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『宗教研究』227号(49巻4輯)

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(1)

――目次――

論文

1,

祭における神の象徴:黒川オオギ祭, 中牧弘允, The Divine Symbols of the Ōgi Festival in Kurokawa,

Hirochika NAKAMAKI, pp.1-21.

2,

アサンガにおける大乗思想の形成と空観:ヨーガーチャーラ派の始祖の問題として, 向井亮, The

Formation of the Mah

āyāna Thought in Asanga, with Reference to the Founder of the Yogācāra School,

Akira MUKAI, pp.23-44.

3,

『修験恵印総漫拏攞』の世界, 八田幸雄, A Study of Shungen-ein-sō-maṇḍala, Yukio HATTA, pp.45-72.

4, Vijñapti

について:チベット訳『摂大乗論』の用例を中心に, 竹村牧男, On the Term “Vijñapti”: Based

on Examples From the Tibetan Translation of the Mah

āyānasaṁgraha, Makio TAKEMURA, pp.73-94.

展望

5,

第13回国際宗学宗教史学会議, pp.95-112.

書評と紹介

6,

山口恵照著『サーンキヤ哲学体系の展開―究極的な「転迷開悟」の道―』, 前田専学, Sengaku MEDA,

pp.113-116.

7,

赤司道雄著『旧約聖書捕囚以後の思想史―神の応報の問題をめぐって―』, 定形日佐雄, Hisao

SADAKATA, pp.116-119.

8,

日本宗教学会「宗教と教育に関する委員会」編『現代青少年の宗教意識』, 脇本平也, Tsuneya

WAKIMOTO, pp.119-123.

Posted in 1976

(昭和51)年

(2)

祭 における神の 象徴 神 の 解 観 表 、 す で な の 偶 が た 金 塊、 る あ が 人 神 像 不 と 的 と 場 り ら 間 の

の か 偶 曳 ば も っ 現 象 い 感 ら 像 建 ね め て し 徴 る 覚 聞 に 夫 る で 、 て の 表 的 き 他 は 山 あ 象 象 形 象 認 山 昇 そ 形 る 微 微 成 駒 識

と の 菱 川 を て く 除 が 象 し 此 現 オ 忘 の り 外 あ 的 た 界 と オ れ 押 出 さ る な 。 の し ギ て は す れ 。 概

待 に 」 で

すも

ろ象ぃそ

なえが徴表

あ の

家、

て と を 過 識 び 村 の 放 て 部 こ 程 お そ 人 定 案 理 か で に よ の に 議 し 解 ら は は び 中 は な て し く 表 、 樹 間 そ 与 し な る 象 あ 念 に ね え ま け よ や る 的 感 に 、 つ れ ぅ 概 も 認 覚 に 念 の 識 的

み は を を な る ギ 彼 ら ぇ 認 、 表 前 特 て 識 、 象 提 殊 も と と と 性 、 し の し を

無 さ オ が

もて

と、

連 想

てあ

成る

で れ ギ も 象 か 上 程 あ た サ 象 と 徴 ら す 度 る 他 マ 徴 人 は 象 る と 。 界 が の 間 そ 徴 も ど オ の 神 理 の の と の め

11黒川オオ

ギ祭||

弘允

( 毬 9)

(3)

から物自体にひ

き ずりおろして解釈を試 る 。

﹂というものであ しかし神である

一気に神を概 い う 言葉に結びつ マントが全く同じ

の 数日を除 き 他の

ついて語ることは ︵ 4 ︶ ることはない。﹂

界の物自体を神と

々の目から隠さ

通用するなら

性 ﹂という前提に

界 に消える、

をも指してい

︵ 5 ︶ る 、と考えられる。﹂

辿るプロセスが オ 起 ば れ し 金 ォ (490)

(4)

中区・下図に組織されている。

はもと﹁新山永楽

と通称されるよ

になっ

豆智命

・伊波

主命・

柱の神の祭ではなく、

日間となって

(491)

から山形市にぬ げ

。東を望めば出羽山 農家一一 p 当り約一・

ね 、行政的には上図

る 。

移ることにする。

二黒川オオギ祭

はオオギサマ は抽象 として、すなわち 抽

(5)

こ きよう

新客の座入りが認め ︵ ヶ 1 ︶ あが

・下座の当人に国司

ギ 祭は豆腐祭の異名

年 ︶を 三 ? 四日もか

で ﹁シメ 掛祭 ﹂︵ 神降

は 再び神社で﹁ 宮 上 あが

い、棚をこしらえた

あと、鏡餅が拝殿に ざ じゅう

他 座の主だった家に まわる。

ている間、当屋で

オオ ギサマ は拝殿 横

後を、オオ ギ 守に担

0 行列がそのあとに

持を従えて、オォ ギ

場ムロ は大田恭 什一 住 は捷爬に

振舞われる。まもな

加え、大地踏の子供 (492)

(6)

れておめでとう存ずる。 上りなさりませいと申し

いで座乗に対して 当人に挨拶をした後、 鹿狩り﹂があり、 能

一日の当人が正式に認

といよいよ祝宴が開

当 なところで切上げ て 帰宅する。

る 演能は夕刻六時

を 統一しているよ う

開かれた オオギサマ

をはさんで、徹夜で

の 終了後能舞台に座し、 祭 に 担がれた ォォギ 5 ( め 3)

(7)

唇から来年の当屋に

。下座は榊屋敷の奥

下座ょりやや遅れて

対する返礼である。

オギサマ は神社鳥居

提灯持の順序で神社

駈け出し、左右の狭 ﹂であり、上座の勝

衆 ﹂がとり囲み、 オ

て 下座の順に奉納す

いろ。脇能のあと、

了 後には万雷の拍手 と : ろぶつ そ < 前仏則の翁を舞い、 が 神前の膳につく。

衆 に助げられて ォォ

。若者達は棚の上に

一々九度の形式で酒肴 サマ を梁に上げた 側 (494) 6

(8)

小花が配られる。 ま

れ 酒肴を振舞うが、

もって打盤の一人が

オギサマ を素早く降

ところへ駈けつげ

若者に支えられて 内

ちぎって下に落と

勝となる。オオ ギサ

座 ・下座の向きを 互

暗い。

簡略である。思え

昨日の朝振舞に 続

ない、当屋でも精進おと

で 行われるにすぎない。 神 げ お 祭 C495)

(9)

さ 合 っ 正

れのた時生

に 関

座もすわ放神の

のそろっは社で

上 座 た ょ 家 代 家 孫 家 も 。 て 上 は あ と も う は に に な が 上 奏 い 歴 戦 る 下 の に 、 こ 戻 く で " " -

そ 係 は 改 を 本 に 分 岐 縁 下 村 と 構

組教

理 す 。 る 婿 う に 境 地 、 で の さ も

っ 、 し に の っ す 今 な 地 ら を 神 く

・のた

者。

本 員 川 の 流 縁 稜 威 も 度 ギ 座 が 新 人 と で と に の の と 副 に 祭 は 妻 た は し は 推 は 二 新 し 次 従 の 当 の に 生 て 公 案 下 っ 興 て 的 っ 祭

人為

の近 に居 座に にな した

る。

家が 理に に分

。昭

割 し 任 役 は 的 く を 属 る 場 現 参 ょ 家 相 か 員 座 に に 定 し 資 今 在 い っ し 四 果 が の

的 橋 ょ た 失 、 区 か 属 が の い し を ほ え ぅ が わ 居 城 ら が 夕 座 。 て と

座 と 神

(496)

(10)

祭 における神の 象徴 ︵Ⅱ H ︶ て 座への帰属が決定されてきたといえよ う 。

な 行な 5 母体集団

る 当人であり、 能座 の長は世襲の能太夫である。

座 衆の中から最年

る 義務と資格を有す 者が三日の当、次が

屋で能を演じたので

等の奉納があり、 こ

る 。最年長者が当人

な 配慮が働いてい を 無事済ませて、隠居となる。

本名 泉 ︶、下座は上 翁を 舞 う 家が別に世

金石、下座は五十余

他 座の能太夫から 伝

れる興行は、能太夫

、客座の総会として 9 (497)

(11)

春日神社の筆頭社掌は代々 鍍 特大膳であり 民部藤原 京 隆から春日四所神に奉仕している 家の家刀自︵主婦︶は代々﹁ 榊 ﹂という名で ︵ 杓 Ⅱ︶ 家柄である。 榊 屋敷といわれる所以である。 ︵㎎︶ ている。現在巫女は遠藤 孫七 家から出ている 、初代勘解由は長享元年︵一四八七年︶に 黒 ︵ 6 ︶ という。禰宜の遠藤 重 左衛門家も古い家柄で 春日神社の巫女職を勤め、社領のうちから 一 寛文八年︵一エハ二八八︶の文書にほ神主大膳夫 が 、いつ頃からそうなったかは明らかでない 夫 君 、 川 居を定め、二代の靱時 代々神社に奉仕し、遠藤 三斗の配当を受けてぎた 、社人士左衛門と記され 難波 甚 九郎と成田大蔵が あ 9 座 ジ 神 二 人 の り 以 に 狩 ソ 座 っ 黒 と 性 、 土 忌 り ザ に に 川 な 格 普 要 わ の と 君 公 に っ を 通 約 れ 際 は ぎ か は て も は す る 、 当 た れ 宮 い ち 図 る 。 家 屋 い て 座 る サゴ Ⅱ と 号 で と 上 と 。 活 b

と の の 座 い れ 春

座 お あ ノ 動ム 神 な 日 名 の 願 不 言 い 神 で こ い 廃 棄 が 社 こ と で と も 訃報 云 土 彩 め 職 武 庫

なげ

度点 をさ ござ 呼ば 口も な 的 は 呼 す い れ れ さ に 相 さ 。 ま て ば れ 区 対 る 別 的 さ に

各 れ 独 、 ぅ ロ と と こ な 士 こ い 座 る 立 ひ よ 時 し こ 用 を ろ う に

語述

が 呼 独 も た 立 あ 上 も は べ 座 び の る 座 経

営 と 下 の と オ の し 体 い 座 長 官 モ 際 な で, え に で 座 テ に い あ る 分 あ の ザ は 。 @ か れ

座 を 能 格 と 率 各 0 表 六 の し の 一 わ 夫 金 て の 負 す 毛 子 は 座 負 座 は

担 金 宮座 あ と げ っ 日 ( る 考 る て 神 ザ で、 と え 異 オ 社 あ る

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の 座 り) と 識 6 座 ザ 」 と 同 で、 出 時 が

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ヰァ ヒ 演 料 能座

が 、 ぃ 太 あ ジ そ 主 で, な も

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よ は

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ザが

歳 (498)@ 10

(12)

祭 における神の 象徴 日 神の象徴 a オオギサマ ㏄ 4

る よ う に五木の紐︵ オオギ祭 初日の早朝 1

下座の二家は禰宜家の分家である。このよ

降 加えられた例もある。

に 属し、巫女は下座、宮出仕は上座・下座か

議員、町会副議長、農協組合長等を歴任した。

社 での神事・

宮 上り・シメ

掛祭

・シメ降ろし

しての役割を果している。

奉納はもちろん、座員として当屋の振舞に

また

オオギ

祭の当人も勤めるのである。

座の各々三家から 折盛 に 、神職・巫女ならび ら 各一名ずっ、 折盛も はいずれも各部落にお た成田大蔵 は その当時 の 他に、各当屋におい 下座を超越して存在 参列し点呼をづける。

(13)

踏の子供用の御幣も同時に作られるが、 開かれて扇のようになるのは大地踏の時 デ シ に戻る。 し 、正面構の狭窓から オオギサマ を神社 オオギサマ の形状の変化はおよそ以上 から内陣横の狭窓を通して出す際には、 な 扱いとは言えない。 棚 上り尋常 やオオ て は参拝を受 け 丁重な扱われ方をされる その先端にさす だけである。そ の通りである。 三度回して少し へ入れる際には ギ 降ろしの場合 一方、勝負事の し 糸田

て 竹 祭 は の 上

も と 勝 め い 最 盛 後 が 月 岡 負 、 方 0 曲 い 様 事 し の 局 型 ら な が か 面 面 れ 板 行 る で て、 下 る い わ 後 み 座 。 方 れ に る ォ が 上 る 、 出 と オ 山 座 す 乱 す ど ギ 型 る 暴 と う サ に 下 。 と い な て な 座 こ は ぅ る は っ の う 青 手 か 布 て オ し わ 続 を ぃ ォ て な を ォ

% 1 ギ み か 経 オ が オオギサマ が れて元のボン ギサマ を神社 ︵ , ︶ る 。これに 対

までも丁重

るとオオギサ サマ が当屋で ︵ 丁代 ︶

げられる。 尚 、大地

布は翌年の当

オ オギ サマと 大地踏の稚児 に 神社から出 こで新しい シ みを入れたも デ のかたまり 替 ﹂︵更衣 祭 ︶ に最初に巻ぎ は山型、下座 ︵ 鉾 ︶の組合 の神事があり、古い シデ は取り除かれる。 棒 ︵ 杓 ︶ (5 ㎝ ) 12

(14)

称の使い方に若干の ある。この勝負には きた均衡が一気に 崩 び

均衡が回復され

均等二分の関係は 、 勝負とにおいて実現されている。 、上座と下座との関係に止まるものではない。 それは 各 座の内部的構成 れに近 い 概念として﹁面 もらいたい。実体的には 的には宮座と 能座に 区別されているのである。 ところで、オオ ギサて は

上座は姉で下座は妹 等性 が貫徹されて ぃ い う 意味を含ま サマ を遊ばせる ある。 え 。は、オオ ギサ 。上座と下座の と 同時に座とし 申ん、レ トよⅡ とい マと て一 象徴 13 (501)

(15)

え の は の い わ れ ぅ ろ は し て し ば 同 と 扇 い お 市 る 「 春 次 て 、 一 、 が も ぃ を

と れ 川 ギ で 日 オ 神 、 る オ 案 オ か で 。 が な ば の サ 宿 神 ギ 社 オ こ ギ 休 ギ せ あ ボ れ サ 宮 オ と サ に サ な る ン た

扇とる

。(

) 2 4 王砥 %を 6 じ マ 司 ギ か マ お っ い と デ 、 状 と の サ ら が い は と 考 ン 態

最高

それ なり 様が 性の もの い 押 っ 藁 座、 て 、 い え が で は 、 一 象 の の ぅ 学 の き の 、 宮 う ら 神 は 補 巻 物 徴 ぅ 神 御 酌 解 出 象 ボ 座 だ れ の ボ 葵 い で と ち が 神 解 釈 さ 徴 ン と げ る 依 ン と て 属 し で 春 俸 秩 の れ で デ 能 で 。 代 デ 扇 た と て 一 日 は は 伐 る あ ソ 座 な こ と ン の た 男 解 番 の な 次 表 の る と が く れ 考 と 関 ま 根 釈 の 大 い の 的 で と 扇 実 ほ え も 係 れ の す 神 神 。 通 な あ い を 体 現 対 も よ な れ 二 る 様 で 奉 り も る 5 区 的 に し れ ば 知 ば っ 立 で 目 で の 。 結 別 に 上 、 る れ ぬ 部 形 の る れ い に 相 仕 ピ は た 丸 を 表 神 が 挙 大 い そ 者

の の げ 0 口 な は 王 @ て が わ り 面 家 別 と 考 は ぇ 吉 で, らノ 上 、 し な 」 徴 問 案 ん て 野 あ つ 検討 座 て が の と 題 布 に て い 裕 る を と い ら 上 し に を よ ん る 子 ナ, Ⅰ 力 下、 る 形 の て し 着 る ヒ あ で そ も ,え 座 実 武 周 ふ て せ も る の あ し の て の つ 見 る て で、 み の 関 に

見にに

約千さもら

れ と げ 事 。 あ す, し 係 事 は は し そ て し た さ そ る い か 巨 は の し

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傑 な 区別 扇が いと れは 思 、 大 一 神 ら 作 さ 飼 育 神 オ わ な 体 の 西ま び 昂 れ ら え を オ れ 茎 誰 王 ヰブて し に で て れ な 祀 ギ な と の 様 も 宮 、 あ い て い る サ い な 発 が 春 座 る る い だ 官 マ 。 つ 案 日 そ て に の の

し 、 な 里 大 座 が な ら か 象 る て 正 る l Ⅰ l 神 の ね 、 で 。 徴 こ そ に も @, ブ 甲 が 関 か オ も な と と ん 男 の あ の 係 る オ あ ぜ し を な 性 か る @ こ そ の 君ノ ナ, Ⅰ つ

者 の 様 て

(502) 14

(16)

徴 であるとしても、

げれば、性と豊 鏡に

はない。 船曳 建夫は オオ ギサマ を土着神と考えている。

朋の古い土着神と ︵什の︶ 思われる。﹂

るということは、

定 して春日神社を境

発生は神社創設以前では無かったはずであり、 よって オオギサマ も

同時又はそれ以降に

のネ しけはな 人 T ろ う人 Ⅲ。 譲 曲調

徴 がはじめから存在するわげもないのである。 げ お b シメ 祭

松葉・昆布・ ゆ ず 1 ︵ 叶勾 ︶ 出すのはいかにも修験者らしく思われる。﹂

き 出した扇の解釈

されているのに、 ど

(17)

、 皮を剥いだ長さ三

切断して端を房の ょ

の 木に幣を付け、 一

込んだものである。 の 持つ 幣と 同じ切り口である。

は 全く対照的であ

て 二月四日のシメ 降 取り 片付 げられ、朽ちるにまかせられる。

との類似性等から

ことは間違いない。

わ な う 霜月祭では、

か 、六所神社に大和

神社が春日神社 よ り

現在の霜月一五日の

着の神が、それに 吸 の 祭ではなかろうか。

神を地に降ろ

に 留まる神を表わす (5 ㏄ 5 16

(18)

祭 における神の 象徴

c

大地踏の稚児

人間に最も身近な神は大地踏の稚児であ

いてわずか

一ケ

月の間に大地踏の反閉

と難

の子が選ばれる。太夫にっ

立って上座・下座の当屋で

社の舞台で舞 う

。上の児はめ

せしめる。下の児は後に打

いわれ、上の児は四方を固 1

奮 なよぶ

は 対抗性

メは 黒川の象徴である。

者であ

するシメ

る 。

介する

ぅ 認識を

オギサマ

味 では、

よ 元 、 L 0

こともな

にもとづか った。座の とは、 構吐氾 神は オオギ 欠いた為に は座の象徴 オオ ギサマ

(19)

五 結 手 冊 ぅ す え ぎ 感 稚 め 月 下

なら

印言も児。

て稚た動

をを

水が利

く生

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「 象 え 不 の 「 億 灯 は さ

え だ で 情 は 押 ょ す な は ぎ て と な 行 る し は 感 り 性 う ま っ 千 ん 神

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かくは

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も ち ろ は

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る に 濤 北 ん の あ と 同 州 に 通 り が る も っ 山 鳥 南 り 問 者 て に 海 に で 見 こ 帝 T 肯巨 こ ま て あ る ぇ 保 さ 知 と ん ふ る 者 て い

行 な ま て も (5 ㏄ ) 18

(20)

︵ 5 ︶船曳 建 夫、同、二六一八頁。 祭

九セ 四年、五五頁。 おけ ︵ 4 ︶船曳達夫、同、三八五頁。 dso , i

四年,︶、二一八二、︵ 神 二セ 一頁。

マと シメと大地 踏

と 超能力の象徴であ

、オオ ギサマ は陰陽

徴 であると同時に 、

い う 意味では、感性

れるところである。

用いられるのに 対

に 統合をはかるものである。

じて有効に使用さ

程度明らかにされたかと思 う 。 注

大きい。特に五 0 頁 、二六三頁。

る 。詳細は オ オギ 徴 サマ の 頃 奉詔 T 象 ・

(21)

加入が認められる。 ︵ 8 ︶ 笈酒 、老酒、上酒等の見解がある。

対象である。 ︵Ⅲ︶新山明神の別当寺。

日本放送出版協会、一九七一年、四三頁。 ︵は︶真壁 仁 、同、四五頁。

春日神社の座 と村

際 基督教大学提出卒業論文、一九七一年︶

いる。

する混同と思われ る 。 ︵ 托 ︶真壁 仁 、前掲 書 、八一頁。 ︵ W ︶戸川女草、前掲 書 。 一セ 三頁。 ︵ ぬ ︶ 鍬 持久五郎家蔵。

﹁ ボソ デ シ をも ってこい﹂と舌口っていた 0 ︵ 靱 特大和宮司 談 ︶

人の神性と関係が あるよさに思われる。 ︵ 打 ︶船曳 建 夫、前掲論文、二七 0 頁 。

りませいと申し 越します﹂︵上から 下 ︶。 ︵ 為 ︶戸川女草、前掲 書 、四七頁の写真を参照。

︵ 恭 ︶船曳達夫、前掲論文、二六上ハ頁。 (5 ㏄ ) 20

(22)

祭 における神の 象徴 八 付記 V

行 なった。春日

・討論を通して 有

にも同様の感謝をささげたい。 ︵ お ︶船曳 建 夫、同、三八八頁。 ︵四︶ 鰍 特大和宮司 談 。 ︵ 笘 ︶真壁 仁 、前掲 書 、一五 0 頁 。 ︵ 四 ︶船曳達夫、前掲論文、二一八九頁。 ︵㏄︶船曳 建 夫、同、二六九頁。 ︵㎝︶真壁 仁 、前掲 書 、一一一頁。 ︵㏄︶戸川女童、前掲 書 、一 セ 五頁。 21 (509)

(23)

勒 菩薩は 、た サ

を 観じて即ちやすく入ることを得たり。 ガヰ

じ 見て

、 彼の方より来り

記の形でまとさって

観 虹、 , " 著 大 ) 乗 に 仏 つ

毅 一 て l は ガ

い チ く ャ つ l カ " - フ の 派

る o ( ) づ ." " その方

夕く

が 申せ コ 曲 隼

P

l

は )

な し も た の ア で サ あ ン る ガ が (

p

レの

ラ 埋 マ

一見

の形成と空観

(24)

ある歴史的事実が

る 想像や神秘化が加 ' 一

で 人々のために

間 、閻浮提に下

ただ無著 法

の人のため 侍弥 ︵ 1 ︶ 勒の所説を解釈せり。﹂

の 内容をいかに 解

、宇井伯寿博士の学 ︵ 2 ︶

ている。

﹁大乗の空観﹂ へ

と 説く点に注目したい。

における大乗思想

いささかの新しい 資 サ ーラ派の始祖の問題に接近したいと恐う。 (512) 24

(25)

︵ 1 ︶大乗以前 ︵ 3 ︶ いわ める﹁小乗の

ろ う 。 日卸 0 寸ヴ す 川曲年セ 巴 P ︶なる ︵ 4 ︶ かし、その ピソド ーラ 阿 ア サンガの時代にはす ︵ 憶 U ︶ お ソグ洲などの諸処に現在の ︵ 7 ︶ ﹁弥勒下生 経ヒ ︵も ミまゃ

仏法の尽きるまで 入 2 わり重なって形成されていったも い 要素を求め、更に、その得られ ある程度の史実とその伝説・伝承 を通してはじめて ヨ ーガーチャー 資料を持っていないのであるから のであろうか た内容をそれ の意義とを 見 ぅ 派の始祖の ︶ ら 、そこに が成立した い出し ぅる 問題も論じ してより 古

そこから 伝説・伝承 考古学上の

(26)

︶仏の出現を待つべしと語った、と説かれる と ︵ 9 ︶

お 、この佳世護法のピンドーラ阿羅漢 説 が将 来

の係 わりで特に留意すべ き 点である。

花 であるピンドーラ阿羅漢を信仰の対象とし

|ルタ の所伝が比較的詳しく、他の所伝によ

のことである。その﹁ 楡伽師 ﹂は、すでに 諸 先 ︵Ⅲ︶

﹁修定者﹂などの 話 と併用して出され、原語と し

に、 広く、不浄観をはじめ四食 住 、聖詔 現 観、

また、この﹁ 楡伽師 ﹂たちの 実修 体験と舌ロ 動 と

要な 拠りどころとなっていた。いま、その﹁ 楡 ︵ⅡⅡ︶

の 二点を指摘しておぎたい。

である。すな ね ち、

その心が安住して、世間の適意・不適意、

教 独自︵内道下夫 法 ︶の最勝なる三昧であり、 仏 ・上座の多く住す ︵ 8 ︶ ころがあり、また ァ 仏 マイトレーヤ思想 て 師事した、という のである。 ってもこれ以上には 込 mL Z よ 片はⅠしめ ンしすソつ 学者によって指摘さ てヨ ーガーチャー チ 三解脱門など仏教 修 は 、アビダルマ論師 伽師 ﹂の性格、役割 ︵ひ曲目 セの什 W. ㏄曲日 曲 血圧 可変・ 非 可愛、 鏡益 (51,4) 26

(27)

ア サンガにおける 大乗思想の形成と 空観 ︵Ⅱ︶ 師 マイトレーヤ

いわ める﹁大乗の

他の文献の記述に照

なる般若経典とそれ

か簿 ︶とに対してアサ 本の現存する﹁三百 頚 般若波羅蜜多に基づ

た ねち、 サソ スクリット ︵ 騰 ︶

順 中論﹂︵具名は﹁ 順

ている。

勝義の正法をして ︵㎎︶

名 づ け 、勝義な ︵ Ⅱ︶ @

のと名づける。﹂ ︵ め @ ︶

﹁親親︵申す日の曲 ヨの ︶ 曲 ︶時に﹂、﹁ 慧 ︵ bH ゑ pw ︶ を風って﹂であるか

とを意味するのであ ろ う 。

大乗以前のアサン

ないと考える。 27 (5 Ⅰ 5)

(28)

︵Ⅱ @ ︶

著作の中でアサンガ

の 転進の際に彼を イトレーヤ菩薩である、と説くところである。

の 伝説・伝承にあ

に 作り上げたもの﹂

してインド仏教史上 ︵㎎︶ に位置づげられたわげである。

の 関係を伝える ィ

トレーヤはあくまで

いるということである。︵ 0 2 ︶

外 の諸学者によっ ︵ か付 ︶ ていく っか 提出され、論議されて来ている。

られ ぅる 結論が得

アサンガの﹁空観﹂

のは、資料となる 当

跨 えて解釈し直すこ とである。 (516) 28

(29)

聖道美修の根底に

﹂的な性格を具えて

な形として兜率天上

てィ

トレーヤ信仰に結びついたのであろう。

もしこの想定が許される

信仰によってであった

兜率天上の菩薩ということになる。

少なくともアサンガ

︵ お

形態とみられる兜率天

確実とされる。

0

趣と

名づ

29 (517)

想で 繋がっている。 はじめに、先のアサ は、 次の点が注意され 護法の阿羅漢﹂であっ 将来 仏 ︶となっている の対象であるというこ

関連から、 師 マ イ トレーヤの 件 りを見るなら 小乗の師がピンドーうといういわゆる﹁佳世

性格と同様に師マイトレーヤも観念上の信仰

(30)

一生所 繋 ︶の菩薩﹂

ョ 一万五千 碩 般若 波 わ 所 は ( し の る 京 と

なる。まして 肉 ︵ ハ回︶ 叶

であろうか。﹂

兜率天経口︵ 氾渠

で 説かれるのであ

後半に シナ に初期

税 した経典を訳出 ︵ あ ︶

ま ∼︶はカニシカ 王

されるが、その 役

た 、﹁ 婆須蜜 菩薩

﹁ 論 口を撰述しお

は 、兜率天でマ イ

である。たとえば、

益 をなす⋮⋮も は る 。すな ね ち、

(31)

せ曲

︵ 曲

︶という大乗の

、と伝説にあると

られる。なお、このこと

された般若経典を基に大

解決を兜率天のマイト

びつきについては問題に

マイトレーヤ信仰者の道

﹁大乗西域

L

の中で

ている要素のほと

ンガ

のいわば先駆者

31 (519)

(32)

︵Ⅲ︶ 楡伽 論の成立

て 地上に下り﹁ 十

く、 明らかに伝承の 的 役割をなした先述のサン に 深く従事した人々の伝説 その中で得られた神通力に 注意されてよい。 以上に検討し注意して き みるならば、次のようにな 陸 に師事したというのは、 を意味し 、師 マイトレーヤ る 。そして、その師に大乗 自からに証し、新たな眼で なお、ここで留意すべき かれたということと、それ ととである。したがって 、 理 的なものであっても、 そ

行者の系譜に連なるところの禅定・観行 特に、三昧に入ることによって、あるいは た 、とそれらの人々の伝説にあるところ は︵ 3 3 ︶ ガの 伝説・伝承の意味するところを考えて 神通によって兜率天に昇りマイトレーヤ 菩

の 極みにおいて得られた特定の神秘体験 で 心に現前した観念像を意味することにな

それまで得ていた知識をその体験を経て 理解した、という意味になるであろう。

その時代の信仰・思想の形態によって 導 見てあるいは史実と遊離した神話的・非食 の 思惟方法・概念を通してであるというこ 否定し去る め げにはいかないのである。 (520) 32

(33)

ア サンガにおける 大乗思想の形成と 空観 と 法 ち し ッ は ら な 『 地 そ 変 あ サ 、 び た す の は 弥 日 誌 サ な な 意

』 そ る ま イ 讃 を

の樹シ擬 とののの論

タ な し 帰 と に ヒ

クで

りあ

『 楡

とで

実 成 ( ぎ て 敏 文 対 の ッ る 伽 こ に が し 無 者 、 頗 英 す 成 ト ソ 論 ろ 』 を 明 く

、 )

) 以 』 に 下 と 頚 の る " 相 に は と 枝 器 世 当 『 い な か 間 ぅ 洩 ら さ

性 ら あ 利 そ 論 士 格 せ ら 益 0 口 地 上

、 わ す

が 称 と 容 の た め る っ 撰 な わ 別 ) も に 華 と に 出 の 称 は の こ " 単 玉 さ 斜 雨 を 法 酌 ふ を 流 し ら 再 三

付節た

し 門 て せ で 昧 、 ず 論 て 吏 (

五う

0 分 マ

の力

兄 な

。」

9 ) 3 ( 6 享受 で ) l げ せ に に 中 そ て

仕 途 あ (中 ル れ る よ ば

さ ま 最 ぎ な そ て れ で 初 た

ら 0 世 た で か い ヰこ " 出 な 刀 鋸 マ あ ら 。 い に の ソ る 註 、 ジ ) 釈

い 占 敬 法 ュ が す も 礼 を 論 を て あ す 引 、 ン 、 る

ヒ 説 い る る ぎ ュ そ も が

リ の の チ 体 る で 自 あ て 聖 せ l ぅ と べ が か は

33 (521)

(34)

ト こ 手種 慈 敵 が 般 一 説 は 帰 訳 あ 無 こ D==

の論決

に 氏

」はに経もる「の

向後にのせ

"

敬のこ

日こ

9 )) 勝 か こ

くして 玄笑

トレーヤ へ の

の 帰敬 句と

﹁ 楡伽 ﹂を 略 ︵㏄︶

推して本来同

えられる。 一

のための要素

レーヤへの 帰

の ﹁無勝・ 大

ガの著 口授 大

小されている。

、今はチベッ

の 帰依に続いて、

ト ン ] ヤを証

ジ 丼ハⅠ︵ 下 Ⅰ 片 ︵ト円

ていることで (522)@ 34

(35)

ア サンガにおける 大乗思想の形成と 空観

では、三宝への帰依の句に続いて、

論ヒの 帰敬 頚 で、 " ヒ @ 舌 帝 Ⅰ i の ヒ 帰 と 敬 の 碩 関 の 係

内 サ 容 ン か ガ も の も 著 一 - f 乍 応 に 謡 お め け る る

が 大 で 青侍 計 き と る そ で, の あ 一 ろ っ

のめ

う d 4

( ) 3 要 ヨ % と し て 理 解 す る

が(。

42

の 占ハ は ヴ ド の :523) に 、マイト えば 所釈 の 伽 輪目の 一

ン Ⅰ @ ヰ Ⅰしで二二口 Ⅰの 十つ日楡

﹁ 摂 大乗

釈 にあった﹁法流 三 ︵ 側 ︶

ものに相当する。 次 昧の実 とある。ここには先ず、われわれがこ 修 、マ イ トレーヤの成就のこと ロ a 、の ガ ︵・ づ ︵ ゅ目 p ︶﹂と訳したところは、 ぅ ﹂とあるが、その意味するところが のは明らかである。また、そのときの

サソガ の﹁正法伝持﹂の 任 、三

マイトレーヤを 証得す ︵ ヴ ︵ ぎの

マールタ訳に﹁弥勒菩薩に 事

中に体現したということにある

目口りの曲 宙づ曲 。のⅠ 臣 如ず 宙 Ⅰ︵ 目曲づ Ⅱの・

あ ノ ︵ⅠⅠ︶

0 99 ﹂

句義の雨ふらすところから、一分のみを聞 き、

理解したところ れたるⅡわが 口 る 。⋮:古今、

田 展

(36)

も ﹁ 稔伽論 ﹂に 由

派の始祖もアサ ソガ

ソガ の前に位置づ け

伝えた伝説・伝承は 一 一 "

伽師地 ﹂を 宣説

聖教を顕揚する ︵ 佃 ︶

し 。﹂

説を最終的に援用す ︵ 蝸 ︶ ︵ め ︶

するのであるが、 た

|ャは 、それに附さ

っ たことを証明こ

ソガ 撰述のことは、

ヨ ーガ行者の系譜の ︵ 毬 ︶

裏づ げられよ う 。 (5 ぬ ) 36

(37)
(38)

二巻、八四五頁 3 蔵経ロ 三 二巻、 狗 セ八四頁中丁︶なる作品もあらわれる。 宗 仏教研究

第三 仏教の研究 昭和五十年、二二一頁以下参照。 ︵Ⅱ︶ 西 義雄、前掲 書 、二一九頁以下参照。 口 0 真下︶。 る ︵﹁昭明般若 末 ︵Ⅱ︶ 同右

巻 七十九︵岡君、 四 0 一八頁 中 ︶参照。 ? 篤 ・そのコロフ ZO.wmHA ︶に 相 剛 般若波羅蜜 経 ﹁輪目の釈論として同じボーディル チ が日金剛他誌 ロ を 訳出している 0 これが、 ア サ 十八年、一 0 九 安東方 学 創立二十五周年記念・東方 学 論集目昭和四 十七年、五五一 頁 以下︶。

W ︶自大正蔵経 ヒ三 0 巻 、三九頁 下 以下。 >p 口

P. べの ・彼が 義を理解できず ぺ

か 8 を造り、

(39)

ア サ ソガ における 大乗思想の形成と 空観

グ ま目。

ゼ母

つつ ・ ド のの︶、 卍肚 。

自からも言われる

述の題名を挙

ミ あぎ き苗送 , ,

さ簿ま荘 ∼ e め連

を M . ウィ ソテ

のの団円: 0 ㏄の レ きて

臼 侍せ 0 Ⅰの曲 村屈 ︵ 圧 ㏄

三︶, P . デ、、、

めぎ e.O こ e き ・ A ム

経口 毛リ 二ロ の r 、口 を

きぺ Ⅰ の ま 駄 Ⅰ ざ隠下ギ

実在 説 をとって

頁など︶の多く は 一応宇井説を前提にしている。

には、大別して二種がある。

1ガーチャー

ヰ ︵︵︶の︵千文 口は性レ帆

いて 先掲の 。ハラマールタ G ム の中・ ロ ・宋文︶のもの、 玄笑 ︵のかの p. 口

。ヘットの所伝、

敦史 がある。㎝

あって、アサ 9

ある。この帰敬 3

(40)

の ︶に基づい

め藪 ∼ へ ぬ∼Ⅰ 彊か鮨ゃお,

ミ ャ 黛ぺ Q 本ハ -m ざ曲守 Ⅰ @Q@ , 円 0 ロ ︶ @m@H ︵。 H@uw ︵ ,が 。 H め - ∼∼。Ⅰ︵︶ @ ︵づ日︵︶の︵ wO 口 ・せ つ H@ く Ⅱでき

ぅ までもない。

、その執られ

説 ・伝承は ヴァ

ドヴ はマイトレ

とされるものを

であって、これ

上の菩薩として

名の同一な点か

仏教学研究 口

られる よう に 、

単なる推定である﹂︵同上︶といわねばならない。

加 部 一 ﹁ 楡伽師

楡 加行派の開祖

和 四十六年、六

されて、将来 仏

マティ あ ︵三 %,

き 。∼∼ - 寒注ミ Ⅰ

序論二九 | 二宍

(41)

アサンガに おける大乗思想の 形成 と 空観

弥勒 造法 法性分

はっきりと否認

波 新書、一九 宇井 説 以後の主

臣幅 り ,,ト ︵Ⅰ 巳 ㏄ まむ

セが ︵ ぃ 0 三 了ぎ的が

む nta ∼∼ a, せ 0 ︶・の

、も守 ・ う注 : つ め㏄ ゲ

臣 ︶ a. ト 蟻の Q ま守 めさ 隠ぃ 悪ま 隠 ㏄∼Ⅰ め悪守も Ⅰ 鮨 0 のⅠ ぺ ∼ ざも ︵ て む き もめ Q ち寸∼ 馬 ︶︵ 卜ひ 下心 鮨苗 Ⅰ

。 づワ ︵Ⅹー パ ︵ せ

口一セ 真下︶、西義雄、前掲 書 、二二七・三八四頁、 宮木正尊﹁中道 思 想及びその発達し昭和十九年、五五 0 頁 参照。

の む∼。 ぬ Ⅹお いさ討寮 ・

第四十四・四十

徴月 弥勒経 ピ ︵筑摩書房・現代人の仏教 8 ︶昭和四 十一年。

大正蔵経 ヒ 九巻、

の ︶。

については日豊 婆

経口五五巻、七⑫

一一頁、 羽渓了諦 、前掲 書 、六二三頁参照。 41

隠 きめ。 沌げ ㎝ 本 Ⅰ め、 ∼沖幼

(42)

C 巨お﹁の ぃ 憶い ぎ母 Ⅰ︶・ 之 0. め ㏄ 肚 ︵ P 甲 ・㌔心持 ミト 宮の㍉ b.N Ⅱ ドヴ ・ ミ ・の Ⅰ @ A. 2

十四、第二分 4 成井 品 ︵﹁大正蔵経口七巻、二三九頁 下 ︶。

真上︶、﹁大般若 波

ヒ巻 セ 、二七四頁 下 ︶ 、往トめ ∼Ⅰ

0. ひ mo

︶参照。

第一巻ヒ昭和四 十六年、五 0 四, 五頁参照。

羅漢︵ 巻四 、同上、

中 ︶など。

めに修行し、また

zo,A かべ ︶︶ と

・ ロづ ・ ロのべ ︶ 、 ︶㏄の ,

・ トいの ︶。

たものと考えてい

持経口︵ 曇 無識

内容やそれらを

摂事 如説など︶が存するに よ る。

㌃︶ HP 、 づ ・ N の㏄ | Ⅱ

鮭づ ・ 器 ︵ 戸 ㌧ 曲 ﹁︵・

菩薩の許でアサ

るべきなり︵ 同

当 、 註綴 参照︶

Ⅰ まデ の ロ ・ サセ之

(43)

アサ ソ ガ における大乗思想の 形成 と 空観

下 。

43

ト 原典 校 し 亡臣・

捧 のぎ ガ ︵ e ︶アサ ソガ 作を採用する。

Ao の ム ︶ ,づ出ひ ・ ド ドハ サ ・ せ 0 デ ト田Ⅰ づ ・ N 収 ㏄1円 1つ @, め|ド

H. ㌧ ︵, 曲 H.H ︶・ H かト ︶。 ︵ 睡 ︶﹁大正蔵経﹂ 三 0 巻 、八八三頁上。

四頁上、玄英訳 は 同上、三二一頁 中 。

般 にの 甲 百官 芋蒜 ・

楡伽師 地誌釈 し

︶。宇井博士

承 にあるのは

ヴ - ㏄﹁ヨ白 p-mq : Qb :︵ 出 -N : = b- 申 Ⅰ 廿 b- ︵ @ 目 AH@ 。 HAN ︶。

正蔵経 zo. P のの か ︶ として別行されている。

ンドクが大乗転進

の 背に重荷を負

b.PA の・戸田 ゴい の・ ヰコ の︵ 、も寸 ・ハヘ ト :の・︶出の︶。

られたことを 伝へ

六三頁、﹁ 輪伽

思われる。なお、博士は漢訳文に拠られている。

(44)

拙悪目

第 0% や

て梼 2) 44

(45)

『修験 恵印総 漫筆 温 口の世界 『 次 『 の さ プ 欝 の 別 中 し 修 て な Ⅰ 反

l l 資 マ 汁 口

祥 を し っ 雲 『 て ヒ 博 口 は は ア 士 決 『 悉 ⅠⅡⅡ の 印 是 曇 圃 浬

茶 と 総 の ぬ 羅 砕 金 字 の ぶ 印 誤 ず 坤 肝 の 臣 Ⅰ ず 、 , , , 註 にⅢ ド血 @ 洲 oo ず い 治 尚 CO

Ⅱ口口 曲 鴫減 し 不 た 明 にノ Ⅰ 目 Ⅰ 倖 ⅠⅠⅠ

り C53 の

﹁総マンダラ﹂種子尊の解明

を 目的とするが、 ︵ l ︶

2 位置づ け 。 三 、﹁総マンダこの成立。 血目 、日 紛っソ バクラ﹂ の 特色。に項を分けて解明していきたい。

幸雄

Ⅰ /

﹁修験

恵印総

0

世界

(46)

コオ

H ア

曲軸︶ Poo.

ひ曲

の Ⅰ

曲ヴ

W

由 Ⅰの

で卸伍曲冊

軸に

・ P

甘鰍し

ロ ブ笘 七 % ヒ ㎏汗膏 曲旧 4

脳ぎ

・ ぎ 七 % ま ・ゴロセ % お ・ぷセ 佛

蒔ま・

ゼ % 洲泄 の ︶ 糠 潜心ぐ㌧ 寸 ︵ pd 燕のの・ 住甘理 簿

・日別

母 ③ ︵︵ p. ︵︵ W 甘 ・の 仁 ・ レ ・ プ 目も︶

回 ︶ べ ㏄・ ヰ Ⅱ︵ せ叫ひ出ガ p

︵日日 曲憾抽呵 ︶ キ曲蹄叫

︶入手目

薄 Ⅴ 球 ・

告酬

︶ OA.O

七冊

HH べ ・口目 霞 ミ ・ p 麟 八ロ 苅 Ⅴ 鰻 ・ bp 甘辞 HON.

ち籾トお

・ 臣 七 % ド ㏄・ せ舘 ︵ セ笘掠 Ⅱ 曲 づ曲目 曲 ︵ づ由 Ⅰ づ ㏄ です 田内口目Ⅱ 蝉和 ︶ 0. 目 ︵ ふゅ キプ 曲坤 ︶ Ⅱ 0 へ ・ ロノ の︵ / ヰヰ 曲 Ⅱ 卸 ㏄ 倒,

(47)

匠 修験 恵印総 漫筆 擁 』

ず 0 廿 Ⅰ せど Ⅰ 曲 ・ 拝 Ⅱ W 仁 Ⅰ︵ ド釧 ? トの ︶

プ曲ゅハ ・トリ旧日Ⅰ年ず 曲 Ⅱ コノ ・ ず ⅠⅡ 甘 Ⅰハめ。で めへ ︶

仁田・セリ 旧 Ⅰ ヰ のⅡ 日 ・ ダ p ち Ⅰ︵ め印 ? い の︶

てのめ︶

㏄㎝︶

界潤

曲 リゴロ・のの

Ⅰ㏄

曲冊付づの

・ 曲甘

Ⅰ︵Ⅰ。Ⅰ

。トト

︶Ⅰ め 0. Ⅱ 0 ︵ ハノ Ⅱ内申・ ︵石田 p 巌 ︶ 八 Ⅱ + の ・Ⅰ 曲 ︵ ダ 0 ヰ 岸 0 ⅠⅠ 曲オ ・ ト ㏄㏄・ 田 ︵ セ 卸せ E 掛 ︶ Ⅰ㏄ づ ・でⅡ 曲 ︵ セい 甘 ゆ ︵Ⅱ︶・ 寺ず p 鞭目 刈 ︶ ぃ寵 ・ ほ旧 ︵ ぷ 日の添 轍刈 ︶ 洩榊弩 ︶ドキ・ 日 甲 心曲︵ セゑ Ⅱ 曲 。 田コ臣曲 徐キ母冊 勢州︶ 皿吏曄労叫 。 プ リ お ︶Ⅰ︵ ド ︶ 岸 Ⅰ︵ め ? の︶ 47 (535)

(48)

Ⅰいい︶ 止 。 T

。 ト Ⅱ 笘 。トド 臼 。ⅠⅠの。

へ 。 ド 0 い 。Ⅰ 0 の︶

研冊 糠油 日 生母 甜 当ゑ Ho ゅセ Ⅱ ゅ p. 甑弔 へ︵ 窩 へ り 潤目 蒋

臼 ㎏。の 0 。の㏄。 づ串 ︶

Ⅰ く 切の︶

冶浬呂留曲ぎ卜

︵︵ 卸 甘口 へ ︵ S 1お︶ 七 % くふ 叶 Ⅰ 曲寸 いでⅡが ヰ Ⅱ E 目申せ 曲 Ⅰ︵の べ ? の ト ︶

叶曲オ曲寸欝 Ⅰ︵ づ臼や。 ㏄の︶ 潤目 燕

甘 Ⅰ︵のⅡ。 ト 0 下 。トトⅡ。㏄Ⅱ︶

セ曲 旧 Ⅰ ア 0 廿の づ のひ 曲 ・ ア 0 ヴ ︵の㎏。 盧刈 Ⅲ

。 ト ㎏㏄︶ Ⅱ・ 丁シ卸

︵生田Ⅱ W ︶のく曲の岸Ⅰ︵㏄㏄。㏄の。 ゆへ 。 ゆ Ⅰ。の 切 。のの︶ ト 0 ㎏。ⅠⅠ め 。 ト ㏄ め ︶ (536) 48

(49)

鵜磨蜜

となって

阿閾

等の金剛界の四の

49

は下同様の配位

らない。しかし口印信 L

なのである。

であるから、例えば

"

部 二十天を加えたも

︵ づ仁名曲 ︶のⅠ︵ ドト ㏄。 トト の。 ト ㎏ 0 。 トめト 。 トめ臼 。 ド ㎏ の 職洸蔀 口内山 曲三 づい 目建 せ曲 ぐ ︵ ト ㏄㎏。 ド ㏄の︶ ︵の︶

︶。Ⅱ 曲ザ T Ⅰ・ つい ︵で田口内曲Ⅰ 曲 ︶Ⅰ︵ トめ ㍉・ ト ㏄ ド ︶ 止 Ⅰ づ弓 P せの占 レ一 P せ 出口 斡 Ⅰ︵ ト ㏄Ⅱ・トト ト ︶ 潮目。乱臣 隼 申すⅡ申せ p Ⅰ︵トへ り 。 トト の︶

概観すると次のようになる。それは 金胎

胎 不二の中台八葉院を構成している。そして

ハ 菩薩を四 尊 ずっ配し、その外側に金剛界の

更に修験の特色を示す竜樹、不動、愛染、 ・ ト ㎏ 串 ︶ 不二の大日を中心に金剛 これをもとに中台の四方 内外の八供と四摂の尊を 金剛童子、深妙、弁財の

(50)

占めて

祝 の 本 尊 ︵ 比 ︶ 印濯頂法 ﹂ ︵役小角︶

﹂の法流に あるという 峰中 法流の儀軌 類 には次のものがある。 君伝 いるのであろうか。 ︵ 2 ︶ 加持なり﹂とある。 と略す︶がある。 ロ の 霊気誘導に ょ り、 は 結縁、滅罪、覚悟 のである。そこで 先 ﹁ 口決 印信 伝法 濯頂に 会報﹂に ょ 竜樹菩薩 ょ 、伝法秘法 ず 、 峰 中の ﹂の冒頭に伝法 濯頂 護摩 供 ついて記したものに﹁修験 ︵ 4 ︶ れば﹁極印 濯頂法 ﹂は聖宝 り 直伝された法流であっ の 四種の濯 頂 があり、この 法流から一瞥してみたい。 二 ﹁総マンダラロの位置

尊 め マンダラが示さ 0 ︵ 9 ︶

とは合わない。口印信﹂は愛染の真言を出す。 また﹁総マンダラ﹂ ︵ 騰 ︶

かし極めて親しい 関 ︵ 係 にあることも 分 った。 ︵ⅡⅡ︶

と 、愛染の違 いが

証されるのである。

(51)

『修験患部 総 侵撃 温 』の世界 同 ③﹁ 柱源 極秘印信﹂白日 蔵 ﹂ 蝸 1 % ︶ 同 ④﹁自供養法大事﹂台目 蔵 ﹂ 蝸 1 % ︶

同 ⑥﹁ 庭壇 大護摩 供 ﹂台目 蔵 ﹂ 何|比 ︶ 同 の ﹁ 柴 掩護摩次第﹂白日 蔵 ﹂ 蝸| ㎎︶

れたところの秘法

の 相承であって歴史

て 儀軌の内容については次の特色がある。

として、金剛界 五

想え。頂上に 阿 ︵ 大

一如をもって中心と

ち ︵地水火風空と 識 ︵ M ︶

言オぎ旧 , 汀旧 ・ Hp 旧 ・ dp ちみ 目旧 ︵ 理観 。船人 日 と金大日の利他行︶ を 授かることが記されている。

この中には﹁蓮華 ︵㎎︶

住 も城 ﹂が記されて いる。 51 (539)

(52)

庭壇

大護摩

供次 第 白は五大明王が中心となっている。

不二の十直 % を 明ら

入れていることか

経であるとしわれ、。 、 ︵ 0 2 ︶

。それらのことは、

していたことを示すものである。

﹁十界修行の順逆

︶ 、 ⑤ 糊悔 ︵人道︶ 、

い、これ等の修行を

世界への修行を行 う

た 宗教の体験をもっ

いる。そしてこの 順

い う のである。そし

修行を行 う とする。

な 行 う とするのであ ︵ 打 ︶

者 自身も大日の世界 ということが分るの ( 騒 0) 52

(53)

われていたものであ ︵㌶︶ るといわれている。 法 L は ついてみて 罪 、覚悟、伝法の四種の潅 頂が 記されている。 この中で結縁 濯頂は れに対し、滅罪 濯頂 である。 うな 観想し

印を が 煩悩の迷 闇 にあ よう とする作法儀礼 立つ精髄であること 至らせよ う とする。 秘法を伝授する儀礼であ での修行の体験を自己の 授 者に対して次のように 撃 脈

し仁

、法流、印信を伝授 移建す。 今 ここに山伏 め て ん ぬ ⋮⋮。﹂

(54)

樹 、法喜、 不

高 のものである て 末尾に次の文を出している。

即ち遍照如来

超越して至極の ︵ 左 ︶ 地 に到 昇す ﹂と。

れる儀礼であ

ある。こ う みる

あり、また第三

を 一にする。 た

法 ﹂でほ金剛界

いろ。そして 恵

た 、全治不一一の

められる。室町

とになり、やが

併せ伝えるとい う な教義が確立したと考えられるのである。 ぅ て 時 ( マ 印 三 だ 者 と り よ は 代 ㊧ ソ 法 十 峰 に 伝 法 の 身 三

( 騒 2) 54

(55)

対照 し 、その特色 軌 類は次のものが対象となる。

菖蝸1

㎝︶ 日蔵 L 蝸 1 % ︶

芝蝸

1 % ︶ 自蔵 L 弼|酩 ︶ ヒ蝸| ㏄︶ 纂 ︵﹁自蔵﹂ 何| Ⅲ︶ 捌 ⑨﹁修験馬印入壇漫筆 擁 L 作者不明 撃 は 辻堂 % 分葛城山の神格︶ て ﹁総 てソダヱ

に関係の

等 の 各尊が 果たして日 給 験 何故ならば﹁総 てソ 三 ﹁総マンダラヒの成立

(56)

m

口穏艶軸撃弩製魑遼

浦潮

靭鰍

鍾 毒酒 養仁 部 """ サや V 吟 (544) 56

(57)

『修験忘却 総漫撃掘 』の世界 る の の 提 筆 法 干 的 し る の い ダ

吉暴蔓

i

亡 二

%

曾欺は曾温

峯君

-7

%

麿こ

尾 恵 れ の 窪 た マ 擁 当 ン ヒ 大 赤 い の 近 よ に ぅ る ( れ

中 藤 を し も は 金 か で す 剛 も あ る 界 愛 る が を 染 示 や て 苗 催 し す 金 か か 葛 剛 に し 城 童 修 マ m 子 験 ン に の の ダ 配 よ 立 う し ぅ は 山 の 。 ら る 場 を Ⅱ フ ヒ @ 大 頂 六 れ ,え で 連 岡 峰 の 尊 ナ - し の 想 蔀 金 一

ハ の ま だ な と た 部 ヤブ し

余話

真言させ 不二 剛系 菩 莱 蓬 葉 君 公 ぃ あ こ 近 57 ( 睡 5)

(58)

見当らない。しかし

るかに修験の色彩は濃厚である。

三十七尊光明 真 ︵四︶

んでいたのではない

言を出し、その上條

︶、深妙、弁財の諸尊

ダラと 、修験の尊との綜合が考えられており、 ﹁総マンダラ﹂に 近 ︵㏄︶

オ p のせ曲 ず卸 Ⅴ︵ ひ卸臣 ︵ 巳庁リ一

軌類 とは異なっている。

あり、中台の外に

不動︵東南︶、愛染︵西南︶、金剛童子︵西北︶ の 吾曹 が 配置されて

蜜 ︵波羅蜜︶の印明 ︵ 紐 ︶

。そしてまたこの 五

マンダラ﹂を想定する重要な資料となる。

決 ﹂の中に記され ︵㌍︶

二の内容を明らか ( 騒 6) 58

(59)

『修験患部 総漫撃搬 』 印 す っ な 濯 こ ソ で か 頂 と ダ は 。 三 は う 『 六種 マソ ダラヒ と 近い関係に ﹂の種子尊の解明を行ってそ なる。しかし﹁ 総マソ ダラヒ 舐師補開 介助﹂には、﹁総 て ある﹁総マンダラ﹂はいつ頃出来 の成立を尋ね ぬ げればならないが の 内容にピタリ とほ 一致しなくて ンダラヒを 徒律 させるものがあり 上ったの 現段階

上 に 、また 日 述べたよ では資料が見当らず今後 であろうか。これを解く う に 観賢伝 とい 印信 ヒ には多少の問題は 鍵は コハ壇 に問題を残 二リ れ スリ 司極

あったが

0 世界 も 法 の か も ( ( は て で ( ナ い は し 。 記 ・来 い

軸み

皇説

る @ で、 の

末 ダ 印 尾 う 濯 に の 頂 記 形 法 さ で ヒ れ 示 を て さ 始 い れ ぬ る た 、

六も

種 の 聖 宝 マ で 撰 ン は と ダ な 伝

は、

うく

え ら 後 ま れ 世 た た 0 日 儀 付 人 軌 加 壇 の で マ 中 と し と え あ ン, Ⅴ こ ぃ そ な ら る ダ は ぅ め る れ こ ょ 。 た と う 尤 の

沖 こ な も やま

せ ょ 等 が マ ざ ぅ の 真 悉 な ン る な 修

攻口 曇 を ダ を も @ 。 性

い四

得 の の

こ格う

の文

義字

っぅ

げ 』 59 ( 巳 7)

(60)

深 が 「 と 定 の

小木、 閲 伽の法が

行 が盛に行われた

行が煩隙 になり、 ︵ 虹 ︶

ぅ のである。

て 整えられ、重宝

勝意 印 了一味邪法文

い 。尤も作者観 賢 ︵ 側 ︶

後に与えられるも ︵ 辞 ︶

、聖宝 撰 として修験 ︵㏄︶

宝 が表に出たのは室町時代に入って、木山派、 当山派の二大教派が

のみならず山伏社会 ︵㏄︶ 全体に受け入れられたといわれている。 ︵㏄︶

わる 日 極印 濯頂 渋口

十八、 しこ 、。

、役行者より授 け 来る。

関する最近の研究⑧

賢から仁海の

0

(61)

『修験患部 給 漫 筆搬 刀の世界

で、その末尾にはそ

が 出来る。ことに 満

饗 したものと思われ

期 以後、室町時代に成立したものとも見られ、 また儀軌類は室町時

とは一応尤もなこと

のみを見てはならぬ

場 観の内容や 、 更に 仁海 謹疏 とあり、 つ 。 藤原時 ものは、

砥潅頂

始め十

ラ ﹂ の 代の末に成立した ︵ 4 ︶ 天地 麗覚 秘書に 弘 ス は神明 濯頂 を打 二天、十二宮、二 思想と結び合 う 。

九年︵

S

︶に神道

頂の記録があり、

十八宿、二十八部衆等あらゆる神々を網羅

や 編者仁海には問題がある。 マンダラの成立を

たって行われたから

頂は重要な意味を持 61 (549)

(62)

り 、その頭上の壁面に 験の立場での 金胎 不一 を示し、胎の熊野と、

副島、谷口両氏が ︵㏄︶

、大日如来の像があ

軌 類の中で、潤色 さ

ぅか 、今それらのこ とにも論及していきたい。 、北斗七星等の

の尊の修法は前にも

行法に改変したと 見

ついての修法は 、石

出されている。 ︵ 0 ︶

記文学にあられ

関係があり、平安時

セ星 、陰には山王化

期 以降に信仰された 尊が 中心となっていることが分る。 (550) 62

参照

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