国家的過程のなかの民族文化 : インドネシア,ト ラジャにおける伝統的文化の現代的位相
著者 山下 晋司
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 13
号 1
ページ 1‑35
発行年 1988‑07‑30
URL http://doi.org/10.15021/00004329
山下 国家的過程 のなか の民族文化
国 家 的 過 程 の な か の 民 族 文 化
イ ン ドネ シ ア,ト ラ ジ ャ に お け る 伝 統 的 文 化 の 現 代 的 位 相
山 下 晋 司*
Ethnic Culture in the Process of Nation-Building: The Toraja Cultural Tradition in Contemporary Indonesia
Shinji YAMASHITA
"Pembangunan" or "development" is a national slogan of contemporary Indonesia. Since 1968, President Suharto has pursued a successful development policy, and the rate of economic growth has accelerated remarkably. His political power has been strengthened by the integration of technocrats and govern- ment officials into his party, Golkar. In the cultural field, the building-up of "Indonesian national culture" has been the most urgent task, since Indonesia requires a distinct national culture in order to become a nation-state in the complete sense.
In the general scheme of developmental change in the re- lations among economics, politics and culture, a drastic cultural restructuring has been underway in which diverse ethnic cultures are being integrated as parts of the now emerging national culture. Based on my own field-observation, in this paper I examine the case of the Toraja people of the South Sulawesi Highlands, and trace their development with special reference to tourism.
In 1969, the Indonesian Government designated the Toraja area as one of ten regions for intensive promotion of international tourism. The Government expected to obtain hard currencies to support the First Five-Year Development Programme.
Throughout the 1970s tourism developed successfully, to the extent that the Toraja area became referred to as a second Bali.
It is noteworthy that the peculiar feature of tourism in the Toraja area was an emphasis on "traditional rituals." The Toraja's
*広 島大学 ,国 立民族学博物館共同研究員
国立民族学博物館研究報 告 13巻1号
"ancient
, animistic" religious performances are now placed at the center-stage of the nationally authorized scheme of develop- ment. "Tradition" and "development" or "the ethnic" and
"the national" have not been opposed
, but rather have been in dialog.
This paper is in three parts. First, the background of Toraja tourist development is analyzed. It must be understood that Toraja tourism is a political phenomenon in which the "commer- cialization" of local culture is underway. The response of Toraja intellectuals to this development is discussed in the second part. They have written about their own culture for the wider national (even international) community. Their writings exem- plify the fruits of a conscious objectification of their own ethnic culture. Third, ethnographic accounts of re-conversion to traditional faith, traditional ritual performances by the Christian and local re-interpretation of folk beliefs are examined. They reveal the highly flexible capacity of the Toraja people and their culture in response to the new situation. In these processes, the Toraja cultural tradition is not only being reproduced but also, to quote Eric Hobsbawm, "invented."
The analysis and examination of contemporary Toraja cultural dynamics also contributes to current anthropological theory with the proposition that micro-social studies should be integrated into a larger macro-social framework.
1.序
II.国 家 に よ る文 化 の再 編 成 トラジ ャの 観 光 開発
1.イ ン ドネ シ アに お け る政 治 と文 化 の 再 編成
2.ト ラジ ャの観 光 開発
3.観 光 開 発 の 背 景一 文 化 の 政 治学 4,ト ラジ ャにお け る宗 教 と政 治 の再 編 成 5,観 光 開発 の 影 響
皿.書 か れ る文 化 1.書 か れ る文 化
2.二 人 の トラ ジ ャ人 フ ォー ク ロ リス トと そ の 著作
3.・ 書物 の な かの 文 化,パフ ォー マ ンス と して の文 化
IV.文 化 の 柔軟 性 とエ ス ニ ック ・ア イデ ンテ ィ テ ィ
1.伝 統 宗教 へ の回 帰
2.キ リス ト教 徒 によ る 「伝 統 的儀 礼 」 3.キ リス ト教 へ の改 宗
4.儀 礼 を め ぐる物 知 りの 解釈,普 通 の 人 人 の解 釈
5.エ スニ ック ・ア イデ ンテ ィテ ィ 社 会 の変 化 と文 化 の再 統 合
V.結 語
山下 国家的過程のなかの民族文化
1.序
「開 発 」(Pembanguaan)と い う 言 葉 は,今 日 の イ ン ドネ シ ア で は 政 府 の 高 官 か ら村 落 部 の 住 民 に 至 る ま で 広 く 口 に さ れ る 国 民 的 ス ロ ー ガ ン と な っ て い る。 そ れ は 現 代 イ ン ドネ シ ア 1965年 の9.30事 件 に よ る 政 変 の 結 果,1968年 に イ ン ドネ シ ァ の 二 代 目 の 大 統 領 に就 任 し,現 在 に 至 っ て い る ス ハ ル ト政 権 下 の イ ン ドネ シ ア の 国 家 精 神 を 端 的 に 集 約 した 言 葉 だ と い っ て よ い 。 通 常 「新 秩 序 」(Orde Baru)と 呼 び な らわ さ れ る こ の ス ハ ル ト体 制 の も と で,イ ン ド ネ シ ア の 開 発 政 策 は 強 力 に押 し進 め られ,経 済 学 者 の 分 析 に よ る と,こ の20年 間 余 り に 経 済 開 発 は 一 定 の 成 果 を 納 め,国 民 経 済 は パ イ の 不 平 等 分 配,つ ま り エ リー ト と大 衆 の 格 差 の 広 が り と い っ た 矛 盾 を 孕 み つ つ も, 全 体 と して あ き らか に 成 長 して い る[加 納 1982:51‑53]。 こ の 実 績 を 踏 ま え て ス ハ ル ト大 統 領 は,政 治 的 に は,一 方 で 国 軍 を 掌 握 し,他 方 で ゴ ル カ ル(Golkar:Golongan Kar7aの 省 略 形 で 「職 能 集 団 」 と 訳 さ れ る)と 呼 ば れ る 政 府 与 党(と い う よ り 一 種 の 翼 参 政 党)に テ ク ノ ラ ー ト と公 務 員 を 吸 収 しつ つ,「 一 つ の 国 家,一 つ の 国 民 」(satu negara, satu bangsa)と い う政 治 的 統 合 を さ ま ざ ま な 文 化 的 装 置 を と お して 強 化 し て い る[c£ 白 石 1986]。
こ う し た 背 景 の な か で,ス ハ ル ト政 権 の 文 化 面 で の 基 本 的 な 課 題 は,多 様 な 構 成 を も つ イ ン ドネ シ ア の 民 族 集 団 と そ れ ぞ れ の 固 有 文 化 の 伝 統 を 国 民 国 家 と 国 民 文 化 と い
う枠 組 み の な か に い か に再 編 成 し,統 合 して ゆ くか と い う こ と で あ る[MOERPOTO l972:103‑105]。 こ こ で ま ず 指 摘 して お か な け れ ば な ら な い の は,言 語 す な わ ち国 語 と して の イ ン ドネ シ ア 語 の 問 題 で あ る 。い う ま で も な く イ ン ドネ シ ァ は250以 上 の 民 族 集 団,300以 上 の 言 語 を 有 す る と い わ れ る 多 民 族 ・多 言 語 国 家 で あ る。 し か し,イ ン ド ネ シ ア の 独 立(1945年8月17日)に 向 け て の ナ シ ョナ リズ ム の 展 開,と く に1928年 の
「青 年 の 誓 い 」(Sumψah Pemuda)に お い て 国 語 と し て の 位 置 づ け ら れ た イ ン ドネ シ ア 語 は,今 日 ゆ る ぎ な い も の と し て 確 立 さ れ て き て い る。 こ の 点 で こ の 国 は 東 南 ア ジ ァ
あ る い は 広 く第 三 世 界 の 諸 国 の な か で も 例 外 的 と も い え る 国 語(イ ン ド ネ シ ア 語)政 策 の 成 功 を 基 盤 と して,国 民(イ ン ドネ シ ア 人)の 形 成 に成 功 しつ つ あ り,言 語 に 関 す る か ぎ り イ ン ドネ シ ァ の 国 民 文 化 は す で に基 礎 を 与 え られ て い る と い っ て よ い 。 こ う して 独 立 後 す で に40年 余 の 歳 月 を 経 て,イ ン ドネ シ ア が 近 代 国 家 と して の 成 熟
に 向 か う 過 程 で,お の お の の 民 族 集 団 の 伝 統 文 化 は,国 家 の 側 か ら,あ る い は 当 該 の 民 族 集 団 自 身 の 側 か ら,定 義 し直 され,場 合 に よ って は 再 創 造 さ れ さ え す る と い う事 態 が認 め られ る。 こ う し た 動 き は,筆 者 が1976年 以 来 調 査 ・研 究 を 続 け て い る 南 ス ラ
国立民族学博物 館研究報告 13巻1号 ウ ェ シ州(Propinsi Sulawesi Selatan)内 陸 山 地 部 の タ ナ ・ トラ ジ ャ 県(KabuPaten Tana Tornja)を 中 心 に 居 住 す る約33万 人(1985年 の 県 人 口)の 棚 田耕 作 民,ト ラ ジ ャ の 人 人 に と っ て も 無 縁 で は な い 。 無 縁 で な い ば か り か,こ の10年 ば か り の 調 査 と 研 究 か ら,
地 図1イ ン ド ネ シ ァ
郡 (Kecamatan) A.メ ン ケ ンデ ッ ク (Mengkendck)
B.マ カ レ (Makale) C.サ ン ガ ラ (Sangalla') D.サ ン ガ ラ ンギ (Sanggalangi,)
E.ラ ン テ パ オ (Rante Pao)
F.セ セ ア ン (Sesean)
G.リ ン デ ィ ンガ ロ (Rinding Allo) H.サ ル プ テ ィ (Saluputi)
1.ボ ンガ カ ラ デ ン (Bongga Karadeng)
地 図2 タ ナ ・ ト ラ ジ ャ 県
山下 国家的過程 のなか の民族文化
筆 者 はむ しろ国 民 国 家 と国 民文 化 とい う枠 組 み を抜 き に して は 今 日の 少 な く とも 筆 者が 主 要 な フ ィー ル ドワー クを行 った1976〜78年 とい う時期 の トラ ジ ャ民族 誌 は成 立 しな いと考 え て い る。 こ う した マ ク ロな シス テ ムを視 野 に 入 れた 民 族 社 会 の研 究 を 筆 者 は 「動 態 的 民 族誌 」 とい う用語 で捉 え て い る[山 下 1985,1988ab]。 こ の 視 点 か ら本 論 で は,現 地調 査 を行 った トラ ジ ャの 事 例 を 主 に取 り上 げ な が ら1),今 日
り ロ り り
の イ ン ドネ シ アの 国家 的 過程 の な か の 民族 文 化 とい う問 題 に検 討 を加 え て み よ う。
巫.国 家 に よ る文 化 の再 編 成 トラ ジ ャの 観 光 開 発
1. イ ン ドネ シ ア に お け る 政 治 と 文 化 の 再 編 成
最 初 に イ ン ドネ シァ の政 治 と文 化 の統 合 様 式 の 再 編成 と い う問題 に簡 単 に触 れ て お か ね ば な らな い。 これ に つ い て は,ク リフ ォ ー ド ・ギァ ツが次 の よ うな歴 史 的 な概 観 を 与 え て い る。
「植 民 地 時代 に は,一 方 に植 民 地 政 府 が あ り,他 方 に 精 神 的な 力 の 均衡 と い う状 況 が あ っ た 。 この両 者,つ ま り文 化 を もた な い政 府 と政 治 的 表 現 を もた ない 文 化 の あ いだ の 緊 張 関係 は,究 極 的 に この体 制 全 体 を 侵 食 して しま う。 ナ シ ョナ リズ ム期 に は,国 家 の側 にス カ ル ノ の雄 弁 があ り,文 化 と ア イデ ンテ ィ テ ィの側 に は多 様 で,政 治 的で,直 接 に競 合 しあ うイデ オ ロギ ーの 諸 流 派 が あ った 。 この二 つ の緊 張 関係 は最 終 的 に1965年 の 暴 力事 件[9,30事 件]
と して 爆 発 す る 」[GEERTz 1972:83‑84]。
こ こで ギ ア ツ は,一 方 に政 治(も し くは 国家)を,他 方 に 文 化(も し くは人 々の ア イ デ ンテ ィテ ィ)を 置 きな が ら,イ ン ドネ シア の 政 治 と文 化 の統 合 様 式 に関 して オ ラ ン ダ植 民 地期 と彼 が 「ナ シ ョナ リズ ム期 」 と呼 ぶ 時 期 独 立 に向 か う民 族 主 義 運 動 期 お よ び独 立以 後1965年 の9.30事 件(ス カル ノ体 政崩 壊)に 至 る時 期 を対 比 的 に捉 え て い る。 す なわ ち,植 民地 期 に お いて は植 民地 政庁 側 は 「イ ン ドネ シアの 文 化 」 を 必要 と しな い し,「 原 住民 」 側 に と って も植 民 地 政 庁 は 当然 彼 らの 政 府 で はな か った。
こ の 時期 の政 治 と文 化 は 「文 化 を もた な い政 府 と政 治 的表 現 を も たな い文 化」 とい う か た ち で基 本 的 に分 離 して い る。 これ に対 して,ナ シ ョナ リズ ム期 に お いて は 政 治 と
1)筆 者 の トラジ ャ調 査 は,1976年 以 降4度 にわ た って 行 わ れ て き た。 主 要 な調 査 は,1976年
〜78年 にか け て 昭 和50年 度 文 部 省 ア ジア 諸 国 派遣 留 学 生 制 度 に よ って , トラジ ャの ホーム ラ ン ドで あ る南 ス ラ ウェ シ州 タ ナ ・ トラ ジ ャ県,と りわ け 県南 部 の メ ンケ ンデ ック郡(Kecamatan Mengkendek)に お いて行 わ れ た 。そ の 後 の3度 にわ た る補 足 調 査 は,昭 和58,59,61年 度 の文 部 省 科 学 研 究費 補 助 金 に よ る海 外 調 査 「東南 ア ジ ァ地 方都 市 社 会 の 研究 」(代表 青木 保 大 阪 大 学教 授)の 一環 と して,1983年12月 〜1984年1.月,1984年7〜10月,1986年12月 〜1987年1月 に行 わ れ た 。
国立民族学博物 館研究 報告 13巻1号 文 化 の統 合 の か た ちが 国 民 国家 を求 め る民族 主 義運 動 の展 開 の な かで 模 索 され る こ と
にな る 。 しか し,こ の 時 期 の 国 家(政 治)の 側 に ス カル ノ に代 表 され る指 導 者 の 雄 弁 が あ った と して も,イ ン ドネ シ アを 構成 す る多様 な文 化 と ア イ デ ンテ ィ テ ィの 側 か ら の過 剰 な 政 治 的 表現 が あ り,そ れ が1965年 の9.30事 件 の爆 発 に至 る と ギ ァ ッ は捉 え る。
つ ま り,こ の 時期 に は 理念 と しての 「一 つ の 国家 」 に対 す る 「一 つ の文 化 」 に納 ま る には 余 り に多 様 な イ デ オ ロ ギ ー と多 様 な 文化 の伝 統 が あ ったわ けで,ス カル ノの 雄 弁 も最 終 的 には この 時期 の 政 治 と文 化 の 過 剰 な多様 性 を コ ン トロー ルで きな か ったわ け で あ る。
真 の 意 味 で の 政 治 と文 化 の統 合,す なわ ち 国民 文 化 が問題 に な るの は,第 三 の歴 史 段 階,9.30事 件(ス カ ル ノ 体制 の崩 壊)以 後1968年 に成 立 した ス ハ ル ト体 制 下 に お い て で あ る。 この 「新 秩序 」 と呼 ば れ る体 制 は,ギ ア ツ に よれ ば,次 の三 つ の 「発 展 」 に よ って 特 徴 づ け られ る。 す な わ ち,「(1)テ ク ノ ク ラ ー トと軍 の微 妙 な 関係 の 発展 と そ の結 果 と して政 府 に お け る軍 の卓 越 と政 党 政 治 の弱 化,(2)精 神 生 活 宗 教 的 ・文 化 的 生 活 の制 度 上 な らび に 内 容 上 の再 編 成 の展 開,(3に の 二 つ の 発 展 の帰 結 と し て イ ン ドネ シア に お け る宗 教 ・社 会 ・政 治 の一 般 的な 関係 に お け る重要 な 変 化」 で あ る[GEERTz l972:67‑68]。
イ ン ドネ シアの こ う した 国 家 レベ ル の政 治 ・社 会 ・文 化 の 統 合 様 式 の変 化 は,イ ン ドネ シア 国家 の周 辺,南 ス ラ ウ ェ シ州 の 内 陸 山地 に位 置す る トラ ジ ャ社会 に も大 きな 影 響 を与 え て い る。 筆 者 が 主 要 な 調 査 を行 った1970年 代 中盤 か ら後 半 にか けて の 時 期 には,こ う した 国家 レベ ル の 動 き に対 応 して トラ ジ ャの社 会 と文 化 の変 化 は きわ めて ドラス チ ッ クに進 行 して いた 。
この変 化 は トラ ジ ャ社 会 を め ぐる二 重 の 運 動,す な わ ち トラ ジ ャ社 会 の内 部 か ら外 部 へ 向 か う動 き と,逆 に外 部 か ら内 部 に向 か う動 き によ って 引 き起 こさ れ て い る[c£
VoLKMAN 1984]。 前 者 は と くに1960年 代 後 半 以 降 顕著 に な って い る 出稼 ぎ と都 市 部 で の トラ ジ ャ移住 民 社会 の展 開 とい った 動 きで,こ れ につ いて は筆 者 は す で に報 告 し て い る[山 下1986]。 後 者 は イ ン ドネ シア 国家 と その 背 後 にあ る 国 際 社会 が トラ ジ ャ 社会 の な か に侵 入 して く る とい う動 きで あ り,具 体 的 には イ ン ドネ シア政 府 と国 際 的 な観光 業 者 に よ る トラ ジ ャの観 光 開 発 とい うか た ち を と った 。 こ こ にお い て は ナ シ ョ ナル な もの と エス ニ ッ クな もの,伝 統 文 化 の持 続 と変 容 は,国 家 の 意 思 の も とで一 つ の プ ロ セ ス のな か に置 か れ る こ と にな る。 以 下 に お いて,筆 者 が 動 態 的 民族 誌 と呼 ぶ 枠 組 み,す なわ ち通 常 の 民 族誌 的研 究 よ り も広 い ス タ ンス,遠 いま な ざ しの も とで検 討 を加 えて み た いの は この点 で あ る。
山下 国家的過程のなかの民族文化
2. ト ラ ジ ャ の 観 光 開 発
「開 発 」 を ス ロ ー ガ ン と す る ス ハ ル ト政 権 は,1969年 の 第 一 次 五 力年 計 画 に お い て, 観 光 開 発 に よ る 外 貨 の 獲 得 と い う方 針 を 打 ち 出 した 。 そ の 際 ト ラ ジ ャ の ホ ー ム ラ ン ド で あ る タ ナ ・ ト ラ ジ ャ県 は,観 光 開 発 の た め の 重 点 地 域 の 一 つ と し て 挙 げ ら れ た 。 こ の 観 光 に よ る 開 発 と い う路 線 は,1970年 代 の は じめ 南 ス ラ ウ ェ シ州 な ら び に タ ナ ・ ト
ラ ジ ャ県 の 地 方 政 府 に よ っ て も積 極 的 に 推 進 さ れ た 。 す な わ ち,州 レ ベ ル で は1971年 に 「南 ス ラ ウ ェ シ 観 光 開 発 推 進 会 議 」が 観 光 は こ の 地 域 の 経 済 発 展 の た め の 基 本 的 な 柱 で あ る と し,と りわ け トラ ジ ャ地 域 の 観 光 開 発 の 重 要 性 を 強 調 す る[AMIER 1971:3ユ 。 同 じ年 に タ ナ ・ ト ラ ジ ャ県 の 県 議 会 に 「観 光 に よ る 地 域 開 発 」 と い う 議 案 が 提 出 さ れ, 当 時 の 県 知 事 は そ の た め に 住 民 の 地 域 文 化 に 対 す る 興 味 を 促 進 す る よ う に 指 示 して い
る 。 こ こ で の 「地 域 文 化 」と は 主 と して ト ラ ジ ャ の 「伝 統 的 儀 礼 」 で あ り,1973年 に は 「観 光 開 発 に 関 す る セ ミナ ー 」 が 政 治 家,有 識 者 お よ び ト ・ ミ ナ ア@〃 珈 αα)と 呼 ば れ る 宗 教 的 職 能 者 の 参 加 の も と に マ カ レ で 開 か れ て い る[CRYsTAL 1974:147]。
こ の 観 光 開 発 は1970年 代 の10年 間 を と お して 驚 異 的 と も い え る 成 功 を お さ め る 。 そ れ は こ の 地 を 訪 れ た 外 国 人 観 光 客 の 数 の 飛 躍 的 増 加 1971年 の わ ず か58人 か ら1979年 の2万5537入 へ に 端 的 に 示 さ れ2),1970年 代 末 に は トラ ジ ャ は 国 際 観 光 地 と して つ と に 有 名 な バ リ島 に 次 ぐ と い わ れ る ま で に な っ た[c£CRxsTAL l977:111‑112]。
こ の ト ラ ジ ャ観 光 の 焦 点 は,う え に 示 唆 し た よ う に,「 太 古 よ り の ア ニ ミス テ ィ ッ ク な 信 仰 に 根 ざ し た ト ラ ジ ャ の 文 化 」(イ ン ドネ シ ア 政 府 観 光 局),つ ま り 多 量 の 家 畜 の 殺 害 ・供 犠 を と も な う 彼 らの 伝 統 的 な あ る い は 「未 開 な 」 死 者 儀 礼 で あ っ た3》。 こ の 点 で,ト ラ ジ ャ に お け る観 光 の か た ち は 「エ ス ニ ッ ク ・ッ ー リ ズ ム 」 と 呼 ん で よ い も の で あ る 。 イ ン ドネ シ ァ に お い て は,バ リ島 が す で に エ ス ニ ッ ク ・ツ ー リズ ム の 長 い 伝 統 を も っ て い る。 ト ラ ジ ャ の 観 光 開 発 に お け る 成 功 は バ リ よ り も 「未 開 」 で,
「オ ー セ ン テ ィ ッ ク な 」 文 化 を 観 光 の 対 象 に 据 え た と こ ろ に あ る 。 す な わ ち,バ リで は 「観 光 用 の シ ョ ウ」 と 「オ ー セ ン テ ィ ッ ク な パ フ ォ ー マ ン ス 」 が 注 意 深 く区 別 さ れ, 儀 礼 の な か の ダ ン ス の 上 演 は そ れ 自 体 独 立 し た 芸 能 の 域 に 達 し て い る が,ト ラ ジ ャ は
2)ト ラ ジ ャを訪 れ る外 国 人 観 光客 は1975年 に飛 躍 的 に増 加 す る。 す な わ ち,前 年 度 の6093人 に 対 し,こ の年 には1万5851人 に達 して い る。これ は,1974年 に 「太 平 洋地 域 旅 行 協 会」(Pacific Area Tourist Association)の 会 議 が ジ ャカ ル タで 開 か れ,ト ラ ジ ャ観光 の振 興 が 行 われ た 結 果 で あ ろ う。
3)筆 者 の 現 地研 究 が 行 わ れ た1970年 代 中盤 か ら後 半 に か けて の トラ ジ ャに おい て は,そ れ ゆ え, 大 きな 儀 礼 に は人 類 学 者 とい う異 邦 人 だ けで はな く,必 ず と い って よ い ほ ど観 光客 と い う異 邦 人 が み られ た 。 筆 者 も,見 知 らぬ 村 々を訪 れた と きは,「 トゥ リス 」("touriSt"観 光 客)と 呼 ばれ るは め にお ちい った 。
国立民族学 博物館研究報告 13巻1号
写 真1 トラジ ャの 観光 開発:慣 習 家屋 の前 面 に設 け られ た お み や げ売 店 と観 光客 (タ ナ ・ トラジ ャ県 ケ テ)
あ る旅 行 パ ン フ レ ッ トに よ れ ば 次 の よ うで あ る 。 「伝 統 的 な ト ラ ジ ャ族 は 彼 ら の 日常 生 活 の な か に 民 族 誌 的 に重 要 な 儀 礼 を 今 日 で も 保 持 し て い る 。 も し我 々 が 幸 運 な ら, 我 々 は そ の い くつ か を み る こ と に な ろ う。 彼 ら の 生 と 死 を め ぐ る祭 宴 に は 繁 栄 と 豊 穰
の 神 話 的 諸 観 念 が 例 示 さ れ て い る」[SoclETY ExPEDITIoNs l981‑1982]。 つ ま り,
写 真2 壁 寵 墓(リ ア ン)を 訪 れ る観 光 客(タ ナ ・ トラ ジ ャ県 レモ)
山下 国家的過程のなかの民族文化
ト ラ ジ ャ の 文 化(儀 礼)は 観 光 用 の シ ョ ーで は な く 「本 物 の 文 化 」 で あ っ て,そ の 点 が バ リの 観 光 用 の シ ョ ー に飽 き た らな い 観 光 客 た ち の 欲 望 を 充 足 さ せ る と い う わ け で あ る 。 そ の 意 味 で ト ラ ジ ャ は バ リ よ り も 「野 生 の 」 文 化 を 国 際 観 光 市 場 に 提 供 した わ け で,さ き に 引 用 した 旅 行 パ ン フ レ ッ トに は 「奥 深 き 文 化 の サ フ ァ リ」 と い う タ イ ト ル が 与 え られ て い る 。
しか し な が ら,政 府 観 光 局 や 旅 行 代 理 店 の パ ン フ レ ッ トが 宣 伝 す る よ う に トラ ジ ャ の 儀 礼 は 「太 古 の 」 あ る い は 「未 開 な 」 文 化 を 代 表 し て い る わ け で は な い 。 す で に 示 唆 し た よ う に,伝 統 文 化 の 強 調 は き わ め て 近 代 的 な 枠 組 み 出 稼 ぎ に よ る 経 済 的 ・
社 会 的 変 化 と 国 家 に よ る 観 光 開 発 の な か で 生 じて い る 。 し た が っ て,観 光 客 た ち が 「伝 統 的」 で 「本 物 の 」 儀 礼 だ と 思 っ て カ メ ラ に 収 め て い る 儀 礼 が,実 は 出 稼 ぎ
「成 金 」 の キ リス ト教 徒 が 行 っ て い る儀 礼 だ と い う こ と も あ り う る の で あ る4)。
い ず れ に せ よ,政 府 と観 光 産 業 は,筆 者 が 別 の と こ ろ で 論 じた ト ラ ジ ャ の 「文 化 の イ ン ボ リ ュ ー シ ョ ン」[山 下 1988a]5)を そ れ ぞ れ の 立 場 か ら歓 迎 し,そ れ を 開 発 の 旗 印 に 結 び つ け た 。 こ こ に お い て は,エ ス ニ ッ ク な も の が 国 民 文 化 の 貴 重 な 遺 産 と し て 位 置 づ け られ,伝 統 の 強 調 が 開 発 に つ な が る と い う 事 態 が 見 出 さ れ た わ け で あ る [TANGDILINTIN 1975;TANGDILINTIN AND SYAFEI l975]。 逆 に こ う し た 国 家 的 な 後 押 し,あ る い は 外 部 か ら や っ て 来 る 観 光 客 に 媒 介 ・刺 激 さ れ て,ト ラ ジ ャ人 自 身 自 らの 文 化 伝 統 を 見 直 し,「 伝 統 的 」儀 礼 は ま す ま す 「イ ン ボ リュ ー シ ョ ン」 を お こ し て ゆ く。 そ して そ こ で は,「 伝 統 的 」 で あ る こ と が 「近 代 的 」 で も あ る と い うパ ラ ドキ シ カ ル な 状 況 が 生 じ る こ と に な る 。
3. 観 光 開 発 の 背 景 文化 の政治学
観 光 開 発 は,し か しな が ら,一 つ の 現 象 に す ぎ な い 。 よ り 重 要 な の は そ の 背 後 に あ る 動 き,ス ハ ル ト政 府 に よ る イ ン ドネ シ ァ の 政 治 と文 化 の 再 編 成 と い う 問 題 で あ る 。
それ ゆ え,ト ラ ジ ャの観 光 開 発 は な に よ りも こ う した動 きの な か で 出 て きた 政 治 的現 4)日 本 テ レ ビは,1979年 に ラ ンテ パ オ地 域 で 行 わ れ た ネ ・ア ッタ(イ ン ド ・リンボ ン)の 死 者 祭 宴 を 録 画 して い る (「精 霊 の甦 る村 一 トラ ジ ャ族 の大 死 者 祭宴 」 とい うタ イ トルで1982年 12月 に放 映)。 しか しな が ら,こ れ が キ リス ト教 徒 の葬 儀 で あ る こ と に製 作 ス タ ッフ は気 づ い て い な い(あ る い は少 な くと もそ の ビデ オ ・テー プ の な かで は説 明 され て い な い)。 と こ ろが, カ メ ラは,瞬 間 的 にで は あ るが,キ リス ト教 徒 の 葬儀 で あ る こ とを示 す 十 字 架 を映 し出 して い るの で あ る。
5)こ こで の 「文 化 の イ ンボ リュー シ ョン」 と い う言 葉 を,筆 者 は フィ リ ップ ・マ キ ー ンに負 っ て い る。 す な わ ち,彼 は ギ ァ ッ の 「農 業 の イ ンボ リュー シ ョ ン」[GEERTZ 1963]の 議 論 を 文 化 の 局 面 に適 用 し,バ リの観 光 開 発 と伝 統 文 化 の 関係 を この語 を 用 いて 説 明 しよ うと した わ け
で あ る[McKEAN 1977]。 ・
国立民族学博物館研究報告 13巻1号
象 で あ り,国 家 の 開 発,国 民 文 化 の創 出 に向 け て の 「文化 の 政 治学 」 で あ る と い う点 が理 解 され な けれ ばな らな い。
ス ハ ル ト体制 の 課題 が,多 様 な イ ン ドネ シア文 化 を 国 民 文化 の枠 組 み の な か に再 編 成 ・統 合 す る こ と にあ る とい って も,こ の 国 の言 語 ・民 族 集 団 の広 大 な多 様 性 を考 え る と き,国 民文 化 の創 出 は一 朝 一 夕 に は ゆか な い。 そ こで さ しあ た り,こ の多 様 な 諸 文 化 に一 つ ず つ 「イ ン ドネ シア文 化 の 国民 的 遺 産 」 と して 国家 の側 か らい わ ば お墨 つ
き を与 え る こ とで,多 様 性 そ の もの を 国家 の な か に吸 収 して しま う とい う方 法 が あ る。
この 点 を 例示 す るモ ニ ュメ ンタル な 事業 と して,1970年 代 の は じめ に首 都 ジ ャカル タ の 郊 外 に作 られ た 「美 しき イ ン ドネ シア の ミニ チ ュア公 園」(Taman Mini lndonesia Indah)と い う名 を もつ 野 外 博 物 館 が あ る。 そ こで は,多 様 な イ ン ドネ シ ア文 化 の全 体 が 総 計27に の ぼ る州(Propinsi)ご と に展 示 され て い る。 つ ま り各 州 の文 化 は,そ の 州 を 特徴 づ け る民 族 の慣 習 家 屋 のス タ イル を 利 用 した博 物館 そ の もの と して,あ る い は 館 内 の 展示 品(物 質 文 化)と して示 され る。 こ う して,南 ス ラ ウ ェ シ州 の コー ナ ー には,ブ ギ ス や マ カ ッサル の慣 習 家 屋 と並 ん で,ト ラ ジ ャの慣 習家 屋 が建 て られ,そ こで トラ ジ ャ特 産 の コー ヒーや 工 芸 品 が展 示 され,お み や げ と して売 られ て い る と い った 具 合 で あ る。
この 野外 博 物館 は,政 府 に よ っ て公 認 され た イ ン ドネ シア文 化 の多 様 性 を首 都 ジ ャ カル タ に展 示 す る こ とに な る が,観 光 開 発 と い う路 線 にお い て は文 化 の多 様 性 は その
写 真3 観 光 と伝 統文 化 の保 存 の た め に建 て られ た トラ ジ ャの慣 習 家 屋(タ ナ ・ トラ ジ ャ県 レモ)
山下 国家的過程のなか の民族文化
写 真4 トラ ジ ャの慣 習家 屋 を イ ン ドネ シ アの 国民 文 化 の 一 部 と して 権 威 づ け る表 示 。 教 育文 化 省 ・文 化 局 局 長で あ り著 名 な歴 史 家 で もあ るH.ス バ デ ィオ博 士 の 署 名 が入 って い る(タ ナ ・ トラ ジ ャ県 レモ)
現 場 で提 示 され る 。 そ こ で は文 化 は たん に生 活 の 様 式 と して生 き られ る ので は な く, オ ブ ジ ェ と して外 部 か らの視 線,鑑 賞 に たえ う る もの と して 現 れ る。 こ こに お い て イ
ン ドネ シ ァの 全 体 が 「生 きた 博 物 館 」 と して 登場 し6),外 国 か らの観 光客 に は この 国
写 真5 イ ン ドネ シ アの 現行 紙 幣(5,000ル ピア)に 登場 した トラジ ャの 慣 習家 屋 の モ チー フ
国立民族学 博物 館研究報 告 13巻1号 の な か を 動 き 回 っ て も ら い,「 文 化 の サ フ ァ リ」を 味 わ っ て も ら お う と い う わ け で あ る 。
こ れ が い わ ゆ る エ ス ニ ッ ク ・ツ ー リズ ム で あ る 。 トラ ジ ャ の 場 合,彼 ら の 文 化 が 本 来 備 え て い る 表 示 的 ・誇 示 的 な 性 格[内 堀 ・山 下 1986:283‑284]が,イ ン ド ネ シ ァ 政 府 が 推 進 し よ う と し て い た 文 化 政 策 に 適 合 的 に 結 び つ い た と い え よ う 。 こ う し て み る と,観 光 開 発 と い う路 線 も 文 化 政 策 と して は 一 種 の 「文 化 の 博 物 館 化 」,政 府 に よ る 国 民 文 化 の 掌 握 と い う こ と が で き る。 そ し て こ こ に い た っ て 文 化 は そ れ ぞ れ の 社 会
ロ
の温 床 か ら離 れ,独 立 変 数 と して そ れ 自体 の運 動 を は じめ るの で あ る7)。
4. ト ラ ジ ャ に お け る 宗 教 と政 治 の 再 編 成
ee‑一次 五 力 年 計 画 が ス タ ー ト した1969年 に,ト ラ ジ ャ の 伝 統 宗 教,ア ル ッ ク ・ ト ・ ドロ(Aluk To Dolo)が 政 府 に よ っ て 公 認 さ れ て い る 。 イ ン ド ネ シ ア は 宗 教 の 公 認 制 を と っ て お り,宗 教 省 は イ ス ラ ム教,キ リス ト教(カ ソ リ ッ ク お よ び プ ロ テ ス タ ン ト), ヒ ン ド ゥ ー 教,仏 教 ・儒 教(主 に イ ン ドネ シ ァ 在 住 の 華 人 の 宗 教)を 「宗 教 」(agαma) と して 認 め て い る 。 トラ ジ ャ の 宗 教 は 東 南 ア ジ ア の 古 い 宗 教 伝 統 の 系 譜 に 属 す る も の で あ る が,こ の 年 に 「バ リ ・ ヒ ン ド ゥ ー 」 の 一 分 派 と して 政 府 宗 教 省 の 公 認 を 受 け た の で あ る 。 トラ ジ ャ に ヒ ン ド ゥ ー の 影 響 が な か っ た と は い え な い に して も,東 南 ア ジ ア の 宗 教 を 研 究 す る 者 に は,こ の 公 認 の あ り よ う,つ ま り ア ニ ミス テ ィ ック な ト ラ ジ ャ の 固 有 宗 教 を ヒ ン ド ゥ ー の 影 響 を 顕 著 な か た ち で 受 け て い る バ リの 宗 教 の 一 分 派 と す る こ と は 奇 異 に 映 る8)。 し か し な が ら,こ の 公 認 を,一 方 で す で に み た 国 家 的 な 観 光 開 発 と い う政 策 に,他 方 で ス ハ ル ト体 制 下 の 政 治 と文 化 の 再 編 成 と い う 問 題 に 関 係 づ け て み る と き,そ れ が 「新 秩 序 」 体 制 下 の 政 治 と文 化 の 再 編 成 の トラ ジ ャ 版 で あ る
こ とが 理 解 さ れ よ う。 さ らに そ の 背 後 に は,ス ハ ル トの 中 央 政 府 と トラ ジ ャ の 地 方 政 治 との 間 に 次 に み る よ う な 巧 妙 な 取 り 引 き が 存 在 し た 。
6)政 府 観 光 局 に先 立 って,イ ン ドネ シ アを 「生 きた 博 物 館」 と認 識 した の は,他 な らぬ人 類 学 者 で あ った 。 レイモ ン ド・ケ ネ デ ィは述 べ て い る 。 「今 日の イ ン ドネ シア の 諸文 化 の広 が りは 一 種 生 きた博 物 館 で あ って,こ の 地 域 の文 明 の発 展 につ いて 複合 的 な見 とお しを与 え て い る」
[KENNEDY 1942:5]。
7)ク リフ ォー ド ・ギ アツ は,1950年 代 の ジ ャワで の 調査 で 彼 が遭 遇 した 小 さ な葬 儀 の分 析 に 際 して,人 間 の相 互 行為 が行 われ る場 で あ る社 会 の 次元 と意 味 と象 徴 の体 系 で あ る文 化 の次 元 を 区 別 す る こと を提 唱 して い る。 そ して,彼 が 調 査 した ジ ャワ社会 の よ うに 変化 しつ つ あ る社 会 状 況 に お け る儀 礼 を機 能 主 義 的 理 論 が扱 い え な い の は,こ の理 論 の静 態 的性 格,と りわ け社 会 の 次 元 と文 化 の 次 元 の機 能 的 連 関 を 強調 す る あ ま りそ れ ぞ れ を独 立 変 数 と して 捉 え る可 能性 を 見 逃 して い るた め だ と指 摘 して い る[GEERTz 1973:144F 146]。 この視 点 は こ こで もき わ め て有 益 で あ る 。
8)政 府 観 光 局 の パ ンフ レ ッ トで は,ト ラ ジ ャの宗 教 は 「ア ニ ミズ ム」 と言 及 され て い る。他 方, 宗 教 省 は アニ ミズ ムを 宗 教(agama)と して は認 めて い な い 。
12
山下 国家的過程 のなか の民族文化
イ ン ドネ シ ァ 独 立 後 の ト ラ ジ ャ の 地 方 政 治 は,1955年 の 第 一 回 総 選 挙 以 来,1950〜
60年 代 を と お して,県 北 部 の ラ ン テ パ オ に本 部 を もつ ト ラ ジ ャ教 会(GerOfa 7b吻 α) の キ リス ト教 エ リー トた ち を 中 心 と す る キ リス ト教 政 党 に よ っ て リ ー ドさ れ て い た 。
「新 秩 序 」 体 制 の も とで の 政 治 秩 序 の 再 編 成 と い う課 題 の な か で,地 方 政 治 の あ り よ う も 大 き くか わ っ て ゆ く。 ト ラ ジ ャの 社 会 史 を 研 究 して い る ビ ガ ル ケ は 次 の よ う な 観 察 を して い る。
「スハ ル ト政 府 の成 立 は,そ れ ま で トラ ジ ャで 力を も って い た キ リス ト教政 党一 と く に プ ロテ ス タ ン ト系 の イ ン ドネ シア キ リス ト教 党(Partai Kristen lndonesia) を 縮 め 出 す こと にな った 。新 しい 中 央政 府 は トラジ ャの古 い エ リー トた ち と結 びつ くこ とに よ って これ を果 た そ う と し,古 い エ リー トた ち の 方 は政 治 戦 略 上 トラ ジ ャの 伝統 主 義 的 な イ デ オ ロギ ー の 集 成 と して の 固 有 宗教(ア ル ック ・ ト ・ドロ)の 政 府 に よ る公 認 を推 進 した と思 わ れ る。 つ ま り,彼 らは 自 らの地 位 を強 め る た め に,ト ラジ ャの 固有 伝 統 へ の キ リス ト教 や イ ス ラム教 の 侵 入 を 防 ぐた めに,ま た彼 らの 追 随者 が イ ス ラム教 徒 か ら 『無 神 論者 』 あ るい は 『共 産 主 義 者 』 よ ばわ り され な い た め に公認 を 望ん だ の で あ る[BIGALKE l982]。
こ こ で ビ ガ ル ゲ が 「古 い エ リー トた ち 」 と 呼 ん で い る の は,県 南 部 の マ カ レ を 中 心 と す る 伝 統 的 に 「専 制 的 」 な 政 治 組 織 を も っ て い た 地 域 の 王 族 層 出 身 の 伝 統 的 支 配 者 た ち の こ と で あ る 。 彼 ら と県 北 部 の ラ ンテ パ オ を 中 心 と す る キ リス ト教 エ リー トた ち と の 間 に は 伝 統 的 な 対 立 が み られ た[CRYsTAL l970:58‑59]。 ス ハ ル ト政 府 は 自 らの 与 党 ゴ ル カ ル を ト ラ ジ ャ に 育 成 す る た め に,こ の ロ ー カ ル な 対 立 を 利 用 し つ つ, 政 敵 で あ る キ リス ト教 政 党 を 締 め だ そ う と した の で あ る9》。 他 方,「 古 い エ リ ー トた
ち 」 は 自 らの 権 威 を 回 復 す る た め に,キ リ ス ト教 へ の ア ン チ ・テ ー ゼ と し て 伝 統 宗 教 を 利 用 した 。 ト ラ ジ ャ の 伝 統 宗 教 の 政 府 公 認 は そ の 見 返 り と も と れ,政 府 に し て み れ ば,そ れ は 先 述 の 観 光 開 発 の プ ロ グ ラ ム と も 適 合 的 で あ っ た 。
こ う した 中央 と地 方,政 治 と 文 化 の 複 雑 な 絡 み あ い の な か で,結 果 的 に は1972年 の 第 二 回 総 選 挙 に お い て 伝 統 主 義 者 と 結 び つ い た ゴ ル カ ル は 大 勝 利 を お さ め る[CRYSTAL l974:142,144]。 こ の ゴ ル カ ル の ヘ ゲ モ ニ ー は 筆 者 の フ ィ ー ル ドワ ー ク 中 に 行 わ れ た 第 三 回 総 選 挙(1977年)で さ ら に 強 化 さ れ る 。 こ う し た 背 景 の な か で キ リ ス ト教 の 政 治 の フ ロ ン ト ・ス テ ー ジ か ら の 後 退 と伝 統 主 義 の 復 権 と い う事 実 は,1970年 代 の ト
ラ ジ ャ の 文 化 の か た ち を 大 き く規 定 した 。 そ して,そ の 顕 著 な か た ち が 観 光 開 発 に結
9)ス ハ ル トの 「新 秩 序 」 体 制 に お い て は,か つ て の 多 様 な 政 党 は 整 理 さ れ,イ ン ドネ シ ァ の 公 認 政 党 は,現 在 三 党 の み で あ る 。 政 府 与 党 の ゴ ル カ ル の ほ か は,イ ス ラ ム 系 の 「開 発 連 合 党 」 (Partai Persatuan Pembangunan)と 主 に キ リス ト教 系 の 「イ ン ドネ シ ア 民 主 党 」(Partai Demokrasi 血 吻 瑠鋤)で あ る 。
13
国立民族学博物館研究報 告 13巻1号 び つ いた 「伝 統 的儀 礼 」 の強 調 と して現 れ た の で あ る。
5. 観 光 開 発 の 影 響
トラ ジ ャに観 光 路 線 が導 入 され てま だ 十 数 年 の 年 月 しか た って い な い わ けだ か ら, 観光 開 発 の トラ ジ ャの社 会 と文 化 に対 す る影 響 を 決 定 的 な言 葉 で評 価 す る こ とは,あ
き らか に時期 尚早 で あ る。 しか し,観 光 がな ん らか の 影 響 を与 え て い る の は事 実 で あ り,そ の 問題 点 の い くつ か を検 討 す る こ とは で き る。
トラ ジ ャの一 般 の人 々 は,観 光 開 発 を 概 して ポ ジ テ ィヴ に受 け とめ て い る。 その 理 由 と して は,第 一 に,観 光 の対 象 で あ る儀 礼 は秘 儀 で は な く,彼 らの伝 統 宗 教 の論 理 か らみ て も,多 くの観 客 が 集 ま り祭 宴 が 「にぎ や か」(marua')で あ る こ と はむ しろ好 ま し くま た 名誉 な こ とで,と くに 彼 らの死 に 関 す る祭 宴 は 本質 的 に祭 宴 主 催 者 に と っ て は力 の誇 示,弔 門客 に と って は 「見 せ 物 」 と して の要 素 を も って い た と い うこ と が 挙 げ られ る[内 堀 ・山下 1986:268‑269]。 第 二 に,ト ラジ ャ の儀 礼 は観 光 開 発 に お いて 突 然 近 代 世 界 の 舞 台 に曝 され た わ けで は な く,今 世 紀 の初 頭 よ りと くに キ リス ト 教 化 とい うか た ちで の 近 代 化 の 歴史 を 有 して お り,彼 らの文 化 は近 代 的 な コ ンテ ク ス トへ の一 種 の抵 抗 力 を そな え て い た[山 下 1988a:19‑23]。 した が って,「 文 化 の イ ンボ リュ ー シ ョ ン」 は す で に植 民地 時代 には じま って い た と も いえ,儀 礼 の 観 光 化 は そ の新 た な展 開 にす ぎな か った 。
しか しな が ら,観 光 開 発 の進 展 と と もに,観 光 客 の都 合 に よ って 伝統 的儀 礼 の ス ヶ ジ ュ ール が変 更 され た り,観 光 用 の儀 礼 歌 ・ダ ンス のパ フ ォ ーマ ンス が もた れ る と い う事 態 も生 じて い る。 観 光 用 の シ ョウは必 ず し も悪 い と はい え な い が,死 者 儀 礼 で行 わ れ る儀 礼 歌 を と もな うダ ンス が 観光 客 に 「エ ンタ ー テ イ ンメ ン ト」 と して披 露 され る と い うの は い さ さか 奇妙 で あ る。 バ リと異 な り,ト ラジ ャの儀 礼 は 彼 ら自 身 の生 活 の一 部 で あ り,芸 能 が独 立 した 分 野 と して十 分 に成 熟 して い る と は い い難 い。 さ らに, 観 光 に よ る開 発 と い うが,当 初 に 意 図 され た よ うに は経 済 的 な 成 果 を と もな って いな い とい う見 解 もあ る。 つ ま り,ト ラジ ャヘ エ ス ニ ック ・ツ ー リズ ム を試 み るよ うな人 人 は,こ の地 に金 を落 とそ う とは しな い し,観 光 産 業(ホ テ ル,土 産 屋)も ご く一 部 を 潤 す だ けで,県 住 民 全体 の経 済 に寄 与 す る と ころ は少 な い と い うの で あ る[MAURER l979:99‑106]。
こ う した 否 定 的 評価 は あ る もの の,観 光 開 発 が トラ ジ ャの 人 々 に伝統 文化 の見 直 し を 促 した こ と は否 めな い事 実 で あ る。 この 点で,さ しあ た っ て は,バ リの 観 光 の 研究
̀か ら観 光 開 発 が伝 統 文 化 の 保 存 に 役 立 って い る と指 摘 す る フ ィ リ ップ ・マ ッ キー ンの
山下:国 家的過程のなかの民族文化
議 論 に 同 調 す る こ とが で き よ う[McKEAN l977]。
皿.書 か れ る 文 化
1.書 か れ る 文 化
トラ ジ ャの 観光 開 発 の 対象 とな った儀 礼 は,元 来 演 じ られ るべ き もの で あ る。 しか
しな が ら,観 光 開 発 の進 展 と軌 を一 に して,儀 礼 は演 じ られ る ばか りで な く,書 か れ
て き た と い う事 実 が あ る 。1970年 代 に お い て は,人 類 学 者 ば か りで な く,政 府 観 光 局 が,旅 行 代 理 店 が,そ し て トラ ジ ャ人 自 身 が ト ラ ジ ャ の 伝 統 的 儀 礼 に つ い て ま た 文 化 一 般 に つ い て書 い た10)。
1970年 代 を 中 心 に1960年 代 後 半 か ら1980年 代 に か け て の 時 期 に,ト ラ ジ ャ 人 自 身 あ る い は トラ ジ ャ人 以 外 の イ ン ドネ シ ア 人 に よ っ て 書 か れ た も の は,筆 者 の 目 に触 れ た だ け で も40点 を 越 え,そ れ ら は 次 の よ う な タ イ プ に 分 類 す る こ と が で き る 。
(1)地 域 の 歴 史,経 済,文 化 に 関 す る行 政 レ ベ ル の 刊 行 物[BANK RAKYAT INDo‑
NEsIA l971;TANA ToRAJA l971;SAGIMuN l972]
(2) トラ ジ ャ教 会 の 刊 行 物[SARIRA l967,1972,1975]
(3)ト ラ ジ ャ 人 に よ る 旅 行 案 内 書[MARAMPA'1974;SARuNGALLo et al.1975;
TANGDILINTIN and SYAFEI l975】11) (4)辞 書[TAMMu and VEEN 1972】
(5) トラ ジ ャ 人 の フ ォ ー ク ロ リス トに よ る著 作[ANDILoLo l969;BuLo'1970;
PAKAN, L. 1973;SALoMBE, 1972,1975;TANDILANGI, 1967ab,1968 abcd, 1969ab,1975;TANGDILINTIN l975,1976ab,1981]
(6)ト ラ ジ ャ 人 以 外 の イ ン ドネ シ ァ 人 に よ っ て 書 か れ た 著 作[ABusTAM l975, 10)今 日,国 家 の レベ ル で も 「文 化 を書 く」 プ ロジ ェ ク トが精 力 的に 進 め られて い る。 と くに 1970年 代 末 に発 足 した 「文 化 庁歴 史 伝 承 局 」(Direktorat Jenderal Sejarahdan Nilai Traditional) は,特 定 の州(た とえ ば,ジ ョク ジ ャカ ル タ特 別 区 や南 ス ラウ ェ シ州)に おい て 「地 域 文 化 の 調 査 お よ び 記録 プ ロ ジ ェ ク ト」(lnventardsasi dan Dokttmentasi Kebudalaan Daerah)を 実 施 し,州 単 位 の 「地 域文 化 」(kebudayaan daerah)を 本 の か た ちで 記 録 しよ う と試 みて い る 。 この記 録 は, それ 自体 きわ め て学 術 的 な性 質 の もの で あ る が,そ れ が政 治 と結 び つ く とき,国 民文 化 を作 り 出す ワ ン ・ス テ ップ と して の 「地 域(州)文 化 」 を 創 出す る作 業 と して 位 置づ け る ことが で き よ う。 トラジ ャ人 が 自 らの文 化 につ い て書 き始 め た の も こう した 国 家 レベ ル の動 き とあ き ら か に対 応 して い る 。
11)マ ラ ンパ の トラジ ャ旅 行 案 内書[MARAMPA'1974]は,1974年 に 出版 され た と きは,英 語 で書 かれ て い た 。1984年 に筆 者 が イ ン ドネ シ ァを 再 訪 した と き,ウ ジ ュ ン ・パ ンダ ンの本 屋 に は,英 語 の 改訂 版 ばか りで な く,ド イ ツ語,オ ラ ンダ語,フ ラ ンス語,さ ら に イ ン ドネ シ ア語 の版 が店 頭 に並 ん で い た 。 トラジ ャを 訪 れ る観 光 客 の 国 際性 を 示 す もの だ と いえ よ うか 。
国立民族学博物 館研究 報告 13巻1号
1977; BADRIE 1976; HAMDAN 1976; IHROMI 1975, 1981; ISSUDARSONO 1976; KANDAATMAJA 1976; NAZARUDDIN 1979; PAKAN, P. 1977; PANAN- RANGI 1983-1984; SIREGAR 1965; SURATHA 1977; ZAINAL-ABIDDIN 1969; WIRAKUSUMAH 1974]12)
こ こに挙 げ た文 献 リス トは完 全 な もの で は な く,さ らに多 くの 著 作 を つ け加 え る こ と が で きよ う。 しか し,こ こで の 目的 に と って は,ト ラ ジ ャ人 自身 を 含 む イ ン ドネ シ ァ 人 に よ る トラジ ャ文 化 につ いて の著 作 が,1960年 代 後 半 以 降 に いか に多 く産 み だ さ れ た か を 知 る だ け で十 分 で あ る。
さて,「 文 化 を書 く」 とい う行 為 は,文 化 を 客 体 化 し,権 威 づ け,真 正 化 す る こ と と深 く関係 して い る。 書 く こと は,著 者 の言 説 を つ ね に正 当化 す るか た ちで な され,
「本」 とは こ う した活 動 を集 約 して実 現 した もの で あ る13》。 ここで 注 意 しな け れ ばな らな い の は,ト ラ ジ ャの 人 々が 自 らの 文化 を書 くとい う現 象 が イ ン ドネ シ ア政 府 によ って 推 進 された 観 光 開 発 と と も に起 こ って きて い る とい う点 で あ る。 文 化 が 観 光 開 発 の 対象 に据 え られ る こ とに よ って,文 化 は客 体化 され,物 象 化 され,さ らには 商 品 化 され る。 この文 化 の客 体 化 の プ ロ セス は,文 化 が書 かれ て ゆ く とい うプ ロ セス と本 質 的 に平 行 した 関係 に あ る。 す な わ ち,観 光 開 発 にお い て は,文 化 の パ フ ォ ーマ ンス は 社 会 内部 の温 床 か ら切 り離 され,そ れ 自体 部 外者 の視 線 を前 提 と した 商 品 とな るが, 書 くとい う行 為 に お い て は,文 化 はパ フ ォ ーマ ンス の現 場 か ら離 れ て,部 外 者 に も広
く開 かれ た 書 物 にな る。 そ して,商 品 も書 物 も,文 化 が当 該 の 人 々の 社 会 を越 え て よ り広 い社 会 的交 換 のな か に 流通 して ゆ く媒 体 な ので あ る。 しか し,文 化 が この よ うな か た ちで 社 会 を越 え て ゆ くと き,そ れ は い か な る意 味 を も ち,そ こで 一 体何 が起 き る の だ ろ うか。
2. 二 人 の ト ラ ジ ャ人 フ ォ ー ク ロ リ ス トと そ の 著 作
こ の 問 い に 答 え る た め に,ト ラ ジ ャ の 文 化 を 書 く こ と に 携 わ っ た 著 者 た ち の う ち と く に 二 人 の 人 物 に 絞 っ て 問 題 を 検 討 し て み よ う。 そ の 二 人 と は パ リ ワ ン ・タ ン デ ィ ラ
12)こ の カ テ ゴ リ ー に 属 す る 著 作 の う ち の か な り の 部 分 は,ウ ジ ュ ン ・パ ンダ ン に あ る 社 会 科 学 調 査 訓 練 セ ンタ ー(Pttsat Latihan Penelitian llmu‑llmu・Sosial)の 調 査 報 告 で あ る 。 こ の セ ンタ ー は,イ ン ドネ シ ア 人 の 社 会 科 学 者 を 養 成 す る た め に,1970年 代 の は じ め に フ ォ ー ド財 団 の 資 金 援 助 で 設 立 さ れ た 。 イ ン ドネ シ ア の 各 地 か らの 若 手 の 研 究 者 が,こ こ に 一 定 期 間 滞 在 して,実 地 調 査 に も と つ い た 報 告 書 を 書 くよ う に 訓 練 を 受 け る 。 同 様 な 訓 練 セ ン タ ー は 北 ス マ トラ の ア チ ェ ー に も あ る 。
13)英 語 の 「オ ー サ ー 」(author著 者),「 オ ー ソ リテ ィ」(authority権 威),「 オ ー セ ン テ ィ シ テ
ィ 」(authenticity真 正 さ)と い う 言 葉 は,あ き らか に 根 底 に あ る 観 念 を 共 有 して い る と 思 わ れ
る 。
山下 国家的過程のなかの民族文化
ン ギ とL.T.タ ン デ ィ リ ン テ ィ ン で あ る 。 彼 ら は 上 記 の 著 作 の 分 類 の 第(5)群,フ ォ ー ク ロ リス テ ィ ッ ク な 分 野 で 仕 事 を し て い る ト ラ ジ ャ人 で あ る 。 こ の 二 人 を こ こ で 取 り 上 げ る の は,ト ラ ジ ャ人 が 彼 ら 自 身 の 自 意 識 の な か で 自 らの 文 化 を 客 体 化 し,文 化 を 書 く と い う行 為 を と お し て 彼 ら 自 身 の 社 会 を 越 え 広 く トラ ジ ャ の 文 化 を 提 示 し よ う と
し た 企 て は,と り わ け こ の 二 人 に 代 表 さ れ る か らで あ る 。
1967年 か ら69年 に か け て,タ ンデ ィ ラ ン ギ は マ カ ッサ ル(現 在 の ウ ジ ュ ン ・パ ンダ ン)で 刊 行 さ れ て い た 『ビ ン キ サ ン』(Bingkisan)と い う ス ラ ウ ェ シ の 地 方 文 化 に 関 す る 雑 誌 に 精 力 的 に 寄 稿 し て い る[TANDILANGI'1967ab,1968abcd,1969ab】 。 彼 が 扱 っ た ト ピ ッ ク は,神 話,民 話,伝 統 的 儀 礼,お よ び ト ン コ ナ ン(tongkonan)と 呼 ば れ る ト ラ ジ ャ の 家 の シス テ ム な ど 広 範 な 領 域 に わ た っ て い る。 これ ら の 著 作 は ト ラ ジ ャ人 自 身 に よ る 「 トラ ジ ャ 民 俗 学 」 の 誕 生 を 告 げ て い る。 こ こで 検 討 して み な け れ ば な ら な い の は,彼 が な ぜ トラ ジ ャ の フ ォ ー ク ロ ア に 関 心 を い だ き,こ の 時 期 に 精 力 的 な 著 作 活 動 を 展 開 した か と い う 点 で あ る 。
タ ン デ ィ ラ ン ギ は,1926年 に 旧 サ ン ガ ラ首 長 国 の 王,プ ア ン ・サ ンガ ラの 息 子 の 一 人 と し て 生 ま れ た 。 トラ ジ ャ で 最 も傑 出 した 家 系 の 血 を ひ く人 物 の 一 人 で あ る 。1940 年 代 の は じ め,教 育 を 受 け る た あ に彼 は マ カ ッ サ ル へ 出,日 本 軍 の 占 領 期 に 後 に フ ォ
ー ク ロ リ ス トと して 活 動 す る た め の 一 つ の 原 体 験 を す る。 そ れ は 当 時 マ カ ッサ ル に 滞 在 して い た 日 本 人 人 類 学 者,馬 淵 東 一 の 通 訳 兼 調 査 助 手 と して 参 加 した 調 査 旅 行 彼 の 生 ま れ 故 郷 で あ る今 日 の タ ナ ・ ト ラ ジ ャ県 か らル ウ県 の マ リ リ に か け て の 地 域 へ
の 旅 行 で あ っ た 。 事 実,筆 者 が1977年 に 彼 に は じ め て 会 っ た と き,彼 は 民 俗 調 査 の 手 ほ ど き を 馬 淵 か ら受 け た と答 え て い る 。 イ ン ドネ シ ァ 独 立 後,彼 は 旧 マ カ ッ サ ル 王 国 の 王 女 に あ た る女 性 と結 婚 し,妻 の 宗 教 に 合 わ せ て イ ス ラ ム 教 に 改 宗 す る 。 さ ら に1953年 か ら56年 に か け て,彼 は 日本 の 企 業,日 東 製 紙 の 研 修 留 学 生 と して 日 本 に 滞 在 し,製 紙 に つ い て の 技 術 を 学 ぶ か た わ ら,日 本 の 工 芸 に 関 心 を 寄 せ て い る 。 帰 国 後, 彼 は南 ス ラ ウ ェ シ州 政 府 の 工 業 省 に 勤 務 し て い た が,近 年 は 引 退 して,「 南 ス ラ ゥ ェ シ文 化 財 団 」(Yayasan Kebesda2aan Sulawesi Selatan)の メ ン バ ー と し て,ト ラ ジ ャの フ ォ ー ク ロ ア 研 究 に 精 を 出 し,1986年 に は ト ヨタ 財 団 の 助 成 金 を 得 て,ト ラ ジ ャ 研 究 の 仕 上 げ を 行 うべ く調 査 を 続 け て い た 。 し か し,1987年12 .月,仕 事 の 完 成 を 前 に して 不 幸 に も病 没 し た 。
タ ンデ ィ ラ ン ギ の 個 人 史 に お け る さ ま ざ ま な 出 来 事 一 高 貴 な 出 自,都 市 部 へ の ム ラ ン タ ウ(移 住),日 本 人 人 類 学 者 と の 出 会 い,平 地 の 王 族 の 娘 と の 結 婚,イ ス ラ ム
コ
教 へ の改 宗,海 外 で の 留 学 経 験 は 自分 が生 ま れ 育 った文 化 を距 離 を置 いて み る視