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龍谷大學論集 469 - 010間野 英二「バーブルの神」

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(1)

間   野   英  

二 は   じ   め  に

 

15

紀後

半の

ア ジ ア に テ ィ ム ール 朝の 王子 とし て 生まれ, ア フ ガニ ス タ ン

16

前半

イ ン に ム ガ ル を 開 設 した ザ ヒ ール ゾ ディ ー ン ・ム ハ ン マ ド ・・9 ・一ブル

Zahir

 a1 −

Din

 

M

ammad  

Babur

1483

1530

        が生 まれ な が らの ス ンナ派の ム ス リム

イス ラ ーム教徒

で あ り, そ の 生 涯の ほ と ん ど全て を ス ン ナ派のム ス リム とし て

ごし た こ とにつ い て は

疑問

地     (2 は ない 。 そ うで あれば, パ ー 信 仰 対 象 と な っ た 神は, 常識 的に考 え       (3) て イス ラ ーム の

ア ッ ラ ー

Allah

とい うこ とになる。 そ し て それ が あま りに も

然と思わ れ るた め,従

, こ の

に つ い て , バ ー

研究

た ち に よっ て 問題に されるこ とはなか っ た とい っ て よい 。

 

し か し, パ ー

r

B

検討

と, バ ー ッ ラー とい う名で はな く, テ ユ ル ク族やモ ン ゴ ル 族の伝 統的 な神であっ たテ ン グ リ tengri の 名で理 解 し て い た こ とが 明 らか とな る。 本稿の 第

1

の 目的は ,

r

バ ー い た 対 す る呼 称 を 網 羅的に調 査し, バ ー ブル が 通 常意識 した

が ア ッ ラ ー く, テ ン グ リ であっ た こ とを 明確にする こ とで ある。  で はパ ープル の テ ン グ リと イス ラ ーム の ア ッ ラーは どの よ うな関 係にあるの か 。 本

稿

の 第

2

の 目的は, テ ユ ル ク化 した モ ン ゴ ル 族, すな わ ちチ ャ ガ タ イ族 に

し た バ ーブル が神を伝

的なテ ン グ リの名で認識 しつ つ

が こ の

識 す る

性はほ とん ど全 くア ッ ラ ーの 属 性と

じで あっ た こ と, つ ま り バ ー ブル が

をテ ン グ リとい う

認識

して い た もの の, その 神は まぎれ もな くイ ス ラ ーム の ア ッ ラ ーに他な らなか っ た こ とを明確に

るこ とで

る。

 

バ ー ブ ーム

わ る問題つ い て は, こ の他に もなお い くつ か の 研 究 課題が残されてい る。 例えば, バ ー ブル の ム ス リム と して の 日々 の 信

生 活は 具体 的に どの ような もの であっ た の か。 バ ー 一 日

5

度の

拝 龍谷大 学論集 一 79 一

(2)

沐 浴, そ れに断食な どを欠か さず 行っ て い たの か 。 筆者 もかつ て取 り上

た こ とが ある よ うに , バ ー ブル は 一 時, ム ス リムで ある に もか か わ らず,        

r

ク ル ァ ー ン

コ ーラ ン

止 されて い る

酒に 耽 っ た こ ともある。 こ の

を も

め て , バ ー ブル の信

生 活が どの ような もの で

り, またパ ー プル の

信仰

生活に ,

が信

した イス ラ ーム

義 教ナ ク シ ュ バ ン デ ィ ー派 の

      (5) えが, どの程

の , どの ような影

を与えてい た の か , とい っ た問題な ども今

解明 さ れ な け れ ぽ な ら ない であろ う。 た だ これ らの 問題に つ い ては

しい

が必

なた め,

機会

り上

るこ とに し た い 。

 

稿

では バ ー ブル の信 仰 し た神が どの よ うな もの で あっ たの か とい う,ノミー ブル の

信仰

本に

わ る

な問 題に つ い て の み

うこ とにする。

1

  研 究 方 法

 パ ープル は神を どの よ うな名で認識 し て い た の か。 パ ー ム ス る こ とが 明白で る以上, バ ー 「ア ッ ラ ー」 とい う名で

識してい た と考 えるの は わめ て 自然である。 しか し,

えは そ れ ほ ど

単で は ない 。 なぜな ら一: 一 ブル は 『バ ー ブル ・ナーマ 』 の

味する用語 とし て主に 三 つ の 言

使

用 して い る か らで る。 バ ー ブル が

使

用 して い る 三 つ の 言

と は, ア ラ ビア 語の 「ア ッ ラ ー 」, テ ユ ル ク語

チ ャ ガ タイ語

の 「テ ン グ リ」,       (6)          そし てペ ル シア の 「ホ ダ ー イ

khuday

」 で ある。  で は な ぜバ ーブル は一つ の 書物で これ らの 三つ のなっ た 言葉を使 用 し た のか 。 換 言す れば, こ の三つ の 言 葉は

r

バ ー ーマ 中で どの よ う に

使

わ れて い る の か。 こ の 解

るため, こ こで は 『一く  一 ブ ル ・ナ ーマ         ア ラ ビ ア文 字校訂 本 を 徹

的に 利用す るために 成 された

r

パ ー ー       (9) マ

KWIC

』 を利用 する 。 つ ま りこ の

索引

を利用 して , 

r

バ ー ブル ・ ー マ の 中で の 「ア ッ ラー」, 「テ ン グ リ」, 「ホ ダ ー イ」 の 使 用 例を徹

的に調

し, それ らの

使用

例か ら,

納 的にパ ー , お よびパ ー

の性 格を確か め よ うとする もの で ある。

 

『バ ーブル ・ナーマ

KWIC

KWIC

とは

Key

 

Word

 

In

 

Context

略 称る。 こ の

索引

で は, ある単

語 (

キ ー

えて, その 単 語の前 後の文 字列 がペ ー , 行 数 と と もに網 羅的に表示 され る。 つ ま りこ の

索引

使

えば 『バ ー ブル ・ナ ーマ 中に見 られる 「ア ラー , 「テ ン グ リ」, 「ダ ー イ

1

行に

略化 された形で はあっ て も, すべ て

羅 的

索す るこ とがで きるの である。 一

80

 パ ール の神 (間野)

(3)

 

r

バ ーブル ・ナ ーマ

KWIC

索引』 が

どの よ うなもの で ある か を具 体 的に理 解し て い ただ くた め, 「ア ッ ラ ー

 

dj1

」 とい う語に つ い て の

KWIC

索 引を その まま の 形で本 稿 末尾に示 し た。 各

1 行

が 「ア ッ ラ ー 」 に つ い て の 一つ の

例を示

。 全部で

108

行 あるの で , 『バ ー に は ヅ ラー」 とい う語を含む用例が

108

例あるこ とに な る。 た だ しその 内の

61

例は, ア ブ ドゥ ッ ラ ー ‘

Abd

Allah

の ご と く,

 

「ア ッ ラ ー 」 が人名の 一部 とし て 使用 されてい る もの なの で , 人名 以

で は

47

例ある とい うこ とになる。

 

稿

末尾に 示 し た こ の 索 引で は 「ア ッ ラ ー

 

1

」 とい う語が行の 柱とし て 文 字列の 中央にあらわ され, その 右と左に こ の 語の 前 後の 文字 列があらわ され て い る。

行の

右端

の ア ラ ビア 数

は,

左 側

が校 訂本 の ペ ー

, そ の

に ハ

が れ が行番 号 。 例えば,

 

V

1

・ は校 訂 本

(初版)

3

ペ ー

10

文字

こ とを 示 す。 なお, テ ン グ リ, ホ ダ ーイ に

KWIC

索引

幅の

係上, 本

稿

で示す こ と は省 略し た い 。

2

 

テ ン グ リ

 

『バ ー ブル ・ナ ーマ に 見える 「ア ッ ラ ー」,

 

「テ ン グ リ」,

 

厂ホ ダ ー イ」 に 関する用 例を

討す る前に , まず 内陸ア ジ ア の ア ル タ イ

諸 民族の伝 統 的な神         の 名である 厂 ング リ」 につ い て概 観し て お きた い 。 従 来の 諸 研究を参 照し て 「テ ン グ リ につ い て

理すれ ば, 次の ご とくになる であろ う。

 

テ ユ ル ク

・モ ン ゴル

で 厂天, 空」.を も意昧する 「テ ン グ リ」 は

元 前

3

世 紀の匈 奴時 代か ら 「天神 し て られて お

8

世 紀前 半の 突 厥碑

文に も 「テ ン グ リが 知恵を与え しゆ え anta  

kisrli

 tangri  

bilig

 

berttik

ifettn 厂テ ン グ リが 力

ゆ え tll’ ngri  

kue

 

birtUk

 

ueUn

どの

表現

中に しば しば登 場する。 突 厥 碑 文で は 「テ ン グ リが命 ずる

tangri

 

yarllqa

・ 」 「テ ン グ リが与 える tla ’  ngri  

bir

」 の , テ ン グ リの 意 志を

現が

に 目に

く。 た だ し, 突 厥の 時 代に は 「天 ・ 」 と 「天 神」 を表 す 語は共に同 じ 「テ ン グ リ 」 で あり , テ ン グ リとい う

は 「天 ・空」 と 「天神」 の 両 義で

        い られた。 つ ま り, 天 その ものが神と考え られて い た の で ある。

 

ま た ラ シ ー ド ッ ・ディ ー ン の 『集 史』部 族 篇に見える 「ナ グ ズ ・カガ ン

話」 に も 「天の

神 (

khuda

yi

 asman

 

「天と地の

神 (

khuda

yi

 asman  u

zamln

つ ま り

11

紀頃

, テ ユ ル ク民 族の

る オ 部族

の 間で もこ らの

尊 崇

されて い た。 た だ

説話

の 主

公で

るオ グ ズ

龍谷大学論集 一

81

(4)

ガ ンは イス ラーム

受容す

とやがて

えず 「ア ッ ラー」 の

を唱える よ うに         なっ た とい う。

 

9

13

天 山 ウ イ グ 王 国 時 代 文 献 も テ グ リ は し ば しば登 場 す る。

9

の 占い の 書で ある

1

B

g

に は 「テ ン グ リの 力に よっ て t

ngri

k

廿

dng

とか, 「私は斑の 馬に

っ た道

神 yol

 t

a

ngri で ある」 とい っ た記           述 が 見える。 なお

1rk

 

Bitig

で もテ ン グ リ は 「天 ・ 」 と 「天

」 の 両 義で 用い られた。

 

ま た古ウ イ グル の マ ニ 教 文 献に よ る と , ウ イ グル 人の 間で マ ニ

の 教 祖マ

「テグ リ ・v 二 ・ ブ ハ ン tangri  

Mani

 

burxan

理 解さ れ, ま た古ウ イ グル 語の 仏教 文 献に よ る と, 仏 教の 仏陀は 「テ ン グ リ ・ブル ハ

ン ttingri 

burxan

, 諸 天は max1 酌 arl t

a

ngri

大 自

, 

azru

・a t

a

ngri

       

, xormuzta  t

ngri

帝釈天

な どの

で 理

されて い た。 

azru

a は もともと ゾロ アス ター

ズル ワー ン

Zurvan

が , マ ニ

に も

りい れ られて

偉大

なる父と された。 かつ て羽田亨

士は, この

現象

にっ い て, そ れが単に天山 ウ イグル 王国時

の 中央ア ジア で, 仏 教, ゾロ アス ター教 マ ニ 教諸 天や悪 魔 など

の 合一 が起 こ た こ とを示 すに と どまらず , 中

        ア ジ ア で

の一種の 成 も行わ れてい た と見るべ

て い る。

 

10

に イス ラ ーム

受容

し た カ ラ ・ハ ー ン

の テ ユ ル ク人の 間で は, V フ ム ー ュ ガ リー 『テ ユ ル ク語辞 典』に テ ユ ル ク語の 「テ ン グ リ」 を ア ラビ ア

説 明して 「こ は ア ラ ーの こ る一 か の お方が

め られ栄 光に つ つ ま れ んこ とを一 」 (tangri 

huwa

 

Allah

 ‘

azza  wa  

jalla

          い っ てい る よ うに, ア ッ ラーは テ ン グ リの 名で 理解 されて いた 。 た だ こ の 時代 に も, カ ー ュ ガ リ・一に 厂異教

らは空

sa 皿 a ’

をテ ン グ リい う。 また

で も彼 らの

威圧

に 見えるもの をテ ン グ リ とい 。 例えば

い 山や木で あ           る 」 とある ように, テ ン グ リ は,

時代

と同

, 「

・空」 の

意味

で も用い られた 。 な お, カ ラ ・ハ ー ン 朝

時代

に は,方 言に よっ ては ア ッ ラ ーを「バ ヤ ト

bayat

ぶ場

もあ り, ま た 「ウ ガ ン ・テ ン グ リ u γan  

tangri

」 とい う場

       

もあっ た 。 後 者は 「全

のア ッ ラ ー 」 の 意 味で あ る。

  14

世 紀の ホ ーラ ズ ム ・テ ユ ル ク語に よる ラブ グ ーズ ィ ー

r

言 者伝』 で も, ア ッ ラ ーを指 すの に テ ン グ リとい う語が使われてい る他に , こ の ウ ガ ン とい う         語 も 「

能者 (

嵩 ア ッ ラ ー

」 の

意味

使

わ れてい る。 た だ ウガ ン とい う語は こ の

時代

史料

に は

え ない よ うで ある。

 

18

半ば の イ ラ ン 作 成され 『石 こ

Sangldkh

呼 ば れる チ

82

 ル の神(間 野)

(5)

タ イ語= ペ ル シ

典にも , 「テ ン グ リ」 は 「至

の神 様の名で ある

is

皿 ・

i

       

janab

i

 

btirl

ta

‘ ala ast 」

説 明

され 。 この 場

の 厂至

神様

」 は 「ア ッ ラー」 を指 す と考えて間違い な い で あろ う。

 

以 上 か ら

イ ス ラ ーム を受容 した中央ア ジア の テ ユ ル ク族の 間 で イス ラ ーム

ラーが,

伝統的

なテ ソ グ リ とい う

で 理

されてい た こ とは

か であろ う。 ア ヅ ラー とテ ン グ リが, ともに 唯 一

の で         ない 世 界秩序維 持 者’として ほ とん ど同 じもの と して理

されて い た の で ある。

 

なお, テ ソ グ リが

12

13

ゴル 帝 国時 代の モ ン ゴ ル らの き わ め て重 要な存 在であっ た こ とは, 先 行 研 究に よ っ て よ く知 られて い る

で あ   る。

世界

は天

で ある 「

永遠

なる テ ン グ リ m6ngke  tengri 」 に よ っ て モ ン ゴ ル 人 らに賦 与され た と考え られ た。 モ ソ ゴ ル 帝 国の最

権 力者で ある大カ ー の モ ン ゴ ル

に よ る

命令文

の 冒

こ し え なる テ ン グ リの 力の

とに m6ngke  tengri −

yin

 

kildin

dttr

とい う表 現が

型 句 とし て用い られて い る。

た だ こ の

型 句は イス ラ ーム 受 容した イル ・ハ ー ン の ガ ザ ン ・ハ ー ン の時

に は 「

の ア

bi

quvvat

i

 

Allah

 ta‘ala い う

現に 代 え られてい る こ は ぎわ め て興

味深

い 。

 

「テ ン グ リ」 とい う語の語 源に つ い て は , シ ュ メ ル 語の

dingir

, テ ユ ル クの tang

曙光

, 漢

の天 理 とする

な どが

るが, い ずれ も         な お定 説とはなっ てい ない。

 

以 上で テ ン グ リ

をお わ り, 以下に 『パ ー プ ーマ え る ッ ラー」, 「テ ソ グ リ」, 「ホ ダ ーイ 」 に つ い て

検討

したい 。

検討

便

宜 の ため に,

 

「ア ッ ラ ー」,

 

「テ ン グ リ」,

 

「ホ ダ ー 」 に

する用 例を, 内容が 同 じも         の ご とに

分類

し, それ らの用 例の 全 部で は ない が, 一

邦 訳 コ メ ン トと共に示す と次の ごとくになる。

3

  ア ッ ラ ー

3

1

 

し至

の ア ッ ラ ーが望まれ る な らぽ

insha

11ah

  ta‘ala

 

「も しア ッ ラ ー が望 まれ る な らぽ

insha

11ah

」 とい うア ラ ビア

 

こ の ム ス ム が

い る

表現

とし て

も よ く知られてい る

現 「イ ン シ ャ ラ ー 」 は, 以下に示す ように , バ ー ブル がイ ン ドの

敵ラ ー ー ・

い を

に してした, シ ャ イフ ・ザ イ

起草

ペ ル シ

令 (

2

1 度

, ま た, バ ー ブル が長子フ v 一ユ ー ン ガ タ イ語 龍谷大学論 集 一

83

(6)

書簡 (

史料

3

3

, ノミー ブル の 普 通の チ ャ ガ タ イ

に よ る

記述 (

史料

1

4

2

, の

6

見 られる。

言す れ ぽ, 校

訂本

600

ペ ー 越 える 『バ ーブル ・ ーマ 中に , こ の よ く知 られた表 現が

6

度しか

て こ ない とい うことにな る。

  史料

1

  〔

409

= パ ー プル

はペ グた ち に

向け

人を遣わ し ,

途 中

1

 

し て,

パ キス タ ン , パ ン ジ ャ ー

ャ ーナ〜ブ河

に下 馬 し た。

 

その 途 中, 私たちは

横道

にそ れ, 王

地である バ プル ー

 

た。 城は チ ャ ー ー ブ

河畔

, 大

気に入 っ

 

た。 私た ち はス ィ ヤ ー こ こ に 移す

。 もしもア ヅ ラ

 

ー が望まれて

insha

11ah

, そ の 機 会が到 来す れ ば, ただち にそ うす る事に   した。

  史料

2

  〔

505

〕堂

々 た る

勝利

た ら

わ が

下僕

た ち は,

せ を

た ら

 

命 令に従っ て, そ の数 と美し さで 高き天 空の 星 の

くに す ぽら し き

席を飾

 

り,

栄光

の 聖 なるイス ラ ー

をぽ

く粗悪

なる

へ と

投げす

て た とこ

 

ろ の 金銀の ゴ 諸 器 具を至高 ラ ーが

 

望ま れ るな らぽ

insha

11ah

 

ta

‘ala

近々 た ち が打ち くだ くこ とに な るは

 

ずの諸 偶

如 くに, こ な ごなに

粉砕

した。 そ し てそ の

各片

を困

窮者

やあわ

 

れ な

た ちに投 げ

えた。

 

史 料

3

 

558

〕ま た,

  (

バ ー 次 男

ム ラ カー ブル 在住

 

グた ち

ノミーブル の 長 男

マ ーユ ー ン に

, ヒサ ー

 

サ マ ル カ ン ドか , どの方 面で あれ, も しそ れが 国益に な る ような ら, 進め。

 

テ ン グ リの 恩 恵に よっ て,

り, 国を取 り, 友を よろこぽせ ,

 

に し て やれ」 とい う命 令を 出し て ある。 もし至

の ア ッ ラ ー が望 まれ る な ら

 

insha

11ah

 ta‘ala

い まこそ, お

た ち が

し て 刀を ふ る うぺ き時

 

なの だ。

中略

もしテ ン グ リの

恵 に よっ て バ ル ブ とヒ サ ー 征 服

 

で きたな らぽ, ピサ ー

部下

, バ ル ブ に カ ー

 

を置 くよ うに せ よ しテ ン グ リの 恩 恵に よっ てサ マ ル カ ン ド を も制圧 で き

 

た な ら, サ マ ル カ ン ドで お前が統 治せ よ。 ピ サ ー , もしア ッ ラ ーが

 

望ま れ る な ら

(insha

11ah

, 王

地 と

る予

で ある。 もしカ ー

 

バ ル フ で は不 足だ と云 っ た ら, その

報告

せ よ。 もしア ッ ラ ーが望まれる

 

な ら

insha

11ah

, 私が そ の不 足分をか の 諸地方か ら補っ てやるつ もりだ。

  史料

4

  〔

561

え るべ

内容

は以下の

くであっ た :「ザル

 

ブ ・ザ ン 砲 と荷

と火 縄銃が戦の ため の諸 設 備 ・諸 用 具で ある。

中 略

私 一 84 一 バ ーブル の神 (間野 )

(7)

 

は ガ ン グ

=ガ ン ジス

対 岸べ て の ス ル タ ー ンた ち とア ミール

 

た ちに,

 

バ ーブル の

3

男)

ア ス カ リーの とに

集結

し て, 一

 

もしそ れ が国益に な るな らば, テ ン グ リの 恩恵に よっ て進軍せ よ。 か の 方面

 

に い る味方の た ちと相 談せ よ” と命じた。 もし私に もその 必要が生 じるな

 

ら,

束の

日を

えに 行っ た者 が

っ て

た ら, もし至

の ア ッ ラ ーが望

 

ま れ るな ら

insha

11ah

 ta‘

ala)

も た だ ち 出馬 す つ もりで る。

 

また, ム ス リム が

使

用 する 「至

の ア ッ ラー

Allah

 ta ‘ ala い う

表現

も,先の

2

3

4

1

える以

は,

の 末尾の

 

史料

5

 

506

に よっ て

か れた。 至 高の ア ッ ラ ー

Allah

 a1−

 

muta ‘ ali

が こ

= こ の

を高め , こ の

効 性を永遠に保た せ給わ ん  事を。 とい う文の 中に, や や形を 変えて

1

度, つ ま り全部で

4

見 られる に 過 ぎな い こ の

通の ム ス リム に よる

使用

例 の

頻度

か ら

える と極め て少ない と

るべ ろ う

3

2

ッ ラー」 の単 独での使 用

 

「ア ッ ラ ー」 とい う

の 単 独で の

使

用は , 以

に 示

ように , シ ャ イ フ ・ザ イ ン起 草の ペ シ ア よ る禁 酒令

史 料

6

4

, イ ン ドの強

ラ ー ナー ・サ ー ン ガ ーに対する勝 利を

地に伝えた シ イ フ ・ザ イ ン 起

のペ ル シ ア語に よ る

7

の 中に

11

度, さ らにバ ー ブル のチ ャ ガタ イ語の 詩

史 料

8

の 中に

1

, つ ま り計

16度見

えるが, その うち

5

は 『クル ア ー 』 な どア ラ ビア 文 章

用 中え る もの で あ る。 さ らに

の 史 料

10

2

1

度 単 独で える もの や, 本 稿で は 引用しない が校訂 本 〔

506

〕に見える もの も, や は り 『クル ア ー ン の ア ラ ビ ア

引 用 中

え るもの で る。

 

以上か らすれば, 「ア ッ ラ ー 」 とい う語は, 単 独で はパ ー プル

自身

が執

し た チ ャ ガ タ イ語の文 章の 中では 使 用されず, シ ャ イフ ・ザ イ ン起 草の ペ

文章

やア ラ ビア

r

クル ア ー ン

, そ し てバ ー

の中にの み 見えるこ とに な る。 詩の 中で バ ー ッ ラ ー とい う

を使用したの は,          

律の 関 係か ら と考えて間

い ない 。 つ ま りバ ー ブル は 『バ ー ブル ・ 』 の チ ャ ガ タ イ語の 散文の 中で は, ア ッ ラ ー とい う語を単 独で は ほ と ん ど全 く使

し て い ない の で ある。

 

史料

6

 

504

〕 そ れを避 け られるの は, た だ

くを

うお

われ

 

みに よっ て の み で ある。

 

“ それはア ラーの な さけで ある。

はそ れ を求め 龍谷大 学論 集 一

85

(8)

        ’ る

う。 そ して ア ッ ラ ー

恩恵

あ らられ る ”

。 こ の

,私は “ 信 ずる

た ち が , ア ッ ラ ーを

じ, 啓示 された

理に 身 を低 くす る時は ま だ来ない の か ” とい う, 眼に見えぬ激 励, 疑 う余地 な き 天 上 の を 聞い た の で ある。

  (

中略) すなわ ち, わ が神に 守 護された る王 国 の 治下で は

   

ア ッ ラ ーがわ が王 国を

や危

か ら護 りた まわん事を一 い かな る 者 も, 絶 対に飲酒 の 禁を 犯 す な。 酒 を 手に入れ よ うとするな。 酒を造 るな。

るな。

うな。 酒を所

するな。 酒を持ち込 む な。 酒を

ち出すな と。 “ そ れ を避 け よ。 そ うす れば, 恐 ら く成 功する であろ う ” 。

史料

7

 

509〕約束

を守り, 下

らを

け, 軍 隊を強化 し,

敗走

させ る,

きお方, ア ッ ラ ー を

え たて まつ る。

 

お お !正 しき道を歩む 神の

け, イス ラ ーム の

め る お方。 反 逆 す る

を屈 服させ, 偶

の 柱を

すお方。

 

“ か くして, 不義の徒は切 り落         とされて し まっ た 。 万

の 主, ア ッ ラ ーを

えた て まつ る ” 。 そ して か の被 造

中の もよき老に して, ガ ーズ ィ ーら と信仰の戦士 らの 君主た る ム ハ ン マ ドとの一

に, そ し て ま た

最後

の審 判の 日に至 るまで正 しき道 を 示す教   友た ち に ア ッ ラーの 祝

の あ らん事を。

中略

 

510

ア ッ ラ ーを

え たて ’ まつ 。 すな わ ち,

 

“ ゆ り・か ご か ら

日 に至る ま で”, 幸せ を願 う心 と正 し さ を求め る理性の 根 源的な希 望で り, 真か らの 願 望であっ たか の

最大

福 と

高の恩 恵 が

日こ の

ある

時代

に , つ い に全

の 陛 下の 恩情の 隠れ 家か らそ の

姿

を現 し た の である。

 

 

512

933

ジ ュ マ ーダー ・       鈴 サ ーニ ー

13

一 “ ア ラーは お前の 土日を

された” の 一句 が, こ の 日が

祝福

された 日である

しである 一 ラーム の 勝利軍 隊は宗教 の

か ら

2

ク ロ フ

= 約

4

位置 襟 野 , バ ーヌ ワーハ 附 近に 幕営を きずい た 。

中 略

そし て

513

        灼熱の 太陽 光

の如 くに 光 り輝 くその もみの

の 先 端を “ア ッ ラーの

め る者た ち” の

揚した 心の

く,

き頂へ とか か げた。

) 〔

519

そ して ま た

謬の

達 者か ら “ア ヅ ラ ーか ら助 けが

る。 勝

は近い 。

信徒

ら       G5 に とっ て形

利だ ” とい うよい らせ を 聞い た。

  (

中 略

 

519

〕こ の 時, 勝 利 と幸 運の そよ風がわ が幸 多 きナ ワ ー プ

= バ ーブル

幸 運 牧場       的 の

り,

 

“ げに

 

に明 白な勝利を

けた” とい うよき知ら せを もた らし た。 その世 界を飾る美 し さが “ ア ラーは力強 ぎ援助で汝を助 ける” とい う揺れ動 く小

で飾 りたて られてい る勝 利の したる お方は, ヴ ェ ール の

に隠さ れて い た幸運を我々 に 恵み た まい , 勝利を現 実の もの に し 一

86

  神 (間野 )

(9)

て 下さっ た の で ある

中略

) 〔

520〕

彼 らは 背

へ と逃 走 し た。 ア ッ ラ ー

令は 必

その

りに

される の。 全聴

, 全

老た るア ッ ラ ー

え たて まつ る。 何故 な ら勝 利へ の

けは全能全

の ア ッ ラ ー み もた       鰺        らされる もの なれ ぽ。

933

ジ ュ マ ー ダ ーウ ・

25

日に

た 。

8

 

528

〕私 共 もア ッ ラ ーの お か げで幸い 死な

に お ります。

 

多 くの

し み や限 りない つ らさ経 験 し ま し た

3

3

ア ラ

で の

使

 バ ー ブル が , カ ー ブル に お ける モ グ ール の 反乱に直 面 した際に唱 え た次の

疇文

中で は ア ッ ラ ーの

6

使用

されて い る。 ただし, もとも とこ の

祈蒔文

がア ラ ビア 祈 濤文で ある以 上 ,文中に ア ッ ラーの 語が使わ れて い るの は当 然で る。

 史

9

 

311

 

慈悲ふ か

まね ラ ーの 御名に おい て。  ア ラ ーよ !あなた はわ が 主。

 

あなたの は無い なたを信 じ奉る。 あなた は

大なる 玉 座の 主。

 

ア ッ ラ ーが お望 みに な る事が起こ り, お 望 みに な らぬ事は 起こ りはせ ぬ。

 

至 高至大の お方の と以

, い か なる力 も

在 し は しない 。

 

知れ

1

に ア ラ ーは全て の

して

らせ られ る。

 

ラ ーは全 ゆる事を完

に 知 り給い , 全ゆ る

全に 計 算し給 う。

 

ア ッ ラ ーよ

1

私自身に か かわ る災厄 も,そ れ 以外の 者 た ちに かかわ る災 厄も,

 

ま た全て の

災厄持

ちの

災厄

て の

動物

たちの

な たに お

 る。

 

そ れ らの

をつ かん で お受取 り下 さ らん を。

 あ

な た は まこ と

大な る玉

の主。」

3

4

ア ラ ビ ア

型 句 中での使

 

ム ス リム が しばしば

使

用 するア ラ ビア語の

型 句があり, その 中に ア ッ ラ ー の が含まれ る場 合がある。 ・ミー ブル が その よ うなア ラ ビア 語の

型 句を使 う 以上, ア ッ ラーの

がその

に 見えるの は

当然

で ある。 (1

 

「ア ッ ラーの 御

に お い て

bismi

11ah

 

, ム ス リム がすべ て の

動を起こす 前に 口に する 「ア ッ ラ ー

名に お 龍 谷大学論集 一

87

(10)

        い て

bismi

11ah

」 は以下に 示す 文 例の

に , すで に

9

頭に も見え た の で, 計

5

回見 える こ とになる。

 史

10

− −

1

 

3

〕慈

ふ か く慈

あまね きア ラ ーの

に お い て           史 料

10

−  

2

  〔

464

1

さ は概ね 「フ ーテ ィ ハ を 「ア ッ ラーの 御

 

に おい て」 を も

め て

6

回 となえる長さ で ある か ら,

1

昼 夜

1440

 

の長さは, 「フ ァ ー を 「ア ッ ラ ーの

名に おい て」 を も

め て

8640

 

回となえ る長さ とな る。

中略

) 〔

465

次に

ガ リ ー

60

区分 し て , そ

 

の一つ 一つ ん で

  (

中 略

私は

1

度パ ル の 長さ を 実験し て み

 

た。 厂言 え, かれは ア ッ ラ ー」 を 「ア ヅ ラ ーの 御

に おい て 」 を も含め て,  お よそ

7

回読 誦する長さで あっ た。 つ ま り,

1

昼 夜で は,

28

800

回 それを  読 誦する長さ と なる。 (

2

 

慈悲え られ

rabmatu ’

11ah

 

人名の

に 加え られるこ の

入句は

1 度

だけ 見 られ る。        

  史

11

  〔

207 〕

ミール ・サ イ イ ド ・ア リー ・ハ マ ダ ーニ ー一 ッ ラ ーの

 

慈悲が与え られん事を一 が旅を し て

られて , ク ナ ル か ら

1

シ ャ ル イ ー

  (

= 約

6

キ 卩

上流の 地 点 で逝去 された 。

3

 

「ア ッ ラーが

もよく知 り

Allahu

 a ‘

la

皿 u

 不

i

か な こ とを 云 う場 合に

け 加 え るこ の

入 句 も

1 度

だ け見られ る。

 

史料

12

 

264

 (

テ ィ ム ール 朝ヘ ラ ー ト政権の 君主ス ル タ ー ン ・フ サ イ ン ・

  ミール ザーは冷静に行 動で きなか っ た。 最 後に は彼 ( = ム ザ ッ フ ァ ル ・バ ル

 

ラース

殺され た と云 わ れて い た。 真 実はア ヅ ラーが最 もよく知 り給

.。

4

 

「ア ッ ラーの お か

al −

bamdu

 

li

11ah

)(

bi

bamdi

11Ah

) (

al −minnatu

 

li

11ah

 

ラ ーへ の

賞讃

ち を

すこ の 三 つ の

型 句も全

9

度見

られ る。 以 下に その

2

の み示す。

 

史料

13

 

404

8

日金 曜 日, ガ ン ダマ ク に下馬し た 時, 私は

どい

風邪

 

に か か っ た 。 ア ッ ・ お か

bi

hamdi

11ah

無事

癒 した。

 

史料

14

 

576

〕 次に, この 四行 詩は去

年作

っ た もの で す。

実際

, こ の

2

 

間, ワイ ンの

会を し た い とい う願い は 無限の もの が あり ました。 酒へ の断

 

ち が た い 想い の 故に 泣い た ほ どで

今年

は, ア ッ ラ ー お か

 

(a1一

amdu  

li

11ah

そ の よ な 心の 動 揺はす っ か りな くな りま し た 。 一

88

一 パ ープル の神 (間野)

(11)

3

5

ッ ラ ーの 民

ahl −

i

 

Allah

とい う表 現

 

イス ラ ーム

神秘

主義

団ナ クシ ュ バ ン デ ィ ー派の 首 長で あっ た ホ ー ャ ・ウ バ イ ド ゥ ッ ラ ー ・ア フ ラール を指す 言葉として

1

度の み使用 されて い る。       絢        

 

15

 

572〕私

は, 様々 な書

訳を

くため に,

日,

11行分

の ミ        

 

ス タ ル を

作成

した。 同じ日, ア ッ ラ ー

告を与え   た。

3

6

人 名

 

ア ヅ ラーを 人名の 一部とする

名前

と しては, ア ブ ドゥ ッ ラ ー ‘

Abd

Allah

, ウバ イ ド ー ‘

Ubayd

Allab

・ ア サ ドゥ ッ ラ ・一一  

Asad

Allah

・ ア ッ ラ ー ・ベ ル デ aAllah

berdi

, ヌ ー ッ ラ ー

N

ロr・

AIlah

,ア タ ーウ ッ ラ ー ‘

Ata

’・

Allah

, イ シ ュ ク ッ ラ ー ‘

Ishq

Allah

, ア ッ ラ ー ・ヴェ レ ン

Allah

Veren

7

つ と, 一

尊称

し て ズ ブ ッ ラ ー

Hizbr

Allah

が見 える。 ア ブ ドゥ ッ ラ ー, ウバ 「ア ッ ラ ーの 奴隷」 の 意。 ア サ ドゥ ッ ラ ー , ヒ ズ ブル ヅ ラ ーは 「ア ッ ラ ーの

子」, ア ッ ラ ー ・ベ ル デ 「ア ッ ラ ーに よっ て

え られ た」, ア タ ーウ ヅ ラ ーは 「ア ッ ラ ーの 贈 り

」, ヌ ール ヅ ラ ーは 「ア ッ ラ ー の

, イ シ ュ ク ッ ラーは 「ア ッ ラーの

」 の

る。 ア ッ ラ ー ・ ヴェ レ ン は テ ユ ル ク メ ン 人の 名で あるが, 「ア ッ ラーが与えた」 の意 味である。

3

7

ッ ラ ーに

する小

 

以 上の

r

バ ー ブル ・ナーマ に お ける ア ッ ラ ー とい う

使

用 例か らす れ ば, バ ー ブル 自

はア ッ ラ ー う言

を, ア ラ ビア

r

クル ア ー ン 』や

文, さ らにア ラ ビア 語の 定型句や詩の 中な どで

使

用する以

は,

彼 自

身が執

し た チ ャ ガ タ イ語

本文

で は ほ とん ど全 く

使

用 し て いない こ とが

か る で あろ う。 この 事 実か ら, パ ー プル が神を想起 するとき, その 脳裏に は ア ッ ラー とい う語が常に は浮か んでい なかっ た こ とが

推定

される。 事

, パ ー

に思 いかべ る神の は ア ッ ラ ーで は な く, テ ン グ リ で あっ た 。 こ の ことを次 に らか に し た い

4

  テ ン グ リ

4

1

 

の テ グ リ

tengri

 ta‘ala い う

 

3

1

た よ うに 『・ミー ブル ・ナ ーマ 』 に は 「至高の ア ッ ラ ー

Allah

ta

ala

」 とい う表 現はわずかに

4

度し か登 場 しなか っ た。 そ れ に 対 し て 「至高 龍谷大学論集一

89

(12)

の テ ン グ リ tengri   ta‘ala

は, 以下にその 一

例を示 す よ         . に, 全 部で

22

度 も見 られる。 こ の こ とか ら見れ ぽ, バ ー ブル が

通常

はア ッ ラ ーで はな くテ ン グ リの 名で認 識し てい た こ とは ほぼ 明 らか で ろ う。

 事実

, 『バ ー ブル ・

KWIC

索引』

利 用す , 『バ ー ブル ・ナ ー マ

で テ ン グ リい う語が

124

使

わ れて い る こ とが わか る。 ただ し, こ の

124

の 内

15

Tengri

qu11

な ど人名の 一部 とし て使われてい る もの なの で, これ を除 くと テ ン グ リとい う

e

10g

度 使わ れ て い るこ とに な る。 こ れに 対 し て ア ッ ラーは, 先に 「

L

研究

方 法」 の 部 分で述べ た ごと く, 人

を除 く と

47

度 使わ れてい た。 こ の数 字を比 較 すれぽ, テ ン グ リ とい う語の使用 回

が ア ラ ーの そ れ を

か に 上 回るこ とが知られ るで ろ う。 その 上,

3

の 項で 見 た ご とく, バ ー 自身

ャ ガ タ イ語の 本文の 中でア ッ ラ ー とい う

を ほ とん ど全 く

使用

し て い ない の で

る。 パ ー プル の

が ア ッ ラ ーは な く グ リ で っ た と考え るの が 自然 であろ う

 

こ こ に は 厂 ン グ リ」 の 使わ れて い る文 例を三つ の みあげる。        

6D

 

16

 

67

ラ ビーウル ・ア ヴァ ル 月の 下

, 私は

サ マ ル カ ン ドの 町

 

して ,

城に あ るブス タ ー ン ・サ ラ ー イに 下 馬し た 。 至高の テ ン グ

 

リの お恵み に より

tengri  ta‘ala‘ ‘

inayatl

 

bilti

, サ マ ル カ ン ドの 町 と地方

 

私に よっ て) 領 有 ・征服 され た。      

62

 

史 料

17

  〔

198

ラ ビー ・ル ・ア ッ ヴァ ル

, 至高の テ ン グ リの 温 情

 

と恵み深さ とに よ っ て

tengri

 

ta

ala 

fadl

 u 

karaml

 

bilti

は カ ーブル

 

とガ ズ ニ ーの 王国と

地方を ,

う事 も

う事も

獲得

し た の で   る。       63       

 

18

 

431

〕こ の

ヒ ジ ュ ラ

925

よ り 〔

432

932

に至 る まで ,

 

私は

命に ヒ ン ドゥ ース タ ー ン に

した。

7

8

5

ヒ ン ドゥ ー

 

ス ター ン に出兵 し た 。 そし て

5

度 目に, 至

の テ ン グ リは, その

らの 身に

 

本 来 そ な え給 う温 情と恵み深さ とに よっ て

tengri 

ta

ala 

62

 

fa41

 u 

karaml

 

bilti

, ス ル タ ー ・イ ブ

破滅

, ヒ ン ドゥ ー

 

ー ン の

国 を 私 た ちの 支 配下に置 き給 うた の である。

4

2

温情

, 恵み深い テ ン グ リ

 

の テ ン グ リ 」

史料16

17

18

か ら も

か る よう に , テ ン グ リは 「温 情と恵み深さ

fadl

 u 

karam

」 に満ち, その 「お恵みに よ っ て ‘

inayatl

 

bila

バ ー ブ

tx

強敵

, 諸地域を征服で きた の である。 一

90

 ル の 神 (間 野)

(13)

『バ ーブル ・ナ ーマ に は これに関する文 例が

, 「テ ン グ リの お恵み

に よ り tengri

−ning

inayatl

 

bila

い う表 現の みで も

23

例 ある。 ・ ミー ブ に とっ て テ ン グ リが常に彼に 温 情を示し て くれる優 しい ,

り難い 存 在で

っ た こ とは明らか で ある。 以下に ご く 一一 文 例を 示

 

史料

19

 

129〕

私がサ マ ル カ ン ドを

っ た 時, 合

240

の 部 下が い た。 し

 

か し私た ちは,

に述べ 如 く

5

6

, 至高の テ ン グ リの お恵

 

みに よ り

tengri

 

ta

‘ala −nlng ‘

inayatl

 

bila

  (

ウ ズ ベ

ャ イバ ク ・

 

ハ ー ン の

人物 とサ リ ・プル で会 戦す る程に ま で な っ た の である。

 

史料

20

 

428

至高の テ ン グ リ は, そ の 恩情と恵み深さ とに よっ て

tengri

 

ta‘

la

 

fa41

 u 

karam

 

bil

, こ の よ うな難 事

= パ ーニ ーバ ト の

 

を私た ち に 容易なもの とし て下さ り, ま たあの よ うな 大軍を, わずか半

 

日間で , 大 地に倒 れ させ

うたの で

っ た。

 

史 料

21

 

495 〕

この

来事 (

= バ ー ブ

暗殺

の 企て

べ るごとに ,

 

私の 心 は か きみ だ される。 私に

たに 生

が恵み与え られたの は, 至高の テ

 

ン グ リ の

tengri

 ta‘ala −nlng ‘

inayatl

があっ たが故 で あろ う。

 

史 料

22

 

558

〕至高の テ ン グ リ は その

自ず

か ら

わ っ た 温 情 と恵

み 深さ とに よっ て

tengri ta

ala 

6z

 

fadl

  u 

karaml

 

bilti

, 私たちの 諸事 業をお進め 下 さっ て お られる。 この よ うな事は, どの 時 代に も稀な こ と なの だ。

4

3

グ リ を じ る

 

こ の よ うな温

に あふれ,

み深い テ ン グ リ であっ て見れぽ, 以 下の 文 例に 見える よ うに, バ ー

軍がた と え 少人 数で あっ て も, テ ン グ リを信 じ, 思い 切 っ て 次の 行 動に 出た こ とは十分に理

で きる。 そ して

の 信 頼は テ ン グ リ に よ っ て応え られた の で

る。

 

史料

23

  〔

99

軍に わ る

兵 ・歩 兵 を

か らさが し求め, またあち ら

 

こ ち らに公 務の た め に

い て い た家 臣 ・騎兵 らを集め させ て, とに か くテ ソ

 

グ リを信 じ

tengri −

ga

 tavakkul  

qil1P)

ム ハ

ッ ラ ム 月

18

日,

フ ェ ル

 

ガ ーナ の オ シ ュ に 近い

ハ ーフ ィ ズ ・ベ グの チ ャ ール ・パ ーグへ と出発した 。

 

史 料

24

 

107

〕 私た ちも遠

にい る 味

は考え

, そこ に居た部 下た

 

ち と共に , ただちに, 冬の 厳寒の さ中, テ ン グ リを信じ

tengri −

ga

 tavakkul

 q111P)

, (フ ェ ル ガ ーナ の)ア ンデ ィ ジ ャ ー ンか らバ ン ディ ・サ ーラ ール 道を

 

取っ てス ル タ ーニ ム とアフ マ ド ・タ ン バ ル にむけ

発し た 龍 谷大 学論 集 一

91

(14)

史料

25

  〔

331

〕 (

カ ン ダハ ー い の

私 と一緒に は

11

名が 残 っ て い た。 そ の

1

人がア ブ ドゥ ッ ラ ー ・キ タダ ー っ た。

敵将

ム キ ーム は なお踏み留まっ て

て い た 私た ち は

分た ち が少人

で あ る 事に は眼 も くれ

, テ ン グ リを 信じ

tengri

ga

 tavakkul  

qll1P)

, 太 鼓を打 ち な らし て

め ざし て

進撃

し た 。

史料

26

  〔

433〕 (

パ ーニ ーバ

こ の 状 況 に, この よ うな軍 事 力を以て,神を信 じ (tavakkul  

q111P

, ウズ ベ

10

万 の

軍勢

仇敵

背後

背負

い ながら

, ス ル タ ー ン ・イ ブラー ヒ ー ム の

き大 軍を擁 し広 大な領地 を所 有す る 君 主 と相ま み えたので っ た。 至

の テ ン グ リ は,

た ちの こ の

頼にふ さわ し

く (tavakku1

umlz

ga

 

yara

一 sha , tengri ta ‘ ala

, 私たちの苦し み や

難を

駄に は され

, あの よ うな

強力

壊滅

させ

い , ヒ ン ドゥ ス タ ー

大 な

 

うた の で る。 私た ち は, こ の 幸

福 (

davlat

)を私た ち自身の力に よ る もの

 

とは考えて い ない 。 そ うで はな く, こ の

幸福

は, た だ単に 神の 恩 恵 と恩

 

lutf

 u shafaqat

に よ る もの に し か す ぎない 。 ま た 私たちは, 幸 運

sa ・ ‘ adat

た ち

自身

力と

励に よ るもの とは

な して い ない 。 そ うで は

 

な くま さ し く純 粋に テ ン グ リの み深 さ とおみに よる もの に しかす ぎない

 

の で あっ た 信 頼に対 す る テ ン グ リ に よ る応 報につ い て の バ ーブル の 考えは次の 史 料例に も 明白に示 されて い る。

 

史料

27

 

325

〕 こらの 々 と 一緒に た ちが

カ ン ダハ ール の東 北

 

ある

カ ラー トに到

達す

る と, カ ラ ー

商売

め に

た と

多数

の ヒ ン ド ース タ ー ン の

人た ちが逃

られない で い た。 兵士 らが彼 ら の に さ しか か っ た。 ほ とん どの

た ちは, こ の ような戦

の 国に

た 者た ち は略 奪すべ だ とい う意 見で あっ た 。 し か し私は 同

しなか っ た。 私 は 厂商人 に どん な

がある とい うの だ ?

 

も し私 達が, 神がお よろ こびに

な る事を 願 っ て

tengri ridas1 −nl ara −

da

 

k6rUp

, こ んな ご く小さな利 益は

すて お くな らば, 至高の

はその 見返 りに きわ め て大 きな利 益を必 らずお

み下 さる はずで

mu −nln  mu  

bilasi

da

 

kulli

 

kulli

 

fava

id

 tengri

ta

ala ruzi  

qilghusi

 

dur

  (

略)

」 と

べ た。

4

4

. 正

 

ま た , テ ン グ リを信じて 行動 す れば, テ ン グ リ は必

「正義を もた らし

tengri

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北京西直门北大街联慧路101西晴公寓C座0248室 电话  010-62256266 15901208067  传真  010-62256266 网址  http//www.sskw.net 邮编  100082