企業の国際的環境の考察 --松下電器の事例研究 --
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(2) 織」の理解についても,考察を試みてみたい。 たしかにチェンバレン (N. W. Chamberlain)もいうように 注 1)' 歴史上 いかなるときも「既知の世界」としての 国際的環境は,「国民一国家の開発 の舞台」になっている。 たとえ政治上などの外的制約や資源上などの内的制 約があってもその範囲内で, まさに「 一国は, 世界を,自分のもので, 自分 の利益のためにこじ開けられる垣根」 とみなして行動してきている。 ただそ の行動のあり方についてみれば 一ーある国が機会にぶっかっていく方法は, 多分に その価値セットに依存している。 その価値セットが 国の諸目的を決 め, またそれらを追求する手段を構成するのを助ける—という。 そして 一 国の価値セットは, 何が可能であり, また望ましいかについての企業の構想 に影響をおよぽし,そういう意味ですでに考察してきた企業の戦略セットに 類似しているといえよう。 国際的環境を理解するのに, 国際間の貿易をはじめとした競争関係を, 何 世紀にもわたって歴史的に遡及したり要約する必要はない。 また戦争や探検 また冒険などの事例についても同様である。 むしろ大事なことは,一時期あ るいは一時代に, なんらかの方法で支配的な影智力をもつ国々を銭察するこ とによって,その外的,内的環境において「機会を最も積極的に追求するよ ー. うにしむけた価値セットの国々」注. 2) を理解することができる。. 国際的環境をただ客観的な条件として理解するのにとどまらず,主体的な 行動の条件として国々の価値セットとの関連において把握し, 経済的関係を はじめとした諸影響力の成果との相関を理解するところに, より積極的な意 義があるといえよう。. 2). 国際的環境への侵入的事象. 注—1) Neil W. Chamberlain "Enterprise and Environment" 1968. 大森他訳 「企業と環境」ダイヤモンド社刊,昭和49年,訳害233頁。 注ー2) N. W. チェンバレン, 前掲訳書,234頁。. -102 (102)-.
(3) すでにみたように国際的環境を理解するのに状況的な把握もさることなが ら, 支配的な潮流, またそれを創出した国々の価値セット, あるいはその国 の企業群の戦略セットの考察が重要である。 だが相対的ではあるが支配的な 影響力をもつ国家の地位には変化があり, そのことは歴史的にも周知の事柄 ではあるが, その変化の過程はかならずしも一様ではなく, また連続した緩 慢な歴史の過程ばかりでもない。 すでに考察した「侵入的事象」の概念を, 国際的環境の変化の理解のなかに組み込みたいのである。 これについてはチ ェンバレンもつぎのように指摘している一ー歴史的な時の流れのある特殊の 時期に, 国々の互いの相対的位置が, それらの特殊の事象の結果として一一 経済的, 政治的, ときには文化的に一ー 変化する, と。 しかも「それだけで 決定的だと指摘できるような単独の活動はないかもしれない。 しかし, これ まで継続的あるいは緩慢な変化の過程であったものを, まったく突然に乱す 一連の事象が起こる。」注 3) そのような「侵入的事象」を全体的名称として, たとえば「産業革命」や「共産主義」とよんだりする。 「侵入的事象は.. 一国の価値セット(またはその国を基盤として利用する. 個人や企業の戦略セット)と, その時代に世界に存在する特殊な諸条件の組 —. 合せとのなんらかの結合から起こる」注. 4) という。. こうした 国民的価値観と. 時代的環境の相互関係, その「社会的な化学作用」はどのようなものであろ うか。 チェンバレンは その過程を 明確にする努力が あまり払われてないこ とを嘆きながらも, 「人間, 機械と近代」 (Men, Machines, and Modem. Times) の随筆におけるモリソン教授 (Elting Morison) の見解を引用しつ っ, つぎのように理解している。 歴史を形成する変化の主要な成分は,「幸運, 知的風土, 想像力豊かな精 神の備え」というモリソンの示唆のなかに見出されると。 その解説はつぎの ようである。 革命的とか画期的とかいわれるような政治上, 軍事上あるいは 注ー3) N. W. チェンバレン, 前掲訳書,235頁。 注—4) N. W. チェンバレン, 前掲訳書,235頁。. -103 C 103)-.
(4) 地理的, 科学的そして経済的, 技術的な出来事は. まさに「偶然」であるこ とが多い。 したがって偶然の役割を無視することはできない。 ただ偶然がそ のまま普通の偶然に終始するか, 重大な変化を呼び起こす「幸運」になるか は, 偶然の出来事の前後関係ーーチェンバレンの説明によれば, 同時代につ きものの 活動パタ ー ンに よってもたらされる知的風土あるいは 社会的 環境 で. この偶然によって導かれたできごとは, それとの関係で, 一つの構想を 完成したり,. パ ズ)レのわからない部分としてあらわれる一ーによって相異す. る。 また時代的に共通した活動パタ ー ンないし知的風土においても, 偶発的 な出来事の重要性を認識するには. 「想像力豊かで創造的な精神」 が必要で ある。 それは「利用さるべき潜在的な開発の舞台を察知する」能力であり, また 「 組織する能力」あるいは「企業者の能力」をも必要とするものであ る。 変化を 創り出すこれらの人的動因の資質は, 多分に「社会的環境の産 物」である。 すなわち「特殊な気質, 見通し, 傾向, 活動様式をもつ個人」 で存在すること自体, その社会の特色であり, その社会の利益でもある。 このように侵入的事象は. 偶発的出来事や知的風土それに想像的精神の 相互作用によって促進されることは確かである。 だがさらに個人や組織のな かでの目的性の要素を十分に評価しなければならない。 たしかに偶然によっ て目的それ自体が影響されるし, 周囲の情況にたいして目的も敏感に反応も するが. それでも「ある目的を積極的に追求する個人や集団」を考慮してお かなければならない。 そのような「個人や集団」は. ー一 どんなに計画が立 たない環境であろうと, その動機を促進するものなら利用しようと待ちかま えている— からである。 いわば価値践というか使命感のような哲学的態度 であり姿塾であろう。 いずれにしてもチェンバレンも強調するように,「と にかく, 変化に富む侵入的事象を促進する三つの要因として, 偶然. 社会的 関係, 精神の備えの混合について述べたからといって, 最後の要因にあらわ れる目的性の要素を軽んじる必要はない。」注 5) もっとも目的性そのものも, 注-5) N. W. チェンバレン, 前掲訳書, 237頁。. -104 004)-.
(5) 社会的あるいは精神的, なかんずく文化的な関係のなかで準備され, 条件づ けられるともいう。 このような「社会的条件づけが作用する方法」に ついて, モリソンがあげ ている有益な事例を簡単にふまえておこう。 それは製鉄におけるベッセマ ー 法の実用化の事例に つ いてである。19世紀後半, イギリス, アメリカ両国の 原始的な鋳鉄工場でベッセマ ー 法が偶然に発見されたのを契機に, 製鉄に革 命的な方法が どのように実用化されていったかの状態に つ いてである。 イギ リスで実用化される状態になったあと, いく つ かの特許紛争後, やっとアメ リカに ベッセマ ー 法が 導入されたとき, 鉄鋼生産者達は緊密な連合を つ く り, 効果的な生産をはかっている。 産業上の業績を尊重し, 産業の急激な成 長を期待する社会的関係のなかで, アメリカの生産者連合は, その国内生産 高を効果的に規制できるよう, 単一の有利な製品であるレー ルの生産に集中 し, しかも議会が積極的に輸入品を関税制限してくれたことによって, 能力 増大を計画できる保護産業の地位を獲得しえたのである。 そして基本的工程 に影響する革新にかんして, 生産者連合は共同しで情報経路を つ くりあげ支 配し, そのため短時日に生産性を著しく増加させ, イギリスの生産者達を完 全に追い抜いたのである。 1876 年までにアメリカは着実な技術的改良によっ て, イギリスの生産性を3倍から5倍上回る能率にさせ, 世界の注目を集め た, という。 ところがモリソンは,. つ ぎのように指摘している-調査した時期におい. て, 鉄鋼の製造に対する基本的な貢献は, 一 つ としてアメリカ人によって行 なわれなかった一ー と。. つ まり基本的製法をふくむ重要な進歩はすべて外国. から導入されたものであったということである。 重複するようであるが誤解 のないよう引用しておくと. 正確にはこうである一ーベッセマ ー 法の発展が アメリカのノ. ー. ハウ(技術情報)の勝利であるというのは確かにほんとうの. ことだが. このノ のノ. ー. ハウがよそから輸入された情報に頼っており, しかもそ. ー ハウは基礎的な情報が改善された分だけ洗練されたというのもまた,. -105 (105)-.
(6) 同様にほんとうのことである—�という。 すなわちアメリカは鉄鋼の生産高 を非常に増大させながらも, その製法の全般的な理解や基本的な進歩をはか ったのではなく, 現在の方法が不適当だとして「特殊な着想」を外国から借 用したのに過ぎなかったのである。 こうしたアメリカとイギリスの対照的な 発展について,. モリソンは「国民的特徴の永続性」 によると指摘している. が, これはある国家社会の価値セットとよんだものと同義である。 モリソン はさらに製鉄の事例について, イギリス人気質が化学的構造の研究や新製品 の多種多様な用途の開発をしようとする傾向にたいし, アメリカ人気質では 製法が能率よく稼動することが発見されると早速に生産を増加させる方法に 熱中する傾向のあることを 指摘し, 「精力的活動」とよぶ 一般的態度の相異 によると理解している。 チェンバレンが引用している最後の結論の部分を確 認しておこう。「ここで,. 国民的特徴のこのような相違が,. 必ずしも国民特. 有の遺伝子の相違の結果ではない, あるいはおそらくそうではないだろうと いうことは, 注目に値するであろう。 提示される種々の条件からそれが派生 するという方がもっと確かであり, この国では19世紀の中心的条件は. ふく れあがる人口をかかえた大きな発展途上国の要求を満たすために, 大規模生 —. 産が必要だということであった」注. 6) という。. これら英米二国の「鉄鋼文化からの逸話」から明らかなように, 科学的な 発見や技術上の進歩などに寄与した偶然, それらに意味をもたせた社会的, 経済的関係, またそれらを利用した創造的精神, さらには目的への国民的価 値観, そうした諸要因の相互作用が, 一国を世界の舞台で活躍させる動力と なっている。. 3). 国際的機会と変化. すでにみたように国際的環境という外的条件のなかで, しかもその条件内 注-6) N. W. チェンバレン, 前掲訳書, 240頁。. -106 (106)-.
(7) 容はほぼ似通ったなかでも, アメリカとイギリスは環境への対応の機会を相 異した見方でとらえ, 「違った道」を歩んでいる。 それはそれぞれの国々の 相異した価値観というか「価値セット」によるものであり, その価値セット は, 「社会が必然的にその人々に与えるさまざまの文化的条件づけ」注 7) であ るという。 開発の機会を認識するには, その出来事が偶発的であろうとなかろうと. また技術的であろうとなかろうと, その国民ないし人々の価値観あるいは文 化的条件が重要であり中心であることは肝心である。 それらのなかには「科 学や技術にたいする態度」も勿論あるが, 「政治的または宗教的な理念」も ふくまれている。「想像豊かなあるいは野心的な精神」がはぐくまれ やすい 風土とそうでない状態とでは, 世界の舞台での変化への機会を評価するのに 対照的となろう。 たとえば中央集権的な国家と相対的ではあるがそうでない 国家, より具体的にはソビエト連邦国とアメリカ合衆国とでは, 機会の認識 と評価が対照的に相異しよう。 もっともアメリカが多様性があるからといっ て, 機会の認識のより可能性があるというのではない。 それぞれの国々で機 会にたいする認識が相異した構成をもつということである。 すなわちチェン バレンの表現によれば,「単一の集中した目的を 強調する社会は, はるかに 多様の広範な目的を社会システムの内部に包含するような価値セットをもつ 社会で利用されているふるいとは違ったふるいに, 認識したものをかける」 注— 8). ということである。. だが注意されなければならないことは, 機会の認識の相異が, 「変化の敵 対的な性格」を生み出すということである。 これまでみてきたところから, それが偶然であれある機会は, 社会的, 経済的諸関係や創造的精神. さらに 目的性や価値観などの相互作用によって,. 一. 国あるいは複数の国々の「現実. の新しい見方」または「将来の新しい構想」と成るわけである。 この新しい 注—7) N. W. チェンバレン, 前掲訳害, 241頁。 注ー8) N. W. チェンパレン, 前掲訳書, 242頁。. -107 (107)-.
(8) 梢想を生じさせた変化を, その国々はまさに「日己の利益に査するような方 法」で累積させようと努力する。 ところがその努力の過程が, 同時に他の国 々の価値セットを圧迫したり勁揺させたり, 他の国々の状態を以前より相対 的に恋化させたりするようであれば, 変化の様会を認識し, 開発• 利用する ことは放対行為と みなされるようになる。 チェンパレンの言葉を借りれば 「変化していく国際的関係から見れば,. 弥国がその価値を追求することは,. しばしば開発• 利用の舞台となった諸国民の価値と直接衝突することを意味 している」ということになる。 また直接的な価値の衝突や対決でないとしても, ある国が新機会と認める 変化を開発• 利用することが, 相手の国々の敵蹂を呼び起こすことはありえ る。 たとえば市場として, 供給源として, あるいは政治的同盟国として, 相 手の国々を開発• 利用することは, 少なくとも開発する側の国の社会の価値 が, 開発される側の国のそれを岸擦するであろうし, 相対的な地位や貧困な どに気付いて不満も惹起されるであろう。「このように,. 国際的前線におけ. る変化の開発• 利用は, 変化がどんな源泉から生じようとも, 少なくともい くつかの国々によれば, 自らの価値や地位を破壊する行為とみなされがちで ー ある」注 9)といえよう。. ここに国際不安の不可避性も潜在しており, 企業間の競争と 同様に, 国家 間の相対的な地位を長期にわたって維持することの困烈さが伏在している。 なぜなら国際的関係における変化があるのは確実であり, また国々が個別に 変化を機会として認識し開発, 利用する方向は不確かだからである。 もっと もある国がその機会を開発, 利用するといっても, その国民のなかで目的と 利益が一致するという意味ではないし, かならずしも合意があるというわけ ではない。 むしろ迫求される価値について, 活動の進路について, 分裂があ り内部の葛藤があるかもしれない。 そして通常にはある囚の活動とされる事 柄が,. 個人または集団の行動として生まれ,. 注—9) N. W. チェンバレン, 前掲訳密,243頁。. -108 (108)-. その国の社会的な価値セット.
(9) が, その機会の認識および行動に寛大であったり, 激励するという場合 も あ る であろう。 そ こ にまた国家全体と国民個 々の価値セ ッ ト と行動ペタ ー ンの ギ ャ ッ プが, 国際間の 摩擦を 誘発する要因として 内在しているといいえよ. っ。. 4). 国際的制 約 と 組織. 国際的環境への対応において, それぞれの国々は 企業が環境のなかにあっ てそうであったように, 種々な制約的な条件をふまえ, 組 織的な行動をお こ なう。 そ こ で 企業の 組 織ないしそれを構成する 組 織的な役割を分担している 数多 く の個 人 と の対比において理解してみよ う 。 まず 企業自体においては, 各人が自分自身の「地位一 個性ー交渉の結合構造」を も っている こ とは理解 している 注10) 。 それは 企業全体の 組織内において, 個 人がその特殊な目的や それを どう追求するかを決定する, いわば 「個人的戦略 セ ッ ト 」 を考察した ときの理解である。 それは 企業の 組 織で, 一部分は相違し一部分は合致した 役割や目標を も つ個人間の競合が, 企業の活動進路を選択する代替案の範囲 を規定し, そしてそれらの代替案のなかからどの活動進路が選択されるか, また 組 織内で どんな個人が昇進するかを決定するのは, その 「 企業自体の戦 略セッ ト 」 である, という こ とである。 しか も「 企業の戦略 セッ ト は変化を 免れえないが, それは持続する傾向がある。 個人と 企業とは互いに制約し, また制約されている」 注11) と も いう。 こ の こ とは社会に も 適用しえる考察という。 ある社会はみずからの価値セ ットを発達させ, それがその 企業の活動を制約する, というのである。 企業 がそれぞれ一般的な目的とともにみずからの特殊の目的を達成するために活 動しており, その努力に自 由裁量を利用する こ とは, すでにみたと こ ろであ 注ー10) 拙稿 「経営意思決定の考察」 商経学叢 No. 61. 注ー11) N. W. チ ェ ンバ レン, 前掲訳書, 245頁。. -109 ( 109 ) -.
(10) る。 しかし企業の自由裁量による戦略の展開は. その企業が存在する社会に よ っ て, も っ と厳密には そ の社会自体がもつ価値と その価値を実現するため に制限あるいは制約されている。 と同時にその社会での企業は,自 己の活動 によ っ て社会の価値セットを形成するのを手伝い. ま た時間をかけて社会の 価値セットそのものを新しい方向へ向けさせる努力もする。 だが社会の価値 セットは企業の戦略セットがそうであ っ たように, ゆ っ く りとしか変化しな い傾向にある。 したが っ て企業と社会は相互に制約したり制約されたりする こ と になる。 こうした企業と個人,社会と企業の関係は. 国際的な世界の舞台でも適用 しえるものである。 それ は国際的な世界で各国がみずからの価値にもとずい て戦略的にその目的を追求していると考えられるからである。 チ ェンバレン も「その場合, その価値セットと戦略セ ッ トは. 手段と目的が融合して一 体 化する特徴があるという点で, 実質的に同一視することができる」 という。 ま た「世界は, 機会が生じ, 認められるや. 各国がこれらの機会をとらえる 闘技場となる」 ともい っ ている。 ただ各国の価値セットはそれぞれ相異して いるので, 各国の機会の認識も相異しており,そのため機会を追求するにあ た っ て他の国々へ 違 っ た影響をおよぽすことになる。 それは国内 において企 業間競争があ り ,企業内で個人間の競争があるように, 国際的にも諸国間の 競争が あ る 。 こうした国際間の競争のなかで. それぞれの国々を支援するよ うな国際的な価値セ ッ トから, 個々の国々にたいして制約するような国際的 な価値セ ッ トもできてくるであろう. というのである。 自由裁量を行使するにあた っ て, どう制約されるかは . 二 つの事柄に依存 しているという。. 一. つは競争相手にたいする相対的な交渉力,それは個人対. 個人,企業対企業. 国家対国家でもいえることである。 もう一 つは階層的統 制によ っ て支配されるという地位. たとえば企業のなかの個人. 国家のなか の企業のように,より大きな組織化された シ ス テ ム 内での下位部門の地位に よ っ てである。. -110 C 110 ) -.
(11) したが っ てあるシステムが 組織化されていなければ, それだけその目的は 求心的でなく焦点は漠然とし, その下位部門はそれだけ制約的な影響力に服 従しなくなり, 下位部門の自由裁量にたいするなんらかの制約があるとすれ ば, 下位部門間のみずからの相互作用によ っ て形成されるものである。 国際 的にみるとまだ効果的な 組織がないために, 国々への制約は相互の 「相対的 交渉力の関数」となる傾向にあるという。 それはたとえば資源や軍備な ど相 互に相異した目的をも っ て相手を開発, 利用しよ うとする場合, 適用される 制約の)レ ー )レであろう。 そのよ うな国際関係を交渉取引する過程において, 各国は自国の価値や目 的に相反する開発 • 利用の機会を他国との関係で締 め出そうとし, 自国の価 値や目的を促進させるよ うな他国との関係を増そうと努める, という。 日 本 の鎖国と開国はその好例であり, 保護関税, 輸入割当 それに外資制限な ど, また対照的には外資免税, 優遇借地権, 利益送金権あるいは治外法権な ど, 近代的な工夫といえよ う。 こうした国際的な制約は, 各国の価値セット, 戦 略セットを助長する競争場裡において形成されるわけであるが, かならず し も「相対的交渉力の関数」 の)レ ー ルだけでは国際的という全体のシステ ム と し て有効でない場合も多々ある。 第一次およ び第二次世界大戦にお よ ぶ国際 的環境の経過をみれば明瞭であろう。 、. そこにもう一つの「階層的地位」のル ー ルによ っ て, 国際的な 組織化がは. かられることになる。 も っ とも国際的に多国間 組織が形成され, 各国がその 従属構成員にな っ たとしても,「相対的交渉力の関数」 に よる各国間の制約 の作用は続行する。 それは一国内あるいは 企業内での「地位一個性ー交渉の 結合構造」のシステムと 同様の作用であるといえよ う。 しかし国際的に集権 化された多国間 組緞を形成することが, 新たな何ものかを生み出すことも確 かである。 チェンバレンの表現に よ れば, 「すなわち, それは政治的システ ムに階層的形悠を与え, 構成分子である諸国は, その中である割り当 てられ た役割を遂行し, またそれと離れた自身の目的を追求するにあた っ て, それ -111 ( 11 1 ) -.
(12) によ っ て制約される」 注12) という。 こうした事例は通常, 地域的な性質をもつ公式的組織に数多い。 チ ェ ン パ レ ンも, アメリカ 自 身を連邦 システ ム として一つの例にとりあげており, 連 邦政府と諸州の利害は調整され協調もするが, 制約の有効でない場合もあり える, 南北戦争がその好例であるという。 歴史的にさかのぼれば, 国家その ものが「歴史上の国家的人物とな っ た強力な指導者」 による独立のい く つか の種族の統一でできあが っ たものである。 現代での好例は, E E C つまり欧州 共同市場の形成である。 米ソニ大強国 の経済的支配を抑制するための組織として, また ヨ. ー. ロ ッ パ諸国の市場の開. 発, 利用の利益を確保する組織と して意図されたものである。 この シス テ ム は 各国の 自 発的な権限の委譲のうち に階 層的権限を構成し, 諸国の目的の達 成 に 助力となるとともに抑制もし制約もする。 たが共同体に共通した目的の 実在が, 構成する国々の 相異する目 的の 共存を 許容しないわ けではない。 E E C の形成以来の歴史がそれを証明しているところである。 \ ただつぎのような傾向が あることは事実である。 「新しい地域的組織は. しだいに そ の構成要素の目的の い く つかをそれ 自 身の目的で置きかえる。」 し かも 「最初はただ黙認によ っ てだ け , おのおのにと っ て利益が不利益より 大きい範囲でだ けそうすることができる。 しかし時がたつにつれて, そのよ うな中央シス テ ム は 自 らの力を獲得する傾向があり, その力によ っ て (すべ ての関係者の合意を必要とする目的とは対照的に)組織がつ く り出す目的を 主張できるようになる。 」 注. —. 13) それは制裁権を中央が行使して下位部分の. 自由. 裁量の行使を制約したり, 自 由裁量の前提や範囲を制限したりするようにな る。 なぜなら一つの システ ム がつ く られると, 時間とともに組織としての同 一性ができるのであり, この「組織同一性」 は サ プ. ・. システ ムであ る 構成諸. 国の意見の相違を抑制するに十分なだ け , それぞれ部分各国の目的を満足さ 注—12) N. W. チ ェ ンバ レン, 前掲訳書, 248頁o 注ー13) N. W. チ ェ ンバ レン, 前掲訳書, 250頁o. -112 (112 ) -.
(13) せることができれば, 維持することが可能である, という。 それは 内 部交渉 過程である 「地位一個 性ー交渉の結合構造」 での力学が, つ ねにこの要件を 漉足させるように作動しているから可能といえる。 このような シ ス テ ムの 「 組 織的同一性」を形成する過程の重要な側面こそ が, いわゆる「価値 セ ッ ト 」 とよばれるものの 徐 々 で は あるが着実な発達で なければならない。 「国民一 国家の地域的連合」 でもそうであり, アメ リカ 合衆国での価値 セ ッ ト の形成もそうであったし, やがて ヨ ー ロ ッパ経済共同 体の価値 セ ッ ト も同様に発達してくるであろう。 いずれにしても国際的環境 のなかでの多国間の制約や 組 織も, その基盤には「 組 織的 同一性」 を形成す る国際的な価値セットが中核になければならないことを理解しえたといえよ. つ。 5). 国 際 的 価 値 セ ッ ト と 将来. 国際的に地域的プ ロ ッ ク が発達する場合, 国家として 組 織的 同一 性を発達 させるのと同様に, 外部環境との関係に対応する。 それは機会の開発, 利用 に不利な関係は抑制し, もっぱら有利な関係を促進しようと努力しつ づける ことである。 これは世界史のあらゆる場面で見出されるところであり, 報復 の 可能性はあるがこれまではあまり抑制もなく続けられてきたところでもあ る。 とくに軍事力による自国の利益の追求 は, 他国の征服と領土の分割な ど で, 機会の開発, 利用の目的のために地図を万華鏡のように変化さしている といえる。 しかし長年のあいだに, 機会の開発, 利用のために軍事力を行使すること への国際的な制約があらわれ, 全部といえないまでも多数の国々やプ ロ ッ ク では, 軍事力への制約が 認識されるようになってきたと いえよう。 それは 「騎士道」 そして「啓蒙運動」 から はじまって, やがて戦争行為を統括する 「 ジ ュ ネ ー プ協定」 にまで最近は展開してきている。 まさに最近の国際的制. -113 C 113)-.
(14) 約の事例であるが,さらに重要なのは国際的紛争を武力の行使にはかる以前 に法廷に訴求しよ う と期待してで き た国際連合の発展であろ う 。 国際連合そ のもの は ま だ, 自 律的な国々の 自 由裁量を制 限するに十分なだけの存在には な っ ていないが, 末発達ではあるが求心的で共通の要件を中核に,あらゆる 国々を包含 し それらの活動の独立性を制約するであろう一つの システ ム を公 式に表現 し よ う とする努力とその役割は大 き い。 い う なら国際連合としての 価値セ ッ トを中核 にした組織的同一性の形成の過程であると いえよ う 。 こう し た努力はなにも国際連合だけにかぎらず,国際的な労働条件の諸協定を設 定しよ う と し ている国際労働機関も同様な役割を遂行しつつあるものといえ る。 チェンバレンもい う ように 「こうい っ たすべての努力を通じて, 階 層的な 権 限――この場合, 自 己の利益を満たそ う とする個々の国の野心に対 する制 限として働くであろ う 世界的権限—ーによ っ て, 共通の目的を達成しよ う と いう意図が流れている」注14) といえる。 ここで階層的権限といい, 個別的権 限をこえた世界的権限 は , 個別の代理機関でない組織を形成する。 その組織 体は, 次第にそれ 自 身の価値セ ッ トをもつようになり, 国際的組織と し て 個 別の国々を相互に制約 し あ う よ う になり,政治的, 経済的社会の階 層構造を 世界的規模においてより完成させるよ う になる。 '· その過程では, あ る国家内 における企業, ま た企業内における個人の立場 が そ う で あ っ たよ う に,国際間における国々の 自 由裁量の範囲や活動に影響 をあたえ る 。 それ はみずからの価値セットに適応しない機会を制約しつつ, 開発,利用の新機会も開放し,その国際的組織に参加する国々により大 き な 役割を得られ るよ う 機能する。 しかも統合化されたこの国際的組織は,国際 的に包括化 された価値セ ッ トを もち ながらも, 最終的にはそれぞれの地位一 個性ー交渉 の 結合構造をもつ 個人にま でさかのぽり,それを媒介 する中間的 な場と して企業の経済的, 政治的, 社会的活動が重要となるのである。 こう . 注—14) N. W. チ ェ ンバレン,前掲訳書, 253頁o. -114 ( 114 ) -.
(15) した ト ー タ ル. ・. シ ス テ ム のなかで, 国々および企業など サ プ. ・. シス テ ム と し. ての 構成分子は相互に影署しあい,部分的には相異し, あるいは合致した り 制約しあって活動するのであるが, あ く まで中核とい う か基本となる ジステ ム は た とえ それが政治的, 経済的社会のなかでの 階層的構造にあっても, 「地位一個性ー交渉の結合構造をもつ個人」 であるとい う ことが 大事な真実 であるといえよ う 。 これまでの考察から将来への推測ないし展望を試みてみたい。 これは現在 の国際連合を検討することによ って可能である。 いま国際連合は. 世界的な 国際組織であることも事実であるが. 参加している国々の代理機能以上の, 独自の階層的権限をもち自身の価値 セ ッ ト を確立しているか ど う かについて は論議があろ う 。 だがやがて国際連合も時とともに独立の存在としての身 分 を獲得するにいたるであろ う ことは推測できる。 その可能性はと く に核兵器 拡散を抑制する必要性に見 出 される。 破壊のための原子力の利用は,国際間 の勢力囮だけでな く 人類そのものの将来にたいして, まさに重大な侵入的事 象をなすものであるからである。 こ う した核兵器を国際的に統制しよ う とす る共通の願いが各国に芽生え,そのための組織そして権限が必要となってき ている。 その組織は参加の自由がある代理機関としてではな く ,独自のしか も独立の権限をもつ国際的な存在でなければならない。 しかもその組織はや がてみずからの価値 セ ッ ト をはじめ身分を成熟させ, ただ軍事的活動の抑制 だけでな く . より広範な戦略的な目的を内包するよ う自身を強 化してい く 。 国際連合の歴史的な動向は事実としてその方向を裏付けており, と く に発展 途上国はその発展のために多数の利点を活用して国際的な組織活動を支援し ているし. 軍事的だけでな く 経済的, 政治的な大国も核兵器拡散の抑制をは じめとした活動に一 国の制裁力だけでは不十分なため国際的組織に参加し支 援せ ざるをえなくなってきている。 国際連合の活動が. すでに発展途上国の 要望を満足させつつあるし. 先進大国もそれを容認するだけでな く 推進しつ つあることは,種々の大規模な技術的援助計画を想起することによって理解. -115 ( 11 5 ) -.
(16) しえるし, そこに国連的 な価値 セ ッ ト の形成と諸国間のそれへの合意の生成 を見出すのである。 その結果として国際連合は, いままで各国が開発 • 利用していた機会をさ ら に 拡充したであ ろ うし, これまで開発 • 利用の範囲外であった新機会を各 国 に開拓してきている。 もっともそれらの新機会が実現されるか どうかは, むしろ 発展 途上国 な ど みずからの 「企業者的性向を もつ 感受性の 鋭い精 —. 神」注. 15) に. よ る現実的な活動, つまり各国の 個 性ある自由裁量に関係してい. る。 こうした発展の傾向は, 変化のなかに敵 対的な立場もつくりだすであろ うが, やはりこれまでとは国際的な舞台 に お ける機会の均衡は変化している といえよ う。 さてこれまでの考察は 将来にたいする推測 ないし展望として, そのまま実 現するか どうかはともかく, 方向づけの素材にはなりえる。 それらの中核 に なる事柄は. 国際的な侵入的事象であり, それに ともなう開発, 利用の新機 会 に たいする変化の認識であり, そこに うまれる相対的な 有利性の変化への 敵対的な立場の容認である。 またそうした事柄をふまえて, 国際的な活動の 代替案を選択, 決定する前提としての価値 セ ッ ト の有効さである。 これらは 企業活動と直接的な関係が ないよ う に おもえもするが, チェ ンバレンが指摘 するよ う に 将来の企業活動, とく に 国際化する経営環境に即応する企業 に と っては重要な事柄であり, 発展 の方向であるといいえよ う。 チェンバレンは こういう「しかし, さらに 深く考えれば, 企業 に特権を与える政府と同様, 企業が探る機会はこの国際的環境に よ って 一部分構成されるであろ うし, ま た企業のイ ニ シアテ ィ プも同様 に よ り大きな環境へのその適合性に よ って制 —. 約されるであろ うということ に . 気づくだ ろ う」注. 6). 国際的環境と企業. 注—15) N. W. チ ェ ンバレン, 前掲訳害, 258頁。 注—16) N. W. チェ ンバレン, 前掲訳書, 259頁。 -116 (116 )-. 16) と。.
(17) 今 日 の 企業活 動に国際的環境が重大な影響をあたえ つ つ あるのはい う まで も ない。 ただいかに重大な 影響を あ た えるのかについての 理解にかん して は, 種々の見解や接近がある。 われわれがこれまで考察して き た国際的環境 をめ ぐっての理解は, チ ェ ンバ レ ンの見解を忠実にふまえた も のである。 企 業活勁にかんする国際的環境の理解を, チ ェ ンバレンの接近方法を も っ てさ らに深め確かめてお き たい。 そのために松下電器の事例によって, いかに国 際的環境のなかに 企業が 活動を 展開しよ う としつ つあるかを 索描していこ. っ。 松下電器が個別の 企業として, 海外ないし国際的な環境を活動の場に も と めたのは, 歴史的にかなり以前 からである。 すくなくと も 組緞的に 企業内に 海 外活 動が記 録されたのは. 昭 和 7 年 ( 1 932年)貿 易 部の設置である。 この 組織は昭和10年に, 松下電器貿易株式会社として独立. 改 組されて, 今日ま でおよんでいる。 この 事実をみて も . 松下電器が早くから海外へ. あるいは 国際的な環境への対応を意図 していたことが理解される。 また昭 和10年を前 後して, 奉天や台湾さらに天津な どに販売 部門の拠点づくりをは じ め, やが て昭和14年には当 時の分社制で傘下にあった松下乾電池株式会社の上海工場 が開設されている。 だが経営の環楼は, すでに国際間の摩擦が高 まり, 第二 次世界大戦に突入する前 夜の状況である。 むしろ異常な環境とい え, 国 内 的 な蝶境としては個別の 企業の 自 由 裁監の余地は少なくなり, 軍事活動への順 応が強 制され, 中 国大陸を 中 心にした ア ジ ア ヘの海外進 出はそ う した内的圧 力による も のとい え, また国 際 的な環境として も , すでに 日 独伊三国の国際 連盟脱退と三 国 同盟締結な ど世界的な亀裂のなかに国際的な価値 セ ッ ト も 崩 壊しつ つあり, それだけに 日 本企業の ア ジ ア 各国への進 出 ないし侵略に外的 圧力は稀薄で, むしろ歯止めでなく拍車さえかかっている状況である。 だが世界としての国際的な価値 セ ッ ト も なく, また企業としての個 別的な 自 由 裁 鍼 も ない状況での各国家間での敵対的な関 係は, やがて経済的. 政治 的な立場をこえて, 世界的な規模での戦争, つ まり第二次世界大戦を誘発す -117 ( 1 17 ) -.
(18) る。 この出来事を歴 史的に準備された必然とみるか. まさに 「侵入的事象」 とみるかは議論のあるところであろうが, いずれに し てもそれ以後の経済的 だ けでなく政治的, 社会的な画期的大変化をもたら した, そういう意味での 侵入的事象で あ っ たこ とには 相異あるまい。 この一連の 歴 史の流れと断続 に, 戦前での歴史の教訓をえるとともに, チェンバレンの所論の確かさを学 びもする。 松下電器と し ても, 戦前のこの事例は. のちに松下幸之助もある機会に述 懐 し ているごと く 「 企業と し ての分限」をこえた国内外の環境に適応 したた め の 失敗ともいえ, また 企業が国家という シ ス テ ムの一構成要素にすぎない 立場. いわゆる開発. 利用の機会がその国家の価値セッ ト との関係で制約さ れるという立場からすれば, 致仕方ない当 然の結果ともいえようか。 それからの歴史的な展開はすでに現代そのものであるから詳細にする必要 はないが, 敗戦とともに国家的にも 企業的にも悲惨そのものであり, また国 際的にも秩序がも どるにはかなりの時間を必要と したのは, 戦後の復興. 再 建の 過程をみれば敗戦国だけでなく戦勝国においても同様であ っ た。 む しろ それ以後の発展. 成長の過程をみると 日 独伊それぞれの敗戦国の展開に, 学 ぶべ き 歴 史の 教訓 が見出せるようである。 日 本が敗戦の廃虚から復興するのには, 国家と し ての価値セッ ト を苦悩 し ながら模索 し , これまでの富国強兵策を, つまり軍事大国志向を, いうなら 富国富民策, 経済大国志向へ転 換 し てい っ た。 それは 当 初. 国民が喰うため であり, 生存のための保護策, そ して貿 易策がとられ, やがて時とともに政 策的にも成熟化 し , 朝鮮動乱という国際的環境での侵入的事象が, その国家 的価値セッ ト を現実的に定着化させる契機とな っ たといえよう。 松下電器が家庭電化という平和産業そ し て民需 企業の原点を再確認 しえた のも, 国内的環境の変化によるものであり, それ以後の 企業成長も国家的価 値セッ ト に コ ミ ッ ト するものであ っ たからといえよう し , それを現実化 しえ たのは侵入的事象による国際的環境の変化によるものであ っ たといえよう。. -118 ( 118 ) -.
(19) このように終戦直後の復興期というか混乱期においてさ え, 松下電器という 企業活動にとって国内外の経営環境ととくに国家的価値セ ットの制約および 国際的侵入事象の影響の重大さを歴史的に学ぶことが可能である。 そこにも チェ ンパレンの接近の援用を想起しえるのである。 しかし国際的環境にたいする 企業の考察としては, 企業が環境的に異常な 状況での対応としてでなく, それ自体として十分な成長をえて経営の環境へ も自由裁量を発揮しえる状態を検討しなければならない。 その環境的に正常 な状況とは, 国内的にはいわゆる高度成長期であり, 国際的には第一次のオ イル 第. ・. シ ョ ッ ク までの時期, つまり昭 和40年代までの状況が, いわば戦後の. 期といえよう。 それにつづく戦後第二期とよべるのは, 国際的に第 一次. 一. そして第二次のオ イ ル. ・. シ ョ ッ ク の波及効果が収靱されながら, 国内的にも. マ イ ナ ス ないしゼ ロ 成長の過渡期をこえて安定成長期に軟着陸するのにおよ そ成功 し えたといえる時期以降, つまり昭和48年の第一次オ イ ル を国際的侵入事象としてそれ以後, ひきつづく第二次オ イ ル. ・. ・. シ ョ ック. シ ョ ッ ク を吸. 収するまでの数年間の過渡期のあと, 昭 和5 3-54年頃からの現在そして 将来 にかけての時期のことである。 まず戦後第一期といえる高度成長期に, 松下電器の 企業行動は国際的環境 に対応して どうであったかについてみよう。 いうまでもなく世界の各国は国 際的な平和と秩序の回復をもとめ, 終戦翌年の昭和21年にはす ぐ パリ平和会 議を開催しているのをはじめ戦前の国際連盟を改 組 して国際連合に強化し, 経済的には経済協力開発機構 (OECD) を成立させたり国際通貨基金 (IMF) を開設したり, 一連の国際的な 組織の形成のなかに平和的な秩序とそれを運 営する価値的セ ットを生成していく。 こうした国際的環境のなかで, 松下電器は国家的価値セ ットの一環ともい える貿易立図, とくに保護輸 出志 向の助成によって次第に製品輸 出の比重を 高め, やがて 東南 ア ジ アを はじめ欧米各国へも販売の 拠点づくりをはじめ る。 これからの過程の詳細については, つぎの考察の機会であるチェ ンバレ. -119 ( 119 ) -.
(20) ンのいう 「国際 企業」にかんして理解することにして, 簡略 に素描をつづけ ていきたい。 それ以後は戦前の進出のプ ロ セ スとバタ ー ンがそうであったよ う に , 製造の拠点として工場の現地への進出がはじまり, それも地理的に 近 隣諸国しかも発展途上の後進国といえるア ジ アを中心 に , やがて販売で拠点 ができ経済的に可能性をもった欧米先進諸国への進出となる。 この当時に 松下電器は, 製品輸出の窓 口 として松下電器貿易をますます拡 充するととも に , 本社 に海外事業本部を 組織し, 海外現地の販売そして製造 の子会社群を統轄し, やがて国内での輸出製品生産をはじめ海外への派遣要 員養成までをふくめて, 国内向け 企業活動と区分して形式的とはいえ海外経 営局を 組織し, 国内経営局と二大別化してしまうまでに国際化志向を強化す る。 これは国内的に 電化プ ー ムをふくむ高度成長の経営環境の影響であると ともに 国際的に はようやく保護貿 易策を批判, 非難する世界的な与論に対 策するためでもある。 貿易自 由化と資本自 由化は当 時の国際的価値セ ッ ト の 一環ともいえ, 松下電器もその動向に 対応していったものといえる。 こうした経営環境の なかにあって, 個 別の 企業としての 松下電器の行動 で, 自由裁量の範囲内においてとくに個 性的であり特徴的な対応はなんであ ったろうか。 いうまでもなく国際的そして国家的な価値 セ ッ ト をふまえなが らの 企業行動であったこと に は, 戦後. 戦中のまさ に「順応同化の精神」と 「産業報国の精神」 に のっとる「分限」 をこえるまでの行動様式として 当 然 である。 さらに 企業的な個 性あるいは特徴は, 松下電器の 企業的価値 セ ッ ト あるいは 戦略 セ ッ ト に 源 流がある。 それは松下幸之助が 命知した 企業の意 義, つまり使命銭としての価値セ ッ ト , 戦 略 セ ッ ト であり, その内容や役割 ー. については. すでに かなり詳細 に考察したところである注. 17). 。. 松下電器の製品市場にたいする戦略 セ ッ ト は, あくまでも顧客志向的であ り,その意味で顧客の創造を 企業の本質とする価値セ ッ ト 行動であることは, すでに 強調しきたったところであるが, 企業行動として 戦略 セ ッ ト を 実践 注—17) 拙稿「経営理念一 目 的 と 個性ーの考察」 商経学叢 No. 62. -120 ( 120 ) -.
(21) する現実の経営 において独自性をもつといえる。 それは東南ア ジ アをはじめ 地理的, 文化的に近隣周辺の諸国だけでなく, 文化的, 社会的に遠隔地域 の中南米やアフ リカ諸国 ま た政治的, 経済的に先進諸国である欧米 において さえも, 松下電器の 企業的価値 セ ッ トにもとずい た経営実践を展開して い る こ とである。 具体的には日々の全員参加による朝夕会の実施に はじま り, 現 地語訳による 「遵奉すべき七精神」の唱和から, 事業部制 による 組織化と独 立採算 制 による経理化な ど, すでにみた松下電器での国内の経営実践を翻案 しながらも万国共通的に 援用し現地化して いって いる注18) 。 こ うした国際化 の展開は, 通常の世界的に多国籍化して い く 企業の 「現地化」 と い う実践と はかなり質的に差異をもって いるといえよう。 い うなら日本的経営 あ る い は 「和魂洋オ」の松下版として, そのま ま 企業輸出して いる感さえあ る。 しか し換言すれば, それ こ そが松下電器としての 企業の個 性で あり, 世界へ国際 的に通用する価値であり, 独自性であ るといえるかもしれない。 こ こ にむし ろ こ れ ま での松下電器の国際化なり海外進出の成功の鍵が ある。 チェンバ レ ンのいう国際的そして国家的価値 セ ッ トヘの 企業的価値 セ ッ トの相乗的適応 性であり, そのなかでの開発, 利用の新機会, すなわち市場 そ し て顧客の創 造への積極的対応力, それらはすべて 企業の個 性的価値 セ ッ ト, 松下電器で の経営理念 に源流をもつといえよう。 だが戦後第二期と いえる安定成長期における松下電器の国際的 企業行動に つ い て は どうで あろうか。 い う ま でもなく オ イ ル ・ シ ョ ッ ク を引金 に 世界の 経済社会は構造的な変化をきた し たとい われる。 ま さ に侵入的事象であ る。 そして その過渡期のなかでそれま でと相異した国際的な環境が準備され, ゃ がて国際的な価値セ ッ トも相異したなにかが用意されつつあるのではなかろ うかという こ とであ る。 もちろん歴 史的に 長期の濾過をへなければ, 現時点 的な動向を もって現在から 将 来を 考察する こ とは, あ ま りにも推測にすぎ ず, 展望でしかありえないが, あえてチェンパレンの展開にそって付言すれ 注—18) 拙稿 「管理的経営決定の考察」 商経学叢 No. 66. -121 (121 ) -.
(22) ば, つ ぎのようにいえるかもしれない。 すなわちオ イ ル. ・. シ ョ ッ ク の侵入的. 事象から国際的環境は緊張し不安と摩擦は増幅さ れ, 過渡期をへて安定成長 といわれながら国内的にはともかく世界的には, 発展途上国の後進諸国はも とより, 欧米の先進諸国もなおス タ グ フ レー シ ョ ンに, また中東の産油諸国 でも世情不安に苦悩しているなかで , 国際的価値セッ ト は動揺し, 新たな 自 由 の価値を模索しているようである。 つまりこれまでの国際的な 自 由主義を ふまえながらも, こえたところに新 自 由主義というか, むしろ新保守主義を である。 その こ とがそのまま従来の保護貿易主義に直結する歴 史の逆行には ならないが, 新たな変化をすでに内包しつつあるようである。 それは個 別の 国家的な保守そして保護の政策としてではなく, 国際的に国家間ないしは世 界的な規模においての 組織の強化であり, その 組織的権限としての新たな保 守主義が, それを構成する各国を制約しかつ傘下の 企業の行動を制 約してい く。 それは新 自 由主義の国際的環境と表現してよいかもしれない。 なぜなら 各国はまたそれぞれの 企業は, 国際的 組 織のもつ価値セットに適応するかぎ りにおいて 自 由裁量の権限を行使し行動することがで き るからである。 ただ その国際的 組織は従来のように参加 自 由な各国の代理機関 ではなく, 独 自 の 身分をもった統制とさらに強制の機能をもつ, やがて国際的な代表機関とし て成熟するであろう。 そのような国際的な環境のなかにあっての 企業活動は, 当 然に従来からの 変化を制約としてだけでなく, 統制としてさらには強制として受容しなけれ ばならなくなる。 たとえば国際的 組 織のなかにあって, 発展途上の後進諸国 は多数決原理によって, 新たな国際的価値セッ ト を強制してもこよう。 その ような場合に, 国家的価値セッ ト としての 日 本的行動バ タ ー ン, さらに 企業 的価値セットとしての松下的行動パ タ ー ンは変容されざるをえないのではな かろうか。 すなわち 日 本的経営「和魂洋オ」 型 企業としての松下電器の経営バ タ ー ン の国際的な海外進出を変化させなければならないのではなかろうか。 それで. -122 C 122 ) -.
(23) あるなら松下電器の経営的な独 自 性は衰失され, むしろ 企業的 組織の活性化 は期待しえないのではないか。 多国籍化する 企業の国際的な「現地化」 の意 味と役割が, もう一度あらためて問い直されているようである。 その解答 は かならずしも欧米型の現地化, さらに細分してアメ リ カ型と ヨ ー ロ ッパ型に 区分しても, また日本型の, なかんずく松下型の現地化そのものでなさそう である。 というのは 新たな国際的価値セッ ト の 生成あるいは変化が, 新た な「現地化」 を要望し強制すらするような 環境に なってきているからであ る。 どうも結論的提言のない, まさに チェンバレンの 「 将来への推測的展 —. 望」 注. 19) に終始したようであるが,. さらにチェンバレンの 所論をふまえて,. つぎの機会に 「国際的 企業」 の考察として, つ ぎの段階を展開していきたい とおもう。. 注-19) N. W. チェンバレ ン, 前掲訳害, 255頁o. -123 C 123 ) -.
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