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Title
世親『法華論』訳注 (3)
Author(s)
藤井, 教公; 池邊, 宏昭
Citation
北海道大学文学研究科紀要 = The Annual Report on Cultural
Science, 111: 1-70
Issue Date
2003-11-28
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/34058
Right
Type
bulletin
Additional
Information
(2003) 北大文学研究科紀要 111
世
親
訳注矧
司
法
華
論
b藤井教公・池遺宏昭
一
、
はじめに
本稿は先に刊行した菩提留支訳﹃法華論﹄の訳注、﹁世親﹃法華論﹄訳注ω
﹂ に 続 く も の で あ る 。 本 稿 の 内 容 は 凶 器 一 一 最 山 品の最初から経の最後までを扱っている。これによってこの﹃法華論﹄訳注は完結する。本稿に先立つ訳注ω
及 びω
は、筆者藤井が平成八年度と十三年度に北海道大学文学研究科大学院の演習として司法華論﹄を演習形式で講読した 際に、潰習に参加した大学院生諸君が用意した原穣について授業で検討を加え、さらに後に形式の統一を調えるとと もに訳文などに全体的見直しを施したものであった。このたびは、二度に一日一って筆者の漬留に加わり、先の訳注ω
ω
の原稿作成にも大きく関わった油遅宏昭君が原穣を作成し、 それに藤井が訂正や補いの筆を加えて出来上がったもの である。したがって原積作成の労の多くは地建君に負っているが、結果についての責任は藤井・油連の二人が等しく世親﹃法筆論﹄訳注同 九日一うものである。思わぬ過誤や力不足による誤りがあるかもしれないが、大方の批正を請う次第である。
一
一
、
凡
例
一、本積は、﹃大正新修大蔵経﹄巻二十六所収の窓口提留支訳テキストを依用する。尚、テキストの提示は、﹁大正蔵﹄ に準じたが、出字体は新字体に改め、適宜、句点や中黒点を補った。また、テキストの見出し部分に付した頁数 は、﹃大正蔵恥の該当個所を一不す。﹁勅 L とは勤那摩提訳である。 例 、 一 ア キ ス ト ︼ ( ℃- U
L
-M )
2 ( 勅 、 ℃ ・5
ミ
μ )
、本稿は、吋法華論﹄上下二巻のうち、﹃法華経﹄壁一回総品以下、経の最後部分までに対する註釈について、 現代語訳、訳注を付したものである。 、書き下し文は現代仮名遣いにより、新字体を用いた。 、テキスト部には、勤那摩提訳との詩句の相違を注記し、書き下し文中には、内容的な注記をつけた。 例 注 、 番 転 号 不 は 退 当 転1該 法 語 輸 の 。 最 後つ
け た ー勤那摩提訳には、﹁転 L の 字 を 欠 く 。 経の如く﹁婆伽婆は玉舎域の誉摺蝿山中に住したまいし﹂が故なり。2 ﹁ 妙 法 華 ﹄ ﹁ 仏 住 王 合 城 老 日 開 蝦 山 中 ﹂ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 一 真 下 、 一 九 行 自 ) と 対 応 す る 。 一、経文・法華論のテキストの引用には鍵括弧﹁ L をつけ、一言葉を補うときは角括弧︹ ︺を、意味の補足・ の言い換え等は丸括弧 ) を 用 い た 。 例、経の如く﹁婆伽婆は玉舎域の警簡略山中に住したまいし L が 故 な り 。 守[法華︺経﹄において﹁尊師は、王合域の誉閤蝿山の中にとどまられ L と あ る よ う に 。 第八地以上の無功用智は、下(第六地以下)と上(第七地)と異なっているからである。 一、﹃法華経﹄からの引用と思われる箇所については、党本(南篠・ケルン本、州内
2
・ と 略 記 ) の 文 句 と の 対 応 を 検 討 し 、 誌 記 し た 。 一 、 ﹃ 法 華 論 ﹄ の解題は本稿に先立つ世親﹃法華論﹄訳注ω (
﹃ 北 海 道 大 学 文 学 研 究 科 紀 要 ﹄ 一月)を参類されたい。なお、訳注ω
は 間 ﹁ 紀 要 ﹄ 一O
八号(二OO
二年十二月)の所収である。 一O
五 号 、 一 一OO
一 年 十 北大文学研究科紀要世親﹃法華論﹄訳設問
﹁妙法蓮華経憂波提舎
L科段分け(替轍品以下)
法華経本文引用 引用掲文解釈 七 種 盛 山 一 同 総 七穣具足煩悩染性衆生 七種増上慢心 七種対治-4
一 ニ 種 平 等 ニ種無煩悩人三麓染慢 ニ種平等・対治 授記所由 声関菩寵得記不問 受記不同 声聞得記不得記 乗 乗 十無上無上の義 一 無 上
1
七 無 上 八 無 上 九無上・十無上 多宝如来塔 第十勝妙義(法力・持力・修行力) 法力 証 門 信内・供養門・間法門 読謂持説門 持力 修行力 受持名号 政 文 ﹂の科段分けは諸注釈に基づき独自に作成したものである。 北大文学研究科紀要世親﹃法華論﹄訳注
ω
法華経本文民用
︻ テ キ ス ト } ( 匂 ・ ∞ P ロ ・ ω ∞ ) ︻ 書 き 下 し 文 ︼Z
2
警明
舎日最町コ 利 品 己 弗 第F
所3三 土 ミ 説 ?璽
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同 管 職 品 第 尊 者 舎 利 弗 の 説 け る 所 の 偶 に 一 一 口 口 く 。 金 色 三 十 一 十力諸解脱 金 色 、 コ 一 十 二 、 十 力 、 諸 の 解 脱 、 同共一法中 市不得此事 同じく共に一法の中にして 市して此の事を得ず。 八十種妙好 十八不共法 八十種の妙好、十八の不共の法、 6 如是等功徳 市我皆巴失 是くの如き等の功徳、而も我、皆な日に失えり。 { 現 代 語 訳 ︺ 尊者舎利弗の説いた詩頒にこのように言う。 金 色 ︹ に 輝 く 身 体 ︺ 、 一 一 一 十 二 { 相 ︺ 、 十 力 、 多 く の 解 脱 、 ︹これらを呉える仏と]跨じようにともに一つの法の中にありながら、︹私は︺これらのものを得ることができませ ん 。 八十種のすばらしい相と、仏にだけ具わっている十八のすぐれた特質、 このような特性は、すべて私にはもう失われてしまっております。動 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 尊 者 ﹂ の 一 訟 が ) 欠 く 。 勃 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 所 L の 学 を 欠 く 。 紡 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 一 一 日 ﹂ の 字 を 欠 く 。 ﹁ 金 色 、 一 二 十 一 一 L 以 下 、 ﹃ 妙 法 議 ご 一 審 喰 品 中 の 文 と 間 一 。 ( 司 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 十 頁 下 ) ) ま た 、 対 応 す る 焚 文 は 次 の 通 り で あ る 。 仏 4 忠弘同甲山即位
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叩 出 口 出 ヨ 白 Y 可 申 σ げ門担叩富田口 4 出 門 M V m W 4 1 山 門 唱 曲 円 一 門 町 田 え 庁 間 門 出 σ ﹃山叩仲間¥ ぴ出}山三 5 0 } 内 出 M m n E 同町田国三一円百三g
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日¥¥昂¥¥(間内 Z a b -お い と ム ) 2 3 4 5引用偶文解釈
{ テ キ ス ト ︼ ( ℃ ・ ∞ P N -m v N 品 ) ( 勅 、 ℃ ・ 口σ
よ 九 九 ・ 口 ! N N ) 釈 目 。 此 儲 示 現 何 義 。 尊 者 舎 利 弗 自 阿 賀 身 一 一 一 一 向 。 我不見諸仏不往諸仏所及間仏説法。不供養恭 敬諸仏。無利益衆生事。於未得法退。尊者舎 利弗作如是等時責自身。不見仏者。示現不見 諸仏如来大人之相。不生恭敬供養心故。往仏 所者。一示現教化衆生力故。放金色光明者。示 現見仏自身異身獲 北 大 文 学 研 究 科 紀 要 { 書 き 下 し 文 } 釈して臼く、批の協は伺の義を示現するや。尊者舎利弗、自ら身 を珂寅し ﹁我は、諸仏を見、ず、諸仏の所に往かず、及び仏 の説法を聞かず、諸仏を供養恭敬せず。衆生を利益することなく、 未だ法を得、ざるによりて退きぬ L と 。 尊者舎利弗、是れ等の如く自身、そ珂寅せることを作せり。 仏を見ずとは、諸仏如来の大人の棺を見ざるを示現す。恭敬・供 の心を生ぜざるが故なり。世親﹃法禁論﹄訳注
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得 無 且 一 裏 諸 功 徳 故 。 聞 説 法 者 。 示 現 能 作 一 切 衆 M U 生之利益故。力者。示現衆生有疑依十種力断 四 川 出 彼疑故。供養者。一本現能教化衆生力故。十八 不 共 法 者 。 一 不 現 遠 離 諸 障 擬 故 。 恭 敬 者 。 一 部 現 出 生 無 且 一 烹 福 徳 。 依 如 来 教 得 解 説 故 。 以 入 無 我 お 品 却 及法無我。一切語法悉皆平等。是故尊者会口利 訂 四 弗自時責身一言。我未得如是法故。於未得中退 故 ︻ 現 代 語 訳 } 羽 仏所に往くとは、衆生を教化する力を示現するが故なり。 っ 金 色 L の光明を放っとは、仏の自身と異身を見て無量一の諸の功 徳を獲得せるを示現するが故なり。 説法を聞くとは、能く一切衆生の利益を作すを示現するが故なり。 っ 力 L とは、衆生に疑有らば十種の力に依りて披の疑を断ずるを示 現するが故なり。 供養とは、能く衆生を教化する力を示現するが故なり。 ﹁ 十 八 不 共 法 ﹂ と は 、 の揮擬を遠離せるを示現するが故なり。 8 恭敬とは、無量の福徳を出生し、如来の教えによりて解脱を得る ことを示現するが故なり。人無我及び法無我を以て、一切諸法は 悉く皆な平等なり。開廷の故に尊者舎利弗は自ら身を時費して言く、 ﹁我は未だ是くの如きの法を得、ざるが故に、未だ得ざるによりて中 ごろ退くが故なり L と 。 注釈していう。この詩煩はいかなる意義を示しているのか。導者本一口和弗は自身を時増一貝して﹁私は、仏たちを見るこ となく、仏たちの所に往くことなく、仏の説法そ開くことなく、仏たちを供養し恭敬することがなかった。{そのため 衆生たちを利益することがなく、︹私が︺未だ法を得ていないことから、中途で︹仏となることから︺退いてしまった 」 っている。尊者舎利弗はこのように自身を時責したのである。 仏を見ることなくというのは、諸の仏・如来の偉大な人の容貌を見ることがないということを示している。恭敬・ 供養の心を生ずることがないからである。 仏の所に往くということは、衆生を教化する力を示現することだからである。(従って舎利弗は仏の所に往っていな いので衆生を教化する力を有しないのである。︺ ( 仏 が ︺ ﹁ 金 色 L の光明を放っとは、[それを見る者が︺、仏の本来の身体と化身とを見て、量りしれないほど多くの 功徳を獲得することを示しているからである。[従って舎利弗は仏が金患の光明を放つのを見ていないので、そのよう な功徳を獲得していないのである J 説法を聞くというのは、すべての衆生を利益することができることを示すからである。(従って舎利弗は説法を聞い て い な い の で 、 すべての衆生を利益することができるというわけではないのである。︺ 一 一1 力 L というのは、衆生に疑いがあるならば、十種の力によってその疑いを断ち切るということを示している からである。(従って舎利弗は十力を得ていないので衆生の疑いを断ち切ることができないのである。︺ 供養というのは、よく衆生を教化する力を示しているからである。︹従って諸仏を供養しなかった舎利弗は、諾仏が 衆生そ教化するカを有しているということを知らないのである J ﹁仏にだけ具わっている十八のすぐれた特性﹂というのは、︹仏が︺諸々の障時、宇佐遠離していることを示しているか らである。︹従って舎利弗は仏を供養しないのでこの十八不共法を見ないのである。︺ 恭敬というのは、量りしれないほど多くの福徳を生み出して、如来の教えによって解脱を得ることを示しているか 北大文学研究科紀要
世 親 よ 山 # 革 論 ﹄ 訳 注 ゆ らである。︹従って舎利弗は仏を恭敬しないので解脱を得ることができないのである。︺ 人にはア!トマンのような実体が存在しないこと、 一切の存在には実体がなく、すべて鰻起生であり、 一切万物は 悉く皆な平等である。 このようなことから尊者舎利弗は自身を珂寅し のである o ﹁私はこのような法を未だ得ていないので、それで 中途で [仏となることから︺退いてしまったのだ﹂と。 6 紡 那 摩 援 訳 に は 、 ﹁ 釈 臼 L の 認 を 欠 く 。 紡 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 導 者 L の 誌 を 欠 く 。 勤 那 燦 提 訳 に は 、 ﹁ 雪 口 L の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 諸 L の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 及 L の 字 を 欠 く 。 紡 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 仏 説 ﹂ の 諾 を 欠 く 。 勤 那 臓 障 提 訳 に は 、 ﹁ 於 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 で は ﹁ 送 ﹂ の 後 に ﹁ 故 ﹂ の 字 を 加 え る 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 尊 者 ﹂ の 一 諮 を 欠 く 。 動 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 作 如 是 等 ﹂ を 欠 く 。 勅 那 摩 奨 訳 に は 、 ﹁ 仏 ﹂ の 字 を 欠 く 。 動 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 一 示 現 L の 語 を 欠 く 。 勤 那 療 援 訳 に は 、 ﹁ 之 L の { 予 を 欠 く 。 勃 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 不 L の 字 を 欠 く 。 勃 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 仏 所 L の 器 開 を 欠 く 。
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7 8 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9古 所 中 古 勃 勃 勃 革 力 勃 勃 勃 勃 勃 勃 勃 勃 勃 勃 革 力 戦 革 方 較j 蔵 に ) 蔵 那 郡 那 郡 那 那 那 那 那 那 那 那 那 郡 那 那 那 郡 は 往 と は 摩 摩 摩 摩 摩 摩 摩 摩 空 襲 摩 摩 摩 摩 摩 摩 摩 摩 燦 白 か 主 主 「 提 提 提 提 提 提 提 提 提 提 援 提 提 提 援 援 提 提 身 ず 釈 若 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 訳 と 、 し 徒 に に に 』 こ に tこ に に に に に に で に に 』 こ に に 奥 小 て { 弗 は は は は は は は は は は は は は は は は は は 身 乗 い 所 に の る 知さ
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41 マ h v 土 口 蔵 は ﹁ ザ 夜 間 併 説 法 知 紳 阿 部 庇 作 利 益 之 官 学 。 便 一 小 取 小 泉 也 。 今 不 関 法 便 不 知 此 一 事 。 故 取 小 泉 也 ﹂ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 四 十 巻 、 釈 し て い る 。 土口蔵は﹁以供養仏知一部混教化衆生カ故。今遂不供養即不知此事﹂(﹃大正蔵﹄第四十巻、八一間頁下)と校釈している。 土口蔵は﹁以仏有十八不共法無諸過失故可供養 L ( ﹃ 大 正 蔵 恥 第 四 十 巻 、 八 一 泊 官 以 下 ) と 注 釈 し て い る 。 士 口 蔵 は ﹁ 以 恭 敬 仏 故 得 無 量 ⋮ 街 及 得 解 脱 。 以 不 敬 仏 使 失 此 制 約 ﹂ ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 四 十 巻 、 八 一 一 山 真 下 ) と 注 釈 し て い る 。 八一四頁中)と注 44 43 42七種誓轍
︹ テ キ ス ト ︼ ( ℃ ∞ M Yロ
- N ω 邑 ) ︻ 書 き 下 し 文 }1
2
( 勤 、 ℃ -H 3 L N N i N 岱 ) 自此以下。次為七種具足煩悩染性衆生。説七 種戦。対治七種増上慢心。此義応知。又帰後次 為 三 種 染 埋 無 煩 悩 人 一 一 一 昧 解 脱 身 等 染 掛 目 。 対 治 批 故 説 一 一 ⋮ 種 平 等 。 此 義 応 知 。 ( 身 下 丹 本 有 見 字 ) 此れより以下、次に七種に煩悩の染性を具足せる衆生の為に七種 七種の増上慢心を対治す。此の義応に知るべし。 又復た次に三種の染彊・無煩悩の人の一ニ昧・解説・身等の染慢の の 磁 を 説 き て 、 為に、此れを対治するが故に三種の平等を説く。此の義応に知る ベ し 。 { 現 代 語 訳 ︼ これより以下は、つ法華経﹄は︺次に、煩悩の汚れをともなった七種類の衆生のために七種類の警輸な説いて、 七 種懇の思い上がった心を対治するのである。このことを知らなければならない。また次に、(経は、小乗としては︺煩協はないが [大乗としては未だ煩悩の︺汚れと思い上がりのある一ニ種の入の、 一一一味や解脱や身体等についての汚れと思い上がりを対治するために、一ニ穣類の平等を説いている。このことを知るべ き で あ る 。 2 勅那燦提訳には、﹁以﹂のかわりに﹁巳﹂とある。 勃 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 次 ﹂ の 字 を 欠 く 。 紡那摩提訳には、﹁染性 L の 諮 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 心 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勃那摩擬訳には、﹁此義﹂の認を欠く。 勃 那 摩 摂 訳 に は 、 ﹁ 復 次 為 ﹂ を 欠 く 。 勃那摩摂訳には、﹁慢 L の ん 子 を 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁身 L の か わ り に ﹁ 見 ﹂ と あ る 。 勅那摩費訳には、﹁種 L の 字 を 欠 く 。 勅那摩提訳には、﹁此義 L の 諾 を 欠 く 。 士 口 蔵 は ﹁ 断 小 乗 中 諸 煩 悩 尽 。 故 名 無 煩 儲 人 。 苅 刊 日 重 大 乗 猶 有 煩 悩 。 為 大 乗 煩 悩 一 所 染 。 故 称 為 染 。 来 得 苦 支 自 菅 寛 。 以 此 自 官 同 称 之 為 慢 L ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 四 ﹂ i 巻、八一五翼下)と注釈している。 3 4 5 6 7 8 11 10 9 七種具足燐悩染性衆生 ︹ テ キ ス ト ︼ ( ヲ ∞ グ ロ ・ H A H ) ︻ 書 き 下 し 文 } ( 勤 、 日 ) ︼ 手 ニ
ζ
。 出 ) 北大文学研究科紀要投親﹃法華論ど訳注印 何者七種具足煩悩染性衆生。 一 一 者 求 声 聞 解 脱 人 。 一 一 一 者 大 乗 人 。 四 者 有 定 人 。 一 者 求 勢 力 人 。 五者無定人。ムハ者集功徳人。七者不集功徳人。 { 現 代 語 訳 } 何者か七種の煩悩染性具足の衆生なる。 一には勢力を求むるの入、 一には声聞の解脱を求むるの人、互に は 大 乗 の 人 、 四には定あるの人、 五には定なきの人、六には功徳 を 集 む る の 人 、 七には功徳を集めざるの人なり。 一には勢力を求める人である。 煩悩の汚れという性質をともなった七種の衆生とはいかなる者か。 こには声聞の解説を求める人である。 一 一 に は 大 乗 の 人 で あ る 。 四には禅定を修めている人である。 五には禅{廷を修めていない人である。 六には功徳を積む人である。 七には功徳を積まない人である。 13 12 紡那摩提訳には、﹁染﹂の字を欠く。 勅那摩提訳には、﹁者﹂の後に﹁求﹂とある。
-14-七種増上慢心 一 ア キ ス ト } ( ℃ ・ ∞ グ ロ ・ ωiN ∞ )
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可 広 等 制 七 ℃ 種H
増己子 上 : -慢~ Jし、℃ ‘ 、3 云 fコ何 三
七~ 種 警 日 食 対 治14 { 現 代 一 語 訳 ︺ ︻ 書 き 下 し 文 ︼ 何等か七種の増上埋心なる。如何が七種の凶器酉喰もて対治するや。 七種の思い上がりの心とはどのようなものか。七種の即位酉一輸によってどのように対治するのか。 14 駒 郡 摩 提 訳 で は ﹁ 何 等 七 種 増 上 慢 心 。 一 五 何 七 種 世 首 輪 対 治 ﹂ を ﹁ 七 種 増 上 慢 者 ﹂ と す る 。 一 ア キ ス ト ︼ ( U ・ ∞ ぴ 己 い ∞ ∞ ) ( 勤 、 ℃ - H手
入
-Nゆ る
-H F L ・5 )
一者顛倒求諸功穂増上慢心。謂世間中諸煩悩 山 幻 幻 染蟻然増上。而求天人勝妙境界有漏巣報。対 治 此 故 為 説 火 宅 慶 一 一 問 機 応 知 。 制 お 初 計 刊 日 二 者 戸 簡 一 向 決 定 増 上 哩 心 。 自 一 一 一 一 口 我 乗 与 如 来 目 別 出 乗 等 無 差 別 。 如 是 倒 取 。 対 治 此 故 為 説 窮 子 壁 一 一 向 北大文学研究科紀要 雪 国 一 き 下 し 文 ︼ 間 一には顛倒して諸の功徳を求むる増上慢心なり。謂く、世間の中 において諾の煩悩染の、織燃に増上して、市も天人の勝妙なる境 界の有漏の果報を求む。此れを対治するが故に為に火宅の警喰を 説くこと、応に知るべし。 一 に は 声 開 の 向に決定せるの増上慢心なり。自ら我が乗と如来世 相 制 吋 法 議 論 ﹄ 訳 注 ゆ 仏 側 応 知 o n お 羽 詰 三者大一来一向決定増上捜心。起如是意無別声 却 幻 持 間辞支仏乗。如是倒取。対治此故為説雲南誓 輪 応 知 。 四者実無謂有増上慢心。以有世間三昧一ニ摩按 提。実無浬繋生涯繋想。如是倒取。対治批故 為説化城警喰応知。 五者散乱増上慢心。実無有定。過去雄有大乗 善根市不覚知。不覚知故不求大乗。狭劣心中 同 日 生虚妄解。謂第一乗。如是倒取。対治此故為 説繋宝珠響機応知。 日 出 回 目 六者実有功徳増上慢心。聞大一乗法取非大乗。 日 目 印 如是倒取。対治此故為説輪王解自警中明珠与 之 警 轍 応 知 。 印 自 由 七者実無功徳増上慢心。於第一乗不前田修集諸 日 創 出 善根。本間第一一衆心中不取以為第一。如是倒 同 肝 取 。 対 治 批 故 為 説 一 迩 師 問 中 日 山 喰 応 知 。 の乗は等しく差別なしと一言う。是くの如く倒じて取る。此れを対 治するが故に為に窮子の零時を説くこと、応に知るべし。 一一一には大乗の一向に決定せるの増上慢心なり。是くの如き意を起 と。是くの知く倒じて取る。 此れを対治するが故に為に雲南の警織を説くこと、応に知るべし。 こす、戸間・酔支仏の乗と別なし、 四には実に無きを有りと謂うの増上理心なり。世間の三昧と一ニ摩 蹴提有るを以て、実には浬繋無きに浬繋の想を生ず。是くの如く 偶じて取る。此れを対治するが故に為に化域の警鳴を説くこと、
1
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応に知るべし。 五には散乱の増上彊心なり。実に定有ること無く、過去に大乗の 益口根有りと離も市も覚知せず。覚知せざるが故に大乗を求め、ず、 狭劣の心の中に虚妄の解を生ず。謂く、第一乗なり、と。是くの 如く倒じて取る。此れを対治するが故に為に繋宝珠の機雷鳴を説く こと、応に知るべし。 六には実に功領有るの増上慢心なり。大乗の法を聞きて大乗にあ らざるを取る。是くの如く倒じて取る。此れを対治するが故に、 為に輪王の自らの害一中の明珠を解いて与うるの警輸を説くこと、応 に 知 る べ し 。 七には実には功徳無き増上慢心なり。第一の一乗において曽て諸の 議 問 根 、 宇 佐 修 集 せ ず 、 本 よ り 第 一 の 乗 を 聞 け ど も 心 中 に 取 り て 以 て 第 一と為さざるなり。是くの如く倒じて取る。此れを対治するが故 に為に医師の警織を説くこと、応に知るべし。 ︹ 現 代 語 訳 ︼ 一には倒錯して多くの功徳を求めるような思い上がりの心である。すなわち、世間における多くの煩悩がしきりに 起きる中にありながら、 天人のすぐれた境界での有漏の果報を求めるのである。これを対治するために[経は︺火宅 二にはひたすら声聞というあり方が定まったものたちの思い上がりの心である。︹後らは]自分の乗り物と如来の乗 の壁 一 一 同 輪 、 そ 説 く の で あ る 。 勺 ﹂ の こ と を ] 知 る べ き で あ る 。 り物は等しく違いのないものであると自ら言うのである。このように倒錯して執著する。これを対治するために︹経 は︺窮子の壁一呂織を説くのである。?﹂のことを︺知らなければならない。 三にはひたすら大乗というあり方が定まったものたちの患い上がりの心である。(彼らは︺次のような考えを持つ。 すなわち、(我々の乗り物と︺声聞や府支仏の乗り物とは違いのないものである、 と。このように倒錯して執着する。 これを対治するために(経は︺雲雨の血管織を説くのである。?﹂のことを︺知るべきである。 四には実際には存在しないのに存在すると言う思い上がりの心である。世間的な一ニ昧と等至を得たことによって、 涯繋を得ていないのに浬繋を得たという想いを生ずることである。このように倒錯して執着する。これを対治するた 北大文学研究科紀要
世親司法華論﹄訳注
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めに︹経は︺化域の血管輸を説くのである。[このことを︺知るべきである。 五には散乱した心による思い上がりの心である。精神集中がなく、過去に大乗の善根を得ていたのに ( そ れ を ︺ 覚 知しない。覚知しないから大乗を求めないのである。狭く劣った心の中で虚妄の理解を生じるのである。すなわち、 T ﹂ れ が ︺ 一 の 乗 り 物 で あ る 、 と。このように倒錯して執着する。これを対治するために︹経は︺繋宝珠の警織を説 くのである o T ﹂のことを︺知るべきである。 六には実際に功認を積んだ者の思い上がりの心である。大乗の教えを開いて大乗ではないものを取るのである。こ のように倒錯して執着する。これを対治するために[経は]、転輪王が自ら の輝く宝珠を解いて与える血管輸を説く のである。[このことを︺知るべきである。 七には実諜には功徳を積んでいない者の思い上がりの心である。これまで第一の乗り物を修行して、多くの善根の -18 根本を修め集めたことがない。︹それ故︺第一の乗り物のことを開いても、心にとどめて第一のものとしない。このよ うに倒錯して執着する。これそ対治するために[経は︺、医師の控訴同議を説くのである。 T ﹂ の こ と 知らなければな ら な い 。 19 18 17 16 15 勅那摩援訳には、﹁一者 L の 一 諮 を 欠 く 。 勃 那 療 援 訳 に は 、 ﹁ 心 ﹂ の ん 予 を 欠 く 。 勤那摩提訳には、﹁諮﹂のかわりに﹁以 L と あ る 。 勅那摩提訳には、﹁中﹂の字を欠く。 勃那摩提訳には、﹁染﹂の字を欠く。41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 増 上 ﹂ の 認 聞 を 欠 く 。 勅那摩提訳には、﹁勝 L の 字 を 欠 く 。 紡 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 界 有 、 抑 制 し を 欠 く 。 勅那摩擦訳には、﹁為﹂の字を欠く。 恥 相 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 二 者 ﹂ の 認 を 欠 く 。 駒郡摩提訳では﹁関 L のあとに﹁人﹂の字がある。 勅那摩提訳には、﹁決定 L の 語 を 欠 く 。 勅那摩提訳には、﹁心 L の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 自 宮 口 ﹂ を 欠 く 。 勃 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 等 ﹂ の ん 子 を 欠 く 。 紡 那 摩 提 訳 で は ﹁ 日 疋 ﹂ の 後 に ﹁ 顛 し の ん 予 が あ る 。 勃那摩提訳には、﹁為﹂の字を欠く。 駒 郡 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 一 一 ⋮ 者 L の 語 を 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁決定﹂の諮を欠く。 勃那摩提訳には、﹁心﹂の学を欠く。 勃 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 起 如 自 足 立 思 L の 語 を 欠 く 。 勃 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 如 是 ﹂ の か わ り に ﹁ 割 問 ﹂ と あ る 。 勃那摩擦訳には、﹁為 L の 字 を 欠 く 。 勃那摩援訳には、長官﹂の字を欠く。 勃那摩擦訳には、﹁問者﹂の諾を欠く。 勅 那 摩 擬 訳 に は 、 ﹁ 晴 樹 L のかわりによ伺﹂とある。 紡 那 麻 原 捻 訳 に は 、 ﹁ 心 L のかわりに﹁人﹂とある。 北大文学研究科紀要
世毅﹃法禁論﹄訳注同 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 勃那摩捻訳には、﹁奨 I L のあとに﹁苅﹂の字がある。 勤 那 摩 捻 訳 に は 、 ﹁ 如 閏 疋 倒 取 L を 欠 く 。 勤那摩擬訳には、﹁為 L の 字 を 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁五者 L の 語 を 欠 く 。 勅那摩提訳には、﹁増上慢﹂の認を欠く。 勃 那 麻 原 提 訳 に は 、 ﹁ 媛 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁不覚知故 L のかわりに﹁彼﹂とある。 勃 那 臨 時 提 訳 に は 、 ﹁ 乗 ﹂ の あ と に ﹁ 於 L の 字 が あ る 。 勃那麻原提訳には、﹁謂﹂のかわりに﹁以為 L と あ る 。 勅 那 懸 提 訳 に は 、 ﹁ 如 日 定 例 間 取 ﹂ を 欠 く 。 勅 那 臓 障 提 訳 に は 、 ﹁ 為 L の 字 を 欠 く 。 勅那摩提訳には、﹁六者笑﹂を欠く。 勅那摩提訳には、﹁増上慢心﹂のかわりに﹁人 L と あ る 。 紡那摩提訳には、﹁聞﹂のかわりに﹁説﹂とある。 紡那摩提訳には、﹁法 L の 後 に ﹁ 間 ﹂ の ん 子 が あ る 。 勤那摩提訳には、﹁為 L の 字 を 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁輪 L の 中 T を 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁白 L の 字 を 欠 く 。 紡那摩提訳には、﹁七者実﹂を欠く。 勤那摩提訳には、﹁増上慢心﹂のかわりに﹁人﹂とある。 勃 那 摩 擬 訳 に は 、 ﹁ 柏 田 修 ﹂ を 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁本間﹂のかわりに﹁説 L と あ る 。
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70 69 68 67 66 65 64 勃那摩擦訳には、﹁心中﹂の諾を欠く。 紡 那 腕 停 提 訳 に は 、 ﹁ 以 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勃 那 療 援 訳 に は 、 ﹁ 如 固 定 例 間 取 ﹂ を 欠 く 。 勃 那 麻 原 提 訳 に は 、 ﹁ 為 ﹂ の 学 を 欠 く 。 古口裁は﹁三界貿是苦境。市求常祭。故名顛倒﹂(﹃大正蔵 h 第四十巻、八一五真下)と注釈している。 火宅の母国除。﹃法華経﹄誉総品で鋭かれる問中高喰で、衆生がこの放で苦しんでいるのを、焼けつつある家の中にいることに喰えたもの。 窮 子 の 響 機 。 ﹃ 法 華 経 ﹄ 信 解 口 叫 で 説 か れ る 同 町 一 一 向 喰 。 幼 時 に 離 れ ば な れ に な っ た 長 者 の 怠 子 が 、 成 長 し 密 窮 し た 持 、 長 者 は た ま た ま 怠 子 を 見つけ、自分の邸宅に連れて来させようとしたが、息子は恐れて逃げ去った。そこで長老は士山意下劣になっている出息子のために策を めぐらし、彼を一薦人とし、次第に上げ附用いて、ついに自分の笑子であることを明かし、一切の叫別立肢を与えた。長者を仏に、この怠子 を二乗の人に喰え、財波を大乗の教えに喰えている。 一 室 雨 の 響 曲 明 。 吋 法 華 経 ﹄ 薬 草 喰 口 問 に 説 か れ る 壁 掛 明 で 、 普 通 、 薬 草 喰 と 一 言 わ れ る 。 隠 一 味 の 慈 雨 に よ っ て 小 薬 草 ・ 中 薬 箪 ・ よ 薬 草 ・ 小 樹 ・ 大樹がそれぞれ成長することを、修行者の伐のあり方にあてはめて説いたもの。 三摩抜提出血
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え な の 点 目 写 語 。 ﹁ 坐 寸 志 ﹂ と 意 訳 。 身 心 が 平 等 で 安 ら か な 状 態 に な る 際 怒 。 化城の讐喰。﹃法華経﹄化域機口聞に説かれる警検。五百由勾の悪道を目的地におもむく宝探しの隊商の指導者が、疲れて引き返そうと する隊員たちに対して、三百由勾の途中に幻の城を化作し、そこで休ませて疲れをいやし、ついにその後、真の目的地へ向かって行 くという喰え。二乗のさとりは、大乗の﹃法華経﹄のさとりに変るための方便であることを比織的に言い表したもの。 古口蔵は﹁如是倒取者。乗非第一。謂局第一。故名倒取。又時員十符大乗而不求大乗。嘩員無小乗而求小乗﹂(﹃大正蔵﹄第四十巻、八一六頁 上)と注釈している。 繋宝珠の響曲明。﹃法枯葉経﹄五百弟子受記口聞に説かれる警職。毅友の家で酔いつぶれた男の着衣の裳に、この親友が宋珠を絡んでおいて くれたのに、それに気づかず貧窮する闘力の話である。男は戸間・縁覚の二乗に、親友は釈尊に、宝珠は一仏乗に喰えられる。 土 口 蔵 は ﹁ 此 人 本 開 閉 7 大乗。但作有所得筆。故聞説大乗送大取小果。 L ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 四 十 巻 、 八 一 六 官 民 中 ) と 注 釈 し て い る 。 輪 王 が 自 ら の 回 垣 間 中 の 明 珠 を 解 い て 与 う る の 響 機 。 ﹃ 法 務 経 h 安 楽 行 悶 悶 に 説 か れ る 響 織 で 、 叶 法 薬 経 ﹄ を 転 輪 翠 去 の 回 誕 百 の 中 の 宝 珠 に 喰 え 71 73 72 74 75 77 76 北大文学研究科紀要世毅﹃法華論﹄訳注同 78 る 。 医 師 の 壁 面 輪 。 ﹃ 法 薬 綬 ﹄ 寿 且 黒 口 聞 に 鋭 か れ る 壁 一 一 同 織 で 、 議 を 飲 ん で 苦 し む 子 に 薬 を 飲 ま せ る た め の 方 便 と し て 、 自 分 は 死 ん だ と 告 げ さ せ 、 悲しみのあまり正気にかえった子どもたちが薬を飲んで助かるという喰え話。仏の入滅を父である医師の死に磁えている。 七種対治 { テ キ ス ト ︼ ( 匂 ・ ∞
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一 入 者 。 一 示 世 鰐 中 種 種 善 根 一 一 一 味 功 徳 方 使 令 然後令入大混繋故。 第 二 人 者 。 以 一 一 一 為 一 令 入 大 乗 故 。 一入者。令知種種乗。諸仏如来平等説法。 槌諸衆生善根種子市生芽故。 第四人者。方便令入浬繋城故。浬繋城者。所 前 謂諸禅一ニ昧域故。過彼域己。然後令入大浬繋 城 故 。 第五入者。示其過去所有善根。令憶念己。然 加 悦 後教令入三昧故。 第六入者。説大乗法。以此法門間十地行満。 ︻ 書 き 下 し 文 ︼ 第一の人は、世間中の種種の善根と三昧の功徳を示して、方便も て喜ばしめ、然る後に大浬繋に入らしむるが故なり。 22 第ニの人は、一ニを以て一と為し、大乗に入らしむるが故なり。 一の人は、種種の乗を知らしむ。諸仏・如来は平等に説法した の衆生の善根の麓子に障いて芽を生ずるが故なり。 ホ U ﹀ 叶 ノ 、 抗 U 、 第四の人は、方使もて浬繋の域に入らしむるが故なり。浬繋の域 とは、謂う所は諸の禅・一一一味の城なるが故なり。彼の城を過ぎ日 りて、然る後に大理繋の域に入らしむるが故なり。 第五の人は、其の過去の所有の善根を示して髄念せしめ巳りて、 然 る 後 に 一 一 一 味 に 入 ら し む る が 故 な り 。 第六の人は、大乗の法を説き、此の法門は十地の行の満つるに開第 七 人 者 。 根 米 淳 熟 為 令 熟 故 。 如 回 附 一 都 現 摺 附 浬 川 町 町 ずるを以て、諸仏・如来は密かに授一記そ与えるが故なり。 第七の人は、根の土木だ淳熟せざれば、熟せしめんが為の故に、 くの如く浬繋の量を得るそ一京現れ。是の義の為の故に如来は七種 諸仏如来密与授記故。 繋量。為是義故。如来説七種響輪。 の 警 仏 怖 を 説 き た ま う 。 { 現 代 語 訳 } 第一の人(求勢力人) のために、世間的な種々の善根と三昧の功穂を示して、方便によって ︹ 彼 を ︺ せ、その 後に大いなる浬繋に入らせるからである。 第二の人(求声聞解脱人) のために、三つの ( 乗 り 物 ︺ を 一 つ の ( 乗 り 物 ︺ となして ︹彼を︺大乗に入らせるから 第 一 一 一 の 人 ( 大 乗 人 ) のためには、麓々の乗り物のことを知らしめるのである。諸々の仏・如来は平等に説法される で あ る 。 が、諸々の衆生の善根の種子に従って芽が生じるからである。 第四の人(有定人) のために、方便によって浬般市の域に入らせるからである。浬繋の城とはすなわち、諾々の禅定 と三昧の城である。その域を過ぎてから、 その後で大浬繋の域に入らせるからである。 第五の人(無定人) の た め に 、 その人が過去に得ていたあらゆる善根を示して ︹ そ れ を ] 思 い 出 さ せ て 、 その後で ( そ れ を ︺ 教 え て 一 一 一 昧 に 入 ら せ る か ら で あ る 。 第六の人(集功徳人) のために、大乗の教えを説いて、この法門(可法華経﹄)が の︺十の修行の段階を満た しているのと同じであることによって、諸々の仏・如来は密かに授記を与えるからである。 北大文学研究科紀要
世親司法華論﹄訳法印 第七の人(不集功徳人) のために、未だ機根が熟していないので ︹機根を︺熟させるためにこのように漫繋の量を 一京すのである。以上の意義のために、如来は七種の警喰を説かれるのである。 96 95 94 93 92 91 90 89 88 87 86 85 84 83 82 81 80 79 勅 那 摩 挺 訳 に は 、 ﹁ 一 不 ﹂ の か わ り に ﹁ 以 L と あ る 。 紡 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 中 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 中 立 問 ﹂ の か わ り に ﹁ 戯 ﹂ と あ る 。 勅那摩擦訳には、﹁大 L の { 子 を 欠 く 。 勃 那 摩 援 訳 に は 、 ﹁ 諸 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勃那療援訳には、﹁市 L の 字 を 欠 く 。 勃那態提訳には、﹁所認しの諮を欠く。 勃 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 然 後 ﹂ を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 主 ( ﹂ の 字 を 欠 く 。 勅那摩提訳には、﹁所有﹂の誇を欠く。 紡那摩提訳には、﹁巴 L の 字 を 欠 く 。 勅 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 然 後 ﹂ を 欠 く 。 勅那摩援訳には、﹁令 L の字を欠く。なお﹁教 L も ﹁
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と 同 じ 使 役 の 助 字 。 勤 那 燦 提 訳 に は 、 ﹁ 如 回 疋 L の 諾 を 欠 く 。 勤那摩提訳には、﹁得 L の 川 予 を 欠 く 。 古 口 蔵 は ﹁ 令 其 憶 念 品 開 国 委 譲 口 調 挺 心 。 己 然 後 令 得 一 一 ⋮ 昧 常 憶 菩 提 心 不 t b 也﹂(﹃大正蔵﹄第四十巻、八一七頁上)と注釈している。 吉蔵は﹁説大乗法者。即是賜投(頂髪明珠﹂(吋大正蔵﹄第四十巻、八一七真上)と注釈する。 北 口 蔵 は ﹁ 以 此 法 門 悶 十 地 行 務 者 。 此 法 門 郎 回 定 一 乗 法 門 。 一 乗 法 門 明 十 地 行 究 , 党 闘 滅 。 故 得 成 品 開 。 向 。 此 稼 何 義 。 答 。 稗 頂 上 明 珠 最 借 用 尊 棟 。 二 楽 絞 間 十 掛 川 行 満 十 m R 定 尊 機 。 L ( ﹃大ま蔵﹄第四十巻、八一七頁上)と注釈する。 2497 吉 凶 蔵 は J 諸 併 如 来 密 輿 授 記 故 者 。 以 賜 文 珠 密 欲 令 笠 ( 成 糠 輪 王 也 。 民 説 法 華 郎 自 足 密 輿 授 詑 令 笠 ( 成 併 也 ﹂ ( ﹃ 大 正 蔵 恥 第 四 十 巻 、 上)と設釈する。 土 口 蔵 は ﹁ 根 未 熟 令 熟 故 者 。 即 日 法 狂 子 米 敢 服 薬 。 欲 令 設 ( 服 也 。 L ( ﹃大正蔵﹄第四十巻、八一七頁上) 吉 蔵 は ﹁ 一 不 現 浬 梁 思 議 。 知 父 欲 令 服 薬 故 現 死 。 併 ム 寸 亦 硝 階 。 欲 A Y 衆生了悟示現浬繋﹂(吋大正蔵 L 第 四 十 巻 、 八一七寅 99 98 八 一 七 頁 上 ) と 注 釈 す る 。
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= 一 種 無 煩 楢 人 一 一 一 種 染 慢 { テ キ ス ト ︼ ( 七 ・ ∞ ♂ ミ ・ H H i Z ) ︹ 書 き 下 し 文 } ( 勤 、 日)
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何者三種無煩悩人三種染慢。所謂一ニ種顛倒信 故。何等為一一一。一者信種種乗異。二者信世間 何 者 か 一 ニ 種 の 無 煩 悩 の 人 の 一 一 一 種 の 染 慢 な る 。 い わ ゆ る 一 ニ 種 の 顛 倒 の 信 な る が 故 な り 。 何 等 を か 一 一 一 と 為 す 。 一には種種の乗の異を信 浬 繋 異 。 一 一 一 者 倍 彼 此 身 異 。 為 対 治 此 一 ニ 種 染 慢 故 。 ・ 説 三 種 平 等 応 知 。 ず 。 こ に は 世 間 と 浬 繋 の 異 を 信 ず 。 一 一 一 に は 彼 此 の 身 の 異 を 倍 、 ず 。 此の一二種の染慢を対治せんが為の故に三種の平等を説く。応に知 る べ し 。 { 現 代 語 訳 ︺ 一 一 一 種 の 無 煩 悩 の 人 の 一 ニ 種 の 汚 れ た 思 い 上 が り と は 向 か 。 そ れ は す な わ ち 、 二 一 穣 の 倒 錯 し た 信 で あ る 。 コ 一 種 と は ど の ようなものなのか。 には種々の [教えの︺乗り物が異なっていると信じることである。 北大文学研究科紀要世毅﹃法華論﹄訳注印 ニには世間と浬繋が異なっていると信じることである。 一 一 一 に は 自 身 と 地 身 な ど の 身 体 が 異 な っ て い る と 信 じ る こ と で あ る 。 これら三種の汚れた思い上がりを対治するために、︹仏は︺一一一種の平等を説くのである。︹このことを︺知らなけれ ば な ら な い 。 -新 制 那 摩 援 訳 に は 、 ﹁ 一 二 種 ﹂ の 訪 を 欠 く 。 勤那摩援訳には、﹁所講三種 L を 欠 く 。 勅 那 摩 擦 日 訳 に は 、 ﹁ 何 等 一 一 一 積 一 L そ 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁慢放しを欠く。 上 記 ( 八 真 上 、 二 八 行 自 ) を 参 印 刷 ⋮ 。 2
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3 4 5 一 種 平 等 ・ 対 治 { テ キ ス ト } ( ℃ ・ ∞ ♂ ミ ・ 5iNO) 門 書 き 下 し 文 ︼ ( 動 、 ℃- E
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何 者 名 為 三 種 平 等 。 一 玄 何 対 治 。 謂与声関授菩提記。唯一大乗無二乗故。是乗 平等無差別故。二者世間浬繋平等。以多宝如 来 入 於 浬 繋 。 世 間 浬 繋 彼 此 平 等 無 差 別 故 。 一 一 一 一 者 乗 平 等 。 何者か名づけて三種の平等と為す。如何が対治するや。 一には乗の平等なり。謂く、声簡に与えて菩提の記を授くるなり。 唯だ一大乗のみにしてニ乗なきが放なり。 の乗は平等にして無 差別なるが故なり。者身平等。多宝如来己入浬集。復一示現身自身 地身法身平等無差別故。 には世間と浬繋の平等なり。多宝如来の浬繋に入るを以て、世 間と浬繋は彼此平等にして差別なきが放なり。 三には身の平等なり。多宝如来は浬繋に入りおわりて、復た身を 示現す。自身と位身と法身とは平等にして差別なきが故なり。 ︻ 現 代 語 訳 ︺ 一一一種の平等とはどのようなものを名づけているのか。どのようにつニ種の汚れた思い上がりを]対治するのか。 』 ま ︹教えの︺乗り物の平等である。すなわち、芦田聞に菩握の記を授けるということである。なぜならば、唯だ 一つの大きな乗り物、だけがあるのであって、︹その他に︺ つの乗り物(芦間乗と辞支仏乗)があるのではないからで こには世間と浬繋の平等である。多宝如来が捜繋に入るが故に、世間と理繋は平等であって差別のないものだから ある。これらの乗り物は平等であって、差別のないものだからである。 で あ る 。 三には身体の平等である。多宝如来は浬繋に入られてから、 ま た [自らの︺身体を示すということである。なぜな らば、自身と他身と法身とは平等であって差別のないものだからである。 7 動 那 摩 援 訳 に は 、 ﹁ 何 者 名 為 一 一 一 種 平 等 。 一 去 何 対 治 ﹂ を 欠 く 。 勤 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 謂 L の ん 子 を 欠 く 。 勅 那 摩 援 訳 に は 、 五 口 組 批 L の 諾 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ ご の か わ り に ﹁ 有 ﹂ と あ る 。 8 8 9 北大文学研究科紀要
世 親 ﹃ 法 華 論 恥 訳 川 河 矧 13 12 11 10 戦那摩援訳には、﹁自在来平等無差別放 L を 欠 く 。 紡那摩援訳には、﹁於﹂の学を欠く。 勅那摩援訳には、﹁彼此 L を 欠 く 。 戦那摩提訳には、﹁無差別 L の 認 を 欠 く 。 授記所由 一 ア キ ス ト ︼ ( 七 -r h h c i N 品) ( 鞘 、 ℃
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吋 i N C ) 如是一一一種無煩悩人染慢之心見彼此身所作差 別。不知彼此仏性法身悉一平等故。謂即此人我 証此法故。彼人不得。此対治故。与語芦間授 ロ い ﹂ ¥ 片 品 円 U 0 3 コ 一 ロ ド h 同 牛 λ ハ ︻ 現 代 語 訳 ︼ { 書 き 下 し 文 ︺ 是くの如き一一⋮種の無煩協の人の染慢の心は、彼此の身の所作の差2
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別を見て、彼此の仏性・法身の悉く平等なることを知らざるが故 なり。謂く、即ち此の人は、我は此の法を一一試するが故なり、彼の 人は得ざるなりと。此の対治の故 の湾問の授記を与う。応に 知 る べ し 。 このような、汚れある思い上がった心を持つ三種の無煩脳の人は、 かの身体とこの身体のなりたちの違いを見て、 かれとこれの仏性と法身がすべて平等であることを知らないのである。つまりこの人は、私はこの教えをさとったが、 知らなければならない。 かの人は得ていないとするのである。これを対治するために、多くの声聞たちに授記を与えるのである。?﹂のことを︺22 21 20 19 18 17 16 15 14 勤 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 如 ﹂ の { 子 を 欠 く 。 勃 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 一 一 一 種 L の 語 を 欠 く 。 勤那摩擦訳には、﹁之心﹂を欠く。 動那摩提訳には、﹁差別﹂の語の後に﹁以しの字がある。 勅那摩提訳には、﹁悉﹂の字を欠く。 戦那摩提訳には、﹁謂﹂の字を欠く。 紡那摩提訳には、﹁此 L のかわりに﹁彼﹂とある。 勤那摩擦訳には、﹁故﹂の字を欠く。 紡那摩提訳では﹁此対治﹂を﹁対治此しとする。 戸 閣 議 開 薩 得 記 不 同 一 ア キ ス ト } ( ℃ ・ ∞ ♂ 戸 自 ! ℃ 匂 m H L ・ω ) ( 勤 、 ℃ -H E L ζ c j N 吋 ) お 間目。彼芦間等。為実成仏故与授記。為不成 山 内 お 仏与授記耶。若実成仏。菩薩何故於無量劫修 集 無 且 一 累 積 種 功 籍 。 若 不 成 仏 一 五 何 与 之 虚 妄 授 記 。 出 刊 日 却 答日。彼声聞等得授記者。得決定心非謂声開。 出 泣 お 叫 成就法性如来。依彼三種平等説一乗法。以仏 お 話 法身芦間法身平等無異故与授記。非郎呉足修 北大文学研究科紀要 ︻ 書 き 下 し 文 ︼ 問うて臼く、設の声聞等は実に成仏するが故に授記を与えんとや せん、成仏せざるに授記を与えんとやせん。若し実に成仏せば、 菩寵は何故に無最一の劫に於い の種種の功徳を修集する。 し成仏せ、ざれば、去何が之の虚妄の授記を与うるや。 答えて日く、彼の声聞等、授記を縛るとは、決定心を得るなり。 声聞の、法性を成就することを謂うにあらず。如来は彼の 種 の
世親司法華論﹄訳注同 四 行功徳。是故菩寵功徳具足。諸声聞人功徳未 足 。 平等に依りて一一乗の法を説く。仏の法身と声閣の法身、平等にし て異なり無きを以ての故に授記を与うなり。即ち修行の功徳を出品( 足するにあらず。 の 故 に 笠 口 議 は 功 徳 具 足 し 、 の声聞の人は功 徳未だ足らざるなり。 ︹ 現 代 語 訳 } 問 う 、 その声聞たちは本当に仏となるから授記を与えるのか、 それとも、仏とはならないけれども授記を与えるの か。もし本当に仏となるならば、菩薩はどうして量り知れないほどの劫にわたって量り知れないほどの様々な功徳を 修め集めるのか。もしも仏とならないならば、 どうしてそのような鹿妄の授記を与えるのか。
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答 え る 、 その声聞たちが授記を得るというのは、決定心を得るということである。湾問問が法性を成就することをい うのではない。如来は、上述の一一一種の平等に依拠して一つの乗り物の教えを説く。仏の法身と声障の法身とは等しい ものであって異なっていないから に]授記を与えるのである。︹世戸開たちは︺修行の功徳を具えているわけでは ないのである。それ故に、菩寵は功徳を呉え、声間の人たちは功徳を具えていないのである。 27 26 25 24 23 勅那摩擦訳には、﹁問日 L を 欠 く 。 紡那療援訳では﹁耶しを﹁也 L と す る 。 紡 那 臓 障 提 訳 に は 、 ﹁ 仏 ﹂ の 後 に ﹁ 者 ﹂ と あ る 。 紡那際提訳には、﹁穣種 L の 諾 を 欠 く 。 勅 那 臨 時 提 訳 に は 、 ﹁ 与 之 L を 欠 く 。39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 勅 那 際 提 訳 に は 、 ﹁ 笈 口 臼 ﹂ を 欠 く 。 勅那摩提訳には、﹁等得﹂を欠く。 勃那摩提訳には、﹁謂声聞しを欠く。 勅那際援訳には、﹁如来﹂のかわりに﹁故 L と あ る 。 勃那摩提訳には、﹁依しの字の前に﹁如来 L の 諮 が あ る 。 勤那摩擦訳には、﹁彼﹂と﹁穣 L の 字 を 欠 く 。 紡那摩擦訳には、﹁仏﹂の字のかわりに﹁如来﹂の認がある。 勅那摩提訳には、寸法身 L の諾の後に﹁与彼 L と あ る 。 紡那摩援訳には、﹁平等 L の 諾 を 欠 く 。 勅那摩提訳には、﹁功徳﹂の語の後に﹁故 L と あ る 。 勃 那 腕 部 提 訳 に は 、 ﹁ 徳 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勅那燦提訳では﹁足 L を﹁具足 L と す る 。 受記不同 ︹ テ キ ス ト } ( ℃ 匂
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・ 品 j H 品) 門 書 き 下 し 文 ︼ ( 勤 、 匂- H
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・ ∞ ) 一言授記者六処示現。五是仏記 記者。謂舎利弗大迦葉等衆所知識。名号不問 故別与記。富楼那等五百人千二百等詞一名故。 品 川 目 印 倶 時 与 記 。 学 無 学 等 皆 同 一 又 復 非 是 衆 所 如 来 授記と言うは六処に示現す。五は是れ仏の記なり。 円ノ寸 HU η ν 一 三 口 な り 。 強来の記とは、謂く、舎利弗・大迦葉等の衆に知識せらるる所な り。名号詞じからざるが故に別に記を与う。富楼那等の五百人、 北大文学研究科紀要設親﹃法華論﹄訳注
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知識故同与記。如来与彼提婆達多授別記者。 示現如来無怨悪故。与比丘尼及諸天女授仏記 者。示現女人喪家出家修菩薩行皆証仏果故与 授記。菩薩記者。如下不軽菩薩口問中示現応 知 。 礼 拝 讃 歎 作 如 田 正 一 一 百 。 我 不 軽 汝 。 汝 等 皆 当 儀 作 仏 者 。 一 不 明 拙 衆 生 皆 有 仏 性 故 。 ︹ 現 代 語 訳 ︺ イアニ百等は同じく一名なるが故に倶時に記を与う。学・無学等は 皆な同じく一号なり。又復た是れは衆に知識せられたるにあらざ るが故に同じく記を与う。如来は彼の提婆達多に与うるに別の記 耐 を授くとは、如来の怨悪なきを示現するが故なり。比丘尼及び諸 の天女に与うるに仏の記を授くとは、女人・在家・出家は窓口薩行 を修して皆な仏果を証することを示現するが故に授記を与う。 菩薩の記とは、下の不軽菩蕗品中に示現するが如し。応に知るべ し3
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﹁ 礼 拝 讃 歎 し て 是 く の 如 き 一 一 言 を 作 す 。 我 は 汝 を 軽 ん ぜ ず 。 汝 ら は 皆な当に作仏すべし L とは、衆生は皆な仏性を有することを示現 す る が 故 な り 。 授記というのは六つの処において示されている。︹そのうちの︺五つは仏による記別(成仏の 一 つ は 菩薩による記別である。 如来による記別というのは、 で あ る 。 すなわち、(二人々によく知られた舎利弗や大迦棄など︹に対する記別]である。名 号が同じではないので、個別に記別を与えているのである。会己富楼那などの五百人や千二百人は[寵楼那という︺ 一つの名で代表せしめているから、臨時に記別を与えているのである。(一一一) -無学の者はみな同じく -無 学 という︺名号である。また、彼らは人々によく知られた者ではないので河時に記を与えているのである。(間)如来がか の提婆達多に個別に記別加を授けるのは、如来には怨悪がないことを示すためである。(五)比丘尼や天女たちに仏が授 るのは、女性そはじめ、在家の人、出家の人、誰であれ菩薩行を修行すれば、 みな仏果を得ることができるとい うことを示すために授記を与えるのである。 菩薩による記別というのは、後の不軽世話口薩品の中で示されているごとくである。︹このことを︺知らなければならな ぃ。﹁礼拝讃歎して、次のよう っ た o ﹃私はあなたを軽んじません。あなたたちはみな仏となるでしょうからとと いうのは、衆生はみな仏性を有しているということを示しているのである。 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 駒郡摩提訳には、﹁者﹂の後に﹁有 L の 字 を 加 え る 。 勅那麻路提訳では﹁五是仏記﹂を﹁五者如来記 L と す る 。 駒 郡 麻 原 提 訳 に は 、 ﹁ 一 ﹂ の 後 に ﹁ 者 L の 字 を 加 え る 。 勅 那 麻 原 提 訳 に は 、 ﹁ 謂 ﹂ の 学 を 欠 く 。 勃那摩提訳では﹁大 L のかわりに﹁摩詞 L の 一 訪 問 が あ る 。 勃那府県提訳では﹁知識﹂の語の後に﹁故 L の 字 が あ る 。 勃 那 麻 原 提 訳 で は ﹁ 別 与 ﹂ を ﹁ 与 別 し と す る 。 戦那摩提訳では﹁首﹂の後に﹁人 L の 字 が あ る 。 勃那摩提訳では﹁諸問﹂のかわりに﹁僕しの字がある。 勃 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 又 復 ﹂ を 欠 く 。 勃 那 摩 提 訳 で は ﹁ 日 疋 L の 字 を 欠 く 。 北大文学研究科紀要
世 親 ﹃ 法 整 弘 一 酬 L 訳注
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65 64 63 62 61 60 59 58 57 56 55 54 53 52 51 勃那麻原提訳では﹁同﹂のかわりに﹁一時﹂の語がある。 勃那摩提訳には、﹁如来 L の 認 を 欠 く 。 勤 那 麻 原 提 訳 に は 、 ﹁ 彼 L の 字 を 欠 く 。 勃那療提訳には、﹁授別﹂を欠く。 勃 那 麻 原 提 訳 に は 、 ﹁ 惑 L の 学 を 欠 く 。 勃 那 麻 原 提 訳 に は 、 ﹁ 授 仏 ﹂ を 欠 く 。 勅那摩提訳では﹁行 L の後に﹁者﹂の字を加える。 勃那摩捻訳には、﹁与授記﹂を欠く。 勅那摩擦訳では﹁記 L を﹁授記 L と す る 。 勃 那 摩 挺 訳 に は 、 ﹁ 下 ﹂ の { 子 を 欠 く 。 勃那摩挺訳には、﹁応知﹂を欠く。 勃 那 摩 捻 訳 に は 、 ﹁ 作 如 口 定 L を 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁得﹂の字を欠く。 勃那摩捷訳では﹁現しのかわりに﹁諸﹂の{子がある。 如来記の一つ白。入管制約弗の授記は概論戦口聞に、大迦葉の授記は授記口問において説かれている。授記品では須菩提、大迦務延、大目機連 速の授記も説かれている。 如来記の二つ目。議機那の授記は五百弟子授記口出において説かれている。 如来記の一二つめ。学無学の二千人の授記は授学無学人記口問において説かれている。そこでは、河難、間融喉羅の授記も鋭かれている。 如来記の凶つめ。提婆遼多の授記は提婆遼多口問において説かれている。 如来記の五つ目。比丘尼の授記は勧持口聞において説かれているが、天女の授記は説かれていない。 河 妙 法 薬 い 常 不 絞 十 台 薩 口 問 中 に ほ ぼ 同 じ 一 節 が あ る 。 ﹁ 亦 復 故 往 躍 担 汁 讃 歎 市 川 作 口 走 ⋮ 一 一 一 口 。 我 不 敢 軽 於 汝 等 。 汝 等 皆 蛍 作 併 。 L ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 五十頁下二二行自1
二三行自) 34 70 69 68 67 66声開得記不得記 { テ キ ス ト } ( ℃ ・
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・51NO) 塁 勅円 、 聞 匂 人 ヒ 得71~ 授 ロ 記 Cや竜豆
声 闇 有 四 種 一者決定声 問。二者増上慢声開。三者退菩提心声問。四 者応化声問。二穣声聞如来授記。謂応化者。 退己還発菩提心者。若決定者増上慢者二種声 問。根未熟故不与授記。菩薩与授記者。方便 剖 令 発 菩 提 心 故 。 ︻ 現 代 語 訳 ︼ ︹ 書 き 下 し 文 ︼ 声 聞 の 人 の 授 記 を 得 る と 一 一 一 日 う は 、 声 関 に 四 種 あ り 。 一には決定せる声問。ニには増上慢の声問。一ニには菩提心より退 する声問。四には応化の声間なり。 二種の芦間には如来は記を授けたまう。謂く応化の者と退しおわ りて還た菩提心を発す者なり。 決定せる者と増上穫の者との二種の声簡の若きは根熟せざるが故 に 授 記 を 与 え ず 。 主口護が授記を与うとは、方便もて菩提心を発せしむるが故なり。 戸閣の人が授記を得ると一言うが、声聞には四種ある。 一には︹小乗に︺定まっている声聞、 ニには思い上がった声 問 、 一 一 一 に は 菩 提 心 か ら 退 く 声 聞 、 四には菩薩が応現牝作した声閣である。 ?﹂のうち︺二種の声聞には如来は記別を授ける。すなわち、応現化作した者と、菩提心から退いたが、再、び菩提心 を発した者とである。︹小乗に]定まっている者と思い上がった者とのニ種の声聞は、機根が熟していないので授記を 与えないのである。 北大文学研究科紀婆世 貌 ぷ 出 張 十 論 じ 訳 渋 川 川 [不軽︺菩薩が︹機根の熟未熟に関係なく誰にでも]授記を与えたというのは、方便によって[授記を与えた相手に︺ 菩提心を発させるためである。 81 80 79 78 77 76 75 74 73 72 71 勃那摩擬訳には、﹁人得 L を 欠 く 。 勤那摩提訳には、﹁如来 L の誇の後に﹁与﹂の字がある。 勃那摩提訳には、﹁者 L の学のかわりに﹁芦間﹂とある。 紡那摩捻訳には、﹁若しの字を欠く。 勃那摩提訳には、﹁者 L の ん 子 を 欠 く 。 紡那摩提訳には、﹁者 L の 字 を 欠 く 。 動 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 放 し の 字 の 後 に ﹁ 如 来 ﹂ の 一 四 聞 が あ る 。 紡那摩提訳には、﹁者﹂の字を欠く。 動那摩提訳には、﹁方便﹂の認の前に﹁謹口藤授記者 L と あ る 。 紡 那 摩 提 訳 に は 、 三 品 目 提 L の 誘 を 欠 く 。 土口裁は次のように注釈している。﹁疑者一五。若場上慢整問問偽不興受記者。不経菩議何故通二人輿之受記。線一辺。悌就根熟未熟。放輿記 不 刷 出 ( 記 。 菩 薩 約 二 穏 義 故 。 所 以 血 ( 記 。 一 者 如 前 明 有 例 性 故 得 山 県 授 記 。 一 一 者 方 便 令 設 笠 間 提 心 故 刷 出 ( 援 記 也 。 L ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 四 十 巻 、 八 一 九 頁上)すなわち、如来は相手の機根を見て授記を与えたり与えなかったりするが、笠間十隠は格子の機線に関係なく、菩提心を発させる ために方便として授認を与える、ということである。なお、士口蔵の四種芦療に対する考え方について近年の議論がある。たとえば、 末光愛正﹁士口蔵の成仏不成仏鋭(二 ) L ( ﹃駒調停大学仏教学部論集﹄第十八号、一九八八年)や奥野光賢﹁古口蔵の叶法華論﹄の依用をめ ぐ っ て 1 1 特に四稜戸部授記を中心に i i L ( 間前書)などを参照。
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三乗一乗 一 ア キ ス ト ︼ ( ℃ ・ c m グ ロ ・
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自 ) ︻ 書 き 下 し 文 ︼ ( 助 、 ℃ 毘 σ L N ・5
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又 依 何 義 。 仏 説 一 一 一 乗 名 為 一 乗 。 依 同 義 故 。 授 諸声聞大菩提記。雷同義者。以仏法身声開法 泊 四 叩 身彼此平等無差別故。以諸声罰辞支仏等乗不 則 的 出 向故有差別。以彼ニ乗非大乗故。 又、何の義に依りて仏は一ニ乗を説いて名づけて一乗と為すや。同 に依るが故に諸の声聞に大菩提の記を授く。 同 義 と 一 一 一 日 う は 、 仏 の 法 身 と 声 聞 の 法 身 は 披 此 平 等 に し て 差 別 な き を 以 て の 故 な り 。 の声聞・酔支仏等の乗は河じから、ざるを以て の故に差別あり。彼のニ乗は大乗にあら、ざるを以ての故なり。 ︻ 現 代 語 訳 } ま た 、 ど の よ う な 意 義 か ら 仏 は 一 一 一 つ の [教えの︺乗り物を説いて [ そ れ ら を ︺ 一つの乗り物とするのだろうか。間 じという意義に依拠して、声聞たちに大菩提の記を授けるのである。 同じというのは、仏の法身と声簡の法身とは平等なるものであって差別のないことをいうのである。声聞や辞支仏 等たちの乗り物は閉じではないから差別がある。彼らの乗り物は大きな乗り物ではないからである。 84 83 82 戦那摩提訳には、﹁義しの後に﹁故 L の 字 が あ る 。 戦那摩擦訳には、﹁仏 L のかわりに﹁如来﹂とある。 戦那摩提訳には、﹁授﹂のかわりに﹁与 L の 字 が あ る 。 北大文学研究科紀要枇親﹃法華論﹄訳波
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92 91 90 89 88 87 86 85 勃 那 燦 提 訳 に は 、 ﹁ 大 盤 口 ﹂ の か わ り に つ 授 ﹂ と あ る 。 勃那摩提訳には、﹁言 L の 字 を 欠 く 。 勅那摩擦訳には、﹁仏﹂のかわりに﹁如来﹂とある。 勅那摩提訳には、﹁彼此﹂を欠く。 勅那摩提訳には、﹁諮﹂の字を欠く。 勃 那 摩 擦 訳 に は 、 ﹁ 世 帯 ﹂ の か わ り に ﹁ 異 ﹂ と あ る 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 不 問 ﹂ の 一 訟 を 欠 く 。 動 那 摩 捷 訳 に は 、 ﹁ 二 乗 ﹂ の 一 諮 を 欠 く 。十無上
無上の義 { テ キ ス ト ︼ ( ℃ ・ 。p
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・5 N N ) 如来説一言不離我身是無上義。一切声聞酔支仏 等二乗法中不説此義。以其不能如実解故。以 回疋義故。諸菩薩等行菩薩行非為虚妄。無上義 者。自余経文明無上義。無上義者。略有十種 此義応知。何等為十。 38-︹ 書 き 下 し 文 ︼ 如来説いて一言わく﹁我が身を離れ、ざること、是れ無上の義なり﹂ と 一一切の声関・辞支仏等のこ乗の法中には此の義を説かず。 の 窓 口 薩 等 の 、 の義を以ての故に、諸 の行を行ずるは麗妄ならざるなり。 の能く如実に解せざるを以ての故なり。 無上の義とは、自余の経文、無上の義を明かす。無上の義とは略 して十種あり。此の義応に知るべし。何等をか十と為すや。︻ 現 代 語 訳 } 如来は﹁我が ︹法︺身を離れないこと、これが無上の意義である L と一言われている。すべての声聞や辞支仏等たち のニつの乗り物の教えの中にはこの (無上の︺意義が説かれていない。彼らは で﹂の無上の意義を︺如実に理解しな いからである。この意義の故に、笠口寵たちが菩薩の行を一行うのは麗妄ではないのである。 無 上 の 意 義 と は 、 その地の経文が無上の意義を明らかにしている。無上の意義とはおおよそ十種ある。この意義を 知るべきである。十とはどのようなものか。 1 勃那摩提訳には、﹁等二乗﹂を欠く。 勃 那 摩 援 訳 に は 、 ﹁ 笠 ( ﹂ の ん 子 を 欠 く 。 勃那摩援訳には、﹁如実﹂の誌を欠く。 勃 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 以 ﹂ の { 子 会 欠 く 。 勃那摩提訳には、﹁義﹂の字を欠く。 勃那摩提訳には、﹁等﹂の字を欠く。 勃 那 麻 原 提 訳 に は 、 ﹁ 向 同 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勅 那 麻 原 提 訳 に は 、 ﹁ 印 税 文 ﹂ の 認 の か わ り に ﹁ 残 修 多 羅 ﹂ と あ る 。 勤 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 者 ﹂ の 字 を 欠 く 。 勤那摩提訳には、﹁略 L の 字 を 欠 く 。 恥 制 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 此 義 ﹂ の 諮 を 欠 く 。 勅那摩提訳には、﹁何等為十﹂を欠く。 士 口 蔵 は ﹁ 如 来 説 一 一 訓 告 不 離 我 身 回 定 無 上 義 者 。 係 於 一 切 人 中 最 矯 無 上 。 故 判 無 上 喰 在 於 偽 。 苅 41 間 不 離 我 身 者 。 讃 不 離 法 身 最 楚 無 上 。 ﹂ ( ﹃ 大 正 2 3 4 5 6 7 8 13 12 11 10 9 北大文学研究科紀要
世親﹃法禁論﹄訳注印 14 蔵﹄第四十巻、八一九頁中)としている。 古口蔵はこれは﹃摂大乗論﹄の十種勝相や飯山等塑教と同じであるとしている。(﹃大正蔵﹄第四十巻、 八 一 九 一 良 中 ) 一 無 上 j 七 無 上 一 ア キ ス ト ︼ ( 匂 ゆ グ ロ
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-N ) 一 者 一 部 現 穂 子 無 上 故 説 雨 楼 雷 除 。 汝 等 所 行 是 菩 寵道者。謂発菩提心退己還発者。前所修行善 根不滅間後得果故。 二 者 一 不 現 行 無 上 故 説 大 通 知 羽 勝 如 来 本 事 等 。 一 一 者 示 現 増 長 力 無 上 故 説 商 、 王 監 百 除 。 四 者 一 所 現 令 解 無 上 故 説 繋 宝 珠 壁 一 一 目 崎 。 五者示現清浄国土無上故示現多宝如来事。 六 者 一 不 現 説 無 上 故 説 解 露 間 中 明 珠 境 問 稔 。 七者示現教化衆生無上故地中踊出無量菩薩摩 詞 薩 等 。 ︻ 書 き 下 し 文 ︺ 一には種子の無上を示現するが故に、雨の警喰を説く。﹁汝らが所 行は是れ菩薩道なり L とは、謂く、菩提心を発して退きおわりて 還た発する者は、前に修行する所の善根不滅にして同じく後に果 40 を得るが故なり。 一一には行の無んを示現するが故に、大通智勝如あの本事等を説く。 2 一 一 一 に は 増 長 力 の 無L r
示現するが故に、商主の警轍を説く。 四には令解の無上を示現するが故に、繋宝珠の壁面仏怖を説く。 お 初 五には清諦国土の無上を示現するが故に、多宝如来塔を示現す。 六には説の無上を示現するが故に、解車両中明珠の警稔を説く。 七には教化衆生の無上を示現するが故に、地中より無量の菩薩摩 詞薩等を踊出す。{ 現 代 語 訳 ︼ 第一には種子の無上を示すために、 ︹ 薬 草 喰 口 聞 の 中 で ︺ 雨 の 壁 一 日 一 鳴 を 説 く の で あ る 。 ﹁ お 前 た ち の 所 行 は 菩 薩 道 で あ る ﹂ と い う の は 、 かつて菩提心を発しながらもそこから退転したが再び 発した者は、前の修行によって積ま れた善根は不滅であって、 それがそのまま後に果報をもたらすからである。 第二には︹修︺行の無上を一部すために、過去世における大通智勝如来の行いなどを説くのである。 第一一一には増長する力の無上を示すために、︹化城轍品の中で︺指導者の警輸を説くのである。 第四には理解させることの無上を示すために、(五百弟子授記品の中で︺繋宝珠の警一織を説くのである。 第五には清浄なる悶土の無上を示すために、(見宝塔品の中で︺多宝如来塔を示すのである。 第六には説くことの無上を示すために、︹安楽行口聞の中で、転輪車玉が︺ の耀く宝珠を解いて与えるという警総 を 説 く の で あ る 。 第七には衆生を教化することの無上を示すために、︹従地踊出品の中で︺地中より量り知れないほど多くの菩薩摩詞 謹などが踊出した(と説くのである︺。 18 17 16 15 勃那摩提訳には、必ずの学の後に﹁故 L と あ る 。 勤那摩提訳には、﹁解 L の { 予 を 欠 く 。 勅 那 摩 提 訳 に は 、 ﹁ 等 ﹂ の { 子 の 後 に ﹁ 放 L と あ る 。 ﹃ 妙 法 華 い 薬 事 織 口 出 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 第 九 巻 、 二 十 頁 中 二 一 二 行 自 ) にそのままの形で存する。﹁今矯汝等。説最韓民事。諸整問衆。皆非滅度。 北大文学研究科紀要