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国際理解教育と新しい教養教育の在り方 利用統計を見る

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著者

宇田川 晴義

著者別名

Haruyoshi Udagawa

雑誌名

dialogos

1

ページ

59-84

発行年

2001-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00005039/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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   国際理解教育と

新しい教養教育の在り方

宇田川 晴義

序文 教養教育の崩壊  大学教育の内容は、このままで良いのかという危惧は、かなり以前からあ ります。批判の一つは、本来世界は文化、経済、社会そして環境といったす べての事象が相互に連関(ホリスティック)し、影響し合っているにも拘ら ず、それらの相互関係を考慮しないで、知識を細分化し、問題の全体像を捉 え総合する能力を学生から奪ってしまっている感のするカリキュラム内容か ら生まれています。その結果、大学は、問題を総合的に見ることのできるバ ランスのとれた知識を持った人(ゼネラリスト)も、異分野との接触により 生まれる創造性に富んだ人材の養成を果たしていないという批判です。(注 1)  この批判は、現在の大学の教養教育の置かれている状況と密接な関連があ ります。本来、教養教育の目標の一つは、自然、人文、社会の各分野の学問 を通じて、教科間の相互関連性を認識させ、そこから知識の総合に向かい、 問題を総合的に見ることができるバランスのとれたゼネラリストを養成する ことでしょう。統合へと進むべき文科系知識と理科系知識が、大学入学以前 に既に乖離しており、それらも大学では細分化されてしまい、学問の統合を 更に困難にしているのが実状と言えます。  知識偏重の偏差値教育に代表されるように、本来、人間的価値への貢献を 目指す学問が、人間と自然の関係を切り、学問を技術化させ、学問と人生を も乖離させてしまっています。高等教育のシテムも、専門教育を中心とし、 教養教育を専門教育への一方的従属関係で捉える関係が構築されようとして

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います。これらは、実利主義と分析主義の機械論的パラダイムが支配した結 果と言えます。  こうした状況への反省から、教養課程に総合科目の設置がされたり、一般 教育を専門教育への一方的従属関係で捉える伝統的大学観に対して、望まし い一般教育の在り方として、リベラルアーツ大学のような一般教育と専門教 育の融合策がを提案されてれいます。大学設置基準19条も、「教育課程の編 成に当たっては、大学は、学部等の専攻に係わる専門の学芸を教授するとと もに、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を滋養する よう適切に配慮しなければならない。」と規定し、教養教育の重要性を指摘 しています。  識者は、学問の全体性を復活するために、現代的な内容を持った新しい時 代の知識のパラダイムを構想する必要があると訴えます。大学の教養教育は、 こうした危惧に応答する役割を担っていながら、その仕事を十分に果たせな いまま、文部省令(1991年)の大綱化という大学改革の名の下に制度的、組 織的に解体されつつあるのが現状です。 1.新しい教養教育のパラダイム  教養教育の将来の在り方に不安を覚え、また大学教育への危機感を共有す る一人として、このような状況への対応として、「共生」の時代における新 しい国際理解教育の視点、即ち「グローバル教育」というパラダイムが活か されないであろうかと考えます。ホリスティックな視点から、21世紀の世界 そして地球を見渡し、人権、環境、開発、平和などのグローバルな諸問題を 自らの問題として捉え、積極的に社会と関わり行動していく地球市民を養成 することを目的にした教育論です。ホリスティックという相互連絡的な視点 から地球、世界、人間を見る“Global perspective”という新しいパラダイ ムは、学問の全体性を復活するための視点のなると考えるからです。

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 ホリスティックな視点からの世界観・地球観は、同時に現在の日本の特に 大学の教養教育に対する危機感から生まれた問いかけ、「これからの時代に おける教養とはなにか、それを新しい教養の学問とすると、その内実は何に なるべきか」という新しい教養教育の在り方を求める問いかけへの応答にな ると思います。即ち、グローバル教育のものの見方は学問の全体性復元のた めに必要とされる新しい教養教育のパラダイムと、教養教育の新しい方向性 を与えてくれると思います。 1−1.パラダイム・シフト  1980年代からつい最近までは、情報化、国際化、高齢化そして成熟化の時 代と言われてきました。しかし、21世紀に入った日本社会は、そのすべてが 進展し、それら「四化時代」から「化」が取れ、マルチメディアにより瞬時 に誰もが情報を共有する時代となり、海外旅行者が、年間2000万人に達する ボーダレス化の国際社会であり、全人口に占める高齢者率は、14%を超えて 高齢社会になり、そしてバブル崩壊後の日本人の消費傾向は、成熟を迎えた 時代になりました。異なるシステムとの交流のチャンネルが、リアル・タイ ムで拡大し、地球次元の問題意識が絶えず求められる情報時代そして地球時 代です。  地球規模の人権、環境、開発、平和などの複合的な諸問題を扱うためには、 これらの問題に総合的に対応しなければならないという考えに共感します。 我々のエスノセントリズム(自文化中心主義)の思考態度を常に課題としな ければなりません。また分析主義や機械論的人間観によって、世界を細分化 して見る西欧近代主義のものの見方を転換(パラダイム・シフト)し、即ち、 人間と自然の関係を切り、学問を技術化させ、学問と人生をも乖離させてし まっている恐れのある既存の学問、教科の枠組みから脱け出させてくれるホ リスティックな視点は、閉塞状況に陥っている「人と人」、「人と自然」の関

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係に、そして教育の体系にも新たな展望を開いてくれると思います。 1−2.ホリスティックな関係性の認識  現代社会そして人間が、「空間、問題、時間、そして内面」の各次元と多 様な関係性の中で存在していることを認識できるようになれば、真の人間の 在り方や生き方が問われることになります。それ故、ホリスティックな関係 性の認識に至らせるパラダイムに立つ研究教育こそ、「人間の在り方や生き 方の問題を問う学問」に相応しいと考えます。その点で、「空間、問題、時 間、そして内面」の四つ次元の相互関連性に気づかせるawareness教育論を 展開するトロント大学のデビィッド・セルビー氏(David Selvy)(注2) の主唱するグローバル教育論は、新しい教養教育の在り方に有益な示唆を与 えてくれ、大学の教育方法としても有効であると考えます。国家の枠を超え て、地球的視野で対応しなければ、根本的には何も問題が解決できない今日、 教育全体が、このような未来に備える「パラダイム」からの教育を考慮しな ければならない時期に至っていると言えます。そこで、今求められるている のが、グローバルな諸問題を、多様な角度から総合的に理解して、それらの 問題に積極的に関わることのできる「地球市民」の育成に必要な知識、姿勢、 技能を身につけることと考えます。  遅ればせながらも、文部大臣の諮問機関「大学審議会」の基本問題検討部 会が、2000年6月に審議の概要を発表しました。それは、以下の3点の提議 から成っています。  (1)「グu一バル化時代を担う人材の質の向上に向けた教育の充実」  (2)「科学技術社会の革新と社会、経済の変化に対応した高度で多様な教   育研究の展開」  (3)「情報通信技術の活用」  第1の「グローバル化時代を担う人材の質の向上に向けた教育の充実」で

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は、グローバル化時代に求められる教養として、次の5つの能力を挙げてい ます。  (A)高い倫理性と責任感を持って判断し行動できる能力  (B)自らの文化と世界の多様な文化に対する理解  (C)外国語によるコミュニケーション能力  (D)情報リテラシー  (E)科学リテラシー  情報通信技術が普及し、グローバル化が進展する時代では、価値観の多様 化がますます進み、新しい世代は自分の行為とその結果に深い倫理的判断と 高い責任感を持って行動することが必要となるとし、そうした高い倫理性と 責任感を育成し、自国の歴史や伝統を深く理解させ、異文化の人々に主張で きるコミュニケーション能力を養うためには、大学の教養教育を充実させる 必要があるとの概要をまとめています。そのための具体的な方策として同審 議会は、学生が幅広い教養を身に付けるためのシステムづくりの必要も検討 すべきとしています。  この「大学審議会」の基本問題検討部会の提議に対しては、すでに一部の 識者から、「審議会の目的は、明らかに、情報化社会の世界的潮流に乗り遅 れないようにする対策の提示である。従って、経済的視点が先行している。 高い倫理性を教養に求めることも、倫理性の根源を問うということではなく、 とりあえず情報化社会を乗り切るために必要とされていることへの対応であ る。」との批判がなされています。(注3)

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n.新しい教養教育の在り方 ll−1.「切る」パラダイムから「キレる」教育へ  今日、「キレる」という若者言葉が、文化的流行語になっています。「キレ る」社会の出現です。野田正彰氏によれば、現代の若者は、社会に対し、如 何にうまく適応するかが最大の関心事であり、その適応は、自己防衛のため であり、そのためには我慢をするが、適応しきれなくなったとき、「キレる」 という状況が生まれると述べています。その時、他者との関係性は当然なく なり、「キレ」た後は何をしてもいい、何でもできるという状況になると説 明しています。野田氏は、こうした社会病理が生まれる背景に、80年代そし て90年代の目本は、偏差値教育に象徴されるように、社会の固定化、そして 閉塞感が充満した社会流動性の少ない社会が遠因しているとし、こうした社 会を「貧しい社会」と述べています。(注4)この「キレる」という状況は、 単なる表層の社会現象を説明する流行語に留まらない内容を持っており、社 会全体の深層から来ていると理解すべきでしょう。何か大本(おおもと)か ら「キレ」て、漂流している不安感を抱いている社会そのものを象徴してい る感じさえします。  分析主義の機械論的パラダイムが支配してしまった感のする教育システム も、「切る」→「切られる」→「キレる」という状況の中に、深く入り込ん でしまっているといえます。こうした状況に対して、「教養教育こそが、人 間性に立脚した学問であり、如何に生きるかという根源的問いに答えるのに 相応しい学問」であるという主張は、決して古くさい主張ではありません。 この主張は、「人間的価値の実現」に必要な教養資源を教養教育に求めると いう教養教育の目的を表明したものです。道具人間養成学科の危惧を脱する ためにも、人間性に立脚した学問、すなわち、「如何に生きるか」という根 源的問いに正面から答える教養教育は、最も重要な教育であることはいうま

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でもないことです。 H−2.「繋ぎ、繋がる」パラダイムから「引き受ける」教育へ  教養教育の理念を根底から支えているのは、一言で言えば、「引き受ける」 という理念です。「引き受ける」という理念が唐突とすれば、その前に、「繋 ぎ、繋がる」という思考の過程を挿入する必要があるでしょう。「繋ぎ、繋 がる」という概念に対立する概念は、「切る」、「切られる」、そして究極の「キ レる」という世界に繋がることになると考えるからです。分析主義の機械論 的パラダイムが、「切る」パラダイムと考えれば、「繋ぎ、繋がる」パラダイ ムは、全体のシステムは、部分の集合体より大きいと捉えるシステム論的パ ラダイムであり、世界をシステムとして捉え、ホリスティックな関係性の認 識に至らせるパラダイムと考えられます。  そこで、新しい教養教育に求められているのは、この「切る」パラダイム に対立する「繋ぎ、繋がる」というパラダイムに立っ行動でなければならな いと考えます。「繋ぎ、繋がる」パラダイムは、専門科目と教養科目の境界 をなくし、両者を限りなく接近させます。それは、現実と学問の関係性の復 活の道を示し、一般教育と専門教育の間の横糸を編み、また中等教育と高等 教育との間に縦糸を編むことをも可能にしてくれるはずです。今日の大学教 育自体が、「切る」世界の一部になっていることを自覚しない限り、「繋ぎ、 繋がる」そして「引き受ける」というエネルギーは生まれてきません。新し い教養教育に求められるパラダイムは、この「切る」パラダイムに対立する 「繋ぎ、繋がる」という行動でなければならないと考えます。現実は、「切る」、 「切られる」という世界から、更に「繋ぎ、繋がる」という行為を遠ざける 状況が先行してしまっている感がします。大学設置基準19条における教養教 育の重要性の喚起も、「繋ぎ、繋がる」パラダイムへの転換を促していると 捉えられます。「繋ぎ、繋がる」パラダイムは、何かに「繋がっている」こ

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とを意識化することの必要性を喚起させる世界です。 ll−3.「引き受ける」世界  「これからの時代における教養とはなにか、それを新教養とすると、その 内実は何になるべきか」という問いかけへの応答として、越前喜六氏は、新 しい教養教育の方向は、「人間の在り方や生き方の問題を問う学問」でなけ ればならないと示唆されています。(注5) 当然の事ですが、現代社会そし て人間は、空間の次元、問題の次元、時間の次元、そして内面の次元の各次 元と多様な関係性の中で存在していることを認識できて始めて、社会の在り 方そして人間の在り方や生き方が問われていることを自覚できます。  それ故、「切る」パラダイムに対立する「繋ぎ、繋がる」というパラダイ ムに立つホリスティックな関係性の認識に至らせるパラダイムに立った研究 教育こそ、「人間の在り方や生き方の問題を問う学問」に相応しいと言えな いでしょうか。この点でも、セルビー氏の主唱する「空間、問題、時間、そ して内面」の四つ次元の相互関連性に気づかせるグローバル教育論は、新し い教養教育の在り方に有益な示唆を与えてくれ、大学の教育方法としても有 効であると言えます。  「繋ぎ、繋がる」世界が、空間的次元、問題の次元、時間的次元をカバー できるとすれば、内面的次元(自己探究、自己理解)に関わるのが、「引き 受ける」世界です。「繋ぎ、繋がる」世界の更に先にあるのが「引き受ける」 世界と考えます。福田歓一氏は、入学式の際に学部学生に、知的自立に加え て、より重要な自立として精神的自立を訴え、精神的自立の意味は「自分と 自分とに与えられた環境に対して自分が責任を負える」成熟さであると述べ ています。(注6) 「引き受ける」とは、福田氏の言う「自分と自分とに与 えられた環境に対して自分が責任を負える」ようになることと思います。一

切の自分を「引き受ける」ことから、本物の自立、即ち「生きる力」

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(empowerment)が生まれてくると考えられます。  「引き受ける」世界は、更に積極的な関係性の認識の行動を促す世界です。 「個人に生きる力を与える」、即ち「人間の関係性の復活」を新しい教養教育 の目的とするとき、先ずは、一人一人に自己の価値(セルフ・エスティーム) に目覚めさせること=「引き受ける」世界の提案から始める必要があります。 自己の価値(セルフ・エスティーム)に目覚めることにより、違いを受け入 れる姿勢(=他者との共生)が養われるはずだからです。教養教育は、学生 に知的自立の基礎を与える教養資源でよしとするのでなく、本物の「生きる 力」を問う人間形成の学であることが重要です。 皿.教育の国際化の変遷  1991年に総務庁行政監察局が出した「国際文化交流の現状と課題」は、我 国の国際化の現状について、「経済大国たる我国が、顔のない国と呼ばれる 状況を脱却し、自らの姿や考え方に対する外国からの理解を深め、コミュニ ケーション・ギャップを縮めること、また、我国社会を更に開かれたものと することが急務となっている」と、国民自身の変革、即ち、国民一人一人の 「内なる国際化」が課題であることを表明しています。(注7)  高等教育の「国際化」は、法律、制度、施策の改革といったハード面の対 応では一応の成果を見ましたが、現在は、教育内容のソフト面が問われる時 代です。高等教育自体の「内なる国際化」が問われている時代です。そこで、 本項では、「地球市民育成」という教育目標が掲げるに至るまでの日本の教 育の国際化の過程を、「1970年代」から「1990年代」まで概観してみたいと 思います。

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m−1.「1970年代」  ’日本社会の国際化の進展に伴い、国際化の教育目標が、多様化し質的にも 変化するのは当然のことです。国際化という言葉が、マスコミにおいては1960 年代から使われ、最初に公的に使用されたのは、1968年の経済白書「国際化 のなかの日本」でのことです。そして、日本の国際化が課題になり始めたの は、経済復興から急激な高度経済成長を迎えた1970年代です。1970年代は、 人・物・カネの世界との交流が増大し、国際社会への関心が、日本社会の国 際化を促した時代でした。その国際化の内容は、モノとカネの交流が、世界 の人々との交流と協調を要請した国際化でした。  政府の国際化への取り組みの端緒になったのが、1972年、国際文化交流の 中核機関としての「国際交流基金」の設立でした。本格的な取り組みは、1989 年の「国際文化交流行動計画」の決定です。その政府べ一スの国際文化交流 事業には、文化紹介・日本語教育・日本研究助成・人物交流・国際理解教育・ 留学生交流・技術協力・地域の国際化等が行動計画に掲げられました。この 政府べ一スの国際文化交流事業に於いて、国際理解教育を推進する文部省は、 JET計画の実施、国際理解教育の推進、調査研究の実施、外国人子女の学 校受入れ、英語担当教員の研修、外国人教師の招聰、帰国子女教育の充実を 担当してきました。高等教育の国際化に向けての動きも、ほぼ同時期の1971 年、OECD教育調査団の日本の高等教育への以下の4項目の提言を受けて、 事実上出発しました。(注8) 1.外国語教育の改善 2.外国留学の正式認定 3.外国人への日本の教育機関の開放 4.世界性を持つ人材の育成

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 この4項目を受けて、1974年5月に出された中央教育審議会の文部大臣へ の答申書、「教育・学術・文化における国際交流について」には、1970年代 の日本の国際化の草創期の考え方が表われています。大学の国際的役割と、 国際理解のための教育研究を奨励し、学生、教師の国際交流を推進すること を訴えた答申書の前文は、我国の国際化への提言として「…まずもって、国 際理解と協調の精神をもち、国際社会において信頼と尊敬を受けるに足る日 本人の育成に積極的に取り組むとともに、相互の連帯発展向上の基盤となる べき教育・学術・文化における国際交流活動を、国内におけるこれら振興施 策を踏まえて抜本的に改善し拡大しなければならい。」と記しています。答 申は、以下の3項目を日本人の国際化の課題としました。(注9) 1.国際理解教育 2.コミュニケーションの手段としての外国語教育 3.国際的に開かれた大学  これを受けて、教育課程審議会は、1976年、「家族、郷土、祖国を愛する と共に国際社会のなかで信頼と尊敬を得る日本人」の育成と、言わばナショ ナル・インタレストに立った国際理解教育の方向性を示しました。1970年代 の教育を巡る国際化の運動は、日本の視野から世界を見る、日本という国を 中心にした国際化という発想から抜けきれない時代であったと言えます。当 時の日本の状況からすれば、教育の国際化が、国の国際化と重なることにな ったのは当然のことでした。それ故、当時の国際理解教育は、同質的社会の 日本を視点にした、「異文化理解」という範疇であったとの指摘が多くされ てます。国家間、民族間、文化間の異質性に焦点を置く文化的アプローチ中 心の教育は、確かに、他者、他文化、他民族を理解することになり、また当 然、それは自己との相違を意識することにより、自己確認に向かわせるもの ですから、「異文化理解」教育の視点からは、それ自体の価値を損なうもの

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ではありません。しかしながら、文化、民族の異質性に注目することは、結 果として、相違と摩擦を意識させる教育になり、人と人との交流を推進する 教育という点では物足りないものであると言えましょう。 皿一2.「1980年代前半」

 国際社会で活動していく日本人の育成という課題は、1971年、OECD教

育調査団の4提言のひとつであった「世界性を持つ人材の育成」という、言 わば国際社会からの要請でした。1952年以来、国際理解教育の基本事項の啓 蒙活動を行なってきた日本ユネスコ国際委員会が、1974年ユネスコ第18回パ リ大会に於いて採択された「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育 並びに人権及び基本的自由についての教育」の7項目の以下の勧告、 1.すべての段階及び形態の教育に国際的側面及び視点を持たせること。 2.国内の民俗文化及び他民族の文化を含めたすべての国民ならびにその  文化、文明、価値および生活様式を理解、尊重する。 3,諸国民、諸民族の間に世界的な相互依存関係が増大していることを認 識する。 4.他の人々とコミュニケートする能力を持つ。 5.個人、社会的集団及び国家にはそれぞれ相互の間に権利のみならず負  うべき義務のあることを認識する。 6.国際的な連帯及び協力の必要性を理解する。 7.個人が属する社会、国家及び世界全体の諸問題の解決への参加を用意 する。 を受けて、1982年に以下の6項目を目標にする「国際理解教育の手引き」を 作成します。(注10)

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1.平和な人間の育成 2.人権意識の滋養 3.自国認識と国民的自覚の滋養 4.他国・他民族・他文化の理解の増進 5.国際的相互依存関係と世界の共通重要課題の認識に基づく世界連帯意 識の形成 6.国際協調・国際協力への実践的態度の養成  この1982年の国際理解教育の中心目標は、人権教育を基盤として、自国民 としての自覚、他国・他民族・他文化の理解の増進と世界連帯意識の形成す なわち国際協調・国際協力の態度の養成にあります。ここには、それまでの 自国認識と国民的自覚の滋養というナショナル・インタレストに加えて、基 本的人権の尊重の精神に基づいて、インターナショナルな視点から、国際社 会の一員としての日本人育成を目指す方向の手引きになっています。1980年 代になると、国内の外国人人口が、総人口の1%にまで増大したり、帰国子 女の増加、職業の国際化と日本国内の国際化が進行しています。  1984年9月から作業を開始し、1987年の最終答申に至るまで、臨時教育審 議会は3年間、四次にわたり、大学改革に向けて、大学教育の充実と個性化、 大学院の飛躍的充実と改革など多岐にわたる答申を行ないました。その1985 年の第一次答申は、「高等教育の高度化・個性化」への具体的方策として、 国際化という視点に立っての教育改革を、生涯学習体系への移行、情報化へ の対応と共に挙げます。1987年8月の四次にわたる最終答申に於て、国際化 内容を集約したのが、以下の6項目です。 1.帰国子女・海外子女教育への対応と国際的に開かれた学校 2.留学生の受け入れ体制の整備・充実 3.外国語教育の見直し

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4、日本語教育の充実 5.国際的視野における高等教育の在り方 6.主体性の確立と相対化  国際化には、法律、制度、施策を扱うハードと、教育内容を扱うソフトの 両面があります。上記6項目の内の最初の2項目は、法律や制度整備に関す るハード面の国際化の課題です。日本の高等教育の国際化のハード面は、こ の20年余、外国大学との「相互協力、共同化」次元の交流を国際化の柱にし て、留学生の派遣や外国人学生の受け入れ、帰国子女の入学等、一定の進展 を見てきたことは衆知の事実です。栗本一男氏は、「国際化とは、日本のシ ステムと他のシステムの間の接触、差異の認識、利害の調整やシステム相互 間の共通項を作る作業であり、……、日本の国際化は、日本人の生活システ ムのなかに国際的な共通項を増やしていくことによってのみ可能である」 (注11) と述べています。このシステムの共通性の構築が国際化の必要条 件であるという課題は、制度上は着実に整備され一定の成果を挙げているこ とは、いろいろな大学国際交流のハード面をみても明白です。日本の大学の 国際交流も、限定された規模ではあるが、外国大学との通用性と、交流性を ある程度までは実現している点は評価できます。 皿一3.「1980年代後半1  1980年代の後半になると、日本人の国際化に、ナショナルそしてインター ナショナル・インタレストの視点に加えて、グロ・・一一バルの視点が入ります。 1986年の臨時教育審議会の「教育改革に関する第2次答申」は、「国際社会 に生きるとは、結局人と人との交流、心の触れ合いを深めることであると考 えると、教育においてもそれへの対応が重要になってくる。このためには、 単に技術的に対応するだけでは済まず、人的な交流を「てこ」として目本の

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教育の本質にまで遡って考えていく必要がある。このような見地からすると、 制度面のみならず教員等関係者の意識を含め日本における教育を広く開放し ていくとが重要である。」とし、「日本人として国を愛する心を持つとともに、 狭い自国の利害のみで物事を判断するのではなく、広い国際的、地球的、人 類的視野の中で人格形成をめざすという基本に立つ必要がある」と、国際化 の視野の変革の必要を訴えています。天野郁夫は、これらの表現は、「狭い 自民族、自国民中心の発想から脱した、広く国際的に開かれた、多民族、多 文化が合流する共生の社会、そこでの異文化間教育、多文化教育、教育の国 際交流の姿が浮かび上がってくる。」と臨時教育審議会の問題意識を評価し ています。(注12)  1987年4月の臨時教育審議会の第3次答申は、教育再編成の基本方針を提 示し、国際化の教育目的として次の4項目を提言しています。 1.異なるものへの関心と寛容 2.国境を超える人材の育成 3.コミュニケーションに役立つ言語教育 4.主体性の確立と相対化  1987年8月の最終答申は、より明確に、これからの新しい国際化は、「追い 付き型近代化時代における国際化とは異なり、全人類的かっ地球的視点に立 って、人類の平和と繁栄に貢献し、国際社会の一員としての責任を果たして いくものでなければならない」と述べ、制度面だけでなく、「関係者の意識 を含めて広く日本における教育を開放していくこと」、そのために「異なる ものへの関心と寛容を培うと共に自己革新力を備えた教育システム」を形成 することの必要性を強調します。1990年、日本のODAは世界一になり、ユ

ネスコ、OECDを代表とする各国際協力事業、そしてNGOへの関心が急

速に高まった状況は、日本人の国際化が、自国家・自国民意識から、インタ

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一ナショナルそしてグローバルへと変容しつつあることを示しています。  こうした国際化の現状認識は、既に、1987年の臨時教育審議会の最終答申 の4項目、外国語教育の見直し、日本語教育の充実、国際的視野における高 等教育のあり方、そして主体性の確立と相対化に集約されていたと言えます。 また、同じ方針が、1989年3月の学習指導要領における国際理解教育の重視 に生きています。そして、1993年の文部省の教育白書「我国の文教政策:文 化発信社会に向けて」は、「国際理解教育の推進と外国語教育の充実」を重 要施策としています。 1.国際理解教育の推進と外国語教育の充実 2.教育・文化・スポーツの分野における国際交流・協力の推進 3.留学生交流の推進 4.海外子女・帰国子女教育の推進 m−4.「1990年代」以後  今日の「国際理解教育」の課題は、人権、環境、開発、平和などのグロー バルな諸問題です。小中学校の学習指導要領(1989年3月)で重点施策とな った「国際理解教育」も、従来の他国理解を中心とした国際化に対して、経 済社会のグローバル化、地球環境問題の深刻化を背景にした、日本人のグロ ーバル化を目的にしています。国家間の人の交流のための「国際化」を超え て、人権、平和といった「地球次元の人と人の交流」そして「自然環境と人 の交流」というグローバルな次元の問題へと意識変革が求められています。 1994年10月ジュネーブで開催された第44回ICE(「政府間国際教育会議」) は、1974年のユネスコ「国際教育」勧告の内容を再検討し、この教育の新し い方向づけとして、平和・人権・民主主義についての新しい概念の導入を図 っている。」と、国際的にも、従来の国際理解教育の枠組みでの発想に限界

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があることが指摘されています。(注13)  ところが一方で、ややもすると、資本のボーダレス化による経済のグロー バル時代を生き抜く人材養成という時代的、社会的要請に応えることが「国 際化」となり、そして教育目的となる傾向が見受けられます。その「国際化」 の教育内容は、企業社会に即応するカリキュラムであり、グローバル化とい う名だけの更なる職業教育を、高等教育の新しいパラダイムにしてしまう結 果になりかねないことになります。こうした対応は、あのスプートニクショ ックや1980年代の米国の教育の危機への対応、いわゆる「国際化」が「国際 競争力」(International competitiveness)をつけることと同義語であった一 時代前の「国際化」に見られた対応です。 IV.地球市民育成のためのカリキュラム  前項で、「1970年代」から「1990年代」までの教育の国際化の内容の変遷 を概観しました。地球規模での相互依存が促される「共生の時代」に求めら れる国際理解教育は、「国家」、「国際」を超えて、「地球的視野」からの「グ ローバル教育」であると考えます。人権、環境、開発、平和などの地球的な 諸問題を自らの問題として受けとめ、それらの問題と積極的に関わり行動し ていく人材の育成です。 「人のグローバル化」の鍵は、カリキュラムの内容 にあると思います。どのような事項が、「人のグローバル化」の内容を構成 しているかを検討して、グローバル時代に生きる「地球市民」の概念を構築 しなければならなりません。そして、その「地球市民」の概念を構築する諸 項目の実現していくための具体的なストラテジーをどのようにすべきか検討 することが重要です。その上で、総合的な学問の見地から、それらを実現す るためのカリキュラムの内容、学習のプロセス等を構築していかなけばなり ません。

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IV−1. 地球市民の育成の教育  国家間の「国際化」の次元においては、ハード面の国際化が、その主流で あり重要でした。けれども、地球規模の問題意識が絶えず求められる現在に おいては、「内なる国際化」の鍵は、グローバルな諸問題を自らの問題とし て捉え、積極的に社会と関わり行動していく国際人=地球市民を養成する教 育内容です。高等教育に於いて、このような人材の育成のために、教える側 も、各教科が、学生の学習の総合化の役に立つような教育内容の提示そして 指導が求められています。そしてグローバライゼーションのもたらす課題に 対応するためには、科目単位での取り組みだけでなく、既存の教科の枠組み を超えて、ホリスティックな視点から、グローバル・イシューと取り組むこ とがことが大切です。学習者は、現況の課題への取り組み方から浮かび上が ってくる次の様な「地球市民」をイメージしても良いと思います…… 1.自己を育てた社会を理解し、自分をとりまく社会の中でいかに生きる  かの選択・決断出来る人。 2.他者の人権を認め、共生の哲学に基づいて行動できる人。 3.普遍的でグローバルな諸問題を自らの問題として考えられ、そして地 球的視座に立って行動できる人。 4.総合的な教養を持つ人。  前述しました1974年のユネスコの国際教育勧告の各項目は、カリキュラム の「グローバライゼーション」の原点となるべき内容を全て含んでおり、そ の「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育並びに人権及び基本的 自由についての教育に関する勧告」は、望まれる国際化の教育内容が明示さ れています。(注14) 7項目の教育勧告は、1970年代に考えられたもので あっても、人の国際化の課題として、依然として、その普遍的価値を保って

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います。  しかしながら、現在、上述したように、1970年代の国際人のパラダイムで は対応できなくなっている部分が出現しています。1970年代の課題は、主と して冷戦時代を特徴とするものであった。即ち、国家間、民族間の理解・協 調の精神を醸成するためのものであったと言えます。現在は、理解・協調の 精神では対応できない、地球次元での対応を促す深刻な課題(環境・開発・ 人口・人権・平和)が多く生まれている状況です。“Global perspective” の視点から人権、環境、開発、平和などのグローバルな諸問題を自らの問題 として捉え、積極的に社会と関わり行動していく国際人=地球市民の養成が 課題となります。学習者は、人権、環境、開発、平和などのグローバルな諸 問題を、ホリスティックなパラダイムに立って学習し、知識を統合していく

姿勢が問われます。無論、教える側の責任は、教科サイドでの壁

(Compartmentalism)を排除し、グローバル教育の視点に立った対応が肝 要となります。 IV−2. 国際理解教育と英語教育  今日の英語教育には、「文化発信の時代」の英語教育という課題に加えて、 学生が国際社会の一員であること、そして地球市民であることに「気付く」 という重要な役割が期待されています。学習指導要領(1999年)は、先ず、 英語自体への今日的要請が反映され、欧米の文化吸収手段としての英語から、 世界通用語としての英語、即ち国際的なコミュニケーション手段(国際共通 語)の観点に立つ英語教育への転換と、異文化、異質との出会いを経験でき る英語教育を通して自文化を意識し、視野を広げ、人間としての成長をも期 待した語学教育の要請と見ることができます。  学習指導要領で重点施策となった「国際理解教育」は、従来の他国理解を 中心とした国際化に対して、経済社会のグロー一・バル化、地球環境問題の深刻

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化を背景にした、日本人のグローバル化を目的にしています。そこでは、国 家間の人の交流のための「国際化」を超えて、人権、平和といった「地球次 元の人と人の交流」そして「自然環境と人の交流」というグローバルな次元 の問題へと意識変革が求められています。  また、1986年の臨時教育審議会の「教育改革に関する第2次答申」では、 「日本人として国を愛する心を持つとともに、狭い自国の利害のみで物事を 判断するのではなく、広い国際的、地球的、人類的視野の中で人格形成をめ ざすという基本に立つ必要がある」と、国際化の視野の変革の必要を訴えて います。国際化の視野の変革の観点から、英語教育の学習指導要領を眺める と、英語教育に期待されている今日的役割が鮮明になってきます。そのため の課題となる学習が、以下の4点に集約されます。 1,生きた英語の運用能力を身に付けるための言語知識の習得 2.自文化中心主義から脱皮し、文化相対主義の態度を身に付けるための  文化情報の獲得 3.相互依存の世界に生きていることを確認するために、異なる価値観の 存在の受け入れ 4.体験を通してコミュニケーション能力を高める  コミュニケーション能力と国際理解教育を重視する学習指導要領は、「今 日という時代、今後の日本、あるいは広く地球次元の時代にふさわしい英語 教育」の在り方そして方向性、言わば外国語学習の本来の目的を示していま す。外国語学習は、世界を見る窓にもなり、外から日本を見る窓にもなりま す。その窓が、大きいほど広い世界を見ることができ、日本を見直す機会を 与えてくれます。  この新しい国際理解教育の目的に、語学教育は、最も協力できる、またそ の中心となれる教科の一つであると言えます。学習指導要領が、コミュニケ

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一ション能力と国際理解教育を重視していることを、この点からも見直すこ とが出来ましょう。  語学教育も、この“Global perspective”を取り入れることが要請されて いる時代と同時進行していること、そして「地球的視野」に立って、知識、 情報を獲得して伝えるべき内容を自ら考え、そこから自然に生まれてくる伝 えたい、表現したいエネルギーを語学学習に結実させるという大道に立っべ きでしょう。英語学習は、これらの課題を総合して、ひとりひとりが、グロ ーバル社会に生きる一人の人間として価値ある存在であるという「セルフ・ エスティーム」(self esteem)の自覚に至る重要な学習です。 IV−3.「グローバル教育と教養教育」  地球規模での相互依存、地球環境の危機、高度情報化社会そして民族対立 などの課題を、これまでの発想に拠って対応するには、もはや限界があると の認識から、未来に備えるパラダイム、即ち、地球市民(Global citizenship) の養成につながるパラダイムが要望されることになる訳です。このような状 況への対応として、「共生」の時代における新しい国際理解教育の視点、即 ち“Global perspective”というパラダイムが活かされると考えます。これ こそ、「グローバル教育」が提唱する視点です。地球規模の複合的な諸問題 を扱うためには、エスノセントリズム(自文化中心主義)の思考態度を克服 すること、また分析主義や機械論的人間観によって、世界を細分化して見る 世界観を転換し(パラダイム・シフト)て、既存の学問、教科の枠組みを超 えて、多次元から総合的に考察しなければならないという「グローバル教育」 の考えに我々は共感します。グローバル教育の特徴は、以下の5つに集約で きます。これまでの伝統的な教育法との違いが認められと思います。

①「繋がり」を意識する

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②③④⑤

「違い1を意識する 「未来」を展望する 「プロセス」を重視する 「社会参加」を意識する  伝統的な教育法は、他とのあまり『繋がり』のない、自分だけの世界に閉 じ込もり(Compartmentalism)、学習者の知的発展への力になるには限界 があります。グローバル教育は、「繋がり」、「違い」、「未来」、「プロセス」、 「社会参加」といったキーワードを核にして、閉塞状況に陥っている「人と 人」、「人と自然」の関係に、そして教育の体系にも新たな展望を開き、専門 科目、共通総合領域科目、他学部・他学科開放科目との間の壁を低くし、学 生の知的視野の拡大と知識の統合を促す機会を与えてくれると思います。  「グローバル教育」の日本への流入は、国際理解教育の一部としての流れ と、開発教育として社会科教育のなかで進められてきた流れの二つがありま す。グローバル教育は、国際的に、東西対立、経済の国際化、多国籍企業、 南北問題などが顕在化して相互依存が意識されるようになった時代に生まれ ました。1970∼1980代に、イギリス、カナダ、オーストラリア、アメリカに て「グローバル教育」が発展してきた理由には、社会的に、地球的相互依存 性の増大、社会のグローバル化の進展と認識の高まり、国際理解教育の限界、 知識偏重教育への反省、学校と社会の関連性の増大といった背景が指摘され ています。また1974年の「ユネスコ国際理解、国際協力及び国際平和のため の教育並びに人権及び基本的自由についての教育」の勧告との繋がりを認め る見方もあります。  今日、識者は、学問の全体性を復活するためには、現代的な内容を持った 新しい時代の知識のパラダイムを構想する必要があると訴えています。人権、 環境、開発、平和などの複合的な諸問題を扱うには、様々な分野の学問間の

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総合的協力が必要があることは言うまでもないことです。その際、21世紀を 迎える現在の時点で、学問の全体性を復活させるための新しい時代の接着剤、 即ち、新しい知識のパラダイムを構想する必要がある訳です。  小、中、高に於ける「国際人」を育成する目的の「国際理解教育」の活動 を継続する受け皿としても、大学はその点で、心許ない現状であると言わな ければなりません。「人の国際化」という課題は、言うまでもなく、極めて 多面的、多次元的で包括的な内容を持つています。それだけに、細分化した 学問の寄り合い所帯の感のある現状の大学が、総合的、包括的に取り組まな ければならない「人の国際化」という課題は、扱いにくい課題であることは 確かです。しかし、逆な見方をすれば、このテーマは、多面的、多次元的で 包括的な学際的なテーマであるが故に、細分化した学問を「学問の全体性」 に向かわせる格好なチャンスを与えてくれている言えましょう。  グローバル教育は、地球規模の複合的な諸問題を扱うためには、既存の学 問、教科の枠組みを超えて、総合的に対応しなければならないと訴えます。 国の枠を超えて、地球的視野で対応しなければ、根本的には何も問題が解決 できない今日、教育全体が、このような未来に備える「パラダイム」からの 教育を考慮しなければならない時期に至っていると言えます。大学教育に今、 求められているのは、グローバルな諸問題に関して、積極的に関わる「地球 市民」の育成という目的を実現するために必要な知識、姿勢、技能を身につ ける総合的なカリキュラムの研究と開発です。グローバル教育の教育観は、 国際理解教育に要請されている新しい世界観・地球観となり、また、学問の 全体性復活するために必要とされる新しいパラダイムを提供し、そしてまた、 教養教育の再評価の機会を与えてくれるように思えます。そして、グローバ ル教育のもつホリスティックな視点は、教育の体系にも、そして閉塞状況に 陥っている人と人、人と自然の関係にも新たな展望を開いてくれると考えま す。       了

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(本稿は、「大学教育学会誌」第20巻 第2号(1998年11月)に発表した「新 しい教養教育の理念一「切る」パラダイムからの転換」に加筆したものであ る。) (注) 1.立花 隆「知的亡国論」文芸春秋1997年7月号 2.デイビッド・セルビー氏は、グローバル教育の指導者として、世界各

  国でセミナーを開催するかたわらUNICEE UNESCO,カナダ国際開

  発協議会のコンサルタントとして活躍されている。著書に“Global Teac・   her, Global Learner”,“Earth Rights”などがある。 3.絹川正吉「グローバル時代の教養教育のあり方」大学教育学会ニュース   レター No.552000,9,26 4.野田正彰「気分の社会のなかで」中央公論新社 2000年1月 5.越前喜六「新しい教養教育、その理念と実際」

  大学教育学会誌 第20巻第2号1998年11月

6.福田歓一「大学教育の問題と課題」   一般教育学会誌 第15巻 第2号p.10 7.総務庁行政監察局編「国際交流の現状と課題」平成3年7月 8.宇田川晴義「国際人教育とカリキュラム」   −21世紀の国際社会における日本ll 一 東洋大学、1997. P.135∼150

9.千葉果弘「1974年度国際教育勧告の改定をめぐって」国際理解教育

  VOL.1.1995 10.日本ユネスコ国内委員会 1982年 11.栗本一男「国際化と日本人」NHKブックス、平成3年、 P.8 12.大野正治「日本人とドイツ・教育の国際化」玉川大学出版部、1993.P.   33 13.千葉呆弘「1974年国際教育勧告の改定をめぐって」国際理解教育、VOL.

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  l  P.6∼P.41 14.魚住忠行「グローバル教育の歴史」国際理解教育事典(創友社)1994.P.   178∼P.181 (その他の参考文献) グローバル教育報告書「グローバルな視点を教育に」        桜井・法貴グローバル教育研究所、1996 魚住忠久「グローバル教育」黎明書房、1996 魚住忠久「グローバル・エデュケーション」教育学研究第61巻

    第3号1994年3月

樋口信也「国際理解教育の課題」教育開発研究所 国際理解教育 Vo1.1,2,3, 日本国際理解教育学会刊  (創友社)

浅川和也「グローバル教育を体験する」TOKAI REVIEW第22号1997.3

国弘正雄自選集 1 異文化のかけ橋として(日本英語教育協会) 国弘正雄自選集 3 語学のすすめ1(同上) 国弘正雄自選集 4 語学のすすめH(同上) 国際理解教育(国土社) 学習の転換(国土社) 国際理解教育辞典(創友社) 国際理解教育論選集一学校教育篇一(創友社) 国際教育論一共生時代における教育一(創友社) 国際教育の創造(創友社) 異文化理解のストラテジー(大修館書店) 伊藤隆二教育著作集1 人間と教育を考える(福村出版) 有本章編「学部教育とカリキュラム改革」      広島大学 大学教育センター1995年3月

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関 正夫「日本の大学教育の現状と課題」広島大学 大学教育センター、1995

    年3月

総務庁行政監察局「国際文化交流の現状と課題」平成3年7月 中西晃篇「国際教育論」創友社1993 「教養課程組織改編に関する調査報告」(国立大学協会) 1979年5月 宇田川晴義「1980年代の米国大学の教育の国際化」−21世紀の国際社会にお       ける日本一東洋大学、1994 喜多村和之「大学教育の国際化」玉川大学出版部,1989年広島大学「大学教       育センター大学研究ノート第57号」1983年8月 佐野正之、水落一朗、鈴木龍一「異文化理解のストラテジー」大修館書店 古田 暁「異文化コミュニケーション」有斐閣選書 斎藤諦淳「開かれた大学へ」ぎょうせい

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