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||新入手の舎利箱銘文によって||高
橋 発 昭 何んの変哲もない、茶色否灰色の石製舎利箱。然し斜めに光線が当ると奇妙な凸凹が見える。自然のものでない。 怠識的に彫ったものらしい。単念に光線を斜めから、横から、そして上方から当ててみると、くっきり文字が浮き出 して来る。早速写真をとると、まぎれもない古代インドの文字。ってを求めて斯界の第一人者パリ l 大 学 の フ ス マ ン 教授によんでもらう。教授はフ!シェのもとガンダ l ラ・アフガニスタンの仏教遺跡発堀を王掛け、これらの古代文 字の読める数少ない堂者である。やがて博士から後述の翻訳をいただいた。 つけてくれた。文字はカロシティ文字、言葉はプラ 1 ク リ ッ ト と の こ と 。 一 は ロ l マ ナ イ ズ し た も の 、 更 に 英 訳 も 〉 H・
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− 僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 構 ︶僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶ A 仏舎利簡 B
僧院から仏塔崇拝 へ ︵ 高 橋 ︶
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理盤会d話縛蝶肱ど(恒轄) B 8. i sarira acJi pradethavida 9 . pria-vsa(sa)~amaQasa 10. ime ya sarira pradethavi・ 11. da i danamuhe priava
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12. madapida puyaida 13.mahi~adagaQa airi -14. -aQa parigrahami 15.Sasa~amaQasa 16. TreordaQiyao puyae 17. yeQa io vihare prat(i)tha・ 18. v(i)de -英 訳 1.in the year six and・・・・・・…? 2. of the late great maharaja Azes 3 . in the month of Asa<Jha. in the day 4. 23th. on that day 5. (under the protection) of the yavuga (i・
etribe chief) 6. ? of the maharaja 7. ? 8 . these corporal relics are here deposited 9. by priava (son ofsasa~amaQa) ? 10. And these relics are deposited 11. Ths is a gift (priava) ? s 12. Father and mother are honoured 13-14. In tle acceptance of the mahisasaka a.caryas: 15. (of ? ) sasa~amal}a ? 16. Ln the honour of TreoraQiaQao ( ? ) by whom 17-18. This closter was established ,園、 由 。 匂、
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意訳すると、アゼス大王の六
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月の二十三日、大王の種族の苫さ哲の司ユm g
によって舎利が奉 安 さ れ た 。 父 や 母 の 供 養 の た め に 、 そ し て そ れ は 化 地 部 の 受 領 に 於 て な さ れ た 。 と あ る 。 私がここでとりあげたいのは、この﹁化地部の受領に於て﹂ということである。然もこの舎利箱が収められたから には、この上に塔が立っていたことになる。即ち﹁化地部の受領﹂即ち承認に於て降客建てたということが重要な問 題 で あ る 。 なぜなら、化地部は﹁僧中に仏有り、故に僧に施さぱ便ち大果を得、別して仏に施すも︵しか︶非志の異部宗輪 論の文字の如く、僧院中に仏があるから、僧院に供養することが仏に供養することで、別に仏塔を建てても功徳はな い と の 立 場 だ か ら で あ る 。 これを裏書きするのが化地部所伝の五分律第二十の次の如き物語りである。即ち﹁毘舎離の諸々の園の中で第一で あるこの園を功徳を積まんとして今世尊に奉納したいから、どえぞ御受納下さい﹂と仏に申し上げると、仏は﹁僧に 施すのが大果を得る道である﹂と言われた。そこで捺女が再ねて仏に御受納を乞うと、仏は﹁但、僧に施せ、我も僧 数にあれ慢とおっしゃったとある。これは端的に化地部の立場を示している。今この原文芸すと次の知くである。 即 ち 捺女手自製酌歓喜無乱。食畢行水却住一面。白仏言。毘舎離諸国観中此圏第一。我修正園本欲為福。今奉世尊。願 垂 納 受 。 仏 言 。 可 以 施 僧 得 大 果 報 。 捺 女 重 以 上 仏 。 仏 言 。 但 以 施 僧 我 在 僧 数 。 捺 女 受 教 即 以 施 僧 。 更にこのことは化地部に奉献された碑銘かららもわかる。ーはプラ l ク リ ッ ク の 影 響 を 受 け た 党 語 で 、 他 は グ プ タ 以 前 の プ ラ フ ミ 1 文字である。前者はタキシラ南方の同C
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︶ か ら 、 も う 一 つ は 遠 く 南 イ ン ド の ナ ガ l 僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ﹀僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶ ルジユナコンダ出土である。何千キロとはなれた遠隔地から出土した両銘文が共に﹁僧院を供養した﹂とあって、 ﹁ 塔 を 供 養 し た ﹂ と は な い 。 こ こ が 注 意 さ れ ね ば な ら な い 。
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同 z g m 出 土 の 銘 文 の 大 要 を 述 べ る と 王中の王・大王・2
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月の白月二日の星宿 ︿z z
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許 可 印 ︶ の 下 に : : : : : : 大 悲 を も っ て ︵ 済 度 し た も う ︶ 仏 世 尊 の ﹁ 仏 を 上 首 と す る 四 方 の 比 丘 僧 伽 ︵Z
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︶ が 建 立 さ れ た 。 : : : : : : 一 切 衆 生 が 無 上 智 慧 ︵g
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︶は四方僧伽に対して化 地部の所管してなされや︸︵袋、筆者︶ω
ナ ガ l ル ジ ュ ナ コ ン ダ の 銘 文 は 以 下 で あ る 。 成就あれ/世尊等正覚者に帰命す0
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︶ の 諸 師 の 所 領 と し て 、 四 方 僧 伽 に 対 し て 、 一 切 衆 生 の 利 益 安 楽 の た め に 、 柱 ︵58
々 と と 僧 院 ︵ ︿ 佐 智 也 を建立した。︵この造営工事は︶大説法師︵S
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叶判引て遂行されや︼ ︵ 傍 線 筆 者 ︶ このナガlルジュナの銘文で注意されねばならないのは、軌範師の指導のもとに建立されたのが僧院や柱であって 塔 で な い こ と で あ る 。 従って化地部の律や所伝の経典に則って行われたからである。銘文中の﹁仏を上首とする四方の比丘僧伽﹂の言葉が ﹁ 僧 中 有 仏 ﹂ の 立 場 を 示 し て い る 。 文、戸∞
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巳 ロ 仰 向 旦 ロ ロ 呉 Oロ 島 町 ︸ に ﹁ 化 地 部 の 僧 院 と 二 ケ の 塔 から出来ている遺跡が、西山部・多聞部・分別説部の僧院跡と比較して違う所はの巴守中旬Z
や仏像安置の洞堂を 僧院区内にもっていない所だ﹂と述べていることが﹁僧中有仏﹂のこの派の立場をはっきり示している。然し仏塔が 僧院外にでも二一つあることはどうしたことであろう。さだめし仏塔供養が在家の聞に隆盛になると、﹁仏塔供養功 徳果少論﹂は表向き、特に出家向けで在家信者には仏塔信仰を許さざるを得ない情況になって来た為のものと筆者は 推測するのだが、如何なるものであろうか。もしこの推論が許されるものなら、筆者の入手した銘文入り舎利箱も ︵ こ の 上 に 塔 が 建 て ら れ て い た か ら ﹀ 、 こ う し た 仏 体 ロ 崇 拝 の 流 れ を 反 映 し て い る と 考 え ら れ る か ら で あ る 。 勿もこの舎利箱の塔が後述の同巴ω
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の よ う に 、 僧 院 外 に 建 て ら れ て い た も の か 、E
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や U F m 司 自 問 旦 停 釦 の 僧 院 中 の 塔M5
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の 如 く 僧 院 内 に 建 て ら れ て い た の か 知 る 由 も な く 、 そ の 申 エ 地 も 分 ら な い 。 唯 、 ペ シ ャ ワ ル の 骨 薫 商 の 店 に あ っ た も の を 英 国 人 が 買 っ て 日 本 に 持 ち 込 ん だ と 伝 え ら れ て い る だ け で あ る か ら 。 筆者は箱の中の石を削って石質を調べるとガンダ 1 ラ 北 方 或 は 周 辺 に 出 土 の 多 い 緑 色 が か っ た 灰 色 の も の で あ る 。 前述の加くタキシラ南方のクラに化地部があったし、玄撲はカピシで﹁この国には大乗の僧求那政陀がおり、薩婆多 部︵説一切有部︶の僧阿繁耶代摩、弥沙塞部︵化地部︶の僧求那駿陀がおり、みなカピシの国の第一人者だっ向﹂と 慈恩芽伝師伝に伝えている o 又高僧伝に五分律の訳者仏駄什は﹁厳賓の人、小にして弥沙塞部の僧に受業売∼とも訳 されているから、この西北インドに化地部があったことは十分推測される。 更に異議輪論に﹁法蔵部本宗同義。謂仏難在僧中毒。然別施仏果大非僧。於牽堵波興供養護広大主義 僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶ 部 宗 輪 論 述 記 巻 中 川 ル ﹁ 法 蔵 部 ・ : ・ : 既 に 化 地 部 の 本 旨 に そ む き 遂 に 部 分 か る ﹂ と あ る 。 法 蔵 部 の 銘 文 は
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マ ト ウ l ラ か ら 二 つ 発 見 さ れ て い る 。 マ ト ウ l ラ 出 土 の も の は さ霊像の銘繋ある。大乗と見間違うような菩薩像とか、四分律には後述の﹁欲実匙の大乗の文字がくり返 されたり、﹁能供養爪髪竜必成無上喝﹂と大乗と見間違うが如き文字を見る時、﹁僧虫程﹂の化地部から挟を 分 っ て 独 立 し た こ と が わ か る よ う な 気 が す る 。 従 っ て ジ ャ マ 1 ル ガ リ か ら マ ト ゥ l ラ の 聞 の 法 蔵 部 の 寺 か ら 余 り 遠 く な い 所 。 や は り ガ ン ダ I ラ の ど こ か に 、 こ の 舎 利 箱 の 記 ら れ て い た 塔 が あ っ た に 違 い な い 。 い ず れ に し て も 、 ﹁ 僧 中 有 仏 ﹂ の 僧 院 中 心 の 化 地 部 が 、 仏 壇 信 仰 の 流 れ に 抗 し 切 れ な く な っ た 時 代 相 が こ の 舎 利 箱 で よ み と れ る よ う に 筆 者 に は 思 わ れ て な ら な い 。く
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( 70) そ う し た 僧 院 中 心 の 考 え 方 か ら 仏 塔 へ の 関 心 が 深 ま り 、 念 日 巳 ’m
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長冨等の如く僧院より仏塔が 巨 大 と な り 、 且 つ 又 僧 院 が 塔 の ま わ り に 作 ら れ て 来 る よ う に な っ て 来 ’ 句 パ 1 リ 1 上 座 部 は ﹁ 僧 伽 に 施 せ ば 大 果 が あ る ﹂ の 立 場 に 立 っ て い た が 、 や が て 仏 塔 供 養 を 功 徳 あ る も の と し て 信 者 に す す め た が 、 然 し そ れ は 生 天 の 功 徳 を う る だ け の も の で 、 浬 撲 や 悟 り を 得 る こ と は 出 来 な い と 考 え た 。 又 仏 塔 の 経 営 は 在 家 で 、 現 在 で も ピ ル マ な ど で は 在 家 信 者 が ﹁ 委 員 会 ﹂ を 作 っ て 経 呂 し 、 比 丘 は 直 接 関 係 し な い の は 十 諦 律 等 に 表 れ て い る 思 想 の 延 長 上 の も の で あ ろ う 。 即 ち 、 十 調 律 に は ﹁ 塔 物 無 尽 と は 毘 耶 離 の 諸 佑 客 は 塔 物 を 用 い て 翻 転 し 、 利 を 得 て 体 ロ を 供 養 せ り 。 是 の 人 、 利 を 求 む る が 故 に 、 遠 処 に 到 ら ん と 欲 す 。 此 の 物 を 持 ち て 比 丘 に 与 え て 一 吉 う 、 ー「 長僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶ 1.ダルマラージカ大塔 老よ、これは塔物なり、汝まさに出息して利を得し め塔を供養せね﹂と比丘に寄託した。このことはそ れまで商人が塔物を無尽して経営していたことを証 明 し て い る 。 更 に こ の こ と は 舎 利 弗 の 舎 利 塔 に つ い て 会 事 え る 。 釈尊より早く亡くなった舎利弗の舎利をア l ナ ン ダ が供養していた。給孤独長者はその舎利をほしいと 願 い 出 た が 、 71 ナンダが承知しないので釈尊に願 い 出 る と 、 釈 尊 は ア l ナ ン ダ に 、 ﹁ 党 行 者 の 遺 骨 に 供養するよりも如来に供養する方が大切だ﹂と長者 に与えるようさとした。舎利を得た長者は家に持ち 帰り供養していたが、余り大勢来るので門をとじて し ま っ た 。 そ れ は 高 く て 見 晴 し の よ い 所 ︵ 顕 微 之 処 ︶ に ス ト ゥ l パ を 建 て て 人 々 に お ま い り さ せ る 為 で あ っ た。そして長者はストゥ!パの作り方を釈尊に問う ね ⋮ : : と い う 。 こ の 話 も 在 家 が 舎 利 を 記 り 、 文 家 の 中 に あ っ た 舎 利 を 屋 外 に 建 て て 紀 っ た と い う こ と は 、
僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶ 僧院中にあった仏塔が、僧院外に紀られ、出家在家共々に紀って行ったプロセスが暗示されているように思われてな らない。そして又過去仏たる迦葉仏の塔については各部派の律で同じように述べられているから、玄撲の大唐西城記 中 随 所 に 述 べ ら れ て い る よ う に 、 こ の 過 去 仏 の 塔 は 数 多 く 杷 ら れ て い た に 違 い な い 。 こ れ を 律 蔵 か ら み る と 、 摩詞僧祇律第三十三 爾時波斯匿王往詣仏所。頭面礼足白仏言。世尊。我等為迦葉仏作塔。得作衡不。仏言得。過去世時。迦葉仏般泥 渥後。吉型為一益塔。図面作称 v と か 、 文 塔池法者。仏住舎衛城。乃至仏告大王。過去迦葉仏泥痘後。吉利王為迦葉仏塔。四面作池。種優鉢羅華波頭摩華 拘 物 頭 分 陀 利 種 種 雑 筆 。 . 塔枝提者。仏住舎衛城。乃至仏語大王。得作枝提。過去迦葉仏般泥沼後。吉利王為迦葉仏塔。四面起宝枝提。彫 文刻鎮種種彩画。今王亦得作枝提。有舎利者名宅無舎利者名枝馬 仏 住 拘 薩 羅 国 遊 行 。 時 有 婆 羅 門 耕 地 。 見 世 尊 行 過 。 持 牛 杖 住 地 礼 仏 。 世 尊 見 己 便 発 微 笑 。 諸 比 丘 向 広 。 伺 因 縁 智 宍 。 唯願欲問。仏告諸比丘。是婆羅門今礼二世尊。諸比丘白仏言。何等二仏。仏告比丘礼我当共杖下有迦葉仏塔。諸 比丘白仏。願見迦葉仏塔。仏告比丘。汝従此婆羅門。索土塊井是地。諸比丘即便索之。時婆羅門便与之。得己爾
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尊即現出迦葉仏七宝宅空由旬。面広半由陛下︸ 四 分 律 第 五 十 三爾 時 世 尊 在 一 拘 薩 羅 国 一 。 与 ニ 千 二 百 五 十 比 丘 − 人 間 遊 行 。 往 ニ 都 子 婆 羅 門 村 一 到 二 一 異 処 一 。 世 尊 位 式 0 時 阿 難 作 ご 是 念 一 。 今 世 尊 以 ニ 何 因 縁 一 笑 耶 。 世 尊 事 F以 レ 無 ニ 因 縁 一 而 笑 ニ 。 偏 露 こ 右 肩 一 脱 ニ 草 履 一 右 膝 著 ν地 合 掌 白 レ 仏 言 。 世 尊 。 不 下 以 二 無 因 縁 一 而 笑 上 。 向 者 以 レ 何 故 而 笑 。 願 欲 レ 知 レ 之 。 仏 告 − 一 阿 難 一 。 乃 往 過 去 世 時 。 有 ニ 迦 葉 仏 一 。 般 浬 襲 巳 。 時 有 一 一 麹 見 伽 戸 国 王 一 。 於 ニ 此 処 − 七 歳 七 月 七 日 起 こ 大 塔 − 。 己 七 歳 七 月 七 日 与 一 一 大 供 養 一 。 坐 二 二 部 僧 一 於 − 象 蔭 下 一 。 供 − 第 一 飯 一 。 時 去 二 此 処 一 不 レ 遠 。 有 二 一 農 夫 一 耕 レ 因 。 仏 往 ニ 彼 間 一 。 取 二 一 博 泥 一 来 置 一 一 此 臨 時 一 。 弥沙塞部和随五分律第二十六 仏在拘麓羅国遊行人問。与大比丘千二百五十人倶。到都一夷婆羅門衆落。在道側裟羅樹下敷座坐息。仏便微笑。阿 難作是念。諸仏不以無縁市笑。今仏微笑必有因縁。恥一
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− − 仏告阿難。彼迦葉仏般泥道後。其王為仏起金銀塔。縦広半由旬高一由旬。累金銀盤二相問。今猶在地中。仏即 出 塔 示 諸 四 衆 。 迦 葉 仏 一 全 身 舎 利 保 然 如 本 。 仏 因 此 事 取 一 山 一 博 泥 。 而 説 偶 吾 一 弓 難 得 閤 浮 檀 。 百 千 金 申 卦 句 不 如 一 団 泥 。 為 仏 起 塔 略 ︾ 説一切有部毘奈耶薬事巻十二 是時世尊。告具寿阿難陀日。汝来可詣都異迦城。聞教随仏。至彼城所。有一婆羅門。而為耕墾。遥見世尊具三十 二大丈夫相。広如余説。作如是念。我若往礼沙門喬答摩者。廃此事業。若不往礼。失諸福利。令事不廃。使獲福 利。執鞭耕想。遥言敬礼敬礼。仏告具寿阿難陀。彼婆羅門。自招錯笹。市於此処。有迦揖波如来全身舎利。俄然 無損。若来我所。恭敬礼拝。彼便致敬二仏世尊。是時阿難陀速整衣服。合掌白言。唯願世尊。就此而坐。其地則 為二仏受用。仏告襲撃。楽見事波如来応正等覚全身舎利弔 v 僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶
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然して遺跡に於ける僧院と塔の構成関 係をみると、二つのタイプが見られる。 即 ち ︵ A ︶僧院と塔とがはっきり分れて い る も の 。 現在の遺跡としては同包守 4 2 E −OE
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が あ る 。 これに対して︵B
︶としては僧院中に仏 塔の建てられたものがある。 M M 仲 間 者 色 白円五lr~
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向 w t r M W ピツパラ僧院と塔 の主塔西北コーナー の僧院内庭中央の塔M6
と僧院一室内の 3.M5
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で ある︿図4
参 照 ︶ ピ ツパラはパルティア 期 か ら 早 期 ク シ ャ ン 時代に作られ、四、 五世紀にこの塔は壊 され、その跡に僧院 が建てられたぞ文後 者 も や は り =2
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こ 紀 うした僧院の部屋に僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶ あ る 塔 は
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の僧院の一室に現在も小塔があって、︵オリジナルはタキシラ博物館にあって現地にある も の は イ ミ テ ー シ ョ ン ︶ 前 二 者 と 規 を 一 に す る 。 更 にU
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の寺自体、主塔をかこんで僧院が作られてい る か ら 、 僧 院 中 の 仏 塔 の 大 規 模 な も の と 言 え よ う 。 ︿ 図2
参 照 ︶ こ れ ら を 小 乗 の 律 か ら 見 る と 、 各 部 派 に よ っ て 、 塔 に 対 す る 態 度 が 異 な っ て い る こ と が わ か る 。 ︵A ︶ 僧 院 以 外 に あ っ た も の と し て 、 ー 、 前 述 の 釈 尊 が 微 笑 さ れ て い る と い う 摩 詞 僧 砥 律 三 十 三 の 話 は 、 農 夫 が 耕 し て い た 場 所 か ら し で も 明 ら か に 僧 院 外 の こ と で あ る 。 更 に 同 じ 摩 詞 僧 持 律 第 = 干 一 一 一 の 起 僧 伽 藍 時 。 先 預 度 好 地 作 塔 処 。 塔 不 得 在 南 不 得 在 西 。 応 在 東 応 在 北 。 不 得 僧 地 侵 仏 地 。 仏 地 不 得 侵 僧 地 。 若 塔 近 死 戸 林 。 若 狗 食 残 持 来 汚 地 。 応 作 垣 摘 。 応 在 西 若 南 作 僧 坊 。 不 得 使 僧 地 水 流 入 仏 地 。 仏 地 水 得 流 入 僧 地 。 塔 応 在 高 顕 処 伶 ︸ と あ り 、 こ れ を 裏 書 き す る よ う に 、 義 浄 は 宵 樽 寄 帯 内 法 伝 に ﹁ 大 衆 は 門 を 出 で て 警 生 競 る こ と = 一 匝 : ・ ・ : 次 第 に 帯 っ て寺中に入り、常に集る処に至台とあるから、ナ I ラ ン ダ で は 僧 院 と 塔 が 分 け ら れ て い た の で あ ろ う 。 ︵B
︶ と し て 僧 院 中 に 塔 が 出 来 た と い う 系 統 は 如 何 で あ ろ う か 。 ︵1
︶ 十 調 律 と 同 系 統 の ﹁ 薩 婆 多 毘 尼 毘 裟 沙 第 三 に ﹂ 若 四 方 僧 地 不 得 作 塔 。 不 得 作 別 波 演 。 若 作 得 罪 。 亦 不 得 四 方 僧 地 中 為 仏 法 自 為 種 。 若 僧 和 合 。 聴 四 方 僧 地 中 作 塔 得 作 。 若 不 和 合 不 聴 不 得 作 。 若 僧 地 中 有 種 種 花 。 応 浄 人 取 。 作 次 第 与 僧 随 意 供 養 。 不 得 私 取 自 供 養 三 宝 。 若花多衆僧取不能尽。若僧和合。聴随意取右︸ とあるから僧衆が話合いでゆるされれば四方僧地中に建てられたからピツパラやダルマラ l ジカのような塔が出 来 た の で あ ろ う 。 ︿
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︶ 根 本 有 部 毘 奈 耶 雑 事 で は 給 部 独 長 者 が 如 来 の 体 ロ を 作 る こ と を 仏 に 許 し を 得 て い る 。 即 ち 仏言加世尊霊処中応安大師制底。美声聞応在両辺。余尊宿類随大会置。凡夫善人応華宮市︾ 如来の塔を真中に諸声聞の塔は両辺に、余尊宿類は大小に従って安置、凡夫善人の塔は寺外に置けとあるから、 加来の塔等は僧院の中にあったことがわかる。 ︵3
︶四分律では客比丘が寺内に入ろうとしたと、仏塔、声聞塔、或は上座の塔があるのをよく注意しろと言って い る 。 即 ち 、 四分律巻第四十九 若 客 比 欲 レ 入 一 一 寺 内 一 。 応 レ 知 有 二 仏 塔 若 声 聞 塔 若 上 勘 一 。 彼先応 ν礼 二 仏 塔 一 復 示 一 一 声 聞 塔 一 。 四 上 座 随 次 礼 。 彼 捉 脚 腔 礼 不 レ 応 一 一 捉 腔 礼 一 。 彼 反 抄 衣 纏 ν頚 裏 レ 頭 通 肩 披 レ 衣 著 ニ 草展作 ν礼。仏言。一切不 ν応 レ 爾 。 自 今 巳 法 。 偏 露 ニ 右 肩 一 脱 ニ 革 鹿 右 膝 著 ν地 捉 ニ 両 脚 一 如 ν是 一 言 。 大 徳 我 礼 。 若 四 上 座 在 ニ 房 内 一 思 惟 。 応 ニ 随 坐 次 v 房 。 彼 応 レ 問 。 何 処 是 衆 僧 穴 食 処 小 食 処 夜 集 処 説 戒 処 。 何 半 句 ︾ とか、文 此是大使処此是小便処。此是浄処此是不浄処。此是仏塔此是声聞塔。此是第一上座房。此是第二第三第四上座間
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野
動
創
剣
劇
剣
劇
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o ︵ 傍 線 筆 者 ︶ 僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︿ 高 橋 ︶ と寺内にあるものを招介している。 更に興味あるのは僧がいい部屋に居住して、仏塔をそれ以下の部匡に安置してはならない等指導しているから前述 のダルマラージカ僧院内
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等の如き塔が存在していたことがわかる。即ち 四分律巻第五十二に 仏言不 ν応 レ 爾 。 応 ν令 − 浄 者 持 一 。 彼 安 二 如 来 塔 一 置 ニ 不 好 房 中 一 。 己 在 二 上 好 房 中 − 宿 。 仏 言 不 レ 応 レ 爾 。 応 下 安 二 如 来 塔 一 置 ニ 上 好 房 中 一 巳 在 ニ 不 好 房 一 宿 上 。 彼 安 二 如 来 塔 一 置 ニ 下 房 一 己 在 二 上 房 一 宿 。 仏 言 不 レ 応 ν爾 。 応 下 安 ニ 如 来 塔 一 在 ニ 上 房 一 己 主下房中一容。彼宗一如章一同屋宿。仏言不レ応レ爾 O J第二守護堅牢一故。霊祭一敢共飴一。 以上諸種の律からみると仏塔が僧院内にあったことがわかる。然もこれはダルマ 1 ジから出土した斗m M
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︶ に 仏 舎 利 を 奉 安 し た ﹂ と い う 銘 文 そ っ く り で あ る 。 従 っ て僧院内に仏塔があったことは事実である。然し化地部や法蔵部は﹁僧中有仏﹂の即ち僧院の中に仏陀が居られると 主張する立場だから、四分律等に僧院に仏塔があると記されているのも不思議ではない。 然し不思議なのは、前記マーシャルの大著3
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﹂等からみると、僧院内の仏塔は2
世紀頃まで勺↑の跡に僧院 が増築されたり、或は部屋の中の塔もとり除かれて僧宅や倉庫になり、塔は摩伽僧祇律の記述引用の註おの如く塔は 僧院の外に建てられて行くのはどうしたわけであろうか。私の仏塔巡礼の際、常に考えて来た大きな問題である。。
そもそも僧院と塔とは、その起源と系統を異にする。大般浬紫経の﹁阿難よ、汝等は如来の舎利供養に奉仕しては ならない。いざ阿難よ、汝等は﹃最高善∞
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﹄ の た め に 努 力 せ よ 。 書 同 一 善 を 実 践 せ よ 。 最 高 善 に お い て 、 不 放 逸に、熱心・努力せよ。阿難よ、如来に信心厚き剃帝利の賢者、婆羅門の賢者、居士ありて、彼等が如来の舎利供養 ︽ お ︾ ︵ ∞9 z
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冨︶をなすであろう﹂の遺偏によって僧は舎利供養にかかずらなかったことがわかる。為にラジギ l ル の ギパ尊者の僧院のような最初のものには仏塔が存在しなかった。在家の人々は僧院とは別に塔を建てて釈尊を追憶思 慕した。しかし時代が過ぎるに従って、去るものは美しく崇高に感ずる人間の心情によって、釈尊思慕の情はますま す大きくなる。このことはパイシャリ!の塔が幾重にも増巾されて行ったことでもわかる。 こ う し た 祖 師 追 慕 の 情 は 僧 の 間 に も 大 き く な っ て 来 る 。 そ れ に 加 え て 塔 が 撞 晶 一 か ら 段 々 釈 尊 自 俸 の 人 格 の 申 費 に な っ て来るのは自然の情勢である。特に仏教が広まって、舎利弗や目連の如きエリートだけではなく、一般の人が僧にな る に 及 ぶ と 、 悟 ら ん と し て 努 力 す れ ば す る 程 、 悟 り よ り 遥 か に 速 い 自 己 を 見 せ つ け ら れ 、 人 間 の 弱 さ 、 愚 か さ に 泣 く 。 こうなって来ると、釈尊にすがり、祈る立場が序々に出て来る。サンチ 1 やパ!ルフットの塔の建設に僧の寄附が非 常に多くなって来たのは単なる釈尊への思慕追憶に止らず、こうした救済を祈る心情が出はじめた証拠と筆者は考え て い る 。 こうした﹁祈り﹂の傾向によって、﹁僧中有仏﹂の立場の小乗仏教では、僧院内庭中央に肥ったり、又僧達の協議 によって上室に︵前述の律︶把られて来る。これがピツパラ僧院中央の塔であり、ダルマラ l ジ カ のM
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の 諸 塔 で あ る 。 僧院の中に塔が紀られると、僧院外に仏塔がない場合、人々は僧院の中にまで許可を得ておまいりに来る。これは 僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶ メ ハ サ ン ダ 4.メハサンダ僧院と塔 僧院生活をさまたげ、僧の修 行 の 邪 魔 に な る 。 こ う し た 情 況 を 示 し た の が 前 述 の 如 く 恨 本 有 部 毘 部 昆 奈 耶 雑 事 巻 十 八 の ﹁ 舎 利 弗 の 舎 利 を 家 に 紀 っ た 給 孤 独 長 者 が 、 余 り 大 勢 お 詣 り に 来 る の で 、 門 を 閉 じ 、 や が て 門 外 の ﹃ 顕 微 処 来 に 塔 を 建 て て 紀 っ た 。 ﹄ と い う 文 章 で あ る と 思 う 。 僧 院 外 の 高 顕 所 に 建 て る よ う に な る と 、 僧 も 在 家 も 共 に 詣でるようになる。この一例 が メ ハ サ ン ダ で あ り 、 ジ ャ マ l ル ガ り で あ る と 思 う 。 特 に 布 施 太 子 の 故 地 と い わ れ る こ の メ ハ サ ン ダ は 麓 の 町 か ら 僧 院
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僧 院 か ら 仏 陣 ロ 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶ @rより 5.ジャマール・ガリ僧院と塔 の そ ば を 通 っ て 主 塔 に 登 る 階 段 が あ り 、 尾 根 に 並 ん で 建 て ら れ た 僧 院 の 僧 も こ の 主塔を詣でるような構造になっていて、僧院内には仏塔はない。この構造の典型 的 な の が ジ ャ マ l ル ガ リ で あ る 。 山頂に建てられた仏塔には仏像や奉献塔の林立する洞堂内を通って登り降りす る が 、 僧 院 は ま わ り の 別 な 所 に 作 ら れ て い る 。 明 ら か に 在 家 信 者 が 僧 院 の 生 活 を 乱さないようにとの心使いが感ぜられる。且つ又僧院居住の僧もこの主塔に礼拝 し た の は 勿 論 で あ る 。 か く て 塔 は 僧 俗 の 信 仰 の 中 心 と な っ た 。 こ う し た 仏 塔 崇 拝 が 盛 ん に な っ て来ると、ますます仏塔は釈尊そのものから救 済者釈尊、超越者釈尊になって行く。為に人々は仏塔に自己の幸福と来世の極楽 ︿厳密には天上界︶への再生を祈るようになる。これが﹁ミトナ像﹂や﹁怪獣殺 生 像 ﹂ が 仏 塔 に 記 ら れ る よ う に な る 由 縁 で あ 仕 掛 ︸ そ し て 思 想 的 に も 、 四 分 律 巻 第 三 十 一 ﹁ 買 人 当 ν知 学 二 菩 薩 道 一 能 供 爪 髪 者 必 定 無 上 道 。 以 一 一 仏 眼 一 観 二 天 下 一 。 無 レ 不 入 二 無 余 浬 繋 界 一 而 般 動 度 一 ﹂ 0 や文、﹁海龍王宮に行って如意珠をとって来て閤浮提の衆生を貧苦から救おう として行くと五百の羅剃女が問うに、﹃何乗をとらんと欲するか﹄という。そこ僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶ A F V 1 で﹃大乗を取らんと欲す﹄と三辺も四辺も答えるこのような言葉カ出るように、法蔵部は大乗と変らないものとなっ て行く。否々、こうした﹁閤浮提の大衆の貧苦を救わん﹂との大乗的表現が律の中に出て来る風潮が世の中に充満し て 来 た 。 そ う し た 風 潮 の 一 つ が 大 乗 と し て 成 立 し 、 部 派 も 又 そ う し た 流 れ を ・ つ け て 変 容 し て 行 っ た の で は あ る ま い か 。 要 す るに僧院中心の立場から、別系統の仏壇信仰の中に僧俗の関心が移り、人間釈尊を超越者・救済者として塔を祈る方 向に進んで行き、悟りの仏教から祈りの仏教へ即ち僧院から仏塔へと信仰の変容が行われて行ったと考えられる。
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新入手の舎利箱碑銘を資料として、僧院と仏塔のかかわりを考察して来た。然しこの問題は余りにも大きく、大胞 に推測出来るような生易しい問題ではない。然し、筆者は今までのパキスタン・アフガニスタンの遺跡探訪による仏 塔 と 僧 院 の あ り 方 か ら 、 敢 て 一 応 の 推 論 を 試 み た も の で あ る 。 ( 82) ︹ 註 ︺ ︵ 1 ︶ ︵ 2 ︶ ︵ 3 ︶ ︵ 4 ︶ ︵ 5 ︶ ︵ 6 ︶ 大正大蔵経四九巻 大ニニー一三六上 静谷正雄小乗仏教史の研究一六七頁及、静一合目録 ︿ o m 巴回 F凶凶一足首・出・興合目録七O
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︶ M M A 出 大底大慈思寺三蔵法師伝長沢和俊訳 一 七 頁 上 以下略す 恥 八 五 玄襲三蔵 五 二 頁︵ 7 ︶ ︵ 8 ﹀ ︵ 9 ︶ ︵ 叩 ︶ ︵ U ﹀ ︵ ロ ︶ ︵ 臼 ︶ ︵ M ︶ ︵ 日 ︶ ︵ 時 ︶ ︵ げ ︶ ︵
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︶ ︵ 幻 ︶ ︵倒的︶ ︵ お ︶ ︵ お ︶ ︵ 幻 ︶ ︵ 却 ︶ ︵ 鈎 ︶ ︵ 初 ︶ 大 五 Ol 三 三 九a
大 四 九 | 一 七 上 国訳大蔵経・巻四四頁異部宗輪論述記 静谷正雄小乗仏教史一九二頁 静谷目録恥六四八と静谷・小乗仏教史一九O
頁 の 訳 文 の マ ト ゥ l ラ の 法 蔵 部 碑 銘 大 ニ ニl
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八上中四分律四七 大 二 二l
七八五四分律三一 マーシャルタキシラ E 目u
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よ り 大 二 三l
四 一 五 下 大 二 四l
二九一上中下根本有部毘奈耶雑事巻一八 大 ニ ニl
四 九 八 上 大 ニ 二 | 四 九 八 中 大 ニ ニ | 四 九 七 中 大 ニ ニl
九 五 八 上 大 ニ ニ ー 一 七 二 上 大 二 二 ー 一 七 ニ 下 大 二 四l
五 三 上 自 民 − m F 巳 て 吋 m w M 門 戸 m v H H U ω m m 怜 忠 告 大 ニ ニ | 四 九 八 大 二 四 | ニ ニ 七 大 二 三l
五 二 一 中 大 二 四l
二 九 一 上 下 大 ニ ニl
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下 巻 八 僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︵ 高 橋 ︶僧 院 か ら 仏 塔 崇 拝 へ ︿ 高 橋 ︶ ︵ 剖 ︶ ︵ 担 ︶ ︵ お ︶ ︵ 制 ︶ ︵ お ︶ ︵ 初 ︶ ︿ 幻 ︶ ︵ 犯 ︶ 大 ニ 二