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被害者感情と非行臨床

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日本福祉大学社会福祉論集 第 106 号 2002 年 2 月

1. はじめに

よく聞かれる俗論がある. 加害者の 「被害者性」 への配慮を主張する者は, もしも, 最愛の人 が残虐な殺害にあったときも, その主張を貫けるのか, というのがそれである. こたえは 「その 立場になってみないとわからない」 というのが適切であるが, それでは問う側は納得しない. 死 に直面した不条理がわからないのかと追及の手をゆるめない. 感情を受けとめれば, 被害者側の 怒りや加害者を許せない気持ちは当然であろう. それでは, 応報感情を満足させれば問題が解決 するのかというと, ほとんどの場合, そうではない. 仮に筆者が, 被害者の立場に立ったとしよう. そして感情的に取り乱し, 加害者を許せない気 持ちを押さえることができなかったとしよう. ここに普段の主張との矛盾が生じるとする. その ときに, 筆者と同じ立場で問題解決に当たる者と対峙したとすれば, どうなるのか. 恐らくは, 感情とは別に, 方法論的な理解を変えることはないと断言できる. ただし, 当事者としての自分 が同時に問題解決の立場に身をおくことは困難であり, また適切でないことはいうまでもない. この俗論では, 被害者の感情の問題をどう処理するのかという課題と, 非行なり犯罪をしくみ としてどう解決していくかということを混同させている. 2000 年 12 月 6 日に公布された 「少年法等の一部を改正する法律」 では, 1 つの重要な改正点 として, 「被害者への配慮の充実」 が盛り込まれた. 少年手続きにおいて, 従来, 「被害者への配 1. はじめに 2. 少年法改正以前の実務における 「被害者」 3. 改正少年法における 「被害者」 4. 被害者の心情と主張について 5. 加害少年の立ち直りと 「被害者の視点」 6. 修復的司法について 7. 犯罪被害者の人権と少年司法

被害者感情と非行臨床

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慮」 がなされなかったわけではないが, この点が明示されることの意義は大きい. 俗論に見られ る 「被害者の感情」 の処理が, 避けては通れない課題になるからだ.

2. 少年法改正以前の実務における 「被害者」

被害者の視点を実務にもっとも取り込んでいるのは少年院である. 被害者理解のために用いら れる有力な方法としては, ロールプレイイングとロールレタリングがある. 前者は特段の説明は 不要であろう. 後者は, 少年が, 被害者やその遺族との役割を交換して架空の手紙のやりとりを 行う方法である. これらは, 「遺族と少年が文通をしたり, 保護者を介して被害者の心情を伝え るという前に, 処遇プログラムとして」 (土持三郎, 2001) 行われる. 同時に, 法務教官によっ て, 個別の事件に則して少年に加害者としての責任意識を高める指導が行われる. しかし, 土持 によると, 少年に被害者の心情を理解させることは非常に難しい. また, 少年が遺族らに接触す ることすら容易なことではないという. 土持が面接した殺人, 傷害致死事件 15 例のうち, 直接 遺族と手紙の交換をしたのは 1 例のみで, 手紙の往復は数回続いたという. 「少年は, 予想もし ないような遺族の激しい怒りと悲しみをひたすら我慢し, 自分の考えを手紙で伝えた. 最後には, 遺族 (母親) から許せないけれど, あなたの立ち直ることで息子が救われるかもしれないといわ れた」 とのことである. 保護観察ではどうか. 殺人などの重罪を犯して少年院や刑務所から出院・出所してきた者の場 合は, 北澤信次 (2001) がいうように 「そっと帰してそっと生きよ, という消極的ローコストな 方法」 が主流であったと思われる. それは, 被害者や遺族の気持ちが簡単には癒されないもので あり, 地域からの排除のサンクションのつよさを考慮した場合, 対面は困難という考え方に基づ くようだ. 相対的に軽微な事案になるほど, 謝罪や弁済へのサポートが増えてくる. 更生保護に 内在する機能として, 当然, 被害者との調整は重要な課題となるからだ. 家庭裁判所では, 実践にばらつきがある. とくに軽微事件を定型的かつ簡易に事件処理するよ うになってからは, 謝罪や弁済に関わる指導がおろそかになっている. 本来の実務としては, 謝 罪や弁済の確認, 被害者の立場に立って事件を内省することは面接の重要な役割とされていた (加藤幸雄, 1994). 一方, 被害者の調査は十分に行われていたとはいいがたい. 交通事案につい ては, 被害者照会が主として書面で行われていた. しかし, 重大な事案になるほど被害者調査は 行われていない. 筆者の実務経験では, 強姦被害者の聞き取りを, 調査官が行うのか裁判官が審 問するのかが議論になったことがあり, 結局は 「被害者への配慮」 から調査等を回避したことが あった. 多くの場合, 被害者理解は, 警察・検察の被害者調書を援用することになっていたので はないか. 付添人がつくケースでは, 示談に積極的な場合が多い. それは一般の刑事事件の弁護 活動と変わらない. 井上博道 (2001) は, 「犯罪被害者救済の問題が少年法 改正 論議の中で語られ始めたとき, 調査官の現場は驚いた」 という. その理由は, 被害者救済は少年固有の課題ではなく, また民事

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上の問題であり, 被害者問題を持ち込むことで, 「要保護性の検討が後退して, 結果として厳罰 化の方向に至らざるをえなくなる」 と考えたからだという. 誤解があったとことわってはいるも のの, こうした認識を持ってしまう実務の実情を反映している.

3. 改正少年法における 「被害者」

改正法では 「被害者への配慮の充実」 がうたわれた. 家庭裁判月報の法律解説 (甲斐行夫ほか, 2001) によれば, 次のような内容と評価になる. 1, 被害者等による記録の閲覧及び謄写 (改正少年法第 5 条の 2) では, 被害者等が損害賠償請 求訴訟を提起するなど正当な理由がある場合に, 保護事件記録の利用を希望するときは, 少年の 健全育成等を害しない範囲で認めることが相当な場合も考えられるという. その際, 謄写閲覧の 対象となるのは, 非行事実 (犯行の動機, 態様及び結果その他当該犯罪に密接に関連する重要な 事実を含む) に係る部分に限る. 解説は, 改正前の少年審判規則においても閲覧謄写が認められ ていたが, 審判係属中も含めて閲覧謄写を希望しやすくしたことを評価する. 2, 被害者等の申出による意見の聴取 (改正少年法第 9 条の 2) では, 被害者等が被害に関する 心情その他事件に関する意見を述べたいとの希望がある場合, 家庭裁判所又は家庭裁判所調査官 が, 原則として意見聴取をすることとしている. これにより, 審判が被害者等の心情や意見を踏 まえて行われ, 少年に被害者等の心情や意見を認識させ, 反省を深め更生にも資することを評価 する. なお, 刑事訴訟法第 292 条の 2 の被害者等による意見の陳述で被害者等に陳述させる内容 とほぼ同じだと解説する. 3, 被害者等に対する審判結果等の通知 (改正少年法第 31 条の 2) の趣旨は, 審判が非公開であ るため, 被害者等が審判結果について十分情報を得ることができないという指摘に応えて一定の 配慮をするということである. 1 については, 事件記録の非行事実に関する部分を対象とすることから, 事件記録に編綴され る審判書きが定型ないしは簡易なものならば, 警察・検察段階の資料に限定されるといってもよ い. 要保護性に関する社会記録はプライバシーに深く関わるということで除外されているので, それを援用した審判書きの開示には慎重を要する. 非行事実とは法律的事実であり, 場合によっ ては存否に争いがあることも想定される. ところで, 少年審判で明らかにされる非行事実は, 心 理・社会的事実であり, 法律的事実に比して概念が広い. つまり, 事件の端緒から結果に至るプ ロセス, 非行をめぐる人間関係, 心理的葛藤, 非行の意味などが含まれる. 心理・社会的に非行 事実が明らかにされて初めて非行解明がなされ, 要保護性を考える重要なポイントが明らかにな る. それは除外して法律的事実, しかも 「犯行の動機, 態様及び結果その他当該犯罪に密接に関 連する重要な事実を含む」 ものが開示されて, 果たして事実をめぐる混乱は起こらないのか. 少 年事件は, 警察・検察段階の供述が危うく, また共犯事件のような場合は, 共謀の事実一つとっ ても, 微妙な心の動きを把握しないと事実を見間違う可能性が大きい. また, 家裁調査官などの

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専門家が関わらないところでの動機その他の把握は表面的なものにとどまらざるを得ない. 2 については, 心情と意見を聞くことに重点がおかれるのであって, 議論をたたかわせたり, 要求に応えることを想定していない. しかし, 被害者やその遺族の立場からは, 犯罪事実を知り たい, 処分がどうなるか知りたい, 加害者に謝罪させたい, 事件に対する裁判手続きが知りたい, 手続きやそこに登場する人物への不満を述べたい等々, さまざまなニーズがあるので, 手続きの 丁寧な説明, 場面設定の方法や被害者等の状況判断を誤ると, 被害者に大きな不満やストレスを 残すことになりかねない. 例えば, 意見陳述の場に少年を立ち会わせるかどうかは慎重な検討を 要する. 一般に, 重大な被害をもたらした事件加害者ほど未成熟で, 悪意がないにしても不用意 な言動が被害者を硬化させかねないからである. それに, 少年は表現するための適切なコトバを 持たないことが少なくない. 少年自身が被害者感情の重圧に耐えることができない場合もありうる. 少年の発達レベルや非 行への内省の度合いなど総合的に判断しないと, 立ち会いは, 被害者にとっても, 少年にとって も逆効果になりかねない. 処分に, 心情や意見を反映するとなると, 具体的にはどんなことが考えられるのだろうか. 実 務では加罰要求がつよくなることが予測される. 例えば, 少年院送致か検察官送致か迷うような 場合に, 加罰要求は決定を検察官送致に傾ける役割を果たしてしまうのか. また, 被害者への少 年審判への理解が不十分であろうとなかろうと, 被害者感情を慰撫できない決定には不満がつの ることが予想される. 3 については, 「通知することが少年の健全な育成を妨げるおそれがあり相当でないと認めら れるものについては」 開示しないというが, 判断の客観条件の設定は容易ではない. 私見では, 個別の要求に応える以上に, プライバシーに配慮しつつも, 事件の本質や問題の背景などについ て, 一般公開の方向を検討してもよいのではないかと考えている.

4. 被害者の心情と主張について

日垣隆 (1999) のルポルタージュは, 著者自らも弟を殺された経験を持ち, 被害者に共感的に 接近できる立場から, 「被害者」 の心情等を伝えている. 1999, 6 出版ということで, 少年法改 正と関わる主張も多いが, 著書のなかで紹介される 「少年犯罪被害当事者の会」 武るり子代表の 発言は, 被害者の心情を要約しているように思われる. キーワードは 「自分だけが苦しんでいた」 「自分にふりかかるまで他人事」 「決して死にたくなかった子どもの無念さへの思い」 「厳罰主義 で臨めと主張していない」 「加害者保護の少年法では本当の反省, 更生は生まれない」 である. とくに人生半ばで死を迎えなければならなかった者の, 死までの不条理な感情, 将来が無に帰す という理不尽さ, 一個の生命の尊さに思いを寄せてほしいという願いは, 決してないがしろにし てはならない. その願いへの共感を, どれだけ加害者に求めることができるのかどうかはまずお くとしても, 共感へのアプローチが被害者を癒し, 加害者の更生につながることは間違いないこ

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とであろう. この著書のメインストーリーとなった宮田事件で, 民事訴訟を担当した毛利弁護士は, 宮田夫 妻の初めての応対で死の重みをを自覚していなかった不明を詫びる. 「人がひとり死ぬというこ とは, 死亡するまでの痛さ・苦しさ・恐怖があり, その人の夢や希望・多くの人との心の交流な どがすべてうち砕かれるということであり, その人の周りの人々にとっても, その人への期待や 夢・その人との喜怒哀楽に満ちた交流が一挙にうち砕かれるということである」 (毛利正道, 2001). そのことへの価値鈍麻があったことを, 毛利は素直に認める. 弁護人でさえ他人事にな りやすい現実の確認は重要である. 日垣の主張も含め, 筆者なりに 「被害者」 の側からの課題を整理すると, ①生命の重たさや, 被害者の心の傷がどんなに深いものかが理解されにくい, ②加害者のようにサポートされること なく, 自らの力で苦境を乗り越えなければならない, ③加害者の被害者への慰謝や弁済はきわめ て不十分である, ④少年法制は 「被害者の視点」 を持ち得ていない, ⑤ 「被害者の視点」 を持ち 得ないところに真の更生はない, ⑥被害者の 「知る権利」 「審判に参加する権利」 は保障されて いない, となる. 事件の被害が理不尽であるほど, 被害者の側からの真相解明の要求は大きい. この著書でも指 摘されているように, 加害者側の言い分を中心に構成される 「事実」 は真相からは程遠いという 思いがつよく, それが無念さに拍車をかけることになる. かといって, 真相解明がなされたとし ても無念さが晴れるかどうかはわからない. 疑念が深まることもあり得る. 逆に, 被害者による 「加害者」 理解につながる道も広がる. それを心の傷の癒しという面から考えれば, 少なくとも 事件を 「知る権利」 や 「主張の機会」 が保障されるか否かによって, 癒しへの効果には著しい差 が出てくる. この著書でみるかぎり, 俗論に出てくるむき出しの感情は押さえられている. 厳罰に処すれば 溜飲が下がるという主張ではない. しくみとして, 被害者を放置しないで支える体制と, 被害者 理解, 贖罪を更生の重要な要素に位置づけることが求められている. 抑制できないほどの憤怒や 憔悴が激しい場合は, カウンセリングをはじめ適切なサポートが, より必要度を増す.

5. 加害少年の立ち直りと 「被害者の視点」

改正法は, 刑事罰強化の方向に動いたものの, 理念の変更は行われなかった. それは, 施行以 来, 少年法に基づく実務が着実な成果をあげてきたことを否定できないからである. 刑事罰強化 の口実に, しばしば被害者感情が援用されてきた. しかし, 刑事罰が強化されても被害者は癒さ れないし, 少年の非行抑制や立ち直りに効果があるという証明もない. 加害少年の立ち直りのた めには, 少年の成長発達をみきわめた上で, 非行克服=社会化に必要な課題を提示しつつ, 非行 を生み出した土壌を, 少年を支える人々とともに, 少年を育てる土壌に耕していかなければなら ない. その際に, 犯罪を抑制する他者の眼としての 「被害者の視点」 を, 以前にもまして強化す

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ることが望まれる. 「被害者の視点」 は非行のタイプによっても多少異なる. そこで, 便宜的に 3 つのタイプに分 類して検討する. 1 つは, 圧倒的多数をしめる 「軽微」 事件, とりわけ万引, 自転車盗, オート バイ盗の少年である. 2 つ目は, 恐喝・強盗を中心としたグループ犯罪で, 生育環境に恵まれず 学校や社会からの疎外感のつよい者, 3 つ目は, いわゆる 「よい子」 非行で, 外見的には恵まれ た条件で生活してきているように見える者である. 最初のタイプの場合, そもそも罪の意識が稀薄である. 「たいしたことだとは思わなかった」 「みんなやっている」 「弁償すればいいのではないか」 といった思いが見え隠れする. そして, 実 際には, 親が金を払ってすませて自ら謝罪に行くことさえしない者が目立つ. ある面, 大人社会 の倫理観の反映でもある. とくにスーパーマーケットやコンビニエンスストアの場合, 商売の論 理が子育ての論理に優先してしまう傾向がないではない. 支払えば顧客といった考えがあるとす れば, それを改める働きかけは今後もつよめる必要がある. 事件になった場合に限定するとすれ ば, 少なくとも本人の謝罪と弁済の確認, そのことを通じて気づいたことについてのフィードバッ クを徹底すべきであろう. アメリカの 「子ども裁判所」 や陪審参加といった方法, 被害者の審判 参加という方法を, 例えば, ロールプレイングやロールレタリングを用いた講習会といった形で 実現することは難しいのであろうか. また, 親たちの講習等の実施プログラムは改正少年法の趣 旨からいっても検討してみてもよいのではなかろうか. 保護的措置, 試験観察, 保護観察におい ては積極的な意味を持つと考える. 2 つ目のタイプは, 人間不信がつよく, 不遇感, 劣等感など自己否定的ラベリングをしており, 将来への展望が持てないまま, 自嘲的な態度をとる者たちである. 彼らには, 他者に危害を加え たことの内省の前提として, 自己救済が課題となる. つまり, 自分が認められ自信を回復してい く過程に, 「被害者の視点」 を適切に位置づけなければならない. 多くの場合, 重大な事件, 凶 悪といわれる事件ほど, 「被害者の視点」 を持ち得ない. 自己破滅的で他者破壊的でもある. ま た, 発達の未成熟さからくる社会化の弱さは, 未だ 「被害者」 を内面に組み込めない. 前述した 少年院のプログラムは, 「被害者」 プログラム独立ではなく, 内観 (療法) を中心とした生育歴 における自己肯定の強化および, 短期課題達成, 資格取得目標達成による自信回復ないしは自信 獲得と一体になって実施されている. このタイプの少年は, 被害者意識を持ちやすい. 事実, 被 害者的側面がつよいことを無視できない. しかし, 少年がその意識にとどまるかぎり, 更生はの ぞめない. 被害者意識を受けとめつつも, 自己肯定, 自信回復により, 加害行為による重大な損 失についての認識を深めていくことが重要である. 3 つ目のタイプは近年増加傾向にある 「自己愛」 型であり, 過剰適応による場合が少なくない (加藤幸雄, 2000). 佐々木光郎 (2000) が著した 「いい子非行」 に多く登場するタイプであり, 典型は 「おやじ狩り」 である. 受験有名校といわれる高校の成績優秀, 生活態度に特段問題がな いとされる生徒が, 小集団で帰宅途上の中年男性を襲う (罪名は強盗の場合が多い). 身柄拘束 されたあとで, 自らも親たちも, 本人の普段の 「優秀さ」 を理由に早く高校へ復帰させよと主張

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する. 被害甚大な相手へ思いは至らない. 「あるべき」 価値に強迫された 「義務自己」 の呪縛か ら自由になれないのである. その態度はまさに利己的で他者の視点が抜け落ちている. その彼ら の自我は意外に脆弱である. 周囲に護られて育ち, 矛盾に直面して自我葛藤する機会を失ってい ることが多いからである. そして, 自己責任に不安があるので, おのずと 「身近な他者」 に責任 転嫁する. 「身近な他者」 には母親ないしはその投影対象が選ばれることが多い. 彼らには, 「被 害者」 にかぎらず, 内面化の課題が大きい. このタイプは 「自己愛」 という土台があり, 知的作 用にすぐれた者が多いので, 自我補強をしつつ, 「被害者」 の心情や主張を直接間接に受けとめ ていく機会を用意することが望まれる. 例えば, 試験観察や保護観察の達成課題に, 直接の対面 の機会や被害者の回復に寄与できる課題を含めることは, それ程難しいことではない. 藤岡淳子 (2001) は, 非行少年のなかに被虐待などの被害者体験を持つものが多くいる現状に 着目して, 自分の感情に気づいて 「自分のなかの被害者と加害者が出会い一人になる」 ことで, 「許し合い, 妥協し合えるような相互的な人間関係を持つことができる」 サポートの重要さを指 摘する. 自分への気づきは容易でなく, また厳しい試練ではあるが, 2 つ目のタイプへの援助の 援用として, 適切に位置づけることができよう.

6. 修復的司法について

修復的司法ないしは回復的司法は, 国家の治安, 社会防衛としての近代刑事政策に, 民事的課 題として分離されていた被害救済という 「被害者の視点」 を適切に位置づけようとする考え方で ある. 世界的にも比較的新しい考え方であり, 1970 年代中葉のカナダを皮切りに (Van Ness, 2000), 北欧などに広がった (小長井賀與, 2001). 日本で注目されるようになったのは, 1990 年代の後半である. 菊池寛が 恩讐の彼方に という小説を書いている. この物語は, 修復的司法を考えるとき大 変示唆に富む. 仇討ちの対象となる男は, 毎年死傷者の絶えない崖縁の道の脇に随道 (青の洞門) をつくるべく, トンネル工事にひとり従事していた. 追手の武士は, やっとの思いで見つけた相 手ではあったが, 工事の完成まで 「命」 の猶予を懇願され, それを認めた. 武士はしかし, 工事 が早く終ればそれだけ早く仇討ちができると考え, 随道工事を手伝うことにした. 長い年月をか けて随道は完成した. 完成を迎えたとき, 男は素直に討たれようとした. にもかかわらず, 武士 は刀を降り下ろすことはできなかった. 「ジャーニーオブホープ」 (1996, 11 放映) というテレビドキュメントは現代版 「恩讐の彼方 に」 を目指す. 死刑囚の家族と殺人被害者遺族がともに旅を続け, それぞれの考え方や思いを披 瀝しつつ 「異質の理解」 を深めようというのである. 死刑囚との面会, 死刑賛成派との対話, 学 校での問題提起など具体的な課題を遂行しつつ対話が続けられた. この映像を手がけた坂上ディ レクターは, アミティというアメリカの犯罪者社会復帰施設を紹介し, 「少年が被害者と向き合 うとき 米・更生への新たな取り組み」 (1999, 9 放映) や 「希望の法廷 (オレゴン州レーン

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郡少年司法センター RAP:Recovery And Progress コート)」 (2001, 5 放映) など修復的司法 に関わるドキュメンタリー番組を生み出した. これらの経験に基づき, 映像での主張の一部は著 書になっている (坂上香, 1999, 2001). 神戸家庭裁判所裁判官井垣康弘 (2001) は, 司法福祉学会創立大会シンポジウム (事例研究) において, 少年審判における被害者の位置づけについて一つの提言を行った. それは, 被害者の 希望があれば家庭裁判所の全手続きに関与することを認めるもので, 家裁調査官によって被害者 が言語化できない部分をサポートさせようというものだ. 提示の事件は殺人事件であったので, 殺人の責任を自覚させるため, 家裁調査官に亡くなった被害者の半生のアルバムなどを収集して メモリアル冊子を作らせ, この冊子に基づき遺族に審判廷で被害者の生涯を語ってもらうという のだ. 少年院収容後も冊子を持っていかせ, それに手を合わせることで, 弁済と謝罪を促進する のに役立てたいという. また, 被害弁償については, 民事訴訟ではなく, 審判廷での決着を望む. 弁済にはボランティアを動員し, 殺された人の無念さを忘れない集いを開き, 資金援助の方策を 考えてはどうかともいう. この提案は, すでに前年新聞紙上でも主張されており, 「当番弁護士を支える市民の会」 のシ ンポジウムでも紹介されている (宮崎哲哉・藤井誠二, 2001). そのシンポジウムでは, 被害者 側から, 被害者の心情への無理解や加害者の更生にどう役立つかわからないなど厳しい指摘が多 かったという. 司法福祉学会のシンポジウムでも同様の指摘がなされ, また, 「そういう対応に 少年は耐えられるのか」 との問いが発せられた. これらの批判には十分耳を傾ける必要があるが, ここでは, 問題提起に, 加害者は被害者に直面させられてこそ真の贖罪となるという考え方と, 市民参加がうたわれている点に注目したい. 前野育三 (2001a, 2001b) は, 修復的司法の世界的な流れについて紹介しつつ, 日本での実 現の可能性について試論を述べる. とくにニュージーランドの例が詳しく紹介される. ここでは, 北米などでも実施されている 「カンファレンス」 のスタイルとそれがダイバージョンとして機能 するしくみが語られる. 「カンファレンス」 とは, 少年および被害者側の家族や関係者, 警察官 と地域の代表者, 場合によってはケースワーカーなども加えた会議のことだという. 市民が参加 して, 被害者, 加害者の回復ばかりではなく, 地域社会の関係改善に資するところに大きな特徴 がある. 日本で同じことを考えた場合, 「地域社会」 のあり方の違い, 民主的討論の習慣の違い, ファシリテートできる人の可能性など, 克服しなければならない課題は多い. 少年事件ではなく, 家事調停においては, 双方当事者から別個に事情を聞いたうえで, 論点整 理をして調整を行う平均的手法に代えて, 合同面接による調停方式が提起されたことがある. 提 案者にちなんで 「石山方式」 (石山勝巳, 1994) と呼ぶ. ここでは, 対立当事者が, 感情的にな らないように論理的な対話を重ねて, 一定の合意に達するようにコーディネイトがなされる. 「石山方式」 の眼目は, 対立していたとしても, 対話することで課題が明確になり, 問題が氷解 するという考え方にある. 石山は, 少年事件においても, 少年を前にして, その処遇について意 見をたたかわすことを実行している. 問題は, 対話のコーディネイトの仕方である. 筆者も 「石

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山方式」 を実践しており, その経験もふまえていうならば, 第 1 に, コーディネーターは司会と 交通整理に徹し, 双方の発言がかみ合うようにサポートすること, 第 2 に, 話し合って得るとこ ろがあったという実績づくりが肝心であり, そのことを双方当事者に確認 (強化) することであ る. そして, 第 3 に, 感情的な発言についてはコーディネーターが受けとめ, それに論理的構造 を与えること, つまり, 「こういう趣旨のことがいいたいのですね」 と, 感情的発言を感情を含 まない言葉におきかえる役割が重要である. 「石山方式」 は, 方法論の基礎に行動療法があり, 小集団の相互作用に関する一定の習熟が求められる. 方法論でいえば, ここでは改めて論じないが, 例えば, ロジャーズが行ったエンカウンターグ ループに学ぶことは少なくないように思われる. 被害者と少年が直接に向き合うときには, 全体として何を目標ないしは達成課題とするのか明 確にしたうえで, 事前の個別面接などのサポートを含めて, 方法論についても十分な進化が求め られる. そうでないと, より困難なケースは 「対面」 から外されることになってしまう. 重罪と 軽微事案を除いた部分だけでの取り組みに終わらせないために, 今後の検討が待たれる.

7. 犯罪被害者の人権と少年司法

日本において犯罪被害者の人権が真剣に考えられるようになったのは, やっと 1980 年代に入っ てからである. 欧米に遅れること 20 年, 1981 年に, 非常に不十分ながら 「犯罪被害者給付金支 給制度」 ができた. 心のケアが視野に入ってきたのはさらに遅れて, 1990 年代である. 心のケア に関しては, 阪神淡路大震災や児童虐待における被害者がクローズアップされることに触発され て関心が高まったというべきか. とくに 1995 年以降に被害者支援組織が全国的に拡大し, ボラ ンティアによる活動が活発化している. 諸澤英道は, 被害回復を支援するための平均的なプログラムを示す (1999). ①危機介入と危 機応答:被害直後に控え目に付き添い, 被害者が必要とする日常的行動の支援を行う. 警察やマ スコミとの対応, 初期カウンセリングも行い, その後のストレス障害を最小限にする努力を行う. ②継続的カウンセリング:急性ストレス障害 (ASD) や心的外傷ストレス障害 (PTSD) に対す る専門的援助. ③リハビリテーション ④地主, 家主, 職場, 学校などへの働きかけ:不利な扱 いにならないため関係機関に働きかける. ⑤脅迫・妨害の防止:加害者・代理人や関係者からの それに対応し, その不安な気持ちを支える. ⑥被害弁償や損害賠償を受けるための支援 ⑦被害 者保障を受けるための支援 ⑧出廷のための事前指導と付き添い ⑨傍聴の付き添い である. そして, 諸澤は, 精神的ダメージへのサポートに劣らず, 経済的被害の深刻さへの支援の重要さ を指摘する. 給付金制度は, 交通事故の保険給付とは比べものにならないくらい額は少ない. しかし近年は, 就労斡旋, 障害を負った者の雇用促進, 民間支援組織への援助, 被害者家族の就労継続のための 支援など一定の施策が講じられるようになっている (政府広報 時の動き 2000 年 6 月号).

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諸澤はまた, 「知る権利はなぜ保障されないのか」 「裁判に参加する権利はなぜ保障されないの か」 と問う. 前者は, 警察の被害者連絡制度 (1996), 検察の被害者通知制度 (1999), 家裁の審判結果通知 制度 (2000) によって一定の前進があった. 後者についても, 刑事手続における犯罪被害者保護 のための二法案 (2000) によって, 証人尋問への配慮, 性犯罪の告訴期間の撤廃, 傍聴への配慮, 公判記録の謄写閲覧, 民事上の争いについての刑事訴訟手続における和解, 少年法改正 (2000) による意見聴取, 事件記録の謄写閲覧などが実現している. 少年司法において 「被害者」 は, 援助の対象としてのそれではなく, 少年が立ち直るために必 要な 「重要な他者」 であった. もちろん, 被害弁済や謝罪を通して, 直接対応することはあるも のの, 重大な事案になるほど 「被害者」 は切り離されてきた. 少年法改正によって 「知る権利」 「参加する権利」 の一部は実現したものの, 被害者の立場からは納得のいくものではない. それでは, 被害者の権利を受けとめ, 被害者が少年手続きに参加することで, 少年の立ち直り を促進できるためには何ができるのか, また何が必要か, 検討を加えてみる. 第 1 は, 被害者の 「真相解明」 要求を審理過程へ組み込む課題である. 先述の宮田事件では, 杜撰な捜査で送致事実に明らかな誤りがあった. 宮田事件がそうであったように, 加害者の主張 への偏りが大きく被害者の名誉が傷つけられることも起こりうる. その場合, 被害者の名誉のた めにも, 加害者の更生のためにも, 事実の確認はとりわけ重要と考えられる. 通常, 加害者に送 致事実についての争いがない場合, 要保護性の視点から非行事実も含めた調査と決定が行われる. 一方, 改正法では, 基本的に損害賠償を想定した非行事実の開示しか考えていない. 単に 「知り たい」 という要求は, それだけでは 「正当な理由」 にはならない. そうだとすると, 審判結果の 通知に, 知る機会は限定されてしまう. そこでは, 真相解明のチャンスは狭まってしまう. どう しても納得いかないときは, 別途名誉等を争うことになるのであろうか. また, 被害者が亡くなっ ている場合, 例えば, 「そんな対応をするはずはない」 と遺族が考えた場合はどうなるのか. こ れらは, 被害者調査もしくは審判立会が権利として認められるならば, 問題が解消する. 当面, 要保護性調査の観点からも, 被害者調査をこれまで以上に広げることはできないのか. もちろん 被害者に拒否権があることはいうまでもない. 第 2 は, 被害者や遺族が, 少年に対面して発言したい場合の扱いである. 遺族として, 加害者 の顔を見たい, 被害者の無念を伝えたい, というのはきわめて自然な感情であり要求である. に もかかわらず現状では, 対面の可能性はあるが, あくまで少年の 「健全育成」 を損なわないとい う制約がある. 被害者にしてみれば, 「少年保護優先」 に不満が残る. 前記井垣裁判官のように 積極的に対面をコーディネイトしようとする裁判官にしても, 被害者優先ではないはずだ. 少年 法の理念から考えて, 当然 「健全育成」 をないがしろにすることはありえない. しかし, 対面要 求を, 単に個別の裁判体の自由裁量に委ねておいてよいのだろうか. 対面要求が不適切だという のであれば, 理由開示をすべきではないか. 対面を前提に, 少年が対面できる条件はどのように すれば整うのか, 会うことを更生に積極的に位置づける方策はないのか, そのためには何が必要

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なのか, といった研究がもっとなされてもよいのではないか. 第 3 は, 第 2 の延長線上に, さまざまなケースにおける修復的司法の具体化を検討することで ある. 修復的司法とは, 改めて定義するなら, 少年その家族, 被害者やその遺族が生活の場にお いて, それぞれの 「生」 を取り戻すための, 新たな出会いの場である. 前野は前掲書 (2001b) において, 「試験観察の一形態としての採用」 「仮退院審査前段階プロ グラム」 を提起している. これらも一つの選択肢であろう. 坂上は, 先述のドキュメント番組で, RAP コートにおける公開法廷での職権的審判, 犯罪被害者弁済プログラム, 「カンファレンス」 などを紹介した. 日弁連は, 被害者と少年が協議をする制度として, 2000, 7 に 「少年事件協議 あっせんセンター」 (仮称) の提起を行った (日弁連, 2000). 被害者サポートセンターや弁護士 会において, 協議あっせんの取り組みを始めているとも書かれている. 保護観察所では, ケース によっては修復の機会を現実に迫られる. 修復的司法は, その経験から, 重大事件, 凶悪事件には困難といわれている. しかし, 一律に 困難ということではないはずである. 事件直後は無理でも, 一定の事件経過後には可能という場 合もある. 基本的には, どんな事件も 「修復」 は必要である. そうだとすれば, ダイバージョン でできるもの, 家裁継続中が適切なもの, 保護観察, 少年院仮退院後に可能なもの, 刑事裁判な いしは受刑後に行うものなどに区分し, 誰が, どのような形でコーディネイトするのがよいか協 議する場を設定することが望まれる. その場が, 日弁連提案の 「センター」 だとすれば, その構 成員は, 「例えば, 精神医学・心理学の専門家, 家裁調査官, 保護観察官, 法務教官, 地域住民 等」 になるのであろう. 少年の健全育成は, 本来, 少年を取り巻く地域社会のサポートなしには成り立たない. 修復的 司法の原理を生かして, 後退気味の民間協力を活性化できれば, それ自体が非行の予防にもつな がっていく. 引用・参考文献 ・石山勝巳 対話による家庭紛争の克服 家裁でのケースワーク実践 近代文藝社 1994 ・井垣康弘, 土持三郎, 北澤信次, 岩佐嘉彦, 藤原正範, 加藤幸雄 「ある殺人保護事件」 日本司法福祉学 会 司法福祉学研究 創刊号 2001 ・井上博道 裁かれる少年たち 少年審判と 「改正」 少年法 大月書店 2001 ・甲斐行夫, 入江猛, 飯島泰, 加藤俊治 「少年法等の一部を改正する法律の解説」-家庭裁判月報第 53 巻第 5-7 号 2001 ・加藤幸雄 「非行臨床と司法福祉」 加藤幸雄ら編著 司法福祉の焦点 ミネルヴァ書房 1994 ・加藤幸雄 「17 歳の周辺 司法福祉の立場から 」 日本福祉大学評論誌 NFU vol54 2000 ・小長井賀與 「和解プログラムについての一考察 ノルウェーとフィンランドの経験に学ぶ 」 日立 みらい財団 犯罪と非行 №128 2001 ・坂上香 癒しと和解への旅−犯罪被害者と死刑囚の家族たち 岩波書店 1999 ・坂上香 「被害者・加害者カンファレンス−レッド・ウィング少年院の試みから」 少年犯罪被害者支援弁 護士ネットワーク編 少年犯罪と被害者の人権 改正少年法をめぐって 明石書店 2001

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・佐々木光郎 「いい子」 の非行 春風社 2000 ・日垣隆著 少年リンチ事件 「ムカつくから, やっただけ」 講談社 1999 ・藤岡淳子 非行少年の加害と被害 非行心理臨床の現場から 誠信書房 2001 ・前野育三 「修復的司法−世界の流れと日本での方向」 少年犯罪被害者支援弁護士ネットワーク編 少年 犯罪と被害者の人権 改正少年法をめぐって 明石書店 2001a ・前野育三 「司法福祉と修復的司法」 司法福祉学研究 創刊号 2001b ・宮崎哲哉・藤井誠二 少年の 「罪と罰」 論 春秋社 2001 ・毛利正道 「宮田稔之君傷害致死事件民事訴訟を終って」 少年犯罪被害者支援弁護士ネットワーク編 少 年犯罪と被害者の人権 改正少年法をめぐって 明石書店 2001 ・諸澤英道 被害者支援を創る 岩波ブックレット№489 1999 ・ジュリスト№1195 「少年法改正 特集」 有斐閣 2001, 3 ・日本弁護士連合会・子どもの権利委員会 少年事件と被害者の権利−日弁連の提言− 2000, 7 ・Daniel W.Van Ness "RESTRATIVE JUSTICE AROUND THE WORLD" United Nations Crime

参照

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