「ムオン・ムオイの黒タイ慣習法」について
著者 樫永 真佐夫
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 26
号 3
ページ 361‑447
発行年 2002‑03‑15
URL http://doi.org/10.15021/00004056
樫 永 「ムオ ン ・ム オ イ の黒 タ イ慣 習法 」 につ い て
「ム オ ン ・ム オ イ の 黒 タ イ慣 習 法 」 に つ い て 樫 永 真 佐 夫*
Notes on "The Customary Law of the Tai Dam in Muong Muoi"
Masao Kashinaga
広 義 の タ イ系 諸 民 族 は 東 南 ア ジ ア大 陸 部 に広 汎 に 分 布 し,ム オ ソ(ム ア ン) と呼 ば れ る伝 統 的 な政 治 体 系 を 形 成 して いた こ とが 知 られ て い る。 これ まで タ イ 系 民 族 の ムオ ンに 関 して歴 史的,人 類 学 的 研 究 が 多 く蓄 積 され て き た一 方 で,
タ イ系 民 族 で あ りな が ら非 仏 教 徒 で あ る と い う特 徴 を もつ 黒 タ イの ムオ ンに つ い て は,具 体 的 な 研 究 が 少 な い 。 しか し,黒 タイ の 慣 習 法 文 書 に は,黒 タイ の 伝 統 的政 治組 織 と儀 礼 祭 祀 に 関 して 詳 し く記 述 され て い る。 そ の点 で,こ れ ら の 文 書 は 黒 タイ の 社 会 文 化 研 究上 重 要 な 資 料 で あ るの み な らず,東 南 ア ジ アに お け る社 会 史 研 究 に と って も重要 な 資 料 で あ る。 本 稿 に お い て は,黒 タイ慣 習 法文 書 の うち 「ムオ ソ ・ムオ イ に お け る慣 習 法 」 に 焦 点 を 当 て,そ の 内 容 に つ い て 詳 し く紹 介 し,か つ この文 書 が 持 つ 東 南 ア ジア の 社 会史 研 究 上 の 意義 に つ い て論 じる。
Tai-speaking peoples reside in a large area of the mainland of Southeast Asia. Their traditional political organizations are known as Muong or Muang. Many scholars have reported and studied the Muong from an anthropological or historical perspective. Yet we do not find many articles about the Muong of the Tai Dam people of Northwestern Vietnam, who are characterized as non-Buddhist. I suggest that the texts written by the Tai Dam, "The Customary Law of the Tai Dam", are some of the most important materials not only for the studies of the society, culture and history of the Tai Dam but also for socio-historical studies in Southeast Asia, because they concretely show the structure of the socio-political system and the relation between rituals and the sys- tem. Therefore, in this paper, I clarify the contents of the text "The
国立民族学博物館 民族社会研究部
Key Words : Tai Dam, Muong, political organization, customary law キ ー ワ ー ド:黒 タ イ,ム オン,政 治 組 織,慣 習 法
国立民族 学博物館研究報告 26巻3号 Customary Law of the Tai Dam in Muong Muoi". Further, I consider
the anthropological and historical significance of the text from the viewpoint of socio-historical studies in Southeast Asia.
は じめ に
1 黒 タ イ 慣 習 法 文 書 研 究 の現 代 的 意 義 1黒 タイ慣 習 法文 書 の伝 達 と記 述 形 態 1.1黒 タイ とい う集 団 カテ ゴ リー と文 字 1.2 文 書 の書 写 と継 承
1.3 カ ム ・チ ョ ソ写 本 の 記 述 形 態 2 東 南 ア ジア 大陸 部 に おけ る社 会 史 研 究 と黒 タイ 慣 習法 文 書
2.1黒 タイ慣 習 法 文 書 記 述 を め ぐ る歴 史 的 背 景
IIム オ ン ・ム オ イ の 黒 タ イ 慣 習 法
2.2 ベ トナ ム に お け る少数 民族 慣 習法 文 書 の現 代 的 意 義
3 東 南 ア ジア政 治体 系 論 と黒 タ イ慣 習 法 文 書
3.1王 権,コ ス モ ロジ ー,儀 礼 に つ い て 3.2 水 利 灌 概 組 織 と政 治 権 力 に つ い て 3.3政 治社 会 組 織 とそ の歴 史 に つ い て 4 お わ りに一 一 総 括 と展望
は じ め に
本 稿 の 目的 は,rタ ー イ の 慣 習 法 』 「第2部 第1章 」(Ng6帖C穃 1999:66‑183) に お い て 紹 介 さ れ た 「ム オ ソ ・ム オ イ の 黒 タ イ 慣 習 法(Hit kh ng T窕 j助 吻d ル伽 δ}πgM諺 δ')」文 書 を 詳 細 に 紹 介 し,ま た そ の 文 書 の 検 討 を 通 し て,広 く東 南 ア ジ ア 大 陸 部 に お け る 伝 統 的 な 法 お よ び 政 治 形 態 を め ぐ る 研 究 に 資 す る こ と で あ る 。 「ム オ ン ・ム オ イ の 黒 タ イ 慣 習 法 」 で は,黒 タ イ 文 字 に よ る 全 文 が 現 ハ ノ イ 国 家 大 学 教 授 カ ム ・チ ョ ソ(C設mTrong)に よ っ て 筆 写 さ れ,さ ら に ク オ ッ ク ・ グ ー (Qu c Ng並)と よ ば れ る ロ ー マ 字 表 記 ベ トナ ム 語 で,訳 文 と 注 が 付 さ れ て い る 。 本 稿 で は カ ム ・チ ョ ソに よ る 後 注 を 「原 注 」 と称 し て い る 。 本 稿 筆 者 は,以 下 に お い て
「ム オ ソ ・ム オ イ の 黒 タ イ 慣 習 法 」 全 文 を,黒 タ イ 語 か ら 日本 語 に 翻 訳 し,原 注 に つ い て もす べ て ベ トナ ム 語 か ら 日 本 語 に 翻 訳 し た 。 特 に 原 注 の 内 容 に 説 明 を 加xる 必 要 が あ る と 判 断 さ れ た 場 合 は 説 明 を 追 加 し,「 注 」 と し た 。 さ ら に 「訳 注 」 で 解 説 を 追 加 し た 。
も ち ろ ん 日本 に お け る 黒 タ イ 慣 習 法 の 紹 介 は は じめ て で は な い(cf.吉 沢1982)。
しか し そ の 紹 介 は}主 にrタ ー イ 族 歴 史 社 会 資 料 』(D珈g[ch&bien】1977)の 中 で 紹 介 さ れ て い る ベ トナ ム 語 訳 に 基 づ い て い て,黒 タ イ 語 に よ る 記 述 は こ れ ま で 明 ら か に
樫永 「ムオ ン・ムオイの黒 タイ慣習法」 につ いて
さ れ て い な い 。 ま た,内 容 に つ い て も詳 細 に 紹 介 さ れ て き た と は い え な い 。 これ に 対 し て,本 稿 は 黒 タ イ 語 か ら の 翻 訳 で あ る うえ,全 文 を 訳 出 し て い る 点 で,よ り一 次 資 料 に 近 い 形 で 黒 タ イ 慣 習 法 を 各 研 究 者 に 提 供 で き る は ず で あ る 。 ま た,本 稿 に お い て は,ク オ ッ ク ・グ ー表 記 を 用 い て 黒 タ イ 語 を 表 記 す る こ と に よ り,広 く黒 タ イ 文 字 識 字 者 以 外 も,黒 タ イ 語 に よ る 表 現 を 参 照 し,確 認 で き る よ う配 慮 した 。 本 稿 は,黒 タ イ,さ ら に は ベ トナ ム,東 南 ア ジ ア の 社 会 史 に お け る 基 礎 的 研 究 と し て 意 義 を 持 つ 。 本 稿 に お け る 構 成 は 以 下 の 通 り で あ る 。 ま ず 「1」に お い て,文 書 と して 伝%..ら れ て い る 「ム オ ン ・ム オ イ の 黒 タ イ 慣 習 法 」 の 研 究 が,ベ トナ ム お よ び 東 南 ア ジ ア の 社 会 ・文 化 研 究 に お い て 持 つ 意 義 に つ い てr文 書 の 形 態 的 側 面 と 文 書 の 内 容 に 焦 点 を 当 て て 論 じ る 。 次 に 「II」に お い て,「 ム オ ン ・ム オ イ の 黒 タ イ 慣 習 法 」 の 内 容 に つ い て 詳 し く紹 介 す る 。
な お 本 稿 に お け る 黒 タ イ 語 表 記 は,1981年 に ソ ン ラ ー(SαnLa)省,ラ イ チ ャ ウ (Lai Ch穹)省,ホ ア ソ リエ ン ソ ン(Hoang Lien S㎝)省 の 各 人 民 委 員 会 文 化 局 の 合 意 で 確 立 さ れ た ク オ ッ ク ・グ ー表 記 黒 タ イ 語(本 稿 で は 「統 一 ロ ー マ 字 表 記 」 と よぶ) を 用 い る が(Ho瀟g, T ng【bi麩 soan]1990=14),そ の 場 合,ベ トナ ム 語 と区 別 す る た め に イ タ リ ッ ク表 記 す る 。
国立民族学博物館研 究報告 26巻3号
1黒 タイ慣習法文書研究 の現代的意義
1黒 タイ慣習法文 書の伝達 と記述形態
1.1黒 タ イ と い う 集 団 カ テ ゴ リ ー と 文 字
今 日 ベ トナ ム 社 会 主 義 共 和 国 に は,(1)言 語 的 特 徴,(2)生 活 ・文 化 的 特 徴,(3) 民 族 的 自意 識 と い う3つ の 指 標 に よ っ て 定 義 さ れ る54の 民 族(d穗tウc)が 公 定 さ れ て い る(Tap ehi D穗 t c hoc[Bi麩 loan】1980:79)。 そ の 民 族 分 類 で 黒 タ イ は,白 タ イ (T禳P6π, T窕 Khao, Th稱 tr穗g)と と も に タ ー イ(Th⑳ と い う民 族 集 団 の 地 方 グ ル ー プ と し て 認 知 さ れ て い る 。1999年 の 統 計 結 果 に よ る と,タ ー イ は 総 人 口約7,632 万 人 の うち 約138万 人(約1.7%)を 占 め る 人 口数 第3の 民 族 で あ り(T$ng cuc th ng ke【Bi麩 soap】2001:15),ゲ ア ソ 省(Ngh鵞n)を ほ ぼ 南 端 と し て,タ イ ソ ホ ア 省 (Thanh H6a),ホ ア ビ ソ省(H a B絜h),ソ ン ラ ー 省,イ エ ソバ イ 省(Y麩 B i),ラ オ カ イ 省(L瀰Cai),ラ イ チ ャ ウ 省 な ど,ベ トナ ム 西 北 地 方 を 中 心 とす る 内 陸 部 に 広 く 居 住 し て い る 。 うち 黒 タ イ は ソ ソ ラ ー 省,イ エ ソ パ イ 省}ラ オ カ イ 省,ラ イ チ ャ ウ 省 な ど に 居 住 し,そ の 人 ロ数 は 発 表 され て い な い が,数 十 万 人 を 占 め る とみ ら れ る 。 黒 タ イ,白 タ イ と い う区 別 の 由 来 に つ い て は 諸 説 紛 々 あ り定 説 は ま だ な い(cf. L 1988)。 広 義 の タ イ 系 民 族 に 分 類 され な が ら,と も に 仏 教 徒 で は な い と い う特 徴 は 共 通 し て い る 。 両 者 を 比 較 す る と,黒 タ イ と 白 タ イ は,し ぽ し ぽ 山 間 盆 地 ご と に そ の 居 住 地 域 が 分 か れ て い て,黒 タ イ の 方 が 白 タ イ に 比 べ る と 言 語,物 質 文 化,衣 食 住,儀 礼 な ど の 点 に お け る 地 域 的 差 異 が 小 さ い の が 特 徴 で あ る 。 ま た 伝 承 に 注 目す れ ば,黒
タ イ の 政 治 的 支 配 階 層 を な す 父 系 氏 族 ロ ・カ ム 家(L C穃)は,ム オ ン ・ ロ(ル伽 δうη8 Lo7す な わ ち 現 ギ ア ロ(Ngh a L )か ら 征 戦 に よ っ て ム オ ソ ・ム オ イ に 最 終 的 に 辿 り 着 い た ラ ソ ・チ ュ オ ン 公(Lang Chu・o>ng)の 子 孫 で あ り(II部1〜12条 参 照),黒 タ イ の 居 住 範 囲 も ラ ン ・チ ュ オ ソ公 の 征 戦 の 経 路 上 に あ った と さ れ る 各 盆 地 が 中 心 と な っ て い る 。
タ ー イ 語 資 料 に よ る と,16世 紀 頃 か ら1945年 ま で1},白 タ イ と 黒 タ イ は と も に,チ ャ ウ ム ナ ン(chau mu・δ}ηg)と よ ぼ れ る よ う な,各 盆 地 を 単 位 とす る 政 治 統 合 を 形 成 し, 主 に ム オ ン ・ム オ イ な ど を 中 心 と す る 同 盟 と 貢 納 関 係 を 結 ん で い た が,特 に 政 治 や 経
樫 永 「ムオ ン ・ム オ イ の黒 タ イ慣 習 法 」 につ い て
図1イ ン ドシ ナ 半 島 略 図
済 に お け る主 従 関 係 に 白 タイ,黒 タ イ とい う集 団 間 の 差 異 が導 入 され て い た こ とを 証 明 す る資 料 は 今 の と ころ な い。 しか し,19世 紀 後 半 以 降,フ ラ ンス人 研 究 者 に よ る民 族 分 類 で,黒 タイ,白 タ イ が それ ぞ れ1民 族 と して 区別 され る こ とが 一 般 化 した 。 こ
1.ハ ノイ (H潘6i) 2.フ ー トー (Ph焄ho) 3.イ エ ンパ イ(Y6nB巨i) 4.ラ オ カ イ (L瀰Cai) 5.ラ イ チ ャ ウ(Lai Ch穹) 6.ソ ン ラー (S(fn La) 7.ボ ア ピ ン (H aBinh) 8.タ イ ンホ ア(Thank H a) 9.ゲ ア ン (NghεAn)
図2 タ ー イ が 多 く居 住 す る各 省(3〜9)
国立民族学博 物館研 究報告 26巻3号
図3 ベ トナ ム西 北 地 方 タ ー イ 関連 地 図
「ベ トナ ム西 北 地 方 地 図 」(樫 永 lil:63)を 訂 正 加 筆 して作 成
れ は,同 地 に お け る 「分 割 統 治 」 とい わ れ る フ ラ ソス植 民 地 統 治 方 式 と も結 び つ い て い た 。 た とえ ぽ西 北 地 方 北 部 に お い て 白 タイ 居住 区 と黒 タ イ居 住 区 を 別 の 行 政 区 と し て 分 割 し,し か も 白 タイ の 有 力父 系 出 自集 団 デ オ家 C‑・)を 主 に 政 治 的 に重 用 す る こ と に よ っ て 黒 タ イ首 長 の 反 発 を 煽 る とい うこ と も と きに 行 わ れ た(McAlister Jr.
1967:804‑810;古 田1991:275‑276)。 こ うした過 程 を通 じて,黒 タイ と 白 タイ とい う 差 異 の認 識 が強 化 され た と考 え られ る。
一 方,ベ トナ ム民 主 共 和 国(1945‑1975)と 南 北 統 一 後 に そ れ を 引 き継 いだ ベ トナ ム社 会主 義共 和 国 では,黒 タイ と 白 タイ それ ぞれ を タ ー イ とい う同一 民 族 内 の サ ブ グ ル ー プ と認知 す る分 類 が 一 貫 して きた。 少 な く と も現 在 の状 況 か ら判 断 す れ ば,タ ー イ とい う レベ ル で の民 族 的 自意 識 は広 く共有 され て い る。 しか しそ の 一 方 で,現 在 に お い て さえ,言 語,物 質 文 化,社 会 組織,儀 礼 な ど,生 活 領 域 の 多 面 に わ た る地 域 差 の認 識 もタ ー イ の間 で共 有 され て い て,彼 ら 自身 が しば しば 黒 タイ や 白 タイ とい う分 類 で ター イ の 中 の文 化 的 多 様 性 を説 明す る。 黒 タ イ と白 タ イ の居 住 地 域 が しば しぼ 山 間盆 地 ご とに分 か れ,黒 タイ の 方 が 白 タイ に比 べ る と言 語,物 質 文 化,衣 食住,儀 礼 な どの点 に おけ る地 域 的 差 異 が 小 さい こ とは,す で に述 べ た 通 りで あ る。 これ らの理
樫永 「ムナソ・ムオイの黒タイ慣習法」について
由,お よび本 稿 で用 い る底 本 の題 名 が す で に 「黒 タ イ の慣 習 法 」 で あ る とい う理 由 か ら,本 稿 で は主 に黒 タイ とい う集 団 範 疇 を採 用 して い る。
こ こで,「 ムオ ソ ・ム オイ の黒 タ イ慣 習 法」 文 書 が 東 南 ア ジ ア社 会 史 研 究 に お い て 持 つ 意義 につ い て検 討 す る前 に,こ の文 書 そ の もの に つ い て 解説 して お く必 要 が あ る。
本節 で は,ま ず この文 書 記 述 に 用 い られ て い る文 字 に注 目す る。 特 に,こ の 文 書 で は 黒 タイ文 字 が用 い られ て い るの で,他 の ター イ文 字 との比 較 か ら黒 タイ 文 字 の特 徴 を 示 し,さ らに文 字 に焦 点 を 当 て て この 文 書 の特 徴 につ いて 述 べ る。
音 声 言 語 の面 で い えば,黒 タイ 語 と 白 タイ語 な ど とい う対 比 を 想 定 す る よ り,ベ ト ナ ムに お け る タ ー イ全 体 の 中 の 地 域 差 と考 え た方 が い い。 しか し,傾 向 と して,黒 タ イ よ り白 タイ の方 が,音 素,声 調,意 味 の 点 で地 域 差 が は るか に 大 きい 。 次 に,文 字 レベ ル で比 較 す る と,白 タ イに 関 して は ゲ ア ソ,モ クチ ャ ウ(M cCh穹),フ ォ ン トー (Phong Th$),ラ イ チ ャ ウの そ れ ぞ れ の地 域 に お い て母 音 符 号 と子 音 字 が そ れ ぞ れ 異 な って い るの に 対 して2},黒 タ イ に関 して は字 体 の地 域 差 が 非 常 に 小 さい 。 実 証 は経 て い な い が,こ の理 由 と して は 以 下 の こ とが想 定 され る。 タ ーイ 語 資料 に基 づ く と, 前 述 の よ うに チ ャ ウム ナ ソと よば れ る盆 地 政 体 を タ ー イが ベ トナ ム西北 地 方 各地 に形 成 して い た16世 紀 頃 か ら1945年 ま で の長 い 間,各 チ ャ ウ ム オ ンを 統 括 す る 中 心 的 な チ ャ ウ ムナ ンは ムナ ソ ・ム ナイ とそ の隣 の ム ナ ソ ・ラ ー(M〃 ・(動gLの で あ った 。 し た が って ムナ ソ ・ム オ イ と ム オ ン ・ラー を地 理 的 中心 とす る政 治 的,文 化 的 影響 が各 チ ャ ウ ム オ ンに 及 び,黒 タ イ の文 化 的 共 通 性 が作 り上 げ られ た と仮 定 され る。 ム オ ン ・ムオ イは キ ンに よって トゥア ソチ ャ ウ(Thu穗 Ch穹)と よば れ,現 在 も トゥア ン チ ャ ウが ベ トナ ム行 政 上 で の 正 式 な地 名 と して採 用 され て い る。 な お,本 稿 で は,上 記 の 白 タイ な ども含 む タ ーイ の 伝 統 的 な文 字 を包 括 的 に 「タ ーイ文 字」 と よび,中 で
も黒 タイ の間 でみ られ る統 一 性 の 高 い 書体 の タ ー イ文 字 を 「黒 タイ 文字 」 と よん で い る。
これ ら ター イ文 字 の改 訂 に よ る書体 の統 一 は,少 数 民 族 言 語 と少 数 民 族文 字 を用 い た教 育 を行 う必 要 か ら,1950年 代 に ベ トミンの指 導 下 にお い て 始 め られ た。 ター イ文 字 に 改訂 と統 一が 必 要 とされ た の は,既 述 の よ うに字 体 が 不 統 一 で あ った か らだ け で は な い。 文 字 のみ か ら では 声 調 の 特定 が で き な い う%t..,いくつ か の 子音 字 が複 数 の子 音 を表 現 す る な ど,音 声 と表 記 の 対応 が不 十 分 で あ る と考 え られ た か らで あ る。 タ ー イ文 字 の 改訂 の 内 容}お よび そ の経 過 の 詳 細 につ い て は,拙 稿(樫 永2000b)に 発 表 済 み で あ る ので,こ こで は 要 点 の み を略 述 す る。
1954年 に イ ン ドシ ナ戦 争 が 終 結 し フ ラ ソス が撤 退 す る と,翌1955年,西 北 地 方 に タ ー
国立民族学 博物館研究報告 26巻3号 イ ・メ ー オ 自 治 区3)が 発 足 した 。 自 治 区 内 の 各 権 力 機 関 に お い て は 各 民 族 に よ る 自 民 族 の 言 語 や 文 字 の 使 用 が 公 認 さ れ る こ と に な っ た 。 そ こ で,西 北 自治 区 に は タ ー イ 以 外 に も,メ ー オ す な わ ち モ ソ4}(Hm6ng)や ム オ ソ(Mtr穗g),そ の 他 多 数 の 民 族 が 居 住 し て い た が,文 字 を 持 た な い 民 族 に 対 して は 文 字 の 創 造 が5),文 字 を 持 つ タ ー イ に 関 し て は さ ら に 改 訂 が 行 わ れ,そ れ ぞ れ の 言 語 に よ る 教 育 が 模 索 され た の で あ る(五 島1984:72‑75)。
こ う し た 動 向 を 見 越 し て,タ ー イ 文 字 の 改 訂 に よ る最 初 の 正 書 法 は 早 く も1954年 に 誕 生 し て い た 。 ソ ソ ラ ー 省 の 黒 タ イ の 発 音 と表 記 を モ デ ル に し た 「統 一 タ ー イ 文 字 (chit Th稱 th ng nh穰)」 が 誕 生 した の で あ る(Thanh l968:131)。 こ の 統 一 タ ー イ 文 字 は,自 治 区 内 の 人 民 普 及 学 校 に お け る タ ー イ 語 教 育 で 採 用 され た が,特 に 白 タ イ 語 の 子 音 表 記 に 不 都 合 が あ っ た た め さ ら に 改 訂 さ れ,「 改 訂 タ ー イ 文 字(chic Th6i+9・C' ti駭)」が1961年 に 教 育 省 に 承 認 さ れ た 。 こ の 改 訂 タ ー イ 文 字 を 用 い た タ ー イ 文 字 教 育 は1962年 か ら 自 治 区 内 の 小 学 校 教 育 で 実 施 さ れ,1969年 に 延 期 と い う形 で タ ー イ 文 字 教 育 が 事 実 上 中 止 さ れ る ま で 続 い た 。
タ ー イ 文 字 の 字 体 は 以 上 の よ う な 変 化 を 経 て き た が,タ ー イ 文 字 改 訂 以 前 に 記 述 さ れ た 「ム オ ン ・ム オ イ の 慣 習 法 」 原 本 は,当 然,黒 タ イ 文 字 で 記 され て い る 。 カ ム ・ チ ョ ソ ら に よ る 刊 本 に お い て も,こ の 黒 タ イ 文 字 に よ る 記 述 形 態 が 基 本 的 に 継 承 さ れ て い る 。 こ の 継 承 の あ り方 に つ い て は 次 節 以 下 で 示 す こ と に な る 。
L2文 書 の 書 写 と継 承
ム オ ン ・ ム オ イ(Mu・穗g Mu r)す な わ ち ト ゥ ア ソ チ ャ ウ の モ ・ ム オ ン(mo 御 πゆ η8)で あ っ た ル オ ン ・ヴ ァ ン ・ホ ン(加 ・伽8㊧ ηHo・n)が,黒 タ イ 文 字 でHit kh ng T窕」D穃諏 漸 〃・δ}ηg。M㍑δ'と 題 さ れ た 文 書 を 執 筆 し た の は,1930年 以 前 の こ
と で あ る 。 モ ・ム オ ソ に つ い て は 後 述 す る こ と に し て,ま ず こ の 題 名 に つ い て 説 明 し て お き た い 。
本 稿 に お い て は,Hit kh ng 7のD伽 面1吻 ・δうηg M諺 δ'を 「ム オ ソ ・ム オ イ の 黒 タ イ 慣 習 法 」 と訳 した 。 聴D々 〃2は 「黒 タ イ 」,諏 ル伽 伽gル 血 δ'は 「ム オ ソ ・ム オ イ に お け る 」 と い う意 味 で あ る 。 つ ぎ に,題 名 冒 頭 の 珊 ごkh ngな る 黒 タ イ 語 に つ い て で あ る が,こ れ は,そ の 違 反 に 対 し て 制 裁 を 伴 わ な い も の か ら伴 う も の ま で を 包 含 す る 幅 広 い 概 念 で あ る の で,「 慣 習 」,「 ノ ー ム 」,「規 範 」,「規 律 」,「法 」 な ど,文 脈 に よ りさ ま ざ ま な 訳 語 が 可 能 で あ る 。 し た が っ て,こ の 文 書 に 含 ま れ て い る の も法 的 な 内 容 の 条 文 ば か りで は な い 。 し か し,次 段 落 で 述 べ る よ うに,ル オ ソ ・ヴ ァ ン ・
樫 永 「ムオ ン ・ム オ イ の黒 タ イ慣 習 法 」 につ い て
ホ ンに よ る 原 本 は フ ラ ソ ス 植 民 地 権 力 に よ る イ ン ドシ ナ に お け る秩 序 確 立 を 目的 とす る 施 策 に 基 づ き 成 文 化 され た 文 書 の 一 つ と 位 置 づ け ら れ る た め,文 書 の 題 名 と して は
「慣 習 法 」 と い う訳 語 を 用 い た 。
ベ トナ ム 北 部 デ ル タ地 域 に お け る 伝 統 規 約 の 成 文 化 は14世 紀 か ら15世 紀 頃 に ま で 遡 り,こ れ ら の 規 約 文 書 は 一 般 に 「郷 約(huang珉c)」 と よ ば れ て き た 。 郷 約 は ふ つ う custolnary law(慣 習 法)と 英 訳 さ れ て い る 。 実 証 は 経 て い な い が,14,15世 紀 に 成 立 した 成 文 郷 約 は,17世 紀 か ら19世 紀 に 発 展,普 及 し,20世 紀 に は フ ラ ン ス 支 配 の 道 具 と して の 改 良 郷 約 に 変 質 し た と概 観 さ れ る(嶋 尾1993:113;ゴ2000:5)。 つ ま り, ベ トナ ム 北 部 デ ル タ に お い て,フ ラ ン ス 植 民 地 権 力 に よ る 秩 序 確 立 の 時 代 に,フ ラ ン
ス は 改 良 郷 約 作 成 に よ る 秩 序 再 編 を 試 み た わ け で あ る。 フ ラ ソ ス が 採 っ た 方 策 は,狭 義 の ベ トナ ム 人 で あ る キ ン(Kinh)に よ る支 配 が ロ ー カ ル な レベ ル ま で 浸 透 して い な か っ た 山 地 で も 似 て い る 。
た と え ば,中 部 高 原 に お い て は,軍 隊,警 察,官 僚 制 と い う近 代 的 な 統 治 機 構 の 整 備 が 始 ま る1910年 代 に サ バ テ ィ エ(Sabatier)に よ っ て 「エ デ の 慣 習 法 」 が,ロ ー マ 字 表 記 エ デ 語 と フ ラ ン ス 語 で 成 文 化 さ れ た(樫 永1998:46‑47)。 ま た,西 北 地 方 に お い て も1910年 代 か ら20年 代 に か け て は 行 政 や 教 育 な ど の 官 僚 制 的 整 備 が フ ラ ソ ス に よ っ て 確 立 す る 時 期 で あ り,ハ ノ イ か ら デ ィエ ソ ビ エ ソ へ の 国 道 が 整 備 さ れ る 時 期 で あ っ た 。 こ の 時 期 に 西 北 地 方 で 頻 発 す る 現 地 住 民 に よ る 抗 仏 反 乱 の 背 景 に は,タ ー イ (白 タ イ,黒 タ イ)の 政 治 組 織 が 植 民 地 官 僚 機 構 の 一 環 に 組 み 込 ま れ る こ と に よ っ て, 現 地 住 民 に 対 す る 支 配 が 強 化 さ れ た 裏 返 し と 考 え ら れ て い る(古 田1991:276)。 ま さ に こ の 時 期 に,本 稿 で 紹 介 す る 「ム オ ン ・ム オ イ の 慣 習 法 」 も フ ラ ソ ス 植 民 地 当 局 の 指 示 で 成 文 化 さ れ た の で あ る(D海g[ch珖i麩】1977:344)。
た だ し,郷 約 と の 違 い も あ る 。 ま ず,黒 タ イ の 慣 習 法 は 漢 字 で 記 述 さ れ て い な い 。 つ ぎ に,フ ラ ン ス 植 民 地 支 配 を 受 け る 前 に 記 述 さ れ た 文 書 は 現 在 ま で 確i認 さ れ て い な い 。 さ ら に 慣 習 法 の 適 用 範 囲 が 郷 約 の 場 合 よ り も は る か に 広 く,チ ャ ウ ム オ ン全 体 に 及 ぶ と さ れ て い る 点 で あ る 。
タ ー イ 語 資 料 の み に 基 づ く た め 注 意 を 要 す る が,西 北 地 方 は,キ ソ が 入 植 し て 居 住 す る よ う に な る 以 前,特 に1945年 ま で,「12の タ ー イ の チ ャ ウ ム オ ン 」 と い う意 味 で シ ッ プ ソ ソチ ャ ウ タ イ(Xrp Xong Chau T窕)と よ ば れ て い た 。 しか し,西 北 地 方 の チ ャ ウ ム オ ン の 数 が12に な っ た の は1896年 で あ る 。そ れ ま で,西 北 地 方 に 位 置 した チ ャ ウ ム オ ン の 数 は10で あ っ た が6)Jl896年 に2つ の チ ャ ウ ム オ ソ を そ れ ぞ れ 二 分 割 して 12に な っ た の で あ る(C穃v澑han 1995:313‑319)。 そ こ で,カ ム ・チ ョ ン の 教 示
国立民族学博物館研究報告 26巻3号 に よ れ ば,西 北 地 方 に お い て も,1896年 ま で に す で に あ っ た10チ ャ ウ ム オ ン の そ れ ぞ れ に 対 し て,フ ラ ン ス は 慣 習 法 編 纂 を 指 示 した と考 え ら れ る が,写 本 で あ れ 現 在 ま で ほ ぼ 完 全 な 形 で 伝 わ っ て い る の は,ム オ ン ・ム オ イ と ム オ ン ・ム ア ッ(1吻 か η8 Muak)す な わ ち マ イ ソ ソ(Mai S㎝)の も の く ら い で あ る 。 た だ し,そ れ ら の 正 本 と 副 本 の 数 に つ い て も 明 ら か で は な い 。
先 述 の よ う に,「 ム オ ン ・ム オ イ の 慣 習 法 」 文 書 の 原 本 は,当 時 モ ・ム オ ソ で あ っ た ル オ ン ・ヴ ァ ン ・ホ ン に よ る も の で あ る と さ れ る。 モ ・ム オ ン と は ム オ ソ の モ と い う意 味 で あ る が,ム オ ソ と は こ こ で は チ ャ ウ ム オ ソ の 意 味 で あ る 。 モ と は,あ る 種 の 儀 礼 や 呪 術 や 役 割 を 司 る 宗 教 的 職 能 者 で あ る 。 す な わ ち モ ・ム オ ソ と はrチ ャ ウ ム オ ン 全 体 を 霊 的 に 象 徴 す る 存 在 で あ る ア ソ ・ニ ャ ー一(,an励 の と よば れ る チ ャ ウ ム オ ン の 首 領 の 魂 を 守 護 す る 宗 教 的 職 能 者 で あ る 。
「II」 で 明 確 に な る が,チ ャ ウ ム オ ン 内 に は 「礼 部(hdng泌 層 π)」が 組 織 さ れ, チ ャ ウ ム オ ソ お よ び ア ン ・ニ ャ ー の 平 安 と 無 事 を 祈 願 す る 宗 教 的 職 能 者 が 階 層 的 に 組 織 さ れ て い た 。 彼 らは,ム オ ン の 祭 礼 執 行 の ほ か,ア ソ ・ニ ャ ー の 親 族 の 霊 魂 の 世 話 や ア ソ ・ニ ャ ー の 冠 婚 葬 祭 を 担 当 し た り,各 貴 族 の 祖 先 の 歴 史 記 録,司 法,外 交,教 育 な ど を 担 当 し た(B加,C穃 v祚guy駭 1975:109‑111)。 こ の 礼 部 の 中 で 最 高 位 で あ り指 導 的 な 立 場 に あ っ た の が,モ ・ム オ ン で あ る 。1954年 か ら社 会 主 義 化 に よ る 改 革 が 実 施 さ れ,ア ソ ・ニ ャ ー を 頂 点 とす る タ ー イ の 政 治 組 織 が 完 全 に 解 体 され る と と
も に,モ ・ム オ ン も 姿 を 消 し た 。
rタ ー イ の 慣 習 法 』 で は,1968年 か ら1973年 頃,ロ ・ヴ ァ ソ ・ソ ソ(LdV穗S n) が ル オ ン ・ ヴ ァ ソ ・ホ ソ に よ る 原 本 か ら 書 写 した も の を 底 本 と し て い る 。 前 述 の よ う に,rタ ー イ の 慣 習 法 』 以 前 に も, rタ ー イ 族 歴 史 社 会 資 料 』 の 中 で,ト ー ソ ・キ ム ・ ア ン(T ng Kim An)が ム オ ン ・ム オ イ の 黒 タ イ 慣 習 法 の ベ トナ ム 語 訳 を 発 表 して い る(D加g【ch淏i麩]1977:343‑389)。 トー ン ・キ ム ・ア ン は,18cm×30 cmの 学 習 帳 に 紫 の イ ン ク で 筆 写 され た,ル オ ソ ・ヴ ァ ソ ・ホ ソ の 実 子 ル ナ ン ・ ヴ ァ ン ・ム オ イ (Luδng V穗 Muδi)所 蔵 の 写 本 を 底 本 と し た が,こ の 底 本 に は 破 損 が 多 か っ た う え, 翻 訳 して 紹 介 さ れ た の は 抜 粋 で あ っ た(B勘glch且bien】1977:349;Ng v澆穃 1999:
37‑38)。 一・方,rタ ー イ の 慣 習 法 』 の 「ム オ ン ・ム オ イ の 黒 タ イ 慣 習 法 」 の 底 本 は, ほ ぼ 完 全 な 形 を と ど め て い る 。 し か も先 述 の よ う に,『 タ ー イ の 慣 習 法 』 で は,カ ム ・ チ ョ ソ に よ っ て 全 文 が 黒 タ イ 文 字 で 転 写,翻 字 さ れ,黒 タ イ 語 に よ る 原 文 参 照 が 可 能 で あ る。 つ ま り,ル ナ ン ・ヴ ァ ン ・ホ ン が 最 初 に 成 文 化 した 「ム オ ソ ・ム オ イ の 慣 習 法 」 は,ロ ・ヴ ァ ソ ・ ソ ソを 経 て,さ ら に カ ム ・チ ョ ンに よ る写 本 と し て 継 承 さ れ た
樫永 「ムオ ン ・ムオイの黒 タイ慣習法」について
と いkxる 。 次 節 で は,こ の カ ム ・チ ョ ン に よ る 写 本 が 黒 タ イ 文 字 とそ の 文 書 に 焦 点 を 当 て る と ど の よ う な 特 徴 を 持 っ て い る か に つ い て 述 べ る 。
1.3 カ ム 。チ ョ ン 写 本 の 記 述 形 態
カ ム ・チ ョンは底 本 に倣 って 「ムオ ン ・ムオ イ の黒 タ イ慣 習 法 」 を 黒 タイ文 字 で手 書 き で筆 写 し,llOO部 印刷 出 版 した 。 この こ とに よっ て カ ム ・チ ョン写 本 の複 製 が大 量 に生 産 され,原 文 を参 照 す る機 会 が 人 々に広 ま った わ け で あ るが,底 本 を そ の ま ま 維 持 し よ う と した 部 分 と改 変 した部 分 が あ る。 以 下 にお いて,そ の維 持 と改変 の あ り 方 お よびそ の意 味 に つ い て 論 じる。
タ ー イ文 字 を 改 訂 し,タ ーイ 語 の 音声 との一 対 一 対 応 を 目指 した歴 史 は半 世 紀 に及 ぶ 。1961年 に 教 育 省 に よ って 承 認 され た 改訂 タ ーイ文 字 を 用 い る と7),黒 タ イ語6声 調 の区 別 が で きる。 また,末 子 音 字(n)を 用 い る場 合 に,末 子 音 を/k/と して 発 音 す るか,短 母 音 化 して グ ロ ッタル ス トップす るか の区 別 に つ い て,表 記 のみ か ら発 音 が 特 定 で き る。 さ らに,近 年 は 改訂 ター イ文 字 の コ ン ピュ ー タ用 フ ォ ソ トも開発 され て い る。 しか し,カ ム ・チ ョン写 本 で は ロ ・ヴ ァソ ・ソ ソに倣 って手 書 きの黒 タ イ文 字 が 継 承 され て い る。 つ ま り,文 字 の形 態 の面 で は,お お か た底 本 の形 態 が カ ム ・チ ョ
ン写 本 で も維 持 され て い る。 逆 に,こ の こ とを タ ーイ 文 字 に よる ター イ語 の音 声 と図 像 の対 応 とい う点 か ら評 価 す る な らば,カ ム ・チ ョ ソ写 本 の表 記 は時 代 に逆 行 して い る とい う見 方 もで き る。
しか し,カ ム ・チ ョンが資 料 保 存 を第 一 義 に お い て,タ ーイ語 の音 声 と図像 の対 応 よ りも底 本 の 形 態 の維 持 を優 先 させ た のか とい うと,必 ず し もそ うで もな い。 なぜ な ら,カ ム ・チ ョソ写 本 に は新 しい言 語 情 報 と非 言 語 的 な情 報 が文 書 に 付 加 され て い る か ら で あ る。 た と え ば カ ム ・チ ョ ン写 本 で は,「,」,「.」,「 一 」,「+」,「;」,「:」,
「0」な どの 記 号 の 援 用 に よっ て,統 一 タ ・一イ文 字(1954年)で 実 現 され た 句,節, 文,段 落 とい った 概 念 が 導 入 され て い る。 また,全 文 は6章172節8)に 区 切 られ,章 の 番 号 は ロ ーマ数 字 で,各 節 の番 号 は ア ラ ビア数 字 で示 され,さ らに 章 ご とに 見 出 し が 付 け られ て い る。 つ ま り,カ ム ・チ ョンは,新 しい言 語 情 報 お よび 非 言 語 的 な 図 像 情報 の付 加 に よ って意 味 把 握 を容 易 に す る工夫 を凝 ら し,ま た 検 索 機 能 も高 め た の で あ る。
も っ と も,カ ム ・チ ョ ンに よ る誤写 も少 な くな い し,文 中 の数 量 表 現 を ア ラ ビア数 字 に す るのか 黒 タ イ文 字 表 記 に す るの か統 一 が とれ て い ない な どの 問 題 もあ る。 そ の 点 で は,底 本 に お け る文 字 の 形態 を重 ん じる とい う姿 勢 を 一 貫 す るつ も りな の か,意
国立民族学博物館研究報告 26巻3号 味 把 握 の 容 易 さ を 追 求 す るつ も りな の か,暖 昧 な ま まで あ る。 カ ム ・チ ョン 自身 は 1960年 代 以 降 ベ トナ ムに お け る ター イ語 教 育 に携 わ り,タ ーイ文 字 改訂 の指 導 的 立 場 を維 持 して きた 。 た とえ ば,1969年 に一 度 中止 され た タ ーイ文 字教 育 を 西北 地 方 で復 活 させ よ うと して 積 極 的 な 活動 を繰 り広 げ て きた し,そ の 結果,1992年 か ら一 部 の地 域 で試 験 的 に 実 施 され て い る改訂 ター イ文 字 を用 いた 教 育 で も指導 す る立 場 に あ る。
カム ・チ ョンの こ う した 立 場 を考 慮 す る と,カ ム ・チ ョン写 本 に お い て も,意 味 把 握 の容 易 さ を追 求 す る こ とを 徹 底 して 改訂 ター イ文 字 を 使 用 して も よか った の で は な い か,と 筆 者 に は 思 わ れ る。
2 東南 ア ジア大陸部 におけ る社 会史研究 と黒 タイ慣習法文書
2.1黒 タ イ慣 習 法 文 書 記 述 を め ぐる歴 史 的 背 景
カ ム ・チ ョ ソ に よ る 全17章173条 の 目次 そ の も の に つ い て は,本 稿 「II」 に 掲 載 し て い る の で こ こ で は 省 略 す る が,文 書 に 記 述 され て い る 内 容 は,各 章 と の 対 応 か ら 以 下 の よ うに 整 理 で き る 。
・ム オ ソ ・ム オ イ 建 設 の 歴 史 と そ の 地 理 的 領 域(1,2章)
・ム オ ン ・ム オ イ の 行 政 組 織 機 構(3,4章)
。そ れ ぞ れ の 役 職 者 に 対 す る 職 田 の 割 り当 て(6章)
・(異 民 族 を 含 む)被 支 配 階 層 の 租 税 と 倍 役 の 義 務(9章)
。狩 猟 の 獲 物 な ど,チ ャ ウ ム オ ソ内 食 料 資 源 の 分 配 と配 分(8章)
・司 法 組 織 と 法 的 手 続 き(5,7,10,11,12章)
・宗 教 観 念 と チ ャ ウ ム オ ン 内 の 景 観(14章)
・祭 礼 に 関 す る諸 規 定 と役 割 分 担(13 ,15,16章)
上 述 の 文 書 の 内 容 を ま とめれ ば,前 半 が チ ャウ ムナ ン行 政 とそ の住 民 の権 利 ・義 務 に つ い て(1〜4,6,8,9章),後 半 が 司 法(5,7,10〜12章)お よ び 宗 教 (13〜16章)に つ い て,と い う構 成 で あ る。 最 終 章 最 終 条 で あ る第17章173条 は,厳 密 に は 条文 で は な い 。 同章 は この173条 の み で 構 成 され,し か もそ の 内 容 は,こ の慣 習 法 が婚 姻,出 産,葬 式 に 関す る記 述 につ い て未 完 成 で あ る とい う断 り書 きにす ぎ な
いか ら で あ る。
これ ら文 書 の 内容 か らは,次 の よ うな特 徴 が 指 摘 で き る。文 書 の 条文 の 多 くを 「チ ャ
樫永 「ムオソ・ムオイの黒タイ慣習法」について
ウム オ ソ行 政 とそ の 住 民 の権 利 ・義 務 につ い て 」 が 占 め て い て,一 方,こ れ ら行 政 に 関 す る記 述 に 比 べ る と司 法 に 関す る条 文 の数 は 比 較 的 少 な い。 た とえぽrこ こで そ の 処 罰 規 定 が 明 記 され て い る犯 罪 の種 類 は,姦 通 や 窃 盗 に ほ とん ど限 定 され て い る し, 刑 罰 の 種 類 に つ い て も,罰 金 以外 はほ と ん ど記 され て い な い とい って い い。 また,行 政 組 織 機 構 の 詳 細 が 明示 され る一 方 で,判 決 あ るい は 収税 や倍 役 労 働 徴 発 の強 制 執 行 を 可 能 に す るは ず の 警察 的 な組 織 の規 模 や 活 動 に つ い て も明 らか に され て い な い ので あ る。
上 記 の 特 徴 の 理 由に つ い て は定 か で は ない 。 先 述 の よ うに,こ の文 書 が フ ラ ソス植 民 地 権 力 の 指 示 で編 纂 され た とい う政 治 的 ・歴 史 的 背 景 を考>xれ ぽ,ト ンキ ン保 護 領 (現 ベ トナ ム北 部 領 域)全 住 民 が フ ラ ソス裁 判 所 の 管 轄 下 に あ る と して1921年2月16日 に す で に 明文 化 され て い る状 況 下 で(東 亜 研 究 所1940=14‑15),伝 統 的 な 司 法 組 織
と行 刑 に つ い て 記 述 す る こ とが は ばか られ た とい う仮 定 もな りたつ 。 この こ とは 嶋 尾 (1993:121‑125)が 報 告 した キ ソの 郷 約 の 事 例 を 思 い 起 こ させ るか らで あ る。 す な わ ち,フ ラ ンス 支 配 前 の1856年 に編 纂 され た 郷 約 に は 村 内 の 犯罪 刑 罰 や村 内紛 争 処 理 に 関 す る規 約 が 記 述 され て い た が,1893年 に再 編 され た 際 に は そ れ らの規 約 が 省 か れ て いた ので あ る。黒 タ イ慣 習 法 文 書 に 司 法 や 行刑 に 関す る記 述 が 少 な い理 由に つ い て は, そ の 政 治 的 ・歴 史 的 背 景 を 含 め た よ り子 細 な検 討 が必 要 で あ ろ う9}。た だ し,少 な く
とも19世 紀 末 以 降 の 西 北地 方 に お け る警 察 機 能 に フ ラ ンス が大 き く関与 して いた こと は 間 違 い な い 。
西 北 地 方 は1891年 以 来 も軍政 管 区(Territoire Militaire)と して分 割 され,行 政 も陸 軍 将 校 に よって 統 轄 され て い た(Nguyεn 1983:56)。 こ うした 支配 体 制 の も とで,フ
ラ ンスは タ ー イの ア ソ ・ニ ャ ーを州 知 事 に任 命 す るな ど して,タ ーイ の伝 統 的 な チ ャ ウム ナ ソ支 配 階 層 とそ の 行政 機 構 を植 民 地 官 僚 制 度 の な か に取 り込 み,そ の権 威 を利 用 して徴 税 や 径 役 労 働 の徴 発 を 行 って いた 。19世 紀 末 以 降,「 ボ(B6)と ク ッ ト(Khut) の乱 」(1897年),「 ソ ソ ラ ー刑 務 所 暴 動 脱 獄 」(1909年)10),「 ル オ ソ ・サ ム(Lu瀟g S穃)蜂 起 」(1914‑18年),「 ブ ー ・パ ・チ ャイ(V廿Pa Chay)蜂 起 」(1918‑22年),「 ラ イ チ ャ ウ刑務 所 暴 動 脱 獄 」(1927年)な ど,大 規 模 な暴 動 が 西北 地 方 に お い て も繰 り 返 し発 生 した が,こ うした 暴動 の 大 きな原 因 は徴 税 ・労 役 の 加 重 負担 に あ る と され て いて(助i,C着m va Nguy翫1975:140)J裏 返 して い えば,西 北 地 方 に租 税 の徴 発 を強 制 執 行 す る権 力機 関 が 存 在 した こ とを示 唆 してい る。 これ ら暴 動鎮 圧 に は フ ラ ソス軍 が 出動 してい る こ と,ま た 主 に対 仏 反 逆 者 を拘 留 す るた め に 各 チ ャ ウ ムオ ン ご とに設 置 され る こ と に な っ た 刑 務 所 が1908年 に ソ ン ラ ー に 完 成 した こ とな ど も(D珈gv
国立民族学博物館研究報告 26巻3号 Dinh 1979:109),20世 紀 初頭 まで に西 北 地 方 が フ ラ ソスに よ る強 力 な支 配 体 制 の 中に 組 み 込 まれ て い た こ とを物 語 って い る。
この よ うに,「 ム オ ン ・ム オ イ の黒 タイ慣 習 法 」 の 記 述 の 中 に 司 法 に 関 す る記 述 が 少 な い 理 由 が フ ラ ンス に よる軍 事 支 配 とい う当 時 の政 治 的 ・歴 史 的 状 況 と関 連 が あ っ た か ど うか は と もか く,ム オ ン ・ム ナ イ支 配 階 層 が フ ラ ンス植 民 地 権 力を 後 ろ盾 に し て い た こ とは 間違 い な い。 しか し,不 思 議 な こ とに,同 文 書 に は ム オ ン ・ム オ イ と フ ラ ソス の関 係 に 関 す る記 述 が な い。 対 外 関 係 につ い て は,キ ンの王(pua Keo),ラ オ の 王(pua L穉)と の 関 係 が 記 述 され て い るに す ぎ な い。 一 方,比 較 の た め に 「ムオ ソ ・ム ア ッの 黒 タイ慣 習 法 」 文 書 を 例 に 挙 げ れ ば,「 ム オ ソ ・ム ア ッの黒 タイ慣 習 法 」 文 書 に は,1890年 頃 に ア ン ・ニ ャーで あ る カ ム ・チ ョム((;穃Ch m)公 が,フ ラ ソ ス 支 配 を 甘 受 す る こ とに な っ た経 過 が 記 され て い るか ら(Ng6 va C穃 1999:199),
「ムナ ン ・ムオ イ の黒 タ イ慣 習 法 」 にお い て フ ラ ンス に 関す る記 述 が ない 点 は い っそ う際 だ つ 。 「ムオ ソ ・ム オ イ の黒 タ イ慣 習法 」文 書 の 中 では,対 仏 関 係 に 関 す る記 述 が あ た か も意 図 的 に避 け られ て い るか の よ うで あ る。
しか し,現 在提 示可 能 な資 料 の状 況 で は 熟 した議 論 の展 開 が困 難 で あ る と思 わ れ る の で,こ の 点 に つ い て は他 稿 を待 つ 必 要 が あ る。 した が って本 稿 では,今 後 の 黒 タイ 慣 習 法研 究 の 展望 と して,黒 タ イ慣 習 法 文 書 の 内 容 を検 討 す る際 に,西 北 地 方 が フ ラ ンス 支配 下 に あ った20世 紀 初 頭 の政 治 的 ・歴 史 的状 況 を視 野 に入 れ るべ き であ る こ と を 指 摘 す る に と どめ る ほか な い。 こ の点 を あ え て 強調 す る の は,従 来 のベ トナ ムに お け る タ ーイ研 究 に お い て,タ ー イ語 文 書 に 記述 され た 内容 を 十 分 な テ キス ト批 判 を経 な い ま ま鵜呑 み に し,定 説 化 して きた 点 は 否 め な い か らで あ る。
2.2 ベ トナ ムに お け る 少 数 民 族 慣 習 法 文 書 の 現 代 的 意 義
前 節 で は,「 ム オ ソ ・ム オイ の黒 タ イ慣 習 法」 の 内 容 的 特 徴 につ い て,文 書 の 原 本 の記 述 を め ぐる政 治的 ・歴 史 的 背 景 とい う点 か ら試 論 した。一 方,本 節 で は 「ム オ ン ・ ムオ イ の 黒 タイ慣 習法 」 が カ ム ・チ ョソに よる刊 本 と して近 年 に な って 出 版 され た政 治 的 ・歴 史的 背景 につ い て論 じた い。
ベ トナ ム共 産 党 は1986年 の第6回 党 大 会 で ドイ モ イ(刷 新)路 線 を採 択 した。 この 大会 を 契 機 と して,ベ トナ ム共 産 党 は そ れ まで の ス タ ー リ ソ ・毛 沢 東 主 義11)を大 幅 に修 正 し,国 際 的 な孤 立 状 態 か らの脱 却 と,市 場 原 理 の導 入 に よ る国 家 経 済 の再 建 を 目指 す こ とに な った。 こ の改 革 は,市 場 経 済 の導 入r私 的 所 有 へ の 門 戸 開 放 な ど経 済 面 の み な らず,民 主 主 義 の拡 大,行 政 機 構 の簡 素 化,共 産 党 の独 裁 的 指 導 体 制 の 見 直
樫 永 「ム オ ソ ・ムオ イ の 黒 タ イ慣 習 法」 につ い て
し,言 論 ・信 教 の 自由,教 育 な ど,政 治 や 社 会 の 諸側 面 に及 ん だ。 さ らに1989年 に は, 政 治 局 決 議22号 「山 間部 の経 済 ・社 会 の 発 展 に つ い て の い くつか の主 要 な 方 針 と政 策 」
が発 表 され た 。 政 治 局 決議22号 で は,ベ トナ ム政 府 に よ るそ れ まで の 同化 主 義 的 な少 数 民 族 政 策 が 大 幅 に 見 直 され,経 済 開 発 や 農 業 な どの面 に お け る少 数 民 族 自治 の 重 視, 少 数 民 族 の土 地 な どに 関す る権 利 保 護,さ ら に少 数 民 族 の 独 自の文 化 を 「後 進 的 」 と み なす 視 点 を 廃 して伝 統文 化 や 価 値 観 を 尊 重 す る こ とが 明 記 され た 。端 的 に い えば,
こ の決 議 は ベ トナ ム共 産 党 に よる文 化 多 元 主 義 の 標 榜 で あ った(樫 永1998:41)。
こ う した 政 治 的 背 景 に加 え てe自 然 環 境 の 悪 化 と荒 廃 を 問 題 視す る声 が 国 内 で も高 ま る 中で,農 村 の 開発 と経 済 発 展 のた め に天 然 資 源 を 保 護 し,管 理 す る必 要 性 を政 府 は 主 張 して い る。 そ こで近 年,郷 約 や 慣 習 法 に 表 れ て い る よ うな農 村 資 本 の共 同管 理 に 関 す る 知 識 を 蒐 集 し,研 究 す る 必 要 性 を,ベ トナ ム 共 産 党 が 表 明 し て きた(ゴ 2000:3)。 郷 約 を 含 む慣 習 法 に は,社 会 ・経 済 関 係 や 慣 習,宗 教 儀 礼 ・祭 礼,社 会 保 障,自 然 資 源 の共 同管 理 や 利 用 な ど,多 くの 問 題 系 が 含 み込 まれ て い る とされ るか ら で あ る(ゴ1999:157)。 さ らに1998年 に は,慣 習法 を 積 極 的 に 取 り込 ん で新 農 村 規 約 を 作成 す る こ とを指 導 す る議 定 が 出た(Ng6 va C義m 1999:62)。
こ う した政 府 の 議 定 を 受 け て,1990年 代 に ゴ ・ ドゥ ク ・テ ィ ソ(Ng6 D丘c Thinh) を 中 心 とす る研究 者 が慣 習 法 の蒐 集 と研 究 を 実 施 して い る。 本 節 で は,慣 習 法 研 究 の 現 代 的意 義 に 関す る ゴ ・ドゥ ク ・テ ィソの 見 解 を 批判 的 に検 討 す る こ とを通 して,「ム オ ン ・ム オイ の黒 タイ慣 習 法 」文 書 に あ る記 述 内容 の現 代 的 意 義 に つ い て 考 察 した い。
「ムオ ン ・ムナ イ の黒 タ イ慣 習 法 」 か ら,ゴ ・ ドゥク ・テ ィ ソは い くつ か の条 文 を 引 用 して 以下 の よ うな指 摘 を して い る。 す な わ ち,タ ーイ の 間 に お い ては,そ の 伝 統 的 な 政 治 社会 組 織 に よる土 地 所 有 関 係 に よ って,自 然 資源 は よ り効 率 よ く利 用 され 保 護 され て きた。 ま た,水 争 い,漁 場 荒 ら し,違 法 な狩 猟 採 集 に 関 す る処罰 規定 が あ り, 共 同 体 メ ソ バ ー が 自然 資 源 を 合 理 的 に 利 用 す る権 利 が 保 証 さ れ て い た(ゴ1999:
161‑163,168)0
しか し,こ う した 内容 に該 当 す る規 定 の 例 と して ゴ ・ド ゥク ・テ ィ ソが 引 用 して い る条 文 の い くつか は,土 地 と天 然 資 源 を 有 効 に 使 用 す る た め の規 定 では な い。 た とえ ば 彼 は,「 ム オ ソ ・ムオ イ の 黒 タ イ慣 習 法 」 第3章 と第8章(本 稿II参 照)を 例 示 し て い るが,こ れ ら各章 の条 文 は ア ン ・ニ ャー と各 役職 者 な どの チ ャ ウム オ ン支 配 階 層 に対 して,チ ャ ウム オ ン内 の土 地,人 民,資 源 が どの よ うに分 配 され るか に つ い て の 規定 で あ る。 これ らは,資 源 の 不 平 等 な 分 配,お よび一 部 の支 配 階 級 に よ る徴 税 や倍 役 の徴 発 を肯 定 す る 内容 とな って い る。 ゴ ・ド ゥク ・テ ィ ンの見 解 に沿 った 条文 は,
国立民族学 博物館研究報告 26巻3号 彼 自身 も例 と して挙 げ て い る 「ム ナ ソ ・ムオ イ の黒 タイ慣 習 法 」 第14章 のみ に限定 す べ きで あ ろ うと思 わ れ る。 な ぜ な ら第14章 の 各 条文 は,ム オ ン内 の土 地 の聖 性 と結 び つ い た 信仰 が,結 果 と して は 天 然 資 源 の 保護 と結 び つ い て いた こ とを示 唆 して い るか
らで あ る。
さ らに,「 ム オ ン ・ム オ イ の黒 タイ慣 習 法 」 に は,水 争 い,漁 場 荒 ら し,違 法 な 狩 猟 採 集 に 関 す る処 罰 規 定 が あ り,共 同 体 メ ソパ ーが 自然 資源 を合 理 的 に利 用 す る権 利 を 保証 され て い た とい う ゴ ・ ドゥ ク ・テ ィソの 指 摘 に 関 して は,筆 者 が 思 うに,こ れ に 符 合 す る内 容 の条 文 は 「ム オ ン ・ム オイ の 黒 タイ慣 習 法 」 に 見受 け られ な い。
黒 タイ慣 習 法 が,記 述 され た 当 時 の 社 会 的,文 化 的,生 態 的条 件 を前 提 と して い る こ と,お よび この1世 紀 間 の社 会 組 織,人 口,生 態 環 境 な どの 変化 を考 えれ ば,慣 習 法 を 現 行 の法 に抵 触 しな い限 りで承 認 す る とい う試 み は 生 易 しい こ とで は な い。 た と えば 先 述 の よ うに,「 ム オ ン ・ム オ イ の 黒 タイ慣 習 法 」 文 書 の 内 容 は,チ ャ ウ ム オ ソ 行 政 とそ の住 民 の権 利 ・義 務 につ い てが 大 半 を 占め て い るが,そ こで語 られ て い る の は,父 系 氏 族 原理 と結 び つ い た社 会 階 層 制 に基 づ い て,土 地 を 含 む 自然 資源 と人 的 資 源 が 支 配 階 層 に分 配 され る こ とで あ り,法 的 手 続 きに 際 して は 罰 金 が支 配 階 層 に対 し
て支 払 わ れ る こ と の肯 定 で あ る。 つ ま り,資 源 の平 等 な 分 配 と管理 が肯 定 され る どこ ろか,一 部 の 支 配 階 層 に よ る資源 の独 占が 肯 定 され て い るか らで あ る。 また伝 統 的 な 信 仰 観 念,お よび そ れ と結 び つ い た環 境 保 全 とい う点 との 関 連 で い え ば,社 会主 義 化 以降 チ ャ ウム オ ンの大 きな祭 礼 は禁 止 され て 内容 は 忘 れ られ,ム オ ソ内 の聖 地観 念 も 忘 れ られ て,か つ て の 「禁 忌 の森 」に は す で に 無惨 な地 肌 が露 出 して い る とい うの が,
ム オ ン ・ム オイ の 現 状 で あ る。 以上 の こ とか ら,「 ムオ ン ・ム オイ の黒 タ イ慣 習 法 」 文 書 の 内容 を,現 代 の 西 北地 方農 村 に お け る資 源 の合 理 的 な 共 同 管 理 とい う目的 へ そ
の ま ま結 びつ け る のは ほ とん ど不 可能 で あ る,と い うのが 筆 者 の 意 見 で あ る。
で は,少 数 民 族 の慣 習 法 が 資 源 の合 理 的 な共 同管 理 とい う現 実 問 題 に 対 処 で きな い こ とは,少 数 民 族 の慣 習 法 の 研 究 と編 纂 出版 が無 意 味 で あ る ことを 意 味 す るの か とい うと,政 府 の立 場 か らす れ ぽ 必 ず しもそ うで は な い。 確 か に,少 数 民 族 の 権 利 を保 護 す るた め に ベ トナ ム の 国家 法 と矛 盾 しな い 限 りで 少 数 民 族 独 自 の法 を認 め よ う と, 1995年 を 目標 に 「民 族 法 」 の 制 定 を 目指 して い た が,そ れ は 実 現 され て い な い 。 しか し,仏 領 期 に編 纂 され た 少 数 民 族 の慣 習 法 が,「 民 族 法 」 制 定 に貢 献 す る もの で は な い こ とは,1996年 にrエ デ の慣 習法(Lu穰 Tucノd 』(Ng ¥va Chu 1996)が 出版 さ れ た 時 点 です で に 明 らか で あ った 。 とい うの は,当 時 に お い て もベ トナ ム人 研 究 者 は この 慣 習 法 の 内容 を,民 族 法 の制 定 に そ の ま ま役 に立 つ法 的 規 範 では な く,民 族 文 化
樫永 「ムオン ・ムナイの黒タイ慣習法」について
や伝 統 と して しか 評 価 して い な か った か らで あ る(樫 永1998)。 に もか かわ らず,少 数 民 族 の慣 習 法 研 究 と して,主 に植 民 地 時 代 に編 纂 され た 文 書 の 出 版 が 現在 ま で続 い
て い る。 こ の こ とは,こ うした慣 習法 文 書 の 内容 が 各 民 族 の 伝 統文 化 と して評 価 され て い る こと と大 き く関 わ って い る。 た とえ現 実 的 に は 「民 族 法 」制 定構 想 が座 礁 して いた と して も,こ う した 出版 事 業 を通 して,そ の 構 想 が まだ継 続 して い る こ と,ま た 少 数 民 族 の文 化 や 法 に 関す る権 利 を積 極 的 に保 護 して い る とい う姿 勢 を,ベ トナ ム政 府 が 内外 に向 け て 示 す こ とが で き るか らで あ る。
3東 南 アジア政治体 系論 と黒 タイ慣習法文 書
通 説 と して は,11世 紀 まで東 南 ア ジ アに お け るイ ン ド化 の 周縁 に おか れ て いた タ イ 系 諸 族 が,13世 紀 の モ ン ゴル南 進 の波 動 を 受 け る中 で,イ ン ドシナ半 島北 部 か ら中 国 雲 南 省 に か け て の 河谷 平 野 や 山間 盆 地 を基 盤 と して,ム ナ ソ,ム ア ソ(Muang),ム ン (Mung, Mong)な ど と称 され る新 しい 自立 的 政 治 単位 を形 成 す る よ うに な った と され て い る(Keyes 1994:74)。 本 稿 で は,ベ トナ ム西 北 地 方 に お け る呼 称 に 対 す る 日本 語 表 記 の慣 例 に倣 って,こ れ らを 「ム ナ ン」 と して総 称 す る が,ム オ ンは東 南 ア ジ ア にお け る伝 統 的政 治組 織 の代 表 的 な形 態 の 一 つ と して,し ぼ しば研 究 者 た ち の注 目を 集 め て きた 。
黒 タイ 語 で い うムオ ソは多 義 語 であ る。 ムオ ンは 大 き く分 け て以 下 の3つ の意 味 を 持 つ 。
1.世 界 。cf.〃 砂 δ}η8 p加 「天 界 」,〃2〃・δ}η81伽 「地 上 世 界 」。
2.国 家 。cf.ル 伽 δ}π9κθo「ベ トナ ム 」。
3.タ イ 系 民 族 の ム オ ン(黒 タ イ に お け る チ ャ ウ ム オ ソ,フ ィ ア ム オ ン,ロ ー ン, ク エ ン)な ど,政 治 的 中 心 を 持 っ た 政 治 的 共 同 体 の 総 称 。
しか しタイ系 諸 族 に お いて は,ム オ ソは 単 な る物 理 的空 間 で は な く,メ タ フ ァーに 満 ち た 象徴 的 な政 治 空 間 であ り,彼 らの 宗 教 儀 礼 や世 界観 の構 成 と密 接 に絡 ま って い る(長 谷 川1993:231)。 そ こ に は,物 理 的 空 間 の 中 心 に い て政 治 社 会 組 織 の最 高 位 に 位 置 す るの み な らず,宇 宙 論 的 観 念 の 中 心 存在 で もあ る個 人 格 が 存 在 す る。 そ の個 人 格 を 王 と よぶ な ら,ム オ ンの王 は 宇 宙 論,地 理,政 治経 済 の 中心 でそ の3者 を つ な ぐ存在 で あ った。ムオ ソ研究 もそ の3者 いず れ か に 焦 点 を 当 て て展 開 して きた た め に, 従 来 の研 究 も以下 の3つ の軸 に 沿 って 要 約 で きる。