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序
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環境倫理学の﹁現場﹂?
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筆者がおおよそ一九八〇年代以降の英語圏の環境倫理学の 論 争 の 基 本 的 構 図︱
自 然 / 文 化、 道 具 的 価 値 / 内 在 的 価 値、等々の二項対立図式︱
を批判的に概観し、その際に同 様の立場から特にアメリカを中心に展開されていた﹁環境プ ラグマティズム﹂の議論を紹介しつつ、そこで言われる﹁文 化としての自然﹂の一例として日本の﹁里山﹂の意義や可能 性 に つ い て 問 題 提 起 を し て か ら、 ほ ぼ 二 〇 年 が 経 つ ︵1︶ 。 こ の間、特に一九九〇年代以降の〝里山ブーム〟とも言える身 近 な 環 境 へ の 再 評 価 の 機 運 が 高 ま る 中 で ︵2︶ 、 日 本 に お け る 環境倫理学の教科書や入門書でも環境プラグマティズムへの 言 及 が 増 え る 一 方、 従 来 の 欧 米 の 理 論 の 輸 入 に 止 ま ら ず に ﹁ 里 山 モ デ ル ﹂ と も 言 う べ き 環 境 保 護 の 理 念 を 新 た な 視 点 と し て 積 極 的 に 提 唱 す る 議 論 も 生 ま れ て き た ︵3︶ 。 そ の 後、 環 境プラグマティズムの批判を受けて、あるいは里山保全の理 論と実践の展開を受けて、日本の環境倫理学は、あるいは広 く哲学や社会科学はどのような課題を引き受け、どのように 応えようとしているのだろうか。 上述の筆者の問題提起の後、環境プラグマティズムに対し て、 特 に そ の 理 論 的 な﹁ 基 礎 づ け ﹂ を 軽 視 す る 姿 勢 に 対 し て、倫理学の分野では﹁哲学の放棄だ﹂という批判が相次い だ ︵4︶ 。 ま た そ の 後、 筆 者 の﹁ 里 山 ﹂ を 顕 揚 す る 言 説 に 対 し て、それは悪しき﹁文化主義﹂である、といった批判も加え られた ︵5︶ 。 結果的に筆者の問題提起は日本において比較的マイナーな 研究分野である環境倫理学の論争状況を活発化することにな り、研究者の論文生産や大学でのポスト獲得に一定の貢献を環境プラグマティズムから考える棚田保全
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景観をめぐるコンフリクトと
﹁複合的価値﹂
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白
水
士
郎
( )1 ( )果たすことになったのだが、筆者自身は論争にはほぼまった く加わることがなかった。それは筆者の怠惰や勤務する大学 での業務等の過重な負担という外在的な理由は別として、理 論にかかわる内在的な理由によるところが大きい。環境プラ グマティズムの議論とは簡単に言えば、それまでの環境倫理 学が自然の﹁権利﹂や﹁内在的価値﹂をめぐる抽象的な理論 を自然保護の理念として確立しようと目指してきたのに対し て、 ﹁文脈主義﹂と言える個々の問題が生じる現場に即して、 考察の立ち上げと解決の提案を行おうとする立場である。そ の 提 唱 者 の 一 人 で あ る A・ ウ ェ ス ト ン が 直 面 し た よ う に ︵6︶ 、 その立場に対する抽象的な理論の立場からの批判に、抽象的 な反論を加えても不毛な空論を重ねるばかりだろう。現実と いう﹁泥沼﹂に入っていこう、というのがウェストンが唱え た ス ロ ー ガ ン で あ っ た ︵7︶ 。 と こ ろ が 筆 者 が 具 体 的 な 環 境 問 題や自然保護を語る上で依って立つべき現実は、ほとんどど こにもない。活発になる論争をよそに論者が沈黙に陥ったの は論理的な帰結であるし、そもそも環境プラグマティズムの 紹介論文を執筆した当初から覚悟していたことでもあった。 そうした中で、まず初めは授業で扱う映像教材を通して、そ してその後﹁棚田オーナー制度﹂への参加を通してかかわる ようになった現場が、琵琶湖畔の仰木︵おおぎ︶地域の棚田 であった。
一
仰木の棚田とのかかわりの経緯
里山というテーマを筆者が環境倫理学の研究・教育におい て力点を置きはじめたきっかけになったのが、写真家・今森 光彦が撮影・取材協力したNHKの番組︵ハイビジョンスペ シ ャ ル ︶﹃ 映 像 詩 里 山 人 と 自 然 が と も に 生 き る ﹄ ︵ 一 九 九 八 ︶ で あ っ た ︵8︶ 。 そ れ に 先 立 つ 同 氏 の 写 真 集﹃ 里 山 物 語 ﹄︵ 一 九 九 五 ︶ は、 木 村 伊 兵 衛 賞 を 受 賞 す る な ど 評 判 を 呼び、里山ブームのきっかけの一つとなったと今日評価され て い る 作 品 で あ る ︵9︶ 。 そ の 二 つ の 作 品 の 主 な 舞 台 に な っ て いるのが、同氏の出身地でもある滋賀県大津市の仰木と呼ば れる地域の棚田である。上記のNHKの番組では、その美し い 棚 田 を 中 心 と し た 里 山 で 長 く 続 け ら れ て き た﹁ 人 の 営 み が、いつしか自然の営みと折り重なった﹂ ︵同ナレーション︶ あり方が、例えば田んぼで産卵するナマズや、畦の柿の木に 産卵するイトトンボ、シイタケのホダ木のために定期的に伐 採されながらやがて再生する雑木林のクヌギや、そこを生息 場所とするカブトムシなどの昆虫たち、等々を通して詩情豊 かに描かれ、海外のドキュメンタリー作品を対象とした賞を−124− − − − −124124124124−−−− ( ) 受賞するなど国内外で高く評価された。筆者の環境倫理学の 講 義 で は、 ﹁ 文 化 と し て の 自 然 ﹂ の あ り 方 に 着 目 す る 上 記 の 環境プラグマティズムの主張を念頭に置きながら、同作品に 描かれたような人間と自然の共生のあり方を﹁里山﹂モデル として提示して、人間を自然に対して敵対的な存在と捉えた 上で﹁手つかずの自然﹂の保護を唱えるアメリカに特徴的な ﹁ 原 生 自 然 ﹂ モ デ ル と 対 比 さ せ、 前 者 の モ デ ル の 考 察 に 多 く の時間を割いていた︵基本的にその講義スタイルは今日も大 きくは変わっていない︶ 。 その一方で、関西の倫理学会周辺では里山の評価の高まり に連動する動きが起こっていた。龍谷大学の文系教員たちが 中心となった﹁里山学﹂のプロジェクトがそれで、その主た る目的は同大学の琵琶湖・草津キャンパス内に持ちあがった グラウンド整備計画に対して、その地の里山を教育・研究の フィールドとしながら保全を訴えることにあった。文科省の 多 額 の 補 助 金 も 獲 得 し、 大 が か り な 里 山 研 究 の セ ン タ ー と なった同プロジェクト︵正式名称﹁里山学・地域共生学オー プ ン・ リ サ ー チ・ セ ン タ ー﹂ ︶ に 筆 者 も 研 究 協 力 者 と し て 参 加する中で、同じ琵琶湖畔で棚田保全の運動が立ち上がり参 加者を募っているという情報が流れてきた。それが他ならぬ 仰木地域における棚田オーナー制度であった。
二
﹁守り人の会﹂発足と棚田オーナー制度
仰木という地域の地理を改めて説明すると、比叡山の琵琶 湖側の麓とも言えるところに所在し、車なら京都市中心部か ら琵琶湖ドライブウェイを通って約三〇分、鉄道ならJR湖 西線のおごと温泉駅から徒歩三〇分ほど山手に上がっていっ た 位 置 に あ る。 そ の な だ ら か な 傾 斜 地 に は、 圃 場︵ ほ じ ょ う︶整備がされ長方形の田んぼが整然と並んだ低地の農地と は異なり、昔ながらの曲線的な小さな区画の田んぼが段々に 積み重なっている。北側には遠く比良山系が見渡せ、眼下に はわずかばかり琵琶湖面が、そして対岸の湖東が臨める。空 気は清涼で、何よりも県の景観条例によって居住地区は棚田 地区と明確に分けられており棚田内には大きな建造物の設営 は禁じられているため、都会人が憧れるような典型的な〝の どかな田園風景〟が広がっている。 大都市圏からさほど離れていないこの地でも、中山間地の ご多分にもれずにもれず耕作放棄地が増加してきたため、そ の対策として棚田・里山保全の積極的な取り組みが行われる ようになったのは世紀の変わり目以降のことであった。まず 二〇〇四年に滋賀県の主導で荒廃田の復旧を主とする棚田ボ ランティア活動が立ち上げられ、翌二〇〇五年に県職員の提 ( )3 ( )案から、すでに日本各地で採用されていた﹁棚田オーナー制 度﹂が開始される。そしてさらに翌二〇〇六年に、その二つ の 活 動 の 運 営 主 体 と し て の﹁ 平 尾 棚 田・ 里 山 守 り 人 の 会﹂が発足することになる︵以下、 ﹁守り人の会﹂と略称︶ 。 ち な み に 平 尾 と は、 仰 木 地 域 を 構 成 す る 大 き く 四 つ の 地 区、 ﹁ 上 仰 木 ﹂、 ﹁ 辻 ヶ 下 ﹂、 ﹁ 平 尾 ﹂、 ﹁ 下 仰 木 ﹂ の 一 つ で あ り、 今 森光彦の写真集によって有名になった﹁馬蹄形の棚田﹂他の 多くの棚田を抱える地区である。今森の現在のアトリエもこ の地区内にある。 ﹁ 守 り 人 の 会 ﹂ は、 地 元 農 家︵ 発 足 当 初 は 八 名 ︶ と、 琵 琶 湖畔のいわゆるニュータウン在住者などの都市住民二〇名余 りで構成されている。会がおおよそ月に一回行っているボラ ンティア活動の中身は、上述の荒廃田の復旧以外に、周辺の 竹林の間伐などの里山整備や、後で触れる獣害柵の設置など である。棚田オーナー制度の方は、一区間三万五千円で都市 住民を募り、田植え・草刈り・稲刈り・脱穀の作業を体験し てもらい、最終的に収穫した米約四〇キログラムを受け取っ てもらう、というのがその概要である。制度を始めてから参 加者に増減はあるが、十五年経った現在、会員の農家が提供 する約四〇区画はすべて埋まっており、活動としては安定し て い る と 言 え る。 他 に も 同 会 で は、 特 に 子 ど も 連 れ の 棚 田 オーナーを対象として、田んぼの生き物観察会や星空観察会 などのイベントも継続して行っている。また近年流行のトレ イルランやヒルクライムといったアウトドア・イベントが仰 木地域を会場の一部として行われるようになったため、その 運営協力も行っている。 筆者は、上述の経緯で同地での棚田オーナー制度に発足当 初の二〇〇五年からほぼ毎年参加し、希望するゼミ生等を引 率して米作り作業を体験している。またこの十年ほどは誘わ れて会員となり、そこでの交流を通じて会の運営の実情を近 しく見聞きするようになった︵ただし遠隔地在住であること もあり、ボランティア活動やイベント等の運営実務にはほと んど参加していない︶ 。 こうして筆者も、いわば現場と呼びうるものを持つように なって十数年が経過した訳だが、環境倫理学の立場から、あ るいは広く里山・棚田保全の問題に関して、果たして何か学 んだこと、伝えるに値することができただろうか?
三
棚田保全が抱える基礎的問題
仰木地域で耕作放棄地が増えている原因に関しては、広く 日本の農業一般、そして中山間地が直面している問題と同根−122− − − − −122122122122−−−− ( ) であるものが多い。従来から言われている問題点の再確認で あるにせよ、しかし現場からの声が重要であることには変わ りはない。以下、守り人の会の地元農家として、当初から同 会の中心的な存在であった西村義一さん︵ 83︶の話から、棚 田 の 維 持 を 困 難 に さ せ て い る 原 因 を 確 認 し て お こ う。 ︵ ち な みに西村さんは、今森光彦が仰木に活動場所を据える際に何 かと相談役になった一人であり、最近放映された今森が主役 の N H K ︱ B S の シ リ ー ズ 番 組﹃ オ ー レ リ ア ン の 庭 ﹄ ︵ 二 〇 一 六 年 ︱︶ で は﹁ こ の あ た り の 里 山 を よ く 知 る 生 き 字 引のような存在﹂ 、﹁今森さんの頼れる先生﹂として紹介され ている。 ︶ まず当然のように、農家が昨今は米作りだけでは食べてい けないことが強調される。棚田での米作りは平地でのそれに 比して﹁三倍から五倍﹂の労力がかかる、その一方で米の販 売価格は、特に自由化の進んだ現在は低く押さえられ、労力 に見合う価格では売りに出せない。平尾地区では中山間地農 業に対する補助金として現在は一反︵約一〇アール︶当たり 一 万 二 千 円 ほ ど を 受 け 取 っ て い る が、 そ れ も﹁ 油 代 ﹂︵ ト ラ クターや草刈機等の燃料代︶程度にしかならない。棚田オー ナ ー 制 度 に よ る 収 入 は 一 定 の 助 け に は な っ て い る と は い え、 結 局 割 に 合 わ な い 棚 田 で の 米 作 り を 今 も 続 け て い る の は、 ︵ 自 分 を は じ め と し た ︶ 戦 後 の 食 糧 難 を 知 る 八 十 歳 以 上 の 高 齢者ばかりであり、それも年々棚田維持のための労力に無理 が出てきて、結果として耕作放棄地が増えて来てしまってい る、と西村さんは語る。 相続をめぐる問題も西村さんは指摘する。かつては長子が 主として農家の後継ぎとなって農地を受け継いできたが、今 日では相続をめぐる法制度の改正と権利意識の高まりによっ て子供の平等な財産分与が行われるようになったため、特に 遠隔地の子供が相続することになった土地は放棄されがちに な る。 農 家 で は﹁ ︵ 家 督 を 相 続 す る ︶ 長 男 は 不 幸 ﹂ と い う 面 もあったが、地域全体として農地を維持するにはその慣習は 大 い に 助 け に な っ て い た。 現 在 は 西 村 さ ん の 言 葉 に よ れ ば、 ﹁ 棚 田 農 家 の 三 分 の 一 ﹂ は 相 続 の 問 題 で 農 地 の 維 持 に 困 っ て いる、という。 解決策として西村さんが指摘するのは、農地の取引をめぐ る法制度やその運用の改正である。現状では仰木地域の農地 西村義一さん (筆者撮影) ( )5 ( )
は最低五反︵約五〇アール︶以上でなければ売買ができない ことになっているが、しかしその規模の農地でいきなり新規 に就農しようという個人はなかなか現れない。せめて一反ぐ ら い の 単 位 で 売 買 が 可 能 に な れ ば 特 に 若 い 人 た ち が 農 業 に 入 っ て き や す く な る と 思 う が、 運 用 の 主 体 で あ る 自 治 体 ︵市︶の動きが鈍い、と西村さんは嘆く。 以上の今日の稲作をめぐる指摘は、繰り返せば必ずしも目 新しい問題ではないかもしれないし、また特に倫理学者が提 起すべき論点でもないかもしれない。では環境倫理学、ある いは隣接分野である環境社会学の領域で、筆者は現場での学 びから何を提起できるだろうか?
四
景観をめぐるコンフリクト
農 業 の 多 面 的 機 能、 と い う 言 葉 が 政 府 レ ベ ル か ら 研 究 者、 保全活動主体に至るまでしばしば使われるようになった。農 業 を 単 な る 商 業 的・ 経 済 的 観 点 か ら の み 捉 え る の で は な く、 災 害 や 有 事 の 際 に も 食 糧 を 安 定 的 に 供 給 で き る﹁ 食 糧 安 保 ﹂ の機能、水害を予防し国土を保全する﹁保水﹂や﹁土壌侵食 防 止 ﹂ の 機 能、 ﹁ 生 物 多 様 性 の 維 持 ﹂ の 機 能、 さ ら に は 都 市 住民にとって﹁レクリエーション﹂を与えてくれ、子どもの ﹁ 教 育 ﹂ の 場 と な る 機 能、 そ し て 農 の 営 み に 関 わ る 伝 統 的 な 慣習・風習・文物の﹁文化的価値﹂の機能、おおよそ以上の ような多様な観点から農業の維持を考えるべきだ、という発 想がその元にある。 棚田保全についても同様の観点からその重要性が論じられ るのだが、棚田で特に重要視されるのは﹁景観﹂の価値であ る ︵ 10︶ 。 一 九 九 九 年 に 農 林 水 産 省 か ら 発 表 さ れ た﹁ 日 本 の 棚 田 百 選 ﹂ で は、 そ の 推 薦 理 由 と し て﹁ 国 土 保 全 ﹂、 ﹁ 景 観 ﹂、 ﹁ 生 態 系 保 全 ﹂、 ﹁ 伝 統 文 化 維 持 保 全 ﹂ の 四 つ の 項 目 が 設 定 さ れ て い る の だ が、 全 体 の 約 八 割 五 分 が﹁ 景 観 ﹂ を 挙 げ て い る ︵ 11︶ 。 棚 田 と 言 え ば 多 く の 人 が、 例 え ば 石 川 県・ 能 登 白 米 の﹁千枚田﹂の景観などを思い浮かべて、その〝美しさ〟に ついて語るだろう。特に都市住民にとっては、棚田はたとえ その維持に多大な労力とコストがかかり、食糧生産の観点か らの重要性はますます色あせてきているとしても、永く受け 継がれてきたその美観ゆえに守らねばならない対象として強 く意識されているだろう。 仰木地域の棚田は、後述する理由により﹁棚田百選﹂には 選ばれていないのだが、当然ながら今森の一連の写真集・映 像作品が話題を呼んだように、景観の美しさがこの地の何よ りの魅力であり、筆者が棚田オーナーに応募した大きな理由−120− − − − −120120120120−−−− ( ) もそこにある。 し か し そ の 景 観 に 関 し て、 筆 者 が 同 地 に か か わ る よ う に な っ た 十 数 年 前 と 現 在 で 大 き く 変 わ っ た こ と が あ る。 そ れ は、 棚 田 を 取 り 巻 く よ う に 設 置 さ れ た 獣 害 柵 で あ る︵ 写 真 ︶。 棚 田 オ ー ナ ー と し て 参 加 し た 当 初 は、 獣 害 対 策 は 背 の 低い電気柵が一部で設置されている程度だったが、地元農家 の会員から獣害、特にイノシシとシカによる損害について嘆 きをよく聞かされた。イノシシは柵のどこかに抜け穴を見つ けるか地面を掘りかえすかして田畑に入ってくるし、シカは 斜面を利用して楽々と柵を飛び越えてくる。そしてイノシシ もシカも実った稲穂を歯ですき取って食べ散らかす︵シカが 稲穂を食べることさえ知らなかった筆者は、収穫時に実際に そ の 被 害 の 現 場 を 見 て 驚 か さ れ た ︶。 ﹁ 誰 の た め に 農 作 物 を 作っているかわからない﹂という、おそらく全国の中山間農 地に共通する切実な嘆きを実際に農家の方々から聞けたこと は、筆者が里山の現状について学生に語る上では重要な経験 ではあったが、現地の農家にとっては獣害対策は死活問題で あり、急務であった。 守 り 人 の 会 で は 発 足 当 初 か ら こ の 問 題 に 取 り 組 ん で い た が、特に大きな取り組みとなったのが二〇一〇年以降の獣害 柵 設 置 の 手 伝 い で あ る。 仰 木 地 域 で は 中 山 間 地 補 助 の 一 環 と し て 獣 害 対 策 に 補 助 金 が 下 り、 そ れ を 原 資 に 二 メ ー ト ル 以 上 の 高 さ が あ っ て 飛 び 越 え 防 止 の 折 り 返 し の あ る 頑 丈 な 作 り の 柵 を 相 当 数 購 入 す る こ と に な っ た。 こ れ を 農 家 が 手 分 け し て 棚 田 の 区 画 ご と に 設 置 し て 行 っ た の だ が、 会 で は ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 の 一 環 と し て そ の 設 置 を 手 伝 う こ と に な っ た。 こ の 取 り 組 み は 守 り 人 の 会 に と っ て は、 必 ず し も 地 域 の 人 々 に 好 意 的 に 認 知 さ れ て い な か っ た 会 の 存 在 を 改 め て 認 め て も ら う、 と い う 意 義 も あ っ た。 柵 の 一 つ 一 つ は か な り の 重 量 が あ り、 そ れ を 時 に 足 場 の 悪 い 「馬蹄型の棚田」獣害柵設置前(筆者撮影) 「同」獣害柵設置後(同上) ( )7 ( )
傾 斜 地 に で き る だ け 隙 間 な く 設 置 し て 行 く の は 重 労 働 で あ る。その作業を、外部から来た都市住民たちが汗を流して手 伝う姿は、会の関係者以外の地元農家たちにも好意的に受け 取られたのは間違いない、とある会員は語る。 数年が経ち、予定されていた仰木地域の全区画で獣害柵設 置の作業が完了した。棚田全体を覆うように柵が設置された 現 在、 確 か に 獣 害 は 少 な く な り、 地 元 農 家 は 皆 喜 ん で い る、 と先の会員は語る。しかしその代償は、あの〝美しい〟棚田 の景観の喪失、ないしは棄損である。それは決して単に筆者 の主観的評価ではない。当地を訪れるカメラマンの激減、と い う 形 で そ れ は 客 観 的 に 証 拠 づ け ら れ る。 筆 者 が 棚 田 オ ー ナーとして学生を引率して田植えや稲刈りをする時、当初は 必ず多くの素人カメラマンが車でやってきていて作業風景を 撮影していた。今森の写真集で有名になった当地の﹁馬蹄型 の棚田﹂や﹁一本桜﹂にカメラを向ける人の姿は絶えること がなく、かつては時に煩わしささえ感じるほどだった。しか し棚田風景のどこを向いても無機質な金網に囲まれてしまっ ている現在、重い撮影機材を担いで写真映えする風景を探し 求 め る カ メ ラ マ ン は ほ ぼ 皆 無 と 言 え る ほ ど 見 か け ら れ な く なってしまった。 そのことをどう評価すべきであろうか。しょせん美しい景 観の価値なんて他所からたまさかやって来る都会人の我儘勝 手な評価にすぎない、棚田はまず何よりそこで米を作る農家 の人たちのものなのだから、その米作りの大きな障害である 獣害が減ったことをまず第一に評価すべきだ︱︱守り人の会 の立ち上げ当初から中心的な役割を担っていた会員の一人は そのように語る。自然との共生とは決してそんな甘いもので はない、他所から来る人たちはむしろ柵が囲われた棚田の現 状から農業の大変さを学ぶべきではないか。そう語る会員の 言葉を、筆者も無下に否定することはできない。筆者が担当 す る 環 境 倫 理 学 の 講 義 で は、 む し ろ そ う し た 指 摘 こ そ 里 山 ブームの行き過ぎた美化を戒める重要な観点を示すものとし て、特に強調して紹介もしている。 しかし同時に、筆者の頭に次のような疑問も浮かぶ。はた して仰木地域の棚田が初めから今のように金網で囲まれ、し たがって写真集で取り上げられもせずテレビ番組にもならな かったとしたら、自分はわざわざこの場所の棚田オーナーに 応 募 し た だ ろ う か。 さ ら に 次 の よ う な 根 本 的 な 疑 問 も 浮 か ぶ。筆者個人の選択や価値観はともかくとして、政府も研究 者 も お 墨 付 き を 与 え て い る 棚 田 の あ の 多 面 的 機 能 と や ら は、 何より﹁景観﹂の価値は、その程度の安いもの、農作物の収 量や農家の収入という現実的な価値基準の前にあっさり放棄
−118− − − − −118118118118−−−− ( ) されてしまってかまわない程度のものだったのだろうか? ここで再び、地元農家の西村義一さんの話に耳を傾けてみ よう。彼によると、今森光彦は現状の田んぼの区画毎の獣害 柵の設置には強く反対であり、その代わり棚田の美観を損ね ず し か も 獣 害 に 対 し て よ り 効 果 的 な 代 替 案 と し て、 コ ン ク リート製の土台を持った頑丈な柵を山際に張りめぐらせる案 を推しており、西村さん本人もそれに賛成だったという。今 森は、同じ滋賀県・湖西のずっと北にあり、しかもこちらは ﹁ 棚 田 百 選 ﹂ に 選 ば れ て い る 高 島 市 の 畑 地 区 で は ま さ に そ の よ う な 対 策 に よ っ て す で に 美 観 と 獣 害 対 策 を 両 立 さ せ て い た、という事実を指摘しながら、今でもことあるごとに西村 さんに柵を撤去できないか訴える、という。 ではどうして仰木地域ではそれができなかったのだろう。 聞 い て い く と、 そ も そ も な ぜ こ の 地 域 に 昔 な が ら の 棚 田 が 残っているか、という歴史的な経緯が同時に解き明かされて くる。 今 で こ そ 棚 田 保 全 の 運 動 を 活 発 に 行 っ て い る 仰 木 地 域 だ が、戦後の食糧増産の農政のかけ声の中で、他の地域同様に 圃場整備の話がかなり現実味をもって持ち上がっていたそう だ。しかし一部地権者の反対もあって、結局その動きからい わば﹁取り残されて﹂しまった。それには、棚田特有の﹁一 枚 の 田 ご と に、 味 も 収 穫 量 も 違 う ﹂ と 言 わ れ る よ う な 事 情 が、つまりそれぞれの農地所有者ごとに異なる利害が理由と してあったという。結果として近辺では唯一、伝統的な棚田 風景が残る場所となったが、時代が下って比較的最近になっ てもまだ圃場整備の話は燻っていたという。実はこれだけ有 名になりながら仰木地域が﹁棚田百選﹂に選ばれていないの は、それが原因で地域としては手を上げなかったからだ、と 西村さんは証言する。 獣害柵の件は、この話に大きくかかわる。高島市畑地区で は以前から上述のような山際での頑丈な柵の設置を試みてい たようだが、大きな経費がかかるその設置が現在の形で完成 できたのは、棚田百選に選ばれて国から景観保全のための補 助金が下りたからだ、それに対して仰木地域では自ら百選に 選ばれることを辞退した、それが結局は現状の、より経費が かからない柵の設置に落ち着いたことにつながっている、と いうのが、西村さんが語る過去の経緯の概要である。 私たちはここからどのような教訓を学べるだろうか。筆者 は自らその紹介をした環境プラグマティズムの立場から、最 近の授業では自然や環境の﹁複合的価値﹂ということを強調 して説明している。従来の環境倫理学では、私たちが自然に 見 出 す 価 値 を﹁ 内 在 的 価 値 ﹂ と﹁ 道 具 的 価 値 ﹂、 と い っ た 形 ( )9 ( )
に単純化して対立させたり体系化したりして、そこから守る べき自然や環境の位階や優先順位を定めようとしてきた。し かし環境プラグマティズムが説くのは、私たちにとって価値 はもっとずっと多様で多元的なものであり、しかしそれは単 に 主 観 的 で 相 対 的 に し か 価 値 を 語 れ な い と い う 意 味 で は な く、 む し ろ 個 別 で 具 体 的 な 問 題 発 生 の 状 況 に 即 し て 価 値 の 様々な所在を触知して言語化することで、より現実的で妥当 な問題解決を提示することに倫理学あるいは環境学一般は貢 献すべきだ、ということだ。この事例で言うならば、まず仰 木地域にかかわる様々な人たちの様々な立場にあって、いや 一 人 の 人 の 中 に さ え、 こ の 土 地 に 見 出 す 価 値 は 様 々 で あ り、 まずその現実を謙虚に誠実に受けとめるべきだ、という点が 重 要 に な る。 地 元 農 家 に も 景 観 の 価 値 を 重 く 見 る 人 も い れ ば、当然ながら収量と収入が価値のほとんどを占める人もい る。他所から来てかかわる人の中にも、景観美が絶対に重要 だという人もいれば、農業の体験さえできればそれで十分と いう人もいる。そこである一つの価値の特権的な地位を推奨 する人なりセクターなりが現れると、むしろ問題は紛糾する だろう。 その上で、環境プラグマティズムの立場から次に重要にな るのは、民主的な、開かれた自由な討議の場での粘り強い話 し合いである。私たちの個性も価値観もおそろしく多様であ るが、しかしだからといって話し合いが常に決裂を定められ ている訳ではない︵もしそうだとしたら、民主主義にどんな 価 値 が あ る だ ろ う か?︶ 。 価 値 の 多 元 的 で 複 合 的 な あ り 方 か ら 出 発 し て、 様 々 な 立 場 の 当 事 者 た ち が 討 議 を 積 み 重 ね て、 できる限り重なり合う価値観に基づいてより良い選択を行う ことは、可能であるし、おそらく私たちが望みうる最良のこ とだろう。 現実的には仰木地域ではもろもろの経緯から現状の獣害柵 設置は、避けられない選択肢だったかもしれない︵そうした 事柄の経緯の現実を謙虚に繊細に学ぶことも、プラグマティ ス ト に と っ て 重 要 な こ と だ ︶。 し か し 将 来 何 か ま た 当 地 の 景 観にかかわる何らかの問題が生じた時には、他の地域での実 践や他の可能な選択肢も広く討議の材料に入れて、当事者の できるだけ多くが納得できる方策を検討することができるか も し れ な い。 そ こ で は、 景 観 の 美 し さ の 価 値 が、 ﹁ 他 所 者 の ただのわがまま﹂という一面的な捉え方で片づけられること はないだろう。地元民であれ他所者の都会人であれ、美しい 風 景 や 美 味 し い 空 気 に 価 値 を 置 か な い 人 は い る だ ろ う か。 ﹁ 私 た ち に 共 通 の 土 台 は 残 っ て い る。 ﹂︵ 12︶ A・ ウ ェ ス ト ン の この簡潔で力強い言葉には、紛れもなくデューイらアメリカ
−116− − − − −116116116116−−−− ( ) の伝統的プラグマティズムの提唱者たちが抱いていた民主主 義への希望が反響している。その反響を遠く時代と空間を隔 てたこの日本で聴き取ることは、決して不可能なことではな い。 註 ︵1︶ 白 水 士 郎﹁ 環 境 倫 理 学 は ど う す れ ば 使 い も の に な る か
︱
﹁ 環 境 プ ラ グ マ テ ィ ズ ム ﹂ の 挑 戦︱
﹂、 ﹃ 倫 理 学 サ ー ベ イ 論 文 集 I ﹄ 京 都 大 学 倫 理 学 研 究 室、 二 〇 〇 〇 年︵ 一 〇 〇 ︱ 一 二 七 頁 ︶。 こ の ア メ リ カ の 環 境 倫 理 学 の 最 新 動 向 を サ ー ベ イ し た 拙 論 は、 自 費 出 版 の 研 究 報 告 集 と い う 体 裁 の 冊 子 に 所 収 の 論 文 と し て は、 異 例 な ほ ど 注 目 さ れ 引 用 さ れ た。 そ の 後、 講 座 本 の た め に 改 め て 環 境 プ ラ グ マ テ ィ ズ ム の 主 張 を 簡 潔 に ま と め て、 そ れ を 日 本 に お け る 里 山 保 全 の 理 論 と 実 践 と の 関 連 で 論 じ た 論 文 と し て は、 拙 論﹁ 環 境 プ ラ グ マ テ ィ ズ ム と 環 境 倫 理 学 の 新 た な 使 命︱
﹁ 自 然 の 権 利 ﹂ と﹁ 里 山 ﹂ の 再 解 釈 に 向 け て ﹂、 ﹃ 岩 波 応 用 倫 理 学 講 義 第 2 巻 環 境 ﹄ 岩 波 書 店、 二 〇 〇 四 年︵ 一 六 〇 ︱ 一七九頁︶を参照のこと。 筆 者 の こ の 二 つ の 論 文 が 日 本 に お け る 環 境 プ ラ グ マ テ ィ ズ ム 紹 介 の 嚆 矢 で あ っ た こ と に つ い て は、 例 え ば 岡 本 裕 一 朗﹃ ネ オ・ プ ラ グ マ テ ィ ズ ム と は 何 か ポ ス ト 分 析 哲 学 の 新 展 開 ﹄︵ ナ カ ニ シ ヤ 書 店、 二 〇 一 二 年 ︶ 巻 末 の﹁ ブ ッ ク ガ イ ド ﹂ に お け る 拙論の紹介を参照のこと︵二五二︱二五三頁︶ 。 ︵2︶ ﹁ と な り の ト ト ロ ﹂︵ 一 九 八 八 年 ︶ を は じ め と し た ジ ブ リ 作 品 で、 物 語 の 舞 台 と し て 高 度 経 済 成 長 期 前 後 の〝 懐 か し い 〟 田 園 風 景 が 取 り 上 げ ら れ 人 気 を 博 す 一 方 で、 同 年 に 出 版 さ れ た 守 山 弘﹃ 自 然 を 守 る と い う こ と は ど う い う こ と か ﹄︵ 農 文 協、 一 九 八 八 年 ︶ に よ っ て、 日 本 列 島 に お い て 森 林 へ の 人 為 的 介 入 が む し ろ 稀 少 な 動 植 物 の 保 護 に 役 立 っ て き た こ と に 注 目 が 集 ま り、 そ の 後 と り わ け 保 全 生 態 学 の 分 野 で 里 山 的 な 自 然 の あ り 方 に 関 す る 学 術 研 究 が 進 展 し た。 本 論 で 後 述 す る 写 真 家・ 今 森 光 彦 の﹃ 里 山 物 語 ﹄ が 出 版 さ れ 大 き な 評 判 を 呼 ん だ の は 一 九 九 五 年である。 ︵3︶ 環 境 プ ラ グ マ テ ィ ズ ム の 観 点 か ら 里 山 に 着 目 し、 本 論 で 後 述 の 龍 谷 大 学 に お け る﹁ 里 山 学 ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト を 主 導 し た 丸 山 徳 次 が 編 者 の 一 人 と な っ た﹁ 里 山 学 シ リ ー ズ ﹂ 二 冊︵ 丸 山 徳 次・ 宮 浦 富 保 編﹃ 里 山 学 の す す め︱
﹁ 文 化 と し て の 自 然 ﹂ 再 生 に むけて﹄ ︵昭和堂、二〇〇七年︶ 、同﹃里山学のまなざし︱
﹁森 の あ る 大 学 ﹂ か ら ﹄ 昭 和 堂、 二 〇 〇 九 年 ︶ が、 そ の 代 表 例 で あ ろう。 ︵4︶ 例 え ば 二 〇 〇 〇 年 十 二 月 に 開 催 さ れ た 京 都 生 命 倫 理 研 究 会 に お い て、 筆 者 が 上 掲 拙 論﹁ 環 境 倫 理 学 は ど う す れ ば 使 い も の に ( )11 ( )な る か ﹂ の 概 要 を 中 心 に 口 頭 発 表 し た 際、 質 疑 の 中 心 と な っ た の は 主 と し て こ う し た 観 点 か ら の 批 判 で あ っ た。 ま た 日 本 を 代 表 す る 倫 理 学 者 の 一 人 で あ り、 特 に 環 境 倫 理 学 の 分 野 で 顕 著 な 業 績 の あ る 研 究 者 か ら、 封 書 の 書 状 で 筆 者 が﹁ 日 本 に お け る 環 境倫理学の道を歪ませた﹂旨の非難も寄せられた。 ︵5︶ 安 彦 一 恵﹁ ﹁ 生 活 環 境 主 義 ﹂ 的 発 想 の 批 判
︱
﹁ 環 境 プ ラ グ マ テ ィ ズ ム ﹂ と の 関 係 づ け に お い て︱
﹂、 ﹃ DIALOGICA ﹄ 第 十 一 号、 滋 賀 大 学 教 育 学 部 倫 理 学・ 哲 学 研 究 室︵ ウ ェ ブ 学 術 雑 誌、 当 該 論 文 は 滋 賀 大 学 内 の 同 雑 誌 H P で pdf フ ァ イ ル の 形 で 閲 覧 可 能 ︶。 安 彦 は 同 ウ ェ ブ 雑 誌 で 引 き 続 い て 執 拗 な ま で に 環 境 プ ラ グ マ テ ィ ズ ム、 お よ び 筆 者 の 議 論 を 批 判 す る 論 文 を 発 表 し 続 け た︵ が、 す ぐ 後 述 す る 理 由 に よ り 筆 者 か ら は 何 の リ プ ラ イ も寄せなかった︶ 。 ︵6︶ Anthony Weston, Beyond Intrinsic Value: Pragmatism in Environmental Ethics, Vol.7, No.4 ︵ Winter 1985 ︶. 同論文は環境倫理学におけるプラグマティズム の 立 場 を 最 初 に 明 確 に、 理 論 的 に 説 得 力 の あ る 形 で 打 ち 出 し た も の と し て 評 価 さ れ、 そ の 後、 環 境 倫 理 学 に お け る﹁ プ ラ グ マ ティズム的転回﹂の画期を成したとも言える論集 Eric Katz & Andrew Light ︵ eds. ︶, , Routledge, 1999 に 再 録 さ れ た。 上 掲 拙 論﹁ 環 境 倫 理 学 は ど う す れ ば 使 い ものになるか﹂は、この論集の紹介を中心としている。 ︵7︶ Anthony Weston, Unfair To Swamps: A Reply To Katz, Vol. 10, No. 3 ︵ Fall 1988 ︶. 註︵6︶のウ ェ ス ト ン の 前 掲 論 文 と 同 様 に、 論 集 に 再 録 さ れ て い る。 な お 同 論 集 は 現 在、 翻 訳 出 版 の 作 業 が 進 行 し て お り、 本 論 文 で 言 及 さ れ る ウ ェ ス ト ン に よ る 論文はいずれも拙訳でそこに採録の予定である。 ︵8︶ 同 作 品 は 翌 年﹃ N H K ス ペ シ ャ ル 映 像 詩 里 山 覚 え て い ま す か ふ る さ と の 風 景 ﹄ と し て 放 送 さ れ、 幾 度 と な く 再 放 送 さ れ た︵ 同 作 品 は 現 在、 N H K ソ フ ト ウ ェ ア か ら D V D・ ブ ル ー レ イ で 発 売 さ れ て い る ︶。 ま た そ の 後、 や は り 今 森 光 彦 の 参 加・ 協 力 に よ っ て 続 編﹃ N H K ス ペ シ ャ ル 映 像 詩 里 山 命 め ぐ る 水 辺 ﹄︵ 二 〇 〇 四 年 ︶ が 制 作 さ れ て 海 外 の 賞 を 受 賞 す る な ど 高 い 評 価 を 受 け た 他、 N H K で は 本 論 後 述 の も の も 含 め て 同 氏 が 出 演・ 協 力 を し た 里 山 を 扱 う 番 組 が 今 日 に 至 る ま で 多 数 制 作されている。 ︵9︶ 例 え ば 棚 田 に つ い て の 包 括 的 な 研 究 書 と し て お そ ら く 最 初 期 の も の で あ る、 中 島 峰 広﹃ 日 本 の 棚 田︱
保 全 へ の 取 組 み ﹄ ︵ 古 今 書 院、 一 九 九 九 年 ︶ の 序 文 で も、 棚 田 へ の 関 心 を 高 め た 写 真集の一つとして言及されている。 ︵ 10︶ 中 島 前 掲 書 で は、 ﹁ 棚 田 の 機 能 ﹂ を 論 じ る 章 で、 他 の﹁ 生 産−114− − − − −114114114114−−−− ( ) の 場 と し て の 機 能 ﹂﹁ 保 水 機 能 ﹂﹁ 洪 水 調 節 機 能 ﹂﹁ 土 壌 侵 食 防 止 機 能 ﹂ に つ い て の 説 明 が そ れ ぞ れ 一 ペ ー ジ 前 後 の 長 さ で 終 わ っ て い る の に 対 し て、 ﹁ 棚 田 景 観 の 文 化 的 価 値 ﹂ に つ い て は 四 〇 ページ余りの紙幅が割かれている︵同書、八八︱一二九頁︶ 。 ︵ 11︶ 中 島 前 掲 書、 ﹁ 付 表 1 日 本 の 棚 田 百 選 ﹂︵ 二 四 一 ︱ 二 四 三 頁︶による。 ︵ 12︶ 註︵6︶のウェストンの論文︵ Beyond Intrinsic Value ︶の 中の言葉。 謝辞 文 中 で お 名 前 を 挙 げ た 西 村 義 一 さ ん に 加 え て、 ﹁ 守 り 人 の 会 ﹂ の 成立の経緯や活動の現状について聞き取りにご協力頂いた加藤雅治 さん、北原真司さん、松本進吾さんに、心より感謝申し上げます。 また本学部の文化学科︵現 文化・歴史学科︶の卒業生であり現在 大阪歴史博物館の学芸員である俵和馬さんには、筆者が不慣れな聞 き取り調査のサポートをして頂いただけではなく、この論文の草稿 に 労 を 惜 し ま ず チ ェ ッ ク を 入 れ て 頂 き ま し た。 こ こ に 特 に 記 し て、 深く感謝申し上げます。当初の提出原稿にあった少なからぬ事実認 定の誤りや表記ミスを、詳細に指摘して頂いた匿名の査読氏にも併 せて御礼申し上げます。 ( )13 ( )