〈自由〉をめぐるわが国の保育実践理論の変遷
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(2) 保育が確立していった。倉橋惣三の誘導保. に据えた教育は,自由性と規律佳を押さえ. 育論では,自由遊びを仕事へと系統づけて. ながら実践されるべきである。このことは. いくことにっいて理論化された。彼の理論. 〈自由〉イコール放任ととらえ,問題視さ. は保育実践にも非常に大きな影響を与え、. れた自由保育論争の解決の糸口であり,保. 幼児の自由と設備に裏打ちされた“さなが. 育における〈自由〉の問題点を克服する鍵. らの生活’’を保証する実践が模索された。. となる。幼稚園では「遊び」を通じて他児. 教師主導の保育から子どもの生活の根ざし. とっながりながら,個々の子どもの主体佳. た遊び中心の保育へ転換されていったので. と自発性に基づくr遊び」本来の姿を発揮. ある。. しつつ,学びを積み重ねていきたい。 保育者は自由な活動場面で,.子どもの力. 第3章〈自由〉をめぐる現代の保育思想と. で「遊び」が育っているか,子どもが主体. 実践 終戦直後,幼稚園は学校教育体系の中に. 的に遊ぶカを保育者が育てているかを振り. 明確に位置づけられた。文部省の幼児教育 の手引き「保育要領」は自由主義や自由保 育が骨子になったといわれている。そこで は自由遊びでの子どもの発意の尊重,その 発達の意義と教育的成果などが暑されてい た。昭和31年の幼稚園教育要領では保育内. 容を区分した6領域が小学校の教科的にと らえられ,保育者主導の保育になる傾向が. 顕著になった。自由遊びの研究や教育的意 義が軽視される傾向になった。. 平成期の幼稚園教育要領では「環境によ る教育」として再g幼児の主体的な活動, 自一発的な活動としての遊び,個々の発達に. 即した指導など〈自由〉感を重視する視点 が強調された。しかし保育自由放任になる. 返っていくことが必要となる。「自由遊び」. の場面で子どもの自然な姿や育ちを観察し,. 保育者の計画する保育活動と相互に関係を もたせていきながら、子どもの発達を保障 していくことが肝要である。. 「遊び」本来の姿と,遊びを伝承しあう. 子どもの集団力を育てることが保育者の役. 割になる。幼稚園生活でのr遊び」の方向 性は,保育における〈自由〉の尊重に基づ きながら,子どもが人格の尊重と発達の恩. 恵を受けることを保証することである。保 育者はく自由〉が人間本来の姿であるとい う視座に立って,保育における〈自由〉の. 方向性をその都度閥い直し,時代の要請に 応じた遊び論を育てていくことが今後も期 待されているのである。. 傾向や小1プロブレムなどの問題も起こっ た。そうして平成期の自由保育批判とその 克服にっながっていったのである。. おわりに. 保育における〈自由〉をめぐる議論に新 しい方向性を与える視点とは,「遊び」の理 論と指導法の再検討である。「遊び」を中心. 主任指導教員 横川 和章教授 指導教員. 佐藤 哲也准教授.
(3) 2009年度. 学位論文. 〈自由〉をめぐるわが国の保育実践理論の変遷. 兵庫教育大学大学院修士課程 学校教育学専攻 幼年教育コース ”07035D. 山本 淳子. 主任指導教員 芋旨導教員. 樹11 佐藤. 和章教授 哲也准教授.
(4) 目 はじめに・・・…. 次 1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 1. 第1章 〈自由〉についての近代思想史的断章. 第1節人間に内在する本質的自由・1・1・・・… 1… 5 第2節 人類1個人の幸福へつながる自由の追求・・・・・…. 第3節 自由の不安から自発釣自由へ11…. 1・・・…. 8. 10. 第2章 戦前の保育理論におけるく自由〉についしω諸議論 第1節車創期の幼稚園教育における自由專童… 1・… 16 第2節 愚物批判から導出された自由保育への可能性・1・1・20 第3節 児童中心主義保育における〈自由〉・・…. 第3章. 1…. 25. 〈自由〉をめぐる現代の保育思想と実践. 第1節保育要領に見る〈自由〉・・1・1・・… 1… 35 第2節 昭和期の幼稚園教育要領における〈自由〉の変遷… 40. 第3節 現代の保育界における〈自由〉をめぐる論争・・1・・45. おわリに. ・1・・1・11・・1・・11・・・・… 1・56. 引用・参考文献・・・・・・・・・・・・・・・…. 1・…. 1…. 62. 巻末資料年表【保育における〈自由〉と自由遊びの図式】・1・・…. 165.
(5) ば1二めに. 子どもは幼稚園生活で,さまざまな環境とかかわりながら遊びを展開させている。保 育者の予想以上に遊びが続いたり,仲間が増えたり,課題を高くして挑戦してみるな. ど,自分の思いを存分に発揮し遊びこむ場合がある。満足感や達成感にあふれる心 動く体験は,人生において大切な種となるだろう。幼稚園生活のなかでも自由に遊 ぶ姿には,子どもが生活する様々な背景や関わる文化が見え隠れしている。テレビや パソコンなどのメディアが生活に密着していることから,ごっこ遊びの主役はアニメの主. 役の架空の生き物や死んでも簡単に復活するヒーロー,愛玩用のペットが多くなった。 家族ごっこで器用に包丁さばきをする子どもが久一しくみられない。父親役の男児は買 い物に出かけて紙おむつを買ってくる。. 子どもは休日には家庭で父親とファミコンで競い合ったり,家族でテーマパークに. 出かけたりして時間を費やす。平日は数種類の習い事,スポーツ教室を日替わりで 渡り歩き,地域で一緒に遊ぶ子どもがいないから,園の預かり保育を利用する。小学. 校受験のために早期教育の塾に通う子どももいる。ある小学校では,地域の公園か ら子どもが消え,群れて遊ばないなど遊びの経験不足から,人間関係を学ぶ一環と してジャンケンを教えているという。過去に地域で異年齢がともに遊び,子ども同士で 伝えあった遊びは,今や園や小学校で「昔遊び」として企画しないと伝わらない。子ど もの生活についても,様々な進歩によって得たものも多いが,失ったものも大きい。. 小児科医の松田道雄(1908∼1998)は子どもの居場所と遊びについて,自分の体 験に基づいて,かつての子どもは大人に管理されることなく,自分の好きなことをして. 遊べる自由空間を持ち,自由のよろこびは子どもを自分の個性に合ったエネルギー の氾濫を導き,遊びの創造によって子どもが連帯した,と指摘する(1)。この見解から. 30年以上が過ぎた今日,親子二世代が子どもの自由空間喪失の時代に育ったと いっても過言ではない。小川博久(1936∼)は市場経済の進行とメディアの普及など 「大人たちの都合で,子どもたちが遊ぶことができない条件を益々強化して,子どもが. 遊ぶための精神の余裕も,物的条件,時空間も奪う形で,今の社会環境を作り上げ てきた」(2)と警告する。現代は子どもの自由な遊びが失われつつあるのである。まさに 遊びの危機の時代であると言えよう。. 幼児期の多くの子どもたちが,園や習い事などの意図された集団に所属し,大人 から教育的意図の溢れた遊びを提供されている。現代の子どもの生活や経験の乏し さを考えると,大人の配慮として意識的に生活技術や遊びを伝承することも大切であ ろう。しかし今や地域などで消失してしまった子どもが自由に遊ぶ空間や時間の価値 を再考し,再認識することが必要なのである。 〈自由〉という言葉を取り上げると,自由競争,自由価格,自由選択,自由意思,自由 奔放,自出放任,自由勝手など,様々である。その意味は文脈に応じて,放任,解放,独 1.
(6) 立,民営,私的など多数ある。〈自由〉という概念を顧みても様々な規定がなされてきた。. 保育における〈自由〉についても,自由保育,自由遊び,隠れたカリキュラムとして「自 由感」のある雰囲気などが考えられる。特に「自由保育」「自由遊び」という言葉につい ては意味内容があいまいにとらえられつつ敷術している感がある。「自粛遊び」もしくは. 「好きな遊び」と呼ばれる時間帯は,設定保育や一斉保育と対応する時間と捉えられ、 休み時間のような感覚で子どもが自由に過ごす国もあるだろう。各コーナーにさまざま な遊具が用意してあり,その中で,整然と好きな遊びに取り組む場合もあるだろう。保. 育における〈自由〉の意味について,保育者の理解,関わり方も様々で,遊びの評価 もあいまいではないだろうか。. 小学校1年生の学級機能が不全となり,集団未形成の状態であるという小1プロ ブレムがあらわれて10年になる。初期には幼稚園や保育所の自由保育や自由遊び が原因であるとマスコミや学校側から指摘されていた。新保真紀子らはアンケートや. 調査を続けた結果,幼稚園・保育所の保育と小学校教育方法の段差,教育内容の 相互理解の不足,子どもを取り巻く社会の変化による体験不足などが小1プロブレム の複合的要因であるとしている(3)。しかし自前保育が原因と批判された事実は,幼. 児の生活における自由性の価値や,その後の学校教育での学びの連続性の中での 位置付けが,明確に認識されていない結果であると思われる。 以上のように現代の子どもに失われっつある〈自由〉の価値,それとは真逆の批判 の対象となった保育におけるく自由〉とは何であったのだろうか。幼稚園教育の基本と. して子どもの活動の中心に据えられたr遊び」における自由性はどのようにとらえるべ きなのか。園生活での「自由遊び」の位置づけはどうあるべきか。そもそも〈自前〉本来. の意味は何なのか。以上のことを整理することで,現代の保育における〈自由〉の意 味を問い直し,幼稚園教育でのギ遊び」の展開や方向性を定める必要があろう。それ らを明らかにするために,近代における〈自由〉をめぐる議論を整理したうえで,保育. の実践原理としてのく自由〉の意味を明らかにしたい。さらに幼稚園保育の歴史にお いてく自由)がどのようにとらえられていたのか検証して,現代的な子どもの実態,幼. 稚園教育要領の方向性を踏まえた保育の実践,保育者のスタンスについても考察し ようと思う。.
(7) 【註】. はじめに (1〉松田道雄『自由を子どもに』(岩波書店,1973)pp.56−67 (2)小川博久.「現代保育における「遊び」保育とは何か(一)」『キリスト教保育』2007年6. 月号(キリスト教保育連盟)p.8. (3)新保真紀子「就学前教育と学校教育をつなぐ∬ちゃいるどネット大阪第85号』(お おさか保育子育て人権情報研究センター,2008)p.12. 3.
(8) 第1章 〈自由〉についての近代思想史的断章. 4.
(9) 第1節 人間に内在する本質的自由 〈自由〉の本質とは何なのであろうか。いかなる歴史的・文化的展開の中から,保育を. 支える基盤的な原則に成り得たのであろうか。18世紀に専制政治から個人が自由を獲得す. るための問題を提議したルソー,産業革命期の19世紀,自由放任主義の風潮の中で自由 の質を見つめた功利主義者ミル。数々の戦争体験,人間性の阻害を通じて,偶人が自由の 中へ埋没していく危機を警告した20世紀の社会心理学者フロム,以上3人の思想からく自 由〉をめぐる近代思想の展開を素描しながら,保育観や実践につながる〈自由〉の意味理 解の手がかりにしたい。. ルソー(JeanJacquesRousseau,1712・1778)はr万物をつくる者の手をはなれるときす べてはよいものであるが,人間の手にうっるとすべてが悪くなる。」(1)と著書『エミール』. の冒頭で述べている。人間は善なるものとして生まれているが,社会は人間を堕落させる というのである。当時のフランス革命前の絶対君主制の束縛から人間を解放し,子どもの 本来の傾向に沿った教育をするべきであることをルソーは論じていた。 ルソーは人間の幸福感の概念を次のようにとらえている。「人間の知恵,つまり本当の幸 福への道はどこにあるのか」(2)「それはただ能力を超えた余分の欲望をなくし,力と意志. とを完全にひとしい状態にしておくことにある。そうすることによってはじめて,一切の 力は活動状態にあり,しかも心は平静に保たれ,人は調和のとれた自分を見出すことがで きる。すべてを最善のものとしてつくる自然は,はじめ人間をこういうふうにつくったの だ。」(3)自分の力の範囲を超えた欲望をなくし,力と意志が等しい状態とすることは,心が. 平静で調和のとれた状態である。神は人間をこのように創り,これが幸福であるとルソー は考えた。体当に自由な人間は自分ができることだけを欲し,自分の気に入ったことをす る。」(4これこそ,彼が理想とした自由な人間の姿であり,「根本的な格率」(5)なのであっ. た。また「人間の偏見と教育が私達の自然の傾向を変質させないうちは子どもの幸福も大 人の幸福もその自由を行使することにある。自然状態にある子どもの場合は欲望の力が限 度を超えているのに欲することをおこなうものであるから,幸福とはいえない。子どもは 自然状態にあっても不完全な自由しか行使することができない。これは社会状態にある大 人が行使する自由と同じことだ。」(6)ルソーは大人も子どもも人間の幸福感は〈自由〉の. 行使の上に成り立つものだととらえている。この人間の立場は自然状態にある場合である。. 当時の専制政治社会では社会状態にある大人は不完全な〈自由〉しか行使できないのであ ると述べている。. ルソーは純粋に前社会的状態で自然状態にある人間について考察して,一以下のように論 じている。「人間自然の第一の原理とは自己保存に外ならず,したがって自然的人間が,自 己の自然的欲求に背をむけて,自己にとって外在的な全体の幸勧(7)に進むというのは不. 自然である。このように人間の第一の自然の欲求は自己保存することなのである。また人. 間が自己保存をするための戦争状態に転化しないようにするために憐れみ(ピティエ:.
(10) piti6)の情を想定した。すなわち人間の自然状態は自己愛(アムール・ド・ソフ:amOurde SOi・mεme)と隣みという二つの原理によってとらえたのである。自己愛は自己保存の自然. 的欲求であり,憐れみとは生物の生理的基礎に根差す自然的感情として,弱者の苦痛に対 する一種の本能的な同情のことである(8〕。当時の啓蒙思想の伝統的人間観では,人間は理. 性的存在であるとみなされた。しかしルソーの人間観は,人間を感性的存在として動物一 般と共通レベルにおいてとらえなおそうとした。自然状態では本来人間は「即自的で自己 完結した存在であり,あらゆる社会関係から自由な孤立した存在である」(9)と,人間の本 質的あり方は完全にく自由〉であるととらえていた。 ルソー研究者の森田伸子(1945∼)は「自己保存,自己愛という近代自然法の中心原理を 教育諭の中核に据え全面的に展開したことは『エミール』の一つの大きな特徴である」(1O). と評価し,ルソーの教育理論を以下のように分析している。自己愛が相対化され社会的な 形をとったものがひとつは社会的感受性,自尊心(アムール・プロプル:amour・prop㏄)で. ある。もうひとつは虚栄心であり,空虚で敵対的な感情である。現実に社会生活をおくる 人間は教育によって自尊心を正しい方向へ導くことで理性の教育が始まる。これが教育の 課題である(11)。そして自尊心を,教育によって排他的敵対的感情である虚栄心としてでは なく,道徳的感情にまで高めることで,人間愛を形成しなければならない(12)。. 感じやすく,憐み深くなるためには,子どもは,自分が悩んだことを悩み,自分が感じ. た苦しみを感じ苦しんだ体験を,想像力を働かせて他者に置き換えることが必要である (13)。それが普遍的人間愛へと帰結するとルソーは考えた。(図1:筆者作成). 、’’’人間の本質的あり方\\ ’ 人問の自然状態 自己保存をする存在 ’・ ・ 自然的自由 即自的白己完結した存在 、’. \. 自己愛. 、一’’. 相意\ 虚栄心. 白真心 有効な導き手. 他者に対する 力の優越. 建性の影成 心のすべての動きを秩序づける 道徳的実践能力の形成. 普遍的人間愛 図1.ルソーにおける人間の本質と教育. 6.
(11) ルソーにとって,人間の本質は〈自由〉であり,人間は自分自身を生きる存在,つま り偶人として尊重されるべきであった。く自由〉である個人は他者への想.像力や愛をもっ て,社会との関係性を保つのである。. ルソーは『エミール』において10歳ないし.12歳くらいまでの「子どもの自由」につ いて「自然の自由を行使させようではないか」(14と述べている。子どもを自由にさせて. おくことによって小さな苦しみを経験し,子どもが耐え忍ぶことは将来の幸福の準備と なるとルソーは考えた(15)。また「きみの自由,きみの能力は,きみの自然のカの限度に おいて発揮されるもので,それ以上におよぶものではない」(16)「子どもの幸福も大人の. 幸福も自由を行使することにある。しかし子どもにあっては彼の弱さによって制隈を受 けている」(17)「規則の精神」では大人は子どもの足りないところを補ってやらねばなら. ないが,子どもが周りを支配しようとする欲望のままに沿うのではではなく,気まぐれ や理由の無い欲望は自然から発生しないので何も与えない(I8)。また,大人は子どもを幸. 福にすることと甘やかすこと,すなわちく自由〉と放縦を混同していると述べ,区別す る必要性を論じている。子どものく自由〉の行使は自分の用を足すことのできない存在 ゆえの弱さによって制限を受けるのが自然の姿である(19)。このようにルソーのく自由〉. は子どもにおいては自然のカとしての範囲内での制限を明らかにしようとしている。大 人が適度な規制を加えることで子ども自身が本来の持てる力がわかり,子どもの時期に 調和した本当の〈自由〉を与えるというのである。. 『ユミール』から窺えるルソーの教育思想では,人間は本質的に〈自由〉な存在であ り,〈自由〉であることが幸福の条件になっている。子どもの〈自由〉は人間の自然に沿 うことであり,子どもが〈自由〉一. 行使することで,自然から制限を受けたり学ぶ機会. が与えられたりして人間としての発達が導かれることになる。しかし,ルソーは,子ど ものく自由〉は適度な規制があるべきであると論じ,放縦との違いを明らかにしている。 この点は現代の保育における〈自由〉のとらえ方について示唆が与えられると言えよう。. 7.
(12) 第2節 人類・個人の幸福へつながる自由の追求 ミル(J曲丑S細磁Mi11.1806・1873)の『自由論』が出版された19世紀は,産業革命,技. 術革新の波の申にあり,人々の都市集中,資本主義の勃興による労働者階級の成立などが 起こった時代である。『自由諭』は,明治初期に中村敬宇(1832・1891)の訳をとおして紹介 され,自由民権運動にも大きな役割を果たした(20)。ミルは社会の幸福は個々の成員の幸福 の総計であり,それは道徳的善であるという功利主義(2I)の立場に立っていた。. 『自由論』の中ではビルヘルム・フォン・フンボルト(附ednc血W丑he1mCh㎡st1anKar1. Ferain鋤avonHumbo1砒,1767・1835)の『国家活動限界論』を引用してr人間の目的, っまりあいまいで一時的な要求で思いっいたのではなく,理性によって永遠不変のものと して規定した目的は,自分の能力を一貫性のある完全な全体へと,最大限に調和を維持し ながら最高度に発展させていく」(22)ことであり,rすべての人間が努力を向けなければな らない目標は(中略)能力と発展における個性である」(23)と述べていた。目標を達成する 条件として,自由と状況の多様栓が必要である。ここに個人の活力と多様な変化が生まれ, この両者から独創性が生まれると彼は述べている(24)。. 人間は本来個性を発展させる存在であり,このことは尊重されるべきで,個性の発展は 人間の幸福の重要な要素である。ミルはヨーロパの民族の発展は,性格と文化の多様性が. 寄与してきたと分析する。しかし19世紀当時のイギリスではこの多様性という利点が大 幅に失われかけていた。凡庸な大衆の意見が圧倒的な力をもち,世論による政治の支配,. 教育の普及,交通手段の進歩による情報の共有,階級に縛られない出世のチャンスと欲求 などが個々人の差異を同質化する要因となっていた。人間の生活がひとつの型となる方向 に進むと,その型から外れるものは皆,徳に反するものと考えられたり,奇怪で極悪で自 然に反するものと見なされたりする(25)。. こうした風潮に反対して個性の重要性を主張しなければならないとミルは考えた。「人類 は多様性を見慣れなくなればすぐに,多様性を考えることすらできなくなる」(26)と警告す. る。個性をもった人物が大衆と違った行動をすることは,社会にとって意味があることで あり,愚かな行為をも含む個人のく自由〉を最大限に認め(27),自由な言動における混乱と 意見の対立をも人類の真理の獲得の道筋であるとミルは主張する(28)。反対意見に学ぶ意義. を唱えた上で,ミルは個性の自由な発展が社会全体の幸福につながると主張していた。「各. 人が公平に本性の発展をはかれるようにするには,各人にそれぞれ違った生き方を選ぶ自 由を与えることが不可欠である。」(29)個人が互いの〈自由〉を尊重しつつ,自分の事柄に. 関しては自分で判断し,自分で選択し,自分で行動することを尊重する。自分の計画を自 分で選ぶ者は,自らの能力すべてを使うことで人間性を磨く⑰このことが人類の進歩にと って価値高いことであるとミルは強調した(30)。. ミルは,人間のあるべき姿を個人の自由な判断にゆだね,社会的な規制を最小限に抑え る自由放任主義を支持していた。人間が社会の中で生活しているという事実から,〈自由〉. 8.
(13) の混乱や対立に対して,社会が個人へ干渉する必要がある場合があるとミルは考えた。「人. 間が個人としてであれ,集団としてであれ,誰かの行動に自由に干渉するのが正当だとい えるのは自衛を目的とする場合だけである。文明社会で個人に対して力を行使するのが正 当だといえるのはただひとつ純人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである」 (31)とく自由〉に対する干渉の原則を示している。「自由という名に値するのは,他人の幸. 福を奪おうとしないかぎり,みずからの幸福を自らが選んだ方法で追及する自由だけであ る。」(32)ミルはこのように個人のく自由〉追求を他人に危害を与えないかぎりにおいて,. 最大隈に認める立場をとる。. 矢島杜夫(1947∼)はミルの『自由論』を論じるにあたり,バリ}ン(Is虹ah Ber1出, 1909・1997)のく自由〉の概念を取り上げている。「∼からの自由」すなわち「消極的」な 〈自由〉と「∼への自由」すなわち「積極的」なく自由〉の二つの概念である。前者は「個. 人または集団がいかなる他人からも干渉を受けずに自分の望むことをなすことができると いう自由」(33)である。後者は咽人および集団が外的な力に頼らず自ら決定を下し,自分 で方向を与える行為者であろうとするところに成り立つ自由」(34である。そしてミルの〈自. 由〉は「消極的」〈自由〉が基調をなしていると論じている。当時ミルは民主主義にあって. も多数の意見の権威に逆らうことができない情況を危惧していた。その中にあって国家や 社会などのいかなる権威も立ち入ることができない個人の私的領域を保持することが個人 の〈自由〉を保障することになると考えていた(35)。. ミルは教育の役割については,個人の徳,社会的な徳を同等に仲はすことであると述べ ている。そのため強制という手段ではなく,説得と確信が効果的であるとしている(36)。ミ ルは社会的な徳を教育で伸ばすこ一とを重視していた。〈自由〉が行使されたときに起こりう. る他への欲望や利己心などにたいする歯止めになる心情の育成がミルの課題であったのだ ろう。さらに彼は,各人の個性と意見や行動様式の多様性が重要であると主張する(37)。. ミルの『自由論』は直接,幼児教育について議論したものではない。’しかし,個性の多. 様性の価値を明らかにしている点で示唆的である。ミルは個性の表出における,愚かな行 為や他との混乱までも社会の発展の機会としてとらえている。保育の場面では,幼児期の 子どもは実に多様な表現で自分自身を発揮する。このことを個性ととらえるならば,保育 者がそれぞれの子どもの多様なありのままを認めることが必要である。さらに生活や遊び の中で常に起きてくる失敗や挫折,意見衝突なども個人や集団の成長につながる一と捉えら れることが大切であると示唆されている。個人と社会の幸福の追求という点で,〈自由〉を 前向きにとらえていくことが重要である。. 9.
(14) 第3節 自由の不安から自発的自由へ フロム(理由k酢。囲囲,1900・1980)は,近代人にとって自由は二重の意味を持っている. と指摘する。伝統的権威から解放されて自由な個人は,その自由によって孤独で無力なも のとなり,自我が弱体化した(38)。フロムの生きた20世紀は,2度の世界大戦,ファシズ ム,科学の発展,資本主義経済の発展など,近代文化の様々な状況を呈した時代であった。. フロムは社会心理学の立場から歴史上の出来事とその際の人々の行動や性格構造を分析 したく39)。フロムによるならば,く自由〉の第一義的意味は,個人が氏族の絆,社会階級な. どの原始的な絆から次第に脱出する過程,すなわち自由になる過程は「個性化」の過程で ある,と捉えられる。子どもは誕生とともに母体から生物学的に分離をするが,かなり長. い間,機能的に母親と一体になっており,フロムはこれらの絆を晩一次的絆」と呼ぶ。 母子の絆は子どもに安定感や,帰属感を与えるが,子どもは成長によって,外の世界を経 験する。それにつれて母親は子どもにとって,敵意をもった危険な人間へとその位置付が 変わるのである。子どもは第一次的絆が次第に断ちきられる過程において,自由を欲し独 立を求める気持ちが生まれてくる。このような第一次的絆からの離脱は,消極的自由,す なわち「∼からの自判の獲得であり,自我の形成,つまり個性化の過程を意味する(40)。. 第一次的絆から離れることにはもう一つの側面がある。フロムは,人間は他人と共同す る必要性があり,子どもにとっては他人と接触は生死の問題である,と述べている。そこ で孤猿や不安を回避しようとするが,それには二つの道が開かれる。ひとつは個人が独立 と自立的自我の統一と実現しながら,愛や生産的な仕事に自発性の中で自然と結ばれると いう「積極的自由」への道である。第二の道は「逃避」であり,権威主義に陥るか,自動 人形になり自我を失うというような自由や個人的統一性を破壊するような絆によって一種 の安定感を求めるようとする(41〕。. フロムは「個人が独立した自我として存在しながら,しかも孤独ではなく,世界や他人 や自然と結びあっているような,積極的自由の状態があるのだろうか」(42)考察し,このよ うな自由は「自我を実現し,自分自身であることによって獲得できる」(43)としている。自. 我の実現は人間のパーソナリティ全体の実現であり,「積極的な自由は全的統一的なパーソ ナリティの自発的な行為のうちに存する」(ωと結論付ける。また自発的な行為とは,自我 の自由な活動であり,心理的には自らの自由意思を拠り所としている。 フロムによると自我の自発的活動は人間が「孤独の恐怖」を克服するひとつの道であり,. 新しく人間,自然,自分自身などの外界に結び付けるものなのである。フロムは,相手を 自発的に肯定し,個人的自我の上に立って個人と他者を結び付けるために最も大切な構成 要素は「愛」であると主張する(45)。フロムは「愛」のひとつの形である噌己愛」につい て,自分の人生・幸福・成長・自由の肯定をすること,それは配慮,尊敬,責任,理解(知). に根ざしていると論じている。「愛」とはこの自分自身の愛する能力にもとづいて,植者へ の愛すなわち,愛する人の成長と幸福を積極的に求めることであると述べている(46)。「白. 10.
(15) 分の全人格を発達させ,それが生産的な方向に向くよう,全力をあげて努力しないかぎり,. 人を愛そうとしても必ず失敗する。満足のいくような愛を得るには(中略)真の謙虚さ, 勇気,信念,規律をそなえていなければならない」(47)と述べている。. 人間は生活の中心であり目的である。人間の個性と成長と実現は目的それ自体である。 そして他者との「愛」による連帯の関係の上に成り立つ。これが積極的自由の原理であり,. 真の教育目標は「積極的自由」への道であるとフロムは唱えた(ω(図2:筆者作成)。. !. 人 間. 連 仙・ 冊 他. 、. 1 I ・. 個人終二現 壊1.り外1 パーソナリティー全体愛 他1 自発的活動. @轍・平等り界1. 自我の自由な活動. 自発的な肯. 自由意思. ㌧. 他. 1こ重ノ...ノ. 図2.フロムによる積極的自由. フロムの理論において人間が他者との関係は「愛」によって連帯するということ,それ が自己肯定感に根ざしているということは,銘記しておきたい。またく自由〉が権威の方 向へ向かう危険性は,日々の保育の中で具体的に考えられることである。子ども同士の関 係,保育内容,保育者のスタンスにみられる「権威」に対する警告や示唆を与える考察で ある。保育においては自由の中にあっても,この観点での点検が必要である。. 本章ではく自由〉をめぐって18∼20世紀の3人の学説を概観した。人間は社会生活の なかで幸福を感じながら自分自身を生きる存在である。しかし自由の行使にあたっては人. 間の善ともいえるべき心情が伴わなければならない。以上のことは3人の思想家において 共通の帰結であったといえる。. 「私」という人間を通して自由の姿を論考するならば,自由が自分の内なる方向へ向か うこと,それは人間としてかけがえのない自己を生きることであろう。ルソーの指摘する 自己愛,ミルはそれを個性として幸福の要素と考えた。フロムは自発的活動による自我の 実現と言う。しかしく自由〉は身勝手な攻撃や権威による支配や専制という姿では決して ない。ルソーによると他に対する「憐み」の気持ちであり,ミルの言うところの他人の利 益と権利への「不干渉の原則」,フロムのいう他者を受け入れる「愛」である。それぞれの 〈自由〉の姿はその時代特有の課題や人間の生き方の方向性によって規定されていたとい. 11.
(16) えるであろう。. これらの主張に通底する自由の概念とはなにか。それは「自由とは人間としてありのま まの姿で自分自身を生きること。さらに他者や社会との関係において愛や徳,正義といっ た倫理観に基づいて,他者を尊重したり受容したりすることであり,そこには相互の自由 保持のための努力の責任性を伴う」ということであろう。自由の概念における爾義性をと らえることで,自分を生き人類の発展と平和に貢献する人間の存在が見いだされるのであ る。. 今までの論点を踏まえた上で,保育におけるく自由〉について概念化して第1章の締め くくりとしたい。人間は本質的に自由な存在であり,それはかけがえのない自分を自発的 に生きるということを意味している。その上で他者への愛や尊重,正義感などの両義性の あることを忘れてはならない。保育におけるく自由〉とは「一人ひとりの子どもの本来の 姿がいかされ,仲間との生活や遊びのなかで必要なきまりを守り,互いを認め合うという 人間の本質が尊重されている状態」と考えたい。 次章以降では, 〈自由〉をキーワードとしながら,日本での保育における〈自由〉の意. 味内容や実践化にあたっての解釈のありようについて,丹念に見ていきたい。保育内容な どから歴史的な流れや変化,海外からの思想や実践からの影響,また自由をめぐる保育論 争などを検討することで,現代の保育における〈自由〉の意味と価値をとらえ直し,実践 を理論づけていきたい。. 12.
(17) 【註】. 第1章〈自由〉についての近代思想史的断章. 第1節∼ (1)Jean−JacquesRousse測,今野一雄訳 rエミール(上)』(岩波書店,1962)p,23 (2)同上,p.104 (3)同」ヒ, p.104. (4)同上,p.ユ12. (5)同上,p.112. (6)同上,p.114. (7)森田仲子『子どもの時代 エミールのパラドックス』(新曜杜,1986)p.71 (8)同上,pp.71・73 (9)同上,pp.98−99. (10)同上,p.108 (11)同上,p.80 (12)同上,p.137. (13)Jea肛Ja㎎uesRousseau,今野一雄訳 『エミール(中)』(岩波文庫,1963)p,30 (14)ルソー,『エミール(上)』p.122 (15)同上,pp.118−119 (16)同上,p.111. (17)同上,p.114 (18)同上,pp.83−84. (19)同上,p.103. 第2節∼ (20)矢島杜夫rミル『自由論』の形成』(御茶ノ水書房,2001)p.1 (21)教育思想学会『教育思想辞典』(勤草書房,2000)p.283. (22)JohnStua抗∼㎜,山岡洋一訳『自由諭』(光文杜,2006)p.130 (23)同上,p.130 (24)同上,p.130. (25)同上,plp.162−166 (26)同上,p.166 (27)同上,p.33. (28)同上,pp.49・54 (29)同上,p.142. (30)同上,p.133. 13.
(18) (31〉同上,p.27 (32)1同上,p.34. (33)矢島,前掲書,・p.183. (34)同上,p(35)1同上,pp,186,187 (36)ミル,前掲書,p.170 (37)同上,p.234. 第3節∼ (38)趾icbFmmm,目高六郎訳,『自由からの逃走』(東京創元杜,1951)p.296 (39)同上,pp.19・21 (40)同上,pp.34・39 (41)同上,pp.27・29. (42)同上,p.283 (43)同上,p.284 (44)同上,p.284 (45)同上,p.287. (46)趾icbFromm,鈴木晶訳『愛するということ』(紀伊國屋書店,1991)pp.94−96 (47)同上,p.5. (48)フロム,『自由からの逃走』pp.290−291. 14.
(19) 第2章 戦前の保育理論における 〈自由〉についての諸議論. 15.
(20) 第1節 車創期の幼稚團教育における自由革重 わが国における近代教育制度は且872(明治5)年の学制によって発足した。実際に幼稚 園が制度化されたのは1879(明治12)年の教育令においてである。そこでは「幼稚園」を. 教育制度上の名称と位置づけられた。それに先立つ3年前の1876(明治9)年11月に,わ が国最初の幼稚園,東京女子師範学校附属幼稚園が創設された(1)。. 文部省と東京女子師範学校では外国幼稚園書の翻訳をおこない,桑囲親五(不詳)訳 『勤耀薗』(上・中・下巻1876(明治9)年∼78(明治11)年),関億三(1843・1880)訳『幼稚 園記』(上・中・下巻,附銃1876(明治9)年∼77(明治10)年)を相次いで出版した。『勤繋欝』. はロンゲ夫妻(Job独鵬s R㎝ge,1813・1887,Be汕a R㎝ge,不詳)が著したイギリスに おけるフレーベル主義幼稚園に関する最初の文献の翻訳である。幼稚園教育の具体的方法 をわかりやすく紹介しており,遊具遊びと作業,運動遊戯について取り上げ,多くの図を 用いながら説明している。また『幼稚園記』はドウアイ仏do1f Douai,1819・1888)著で あり,幼稚園教育の手引書として,幼稚園で用いられる運動遊戯や歌,詩,物語,図画な どを紹介するものであった(劾。. 附属幼稚園開園時の初代監事の関億三はそのほかにも1878(明治11)年に「幼稚園創立 法」,1879(明治12)年には『幼稚園法二十遊嬉』を著し,幼稚園教育の基礎作りに尽力し た(3)。『幼稚園記』ではフレーベル(砒edich Wibe1mAu駅st Fr6be1.1782・1852)が幼児 教育のために考案した遊具(Sp兵⑧1gabe(独),g脆(英))を「愚物」と翻訳した(φ。. 『幼稚園法二十遊嬉』ではアメリカにおけるウィーブ⑮dwa地Wieb6,不詳)の書『子 ども時代の楽園』(脆θμ〃地脱〆泌雌ωδやシュタイガー(Steiger)杜の「二十遊具」 (tWeI1ty 騨乱S)が関によって「二十愚物」として紹介され,そのわかりやすさから次第に. 保育内容として定着していったという。「その際『幼稚園法二十遊嬉』の果たした役割は非. 常に大きいものがあったと考えられるが,i司時にそれが愚物の操作方法のみの形式的受容 に偏る結果を招いたことは否めず(中略)形式的な愚物教育の弊害も現れてくるのであっ た」(5)と湯川は考察している。. 附属幼稚園では,ドイツでフレドベル主義の幼稚園教育の保育法を学んだ松野クララ (㎜araZiedemam,1853・1941)が開園当初の主席保婚に就任し,フレーベルの遊具理論 や保育方法が伝授され,保育がなされていった㈲。1878(明治11)年大阪府派遣の保母見 習生,氏原銭(1859−1938)の手記によると,附属幼稚園の保育には愚物のほかに「戸外での. 活動」として,植物栽培活動を行ったことを砒畑二於テハ幼児自ラ種ヲ時キ,或ハ苗ヲ 植工雑草ヲ抜キ水ヲ激キナ自然植物発育ノ状態ヲ薬シク観察シ」「子供ト能ク親ミ,能ク 学ヘヨト教ヘラレ,屋外保育盛ンニシテ雨天ノ外ハ保育時間ノ大部分ヲ保育シ,子供本位, 自然二親シメヨト教エラレ…」(7)などと記録している。これは,「人間および子どもが自. 然を心からよく知り,自然と心から融合することが,自己の天職に向かっての子どもの発 達にとって,人間の教育にとって,諸民族および人類の陶冶にとって,はなはだ重要であ. 16.
(21) る」(8)というフレ』ベルの「庭」の思想に基づく保育が実践されていたためである(9)。こ. の時期の幼稚園は,フレーベルなどの外国書物の翻訳を適して,保育内容として愚物を積 極的に取り入れ,西洋の教育思想に学び,理解,模倣していった。 東京女子師範学校附属幼稚園(1876(明治9)年),鹿児島女子師範学校附属幼稚園(1879 (明治12)年),大阪市愛珠幼稚園(ユ880(明治13)年)の保育時間表,同課表及び週録な. どの記録を見ると,愚物でのさまざまな活動が時間表の中に配列されており,保育の内容 として愚物の使用が中心であったことがわかる。それ以外に「戸外遊ぴ」「遊戯」「自由遊 戯」r自由遊」と表わされた時間の設定がある(io)。. 明治14年6月改正の附属幼稚園規則における保育課程は「これらの内容は以後多くの 幼稚園の基準になっている」Φ)とされているが,その中の保育の要旨では室外の遊戯につ いて次のように記されている。 「幼児ノ室外二出テ随意二進嬉スルトキハ,己ノ意ヲ邊ウ シ稟性ノ偏愉セル所ヲ現ス者ナレバ此際最注意ヲ加ベテ各児二性質ヲ視察匡正スベシ」「一 課ノ開誘終ノレ後ハ庭園或ハ遊嬉室二於テ随意二遊嬉又ハ唱歌ヲナサシメ以テ其欝屈ヲ暢開 センゴトヲ要ス。幼児ノ成育ノタメニハ室外ノ遊ヲ最緊要ナリトス」(12)。当時の保育課程 表によると愚物の作業や会集,お話,読み方,書き方,唱歌,遊戯などがあった(13)。開誘. の後は戸外や遊嬉室で自由に遊んだり,歌をうたったりして気分転換を図ることが必要で あり,幼児のためには戸外の遊びが極めて大切であるとしている。自由に遊ぶときには自 分をたくましくする。また性分の偏った所がみられた時はよく見て矯正することが必要で あると述べられている。. 本岡和子(1931.)は戸外の遊びや自由に遊ぶ様子を「当時の言葉ではr戸外遊戯』『室外 遊戯』『時間外遊戯』などとよばれて,室内の活動の問に挿入されていた。今日のような運. 動遊具のなかった時代であるから,主として鬼ごっこ・かくれん坊・石けり・まりつき・ お手玉など伝統的な市井の遊びが,このときだけは公然と幼稚園の庭にはいってきたよう であろうことがしのばれる」(ωとして,このことは自由遊びであるとみなしている。. また当時の「遊戯」という言葉にはもうひとつの意味内容がある。創設時の東京女子師 範学校附属幼稚園規則における保育課目「遊戯」は,翻訳紹介されたフレーベルの運動遊 戯を取り入れたものであった。初期においては翻訳書から保栂らによって五七調の歌と,. 雅楽調の曲を付けそれをうたい保栂の指示に従って演技するというものであった。その後 1887(明治10)年頃より,伊沢修二(185Hg17)によって幼児の発達に即した教育法として, r唱歌嬉戯」(唱歌遊戯)が提唱され実践された(15)。. 以上の事柄から,この時期の「遊戯」には自由な遊びとしての「遊戯」と,フレーベル の運動遊戯に相当する「遊嬉」の二つの意味合いがある。これらの明らかな定義は1899(明 治32)年,幼稚園保育及設備規程に.r随意遊嬉」(自由遊び)とr共同遊嬉」(運動遊戯) と明示されるまで待つこととなる。 1893(明治23)年,中村五六(1861・不詳)は『幼稚園摘葉』を著している。これはフレー. 17.
(22) ベルの紹介から脱して,幼稚園教育について日本人によって体系だてて書かれた最初のも のであると言われている(1⑤。水野浩志は「この本は従来の外国の保育書の直訳的なものと. は異なり,(中略)フレーベル思想の原理に準拠しながら,わが国の現状に合った保育論. を新しくうちたてようとした」さらに噌時の保育界のよき指導書となり,その後の新し い保育法を生みだす原動力となった」(17)と解説している。. 中村は第三章「フレベル氏教育主義ノ概要」でフレーベルの幼稚園の特色を以下のよう に述べている。眠ノ憲二日ク,教育トハ人間ガ自然二包含スル身罷心意ノカヲ自由ナラシ ムルノ謂ニシテ,天性健全ナル幼児ハ,生レナガラニシテ此自由即チ襲達二必要ナル内部 ノ要素ヲ裏ケ來ルモノナレバ,只其外部ノ要素ヲ供給スルニ在リ」(ω。人間が自然に与え. られた心身の力に教育を施すことによってよりよい発達に導くことができるとし,続く文 章で陽の光や雨の恵みによって生長する植物を例に具体的に説明している。. この言説はルソーからペスタロッチ,フレーベルに続く近代ヨーロッパの教育思想,す なわち子どもを子どもとして尊重するという立場に立ち,人間の持つ内部の要素は生まれ ながら〈自由〉であり,子どもの本来持つ自然な発達に即して「適當ナル保護ト注意」(19). によってよりよい発達に導くという考えを踏襲しているといえる。 また同書において「遊嬉」については次のようなとらえ方をしている。 「始メテ諸機關. ヲ練習スルハ,遊嬉ノ形トナリテ現パノいモノナリ。敬二教育ノ初歩ハ主トシテ四肢ヲ練 習スル遊嬉ヲ用ヒ,又精神ノ訓養モ此遊嬉ト結合セサル可カラズ」㈱と幼児は心身の発達 の本能からの必要から,遊嬉が表れるので,教育の初めは両手両足を練習する遊嬉を用い,. 精神を導き育てるのも遊びを通して行うとしている。ここでのr遊嬉」とは,子どもにあ らわれる自然な磁び」の姿と,幼稚園での「遊嬉」との二つの意味合いが含まれている といえよう。. 第十章「唱歌及遊嬉」では幼稚園での「遊嬉」について次のように述べられている。「遊 嬉ハ,身誰四肢ヲ運動シテ其襲育ヲ助クル(中略)其襲達ヲ進ムル」(2I)ものである。たと. えば『蝶々』を舞ったり『家鳩』を遊ぶ際も「教訓を異フル」ことで「幼貝ノ心カラ働力 シムル」, 「規則二從プノ習慣」,「朋友ト接スルノ交情ヲ養成」, 「知識ヲ啓襲」する. ものであると,幼児にとっての「遊嬉」の意義と効果を明らかにしている。そして「遊嬉 ハ其方法ヲ参酌考究シテ,麗育上ハ勿論,必智ノ訓練上布盆タラシメ,且ツ美容上ノ結果 ヲモ収メ得ンゴトヲ期ス可キナリ」と,遊嬉のよりよい方法を比べたり.,考え極めたりす ることで体育上はもちろん物事の理解につながり,美容上の結果も期待できるとしている。. また幼児にとってそれぞれの経験にみあった「遊嬉」の取り入れ方や方法を考えることに よってその発達に役立つようにすることなどの配慮を述べている(22)。. さらに幼児の心身の十分な発達にためには戸外における随意遊嬉は必要であり,「随意 二遊ハシムルノ時間多カランコト肝要ナリ」として,幼児は戸外で駆け回るものだがこれ を正しい方向に導く用意をすることが必要である。子どもが自然に親しみ,遊ぶなかで保. 18.
(23) 育者は「小話ヲ投シ天然物ヲ好愛スルノ慣習ヲ得セシムル」ことで教育的な効果を上げる こ.とになっていると論じている(23)。. 第十二章「保育上注意ノー斑中」では「遊び」について,3,4歳の者にとって遊嬉は主 な仕事であり,ベスタロッチー氏が言うように,その能力の発達に必要なものである。ゆ えにτ幼児ヲシテ自由二遊嬉セシメ,其活動カニ寸毫ノ制肘ヲ加フベカザルヲ知ルナリ」 (24〕と幼児を自由に遊ばせわずかでも干渉をしないこξが必要であるとしている。幼児は ギ身邊ノ諸物ニョリテ観念ヲ得ルモノ」(25)なのでこの目的を達するために,幼児が十分自. 由に楽しめる,場所と自由に遊ぶことのできる玩具を与えることが必要であると,その環 境の整え方にまで言及している。また十分な自由は幼児のみではなく保栂にも必要なこと であり,幼児はこのような雰囲気のときにその性質を表わすものなので,自由に遊ぶこと は幼児の性質を知るための最良の方便であると勧められている(26)。さらに「幼児ヲ金ク自. 由二放任セスシテコレラ誘ヒ,其勢カラ有用ノ方二轄セシム可シ」(27)と述べ,礫シギ印 象ヲ附輿シテ,心情ヲ陶冶スルヲ主トスレバナリ」(28)と保育においては自由な遊嬉のみで. はなく,子どもに即して楽しく教育的な方向,すなわち仕事に導いていくことについて述 べられている。. この時期の保育の〈自由〉の意味内容に着目して整理していくと次のように理解できよ う。ひとつは我が国の幼稚園草創期における教育思想はヨーロッパ思想の導入や保育実践 から得た,子どもの尊重という思想に立つ教育観であった。人間は本来〈自粛〉な存在で あり,子どもは子どもとして尊重されることは幼稚園の草創期から大切にされた理念であ った。. 二点目は幼稚園の保育の内容は愚物中心の保育ではあるが,「戸外遊び」「自由遊戯」「自 由遊」は子ども主体の自然な活動として「自由のみとめられた活動」すなわち噌由な遊び」. として位置付けられていた。つまり,この時期からく自由〉が大切であるという発揮があ り,子どもが自由感を持って遊ぶことの価値が認識されていた。. 子どもの本来の自然な活動である「遊び」の姿を尊重し,そこにおける教育の効果を期 待することが,附属幼稚園規則や中村五六の『幼稚園摘葉』に著されている。ここでは遊 びに見える子どもそれぞれの本来の姿を見極め教育に生かしていくことや,子どもの遊び をとおして自然な形で教育的に働きかけていくことが,自由な遊びの価値として理論づけ られていったことが確認できる。. 19.
(24) 第2節 愚物批判から導出された自由保育への可能性 1896(明治29)年に女子高等師範学校附属幼稚園保爆会を母体としてフレーベル会が結 成された。この保育研究団体は,幼稚園に関する教育令発布の要求と保母の養成,待遇改 善についての整備を求めて「幼稚園制度二関スル建議書」を文部大臣に提出した。激11は 「幼稚園保育及設備規定(省令案)」はフレーベル会の建議書と近似のものであり参考に された可能性は考えられると指摘する。その後省令案は議決され,幼稚園保育及設備規程 の制定に至る(2釧。このことは,フレーベル会の活動の成果の一つといえるだろう。このよ. うな経緯の中で,1899(明治32)年に幼稚園保育及設備規程が制定された。これは幼稚園. の初の文部省令であり,幼稚園の就園年齢,保育時間数,保母一人に対する幼児数,一園 の幼児数,保育の要旨,保育の項目,設備の基準について指針を定めたものである。幼稚. 園を一定水準のものとすることに貢献し,「この規定は昭和22年の学校教育法制定に至 るまで,一貫してわが国の幼稚園教育の在り方を規制し続けたjとされている㈱。この幼. 稚園保育及設備規程の制定は「貧民幼稚園」「簡易幼稚園」を概定jの外とし,中上流 層の「普通幼稚園」を制度化するものであり,結果として幼稚園教育の二元化を進めるこ とに校った(31)。幼稚園保育及設備規程によって,幼稚園教育の存在を明確にしたといえる が,スクール・システムの一環として位置づけられるには至らなかった(鋤。 幼稚園保育及設備規程の保育内容については, 「遊嬉」 「唱歌」 「談話」 「手技」と四. 項員となった。愚物を「手技」に含めその項目を最後においたことで,草創期の愚物中心. の保育からの脱却を目指していったと評価できよう。またr遊嬉」を最初に置き幼稚園教 育におけるギ遊び」を重視したものといえる。保育内容の喉音の項目」「遊嬉」には, 「一,遊嬉 遊嬉ハ随意遊嬉,共同遊嬉トシ随意遊嬉ハ幼児ヲシテ各自二運動セシメ共同 遊嬉ハ歌曲二合ヘル諸種ノ運動ナドヲナサシメ心情ヲ快活ニシ身体ヲ健全ナラシム(鋤」つ まり,遊嬉は随意遊嬉と共同遊嬉に分けられた。 ギ随意遊嬉とは,幼児が自由に遊嬉した. り運動したりする,いわゆる自由遊びであった。共同遊嬉とは,歌曲にわせて共同で行う もので,4項目の一つ唱歌と合わせて行われることが多く,喝遊と呼ぶ幼稚園もあった」 (34)とされている。. こうした規定の下で,愚物中心の保育がどのように変容していったのか,そのことは保 育における「遊び」の価値をどのように意味付けることになっていくのか。フレーベル会 機関紙『婦人と子ども』の投稿より探ってみよう。 東基吉(1868・1958)の投稿のr幼貝保育につきて」.(1901(明治34)年)によると,当時. 子どもが愚物の板並べをしているときの様子が次のように記されている。 「平面に並べな. ければならぬ板をば,こう云う風に立て㌧出とか山脈とか云って居る,夫から又英側にこ んどは板を平面に並べて,汽車と云って居る。」愚物を無理に平面的にならべさせること. はr夫叉あ、己曇負そ,羊展足盤墨るあそ墨塁」喉音は子供の自然に從ぶべきである,黙 るに今日は子供の望むに大人の考えを以てすることが多い」と愚物や遊戯を大人の立場で. 20.
(25) 解釈していると批判している。 「今少し自由に,子供には子供らしくやってはどうかと云 う事に録するのでございます」(35)と東は薦めていた。 当時の保栂,鈴木マサ(不詳)は「自由保育(保育の實際)」 (1911(明治44)年)と題して. 愚物法として,折り紙・組紐を園児が作ったときのことについて,子どもが家人に「いや で嫌でたまらなかった」と訴えた言葉から,r讃にこの一書は劾塊から有しい凍害窪(騒音 でしかも邑帖にすることの裁集あること)を該塞されたやうな巖じがいたしました。それ でじ著に筒一のことを筒蒔に擦てさせて鋒ばすことの繁り着藍でないのみならず。朱首蒸 ではないのかと巖じたのでございます。それからは菱めて動暁の昌禍に荏せて峯度の粉揖 が署審に捕ひらる㌧ことを欝る讃でございます」と述べ,「保栂に何かを作ってくれと要 求するものもあれば又は友達と一緒になって打って居った子供を見ました」と子どもが折 り紙に随意に取り組む様子や園庭で随意に遊ぶ子どもが地面にいろいろのものを書く様子,. その子どもたちの面白そうな様子と満足そうな様子から噛逢握産の引換にとって笑窃で あることを鮭駿したのでございます」rそのうちに箏歩の柔膳の樺=うこと㌧椿じて患りま すから,なほなほ(原文の繰り返し記号を筆者が改めた)終発いたしてみたいと患って唐 ります」(36)と記していた。. 東は子どもの自然に従うことは子どもを〈自由〉にすることと述べ,鈴木は子どもが〈自. 由〉に遊ぶことの意義を保育の中で見出し,これを自由保育と称している。フレーベル主 義愚物法に偏った保育から子どもの自然な姿に拠った「自由な遊び」の意義が見いだされ ていったと考えることができる。子ども中心の保育が『婦人と子ども』誌において,実践 や保育理論の発信がなされていったのである。 当時の保育理論を先導した研究者として,前述の東基吉と和田実(1876・1954)を挙げるこ. とができる。東は『幼稚園保育法』(1904(明治37)年)を著述し,『婦人と子ども』誌の 編集を引き継いだ和固は中村五六との共著『幼児教育法』(1908(明治41)年)を上梓した。. 和田は愚物を批判して幼児の自然な活動を主体とする遊戯を保育の中心とすることを主張 していた。. 東は「私の目的は近代科学に基礎をおく全教育体系の最初の一環として幼稚園研究と其 改善とにあった」(37)と回想している。「幼稚園批評係」であった東は,フレーベルの『人 間の教育』の解説やアメリカやイギリスの書物や論文を読破した(38)と記しているが,それ. に加えて現場での幼稚園保育の実践から得た知見も加わって『幼稚園保育法』が著述され ていったと思われる。これは「翻訳によらない日本文の幼稚園に関する著述」(39)と本人が 記している通りである。. 東は第5章幼稚園保育の要旨において「幼貝期の最初の教育は専ら身艘を主とし精神 の教育は後に施さるべく特に知識に関する教育の方法は最後に加はり來るべきもの」「教 育は児童発襲達の自然の順序に從ふべし」と幼稚園教育の方法論を明らかにている(ω。し. かし当時は「從來多くの幼稚園においては以上の順序を轄倒して專ら知識教育に偏したる. 21.
(26) 傾あり」伽)としており,これは当時の愚物中心保育の批判といえるだろう。第6章保育 事項では,ペスタロッチ,フレーベルが主張する教育主義として,幼児の発達の程度に合 わせた教育内容で幼児の活動性を満足させながら幼児自らが自然の発達を遂げることが真 一の教育であると述べている(42)。「活動の最も普通に顯はるる形式を遊戯とす」(43)として保. 育内容の「遊戯」がこの傾向に適するが,幼児の活動にはこのほかにも唱歌や談話も好み, 幼稚園保育及設備規程における保育四項目「遊嬉」 「唱歌」 「談話」 「手技」はこれに適. 合していると述べている(ω。従来の愚物は保育項目「手技」の中に含まれ,愚物の使用に. おいては「之に封する幼貝の興味の多少と使用上の便宜などによりて多少の参酌をくわえ ざるべからざる」(側と幼児の興味や様子に合わせて使用することを勧めている。. 「遊戯」については,「幼児自然の活動を十分に満足せしめ以て共心身の完全なる発達 を助長するものなり」とその身体の発達と精神の発達の両面の意義を述べている。具体的 には,1.身体の発達の助長 2.精神の発達として (い)共同心・同情心の溜養,(ろ)法律. 制裁に服従する習慣,(は)意志の独立 (に)社会内鋤識の啓発などの効果があるとしてい る(46)。〈自由〉については次のような見解が表されている。(い)では「よく己を推して人. を思ひ自己一人の自由を制して他人と事を共にする良習慣を得しむるに至るものなり」 (は)では遊戯は大人の干渉を離れ「最も自由に自己の意思を實行し内心を発表する」もの であり将来の自由に活動する意志の独立を促すものである(47)。このことは遊戯における 〈自由〉と制約の2つの側面を表している。(い)について宍戸健夫(1930・)は天皇絶対主義. イデオロギー形成期の家族羊義国家観と徳育重視の教育政策と結びついてこの時代の「遊 戯」の重要性を高めることになると分析している(側。(は)については「遊び」そのものの. 持つ〈自由〉性に言及しその意義を著している。東は走,跳,投,鬼ごっこ,書き方,紙 細工などの一般に行われる遊戯を「運動的遊戯」と「静止的遊戯」の2種類にわけて「幼 児をして随意に遊楽せしむる時は彼らは有のごとき遊戯によりて極めて自然的に其身体上 及精神上の発達を促進せらるるものなり。されば幼稚園に於いては荷くも共心身の上に危 険害悪を誘発すべき恐れなしと認むる時は幼児をして各自自家の好む所の遊戯に於いて随 意に遊楽せしむることは保育必要の方便といふべきなり」と随意遊戯の意義と保育の方法 に触れている(49)。また「大人の工夫案出に依りて成れる」遊戯についての注意事項として, (い)幼鬼自然の動作に力しむること,(ろ)会心を遊戯に傾注せしむる,(は)自由活動の鮭. 地を存せしむること(中略)典範園内に於いては力めて自由に活動せしむべきなり,(に)保. 育者は遊戯仲間の一員たるべきこと,幼児をして自由に自己の意思を實行するになれしむ べし,と教える(5ω。東は実践によって従来の保育の中心に位置した愚物中心の保育に疑問. をいだき,幼児の自然な活動である瞳戯」の意義を見出し,具体的な著述によって保育 における遊戯諭をうちたてたのである。. 『幼稚園保育法』の最終章では,教育は幼児の自己活動によって内部に潜在する諸力の 調和的発達を得るために喉育上自己活動の自由を得しむることは極めて必要なる條件」. 22.
(27) であり,自己活動は幼児の遊戯に最も現れる,と遊戯が単なる暇つぶしではなく,意義が 明らかにされている(5工)。東の遊戯論は,時代の要請における思想や制限も見え隠れするが,. 保育における「遊び」の本来の姿である〈自由)性や自己の意思のく自由〉,つまり子ど もの人格の尊重の意義を明らかにしている。このことは現代につながる幼稚園教育におけ るr遊び」の意義の基礎を築いたと考えられる。. 東の後を受けて『婦人と子ども』の編集に携わった和困実は,明治末期から大正・昭和 の戦前まで幼児教育論を発表し続けた重鎮であった。和囲は当時の保育について『婦人と 子ども』(1908(明治41)年)誌上では次のように論考している。現在多くの幼稚園を参観. してみると,どこの幼稚園でも手技に最も重きを置いている。 幌聚フレーベル氏の㌶寛. 毅肴窪が蕪鐘挿符をする磐答が蓼かったのは軍き蕾縫りに渚桑碕であったからで妨寛の 旨繁落葡には雫歯蜀であった」と述べr蒋う衆の劾瀧薗は微鏡薇尾釘寛の途議を括尋する と会うことを塚て繁栄犠としての藩窃しなければなるまい」そして幼児教育者は幼児を 感化誘導し,遊戯の上に一種の重荷を添加しないようにと結んでいる(5動。. 著書『幼児教育法』では,従来の幼稚園において行う幼児教育はフレーベルの方式の末 節のみに注意し,かたくなに形式のみを固守し幼児教育の精神を逸し,年を経ることに幼 児教育の真価を疑わしくなるようになったと批判している(53)。日本における幼稚園教育の. 現状を憂い,東と同様に和困も従来の愚物中心の保育批判から幼児教育理論を組み立てて いく。. 『幼児教育法』ではコメニウス(Jo血a㎜1es Amos Comenius;Komensky,1592・1670),. ルソー,ペスタロッチ(JohamHe1皿1cbPesta1ozzi,1746・1827),フレーベルの思想を引 用しながら,一般教育の根本原則は「自然主義」によるもの,すなわち,子どもの自然の 性質,発達,生活に沿った教育であるべきであると主張している(ω。渡部晶は「和囲はフ レーベルを中心とした近代ヨーロッパの新教育の潮流に身を置いて教育の本質を探究し, そこから保育の原理をみいだした」と分析する(55)。和田は幼児の生活状況は「習慣的行動」. とr遊嬉的行動」であり,ゆえに幼児教育の事碩はr習慣」とr遊嬉」・である(56)。幼児の 教育は遊嬉と習慣を指導することによって目的は達せられると諭ずる(57)。遊嬉については. 「幼児が其感覚や言語や筋肉を練習し得るのも殊更に練習的課業をするのではなくて實は その自製活動たる遊戯を遊ぶ間に自然に得るところのもの」 「幼児の自護活動は悉く皆遊. 戯と構せら可きものである」r幼貝は其遊戯することに依って徐々と心身を護達し得るも のであるから幼児教育は此幼児の遊戯を指導し誘抜すると云うことで進まねばならぬ」(5⑳. と主張している。第6章.「遊戯とは何ぞや」では米国ヘルマン・ホ㎞ン(HermaI1Home 亘ar鵬,1874・1946)の研究を引用し,遊戯の心理学上の説明として, 「遊戯は個人的自我. が主となる」もので,「自我にして之を爲すことは自我の自由に基く」としている。遊び の自由性は自我の自由な表現として欠かせないことであり,その意義を明らかにしている (59㌧それ故, 「幼児教育は鞍髭する所,不知不識の間に於ける感化的誘導である」(6ωと. 23.
(28) 述べ,幼児教育における「遊び」による教育方法を理論づけていった。. 以上の保育理論は東京女子師範附属幼稚園から発展し,幼稚園教育における「遊戯の 意味内容や意義が明らかにされ理論づけられていった。また当時の数国の資料から,遊戯 の中でも随意遊戯や自由遊戯に関する保育の要旨を概観すると,保育における遊びによる 心身の発達の助長など,幼児の遊びの重要性が認識されていたことが洞察できる。保育で は幼児の自由の要求に任せること,各自の個性に応じる,幼児の興味,発達に適当なもの の選択し遊具・玩具や運動器を用意する,などの自由化が進められていったようである(61)。. 24.
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