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情報的世界と物理的世界

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Academic year: 2021

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(1)3. ころなら話しは簡単で、 「ポチは裏の犬 小屋で寝てるよし. この問いに一言 で答 えるのはちょっと難しい。犬や石. 【 小説『 坊っちゃん』は何処に有るのか?】. が幾ら物迎的に傷つこうが、無くなろうが、小説そのも. すことは出来ない。当たり前のことだが、現実世界の本. たり、隠したりすることは出来るが、 小説を破いたり隠. 世界が海の中に移ったりすることはない。私の本を破い. け ではない。本を誤って海に落しても、『 坊っちゃん』の. 情報 的 世 界 と 物 理 的 世 界. とか 「昨 日親 父 が 買 っ てき た石 は床 の間 に飾 っ て あ る. のには何の影 轡もないのだ。つまり、この小説は、個々. 清 島 秀 樹. さ」と言 えるが、小説『 坊っちゃん』となるとそうは行. では、それは何処に有るのか?. 現実の本は「私の机. の本の物理的 状態とは独立 に存在 するのである。. かない。時計のようにポケ ッ トから取り出して見 せるこ とも出来ないし、空の雲のように指さすわけにも行かな. の上」とか「この鞄の中」などの特定の場所に存在する. い。本が有ると言うかも知れないが、ちょっと考 えて頂 きたい。 本は単なる媒 介手段、道具であり、我々が味わ. は無い。いくら探してみたところで、この小説を現実世. 界の特 定 の場 所 に見 つ け だ す こ とは 出 来 な い は ず であ. のだが、本に書かれている小説は机の上や鞄の中などに. 「それは人々の精神 の中に有 る。人は言うかもしれない。. い話題にする小説そのものとは違う。私の持っている文 に小説『 坊っちゃん』が消えたり減ったりするわけでは. る」と。まさにその通りなのだが、それでは「精神 」や. 庫本の『 坊っちゃん』が火事で燃 えて無くなっても、別. ドン ナ」の服が擦り切れはしない。本にコーヒーの染み. 意識」と言うものは何処に有るのか ? すると再 び訳. ない。私の本が古くなって 擦り切れても、登場 人物「マ. が付いても 、こ人公 「坊っ ちゃ ん」 の顕に汚れが付くわ. -117-. 1992. 3巻3号 文学・芸術・文化.

(2) 情報的世界と物理的世界 清島. の肉体の内に有ることになる。しかし、分かりきったこ. と言うな ら、結局のところ、小説『 坊っちゃん』は我々. が分からなくなる。もし、 精神 や意 識は人の肉体に有る. 次元の違いから来るのだが、それを少し考 えてみよう。. 物であると言う点だ。その相違は、それぞれの存在 する. なのは、それが本や石ころや犬などとは少し異なる存在. かの形で何処かに有ることは否定 できない。ただ、 厄介. 盤の変化が、その基盤の上になり立っているものに影 響. 体に何の影 轡も与 えないのである。これは何か変だ。基. か肉体に有るとしても、この肉体の物理的 変化は小説自. たせているのが我々の精神 であり、その精神 活動の基盤. 小説は少しも減らない。つまり、この小説世界をなり立. う。この小説を知っている人間を幾ら殺したところで、. 大きさ、印刷 イン クの質、紙 の質などが出版社によって. は、 外形の大きさ、装 丁の様子、印刷 文字 の字体、字 の. あ る」 と 我 々 は 思 っ て い る。 一 方、 現実 世 界 に有 る 本. ―つかどうかの真偽は別にしても、少 なくとも、「―つで. が有るが、小説『 坊っちゃ ん』は一っしかない。本当に. る。我々が目にする『 坊っちゃん』の本には様々 な種類. 物理的 「本」と「小説自体」とは色々な点で区別 でき. 【「本」と「小説」との関係】. 消 えた とこ ろ で、 小 説 『 坊っち ゃ ん』 は消 えな い だ ろ. とだが、 肉体を持っている私や私の知人達がこの世から. を及ぼさないとは 。更に又、精神 の本体として 「霊魂 」. 、 幾ら でも異 なる。菊版 で赤 い布 表紙 の『 坊っちゃ ん』. 新書版 の緑 表紙 の『 坊っちゃん』 、 初版 の復刻 本『 坊っ. らない。余計、話しはこんがらかってくる。「霊魂 」は何. ちゃ ん』と言う具合 に。病的な厳密さで言えば、 同じ出. などの超越的 存在 を持ち出して来たところで話しは変わ. からである。. 版社の同じ版のもの でさえ、それぞれが物理的 には必ず. 処に有るのか、と言う具合 に疑 問が同じ 様に湧いてくる 小説『 坊っちゃ ん』が何処にどんな風に有るかは言い. も、 それ らは 「同じ ―つの 小説 『 坊っちゃ ん』」を載 せ. わずかに違っている。このように個々の本は違っていて. ているものとして扱われる。そこで、 誰がどの本で読ん. ある。この小説の存在 場所 とか存在 性などを別に知らな くても、人はそれを話題にしてア レコ レ言うことが出来. でも「同じ 小説」を読んだことになる。又、 本を読む場. 難いが、それについて誰もが容易に語れることは事実で. る。現に、 今こうして論じ ている。そこで、それか何 ら. 118-.

(3) 壕で読んだものも、昨日Bさんが大学の図 苫館で読んだ. 所、読む時間、読む時の我々 のスタイルなどの違いも、. を使って小説『 坊っちゃん』を読ん だAさんが、初版の. の小 説について他人と話すことが出来る。 ネッ トワー ク. ん』である。何を使って読もうが、ともかく、我々は そ. 古本でそれを読んだBさんと共にその小説の価値 をアレ. まったく問題にならない。Aさんが戦時中に都内の防空. ものも、未来のCさんが宇宙船の中で読むかも知れない. 大正時代の文芸家 Cの『 坊っちゃん』 論について云々 す. コレと論じ 合えるし、更に、この二 人が既に亡くなった. この小説に近付くには 、「本」以外にも手段がある。例. ものも、どれも同じ小説『 坊っちゃん』なの であ る。. 「A、B、 ることもあり得る。こんなことが出来るのは 、. 持っているからである。何を通して読んだにしても、 「同. c達が話題にしてるのは 同じ小説だ」と言う意識を皆が. えば、 電 子 出版 の場合 は 、小 説の 人 っ たCD 、フ ロッ. ビー、 磁 気テ ー プな どを専 用 の機 械 に入 れてデ ィ スプ. に了 解しているのだ。この了 解が人々 の間の会話を可能. じ もの」を話題にしている、と言う点を誰もが暗黙 の内. レー上で読むことが出来る。CD は 単なる穴の開 いたプ. ラ スチッ ク円盤だし、フ ロッビーや磁 気テ —プは 磁 性を. とは ない。この小説の朗読と言う「音」を媒介にしても. 更に話しを進めれば、 別に日本語の 「文 字」に拘るこ. にさせている。. 帯び たプラ スチックやビニールの類に過ぎないが 、紙と. のデー タベー. イン クで出来た「本」と言う伝統的 道 具と全く同じ 役 割 要らない。コン ピュー タ・ ネッ トワーク内. を果たす。やろうと思 えば、本やCD などの品物 すらも. よいし、 「点 字」 を手段としてもよい。極端な話しでは 、. 『 坊っちゃん』を眺めて楽しむことになる。 日本語の文. スにこの小説を入れて置けば、コン ビュー タを使って誰. 字よりもバーコードの方が読み易いと言う変人が現 れた. 居たとしたら、その人は 単なる数字記号 列に変換された. 存在しない。コーヒーをこぼす本もないし、傷が付くか. 場合 は、バー コード表記 『 坊っちゃん』なども可能であ. コン ピュータの文字コー ドに慣れ親しんで育っ た人間が. も 知 れ な いCD やフ ロッ ピー もない。 有 るの は 、 只、. でも簡単にそれを読める。この場合 は、本やCD などに. データベース上 にある特定の電 気情報だけだ。この様な. る。更に空想 を進めると、目も耳 も持 たないが屯磁 波だ. 当る物 品、つまり、手 で実際に触り得るようなものすら. システ ムを使って読んだものも、やは り小説『 坊っちゃ. -119-. 3 3巻3号 1992. 文学・芸術・文化.

(4) 情報的世界と物理的世界 清島. の電 磁 化した『 坊っ ち ゃ ん』 を直 接 に読 むこ とも可 能. けは捉 え得るような超人間にとっては、デー タベー ス内. ことは出来るが、 『坊っちゃん』をそうすることは出来な. でもない。犬や石ころを押したり引いたり投げたりする. ではなく、特定の物理的 時間枠の中で存在 しているわけ. は犬や石のように特定の物理的空問を占有しているわけ. い。つまり、犬、本、CD、音、電 磁 波などは時空間 の. も、小説 『 坊っちゃん』の鑑賞やそれに関する論議 に何. 枠組の中に存在 する事物であるが 、小説『 坊っちゃん』. だ。 そし て 、こ う し たバ ー コ ー ド人間 や電 磁 波 人間 達 の障害もなく参加できる。いかなる手段でどのようにし. はその枠組の外にあり、その限 定を受け ない もの 」な. るものであろうが、そんなことは問題ではない。このよ. 典作品として定まってからは、それは時間や空間の制約. だから彼 以 前には存在 しなかったのだが、 一度 それが古. のである。無論、この小説は夏目漱石 が創り出したもの. i. と思っている。たとえ、その思いが幻想や妄想と言われ. て味わお うが、我々は「同じ 小説」を相手にしている、. の であ る。 こ の 「同じ も の」 の 意 識が 小 説 『 坊っ ちゃ. うな意識を我々が共通に持っていると言うことが菫要な. を離れた 「もの」となったと言える。 一作家の思考が 創. 【 時空間の限定を受け るものと受けないもの】. 犬や石などと違い、ただ精神の産物のみが時空の制限を. 不思議なことでも何でもない。時空の制限を必ず受ける. 的 消 滅や空間的 制限を脱したものとなり褐るのは、別に. ん』の存在を成 り立たせているからだ。. 本やCDなどの現実的 事物は、小説『 坊っちゃん』に. 受けないものとなり得るからだ。時空の制限を受けない. 、空 想の産 物、 一 り出 した「 もの 」 種 の 精神 世 界が 時間. い。この手段や道具には幾らでも違ったものが色々と有. とは、時間·空間的 尺度 でその存在場所 を特定出来ない. 接 す る た め の手 段・ 道 具であ り 、 小説 その も の では な るが、それ等を通して人々が知った( 或は、獲得した、. で有ったか今日はない 」などの表現を当てはめることが. ことを意 味する。それは、「あそこに有る」とか「昨 日ま. 出来 ないことでもある。 凡そ動物が感 覚器官で直接に捉. 得た、達した、読んだ、味わった) 小説は何れも「 同一 な どは 時 間 が た て ば 壊 れ た り 消 え て 無 く な っ た り す る. え 得 る も の は ( 人 間 の 場合 な ら五 感 で 捉 え 得 る も の. のもの」として扱われる。物理的 媒介物である本やCD が、 小説『 坊っちゃん』の方はそうではない。この小説. -120-.

(5) この世界の中で何 とか特定できる。 犬や石や本などがそ. は) 、それ が 存在 する所 と時 を、た とえ大まか にしろ 、. が一緒になって創り上 げてきた共同 幻想の世界と言って. 世界は、単. て人々が行ってきた精神 的 共同 作業の産物である。その. に 作られたような安直なものではなく、長い年月をかけ. が、小説『 坊っちゃん』に対してはそれが出来ない。 即. 全て 「何 処 に何 時 存在 する か」を述 べ る こ と が 出 来 る. に感じ る点 字の凹凸などは五感 で捉 え得るものであり、. ないものだ。 目に見 える本、耳 に聴こえる朗読の音、指. 昼夢 や妄想 から「情報的 世界」を区 別する重要な点 であ. 来る。この 「共有性」と 「普遍性」が、単なる個人的 白. の世界の内で遊べ、その世界について共に語ることが出. うと思 えば誰でもその世界に入 って行き、他者と共 にそ. く、複数の人間が共有している空想の世界 である。やろ. もよい。一 人の人間だけが持っている空想 の世界ではな. なる個人的 幻想 の世界ではなく、多くの人間. え得ない。つまり、触ったり、祇めたり、蹴ったり出来. れだ。しかし、小説 『 坊っちゃん』は五感では直接に捉. 「小説に達 するための道具が存在する 世界」と 「小説 ち、. る。 そし て 、 こ の 共 有性 と普 遍 性の故 に、 小説 『 坊っ. の世界 」とは、全く異なるのである。. 動物の感 覚器官 で捉 え得る事 物群からなる 世界を、「時. る。我々が手 にする 「本」は時空の制 約を受け る物理的. ちゃん』は 、誰にとっても「同じ ―つのもの 」なのであ. 『 坊っちゃん』はその 世界の内には存在しない。 それで. 存在 であるが、我々が味わ う「 小説 」は情報的存在 であ. 空 間 世 界 」 或は「 物 理 的 世 界」 と 呼ぶ な ら ば、 小 説 は何 処にあるのか と言えば、それは、この時空間 世界と. り、両者のある世界は次元を異 にしている。. 当然のことだが、この情報的 世界と言うものか時空間. は次元の異なる別 世界にあると考 えたほうがよい。非時 空的 、非 物理的 次 元にある別世界。 その世界とは、人の. 世界とどういう 位置関 係にあるかは、時間的 にも空間的. いし、この世界と何らかの物理的 位置関 係に有るわけで. にも決定 できない。 それは、この世界の内の何処にも無. ば、それは人の心の 産物に他ならない。 但し、一人の人. 情報的 次元の特質なのである。そもそも、「何処 に? 」と. もない。 実は、「何処に?」と特定 できないことこそが 、. 或は 「 仮構 世界 」と で も呼 び 得 る も の だ。 簡 単 に言 え 間の勝手な思い付きや妄想ではなく、複数の人間の精神. 「情報的 世界 し 精神活動が共同で創り出したものであり、. が協力して産みだしたものである。しかも、昨 日や今日. �121. 3 3巻3号 1992. 文学· 芸術・文化.

(6) 情報的世界と物理的世界 清島. 言う質問がうまく適用 できるの は、時空間の 内で存在 場. 題を心配 しなくても、間違いなく会話が出来、思いをめ. 「実現はともかくとして、話し 考えることだけは出来る」. ぐらせることが出来るの を皆が知っているの だ。どんな. だけは出来る」の ような安心感がそれである。それは、. 所を決定できる犬や石 ころなどに対してである。それ以. うかも分からない。この 論文では、それを承知の 上で敢. 自分の 意識に上るもの に対しての 信頼 である。言葉を変. 「事実はどうあれ、 ている。これは無意識の 確信に近い。. えて「何処に?」を考えているから話しが複雑になって. 場合 でも安 心して精神 を働かせ得ることを誰もが了 解し. い る。 話 し を厄 介 に し て ま で 「何 処 に ? 」を考 える の. えれば、情報的 世界の 存在 への 信頼である。この無条件. 関しては、その 問いを発すること自体が適切であるかど. は、人が精神 を働かせる限 り、その 様な世界を考 えざる. を働かせ得るの である。つまり、我々の 日々の 精神 活動. の 信頼が有るからこそ、人は何に対してでも自由に精神. 外のもの、つまり我々が肉体で触れ得ないようなもの に. 我々は『 坊っちゃん』や他の 小説について考えたり話し. を得ないからである。まず、現実に日々の 生活の 中で、. は 情 報的 世界 の 存在 を 無 意 識に 信ず る こ との 上 に成 り. が心の 創り出したもの であり、「鬼が島 」や 「空中楼 閣」. たりしている。 別に古典と呼 ばれるようなもの でなくと 至るまで、ともかく、人は思い、考え、語ることを始終. と同じ 頬の幻の ようなもの だ。しかし、それは絵空ごと. 立っている。無論、この 「情報的 世界」と言う発想自体. やっている。その 際、現に考 えている対象の 正体につい. 説の 関係を説明するには、そして我々の 精神 活動の 現実. のものではない。我々が現実世界で出会っている本と小. もよい。極めて下 世話なおしゃべりから抽象的 な議 論に. て は 、 通 常 、 誰 も 疑 問を 抱 い て い な い 。 対 象 が 何 であ. を説明するには、物理的 世界と情報的 世界の 両者 を考 え. れ 、それについて幾らでも自由に考 えて話しを出来ると 信じている。自分が話したり考 えている対象が、つまり. ことになる。但し、その 世界は物理的 意味合 では何処に. ざるをえないの である。そこで、情報的 世界は「有る」. も 無 い 。 し か し 、 我 々 が も の を 考 える 限 り は 、 確 か に. 小説『 坊っちゃん』などが、友達が語っているもの と本. の か、 自 分 一人だけ の 夢 幻では ない の か 等 々 の こ とに. 「 有る」としか言いいようがない。この 一見 すると矛盾. 当に同じ 存在であるの か、その 対象はちゃんと実在 する. 一々気を回すことはまずない。そんな得体の 知れない問. -122 -.

(7) する姿が、その正体である。. 確かに存在しなかったし、又、何時の日にか人類がこの. なくなる、と考 えるのが自然であろう。この小説には、. 宇宙から完 全に消 滅してしまった後には、それも存在 し. 【 超時空的 存在の始まりと終わり】. 犬や石 ころの誕生や消 滅とは性質が違うが、何らかの形. 「 始まり」とは、漱石が その空 想世界を作りだして他. で始まりと終わりのようなものが有るわけである。. 小説『 坊っちゃん』 が時空を離れた存在 であり現実世 界の物理的 事物の影 評を被らないものであると言うと、. の人々がそれを楽しみ出した時であろう。かなり大勢の. それは何か 水遠 不滅の超越的 存在のようなものを連 想さ せるかも知れないが、そのことは面 白い問題を提供して. 世界をそれぞれの頭の中で共有し始めた時。それは、多. 人間達が一作家の創り上げた『 坊っちゃん』と言う精神. くの人々の間に或る程度 固まった共 有幻想世界が出来上. 「時空の制約を離れたもの」の発生と消 滅に関す くれる。 が、そうではない。例えば、人類が完全に消 え去 った後. ることである。これは、 一見矛盾するようにも聞こえる に小説『 坊っちゃん』 の存在はどうなるか、と言う疑 問. い得る。この共有 幻想世界の形成が 小説『 坊っちゃん』. 持っているのだ、という意識を皆が持ち始めた時とも言. の誕生に他なら無い。ここで、とりわけ 大事なのは「共. がった時でもある。或は又、共有世界『 坊っちゃん』を. と共に汚 くなって行き最後には擦り切れて無くなるだろ. 有意識」という点だ。共 有しているとは、「あの例の 小説. だ。既に述 べたように、私の文庫本『 坊っちゃん』は時. とは全く無関係に独 自に存在 し続ける。このように「物. うが、これに対して小説それ自体はこうした物理的 変化. 象として他 者 と共 に論じ合 う こ とが 出 来 る 、 と人々 が. 」と言う具合 に、それを同一対 についてだけどね;:. . . . .. 思っている状態 である。この「同じ ものを相手にしてい. 理的 変 化か ら独 立 してお り、 時空 の制 約 を 受 け な い 存. ジがどうしても涌いて来がちだ。 しかし、当然のことだ. る。この共有意識にこそ仮構 のものの存在基盤がある。. る」安心感が、 小説と言う情報的存在 を成り立た せてい. 在」 と言うと、何か怪しげな形而上学的・神 学的 イメー が、こ の 小説 は 別に 「不生不 滅 •宇 宙遍 在 の神 」 と か. 客観的 に見て正 確に「 同じ もの」を持っているか否かと. 「絶対的 真理」 なぞと言った得体の知れない化け物の類. ではない。 少なくとも、それは漱石 の生まれる以 前には. -123 -. 3 3巻3号 1992. 文学・芸術・文化.

(8) 情報的世界と物理的世界 清島. 素は 二つ。 物理的 媒介手段・ 道具( 本やCDなど) と、. 的 存在の誕生と存続と消 滅を決定 している。それらが無. か、 真 に 「 同じ も の 」 を 分 か ち 有 っ て い る か 否 か な ど. い場合 は、小説も存在しない。しかし、それらが有る聞. そ れ を 使 う 知的 存 在( 日本 語の 分 か る 人 問など) であ. さて、 「終 わり」とは、小説世界に近 づく物理的手 段が. は、小説は時 空間の物理的制約を離れた或る種の 超越的. る。そ こで、 この 二要素の存在状態が、小説という情報. 全く無くなった時か、その世 界を共有する意 識を持つ生. 存在、 恒 常 不変 のも の であ り 、 更 に 又、 誰 に と っ て も. は、どうでもよい。重要なのは、「 同じ ものを相手にして. 物が、つまり、人間 のような知的存在が全て消 えた時で. いる」と信じ る人々の意識なの である。. あ る。小説『坊っちゃ ん』を知るための本やCDや テー. 「同じ ―つのもの」と言う普遍性を備えたものである。. 小説の運命についてである。地球と人類が滅 亡する前に. ここで、 思考遊びの想像を一っ。人 間が消滅 した後の. 【 宇宙 空間へ送られた『坊っちゃ ん』の本】. プなどの物品が この宇宙から完全に消 えてしまえば、新 又、現在その小説世界の存在を支えている 「 既に 『坊っ. た に生 まれ て 来る 生 物 は その 小説に接 し よう が ない 。 」が 死に絶えて しまえ. 宇 宙 の 彼 方 に 無 人 ロケッ トが 送 り だ さ れ、 そ の 中 に. ば、つまり、 この小説を覚えている人間が完全に居なく. ちゃ ん』を読んだ ことの有る人々. なれ ば 、 誰 も この 小 説 世界 に 近 づ く ことが 出 来 な く な. 空 間を移動している場合だ。 このような状況では、 この. 完全に消 滅しているが、本と言う物理的 存在だけが宇宙. 小説そのものの存在状態はどうなっていると考 えたらよ. 『 坊っちゃ ん』の本だけ か柏まれていたとする。人 類は. の小説の存在基盤は多くの人間の精神世界に共有される. いのか?. る。 又、「将 来 そ の 小 説 を 読 む 可能 性 の 有 る 人 々」 自 体. ことにあるので、それを共 有する人間 が居なくなれば、. が、地球の 消滅などで、消 えてしまう場合 も同じ だ。 こ. 当然その存在も終わりになると考 えてよい。それは、銀. か、それとも、消滅 していないで何らかの形で存続して. る内に物理的 に消 滅してしまった後には、その小説も存. 確かに、 この本が何億年か宇宙を漂ってい. この小説は人類と共 に消 滅したと言い得るの. 河系や この宇宙自体が何万億年か後に無くなった時の事. いるのか?. 小説『坊っちゃ ん』に関する共有意識を支えている要. を思い浮かべてみれば分かるであろう。. -124 -.

(9) 3. は本を 解読するかもしれない。当たり前に考 えれば、そ. その本を手に入 れた場合 はどうであろう。その知的 生物. 万が一 に、宇宙の何処かの知的 存在が. 在 しなくなると思 える。しかし、本が消滅 するまでの間. し 自 己混乱を来しているからだ。しかし、その問題に今. ことを考 える際の言語 レベ ルで、今行っている思考が少. 理が内在しているからだ。そして、「も のが有る 」と言う. 様な場面を自由に想像する我 々の思考 自体に 或る種の無. こ の問題に答えるのは厄介だ。何故 かと言うと、こ の. 仮に出会ったとして も解読でき るような事態 に至ること. は入らずに、とりあえず何とか答えてみよう。人類の手. はどうなのか?. んな知的 生物と本とが出会う可能性は殆どゼ ロであり、. は殆どあり得ない。しかし、たとえ限 りなく ゼ ロに近い. 空の制 約を受けた物理的存在ではなく、この時空間 の世. ちゃん』は存在しなかったと言い得る。 元 々、それは時. ゼ ロとは言い得ない。もし、その知的 存在が 解読に成 功. 犬や本の「有る •無し 」と 同じ 様には語れないものだ。. 界 とは別の情報的次 元に存在するものである。それは、. を離れて別の宇宙生物の手に入 るまでの間 、小説『 坊っ. し、それを味わうことになれば、その生物達の共有意 識. は時空の制約 を越えた恒常 不変の存在であると確かに言. た時と、かの宇宙 生物か本を 解読した後には、その小説. はどうなっていたと言えばよいのか。人類が存在 してい. 宇宙空間に漂っていた間は、小説 『坊っちゃん』の存在. を手に入 れる前、つまり、人類が消 滅してから本だけが. 像することは自由に出来る。この場合 、その生物達か本. ず起こらないだろうが、少なくとも、その様なことを想. らである。矛 盾するように思えるの は 、我 々がどうして. の 一見矛 盾するような性質こそが情報的 存在の正体だか. いるかもしれないが、それは別に何の問題でもない。そ. 物 理的 要素の存在 に左右されるのはお かしいと思う人が. う知的 存在との 二要素だ。時空を越えたものがその様な. 述 べたごとく、 「本」などの媒介手段の存在と、それを 使. 無ければ何も存在しないに等しい。特定 条件とは、前に. 制 約を越 えた恒常 不変のものであるが、その特定条件が. - 1 25 -. とは言え、頭の中の理屈だけで考 えると、それが完全に. に基づいて小説 『坊っちゃん』の世界が人類の時と 同じ. えるが、その間はどうなっていたのか。読む者が誰もい. も時空間的 発想で考 えて しまうか らだ。時空間的 概念を. 小説のような情報的 存在は、或る条件の下では時空間の. なか った間 は。. 様に現れることになる。無 論、そんなことは現実にはま. 3巻3号. 199 2. 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(10) 情報的世界と物理的世界 清島. れが小 説『坊っちゃん』の 運命である。それは、地球人. る要素が無ければ、その上に現れているものも無い。こ. いる。相互依存関係と言ってもよい。その関係を構 成す. 数の知的 存在 とこの世界との交渉関係の上に成 り立って. 報的世界はそれ自体で独立に存在するものではなく、複. 得る知的 生物が居なければ無にも等しい。基本的に、情. ているものは恒常 •普 遍であると同時に、それを味わい. も らいたい。複数の知的 生物の共有意識の 上に成り立っ. なく人の 精神が 創りだしたものであることを忘れないで. 前である。今ここで相手にしてるのは、犬や石ころでは. 非時空的 存在に適用 すれば、変なことになるのは当たり. ころで、この 「 潜在 」 「顕在」の考え方は、人間 と同じ様. に存在 する小 説『 坊っちゃん』の世界、と言う発想 。と. も 解釈できる。まだ顕在 化していないが潜在的 に本の内. 形で小説と言う情報的 存在 が潜在的 に含まれている」と. 違っている。そこで、宇宙空間を漂う 本には 「何 らかの. 図的 に 作 られ た も の であ る か ら、 始め か ら石こ ろ とは. だ。事実として、本は情報的世 界 への 媒介手段として意. よい。この点が単なる石ころなどの物体とは迩うところ. にも等しいが、確かに、 何らかの 可能性は有ると考 えて. いつの 日か は 判らないが、そして役 に立つ可能性はゼ ロ. り得る可能性を持っている。その様な役 に立つのが一体. に本 を解釈できる知的生物がいることを前提にしての話. かは、当然、何とも言えないものである。そこで、「潜在. しだ。そんな生物が何も居なかった ら、この発想自体に. が居る時と、それを解読する宇宙の知的生物が居る時に. 的存在 」と考えるか、 「無 」と考 えるか、どち らが適切で. 意味が無い。しかし、遠 い宇宙にそんな生物がいるか否. しかし、或る見方か らすれば、それは「無 」ではない. 無 」なの である。 合には 「. とも言い得る。小説『 坊っちゃん』が顕在 化していない. あるかは決定を下 せないこ とになる。だが、これは表現. は、時空を越 えたものとして存在 するが、それ以外の場. だけだと解釈するのである。地球人 と異星人の 手 元では. 「 無 」と言うか、「潜在的 」と言うかの違いに過ぎない。. 上の言葉の問題でもある。その現れていない小説世界を. これは別にどち らでも好きなほうで良いように思える。. 顕在化したものが、宇宙を漂っている間 は潜在化してい. 襟う本は、イン クと紙 で出来た単なる物体ではない。そ. 情報的存在 に対しては、犬や石 ころに関しての発想 法は. たと言う考え方だ。そもそも、人類消滅 後の宇宙空間に. れは、小 説『 坊っちゃん』 の世界 に達する媒介手段とな. - 1 26 -.

(11) 当 てはまり難いのだから。. を強調するならば、「ソフ ト的 世界」と呼ぶ のが 適当であ. 構 世界 」と呼 んでもよい。いずれの呼 び名も、強調点の. ろう 。或は、心が仮に構 築したものと言う忍味では、「仮 【 小説 『坊っちゃん』 と同類のもの】. 指すものは同じ である。違いはちょ っとし た意味合 いだ. け だ。 そし て、 その 世界の中に有る個々 のものは、時に. わずかな違いから異なった表現になっ ているに過ぎず、. 応じ て、情報的存在 、言語的 存在、記号的存在 、 ソフ ト. 我々 のまわりには、 小説 と同じ ような情報的 存在 が多 てが そう であ ろう。 そこ で、こ れ ま で述 べ てき た こ と. 的 存在、仮構 のもの などと呼ぶ こ とが出来る。これも単. い 。恐らく、人 間の精神 活動が産みだしたものは殆ど全. まると言 っ てもよい。例えば文芸作品は、書かれたもの. に名前の違いだけである。. は、我々 の持っ ている 「精神文化の産物」全般に当 ては にし ろ 口承 で 伝 え ら れた も の に し ろ、 小説 、 詩 歌、 戯. ずだ。一般的 に言えば、言語が繰り広げる世界は、 その. よい。どれを入れ ても 、何の 問題もなく意 味が通じ るは. レ ット』、『 桃太郎伝説」などに換え てみれば 古事記伝」 、「. 、『ハム 」 と言 う 部 分 を 、『万菓 集』 「小 説 『坊っ ち ゃ ん』. のような知的 存在 が物を考 え続け ている限りは、超時空. り、人の精神 活動を離れ ては存在 し得ない。但し、人 間. 学者 どうし の 共有意 識の 上に 成り立 っ てい る 存在 であ. 思考錯誤の末に協力し て築き上げた仮構 だ 。 それらは、. 報的 次 元にある。いずれも、学者達が長い年月をかけ て. 専門的概念にしろ、どれも皆この 現実 世界とは 異なる情. 諸々 の学問が繰り広げる世界も同じ 仲 間である。特定. 対象が何であれ、どれも同じ ようにこの現実世界の影 懇. の学問体系にしろ、 その中の個々 の 学 説や 理論にしろ、. を離れた別次 元のものとなる。これまでの所 は それを指. 的 な恒常 性と普遍性を持つものである。哲学、歴史、社. 曲、評論、 伝説などのジ ャンルを問わず、いずれもが小. し て 「情報的 世界 」と呼 んできたが、人間の言 語活動が. かべ てみればよい。「 カ ント哲学」 、「 天平文 、「釈迦の 教え」. 会科学、自然科学などに見 られる諸学説や概念を思い浮. 説 と基本的 に同じ 煩の存在物である。これまでの文中の. 創り上 げるもの という意味では、 「言語的世界」とか「 記. 、「徳川時代 」 、「マル ク スの経済 理論 」 化」 、「進化論」 、「ビ ュ. 号的 世界 」という表現を使うこ とも出来る。又、 その 世 界 が現実の時空間の制約を離れ た非 物理的も の である点. 1 27 -. 3 3 巻 3号 1 992. 文学・芸術 ・ 文化.

(12) 情報的 世界と物理的世界 清島. なったりするが、この定理自体は何の影響も被らず超越. スの 定 理. を 解 説 し た 本 は 汚 れ た り、燃 えた り、 無 く. 、「自 然数 」等々。 例 えば、「 ピュタゴ ラ タゴ ラスの定 理 」. ビュータでやろうが、本質に人して変わりはない。いわ. 「じ ゃんけん」は、手でやろうが 、札でやろうが 、コ ン. め の 手 段に過 ぎ ず、 ゲー ムそ の もの と は 迅う。 例 え ば. 具は、たとえどんなもの でも、 ゲー ム出界に参入するた. ゲー ム類 も情報的存在である。 凡そ ゲー ムをする時の道. ゆる「グー・チ ョキ ・パー」の形でやろうが、虫拳の よ. L. この定 狸をポケ ット に隠すことも出来ないし、それを煮. 的 に存在する。こ の 定理の 盗難事件も起こり得ないし、 たり串ざしにするこ とも出来ない。 誰がどんな教科書で. うに拇指・ 食指 •小指を使うやり方であろうが、藤 八拳. や身体の代わりに札を使う場 合も同じ で、札は 紙でも木. のように身振りを使うものであろうが、何でもよい。手. でもプ ラスチ ックでもかまわないし、 図柄にしても、手. 又、 「天平時代 」をいくら壊そうとしたところで、 それを 記述した本などは簡単に壊せるが、それ以上のことは出. の絵が描いてあっても、文字が書いてあっても、変わり. いつの時 代 に学ぼうとも、それは同 一の定 理とされる。. したところで、 日本史の中の「天平時代 」が消えるわけ. 来ない。 その時代 に属する仏像や絵画や建築物を幾ら壊. 車と、 二本の樹 木と、 二人 の 人は どれも違 う もの だか、. 掴むことは出来ない。 物理的 には、 二個の卵と、 二台の. 個のボー ルは 掴むことが出来るが、「 2」その ものを手で. 「自然数の 2」はいかにしても無くならない。 ニ まうが、. 無くなり 、 二つの粘Lの塊はまとめれば ―つになってし. ち、CはAに 勝つ、と言う規則。こ の規則を表現するも. の状態に有ること、つまり、AはBに勝ち、BはCに 勝. ば、それは、ルールであ る。 三つの 要素か 「三すくみ 」. ム」と考 える。では、「じ ゃんけん 」の 本質は何かと言え. 区 別に す ぎ ない の で、こ こ では 同じ 「じ ゃ ん け ん ゲー. することかあるが、それは外見の迩いによる名前の上の. やっても同じ 。なお 、じゃんけん、虫拳、藤 八拳を 区別. はない。こうしたものを全てコ ンビュ ータなどの機械で. 「2」と 言う数は 同じ もの であ ると我 々 は考 える。 こう. のなら、何 を道具に使っても「じゃんけん」は出来る。. ではない。 又、 二個の リン ゴや 二匹の イワ シは食べれば. した性質が、 以前に述べた小説 『坊っちゃん』の それと. 松と竹と梅でも良いし、時計とペ ンと消しゴ ムでも良い. 同じであることは容易に分かるだろう。 更には、将棋、ポー カー 、じゃんけん、 双六、等々の. - 128-.

(13) 3. ければならない点であ る。少なくとも「じゃんけん」を. 重要なのは、その 結 び付け方を複数の人間が知っていな. が 了解すれば、新種の「じゃんけん 」になる。この時に. 不可能に 近いのではないか。これは、書いた文字の場合. ている。 恐らく、物理的に完全 に同一の音を出すことは. 「あ」音と 、五分前に私が発音した 「あ L音とでは違っ. などを判断できる。細かく言 えば、今私が発音している. ているのかが分かり、字を見て同一人物が書いたか否か. やる相手と自分自身は 知ってお く必要がある。自分 一人. も 同じ だ。今ここに印刷 されている 「あ」の字にしろ 、. 違っている。迩っているから、声を聞いて誰がしゃべっ. だけ か、相手だけ か知っているの では 何 の 意 味もなく、. 拡大鏡ででも見 れば分かるか、どれも少しずつ違ってい. し 、日本 酒とビ ールと ウィ スキー でもよい。これ等の道. 「じ ゃんけ ん」遊 びを や りようが ない。 つま り、 「じ ゃん. 「あ」はことごとく 異なっているにもかかわらず 、 日本. る は ず だ。 こ の よ う に、現 実 世 界 で 目 に し 耳 に す る. 具と 「三すくみ」規則を適当に 結び付けて、それを人々. の共通 知識がなければならない。 「― ―一すくみ」規則自体の. けん 」か 可能になるた めには 、複数の人の間に次の 二つ. 立た せている基盤である。ゲー ムの 規則も、それと道具. である「あ」を指し示す物理的 手段である。 両者 の関係. たり見 たりする特定の音やイン クのしみは 、情報的存在. 空間 世界の内の何処にも存在しない。現実に我々が聞い. 語の内で「あ 」は ―つの音 ・文 字とみなされている。つ. を 結び付け る約束ごとも、人々が共同で考 えだしたもの. は 、「じ ゃんけん」の規則とそれを表わす指などの手段の. 知識と、その規則と表現道 具を結び付ける約束について. である。そして、規則も約束も物理的存在ではなく 、情. まり 、 「あ」は物理的存在ではないのだ。それは、この時. 報的存在に他 ならない。それらの上に展開 される ゲ ーム. 関係に等しい。日本語のイ ロハ四十七要 素も、結局のと. 知識。実は、この 二種の 了解事項が全てのゲー ムを成り. の世界もそうである。. る。将棋の諸規則の組み合わせ ・運用によって様々な局. こ ろ 、将 棋 や 麻 雀 な ど の 諸 規 則 と 同じ 種 類 の 存在 であ. 面が出来上るように、イ ロハ四十七要素の組み合 わ せか. さ て、 我々 の 使っ て い る 言語 自 体 が 、「 自然 数 2」や. る。ま ず 、 日本 語 の 「あ」 を 例 に と ろ う。 我 々 が 書 く. ら様々な言語作品が出来上がる。但し 、色々な言語の単. 「じ ゃ ん け ん 遊 び」 と 同じ く 、情 報 的 次 元の 存 在 であ 「あ」の字も 、発音する 「 あ 」の音も 、物理的 には全て. � 1 29 �. 1 992. 3巻3号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(14) 情報的世界 と 物理的世界 清島. 子は逢っても、両者のあるところは同じ 情報的世界であ. 開よりもはるかに複雑なものになる。しか し、 展開の様. 位に段階が有る点で、言語の展開 の ほうが 将棋の局面展. ク セスして 、そこで新刊案内を見たり、試読コ ーナーで. ンピュー タ・ ネ ットワー クの中に開業 して いる本屋にア. 版。 無論、物質的 な店舗を持つ本屋も殆どな い。人はコ. 本を送ってくれる。定 期刊行の雑誌類も、決った日まで. 「 立 ち読み」 をして自分の 欲し い本を 選ぶ 。欲し い本を. にその郵便箱に送られてくる。過去 に世界で出版 された. る。このように言菜が物理的 存在 でな いからこそ、異な. 合 。 両者とも発音が いわ ゆる 「標準的 英語」から極度に. 書物は全てデ ータ・ バ ンクの中に入 ってお り、 いつでも. 買 っには 、その本のコ ード番号と自分のID番号を本屋. ずれて いて、とても英語を使って いるとは思えな い時で. に知らせれば、 ネ ットワーク内のこちらの電 子郵便箱に. も、何とか話しが 通じ る。これは、両者 が英語と言う情. 何処からでも自由に入手できる。つまり、「 本を読む」 と. 能 に な る 。例えば 、 日本 人 と イ ンド人が 英 語 で話 す 場. 報的 世界を共有して いるから可能なのである。より正確. 等 しくなって いる。これらの電子 出版 物によってA氏は. 言う作業は 「ネ ットワー ク上の デ ータ ヘのア ク セス」と. る地域出身で発音の癖が迩う者 どう しの 間にも会話が可. には、共有 して いると 互 いに信じ て いるからこそ何らか. 執筆のための資料を集める。人探しや イ ンタビ ューも 対. の意志疎 通が出来ると言える。この信仰、つまり言 葉の. 展開 する 情 報的 世界 への 信頼が あ ら ゆる 会 話 を 可能 に. 個 人通信で行う。 写真は、 ロボ ット写真会社と契約を結. る時は常 に携帯コ ンピ ュータを使う。彼の時代 には既に. で、詰まらな い小説や評論を書 いて 生きて いる。執筆す. みる。 彼 が 住ん で いる の は 逢か未 来 。 彼 は独 り 暮 ら し. コ ンピュ ータと共に生活 して いる 或る男Aを想像して. 【ソフ ト的 生活者 】. 振り 込まれる。その時代 には 所謂「貨幣 」 「 紙幣 」と言う. られる。原稿料は ネ ットワー ク上にある彼の銀行 口座 に. たものではなく単なる電磁 情報だが )通信で出版 社へ送. 資料を使って作り上 げた作品は、( 無 論それは紙 に書かれ. でも好きなところの写真を人手できる。こうして集めた. 携摺コ ンピ ュータを通して簡単に操縦できるので、 いつ. んでお り、世界中の各支店にある写真ロボ ットをA氏の. し、我々の精神 活 動を可能にさせて いる。. 本 」と言うものはなく、出版 物の全ては電子出 紙製の 「. - 130-.

(15) 物質的 なものは存在 しなく、買 物は全て 或る種の カー ド. して費やされていることになる。これは、夢や幻想の世. 外の時間 は殆ど情報的 次 元で生活している。彼の生涯の. 界 に 生き て い る の と 変 わ ら な い の で は な い か 。 そ れ で. 殆どは、現実の時空間 世界には存在しないものを相手に. ピュータ世界内の ソフ ト的 「 カード 」を使う。実際に物. ていくのを感じている。これは錯覚だろうか。実は何と. も、A氏は喜怒哀楽を感じ、自分が年とともに資くなっ. り、 物 質 的 な カ ー ド 自 体 は 全 く 必 渋 な い の で、 コ ン 理的 な店舗を訪れるよりも、 ネッ ト ワー ク上に開 いてい. を通して行われる。但し、現実には通信販売が殆どであ. る店を訪れる方が逝かに簡単で選択の巾も広がるので、. のである。これは、プラ トン の洞窟の比喩の現代 版とも. ていくことをコン ピュータの中の世界だけでやっている. (物質的 な カネではなくソフ ト的 な点数 )を稼いで生き. け だ 。 も し 彼 の 生 活が 錯 覚 の 中 に 有 る と い う の な ら 、. と同じ 様に生き 死んでいく。ただ、それに気付き難いだ. は、我々 も彼 と同じ 様な暮らしをしている。そして、彼. さて、A氏の生活は別に極端な密え話ではない。本当. も言い得ない。. 言い得 る。. れている。彼が手にする知識も、彼 が作る作品も、それ. であろうか。彼の精神 活動は殆ど電 子通信網の上でなさ によって得る金も、友人と行う会話も、全て彼 にとって. - 1 31 -. 買い物のために外に出ることもない。つまり、A氏は金. はコン ピュータを通してのものである。それらはどれも 情報的 存在である。 つまり、生活するためにA氏が格闘 している対象のす べては、彼が手に入 れるものも産みだ すものも、物理的 には存在しないものだ。物理的 存在 と 言えば、通信販売 で送ってくる食 べ物と衣類くらいであ る。彼 は食事をする時には物理的 次元にいるが 、それ以. 我々 のもそうである。. 3 巻 3 号 1 992.. さて、こんなA氏が暮らしている世界とは、 一体、何. 文学 ・ 芸術・文化.

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参照

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