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百名・平安名・考: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

百名・平安名・考

Author(s)

高嶺, 朝誠

Citation

史料編集室紀要(28): 27-34

Issue Date

2003-03-20

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/7743

Rights

沖縄県教育委員会

(2)

百名 ・平安名 ・考

高嶺 朝誠 1. は じめ に ・ ・ ・「百名 」 とい う地名 につ い て 私の出身地は沖縄県島尻郡王城村字 百名 である。小学校 は百名小学校 を卒業 した。その 「ヒヤクナ」に 「百名」 とい う漢字 を当ててい る。 しか し、その漢字 自体 に大 きな意味が ある とは考 えに くい。 なぜ な ら、字百名 の人 口は百人をはるかに越 えてい る。 したがって、 百名 とい う当て字はせいぜい 「大勢の人が住んでいる」 ぐらいの意味 しか持たない。 では、 「ヒヤクナ」 とい う地名 は元 々何 を意味 したのか。私 は、長い間その ことを考 え て きた。 地元 の人々 も、多 くはその地名 の由来 をわか らな くなっていた。 ある 日、その話 を沖縄県教育庁文化課 の課長 も勤 めた作家の嶋津与志 (本名 :大城将保) に話 してみた(, 彼 も同 じ百名 の出身で、シマの先輩であ り、私 の親戚で もある。す る と 「百名 とい うのは、 ど うも岬の 古い呼び方 と関係 があるらしい よく,宮古島の 古い地図で見た ことがあるよ」 と い う話であった。 そ こで、沖縄民俗学会 の月例会が終わったあ と仲松弥秀先生 に 「百名 とい う地名は、岬 の古い呼び方 と関係 があるとい う話があ りますが、本 当で しょうか」 と質問 した。す ると、 先生は 「それ は重要でお もしろい考 え方だ。)君 自身で調べて研究 しな さい」 と激励 された。 はた して、百名 と岬は どんな関係 になってい るのか。

2.

「マ ム ヤ が アヤ グ」 の 「ヒヤ ンナ-」 と 「庚 平 安 名 岬 」 そんなことを考えていた1993年頃、発売 されたばか りの CDで三隅治雄監修 「延 る沖縄 (1) の歌 ごえ 。宮 古 ・八重 山諸 島編」 を楽 しく聴いていた。す ると、宮古の歌で さかんに 「ヒ ヤンナ」 とい う歌詞 が聞 こえて くる。 いったい どんな歌なのだろ うか。そ こで、 CDに添 付 されてい る 「歌詞カー ド」 と大城学の解説 を調べてみた。

TAliAMINEChosei:SpeculationsonHyakunaandHenna.

(1) 三隅治雄監修 「延る沖縄の歌ごえ ・宮古 ・八重山諸島編」(株 ・日本コロンビア ・1993年)

(3)

-史 料 編 集 室 紀 要 第28号 (2003) す る と、 「ヒ ヤ ン ナ 」 とい う歌 詞 が うた わ れ る 歌 は 次 の よ うな 「平 安 名 の ま む や 」 と 「平安 名 の マ チ ガ マ の ア ヤ グ」 の 二 つ が 見 つ か っ た。 ヒ Y ン J- (3) 平安名 のまむや ヒ ヤ ン+ ア ラ ー、 平安名 まむや 新 ノダン クアイイ ーリキイ ヤマハウ ニ、 野城按司ぬ 崎 山 王や アシ ヒ ソイ ブ トウイイ トノ 三、 遊 び好 き どや りば 踊 り 殿や りば 四、遊びなな じきカT 粗 りなな じきアフハ 五、平安名 と通 い 荒場 と通 い (以下十番 まで省 略) <解 説 >平安名 のマ ムヤは美人で あった。野城 の按 司が踊 りを見 るにか こつ けて 、マムヤ といっ しょに出か けて求婚 した。 以下省 略 -宮 古 島 の東 平 安 名 岬 (城辺町教育委員会提供) ンマ ミヤ ラヒ 生 り女 童 が マハウ ヒヤンナ (3) 平安名 のマチガマのアヤ グ ヒ'.Jンナ アハ ラギムヌ ー、 ハ- リー 平安名 のマチガマや美 人 者 て ど ドゥ--ヨーカーギ 体 容 姿マチガマ ビ ス- リー ス- リーヌ ヒヤル ガ-一 カラソイツ ・ノカ 二、ハ- リー マチガマが髪 見 りば長 うさで 体容姿美 ぎ人 てん ピー ス- リー ス- リーヌ ヒヤル ガ--(以下五番 まで省略) く解 説 >容 姿端 麗 な平安名 のマ チガマ の こ とを歌 ってい る。 な ん と、 「ま む や 伝 説 」 で 有 名 な 「平 安 名 の ま む や 」 は 「ヒヤ ン ナ 」 と発 音 され て い る の で は な い か 。 しか も 、 こ の 平 安 名 は 東 平 安 名 岬 の 根 元 の集 落 で あ る保 良 の 古 い名 前 で あ る。 「ヒ ヤ ン ナ 」 と 「岬 」 と 「百 名 」 は 、 き っ と関係 が あ る だ ろ う() (2) 「平安名 のまむや」 (ヒ.ンナ 演奏者 小禄恒栄 解説 大城学) (3) 「平安名 のマチガマのアヤ グ」 (演奏者 砂川 玄幸、小禄恒栄 解説 大城 学) -28 _

(4)

3.琉 球 国絵 図の 「平 安 名

そ こで 、大城 将保 に教 え られ た 「宮 古島の古 い地 図」 を調 べ て見 るこ とに した。 幸い、 私 が沖縄 県教 育庁文化 課 に勤務 してい る とき 「国絵 図」係 を担 当 させ られ た。 そ こで、 19 I:∼ 98年 に 『琉 球 固絵 図史料集 ・第一集』 の 「正保 国絵 図」 (86頁) を開いてみ た。 す る と、 「宮 古 島」 の東 平安名 岬 の根 元 に 「お ろか間 切之 内 百名 村 」 とあ るでは ない か。す なわ ち、現在 の城 辺 町の平安名 とい う地名 は 「百名 」 と表記 され ていた のであ るo Lか も、 「東 平 安名 岬 」 は 「百名 崎 」 と表記 され てい るで は ないか。 さ らに、現在 の 「西 平安名 岬」 は 「ひ やんな崎 」 と表 され てい る。 これ で、 「ひ やん な」 と 「岬」 と 「百名 」 が深 く関連 してい るこ とが解 った。 また、 「百 名 」 の発 音 は 「ひ やん な」 とい う発音 と関係 す るこ とも推 定で きた。

4.

『角 川 日本 地 名 大 辞 典 47沖 縄 県 』 の 「首名 」 と 「平 安 名」 そ こで 、 「地名 辞 典 」 で は どの よ うに記載 され てい るか 『角川 日本 地名 大辞 典 47沖縄 1.I 県』 を調 べ てみ た。 ((7) す る と、 「ひ や くな 百名 <玉城村>」 の項 には次 の よ うに書 かれ てい る。 沖縄本島南部、太平洋に臨む石灰岩台地上に位 置し、急崖下に狭い海岸低地が開けるO方言 でもヒヤクナ とい う。「おもろさうし」には 「ひや くな」、あるいは対語 として 「さきよた」 と 見える。巻17-53、No.1227では 「百名酒南風吹けば 煽 りや-按司添い守 ら (百名の浦に南風 が吹けば、高級神女のアオ リヤ-が国王を守るであろ う)」 と謡っている。 また、 同 じペ ー ジの 「ひ や くなむ ら 百名村 」 の項 には 「⇒ 平安名 秤 - ん なむ ら<城 辺 (7) 町>」 と表 記 され て い る。 で は、 「- ん なむ ら 平 安名 村 <城 辺 町>」 を見 てみ る と、次 の よ うな説 明だ。 〔近世〕王府時代∼明治初年の村名。宮古島砂川 (うるか)間切の うち。方言ではピャウナ とい う。宮古島南東部、東平安名 (ひが し-んな)岬の基部に位置する。 「両島絵図帳」では、 ひやくな村 と見え、高218石余。寛文8年の 「琉球国郷帳」に百名村 と見える。「まむやがアヤ

」には、14世紀中頃 といわれる、野城按司と傾国の美女マムヤの伝説が謡われている。 (4)沖縄県教育委員会文化課編 『琉球国絵図史料集 ・第一集』 (椿樹社・1992年) (5) 「角川 日本地名大辞典」編纂委員会 『角川 日本地名大辞典 47沖縄県』 (角川書店・1991年) (6) 「ひやくな 百名 く玉城村>」(同辞典p599) (7) 「-んなむ ら 平安名村<城辺町>」 (同辞典p629) 29

(5)

-史 料 編 集 室 紀 要 第28号 (2003) これ で百名村 と平安名村 は、 当て字 は違 って も 「ヒヤクナ」、 「ピャ ウナ」、 「ヒヤンナ」 と発音 され る同 じよ うな意味 を持 った地名 で あ ることが明確 になった。 5.勝 連 町 の 「平 安 名 」 す る と、同 じく 「平安名 」 と表記 され てい る勝連町字平安名 の地名 が気 になったO そ こ で1999年 頃、勝連 町に行 くたび に 「平安名 とい う地名 には ど うい う意味が あ ります か」 と 聞 き取 りを した。 しか し、地元 では教 育委員会 関係 の人 々を含 めて明確 な答 えは開 けなか った。 これ も 『角川 日本地名大辞典 47沖縄 県』 で調 べ てみ る と、 「- ん な 平安名 <勝 IIL一 連 町>」 の項 で次 の よ うに記 され てい る。 沖縄本島中部の東海岸、勝連 (かつれん)半島に位置 し、中城 (なかぐすく)湾に面する。 昭和初期頃まではサンナ とも呼ばれたO 「歴代宝案」の尚頁玉代 (1477- 1526)に皮揚名 ・裳 揚那などと見え、ヒアンナと発音されていたらしい。 嬉 しい こ とに、 ここで も 「ヒア ンナ」 と発音 され ていた らしい」 とい うこ とが解 った。 す る と、予想 どお り 「ヒヤクナ」、 「ヒア ンナ」、 「ヒヤンナ」、 「ピャウナ」 が同系列 の地名 であ る可能性 が推 定で きた。 お ま けに、平安名 は勝連 半島 とい う大 きな 「岬」 の 中に存在 してい る。 ます ます 、 「百 名 」 と 「平安名」 と 「岬」 の関係 が深 い こ とが解 って きた。 6.「ピャ ウナ 」 と蛇 と岬 私 が、 「百名 」 と 「岬」 の関係 を調べ ていた1999年 、宮古 島出身 の詩人 。伊 良波盛男 の (9) され た。 しか も、その第1回 目 「上」 の 中見 出 しが 「長大 な ヒヤ ウナ (蛇崎) の先端」 と大 き く 強調 され てい る。 私 は、それ を読 んで興奮 した。 「百名 (ピャ ウナ)」 と 「岬」 に関連す る ところを引用 してみ る。 (8) 「-んな 平安名<勝連町>」 (同辞典p628) (9)伊良波盛男 「伊良湖岬にてJyl咽 国男 と野鳥のことなど-1 (「琉球新報J1999年 11月8日朝刊) _30 _

(6)

この種の地理的形状の半島 (PENINSULA)や長岬や崎や海角を、宮古地方では、パ ウ崎、 ハ ウ崎、ポー崎などと読んでいるが、ポー もハ ウもパウも蛇のことo熟年者の間では、宮古島 の東平安名崎を東 ヒヤウナ、西平安名崎を西 ヒヤウナ と言い、通俗的には単にヒヤウナ (ピャ ウナ) と呼ばれていた。 これ らは、いずれの呼び方でも蛇崎である。 ヒヤウナ と言 う古称の漢字表記の 「平安」は 「ひやん」 (外聞守善 ・新里幸昭編 『南島歌謡 大成Ⅲ宮古篇』参照) と読む。 もっとも 「ひやん」の音読み当て字が 「平安」 と言 うことであ るOそれであるか ら、ヒヤウナは、南酉諸島に棲息する蛇のヒヤン (ハイ とも言 う)が地名の 由来になっているものと思われる。 この、伊 良波 の見解 か ら 「ヒヤ ウナ (ピャ ウナ)」 が 「蛇崎 」 を意 味す る 可能性 が あ る こ とが分 か って きた。 一方 、私 は宮川耕 二 も同様 な こ とを述べ ていた こ とを思 い 出 した。 (lO) そ こで 、以 前読 んだ 『は るみず の うみ』 を調 べ てみ る と、 1999年 の 4月26日に次 の 「座 談 3iIE 会 で の発 言」 を読 んでい るこ とが分 か った。 宮古島には、平安名峰 とい う土地があ りますけど、ピャウナ といって、これ も定説はないよ うだけれ ど、パオ、パ ウ、 じゃないか、蛇 じゃないかといってね。ポー崎ってあ りますよね。 あれ も似たような、話 しらしいんですけど。虫銅 ミ、非常に宮古の風土に、あるいは地名にも生 きているような気が しますねO この発 言 を読む と、宮川 さんは断定 は して ない が ピャ ウナ と蛇 の関係 を示唆 してい る。 そ こで 、私 は1999年 の末頃 にほぼ次 の よ うな仮説的 な結論 に達 した。 (丑玉城 村宇 百名 と城 辺 町の 「平安名 」 と勝連 町字平安名 はいずれ も同 じよ うな地形 か ら 来 た地名 で あ る。 ② 「ヒヤクナ 」、「ピャウナ」、「ヒヤンナ」、「ヒアンナ」は同系列 の地名 で時 間的 、空 間的 に変 化 した もので あ る。 ③ した が って 「百名 」 - 「平安名 」 は岬 その ものか、岬の 一部分 を表す 地名 の古い呼び 方 で あ る。 ④ そ の発 音 は、 P音 な どか ら 「パ ウナ」、 「ピャ ウナ」、 「ヒア ンナ」、 「ヒヤ ンナ」、 「 -ンナ 」、 「ヒヤクナ」 と変化 して きた と考 え られ る。 ⑤ 「パ ウ」 が 「ハ ブ」 と同様 、 「蛇 」 を表 して い るので、岬 の古 い地名 は 「パ ウ+ナ」 か ら成 立 して 、 「蛇」 に由来 してい るので はないか。 (10) 吉増剛造、アンガス ・マクニッケル他 『はるみずの うみ』 (矢立出版 ・1999年) (ll) 宮川新二 「座談会での発言」(『はるみずの うみ』 p42) _31_

(7)

史 料 編 集 室 紀 要 第28号 (2003) ⑥ 育代 の 人 々 は海 辺 の 良 い 岬 を 見 て 、 蛇 を連 想 して 「パ ウナ 」 と呼 ん だ の で は な い か (, そ の よ うな 結 論 を 、 文 化 課 の 同 僚 や 友 人 、 知 人 た ち に 話 して 意 見 を 聞 い て き た 。 す る と、 殆 どの 人 が 「早 く文 章 化 して 新 聞 な どに発 表 す る よ うに 」 勧 め て くれ た 。 しか し、 私 に とっ て2000年 は 沖 縄 県 の 文 化 財 「琉 球 王 国 の グ ス ク及 び 関 連 遺 産 群 」 を12 月 ま で に 世 界 遺 産 に登 録 す る作 業 とそ の 関 連 事 業 が 激 務 で 、 とて も ま とめ る余 裕 が な か っ t12) た 。 ま た2001年 は 体 調 を崩 して 、 仮 説 を確 か め た り良 い 文 章 を ま とめ る力 が な か っ た。

7.

百 名 と 岬 と 「さ き よ だ 」 と こ ろ で 、 玉 城 村 の 百名 の 地 形 は 一見 す る と岬 と は 思 え な い 。 と りわ け 、 勝 連 半 島 や 宮 古 の 平 安 名 岬 と比 較 す る とす ぐ に は 岬 の よ うに 見 え な い 。 ほ ん と うに 地 形 的 に 「百 名 -岬」 と言 え る だ ろ うか 。 だ が 、 百 名 海 岸 は 沖 に 出 て 海 上 か ら見 て み る とま さ し く 「岬 」 で あ る。 ま た 、 地 図 を見 (12) 私 は、 「高 良勉」 とい うペ ンネ ー ムで詩 を書 いてい るので、2000年8月5日 (土) に那覇市久 茂 地 の 「福屋 」 で 開かれ た 「吉増 剛 道民歓 迎会」 に参加 した。 詩人 の 中里友 豪や 花 田英 三、矢 口哲 男民 らが一緒 だ った。 そ の席 で 、私 は酒 を飲 み なが らこれ まで述べ て きた 「百名 -平安名- 岬」 とい う仮説 につ いて 中 里友豪氏や 与那覇幹夫氏 に話 した。 宮 古島出身 の詩人 ・与那覇幹夫氏 は、興 味 を持 って聞いていた。 (その こ とは 、私 の 日記の 中に もメモ され てお り、中里友豪氏 も覚 えていた。) ところで 、 与那 覇 幹 夫 氏 はそ の一 週 間後 の8月12日に沖縄 ・那覇 で行 な われ た 吉増剛 造 氏 との

『ヴィジ ョン』 の誕生」 とい う対談 で次 の よ うに発言 してい る。 「いま私たちが使 っている宮古の方言というのは古事記以前まで遡れるんですねC宮古の言葉を、音韻変 化をもとに戻すと、古事記以前の言葉になってしまう。 たとえば、沖縄県玉城村の百名という地名は、岬を表すんですね。宮古には、平安名崎 (ヘンナザキ)と いう地名があるのですが、東平安名崎、西平安名峰と。それは古 くは 『ピャウナザキ』ですOピャウナのも とは、おそらくパウです。パウ、ピャウ、と変化 していくんです。パウというのは蛇なんですよ。蛇という のは細長いものですね。『ナ』というのは海の近 くの空間をあらわ しますか ら、海の近 くの蛇状のものとい ったら岬なんですQそうなると、百名というのは、パウ、ビヤウ、ヒヤウ、ヒヤクという形で音韻変化 した のですね。そういう形で全部謎解きできていく。だから、日本語の古語が、あの暖かい、きらめくような太 陽の下に露頭 している、そんな感 じなんですね。」 私 は、 この発言 を2000年 10月21日付 消印で吉増剛造 氏の好意 で贈 られ て きた雑誌 「MONSOON 0 7」 (平成12年 -2000年 9月30日 ・王子製紙株式 会社発行) の 7頁で読 んで初 めて知 った。 私 は、与 那覇幹 夫氏 が私 の仮 説 に賛 同す るの はいい が、その 「引用」 のや り方 に注意 を促 してお きた い。 この発 言 での事例 は私 の仮説 か らの 「引用」 で あ る。 少 な くとも 「た とえば、沖縄 県玉城 村 の百名 とい う地名 は、岬 を表 わす んですね」 とい う発 言 は 「私 の仮説 か らの 引用 」で あるo 私 は、 与 那覇氏 がせ めて 「高 良勉 の話 に よれ ば」 とか 「高良勉 の教示 に よれ ば」 とこ とわ りを入れ た方 が 本人 の為 に も良か った と思 う。残 念 であ る。 ま さか とは思 うが、後 あ と私 の調 べ て きた こ とや この 「百名 ・平安名 ・考 」 に対 して、与那覇幹 夫氏 が 「プ ライオ リテ ィ」 を主張す るこ とが起 こ らない よ う、念 のため事実経過 を書いてお く。 32

(8)

-てみ て もゆるや か な岬 になってい る。 お まけに、その岬 には現在 も 「崎原 (サ チパル)」 とい う地名 が残 ってい る。 「浜辺 の茶屋」で有名 になった一帯である。 す る と、 「お もろ さ うし」で 「ひ や くな」 の対語 が 「さき よた」 で あるこ ともよくわか (13) る。『お もろ さ うし』 で巻17-57、No.1231のオモ ロを見 る と、次 の よ うになってい る。 ひやくなからのぼて が節 ひやくな 一 百/名から か ね て /つ 連れる 連れ かほうおしよりた)やくに 果報首里親国 さきよだ 又 崎枝か ら か ね て 外 間守善 は、 このオモ ロを 「百名 か ら、崎枝 か ら、国 を囲 って支配 して、国 々を繋 ぎに 繋 いで引 き連れ て、果報 の満 ちてい る首里親 国 に繋 ご うよ。」 と現代 日本語訳 してい る。 また、 この 「崎枝 」の語注釈 は 「地名。神 のま します 岬の一般名 として崎枝 とい う名 が あった らしい。 ここは百名 の別称。」 と書 かれ てい る。 ま さに 「百名 -崎枝 -岬」 とい う 結論 で ある。 (14) つ いでに、『沖縄 古 語大事典』 で 「ひ や くな」 を引いてみ る と次 の よ うにな ってい る。 ひやくな 【百名】 地名。玉城村百名。なお、「正保国絵図」(琉球国絵図資料第一一集)に宮 古島の東平安名崎のつけ根に 「百名村」がある。「ひや くな」は-ンナの語源 と関わるか。 とな っ て い る。 こ の 事 典 の 段 階 で は、 「百名 -平安名 」 とは断定 して な い 。 一一一方 、 残 念 な が ら こ の 事 典 に 「-んな」の項 目はない。 8.おわ りに 思 えば、 自分 の本 籍 地 で母 校 の名 前で もあ る 「百名 」 の地名 を調 べ て 沖縄県玉城村 の百名 -崎枝-岬 十余 年 が過 ぎた。 結 論 を簡 単 に ま と めれ ば 「百名 -平安名 -崎枝」- 「岬」 とい う仮説が成 り立つ こ とが解 った。 す ると、私 (13)外間守善校注 『おもろさうし』 (岩波文庫 ・2000年) (下)P257。 (14) 沖縄古語大事典編集委員会編 『沖縄古語大事典』 (角川 書

・1995年) _33 _

(9)

史料 編 集 室 紀 要 第28号 (2003) (151 が1984年前後 に琉球弧 の 「岬」 に取 り悪かれ高 良勉詩集 『岬』 を出版 したの も、偶然 とは 思 えな くなって きた。私 は、無意識 に 「残波岬」 とい う詩 で故郷 の 「崎原 」- 「崎枝 」 -「百名 」 を次 の よ うに表現 していた。 岬を廻 らねば 帰る事が できなかった けもの道の あこうくろう (夕闇暮) 岬を まわる 闇の中 少年の魂は ふるえ 渚をなめる 波の音は怖い 海まで迫る 雑木林 と サ チバ ル マ Y -原野は怖い/ねぐら鳥 鋭い悲鳴をあげ 牛ほどもある と言 う 幻の崎原山猫の 青 白い 眼光 と影 音 もなく 追いかけて来た 波打際では 台風で漂着 した 水死体の 黒い塊 む くっむ くっと お きあが り ぼ うぼ うと 伴 っていた 幾人の少年が 岬の径で マ ソごヤー 生霊 を 落 して しまったか これ が、我 が 「百名 -岬」の原 イ メー ジであ るO ここまで書 き上 げてか ら、私 は言語 学者 である琉球大学の狩 俣繁久先生 に 「ゲ ラ原稿」 と 「質 問の手紙 」 を送付 して、私 の仮説 的な結論 に対 し教 えを乞 うた。狩俣先生は、てい ねいに長 い返事 を書いてい ろい ろ と教 えて下 さったO まず 、手紙 で は 「玉城 の 『百名 』 と城辺 の 『平安名 (-百名

)

』 は、同一地名 と して、 まちがい あ りませ ん」 と述べてい るo また 「ピャクナ 〔pjakuna〕- ピャ ウナ lpjavna〕 の 変化 は とて も 自然 な変化 です。」 とも教 えていただいた。 ただ し、 「ビヤ ウナ」か ら 「ヒヤ クナ」-の逆 の変化 は難 しい との ことである。 また、 「勝連 町 の 『平安名』 と城辺 の 『平安名 (-百名

)

』 は、直接 は結 び付 け られ ない よ うにお もい ます。勝連地域 の方言 の発音か らも 『百名』 が 『平安名』 になった とは考 え られ ませ ん」 と述 べ、私 の仮説④ には否定的であ る。 さらに、仮説⑤ ⑥ は成 立 しない との こ とであ る。 「蛇 の 『パ ウ』『ハ ウ』『ポー』 と東平 安名岬の 『ピャ ウ』 は、はっき りいって、結 びつ きませ ん。管見では、宮 青には蛇 の こ と を 『ピャウ』 の よ うに発音す る地域 はない とお もいます。 も し仮 にそ うい う発音があった として も、『蛇 (パ ウ) -平安名 (ピャ ウ

)

』 を認 める と、逆 に 『平安名 -百名』説 が成 立 しな くな ります。」 と述べ てい る。 これ で、百名 -岬 の語源 が 「蛇 」か ら由来 してい る と い う仮説 は否 定 され た。 百名 の語源 は解 らな くな ったが、 「百名 -平安名 -岬」 とい う現 在 までに解 明で きた結論 は保持 してお きたい。 い ろい ろ、 ご教 示 いた だ い た狩俣 先 生 に感 謝 申 しあげたい。 また、琉 球弧 にお け る 「百名 」 とい う地名 や 、 「百名 -平安名 」の語源 について御 存知 の方 に、何 か ご教示 いた だ けれ ば幸いで あ る。 (15) 高良勉詩集 『岬』(海風社・1984年) P139。

参照

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