っ て い る 人 も 含 め て 、 必 ず 毎 回 こ の5,000 ル ピ ア の 額 を 持 ち 寄 ら な け れ ば な ら な い 。 各 人 は あ ら か じ め 自 分 の 決 め ら れ た 番 号 を 持 っ て い て 、 参 加 者 全 員 の 番 号 を 書 い た 紙 片 が 入 れ ら れ た 箱 か ら 毎 回2 枚 ず つ 番 号 札 が 外 に 引 き 出 さ れ 、 そ の 番 号 の2 人 が そ の 日 の 金 を 受 け 取 る 。 1 回 に1 人 が 受 け 取 る 金 額 は 約250.000 ル ピ ア で あ る 。 箱 に 入 れ ら れ た 番 号 札 の 紙 片 が 全 部 引 き 出 さ れ た と こ ろ で 、 全 員 が1 回 お 金 を 受 け 取 り 一 巡 す る の で あ る 。 他 方 、 シ ン パ ン ・ ピ ン ジ ャ ム は 、 参 加 者 が1 口 5,000 ル ピ ア で 金 を 持 ち 寄 り 、 そ の 出 資 金 を 原 資 文 化 情 報 学 部 紀 要 , 第11 巻 ,2011 年 と し て お 金 を 必 要 と し て い る 人 に 有 利 子 で 貸 し 付 け る の で あ る 。 シ ン パ ン ・ ピ ン ジ ャ ム の 原 資 の 調 達 方 法 に は い ろ い ろ あ る が 、 こ こ の 場 合 は 参 加 者 が 直 接 出 資 す る 方 法 を と っ て い る 。1 回 に 借 り ら れ る 期 間 は5 ヶ 月 で 、利 子 は10 % で あ る 。 借 り た 人 は 、返 済 す る 時 に 元 本 に10 % の 利 子 を 付 け て 返 す の で あ る 。 母 親 た ち が 、 自 分 の 判 断 で 出 資 を し た り 借 金 を し た り す る の で あ る が 、 そ の う ち 金 を 借 り る 主 な 理 由 は2 つ で あ る 。 す な わ ち 、 ① 子 ど も の 教 育 費 、 具 体 的 に は 子 ど も の 通 学 に 必 要 な 制 服 や 体 操 服 、鞄 や 文 房 具 な ど の 購 入 に 充 て る 費 用 、 そ れ と ② 参 加 者 自 身 の 仕 事 に 必 要 な さ さ や か な 運 転 資 金 、 た ど え ば 市 場 (Pasar ) に 出 店 し た り 行 商 を し た り し て 日 銭 を 稼 い で い る 女 性 が 少 な く な い が 、 彼 女 た ち が 商 品 や 材 料 を 調 達 す る 資 金 を 借 り る 場 合 で あ る 。 こ れ ら の 経 理 の 事 務 は 、 婦 人 会 の 会 計 係 が 担 当 し て い る 。 な お 、 出 資 者 へ は 配 当 が 行 わ れ る が 、 そ の 内 容 や 方 法 に つ い て は 未 確 認 で あ る 。 (2 ) プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 の ポ ス ヤ ン ド ウ ー プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 の ポ ス ヤ ン ド ゥ ー (Pos Pelayanan Terpadu : Posyandu ) は 、RT 第3 、

4 、5 組 で 構 成 さ れ る バ ラ1 (Mawar 1 ) と 、RT 第1 、2 組 で 構 成 さ れ る バ ラ2 (Mawar 2 ) の2 つ の 組 織 に 分 か れ て 活 動 し て い るレ 活 動 自 体 は 両 者 と も 同 じ よ う に 行 っ て い る が 、 比 較 的 部 落 が 大 き い た め 活 動 の 拠 点 と な る ポ ス ト を2 箇 所 に 分 け て い る の で あ る 。 こ の ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 に 参 加 し て い る 人 は 、 婦 人 会 参 加 者 の 半 分 ぐ ら い の 約50 人 で あ る6 こ の う ち 、 バ ラ1 と バ ラ2 の 参 加 者 の な か か ら そ れ ぞ れ5 人 が 、 地 域 保 険 セ ン タ ー の プ ス ク ス マ ス (Puskesmas : Pusat Kesehatan

Masyarakat ) な ど で こ の 活 動 の た め の 研 修 を 受 け て い る 。 研 修 は 、 こ の 他 に も 州 保 健 局 (Dinas Kesehatan ) や 、\た と え ばJICA な ど の 支 援 を 受 け たNGO の プ ロ グ ラ ム に よ っ て も 行 わ れ て お り 習 さ ら に大 学 生 の 必 修 と なっ て い る 農 村 滞 在 実 (KKN : Kuliah Kerja Nyata ) の 際 の学 生 と の

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黒 柳 晴 夫 / ジ ャ ワ 農 村 の 地 方 自 治 に 関 す る 調 査 ノ ート 話 し 合 い な ど も利 用 さ れて い る 。 こ れ ら の 研 修 を 受 け た 人 は カ デ ー ル(Kader) と 呼 ば れ てい る 。 ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 は 毎 月8 日 に 行 わ れ、 上 記 の ボ ラ ン テ ィ ア の 女 性 た ち が 、 バ ラ1 とバ ラ2 の 活 動 の サ ー ビ ス 拠 点 に な る 家 で 、 そ れ ぞ れ の 地 区 内 か ら 親 な ど に 連 れら れ て 検 診 に集 ま って く る5 歳 ま で の 子 ど も た ち の 体 重 、 身 長 、 頭 囲 、 上 腕 の 太 さ な ど を 測 定 し 、 そ の 結 果 を い わ ば 母 子 手 帳 の よう な 子 ど も の 個 人 カ ー ドKMS (Kartu Menuju Sehat) に 記 入 し て い く 。 そ の 後 で 、 女 性 た ち が 子 ど も の 健 康 や 栄 養 を 考 慮 七 て 用 意 し た ご 飯 、 野 菜 、 魚 肉 、 牛 乳 、 果 物 な ど を 子 ど もた ち に 食 べ さ せ る に の た め に 必 要 な 経 費 の 出 所 等 につ い て は 未 確 認)。 家 族 計 画 の 普 及 の た めり 奉 仕 活 動(Pelayanan Keluarga Berencana) も し て い る。 そ の主 な 活 動 は 、 ① 家 族 計 画(KB : Keluarga Berencana) 、 ② 5 歳 児 ま で の 乳 幼 児 の 健 康(Kesehatan Balita : Kesehatan bawah Lima Tahun) 、 ③ 妊 婦 の 健 康 (Kesehatan Ibu Hamil) 、 ④60 歳 以 上 の 高 齢 者 の 健 康 、 に 関 す る 支 援 活 動 な ど で あ る 。 避 妊 の た め に 最 も利 用 さ れ て い る の は 女 性 が 使 用 す るピ ル と IUD で 、そ れ に 比 べ て コ ン ド ー ム の 利 用 は非 常 に

少 ない 。

地 域 保 健 セ ン タ ー の プ ス ク ス マ ス(Puskesmas: Pusat Kesehatan Masyarakat) は 、4 ケ村 か ら な る ジ ュ テ ィ ス 郡 内 に は ジ ュ テ ィ ス1 とジ ュ テ ィ ス 2 を は じ め 全 部 で5 箇 所 あ る 。 そ の う ち の一 う は チ ャ ン デ ン村 に あ り、こ こ に は 女 性 の小 児 科 医 師、 看 護 士(Perawat) 、そ れ と助 産 婦(Bidan) が 常 駐 し て い る 。 2006 年5 月27 日 の 朝7 時54 分( 現 地 時 間) に 発 生 し た 中 部 ジ ャ ワ 地 震 に よ っ て、 バ ント ゥ ル県 内 で は4,143 人 が 死 亡 し 、71,763 戸 が 全 壊 、 71,372 戸 が 半 壊 し て 未 曾 有 の 被 害 を 受 け た。 こ の 時 チ ャ ン デ ン 村 で は251 人 が 死 亡 し 、3,008 戸 が 全 壊 、116 戸 が 半壊 し てゝ ∧ジ ュ テ ィ ス 郡 内4 ケ 村 の な か で 最 も 被 害 の 割合 が 大 き か っ た 。 こ の 大 地 震 被 災 後 に、 ポ ス ヤ ン ド ゥ ー は 社 会 的 弱 者 で あ る 高 齢 者 と乳 幼 児 を 主 な対 象 と し た 救 済 ・ 支 援 活 動 に か か わっ た 。 まず 、 被 災 で 体 調 を崩 す 人 が多 出 し 、 そ の人 た ち に 服 用 薬 等 の 円 滑 な支 給 と使 用 方 を 周 知 す る た め に 村 落 薬 剤 セ ン タ ー (POD : Pos Obat Desa )が 設 置 さ れ、そ の支 援 活 動 を し た 。

ま た、 高 齢 者 に つ い て は、 緊 急 支 援 団 体YEU (Yayasan.Emergency Unit ) の 資 金 援 助 を 受 け て 、2006 年9 月 か ら 翌 年 の9 月 ま で1 年 間 に わ た っ て、60 歳 以 上 の 老 人 を対 象 に1 人 当 た り 計 4,000 ル ピ ア の 現 金 の 給 付 と牛 乳 と パ ン の 配 給 を し た。 さ ら に、 多 く の 被 災 者 が 住 環 境 の よ く ない テ ン ト や シ ェ ル タ ー 生 活 を し て い た う え に 、 親 た ち が 災 害 復 旧 に 追 わ れ てい た た め に 、3 歳 以 下 の 乳 幼 児 を 対 象 に、 部 落 長 の家 で 週3 回託 児 所 を 開 い た。 託 児 は朝 の8 時 か ら10 時 ま で の2 時 間 で 、 カ デ ー ル が こ れ に あ た っ た。 (3) プ レ ン ブ ー タ ン 部 落RT 第1 組 の ダ サ ・ ウ ィ ス マ RT 第1 組 は、 プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 の な か で 最 も一世 帯 数 が 多 い 組 で 、合 計78 世 帯 、人 口215 人 で あ る(前 掲 表2 参 照 )。 し かし 、Sudarmaji 組 長 の 奥 さ ん の 話 で は、世 帯 数 は63 世 帯 で 、ダ サ ・ウ ィ ス マ に 参 加 し て い る 女 性 は ほ ぼ50 人 と の こ と で あ る。 ダ サ ・ ウ ィ ス マ ぱい わば 部 落 婦 人 会 のRT 単 位 の 下 部 組 織 を 兼 ね て い る が、RT 第1 組 の ダ サ ・ ウ ィ ス マ は、 世 帯 数 が多 い た め に2 つ に 分 け て 組 織 さ れ て い て 、 そ れ ぞ れ に 影 絵 ワ ヤ ン (Wayang )か ら と っ た 名 前 が付 け ら れ てい る 。 毎 週 日 曜 日 の 午 前 に ダ サ ・ ウ ィ ス マ の 集 ま り が も た れ る が 、 最 も 日 常 化 し た活 動 は ア リ サ ン で あ る 。 こ こ で は 、 アリ サ ン の 際 に 各 自 が 持 ち 寄 る 金 額 は 3,000 ル ピ アで あ る 。 (4) プ レ ン ブ ー タ ン 部 落RT 第1 組 青 年 団 プ レ ン ブ ー タ ンRT 第1 組 の 青 年 団 (Karang Taruna )は 、部 落 青 年 団 の 下 部 組 織 と な っ て もい る が 、PMBTS (Persatuan Muda-Mudi Bakti Taruna Seraten ス ラ テ ン 地 区男 女 青 年 奉 仕 団 体 )

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と 呼 ば れ て い る。 Seraten はRT 第1 組 とRT 第 2 組 が あ る 地 区 の 古 く か ら の カ ン ポ ン (Kampung ) の 名 前 で あ る 、 三 役 の会 長 、 書 記 、 会 計 が 決 め ら れ て お り 、 そ の 他 に 部 会 と し て は ① 会 員 の 相 互 親 睦 分 科 会 (Seksi Hubungan Musyawarah : Humas ) と、 ② ボ ート 漕 ぎ競 争 部 会 (Olahraga Dayung ) が あ る 。 毎 年 バ ント ゥ ル 県 記 念 日 の7 月12 日 と イ ン ド ネ シ ア 独 立 記 念 日 の8 月17 日 の2 回 、 隣 のRT 第2 組 と 近 く の オ パ ッ ク 川 の 堰 に で き た ダ ム湖 で 手 漕 ぎ 船 競 争 を す る 行 事 が 行 わ れ てお り 、 後 者 の 部 会 は そ の 活 動 を す る た め の も の で あ る 。 青 年 団 の 重 要 な 活 動 に 、Sinoman (相 互 扶 助 ) と 呼 ば れ る 結 婚 式 と 葬 式 の 時 の 来 客 接 待 な ど の 手 伝 い が あ り、 そ の時 に は 必 ず 青 年 団 で 決 め た ユ ニ フ ォ ー ム を 着 用 す る 。 結 婚 式 の 時 は 、 男 女 と も 上 は 赤 の 長 袖 バ テ ィ ッ ク シ ャ ツ、 下 は 男 子 は 黒 の ズ ボ ン 、 女 子 は 黒 の ス カ ー ト を着 る 。 ま た 、 葬 式 の 時 は 、男 子 は 上 は 黒 のT シ ャ ツ 、下 は 黒 の ズ ボ ン を 着 用 す る こ と に な っ て い る が、 女 子 は 赤 色 等 の 派 手 な 色 合 い の も の で な け れ ば 自 由 で あ る 。 も う 一 つ 青 年 団 の ル ー テ ィ ー ン 化 し て い る 活 動 に 、 各 世 帯 か ら の 電 気 料 金 の徴 収 が あ る 。 こ の 地 区 の家 々 が 農 村 電 化 プ ロ グ ラ ム に よっ て 電 気 を引 く よ う に な っ た の は、1990 年 代 初 期 の 頃 で あ る 。 電 気 料 金 の徴 収 は、イ ンド ネ シ ア 電 力 会 社(PLN: Perusahaan Listrik Negara ) か ら 電 気 料 金 徴 収 作 業 の 委 託 を 受 け て 、 ジ ュ テ ィ ス 郡 村 落 協 同 組 合 (KUD : Koperasi Unit Desa )が 電 気 使 用 量 の 検 針 作 業 を 行 っ て 各 世 帯 の 料 金 表 を作 成 し 、 こ れ を も と に 青 年 団 が 毎 月17 日 に 各 戸 を 回 っ て そ の 月 の 電 気 料 金 を徴 収 す る の で あ る 。 こ の 辺 で は 、1 世 帯 の1 ヶ 月 平 均 電 気 使 用 料 金 は 約30,000 ル ピ ア で あ る。 青 年 団 は 、 こ の 徴 収 作 業 で 、KUD か ら 1 世 帯 当 た り1,000 ル ピ ア の還 付 金 を受 け 、 こ れ を 団 の 活 動 資 金 の 大 き な 原 資 に し て い る 。 そ の 他 に 、 毎 週 日 曜 日 の 朝 に 空 手 (Silat) の 練 習 を し て い る 。 文 化 情 報 学 部 紀 要, 第11 巻,2011 年 ま だ 聴 き たい こ と、 も っ と 厳 密 に 内 容 を確 認 し たい こ と な ど多 々 あ っ た が 、 す で に2 時 間 半 を 超 え て 聴 き取 り に 応 じ て く れ た 人 た ち に も迷 惑 を か け る の で 、 聴 き 取 り を 終 了 す る 。 そ こ で 、RT 第 1 組 長Sudarmaji 宅 か ら250 m ほ ど 離 れ た 西 隣 のRT 第2 組 の 組 長 宅 を 訪 ね る。 す で に13 : 00 を 回 っ て い た が 、 組 長 のSubagyohadi が 在 宅 し てい た の で 、早 速 イ ン タ ビ ュ ー を さ せ て も ら っ た 。 2 。 プ レ ン ブ ー タ ン 部 落RT 第2 組 長 Subagyohadi の 聴 き 取 り(13 : 10 ∼14 : 10) RT 第2 組 長 のSubagyohadi は 、1968 年5 月 30 日 生 ま れ の41 歳 で 、専 業 農家 で あ る。 か れ は、 ま た1997 年 か ら プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 第1 農 家 グ ル ー プ 長(Ketua Kelompok Tani) を 兼 職 し て い る。 (1) プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 第1 農 家 グ ル ープ プ レ ンブ ー タ ン 部 落 に は 農 家 グ ル ー プ が2 つ 組 織 さ れ て い て、 第1 農 家 グ ル ープ は か つ て の カ ン ポ ン ・ ス ラ テ ン(Kampung Seraten) に あ るRT 第1 、2 組 の 農 家 が、 ま た 第2 農 家 グ ル ープ は RT 第3 √4 、5 組 の 農 家 が 参 加 し て い る 。・ 農 家 グ ル ー プ の 組 織 は1950 年 頃 に 作 ら れ た 。 こ の う ち、Subagyohadi が グル ー プ 長 をし て い る 第1 農 家 グ ル ー プ に は40 人 が 参 加 し 、3 役 に は 、 長 は Subagyohadi (高 卒 の41 歳) 、書 記 はGiyarta (高 卒 の45 歳)、会 計 はMusiran (小 卒 の49 歳) が そ れ ぞ れ 選 ば れ て い る 。3 役 がRT 第2 組 か ら 選 ば れ て い る の は、RT 第2 組 は 農 地 を 所 有 し て い る 自作 農 家 が 多 い こ と と 関 係 し て い る と 思 わ れ る 。 役 員 の 任 期 はL 期5 年 で、 再 任 の制 限 は ない 。3 役 の 選 出 は、 総 会 の 席 で 立 候 補 者 の な か か ら3 役 選 出 支 持 の 挙 手 が多 かっ た 順 に長 、 書 記 、 会 計 が 選 出 さ れ る 。 Subagyohadi は 現 在3 期 目 の 長 に 就 い て い る。 会 合 は 、兄 の 家 の 集 会 所(Pendopo) を利 用 し て、 西 洋 暦 の7 曜 と ジ ャ ワ 暦 の5 曜 を 組 み合 わせ て35 日 ご と に 開 催 さ れる 。

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黒 柳 晴 夫 / ジ ャ ワ 農 村 の 地 方 自 治 に 関 す る 調 査 ノ ート (2) 農 業 生 産 1 年 間 の 農 業 生 産 の パ タ ー ン は、 米 を8 月 末 ∼ 12 月 と1 月 ∼4 月 の 間 で2 作 、 乾 期 作 の Palawija を5 月 ∼8 月 の 間 で1 作 す る の が 一 般 的 な パ タ ー ン で あ る 。 こ の 地 区 は、 潅 漑 用 水 源 の オ パ ッ ク川 に 面 し て い て 水 利 に 恵 ま れ、 稲 作 中心 の 農 業 で あ る 。 整 然 と 短 冊 形 に 整 地 さ れ た 田 圃 は、1 枚 が1,200 m' の 面 積 が 基 本 形 と な っ て い た。 潅 漑 用 水 路 か ら 細 い 水 路 が 田 圃 の 間 に 延 び て い て 、 そ れ ぞ れ の田 圃 に 引 水 で き る よ う に 基 盤整 備 さ れ て い る 。 作 付 け さ れ て い る稲 種 は、Cisadane 、Cihera 等 も あ る が 、 一 番 作 付 け さ れ て い る の はIR64 で あ る 。 IR64 は 、no ∼115 日 ぐ ら い の 日 数 で 収 穫 で き る う え、 稲 の 幹 が 丈 夫 で あ る 。 収 量 は、10 m2 当 た り 精 米 (Beras ) で4kg 、 す な わち10 ア ー ル 当 た り400 kg で あ る 。 農 家 か ら の 売 値 は、 精 米 で1kg 当 た り4.750 ルピ ア ぐ らい で あ る 。 ま た 、 農 家 か ら の 米 の 買 い 取 り 価 格 が 、 籾 米1kg 当 た り 仲買 人 (Tengkelak ) が1,800 ル ピ ア で あ る の に 対 し て 、 村 落 協 同 組 合 (KUD ; Koperasi Unit Desa )が1,200 ルピ ア で あ る た め 、 農家 が 籾 米 で 売 る場 合 は ほ と ん ど仲 買 人 に売 り 渡 す 。 農 家 は、 精 米 や 籾 米 を 売 る 他 に 、 籾 殻 も 稲 藁 も 売 る 。 稲 藁 の 売 値 は 、 ト ラ ッ ク1 台 当 た り50,000 ル ピ ア∼ 100,000 ルピ ア ぐ ら い で あ 。る。 グ ヌ ン キド ル 県 の 牛 の 飼 育 農 家 に は、 牛 の 飼 料 に 稲 藁 を ト ラ ッ ク1 台 当 た り150,000 ルピ ア、 収 穫 後 の ト ウ モ ロ コ シ の 茎 を1 束 (10 本卜5,000 ルピ ア で 売 る 。 乾 期 作 のPalawija は 、 こ れ ま で は ト ウ モ ロ コ シ (Jagung )、 大 豆 (Kacang Kedelai )、 落 花 生 (Kacang Tanah ) が 最 も 一 般 的 な 作 物 で あ っ た が 、 最 近 は 野 菜 な ど 商 品 性 の 高 い 作 物 を 導 入 す る 農 家 が 増 え て い る 。 た と え ば、 田 圃 の 周 囲 に一 定 の 幅 で 野 菜 を 作 付 け し 、 中 央 に 背 丈 の 長 い ト ウ モ ロ コ シ を 作 付 け す る と か 、 田 圃 の 真 ん 中 に 境 を作 り、引 水 用 の 水 路 の あ る 上 の 側 に 野 菜 を 作 付 け し 、 反 対 の 下 の 側 に ト ウ モ ロ コ シ な ど のPalawija を 作 付 け す る 。 Subagyohadi グ ル ープ 長 の家 で は、 近 年 高 く 売 れ る(4,000 ルピ ア/kg )メ ロ ン の 作 付 け を し て い る 。 1年 間 の作 付 け 順 序 は、 ま ず9 月 ∼12 月 に稲 を1 作 し 、そ の 後 田 の 土 を 畝 上 げ し て 畝 の 間 を 掘 り下 げ て 水 は け を よく し 、1 月 ∼8 月 の 間 に 畝 の 上 で メ ロ ン を2 回 作 付 け し 、 さ ら に ト マ ト を1 作 し 、 そ し て 稲 作 に戻 る の で あ る。 か れ の と こ ろ の 経 営 面 積 は3,000 m' で 、 う ち1.000 ㎡ が 自 作 地 、2,000 m' が 小 作 地 であ る 。 か れ は 、 こ の メ ロ ン栽 培 を2.000 m2 の田 圃 で行 っ て お り 、 畝 挙 げ 作 業 や 、 メ ロ ン な ど の 栽 培 管 理 に は 手 間が か か る の で 、 日 当30,000 ルピ ア で1 人 を 雇 っ て い る 。 メ ロ ン な ど の 農 産物 は 、 自 分 で ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ 市 の 北 に あ るGanping 青 果 市 場 に 持 っ て 行 っ て 売 る 。 水 利 費 は 、10 m2 当 た り25 ル ピ ア /年 で あ る 。 す な わ ち10 a 当 た り の 水 利 費 は 年 額2,500 ル ピ ア に な る が 、2006 年 の 地 震 被 災 後 、 こ の 農 家 グ ル ープ で は 水 利 費 の 支 払 い を 免 除 さ れて い る 。 こ の 部 落 か ら 離 れ た と こ ろ の 田 を 耕 作 し て い る 人 は 、 そ こ の 分 の水 利 費 は払 っ て い る 。 す で に1 時 間 を オ ーバ ー し た た め 、 農 業 に つ い て 別 な 機 会 に 話 を 伺 い に 再 訪 し た い 旨 を 伝 え 、 14 : 10 過 ぎ にイ ン タビ ュ ー を 切 り 上 げ て 帰 路 に 就 い た。

4 。チャンデ ン村 の行政組織

―2010 年8 月27 日 (金)(晴 れ) 聴取− チ ャン デ ン 村 村 長Supanto と 書 記Mashuci の 聴 取 (10 :’ 30∼11 : 30)

LPMD (Lembaga Pemberdayaan Masyarakat Desa 村 民 権 限 付 与 委 員 会 ) は各15 部 落 の 有 名 人 ( 名 望 家 )(Tokoh Masyarakat ) か ら 選 ば れ る。 委 員 は 全 部 で22 人 。 現 在 のBP ・D の 議 員 は2012 年 ま で 機 能 す る。 議 員 の 選 挙 は そ れぞ れ の13 選 挙 区 で 行 わ れ、 第 1 回 め 選 挙 は2002 年12 月 に実 施 さ れ た 。 議 長 は

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最 も声 が多 か っ た 人 が 選 ば れ る。 近 年 あ っ た BPD の選挙 の や り方 の変 更 に従っ てお り、 その 新し い や り 方 は、部 落 か ら村 へ 代 表 を申 請す る (menurut perda terbaru ada pergantian

mekanism pemilihan BPD, yaitu pengajuan perwakilan dari pedukuhan ke desa) o

5 。プレ ンブー タン部落第1 組

−2010 年8 月28 日 (土)(晴 れ) 聴取− プレ ンブ ータン部 落RT 第1 組長Sudarmaii 宅 で組長夫婦 の聴取 (9:30 ∼11 :30) 第1 組長宅 の裏で、水 冷発動 機をエンジ ンにし た3 輪ト ラッ クの精米機 で精米 をし ていた業 者に 聴取。料 金 は、 籾 (Gabah )1kg の精 米代 が200 ルピ ア。100 kg の 籾 を 精米 す る と60 kg の精 米 (Beras)にな り、 精米代 は20,000 ルピ アになる。 籾1kg を精米 する と600 g (6on ) に減り、40% が籾 。農 家 が売 り 渡 す 米 の 価 格 は1kg 当 た り 5,000 ルピ ア。 ・屋 敷地Pekarangan はだい たい家 のある土 地。 Kebun は家 か ら離 れた ところ にあ る所 有地 で、普 通 は固 く締 った土 地の 園地(農 園)。 ・裏 にあ るKebun 100 m^ の面 積の収穫 につ いて。 こ のKebun (Pekarangan )は夫の相 続分で、自分 の相続し たPekarangan は、 同じ郡内 の別の村 に あ り、面 積は 夫 の2 倍あ る。 裏 のKubun には楯 子(Kelapa)が2 本、バナナ(Pisan)が10 本、マ ンゴー (Mangga ) が2 本あ る。 Kelapaは実 が付 い て か ら1 月 で 黄色 にな り、収 穫 で き る。1 個 1,000 ルピ アでWarung で売 るが、 ほとん どは自 家 消 費 す る・・。1 本 で 最 高年 に100 個 ぐ らい 採 れ る。 い まは、 自家消 費 のた めにKelapa の油 を自 宅 では作 らない。 手 間が かかる から、 現在、 食用 油 は全て購 入してい る。 園地 の収 穫物が 時々売 られて、 自分の利益 (必 要 )の ため に使 われる。1 年 の収穫 は、梅子200 個 で、1 個の値段 は1,000 ルピ ア。 Warung に売 文 化 情 報 学 部 紀 要 , 第11 巻 ,2011 二年 ら れ る 。 野 菜 の 調 理 や 魚 あ る い は 肉 料 理 に 必 要 な も の 。 バ ナ ナ は 、そ の ま ま 食 べ た り 、揚 げ た り さ れ る 。 バ ナ ナ の 種 類 は 、Pisang Kapok 、Pisang Ambon 等 が あ る 。 バ ナ ナ の 販 売 価 格 は1 kg 2,000 ル ピ

ア で 、 ま だ 熟 さ な い う ち に 売 ら れ る 。 成 熟 し た 場 合 の 価 格 は1 房10,000 ル ピ ア で あ る 。

・ 一 般 に 屋 敷 の 作 物 は 、 マ ン ゴ ー 、 ラ ン ブ ー タ ン (Rambutan )、 ム リ ン ジ ョ (Melinjo )、Munggur ( 木 の 名 前 )、 パ パ イ ヤ 等 。 以 前 、 村 で は 各 戸 の Pekarangan に4 種 類 の 果 樹 を 植 え る よ う に 奨 励 し 、 苗 木 や 種 子 な ど を 配 っ て 援 助 し た 。 村 か ら の 苗 木 ・ 種 子 の 援 助 は 、1 世 帯 あ た り4 種 類 の 作 物 ま で 受 け ら れ た が 、 全 部 は 受 け ら れ な か っ た 。 村 の 奨 励 種 は 、 梅 子 、 マ ン ゴ ー 、 ラ ン ブ ー タ ン 、 ム リ ン ジ ョ で 、 収 入 の 多 様 化 を は か る た め 。 福 子 の 木 は す で に 古 く な っ て 実 を 付 け な く な れ ば 切 り 倒 さ れ 、 幹 は 家 造 り の 材 料 に 使 わ れ る 。 バ ナ ナ の 本 は 実 が な る と そ の あ と 根 元 か ら 切 り 倒 す 。 切 っ た 幹 か ら 若 木 が 生 え て き て 、1 年 以 上 か か っ て 成 長 す・る 。 バ ナ ナ は 房 が 着 く と 約4 ヶ・丹 で 黄 色 く な り 、 収 穫 で き る よ う に な る 。 敷 地 内 の 本 で 家 の 建 築 材 に 向 く の は シ ャ デ ィ (Jati)( チ ー ク の 本 ) で あ る 。 ・ 組 長 宅 は 田 を 所 有 し て い な い 。 村 役 場 の Keamanan 係 のSuroso の 役 職 田 か ら 、300 ル バ ン と400 ル バ ン の 田2 枚 を 借 り 、Maro 小 作 を し て い る 。 収 穫 し た 籾 米 をSuroso と 半 分 ず つ 分 け る 。 自 分 は そ の な か か ら 種 籾 代 、肥 料 代 、農 薬 代 、 手 間 代 を 負 担 す る 。 400 ル バ ン の 方 の 田 は そ の ま ま 田 でPedagan に 売 る 。 そ・の 代 金 収 入 は 5,000,000 ルピ アで、Suroso と折半する。 1ルバ ン =10 m^。 Tanah Kas Desa の小 作料 は、100 ル

バ ン で 年 額500,000 ル ピ ア。

・組 長 宅 の 南 隣 のSurepno は ジ ョ ク ジ ャ カ ル タ 国 立 大 学(UNY :Universitas Negri Yogyakarta 、旧 IKIP Yogyakarta ) に 勤 務 し 、 専 攻 は 法 学 。 自 宅 の 池 で 淡 水 魚 のGurame を 飼 っ て、 収 入 の足 し に

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黒 柳 晴夫 / ジ ャ ワ 農 村 の地 方 自 治 に 関 す る 調 査 ノ ー ト し て い る 。Gurame は1 年 で4 オ ン(Ion = 100 g ) に 成 長 、1 年 で 売 る 。 売 値 は1kg 当 た り100,000 ル ピ ア 。 餌 代 は1kg 当 た り7,500 ル ピ ア で あ る 。 ・ 一 般 の 手 間 賃 は 、1 日 当 た り (8:00 ∼15 : 00 ) 大 工 (Tukang Kayu ) が40,000 ∼50,000 ル ピ ア 、 石 工 (Tukang Batu ) が35,000 ∼40,000 ル ピ ア 、 材 料 運 び (Laten Tukang ? ) は25,000 ∼30,000 ル ピ ア 。 ま た 、 農 業 労 働 者 (Buruh Tani ) は1 日 賃iた り (8 :00 ∼11 : 00 と13 =00 ∼16 =00) 20,000 ル ピ ア 。

・Canden 村 は 、Desa Suren Wetan (Suren は ド リ ア ン の 木 、Wetan は 束 の 意 ) とDesa Pulo Kadang (Pulo は 島 、Kadang は 親 類 の 意 ) が 統 合 し て で き た 。

゜Posyandu (Pos Pelayanan Terpadu ) のKader の 職 務 は5 つ の サ ー ビ ス に 分 か れ て い る 。

①Pendaftaran 登 録 ・ 申 し 込 み ト ②Penimbangan 計 量 ・ 測 定

③Penyuluhan 診 察 ・ 相 談 ④Pengobatan 施 薬 ・ 調 薬

⑤Pemberian Makanan Tambahan 食 べ 物 の 補 給

Kader はPKK の 会 員 の な か か ら 選 ば れ る 。 Kader  は Puskesmas (Pusat Kesehatan

Masyarakat ) か ら 診 察 情 報 を 与 え ら れ る 。 プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 の ポ ス ヤ ン ド ゥ ー (Pos Pelayanan Terpadu : Posya 姐u ) の2 つ の 組 の う ち 、RT 第1 、2 組 で 構 成 さ れ る バ ラ2 (Mawar 2 ) に はKader が 合 計6 人 い る 。

Posyandu Lansia = Posyandu Lanjut Usia : 高 齢 者 の ポ ス ヤ ン ド ヴ ー 。

6 。プレ ンブ ータン部落の組織

−2010 年8 月29 日( 日)(晴 れ)聴 取− プレ ンブ ータン部落RT 第1 組長Sudarmajl 宅 での聴取 (9:30 ∼11 : 30) ・田 の草取 りは、Gosrok を使って行 う。田植 え後 1 週 間 で1 回 目 、20 日 目 で2 回 目 の 田 の 草 取 り を し 、 そ の 間 に1 回 施 肥 を す る 。 Buruh Tani の1 日 当 た り (7:00 ∼11 : 00 と13 : 00 ∼16 : 00 ) の 労 賃 は 女20,000 ∼ 男30,000 ル ピ ア 。  ・  ¶   I ・RW は な く な っ た がRT は そ の ま ま で 、 現 在 も 5 つ のRT で あ る 。 部 落 に お け るRT の 再 編 は そ れ ぞ れ の 裁 量 に 任 さ れ て い る 。 ・ Siskamling に つ い て RTl とRT2 のPos Kamling の 場 所 は 一 緒 で 、 そ の 夜 の 宿 番 の 家 に 集 ま る 。 宿 番 の 家 は 順 番 に 担 当 。 両 組 で 一 晩 に10 ∼20 人 集 ま る 。 そ の 夜 の 当 番 の 人 は 、 夜 の8 時 過 ぎ 頃 に 各 戸 か ら 金 を 集 め て 宿 番 の 家 に 集 ま り 、21 : 00∼24 : 00 頃 ま で 詰 め る 。 宿 番 の 家 で は 、 飲 み 物 や 茶 と ス ナ ッ ク な ど の 菓 子 を 用 意 す る 。 そ の 費 用 は 当 番 の 家 で 負 担 し 、 そ の 額 は 一 晩 で50,000 ∼100,000 ル ピ ア ぐ ら い 。 宿 番 の 家 に 集 ま る と 、 ① 集 め て き た 金 を 家 ご と に 金 額 を 記 入 。 各 戸1 晩100 ル ピ ア で 、1 月3,500 ル ピ ア 。 こ の 金 がSimpan Pinjam の 原 資 に な る 。 ② 本 来 な ら 夜 警 に 回 る が 、 そ の ま ま 雑 談 で 過 ご す こ と も 多 い 。 ③ そ の 夜 の 当 番 の グ ル ー プ ご と に Arisan を 行 う 。 額 は5,000 ル ピ ア 。 ④Simpan Pinjam を 行 い ミ1 回 に 最 高20,000 ル ピ ア ま で 借 り る こ と が で き 、 必 ず3 週 間 以 内 に 返 し 、 同 じ 人 が 続 け て は 借 り ら れ な い 。 ・ Posyandu に つ い て Chandlen 村 に は 全 部 で15 部 落 が あ り 、 Plembutan 部 落 は5 つ の 組 に 分 か れ て い る 。 Plembutan 部 落 のPosyandu は2 つ の 組 織 に 分 か れ 、1 ∼2 組 と3 ∼5 組 で 各 組 織 さ れ て い る 。 Kader は 、1 ∼2 組 のPosyandu は6 人 √3 ∼5 組 のPosyandu は7 人 で 、 全 部 で13 人 い る 。 Posyandu の 役 割 は ①Pendaftaran Anak Kecil 登 録 ・ 申 し 込 み 、 ②Penimbangan 計 量 ・ 測 定 、 ③ Penyuluhan 診 察 ・ 相 談 、 ④Pengobatan 施 薬 ・ 調 薬 、 ⑤Pemberian Makanan Tambahan 食 べ 物 の 補 給 。 Kutua Posyandu が 、PKK の 会 員 か ら 選 ん でPuskesmas で 研 修 (Penataran ) を 受 け さ せ て

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Puskesmas へKader を 推 薦 す る 。 ジ ャ ワ 地 震 前 まで は 皆 が 寄 付 金Iuran と し て500 ル ピ ア を 持 ち 寄 っ て 費 用 に 充 て て い た が 、地 震 後 はPuskesmas が 費 用 を 負 担 し て い る 。 Puskesmas か ら の 費 用 は 年 間300,000 ル ピ ア。 Posyandu の 活 動 の 日 は 毎 月8 日 で、8 : 00∼13 : 00 の 間 に 組 長 の 家 で 体 重 ・頭 の 周 囲 ・腕 の 周 囲 ・ 身 長 の 測 定 を 行 い 、 ご 飯 、 砂 糖 、Tempe 、 卵 、 果 物 な ど を 子 ど も に 食 べ さ せ る。

・ Paket A とKelompok Pencapir に つ い て 場 所 は村 役 場 で 行 わ れ る が 、 村 で は 地 震 以 降 は 学 校 外 教 育 のPaket A 、B と も 受 け て い る 人 が い な い 。 い ま は テ レ ビ 、 ラ ジ オ 、 新 聞 な ど の 視 聴 学 習 グ ル ープKelompok Pendengar 、Pembaca dan Pemirsa は な く、Kelompok Petani に なっ て い る 。

7 。チ ャンデン村 の行政組織およ

び各種組織

−2010 年8 月30 日 ( 月 )( 晴 れ ) 聴 取−

チ ャ ン デ ン 村 村 長Supanto と 行 政 係 長Suroso の聴 取 (9: 10∼10 : 30)

村 長Lurah と 部 落 長Kepala Dukuh は 当 該 住 民 の 直 接 選 挙 で 選 出 さ れ 、 村 落 協 議 会BPD の 承 認 を 要 し 、 県Kabupaten に 推 薦 す る 。 も し 、 村 役 人 に 欠 員 が 出 た ら 、 村 政 府 は 県 に知 ら せ 、 県 は候 補 に 参 加 す る 人 の 一 覧 表 を 用 意 し 、 村 で 村 役 人 候 補 者 の一 覧 を つ く る 。 職員 の 候 補 者 は 、 村 長 が 部 落 長 と相 談 し て 選 考 し 、 村 落 協 議 会 の 承 認 を 得 て県 に 推 薦 す る 。 県 で 筆 記 試 験 が 行 わ れ、 成 績 が 同 じ 場 合 に は、 村 長 に 判 断 を し て も ら う 。 県 か ら 村 職 員 に辞 令 が 交 付 さ れる 。 村 役 人 の う ち、C arik は 国 家 公 務 員PNS (Pengawai Negri Sipil ) で 、 県 が 直 接 選 考 し て 任

命 す る。 Carik を 含 め 村 職 員 は 定 年 が60 歳 で あ る 。 村 長 を 入 れ て 村 の 職員 (Karyawan Desa ) は 32 人 で あ る。 定 年 に な る と 、 役 職 田づLungguh ) の1/5 を 本 人 が 死 亡 あ るい は 辞 退 す る ま で 利 用 で 文 化 情 報 学 部 紀 要 , 第11 巻, 2011 年 き る 。 村 長 選 出 は25 歳 、 村 役 人 就 任 は21 歳 以 上 で あ る レ RW の 制 度 は 廃 止 さ れ た が 、RT は 従 来 の 部 落 と 数 に 変 更 な く 全 部 で76 RT で あ る 。

Canden 村 は 、1946 年 にKrakas 、Suren 、 Gadunngan の 旧3 村 が 合 併 し て で き た 。 初 代 村 長 はDarrnOredjo (1946 ∼88 )、 第2 代 村 長 は MujiIan (I989 ∼98 )、 第3 代 柱 長 はH.S.Parjo , BA (I998 ∼2OO7 )、 第4 代 の 現 村 長 はSupanto , SE (2OO8 ∼I4 ) で あ るo 現 在 の 行 政 係 長 (Pemerintahan ) のSuroSo は 初 代 村 長 Darmoredjo の6 男 で 、I97O か ら 村 職 員 と な つ たo 現 在 の 書 記Carik のMaShudi や

8 。チ ャンデン村 の行政組織

−2010 年8 月31 日 ( 火 )( 晴 れ ) 聴 取 − チ ャ ン デ ン 村 村 長Supanto 等 の 聴 取 (10 : 00∼ 10 : 40) 《同 席 し た調 査助 手Fajar に よ る聴 取 メ モ》 LPMD (Lembaga Pemberdayaan Masyarakat Desa 村 民 権 限 付 与 委 員 会 ) の 委 員 は20 人 で、 基 本 は 部 落 で あ る 。 各 部 落 か ら 名 望 家 、 有 能者 が 送 ら れ る 。 委 員 は 、 よ く 知 ら れた 社 会 の 代 表 と い う 保 証 さ れ た リ ー ダ ー。 そ の 機 能 は、 開 発 、 第 一 に 物 質 的 開発 を 計 画 す る な か で 村 政 府 を 助 け る こ と で あ る 。 LPMD は 毎 月 共 同 活 動 が 行 わ れ る 。 12月 に 計 画 が 立 て ら。れ る が 、11 月 に 部 落 で MUSRENBANG Dusun が 行 わ れ る。 各 部 落 の Musrenbang Dusun が 集 め ら れ て 、郡 を 通 じ て県 に 提 出 さ れ るMUSRENBANG Desa に な る 。 LPMD の 活 動 費 はADD (Alokasi Dana Desa untuk LPMD ) か ら で 、8.500.000 ルピ ア で あ る 。 BPD は 県 か ら 議 員(Kehormatan )へ の 金 が あ り、 ∧L 年 間 に11 人 に対 し て9,000,000 ルピ ア で あ る 。

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黒 柳 晴 夫 / ジ ャ ワ 農 村 の 地 方 自 治 に 関 す る 調 査 ノ ート 各 村 は、村 の 必 要 に 応 じ て 県 か ら の援 助 基 金 ADD を得 る。定 年 の村役 人 は定年援 助 を得る。 25 年 以上 働い た人のた めに、死 亡す るまで現 職の 時 に与 えら れてい た役 職田 の1/8 を与 えら れる。 こ の規定 は県 か ら定 めら れてい る。 もし 村が水 田 を 持 っ てい な かっ た ら、Carik に は国 家 公 務員 PNS (Pengawai Negri Sipil)n ラン クの、村長 に はPNS H C のラ ンクの給料が支払 われる。

9 。 チャンデン村村 落協議会とプ

レ ンブ ータン部落

−2011年3 月5 日(土バ 雲)聴取− 1. プ レ ン ブ ー タ ン 部 落 長Sumardiyono 宅 で の 聴 取 (10 : 00∼11 : 30)・ 部落 長のSumardiyono は昨年11 月に 隣の4 組 に新た に家 を借 りて移 り住 んでい た。 《同 席 した調査助手Sumini による聴取 メモ》 新体 制で は、 選挙 に統一性の原 理があ る。 村落 協 議 会BPD で は、 社会 の実 態が多 く反 映さ れて い ない 。こ れに対し てLPMD で は、 若者 に 関し たこ と、 隣組 に関し たことで、社 会が より多 く反 映さ れてい る。 BPD の 実 施 上 の 妨 げ に な っ て い る こ と は 、 ① チ ェ ッ ク と バ ラ ン ス の 機 能 が 最 大 限 に 機 能 し て い な い こ と ( 機 能 は 、 監 視 や 管 理 で あ っ て 、 村 長 を 倒 す 権 利 は 持 っ て い な い )、 ② 村 政 府 がBPD に よ っ て コ ン ト ロ ー ル さ れ る こ と 、 ③BPD 本 来 の 機 能 が 最 大 に 生 か さ れ て い な い こ と 、/④ 議 員 が 、 自 分 の 考 え を 住 民 の 代 表 の よ う に 置 く こ と 、 な ど で あ る 。 社 会 的 に 評 価 さ れ て い る 団 体 は 、Karang Taruna 、PKK 、LPMD 。 社 会 は 必 要 で あ れ ば 他 の 組 織 を 作 る こ と が で き る 。 村 の 政 府 (Pemerintahan Desa ) は 、 村 長 とBPD で あ る 。 自 治 シ ス テ ム に お け る 変 化 の 影 響 は 、 ① 社 会 の 監 視 ( た と え ば 汚 職 で 辞 職 し たPendowoharjo の 村 長 )、 ② 社 会 の 実 情 が よ り 反 映 さ れ る よ う に な っ た 、 ③ 社 会 が 、 開 発 の 演 技 者 と し て 演 じ る た め の 機 会 が 広 が っ た こ と 、 な ど で あ る 。

Canden 村 の 村 長 はSupanto 、SE. (Sarjana Ekonomi ) で3 年 目 。 村 長 の 任 期 は6 年 。 Jayan 部 落 はSamino が 部 落 長 だ っ た が 、 死 亡 し た た め Saryanto に 代 わ っ た6 選 挙 に つ い て 、 村 の 選 挙 は 村 長 と 部 落 長 に つ い て だ け で あ る 。 Sekretaris/Carik は2016 年 か ら 表5  チ ャン デン村 の現 在 のBPD の議 員構 成 ( 職 位) 1. 議長ketua BPD 2. 副議長wakil ketua 3. 書記sekretaris 4. 議員anggota 5. 議員anggota 6. 議員anggota 7. 議員anggota 8. 議員anggota 9. 議員anggota 10. 議員anggota 11. 議員anggota 12・.議員anggota ( 名前) Tohayadi Basar Drs. Sunarjo Drs. Ponijan Kahno Subroto Rajiman Buchori Sudaryanto Sonhaji Husen Yahyo Supriyono (住所) Ngidikan部落 Gadungan kepuh Jay an Pulokadang Kralas Plembutan Suren Wetan Kiringan Kiringan Gadungan Pasar Suren Kulon Beran (履 歴 ・ 職 業) 前Bantul 県 のDPRD の 書 記 SMP Bantul の 教 員

Dosen UIN (Universitas Islam Negri) Guru SD Bantul

Suzukiオ ートバ イ販 売店 運転 手 印刷 会社 勤務

ホテルの守衛

Guru agama SD Bantul イスラム教の識者 Puskesmas職員

(12番 は2009年 からBeran 部落 長 に就任 し,Sugi に代 わっ て現 在 に至 る。)

参照

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