三︑手記 ㈠ 昭和十八年十二月出陣兵 ︱一 いち五高生の手記︱
平成二十二年八月十五日 記
昭和十九年九月卒業 文甲一 山下善睦
一 学徒出陣陸軍入隊
昭和十八年五高二年二学期に学徒出陣決定︒十二月入隊までのあ
いだ﹁生死の問題﹂ ︑﹁出陣の意義﹂について︑自分を納得させる結
論を求めて思考に明け暮れました︒そして︑ ﹁民族が生き残るがため︑
祖国が死を求めるのであれば︑それに答えざるを得ない﹂と結論し
ました︒ ① 昭和十八年十二月︑長崎県大村の陸軍歩兵四十七連隊に入
隊︒ 一期の訓練を経て後︑甲種幹部候補生試験に合格︒大村の隊で
は五高文乙の小宮君︵歩兵砲小隊︶と僅かな入浴時間を共にしな
がら︑楽しかった龍南生活を語り合い︑はげまし合っていました︒ ② 昭和十九年春︑四国豊浜の船舶幹部候補生隊に十一期生と して入校︒
キスカ島撤収で有名だった村中大佐が校長で︑敵前上陸や渡河
作戦のとき︑舳先が開閉する舟艇で輸送任務に当たる船舶工兵の
学校でした︒他の区隊に文甲二梶原君がいましたが︑殆んど話す
機会もありませんでした︒ ③ 昭和十九年十一月︑私は十一期生千二百名の壮行会を受け
て︑一週間早く卒業︑任官︒
南方第一線に送り出された四名の中に入れられました︒配属先
は門司港でフィリピン島向け出港待ちの︑当時最強の機械化兵団
といわれた山下大将率いる満州の虎兵団の揚陸にあたる暁部隊で
した︒ 私達四名は門司への旅の途中︑列車乗り継ぎの都合で約二時間
岡山で途中下車しました︒寒い北風の強い夜でした︒後楽園近く
の大きな家を訪れ︑夕食を取る間の休息を願い︑快く同家の応接
間に案内されました ︒上品な女性が熱いお茶と共に ︑﹁今日の新
聞に宅の俳句がのっていますので﹂と持参された新聞を見ると︑
その御宅は岡山県知事の官舎でした︒ ④ 配属先の暁部隊に着任︒
部隊長は少佐︒ 第一中隊長は大尉︒ 私は第一中隊の指揮班長
番兵と各小隊より派遣される伝令兵五 ︑六名で構成︶ ︑他の三人
の同期生はそれぞれ第二︑第三︑第四小隊の小隊長に任命されま
した ︒︵各小隊は下士官 ︑兵の乗員六名の舟艇四杯で構成︶門司
港での出港待ちの間︑特別の出来事がありました︒
︵ア︶豊浜の幹部候補生学校からの出発に先立ち ︑隊付下士官に
依頼し︑秘かに家族に連絡して門司まで来て貰っていた父母妹
三人と別離の食事を共に出来︑今も残っている唯一の軍服姿の
写真を写真館にて撮影した事︒
︵イ︶ ﹁日向丸﹂ ︵一万二阡トン︶への部隊乗船
同船上にて︑虎兵団各部隊長︑暁部隊長︑第一中隊長︑指揮
班長の私が出席しての︑最終的フィリピン島揚陸計画の確認会
議が終了したのは︑夜八時過ぎでした︒時間の余裕が出来たの
で︑下関山手にあると聞いていた文甲二︑七田君の実家を訪ね
ました︒下関に向かう関門連絡船で︑部隊長一行と同船してい
ましたので︑すぐの本船出港はないだろうと思いました︒七田
君の御両親から霞ケ浦海軍航空隊の幹部候補生隊に入隊した同
君の動静など拝聞しました︒七田家御家族の心からの夕食の歓
待を戴き︑又御両親より﹁息子が代りに帰って来た様な気がす
る ︒朝一番の連絡船で戻られれば良いでしょう ︒﹂と一晩の宿
泊を強く薦められました︒御言葉に甘えて︑久方振りに﹁ふん
わり﹂暖かい寝具で一夜を過ごす事が出来ました︒翌朝四時台
の一番船で︑ 岸壁に接岸中の﹁日向丸﹂に帰船したところ︑ ﹁タ
ラップ﹂は既に引き揚げられており︑船尾の縄梯子から乗船し
ました︒第一小隊長の城少尉︵十期︶と談笑を交した後︑甲板
に出たところ︑船は静かに動き出し︑周囲の海軍艦艇の乗員が
﹁帽振れ﹂で見送っていました ︒突然の出港でした ︒今から思 えば︑出港に間に合っていなかったら︑確実に軍法会議もので その後の私の運命も大きく変っていたかも知れません︒海軍艦 艇に護衛され︑十二杯の船団は陸地伝いに台湾高雄港まで南下 しました ︒同港よりは ﹁日向丸﹂ ﹁青葉山丸﹂他計四杯の高速
船団のみで︑フィリピン・ルソン島のリンガエン湾北部にある
北サンフェルナンド海岸に到着したのは︑昭和十九年十二月下
旬︑満天の星と南十字星が美しく︑くっきりと見える晴れた夜
でした︒
二 フィリピン戦線
① 北サンフェルナンド海岸にて虎兵団揚陸
﹁日向丸﹂ ﹁青葉山丸﹂に積載して来た舟艇十六杯にそれぞれ五十
名程の虎兵団の兵士を乗船待機させ︑私は指揮艇で単身砂海岸に着
地︒海岸の状況確認の上懐中電燈により揚陸開始の合図を送り︑船
団揚陸が始まりました︒海一杯に拡がり大きな轟音となった舟艇の
エンジン音は今でも耳についています︒夜を徹した作業で︑翌二日
目の午後には︑殆んど兵員の揚陸も終り︑上陸させた兵員は直ちに︑
奥地に向け海岸を離れました︒作業終了の舟艇を接岸させ︑砂浜の
海岸で乗員に食事︑休息をとらせていた時︑初めて︑アメリカのグ
ラマン戦闘機二機が飛来し︑機銃掃射を浴びせて来ました︒兵は椰
子林の中に逃げこみましたが︑下士官の軍曹が砂浜に舟より移設し
ていた重機関銃で応射しました︒応射された敵機は方向を変えるの
1/1頃到着 敵機の襲撃 を受ける
12/29 到着 北サンフェルナンド
リンガエン湾
グモルテス
バギオ
バレテ
サンホセ リザール
0 100km
ジラロンガン
鈴鹿峠 アリタオ ベンゲット道
パガバッグ キヤンガン
エチアゲ ボンドック
バンゲッド サロマゲ
ラオアグ
ツゲガラオ ビガン
ルブアガン
アパリ
カウアヤン マガ
ット河
トラック搬送
捕虜になり移動 トッカン
ミトラ峠 4〜5月 3月末 1/20
3月半ば アブラ河渡河
司令部 山中で終戦 8/15
鉄道でマニラの 収容所へ送られる
80km 90km
0km
ジャングル 移動6〜7月 荒木兵団、海軍部隊集結
カガ ンヤ 河
カシグラン湾
カガヤン河 パラナン湾
アブラ河
山中移動
マニラ
フィリピン海 東シナ海
山下氏行軍行程
で︑当方に被弾はありませんでした︒掃射は三回程繰り返されまし
たが︑その間接岸した舟艇上では︑伍長が舷側を平然と渡り歩きな
がら︑備品の整理をしている姿を見て︑日本軍の下士官の優秀さ︑
強さを教えられました︒恐怖心は不思議と覚えませんでした︒
三日目の朝もまた二機の敵機が飛来し︑積載荷の武器を揚陸する
ため﹁ハッチ﹂を開けていた沖の青葉山丸の上を低空で飛び去りな
がら︑黒い二個の物体を落とし︑これが船の船倉の中に吸い込まれ
ていきました︒爆弾のはじける大きな音に続き︑積荷していた﹁タ
た弾
だん﹂に引火し︑無数の弾が船倉内からはじけ出し︑青葉山丸の船腹
はたちまち真赤に染まり始めました︒残留していた兵員の救助に全
舟艇を当らせました︒ 船は船腹中央部附近で二個に折れ︑ 船首を高々
と空に向け ︑虎兵団の戦車 ︑野砲 ︑﹁タ弾﹂を始めとする弾薬の大
部分が︑海の中に吸い込まれた青葉山丸と共に失なわれました︒私
の見た最初で最後の船の轟沈の姿でした︒
虎兵団揚陸終了の二日後︑暁部隊は二手に分けられ︑第三︑第四
小隊の八杯は部隊本部と共に︑サンフェルナンドに残留︒第一小隊
の四杯と指揮艇計五杯は︑ 第一中隊長の指揮の下︑ ルソン島北部 ﹁ラ
オアグ﹂地区﹁サロマゲ港﹂を目指して直ちに出港しました︒第二
小隊の四杯は︑残務終了後︑これを追尾する事になりました︒航海
途中米軍機の爆撃により沈められた数多くの船の残骸を見ながら︑
﹁サロマゲ﹂海岸に到着するには︑三日間の北上航行を要しました︒
私達が去ってから四日後に︑今度は︑アメリカ軍の﹁リンガエン
湾﹂上陸作戦が始まりました︒後程第二小隊の四杯中二杯のみが脱 出追尾して来ましたが︑同第二小隊長に聞いた所では︑湾一杯を覆 う敵艦船の間を縫って夜間脱出したが︑六七杯迄数えた際︑あとは 判らなかった由でした︒ ② ﹁サロマゲ﹂にて米駆逐艦艦砲射撃を受け舟艇喪失 ︑第一
小隊長城少尉戦死
﹁サロマゲ﹂地区は ︑南北に走る山波と ︑椰子林繁る砂海岸の間
には砂糖黍︑玉蜀黍︑タロイモ等の平坦な畑が一面に広がる︑誠に
のどかな牧歌的風景の農村地帯でした︒陸上の兵は︑山の中腹に布
陣しており︑我々は︑海岸の舟艇があるので︑海へと流れる四〜五
m 幅の川沿いにあった三軒程の竹造りの無人住宅に駐留し︑毎日海
岸の舟艇監視所に要員を派遣していました︒第二小隊合流の二日目
の朝︑城少尉と兵五︑六名が元気に監視任務に向いました︒
﹁サロマゲ﹂ では毎日アメリカのセスナ観測機 ︵飯盒の ﹁ガシャッ﹂
という音でも敏感に捕捉する高性能の音響探知機器を搭載︶が飛び
廻っていましたが︑その朝は海岸地区上空を旋廻していました︒城
少尉一行が監視所に到着したと思われる頃︑沖合いに真白い船体の
アメリカ駆逐艦が現われ︑艦砲射撃を開始しました︒全舟艇を破壊
され︑秀麗だった顔以外︑全身に砲撃の小さな破片を浴び︑右手首
より先を失い︑血に染まった城少尉を運んで︑監視隊員が帰着しま
した ︒城少尉は私を見て ︑﹁ やられたよ﹂と弱々しく ︑つぶやきま
した︒衛生兵もおらず︑ただ見守る以外何もしてやれないうちに︑
息を引き取りました︒最初に映った痛恨の戦友の死でした︒同少尉
は紀州勝浦の網元の子息で︑十期の慈恵医大出身の学徒兵の先輩で︑
門司出港以来ずっと行動を共にして来た大の仲良しでした︒同大学
在学中は柔道部の主将を務め︑学生柔道界の﹁三四郎﹂の異名をと
る程の偉丈夫でした︒
海岸地区への砲撃が済むと︑今度は我々の駐留宿舎附近へと砲撃
が始まりました︒約二 ㎞ 程離れた山手の砂糖黍畑まで川沿いに走っ
て逃げ込むまで︑すさまじい艦砲射撃に追いかけられました︒舟艇
を喪失してからは ︑毎日飛来するグラマン機や ︑﹁キーン﹂と独特
の爆音をひびかせる P
38の機銃掃射を避けて︑