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論文審査の結果の要旨 氏名:髙嶋

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Academic year: 2021

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論文審査の結果の要旨

氏名:髙嶋 有里子

専攻分野の名称:博士(芸術学)

論 文 題 名 : 校歌 を め ぐ る表 象 文 化 研 究 ― 近 代 国 家成 立 に お け る校 歌 の 制 定過 程 と 現 代 の諸 状況を てがかりに―

審査委員:(主査) 教授 山本 雅男

(副査) 教授 植月 惠一郎 名誉教授 峰村 澄子

本論文「校歌をめぐる表象文化研究」は日本における校歌の成立過程を追求し、且つ現代における 校歌をめぐる諸事情の分析を通し、校歌をひとつの歴史的、社会的文化表象として捉えるという、校 歌に関する総合的文化研究である。そうした課題設定の背景には、近代日本に西洋モデルのもと生ま れた学校制度にあって、校歌というそれ以前には見られなかった楽曲が成立した根拠、実態を明治期 の東京女子師範学校、キリスト教系女学校等に探り、さらにその後の変遷過程、また現代における校 歌をめぐる諸事情を分析することで、校歌がじつは世界的に見るときわめて特異な楽曲 ジャンルであ り、また校歌の社会的な存在とそれが果たす諸機能がまことに日本的な文化現象であることを証明し ようという意欲的な目論見がある。この問題意識はいままでの先行研究には見られないものであり、

それだけでも博士論文としての価値を証明している。

全体の論文構成は、校歌の成立を追求した第 1 章。明治以降、大正、昭和前期、同後期の校歌の変 遷を分析した第 2 章~第 3 章、そして、現代の校歌を事例的に取り上げ、それらの実態及び制定の実 際などを資料に基づいて考察した第 4 章~第 6 章、明治から昭和にかけて多くの校歌を作曲した下總 皖一に関して論究した付論から成っている。

1 章では日本における校歌の発生と校歌に関する社会的な認知および初期の関心の在り様が 3 をかけて実証、論述されている。明治期、最初に現れた校歌は東京女子師範の「みがかずば」で、そ れは昭憲皇太后の歌詞に宮内省雅楽課の東儀季熙が曲をつけたもので、雅楽の曲調をもつものだった。

その後、制定される校歌は儀式用唱歌や小学唱歌、また軍歌の影響を受けたものが見られたと指摘さ れている。これらは主に先行研究に依拠してはいるが、そこから一歩進めて、校歌を日本における音 楽教育の新たなジャンルだとする結語は独自のものといえよう。また、学校外の社会的な校歌の認知 状況についても調査されており、当時の辞典類、書籍、新聞などが実証材料として提示されている。第 3

節では過去、現在の校歌作詞者、作曲者の言説があげられているが、これ自体が一個の論文として論じら れるべき内容であり、わずかな紙面で済まされているのは残念なところである。

2章では4節をかけて明治から昭和にいたる校歌の変遷が述べられている。それぞれ「明治:近代教 育」「大正:自由主義教育」「昭和前期:皇国主義体制」「昭和後期:民主主義」と命名され、それぞれの時 代背景と校歌との関連が論述され、とりわけ明治においては明治27年の「文部省訓令第 7号」の強い影 響下に校歌が制定されたことが強調されている。この傾向は昭和前期にまで長く継続されていた。そして、

第二次大戦後、戦後民主主義教育の流れとともに校歌も歌詞、曲調両面でかなり自由度の高いものが生み 出されるようになった。これらの論述意図は、校歌が学校という制度において国家社会や地域社会などの 各時代の社会状況を反映するものであることを定着しようとする。そうした問題意識はきわめて重要であ り、また資料的にも広範囲にわたるものであるはずだから、僅か18頁で済まされるものではないし、一 巻の書物にも値するものであるので、今後の研究課題として望みたい。ただ、研究の端緒としては、目配 りの良さとして認めることはできる。

第3章では校歌研究の実際として「女子中等学校の校歌」をとくに取り上げ、5節を当ててその分析を 試みている。考察の特徴は、女子中等教育(キリスト教系、一般私立学校、府立・都立等公立学校)に限 定したことで、その意図は教育現場における性別による校歌の相異を確認することにある。さらに、それ らを明治、大正、昭和と時代的変遷のなかで捉えるという壮大な構想によっている。とりわけ、キリスト 教系女学校を対象としたのは、校歌成立に讃美歌の影響を探っているからである。資料採集は、対象学校 への実地踏査をはじめ国会図書館、都立中央図書館、野間教育研究所等に及んでおり、調査方法としては 妥当であると判断する。キリスト教系女学校の校歌については念入りな資料収集ができているが他の学校

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についてはいささか不足感が否めない。また、時代変遷による分析法は歌詞、旋律等楽曲分析を行ってい るものの、当初の意図通り成功しているとは言い難い。総じていえば、資料収集に専念するあまり、分析 的論考にまで及んでいなかったということになるか。とはいえ、論述の基礎作業である実証材料の採集力 には見るべきものがあり、高く評価できる。今後の論稿展開に期待したい。

第4章は現代における校歌の実態として、音楽教育の主要教材として活用されている和洋九段女子中等、

高等学校の実例を取り上げている。通常、校歌は教科としての音楽教育とは別に行われるが、当該校では、

記念事業の一環として新たに校歌を制定し直し、4曲のまったく異なる型式、曲調の組曲的な校歌を、音 楽教育の単元として実践している。この試み自体も特異であるが、これを校歌論の素材として取り入れた 論者の慧眼は瞠目すべきであろう。当該校を頻繁に訪問し、担当教員とも密接に連絡を取りながら実態調 査を進めた成果が存分に披瀝されている。また、学習指導要領等との比較、裏付けなども慎重に配慮され ている。

第5章は日本各地で進む小中学校の統廃合に伴う新設校における校歌制定の過程を実態調査したもので ある。取り上げられた素材は東京都練馬区光が丘地区にある4校の小学校である。いずれも公立校である から、設置主体である自治体が主導する形で校歌制定が進行するが、地域住民や関係児童等の意向を十分 に配慮する行政主体の進め方に関する分析は資料が豊富に取得可能なため、かなりの分量、詳細に及んで いる。これら資料類は巻末に集められている。学校新設に関わる予算措置のなかで校歌に関わる予算が些 少であるとも指摘されており興味深い。ともあれ、学校設立に必須な諸案件(校地取得、校舎建設、付帯 設備設置、人員確保等)のなかに校歌の制定がいかにも必然的に入っていることに注目したところは評価 しなければならない。それほどに、日本における学校教育と校歌の関係はきわめて密接な関係にあるとい うことだ。

第6章は平成23年に起きた東日本大震災後、各地で見られた校歌をめぐる諸事情を紹介的に記述して いる。たとえば、被災した児童、生徒が校歌を合唱することで避難生活を励まし合ったとか、被災現地の 校歌には津波防波堤が読みこまれているとか、統廃合新設校の新校歌には災害復興への躍進の誓いが歌わ れているとか、都合5校の校歌事例が紹介されている。これらはいずれも校歌が地元の学校を象徴するも のとして、いかに校歌と地元民とが密接な関係にあるかを示す事例となっている。日本の農山漁村にかな らず存在する小学校、中学校はすべての土地の人びとの出身校であり、そこで歌われた校歌はその後の人 びとの記憶の中にしっかりと刻み込まれている。これは楽しい時につけ悲しい時につけ、地元住民の老若 男女をとわず共同意識を喚起する強力な文化表象となっている。そこに着眼したのは校歌研究として、ま た時宜を捉えた研究資料として高く評価できる。

最後に付論として論じられている下總皖一論は生涯500曲近い校歌を作曲した音楽家について、その すべてを網羅、列挙し、一部ではあるが分析を加えた秀作である。深く論評を展開するところまでは進ん でいないが、今後、歌詞分析や楽曲分析、伝記的調査などを詳細に加筆すれば、それだけで優れた業績に なるものと期待できる。

以上、立論にあたっての資料収集はよく実践されており、整理されているが、なお、そこからの立ち入 った考察にいま一歩の部分を認めないわけではないものの、校歌自体を音楽と文芸から成る複合芸術のひ とつと捉え、歌詞、旋律、歴史、社会、文化などに跨った学際的アプローチを積極的に試みたところは大 いに評価できる。全体としては、歴史研究から地域研究へとシフトし、かつ明治から平成にいたる日本の 校歌の特徴を元号ごとにほぼ抽出できている。また、先行研究の成果を十分に取り込みつつ、それらのカ バーしていない領域にも目配りを怠っていない。そしてとりわけ本論文の美質といえる論者の校歌に与え た特徴、すなわち、校歌が音楽教育の教科目というよりは児童生徒への集団行動指導の一端を担っていた こと、それゆえに特別な行事、機会に全校、全児童生徒による「一斉斉唱」が基本的な合唱形態であった こと、学校の内外を貫く地域共同体の共有財であったこと、そして何よりも、小学唱歌とともに普及した ことで日本人の音の感覚を日本音階から西洋音階に変えたのではないかということ、などを上げていると ころに注目せざるをえない。ともあれ、今後の展開にも期待できる研究成果で、校歌研究の分野のみか音 楽社会史や表象文化論等の分野では、向後、おそらく引用頻度の高い論文となる可能性を秘めていると考 えられる。

よって本論文は、博士(芸術学)を授与されるに値するものと認められる。

以 上 平成26年1月30日

参照

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