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年度
泉会教職 員研修 助成
海外研修 報告 書
高
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正 道泉会教職 員研究助成 を受 け研修 を終 了 したので報告 します。
1. 概 略 2. 研修 内容 3. ま とめ 4. 補足、 その他1.概略
(1) 研修地① Saint-PierrdeSolesmes (France,Sable) @ UniversitaItalianaperStranieri (Italia,Perugia) ③ 10 CorsolnternazionalediCantoGregoriano (Italia,Cremana) ④ SommerAkademieJohannSbastianBach
1989,ZehnJahre (West Germany,Stuttgart) (2)研修期 間 1989年3月22日∼1989年9月 7日 (3) 費用 収 支決 済 は、別途本学総務部へ提 出 (1989年10月25日)
2.
研修 内容
以下 四ヶ所 の研修地 を順 に報告す る。 (1) ① の所在地 AbbayeSaint-PierredeSolesmes 72300Sable-Sur-SartheFrance226 清泉女学 院短期大学研 究紀要 (第8・9合併号 ) 滞在 日 1989年3月25日∼ 3月29日 グレゴ リオ聖 歌 の復興 の 中心地 、 と りわけ古文書学的研 究の偉業 の 多 くで知 られ る ソレム 修 道院 は、完成 され た典礼 の中 で カ トリックの教会歴年 を行 な う所 で も有名 であ る。 先代 の合唱長 ドン・ガ ジャー ルは、 いわゆ る 「ソレム技法」 とい う演奏法 を完成 させ たが 、 第二 ヴ ァチカ ン公会議以降、聖歌研 究の新 しい学問的動 きが 同 じ修 道院 の 中か ら生 じて きたo これが カルデ ィー ヌ修道士 の 「グレゴ リオ聖 歌 セ ミオロジー」 であ る(三) 普遍的 な 「み こ と ば の祭儀 」 (典 礼 ) を心 を尽 くし、魂 を尽 くして行 な って い る約90人の修 道 者の 「祈 りと 労働 」の場所 、 それが ソレム修 道院 であ る。 現在 の合 唱長 は、 ジャン ・クレー ル神 父。聖 歌解 釈の スケー ルの大 きさには定評 が ある。 わた しは今 回 で四度 目の訪問に な るが復 活祭 をこの地 で迎 え るのは初め ての こ とであった。 聖 土曜 日の10時30分 、私 は懐 か しい ソレムに着 いた。 聖務 の時間 12:45 Sexte-Repas-Nona 17:00 Vepres 19:20 Diner 21:30 VigilePascale と宿 泊棟 の黒板 に 日程 が書 いてあ った。 クレー ル合唱長 は18:00に私の部屋 まで来て くだ きって 「早速 レ ッスン しよ うか ?」 と、 その 日の うちに指 導が始 まった。 ≪この 日の要点≫ ・今 夜 の 徹 夜 祭 の 曲 の 中 に 「修 道 院 の 祈 り」 の 源 泉 的 な音 楽 様 式 が あ る。即 ち
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-ctio-Canto10ratio(朗 読 一歌 -祈 り)が それ であ る。・Offertorium :DexraDominiは カルデ ィー ヌ修 道士 の命 日の Offertoriumと同 じで (2) あ る。「彼 を想 い出 して祈 ろ う」 と言 われ た。 "主の右 に誠が あ り、私 は主 の右 に い る。 死 でな く生 きる ・・・・・・ (詩編 第117、16.17) カルデ ィー ヌ修 道士 は この曲 を聞 きなが ら亡 くな られ たのであ ったo 徹夜 の ミサ は、 よ どみ な く挙行 され た。典礼 の総合性 、 そ して修 道士達 の生 きるこ と全 て が その 中に具現化 されて いるこ とを感 じ取 った時 、深 い精神 の喜 びが沸 き上 が り涙が止め ど もな く流れた。
翌 日、復活の 「日中の ミサ」 は聖堂だけでな く屋外 に も列席者があふれていたO院長 の祝 福 は聖堂だけでな く修道院の内部全 てにお よびプ ロセ シオンの歌 と共 に行 なわれた。歌声は 一旦修道院の奥深 くに消 えたがやがてかすか な声でよみがか え り、序 々に近づ いて大 き くな り再 び我 々 の待 つ聖 堂 に御 香の香 りと共 に入 って きた。KyrieIII番 も、Graduale「Haec Dies」の メ リスマ も、非常 に軽 い。 これが先代の ガジヤー ルの指揮 とセ ミオロジーに よる ク
レールの指揮 との大 きな相違 である。
(3) 滞在期 間中に 「聖霊降臨の 固有唱」全 曲の指導 を受 けた。
最 終 日の指 導 を受 けた後 で私 が 「ソレムは、私 の心 の故郷 です」 と言 うとクレー ル師 は 「人は誰 で も二つの故郷 を持 っているO-つ は生 きている所O もう一つ は、天国だo」 と答 えられた。祝福 をいただいて修道院 をあ とに した。
(2)② の研修地所在地
UniversitaltalianaperStranieri
PalazzoGallenga,PiazzaFortebraccio.4 06100 Perugia (Italia) (邦訳)外 国人のための イタ リア語大学-ペ ルー ジャ (ベ ル- ジャ外 国人大学) 同大学 四月生 として入学O 三 カ月コー スを終 了O 期 間:4月3日∼ 6月30日 《研修 目的≫ (彰 イタ t)ア語の研修 ② 国籍の異なる外国人た ち、いわゆ る混合 クラスで どの よ うに イタ リア語 を教 えている か。 その教授法の実際 を体験す る。 ③ その よ うな大学の全体 の機構や組織 を知 る。 以上が大 きな目的であった。特 に、② 、③ は清泉女学院短期大学の将 来的 ヴ ィジ ョに何 ら かの ヒン トが得 られ ないか と考 えたか らで もある。 この大学 は外国人のために イタ リア語 とその文化 を教 える機関 で、1921年 に創立 された。 昨年 までの累計 で156ヶ国か ら184,813人 を受 け入れた。 年間約2,800人になる。本年度 四月期生の私 の学生証の登録番号 は既 に1,551となっていた。 学 内のサー ヴ ィスは良 く、地方警察や銀行 が入 ってお り郵便 は到着便 だけ を扱 う。学生相 談室 では下宿 の紹介 もす る。学生 食堂 は学部 を持 ったペ ルー ジャ大学の三 カ所 を利用 で きた。 教授陣は大変 に慣れていて積極的。特 に会話 の時間は身近 な話題や題材 を取 り上げて進め られ た。例 えば、新聞や テ レビ番組の読み方、 テ レビのチ ャンネル状 況、駅 、電車、バ ス、 レス トラン等の様子や利用方法 を実際に町 に出て習 ったことは有効 であった。 学生の入学 目的は、 多 くの場合 イタ リア国内の教育機関に入学す るための語学 力の養成。 他 は就職 の為 である。従 って皆が真剣に取 り組 んでいる。
228 清泉女学 院短期大学研究紀要 (第8・9合併号 ) 語学 力がつ くに従 って会話や 討論 の 内容 も各国の特徴 が 出て、 そこにお互 い を知 り人間 と して理解 しあ う、 とい う国際交流が実現 され ていた こ とは特筆 にあたいす る。 ≪私 の受 けた授業 内容≫
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名 の指導者 に よる一週2
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時間の授業 ・内訳 は文法、会話、作文 、 ラボ ラ トリウム ・学 内 イベ ン ト各種 :小旅行 、講演会、公開討論会 、展覧会 、音楽会、映画会等。 ・試験 :単位 認定 試験 (diploma)は6月27日、28日の両 日。 (4) ・試験科 目 :デ ィ クテー シ ョン、文 法、作文 、会話の総合評価 (3) ③ の研修地所在地1
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Associazionelntemazinonale StudidiCantoGregorianoViaBattaglione,58
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Cremona (Italia) (邦 訳)第1
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回 国際 グレゴ リオ聖歌研修 会 第2課程 に参加。 期 間:7
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日∼3
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日 「典 礼 の国語化」 と 「分 か りや す い典礼」 を 目標 に して、 多 くの国が 「新 しい典礼聖 歌」 を 推進 して いるが、 その完成 には まだ 多 くの時 間 と労 力 を必要 とす る ものの よ うであ る。 その一方 で、古典 的 な芸術作 品 (伝統的 な もの)の研 究 も盛 んであ るこ とを忘 れ ては な ら ない。① の研修 地 の 中で も述べ た よ うに、 グレゴ リオ聖歌研 究 も新 しい時代 に入 ってい る。 カル デ ィーヌの 弟 子達 の 活 躍 の輪 は世 界 に お よび、 つ いに1975年 「国際 グレゴ リオ聖 歌学 (5) 会」 を設立 イタ リアの クレモナ市 に本部 を置 き1978年以 来、毎年 夏に 「匡‖祭 グレゴ リオ聖歌 (6) 研修 会」 を開催 してい る 。 私 は第8回に参 加 して第1課程 を終 了 したの で、今 回は第2課 〟) 程 を受 講 した 。 第2
課程 はボ ロー ニヤ大学 のアルバ ローザ教授 か担 当 した。テーマ :Approfondamentodelfenomenodell'articolazione (邦訳)「アー テ ィキュ レー シ ョンの高度 な事例研 究」
以下 の ネウマ を楽 曲中の事例 か ら解 説 した。
古写本 中にある上記 ネウマの記号論理 を発見 した後、 これ を具体 的 な演奏- と向か わせ る。 演奏法につ いては毎 日、第1課程 か ら第3課程 の各 クラスが合 同で ミュン- ンのゲ ッシェル 神 父 (ベ ネデ ィ ク ト会師)の授業 を受けた。 そ して、 この実習の全 てが研修会最終 日の ミサ へ と発展 した。 第17主 日 Intr:Ⅰnclina Kirie:ⅠV Grad:DomineDeus Gloria:ⅠⅠI All:Ostende Credo:I Off:siambulavero Sanctus:ⅠV Comm :Illumina Agnus:ⅠⅤ
以上 を ク.レモナ大聖堂 で歌い、祝福の後広場 で再会 を約 束 して別れ たのである0
(4)④ の研修地所在地
InternationalSommerAkademieJohannSebastianBach1989,ZehnYahre
J.S.BachPlatz
D .7000Stuttgart(W .Germany)
(邦訳)1989年度 国際
J.
S.バ ッ-夏期 ア カデ ミー (十周年記念) 期間 8月5日∼8月26日 35ヶ国か ら400人参加。「十同年記念」 となった今年 のア カデ ミーはバ ッ- とベー トーベ ン の最晩年の宗教音楽が取 り上げ られた。私 は- ルムー ト ・リリンクの指導す るゲ ッヒンゲ ン 聖歌隊に加 わ りバ ッ-の ロ短調 ミサの全 リ--サルに参加 した。 このアカヂ ミ-は、 りリンクを中心 として各国か ら演奏家や 音楽学者が一堂 に集 い講習 と 演奏会 を行 な うものであ る。 登録 した参加 者は認め られた講習会 と音楽会には 自由に出席 で きる。期 間 中の音楽会40、 礼拝 (典 礼)5、講演会14、セ ミナー10、 その他 に指揮、声楽、器楽の コー スが あった。 リ リン クの指揮 の コー スはいつ も満席であ った。彼 は昨年迄 にバ ッ-の カンター タ全 曲 をレコ ーデ ィングし、バ ッ-解釈の第一 人者 として精 力的に演奏活動 を行 なって い るO年度 中に彼 を招 いてプ ラ- とモス クワで もバ ッ- ・ア カデ ミーが開催 され るとい うこ とであ った.230 清泉女学 院短期大学研 究紀要 (第8・9合併号 ) 彼 の 演奏 解 釈 の基 盤 とあの 充 実 したエ ネル ギ-が どこか ら来 るのか 、 それは最終 日の
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で明 らか となった。 10:00か ら礼 拝 が 始 ま った。 オ ル ガ ンの即 興 で開 始。 次 いでバ ッ- の カ ン ター タ120番「
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」 (神 よ、 人は静かにあなあた を賛美 して)はアル ト 独 唱。私 は引 き続 きバ ッ- のカンター タが歌われて行 くもの とばか り思 っていた。 しか しそ うでは な く、全員で コラール を歌 った。伝統的 な コラ-ルで、 しか も先のアル トと同 じ歌詞 だO この瞬間、私 は重要 なこ とに気が付 いて、 リリンクの方 を見たQ指揮 台に彼の姿は見え ずその代 わ りにオルガ ンの横 で皆 と同 じよ うに コラール を歌 っていた。 この 日の カンター タ は、ル ター派の礼拝定式 で演奏 されていたのだ。入寮、 キ リエ、書簡、 と進 んだ。 演奏会 で もな く、古 い音楽のデモ ンス トレー シ ョンで もな く。紛れ もな く、現代 に生 きる 人々の 「主の 日」 を賛美す る祈 りの中でバ ッ-の音楽は、 この よ うな形 で生 きているのだ。 それは、 ドイツの キ リス ト教文化の 「今 日的伝統」 ともいい うべ きものであろ う。 バ ッ-の精神 は、 リリンクを通 して再現 されて、祈 る者の心 に聖 なる体験 として響 く。私は、 リリ ン クの音楽 を学 びに シュ トウツ トガル トに来 た。 そ してそこで教会音楽家 としての りリン ク に出会 った。バ ッ- もりリンクも実 は同 じ音楽的基盤 を持 っていたのであ る(8)3.
ま とめ
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) グレゴ リオ聖歌に しろバ ッ- に しろ、確かに過去の ものであ る。 しか も両者 ともか な り長 い時間忘れ去 られていた、 とい う点 で共通 している。 それが今 日では新 たな光が与 えら れて我 々の心 を とらえている。決 してアルカイックな趣味 などとい うものでは ない。 そ うで はな くて、それ らの音楽の復興 は、学問的 な研究の成果か ら来ている。 セ ミオロジーは革新 的学問 である。何故 ならば、19世紀末に全盛 を極め "これ こそが グレゴ リオ聖歌の範 ''とさ れていた 「ソレム技法」 の誤謬 を科学的 に一つ一つ暴いて きた。 その学問体 系 を兄いだ した のは他 な らぬ ソレムの ファ ミリー内部か らであった。 自ら築 いて きた技法 を自ら改訂 して行 くこ とに なった。古 い題材、素材の中に新 しい ものが兄いだ されたのであ る。 また、バ ッ-の演奏解釈 は、19世紀においてロマ ン派の様式的解釈 が大勢 であったが現代 では違 う。音楽学的研究に よってバ ッ-の 人間性 が リアルになって、彼の生 きざまや聖書 に おけ る言葉の芸術表出 を通 してバ ッ-個 人の魂 の 自由 を求め る姿が、 よ り鮮明に浮 き彫 りに され て きている。 今 回の研修 において、 この二つの音楽が確かに現代 に生 きていて、 しか も我々に新 たな創 造の泉 となっているこ とを確 認 した。 (2) 「ペルー ジア外国人大学」 におけ るイタ リア語研修 で得 たこ とは 多い。指導者、学生 共に熱心 であ り、公的 な援助が あ り、従 って公的に認め られている真筆 な大学 であった。 わが国において 「開かれ た大学」 とか 「日本の国際化」の議論があって久 しい。我が国のそれは 多 くの場合 、持 っている学部のキャパ シティーの一部 を外国人に譲 るこ とであった リ、 持 っている技術や学問の一部分 を分 け与 える事 であ った るす る。 そこでは外国人学生 と受 け 入れ側 との間に主従 の関係が如実 であ り、時には利害関係の方が大 き くさえある。真 の国際 交流 とはギブ ア ン ド テイクとい うよ うな利害 を量 で測 ったよ うな軽 い言葉 で表現 で きる 次元の ものでは ない。利害 を越 えた共通の対話の場 が必要 である。 この大学において学生 はイタ リア語 を学ぶ、 とい う共通の場 があった。 そ して指導者 は授 業 を通 じて各国の文化や芸術、政 治、宗教等につ いて対話 をす る場 を与 えて くれた。我 々学 生の間に主狸 の関係や利害の構造 はなか ったの で真の交流が出来た よ うに思 うO各 自のア イ デ ンティテ ィがその場 で確立 していた。 お互 いが対等に認め合 っていたのであ る。 互 いの心の中に相手が しっか りと住みつ き、彼が大切 に している もの を私 も大切 に して行 く こ と、 これが国際交流で重要 なのである と体験的に理解 出来 た。
4.
補足、 その他
上記研修地-の移動の間に、次の ような小旅行 を実施 したこ とをつけ加 えてお く。(1) Rimini-。 私 の カ トリック受洗 まで を導 いて下 さったBeniaminoFaustCelliフラ ンシス コ会 師 をMariadelleGrazie修道院 まで尋 ね た。神 父様 は病 気療養 中であ るが 力の限 り公職 を果 た してお られた。
(2) 本学設立母体 の ローマ本部 を訪問。聖 ラファエ ラ ・マ リア様 を拝謁す るこ とが出来 た。 また、MonteParioliでは,総長様 のお招 きを受 けた
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荻島に もお 目にかか った。(3)東 ドイツのバ ッ- 縁 の地 を訪 ね たoEisenach∼ Erfurt∼ Arnstatt∼ Weissenfels ∼Weimar∼ Halle∼ Leipzig- と移動 した。
折 しも、東 ドイツ市民流出の二ュ- スが西 ドイツ ・テ レビか ら報 じられ、各地 で 「改 革」 の動 きが感 じられ た。 ライプチ ヒではバ ッ-縁 の聖 ニ コライ教会が 「新 フォー ラ ム」の拠点 となっていた。滞在期間中、 ライプチ ヒで秋 の国際見本市が開かれてお り、 西側 との交流が体制の中で行 なわれていた。一方、市民は聖 ニ コライ教会 で祈 りと共に 改革へ の道 を探 る集会に参加 していた
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注 (1)セ ミオロジーについての研究は E・カルデイ-ヌ師によって開かれたo この学問は、聖歌演 奏解釈の鍵であるネウマの総合的な研究で、聖書を歌詞 とするこの聖歌にこめ られた精神 を ネウマの形態から探るメ トー ド、とも言 うことができる。 重要 な研 究書 の うち演奏上 の具体 的 な問題 を扱 った入門書が 「PrimoAnnodiCanto232 清泉女学院知期大学研究紀要(第8・9合併号) Gregoriano」 であ る。 これは本学研究紀要 で全面的な翻訳 を継続掲載 中であ る。 「清泉女学院短期大学 研究紀要」第4号、1986年参照。 同上 第6号、1988年参照 (2) カルデ ィー ヌ師は1988年1月に帰天 され た。 (3) クレモナにおけ る研修楽曲 と共 に公開発表 を計画 中であ る。1990年9月の予定。