西洋における俳句の新しい受容へ
著者 マイ エッケハルト
会議概要(会議名, 開催地, 会期, 主催 者等)
会議名: 日文研フォーラム, 開催地: 国際交流基金 京都支部, 会期: 2001年5月8日, 主催者: 国際日本 文化研究センター
ページ 1‑26
発行年 2001‑10‑15 その他の言語のタイ
トル
Toward a new understanding of haiku in the West
シリーズ 日文研フォーラム ; 139
URL http://doi.org/10.15055/00005677
第13g回 日 文 研 フ ォ ー ラ ム
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西洋 にお ける俳句の新 しい受容へ
TowardaNewUnderstandingofHaikuintheWest
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エ ッ ケ ハ ル ト ・ マ イ EkkehardMAY
国 際 日本 文 化 研 究 セ ン ター
日文研フォーラムは︑国際日本文化研究センターの創設にあたり︑
一九八七年に開設された事業の一つであります︒その主な目的は海
外の日本研究者と日本の研究者との交流を促進することにありま
す︒
研究という人間の営みは︑フォーマルな活動のみで成り立ってい
るわけではなく︑たまたま顔を出した会や︑お茶を飲みながらの議
論や情報交換などが貴重な契機になることがしばしばあります︒こ
のフォーラムはそのような契機を生み出すことを願い︑様々な研究
者が自由なテーマで話が出来るように︑文字どおりインフォーマル
な﹁広場﹂を提供しようとするものです︒
このフォーラムの報告書の公刊を機として︑皆様の日文研フォー
ラムへのご理解が深まりますことを祈念いたしております︒
国際日本文化研究センター
所長山折哲雄
● テ ー マ ●
西 洋 にお け る俳 句 の 新 しい 受 容 へ
TowardaNewUnderstandingofHaikuintheWest
● 発 表 者 ●
エ ッ ケ ハ ル ト ・ マ イ EkkehardMAY
ド イ ツ ・フ ラ ン ク フ ル ト大 学 教 授 Professor,UniversityofFrankfurt
国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン タ ー 客 員 教 授 VisitingProfessor,InflResearchCenterforJapaneseStudies
2001年5月8日(火)
発表者紹介
エ ッ ケ ハ ル ト ・マ イ EkkehardMAY
ド イ ツ ・ フ ラ ン ク フ ル ト大 学 教 授 Professor,UniversityofFrankfurt
国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン タ ー 客 員 教 授 VisitingProfessor,InternationalResearchCenterforJapaneseStudies
1937年9月 ドイ ツ 、 メ ク レ ン ブ ル ク 州 生 ま れ 1970年9月 ドイ ツ 、 マ ル ブ ル ク 大 学 博 士 号 取 得
1970年 か ら1981年4月 ま で ドイ ツ 、 ボ ー フ ム 大 学 東 亜 研 究 所 助 手 、 研 究 員 1981年4月 ドイ ツ 、 フ ラ ン ク フ ル ト大 学 日本 学 科 主 任 教 授
2001年3月 国 際 日本 文 化 研 究 セ ン タ ー 客 員 教 授
主 な 著 書
1.DasT6kaid6meishokivonAsaiRyδi.EinBeitragzueinemneuen LiteraturgenrederfrUhenEdo‑Zeit,Wiesbaden1973
2.DieKommerzialisierungderjapanischenLiteraturindersp巨tenEdo‑Zeit (1750‑1868),Wiesbaden1983.
3.FuruiYoshikichi:DerHeilige(Roman),Ubersetzung,Frankfurta.M/Leipzig 1993
4.Kikakuillustriertundzeitversetzt.ZurRezeptionklassischerhaikuinden meishozuederspatenEdo‑Zeit.In:Wasser‑Spuren,FestschriftfUr WNaumann,Wiesbaden1997,pp.254‑278.
5.Sh6mon.DasTorderKlausezurBananenstaude,Mainz2000.
はじめに
今日の私の講演のテーマは少し有りふれたもののように聞こえるだろう︒﹃イギリスに
おける俳句﹄︑﹃フランスにおける俳句﹄︑ポーランド︑スペインにおけるそれ︑いやもし
かしたら﹃アイスランドにおける俳句﹄というテーマもあり得ないことはない︒俳句は
どこにでもあるから︒﹃ローマ帝国における俳句﹄は先ずない筈だと思っていたら︑
勺げ穹鐙ωδQりoげ⊆言oQΦぼΦけ\H日鋤ひqぎ讐δ巳ω国o博巳⊆ω(ファンタジー保護地区)というラテ
ン語とドイツ語の俳句を含めている本に出会う︒(目じbd8臼ひq2著︑○菊p芽ラテン語訳︒
ドイツ閑p=巨目一九九八)︒
国際日本文化研究センターのフォーラムで︑過去十年において︑それぞれの国の俳句
の受容について講演した研究者もあって︑例えば︑一九九一年に︑サトヤ.B.ワルマ
氏が﹃インドにおける俳句﹄︑一九九五年に︑タチヤーナ・L・ソコロワ︑デリューシナ
氏が﹃俳句の国際性‑西欧の俳句についての一考察i﹄というテーマを取り上げた︒
さて︑なぜ︑また︑私のような講演が必要だろうか︒私は︑国際日本文化研究センタ
ーに来る前に︑図書館のデータベースを﹁げ巴ざ﹂という検索語でクリックすると︑それ
で約二〇〇件もヒットした(西欧諸国語で書かれている本だけ)︒﹁冨涛⊆﹂という言葉が
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タイトルに現れていない本も加えると︑倍ぐらいになるだろう︒西洋でも図書館は俳句
についての本でいっぱいだ︒特に翻訳︑自由翻訳(坤ΦΦ茸穹ω巨δコ)︑詩的翻訳(boΦ亭
︒巴口穹ω算δ昌)︑そしてヨーロッパ諸国語(原文)で書かれている出巴ざ︑又は俳句の形
を真似ている短詩の集は数え切れないほど多い︒このような本だけで︑ひとつの専門図
書館を容易にうずめることができる︒(例えば東京新宿の俳句文学館)︒
私のテーマは有りふれているだけはなく︑その上ちょっと大げさのようにも聞こえる
だろう︒勿論︑私は西洋のすべての国の事情について話すことができないが︑だからと
いってドイツだけを例として取り上げると︑問題が十分に把握できない︒西洋における
俳句の受容の歴史について一々解説するつもりはないが︑これから私はむしろ︑﹁受容の
道﹂(芝鎚ωoP①8冨8)を示して︑それによって︺堂容の傾向﹂(8巳Φづ︒一①ω9﹃Φ8b‑けδ⇔)をいくらか明らかにすることに努めたい︒{受容の道﹂は当然のことながら間違っ
ている道をも含めている︒そして︑終りの方で︑新しい可能性と新しい理解への道を指
摘できると思う︒
(注"私のこれからいう﹁俳句﹂はとりわけ古典の俳句︑すなわち徳川時代の俳句を意味する)
受容の道︑受容の傾向
西洋における俳句の紹介や理解について実に偉大な役割を演じた即即匹旨げの言葉を先
に引用することにしよう︒ゆ牙誓氏は彼の団巴ざという四冊本の第四巻(一九五一)の序
文に次のように述べた︒
冨B澪ωΦH﹂叶①蕁ε﹃Φω什穹傷ωo氏巴ω9げ巴ざ﹂コ日図8巨o戸σ三冨=巳ρ⊆Φo冨蕁o什奠醇ド日艮Φω
詳四臼窪o巳什B讐け奠8p︒︒ωΦωの冨OOω三〇⇒ぎ≦o﹁一像洋Φ蕁ε﹃ρ
(日本文学の成否は︑私の考えでは︑俳句次第ではあるが︑
の位置付けをむずかしいことにする︒国・ζ訳) そのユニークな特徴が世界文学の中で
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bd一旨﹃氏のその判断は言い過ぎかもしれないが︑俳句が日本文学の中で一番独特のジャン
ルであることは︑議論の余地はないだろうが︑世界文学の規模でも︑全く他に類を見な
い文学形態であることは︑明らかな事実である︒
このような︑世界文学の中でも︑特殊性の著しい﹁俳句﹂の受容(受け入れ方)につ
いて︑多くの問題点があるのは︑誠に遺憾に思われてならない︒問題点というのは︑誤
訳を意味するだけではない︒俳句の訳では︑背景︑又はコンテキストが非常に大事なこ
とである︒一句︑一句の背景にある文化の伝統や自然に関するものをも訳さないと︑説
明しないと︑誤訳と同様だと思う︒
西洋における俳句のイメージは全般的に見て翻訳のアンソロジーの形をしている句選
集で決められている︒このような翻訳アンソロジー(一般読者向けの本)は︑特に間違
いの多い︑説明のない(又は少ない)ものである︒
理由はなぜかと尋ねると︑答えは次のようである︒
第一俳句はあまりにも短かすぎる︒
第二俳句は簡単過ぎる(ように見える)︒
その簡潔さが多くの人々を俳句の翻訳を﹁いじる﹂ことへ誘い込む︒要するに︑素人(又はずぶの素人)の翻訳が圧倒的に多いのである︒
それで︑古典の散文作品︑例えば平安時代の物語とか︑中世の随筆とか︑江戸時代の
浮世草子などの翻訳にはどんな場合にでも着手しない人︑すなわち日本語の最低基礎の
知識しか持たない人がためらわずに古典俳句の﹁翻訳﹂に取りかかる︒
ゆえに︑国巴ざというジャンルの評判が︑どれほどすぐれて広い読者層があっても
(又はあるだけに)︑好くないということになろう︒日本文学の研究を対象とする
﹄⇔b穹○一〇〇q︽(日本学︑冒b穹o一〇︒q一Φ)から見ると︑俳句の研究︑俳句の翻訳が︑古典俳句
の場合でも(一七︑一八世紀のもの︑芭蕉の句をも含めて)あまり真面目なものとされ
ていない︒
私が十年ほど前に俳句の翻訳と解釈に取り掛かったとき︑同僚たちから少し不信の目
で見られていたのである︒勿論︑学術的な俳諧の研究は別のもので︑俳文︑紀行文︑俳
論などについての研究が真面目なものに見られているのは当たり前である︒西洋におけ
る俳諧についての学術的な本や雑誌の論文が数多く発表されたが(ドイツの場合をも含
めて)︑読者の数は狭い範囲内に限られている︒
その反面︑広く知られていて︑外国の翻訳文学のなかでは割によく売れている︑そし
てーこれは重大な事だろうーたくさんの読者に愛されているものは︑前にも言ったよう
に︑大衆向けのアンソロジー(俳句選訳集)である︒
間違いの多い︑部分的に間違いだらけの訳が西洋での俳句のイメージを形作るのは悲
しいことである︒
その訳詩集というべき本の形はめずらしくも︑ドイツ︑フランス︑アメリヵなどのも
のが互いによく似ている︒それは小型のサイズで薄く︑挿絵がたっぷりいれてあるが︑
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説明がほとんどない︒序文には常に俳句の翻訳の難しさについて論じられているがー原
則として詩︑特に抒情詩の翻訳の可能性︑又は不可能性などーそれから俳句の素晴らし
い単純さが誉められている︒終わりには︑大抵の場合には︑二つの名前が挙げられてい
て︑それは前にも引用した即国b汀臣とζ貯鋤日oユ﹀ω鉾霞○(宮森麻太郎)という人であ
る︒本の後ろに︑参考文献がある場合は︑この両氏の名前を見つけることができる︒両
氏の著書を使って大変参考になった︑ここに感謝の意をあらわす︑という言葉が必ずと
言っていいほど書き添えてある︒
西洋における俳句アンソロジーの源流
宮森麻太郎氏の﹀コ﹀コ9⊆oひq閃oh口巴ざ﹀コ︒δ畧穹αζ︒α奠昌(亠九三二年)とUd一旨げ
の閏巴巨(四冊︑一九四九ー一九五二)の二書こそは西洋における俳句の受容の一番重
要な入り口となっていた︒これは確かな事実である︒この外に︑入門書のような著作も
あるけれど(例えば即O出①コα奠ωo口の﹀口冒再090辞δコ8自巴評⊆(ZΦ鬢図o蒔噛一九五八
年)が特にあげられるべきものだが)︑宮森氏と切貯9氏の両書には大きな特色がある︒
即ち一句︑一句に日本語の原文がついていることである︒だから︑いくらか日本語の基
礎知識を持っている人たちの為には最適な本になっている︒原文︑翻訳︑注釈︑そして
俳句というジャンルについて一般的な解説は皆︑一つの著書︑宮森の場合には一冊の本
の中にまとめてある︒翻訳家には︑これは文字通りの宝庫である︒
宮森麻太郎の翻訳
宮森麻太郎氏は明治二年の生まれで︑昭和二七年に亡くなった(一八六九ー一九五二)︒
専攻は英文学で︑慶応大学や明治大学の教授であった︒宮森氏の業績は主として翻訳の
方面にあって︑日本文学を英訳の形で海外に紹介しようと努めていた︒氏の著書の中で
は︑西洋に最も広く知られているのはζ霧9壱δ8ωohO匡冨日讐ω戸9Φ冨OきΦωΦ
Q︒げ艮Φωb①贄Φ(英訳近松傑作集︑一九二八年)と先にも紹介した﹀口﹀コ90δoq図oh出巴ざ
﹀口皀Φ三9口αζoα奠ロ(英訳古今俳句選集︑一九三二年)だ︒この本の初版(○澪
日げo⊆ω鋤巳国巴ざ﹀昌皀o耳①口αζoα奠戸一九三〇年)は著者が序文に書いたように﹁英
語を勉強する日本人の学生の為に﹂著したものだ(⁝煢器冒審巳巴♂こ昌きΦω①ωε匹①巨ω
o囲国昌ひq房F・)︒
こういう教育的な態度や意図が︑訳からも明らかに出てくる︒いわゆる逐語訳(q穹ω‑
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