教師が学校行事で経験する個と集団のジレンマ : 小中学校教師のナラティヴと教師文化に焦点を当てて 利用統計を見る
13
0
0
全文
(2) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 29 号 pp.127-137. 教師が学校行事で経験する個と集団のジレンマ: 小中学校教師のナラティヴと教師文化に焦点を当てて Dilemmas in School Events: Narrative Inquiry for Teachers 東海林 麗 香 Reika SHOJI 問題 筆者はこれまで,教師が学校行事をどのように経験するかについて,主にインタビュー調査により検 討してきた(東海林,2017 など)。そこでの関心は,学校行事の準備・実施における教師のジレンマや 困難さの経験,特に「子ども一人一人の多様性に応じた指導(以降,個)」と「集団の一員としての行 動や態度の育成に向けた一斉指導(以降,集団)」の間のジレンマであり,この関心は,学校を対象と したこれまでの研究(東海林,2015 など)を行う中で見聞きしてきた事例から導かれたものであった。 またこの関心の根底には,子どもの多様な教育ニーズに応じた学校教育のありようとはどのようなもの なのか,学校という集団教育の場で「ひとりひとりを大切にする教育」を実現するためにはどのように したらいいのか,というリサーチクエスチョンがある。そのため,学校における「その人らしさ」「多 様性」の実現,また,その否定や抑圧の場面におけるコミュニケーションにも関心があり,小学校にお けるフィールドワークも行っている。その一端は,東海林・小林(2018)に示した。同様の関心の先行 研究も,特に教育社会学の分野では多く行われており,「一斉指導は多様性が不可視化されることで成 り立ちうる(盛満,2011)」,「一斉指導は多数派の規律や協調性により成り立ちうる(勝浦,2010)」, といった指摘があることからも,教師が経験する個と集団のジレンマは,学校における課題を映し出し ているものといえる。 先に紹介した東海林(2017)では,個と集団のジレンマが顕現化しやすい機会として特に小学校の運 動会に焦点を当て,運動会が文化的実践としてどのように維持されているのかを明らかにしようとし た。小学校教師へのインタビューおよび小学校における運動会準備から当日にかけてのフィールドワー クから,「みんなで一緒に/みんなで同じように/これまでと同じように」といった価値観を支えるよ うな実践が,微視的なコミュニケーションのレベルから組織としての対応まで様々なレベルで行われて いることが示された。運動会は,学級・学年・全校と様々な規模での活動がある。学年や全校で練習等 を行うことで,どのような学級経営が行われているのかが校内で明らかになる。また,保護者や地域住 民に公開する行事であるために,どのような学校経営を行っているかが学外に明らかになる。行事はこ のような公開性から,教師および管理職にとって「学級経営・学校経営の成果を求められる」活動とし て位置づくものとなる。集団としての形式を整えるための一斉指導と,子ども一人ひとりが目標を持っ て取り組めるようにするために行われる個の多様性に応じた指導のあいだのジレンマが,教師内で意識 化されたり教師間で可視化されたりすることはある。しかしながら,「みんなで一緒に/みんなで同じ ように/これまでと同じように」という価値観から外れるような新たな取組みを提案したり実現したり した経験,また,そうすることによりそのジレンマを乗り越えるようとした経験は語られなかった。ま た,これからも自身が行うことはないのではないか,と語られた。このことについて具体的には,東海 林(2017)で以下のように記述されている。なお,名前はすべて仮名であり,下線部は語りの引用である。 ここまで語りを取り上げた一瀬先生(50 代女性),二村先生(40 代女性),三木先生(30 代男性) の全員が,踏襲されている内容や方法,考え方,あるいは当たり前とされていることに違和感を抱き, - 127 -.
(3) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 29 号. 自分なりの考えを持っていることを語った。しかしながら,それを気心の知れた教師仲間以外に表 明したり,共有したり,会議等で提案することは難しいと語った。その理由としては,「やり方につ いて反省するけど,例えば組立をやるかどうかって話にはならない。自分も思うところはあるけど, うーん,代案がないからかなぁ. ・・・考えたことないからなぁ」「全員参加にしないとして,一日じゃ 終わらないし,準備にこれ以上時間取れない」「守りに入ったとか,甘やかしたとかそういう(こと を言われる) 」といったことが語れられた。ここでも,「みんなで一緒に/みんなで同じように/こ れまでと同じように」という価値観が維持され続ける様子がうかがえる。 結果として,ジレンマは個人の中はとどまるもの,あるいは親しい人との間でのみ語られる閉じたも のとなり,運動会の準備や実施における教育という観点での課題は学校として十分検討されることが ないまま,次の年度も同様に行われていくことが示された。このようなことから本論文では,東海林 (2017)における研究課題を発展させ,教師の指導上の「個と集団のジレンマ」に加え,教師の個人と しての考えやふるまいと教師集団における考えやふるまいの間のジレンマも「個と集団のジレンマ」に 含めて検討を進める。 ところで本論文ではナラティヴを分析の視点とするが,これについて説明を加える。まずナラティヴ とは,人々が広義の言語によって経験を意味づける行為(act of meaning)と,語られたストーリーを指 す(やまだ,2013)。本論文ではナラティヴ・インクワイリー(Narrative inquiry: Clandinin & Connelly, 2000)の立場から,ライフストーリーに位置づけて聞き取る。このアプローチでは,教師のもつ知識を, 教師それぞれの人生において紡がれ,彼らの実践にあらわれるナラティヴ的な解釈と捉える。そのため, 教師を匿名の職業人としてではなく,様々な思い/経験をもつ個人として捉え,彼らの語りの中に個人 的実践知(personal practical Knowledge)を見出そうとするのである。個人的実践知は経験から生じたも のが実践にあらわれるものであり,個人的で場合によっては些末に見えるものであるが,同じような立 場にある者にとっては,より具体的で力強い知になりうるものである。また読み手にとって,単に実践 のヒントになるだけでなく,教師が必ずしも一枚岩ではなく様々な思いを持つ他者の集まりであるこ と,しかしながら自身と似た経験をしたり考えを持ったりする他者もおり支えあえること,といった事 柄への気づきが促されることも期待される。 このような理論的背景から本論文では,主に行事において,教師が個と集団のジレンマをどのように 経験しているのか,ナラティヴをボトムアップに整理し,その実際を提示する。また,学校という集団 教育の場で「ひとりひとりを大切にする教育」を実現するための実践および組織のありようについても 探索的に検討する。 方法 インタビューの協力者は,小学校教師1名(男性 30 代 A さん),中学校教師2名(男性 30 代 B さん, 女性 40 代 C さん)の3名である。3名全員と研修等で1年近い関わりがあり,学校行事をはじめとす る学校における個と集団のジレンマについて語ってもらえるであろうと考えて依頼した。なお,調査協 力依頼の際に,筆者が個と集団のジレンマに関心があるということや,学校行事には検討が必要な部分 もあると考えていることを伝えている。3名の勤務校は全て,関東甲信越にある公立学校であり,中心 部から離れた地域にある。 インタビュー時間は 69 分から 100 分であり,許可の上で録音した。インタビューでは以下の6点に ついて,「個と集団のジレンマ」という観点から,インタビューの時点で考えることを話しやすい項目 から話してもらうよう依頼した。質問項目は,①授業におけるジレンマ,②学校行事におけるジレンマ, ③その他の学校場面におけるジレンマ,④ジレンマという観点からみたときの学校組織の望ましいあり - 128 -.
(4) 教師が学校行事で経験する個と集団のジレンマ. (東海林麗香). 方,⑤学校行事を教育相談・生徒指導の観点からみたときの学校組織の望ましいあり方,⑥教師の変容 可能性および,変容を可能にする組織のあり方,とした。なお,いくつかの項目にまたがって語られる こともあったため,語りは質問項目と一対一対応しているわけではない。 インタビューでは一般論や職業上の責務に基づいた「べき論」に終始せず,個人としての考えや思い を聞きたいと考えている。そのためには,インタビュアーが匿名の研究者として,また,何を考えてい るかわからない不気味な他者として対するのではなく,様々な思い・経験を持つ個人として対すること が必要であると考えた。そこでインタビュアーである筆者も,質問の背景となる経験を語ったり,自身 の考えを語ったりしながら,対話的にインタビューを進めることとした。それによってインタビュアー の考えを忖度した語りになる可能性はあるが,個人としての考えや思いを聞くことこそが重要であると 考え,このように進めることとした。 結果と考察 3名により語られた内容を,本論文の検討課題である「主に行事において,教師が個と集団のジレン マをどのように経験しているのか」「学校という集団教育の場で『ひとりひとりを大切にする教育』を 実現するための実践および組織のありようとはどのようなものなのかと」という2つの観点で整理し た。これを以下に示し,考察を加える。語りの引用は一行空け,さらに一段下げてかぎかっこで示す。 特に考察に関わる部分には下線を付す。丸かっこ内はインタビュアーによる質問および注釈である。 (1)「個へのまなざし」という観点から見た教師と子どもにとっての行事 小学校教師 A さんは,学校行事の全体性に一定の価値を認めながらも,「今まで配慮してきた個に対 する見とりの薄まり」という観点から,個と集団のジレンマを感じている。 「A さん:ジレンマというか,それぞれの難しさを感じることはあるんですけれども。僕,集団の, ここ(調査説明書)に書いてあるようなことに完全にアンチってわけではなくて。実際に集団とし て運動会の期間で動ける,時間を守れるとか,そういう生活面での成長って,そのあとの行事にも 最終的には卒業式,卒業式も一つのイベントにすぎないんですけど,確かに,運動会を通して成長 する力ってあるなっていう思いと。かといって,今まで配慮してきた個に対する見とりってのは絶対, 運動会の期間中って薄まるよなっていう,そこがジレンマですかね。 」 「A さん:運動会を通して育てる力ってあるんですけれども,個じゃないんです。完全に集団なん です。実際に自分が指導してくる中でも,学校の中でも,やはり,運動会の取り組みですとか活動 ですとか,子どもの様子って,どういった部分で先生たちが評価し,認められるか,価値をってい うと,集団として動けてるかどうか。そのときに,個って,一人一人っていう視点はあるのかなっ ていうと,なかなか,少ないのかなというのはとても感じます。(中略)普段は職員室の中の会話っ て,『誰々君,今日どうだったよ』とか『何時頃来たよ』とかそういう話になるんですけれども,運 動会期間中の職員室って,『ちょっと,何年何組,あれ』。先生方も語るときの視点が,学級単位と か学年単位であるとか,もちろん動きが全部,学級学年単位で,特に学年ですかね,動いてるので。 そんな中で多分,個はどんどん置いてかれる。」 また,普段,子ども一人ひとりをよく見ている先生も,運動会の取り組み期間中は集団に目が向いて いるということを指摘している。またそのことにより,不満を抱える子どももいるのではないかと考え - 129 -.
(5) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 29 号. ている。 「A さん:運動会って,先生にとってちょっと不思議な行事だなって感じることがあって。すごく, 子ども一人一人を見とって,普段から声掛けをしてっていう先生も,運動会,外に開く,学校の中 でも,学級を全校の中で動かすっていうことになるときに,今まで個に向いてた目が完全に集団に 向いちゃって,個に対するフォローって,運動会の取組期間中って本当に薄くなるなというのは感 じるんです。(中略)よく,小学校現場では,『運動会後が勝負だよ』とか『運動会後から荒れ始め るんだよ』っていうふうに言うんです。僕が初任者のときには,『だから,運動会のときに,しっか り集団で動けるように,しっかり規律を付けるんだ』なんていうふうな言い方をされて,僕も,そ れをずっと思ってきたんですけれども,最近ちょっと違って。結構,運動会を通して自主性ですと か責任感ですとか,大きく伸ばせること,運動会期間中の取り組みで不満というか,なんて言った らいいのか分からないんですけれども,そういったものを抱える子も,一定数いるんじゃないかな。」 中学校教師である C さんは,学園祭における運動の部で特別な支援が必要な子どもに十分配慮がな されなかったエピソードを語った。競技の仕方や得点について検討するようなことがなかったこと,つ まり学校全体の問題とならなかったことへの疑問と憤りを抱いたという。 「C さん:私,そのときにすごく不満だったのは,全校で,体育の部分の点数とか,それから競技 の仕方とか決めるんですよね。そのときに,うちの学年,特別支援の子たちが,あんだけいるのに, そこに配慮したって言い方,変なんですけど,競争競技ばっかりじゃなくって,もっと。(中略)楽 しんで終わりとかっていう,そういうことはほとんどなかったんですよね,配慮が。私はすごく, それに対しては不満で,同じ学年の先生で体育の先生がいて,その先生は,いろいろ話はしてくれ たんだけど,通じ合えないなっていうのがあって。うまく言えないんですけど,何となく,その学 年の問題でしょみたいになってしまってるのは,私は,すごく嫌だったんですよね。(中略)ほとん どじゃなくって,そこにいる全ての人がっていうふうなところの配慮っていうかは,やっぱり学年 が違ったりするとしてもらえないんだなっていうふうなことを私,思って。そういうことってどう すればいいのかなっていうのは,ちょっと思いました。(中略)関係のある先生たちに任せちゃえみ たいな,そんな感じです。」 類似した経験は,同じく中学校教師の B さんからも語られた。以下のエピソードでは,特別な支援 を要する生徒への配慮について,それを他クラスの担任にどう理解してもらうか,また,他の子どもに どう理解してもらうか,と悩んだ経験が語られている。 「B さん:大縄跳びは人数が少なければ有利だし,ムカデも人数が少なければ有利なので,肢体不 自由の子とか,特別支援の子たちが入らないことを,どういうふうにするのか。そのことを有利と して捉えて,学年の中で,先生,あのクラスはあれでいいの,とかっていうことが,話題になった りとかっていうことが多くありました。自分自身は,教員としては,勝つことよりもみんなクラス 全員で,そういう競技に参加できたっていうことに価値を置いてもらえるような,もしくは,その 価値に気づいてくれるような学級経営をしたいと思っていて(中略)他の競技は,例えば代わりの 子が2回走るってことはできるんですが,ムカデ競走はクラスごとなので,少ないクラスに人数が 合わせるわけにもいかないので。(中略)もし出ないってなったときに学年の先生方に,この子が ちょっと怖くて出れないって言うんですが,この競技だけ人数を応援のほうに回していいでしょう - 130 -.
(6) 教師が学校行事で経験する個と集団のジレンマ. (東海林麗香). かってお願いをして。その代わりに1人出さなくてはならないので,そうすると子どもたちは,力 が同じような子を入れるんじゃなくて,一番速い子を入れたいので。」 このエピソードに続いて,B さんは教員集団における行事に対する思いのギャップを語った。 「B さん:このインタビューに入る前に,集団の捉え方と,先生方個人の思いとのギャップをどう するかっていうところも,話があったと思うんですが,(中略)やはり教師の中で,親御さんが見て る,もしくは勝負がはっきりするものだから結果を求める先生と,学園祭は生徒会の最大の行事だ から,子どもたちの発想や子どもたちの工夫や,子どもたちが子どもたちの生活を良くするってい うところを見せる,ある意味手作り感があるものをしようというプロセスと言うんでしょうか,過 程を教育的効果として考えてる先生と,二つのタイプがいて。そうすると,さっきの競技に参加さ せるかどうかの判断から,そのプロセスの声の掛け方まで全部変わってきて。それが,1年間の学 校運営,もしくは学級経営の溝が出やすいところだなと思っていて。」 個と集団のウエイトの置き方についての教員間のギャップは,行事に限らず存在する。C さんは特別 支援や不登校の生徒への対応についてそのギャップを感じ,以下のように語っている。 「C さん:少数のところには,あんまり目が行かないというか,なかなか大事にされない部分が あって。でも生徒指導っていう,悪さをする生徒指導みたいなところには重きは行く。それって多 分,他の子たちが,害じゃないですけど,落ち着いて生活ができないからって。でも,どっちも私 は同じ問題だと思うんだけど,どうしてもそうじゃない。特別支援の子たちも,どっちかっていうと, こっちに置いといてみたいになってしまうのを感じたこともあって。(中略)少数だから,そこには 目が行かないのかなって,自分なりに原因を探ってみたりするところもあったり。でも少数だけど 目が行くのは,表に出てきてるから。ものが壊れるとか,そんなないですけど,いじめられたとかっ て,そういう問題になってるから対応しなきゃいけないみたいなっていうふうになってるところが ちょっと違う。違うって言ったらおかしいですけど,どっちも問題なのに,学校としては。こっち が優先されて,不登校だったり,いろんなこと抱えてる子たちのことは,そこに関わってる先生だ けの問題になってるっていう。」 上の C さんの語りは,学校における教師の目線は集団に向きがちであることを示すものであるが,A さんは,行事においては子どもにも同様のことが起こると語った。 「A さん:子どもも価値観というか,一人一人じゃなくて,子どもにとっては学級ですかね,それと 色とか。見方が,運動会の時期って個にいかないのかな,先生も,子どもにとっても。(中略)(インタ ビューで)話している中で自分で新たに気づけたなと思ったのは,教職員が運動会期間中,運動会って いう行事の中で,個に対して薄くなるっていうのは,改めて思ってたことが再認識できたな。もう一つ は,子どもたちにとっても,これまでお互いに掛けられていた声掛けですとか,子どもたち同士でも積 極的にフォローしてほしいような,子どもたちに対する視点っていうのも,子どもたちにとっても,個 に対する視点っていうのは全体化されちゃう時期なのかな。そういえばそうだな。」 行事では,教師のみならず子どもも,集団に目が行くということが語られた。学習指導要領における 学校行事の目標には「集団への所属感や連帯感を深め,公共の精神を養い,協力して」という箇所があ り,その目標にかなったものと評価することもできるだろう。しかしながら A さんが語るように,子 - 131 -.
(7) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 29 号. どもたち相互の声掛けやフォローがされにくくなるのであるとすれば,行事の全体性は子どもの育ちや 学びという観点からも再検討が必要な課題だといえるのではないだろうか。 (2)教員個人と教員集団の考えのギャップという意味での「個と集団のジレンマ」 B さんはインタビューの終わりに,個と集団の指導上のジレンマを検討する際の切り口の一つが,教 員個人と教員集団のあいだの考えのギャップやそのジレンマではないかと語っている。問題の部分で, 本論文における研究課題として同様のことを提示したが,現場感覚としての同様の問題意識であること が確認できた。 「B さん:一斉指導と個に応じた指導っていうのが,生徒のことだとするならば,もう少し自分自 身の中で,今まで経験したことも話せればなと思ったんですが,つい教師の集団の中の,全体指導 と個々の教員の願いが,どういうふうに組織として息づくかっていう話が中心になっちゃったな, なんていうのと,そこが,個に応じた指導の中の,一つの切り口になるんじゃないかなと。」 教員組織における個と集団のジレンマについて検討するにあたり,まず,中学校教師である C さん の個と集団についての指導上のジレンマについてみていく。 「C さん:個をそれぞれ認めてあげないと,私は集団ができないと思ってるんですけど,どうして も学校の中って,まず集団をがっと固めてとか,厳しくしてとか,特に私,中学校なので,男性の 先生で,背が高くて,がっちりしていて,上からぼんって言えば子どもは言うこと聞くみたいな, そういうことを見ていたんですけど。もちろん自分も若い頃は,それでお山の大将みたいにできれ ばいいんですけど,だんだんそれじゃ通じないなってことが,自分の中のいろんなことの関わりだっ たりとか,失敗の中でそういうふうに思ってきてるので,どうしても,いつも悩むところで。(中略) 私はどうしても,締めると言ったら変なんですけど,怖いって思わせて従わせるとか,そういう指 導に対してすごく自分の中では違うっていうふうに思ってることがあって,心を育てていかないと, その先生の前では,うまくいろんなこともできるかもしれないけど,怖いからやろうとか,あの人 うるさいからやろうとか,もちろん私もうるさいので,そう思ってる子どもたちはいっぱいいると 思うんです,きっと。でもそうじゃなくって,最終的に自分で考えてこうだっていうふうに,なれ るような子どもを育てるのが大事だって思ってる部分があるので,どうしても一斉指導ってところ で,うまくできない自分がいるというか(中略)それ(個を大切にすること)がうまくいくときは, うまくいくんですけど,うまくいかないときには本当にうまくいかなくて,なんであいつばっかりっ ていうふうになってしまったり。(中略)いろんなジレンマは,いつも抱えていて。 」 C さんは, 「まず集団をがっと固めてとか,厳しくして」という指導については,自身の失敗経験(後 述)もあり疑問を感じている。生徒ひとりひとりを認める,話を聞くということをまず行おうとしてい るが,「なんであいつばっかりっていうふうになってしまったり」して,うまくいかない経験もしてい る。そこから,「いろんなジレンマは,いつも抱えて」いる。このような学級経営や指導の方針につい て,同僚からの目線を感じることがあるという。 「C さん:言われます。甘いっていうことは。前に話したことあるんですけど,まず最初にクラス をつくるときに,がっと締めてからって言うんですよ。いや,私は違うからって。私は,私がまず 自己開示して,子どもたちが自分らしさを出せるように,雰囲気じゃないですけど,土台じゃない - 132 -.
(8) 教師が学校行事で経験する個と集団のジレンマ. (東海林麗香). ですけどつくって,それから,じゃあクラスどうするっていうふうに立てていきたい。去年,それ ですごい大変だったんですけど。それをやったら,いろんな子がいたので大変で。(中略)だから, 去年なんかは,直に私が言われたことはないけれども,C さんが甘いことやってるから,そうなる んだよって思ってた人は,多分,いっぱいいただろうなっていうことは,私は思っていて。(中略) 本当はいけないんでしょうけど,私は,やっぱり私ができることしかできないのでっていうふうな ところで,うまくちょっと割り切ったときがあって。それからは,とにかく個々人を大事にしつつ 集団をつくるっていうジレンマを抱えながらですけど,やっていくっていうふうにしたんですけど。 結果が出ないとやっぱり,きっと C さんが甘いからって思ってるだろうなっていうことは感じます。 組織の中にいて。もちろん,それでうまくいった場合もあって,そのときには,やっぱりそのやり方, いいんだよねっていって認めてもらってっていうこともありましたけど,多分,甘いことやってる からそうなるんだみたいなことは言われてるんだろうなってことは感じたり,言葉の端々に,そう いうことを思ったりってことはあります。」 C さんの感じるジレンマは,生徒にとってどんな関りがいいのかといった観点でのジレンマだけでな く,同僚の目線を意識してのジレンマでもある。このような自己(個)と他者(教員集団)のあいだの ジレンマは,小学校教師である A さん,同じく中学校教師である B さんからも語られた。 「A さん:(東海林:さっきみたいな,怒る前にいろんなことを子どもに伝えること,私,すごい フェアだと思うんですけど,その前に先生, 『賛否両論あるかも』って,おっしゃったじゃないですか。 『否』の理由が見つからないんですけど,何が『否』なんですか?)以前,一緒に組んでた主任の先 生に言われたんですけど,『駄目だよ。怒るときは,まずはがつんとやって,フォロー入れるんだっ たら,そのあとにやればいいんだよ。最初から教員が甘いこと言ってたら伝わらんよ』って,その 先生はおっしゃったんですよ。ただ僕,正直そのときは, 『はい』とは言ったんですけど,あんま納 得してなくて。運動会期間中,特に女の子の,『なんで,私ちゃんとやってるのに怒られなきゃいけ ないの』っていう不満,そうだよな,ちゃんとやってるもんなっていうこと,女の子は口に出して言っ てくれるから分かるけれども,まだ幼いとはいえ男の子も,ちゃんとやってるのに怒られることの 理不尽さみたいなの,絶対あるなと思って。ただ,運動会期間中とかを見てみると,まずはがつん とやるっていう形は,結構,広く行われてるのかなという気はします。」 「B さん: (東海林:一人一人の子どものことをよく知ってしまうと,全体の指導がしにくくなるこ とってないですかね。)ありますね。そうすると,他のクラスに比べて緩いというか,甘いクラスを作っ てるっていうふうに言われるというか,指摘されることもありますし。自分自身も,もっと強い指 導というか,例えばルールを厳しく付すっていうこともできるのに,やってないのかなっていうふ うな思いにとらわれることがあるんですけども。集団の質を高めるってのは,個人の,集団への関 わりたいっていう思いとか,個人の,個人に対する,自分に対する自信,それを言葉にできなくて も,自分自身のことを自覚できなくても,それがないと,集団の質って高まらないと思っているので。 自分自身は集団への指導に戸惑うっていうところまでは,なったことはないんですけれども,他の クラスと比べて,他の先生方,強い先生方に比べると,弱いとか,ぬるいとかって言われることは, 指摘としては多いかな。」 3名の語りを見ると,教師集団との考えのギャップがあるからこそ,個と集団についての指導上のジ レンマを感じるのではないだろうか。 - 133 -.
(9) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 29 号. (3)少数派でい続けることの背景となる経験 3名全員が,自身は教員集団における多数派の考え方とは異なる指導方針を持っており,また,実際 にその方針に沿って学級経営や授業に臨んでいることについて,批判に近い指摘を受けてきたことを 語っている。それでも自身の指導方針には意義があると感じている。それには,背景となる経験がある のだろうか。先に,C さんは生徒指導上の失敗経験から,まず個を大切にするような指導方針を持つよ うになったと書いた。それについての語りが,以下である。 「C さん: (初任のころ,生徒指導上の問題が多発する学校に勤務していた)そのときに,自分の先 輩の先生たちがやってたことって,おめえら何やってるんだって怒るんじゃないですよね。呼んで, とにかく話を聞いて,親を巻き込んで話をして,その子をどうにか変えてこうっていうことをずっ としてたのを1年間見てきたので,私が思ってた生徒指導と違うなって,なんで,もっと厳しくし ないんだろうっていうことは,そのときに思いましたね。この子が悪いことをしてるんだから,もっ とがつがつ怒ればいいのにみたいな,それは思ったことはあると思います。きっと,最初の私の考 え方からいうと,思ったと思うんですけど,でもその先生たちがやってたことを見てきて,違うん だって思って,とにかく子どもとよく話をするってことが大事なんだよっていうことを,1年目で 教えてもらって。 (中略)(次の年に,頭ごなしに叱る指導をして生徒と関係がこじれた)そういう こともあったので,1年目にすごい大事なことを教えてもらって,その子との関わりに私が失敗し たことで,子どもの気持ちをちゃんと考えてキャッチするとか,間違ったときに大人としてどうす るのかとか,そういうことをちゃんとできたことで,生徒指導って,うまくいくんだって思って, そこから生徒指導に対するイメージが変わってっていう感じですかね。(中略)先生がいてくれたか ら何とかなったみたいなことを卒業のときに言ってくれる子とか,ちょっと大人になってから言っ てくれる子がいたので,個に寄り添うって,やっぱ大事だなってことは思うんですけど。そこが大 きな転換だったかもしれません,もしかしたら。」 C さんは,この体験の他にも教員5年目ごろの体験も語り,それがまず「個を見て,話を聞く」とい う教育観のきっかけであると語っている。 「C さん:個を大事にできてないっていうことを感じることが、すごく多くて。(中略)その子が成 長できていけるような支援をする、指導ではなくて支援をしてくっていうことがやっぱり大事だなっ ていうことを、ずっと思うようになっていたので。うまく言えないんですけど、組織としてやって くってことがすごい大事なんだなっていうふうなことが、今、考えているところなんですけど。きっ かけになったのは、その子(教員5年目ごろに関わった生徒)でした。」 教員になる前の経験が関わることもあるだろう。B さんは,以下のように語っている。 「C さん: (東海林:私のほうで,お尋ねしたいことは聞けたんですけれども,先生のほうで付け足 したいこととか,言い忘れたこととか,何かありますか)(中略)自分自身のバックグラウンドです けど,母親が福祉関係だったので,職場に子どもの頃連れてかれたんですよね。そのときにどうし ても,個を大事にしたいなって。それが集団の質を高めるんじゃないか。集団の質が個の成長を押 し上げるし。でも,個の違いがあることを前提とした教育をしたいかな。」. - 134 -.
(10) 教師が学校行事で経験する個と集団のジレンマ. (東海林麗香). こういった経験があるからこそ,教員集団の中で自身が違和感を持たれているだろうと感じながら も,個を大切にするという教育を志向することをやめないのではないだろうか。 (4)学校という集団教育の場で「ひとりひとりを大切にする教育」を実現するには:学校組織という 観点から 教員集団における考え方等についての違和感や自身の考えについて,A さんは,学校で表明すること はないという。 「A さん:(行事に全員が)参加できると,その場にいられると,やっぱり望ましいのかなってい うふうに感じる先生は多いと思います。ただ今まで見てきた中で,無理してっていう形で,あんま うまくいってるパターンって見たことない気がして。先生たちにも,校内委員会とかでも言えない し,言わないですけど。」 C さんも同様に言わないと語った。それはどうしてかという質問に対して,C さんは以下のようにこ たえた。 「C さん:(東海林:言いにくいのって,なんでなんですか?)なんでしょうね。(東海林:いろい ろ,例えば管理職じゃない人が,組織の運営管理に口出すべきじゃないっていうふうになってるか らなのか,あと,そういうことを言うってことは,そういった管理の人たちの力量にいちゃもんつ けることになるとかなのかとか,いろんな可能性が考えられると思んですけど。何が言いづらさ,今, 言えないですねとかって言ってたのには。)言っても変わらないっていう思いが,どこかにあるのか もしれません,自分の中で。組織が変わるのを待ってるわけじゃないですけど,自分は教員としてっ ていうよりも,私の感覚の中では,彼らに近い 1 人の大人としてっていう感覚で子どもには接する ようにしてるんですけど,その中で,今,その子が苦しいので寄り添ってるっていうふうなところ からいくと,組織が変わらなくても,1 人,私みたいな人がいるだけでもマイナスにはならないだろ うっていうふうに思っている部分もあるので,組織を変えることに労力を使うよりは,寄り添って たほうがいいって思ってる部分も」 組織として変わらなくても,自身が生徒に寄り添っていけばいいのではないかと C さんは語った。 その一方で,本論文における引用でも示してきたとおり,組織的な対応や組織的な変革を求め,それが なされないことに違和感や憤りを抱いていることも併せて語られている。組織的な対応や組織的変革に 関連して,B さんは以下のようなエピソードを語っている。 「B さん: (単級の学校で)オール縦割りになったんです。だからクラス対抗では全然ないので,1 年生,2年生,3年生のそれぞれスタッフがバラバラになって色で指導したので,結局,誰が責任 者か分からないわけですよね。親御さんからしても,子どもからも。そうなったときに,学年全員 の取組期間中の,教員同士のぎくしゃく感がなかったのを見て,それはあるよなって思った。」 次の語りにもあるように,B さんは組織としてシステムや情報共有の仕方などを変えていくことが, 個と集団のジレンマを乗り越える鍵になると考えている。. - 135 -.
(11) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 29 号. 「B さん:(成果志向とプロセス志向と)その二つの考え方を,どういうふうに(教員間で)まと めてあげるかっていうのは,全体的に対する指導と個に応じた指導に,僕はつながると思うんです。 なので,このインタビューの四つ目ですよね。学校組織の望ましいやり方に,自分はつながると思 うんですけれども。どんな形があってもいいよっていう雰囲気が指導者側の中の共通認識としてあっ たときに,子どもの個に応じた指導ってやりやすいんじゃないかな。クラス合唱とはこうあるべき だとか,こういうのがいい合唱だとか,学園祭で勝ったクラスがいいクラスだってなってしまうと, 個に応じた指導がしにくい。一斉指導が強くなるっていう傾向に,自分はなるんじゃないかなって 思っています。(中略)暗黙の了解の中で,学年がまるで,例えば,何とか中学校,第一中,第二中, 第三中のように,まるで学年同士で競うかのような状況が生まれる場合もあるんですけど,そうなっ てしまうと,学年主任中心に,結果を求めるような指導に走ってしまうかなって思っています。(中 略)なので,この一斉指導と個に応じた指導は,個が違うんだっていうことの全体の確認と,あと は指導の方向性をどうやって教職員集団としてやってけるかっていうことがポイントになってくる んじゃないかなって自分は思います。」 最後の一文にある下線について補足をすると,B さんは一方で,教員組織が一枚岩であることも求め ている。子どもも教員も一人一人(個)が違うこと,どんな形があってもいいという共通認識があるこ とで,一人一人の教師が個に応じた指導がしやすくなる。しかしながらそれが個人(教員)の裁量に丸 投げされるのではなく,学校教育目標についての共通認識もあり,それにより組織としての方針を背景 とした対応ができるような,そんな組織のありようを求めていると語った。 総合考察 本論文では,主に行事において,教師が個と集団のジレンマをどのように経験しているのか,ナラティ ヴをボトムアップに整理し,その実際を提示した。また,学校という集団教育の場で「ひとりひとりを 大切にする教育」を実現するための実践および組織のありようについても探索的に検討した。 本論文で提示した事柄のうち,特に重要であると考えているのは,①学校行事においては教師だけで なく子どもも「個」に目が行きにくくなるということ,②自身の考えを学校で表明しないのは,言いに くいだけでなく,自分が目の前の子どもに対して真摯に対していればよく,組織が変わらなくてもいい のではないかと考えてためでもある,という語りであった。1点目については,教員集団がつくる学校 の雰囲気が子どもにも強く影響している可能性を示すものである。また,集団への所属感・連帯感の強 調がもたらす負の側面についても意識する必要性を示すものである。2点目については,教師の仕事に おける個人の意欲・努力・経験の過度な強調を示すものである。教師個人もそうであるし,教師同士で もそうであるし,社会のまなざしとしても同じようなことがいえる。校内連携,チーム学校等,学校に おける協働が求められて久しいが,多くの場合教師はいまだ,一人で子どもの前に立っている。だから こそ,組織に目が行きにくいのではないだろうか。学校における集団性の強調と教師の孤独さは,さま ざまな学校課題の根となっているのかもしれない。これらの点について,検討を進めていきたい。. - 136 -.
(12) 教師が学校行事で経験する個と集団のジレンマ. (東海林麗香). 引用文献 Clandinin, D.J. and Connelly, F.M. (2000) Narrative Inquiry: Experience and Story in Qualitative Research. Jossey-Bass, San Francisco. 勝浦眞仁(2010)非定型発達の生徒を「異文化」に生きる人として位置付ける意義とその難しさ:特別支援教育支 援員の立場から,人間・環境学,19, 25-33. 盛満弥生(2011)学校における貧困の表れとその不可視化:生活保護世帯出身生徒の学校生活を事例に,教育社会 学研究,88, 273-294. 東海林麗香(2015)小学校における外部支援者と教師の連携プロセス:学習補助ボランティアによる学級支援の実 際から,山梨大学教育人間科学部紀要,16, 23, 283-290. 東海林麗香(2017)教師は運動会をどのように語るのか:個の多様性に応じた指導と一斉指導のあいだのジレンマ に焦点を当てて,山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター研究紀要, 22, 103-112. 東海林麗香・小林恵子(2018)相互応答的な関係・環境の実現を目指した担任教師のはたらきかけ:ある学級にお ける高学年2年間のフィールドワークから,山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター研究紀要,23. やまだようこ(2013)質的心理学の核心,やまだようこ・麻生武・サトウタツヤ・能智正博・秋田喜代美・矢守克也(編) 質的心理学ハンドブック (pp.4-23),新曜社:東京. 付記 この研究は科学研究費 17K04346(基盤研究 (C)「個の多様性を支える教師のありようと教育実践の変容可能性」) の助成を受けて行われた。. - 137 -.
(13)
(14)
関連したドキュメント
仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必
最愛の隣人・中国と、相互理解を深める友愛のこころ
映画「Time Sick」は主人公の高校生ら が、子どものころに比べ、時間があっという間
とされている︒ところで︑医師法二 0
学部生の頃、教育実習で当時東京で唯一手話を幼児期から用いていたろう学校に配
学部生の頃、教育実習で当時東京で唯一手話を幼児期から用いていたろう学校に配
自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から
• 教員の専門性や教え方の技術が高いと感じる生徒は 66 %、保護者は 70 %、互いに学び合う環境があると 感じる教員は 65 %とどちらも控えめな評価になった。 Both ratings