バ
ーブ
ノ
レの
神
間 野 英
二 は じ め に15
世紀後
半の 中央
ア ジ ア に テ ィ ム ール 朝の 王子 とし て 生まれ, ア フ ガニ ス タ ン を経て ,16
世紀
の前半
, イ ン ドに ム ガ ル 朝を 開 設 した ザ ヒ ール ゾ ディ ー ン ・ム ハ ン マ ド ・・9 ・一ブルZahir
a1 −Din
M
晦
ammadBabur
(
1483
−1530
)
が生 まれ な が らの ス ンナ派の ム ス リム
(
イス ラ ーム教徒)
で あ り, そ の 生 涯の ほ と ん ど全て を ス ン ナ派のム ス リム とし て過
ごし た こ とにつ い て は疑問
の余
地 (2) は ない 。 そ うで あれば, パ ープル の 信 仰の 対 象 と な っ た 神は, 常識 的に考 え (3) て , イス ラ ーム の唯
一絶
対神
ア ッ ラ ーAllah
とい うこ とになる。 そ し て それ が あま りに も当
然と思わ れ るた め,従来
, こ の点
に つ い て , バ ーブル の研究
者 た ち に よっ て 問題に されるこ とはなか っ た とい っ て よい 。し か し, パ ープル の 回
想
録r
パ ープル ・ナ ーマB
冴諏 プー短 脚 』 を検討
する と, バ ーブル が神を ア ッ ラー とい う名で はな く, テ ユ ル ク族やモ ン ゴ ル 族の伝 統的 な神であっ たテ ン グ リ tengri の 名で理 解 し て い た こ とが 明 らか とな る。 本稿の 第1
の 目的は ,r
バ ーブル ・ナ ーマ 』の 中でパ ープル が用い た 神に対 す る呼 称 を 網 羅的に調 査し, バ ー ブル が 通 常意識 した神
の名
が ア ッ ラ ーで は な く, テ ン グ リ であっ た こ とを 明確にする こ とで ある。 で はパ ープル の テ ン グ リと イス ラ ーム の ア ッ ラーは どの よ うな関 係にあるの か 。 本稿
の 第2
の 目的は, テ ユ ル ク化 した モ ン ゴ ル 族, すな わ ちチ ャ ガ タ イ族 に属
し た バ ーブル が神を伝統
的なテ ン グ リの名で認識 しつ つ も,彼
が こ の名
で認
識 す る神
の属
性はほ とん ど全 くア ッ ラ ーの 属 性と同
じで あっ た こ と, つ ま り バ ー ブル が神
をテ ン グ リとい う名
で認識
して い た もの の, その 神は まぎれ もな くイ ス ラ ーム の 神ア ッ ラ ーに他な らなか っ た こ とを明確にす
るこ とであ
る。バ ー ブル とイス ラ ーム に
関
わ る問題につ い て は, こ の他に もなお い くつ か の 研 究 課題が残されてい る。 例えば, バ ー ブル の ム ス リム と して の 日々 の 信仰
生 活は 具体 的に どの ような もの であっ た の か。 バ ーブル は一 日5
度の礼
拝,礼
拝 龍谷大 学論集 一 79 一の 前の 沐 浴, そ れに断食な どを欠か さず 行っ て い たの か 。 筆者 もかつ て取 り上
げ
た こ とが ある よ うに , バ ー ブル は 一 時, ム ス リムで ある に もか か わ らず,r
ク ル ァ ー ン(
コ ーラ ン)
』 で禁
止 されて い る飲
酒に 耽 っ た こ ともある。 こ の点
を も含
め て , バ ー ブル の信仰
生 活が どの ような もの であ
り, またパ ー プル の信仰
生活に ,彼
が信奉
した イス ラ ーム神
秘主義 教団ナ ク シ ュ バ ン デ ィ ー派 の教
(5) えが, どの程度
の , どの ような影響
を与えてい た の か , とい っ た問題な ども今後
解明 さ れ な け れ ぽ な ら ない であろ う。 た だ これ らの 問題に つ い ては詳
しい 検討
が必要
なた め,別
の機会
に取
り上げ
るこ とに し た い 。本
稿
では バ ー ブル の信 仰 し た神が どの よ うな もの で あっ たの か とい う,ノミー ブル の信仰
の根
本に関
わ る最
も基
本的
な問 題に つ い て の み扱
うこ とにする。1
研 究 方 法
パ ープル は神を どの よ うな名で認識 し て い た の か。 パ ープル が ム ス リム で あ る こ とが 明白で ある以上, バ ーブル が神を 「ア ッ ラ ー」 とい う名で認
識してい た と考 えるの は きわめ て 自然である。 しか し,答
えは そ れ ほ ど簡
単で は ない 。 なぜな ら一: 一 ブル は 『バ ー ブル ・ナーマ 』 の中
で神
を意
味する用語 とし て主に 三 つ の 言葉
を使
用 して い る か らで ある。 バ ー ブル が使
用 して い る 三 つ の 言葉
と は, ア ラ ビア 語の 「ア ッ ラ ー 」, テ ユ ル ク語(
チ ャ ガ タイ語)
の 「テ ン グ リ」, (6) そし てペ ル シア 語の 「ホ ダ ー イkhuday
」 で ある。 で は な ぜバ ーブル は一つ の 書物の 中で これ らの 三つ の異なっ た 言葉を使 用 し た のか 。 換 言す れば, こ の三つ の 言 葉はr
バ ーブル ・ナ ーマ 』の 中で どの よ う に使
わ れて い る の か。 こ の 解答
を得
るため, こ こで は 『一く 一 ブ ル ・ナ ーマ 』 ア ラ ビ ア文 字校訂 本 を 徹底
的に 利用す るために 作成 されたr
パ ープル ・ナ ー (9) マKWIC
索
引』 を利用 する 。 つ ま りこ の索引
を利用 して ,r
バ ー ブル ・ナ ー マ 』の 中で の 「ア ッ ラー」, 「テ ン グ リ」, 「ホ ダ ー イ」 の 使 用 例を徹底
的に調査
し, それ らの使用
例か ら,帰
納 的にパ ープル の 神の名 , お よびパ ープル の神
の性 格を確か め よ うとする もの で ある。『バ ーブル ・ナーマ
KWIC
索
引』のKWIC
とはKey
Word
In
Context
の 略 称で ある。 こ の
索引
で は, ある単語 (
キ ー ワ ー ド)
を柱
に据
えて, その 単 語の前 後の文 字列 がペ ージ数 , 行 数 と と もに網 羅的に表示 され る。 つ ま りこ の索引
を使
えば 『バ ー ブル ・ナ ーマ 』中に見 られる 「ア ッ ラー」 , 「テ ン グ リ」, 「ホダ ー イ」 な どの語
を含
む文
を ,1
行に簡
略化 された形で はあっ て も, すべ て網
羅 的に検
索す るこ とがで きるの である。 一80
一 パ ープル の神 (間野)r
バ ーブル ・ナ ーマKWIC
索引』 が
どの よ うなもの で ある か を具 体 的に理 解し て い ただ くた め, 「ア ッ ラ ーdj1
」 とい う語に つ い て のKWIC
索 引を その まま の 形で本 稿 末尾に示 し た。 各1 行
が 「ア ッ ラ ー 」 に つ い て の 一つ の用
例を示す
。 全部で108
行 あるの で , 『バ ーブル ・ナ ーマ 』 に は 「ア ヅ ラー」 とい う語を含む用例が108
例あるこ とに な る。 た だ しその 内の61
例は, ア ブ ドゥ ッ ラ ー ‘Abd
−Allah
の ご と く,「ア ッ ラ ー 」 が人名の 一部 とし て 使用 されてい る もの なの で , 人名 以
外
で は47
例ある とい うこ とになる。本
稿
末尾に 示 し た こ の 索 引で は 「ア ッ ラ ー魂
1
」 とい う語が行の 柱とし て 文 字列の 中央にあらわ され, その 右と左に こ の 語の 前 後の 文字 列があらわ され て い る。各
行の右端
の ア ラ ビア 数字
は,左 側
が校 訂本 の ペ ージ番
号で あり , そ の 右側
に ハ イフ ン で繋
が れてい るの が行番 号で ある 。 例えば,V
−1
・ は校 訂 本(初版)
3
ペ ージ10
行
目にその文字
列が見
える こ とを 示 す。 なお, テ ン グ リ, ホ ダ ーイ に っ い て のKWIC
索引
は ,紙
幅の関
係上, 本稿
で示す こ と は省 略し た い 。2
テ ン グ リ
概
観
『バ ー ブル ・ナ ーマ 』 に 見える 「ア ッ ラ ー」,
「テ ン グ リ」,
厂ホ ダ ー イ」 に 関する用 例を
検
討す る前に , まず 内陸ア ジ ア の ア ル タ イ系
諸 民族の伝 統 的な神 の 名である 厂テ ング リ」 につ い て概 観し て お きた い 。 従 来の 諸 研究を参 照し て 「テ ン グ リ」 につ い て整
理すれ ば, 次の ご とくになる であろ う。テ ユ ル ク
語
・モ ン ゴル語
で 厂天, 空」.を も意昧する 「テ ン グ リ」 は既
に紀
元 前3
世 紀の匈 奴の 時 代か ら 「天神」 とし て 知られて お り ,8
世 紀前 半の 突 厥碑文に も 「その 後テ ン グ リが 知恵を与え しゆ え anta
kisrli
tangribilig
berttik
ifettn」 厂テ ン グ リが 力を
与
えしゆ え tll’ ngrikue
birtUk
ueUn
」 な どの表現
の中に しば しば登 場する。 突 厥 碑 文で は 「テ ン グ リが命 ずる
tangri
yarllqa
・ 」 「テ ン グ リが与 える tla ’ ngribir
−」 の ご とく , テ ン グ リの 意 志を表
す表
現が特
に 目に付
く。 た だ し, 突 厥の 時 代に は 「天 ・空 」 と 「天 神」 を表 す 語は共に同 じ 「テ ン グ リ 」 で あり , テ ン グ リとい う語
は 「天 ・空」 と 「天神」 の 両 義で用
い られた。 つ ま り, 天 その ものが神と考え られて い た の で ある。ま た ラ シ ー ドゥ ッ ・ディ ー ン の 『集 史』部 族 篇に見える 「ナ グ ズ ・カガ ン
説
話」 に も 「天の
神 (
khuda
・yi
asman)
」「天と地の
神 (
khuda
−yi
asman uzamln
)
」 が見える。 つ ま り11
世紀頃
, テ ユ ル ク民 族の一つ である オ グズ部族
の 間で もこれ らの 神々 が
尊 崇
されて い た。 た だ説話
の 主人
公であ
るオ グ ズ・ヵ 龍谷大学論集 一
81
一ガ ンは イス ラーム を
受容す
る とやがて絶
えず 「ア ッ ラー」 の名
を唱える よ うに なっ た とい う。9
〜13
世紀
の 天 山 ウ イ グル 王 国 時 代の 文 献に も テ ン グ リ は し ば しば登 場 す る。9
世紀
の 占い の 書で ある1
漉B
魏g
に は 「テ ン グ リの 力に よっ て t(
の
ngrik
廿dng
司 とか, 「私は斑の 馬に乗
っ た道神 yol
t(
a)
ngri で ある」 とい っ た記 述 が 見える。 なお1rk
Bitig
で もテ ン グ リ は 「天 ・空 」 と 「天神
」 の 両 義で 用い られた。ま た古ウ イ グル 語の マ ニ 教 文 献に よ る と , ウ イ グル 人の 間で マ ニ
教
の 教 祖マーニ ーは 「テ ン グ リ ・v 二 ・ ブル ハ ン tangri
Mani
burxan
」 の名で 理 解さ れ, ま た古ウ イ グル 語の 仏教 文 献に よ る と, 仏 教の 仏陀は 「テ ン グ リ ・ブル ハン ttingri
burxan
」, 諸 天は max1 酌 arl t
(
a)
ngri(
大 自在
天)
,azru
・a t(
a
)
ngri
(
梵
天)
, xormuzta t(
の
ngri(
帝釈天)
な どの名
で 理解
されて い た。azru
−a は もともと ゾロ アス ター
教
の神
ズル ワー ンZurvan
であ
るが , マ ニ教
に も取
りい れ られて偉大
なる父と された。 かつ て羽田亨博
士は, この現象
にっ い て, そ れが単に天山 ウ イグル 王国時代
の 中央ア ジア で, 仏 教, ゾロ アス ター教 マ ニ 教の諸 天や悪 魔 などの 名称
の 合一 が起 こ っ た こ とを示 すに と どまらず , 中央
ア ジ ア で 諸宗
教の一種の 混成 も行わ れてい た と見るべ ぎ事を指摘
して い る。一
方
,10
世紀
に イス ラ ーム を受容
し た カ ラ ・ハ ー ン朝
の テ ユ ル ク人の 間で は, V フ ム ー ド ・カーシ ュ ガ リー 『テ ユ ル ク語辞 典』に テ ユ ル ク語の 「テ ン グ リ」 を ア ラビ ア語
で説 明して 「こ れは ア ッ ラ ーの こ とで ある一 か の お方が高
’め られ栄 光に つ つ ま れ んこ とを一 」 (tangri
huwa
Allah
‘azza wa
jalla
)
と い っ てい る よ うに, ア ッ ラーは テ ン グ リの 名で 理解 されて いた 。 た だ こ の 時代 に も, カ ーシ ュ ガ リ・一に 厂異教徒
らは空(
sa 皿 a ’)
をテ ン グ リとい う。 また何
で も彼 らの 目に威圧
的
に 見えるもの をテ ン グ リ とい う。 例えば高
い 山や木で あ る 」 とある ように, テ ン グ リ は,突
厥時代
と同様
, 「天
・空」 の意味
で も用い られた 。 な お, カ ラ ・ハ ー ン 朝時代
に は,方 言に よっ ては ア ッ ラ ーを「バ ヤ トbayat
」 と呼
ぶ場合
もあ り, ま た 「ウ ガ ン ・テ ン グ リ u γantangri
」 とい う場
合
もあっ た 。 後 者は 「全能
のア ッ ラ ー 」 の 意 味で あ る。14
世 紀の ホ ーラ ズ ム ・テ ユ ル ク語に よる ラブ グ ーズ ィ ーr
預
言 者伝』 で も, ア ッ ラ ーを指 すの に テ ン グ リとい う語が使われてい る他に , こ の ウ ガ ン とい う 語 も 「全能者 (
嵩 ア ッ ラ ー)
」 の意味
で使
わ れてい る。 た だ ウガ ン とい う語は こ の時代
以降
の史料
に は見
え ない よ うで ある。18
世紀
半ば の イ ラ ン で作 成された 『石 ころ道』Sangldkh
と呼 ば れる チ ャ ガ 一82
一 バーブル の神(間 野)タ イ語= ペ ル シ ア 語
辞
典にも , 「テ ン グ リ」 は 「至高
の神 様の名で あるis
皿 ・i
janab
−i
btirl
−ta
‘ ala ast 」 と説 明
されて い る 。 この 場合
の 厂至高
の神様
」 は 「ア ッ ラー」 を指 す と考えて間違い な い で あろ う。以 上 か ら
見
て, イ ス ラ ーム を受容 した中央ア ジア の テ ユ ル ク族の 間 で イス ラ ーム の神
ア ッ ラーが,伝統的
なテ ソ グ リ とい う名
で 理解
されてい た こ とは確
か であろ う。 ア ヅ ラー とテ ン グ リが, ともに 唯 一絶対
の 「くつ がえす こ との で き ない , 世 界の 秩序の 維 持 者」’として , ほ とん ど同 じもの と して理解
されて い た の で ある。なお, テ ソ グ リが
12
〜13
世紀
の モ ン ゴル 帝 国時 代の モ ン ゴ ル 人 らの 間で もき わ め て重 要な存 在であっ た こ とは, 先 行 研 究に よ っ て よ く知 られて い る所
で あ る。世界
は天神
で ある 「永遠
なる テ ン グ リ m6ngke tengri 」 に よ っ て モ ン ゴ ル 人 らに賦 与され た と考え られ た。 モ ソ ゴ ル 帝 国の最高
権 力者で ある大カ ー ン の モ ン ゴ ル語
に よ る命令文
の 冒頭
に も 「とこ し え なる テ ン グ リの 力のも
とに m6ngke tengri −yin
kildin
−dttr
」 とい う表 現が定
型 句 とし て用い られて い る。た だ こ の
定
型 句は イス ラ ーム を受 容した イル ・ハ ー ン 国の ガ ザ ン ・ハ ー ン の時代
に は 「至高
の ア ッ ラーの お 力の もとにbi
−quvvat
・i
Allah
ta‘ala」 とい う表
現に 代 え られてい る こ とは ぎわ め て興
味深
い 。「テ ン グ リ」 とい う語の語 源に つ い て は , シ ュ メ ル 語の
dingir
(
神)
, テ ユ ル ク語の tang(
曙光)
, 漢語
・韓
国語
の天 理 とする説
な どがあ
るが, い ずれ も な お定 説とはなっ てい ない。以 上で テ ン グ リの
概
観をお わ り, 以下に 『パ ー プル ・ナ ーマ 』に 見え る 「ア ッ ラー」, 「テ ソ グ リ」, 「ホ ダ ーイ 」 に つ い て検討
したい 。検討
の便
宜 の ため に,「ア ッ ラ ー」,
「テ ン グ リ」,
「ホ ダ ーイ 」 に
関
する用 例を, 内容が 同 じも の ご とに分類
し, それ らの用 例の 全 部で は ない が, 一部の 文章
の邦 訳を コ メ ン トと共に示す と次の ごとくになる。3
ア ッ ラ ー3
−1
.「もし至
高
の ア ッ ラ ーが望まれ る な らぽ(
insha
’11ah
ta‘ala)
」,「も しア ッ ラ ー が望 まれ る な らぽ
(
insha
’11ah
)
」 とい うア ラ ビア語
の表
現こ の ム ス リム が
用
い る表現
とし て最
も よ く知られてい る表
現 「イ ン シ ャ ッ ラ ー 」 は, 以下に示す ように , バ ー ブル がイ ン ドの強
敵ラ ーナ ー ・サ ン ガ ーとの戦
い を前
に して出した, シ ャ イフ ・ザ イ ン起草
の ペ ル シ ア語
に よる禁
酒令 (
史
料2
)
の 中に1 度
, ま た, バ ー ブル が長子フ v 一ユ ー ン に宛てた チ ャ ガ タ イ語 龍谷大学論 集 一83
一書簡 (
史料
3
)
の 中に3
度
, ノミー ブル の 普 通の チ ャ ガ タ イ語
に よ る記述 (
史料
1
,4
)
の中
に2
度
, の計
6
度
見 られる。換
言す れ ぽ, 校訂本
で600
ペ ージを 越 える 『バ ーブル ・ ナ ーマ 』の 中に , こ の よ く知 られた表 現が僅
か6
度しか出
て こ ない とい うことにな る。史料
1
〔
409
〕
私(
= パ ー プル)
はペ グた ち に向け
人を遣わ し ,途 中
1
泊
し て,
(
パ キス タ ン , パ ン ジ ャ ーブ地方
の)
チ ャ ーナ〜ブ河畔
に下 馬 し た。その 途 中, 私たちは
横道
にそ れ, 王領
地である バ プル ール プル を 見て廻 った。 城は チ ャ ーナ ー ブ
河畔
の 高い絶
壁の 上 に位置
して お り , 大変
気に入 った。 私た ち はス ィ ヤ ール コ ー トの 民を こ こ に 移す
事
を考えた 。 もしもア ヅ ラー が望まれて
(
insha
’11ah
)
, そ の 機 会が到 来す れ ば, ただち にそ うす る事に した。史料
2
〔
505
〕堂
々 た る勝利
をも
た らす
わ が下僕
た ち は,幸
せ をも
た らす
命 令に従っ て, そ の数 と美し さで 高き天 空の 星 の
如
くに す ぽら し き宴
席を飾り,
栄光
の 聖 なるイス ラ ーム法
をぽ卑
しく粗悪
なる大
地へ と投げす
て た ところ の 金銀の ゴ ブ レ ッ ト, カ ッ プ, その他の諸 器 具を, もし至高のア ッ ラ ーが
望ま れ るな らぽ
(
insha
’11ah
ta
‘ala)
近々 私た ち が打ち くだ くこ とに な るはずの諸 偶
像
の 如 くに, こ な ごなに粉砕
した。 そ し てそ の各片
を困窮者
やあわれ な
者
た ちに投 げ与
えた。史 料
3
〔
558
〕ま た,(
バ ーブル の 次 男)
カーム ラー ン と カー ブル 在住のべ グた ちに 「行っ て
(
ノミーブル の 長 男)
フ マ ーユ ー ン に合流
し , ヒサ ール とサ マ ル カ ン ドか , どの方 面で あれ, も しそ れが 国益に な る ような ら, 進め。
テ ン グ リの 恩 恵に よっ て,
敵
を破
り, 国を取 り, 友を よろこぽせ ,敵
を逆
さに し て やれ」 とい う命 令を 出し て ある。 もし至
高
の ア ッ ラ ー が望 まれ る な らば
(
insha
’11ah
ta‘ala)
, い まこそ, お前
た ち が意
を決
し て 刀を ふ る うぺ き時なの だ。
(
中略)
もしテ ン グ リの恩
恵 に よっ て バ ル ブ とヒ サ ール 地方を征 服で きたな らぽ, ピサ ール に お
前
の 部下を置
き , バ ル ブ に カ ーム ラ ーン の部
下を置 くよ うに せ よ。 もしテ ン グ リの 恩 恵に よっ てサ マ ル カ ン ド を も制圧 で き
た な ら, サ マ ル カ ン ドで お前が統 治せ よ。 ピ サ ール 地方は , もしア ッ ラ ーが
望ま れ る な ら
(insha
’11ah
)
, 王領
地 とす
る予定
で ある。 もしカ ーム ラ ー ン がバ ル フ で は不 足だ と云 っ た ら, その
事
を報告
せ よ。 もしア ッ ラ ーが望まれるな ら
(
insha
’11ah
)
, 私が そ の不 足分をか の 諸地方か ら補っ てやるつ もりだ。史料
4
〔
561
〕
口頭で伝
え るべき
指令
の内容
は以下の如
くであっ た :「ザルブ ・ザ ン 砲 と荷
車
と火 縄銃が戦の ため の諸 設 備 ・諸 用 具で ある。(
中 略)
私 一 84 一 バ ーブル の神 (間野 )は ガ ン グ
(
=ガ ン ジス 川)
の 対 岸に 居るすべ て の ス ル タ ー ンた ち とア ミールた ちに,
“
(
バ ーブル の3
男)
ア ス カ リーの もとに集結
し て, 一つ の 方面
に ,もしそ れ が国益に な るな らば, テ ン グ リの 恩恵に よっ て進軍せ よ。 か の 方面
に い る味方の 者た ちと相 談せ よ” と命じた。 もし私に もその 必要が生 じるな
ら,
約
束の期
日を伝
えに 行っ た者 が帰
っ て来
た ら, もし至高
の ア ッ ラ ーが望ま れ るな ら
(
insha
’11ah
ta‘ala)
,私
も た だ ちに, 出馬 す るつ もりで ある。また, ム ス リム が
常
に使
用 する 「至高
の ア ッ ラーAllah
ta ‘ ala」 とい う表現
も,先の史
料2
,3
,4
に 各1
度
見える以外
は,禁
酒令
の 末尾の史料
5
〔
506
〕
至高
の 命令
に よっ て書
か れた。 至 高の ア ッ ラ ー(
Allah
a1−muta ‘ ali
)
が これ(
= こ の勅
令)
を高め , こ の有
効 性を永遠に保た せ給わ ん 事を。 とい う文の 中に, や や形を 変えて1
度, つ ま り全部で4
度
見 られる に 過 ぎな い 。 こ の数
は普
通の ム ス リム に よる使用
例 の頻度
か ら考
える と極め て少ない と見
るべ きで あろ う 。3
−2
. 「ア ッ ラー」 の単 独での使 用「ア ッ ラ ー」 とい う
語
の 単 独で の使
用は , 以下
に 示す
ように , シ ャ イ フ ・ザ イ ン起 草の ペ ル シ ア 語に よ る禁 酒令(
史 料6
)
の 中で4
度 , イ ン ドの強敵
ラ ー ナー ・サ ー ン ガ ーに対する勝 利を各
地に伝えた シ ャ イ フ ・ザ イ ン 起草
のペ ル シ ア語に よ る捷
報(
史
料7
)
の 中に11
度, さ らにバ ー ブル のチ ャ ガタ イ語の 詩(
史 料8
)
の 中に1
度
, つ ま り計16度見
えるが, その うち5
度
は 『クル ア ー ン 』 な どア ラ ビア 語の 文 章の引
用 中に 見え る もの で あ る。 さ らに後
の 史 料10
−2
に1
度 単 独で 見える もの や, 本 稿で は 引用しない が校訂 本 〔506
〕に見える もの も, や は り 『クル ア ー ン 』の ア ラ ビ ア 語の文章
の 引 用 中に見
え るもの で ある。以上か らすれば, 「ア ッ ラ ー 」 とい う語は, 単 独で はパ ー プル
自身
が執筆
し た チ ャ ガ タ イ語の文 章の 中では 使 用されず, シ ャ イフ ・ザ イ ン起 草の ペ ル シ ア語
の文章
やア ラ ビア語
のr
クル ア ー ン 』の引
用, そ し てバ ーブル の詩
の中にの み 見えるこ とに な る。 詩の 中で バ ーブル がア ッ ラ ー とい う語
を使用したの は,韻
律の 関 係か ら と考えて間違
い ない 。 つ ま りバ ー ブル は 『バ ー ブル ・ナ ーマ 』 の チ ャ ガ タ イ語の 散文の 中で は, ア ッ ラ ー とい う語を単 独で は ほ と ん ど全 く使用
し て い ない の で ある。史料
6
〔
504
〕 そ れを避 け られるの は, た だ多
くを赦
し給
うお方
のあ
われみに よっ て の み で ある。
“ それはア ッ ラーの な さけで ある。
彼
はそ れ を求め 龍谷大 学論 集 一85
一’ る
者
に与
え給
う。 そ して ア ッ ラ ーは 力強
き恩恵
の 主で あ らせ られ る ”(
中 略)
。 こ の時
,私は “ 信 ずる者
た ち が , ア ッ ラ ーを念
じ, 啓示 された真
理に 身 を低 くす る時は ま だ来ない の か ” とい う, 眼に見えぬ激 励, 疑 う余地 な き 天 上 の 声を 聞い た の で ある。(
中略) すなわ ち, わ が神に 守 護された る王 国 の 治下で はア ッ ラ ーがわ が王 国を
悪
や危険
か ら護 りた まわん事を一 い かな る 者 も, 絶 対に飲酒 の 禁を 犯 す な。 酒 を 手に入れ よ うとするな。 酒を造 るな。酒
を売
るな。酒
を買
うな。 酒を所有
するな。 酒を持ち込 む な。 酒を持
ち出すな と。 “ そ れ を避 け よ。 そ うす れば, 恐 ら く成 功する であろ う ” 。史料
7
〔
509〕約束
を守り, 下僕
らを助
け, 軍 隊を強化 し,敵
を敗走
させ る,唯
一者 ,他
に何
も無
きお方, ア ッ ラ ー を讃
え たて まつ る。お お !正 しき道を歩む 神の
友
らを助
け, イス ラ ーム の 柱を高
め る お方。 反 逆 す る敵
を屈 服させ, 偶像
の 柱を倒
すお方。“ か くして, 不義の徒は切 り落 とされて し まっ た 。 万
世
の 主, ア ッ ラ ーを讃
えた て まつ る ” 。 そ して か の被 造物
中の 最 もよき老に して, ガ ーズ ィ ーら と信仰の戦士 らの 君主た る ム ハ ン マ ドとその一族
に, そ し て ま た最後
の審 判の 日に至 るまで正 しき道 を 示す教 友た ち に ア ッ ラーの 祝福
の あ らん事を。(
中略)
〔
510
〕
ア ッ ラ ーを讃
え たて ’ まつ る 。 すな わ ち,“ ゆ り・か ご か ら
今
日 に至る ま で”, 幸せ を願 う心 と正 し さ を求め る理性の 根 源的な希 望で あり, 真か らの 願 望であっ たか の最大
の幸
福 と最
高の恩 恵 が,今
日こ の幸
ある時代
に , つ い に全智
の 陛 下の 恩情の 隠れ 家か らそ の姿
を現 し た の である。(
中略
)
〔
512
〕
933
年
ジ ュ マ ーダー ウ ッ ・ 鈴 サ ーニ ー月
13
日土曜
日一 “ ア ッ ラーは お前の 土曜日を祝福
された” の 一句 が, こ の 日が神
に祝福
された 日である事
の証
しである 一 イス ラーム の 勝利 の 軍 隊は宗教 の敵
の軍か ら2
ク ロ フ(
= 約4
キ ロ)
の 位置にある山の 襟 野 , バ ヤ ーナ 郊外の カーヌ ワーハ 附 近に 幕営を きずい た 。(
中 略)
そし て〔
513
〕
灼熱の 太陽 光線
の如 くに 光 り輝 くその もみの木
の 先 端を “ア ッ ラーの道
に努
め る者た ち” の高
揚した 心の如
く,高
き頂へ とか か げた。(
中
略) 〔
519
〕
そ して ま た無
謬の伝
達 者か ら “ア ヅ ラ ーか ら助 けが来
る。 勝利
は近い 。信徒
ら G5 に とっ て形勢
は有
利だ ” とい うよい 知らせ を 聞い た。(
中 略)
〔
519
〕こ の 時, 勝 利 と幸 運の そよ風がわ が幸 多 きナ ワ ー プ(
= バ ーブル)
の 幸 運の 牧場 的 の 上を吹
き渡
り,“ げに
我々 は汝に明 白な勝利を
授
けた” とい うよき知ら せを もた らし た。 その世 界を飾る美 し さが “ ア ッ ラーは力強 ぎ援助で汝を助 ける” とい う揺れ動 く小環
で飾 りたて られてい る勝 利の 証したる お方は, ヴ ェ ール の蔭
に隠さ れて い た幸運を我々 に 恵み た まい , 勝利を現 実の もの に し 一86
一 パ ープル の神 (間野 )て 下さっ た の で ある。
(
中略) 〔
520〕
彼 らは 背後
へ と逃 走 し た。 ア ッ ラ ーの命
令は 必ず
その通
りに実
現 される もの。 全聴者
, 全智
老た るア ッ ラ ーを讃
え たて まつ る。 何故 な ら勝 利へ の助
けは全能全智
の ア ッ ラ ーの 側か らの み もた 鰺 らされる もの なれ ぽ。933
年
ジ ュ マ ー ダ ーウ ・ル ・ア ー ヒ ル月
25
日に書
かれ
た 。史
料8
〔
528
〕私 共 もア ッ ラ ーの お か げで幸い 死なず
に お ります。多 くの
苦
し み や限 りない つ らさを経 験 し ま し たが。3
−3
. ア ラ ビア語
の祈
疇文
中で の使
用 バ ー ブル が , カ ー ブル に お ける モ グ ール の 反乱に直 面 した際に唱 え た次の祈疇文
中で は ア ッ ラ ーの語
が6
回使用
されて い る。 ただし, もとも とこ の祈蒔文
がア ラ ビア 語の 祈 濤文で ある以 上 ,文中に ア ッ ラーの 語が使わ れて い るの は当 然で ある。史
料9
〔
311
〕「慈悲ふ か く慈
愛
あまね きア ッ ラ ーの 御名に おい て。 ア ッ ラ ーよ !あなた はわ が 主。あなたの 他に 神は無い。 あなたを信 じ奉る。 あなた は
強
大なる 玉 座の 主。ア ッ ラ ーが お望 みに な る事が起こ り, お 望 みに な らぬ事は 起こ りはせ ぬ。
至 高至大の お方の もと以
外
, い か なる力 も存
在 し は しない 。知れ
1
げ
に ア ッ ラ ーは全て の 事柄
に対 して 全能
で あらせ られ る。ア ッ ラ ーは全 ゆる事を完
璧
に 知 り給い , 全ゆ る事
を完
全に 計 算し給 う。ア ッ ラ ーよ
1
私自身に か かわ る災厄 も,そ れ 以外の 者 た ちに かかわ る災 厄も,ま た全て の
災厄持
ちの災厄
も,全
て の動物
たちの 災厄
も,あ
な たに お返し奉
る。そ れ らの 前
髪
をつ かん で お受取 り下 さ らん 事を。あ
な た は まこ と強
大な る玉座
の主。」3
−4
. ア ラ ビ ア 語の定
型 句 中での使用
ム ス リム が しばしば
使
用 するア ラ ビア語の定
型 句があり, その 中に ア ッ ラ ー の 語が含まれ る場 合がある。 ・ミー ブル が その よ うなア ラ ビア 語の定
型 句を使 う 以上, ア ッ ラーの語
がその中
に 見えるの は当然
で ある。 (1)
「ア ッ ラーの 御
名
に お い て(
bismi
’11ah
)
」ま
ず
, ム ス リム がすべ て の行
動を起こす 前に 口に する 「ア ッ ラ ーの御
名に お 龍 谷大学論集 一87
一い て
(
bismi
’11ah
)
」 は以下に 示す 文 例の他
に , すで に史
料9
の冒
頭に も見え た の で, 計5
回見 える こ とになる。史
料10
− −1
〔
3
〕慈悲
ふ か く慈愛
あまね きア ヅ ラ ーの 御名
に お い て。 史 料10
−2
〔464
〕1
分の 長さ は概ね 「フ ァ ーテ ィ ハ 」 を 「ア ッ ラーの 御名
に おい て」 を も含
め て6
回 となえる長さ で ある か ら,1
昼 夜(
=1440
分)
の長さは, 「フ ァ ーテ ィ ハ 」 を 「ア ッ ラ ーの
御
名に おい て」 を も含
め て8640
回となえ る長さ とな る。
(
中略) 〔
465
〕
次に各
ガ リ ーを60
に区分 し て , その一つ 一つ をパ ル と呼ん で い る 。
(
中 略)
私は1
度パ ル の 長さ を 実験し て みた。 厂言 え, かれは ア ッ ラ ー」 を 「ア ヅ ラ ーの 御
名
に おい て 」 を も含め て, お よそ7
回読 誦する長さで あっ た。 つ ま り,1
昼 夜で は,28
万800
回 それを 読 誦する長さ と なる。 (2
)「ア ヅ ラーの慈悲が与え られん事を
(
rabmatu ’11ah
)
」人名の
後
に 加え られるこ の挿
入句は1 度
だけ 見 られ る。史
料11
〔
207 〕
ミール ・サ イ イ ド ・ア リー ・ハ マ ダ ーニ ー一 ア ッ ラ ーの慈悲が与え られん事を一 が旅を し て
来
られて , ク ナ ル か ら1
シ ャ ル イ ー(
= 約6
キ 卩)
上流の 地 点 で逝去 された 。(
3)
「ア ッ ラーが
最
もよく知 り給
う(
Allahu
a ‘la
皿 u)
」不
確i
か な こ とを 云 う場 合に付
け 加 え るこ の挿
入 句 も1 度
だ け見られ る。史料
12
〔
264
〕
(
テ ィ ム ール 朝ヘ ラ ー ト政権の 君主ス ル タ ー ン ・フ サ イ ン ・)
ミール ザーは冷静に行 動で きなか っ た。 最 後に は彼 ( = ム ザ ッ フ ァ ル ・バ ルラース
)
は毒
殺され た と云 わ れて い た。 真 実はア ヅ ラーが最 もよく知 り給至
.。(
4)「ア ッ ラーの お か
げ
で(
al −bamdu
li
’11ah
)(
bi
−bamdi
’11Ah
) (
al −minnatuli
’11ah
)
」ア ッ ラ ーへ の
賞讃
の 気持
ち を表
すこ の 三 つ の定
型 句も全部
で9
度見
られ る。 以 下に その 内の2
例の み示す。史料
13
〔
404
〕
8
日金 曜 日, ガ ン ダマ ク に下馬し た 時, 私はひ
どい鼻
風邪に か か っ た 。 ア ッ ・ラーの お か
げ
で(
bi
−hamdi
’11ah
)
,無事
に 快癒 した。史料
14
〔
576
〕 次に, この 四行 詩は去年作
っ た もの で す。実際
, こ の2
年
間, ワイ ンの
宴
会を し た い とい う願い は 無限の もの が あり ました。 酒へ の断ち が た い 想い の 故に 泣い た ほ どで す。 で も,
今年
は, ア ッ ラ ーの お かげで(a1一
草
amduli
’11ah
)
そ の よ うな 心の 動 揺はす っ か りな くな りま し た 。 一88
一 パ ープル の神 (間野)3
−5
. ア ッ ラ ーの 民(
ahl −i
Allah
)
とい う表 現イス ラ ーム
神秘
主義教
団ナ クシ ュ バ ン デ ィ ー派の 首 長で あっ た ホ ージ ャ ・ウ バ イ ド ゥ ッ ラ ー ・ア フ ラール を指す 言葉として1
度の み使用 されて い る。 絢史
料
15
〔
572〕私
は, 様々 な書体
で翻
訳を書
くため に,今
日,11行分
の ミス タ ル を
作成
した。 同じ日, ア ッ ラ ーの 民の お言葉
が 私の 心に警
告を与え た。3
−6
.人 名の 一部ア ヅ ラーを 人名の 一部とする
名前
と しては, ア ブ ドゥ ッ ラ ー ‘Abd
−Allah
, ウバ イ ドゥ ッ ラー ‘Ubayd
−Allab
・ ア サ ドゥ ッ ラ ・一一 .Asad
・Allah
・ ア ッ ラ ー ・ベ ル デ aAllah ・berdi
, ヌ ール ッ ラ ーN
ロr・AIlah
,ア タ ーウ ッ ラ ー ‘Ata
’・Allah
, イ シ ュ ク ッ ラ ー ‘Ishq
−Allah
, ア ッ ラ ー ・ヴェ レ ンAllah
・Veren
の7
つ と, 一種
の尊称
とし て の ヒ ズ ブル ッ ラ ーHizbr
−Allah
が見 える。 ア ブ ドゥ ッ ラ ー, ウバ イ ドゥ ッ ラーは共に 「ア ッ ラ ーの 奴隷」 の 意。 ア サ ドゥ ッ ラ ー , ヒ ズ ブル ヅ ラ ーは 「ア ッ ラ ーの獅
子」, ア ッ ラ ー ・ベ ル ディは 「ア ッ ラ ーに よっ て与
え られ た」, ア タ ーウ ヅ ラ ーは 「ア ッ ラ ーの 贈 り物
」, ヌ ール ヅ ラ ーは 「ア ッ ラ ー の光
」, イ シ ュ ク ッ ラーは 「ア ッ ラーの愛
」 の意
であ
る。 ア ッ ラ ー ・ ヴェ レ ン は テ ユ ル ク メ ン 人の 名で あるが, 「ア ッ ラーが与えた」 の意 味である。3
−7
.ア ッ ラ ーに関
する小結
以 上の
r
バ ー ブル ・ナーマ 』 に お ける ア ッ ラ ー とい う語
の使
用 例か らす れ ば, バ ー ブル 自身
はア ッ ラ ー とい う言葉
を, ア ラ ビア語
のr
クル ア ー ン 』や祈
濤
文, さ らにア ラ ビア 語の 定型句や詩の 中な どで使
用する以外
は,彼 自
身が執筆
し た チ ャ ガ タ イ語本文
の中
で は ほ とん ど全 く使
用 し て いない こ とが分
か る で あろ う。 この 事 実か ら, パ ー プル が神を想起 するとき, その 脳裏に は ア ッ ラー とい う語が常に は浮か んでい なかっ た こ とが推定
される。 事実
, パ ープル の常
に思 い浮かべ る神の 名は ア ッ ラ ーで は な く, テ ン グ リ で あっ た 。 こ の ことを次 に 明らか に し た い 。4
テ ン グ リ4
−1
.「至
高
の テ ン グ リtengri
ta‘ala」 とい う表
現先
に3
−1
で 見た よ うに 『・ミー ブル ・ナ ーマ 』 に は 「至高の ア ッ ラ ーAllah
ta
‘ala
」 とい う表 現はわずかに4
度し か登 場 しなか っ た。 そ れ に 対 し て 「至高 龍谷大学論集一89
一の テ ン グ リ tengri ta‘ala」 とい う
表
現は, 以下にその 一部
の文
例を示 す よう . に, 全 部で22
度 も見 られる。 こ の こ とか ら見れ ぽ, バ ー ブル が神
を通常
はア ッ ラ ーで はな くテ ン グ リの 名で認 識し てい た こ とは ほぼ 明 らか で あろ う。事実
, 『バ ー ブル ・ナ ーマKWIC
索引』
を利 用する と , 『バ ー ブル ・ナ ー マ 』 の中
で テ ン グ リとい う語が124
度使
わ れて い る こ とが わか る。 ただ し, こ の124
度の 内15
度
はTengri
−qu11
な ど人名の 一部 とし て使われてい る もの なの で, これ を除 くと テ ン グ リとい う語
e
*10g
度 使わ れ て い るこ とに な る。 こ れに 対 し て ア ッ ラーは, 先に 「L
研究
方 法」 の 部 分で述べ た ごと く, 人名
を除 く と47
度 使わ れてい た。 こ の数 字を比 較 すれぽ, テ ン グ リ とい う語の使用 回数
が ア ッ ラ ーの そ れ を搖
か に 上 回るこ とが知られ るで あろ う。 その 上,3
の 項で 見 た ご とく, バ ー ブル 自身は彼
自身
が書い たチ ャ ガ タ イ語の 本文の 中でア ッ ラ ー とい う語
を ほ とん ど全 く使用
し て い ない の であ
る。 パ ー プル の神
の名
が ア ッ ラ ーでは な くテ ン グ リ で あ っ た と考え るの が 自然 であろ う。こ こ に は 厂至高の テ ン グ リ」 の 使わ れて い る文 例を三つ の みあげる。
6D
史
料16
〔
67
〕
ラ ビーウル ・ア ッ ヴァ ル 月の 下旬
, 私は(
サ マ ル カ ン ドの 町に
)
到着
して ,内
城に あ るブス タ ー ン ・サ ラ ー イに 下 馬し た 。 至高の テ ン グリの お恵み に より
(
tengri ta‘ala‘ ‘inayatl
bilti
)
, サ マ ル カ ン ドの 町 と地方
が
(
私に よっ て) 領 有 ・征服 され た。62
史 料
17
〔
198
〕
ラ ビー ウ ・ル ・ア ッ ヴァ ル月
下旬
, 至高の テ ン グ リの 温 情と恵み深さ とに よ っ て
(
tengri
ta
‘ala
fadl
ukaraml
bilti
)
, 私は カ ーブルとガ ズ ニ ーの 王国と
諸
地方を ,戦
う事 も争
う事も無
く獲得
・領
有し た の で あ る。 63史
料18
〔
431
〕こ の年
(
ヒ ジ ュ ラ暦
925
年)
よ り 〔432
〕932
年
に至 る まで ,私は
懸
命に ヒ ン ドゥ ース タ ー ン に 進撃
した。7
〜8
年
間に ,5
度
ヒ ン ドゥ ース ター ン に出兵 し た 。 そし て
5
度 目に, 至高
の テ ン グ リは, その自
らの 身に本 来 そ な え給 う温 情と恵み深さ とに よっ て
(
tengrita
‘ala
62
fa41
ukaraml
bilti
)
, ス ル タ ー ン ・イ ブ ラ ー ヒ ーム の如
き敵
を破滅
させ , ヒ ン ドゥ ース ター ン の
如
き国 を 私 た ちの 支 配下に置 き給 うた の である。4
−2
.温情
にあふれ , 恵み深い テ ン グ リ「至高の テ ン グ リ 」に
関
する先
の文
例(
史料16
,17
,18
)
か ら も分
か る よう に , テ ン グ リは 「温 情と恵み深さfadl
ukaram
」 に満ち, その 「お恵みに よ っ て ‘inayatl
bila
」 バ ー ブルtx
強敵
を破 り , 諸地域を征服で きた の である。 一90
一 パ ープル の 神 (間 野)『バ ーブル ・ナ ーマ 』 に は これに関する文 例が
最
も多
く, 「テ ン グ リの お恵み
に よ り tengri
(
−ning)
‘inayatl
bila
」 とい う表 現の みで も23
例 ある。 ・ ミー ブル に とっ て テ ン グ リが常に彼に 温 情を示し て くれる優 しい ,実
に有
り難い 存 在であ
っ た こ とは明らか で ある。 以下に ご く 一一部で は あるが文 例を 示す 。史料
19
〔
129〕
私がサ マ ル カ ン ドを取
っ た 時, 合計
240
名
の 部 下が い た。 しか し私た ちは,
後
に述べ る如 く ,5
〜6
ヵ月の 間に , 至高の テ ン グ リの お恵みに よ り
(
tengri
ta
‘ala −nlng ‘inayatl
bila
)
,(
ウ ズ ベ ク の)
シ ャ イバ ク ・ハ ー ン の
如
き人物 とサ リ ・プル で会 戦す る程に ま で な っ た の である。史料
20
〔
428
〕
至高の テ ン グ リ は, そ の 恩情と恵み深さ とに よっ て(
tengrita‘
豆
la
fa41
ukaram
bil
互), こ の よ うな難 事
(
= パ ーニ ーバ ト の戦い で の 勝利
)
を私た ち に 容易なもの とし て下さ り, ま たあの よ うな 大軍を, わずか半日間で , 大 地に倒 れ させ
給
うたの であ
っ た。史 料
21
〔
495 〕
この 出来事 (
= バ ー ブル暗殺
の 企て)
を想
い浮
べ るごとに ,私の 心 は か きみ だ される。 私に
新
たに 生命
が恵み与え られたの は, 至高の テン グ リ の お恵み
(
tengri
ta‘ala −nlng ‘inayatl
)
があっ たが故 で あろ う。史 料
22
〔
558
〕至高の テ ン グ リ は, その 御身
に自ず
か ら備
わ っ た 温 情 と恵み 深さ とに よっ て
(
tengri ta‘
ala
6z
fadl
ukaraml
bilti
)
, 私たちの 諸事 業をお進め 下 さっ て お られる。 この よ うな事は, どの 時 代に も稀な こ と なの だ。
4
−3
. テ ン グ リ を信 じ るこ の よ うな温
情
に あふれ,恵
み深い テ ン グ リ であっ て見れぽ, 以 下の 文 例に 見える よ うに, バ ーブル が ,自
軍がた と え 少人 数で あっ て も, テ ン グ リを信 じ, 思い 切 っ て 次の 行 動に 出た こ とは十分に理解
で きる。 そ して彼
の 信 頼は テ ン グ リ に よ っ て応え られた の であ
る。史料
23
〔
99
〕
軍に 加わ る騎
兵 ・歩 兵 を諸
地方
か らさが し求め, またあち らこ ち らに公 務の た め に
赴
い て い た家 臣 ・騎兵 らを集め させ て, とに か くテ ソグ リを信 じ
(
tengri −ga
tavakkulqil1P)
, ム ハッ ラ ム 月
18
日,私
は(
フ ェ ルガ ーナ の オ シ ュ に 近い
)
ハ ーフ ィ ズ ・ベ グの チ ャ ール ・パ ーグへ と出発した 。史 料
24
〔
107
〕 私た ちも遠方
にい る 味方
の 事は考えず
, そこ に居た部 下たち と共に , ただちに, 冬の 厳寒の さ中, テ ン グ リを信じ
(
tengri −ga
tavakkulq111P)
, (フ ェ ル ガ ーナ の)ア ンデ ィ ジ ャ ー ンか らバ ン ディ ・サ ーラ ール 道を取っ てス ル タ ーニ ム とアフ マ ド ・タ ン バ ル にむけ
出
発し た 。 龍 谷大 学論 集 一91
一史料
25
〔
331
〕 (
カ ン ダハ ール の戦い の 際)
私 と一緒に は11
名が 残 っ て い た。 そ の内
の1
人がア ブ ドゥ ッ ラ ー ・キ ターブダ ール であ っ た。(
敵将
の)
ム キ ーム は なお踏み留まっ て戦
っ て い た。 私た ち は自
分た ち が少人数
で あ る 事に は眼 も くれず
, テ ン グ リを 信じ(
tengri
・ga
tavakkulqll1P)
, 太 鼓を打 ち な らし て敵
め ざし て進撃
し た 。史料
26
〔
433〕 (
パ ーニ ーバ トの戦
い の 際)
私たちは こ の ような 状 況の 中 に, この よ うな軍 事 力を以て,神を信 じ (tavakkulq111P
)
, ウズ ベ クの如
き10
万 の軍勢
を誇
る仇敵
を背後
に背負
い ながらも
, ス ル タ ー ン ・イ ブラー ヒ ー ム の如
き大 軍を擁 し広 大な領地 を所 有す る 君 主 と相ま み えたので あっ た。 至高
の テ ン グ リ は,私
た ちの こ の信
頼にふ さわ しく (tavakku1
−umlz −ga
yara
一 sha , tengri ta ‘ ala)
, 私たちの苦し み や艱
難を無
駄に は されず
, あの よ うな強力
な敵
を壊滅
させ給
い , ヒ ン ドゥ ス タ ー ンの如
き広
大 な王国を征
服させ給
うた の で ある。 私た ち は, こ の 幸
福 (
davlat
)を私た ち自身の力に よ る ものとは考えて い ない 。 そ うで はな く, こ の
幸福
は, た だ単に 神の 恩 恵 と恩愛
(
lutf
u shafaqat)
に よ る もの に し か す ぎない 。 ま た 私たちは, 幸 運(
sa ・ ‘ adat)
を私た ち自身
の努
力と精
励に よ るもの とは見
な して い ない 。 そ うで はな くま さ し く純 粋に テ ン グ リの 恵み深 さ とお恵みに よる もの に しかす ぎない
の で あっ た。 信 頼に対 す る テ ン グ リ に よ る応 報につ い て の バ ーブル の 考えは次の 史 料例に も 明白に示 されて い る。
史料
27
〔
325
〕 これらの 人々 と 一緒に 私た ちが(
カ ン ダハ ール の東 北方
にある
)
カ ラー トに到達す
る と, カ ラ ー トに商売
の ため に来
て い た と思われる多数
の ヒ ン ドゥ ース タ ー ン の商
人た ちが逃げ
られない で い た。 兵士 らが彼 ら の 所に さ しか か っ た。 ほ とん どの者
た ちは, こ の ような戦時
に敵
の 国に来
た 者た ち は略 奪すべ きだ とい う意 見で あっ た 。 し か し私は 同意
しなか っ た。 私 は 厂商人 らに どん な罪
がある とい うの だ ?も し私 達が, 神がお よろ こびに
な る事を 願 っ て
(
tengri ridas1 −nl ara −da
k6rUp
)
, こ んな ご く小さな利 益はすて お くな らば, 至高の
神
はその 見返 りに きわ め て大 きな利 益を必 らずお恵
み下 さる はずで ある
(
mu −nln mubilasi
−da
kulli
kulli
fava
’id
tengrita
‘ala ruzi
qilghusi
dur
)
。