東京/台北 : カフェを通して見るプロレタリア文学とモダニズム
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(2) あ ることについては、 すでに様々な 指摘があ る。 例えば、 1920 一 30 年代文化. 史 研究の先駆的研究でもあ る『日本モダニズムの 研究』において、 南博が 「カフェー・モダニズム」という 命名をしていることは、 その一つの論証で ある. *3。 さらに、 1918 年 (大正 7 年 ). 9. 月の『中央公論』が「新時代流行の. 徴 として観たる「自動車」と「活動写真」と「カフェー」の. 象. 印象」という 特. 集を組んだことを 思い出してもいい "4 。. こうしたモダニズムの 要素とされる 日本の「カフエ」は 、 単なる喫茶店で はなく、 女給という酒の 柏手をする女性を 置く、 一種の バ 一であ った。. 12) の関東大震災を 境に増え始め、. ェは 1923 年. ( 大正. 増 、 1929 年. ( 昭和 4). カフ. 昭和に入ってからは 急. には 1000 を越えるカフェが 東京に存在したことが『 東. 京都統計年表』からわかる , 5 。 有馬学は関東大震災から 復興した東京に 対し、. 1930 年前後から「大東京」という 呼称が使われていることを 指摘しているが 牲 カフェの隆盛はまさに、 こうしたモダン「大東京」の 形成に対応するも. (W皿 F). のであ った。 また、 1930 年は日本無産者芸術連盟. の機関誌『戦旗』. 0 発行部数が二万姉千部に 達したプロレタリア 文学運動の最盛期でもあ った ところが、 933 年以降、 カフェは次第に 減少 し ま じ め る 33 年とは周知 Ⅰ. |. のように佐野・ 銅 山の転向声明が. 出され、 マルクス主義運動が. 壊滅していく. 時期でもあ る。 つまり、 日本におけるカフェの 隆盛はマルクス 主義運動およ びそれに伴ぅプロレタリア 文学運動の消長とほぼ 軌跡を同じくしていると 言. えるのであ る。 以上のような 理由から、 モダニズムとプロレタリア 文学の通底を 考えるに るであ. 当たって、 カフェという 視点を用いることは、 有意義であ. ろ. 2. モダン都市台北 : カフェとメディア では、 台、 湾の状況はどうであ ろうか。. まず、 モダン都市台北の 形成、 ということで 言うならば、. 7 階建ての高層. 建築で、 台湾初の商用エレベーターを 具えた 菊 元百貨店が完成した 1932 年 あ たりを一つの 目安とできるだろう *9。 さらに、 1935 年 10 月には台湾の 植民地 統治開始 40 周年を記念して、 台湾博覧会が. 会堂の威容は、. 開かれる。 会場となった. 台北面分. 台湾における 植民地的近代化の 完成を告げる 記念碑であ. 一 88. 一. った。.
(3) 台湾におけるカフェの 隆盛も、 こうしたモダン 都市の形成と 連動している。 台湾の生活史について 詳細な記録を 残している竹中信子によれば、 にはすでに数件の. ヵ. 大正末期. フ エ が存在したが、 全盛に達するのはやはり 193(F年代に. 入ってのことであ る。 世界恐慌による 不況の深刻化の 中でカフェだけが 盛況 を誇り、 女子高等学校出の 女給も増えたことを 竹中は記述している *10。 また、. 洪郎 如 によれば、 1934 年当時台湾の 男性の間にカフェ 遊びが流行し、 台湾の 夫人たちを悩ませていた , ,,。. こうした現象をいちはやく 作品に取り入れたのが、 された 林輝炬の. 「争へぬ運命」. 『台湾新民報』に 掲載. (1932) であ る。 同作品の冒頭はカフェの 描. 写から始まっている。 1932 年 4 月から日刊となった『台湾新民報』は、. 「台湾. 人の舌」とも 称された、 唯一の台湾人経営による 新聞であ り、 台湾新文学運 動 において重要な 役割を果たしたメディアであ る 12。 その『台湾新民報』が 木. 日刊になった 後、 最初の連載小説であ るの「争へぬ 運命」の冒頭がカフェの 描写から始まっていることは 示唆的であ る。 さらにⅠ. 932 年という年は『雨音』を 始めとする台湾人の 手による同人誌が. 創刊され、 日刊になった『台湾新民報』とともに、. メディアの充実を 背景に. 台湾新文学運動が 興隆していく 時期でもあ る。 その『雨音』 1932 年 4 月号掲 載の連載小説「幻影的消滅」にカフェ「美人座」への 言及があ るのも、 単な る偶然とは言えまい , 13。 このようにカフェとメディアはともにモダン. 都市 台. 北を表象する 因子であ る。. しかし、 そこにマルクス 主義運動という 因子を入れると、 どうなるだろう か ?1931 年の満州事変勃発の 前後から、 台湾の政治運動が 激しい弾圧を 受け. たことは周知の 事実であ る。 同年 6 月には台湾共産党員がいっせいに、. また. 年末には台湾文化協会の 幹部が検挙され、 台湾におけるマルクス 主義運動は. 壊滅に瀕した。 こうした結果、 台湾人知識人が 文学活動に向かい、 台湾新文 学運動が活性化していくことについては、 ホ. 14. すでに諸家の 指摘する通りであ. る. .. つまりマルクス 主義運動およびプロレタリア 文学の興隆とモダン 都市東京 の成立が同時進行していた. 日本と違い、 台湾においては 政治運動としての マ. ルクス主義運動が 弾圧された後に、 モダン都市台北が 成立。 またそれと並行 しながら、 台湾新文学運動が 興隆した、 ということができるのであ る。 では、 こうした「時差」は 作品にどのように 反映されているのだろうか。. 一 89 一.
(4) 以下、 前述の林 輝 混作 の 「争へぬ運命」と 三話 娘作の 「没落」を 上ヒ校 しなが ら 、 この問題について 考えていこ. 3. 台湾文学に描かれたカフェ 「争へぬ運命」. (1932) は前述のように『台湾新民報』が 日刊になった. の 最初の長編連載小説であ. 後. り、 当然何らかのメディア 的戦略の下に 描かれた. 作品であ るはずだが、 不思議とこれまでの 台湾新文学研究の 中では重視され ず 、 「大出文学」に 分類されてきた "15。 作者についても、 ほとんど研究され. ていない。 親の勧める見合いを 拒絶した青年が、 恋愛結婚に失敗し、. とうと. う逃れられない 運命を悟る、 という語だが、 長篇でもあ り・今回はそのスト 一リ 一については 詳述できない。. 作品の冒頭は 二人の青年が 雨を避けてカフェ 一満州に駆け 込むところから 始まっている。 その後も作品の 場面として頻出するカフェ. 一満州には、 3 つ. 0 機能があ る。 まずは、 登場人物たちが 出会い、 会話を繰り広げ、 スト一リ. ーを展開させる「空間」としての 機能。 さらに、 コーヒⅠソーダ 水 、 ア イ スクリーム、 レコード、 ジャズといったモダニズム 記号の結節点としての 機 能。 さらにはヒロイン 静子の職場としての 機能であ る。 現在、 同作品は「大出文学」に 分類されるのが 一般的であ るが、 その原因 の 一つは植民地統治への. 批判性の欠如にあ るだろう。 それは同じくカフェ. と. (1935) をはじめとする 王 詩眼の諸作品が 、 「台湾新文学」の 代表的作品として 評価されていることと 対照的であ る "160. い. う. 風俗を前面に 出した、. 「没落」. 左翼運動家の 挫折を描いた「没落」にも、 も 高級」とされるカフェ・モロッコが. 「台湾人経営の. ヵ フ. エ の中で最. 重要な舞台として 登場する。. 「没落」. においても「争へぬ 運命」と同様、 カフェは登場人物が 出会い、 作品の核心 ともなる会話を 交わす「空間」であ る。 さらに、 そのモダンな 室内インテリ ア 、 洋装の客、 ビール、 ネオンサイン、 自動車の描写はやはりここが 様々な. モダニティの 結節点であ ることを示している。 しかし、 「没落」においてカフェ・モロッコの. 体現するモダニティには、. マイナスの符号が 貼りついている。 すでに 陳 芳明が指摘しているよ フ エ. は主人公の左翼運動からの 脱落を際立たせる 背景なのであ. る. う. "17。. に、. カ. r 左翼. 運動の正統派であ る上海大学派の 代表的闘士が、 偶然にも紅いネオンの 下で 再会した」という 描写、 さらには「没落」という 題名そのものがカフェに 代. 一 90 一.
(5) 表される資本主義モダニズムの 台頭とマルクス 主義運動の敗退を 批判的に、 あ るいは絶望的に 捉える王の姿勢を 示している。 こうした傾向は 、 別の王作. 「十字路」においても 指摘できる。. 品口. 王の特徴は葉石涛も 指摘しているよ う に、 農村を舞台に 植民地大資本であ る製糖会社の 搾取や警察官の 横暴を描くことの 多い台湾新文学において、 都 市を描いたことにあ. る. "18。 特にカフェに 代表される都市モダニズムをマルク. ス主義運動との 対比において 批判的に描き 出した点が、 王 評価の核心であ ろ. つ @ しかし、 果たしてカフェは 王の描き出したよ. う. にマルクス主義運動と 二項. 対立の図式を 描くものであ ろうか ? さらに、 「争へぬ運命」は 政治的批判性 を 欠いた、 単なる大衆小説なのであ ろうか。 この問題を論じる 前に、 まずは 日本プロレアリア 文学作品 におけるカフェの 描かれ方に注目してみたいと 口. 居、. つ @. 4. 日本プロレタリア 文学に描かれたカフェ まず、 取りあ げたいのは小林多喜二の「 党 生活者」 (1933) であ る。 この作 品口を「プロレタリア 文学」とすることについて 異論はあ るまい。 「先生活者」 においてカフェは 主人公「私」の 同棲相手であ る女性笠原の 職場として登場 する。 タイピストであ る笠原は共産党の 活動家ではないが、 時おり私の活動 を手伝っていた。 しかし、 私が警察の手人れを 受けて「アジト」を 無くした のを機に同棲を 始め、 やがてそのことが. 原因で・仕事を. 首になってしまう。 彼. 女の給料に頼って 活動を続けるしかない 私はついに「最後の 手段」として 「カフェ一の 女給」になることを 勧め、 彼女は受け入れるのであ る。 「私」は カ. フエ勤務によって「眼に 見えて駄目になって い く」同志をたく. さん見ているだけに、 笠原のことを「さすがに. 可哀愁 だ 」と 居、. ぅ. 。 しかし、. 活動を続けるために「センチメンタルになっていることはできない」と. 割り. 切り、 彼女の「淋しい 顔 」に気付きながらも、 活動を支えるためだと 彼女を 説得する。 ここで注目すべきは、 カフェ一の女給の 収入によって 支えられている 一 あ るいは寄生している 一 マルクス主義運動、 という奇妙な、 しかし現実的な 構. がはっきりと 描き出されていることであ. る。 小林は 、 王のよ. う. なカ フ. と. マルクス主義運動の 二項対立という 単純な図式は 描いていない。 王にとって 、. 一 91 一. 図.
(6) カフェは資本主義モダニズムの. 表象" ほ とどまるが ; 小林は、 それのみならず. 女性にとっての「労働」の 場所であ ることを把握している。 また、 カフェに 働く笠原という 女性の造形によって、 党 生活者」は執筆時の 小林の意図を 超えて、 マルクス主義運動への 批判を内在したテクストたり 得ているのであ 「. る。. では、 女性作家の場合はどうであ で知られる 佐多 稲子が、 かつて. ヵ. ろうか。 「キャラメル 工場から」 (1928). フエ勤めの経験を 持ち、 そこで浅川 鶴 次郎、. 中野重治など『駿馬』同人と 知り合ったことからプロレタリア. 文学に入って. 行ったことはよく 知られたエピソードであ る。 カフェを描いた 佐 多作品とし ては「レストラン. 洛陽」. (1929) や「怒り」 (1929) を挙げる事ができるであ. ろう。 しかし、 これらの作品においては、 モダニティの 表象としてのカフェ の様子は一切描かれていない。. 描かれるのは 子供を抱えての 女給たちの 苦し. い 生活であ り、 また水商売の 女,注に向けられる 男 ,性からの蔑みへの怒りであ. る。 つまり、 佐 多作品におけるカフェの 女給とはまさにプロレタリアートそ のものなのであ る。 と. 同時に、 佐冬 は「自己紹介」. (1929) において自らの 女給体験をマルク. ス主義活動家たちの 集まりで告白した 時の違和感を 作品化している。 子供の 時から貧乏であ ったため「社会問題の 本」には「何の 疑いもなくすうっと 入 っていけた」が、 その職歴が「茶屋奉公とか、 六店員とか、 カフェ一の女 か 」であ. と. ったため、 「小市民根性」を 持っていると 自己批判する「みね 子. ( 私 ) 」に対し、. 活動家の代表は「海千山千のみね 子さん」と呼びかける。. 「みね子」はその 表現に性差別を 感じ取るのであ る。 佐 多作品は、 小林が無意識のうちに 描き出したマルクス 主義運動に内在し. た女性差別を、 より意識的に 作品化している。 そして、 それを可能にしたの が 、 カフェの女給にして 活動家であ る、 という「みね 子」の設定にあ り、 か つその「みね 子」のリアリティを ことは言. う. 保証しているのが、. 佳孝自身の経歴であ. る. までもあ るまい。. 5. 台湾におけるプロレタリアートのリテラシー こうして ヵ. フ エ. の描き方に注目して 比較するならば、 小林、 佐多作品に比. べ、 工作品はモダニティとマルクス. ることがわかる。 そして、. 主義を単純な 二項対立の構図で 捉えてい. その単純さの. 一 92. 原因は、. 一. 工作品が「カフェの 女給」.
(7) という存在を、. あ. くまでも自己の 外側にあ る、 モダニティの 記号としてしか. 見ておらず、 その存在が示唆する 様々な可能性を 見落としている 点にあ るの ではないだろうか。. さらにもう一点指摘すべきことは、 王はカフェの 女給もまた都市プロ タ リアートであ り、 そこに新しい 読者層、 作家属が生れることの 可能性を考慮 していない、 というこ とであ る。 もっとも、 1930 年代の台湾においては 佐多 稲子的女性作家が 生まれることは、 ほぼ不可能であ り、 それをもって 王を非. 離 するには値しないかもしれない。. が、 この問題は台湾新文学運動の 限界を. 論じる、 重要な争点となるであ ろう。 佐 多に即して日本の 状況を見るならば、 確かに 佐 多は十一歳にしてキャラ メル工場に勤めざるを 得ないほど貧困な 家庭に生まれ、 学歴も小学校中退で あ る "19。 しかし、 すでに言文一致による 書記システムの 成立を見ていた 日本. においては、 そうした学歴でも 十分文学活動に 参加することが 可能であ った。 年譜によれば、 佐 多は十一歳にして『中央公論. コ. 『太陽』の小説を 読むだけ. の リテラシーを 獲得している。 また、 佐多 のみならず、 そうしたプロレタリ アートのリテラシー があ る程度確立していたからこそ、. 『戦旗』の発行部数. 二万三千という、 「マス」としてのプロレタリア 文学運動が可能だったので あ. る。 一方、 台湾において 1920 年代の新旧文学論争に 引き続き、 30 年代初頭には. 郷土文学論争が 始まっている。 その口火を切った 黄石輝の主張のポイントが 、 「プロレタリア 大衆に読解可能な 文体の創造」であ ったことはすでに 諸家の 指摘するところであ る,20。 が、 しかし、 それはとりもなおさず、 1930 年にお. いて台湾人プロレタリア 大衆が読解可能な 書記言語を持たなかった、 という ことでもあ る。 Ⅰ台湾総督府警察沿革 誌 』は 20 年代の台湾文化協会の 活動に ついて、 「一般民出の 智識程度の低き 台湾の状況に 於て、 文化協会の啓蒙 運. 動は文書によるときは 大衆性に乏しきを 免れず 殆 んど講演会によりて 之が 達 成を計りたり」 *21としている。 このような傾向は 女,性においては、より明確であ った。 台湾の女,性史 研究 家. ・洪 郎 如は台湾人女性において、. 新しい知識や 文化、 思想を享受できたの. は 資産家階層の 女性だけであ ったことを認めている *22 。. こうした状況下において、 カフェの女給にならざるを 得ないような 階層 出 身の台湾人女性が、 中国語なり、 日本語なりの 書記能力を身につけ、 作品を. 一 93 一.
(8) 発表する、 ということはまず 不可能であ ったし、 また読者としても 想定され なかったとしても、 無理はない。 そうした意識が 王作品において、 カフェお よび女給が 、 単なるモダニティの 記号としてしか 描かれない原因であ ろう。. しかし、 それは文学大出化を 目指した郷土文学論争における 理論と実作の 乖離という、 台湾新文学運動の 致命的欠陥を 示しているのではないだろうか。 こうした視点から 読み直した場合、 工作品における 欠陥をあ る程度補完し ているのが、 林の「争へぬ 運命」であ る。 同作品においては 日本人女給静子. が重要な登場人物として 造形されている。 静子は家庭の 没落によって 女給を. しているものの、 高学歴の、. 教養のあ. る女として描かれている。. さらに彼女. は恋愛に対しても 主体的であ り、 処女性と結婚を 必ずしも一致させる 必要は ないと述べ、 帝国大学出身の 恋人手金池を 驚かせる。 静子と、 資産階級出身 の金 池の妻との 対 此において、 台湾の結婚制度における 封建性が批判的に 描 かれている。. 「争へぬ運命」は 植民地統治への 批判はほとんど 表現されていない 作品で あ. り、 そうした点も 台湾新文学作品としては 重視されない 原因の一つであ. ろ. う。 しかし、 静子という女性プロレタリアートの 視点から台湾人資産階級の 封建,性を批判した 点からは、 その政治的メッセージが 読み解けるのではない だろうか。 さらに、 批判の的となってきたスト 者層の拡大という. 動的課題に沿. う. 視点から考えれば、. 一. リ. 一における通俗,性も、読. 文芸大衆化というプロレタリア. 文学運. ものであ ったとも考えられる。. 以上明白なよ う に、 これまでの台湾文学史における 評価「地図」は、 再考 されるべきなのであ る。 それを可能にしたのはカフェという 視点の導入だが、 さらにそれを 拡大させた大出 / 女性という視点を 加えることによって、 30 年 代と 40 年代の台湾文学を 包括的に論じることが 可能になることを 示唆して、 本稿を終わりた Iv と思、ぅ 。. [追記 ]. @@@@4 the@Annu8@ Mee ・. C はy,March27-30. Ⅰ. ng@of@the@Associton@for@Asian@Studies,@New@York. , 2003 における口頭発表. CulturalMovementandtheC. 士" 0. "T0ky0andTalpe. 日本語原稿であ る。. 一 94. 一. Ⅱ. № 丁 ePr0letanan.
(9) 2. 離そ運 室田運は治 明 政 波 命方 輿 岩 ﹁ に陳左 京 東 系ま詩 治 ﹂ 王 政 ロ しア イイー 文 の イ ア 一 ダ モ と 一尺 帝. 俊 注れ. 東 究 研 の ム ズ 一 ダ モ ﹄ と ﹂ 動. 3ま ,. れる. たたは. 戦 すピぇ 在が増 京 東 資 0︵ 6 8口 八 1 4 叩旗. 67. 居 、 圭 畑 2 2. 9l. 重日 緑陰 京 東. 運. 文. 暉展 4春の M:動 仏雄運 7 、日 一学 コ. ﹁1 % ム. て﹁なに. 12 345. 一. 95.
(10) 開. 』. p.196 においては「いわゆる 通俗小説の域をどうしても. と評している。 この作品 たって「大出文学」という 口. 出ない作品」. 名称を定着させたの. は 前掲下村作次郎・ 黄 英哲 編 「台湾大出文学系列」であ. る。 しかし、. 島利郎は「日本統治期台湾の「大出文学」」『台湾通俗文学業 緑陰書房、 2002 、 pp.. 中. 一 』東京 :. 349 一 372 において、 「大出文学」という 用法に慎重. な 姿勢を見せている。. *16 従来の台湾文学史における 評価基準が反日 反 帝国主義文学としての 台湾 新文学運動に 重点が置かれていたことについては 垂水千恵「 の 言語を駆使して 一台湾の日本語文学から. く 借り物 ノ. 考える」日本文学協会第 57 回. (2002年度 ) 大会、 2002.12. 1 において報告した。 99 一 120 *18 前掲棄石 涛 『台湾文学史 綱 pp. 47 一 48 。 引用 頁は 1999 年版による。. , 17前掲 陳 芳明『左翼台湾』. pp.. 』. *19 佐多 稲子全集 『. 第 18 巻』東京. :. 講談社、 1979 、 pp. 493 一 550. , 20黄麒椿 「社会主義思潮の 影響下における 郷土文学論争と 台湾訴文運動」 下村作次郎 佃 編『よみがえる 台湾文学』東京. :. 東方書店、 1995 、 pp.. 47 一 71. 前掲『台湾新文学運動の 展開』 pp. 123 一 230. *21 台湾総督府警務局編、 呉 審察解題『台湾総督府警察沿革 誌. (三. Ⅱ台北. :. 南天書局、 1995 、 p.151 G初版は 1939 年 ). *22 前掲洪 郎如 p.374. なお、 洪によれば、 階層的境界線を 突破した民出届出 身の女性は謝 雪紅 ただ一人であ った。. 一 96 一.
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