奈良教育大学学術リポジトリNEAR
荘子言語観の解析
著者 ? 晋杰
発行年 2009‑03‑25
URL http://hdl.handle.net/10105/916
書
平成二十年度修士論文
荘子言語観の解析
邦晋禿
教科教育専攻
国語教育専修
目次はじめに
●
第一章 先秦時代の言語観
第一
節
﹁名
﹂
につ
いて
第二節 ﹃論語﹄における孔子の言語観
第三節 ﹃有子﹄ の言語観
第四節 ﹃墨子﹄ の言語観
第五節 ﹃老子﹄ の言語観
第二章 ﹃荘子﹄における言語観
第一
節
﹁言
﹂
と
﹁道
﹂
との
関係
第二
節
﹁名
﹂
と
﹁実
﹂
との
関係
第三
節
﹁言
﹂
と
﹁意
﹂
との
関係
第三章 諸子百家との比較を適した荘子言語観の独自性
第一節 老子言語観の継承
第二節 有子言語観の分岐
第三節 墨家言語観の分岐
第四章 荘子言語観における言語応用の方法論について
おわりに参考文献 2
はじめに
●
本研究の目的は荘子及び荘子学派の言語観とその言語観の独自性を'他の諸子百家との
比較を通じて明らかにすることにある︒本論は四つの部分に分けて論ずる︒第一章では先
秦時代における諸子百家の言語観を研究して﹃荘子﹄ の言語観を生み出した時代の思想背
景を明確にする︒第二章では﹃荘子﹄に基づいて'﹃荘子﹄の ﹁道﹂や﹁言﹂ の関係'﹁名﹂
と
﹁実
﹂
の関
係︑
﹁言
﹂
や
﹁意
﹂
の関
係︑
﹁言
語﹂
や
﹁
体悟
﹂
の関
係及
び言
語の
役割
や機
能
を総合的に研究して'﹃荘子﹄の言語観を明らかにする︒第三章では諸子百家の言語観との
比較を通じて特に老子言語観の継承へ 有子言語観の分岐を通じて﹃荘子﹄の独自性を明ら
かにする︒第四車では荘子言語観における言語応用の方法論について論ずる︒
﹃岩波哲学・思想事典﹄によると言語とは人間が音声︑文字へ 身振りなどの記号体系を用
いたコミュニケーション手段の総称であるとされる︒本論では言語観とはその人為として
の言語に対する哲学的な認識と見解だと考えることにする︒道家における言語観を老荘思
想からみると︑究極的真理である ﹁道﹂ はそもそも人為とは関係ないものであり︑﹁道﹂ の
働きは人為である言語によっては表現できないとされる︒さらに﹃荘子﹄において'﹁道﹂
を体得した究極的存在の﹁意﹂はもとより言語を超越する︒つまり'言語は結局的には﹁道﹂
の真実と無縁のものとして否定されるのである︒現実を超越することはう まず ﹁意﹂ にお
いて
成立
する
こと
であ
るか
らへ
﹁
意﹂
が
深め
られ
る︒
だが
︑そ
の
﹁意
﹂
は客
観化
を本
質と
す
る言
語で
は表
現し
えな
いか
らへ
﹃
荘子
﹄に
おい
て
﹁言
は風
波な
り﹂
(
人間
世篇
)へ
﹁
言は
弁ず
れば及ばず﹂ (斉物論篇) と言われるのである︒しかし'言語は自然の音や動物の声とは異
なり
へ
人間
特有
の思
想へ
感
情な
どを
表す
こと
がで
きる
︒何
より
へ
究極
的存
在で
ある
﹁
道﹂
を他者である人間に伝えるには言語によるしかない︒そこで荘子は ﹁予嘗みに女の為に之
を妄言せん︒女以て之を妄聴せよ﹂ (斉物論篇) として言語によるコミュニケーションを始
める︒これは文明社会の産物として︑言語の役割と社会機能を認めたともいえる︒荘子は
﹁言
は意
を在
うる
所以
へ
意を
得て
言を
忘る
﹂
(外
物篇
)
とも
言う
︒こ
の言
説は
その
こと
を言
い得たものであろうか︒﹃荘子﹄は言語の応用方法について﹁寓言は十の九へ重言は十の七へ
尼言は目に出で︑和するに天悦を以てす﹂ (寓言篇) とも述べている︒以上のような言語の
否定の上に立つ言語の応用と言うことができるような荘子の言語観の特質について解析し
たい
なおへ ﹃荘子﹄は中国古代の道家学派の思想を集大成した書とされる︒著者は戦国時代の ︒
荘周とされるが'全篇中へ荘周自筆の部分を確定することは現在のところできていない︒﹃漢
書﹄芸文志に﹃荘子﹄は ﹁五十二篇﹂ と記されているが現在の三十三篇に編集しなおした
のが︑晋の郭象とされる︒郭象は三十三篇を内篇'外篇'雑篇に分け︑内篇を荘子自身の
作としへ 外へ 雑篇を後世の荘子の学派の手になるものと考えた︒本論では﹃荘子﹄をすべ
て荘子学派の代表的な著作として扱うことにする︒﹃荘子﹄に対する注疏注釈について基本
●
的に 清朝
・郭 慶藩 の﹃ 荘子 集釈
﹄に よっ た︒
第7章 先秦時代の言語観
第一節 ﹁名﹂ について
名・分に関する議論は'古代中国において'言語 (名) を通じて意味 (実) の支配をめ
ざす哲学的かつ政治的な言語行為として登場したと言われる一.
﹁名
﹂
とは
'い
った
い何
なの
かと
いう
疑問
があ
る︒
﹃論
語﹄
に
﹁名
﹂
が見
える
がへ
そ
の名
に
ついては昔から二つの説があり︑一つは後漢の馬融の説で'﹁名﹂ とは ﹁百事の名﹂ つまり
さまざまな事物の名称であるとする..いま1 つは︑やはり後漠の鄭玄の説で︑﹁名﹂ とは
﹁文字﹂ のことであるという三︒この二説は1兄へだたりがあるようにみえて'実際はそれ
ほど違ったものではない︒
馬融は ﹁百事の名﹂ であるというが'事物に名をつけるということは'事物を言葉で表
現することである︒したがってへ この場合の ﹁名﹂は﹁言語﹂と置き換えることができる︒
ただ ﹁名﹂ という以上は'言語のうちでも特に名詞だけを指すように見える︒しかし中国
の言語の特徴として'言葉に固定した品詞がなくへ 動詞として使う語︑形容詞として使う
語など'あらゆる語が名詞にもなりうるという事情がある︒そこで ﹁名﹂ は名詞だけでな
くへ 動詞や形容詞などさまざまなことを意味することになる︒結局︑﹁名﹂とは言語全般へ
すなわち言語そのもののことであるといってよい︒
これ
に対
して
'鄭
玄は
﹁
名﹂
は
﹁
文字
﹂
であ
ると
した
がへ
言
語が
主と
して
音声
を通
じて
伝えられるのに対して'文字はこれを形であらわし'視覚に訴えるという違いがあるだけ
である︒ただしへ 中国ではとくに古代においては話し言葉よりも'象形化された文字を特
に尊重するという気風があるので'鄭玄はとくに文字だけに限定したものと考えられる︒
しかし︑文字は広い意味での言語のうちに含まれるので'﹃論語﹄の ﹁名﹂ はひろく言語を
意味するものと考えることにしたい︒
名分とは'名実と言い換えることができる︒名称のあるところには必ずそれに対応する
実がなければならない.このことは名実一致といわれることであるo 名分の場合もまった
く同様に考えることができる︒よって名分とは名称とその内実ということになる︒名分を
正すということは︑名にふさわしい分へ すなわち実を要求することである︒
ただ名分という場合には'とくに君臣父子といった人倫関係だけに限定されるという印
象を受ける︒たしかに後世の儒教で名分という場合には'そのような傾向がある︒しかし
4
溝口雄三・丸山松幸・池田知久﹃中国思想文化事典﹄(東京大学出版会︑二〇〇l牛)を参考醜・何畳﹃論語集解﹄収載の説を参考
一 鄭玄﹃論語注﹄を参考
●
元来の儒教は必ずしもそうではなかった︒むしろ人倫関係という枠に閉じ込められず'広
い名と実の関係を問題にしていたのである四o
中国古代において︑この名分についてまとまった議論をしているものにも ﹃夢文子﹄とい
う文献があるo ﹃芦文子﹄は戦国時代斉国の戸文の著書である︒声文は斉国の処士.宋研と
同時に斉宣王の穫下の士として学んだ︒デ文と宋研を並んで宋ヂ学派と称されるo﹃ヂ文子﹄
は大道上下に分かれへ その学術は老子に基づき︑治道を指針し︑自ら虚静におりへ 万事万
物へ 1にその実を核すると主張した.声文は国内の平和人々の和合へ 戦争の否定を掲げて
遊説をした︒そのため︑名家だと言われたが'道家へ 墨家へ 縦横家に位置づけされること
もある吾現在に伝えられている﹃声文子﹄は戦国時代の原著ではなくへ後人の偽作だとい
われているが︑その内容から考えてみると'戦国末期の雑家系の思想家の作品とするのが
妥当だとされる.﹃ヂ文子﹄によると次のようになる.
名には三種類ある︒①方円白黒など'物の形状の名︒②善悪貴賎など'世間的な評価を
あらわす名︒③賢愚愛憎など︑人物の性格を示す名︒
分とは'これらの名に対して'われわれが示す反応のことである︒たとえば﹁白を好み'
黒を憎む﹂ という場合︑白・黒は名であり'好む・憎むが分となる︒﹁賢者に親しみ︑愚者
を遠ざける﹂ という場合へ 賢・愚は名であり'親しむ・遠ざけるが分となる︒﹁善を賞Lへ
悪を罰する﹂ という場合へ 善・悪は名であり'賞する・罰するのはその分となる︒
以上の﹃声文子﹄の定義によると'﹁名﹂ とは客体としてあたえられた事物や状態のこと
であり'﹁分﹂ とはこれに対する主体の態度や行動のことである︒これは ﹁名﹂ は客体に属
し'
﹁分
﹂
は主
体に
属す
ると
も言
える
O
﹃声
文子
﹄に
は次
のよ
うな
記述
があ
るし
ハ︒
5
名宜 属彼 へ 分宜 属我 へ 白黒 へ 商徴 へ 腫焦 '甘 苦へ 彼 之名 也︒ 愛憎 へ 韻合 へ 好悪 へ 噂逆
︑ 我之 分也
︒
(名はよろしく彼に属すべし0 分はよろしく我に属すべLo 白黒へ 商徴へ 腺蕪へ 甘苦
は彼
の名
なり
へ
愛憎
へ
韻合
へ
好悪
︑噂
逆は
我の
分な
り︒
)
(=‑‑'了し前 世一
そうすると名分を正すということについてはへ あたえられた ﹁名﹂ (事態) に対して'わ
れわれがこれにふさわしい ﹁分﹂ (対処) をすることである︒ここから'後の儒教で説かれ
るような君臣人倫関係で言う名分の意味が生まれたのであろう︒
しかしながら'名をいう語が︑いろいろな意味をもつことは'すでに述べたとおりであ
る︒それは言語・文字の意味をもつ︒このうちには ﹁名分﹂ という概念もふくまれる︒君
臣父子という名称のあるところにはへ その名称に応じた分へ すなわち実がそなわるt とす
間
森三
樹三
郎﹃
﹁名
﹂
と
﹁恥
﹂
の文
化﹄
(
講談
社学
術文
庫へ
二
〇〇
五年
)
を参
考
瓦 ﹃声文子﹄についてはへ高正 ﹃諸子百家研究﹄(中国社会科学出版社へ一九九七年)第七十七ページを参照
I:
森
三樹
三郎
﹃﹁
名﹂
と
﹁
恥﹂
の
文化
﹄
(講
談社
学術
文庫
へ
二〇
〇五
年)
を
参考
◆
るのが名分の思想である︒この点をふまえて'以下に先秦時代の思想家の言語観を見てい
きた
い︒
第二節 ﹃論語﹄における孔子の言語観
孔子は言語を重要視し'とくに人間を理解するうえで不可欠のものとする︒﹃論語﹄を考
察してみるとへ こうある︒
子日へ 不知命無以為君子也へ 不知穫無以立也︑不知言無以知人也o
(子日く'命を知らざれば'以て君子と為る無きなり︒礼を知らざれば︑以って立つ
無きなり0 言を知らざれば'以て人を知る無きなりO)
(尭
日第
二十
)
ここでは言葉について理解できないものは'人間を真に理解することはできないと言われ
てい
る七
︒
﹁正名﹂ という考え方は実に政治論なものである︒﹃論語﹄にある﹁必ずや名を正さんか﹂
というのは ﹁正名﹂ という語の出典であって'後故の儒家の政治思想として極めて重大な
ものとなった八︒つまり ﹁正名﹂ という考え方は孔子に始まる︒孔子は ﹁名を正す﹂ こと
を政治の最初にあげたのである︒名を正すことは'取るにたりない小事のように見えるがt
もしこれが乱れると︑上下の秩序が乱れるという重大な結果を招くのである︒﹃論語﹄には
こう
ある
︒
6
子路 日へ 衛君 待子 而為 政へ 子 将集 先へ 子 日へ 必 也正 名乎 '子 路日 へ有 是哉
︒子 之達 也も 実其 正へ 子 日へ 野 哉由 也へ 君 子於 其所 不知 へ 蓋的 如也 も 名不 正則 言不 順へ 言 不順 則事
不成ー事不成則穏楽不興︑稽楽不興則刑罰不中︑刑罰不中則民無所措手足︑故君子名
之必可言也︑言之必可行也︑君子於其言へ 無所萄而巳英︒
(子路日く'衛君子を待ちて政を為さばへ子将に集をか先にせんとするへと︒子日く'
必ずや名を正さんかt と︒子路目く'是れ有るかなへ 子の迂なるや︒葵んぞ其れ正さ
ん︑と︒子日く'野なるかなへ 由や︒君子は其の知らざる所に於いては'蓋し閑如た
り︒名正しからざれば'則ち言順ならず︒言順ならざれば'則ち事ならず︒事ならざ
れば︑則ち礼楽興らず︒礼楽輿らざれば︑則ち刑罰中たらず︒刑罰中たらざれば'則
ち民手足を錯く所無し︒故に君子之を名づくれば︑必ず言う可し︒之を言えば'必ず
行う可し︒君子は其の言に於いてへ布くもする所無きのみへと︒) (子路第十三)
子路が孔子に対して衛国で政治を行うことになれば'﹁先生は何から手をつけようとなされ
七 加地伸行﹃論語﹄全訳注 (講談社学術文庫へ 二〇〇四年) を参考
八 吉田賢抗﹃論語﹄ (明治書院 新釈漢文大系一九六〇年) を参考
義
●
ますか﹂ と︒尋ねた時に孔子は ﹁名を正すことだ﹂ と答えている︒孔子が政治に携わった
場合︑まず ﹁名を正す﹂ ことを行うというのである九︒このように孔子において重視され
ている ﹁名を正す﹂ ことであるが︑孔子はさらにつづけて ﹁名を正す﹂ ことが政治の根本
であることを説明している︒そこから孔子は ﹁君子は言葉をいい加減には口にしないもの
だ︒﹂ と言う︒﹁名を正す﹂ こととは ﹁万事の名を正して'その実と名を一致させて︑道理
にもとらぬようにする.名と実の一致であるo﹂ ○名称と実体がl致することを孔子はとく
に重要視する︒そこにずれがあったり'時や場合によって異なっていては政治が成り立た
ないのである︒﹁名が正しくなければ︑言が妥当でない︒言が妥当でないと︑政事が達成さ
れない︒政事が達成されないと'礼楽が盛んとならない︒礼楽が盛んとならないと︑刑罰
が当を得なくなる︒刑罰が当を得なくなると'民は不安でゆっくりと手足を伸ばして安ら
かに暮らすことができなくなる︒﹂のである二︒他にも孔子は言語について多く語っている︒
子日
へ
先行
其言
︑而
後従
之︒
(子日く︑先ず其の言を行いへ而して後に之に従う︒)
(為
政第
二)
まず言おうとすることを実行してからへ あとでものを言うことだ︑というのも'実際
の行動とその行動を語る言葉とを1致させることを言う三.
子日
へ
非稽
勿視
へ
非稽
勿聴
'非
穂勿
言へ
非
穂勿
動o
(子目く'礼にあらざるもの見ること勿れ︑礼にあらざるものを聴くこと勿れ︑礼
にあらざるものを言うこと勿れへ 礼にあらざるものを動くこと勿れへ と︒)
(顔
淵第
十二
)
7
孔子が ﹁規範でないものへ それを視るな'聴くな'言うなへ 行うな﹂ と言うのも同じ
であ ろう
︒ 子日
︑巧 言令 色︑ 鮮仁 臭︒
(子
日く
︑巧
言令
色へ
鮮な
し仁
︒)
(学
而第
一)
ことばを巧みに飾り立てることが︑外見を善人らしく装うことともに否定される蝣,;︒﹁巧
言﹂
の
例は
他に
もあ
る︒
吉田 賢抗
﹃論 語﹄ ( 明治 書院
︑新 釈漢 文大 系︑ 1九 六〇 年) を 参考 吉田 賢抗
﹃論 語﹄ (明 治書 院︑ 新釈 漢文 大系 へ 1九 六〇 年) を 参考 加地 伸行
﹃論 語﹄ 全訳 注 (講 談社 学術 文庫 へ 二〇
〇四 年) を 参考 金谷 治﹃ 論語
﹄( 岩波 書店 へ 二〇
〇一 年) を 参考 加地 伸行
﹃論 語﹄ 全訳 注 (講 談社 学術 文庫 へ 二〇
〇四 年) を 参考
∩]
子日 へ 巧言 乱徳
︒ (子 日く
︑巧 言は 徳を 乱す
︒)
(衛
霊公
第十
五)
ここでも ﹁巧言﹂ は道徳心を乱すものとして否定される︒
子不 語怪 力乱 神︒
(子
︑怪
・力
・乱
・神
を語
らず
︒)
(述
而第
七)
孔子は怪談や武勇伝や乱倫背徳のことや鬼神霊験などについてはあまり語るところが
なかった︒ここでもすべての言語表現を肯定しているわけではないことがわかる︒
子日
︑詩
三百
へ
二一
百以
蔽之
へ
思無
邪o
(子日く︑詩三百︑一言以て之を蔽ふ︒日く︑思邪無しと︒)
(為
政第
二)
詩経三百篇の詩は種々様々であるが'もし二一百で全部を蔽い尽くせというならばへ ﹁思
うところ邪念がない﹂ ということに尽きる這.と言われるO 孔子は ﹁詩﹂ について'
子所
雅言
︑詩
へ
書︒
執稽
皆雅
言也
︒
(子
の雅
言す
る所
は︑
詩︑
書︒
執槽
は皆
雅言
なり
︒)
(述
而第
七)
8
子日 へ 興於 詩︑ 立於 種' 成於 楽︒ (子 日く '詩 に興 り' 穂に 立ち へ楽 に成 る︒ )
(泰
伯第
八)
不学
詩へ
無
以言
(詩を学ばざれば'以って言うこと無し)
(季
氏第
十六
)
というように'非常に評価している︒その評価の理由がこう言われているのである︒これ
は人の思いがそのまま素直に言語表現されていることを言うものと言える︒
以上のように孔子は言語の重要性を認め︑とくに肯定Lへ ﹁名を正す﹂ ことを主張してい
る︒孔子にとって ﹁名を正す﹂とはすべての名称を実体通りに呼ぶことである︒そこに時
や場合によってずれがあってはいけない︒それは'人の思いにも言えへ さらには政治や道
徳にも及ぶ人間理解や人間の行動は言語によって理解できることを言う︒言語は儒家の仁
義・道徳・礼儀規範等に従うことであり︑人や知識を知る道具として儒家の教化に欠かせ
ないものとされていくのである︒
這 吉田賢抗﹃論語﹄(明治書院へ新釈漢文大系へ一九六〇年) を参考
4
第三節 ﹃有子﹄の言語観
中国古代において言語がどのように思考されてきたのかを探求する際に'最も重要なも
のは﹃有子﹄正名篇である︒そこには言語に対する二種類のアプローチへ すなわちへ 言語
の原理を問うアプローチと︑言語の機能を問うアプローチがある一五︒まず有子の ﹁正名﹂
の概
念か
ら見
たい
︒
後王之成名︑刑名従商へ 爵名従周へ 文名従穂︒散名之加於荷物者へ 則従諸夏之成俗︑
曲期
遠方
異俗
之卿
へ
則因
之而
為通
︒
(後王の成名は'刑名は商に従い'爵名は周に従い'文名は穂に従う︒散名の帯物に
加わる者は︑則ち諸夏の成俗に従い︑遠方異俗の卿に曲期すれば'則ち之に困って而
て通
を為
す︒
)
(
正名
篇)
故王者之制名へ名定而賓排へ道行而志通︑則慎率民而一鳶︒故析群棲作名へ以乱正名へ
使民疑惑へ 人多難訟'則謂之大姦'其罪猶為符節度量之罪也︒故其民莫敢託為奇辞︑
以乱正名︒故其民憩へ 怒則易使'易使則公︒其民莫敢託為奇辞へ 以乱正名︒故意於道
法︑而謹於循令夫︒如是則其迩長英︒迩長功成︑治之極也︒是謹於守名約之功也︒
(故に王者の名を制するや'名定まりて寮排じ'道行はれて志通じへ すなわち慎みて
民を率いてこれを一にす︒故に辞を析してほしいままに名を作りへ以って正名を乱り︑
民をして疑惑Lへ 人をして排訟多ければ'すなわち之を大姦と言い'其の罪は猶符節
度量をつくるの罪のごときなり︒故に其の民敢えて託して奇辞を為して︑以って正名
を乱ること無し.故に其の民は悪へ意なれば則ち使い易く'使い易ければ則ち公なり0
其の民敢えて託して奇辞を為して︑以って正名を乱ることなし︒故に法によるに萱に
して'令に循うに謹む︒かくの如くなれば則ち其の迩長し︒迩長く功成るは'治の極
なり︒これ名約を守るを謹む功なり︒) (正名篇)
9
ここでは'﹁名﹂ とは王者が制定すべきものへ とされている︒股・周の世から伝わる既成の
名 (成名) にしても'いわゆる後王の観点へ すなわち現在の政治の観点からとりあげられ
利用されるべきもの︑と考えられている︒王者は ﹁名を定める﹂ (制名) ことによりへ 国家
のもろもろの事物︑いわゆる ﹁実﹂ を弁別Lへ そうして形づくられた'名と実とが1致し
た
﹁正
しい
名﹂
(
正名
)
の秩
序の
もと
に'
人民
を統
一に
導き
も
天下
に功
業を
成し
とげ
るt
と
いうのである︒こうして'苛子において'君主の ﹁名﹂に対して持つべきかかわり合いは︑
彼以前の思想家たちにくらべ︑より強化されたと言える︒これは﹃論語﹄において見られ
た ﹁正名﹂ のように'政治秩序を表現する名によって︑社会・政治の実を正すというのと
は異なる︒そこから進めて'﹁制名﹂︑つまり名を制定することが主張されてきているので
九
内山
俊彦
﹃
有子
﹄
(講
談社
学術
文庫
t
l九
九九
年)
を
参考
▲雷
ある︒正名篇の右に引いた部分にある﹁正名﹂は﹁名を正す﹂と読むのではなく'﹁正しい
名﹂ と読むのでありへ つまり'王者によって制定され権威づけられた正統としての名と考
えられるのである︒
正名篇には右の文に続いてへ 次のようにある︒
今聖王没︑名守慢︑奇辞起'名寮乱︑是非之形不明︒則雄守法之吏'諦数之儒'亦皆
乱︒(今聖王没して'名守慢に'奇辞起こりて'名実乱れへ 是非の形明らかならず︒すな
わち守法の吏'涌数の儒と錐も'亦皆乱る︒) (正名篇)
これは︑王者の ﹁制名﹂が行われず'﹁名﹂が自然のままに放置されへ 変わった言葉が生
まれ名称と実体が乱れてしまっている状態を言う︒そしてへ
若有王者起︑必将有循於菖名へ 有作於新名︒
(若し王者の起こることあれば'必ず将た膏名に循うこと有りて'新名を作ること有
らん
︒)
(正
名篇
)
と'新しい名を定めるという行為がへ この状態を改めるのだと言う︒﹁旧名﹂ にしても'王
者が現れたあとでこそ腐襲されるべきものへとする︒このようにへ ﹁名﹂についての﹃有子﹄
の主張は'あくまでも王者の存在を前提とする政治的な観点から打ち出されている︒﹁名﹂
をめぐる議論が︑政治への関心と密着し︑政治的効果の見地からなされているのは'﹃有子﹄
の言語観の最大の特徴である︒﹃苛子﹄ の ﹁正名﹂ について中島隆博氏はこう述べている︒
﹃苛子﹄ の ﹁名を正す﹂ ことは'まずもって政治である︒だが'なぜ言語は政治と結びつ
くことができるのだろうか.その最大の理由は言語が常に共同性にかかわるからであるo
言語は複数の人々の間で成立しておりへ 言語を通じて他人と思いを相互に伝達できる︒し
たがってへもし言語を支配できれば'君主の望むような条理だった意味を世界に与え︑人々
に所を得さしめることができる.これが理想的な治の極みにはかならないt と二へ︒さらに
浅野
裕7
氏に
よる
と'
﹃苛
子﹄
の
﹁正
名﹂
は
'対
象物
の
﹁実
﹂
に対
して
'統
治者
が
﹁期
名弁
説なる者は︑用の大文にして'王業の始め﹂ であるとの要請から命名しょぅとするへ 全く
の政治的行為となるのである︒以上の発言は︑いずれも有子の ﹁正名﹂ と政治権力との密
接な関係を指摘している一七︒
この
よう
に王
者が
﹁
名を
定め
る﹂
こ
との
重要
性を
指摘
した
上で
︑﹃
萄子
﹄は
﹁
名﹂
に
つい
ての三項の原理的な見解を提出する︒﹁名の存在する目的﹂ (﹁名有るを為す所﹂)二事物を
区別するための方法﹂ (﹁縁って以って同異する所﹂)二名を定めるときの原則﹂ (名を制す
10
中島隆博浅
野裕
一
﹃残響の中国哲学 言語と政治﹄(東京大学出版会へ 二〇〇七年) を参考
﹃古
代中
国の
言語
哲学
﹄(
岩波
書店
へ
二〇
〇三
年)
を
参考
*蝣
るの
枢要
)
であ
る︒
﹁名
の存
在す
る目
的﹂
は
制名
以指
賓へ
上
以明
貴賎
へ
下以
塀同
異︒
(名を制して以て寮を指しへ 上は以て貴賎を明らかにし︑下は以て同異を弁ず︒)
(正
名篇
)
ことにある︒こうすれば︑人の意思が通じないおそれも'仕事が失敗するおそれもない︑
という︒﹁名実﹂を政治の観点から見ることの再確認であり'特にここでは︑﹁制名﹂が﹁分﹂
(身分・階層・年齢などによる差等) の思想と一体をなしへ これを名辞へ 言葉の角度から
裏打ちするものであることが'示されている︒この原理についてへ 浅野裕一氏はこう述べ
た︒﹁名有るをなす所﹂へ すなわち正名の目標は'対象世界の万物を事実判断を用いて相互
に位置づけたり︑あるいは価値判断を下して差等づけた上でその結果を全世界に共通する
普遍的認識として確定し'新たな統一秩序の樹立に資せんとする点にこそある︒このよう
に万物に対する命名には︑社会的階層序列を決定し'事物の同異を弁別して︑政治的統1
を図るべき重大な使命が課せられているわけであるが'それだけに命名の方法自体に何ら
かの妥当性が備わっていなければならぬのは当然であるt と︒
﹁事
物を
区別
する
ため
の方
法﹂
(
﹁縁
って
以っ
て同
異す
る所
﹂)
と
は'
人が
事物
を感
覚へ
識
別し'それにもとづいて名を制定するまでのプロセスである︒﹃有子﹄によれば'事物の感
覚・
識別
は
﹁天
官﹂
に
よっ
てな
され
る︒
﹁天
官﹂
と
は︑
﹁天
﹂
すな
わち
自然
によ
って
へ
生得
的に
与え
られ
てい
る感
官の
こと
であ
る︒
﹃有
子﹄
が人
の
﹁性
﹂
は︑
﹁心
﹂
と
﹁五
官﹂
と
から
構成
され
てい
た︒
﹁天
官﹂
と
いう
とき
は'
﹁五
官﹂
と
﹁
心﹂
の
作用
のな
かの
感情
・欲
望の
面
がそれに含まれる︒﹁天官﹂のおのおのは'それらの担当する感覚にもとづいて事物を感じ︑
識別する(﹁心﹂ の場合は喜・怒二泉・楽などの印象を識別するとされている)oその上で︑
﹁心
﹂
の
﹁徴
知﹂
す
なわ
ち認
識の
作用
がは
たら
く︒
この
識別
が
﹁名
﹂
とし
て表
され
︑そ
れ
が
﹁約
名﹂
(
約定
され
た名
)と
して
通行
する
へと
いう
̀八
〇
これ
に関
して
浅野
裕7
氏は
こう
解
説する︒﹃苛子﹄は ﹁同類同情﹂ なる共通の実を内在させる各個物に対しては'人間の感覚
器官もそれらに共通の要素を抽出して知覚し得る機能を持つとしへ それ故に天官が把握し
た類似性を基礎に比較・検討を加えへ 同類としての総称を制定することが可能になると主
張するO しかも彼は ﹁心に徴知有り0徴知はすなわち耳に縁りて声を知れば可へ 目に縁り
て形を知れば可なり︒然らば而ち徴知は必ずそれ天官の其の類を当う簿するを待ちて然る
後に可なり﹂と'五官を経由した個々の知覚を統括する認識主体の存在を説いて'名称制
定の根拠をさらに強化せんとしている︒結局﹃有子﹄は'人間の感覚器官や認識主体には
対象世界の実の差異を識別するだけの認識能力が備わっているとするところに'作為とし
ll
八 内山俊彦 ﹃葡子﹄ (講談社学術文庫へ一九九九年) を参考