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慈道裕治教授を送る

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Academic year: 2021

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慈 道 裕 治 教 授 を 送 る

立命館大学政策科学部長 

本 田   豊

慈道教授は、1972年に立命館大学経営学部に助教授として赴任され、1982年に同学部教授に なられ、1994年の政策科学部の開設に伴い1995年4月に政策科学部教授として政策科学部へ移 籍されました。その後、1999年4月から2004年3月まで、立命館アジア太平洋大学アジア太平洋 マネジメント学部教授を務められ、2004年4月から再び政策学部教授として在任され、2007年3 月をもって本学を定年退職されることになりました。 慈道教授は、立命館大学の教学改革の先頭に立たれ、多くの役職を経験されてきました。 1991年には、政策科学部設置委員会副委員長に就任され、政策科学部創設の中心的役割を果た されました。また、1995年4月から1997年3月まで、立命館大学教学部長、1997年4月から2000 年3月まで、学校法人立命館常務理事(教学担当)を歴任され、立命館大学の教学の責任者と して、その手腕を発揮されました。さらに、立命館アジア太平洋大学の開設に伴い2000年1月 から2004年3月まで同大学副学長、その後2005年4月から学校法人立命館国際戦略本部長を勤め られ、立命館大学における教学の新たな展開をめざした国際化戦略の先頭にたたれました。ま さに慈道教授は、長年にわたって、立命館大学の教学の屋台骨をささえてこられたお一人であ り、その功績は多大であり、心から敬服の意を表したいと思います。 研究の分野で慈道教授は、科学技術に関する研究に一貫して取り組み、特に産業技術史及び 科学技術政策の分野で多くの研究業績を残されました。 産業技術史分野における研究では、明治以降の日本の近代化における科学技術導入とその自 立過程について、特に化学工業を取り上げて分析されました。化学工業では、生産工程におけ る技術学的知識の担い手であるエンジニアとその知識を体系化する立場にある大学の研究者と の連携による知的作業とその推進組織の構築過程が、化学工学を形成したことを精緻に分析し、 科学技術の形成では、近代的科学の知識の応用と経験的知識の融合のプロセス分析の重要性を 指摘されました。 科学技術政策分野の研究では、イノベーションを実現化するためには、潜在的な価値とその 担い手を見出すことが何よりも重要であり、そのために、イノベーションをめざして各種方策 −1−

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を実施する主体を相互に連携した「社会的イノベーションシステム」の構築の必要性を提唱し、 このシステム構築にむけて科学技術政策を考えていくべきであることを強調されました。 「近代的科学の知識の応用と経験的知識をいかに融合するか」、「社会的イノベーションの主 体をどのように形成するのか」、この2つが慈道先生の研究活動における一貫した問題意識であ り、この問題意識が大学改革への情熱としても表れたのではないかと思います。 政策科学部の教学理念は、現場にある多様な政策課題の問題解決方法を学際的に研究・教育 することにありますが、この教学理念を具体化・豊富化する場合、「理論と実践の相互連関」、 「問題解決の主体形成」が常に大きな研究課題であり、慈道教授の提起された2つの問題意識 をいかに深めていくかが、私たちに残された大きな宿題ではないかと思います。慈道先生が示 された先駆的理論を私たちの貴重な知的資産として今後発展させていくことを誓って、慈道教 授への送別の辞とします。 −2− 政策科学 14−3,Mar.2007

参照

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