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岡山大学埋蔵文化財調査研究センター報 第54号

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Academic year: 2021

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(1)

岡山大学

上:双口土器 左:深鉢 右:土器取り上げ風景(津島岡大遺跡第5次調査:1988年)

54

2015 Autumn 2015年10月30日 発行 岡山大学埋蔵文化財調査研究センター 〒700-8530 岡山市北区津島中3丁目1番1号 TEL・FAX.(086)251-7290 [ホームページ] http://www.okayama-u.ac.jp/user/arc/archome.html

編 集 後 記

 今回は、遠方から運ばれてきた土器を取り上げま した。土器自体を得ることが目的だったのか、それと も容器として運ばれたのか。それは今後の課題で すが、縄文時代の広いネットワークの一端を感じて 頂けたらと思います。        (山口雄治)

 縄文土器のかたち・文様・作り方は、時期や地域によって異なってい

ます。津島岡大遺跡では縄文時代後期~晩期(約4500 ~ 2800年前)

に、在地の土器に混じって一風変わった土器がいくつか見つかっていま

す。こうした土器は他地域からの影響を強く受けたものであり、それら

の製作地や来歴を探ることで、当時のモノや人の動きといった地域間の

交流について語ってくれます。

 ここでは同遺跡第5次調査で出土した2点の土器を紹介します(表紙

下写真)。これらは縄文時代後期中葉(約3800年前)のもので、北陸

や関東地方の土器と非常に良く似た特徴をもっています。遠く離れた地

域との交流を示すこれらの土器を、よく観察してみましょう。(山口雄治)

運ばれてきた

土器

-縄文時代の

遠隔地

交流-

津島に広がる弥生時代前期の水田風景

~津島岡大遺跡第36次発掘調査成果から~

 2015年5月~6月に実施した津島岡大遺跡第36次 調査では、弥生時代前期以降の水田跡がみつかりま した。調査地点である津島キャンパスの南西部は、 これまで調査の機会が少なく、土地利用や生業活動 に関するデータが限られていました。今回の調査では 弥生時代前期の水田跡がみつかり、この時期の耕作 地が南西にも広がっていたことがわかりました。  水田は弥生時代早期までに形成された植物の腐植 土層である「黒色土」の上に作られています。確認 された水田の区画(畦畔)は、大きいものでも1.8m  2015年7月19日に岡山市大供公園で開催された「第 1回鹿田夏祭り」(主催:鹿田学区活性化推進委員会) に参加しました。本センターが作成した鹿田遺跡のマ スコットキャラクター「しかたん」を、夏祭りのメイ ンキャラクターに据えたい、という主催者の方からの 熱いオファーに応えたものです。  出店ブース内では、パネル展示のほか、発掘体験・ くじ引き・着ぐるみ「しかたん」との撮影コーナーを 設け、幼児・小学生を中心として多くの方に楽しんで 頂きました。その数は延べ1000名に上りました。また、 お祭り会場には地元町内会有志が作成した着ぐるみ 「しかたん」も登場し、会場は大いに盛り上がりました。 (岩﨑志保) ×1.1m程度で、大人一人が作業できるくらいのスペー スしかありませんでした。このような小さな区画の水 田は、図書館(第12次調査)や新技術研究センター(第 3・15次調査)地点の調査でもみつかっており、水 稲農耕導入期における特徴の一つと言えるでしょう。  津島岡大遺跡の南には津島遺跡があり、こちらで も弥生時代前期の水田跡がみつかっています。今回 の調査成果は両遺跡の間を埋めるもので、今後は旭 川西岸の微地形や水田経営、景観の具体的な復元 を行っていきたいです。        (南健太郎)

最近

調査か

鹿田夏祭り、

“しかたん”現る!

上層水田の掘削 畦畔 黒色土 水田 弥生時代前期の水田畦畔 上層畦畔 下層畦畔 黒色土 本センター製作「しかたん」(左)と地元町内会有志製作 の「しかたん」(右)の顔合わせ。地元テレビ局にも取り上 げられました。いかがでしょうか。

(2)

縄文土器の地域性

 縄文土器は、時期や地域によって特徴が異なります。 ここで取り上げる縄文時代後期中葉では、深鉢の形や 文様などから右図のような大きな地域的まとまり(地域 性)がみられます。これを把握することが、土器の出自 を知る上で重要です。  例えば中・四国地方では、胴部が膨らみ口縁部に4 つの頂部をもつ器形が一般的です。それに対して関西地 方では胴部の形は共通していますが、口縁部の頂部が 3点です。さらに関東地方まで行くと、口縁部の頂部は 3つですが、胴部が直線的に開くバケツ形になります。  このように、土器の特徴は、距離が離れる程その変 化が明瞭になります。

運ばれてきた土器

交流の継続・拡大

 津島岡大遺跡第5次調査では、1000点を越える縄文 時代後期中葉の土器が出土しており、その中には遠隔 地から運ばれてきたと考えられる土器が含まれています。  下図左(表紙写真左下)の土器を在 地の土器(下図右)と比較してみましょう。  土器の形は、広く平らな底部から直線的に開く胴部と、 口縁部にある3つの頂部が特徴的です。文様は、縦に 連続した渦巻文を中心に磨消縄文が施されています。そ れに対して在地の土器は、小さく凹んだ底部から胴部が 膨らみ、口縁部の頂部は低く4ヶ所です。また文様はほ とんど縄文のみです。このように、両者の違いは明白です。 また見た目には胎土も異なることから、他の地域から運 ばれてきたと考えられます。では、どこから来たのでしょ うか。  土器の形は関東地方のものと似ていますが(上図)、 文様は異なっています。似た文様は北陸地方西部にあり、 同地域にはバケツ形の土器もあるので、ここが故地の候 補として有力です。  口縁部は欠けていますが、筒状 の胴部片から形状が復元できます (下図・表紙写真中央)。外面に施された9本前後の櫛 状工具による流水文風の文様や、3~6本の波状の文 様が特徴的です。また、沈線の間には赤い顔料が残っ ており、美しく飾られた土器の姿が浮かび上がります。  双口土器は主に関東地方で出土していますが(右下 写真)、全国的にみても出土数が少ない土器で、縄文 時代後期の西日本での報告例は津島岡大遺跡のみで す。こうした点から、在地で模倣されたというよりは、持 ち込まれたものと考えられます。但し本例は、関東地方 のものと文様を比較すると精巧さに欠けています。同地 域のものが運ばれてきたというよりは、東日本のどこかで 模倣されたものがこの地に運ばれてきた可能性も考えら れます。  上に紹介したように、津島岡大遺跡からは北陸地方 や東日本といった遠隔地から運ばれてきたと考えられる 土器が出土しています。その他に双口土器と同様の文様 が施された注口土器も出土しており、関東地方との関わ りが示されます。このように、後期では東方との交流の 痕跡をたどることができます。  縄文時代晩期末になると、北陸や東北地方の土器以 外に、九州地方の影響を受けた遺物が出土するように なります。東方との交流が継続する一方で、新たに九州 地方からのモノの動きが活発化します。西方から来る新 来の文物は、後期以来の交流網をベースとしながら東 方へと広がっていったのでしょう。 津島岡大遺跡 【中・四国】 【九州】 【関西】 【関東】 【東北】 縄文時代後期中葉土器の 地域性 文様意匠 無文 低い頂部が4ヶ所 凹んだ小さな底部 縄文 縄文 縄文 緩く膨らんだ胴部 無文 + 頂部が3ヶ所 平らで大きな底部 文様意匠 直線的に開く胴部 縄文 無文 + 5cm 5cm 縮尺 (1/4) 縮尺 (1/3) 在地の深鉢 北陸地方から来た深鉢 2つの口縁部をもつ 東日本から来た双口土器 残存部 5cm 縮尺 (1/3) 神奈川県金子台遺跡出土の双口土器 筒状の胴部が左右に立ち上がり、 二つの口縁をもち ます。櫛状工具で文様が流麗に描かれています。

流通する石器素材

Column

 津島岡大遺跡では香川県金山産のサヌカイトが集積 した状態で見つかっています(右写真)。サヌカイトは 縄文~弥生時代を通じて石鏃などの鋭利な石器の素材 としてよく用いられています。瀬戸内海沿岸域では、 こうしたサヌカイトの集積した遺跡が点在しており、 各地に供給されていたことがうかがえます。  瀬戸内海は西日本交通の大動脈として歴史的に重要 な位置にありますが、それは縄文時代においても変わ りないものだったのでしょう。 集積したサヌカイトの石器素材(津島岡大遺跡第 15 次調査)

(3)

縄文土器の地域性

 縄文土器は、時期や地域によって特徴が異なります。 ここで取り上げる縄文時代後期中葉では、深鉢の形や 文様などから右図のような大きな地域的まとまり(地域 性)がみられます。これを把握することが、土器の出自 を知る上で重要です。  例えば中・四国地方では、胴部が膨らみ口縁部に4 つの頂部をもつ器形が一般的です。それに対して関西地 方では胴部の形は共通していますが、口縁部の頂部が 3点です。さらに関東地方まで行くと、口縁部の頂部は 3つですが、胴部が直線的に開くバケツ形になります。  このように、土器の特徴は、距離が離れる程その変 化が明瞭になります。

運ばれてきた土器

交流の継続・拡大

 津島岡大遺跡第5次調査では、1000点を越える縄文 時代後期中葉の土器が出土しており、その中には遠隔 地から運ばれてきたと考えられる土器が含まれています。  下図左(表紙写真左下)の土器を在 地の土器(下図右)と比較してみましょう。  土器の形は、広く平らな底部から直線的に開く胴部と、 口縁部にある3つの頂部が特徴的です。文様は、縦に 連続した渦巻文を中心に磨消縄文が施されています。そ れに対して在地の土器は、小さく凹んだ底部から胴部が 膨らみ、口縁部の頂部は低く4ヶ所です。また文様はほ とんど縄文のみです。このように、両者の違いは明白です。 また見た目には胎土も異なることから、他の地域から運 ばれてきたと考えられます。では、どこから来たのでしょ うか。  土器の形は関東地方のものと似ていますが(上図)、 文様は異なっています。似た文様は北陸地方西部にあり、 同地域にはバケツ形の土器もあるので、ここが故地の候 補として有力です。  口縁部は欠けていますが、筒状 の胴部片から形状が復元できます (下図・表紙写真中央)。外面に施された9本前後の櫛 状工具による流水文風の文様や、3~6本の波状の文 様が特徴的です。また、沈線の間には赤い顔料が残っ ており、美しく飾られた土器の姿が浮かび上がります。  双口土器は主に関東地方で出土していますが(右下 写真)、全国的にみても出土数が少ない土器で、縄文 時代後期の西日本での報告例は津島岡大遺跡のみで す。こうした点から、在地で模倣されたというよりは、持 ち込まれたものと考えられます。但し本例は、関東地方 のものと文様を比較すると精巧さに欠けています。同地 域のものが運ばれてきたというよりは、東日本のどこかで 模倣されたものがこの地に運ばれてきた可能性も考えら れます。  上に紹介したように、津島岡大遺跡からは北陸地方 や東日本といった遠隔地から運ばれてきたと考えられる 土器が出土しています。その他に双口土器と同様の文様 が施された注口土器も出土しており、関東地方との関わ りが示されます。このように、後期では東方との交流の 痕跡をたどることができます。  縄文時代晩期末になると、北陸や東北地方の土器以 外に、九州地方の影響を受けた遺物が出土するように なります。東方との交流が継続する一方で、新たに九州 地方からのモノの動きが活発化します。西方から来る新 来の文物は、後期以来の交流網をベースとしながら東 方へと広がっていったのでしょう。 津島岡大遺跡 【中・四国】 【九州】 【関西】 【関東】 【東北】 縄文時代後期中葉土器の 地域性 文様意匠 無文 低い頂部が4ヶ所 凹んだ小さな底部 縄文 縄文 縄文 緩く膨らんだ胴部 無文 + 頂部が3ヶ所 平らで大きな底部 文様意匠 直線的に開く胴部 縄文 無文 + 5cm 5cm 縮尺 (1/4) 縮尺 (1/3) 在地の深鉢 北陸地方から来た深鉢 2つの口縁部をもつ 東日本から来た双口土器 残存部 5cm 縮尺 (1/3) 神奈川県金子台遺跡出土の双口土器 筒状の胴部が左右に立ち上がり、 二つの口縁をもち ます。櫛状工具で文様が流麗に描かれています。

流通する石器素材

Column

 津島岡大遺跡では香川県金山産のサヌカイトが集積 した状態で見つかっています(右写真)。サヌカイトは 縄文~弥生時代を通じて石鏃などの鋭利な石器の素材 としてよく用いられています。瀬戸内海沿岸域では、 こうしたサヌカイトの集積した遺跡が点在しており、 各地に供給されていたことがうかがえます。  瀬戸内海は西日本交通の大動脈として歴史的に重要 な位置にありますが、それは縄文時代においても変わ りないものだったのでしょう。 集積したサヌカイトの石器素材(津島岡大遺跡第 15 次調査)

(4)

岡山大学

上:双口土器 左:深鉢 右:土器取り上げ風景(津島岡大遺跡第5次調査:1988年)

54

2015 Autumn 2015年10月30日 発行 岡山大学埋蔵文化財調査研究センター 〒700-8530 岡山市北区津島中3丁目1番1号 TEL・FAX.(086)251-7290 [ホームページ] http://www.okayama-u.ac.jp/user/arc/archome.html

編 集 後 記

 今回は、遠方から運ばれてきた土器を取り上げま した。土器自体を得ることが目的だったのか、それと も容器として運ばれたのか。それは今後の課題で すが、縄文時代の広いネットワークの一端を感じて 頂けたらと思います。        (山口雄治)

 縄文土器のかたち・文様・作り方は、時期や地域によって異なってい

ます。津島岡大遺跡では縄文時代後期~晩期(約4500 ~ 2800年前)

に、在地の土器に混じって一風変わった土器がいくつか見つかっていま

す。こうした土器は他地域からの影響を強く受けたものであり、それら

の製作地や来歴を探ることで、当時のモノや人の動きといった地域間の

交流について語ってくれます。

 ここでは同遺跡第5次調査で出土した2点の土器を紹介します(表紙

下写真)。これらは縄文時代後期中葉(約3800年前)のもので、北陸

や関東地方の土器と非常に良く似た特徴をもっています。遠く離れた地

域との交流を示すこれらの土器を、よく観察してみましょう。(山口雄治)

運ばれてきた

土器

-縄文時代の

遠隔地

交流-

津島に広がる弥生時代前期の水田風景

~津島岡大遺跡第36次発掘調査成果から~

 2015年5月~6月に実施した津島岡大遺跡第36次 調査では、弥生時代前期以降の水田跡がみつかりま した。調査地点である津島キャンパスの南西部は、 これまで調査の機会が少なく、土地利用や生業活動 に関するデータが限られていました。今回の調査では 弥生時代前期の水田跡がみつかり、この時期の耕作 地が南西にも広がっていたことがわかりました。  水田は弥生時代早期までに形成された植物の腐植 土層である「黒色土」の上に作られています。確認 された水田の区画(畦畔)は、大きいものでも1.8m  2015年7月19日に岡山市大供公園で開催された「第 1回鹿田夏祭り」(主催:鹿田学区活性化推進委員会) に参加しました。本センターが作成した鹿田遺跡のマ スコットキャラクター「しかたん」を、夏祭りのメイ ンキャラクターに据えたい、という主催者の方からの 熱いオファーに応えたものです。  出店ブース内では、パネル展示のほか、発掘体験・ くじ引き・着ぐるみ「しかたん」との撮影コーナーを 設け、幼児・小学生を中心として多くの方に楽しんで 頂きました。その数は延べ1000名に上りました。また、 お祭り会場には地元町内会有志が作成した着ぐるみ 「しかたん」も登場し、会場は大いに盛り上がりました。 (岩﨑志保) ×1.1m程度で、大人一人が作業できるくらいのスペー スしかありませんでした。このような小さな区画の水 田は、図書館(第12次調査)や新技術研究センター(第 3・15次調査)地点の調査でもみつかっており、水 稲農耕導入期における特徴の一つと言えるでしょう。  津島岡大遺跡の南には津島遺跡があり、こちらで も弥生時代前期の水田跡がみつかっています。今回 の調査成果は両遺跡の間を埋めるもので、今後は旭 川西岸の微地形や水田経営、景観の具体的な復元 を行っていきたいです。        (南健太郎)

最近

調査か

鹿田夏祭り、

“しかたん”現る!

上層水田の掘削 畦畔 黒色土 水田 弥生時代前期の水田畦畔 上層畦畔 下層畦畔 黒色土 本センター製作「しかたん」(左)と地元町内会有志製作 の「しかたん」(右)の顔合わせ。地元テレビ局にも取り上 げられました。いかがでしょうか。

参照

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