• 検索結果がありません。

市場経済の秩序と道徳 (Ⅳ) -経済学の危機と思いやりの経済―

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "市場経済の秩序と道徳 (Ⅳ) -経済学の危機と思いやりの経済―"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

(2)    淵. 上. 勇次郎. &'$. (.  ()$. .  * +$,-. . *# $$)+(Ⅳ) / 0* '1.    $,# $$) #  (* '1.  2# $$)+ 345 . $"4# ' 2 ). &$( + * ' + *  ) $,* '). .  * # $$)+  '   * $.  #  # $. . 67 # . *   . ($,  ) *$,* ' ). . * # $$)+8  9:$  ( , * . * '; ') !'$# . < ==>6&'). . * # $$)+'  $*# .   ($4*  . , ? # $.  : @4* *8$4 (@,  #  2 + *  )#.     6 A * '  '$. *: :. (Ⅳ) A8$4 (  .* $ 9: $. * ' 8*.  ($, # $$) #  ( # $$) # + *  )6 A* ' .* ' ** ')$  * ):$. *  ** ' 2$8    * *  2, $. * '* '(.  # *  B * +$ , 8 # $$) #  ( # $$) #  + *  )6. :市場原理、 思いやりの経済. スミス流の 「利己心」 を核にした人間観に代わる新た な人間観― 「総合的な人間観」 とは何かを考究した。. . 今回は、 これまでの三つの小論での議論を踏まえて、. ここ数年、 アメリカ発の金融危機さらにはギリシャ. これらの問題に関連して近年提示された本格的ともい. 発のユーロ危機と深刻な経済不安が相次ぎ、 市場経済. える試論― 「新たな経済システム」 の導入・拡大、 さ. の在り方が今日ほど問われている時はない。 日本にお. らには 「新たな経済学」 の構築を構想するという 「試. いても膨大な公的債務が積み上がっていずれ何らかの. 論」 (2) を検討し、 経済学・経済システムの今後の展開. 「清算」 を迫られることは必定だ。 はたして市場経済. を展望するよすがとしたい。. の今後をどのように見通していくことができるのか。. こうした試論を検討するにあたって、 その前に、 わ. 問題は大きく根深いものがある。 経済学にしろその. が国において 「アメリカ流構造改革」 の 「推進者」 か. 対象としてきた 「市場経済」 にしてもその根底にある. ら 「離脱」 したという、 ある経済学者の著作 (3) から. 「人間観」 「社会観」 までもが歴史的な変容を余儀なく. 検討を始めることにしよう。 そうすることで、 新たな. されているように思われる。. 経済システム、 新たな経済学を追求することがいかに. これまで筆者は 「市場経済の秩序と道徳」 と題して 三篇―その (Ⅰ)、 (Ⅱ)、 (Ⅲ) を草してきた. (1). 。 簡単. 重要な歴史的課題であるのかが、 よりいっそう浮き彫 りになると思われるからである。. に振り返っておくと― (Ⅰ) では、 A. スミスに関す る最新の研究成果を検討して、 「市場経済の秩序と道 徳の問題」 は人間社会一般の秩序と道徳の問題でもあ ることを、 (Ⅱ) では、 経済学の想定する伝統的な 「経済人仮説」 の問題性・歴史的制約性を反省し、 今 まさに新たな 「人間観」 「経済成長観」 の確立を求め. (1) 拙稿 「市場経済の秩序と道徳 (Ⅰ∼Ⅲ)」 要. 高崎商科大学紀. 第24∼26号 (2009年∼2011年12月) 参照。. (2) リーアン・アイスラー. ゼロから考える経済学. (中小路佳. 代子訳、 英治出版、 2009年) (   . .

(3)    .                  , !  ".  #   # $ 2007% (3) 中谷巌. 資本主義はなぜ自壊したのか. 集英社、 2011年。. られていることを明確にした。 また (Ⅲ) においては、. .

(4) かしながら、 氏はなかなかに注意深い。 「単純な構造. . 改革路線では社会がますますおかしくなるのではない かという疑念を消し去ることはできな」 いと構造改革. (1) 経済学者の危機意識 筆者は先の拙稿. (1). で 「近年の経済情勢をさして 100. 年に一度の経済危機 というのであれば、 同時に経済学. についてわざわざ 「単純な」 と形容している。 氏は、 アメリカ流の構造改革から、 いわば日本流の. に立たされているとも. それへの転換を図ろうとしているのである。 氏は、 構. いえるかもしれない。 それほどに経済学の現実対応力・. 造改革自体に異を唱えているのではなくて、 むやみに. 危機処方能力が試されていることは戦後初めてのことで. 経済的格差を拡大したり、 日本社会にみられる大事な. はないだろうか」 と書いた。. 社会的価値を破壊したり、 要するに 「アメリカ後追い. も. 100年に一度の学問的危機. 経済の危機的な状況は、 ときの主流派経済学の危機 となって反映し、 それはまた必然的に経済学者の危機. 型・弱者切り捨て型の構造改革」 に反対しているわけ である。. 意識を惹起していくこととなる。 こうした一連の流れ. ただし、 その市場主義の本場=アメリカにおいてさ. はいわば歴史必然的であって、 もしも現実的な経済的. え、 「市場経済観」 の見直しが進んでいるようなので. 諸関係の危機が経済学者の意識にのぼらないのであれ. ある。. ば、 それこそむしろ大問題であろう。 経済学説の史的. 「今回の金融破綻をきっかけにアメリカはいったん、 新自由主義を後退させ、 国家による経済への介入を厭. 展開に明らかである。 では、 今回の経済的な危機とは、 いかなる歴史的な. わないというプラグマティズムの伝統に回帰しはじめ. 内容、 意義を持っているのであろうか。 そして、 それ. たのである。 その意味で. はいかに評価されるべきであろうか。. と思う」 (5) と氏は意を強くしている。. (2) アメリカ主導の金融資本主義の 「破綻」. 潮目は変わった. と言える. アメリカそのものでさえ基本スタンスが 「転向」 し. さて、 ここで、 先述した経済学者である中谷巌氏の. ているのかのごとき印象があるのは、 リーマンショッ. (2). ク後に世界経済に与えたアメリカ主導の金融資本主義. 所論をみていくとしよう。 中谷氏は自らのこの著書. に対して 「懺悔の書」 とも称している。 氏はこう正直. の陰り、 ないしその 「暴走」 の破綻の影を思うとき、. に述べている―. なかなかに興味深いものがあるといってよい。. 構造改革の進行を間近に見ているうちに 「私の中に ある種の疑念が芽生えてきた。 今世紀に入ってからの ことである。 それは、. 構造改革やグローバル資本主. 義によって日本人は幸福になったのだろうか (3). という. (3) アメリカの特性 それにしても世界中に多大な影響を及ぼし続けるア メリカという国は、 一体どんな国なのだろうか。 確かにアメリカ主導の金融資本主義の 「破綻」 が、. と。 戦後わが国で最も強力に 「構造. 世界経済を同時不況に陥らせ震撼させたわけだが、 そ. 改革」 なるものを推し進めたのは、 周知の小泉政権. もそもアメリカにはどんな特性なり魅力があるのであ. (2001∼2005年) であった。 「維新内閣」 =小泉内閣は. ろうか。 世界中に絶大とも言える影響力が行使できる. 「改革なくして成長なし」 のスローガンを掲げて華々. ことは、 なにか普遍性のある特性ともいえるものが、. しく登場し、 いわばなりふり構わず構造改革なるもの. 少なくとも普遍性と思わせる何かががなければなるま. を推進したのだった。 その結果は、 どうであったのか。. い。. 疑問であった」. いわゆる 「郵便局の民営化」 であったり 「医療改革」 であったり、 それによって人々は幸せになったのであ. アメリカの国家観、 立国の理念とは何だろうか。 「アメリカとは世界史上、 稀に見る. 理念国家. で. ろうか。 そうではなく、 かえって人心が荒廃し、 ある. ある」 と氏はいう。 アメリカはなぜ 「グローバル資本. いは貧富の格差、 所得格差が二極に大きく開いたので. 主義」 として、 これほどまでに自己の 「価値観」 「国. はないか、 と。 そこで、 中谷氏は言う―. 家観」 「経済観」 を世界中に広めようとしてきたのか、. 「市場原理をモットーとするグローバル資本主義に. 問うてみるべきである。. を無視し、 社会の安心・安全を喪失. 氏によると、 一つは、 それが 「世界の覇権国として. させ、 人々の間の信頼関係や安らぎを奪っていくとい. のアメリカを経済的に利するからに他ならない」。 も. う本質的な欠陥が潜んでいるのではないか」 (4) と。 し. う一つは、 アメリカ人が 「グローバル資本主義を強力. は. . 社会的価値.

(5) に推し進めてきたのは、 彼ら自身が自由と平等の理念. なったのではないかと、 中谷氏も指弾される。 なるほ. を国是とし、 そこから生まれてきた民主的なシステム. ど レポート (2008年10月) によると、 1985年. であるマーケット・メカニズムを世界中に広めること. から2005年までの間に、 日本の 「貧困率」 は急激に上. こそが. にかなうと信じてもいるからに他なら. 昇・悪化している。 もはや、 日本は 「平等社会」 「総. 。 自国の利益に叶う行動はそれ自体、 なんら. 中流社会」 とは言い難くなってきた。 かつての分厚い. ない」. (6). 正義. 怪しむに足りないが、 それ以上に自らの 「価値観」. 中間層が姿を消しつつある。 主要先進国 (2005年―再. 「国家観」 を世界に広めようとするアメリカのいわば. 分配後の数値) では、 アメリカ (17 1%) に次いで高. お節介な 「国際的責務」 「使命感」 といったものは、. い貧困率 (14 9%) となった。 他のヨーロッパ諸国は. どこから生まれてくるのか。. ほとんど10%を下回っている。. これでは、 どんな国も市場経済ではない経済社会は. しかも、 いわゆるシングル世帯では、 アメリカを抜. 「民主社会」 ではないし、 もしかすると 「人間社会」. いて世界で一番高い貧困率とさえなっている。 安心し. にすら値しないと断罪されかねない危うさも隠されて. て子どもが産めない社会になってしまっている。 ここ. いる。. まで事態は悪化してきている。 ここには、 市場原理で. 産業は、 どこの国でもまずは農業から発達してきた。. は解決の困難な課題が浮き彫りになっているといえよ. その農業の在り方が国によって異なっていた。 各国は. う。 「市場原理」 の考え方には限界があると評されて. それぞれに固有の自然の気候、 地理的条件等に規定さ. もやむをえまい。 「市場原理」 というのは、 市場経済. れながら、 独自の農業の発展と農業所得の増大を基盤. を文字通り 「至上のシステム」 と考えて、 いかなる問. に社会の近代化=工業化を実現していった。. 題もそれを徹底することによって解決可能とする観点. アメリカには、 アメリカにしかない独特の建国の歴 史があった。 それはなにか。 「宗教国家アメリカ」 の. に立つ。 氏も 「 自己責任. をドグマとする新自由主義思想. 建国であった。 なるほど、 中谷氏の指摘する通りであ. がもたらした貧困に他ならない」 (7) と断じている。 し. ろう。. かし、 自由主義は 「新」 であれ 「旧」 であれ基本原則. それは、 アメリカのルーツとはなにか、 という問題 でもある。 アメリカの歴史を覗いてみよう。 アメリカ は何も 「ヨーロッパ難民」 の集まりではない。 それは 1630年ごろ、 イギリスからやってきたピューリタンが. は 「自己責任」 を是とするものである。 現代社会で 「自由主義」 を唱える新しさとは何か。 ① 自由主義の 「人間観」 とはどのようなものだろ うか。. 新大陸に 「真のキリスト国家」 を建国することに始まっ. しばしば、 人は 「努力すれば報われる」 と言われる。. たとみられる。 ここに、 アメリカの起源があるとされ. かつて 「小泉政権」 でも強調された。 ほんとうだろう. る。 国家の建設が理想の国家を目指した以上、 そのムー. か。 報われていない人がいるとすれば、 その人は努力. ブメントは世界的な普遍性を持つと信じ込まされるこ. をしていないのだろうか。 市場経済のシステムを前提. とになる。. するなら、 努力する人あるいは努力した人全部に社会. アメリカが世界に普及してきたのは、 なにも宗教に. が報いることはできないはずである。 市場経済は 「競. 限らない。 まさしく経済においては 「市場経済のシス. 争システム」 である以上、 やむを得ないことである。. テム」、 政治においては 「民主主義のシステム」、 これ. にもかかわらず 「努力すれば報われる」 と無条件に説. らを世界中に広めようとしてきたのであった。 それを. くだけではやはり問題があろう。. 「可能」 にしたのは、 基軸通貨=ドルに象徴されるア. そもそも 「報われる」 とは、 どういうことを意味す. メリカの圧倒的な経済力、 金融力等々であった。 換言. るのであろうか。 市場経済を前提するならまずは金銭. すると、 もろもろの圧倒的な力量こそ、 自らの普遍性. 的な報酬であろう。 社会的なポジションの上昇もある。. の証ともいえたわけである。 したがって、 アメリカ型. しかし金銭的な面でも社会的な地位にも限りがある。. 金融資本主義の 「破綻」 は、 疑いもなく世界の経済的. したがって、 成功者として社会的に評価される人は限. 政治的諸関係を根底から揺さぶる。. 定されざるをえない。 「努力すれば報われる」 という. (4) 市場原理の問題性― 「人間観」 「自然観」 「経済大国」 日本も、 今となっては 「貧困大国」 に. 言説に、 どことなく胡散臭さを伴って感じられるのは、 そういう背景があるからであろう。 「努力しても報わ. .

(6) れない」 というのでは初めからおかしいし救われもし. そんな日本人といえども、 純粋無垢な存在ではない。. ないが、 反対に 「努力すれば報われる」 と説くのは人々. 日本人もまさに市場経済、 資本主義の中に生活してい. をミスリードしてしまう 「危険性」 がある。 「報われ. るわけである。. ていない人」 「報われない人」 「報われなかった人」 が. 人間が自然の中で生かされているというところから. いるとして、 だからといって 「努力していない人」. 自然信仰があるだけに市場経済の中にいる日本人は自. 「努力しない人」 「努力しなかった人」 とは言えないは. 然と共生しながら経済活動をおこなうし、 自然の恵み. ずだから。. をうけながらも、 ときには自然を破壊することも自然. 自由主義の 「市場経済」 は、 人々を競争へ競争へと. からの破壊的な影響を受けることすらもある。 自然と の共生が、 日本人の 「共同生活性」 あるいは 「集団主. 駆り立てて止まない無情なシステムなのであろうか。 「マーケットは匿名性のある需給調整の場にすぎず、 人々の精神的なよりどころにはなり得ない」 (8) ―とま で中谷氏はいう。 「市場には心がない」 (サムエルソン)、 (9). 義的」 な振る舞いを生み出したことも確かなことであ る。 ところで、 西欧文明は 「一神教の世界」 「キリスト. 。. 教の世界」 である。 それが 「自然観」 に与えた影響は. 市場参加者は、 紛れもない人間でありながら― 「経済. 大きい。 氏によると 「西欧文明においては、 自然の山. 主体」 としては消費者であれ、 生産者であれ、 それは. や谷、 あるいは野生の動植物といった存在は基本的に. 「市場には邪心がある」 (都留重人氏) ともいわれる. 人間の経済的諸関係としての表現であるとみられるか. 悪. であり、. 悪. であるがゆえに人間がそれを征服. らであろう。 しかし、 市場参加者は 「消費者」 であれ. しなければならないと考える」 (11)。 こうした 「自然観」. 「生産者」 であれ生身の人間であることは間違いない。. 「自然征服観」 は 「自然科学」 「近代科学」 の発達を促. 社会性を持つ人間であるといってもいい。 市場が人間. したといえるだろうし、 自然力を活用した動力に基づ. 同士の競争の場と化してしまえば、 そこには 「成功者」. いて、 機械制工業=量産型製造業の確立を軸に資本主. 「敗者」 が生まれることになってしまう。 そのことを、. 義的市場経済を生み出したともいえる。. 現代の 「市場主義」 があますところなく教えている。. 日本では、 自然との共生から生まれた 「共同性」. だが、 市場による評価は 「万能」 ではないし、 所詮限. 「協調性」 「集団主義」 が日本流の 「市場経済」 の起動. 界がある。. 力になり、 わが国を有数の 「経済大国」 に押し上げた. ② 自由主義の 「自然観」 とは、 どのようなもので あろうか。 「自然観」 を問うことは、 その思想の根本的な考え 方を質すことになろう。 そもそも思想や社会のシステ ムというものは、 ある特定の自然環境なり土壌のもと. と言えよう。 単一のワールドカーはなくとも、 車その ものは世界中で走っているわけである。 市場経済の各 国別の個性をそぎ落としても残る一般性は、 当然なが ら人類史の特定の歴史的時期を形成するものである。 (5) 日本の役割. に形成されるものだからである。 その意味からすると、. 日本は、 日本らしいスタイルでどのように世界に貢. 全世界に普遍的な特定の思想なり社会システムが存在. 献することができるのであろうか。 これまで、 わが国. しうると想定することはほとんど不可能に近いともい. で国際化、 国際貢献と言えば、 とかくわが国が海外発. えよう。 世界中に遍く通用する単一の 「ワールドカー」. のスタイルに合わせることだった。 日本独自のスタイ. なるものが存在しないに等しいのかもしれない。. ルでは貢献できないのか。. それはともかく自由主義のよって立つ 「自然観」 と はなんだろうか。. 小泉政権では、 さまざまな構造改革が行われたわけ だが、 それはいわば内なる国際化として遂行されたも. その前に、 日本についていえば、 「自然との共生の. のだ。 その結果は先の指摘の通り、 国民の間で所得・. 思想」 であると言えよう。 このことは、 従来から多く. 資産などの格差が拡大した。 平等社会日本の良さが失. の人々の指摘する通りであろう。 日本人が本来的に持っ. われつつある。 となると改革の意義、 狙いが改めて問. ているのは 「自然は天から与えられたもの」 「人間は. われる。. 自然の中で生かされている」 「木のことは木に聞け」. 中谷氏によるといくら改革を唱えても 「新自由主義、 ではないということ」 (12) に気. といった思想である。 こうした考え方は 「資本主義の. 市場主義だけが. 中には存在しない」 とも氏は言われる (10)。. 付くべきであるという。 確かに、 威勢よく改革、 改革. . 正解.

(7) と叫べばいいわけではない。 日本を再生させるために. ねない。 それはそもそも国家の本質的な性格に由来す. はわが国に相応しい改革があるはずである。 日本的な. るものである。 国民生活、 企業の経済活動との関連か. システムとその改革は、 わが国の土壌、 文化、 習慣、. らすると行政単位は大き過ぎると社会にとって重荷に. 歴史等々に根差すものでなくてはなるまい。. なる。. 氏の提言する改革案をみてみよう。 税制改革―格差. いずれにしても 「社会のつながり、 人間同士の信頼. を是正する上で 「税制改革」 は必要である、 という。. を回復していく以外に、 日本を再生する道はない」 (16). 日本の所得税率は、 今日、 税率の累進性が緩和され高. といわれるのは、 その通りであろうが、 それは何も日. 所得者に有利になっていたのは否めない。 となれば、. 本だけの話ではないと思われる。. 所得の再分配政策も見直すべき時に来ているのかもし れない。. 済はときに行き過ぎたり、 逆に歯止めを掛けたりとジ. また、 氏はいう― 「 大きな政府 はできる」. アメリカでさえ、 中谷氏の指摘するように、 市場経. (13). でも経済活性化. と。 では、 なぜ 「大きな政府」 なのか。. グザグに進んでいくほかないことを、 その歴史が教え ている。 わが国ではしばしばアメリカが何か常にピュ. それは、 アメリカ流の構造改革の結果として、 氏は日. アな資本主義的市場経済であると勘違いしてしまうこ. 本型の長期雇用保障システム=会社の終身雇用制が崩. とがある。. 壊したとみる。 しかしながら 「正社員中心の雇用体系」. 構造改革を実行して初期の成果が得られないとする. に戻して 「終身雇用を保障すればいいか」 といえば、. と、 現にそれは構造改革の 「不徹底」 ないし 「遅れ」. そうはいかないという。 中国やインドなどの新興国に. によるものと言われたりした。 これは偏狭で一面的な. 競争力で不利になる。 従来のような終身雇用制は復活. 「市場原理主義」 的見方ということになるだろう。 ア. できない。. メリカでさえ経済的諸問題・諸困難は避けられないの. 終身雇用制の崩壊は、 必然的に労働市場の流動性を. であるから。. 要求する。 労働市場の流動性があってこそ、 産業構造. アメリカ的なシステムの日本的受容が容易ではない. がスムーズに転換できる。 そのためには 「職業訓練所」. ように、 日本的な経済システムを世界に、 とくにアメ. を整備する必要があろう。 これを全国規模で整備する. リカに輸出することはミクロのレベルではともかく、. ためには、 相当な財政負担が生じる。 「小さな政府」. 相当な困難を伴うはずである。 アメリカの土壌にはア. に拘泥することなく、 「大きな政府」 のもとに産業構. メリカ的な国家観、 市場観、 経済システムがあり、 日. 造の転換を促していけば経済の活性化が期待できる、. 本の土壌には日本的な国家観、 経済システムが似合っ. と氏は考える。. ている。 それぞれに、 特色のある市場経済として広く. 職業訓練所を整備する程度で、 直ちに 「大きな政府」 になるとは思えないが、 ほかに、 中谷氏によると社会. 国際間での国相互で学習し合うことが大事になってく る所以である。. 保障政策の拡充がある。 氏は 「基礎年金は税方式」 を 提言し、 その財源として 「現行の消費税率を上げて、 福祉目的税にする」. (14). と主張する。 他方では、 氏は. 「地方分権こそ、 日本経済再生のカギ」 とも言われる。 なぜか。 一度壊れた 「日本社会の連帯や安心感を取り 戻すことを. 国家. に期待する」 ことはできないから. (1) 拙稿 「市場経済の秩序と道徳 (Ⅲ)」. (2) 中谷巌、 前掲書。 なお、 本文での同書からの引用は、 煩雑 さを避けるためにも全ての引用箇所について明示すること はしない。 (3) 同上、 72ページ。 (4) 同上、 73∼74ページ。. であり、 さらに氏は 「国家ができることと言えば、 す. (5) 同上、 202ページ。. べての国民に対して最低限の生活を物質的・金銭的に. (6) 同上、 209ページ。. 保障する程度のことにすぎない。 …個人個人の心のケ アや仲間同士が支え合うことによって生まれる連帯感 や安心感は国家は提供できないのである」. (15). と言う。. そのような 「連帯感」 「安心感」 を提供する国家が. 高崎商科大学紀要. 第26号 (2011年12月) 参照。. (7) 同上、 361ページ。 (8) 同上、 388ページ。 (9) 都留重人. 市場には心がない―成長なくて改革をこそ. 岩. 波書店、 2006年、 3ページ。 (10) 中谷巌、 前掲書、 401ページ。 (11) 同上、 252ページ。. あるとすると、 それは確かにかつての 「ソ連」 のよう. (12) 同上、 376ページ。. な極度に中央集権的な強権的社会ということになりか. (13) 同上、 389ページ。. .

(8) (14) 同上、 380ページ。. 氏は端的に指摘している、 体制を告発するかのよう. (15) 同上、 397ページ。. な気迫すら込めて… 「生命の危機」 「気候変動の脅威」. (16) 同上、 399ページ。. 「社会的ストレス」 「失業」 「飢え・極度の貧困」 「暴力」 に満ちている (3) と。 ② 現在の経済学について. . 世界秩序が20世紀型の米ソ2極支配構造が世紀末に. 経済学の鼻祖と言えば、 それはA. スミス、 確かに かれは主著. 国富論. で 「市場に焦点」 を当てたので. 崩れて、 アメリカの1極支配構造へ変質するなか、 地. あった。 氏の思いは、 経済学が 「市場」 = 「経済」. 球規模においてグローバリズムが猛威を振うことになっ.  の領域) に自らの課題を限定するかのように設定す. た。 しかしながら、 グローバリズムが経済的格差や貧. る限り、 多くの社会的問題が解決できず、 却って肝心. 困、 経済停滞などの社会的な諸問題を解決できないこ. の経済の問題でさえ解決できないということなのであ. と、 むしろこれらの諸問題を解決の困難な状況へと追. ろう。 つまり、 経済問題の解決のためには、 経済学は. い込んでいく姿がだんだん明白になってきたといえる. 他の関連領域についても何がしかの解決の手がかりを. のではないか。 これまで見てきた中谷巌氏の著作にも. 提起できなければいけないのである。 いわゆる 「経世. 言及されている通りであって、 ことは何もアメリカ一. 済民」 という言葉自体、 経済なる範疇の固有な性格を. 国の問題にとどまらない。 もはや旧来の経済学なり、. 表しているともいえよう。 それは、 ほんらい経済を. 経済システムでは対応の不可能な段階に差し掛かって. 「経済」 そのものの領域に限定しては、 経済問題さえ. いるのではないのかと思われるである。. 解決することは困難であることを物語っている。. そこで、 以下に、 さらに中谷氏の議論を超えて 「よ. 既存の経済学について― 「私たちの議論の出発点は、. りよい世界のための経済学」 「新しい経済学」 を大胆. いわゆる新古典派経済学の批判だった」 (4) という。 そ. に提起しようとしているR. アイスラーの所説 (1) を. の一体どこに、 どんな問題点があるのだろうか。 その. 検討していくことにしよう。. 一つは、 学的展開の前提事項である 「 合理的な経済. (1) 現在の経済システムと経済学. 人. は合理的な自己利益に基づいて経済上の選択を行. アイスラーは、 今後、 われわれ人類が生き残ってい. う」 という基本命題。 もう一つの前提として問題なの. くためには 「現在の経済システムを変えなければなら. が 「こうした自己利益に基づいた選択は競争によって. ない」 と高らかに宣言する。 ことほどさように氏は、. 調整され、 最終的には共通の利益のために機能する」. 尖鋭な問題意識、 危機意識を持っている。 そして 「私. という 「定理」。 これと関連して、 「政府はなるべく市. は新たな観点から経済学を探求し始めた」 として、. 場に干渉しないのが望ましい」 (― 「新保守主義」 「新. 「現在の経済モデルのもつ最良の要素を保ちつつ、 そ. 自由主義」 の思想) としている点にある (5)。. れだけではなく、 真の意味で人間のニーズを満たすか. これらの前提によって、 既存の経済学は 「閉じたルー. たちで私たちが生活したり生計を立てたりできるよう. プ」 のようであって、 経済学自身の問題解決能力を著. な経済学が必要だと感じた」、 さらに、 また 「経済学. しく減殺しているとみられている。 こうした批判は中. にはもっとずっと幅のあるアプローチが必要だとも思っ. 谷氏の 「自己反省」 にも相通じるものがある。. た。 より広範囲の社会や自然に関する背景を考慮に入. (2) 新しい経済システム・経済学. れて取り組む必要があると思ったのである」 (2) と言う. これまでの経済システムと経済学に対する批判から、. 氏は新しい観点から、 新しい内容の経済システムと. 氏にとっての新たに取り組むべき課題は自ずと提起さ. それを読み解く経済学を構想するのである。 では、 現. れてくる。. 在の経済システム、 経済学の何が問題なのであろうか。. ① 新しい経済システムについて. 氏の言葉から、 ある程度推察できることとしていえば、. 氏は、 新しい経済システムを語るとき 「人間の福祉. 現代の経済システムも経済学も私たちが生きる上で十. と人間の幸福を促進するべきものだという根本的な前. 分期待に応えてないということだ。 むしろその反対か. 提」 に立つ。 というのは、 氏は 「思いやりの経済シス. もしれない。. テム」 (6) という壮大な経済システムを構想するからで. ① 現在の経済システムについて. . ある。 なぜなら、 「経済のグローバル化が加速し、 金融.

(9) や技術の国際的な流れを支配する企業が依然として思. 悲惨な結果を引き起こしている」 ことに気が付かない。. いやりのない原則に従った行動をとっている今、 思い. 「従来型の費用便益分析では、 母なる地球を思いやる. やりの経済がかつてないほど緊急に求められている」 (7). ことは不利益になるものとみなされ、 最近まで経済理. と思われるからである。 そこで新しい経済モデルの全. 論において問題にさえならなかった」 という。. 体像をみよう。. 氏によると、 これらの6つの 「経済分野」 は絶えず. 氏の捉える 「経済関係の全領域」 とは、 どんなもの. 相互に作用しあっているので、 これらすべてを考慮し. (8). ないでは現在の世界の変化を起こし促すことなどでき. それは、 6分野から成るものだ。 第1の分野は 「中. ない。 とくに、 「課題は、 1、 2、 6番目の分野を認. 核分野」 としての 「家庭経済」。 第2分野は 「無報酬. 識し、 高く評価する経済モデル・対策・原則を作り出. の地域経済」。 第3分野が 「市場経済」。 第4分野は. すことであ」 って、 そのことは 「人間のニーズと能力. 「不法経済」、 第5分野 「政府経済」 そして第6分野は. が搾取されずに育まれ、 自然の生息環境が破壊されず. 「自然経済」。. に守られ、 そして思いやりと創造性に対する私たちの. か. 。. 最初の 「家庭経済」 についてみよう。 これは 「単な る消費の単位ではない。 …生産の単位なのである」、. 大いなる潜在能力が抑制されずに支援されるような、 思いやりの経済システムの根幹をなす」 (9) という。. そしてその生産物は 「人々」 = 「質の高い人的資源」. このように、 氏の立論を見てくると、 「思いやり」. だ。 これまでの経済学では、 「この質の高い人的資源. とこれと関連して 「世話をすること」 が新しい経済の. を生み出すために必要な思いやることと世話をするこ. キーワードとなっていることがよく分かる。 まさしく. とに対して、 まったく関心が払われていない」。. 「思いやりの経済システム」 である。. 2番目の地域経済はどうか。 これは、 無報酬の分野。. ところで、 経済システムは、 歴史的な人類の営為に. ボランティアの仕事や 「地域通貨経済」 などで、 ここ. よる産物といっていいだろう。 その意味では決して万. では 「思いやることと世話をすることが重要な活動」. 古不易なものではない。 もっとも、 人間社会において. となる。. は 「その根底にある文化的価値観と、 経済システムも. 3番目の領域は、 市場経済で 「従来型の経済分析や 経済指標」 の対象となる。 市場経済においては、 会社 は従業員の 「思いやりを促すよりも妨げがちである場 合が多い」。 4番目は、 「不法経済」。 ここは 「麻薬取引」 「一部. その一部となっている社会構造」 (10) は、 容易には変わ らないというのは、 氏の指摘する通りであろう。 「思いやりの経済システム」 をリードするものこそ、 氏の提唱する 「新しい経済学」 ということになる。 ② 新しい経済学について. 武器取引」 など犯罪組織、 反社会的組織によって支配. 氏の構想する経済学は 「一般的に考えられている経. されている経済領域。 「思いやりが欠如していること」. 済学の範囲を超えている」 (11) と見做される。 これは氏. は言うまでもない。. の観点からすると当然、 予想される。. 5番目の分野は 「政府経済」。 これは 「公共サービ. さて、 現代の経済理論では、 氏によると 「何に価値. ス」 を提供する。 しかし、 ほとんどの国で 「政府の政. があるのかは需要と供給の問題」 である。 しかし、 こ. 策は、 すべての経済分野の前提となっている家庭や無. れでは、 「文化的な考え方によって需要は大きく左右. 報酬の地域経済が行う思いやりや世話の活動をほとん. される」 ことを見逃してしまう。. ど支援していない」。 むしろ、 政府の政策は大衆には. 「ある経済的価値とは何であるかの基準として、 そ. 冷淡で、 富裕層に目を向けている場合が多いし、 乱開. れよりもずっと理にかなっていて現実的なものは、 何. 発や汚染から 「自然を守れていない」 ともいう。. が人間の生存と人間の発展を支援し、 促進するのか」. 6番目の領域。 これは家庭経済と同じように、 経済 の基本を成す 「自然経済」 である。 「自然環境も、 市. であるという。 こうした見方からすると 「思いやりの姿勢―つまり、. 場経済を維持するもととなる資源を生み出している」. 自分自身や他者、 自然環境の繁栄と発展に対する気遣. にも拘らず 「従来型の経済モデルは自然にほとんど価. い―は高く評価される。 家庭ないであろうと、 企業、. 値を与えていない。 その結果、 …いっそう強力な科学. 地域社会、 あるいは政府の中であろうと、 世話をする. 技術に移行するにつれて、 自然が開発され、 ますます. 仕事や思いやりの環境を生み出すことにも高い価値が. .

(10) 置かれる」 ことになろう (12)。. 休暇まで―への投資が、 生活全体の質の向上や、 より. 「思いやりの経済学」 こそ、 新しい経済学であると. 幸福な国民、 より効率的で革新的な経済への投資にな. いうわけである。 需給関係に基づいた単なる 「経済的. ることに気づいた」 (16) とのアイスラー氏の指摘がある. 価値」 とは異なる、 「思いやり」 に基づいた 「価値」. が、 こうなるとお互いを尊重し合う人間関係・「信頼. 評価こそ、 アイスラー経済学の真骨頂であるといえる. 関係」 は、 もはや国際的な普遍性のある 「インフラス. ものである。 しかしながら、 「思いやりの価値」 をい. トラクチュア」 といっても過言ではないだろう。. かに評価するのか、 その手法は明確になっていない。. このように、 すでに現実に 「思いやりの経済」 が、. そもそも 「思いやりの仕事」 とはなんだろうか。 そ. 十全な形ではないかもしれないが、 国際的に存在して. れは、 「人間の幸福と人間の最適な発展に対する共感、. いることは 「思いやることと世話をすることにもっと大. 責任、 気遣いに基づいた行動を指す」 という。 思いや. きな価値を置くことによって個人・社会・経済が得ら. りの姿勢で取り組む思いやりの仕事―これは、 「家庭. れる便益が非常に大きいことを実証している」 として、. や地域社会から企業や政府まで、 生活のすべての分野. 改めて 「私たちが一から始める必要はないのだという. における思いやることと世話をすることの認知度を高. ことも示している」 ともいえるし、 こうした方向への. め、 それに価値を与える」 とみている。 「思いやりの. 動きが出ていることはなるほど 「政策や制度が、 脱工. 姿勢とは、 子供や病人や老人の世話から、 従業員や顧. 業化経済への移行に際して、 世界中で再現したり手を. 客、 ビジネス上の他のステークホルダーに至るまでの. 加えて適応させたりできるモデルを提供している」 (17) と. 全領域に橋渡しをする」 (13)。 思いやりは、 なにも教育. みることもできる。. や福祉、 看護などの領域に限定されないという。. 変わるのが容易ではない社会制度ではあるが、 変化. ビジネスの世界も同様だ。 「思いやりのビジネスは、. の方向が見えているとすれば 「思いやりに価値をおく. 従来の思いやりのないビジネスに比べて、 単に金銭面. 経済学」 にはその方向へと市場経済のシステムを牽引. を見ても収益性が高い」 と言う。 アメリカで成功して. していく力が秘められているとも言えよう。 ただし. いる会社の例― 「ソフトウェア会社 インスティ. 「思いやりの価値」 がいかに 「価格表現」 されるのか、. チュートが極めて高い収益を上げているのは、 同社の. あるいは新システムに相応しい別のどんな把握の仕方. 経営方針が. があるのか、 やはり大きな問題として残されている。. 従業員の福利. を最優先にしているから. にほかならない」 し、 ほかにも、 スーパーマーケット・. それは性格上 には包含されないというのでは問. チェーンの 「ウェグマンズ」 やキッチン・バス用キャ. 題解決に近づけないし、 また安易に 「経済成長の促進. ビネットのメーカー 「アメリカン・ウッドマーク社」. 要因」 と見做すわけにもいかないであろう。. などが知られている. (14). 。. これについて、 氏は言う― 「こういった企業は、 従 業員や家族の幸福に対する気遣いが、 能力や協調性を. 思いやりの価値の評価法が確立するとき、 それが中 心の概念となって展開されてこそ新しい経済学がまさ に学的体系として形成されるであろう。. 高めることにつながり、 創造性と変革を促進し、 組織 全体の能力に貢献するだけでなく、 対外的なビジネス. (1) リーアン・アイスラー、 前掲書。 中谷氏の著作の場合と同. 関係の向上にもつながることに気づいている。 …思い. 様に、 アイスラー氏の所説の検討にあたっても、 同書から の引用箇所は全てについて明示しているわけではない。. やりのない姿勢ではなく思いやりのある姿勢こそが、. (2) 同上、 12∼13ページ。. 人々と企業の双方のためになることを理解している」 (15). (3) 同上、 12ページ。. と。 ここまでくると、 中谷氏の議論とのかなりの 「共通 性」 が浮かび上がってくるようだ。 氏は日本再生の道 を探るなかで、 社会の 「連帯感」 「安心感」 あるいは. (4) 同上、 23ページ。 (5) 同上、 24ページ。 (6)(7) 同上、 13ページ。 なおここの 「思いやりの経済システ ム」 は、 原文では           となっている (

(11)    .             ) が、 別のところでは         .   . や      .     . なども多用されている。. 「社会のつながり」 「人間同士の信頼」 の大切さを訴え. (8) 同上、 26∼29ページ参照のこと。. ていた。 まさしく日本式経営を彷彿させるものがある。. (9) 同上、 29ページ。. ノルウェーなど北欧諸国は、 すでに 「思いやりの政 策や制度―国民皆保険や保育給付から手厚い有給育児. . (10) 同上、 30∼31ページ。 (11) 同上、 13ページ。.

(12) (12) 同上、 32ページ。 (13) 同上、 33ページ。 (14) 同上、 34ページ。 (15) 同上、 35ページ。 (16) 同上、 36ページ。 (17) 同上、 37ページ。.  ここで以上の検討結果を振り返り、 若干の含意をま とめておくとしよう。 (1) 中谷氏は 「アメリカ型資本主義経済」 への反省 に立ち、 本来の日本型経済への回帰の重要性を説かれ ていた。 アメリカ自身、 それまでの市場経済の在り方 の自己反省を迫られているとも言う。 しかしアメリカ は、 アメリカのよって立つ独自の精神性・建国理念も あれば、 自然地理的な条件もある。 国際間で相互に尊 重し学習し合うことの重要性を再認識する必要がある。 (2) 他方、 アイスラー氏の議論には、 旧来の伝統的 な 「経済システム」 および 「経済学」 の限界―歴史的・ 理論的・現実的な―を明確にし、 それを乗り越えよう と苦闘する姿を見出すことができる。 なお、 いまだ新 しい経済学が体系化されたわけでも、 新たな経済シス テムが全体として創出されたわけでもないが、 そうし た方向へ前進できる道筋を提示していることは確かで ある。 (3) しかしながら、 現下の市場経済の問題性が剔抉 されても、 これまでの 「市場経済のシステム」 を国際 的にも通底するいわば歴史貫通的な歩みを押し流して、 それに取って代われる新たな本流となりうる 「市場経 済の原理」 があるのか否か、 あってもそれはもはや市 場経済とは言えない 「代物」 なのか、 根底から問いた だされることになると思われる。. .

(13)

参照

関連したドキュメント

ところで、モノ、ヒト、カネの境界を越え た自由な往来は、地球上の各地域の関係性に

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

7.自助グループ

経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を

層の積年の思いがここに表出しているようにも思われる︒日本の東アジア大国コンサート構想は︑

17‑4‑672  (香法 ' 9 8 ).. 例えば︑塾は教育︑ という性格のものではなく︑ )ット ~,..

⑥同じように︑私的契約の権利は︑市民の自由の少なざる ⑤ 

本稿で取り上げる関西社会経済研究所の自治 体評価では、 以上のような観点を踏まえて評価 を試みている。 関西社会経済研究所は、 年