Title
基礎資料整備と方法的模索−近代沖縄思想史研究の現状
と課題−
Author(s)
屋嘉比, 収
Citation
史料編集室紀要(25): 1-20
Issue Date
2000-03-16
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/7601
Rights
沖縄県教育委員会
史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000)
基 礎 資 料 整 備 と 方 法 的 模 索
一近代 沖縄思想史研究の現状 と課題-屋嘉比 収★ は じめ に この小論 に、編集室か ら与 え られたテーマは、「沖縄近代思想史研 究の現状 と課題」 と い う題 目である。その依頼 の説明か ら、私の関心領域である近代沖縄思想史 の研究史的な 整理 を行 って欲 しい との要望であることはす ぐに理解で きた。近代沖縄思想 史 とい うその 「限定」 された狭 い分野の、 しか も研究蓄積が さほ ど多い とは思 えない研究領域 を整理 し 概観す ることに どれほ どの意義があろ うか。それに対 して私 自身 も確 たる自信 を もてない まま、 と りあえずお受 けす ることに した。 ところが、 この課題 をいただいてあ らためて検 討 してみ ると、そのテーマのなか には多 くの課題が内包 されてお り、 自分 な りに色 々 と考 える ところがあった。 例 えば、「沖縄 近代 思想 史」 と 「近代 沖縄思想 史」 とは どう違 うのか。前者 では 「沖 縄」 と 「近代思想史」 とい う二つの 自明な概念の組合せの ように考 え られ、 しか も両概念 は、 自己完結 的で実体 的な もの として認識 されてい る。 また後者 においては、 「近代 」 の 「沖縄 思想史」 の研 究 なのか、「近代沖縄」 における 「思想史」の研 究 なのか、判然 とし ない。 その ような差異 について考 えることは些末 な事項 だ ととらえるむ きもあろ うが、 け してそ うではない。竹内好が、40年前の文章ではあるが、その近代 日本思想史 を考 えるこ とは、「近代」の 「日本思想史」 ではな く、「近代 日本」 における 「思想史」 を検討す るこ Nu とであ る と強調 してい る。そ して後述す るように、思想史家 の安丸 良夫が、その竹内の文 章 を取 り上 げて近年あ らためて論及 してお り、 また今 日の近代 日本思想史の分野で広範 に 問われ てい るのが、 これ まで 自明の もの として疑 われ ることのなか った、 「日本」や 「近 代」や 「思想史」 とい う概念 その もの枠組みや成 り立 ちであることは周知の通 りである。 その ような問いかけは、「思想 史」 をどの ように して、そ していか に認識 す るか とい う 根本 的 な問題 と結 びついてい るのであ る。例 えば、「思想史」 をどの ように認識す るか と い う点 については、その背景 に次 の ような問題意識が存在す る。安丸良夫 は、 さきの竹 内 好 の記述 を受 けて、思想史 を思想 の歴史 をあつか う 「歴史研 究の一部 門 とす る対象規定 と しての思想史」 とい うとらえ方 だけでな く、「思想 において、あるいは思想 を方法 として (2) 歴史 をあつか う」
「方法規定 としての思想史」 の重要性 を指摘 してい る。 その視角 は、忠 ★ やかび おきむ (沖縄国際大学南島文化研究所特別研究員)-1-史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) 想史の構 えを、時 間の因果関係 を基本的なモメン トとして 自己完結 的 にとらえるあ り方で はな く、歴史の 「可能性 の幅」 で とらえることをうながす ものだ。その 「方法規定 として の思想史」 とい う視点 は、その意味で さきの近代沖縄思想史 を、 自明で 自己完結的な概念 と して とらえ、それ を実体化 して分析 す る 「近代」 の 「沖縄思想史」 の研 究ではな く、 「近代 沖縄」 を対象 とす る 「思想史」 の問題意識 と結 びついている といえる。 また、「思想史」 をいか に認識す るかについては、最近、鹿野政直が指摘 している次 の (3) ような問題意識が背景 にある。鹿野 によると、近年の歴史学 は大 きな転換期 にあ り、 と く に近代 史研 究では これ まで前提 と して きた枠組み を含めて、その方法や認識が検討の対象 とされている。す なわち歴史学の現在 は、鹿野の明示す る ところ 「化生す る歴史学」 だ と い う。そ して、その化生す るあ り方 は、思想史研究 も例外 ではな く、む しろ歴史学 におけ る思想史の位置か らして、その影響 を思想史の方が より濃厚 に帯 び、その予感性 を感 じて い る と指摘 され る。つ ま り鹿野 は、思想史 とい う分野が、歴史学の 「自明性 の解体のなか で」、「い まの歴史学の、-脱構築 を体現 しているとい う印象のほ うが強い」 と言及 してい るの だ。 ところが今 日、その 「日本思想史学」 の領域 において も、 それ を構成す る 「日 本
」
「思想」
「史学」 とい うそれぞれの単位が、「揺 らぎを余儀 な くされてい る」状況 にあ るこ とは広 く認識 されてい よう。その点で鹿野 は、「思想」史研 究 も社会史 の視角 と方法 によって、その 自明性が再吟味 され、 もはや 「日本思想史学」 とい う概念 も安定 した基盤 \い ではな くなってい ると強調 してい る。 その ような思想 史 を含めた歴史学の従来の枠組み における、 自明性 の解体 が指摘 される なかで、「近代 沖縄思想史研 究の現状 と課題」 を考察す る とい うことは、 どの ような意味 を もっているのか。近代沖縄思想史研 究の現在 を考 える うえで も、少 な くともその ような 問題意識 を抜 きに して、 このテーマ を論 じることはで きない ように私 には思 われる。 この 小論 では、一方でその ような問題意識 を念頭 にお きつつ、近代沖縄思想史の現状 と課題 に ついて、 とくにその手続 き的手法や認識枠組みに焦点 をあてなが ら、研究史の概略的な整 理 を試みてそれに対す る自らの認識 を述べ ることに したい。 周知の ように、学問分野 における琉球 。沖縄史研究の研究史的な整理 についてはこれ ま (5) で も多 くの試みが成 されている。そのなかで沖縄近現代史の研究史的な整理 に関す る最近 の事例 では、西里喜行が1980年代 以降の研 究動向 について、91年の 『歴史評論』500号特 集で手際 よ く要約 され的確 な整理 を行 なっている。西里 はその文章で、沖縄近現代史研 究 の動 向 を、琉球処分期 の研 究、旧慣温存期 の研究、土地整理 ・戦間期 の研 究、沖縄戦 。沖 縄戦後史の研究 とい う四つの項 目を立てて分析 している。そ して、その項 目とは別 に、80 年代 の顕著 な動 向 として思想史の分野 における特定の人物 (謝花昇 ・伊波普猷 ・太 田朝数 Illl な ど) に関す る研 究 にふれて、その領域では 「新生面が開かれた」 と言及 している。 だが その記述の枠組み をみて も、近代 沖縄思想史の分野 に関す る叙述 は、紙幅の問題が大 き く 制約 しているためであろ うが、従来の枠組みにの っ とった形で近代沖縄史の一部門の対象 として把握 され整理 されていることが確認で きよう。史料 編 集室 紀 要 第25号 (2000) その点か らす る と、思想史 に関する認識 については、前述の安丸の指摘 に基づ くと、 「方法規定」 としてではな く、「対象規定 としての思想史」 とい う側面 において とらえて いるといえよう。 むろん、そのような認識 による叙述のあ り方については、分析者の専門 領域や問題関心、記述の形式や紙幅の関係 などの多様 な要因によって左右 されるものであ り、一概 には言及す ることはで きない。 しか しそのことを了解 しなが らも、前述 した思想 史研究 に対する安丸や鹿野の問題提起 を受 けた後 に、あ らためて思想史 をどのように、そ していかに認識す るか とい う点を考 えると、その 「方法規定 としての思想史」 とい う視点 が重要 な意義 をもってい ることをつ よ く意識せ ざるをえない。「化生す る歴史学」の今 日 において、近代沖縄思想史研究の現状 と課題 について考察す る際に、その研究史的な整理 の果たす役割 とは別 に、その問いの もつ意義 を自覚 しなが ら、それにどの ように応えるこ とがで きるかが私 たちに問われているといえるのではなかろ うか。 すなわち先の思想史 に対す る問題提起、つまり安丸のい う 「方法規定 としての思想史」 とい う指摘 と、鹿野のい う思想史の 自明性が解体 され 「化生する歴史学」 とい う現状認識 を受けて、私たちは近代沖縄思想史の研究 をどの ように構築 していけばよいか。その点 こ そが今 日問われている課題 だといえる。それを考 える一つの手立て として、例 えば次の よ うな問いを投 げかけることか らは じめてみたい。 西里 は先 にふれた同 じ文章のなかで、冨山一郎 『近代 日本社会 と 「沖縄人」』 (日本経済 評論社
、1
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年) に対 して以下の ような指摘 を行 なっている。
「-確かに、新 たな視点、 新 たな概念 によって戦間期 の沖縄 の社会経済構造、 日本社会 における 『沖縄 人』の特質の 一面 を開示することに成功 しているとはいえ、政策的視点 をほとんど捨象 したままで果た して沖縄史 (沖縄社会)の特質が全面的に解明され得 るのであろうか、創造 された概念 は (7) 実体の理解にどれほ ど役立 っているのであろうか、疑問な しとしない」 。その十年前の西 里の指摘 を、私たちは今 日の地点 において、 どの ように解釈すべ きであろ うか。その指摘 は、政策的視点 を重視す る従来の歴史研究の観点か らす るとある意味で当然の指摘 だ とい えよう。 しか し、今 日の歴史学では、鹿野の言 うように、歴史その ものの 「展開を忠実 に (8) 跡づけるヒス トリオグラフイーか ら、その意味 を問 うメタヒス トリー」へ と化生する状況 のなかにある。その ような歴史学の状況の変化のなかで、西里の指摘 は、沖縄社会や沖縄 人の特質を考察す るうえで、 どの ような意義 をもちえているのであろうか。今 日、私たち に問われているのは次の ようなことではないか。それは、冨山の著書 に対す る西里が示 し たその指摘の意義 を認めつつ も、 また同 じく他方においてそれ とは別の解釈 を新たに提示 す ることである。 例 えば、西里が指摘す るように、沖縄社会の特質 を解明す るために、政策的視点が重要 な意味 をもっていることに異論はない。 しか し、沖縄社会の特質を 「全面的に解明」する ためには、その政策的視点 だけでは とらえ られない こともまた事実である。それ と同様 に、冨山の指摘は、沖縄社会や沖縄人の特質 を 「全面的に解明」す るための視点や概念 を 提示 した とい うよ りも、 これ まで指摘 されてなかったその 「特質の一面 を開示する」 ため_3-史 料 編 集 室 紀 要 第
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の 「新 たな視点 と新 た な概念」 の提示である ととらえるべ きで はなかろ うか。その意味 で、冨 山の試み とは、歴史学が 「ヒス トリオグラフ イー」 か ら 「メタヒス トリー」へ と化 生す るなかで示 された、新 たな枠組みや視点の提示 だ と解釈すべ きであると考 える。 それ は言い換 える と、 どの ようにそれ を解釈す るかによって、私 たちの 「方法規定 とし ての思想史」の視 点が問われてい るともいえ、その意味では近代沖縄思想史研究 における 「方法規定 としての思想史」の 「可能性の幅」が試 されてい ると考 えることもで きよう。 そ して、その可能性 の幅 とは、一方で近代沖縄思想史の分野 を基礎資料 の整備 を含めて実 証 的 に構築 してい く手法 とともに、他方で新 たな枠組み において、その領域 を脱構築 して い く志 向性 をも内包す る ものであるといえるように思 う。実際、後 で言及す るように、9
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年代 の伊波普獣 に関す る研 究 として私 たちの前 に提起 された研究成果は、その 「方法規定 としての思想史」 の可能性 の幅 において近代沖縄思想史の課題 を考 えるときに、 きわめて 対照的な二つの興味深 い試みであった。\
り
1 この小論では、近代 沖縄思想史研究の現状 について、 まず 「近代沖縄初期 の言論 人」 の 研 究 として近年提 示 されてい る太 田朝敷論 と謝花昇論 の意義 について言及 し、そ して8
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年 代 か ら9
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年代 の伊波普猷研 究の動向 を検討 しなが ら、その意義 を確認 したうえで これか ら の研 究課題 について論及す ることに したい。 1. 太 田朝 敷 論 と謝 花 昇 論 に関 す る新 た な研 究9
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年代 の沖縄近代思想史 において、特筆すべ き研 究成果の一つは、 これ まで主 に論 じら れていた伊波普猷研 究 とは別 に、その前 の世代で 「近代 沖縄初期 の言論 人」 として位置づ け られ る太田朝敦 と謝花昇 に対す る新 たな研究の提示だ といえよう。その二つの成果 は、 比屋根照夫 と伊佐 晃一 によって担 われた研究で、両者の編集解説 による 『太 田朝敷選集』 全三巻 (第-書房、1
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年) と伊佐の編集 ・解説 に よる 『謝花昇集』 (みすず書房、1
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年)の刊行 であ る。 ともに基礎資料 の整備 に基づいた新 たな視点の提起 に よる画期 的 な研 究 といえる ものである。 『太 田朝敷選集』 は、主 として 『琉球新報』で主張 した太 田の論説 をは じめすべ ての文 章 を精微 に踏査 して検 証 し、そ の なかの主要 な論 説 を編集 した資料集 であ る。その選集 は、明治3
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年か ら昭和1
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年 までの太田の論述5
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点 (戦後 に復刻 された物 は点数か ら除い た) か ら、主著 『沖縄県政五十年』 をは じめ主要 な論説 と書簡 を含 めた2
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点 を抜 き出 し て、上 中下の三巻 「政治 ・自治」
「経済 ・社会」
「社 会 ・文化」の各編 に分類 し編集 されて い る。そ して、仝 三巻 には各編 の解説 と、 また下巻 には太 田が書いたすべての著作 目録 と 詳細 に作成 された年譜が収録 されてい る。その選集の刊行が、膨大 な資料探査 と撤密 な検 証 に基づいた基礎 資料 の整備 において、 これ までの太 田朝敷研究 に一つの画期 をもた らし 新 たな段階を築いた ことは指摘す るまで もない。 さらに、その基礎資料 を整備す るととも に、それ を詳用 に読解 し分析す ることで、 これ まで一般 に流布 していた太田朝敷論 とはま史料 編 集室 紀 要 第25号 (2000) った く異 なる新 たな論点 を提示 したのである。 周知の ように、太 田朝数 は、明治中期 か ら大正、昭和戦前期 において、第-回県費留学 生 と して東京 に学 んだ近代沖縄人の一人であ り、その後 は沖縄最初の新聞である 『琉球新 報』の創刊 に参画 した新 聞編集人、砂糖会社 の社長 としての実業家、県議会副会長や首里 市長 な どを歴任 した政治家 などと、近代沖縄社会の多方面 において活躍 した人物 として知 られてい る。今 回、その選集の刊行 によって太田朝敷の全体像が明 らかにな り、そ してそ の ように近代 沖縄社会で多様 な活動 に携 わった太 田の生涯 にあって、その基軸が 『琉球新 報』 を舞台 に活躍 した言動活動の存在であったことの重要性があ らためて再確認 された。 実際、太 田は、新 聞紙上でその言論 人の 「職分」 の本領 として、事実の報道、社会病理の 矯正、指導者 の監視 な どがあ り、その使命 は世人 に反響があるまで繰 り返 し 「警醒」 を鳴 (10) らす ことであ る と強調 している。 ところで、明治 中期以降の啓蒙的新聞人である太 田の言論 は、 これ まで主 として 「同化 論」 として認識 されて論 じられて きた。そ してその 「同化論」 とは、「皇民化」 としての 「同化論」 と して解釈 されて きた。その解釈 の論拠 として象徴 的に繰 り返 し取 り上 げ られ て きたのが、明治
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年の沖縄高等女学校 での太田の演説 「女子教育 と沖縄県」の中の次 の 有名 な一文であ る。
「沖縄今 日の急務 は何 であるか と云へ ば、-か ら十 まで他府県 に似せ る事 で あ ります 。極端 にい- ば、噴す る事 まで他 府県 の通 りにす る と云 ふ事 で あ りま(
l
l) す」 。それはいわゆる、太 田の 「クシャミ論」 として よ く知 られている演説 で、 これ まで \lJ
l 太 田の 「同化論」 を象徴す る 「単純 な 日本模倣、従属論」 として解釈 されて把握 されて き た。そ してその太 田の 「クシャミ論」 は、明治政府の 「皇民化」政策 としての 「同化論」
を、沖縄側 か ら補完す る事大主義的論説 の典型 と して指摘 され解釈 されて きたのである。 しか し、その 『太 田朝敷選集』の編集作業のなかで、太 田のすべ ての論説 を調査 し基礎 資料 を整備 した比屋根 と伊佐 は、その資料 に厳密 な検討 を加 えて、従来の太 田の同化論 の 認識 は一面的 な解釈 に しかす ぎない と批判 した。選集の中巻 の解説 において比屋根 は、そ \l:tさ の太 田の同化論が 「沖縄 の地位 の向上、発展 を目指す勢力発展論」であったことを明快 に 指摘 してい る。その指摘が重要な意義 をもっているのは、 これ まで断片的 な資料 に基づ き 解釈 されていた太 田の同化論 とは異 な り、太 田のすべ ての論説 にあた り基礎資料 を検討 し なが ら、その論説 をは じめ同時期 の発言 を綿密 に分析 して新 たな解釈 を提起 している点で ある。 その意味 で、 この指摘 は、太田の同化論 に限 らず、明治期の沖縄で主張 されていた 「同化論」 を考察す る際 に も、一つの画期 を成す論点の提起 と言 え、新 たな視角 をもた ら す ものであった。その視角 は、後述す るように、 これか らの沖縄近代思想 史研究の課題 を 考 える うえで も、その分析手法や手続 きにおいて重要 な意義 を提起 してい る といえる。 なお、『太 田朝敷選集』 の発刊 を受 けて、その太 田のテ クス トを丁寧 に読み込 んだ本格 、IL卜 的な太 田朝敷論 に石田正治 「沖縄 における近代化 の希求」がある。石 田はその論考で、太 田の文明化論 や沖縄 の近代化の希求はヤマ トとの 「対等性 の獲得」であった と指摘 し、そ の手段 としての 日琉 同視論 や天皇制-の一体化 とい う太 田の主張 は、結果 において帝国の -51I史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) ナ シ ョナ リズ ム に接 合 した点 を論 及 してい る。 また同様 な主張 と して は、小 熊英 二が
『
(日本 人 )の境界』 (新曜社、1
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年)の中で太 田にふれ、「本来 『文明化』 を指 向 して いた太 田が、支配側 の設定 した 『日本化』の言説 に吸収 されてい くプロセス」であった と (15) 指摘 し、その視点 の重要性 を強調 している。 さて、太 田選集 とともに もう一つの重要 な研究成果 は、同 じ編者の一人で ある伊佐真一 の編集 ・解説 によって発刊 された 『謝花昇集』である。その著書 は、現在確認で きる謝花 昇 の論説や関連資料 を編集 し、その資料 の注釈 とともに詳細 な年譜 と、従来 の謝花像 に新 たな視点 に よる分析 を加 えた解説が収録 されてい る。伊佐が提起 した謝花論 は、それ まで の先行研究 の成果 に、その基礎資料の検討 を踏 まえ徹底 した事実関係 の探究 によって、従 来の謝花像 に新 たな論点 を付 け加 えている。それは、数多い論説 を検証 しなが らその主要 な論 点 を分析 して提起 した前述の太 田朝敷論 の編集解説 とは異 な り、数少 ない謝花 の論説 と関連資料 の徹底 した編集解読や多 くの傍証 による探究 を含めた微香 な分析 によって提示 (16) された ものである。 (17) その内容の分析 については、鹿野政直 による委 曲の尽 くされた書評があ り、それ にはは 言い尽 されているように思 える。伊佐 の 『謝花昇集』 は、その詳細 な年譜 を含 めた基礎資 料 の整備 とともに、その編集作業 を踏 まえた実証 的分析 の密度の高 さか らして、現在 の沖 縄近代思想史研究 における一つの到達点 を示 しているといえよう。 とくに、手法や手続 き のあ り方では、徹 底 した事実関係 の探究 によって、謝花 のテキス トが編集 され基礎研究が 整 った意義 は決定 的に重要である。その点で、その事実探究 による基礎研 究の整備 に基づ いた実証 的分析の手法やその枠組み において、先述の太 田朝敷選集 における編集作業のあ り方が踏襲 されてお り、 この謝花昇集で よ り高い密度で結実 しているといえる。その意味 で同書の編集 は、思想史研究の正統的な手法 といえる ものであ り、後述す る70年代 の比屋 根 に よる伊波普猷 の基礎 的研究、その後の太 田朝敷研 究の枠組み と手法の方式 を継承す る もの といえ よう。 あ らためて確認す るが、両者の研究成果で特筆 されるのは、事実探究 による基礎資料の 整備 とその基礎研 究 に基づ く実証的分析 とい う点である。その研 究手法 と しては当然の こ とでい まさ ら指摘 す るまで もなかろ うが、膨大 な資料 にあたって検証 し、それ を分析 して 編集す る とい う基礎資料の整備のあ り方 は、 これか らの沖縄近代思想史研 究 を強固な もの に構築す るために も、欠 くことので きない重要 な基礎 的手続 きであることを と くに強調 し てお きたい。その意味で言 うと、比屋根 や伊佐が提 出 した この二つの編集 は、資料整備の 基礎研究が遅 れてい る状況のなかで、狭義の沖縄近代思想史研究の研究成果 とい うだけで な く、基礎資料 を整備 しその後の研 究の基盤 を構築 した点 において、沖縄研 究 に とって も 重要 な意義 をもっている といえよう。 なお、そ の点で、専 門分野が異 なる とい うこ とで思想 史 として言及 され るこ とはない が、同様 な研 究的手法 による構築 において、近代沖縄文学の基礎資料の整備 に大 きな役割 を果 た してい る仲程 昌徳の研究成果 も、沖縄近代思想史研 究 にとって同 じく重要 な意義 を史 料 編 集室 紀 要 第
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もっている。 また、その人物 における基礎資料の整備 については、歴史、文学、民俗学の 各研究者が編集者 となって、従来の編集方式 とは異 なるや り方で貴重な研究成果 をもた ら した編著 に 『真境名安興全集』仝西巻 (琉球新報社、1
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年)の刊行がある。今後その全 集が活用 され ることにより、真境名の思想やその全体像 に関する本格的な研 究が、 これか (18) ら多 くの成果 として期待 され よう。2。1
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年 代 の伊 波 普 猷諭 の新 た な展 開 さて、1
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年代以降の沖縄近代思想史研究の現状 を検討するうえで、 もっ とも興味深い 事例 を提起 しているのは、伊波普猷 に関す る研究の動向だ といえよう。 ここで も捷起 され た内容 よりも、主 として研究の枠組みに焦点 をあてなが ら、伊波研究の動向について考察 す ることに したい。 伊波普猷 に関する研究は、周知の ように、7
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年代 に沖縄近代史研究が興隆 した とき、当 時の時代状況 を背景 に重要なテーマの一つ として論議が なされた。その際、 とくに注記す べ き点は、伊波普猷生誕百年 を契機 に して、その研究のための基礎資料である伊波普猷全 集が刊行 され、伊波の著作 目録 と年譜が整備 された点であった。その成果 についてはあ ら ためて指摘す るまで もな く、その後の伊波普猷研究の展開に決定的な意義 を もった。 H小 そ してその伊波普猷全集の刊行 によって、多 くの伊波普猷論が提起 されたが、その中で 重要 な研究成果 としてその後の研究 に大 きな影響力 を与 えたのは、伊波の年譜や関係文献 目録の作成 に携 わって伊波普猷の生涯や思想の全体像 を論 じた、比屋根照夫の 『近代 日本 と伊波普猷』 (三一書房、1
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年)であった。その著書 によって、思想史の観点か ら伊波 の生涯の軌跡 とその生 きた時代 との関わ り、その思想の全体像 について初めて概観で きる ようになった。そ して、その伊波の思想 の全体像が把握で きるようになったことに よっ て、その後 に近代 日本思想史 における伊波の思想や沖縄学の もつ意義があ らためて注 目さ れ るようになった。その著書では、伊波普猷 に関す る様 々な知見や重要な論点が提示 され ているが、研究枠組みの観点か らす ると次 のような点が特徴 として指摘で きよう。 それは、伊波普猷 に関す る著者の詳細 な年譜作成 に象徴 される。その年譜 によって私 た ちは伊波の生涯 を概観で きるようになったが、著者の伊波研究において もその年譜作成の 手法や知見 は大 きな意義 を占めている。それは、 この著書の構成や枠組み を見ればおのず か ら首肯 され よう。著書の構成や枠組みにおいて、事実関係の探究 による基礎資料の整備 と並行 に為 された詳細 な年譜作成の手法が、その論文内容 に如実 に反映 されている点が確 認で きる。同書の第一章は、伊波普猷の生涯 を初めて時系列に迫 って分析 した本格的な評 l二、= 伝 となってお り、それ らの論考 には年譜作成の知見が数多 く活か されてい る。第二章で は、伊波の思想が論 じられているが、明治期 と大正期の時代思潮 との関係が検討 され、 自 治や分権、個性論 とい う個別的テーマか ら伊波の思想の可能性が論及 されている。そ して その著書 によって提示 された、事実関係 の探究 に基づ く伊波普猷の基礎資料 の整備 と年譜一7-史料 編 集室 紀 要 第25号 (2000) 作成の意義 は、その後の研究の基盤 を提供 し
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年代の伊波普猷研究 を踏 まえて新 たな位 相 を切 り開いた9
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年代 の研 究成果のなかで も、あ らためて再確認 されることになる。 伊波普獣 に関す る研究 については、80年代 にその事実関係 における断片的な指摘 はあっ た と して も、新 たな研 究成果 は乏 しく、再 び伊波普猷 に関心が高 ま り注 目が注がれたの は、9
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年代 に入ってか らであった。そ して、その9
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年代 の伊波普猷研究のなかで画期 的な 研 究成果 を提示 したのが、伊波 の叙述 を詳細 に分析 して論 じた鹿野政直の 『沖縄 の淵』 (岩波書店、1
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年)である。本書の特徴 については様 々な点が指摘で きると思 うが、そ(
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) の最大の特徴 は7
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年代 に整備 された伊波普猷のテクス トを徹底 して 「読む
」 ことであった と指摘で きよう。 とりわけ、その著者の 「読み」 は、伊波のテクス トはもちろんの こと沖 縄の新聞資料 を時系列 に追 って検証す るとともに、テクス トの改訂 に着 日 してその構造や 記述の変化 を分析 しなが ら、伊波の思想性の変容 に迫るとい う注 目すべ き試みであった。 その伊波の書いたテクス トの構造や記述の変化 に着 目して分析す る手法は、 これまでの伊 波普猷論 にはみ られなかった、新 たな地平 を切 り開 く視点だった といえる。 ただ、鹿野の著書は、その手法 において従来 と異 なる視角か ら新 たな論点 を提示 してい るが、その枠組み としては伊波のテクス トや関係資料 を徹底 して読みなが ら解釈 し、その 史実の 「展 開を忠実 に跡づ けるヒス トリオグラフイー」 としてまとめるあ り方において、 従来の枠組みを踏襲す る もの と言えよう。その意味で、伊波普猷 を分析す る鹿野の枠組み は、伊波の年譜や 目録 などの基礎資料 を整備 して、その事実関係 の展開を論述 した比屋根 照夫のそれ とほ とんど変わ りがない と指摘す ることもで きよう。それについては、その事 実関係 の探究 を重視 して分析する鹿野の叙述のなかで、伊波全集の編集や著作 目録 などの 基礎資料の整備、 また年譜 を作成 した比屋根 の先行研究などに対 して、 自らの研究が受け た恩恵 として何度 とな く言及 している点か らもうかがえる。 その ような点 も含 めて、その鹿野の著書が提起す る特徴 を端的に示 しているのは、「凡 \∴-ち 例」 の最初の項 目において書かれた記述 にあるといえる。その項 目で鹿野 は二つの点 を指 摘 している。一つは、先 にふれたように伊波普猷全集の編集並 びにそれに収録 されている 「年譜」
「著書論文 目録」
「解題」が 「真 に労作」であ り、「それ らのお陰で初めて伊波の 輪郭 を把 むことがで きた。学恩 に感謝する」 とい う記述である。そ して もう一つは、その 全集の 「一つの不備」 に対する指摘である。それは、鹿野が、本書のなかで伊波論へのア プローチ として採用 した手法 と深 く関わっている。伊波普猷は、 よ く知 られているように 最初の論考やテーマ を繰 り返 し論述 して、同 じテーマを何度 とな く書 きなお している場合 が少 な くない。 しか し、鹿野が指摘す るように、「伊波 をそれぞれの時点 に即 して迫お と す る とき」 に、「この全集では、原則 的に最終稿 を底本 とし、他 を省いているため、初出 論考 と二次 ・三次稿 との相違 を辿 ることはで きない」。 しか も伊波 にとって、その補訂 は 「認識 ・評価の変化 に及ぶ場合が、かな り目立つ」 ため、それを分析 して伊波の思想性 を たどってい くには、 この全集では国雄である。 したがって、全集 に収録 された最終稿では な く、「能 うか ぎ り初出に遡 って、それ らが書かれた時点での伊波C,)思想 を対象 とす るこ史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) と」 にならざるをえない。 さきに私 は、鹿野の手法の特徴 として、伊波のテクス トや関連資料 を時系列に読み直 し て新 たな解釈 を提示 した点 と、テクス トの改訂 に着 目してその構造や記述の変化 を分析 し なが ら伊波の思想性の変容 に迫 った点 を指摘 したが、その 「凡例」の項 目の記述は後者の 特徴 に関連 している。それに関する鹿野の見事 な分析 は、『古琉球』のテクス トの改訂 に 着 目して、その著書の構成内容や記述の変化 を分析 して伊波の思想性の変容 に迫 った、本 書第三章 に結実 している。また、伊波のテクス トや関連資料 を時系列 に読み直 し実証的に 分析 した鹿野の研究成果は、本書の主 として第四章か ら第七章に表れている。 この ように 鹿野の著書 は、伊波普猷研究の展開 として、従来の事実関係 を探究 し、その 「展開を忠実 に跡づけるヒス トリオグラフイー」 とい う枠組み において叙述 されているが、その分析手 法 において新 たな地平 を切 り開 き重要 な論点 を提起 したことはすでに指摘 したとお りであ る。それは
、90
年代 に捷起 された伊波普猷論 の なかで、「方法規定 としての思想史」 の 「可能性の幅」 を考 えるうえで も、ある一つの基軸 を提示 している。 さて、 もう一つ、9
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年代の伊波普猷研究において新 たな位相 を提示 したのが、冨山一那 (23) の沖縄 に関す る一連の論考である。 とりわけ、 ここでは主 として伊波普猷 について論 じた「
『琉球人』 とい う主体一伊波普猷 における暴力 の予感」 を中心 に論及す ることに した い。冨山の伊波普猷 を とらえる枠組みやその分析手法 は、比屋根 や鹿野の アプローチ と は、 まった く異 なっている。その差異の背景には、冨山が、帰納 的で実証性 を重視す る歴 史学の手法 と比較 して、ある理論的枠組みを採用 して演緯的に分析する傾向がつ よい歴史 社会学 を専攻 し、その手法や視角 を基盤に しているためであるとの指摘 もで きよう。 しか し、その ような専攻分野の手法や視角 による差異 よりも、 より大 きな背景 として考 え られ (2L)) るのは、1
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年代 以降のアメリカにおいて、歴史学や社会学 との関係 も含め、これ まで依 拠 していた歴史理論や歴史方法論、そ して歴史叙述のあ り方が相対化 されている今 日の学 (25) 問的状況の変化が大 き く影響 している点にあるといえよう。その ような激流 の波が、 日本 の人文社会科学 に も押 し寄せていることは周知の通 りである。そ してその波が、歴史学や 思想史の領域 に押 し寄せている現状認識 について、 日本近代史学の側か ら内在的に分析 し て提示 したのが、先述 した鹿野のい う 「化生する歴史学」や思想史の視角や方法における 「自明性の解体」 に関す る論考であった。 その ような 「化生す る歴史学」の状況のなかで、冨山は、ポス トコロニアルとい う問題 視角の位相 において、伊波普猷や沖縄 について新 たな枠組みや手法 に基づいて解釈 を提示 した。それは、伊波普獣や沖縄 を、鹿野の言葉で言 うと、その歴史の 「展 開を忠実 に跡づ けるヒス トリオグラフイー」ではな く、その 「意味 を問 うメタヒス トリー」 として とらえ るもの といえる。その意味で、冨山によって伊波普猷は、ポス トコロニアル という問題視 角 において、その生 きた時代や社会的文脈の違い を越 えてフランツ ・フアノンと同 じ位相 で論 じられることになるのだ。 例 えば、伊波普猷 に対す るアプローチ として、冨山の論考が従来の枠組み と異なって桂一9-史料 編 集 室紀 要 第25号 (2000) 示 している論点は次の ような点である。そ こには、私がみ るところ、(伊波 は何 を語 って いるか )か ら (伊波 は どの ように語 っているか )へ と論点の拡張が行 なわれているように 思 える。伊波普猷の言説 に、 これ まで (語 られる客体 )であった沖縄か ら、(語 る主体 ) として立ち上がる沖縄 の姿が兄いだされているのだ。その背景 には もちろん、カルテュラ ル ・ス タデ ィーズヤギス トコロニアリズムの問題視角があ り、「誰が何 を誰 にむか って ど の ように語 るのか」 とい う視点が存在 している。それか らもその冨山の枠組みや手法が、 事実関係 の探究 による基礎資料の整備 と伊波の全体像 の解明、 また伊波のテ クス トの徹底 した読解 による思想像 の探究 とい う、従来の事実の 「展 開を忠実に跡づけるヒス トリオグ ラフイー」 とは明 らかに異なっている点が確認で きよう。む しろそれは、事実関係 の探究 に基づ く実証的な伊波普猷研究 とい うよりも、ポス トコロニアル批評 としての伊波普猷論 として明確 に位置付 けるべ きか もしれない。 むろん、その ような冨山の論考 に対 して、伊波普猷 をとらえる方法やアプローチに対す る疑義 として、ポス トコロニアル批評の理論的枠組みか ら伊波の叙述 を切 り取 って、外在 的にあてはめているだけではないか との疑問 もあろ う。 また、伊波の叙述 におけるその引 用部分 は適切か、そ してその引用 された文脈 はどうなのかなどの批判 も当然 に予想 され よ う。 しか し冨山のその視点が、沖縄や伊波普猷 とい うマイノリテ ィに対す る 「位置」の と り方 において、新 しい意匠 としての外国理論 を輸入 して 日本 に外在的にあてはめるこれ ま でのあ り方 とは、位相 を異 に している点 について、後でふれたい と思 う。 ここではただ冨 山の論考が、伊波普猷研究にとって、従来の事実探求 に基づ く伊波研究の枠組み とは異 な (26) った、新 たな枠組みに基づ く論点の提示であることを確認 してお きたい。 この ように、歴史学 や思想史 における従来の 自明性が解体 されて化生す る状況の なか で、冨山によって伊波普猷 に対するアプローチや枠組みにおいて新 たな視角が提起 された 点は、先 に述べ た鹿野の新 たな手法 による実証的研究 とともに
、9
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年代の伊波研究 におけ る可能性の帽の もう一つの基軸 に位置するものだ といえよう。その意味では、9
0
年代 に入 って多様 な伊波論が提起 され、伊波普猷に関する関心が高 ま り、それにアプローチす る間 口が確実 に広 まった点は高 く評価 されるべ きであろ う。そ して、伊波普猷論 を含めて沖縄 近代史がは らむ問題群が、今 日、 日本近代思想史や歴史社会学の分野、さらに植民地史研 究や国民国家論の観点か ら取 り上げ られ、従来 とは異 なる多種多様 な視点や論点 によって 論及 されている現状 に注 目したい と思 う。その ような研究動向に対 して、沖縄近代思想史 研究は もっと過敏 であるべ きであ り、今後の研究課題 を考 えるうえで も、沖縄の中か らそ れへの積極的な応答がむ しろ問われているといえる。 さて、 ここで どうして も言及 してお きたい もう一つの点は、伊波普猷 を論 じることの意 義 とそれ を分析す る者の 「位置」 についての問題である。 比屋根 は、先述 した著書の後書 きで、収録 された論考の書かれたのが復帰後だと言及 し なが らも、それ らの論考 には1
9
72年の復帰前後の沖縄問題が興隆す る 「時代へのパ トスに つ き動か されるように」考察 した、当時の 「精神的営為が、濃厚 に投影 されている」 と明史 料 編 集 室 紀 要 第
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記 してい る。その ような記述 に対 して、学的客観性 の観点か ら本書 に収録 された論考が、 復帰前後 の時代状況の中で論 じられたことの意義 について消極的に とらえる考 え方 も存在 しよう。後学の世代 の一人 として、個人的にはそれ を消極 的にとらえるので はな く、む し ろ各 々の時期 で伊波の生涯や思想 を論 じることで、沖縄 の現在 を語 ることの意義 について 積極 的に考 えたい と思 っている。その点で、比屋根 を含 む同時代 の沖縄 出身の研究者 にと って、伊波 を論 じることはたんに研究対象 としてだけで な く、復帰前後の 自 らが生 きる沖 縄社会の行 く末 を考 える思想 的課題 として も存在 していたのだ。 なぜ私 たちは少 なか らずいる沖縄学の論者のなかで、か くも伊波普猷だけ を繰 り返 して 論 じるのであろ うか。それは、伊波普猷その人が、 自ら生 きた近代沖縄 の 自己像 を絶 えず 語 りつづ けた人であ ったか ら、 に起 因す る。その意味 において、伊波普猷 を語 ることは、 その時の沖縄社会の 自己像 を論 じることと深 く重 なっている場合が少 な くない。逆 に伊波 普猷 を研 究対象 と して 「価値 中立 的」 に研 究 したい と考 える人は、伊波論 に仮託 しなが ら、沖縄 の現代社会 を論 じる向 きに疑義 をもっていることも承知 している。 だが しか し、 伊波 を語 ることが、今後 の沖縄社会の 自己像 を考 えることとつなが ってい く点 に、私 自身 は一つの可能性 をみ たい と思 っている。 だが ここで、その間題 についてあえてふれたのは、その ような文脈 においてではな く、 後述す るように沖縄 が復帰 して2
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年後の1
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年代 に、本土 出身の研究者 によって再 び伊波 普猷が論 じられたこ との意義 を含 め、その枠組みや手法 において、それ以前 の伊波論 との 様 々な差異 を際立たせ たいがためで もあ る。1
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年代 の伊波普猷研 究は、7
0
年代 に沖縄 出身者 を中心 に して伊波普猷 を当然の ように 論 じたあ り方 とは異 な り、 自らの 「位置」 に自覚的な本土 出身の研 究者たちによって、新 たな手法 と枠組み に よ り伊波が まさ しく正面か ら論 じられ語 られたのだ。その手法 と枠組 み に関す る新 しい論点 については、すで に言及 したので繰 り返 さないが、 ここであ らため て注 目 したいのは本土 出身の研究者 たちが伊波普猷 を論 じる際 に、 自らの位 置 にきわめて 自覚的である とい う点 に関 してである。例 えば、鹿野政直 は、ヤマ ト人が伊波 を論 じるこ LL:\ との意味 について次 の ように述べ てい る。伊波 は、沖縄 とは何 か、沖縄 は如何 にあるべ き か、 しか語 って ないが、それ は同時 にヤマ トは これでいいのか とい う問い をは らんでい る。それゆえ、伊波 を論 じることは、沖縄の鏡 に照 らしだ された自分 の顔 (近代 日本) に (28) 直面す ることと同 じであると指摘 している。 さらに鹿野 は、前述の著書の序 章のなかで、 この ようにヤマ ト人が伊波 を論 じる位置や意義 を確認 しつつ も、反転 して復帰二十周年の 琉球詣歌 にある沖縄 に対 して、ヤマ ト人である自分 自身が伊波の 「小 さな紙碑」 をたてる ことによ り、逆 にみ えに くくなった沖縄への問いかけで もあると示唆 してい る。その意味 で、鹿野 にとって、復帰二十周年の時期 に伊波 を論 じることは、ヤマ ト人 とい う自らの位 置 を自覚 しつつ、近代 日本社会のあ り方 を考 えることである とともに、他方 で沖縄 び とや (2()) 沖縄社会の未来 に対 す る問いをかけであることも合意 してい る。 その点で、世代 的 に異 なる冨山一郎 の場合 は どうであろ うか。冨山の論考 が前の世代 の 「itl∵史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) それ と比較 して際立つのは、その理論的枠組みや方法的意識 に基づいて沖縄 や伊波普猷 を 論 じる、強い志向性 をもっている点である。それは、沖縄 に関心 をもった後の世代が採用 した学問的構 えとして、ある意味で自らの位置に対す る自覚性の反映だといえるか もしれ ない。 しか し同時 に、冨山は、そのポス トコロニアルの理論的枠組みやカルテュラル ・ス タデ ィーズの問いや方法 を、研究対象 としての沖縄 とい う 「マイノリテ ィ」へ、外在的に 適用す る危険性のおそれに対 して、 より自覚的であるといえる。 冨山は、マイノ リテ ィを研究対象 とす る研究者 において、マイノリティとの 「ネゴシエ ーシ ョン」 (交渉)の重要性 を強調す る。そ して、それは 「その内部 にある強迫観念 を一 生懸命 自分 で解 きほ ぐし、心 中に沸 き上がる不安 と闘いなが ら進むのが、新 たな発話の位 置 を問題 に しなが ら、かつ発話 を続 けてい く」 ことである と述べ ている。 もちろんそれ は、ポス トコロニアルの理論 とい う外 国の理論 を輸入 して、 どう日本 に適用す るか という 位相 で論 じられているのではない。冨山は、その理論 を研究者であ り日本人である自分の 位置 を支 えるために使 わない ことについて極めて自覚的であ り、そのためにポス トコロニ アル理論がネゴシエーシ ョンによって形成 された 「臨床性」の もつ重要性 について とくに (30) 強調 しているのである。そこには、冨山にとって、前の世代 の沖縄 に対す るアプローチ と は異 なった、それ らの理論的枠組みや方法的意識 に根 ざした、沖縄 に対す る自らの発話の 位置への強い 自覚があると指摘で きよう。そこにも、伊波普猷 を論 じる際の、みずか らの 発話の 「位置」 に対する自覚 をとお した
、1
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年代 と9
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年代 との時代 的状況 による差異が 投影 されているように思われる。3.
近代沖縄思想史研究の課題
さて、以上のように現状 をとらえた うえで、 これか らの近代沖縄思想史の課題 と展望 に ついてあ らためて考 えてみると、少な くとも次の ような点が指摘で きよう。それらの要点 を列挙す ると、以下の ようになる。 第一は、「沖縄学の群像」 における第二世代 に位置す る論者の基礎資料の整備 について である。具体的には沖縄 の郷土研究家 を中心 とした言論 人の著作 目録、年譜作成 を含めた 著作集の刊行である。添付 した一覧表 をご覧いただ きたい。その表は、沖縄学の群像 を世 代 間や研究活動の場 を指標 に して、五つにグルー ピング した ものである。一瞥 してわかる ように、「近代沖縄初期 の言論人」
「沖縄学第一世代」、そ して本土で研究活動 を行 なった 「沖縄学第二世代/本土在」の論者の大部分では、全集や著作集が刊行 されていることが 確認で きる。それに対 して沖縄で研究活動 を行 なった 「沖縄学第二世代/沖縄在」や 「南 島研究者/台湾在」の論者の基礎資料の整備 はほ とんど行 なわれてお らず、すでに著作集 「沖縄学第二世代/本土在」の論者の大部分では、全集や著作集が刊行 されていることが 確認で きる。それに対 して沖縄 で研究活動 を行 なった 「沖縄学第二世代/沖縄在」や 「南 島研究者/台湾在」の論者の基礎資料の整備 はほ とん ど行 なわれてお らず、すでに著作集史 料 編 集 室 紀 要 第
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表1.
「沖縄学 の群像 」 (明治期 ∼昭和 戦前期 ) ※◎ は全 集、
○ は著作集、選集の刊行 あ り (1 ) 近代 沖縄初期 の言論 人○
太 田 朝敷〔
1
8
6
5
年 (尚泰1
8)
○
謝花 昇〔
1
8
6
5
年 (尚泰1
8
)
(2)
沖縄学 第一世代◎
伊波 普猷〔
1
8
7
6
年 (明治9)
◎
真境名安興〔
1
8
7
5
年 (明治8)
◎
東恩納寛惇〔
1
8
8
2
年 (明治1
5
)
(3)
沖縄 学第二世代/本土在◎
比嘉 春潮〔
1
8
8
3
年 (明治1
6
)
◎
仲原 善忠〔
1
8
9
0
年 (明治2
3
)
-1
9
3
8
年-1
9
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8
年-1
9
4
7
年-1
9
3
3
年-1
9
6
3
年∼1
9
7
7年-1
9
6
4
年◎
金城 朝永〔
1
9
0
2
年 (明治3
5
)∼1
9
5
5
年 島袋 源七〔
1
8
9
7
年 (明治3
0
)∼1
9
5
3
年 島袋 盛敏〔
1
8
9
0
年 (明治2
3
)-1
9
7
0
年◎
宮 良 当壮〔
1
8
9
3
年 (明治2
6)∼1
9
6
4
年◎
佐喜真興英〔
1
8
9
3
年 (明治2
6)∼1
9
2
5
年(4)
沖縄 学第二世代/沖縄在○
島袋 仝発 末書麦 門冬 伊波 月城 山城 翠香 島袋源一郎 宮城 真 治 喜舎場永拘○
世礼 国男 源 武雄○
ノJ、野 重郎 鳥越憲 三郎〔
1
8
8
8
年 (明治2
1
)
〔
1
8
8
6
年 (明治1
9
)
〔
1
8
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0
年 (明治1
3)
〔
1
8
8
2
年 (明治1
5
)
〔
1
8
8
5
年 (明治1
8)
〔
1
8
8
3
年 (明治1
6
)
〔
1
8
8
5
年 (明治1
8)
〔
1
8
9
7
年 (明治3
0
)
〔
1
9
0
4
年 (明治3
7
)
〔
1
9
11年 (明治4
4
)
〔
1
91
4
年 (大正3)
(5)
南 島沖縄研 究/台湾在 年 年 年5
9
7
8
0
9
8
9
8
日HM
コ=
=
二
ll
一
ヨ
in
章 申 夫 盛 朝 丈 素 平 関 比 川 金∼1
9
5
3
年-1
9
2
4
年∼1
9
4
5
年∼1
91
9
年-1
9
4
2
年∼1
9
5
6
年-1
9
7
2年-1
9
5
0
年-1
9
9
2
年-1
9
9
5
年 (昭和1
3)
〕
(明治41
)
〕
(昭和2
2)
〕
(昭和8)
〕
(昭和3
8)
〕
(昭和5
2)
〕
(昭和3
9)
〕
(昭和3
0)
〕
(昭和2
8)
〕
(昭和45)
〕
(昭和3
9)
〕
(大正1
4)
〕
(昭和2
8)
〕
(大正1
3)
〕
(昭和2
0)
〕
(大正9)
〕
(昭和1
7)
〕
(昭和31
)
〕
(昭和47)
〕
(昭和2
5)
〕
(平成4)
〕
(平成7)
〕
享年7
3
歳 言論 享年4
3
歳 言論 享年71
歳 文学歴史 享年5
8
歳 歴史 享年8
0
歳 歴史 享年9
4
歳 歴史民俗 享年7
4
歳 歴史文学 享年5
2
歳 民俗 歴史 享年5
5
歳 民俗 享年7
9
歳 文学民俗 享年7
0
歳 言語 享年31
歳 民俗 民族 享年6
5
歳 歴史民俗 享年3
8
歳 民俗文学 享年6
4
歳 言論文学 享年3
7
歳 言論 文学 享年5
6
歳 歴史民俗 享年7
2歳 民俗 歴史 享年8
6
歳 民俗 歴史 享年5
2
歳 文学芸能 享年8
8
歳 民俗 享年8
4
歳 文 学民俗〕
宗教 民俗 (明治1
8)-1
9
4
6
年 (昭和21
)
〕
享年71
歳 言語民俗 (明治4
2
)-1
9
9
8
年 (平成1
0)
〕
享年8
9
歳 民俗 歴史 (明治3
0
)-1
9
8
3
年 (昭和5
8)
〕
享年8
6
歳 人類学 <注3
8
の論文 か らの転用 >-1
3I
史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) として刊行 されている論者 において も、近年の小野重郎 の著作集 を別 にす る と、すべ て復 帰前 や復帰前後 に刊行 された ものであ り、収録 された論文の内容や 目録、年譜 などに多 く の不備が 目立つ。 この 「沖縄 学の群像」 における第一世代 と第二世代 に対す る研 究状況 をみ ると、そ こに は研 究蓄積 における大 きな断層が指摘 で きる。その研 究状況の最大の違いは、両世代 間に お ける基礎 的資料 の整備 にみ られ る基礎 的研 究 の蓄積 の違 い に大 き く起 因す る とい え よ う。 よ り具体 的 に言 うとそれ も先 に指摘 したように、その論者の著作 目録、年譜作成 を含 めた基礎 的資料 の整備 いかん、す なわち全集や著作集の刊行 の有無 の問題 として言い換 え ることがで きよう。初期言論 人や第一世代 に属す る論者 については、編集 に関与 した多 く の先行研究者の尽力 によ り、 この二十数年間で全集や著作集 として刊行 され、後学の者 は その多大 な恩恵 にあずか ってい る。 しか し、その沖縄学第一世代 の基礎 的資料がかな り整 備 された研 究状況 に くらべ、その第二世代 とりわけ沖縄 で活躍 した郷 土研 究家 に関す る基 礎 的研究が遅 れている状況 は明 らかである。その基礎研 究の整備 こそが、今後の近代沖縄 思想史研究 における最大の課題 の一つだ といえる。 また、それ らの基礎資料 の整備 に関 して、専攻分野 による と現在の研究水準か らかけ離 れ、資料価値 と して も乏 しいため著作集の刊行 に触手が動 か ない との認識 もあろ う。 だ が、沖縄学の研究者 は相互の関係 が親密で、書かれた文章 には他 の分野 にお ける様 々な情 報が多 く含 まれてお り、概 して貴重 な情報である場合が少 な くない。それ らの著作集 の刊 行 は、その論者の全体像 を知 ることがで きるのが最大の利点であるが、同時代 の様 々な情 報 や状況 を認識で きる点で も重要 な意義 をもっている。 また、確 かに沖縄戦 の影響 で発表 の舞台 となった新 聞や雑誌 に も多 くの欠号があ り、資料収集が ままならない とい う側面 も ある。 しか し指摘す るまで もな く、現在確認で きる資料 だけで も踏査 して検証 してい く姿 勢 こそが よ り重要であ ることは疑いない。 第二は、概念規定 の問題 である。思想史 に限 らず沖縄近代史 において、 これ まで使用 さ れている概念 の規定が、あ ま り厳密 に行 なわれていない とい う点である。む しろ、沖縄近 代史では、使用 されている概念が、その時代 や社会的文脈 を限定 して厳密 に明確化す る方 向ではな く、それ を越 えて暖味に拡大適用 されてい る状況が指摘 され よう。その概念規定 の暖昧 さに関す る近代 沖縄史の状況 について、 どの ように考 えれば よいのであろうか。 こ こで は少 し 「皇民化」 とい う概念 を通 して、その間題 について考 えてみ るこ とに しよう。 最近の植民地史研 究 や教育史研 究 においては、「皇民化政策」 とは
1
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年代後半か ら4
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年代 の朝鮮 や台湾の植民地政策 に限定 されるに もかかわ らず、その概念が安 直 に使用 され て時期や社会文脈 を越 える形で拡大適用 されてい る との指摘がなされてい る。その 「皇民 化」 とい う概念 を拡大適用 したために、歴史の具体 的 な実態 とは異 な り、「皇民化」政策 が果 た した役割 をむ しろ過度 に肥大化 させ、イメージの空洞化 をもた らしているのではな (3Ⅰ) いか との批判が提起 されている。翻 って、沖縄近代 史 に別 して考 えてみ る と、同 じく次 の ような点が指摘で きるのではなかろうか。史 料 編 集 室 紀 要 第
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例 えば、沖縄県史の教育編の記述 を読 む と、沖縄で も 「皇民化政策」 とい う語句が、明 治期 か ら大正 ・昭和戦前期のすべてにおいて、その時代状況や社会的文脈の相違 を越 えて 一様 に適用 されている現状が指摘で きる。その状況に対 して、具体的な実態 を分析 しなが ら、その実態 に則 した概念の厳密 な適用 について、あ らためて問い直す必要性があると私 自身は考 えている。事実すでに言及 したように、太田朝敷論 における比屋根 や伊佐の研究 は、太 田の 「同化」論 イコール 「皇民化」論 として とらえていた従来の見解 に対 し、明治 中期の太田の 「同化」論 と言われているすべ ての論説 を丁寧 に読み こみ検証することによ って、それが 「皇民化」 としての 「同化」論ではな く、「近代化」論や 「文 明化」論 であ (32) ったことを提示 している。それは、言い換 えると、明治3
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年の太田の例の 「クシャメ論」 は、その時代 や社会的文脈の相違か らして、昭和1
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年代以降の総動員体制下の 「皇民化」 とは明 らかに異 なっている点が指摘で きよう。む しろ、明治中後期の太田の天皇制や 日本 帝国に対す る言及 については、昭和1
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年代 の 「皇民化」 とい うよりも、明治1
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年代後半に 明確化 された 「臣民化」 とい う理念 において とらえた方が よいように思われ る。むろん沖 縄 では、国内の他地域 と比較 して歴史文化的側面か ら皇室観念が乏 しいため、皇室及び国 体観念の注入が教育機 関を通 して強圧的に行 われたことは間違いない。だがその事実 とは 別 に、それ をとらえる手法 として昭和の戦時体制期の 「皇民化」 とい う概念 を、各 々の時 期 や社会的実態の差異 を越 えて画一的に拡大適用 したあ り方その ものの適否が、今 日の沖 縄近代史研究 において もあ らためて問われている といえよう。 また、その概念 の厳密 な適用 に関する問題 は、次の ような新たな問題群の考察 を誘発す る。それは、その 「皇民化」 とい う概念が、いつ頃か ら多用 されるようになったのか とい う問題 である。
「皇民化」 とい う語句 は、管見 にふれたか ぎりでは、戦前期 の沖縄 では、 昭和1
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年以降の総動員体制下、 とりわけ昭和1
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年の国民学校令以後 に 「皇国民」 とい う語 句が確認 されてい るだけで、明治 ・大正期の沖縄ではほ とんど確認で きてい ない。む しろ 戦前期 よりも戦後 に、それ も復帰前後 において、その 「皇民化」 とい う語句が多用 される ようになったのではないか と推察 している。それは、岡本悪徳 も指摘 してい るように、1
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年代後半以降の 「皇民化」で、 日本国民 と皇民が重 な り 「天皇の赤子」 とい う言い方に 象徴 されるように、それが さらに戦後沖縄 では 「皇民化」 とい う概念 を多用することで、 (33) 戦前の教育 を批判 してい くことによって、戦後の言説が立 ち上が ってい くとい う問題 とつ なが っているように思 える。そ してそれは、1
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年に発刊 される大田昌秀の著書 『沖縄の 民衆意識』 (弘文堂新社) に象徴 される、1
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年代 中頃か ら7
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年代前半 に編成 された言説 と深 く関係 してい ると考 えられる。 さらにそれは、その概念規定 を含 んだ戦後沖縄 における言説の編成の問題 だ といえる が、その問題 とは別 にさらに注意 しなければならない重要 な問題群 として次 のような点 も 指摘で きる。それは、なぜ1
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年代か ら7
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年代 の沖縄で、明治以降の日本国家 による沖縄 -の政策 を 「皇民化」 とい う概念で とらえて、その ように言わざるをえない言説が発生 し (34) 編成 されたのか とい う問題である。その間題 は、沖縄近代史 をとらえる枠組みの創 出や概-1
5-史料 編 集 室 紀 要 第
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念 の使用 において、復帰前後の沖縄で形成 されていた言説が、その後 にも大 きな影響力 を 及 ぼ してい る問題 について考 えることとも重 なってい るように思 える。 第三 は、人物史研 究 中心の思想史研究か ら沖縄社会の もつ多様 なテーマ を分析す る思想 史研究の必要性 であ る。 もちろん、沖縄近代史 における人物史研究の立 ち後 れ も指摘 され I.1L:.、 ている とお りであ り、人物の基礎 的研 究の蓄積や積み上 げについて も今後 なされなければ な らない。 それ もふ まえた うえで、それ以外 のテーマに関す る思想史研究の方法的な模索 も、同 じように近現代 沖縄 の思想史研究 には求め られている といえよう。その意味で、 と くに戦後沖縄 の思想史研 究 を人物研究だけでな く、多様 なテーマ を取 り上 げて論及す るこ とで、豊 か な多種多様 な論点の提起が求め られてい る。 第四 は、 隣接分 野 で提起 されている方法論 や問題 意識 を積極 的 に受 け とめ るこ とであ る。例 えば、人類学者 の太 田好信 は沖縄 をフィール ド地の一つ としてお り、そのフィール ドの知見 を含 め現代思想 の理論的枠組みや方法的視点 を加味 して提示 してい る 『トランス ポジシ ョンの思想』 (世界思想社、1
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年) は、近代 沖縄思想史研 究 を考 える うえで も多 (36) くの想像力 を喚起 す る触発的な著書である。 また、 ジェンダーの観点か ら近代沖縄文学 に おける和歌 と琉歌 の問題 を扱 った、黒揮亜里子の論考 「琉歌 と和歌 とい う境界」 は、近代 日本 の国民 国家 において 「他者」 として位置づけ られた沖縄が、排 除 された 「民族」か ら (37) 受 け入れ られた 「女性」へ と変化 したことについて刺激的 に論及 している。それ らの論考 では、近代 沖縄 の事象が、現代思想 の理論 的な枠組み を背景 に して、個別 的実証 と普遍的 理論 とのあいだの往還運動の成果 として見事 に提示 されてお り、近代沖縄 思想史の研 究 に とって も非常 に刺激 的で大いに参考 になる。 以上 の ように、近代沖縄思想史研 究は、1
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年代 の研究蓄積 を受 けて9
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年代 に新 たな展 開 を もた らした。その思想史研究 は、沖縄近代史研究の分野のなかでは 日本近代史や歴史 社会学専攻 の一線 の研 究者 たちの参入 によって、多種多様 な問題提起がな され、ある面で は沖縄近代 史の分野で もっとも活況 を呈 している領域 だ といえるか もしれ ない。その意味 において も、その ような問題提起が近代 沖縄思想史研 究の活性化 を もた ら している点 を喜 ぶ とともに、沖縄 の なかでその分野の研 究 に携 わっている者 として、それ に対 して どの よ うな応答がで きるかが逆 に問われている といえよう。少 な くともその ような問題提起 に応 答す るため に も、すで に言及 した ように、基礎資料 の整備 を含めた基礎研 究 の蓄積 と、当 事者性 に根 ざ した新 たな枠組みや手法 に積極的な関心 を寄せ て多種多様 な方法論 を模索す (:う8) るこ とが、今 日の近代 沖縄思想史研究 に求め られているのは間違いないこ とである。 註 (1)竹内好 「講座 をはじめるに当って」
(『近代 日本思想史講座1
』筑摩書房、1
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年、7
頁)0 この文章の末尾で記 されているように、それは、家永三郎、小田切秀雄、久野収、竹内好、 丸山真男の共同討議 をもとにして、竹内の責任でまとめ られた文章である。その問いかけ が、その鐸々たるメンバーによる討議から発せられたものであり、そのことからもその間い史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) が け して些末 な議論で はない こ とが うかが えよう。 (2)安丸 良夫 「方法規定 と しての思想史」 (『(方法 )と しての思想史』校倉 書房、1996年、4 3-44頁)。 また、それ と同様 な指摘 を、批評理論 の観点 か ら歴 史学 を批判 してい る米国の思想 史家 の ドミニ ク ・ラカプラが 『歴史 と批 評』 とい う著書 の 「序文」 (前川裕 ・訳 、平凡社 、 1989年、9頁)で述べ てい る。 (3)鹿野政直 「化生す る歴史学」 (『化生す る歴史学』校倉書房、1998年、8-43頁)0 (4)鹿 野政直 「自明性 の解体 の なかで」 (同上書、44-49頁)0 (5)代 表 的 な研 究史 の整理 と して、高 良倉 吉 「沖縄研 究 の展 開