――目次――
1,
龍樹天親の法華経観の再認識,山川智応,Chiō YAMAKAWA,pp.1-24.
2,
民族的宗教の形態変化について,修験道研究序説(1),村上俊雄,Toshio MURAKAMI,pp.25-38.
3,
仏教公伝と太子「篤敬三宝」に到る国史的事情,堀一郎,Ichirō HORI,pp.39-63.
4,
哲人ヷーチャスパチ・ミシュラ,(人及び学説)-第1部 人,金倉円照,Enshō KANAKURA,pp.64-84.
5,
『義人』シモン,大畠清,Kiyoshi ŌHATA,pp.85-102.
6,
盆花考,池上広正,Hiromasa IKEGAMI,pp.103-116.
7,
流動性に富む唐代の禅宗典籍,燉煌出土本における南禅北宗の代表的作品,久野芳隆,Hōryū
KUNO,pp.117-144.
8,
海外雑誌論文,pp.145-147.
9,
新刊紹介,pp.147-153.
Posted in 1937
(昭和12)年
∴
蔀浄三赦はその﹁南港寄錯停﹂︵巷一︶に所レ云大乗、無レ過﹂姦讐一則中観、二乃稔伽。中観則俗有虞杢、慣虚如レ幻。稔伽則外無内有、事皆唯識。
斯並成撃聖教↓執是執非。同契轟架↓何虞何倍。意在下断二除煩悩↓按巌衆生加畳欲下廣致二紛転↓重櫓巾況
結即位行則倶升1疲岸↓棄背則並溺二生津可西国埜行、理撃諦競可改野悪日↓詐撃是非可任二久習︼而修レ之、幸無レ琴鼻白割叫
と、龍樹、無着繭大士の教系の合すべからざるをいひ。天台智者大師は、﹁摩討止観﹂︵巻五︶に、 0000ヽ︳ヽヽヽヽヽヽ 天親龍樹、内鑑冷然。外撃時空各棟所レ接。両人師偏解、畢者筍執。途輿二失石↓各撃一逮可大学空夢也。
と、外形は異るも、其の内容の合すべきあるをいつてゐる。また賢首法蔵大師は、その﹁大乗起信給養記﹂ ︵合 一︶に日照三蔵の詮を引き、中観、玲伽におの︿三時敦を立つることを、 楷樹大観の法華裾槻の再認誠龍樹天親の法華経観の再認識
應
山
智
J∂4J龍樹天親の法華経親の再認誠
二
天竺囲三蔵法師地婆討準暦日三日照一:⋮・予親開。翠玉、近代天竺郊蘭陀寺、同時有二二大徳諭師可一日三城 軍一口二智光1。:褒垂天竺↓各一人而巳。遮断衰宗異、立教互逮。謂、波賢則、速筆弼撃無着↓近撃藻草難陀∵鱒東森等控、稔伽等論づ立二三種敦叫以二液相大乗↓撃虞了義︼。謂、怖初鹿固持二於四諦小乗法
輪↓詮有馬法、徒レ終生叫以破二外道日代困莞叉由こ終生姦二人我巌、撃彼外道、詮レ有二我莞然猶未レ
軍法無我讐郎阿含経等。第二時中、錐下依二偏計析執↓両軍諸淡白性皆竺御中彼小乗加然於二倍他由成↓
拘束レ詮レ有。即諾部般若。第三時中、就二大来室竺具撃三性三無性等↓方撃轟撃即解深密控等。是政
、−−−、− 、、、− 、、、− −、−、 −、、、 、、、、 、、、ヽ 、ヽ、︳ ヽ︳ヽ 森田初唯於縁生港↓詮レ有、即撃布達両次唯詮レ彗郎撃基連ペ眈各曙レ逮。供非二了養叫後時異説所執性
−、ヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽヽ
茎、飴二鳥右、契二合中華方撃了義可此依二解深碑撃判。二、智北論師、遼東二文殊・龍樹↓近稟二捷撃
清軒↓伐二般若等控、中親等寧亦立ニ≡致叫以レ明二無相大軍二軍衰了義叫謂、彿初鹿園、撃諸小林↓撃
於四諦↓明二心境倶有相次於二申時二撃彼中根∵軍法相大乗↓明二項垂心有−唯識道理巧以下根粉雪未誌レ令レ入一事等眞基↓改作真説叫於二第三時二撃上襲撃錬相大乗↓輝こ心境倶牢乎等蒜ご箪責了義珂叉
、、、 、−、I、− 、、、、、、 、−、− −、−、 、、、、−●、、 −ヽ ヽ、ヽ、、ヽ 初則漸、破二外道自性筆故軍国終生港、決定是有叫攻則漸破二小乗繚生茸有之執↓故撃依他閃株保有可 、、−、、−、、 、、、− −、、、 、−、−、、、、 、、、、 ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 以義怖壷此虞挙故、猶撃保有↓而撃引之可後時方就究寛大粟↓撃此終生﹁・即是仕手等一莞是政釦
、、、、ヽヽ−、−ヽヽ−ヽヽヽ︳ヽヽ
刊二法相大乗、有所得等〓㌘第二時.非衰了撃也。此三数次第、如春光諭師、般若燈論群小、引二妙智撃詮加
と示し。而して此む雨完の矛盾に就き、無骨と無木骨の二義を轟げ。無骨の義は、これ﹁大智度論﹂の柑悉慣ゎ
Jβ44小む、各々馬人悉概、﹁庫大東論﹂の四意趣の中の、衆生意欒意趣に基く.封機の相異であるから・和命するを要
せす、各利益してゐるものぞとするので。これは養渾三瓶の壷、及び天ム‖大師の、碁柿に擦る桝あり﹄とする轟
と同じい。無不倉の養は、戒賢・智光の両論師が、此の如き矛盾の主張を馬せる所以は、畢蒐して了義・不了義
を諭する基準の典るに因る。戒賢論師は、これを横を接するの寛狭と、商機に封する音数の具開から論究するが
故に、小薬と般若とは、各一類の横を擁するに過ぎす、深密等は大小の両横を擁す。また彼は各大小の一概に封
する音数、此は具に三乗を説き、苗機の敦を具すとするのであゎ。智光論師は、衆生利益の漸次と、眞理を顆は
すことの増徴より推究するが故に、初めは但だ小乗の釜、次些二乗併べ説き、大小通じて益するも、未だ趣寂の
二乗をして大乗に入らしむること能はす、経りに轟く大乗に入らしむ。初めは因縁生を賓有とし、攻は因縁生を
仮有な少とし、経りに因縁生皆是れ性基を顕はすといへるものぞと説き。更に賢首は攻節に於て、樺教・茸教に
約し、稔伽唯識を以て棟数と馬し、中観無相を以て寧ろ茸教に属してゐるが、天台大師の内観冷然とは、果して
斯の如尊意昧よ少の言なるべきかを考へると、寧ろ共の然らざるが思はる1のである。〓
さらば天台大師が、天親龍棟内鑑冷然といへるは、いかなる意味に於てゞあらうかと薮ふるに、それは賢音大
師の如く、異れる基準において無不合をいへるものでなく、寧ろ同一の基準においての同一の詮悟を、内鑑冷然
といへるものでないかとおもはれる。而してその同右記悟とは.即ち﹁法輩経﹂を以て、彿陀究克の秘密無上 龍樹大観の法華親敬の再認該 J乃4.;粟なりとしてゐたもの1如く推想せらる1のである。
何故にかくの如き推究が成立するかといへば、衆知の如く、天台大師の﹁法華準﹂観は、迩門において方便品
の二乗作彿諸放資相を中心とし、本門において寿菩⋮の久遠賢成三世釜物を中心としー此の連木二門を以て、一
代語群に超越し、諸経を牧擁する所以の教義として、唯有一乗を主張してゐるのであるが、其の二乗作俳こそ諸
控絶無の法門で、﹃難レ拾能拾、稲レ之焉レ妙﹄とするについては、しば︿龍樹菩薩の﹁大智慶論﹂の、阿蘇漠の
受決作彿を以て、﹃婁レ毒倉レ薬﹄とせる語を引き、﹃心彿及衆生、是三無差別㌫故に、およそ心あるものは成な成
併せざるものなし、悪人女人皆ひとしく心を有す。患を作すの心はまた菩を鴬すの心、迷へる心はやがて悟りの
心である。然るに二乗は衣身滅智して、その心を亡す。これ最も治し難く、諸控の施す能はぎる所、﹁港華控Lひ とり之を治す。即ち如木内詮あ境界を開顕したまふ所以であるとし、﹁法華玄義﹂︵巷九︶に 二乗怖二長生死↓入基取レ詳。生=安穏畢生一己度想ご讐三無馬坑↓若死若死等苦。巳如三敗種吏不二還生可智嘗挟峯、方薬無レ用。至茹畠契能冶間彗此則焉レ易。間接心智不レ滅。夫有レ心考皆軍作俳句非一衰
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
死人∵拾則不義。二乗夜身滅智、萩レ身則色非二常任叫滅レ智則心慮巳壷。焦芽敗種、復在三高原陸地?眈聾 0〇〇〇〇り00000 且唖、永野反復叫語数主研レ棄、諸腔方薬不レ行。今則本併智大、妙法葵良。色身不レ衣、如・揮琉璃刊内外色像、悉於旨硯。争一心智不義、開二示悟三入仲之知見ペ令下客作購人、付二菩提豪華高原陸地、授二伸連票
共耳一時、撃十法界鷲其舌一時、随二一切類↓演二璧日聾∵今二切開叫能以二一雄↓縞馬中泉用皿如是今経
之力用也。
龍樹大観の法華経観の再認誌 四 Jβ4βとい払、また巷六に 一切有レ心、冊常∴作併用間接不レ断レ心、狗有二反襟↓作彿何難。二乗茨城。滅レ智則心誼、衣レ身則色轟。色 心倶敗、共於二五欲∵準所二復堪ヅ︰⋮今於二浅草品目得二作彿↓此希有事。最上欝王、欒レ毒焉レ弊。能治二敗種↓ 0 0 0 ︶ 0 0 0 0 0 っ 0 無心成彿。此則内外谷屠妙。 といひ、また﹃繹論⋮第百巻云、法葦是秘密、般若非二秘密可焉レ不レ明二二乗作彿一﹄、﹃論云、如用レ毒焉V薬﹄と いひ、或は﹃龍樹、於二大智論中牽墓忘鱒甚深又触豊といひ、龍廟菩薩は、般若・中観を弘むと雄、畢 発しての内鑑は、﹁法撃控﹂を以て、秘密最深の無上粟とせるものなることが示されてゐる。だが天台は、龍樹の 蒜景品観に就いては何の引く所なく、却って天親菩薩を引いてゐるのである。すなはち﹁港聾文句﹂︵巷九︶に、 薔量品を絆して、倍叡・道朗・慧観・道生等が法身を以て梓し、光宅法雲等が紳通延詩の應身を以て解かんとせ るを排し、一身即三身、三身郎一身、三身郎一の如来。支倉轟便に従って特に中心−竺止つれば、﹃上其下契正在報 身﹄にして、﹃法華之前、亦明二囲如来哀、同是迩中開詮耳。蟄迩拓本三如来者、永琴藷撃﹄ところの無上の俳 身なりとする時 論云、示二硯成大書接無上一着、示二三経書捷ぺ一、應化菩提、随レ所レ應レ硯、郎馬示現。如三控出二繹氏官姦。 二、報俳書捷、十地満足、得■東壁警如二控我賛成俳巳釆、無量無逮劫︼故。三、法触菩提、謂、如来赦性 浮捏架不欒。如二控如来如茸知見三界之相︼故。控具t重義↓諭出三共義刊不レ作二上梓忘争争一経論一耶。 と説いてゐる。けだし天親菩薩は、その﹁法華論﹂において、二百以上の法門を開かれてゐるが、就中一項日中 幣樹大観の法華経観の再認識 五 ブタJ7
龍樹大瓶の法華経視の再認識
六
最も多くの語を費せるものは、箕に天台が﹁文句﹂に引ける、十無上の中の第八の成大書捉無上の法門である。
今その全文を紆けば
八考示二硯成大菩提無上一故、挙一塊三種仰喪品苛一着、示二硯應俳書撃随レ所レ應レ見而馬示現。如レ控、皆謂下
如奔出二樺氏官︰去二伽耶城示レ遠、坐二於道場”得レ成申阿持多薙三衆三菩翠政。二軍示二硯報俳書捷可十地
行満足、得■常捏輿琴故。如レ控、善男子、我賛成俳巳釆無量練達百千高値邪由他幼故。三者、示二硯法俳書
捷叫謂二如来蔵性浮淫楽常恒清涼不欒等轟可如レ撃如釆如レ茸知=見三界之相珂乃至不レ如三三界見あ三界姦。三界相者、謂衆生界郎捏棄禁不下離二衆生畢布巾如来赦上故。無レ有二生死若返岩出哀、謂二常恒清涼不攣軍
政。亦撃在せ及滅度衰、謂下如来蔵虞如之礎、不レ郎哀生埜不義二衆生軍政。非レ茸非レ虚非レ如非レ典者
謂撃四種相可四種相者.是無常故。不レ如三三界見二於三軍考謂払如来能克能義眞如法身↓凡夫不良 0000000000つ 故。是故琴言下如来明見無宥二錯謬壷、我本行壷醸造︼今狗末レ浦軍以二本願l故。衆生界未レ琴願非二究000000000
克”些至未満叫非レ謂二菩捷不満畢也。所成寿命復倍三上敦哀、此文嘉下硯如来命常、手巧方便期中多数上故
過二上敷畢不レ可二数知蒜評宗レ詳欝三脚郵都、卿即押郵貯軒評蒜蒜酢宗卸町
とある。嘗て清水柴山師は、その﹁法華経概論﹂において、天親は洪身正軍天台は報身正意、日蓮は應身正恵
と説き、﹁港華論L﹁港華文句﹂﹁御義口俸﹂を以て之を許せんとせられたが、而かも天親の此の文を見るに、決して法身正恵とすることは机来ないのである。何となれば、此の三梗菩提の、勝報二彿は初めに略説し、港俳書捷は
やゝ解説してあるが、その法俳菩捷の文は.﹃是政寧言加東明見、無右二錯謬飯﹄までで、以下の﹃我本行平藤 ルポ道.ケ獅末適者⋮・非レ謂二菩提不満足一也﹄は囲行の本鹿に約し.﹃桝成語命、復畔上数・:・過二上敷”不レ吋二敷 知﹄は報應の化物に約し、而して最後の﹃我浄土不毀而衆見焼轟音、報俳如来眞貴浄土、第一義諦之囲織故﹄は 常在冨山の木俳を以て、報身なりと結論してゐるに斉しいのである。されば天台はこの他.十七名・十三甚深・ 七喩・三千等・十無上、乃至.四種整聞等て多く天親を任用して、或は﹃彼論解二伸経↓今疏冥符ユニ撃可レ 謂下輿二修多薙・優姿接合一骨合上也﹄といひ、或は、﹃論輿レ今、養相應﹄といふ等.天親書醸は、﹃外連二時事﹄凌に おいては、稔伽・唯識を説くと錐、その内鑑は、龍梯と同じく、﹁法華経﹂を以て、虞茸無上莱となすものとして ゐることが暗示せられてゐる。 此の一小箱は、潮つて龍樹・天親の繭大士の﹁法華経﹂観は、果して天台大師の解するが如く、﹁港華控﹂を以 て、無上粟と焉せるものとすべきや否やを概観せんとするものである。 三 龍樹菩薩の撰述の漢詩は、﹁大智度諭﹂﹁巾諭﹂﹁十二門論﹂をはじめ、﹁十任艮婆沙論﹂﹁十八重諭﹂﹁宝輪慮迦論﹂﹁同 評論﹂及び分別明菩薩の繹せる﹁般若燈論﹂比丘自在の樺せる﹁菩提資糧論﹂等があるが、就中、﹁大智度論﹂は ﹁大品般若﹂の梓諭とはいへ、その内容は寧ろ大小乗の通申論ともすべきほど廣博なものであるから.それにお いて菩薩の﹁法華経﹂税を見るを、最も安富とすべきが如くである。 ﹁大智度論﹂は、もと全課せば千巻に及ぶべきを首巻とたしたとせちれてゐるから、その本経たる﹁大般若経﹂ ● 簡樹大観の法華経観の再認誠 七 J∂ノク
八 髄械大観の法華雑観の再認故 の廣博−たることは∵諭中におのづから示されてゐる。すなはち諭巻四十六に、諸大乗経を引例して. 〇〇〇 所謂、本起経・断一切衰生疑経・華手軽・港華経・雲経・大要経・港雲脛・摘勧閉経二ハ汲羅蜜経・摩討般 若波薙蜜経、如レ是等無量無凌阿倍祀経。或俳軍 或化俳詮、或大菩薩詮、或聾聞詮、■或諸得道天詮。是事 00000000000 和合皆名二摩討術べ此諸経中、般若披薙室長大。 と、般若波羅蜜経が諸の俳経中の最も大部の控なることをいひ、更に此の﹁磨討般若波羅蜜経﹂のみが般若波辣 蜜なるにあらす、諸傲の善港はみな般若波羅蜜の中に入るべきものであ少、その場合には﹁.港華経﹂もまたこれ 般若波羅密であるとて、第五十七には ヽヽヽ、ヽヽヽヽ、 00000000000000 諸除菩港、入二般若波薙蜜一着、是諸餞経、所謂、港華経・密迩経等十二部控中、義同二般若一着、錐レ不レ名寧一 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 般若波維蜜群↓然義理卸間二般若波薙蜜ペ といつてゐる。彼の﹁港華﹂分別功徳品に、一念信解の功徳は、八十寓億郭由他劫の問、前五波薙蜜を修行せる 功徳にも優ると説く時、特に般若波薙蜜を除くとせられてゐるのは、蓋し﹁法華﹂もまた般若波薙蜜の一なるに 因るのであらう。故に深般若波薙蜜は、俳母の茸相、成俳得道の捷疾路.三世諸俳は、みな此の中よ少出づとし 乃至、聾聞の薦めの詮改も.ま舟みな般若を讃するものなりとて、第七十九には、左の如くいつてゐる。 00000 是探般若溢赦、是十方三世諸俳母、能争−入疾至二俳道ぺ如二経中詮↓三世諸彿皆琴一般若毎。乃至亮∵啓開人一 語レ法、其中骨是讃二般若事叫 而かもまた、斯の如く鹿養に般若を見る時は.おのづから大別して二種の般若を出さゞるを得ざるに至る。故に Jβ占0
諭の第三十囲に、控の ﹃我箇羊於二菩捷樹下−坐、四天王天乃至阿迦佗咤天、以一天友一巧手座斉、常レ準般符波羅 蛮∴㌻を膵する†に問答していふ。 関目、何以根嘉㌻諸天敷衣↓不レ準一十方諸大菩薩焉レ仰敷・レ座。請書薩等、仲野政道一時、皆焉レ彿敷レ座、戎 麻長一巾旬、十育†萬倍乃至無量由旬。高亦如レ走。此諸賓座、是菩薩無漏栢徳生。故是諸天、目桝レ不レ見。 仰視手解。十方三≠諸俳、降魔■得道、肝臓僻事、竹悉照見、誓如二明鏡叫如レ是妙座、何以不レ誼。 ヽヽヽヽヽヽヽヽ0 ヽヽヽヽヽヽヽ00 答R、般若波薙蛮.有二二種ぺ一着、輿二草間菩薩諸天一共説。二者、但輿一斗住具足菩薩l誼。是般若波羅蜜 中、應レ誼二菩薩焉レ仲野レ座。所以対向。諸天知二伸思↓不レ及二一生二生詔大菩薩ぺ如レ是菩薩、云仰不下以・赫・ 通力︼而供中東彿加︵而︶是中合二聾聞l詮、是政不レ誼。 また第四十一に ヽヽヽヽヽ︳ヽ○ ヽ︳ヽヽ00 般若波薙蜜有二二種刊一着共壷聞菩撃合説。二者、但輿二諸法身菩優森。苧難率故、命二須菩哲男首、 及二摘勒・舎利弗■繹提桓困可 また第七十二に JOOOO0 0000 般若有二二種刊一着、唯輿一夫菩薩一説。二者、三乗共誼。共姦画一詮申、須菩提是怯レ彿生。但輿二菩薩一説時 不レ誼二須菩提随レ彿生叫何以故、法性生身大菩薩、是中無レ有二結発生身珂但有二攣化生身↓滅二三毒−甲三界↓ 教一一化衆生再浮∴彿世界ぺ放任二世問↓此中郡無二一切啓開人ペ とある。即ち般若波羅蜜聖一種に大別し、三乗と共なる般若波薙蜜を﹃共般若﹄といひ、濁り菩薩の焉めに説く 龍樹大親の法華㍍粗の再認識 九 J〟占J
● 一〇 龍樹天親の法華経敬の再認級 般若波羅蜜は、これを﹃不共般若といつたので、此の場合、二乗・菩薩・諸天を共じて説く﹃共般若﹄は、す なはちr大品般若﹂等の諸部の般若であるが、いはゆる﹃不共般若﹄の例は、論の第三十三に、
0000000000000000つ00COO00000
俳撃諸大菩薩↓撃不可思議解脱粁ぺ舎利弗・日蓮在二彿左右高不レ得レ聞。以レ不レ種卜是聞二大兼行挙国線上 撒、管如下坐渾人人二一切鹿足中↓能使t二切皆水皆火↓而飴人不古見。如二不可思議解脱控中厳談ぺ とあ一心如きもので、此の﹁不可思議解除経﹂は﹁華厳経﹂の別名とせられてゐる。﹁絵筆控﹂も名は興るが、般若 波羅喪わ山÷あるとすれば、それは﹃共般若﹄に廃すべきものか、﹃不共般若に廃すべきものか。龍樹菩薩は、 果していづれに扱ってゐるであらうか。これ常然起るべき問題でなければならぬ。何となれば後に支那華厳宗の 謂師い如き、華厳・法華を同じく一乗と馬し、﹁淡華控﹂は二乗と同共せるが故に、﹁同数一乗﹄、﹁華厳経﹂は二乗 と同共せぎるが故に、﹃別敬一粟﹄なりといへるが如き、此の﹃共般若﹄﹃不共般若﹄の扱ひに類似せるところがあ り、惑ふ者のある握れがあるからである。 四 ﹁智庇論﹂第百に、控の嘱累晶に、般若波薙蜜を、阿難に喝具せられたろに就いて、四番の問答がある。其の 第二林間答以下は、此の問題に就いて、鼎常明瞭なる答を暗示するかの如くである。まづその節二番の問答にい 、0 ゝ♪ 0 0 0 0 J J O 0 0 0 〇 〇 〇 〇 ︹▼ 0 0 0 0 ∂ つ 0 0 〇 〇 〇 閏〓、阿新見智聞人、付出以二般若波羅軍帽異、而不レ咽一・累摘勒等大菩薩ペ Jβ占g答円⋮︰・弼勒等譜大菩薩、仰滅度後.各々分散、事由桝レ應鹿衆生閣土り弼勒箪一兜率天上”此度羅紐・文 殊帥利、亦字面應レ庇衆生鹿”俳文以三光誹菩醗、深知一般荊波線蜜力﹁不レ須∴弊喝累ぺ阿難是馨聞入、随二 小寒讐是政仰感熱嘱異。 ﹁大般若波羅蛮多控﹂は大乗の経で哲る。何故に諸ゐ大菩薩に付嘱せすして、阿雑食者に付嘱せらる1か。此の 疑問に封して、諸の菩薩は、繹尊の化導を扶くるために婆婆世界に来れるも、俳の捏架の後は、各またその應化 すべき靡に往いて其の化を垂れねばならぬ。﹁大般岩波羅蜜多控﹂は、二乗の人須ギ捉を首めとして、よく之を用 ふることを得る。故に阿難に付嘱したまふ。且つ菩薩は深く般若波羅賓の力を知り、おのづから之を護念する。 まゞ 努はしく鳩巣するを須ひないが、阿難等の聾聞の人は、もと小薬の人なるが故に、大乗の般若に於いて心斯かる ● ところあるを免れぬ。此の故に嘱具すといふのである。そこで、然らば何故に、法華経及び諸多の大乗控は、菩 薩に嘱具せられてゐるかと、第三問答が来る。いはく 間日、若爾者、法華経及諸詮方等控、何以嘱∴累菩王︵等︶諸菩薩等ぺ っ〇〇 ○つ0つ〇 答日、有人言。是時俳撃甚深難信孝讐聾閑人不レ在。又如私寧不可思議解脱撃五百町薙準雉レ空彿 〇〇〇〇〇〇 0000 凌い而不レ聞。或時得レ聞而不レ能レ用。是政嘱二男請書薩叫 此の答の中に三重がある。第一は、聾閲、座に在らす、すたはち聞くことなきが故に、付嘱せられる筈はない。 第二は、窄聞、座にあれども、野の如く唖の如く、何等聞くところがなかつた。これまた付嘱せられる理由がな レ。以上二義は、﹁華厳経﹂の如きが直接の例である。第三は、聞くことを得たるも、用ひること能はすとある。 龍樹人軌の法折井組の再談論 Jβ占J
龍樹天城の法華糾敬の再認識 一二 間くことを得たるは、聾聞の在座を記し、且つ解悟するを待たるを示す。而も用ひること能はぎるは、﹃甚探難 信之法﹄なるを示し、かくの如き溶こそ、﹁法華経﹂なることが暗に示されてゐる。こ1においてか、第四の問答 に入って、それを今一骨明確にせんとするのである。諭にいふ。 問日、更有下何港、甚探勝二般若︼者山而以二般若∵昭二累阿難叫而餞控、嘱∵累菩薩可 00000000000〇〇っ〇〇〇〇〇〇っ0⊃〇〇〇UOO 答日、般若波薙蜜、非二秘密法刊而法華等諸控、誰二阿羅漢受決作彿↓大菩薩能受持川。壁如下大薬師、能以レ 0000000000000 毒焉鯵薬。復攻、如二光説︰般若有二二種璃一着、共二啓開一説、二者、但馬下十方任l十地大菩薩上線。非二九任 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 O C 0 0 0 っ 0 つ 0 0 0 0 0 0 0 〇 〇 っ 0 0 0 0 0 0 0 所聞↓何況新畿意者。復有二九地所聞乃至初地所聞↓各々不レ同。般若波羅蜜、絶相定一、而深溝有レ典。是 政︵此怒︶嘱二累阿難↓無レ答。 と。﹁般若波薙蜜多控﹂吼秘蜜の法ならざること。厳重の般若波羅蜜中においては、璃霹の法なるこ上を説き、さ らば、いかなる法が甚深なること般若に勝る1法ぞと索めて、﹁法華経﹂等に阿羅漢が仰の記蔀を受けて成仰を決 せるは、眞の甚深秘密の法であつて、馨聞其の座に在り、また具さに之を開くといへども、之を川ふること能は ぎるは、勒持品に他土弘控を誓へるも、此の土の弘控は堪へすとして之を避けたるに明かである。この故に彿、 ﹁法華経﹂を麗蜘に嘱具せすして、菩薩に付嘱したまふのであるとの義、ここにおのづから示されてゐる。而し て以下に、般若波羅蜜に、﹃共・不共﹄の二種あることを重誼し、その不共においても、十地の桝聞乃至初地の桝 聞、十任聖坤聞乃至初任の析聞等々の深浅の差別重々あることを説き、今め﹁般若波薙蜜多控﹂は、﹃共般若﹄に して、而かも盤脚また用ふることを得るの般若なるが故に、之を阿難に鳩巣するに各なきなりと結してゐる。 Jク.タイ
以上の問答に依るときは、﹁法華控上は、完ハ般若﹄なゎヤ、﹃不北ハ般若﹄なりヤといふに、﹁法華経Lは準用の座に あるに約すれば完巌声﹂の如くであるが、葦はそm峯閲む化して悉く菩薩とし丁れろもむであるから、粁にも ﹃教菩薩法、俳桝護念﹄とも、﹃於諸菩薩小↓正直拾二方便↓但詮無上道−﹄ともある。故に上引の論文に、﹁法華 経﹂等を何故に書王等の詔書薩に嘱果するやの答へに、﹃俳準一甚探難信之準﹄と奉げ、その下に、峯Ⅲの不在座 と、在座といへども如撃如唖と、在座得益すといへども用払る能はぎると三種を蓼げられてゐる。而して﹁法華 経﹂は其の夢二に雷ることは、論文眈に明かであるヵすなはち龍樹芋薩に依れば、﹁法華経﹂は審問在席得益の形 は﹃共般若﹄の如くであるが、その啓開は直ちに肉身の菩薩として、法身の軍陣と同じく、唯一淡味の′得益を受 くるがゆゑに、資質は唯菩薩法の﹃不共般若﹄の如くである。聾聞共に聞いて得益するゆゑに﹃不共般若﹄とい ふべからナ、聾聞みな菩薩と化するがゆゑに﹃共般若﹄といふべからす。然らば結論して何といふべきであらう か。龍樹における﹁法華経﹂の資格は、この下において決せられねばならない。 五 論文の嘱累を諭する経りの﹃復次﹄以下の如くむば、龍樹芋薩は、﹃不共般若﹄の中には、十地の菩薩の所聞は 九地の桝聞に非す。九地乃至初地おの︿其の境界の桝聞あることをいつてゐる。さらば、﹁法華経﹂は甚深難信 の法として、いかなる菩薩の所聞であるかを考ふるに、論の第九十三にいふ。
00000⊃⊃0
00っ0 俳法於二五大不可思議中一毅第一︵不可思議︶−今言二漏慕阿羅漢、還作レ彿︵是︶唯彿能知。論議者、正可レ諭二 龍樹大観の法軍歴横の再認識 ノク.;占000つ0〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
其事↓不レ能二測知叫是政不レ嘩政論叫若求二得体︼時、乃能了知。傲人吋レ信、.而木レ吋レ知。 ﹁法華経﹂に説けるが如き阿羅漢の成体は、唯だ仰のみの所知であつて、論読者の測如し得べき分際ではない。 僻地を求め得たる時、乃ち能く了知することができる。餞の等党十地の菩薩も、たゞ信すべきものにして、彼等 の慧を以て知るべき境界ではないといふのである。 何故に阿羅漢の成俳は、斯の如く不可思議なるか。唯これ仰の墳兇にして、菩薩の境界にあらすとせらる1か 蓋し﹃心俳及衆生、是三無差別﹄、心よく仰となり叉よく衆生となる。若し心あるもゐは間接もなほ難しとしな い。阿羅漢は心を滅無してまた生ぜざらしむ。これその最も治し難きところ。法華ひとり能く治す。菩薩これを 受持し用ひて弘通に堆ふろも、拳闘は自行にこれを受持し得るも、弘通においては受持し用ふるに堪へない。何 となれば、聾閲は﹁法華痙﹂において、菩薩と同じく一乗数に蹄して自行に之を用ふるも、長く孤調解除に慣れ て、化他m難わに練れない。然るに此の﹁法華経﹂は、﹃如来現在、狗多怨嫉、況滅鹿後hとあれば、聾聞之を用 ひて他た化する力なし。故に此の土の付喝に預らないのである。 ヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ヽ 元来、﹃共般若﹄と﹃不共般若﹄との目は、草間と菩薩とを興るものと認めての立名で、根性の不融よりいはる ヽヽヽヽ︳ヽヽヽ︳ヽ︳ヽヽ 1も〃である。然る鑑今の﹁港華控﹂は、敗種・壮⋮井・破石・探院とせられ舟る帯川をして、化して菩薩となら ヽ ヽ ヽ 0 0 0 0 0 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 U O 0 0 っ ○ っ 0 0 0 0 0 0 e つ 0 0 0 ′︶ 0 0 0 0 0 C O O しめた。すなはち﹃共般若﹄﹃不共般若﹄の目を超えしめ、唯一甚深不可思議の彿帳若に開粧せしめたるもので、 ﹃共般若﹄ ﹃不共般若﹄を止揚せる経典なることを暗示せるが如くである。而Lて更にそれを紆援立て得るもの は、この﹁大骨庇論﹂における仰身観である。 龍樹天親の法華詐取の再認識 J〃J(7されば諭の第三十三に、控の﹃復東食利弗、菩庫摩調塵、欲レ在二一切啓開躍夏仰前︰欲レ拾∴情緒仰︰欲レ箪諦
に、い
仰内庭品禦欲レ箪天界嵐”欲レ拍二幸醍春帰︰欲レ招洋捕人埜常レ里t融打沈雄琴㌧む押する†誹伸鈴丹 内容嵐・大谷帰む論じていふ。 欲レ箪藷併給佐一者、如二繹迦文俳一未二州宏一時、申匿拾使、優陀耶戯笑、耶枇耶一耶机陀等諸株女、箪一内 幕嵐ぺ出家古ハ年苦行時、五人給使。得レ道時、弼菩羅陀・須邪利多羅・阿難・密迩力士等、是名三内森高霊大 葬足者、舎利弗・日蓮・摩河迦薬・須菩提・迦杓延∴︰Ⅲ棋郵・阿泥慮豆等詔聖人、及摘勒・文殊師利・牌陀 婆羅、諸阿枇銀致、一生補慶菩薩等、是名二大脊嵐現 役次、沸石二種身り一斉、法性生身。二者、随世間身。世間身脊鳩、如二先謀り法性生身者、宥∵無量無数 阿倍砥一生神慮菩薩一侍従。所以者何。如一示可思読解眈控︼例説卜欲レ生時、八萬川†一生補塵菩薩、在レ前導 菩薩壷レ後両川。讐如車陰雲亀むパ。叉如二法華絆↓説.綻レ地桐申出菩薩上等、皆是内幕展大脊屠。 ﹁法華控﹂は、其の阿羅漢成俳の誰、すでに﹃共般若・不北ハ般若﹄を止拐統一してゐるのみならす、其の教主ま たこれに依れば、﹃共般若﹄の随世間身と、﹃不共般若﹄の法性生身とを止揚統一してゐるのであ去。すなはち迩 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 − 、 ヽ 、 − 、 −、 、 、 、 、 、 、 、 、 − 、 − 、 、 、 、 − 、 、 、 、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 門は陪世間身の俳陀であつて、その迩門随世聞身の俳陀に即して、本門の法性生身の仰陀が鞭はれてゐることは 、 、 − 、 、 、 − 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 1 − 、 、 、 − 、 − 、 、 、 、 、 、 − ヽ ヽ ▼ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 迩門の誰が、二燕と共なる﹃共般若﹄の形に即して、二乗釦菩薩となり、但菩薩の﹃不共般若﹄の読を成すと川 −、ヽヽ00000000000000000000000〇
一である。而してその﹃不共般若﹄の仰なる法性生身において、﹁不可mル読解睨控﹂即ち﹁華厳﹂の誼州と、﹁法 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 華﹂涌出品の誰相とを示し、おのづから此の二者の勝劣を去はしてゐるのは、さきに芋薩の五十二化の法門を諜 ヽ 龍樹人親の法華経椒の再認識 アナノ占7龍樹大観の法華経観の再認識 一六 ぐ﹃雲ハ腔粁﹄が即び、がが仰がが肝ぐ鮮㍗鮮〃がγ鮮ずヾが㌍㌢が、阿即軒鮮肝㍗㍍でぴてがぴザが㍍榔 ■ 控﹂﹁金剛般若経﹂﹁十地控﹂﹁道教控﹂﹁捏類推﹂﹁畿菩提心経﹂﹁一勝思惟梵天肋間控﹂﹁文殊師利閉経﹂﹁繁華控﹂ 控の優降を表はしてゐるのと、同一揆ともいふべきではないか。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 O e O O O O O かくの如く解し来れば、天台大師が、二乗作彿と久遠茸成とを挙げて、以て﹁法華経﹂の眉目と焉し、一代詩 経の蹄結とせるてとは、龍樹菩薩の﹁大智皮論﹂の思想と、最もよく符契せるものなることが了解せらるゝので ある。 六 っぎに、天親菩薩の﹁法輩控﹂観は、既に﹁法華経論﹂が漢謹せられてゐる。鐸経論としてはこの外﹁撫養詔 ﹁特法輪痙﹂等の群論。適中諭としては、﹁蹄大燕諭繹﹂﹁中速論﹂﹁供合論﹂。別申論としては﹁唯識論﹂﹁彿性 論﹂等が現存してゐるが、就中、﹁無量語釈論藤生侶﹂の信仰的なると、﹁妙法蓮華拝牽波鹿合﹂の無上法門を骨 張してゐるのとは、最も著しい時色あるものである。何となれば、他の謂論においては、かくの如き信仰的の文 節と、かくの如き法門光揚の積柚的なるを見ないからである。 概していへば、他控の繹論は、其の控の説相を讃歌して、之を種々に分別開示し、或は領解を深刻ならしめ、 ヽヽtヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽ︳ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ 或は依行に資益あらしめてゐるものであるが、決してそれを以て全沸教の毅勝法門なることを示せるものとはし ヽ︳ヽ てゎない。穀も特色多く〓念的光彩深き﹁控世帯経論桐生偶Lにおいても、また蘭りであ∴。然るに減り﹁法軒 Jワ占g
経論﹂は、序品を押せる七成就の申の、第∴・第二は、革に通序を搾せるものに過ぎす、第三の﹃欲説法時至成 彗は、粁m竃二諸華厳﹂華人東経名毎法蓮華、敢基=躍法、仰研誰念︼﹄む絆せるもぃであ・Uが、此の†にぉ いて、先づ有名なる十七名を列ぬて、此の経が仰の最上秘密の法門なることを、各而から明かにしてゐる。諭に いふ。 00つ0
、 00ロ00cOOO
如釆欲説法時雫成就斉、鱒藷謹薩二軍大乗撃故。此大乗修多薙、有二十七種名ご撃示甚深功鱒二讐知。 何等十七、云何軒示。 っ00000CJ〇 一名二無音義蒜誓成一就字撃故。以此法門議二被甚深法妙境畢故。彼甚深激妙境界者、諸彿如舞最借境界政。 二名二最膵修多羅ペ於二≡戚申︰穀藤妙蔵、此法門申、菩成就故。 三名二大方駅控可望見大乗門、︵於レ︶小善成就故。随二順衆生根↓住持成就故。、、、、−、■、、−ヽヽヽ︳ヽヽ
四名二教軍陣学者、以遠レ教∴化株熱芋隣↓随二階法器↓羊成就上故。00000〇〇
五多面所護念東、以下依二如来一石巾此法上故 0000〇〇〇〇 六名二一切謂彿秘密学者、此法甚深、唯仰知故。 八草二切諸仰秘密慶一者、 九名二能生一切諸俳控一着、 十名ニー切諸俳之道場一斉、 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 七名三切諸俳之蔵一者、如来功徳三昧之絨、 髄樹大観の法難絆観〃再認諾 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 以ド根未熟衆生、 〇 〇 〇 〇 ヽ ヽ 聞ご此法門↓能威 0 0 0 U 0 0 0 つ 0 0 0 〇 〇 ⊃ 0 0 0 0 0 以∴此法門︷能戒︰蕗彿阿揮多羅≡撃二菩提可非∵飴修多羅汝。 准一血粁一。 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 非二受法器↓不巾授輿上故。 ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ︳ 諾彿大害捉一散。 相方α十一冬t一切諸彿所持法輪︼者、以二此法門∵能破二一切諸障擬⋮
〇〇q00⊃〇〇〇J00000
十二名ニー切諾仰堅固舎利哀、謂如爽眞茸滅身、於二此修多羅り不小畑壇上故。 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 十三名二一切諸仰天巧方便撃者、使二此法門可成二大菩提己、革衰生森二大人草聞辞去仰等諾善法政。 00000っ〇〇〇〇〇つ0〇〇〇〇〇〇〇〇っ000 十四名二詮一茶撃者、以一此法門↓訂〓不如来阿指名準二雅﹂二菩提究克之膿ペ些豪遊、非二究軍政。 ヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽヽヽ 十五名二第一兼任哀、以二此法門即是紹仰如乗法身究先任些故。 十六名一妙法蓮華撃者、有三種義珂何等二種。一斉出水兼。以二不可撃担廓小束混濁水産。叉復有レ義 如三被蓮華、申l泥水可喩丁諸啓開、得下入二如来大衆申l坐い如内諾菩薩坐一蓮華圭聞レ詮丁如来無上智慧清浄境 00000000000 界∵得レ詳乙如来探矯赦甲二者蔀閃義。以下詔衆生、於二大衆巾↓其心性弱、不個能レ生レ巧是政閑二示諸彿如来 っ っ 0 0 0 0 0 〇 〇 押妙法身↓介レ生二信心直。 十七名義上法門哀、持戒就故。持戒就者、撒二取無量名句字身↓有二頻婆羅阿閑婆等節慮迦l故 蓋しこの十七の名は、菩薩が此の﹁法華痙﹂の法門より掃約して命名せられたるもので、拝そのものには、たゞ ヽヽヽヽヽヽヽヽ ﹁無催義経﹂と﹁妙法蓮華控﹂との二名あり、他の十五名は悉くみな読立である。それゆゑに此の十七名そのも 、、、 、、、 −、− 、、 、、、、1、、、、、、、、、、 、、、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ のには、の 芋醸■﹁法華㌍﹂観が、おのづから顧はれてゐると認めて、竜も美文へはないのである。すなはち菩薩 、 が此m﹁法華結﹂こそ、仝沸教中里単勝法門なることむ骨張してゐるところの、第一の開門ともいふべきもの である。就中、竃・諾芋薩↓詮一大乗撃﹄の経文を標出して、まづ二乗の春布を㍊めす、二乗を悉く菩薩と化し たろ此の紆巴=し川た明かにし、而して1骨腫論Lが、阿羅漕いそ決作仰に、畔仰ぃみ知り︰しれす囲、伶人は目す 籠樹大観の法華経親の再認識 Jβ〝けべし、仰にセつて則ち知らんと璃せる雪此の論には、筆ハ名において一読法甚彗唯伸知故∵エ三は、敢も
注=すべく、竺名には露伸如来、巌勝境弗﹄とし、第十二れには、霜来誓読身−こし、姉十川名には、品 0000000 釆阿持芳掟究克之憫﹄とし、第十五名には、﹃如来法身空荏艇﹄とし、かくの如き兼俳自記の教法なるが故に、 根熟の焉めに寧汀八第四名︶。不熟の者の焉めに説かす︵第八雲。これ三赦小、最勝妙赦︵第二名︶、無量大乗門小 の諸菩、天・人、章⋮・辟夏桶等の二凍人天の諾薯・みな此の申より流出す︵第三名▼第十三警。たゞ如来によ りてのみ此の法は在り︵第五名︶、如来の功徳三昧の蔵、みな此の㌍に在り︵第七名Y此の法門は、聞けば能く諸 仰の大菩薩を成じ︵第九名︶、能く一切わ謂の階戯の事を破す︵第十一名︶、能く諾仰の阿糖喪怨訂成するは、たゞ 此の法門にして飴の修多羅に非す︵第十名︶。これ無量法界の有ゆる善法を抽め、頻婆羅t阿聞苧等む軍属迦あ るに至る最勝法門なり︵第十七名︶とし、以上の十六名において、此の控の惜川?功徳む明してゐるが、未だ共0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 の宗要を明してゐない。第十六名の妙法蓮華控において、出水と難関の二義を以て一芸要を明してゐる。其の出水の義は、諮の聾閲が、小乗の泥水を桝で、詔の菩薩と同じく、蓮華の上に坐し、如来無上の智慧清浄の境界を
説くを聞き、如来の探密叔を許するを得とは、迩=−門の二乗作怖たるは明かであつて、その﹃柑レ撃如来秘密些﹄とあるは、論の方佃‖⋮の搾の七穐説成就の巾あ、﹃諮怖加水、能知彼法究憲完故、言蚕棚哀、謂、如来蔵法身
之閻不攣義政﹄とある、その﹃如来戚﹄即ち衆生心中の仰性をいふもむなる故に、いはゆる迩門の閃搬である。
っぎに筆問の義は、諸の衆生が、此?無上大乗の巾に於いて、信心を牡する能はぎる怯弱のもの1焉めに、諸彿如来の渾妙法身を開示して、信心を生ぜしむるが故にとある。此の井関の読は一貫肺大聖‖赦は、その﹁法華論
龍樹た親の法華経観の再認識 ノ.りβ/疏﹂︵巷十こに 二者、就壷閃義↓喩者、就二華関所茸抑↓如ニー乗数閑、l薬理硯可閑二示如来渾妙法身↓令ニー切衆生得星二
浮信義。揮妙法身郎是控題妙法也。
と、﹃如来渾妙法身﹄を、是の控の題目を以て説いてゐるが、その題目は﹃一乗理硯﹄で、法身常任の理に約せる
ものゝ如くである。また我が智㌍大師薗珍は、その﹁改革論記﹂︵巷一︶に、衆生於二大粟小↓心性弱不レ能レ生レ信者、三・五・七・九、不レ知三云何得二無上慧叫戎疑或悔、信棍末立。愚痴
狭劣不レ解二此遣刊故日三栄生乃至不レ能レ生レ信故”此所以、世尊撃此倒琴三豊聖ハ動問二方便門ご二反千涌示二
虞貴地⋮見二不思議清澤法身⋮正成二共信↓生壷相鱒∵讐P閃嘉如来渾妙法身↓令レ生二信心l故山大師繹レ序克、法雨之文、兼撃本迩姦。今、出水在二迩門↓革関空本地ぺ錐レ有二傍証︰義相互通、閻着日心レ之∪
と、﹃四聖ハ動、閑二方便門”≡反干涌、示鹿茸撃﹄﹃山水撃迩門↓華関空木地−﹄と、﹃閃二示諾彿如来渾妙法身一﹄を出て、本門望見の閃額とせるは、論文の意に如へるものであらう。何となれば山水の下では、﹃如来探密
殺﹂し﹂仲仕に約し、華悶の下は、﹃如来渾妙法身﹄と、明かに炎上の妙法身に約してゐるからである。且つ粁の分
別功徳品にも、﹃閲∴俳毒命長追加基、乃至能生二一念信解一﹄と、詰量俳身の開示に依って、信心を生すること
を論いてゐるのは、此の論文と別称するからである。
龍樹大士は、﹁法華﹂の二爽作仰を以て、﹃共般若・不共般若﹄を止揚統一せるものとし、また彗晶身を華荘
の彿身と併擬して、暗に﹁法華L崇富川顧は、随世間身と法性生身た止揚統一せること︼竺休し、連木二〓C∴ホ 龍樹大観の法非継親の再認汲 Jクβg審を挙げて遠華﹂が﹁般若﹂﹁華厳﹂む統一せる仰内謹法たるむ明し、人′また天親菩薩も、開巻の十七名に、 其ぺ﹂に﹁法華紆﹂m鰐川㌢■明仁かにし、りでーいハバ要む明す畔、日永∴井関の二衣む出て∵池本二‖の悶組む拳げ、 出て仰究克再訂の法門としてゐる。両大士がかくの如く同lの踪結に入れるは、かの天台大師の﹃内鑑冷然﹄の 語の徒設ならざるをおもはぎるを得ないのである。 ◎◎ 特に十七名の第九名において、﹁閲二此法門↓能成二諸仰大害撃故﹄と、成俳が記印控﹄に在るを示し、第十六 ㊥◎ 名に、語量俳身に封する﹃信心﹄む収めたるが如き、造かに天台・妙欒、乃至、‖蓮聖人に呼應する桝、甚だ探 しといふべきであらう。
七
天親菩薩の﹁法華論﹂の内容に入りては、諭すべきこと多々あるが、今は之を略し、単に﹁法華諭﹂のみなら す、菩薩が﹁法華経﹂を以て、俳陀の敢後蹄入の法なりとするは、﹁仲仕諭﹂︵塔凹︶に、三種の仲仕と仰の三身を 明す中に、法身の五相五徳、應身︵適法の報身︶の三穂、化身︵通達の艇身︶ の五経能を説き、應化仰山触わ十川 事を出したる下に、仰の説法の五因縁として左の如く説いてゐる。 撃五因縁ぺ一、雷撃無常・苦・無我・峯・埠琴整禦由∴此正室H啓↓能令下衆生於二三布巾↓而生巾怖畏上 000〇 二、生二怖畢巳、令レ入ユニ乗数道ご二、入二製造己、生二究蒐捏架心ペ焉レ破二如レ此増上慢心一散、準大乗法 000000 華等眞葦法教↓令下諸衆生、拾二本囲執パ輔車取慈悲・般若・方便即四、持己、於二無上粟聖而成二熟之可五、 取掛大観の法郭紆軌の再認識 〃細り成熟巳、授五ハ無上菩提造記・。是寧一化身串一。
これに依れば、膝化俳は、必らす、︵一︶四諦の法を説き、三有に怖れを生ぜしめて、︵二︶二乗の聖遺に入らしめ ︵三︶二乗遣に入つて、これ究克の浬盤なりとの心を生する故に、此の樹上憎心を破する禿めに、﹁淡華控﹂を説き 彼等の但基捏奥の本執を拾てしめ、︵四︶無上乗の﹁法華経﹂において成熟し、︵五︶成熟せるは授記す。これ麒化仰の定跡なりとしてゐるのである。
また無着菩薩の﹁棒大乗諭﹂に封する天親菩薩の群論は、陳の眞諦諾と、隋の笈多諜と、唐の玄非繹と、三本
現行すろ。就中、虞諦諜は概して詳悉であるが、諭の終末近くに諸仰の五菜といふことが論じてある。此に封す
る天親の膵は、隋庸二諾は繹なきに押しきに、陳諜濁り詳密であるから、これ眞諦の搾の混入せるものでないか
との詮もあるが、必らすしも蘭か断定し能はぬものがある。いはゆる五菜とは、諸俳に五菜あり、第一に救済矢
横菜。古・撃・狂等を救ふ。第二に激務悪跳尭。意趣を出でゝ善道に入らしむ。第二に救所非方便窯。外道の非
道む庸てゝ、如来の正教に入らしむ。第囲に救済身見業。身見を離れしめて三界を超川せしむ。第五に救洒兼業
散華に趣かんとする菩薩、及び不定種性︵陳諸には未定相性︶の詔の聾聞をして、安慶して大乗の行を修せしむ。 此n五菜竺切謂仰の平等の発としてゐる。隋庸二謂には、節五菜に封する天親の繹はない。而して﹁大乗荘厳群論﹂等の一乗の十囚に照らす時は、畢克して第五の救済兼業とは、不定件の菩薩と、不足性の二兼の需めに、
安慶して大東を修行せしむる糞といふに掃する。すなはち﹁婆華控﹂を説くことを意味する。故に笈多・玄非両
謂に依っても、艦化仰は必らす陀後に﹁法華経﹂た詮′、こと牢小したるものな・Uこし﹂は興ら氾。H−㌧㌍鱒澤に依 ■ 一〓−・・■.1 † 稚棉大槻の法華経親の再認識 JクβJケ そいペ板持 る時は、救酒席業とは、カ便兼たる三兼を救洒し、悉くJ伸塞に揖人せしむ↓Uをい・・ルわで、躍〓膵 ニせ∴∵ろ1もmは、左の如くである。 論〓、五、救二番乗一馬レ菜。諸菩薩、欲三偏行二別業↓及未定根性婁聞、能安∴立被↓焉レ修∴行大乗一散。 繹H、此明二荘葦数カペ薬石二人・法ぺ人石二大兼人↓有二小乗人00珪石二方便乗法↓有二正乗法刊特二万便乗↓ 修二清正乗刊故名レ救二番東リ⋮・小乗詮、革聞若得二倍等五根↓不レ名ニハ山根現以二末得・レ聖歌。若得∴未知欲知等 三根↓則名二足根1以レ得レ聖故。若至二頂位再不レ名二定性り以レ不レ免二川悪道一枚。若草恋化”名箪一定性”以レ 免二川悪道政。新棟二小寧解。未レ得こに根性↓則叶二晒し小箪夫 。新得∴に根性↓則不レ可卜棒。如レ此襲闘、 無レ有二改レ小焉レ大義ぺ今依二大乗一解。未二専修■喪醸造¶悉名未定根性↓政一切革闘、皆有レ叶レ摘、焉二大義鳥 安二立如レ此大小英人︰令レ修二行大瀬畑 この故に若し﹁棒大乗論精﹂の眞諦譲に伐れば、彼の唐謹の龍一乗の十川なるものすら、決して不定件の二森等 の蕎めにのみ説かれたるものに非すして、定根性の啓開をしても、練媒して菩薩たらしめ、悉皆戒伸を説明され たるものなることを、左の如くに説いてゐるのである。︵此の文は、析誰の十因の、法仕手等意柴の別義と化故 の下にあるが、其の文は願る要領を柑なくなつてゐる。︶ 復攻、於二港輩大集中︰有二請書薩⋮名同三舎利弗等べ此菩薩、柏ュ此意∵仰焉授記、故垂l一乗再︵法如平等意 の別兼第﹁︶ 00000000000000000000000 復次、仰化二作舎利弗等聾聞︰鶉レ其授記。欲了介三巳に根性登聞、東棟レ媒箪喪薩↓未定株牲馨m、令中也修い 馳柏ぺ硯の法準浩冊〃在朝仲裁 l一一 Jタβj
二田
龍樹大観の法華継械〟秤認識
〇〇〇〇〇﹁00 彿道↓由二休学般捏輿上如二俳言↓日、我今撃了過去世中↓2撃璽蒜数幼↓依壷聞来由捏棄、欲下城三 小乗非三雲兄虞↓令巧l共拾レ小求占大政.硯撃此事ペ由二如レ此養↓故誼二一乗ぺ更にまた十因の究克故の下には、一乗は無等無右上莱にして、此の乗出づれば、彼の粟は失渡すと説いていふ。
諭日、究党説二一乗ペ
繹日、邪寧薬毒刊惟是一乗是東、所詮非レ粟。若過二此準〓竺別行一故、飲薬石上、所謂仰粟。由二此撃故、
若破乗比二此莱↓此乗無レ等。彼乗失準牧草一究克べ由二如レ此撃故撃一乗叫
と。﹁法薬論﹂には、﹁法華﹂を以て無上究克爽、三乗及び人天来みな此の中より出でゝ、此の中に踪すとし、四種
の啓開を説き、迫害捷心の拳闘と、應化の拳闘は直ちに授記し、決定と増上慢の二の聾聞は、﹃根未レ熟故、不レ
00
輿二掟記邑として、棍の未熟に約し、決して成菩提根性なき定性に約せす。故に﹁俳性論﹂に、﹃焉レ破二如レ此樹上
世心一故、撃大乗法華等眞茸法数レ﹄といひ、次下に﹃於二無上兼中毒成二熟之一﹄と﹃成熟己、撃北ハ無上菩提道 00記一﹄と、執未熟に約し↓拝大乗論絆﹂に、﹃令己定根性草聞、吏練レ根讐菩薩↓末下定根性客間、令直修二彿琴
申細道般捏盤上﹄と、同じく決定草聞の練熟をいつてゐるのである。
以上、﹁法華論﹂のみならす、﹁彿悍論﹂﹁棒大粟諭柁﹂に見るも、天執芋薩が龍樹菩薩と同じく、﹁法華経﹂を
=一二、二、一四=以て最後の先発一乗とせることは、また否むべきところなきを覚ゆるのである。
ブタββ∵
文化は接偶と侍播、堪洛と融和なしには喪展しない。謂ふ仰の同市の文化と靴も、文化の名に位する程の内容
のものであるならば、それは巳にどれ程か按偶融合にょつて畿達した特殊形態に外ならぬ。従ってある一つの文
化現象を捕へて、そこから抽出し得られる諸々の要素を指摘し、これらを只漠然と素朴な姿に於いて羅列した所
で何等その特質を示すことゝはならない。文化の異聞相はそり構成要素の株砥に存する倍化された要求や精神を
ば、一定の歴史の正しき動申に準撼して篭揮し、鍛錬し、而してこれが他の要素と調和して牽展し、更に止揚し
たものである。
これを民族的宗教に就いて観ても、そこには各種の要素が包含されてゐる。がその要素を只漫然と指摘して諭
する丈でなく、それらが歴史の動向に準指して働ける方途と、並びに、迎にその完教の形態や性格から見て、そ
れらの梢成要素の如何なる悍質と精神とが、その完数全糟に於いて如何たる役割を損じ、如何なる機能を持ち、
民族的宗教の形態欒俄に就いて
ー 修験道研究序説︵一︶1
民族的ルポ放の形態攣化に就いて雄
村 上 俊
7ご川ア如何たろ地付む占めてゐるかを歴史的に、具標的に究明しなければならない。
尤もこ1に民族的宗教と、ユ‖ふ場合の民族なろ意味は茸は容易に規定し難い。近代資本主義の穫衰に従って勃興した民族意識を基調とし、生産共同態としての国家的冊側にまで統一された国民と言ふが如きものよりは、より
前代的な、又より狭義なものむ指す。今言ふ民族とは、人棒言語準史慣習等の同一を内容とすることは勿論では
あるが、歴史的に美化水準の近似性と配合的生活條作が比較的新同する人mわ生活共同態の謂である。従つて客観的現茸的には政治的支配踊係に於けろ地位が同一で祀倉的存立の傑作もほゞ同様の闘係にある民衆と言ふ位の
桝に見蕾む陪Gてゐるし故に、かゝる集閣的祀倉にはそれだけ峠妹な旺倉的歴史的付統があり、その侍統が㌫数的観念や思想に就いては勿論、硯茸のハ示教的行事や慣習に於いても、一種共通の址脊的迫力となつて働き、薬園
の成員は大照かゝる祀曾力の共通の影轡下にある。即ち薬園の成員の‖心惟と行動とが同校に拘束される如き批倉
である。故にこゝで言ふ民族的宗教とは強いて言へば民間庶民の︷示教で哲勺とは言へ、それは桝謂民m信仰の如く民間に土着し、批倉わ準例に川化した習硲と言ふが如きものではなく、常に時代の㍍遁と衣稟して動く一般
大衆庶民の︷一▲小数、乃至は上来迎べた如き酢倉暦の宗教と言ふが如きものである。 漠然たるの憾みはあるがか1る意味での民族的な宗教は、あ二わ方向に著しく特徴的な牲格わ豆て具象すろ。か
ゝろ性格具象むその事褒的な内的必然関係に於いて捉へ、且つこれが一定わ形態にまで牽展するにいたつたむ的
攣化と脈絡のあとむ辿り、かゝる攣化獲達の申にあつて、或はそれに即して、不断に働く仰の恒存的作用を把握
ナウ﹂とは民族的※埜イ一理解十る上に於けろ第∴珊誓闇でたけれげたらぬ。付し去れば∵■小故に於け・0東通−一Lは、 乾族的宗故の形懲欒他に就いて プガ/J.?ある一定の法則に従って、内存せる力が外的條件の刺激下に噂鴇的に進行せし机る攣化であると首ふ事がH氷る
と思はれるからであ↓匂。
次に※敢形態と■...‖ふ串に就いてであるが、これは簡笹に諭する串は出来ない。宗教形態に就いての詳細は近く別㈹り論Ⅲに移す考であるが、宗教に限らす、形態なる語は今日あヰ㌣りにもしば′ヾ、叉あまりにも無内容に、
不明確に、不用意に使川されてゐる嫌ひがある。宗教形態とは、例へば所稽塑の宗教とか解脱捜の宗教とか栴す
る場合の型ではなく.叉汎神論とか一神論とか言ふが如き付加教の種々なる類型を指すのでもない。宗教形態とは丹木教場象の綜合的統一的なる把捉を目指す吾々の立場に於いて、その事象的必然幽係から、それが急用過程を究
明せんとするものであつて、宗教が歴史のそれ′ヾの硯琵何に捌くその具惜的なる令㈹過程の椋祁を指し三‖ふ
のである。具餞的なる宗教の内容と表現と作川と、これが歴史に印して機能を兆す場︿‖の性格、即ち宗教現象の
事象的に組織附けられた全膿の様態こそ、宗教形態と呼ばるべきものであろと考へる。加ち∵㌶数が動く場合、
如何なる様態をとるか、宗教わ性格が、全鰭的に如何なる特徴的枝村を呈するか、その作川向作用態む動的に全
照として撹む立場から言つての宗教の姿であり、働きである。それは囲化した外的た型や色7﹂並べられる瀞的ヽ な類型を指すのではない。然るに狸態の字さへ用ひられて意味不明瞭の場合が吋成ヤ多い様である。
桝で今考察せんとする民族的宗教としての修験道の完数的性格は、極めて複雑にして一義的には春易に規定し
難い。尤もその教義鰻系や行事の系列、或は完周的川根踊係等は比較的明確に把捉することが〓来る。がこれと
て時代的建造に対する顧慮なくしては殆ど意養を持たない。修験の内容は勿論.その外組も各時代にょつて著し 民放的㍍故の形態欒化に就いて Jp打∂民族的完敗の形態轡他に就いて 二八 く異る棟相を呈してゐる。故に縦にも横にも、一義的にのみその性格規定を行ふことは、や1もすればその本質 から逸眈するばかりでなく、永い問に亘っての歴史的攣化?準茸に忠葦なる所以とはならない。とは言へ、方法 と観鮎にして過らないならば、やゝ統一的にその全貌を捉へることも強ち不可能の事ではない。故に今は修験道 構成り諸要素が時代的経過の中に︰如何に混紡し攣化し、終には一桐猫自り宗教生活の一形式とまで襲展するに いたつたかを明かにすることによつて、修験道形成の内的紺聯を辿って見庇いと思ふ。 こ そも′\宗教が進展し俸播するに鱒種々の原因喪臨が伏在する。が、これを閥家の支配的力との閲係に於い て考察する時、宗教の持つ轡導感化の力が原動力たることを前提として∴示教の側から言つて、次の如き四つの 場合が分けて考へ得られるかと思ふ。即ち、 一、宗教がその持つ一定の理想目標に向つて、閉豪を大桝高所から郷導すること。 二、宗教が岡豪の動向や政策に従ひ、これに追随はせぬまでも合流一致して進むこと。 三∴小数が祀合、国家の矛盾紋隋を衝き、部分的にもこれが是正の志向を持って進むこと。 四、宗教が人心の不安動揺間隙、特に人情の機微を捕へて進むこと。 の四ツの場合であつて、これは相互に閲聯するが、前の二者が、宗教と国家の申接幽係として宗教政策や宗教 制度ん問題し﹂して現はれるに封し、後い二者は旺抒や昆心に保た張↓て、言はゞ現象的必然し﹂して硯はれる。軍 、 Jり7け
一は暫く招くとして、現代の■如く閲壕の動向がある∴定の方向を建る幡、〓本の尺疲意識を准胡とした閉域的な 尺族㍍数は囲豪動向の紬に滑ふて新展開㌔試みるであ左り。かくわ加キl弐鱒㌫職人=土日ふべ津である。鱒二の ヽヽヽ 場合には時代の歪曲髭・バ数的に是正せんとする志向が濃厚である丈に、か1る志向が︰バ教の内容に亘つて具鰐的 に反映し、節用の場合の如きは祀倉の裏面や人心の中に深く喰ひ入って、特に批倉的現象と見らるべき性質が最 も多い。 民冊に囲足した信仰は言ふまでもなく、今言ふ民族的なる宗教の動向は、第二の場合の公認的な、又は公的な 骨箱の完教に封して、特に第二∵第四の場合として特殊な性格を形成し、著し.く庶艮的作質を持つ。即ち、それ は統合の紋陥に芽生へたものであるが故に、その動向が国家の動向とは別途にHで、又は固家統制の外に舵逸し、 或はそれに追随し指すして取残されて進む。後れたる大衆の宗教となるのはこの馬であ少、時あつてか反支配的 な傾向をとるにいたる事のあるのも亦この故に外ならない。且つその内容が人情の弱鮎と巧に結び付いてゐるが 故に頑強なる問執性を持つ。かくして民族的な宗教の形熊衰化は第二の場合と封択的に考へられるものであり、 従って公の骨箱の宗教に封する庶民の宗教と言ふ意味が弛も重くなつて凍る。故に民族的宗教は、主として第 三、第四の二様の過臆過程の交錯によつて決定される。然らば修験道はか1る観鮎よりすれば如何たる欒化にょ って形成されたのであらうか。それには先づ修験の内容上の欒遽に就いて説明するの要がある。 由来喜が閥に草生した宗教は何れも神道的地般皿の上に教生して民族精神の横溢せるものであるが、この民族精 神を燭聾し指導してこれに一定の内容と方向とを輿へて進展せしめたものは、外来の宗教特に仰教の力である。 民族的ルル数の形態絹一他に就いて ブタ7J
ヽ ニー〇 民族的宗教の形態努化に就いて 修験道の襲生も、巳にある一定の段階に達してゐた吾が民族文化の一面たる信仰や風習が、外賓示教の刺衝と 混清とにょつて欒化したものであり、その異質的なるものへの畿展であつた。即ち吾が民族が一定優の蟹連に於 いて有した信仰は違例等の外来的観念と行事とにょつて幾多の影響を受けて新しく組み立て吏へられ汚それは 外延の拭大と内包の充茸とをもたらした。が勢ひそこには形質共に攣容されざるを得なかつ袴。即ち山嶽宗教と してだけの修験を見ても自然崇拝あ一たる山嶽に封する考へ方や信仰には豊富なる遺仰の内容が盛られ、否、道 彿的に、別言すれば呪術宗教的に欒化し、特に山嶽に関する行事は怖教に於けろ修行の風と結び付き、次第にそ れを整備充寮費展せしめて、終には修験をして特殊な意義を持つ一流の宗教形態にまで結成せしめたものであ る。而もか1る特典な宗教形態の形成と襲展は、それ′ぐ1の時代と祀倉の推移に照臆し、常代の支配的宗教の紋 隋を衝いてゐる。 これを以下停宜上次の如く後生的地般皿と外奔的要素との混酷から論じて見たい。即ち、一、非常の更生と活動。 二、山嶽崇井の襲展。三、諸杜奉幣や順祀の風。これら蟹生的地盤の上にもたらされた外来的要素として、四、 頭陀打拗あ行。五、密教的な修行道場軌。六、宋畢の精紳的鍛錬。をあげ、それ1ドーーの要素が互に混紡し攣遷し 行く事情をそれ′〃∼時代的闊聯のもとに説明して行きたいと思ふ。 勿論この場合の草生的地般皿と言ふのは最初に論じた如く、所謂問有のもののみではなく、それ白身巳に外来の 要素と融合蚤展して固有化してゐたものゝ栴である。故に蔑生的地般肌と外水的要素と分けたのも、考察の便宜上 のことであり、それは歴史に於ける文化の興った二ツい種類乃王統れた指してかく、−・=づたに†ぎない。和もり√■れ 7ク7ヲ
むたゞ耶に塾生と外水との文化の流れとして指摘する丈でなく、固有土着のもり㌻喚び起し、新しい流れむ必輩 として積極的にこれを取り⊥けて行く帖倉的春情む背後に見∵であ一心。 三 修験道が民間に受け入れられた根本の力は、その呪術宗教的信仰にあり、修験山伏の徒の活動も呪師又は巫者 としてのそれであつた。然しそれら巫術的な習俗や呪術に封する信仰、並びに巫者や山伏の徒も、その源淵を尋 ぬれば遠くして古い。 求められる。氏族の長は同時に祭司の長でもあつた。特にその築閣の緊落的性質からすれば、偶然的な事情の欒 氏族祀曾を基礎として蟄生したシヤマニズムは他り完数的観念行事と均しく、氏族の成員む拘束して氏族配合 を安定し統制する機能を持つてゐる。そして集困の一般成員以上に控除を蓄積し、又は特殊の能力があると信ぜ られてゐる氏族の長や元者の類にこそ氏族英樹にとつての重要事や突蟄的事象に就いての問題解決の千がかりが 化さへ成員の興奮を容易に駆上皿て柑る。故に薬園にとつての典欒の起った時、落付いた知性や洞察の代りには 一種狂熱的な感情と夢想が働く。シヤマニズムが力む蟄捧し、巫者が活躍するのはか1る時である。吾が閥に古 くから行はれた太占、矩卜、夢骨、更に盟紳操瘍等は、何れもか1る賃嘲の重要事作や衝動的典欒に際してとら れた方法であり、巫者が氏族の安寧と統制とのために荷はされた役割を兆すための手段であつた。そしてその方 法に基いて重大事は虞理され氏族甲秩序は保たれた。特に諸々の宗教的表象の拘束力と結び付いたか1る巫術に 民族的宗教の形態轡化に就いて J卯J
封すろ民衆の信頼は愈々頑者の活動を必須的にさへする。
最初ゐ血線的組係から巳に地縁的それにまで覆展し七ゐた氏族の宗教も、氏族の欒化と共に欒化する。即ち民
族的意識の⋮朋填とその空止を可能ならしめてゐた控済的串情の攣化は、地縁的氏族祉合をも漸次崩壊せしめ、或は
それを結合統一して、次第に民族的な国家組織を獲展せしめる。それにつれて各民族の榊や地方的た神々の冊に
も職能的分化と、その間相互の統一組絨が行はれ欒遽が起る。園豪的統一のための修史の史籍たる紀記に見られ
る紳の巌他の攣化と和紙組紹の統一は即ちこれである。か1る神祇概念の分化と牽連と組織とは、やがて巫者の間にも、儀式的に公の国家的祭祀に於いて神祇に奉仕する者と、なほ酢合の裏面や民間にあつて紳を祭り、卜ぺ
油託、所麗筆を事とする者との問に漸次明なる封立餌別を生じて来る。即ち一方では国家的なシヤマンの仕事は
一部の有力なる氏族に猫占され、従来の燕者の系統たる中臣、忌部等、閥家的祭紳に奉仕する一群の豪族が・祭
政一致の中央政治の前面に進出して来るのである。これに反して、他方では岡豪わ公の祭祀に興り得ない民問に
とり増された巫者の類が、れ水の土俗的面や信仰に榊執して民川に於いて有力粥川たる地盤む囲める様になる。
かゝるシヤマンの分化牽連の傾向に拍印をかけたものは仰数の新渡来である。巳に隋牌の統一的大間豪あ下で
鍛錬されて豊たる国家的内容を持ち、絢欄たる各種の文化背景を背負つてゐた新渡来の仰教は、一面それ白身囲
家的統一事業を稽極的に助成すると共に、他面そ竺切衆生普成仰の理想や窯囚因縁を説く新嘩昔によつて、従
来の氏族割振闘年の弊風を制することに異常の力を振つた。祀倉の項毒には制度組織の根本的改攣と共に、従来
ハ観念い打破ヤ前代的畔付点撒い崩壊王必要とし、なほ新事態たよ持ナや桝なや点激の條成を不可紋の要件とす
氏抜仙十卜次の形龍山ポ化に就いて Jク7壬†0。彿放り世外的性質ヤその普遍的理想は常時0偏狭執拗た↓0氏族ほ識亭打破するに恰好ぃものであつたし、叉 Ⅲキ0苦心識とし∵岡安統一n届け情■竺翼成した。加之伸教はそれ自身に囲豪的鉦∵事菜にむ按石川な各科い文化財 む仰有してゐた。かゝるものであつたればこそ、時の馬故老に取サ上げられ、篤き固豪的似護の下に終には骨箱 C∴小数としや制度化さへされたのである。 然しながら沸教もか1る新鋭の英束の外になほ幾多の呪術宗教的非難物をも併せ持つてゐた。これが文一つの 大きな魅力であつた。国家の仲川路に封しても、一般庶民に封しても。即ち、囲豪わ所蒔仰教として牽達した各種 の経典及びその信仰は特に前者に封して。大陸の俗信や道教と習合した帥攣不思議の信仰、買験の思想、紳呪の 功徳∵吉凶桐扁の卜刑等は特に後者に封して。何れも強大なる吸引力であつた。これらの申、特に増幅除災の所 稽や小道雄術の療病が.彿道修行者連の一部の人々や、民問に取り残された巫者の職分の申に織り込まれ、こ1 に吾が囲在来の平常と俳者の一部との問にl種の合膿が出来上った。内容的にこれ里・rlへば、従来の土俗的紳孤 税念及びこれと閲聯する督硲信仰が、件数の一部の思想と習合したものと見られよう。教生的に見た修験者の起 源は正しくかゝる一群の系統の中に求められ、修験の思想的㌫数的遺統も亦かゝる源流に草してゐる。而もか1 る源流にまで潮り得る修験の遣統む永く存続篭居せしめたものは、巫術や呪術に封する民族的な信仰の背景に外 たらなかつた。それは民族の素質としての心理的傾向ではなく、何時の≠にも現葦的に恵まれない曲損民や、おくれ たる庶民の迷信に封する要求としての信仰上の背景であり、これが修堰遣の完数的地盤lLであつた。そしてこの地 整はそれ′ル∼の時代の焉政者望息糊と、特に各時代の支配的㌫教の動向とその桝在とにょつて益モ弛められたU 打抜的小小数の形熊誹∼他に就いて 〃け.・;