農業における価値規定の特殊性(4) 一一一いわゆる「虚偽の社会的価値 J ( e i n
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(2) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 3 9. 農業における価値規定の特殊性. ( 4). ‑93‑. 地生産物が次のような条件下にあるということである。すなわち,一定の需要 を充足せしめるに足るいろいろの豊度の一定系列の土地において,最劣等の豊 度の土地の耕作が欠くべからざるものである:」. (2) rこのように,本来土地のもっている自然的な制限的な性質は,資本の 競争に対して 1つの抵抗条件となる。この抵抗条件のために価値法則は,この へんい. 生産部門では重大な偏僑を受ける。この生産物の場合にも,競争は同一市場価 格を成立せしめる。しかし,この場合市場調節的な生産価格は,最劣等地の個 別的生産価格である。」. (3) rかくしてこの部門では,全商品の個別的価値の総計は,市場価値の総 計に等しくはない。 J r第二表で示したように, 1 0クォーターの総生産物が6 0 0シ リングで販売されるのは,市場価格が最劣等地 Aの生産価格,すなわち. 1ク. ォータ ‑60シリングで決定されるからである。かくて,現実の生産価格総計は. 1 0クォータ ‑240シリングであるが, 6 0 0シリングで売られている。」 (4) rかかげられた例によれば,そのために, 3 6 0という直接に農業部門の. みを問題にして,これに即していうかぎり,人間労働を含まない部分が生じた。. ~ 1つの虚偽の社会的価値』がっくりだ、されたのである;」 (5) rたしかに, 3 6 0に相当する,すなわち,差額地代の額に相当する人間 労働は,農業部門内には存在しない。この部分は,農業資本家が直接に農業部 (1) 向坂逸郎『マルクス経済学の基本問題』岩波書底, 1 9 6 2 年 , 2 0 2 ページ。 ( 2) 向上書, 2 0 3 ページ。 ( 3) 向上書, 2 0 3 ‑ 2 0 4ページ。 ( 4) 悶上醤, 2 0 4ページ。ここで氏の掲げている第ご表とは,次の表のことである(同上書, 2 0 1ページ)。これは資本論』の第 3部第 6篤第3 9 章において「虚偽の社会的価値」の 説明に際してマルクスが用いている事例をもとにして作られたものである。 現実的生産価格. 土地種類. クォーター シリング. A B C D 計. 1 2 3 4 1 0. 0 6ページ。 ( 5) 向上書, 2. 6 0 6 0 6 0 6 0 2 4 0. lクォーター =60シリング lクオーター =30シリング 1クオーター =20シリング lクォーター =15シリング 1クオーター平均 =24シリング. 販売価格 シリング. 6 0 1 2 0 1 8 0 2 4 0 6 0 0.
(3) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑94ー. 第. 5 7巻 第 2号. 3 4 0. 門内で農業労働者を搾取したものではない。農業資本家は,生産させた生産物 を他の生産部門(簡単にするために工業部門とする)に売る。このことによっ て,はじめてかれは差額地代部分に相当する剰余利潤部分を実現する。 J rこの ように,偏傍をもった市場価値法則に規定されて,農業生産物が売られる。こ の生産物交換によって,農業資本家は,この剰余利潤部分だけ社会に生産され ている総剰余価値に参加する。……すなわち,生産物の交換が行なわれること によって,差額地代部分に相当する価値,すなわち人間労働が,土地所有者の 懐に農業資本家の手から流れこんでくぷ」 向坂氏の上の主張については,あえて要約する必要もないであろうが,念の ために,氏自身による要約文があるので,それを掲げておくことにしよう。ち なみに,この要約文こそは,かつて論敵山田勝次郎氏によって r向坂氏におけ る見解の極点であれまた全体である」と評された部分である。「私はかういふ 立場に立.った。マルクス的方法においては,先 づ資本主義社会の基本的関係を とって来て,ここにおける機構を明にする。即ち,ここでは資本主義の基本関 係が何等の拘束を受けずに機能する。一般的な市場価値を問題にしたとき,マ ルクスは,かかる作用として論究した。従って,かかる市場価値が価値の平均 的性質としてあくまでも自己を貫いて行く姿をそのままに示すことが出来た。 進んで対差地代を論ずるに際しては,一般に市場価値の成立せる場合に存した 条件,即ち,完全なる自由競争が,土地の制限的性質のために一定の制限を受 げる。このために,ここでは市場価値が最劣等なる条件を以って生産された商 品の個別的価値によって決定されることになる。ここで重要なことは,市場価 値が飽くまで価値の平均的性質を貫くために必要なる条件が何であるか,対差 地代の成立に際して存する条件が知何様なるものであるか,如何なる条件の欠 除によりて,この場合市場価値が最劣等なる条件によりて生産された商品の個. (6) 同上書, 2 0 7 ページ。 (7) 向上番, 2 0 9 ページ。 (8) 山田勝次郎『地代論論争批判』同友社, 1 9 4 8 年 , 2 4 ページ。.
(4) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 4 1. 農業における価値規定の特殊性. (4). ‑95ー. 別的価値として成立せざるを得ないかといふことを究明することである。この ことこそヨリ純粋なる法則がヨリ複雑なる条件の下に遂行されてゆく姿を明か にするからである。/従って, このことはマルクスの矛盾と呼ぶことは出来な い。純粋なる条件の下に行はれる法則が,ヨリ具体的なる条件の下にそれ自身 U こ一定の{扇情を与へて行くことを以って直に矛盾と呼ぶならば,一切の法則は. 矛盾として否定されなければならぬ筈のものである。/法則のかくの知き偏僑 のために, マルクスの所謂『虚、偽の社会的価値』が成立する。だが, これはこ の対差地代部分が剰余価値でないことを意味するのではない。この部分は,農 産物の交換を通じて社会に生産されてある全剰余価値の上に参加分を要求す る。社会全体から見れば,この対差地代部分も亦その全剰余価値の一部をなし てゐるのである。勿論, この対差地代部分に相当するものは農業部門の中にか かるものとして生産されてゐるわけでは 7 まい。だが,流通といふ迂路を通って 社会全体の剰余価値の一部が分割されるのである。だから,吾々はマルクスと 共に対差地代部分も亦剰余価値の一転化形態であるとなす。かういう風に私は 考へる。」 向坂氏の理論展開における(1)から(3)までの箇所については,大たいにお いて異論のないところであろう。(1)における「各種の豊度の不等なる土地の 耕作は独占されている」といういい方は,問題であろう。物理的,自然的には ともかく,経済的な意味において制限されているのは優等地だけであって, し たがって最劣等地は独占されたものとしてはあらわれない。さらに, (2)にお ける「価値法則は,この生産部門では重大な偏侍を受ける」といういい方も, あとでのべるように,正確な表現ではない。 しかし, これらの問題を除けば, 大たいにおいて異論のないと. ζ ろであろう。. 問題は, (4)と(5)の箇所である。 まず, (4)の箇所について。. 0クォーターの市場価値の総計は 6 0 0シリ 向坂氏は,次のように考えている。 1 ( 9) 向坂逸郎『地代論研究 J 28‑29ページ。.
(5) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑96‑. 第5 7巻 第 2号. 3 4 2. ングであるのに対し,その個別的生産価格の合計は 2 4 0シリングであるが,この ことは,この生産物総量の生産には 2 4 0シリングによってあらわされる労働しか 支出されなかったにもかかわらず,それは 6 0 0シリングの市場価値をもっている ことを意味する。いいかえれば, 6 0 0シリングのうちの, 3 6 0シリングに相当す る価値の部分は,労働のうらづけを欠いているのである。かかる意味において, マルクスは,この 3 6 0シリングの価値部分を「虚偽の社会的価値」とよんだので あると。だが,向坂氏のこの主張は,根本的な欠陥ないし誤まりをもつもので あるといわなければならない。いうまでもなし価値の実体をなしているもの は,生産に際して支出された人間労働一一抽象的人間労働であり,その大きさ は,この支出された抽象的人間労働の大きさによって決定されるのであって, 労働のうらづけのないカラの価値を考えるのは,いかにも奇妙である。 次に(5)の箇所であるが,これは上の(4)から出てくる当然の帰結である。 この 6 0 0シリングのうちの 3 6 0シリングの価値に相当する労働は,交換を遇して 他の生産部門から流入してくる。 1 0クォーターは,それが現実に含んでいる労 働よりも多くの労働を含むものとして売られ,他の部門の生産物は,それが現 実に含んでいる労働よりもすくない労働を含むものとして売られるというわけ である。 そして向坂氏によれば,このことは次のことを意味する。 2 4 0シリングによっ てあらわされる労働が 1 0クォーターの生産に投下されているが,このことは, 農業の生産過程では 2 4 0シリングの価値しか生産されなかったことを意味する。 ところがそれは 6 0 0シリングの市場価値で売られるのであって,差額の 3 6 0シリ ングの価値部分は,他の生産部門から流れこんでくるのである。交換を通して, 農業生産物は価値よりも高く,他の部門のそれは生産された価値よりも低く売 られるのである。向坂氏は,上に引用したどとし「生産物の文換が行なわれる ことによっ て,差額地代部分に相当する価値,すなわち人間労働が,土地所有 者の懐に農業資本家の手から流れこんでくる」というのである。 だが,このような労働にも生産された価値にももとづかない交換,すなわち 不等価交換を認めることは,マルクスの価値法則を根底からくつがえすもので.
(6) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 4 3. 農業における価値規定の特殊性. ‑97ー. (4). ある。. (4)と(5)の箇所にみられる以上のごとき根本的な欠陥や誤まりについて は , ある程度すでに山田勝次郎氏や井上周八氏によって指摘されているので, これ位にしておき, ここではとくに, かかる根本的な欠陥や誤まりが,氏の価 値論そのものに根ざしていることを指摘しておくことにしたい。 向坂氏の価値論は,論文『市場価値論と相対的剰余価値論』のなかで展開さ れている。 氏は次のようにいう。「マルクスは,第 1巻第 l章の価値を説明する場合に, その実体が社会的平均的に支出された労働であることをのべているが, この社 会的平均的性質が,いかにして形成されるかについては,少なくとも暗示して いるだけで,詳細なる説明をしてはいなし〉。それは, この場合,最も純粋に価 値規定を説明しているからである。 ここでは需要と供給が一致しているという 前提から出発され, したがって,競争の強制が止揚されているところに出発し ているからである。…一需要と供給が一致して作用しなくなったときに成立す る均衡とは先にのべたような労働の配分関係が生じた場合である。だから, ー 、 干. こでは,いわば静的に価値の質が検討される。質的に等ーなる人間労働を考え る場合に,はじめて量の上における均衡関係が樹立できる。この場合,人間労 働の質的統一性を成立させるものも,競争である。だから,ここでは競争は前 提されている。競争によって成立した等一的な人間労働を,これを成立させる 力としての競争から抽象して,価値の実体を説明するのが,第 1巻における価 値論である。それは,ヨリ単純なものよりヨリ複雑なるものへと知識の体系を 構成することによって,現実に接近してゆくマルクスの方法の当然のやり方で. ( 1 0 ) 向坂氏とほぼ同様の「流通説」に立つ鈴木鴻一郎氏は,明確に,市場価値は生産過程で 生産された価値とは別に,競争によって決定されるものであるとし,さらに,生産された 価値は市場価値によって一部門から他の部門に移動するとし,市場価値は分配関係を示 9 5 2年 , 5 75 8 ページ)。 すものであるとしている(鈴木鴻一郎『地代論論争』動車書房, 1 日本農業の諮問題』季節社, 1 9 4 8 年 , 硲正夫氏もほぼ同様の考え方に立っている(硲正夫 r 3 1 2 ページ)。 ( 1 1 ) 山田勝次郎『地代論J 8 4ページ,井上周八『地代の理論J 3 8 ページ。 司.
(7) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑98ー. 第5 7巻. 第 2号. 3 4 4. あるにすぎない。 したがって,第 1巻第 1章で論ぜ、られる人間労働の等一性の 裏には, この統一性がいかにして現実に成立しているかの考察があるはずであ る。われわれは, マルクスがリカードの『剰余価値と利潤』 を論ずるにさいし て市場価値の問題を詳細にくり返してのべるのをみるのである。市場価値論と は,現実に,競争は,いかにして社会的平均的な人間労働を形成するかを追究 するものであるからである。」 市場の競争を遇して市場価値が形成されるが,価値論は,競争がいかにして 市場価値を作り出すかの過程はひとまず捨象し,結果としての市場価値を価値 としてとり出し, その実体を説明するのを目的としている。市場価値は,価値 論の展開にあたって,すでに前提,対象として与えられている。これがマルク スの価値論についての氏の解釈である。 だが,果して,このような解釈は正しいであろうか。すでにのべたように, 『資本論』の第 1部第 1篇第 1章の価値論では,資本主義社会の, あるカまままの 商品大量ではなく, さし当りは個々の商品を対象として,価値の実体や大きさ についての考察が行なわれている。そして,第 3部第 2篇の「第 1 0章. 競争に. よる一般的利潤率の平均化市場価格と市場価値超過利潤」の箇所では,資 本主義社会のあるがままの商品大量を対象とし,価値が市場価値としてより具 体的に考察されるのである。したがって市場価値は,理論の展開の上では, ー 、 守. の第 3部第 2篇第 1 0章においてはじめて登場するのであっ、て,価値論の前に, 理論的な前提なり対象として与えられているのでは決してないのである。向坂 氏は, この論文の官頭部分で r市場価値を考えることなくして,第 1巻第 1章 の価値は考え得ない。論理的にそうなのである」という。なるほど, マルクス の頭の中では,現実の資本主義的な諸関係が, したがって,競争や市場価値な どが思い浮べられていたことであろうが, しかし論理的に,価値論の出発点に おいて前提なり対象として与えられているわげでは決してない。理論的な順序 としては,価値があって, しかるのちに市場価値が位置するのである。. 3 8 ‑ 2 4 0ページ。 ( 1 2 ) 向坂逸郎『マルクス経済学の基本問題J 2 ( 1 3 ) 同上書, 2 3 1ページ。.
(8) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 4 5. 農業における価値規定の特殊性. (4). ‑99ー. さらに問題となるのは,このような転倒した理解からは,次のよ乙な誤まっ たマルクス解釈が出てくるということである。すなわち,ある商品の価値,し たがって市場価値は,その生産過程において支出された抽象的人間労働の大き さとはかかわりなしあるいは,いかほどの価値が生産されたかにかかわらず, 市場における競争を通して形成,決定されるという解釈である。 すでにのべたことであるが,ここでもう一度一ーただし行論に必要な限りご く簡単に,マルクスの価値論における市場価値論の理論的な意義と位置づけに ついて要約することにしよう。 (1) マルクスは. w 資本論』の第 1部第 1篇第 1章の価値論において,以上. においてのべたように,さし当りは個々の商品を対象として,ある商品の価値 の実体をなすものがその生産に際して支出された抽象的人間労働であること, その大きさは,生産に際して支出されたこの抽象的人間労働の大きさーーすな わち平均的または社会的に必要な労働時間によって決定されることを明らかに している。社会的に必要な労働時間とは,労働の熟練度や強度を問わないとす れば,社会的に正常な生産条件のもとで同種の商品を生産するのにかかるであ ろう労働時間のことである。 このことは,交換の基準をなすものとしての商品の価値は,その生産過程に. ( 1 4 ) 価値論の段階では,個々の商品を対象としていることから,商品大震と結びついてのみ 行われる多数の生産者間の市場競争の考察も捨象されている。この点は向坂氏のいう通 りである。しかし rここでは需要と供給が一致しているという前提から出発され,した がって,競争の強制法則が止揚されている」というのは問題であろう。需要も供給も商品 大量にあてはまるものであり,市場競争に属するものであるから,競争もろとも,需要も 供給も,したがってその一致とか不一致とかいうことも資本論』の官頭部分の価値論 では捨象されている。 個々の商品を対象とする価値論では,前に指摘しておいたように,需要はある商品の使 用価値に対する現実の社会的欲望として,供給は使用価値として登場しているにすぎな い。そして需要と供給の一致は,この使用価値がそれに対する現実の社会的欲望に交換に おいて会合するという形をとるのである。この会合が行なわれる限りで,この商品は交換 され,その価値も実現されるわげである。これに対して,くりかえしていうように,需要 も供給も,本来は商品大量にあてはまる,市場の競争に属することがらであって,需要は ある商品種類に対する現実の社会的欲望の量を,供給は使用価値の盤を(厳密には市場に 出された使用価値の量を)意味しているのである。.
(9) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑100ー. 第5 7巻. 第 2号. 3 4 6. おいて生産され,決定されているものであることを意味する。. (2) マルクスはIr資本論』の第 3部では,あるがままの商品大量をとりあ げて,商品価値(いまや価値は市場価値としてあらわれる)についての一層具 体的な考察を行なう。いまや価値の大きさについての上の抽象的な規定は,次 のような具体的な形態をとることになる。すなわち,価値の大きさが平均的に 必要な労働時間によって決定されるということは,市場価値の大きさは同種商 品の生産に必要とされたすべての個別的労働時間,すなわち個別的価値の平均 によって決定されるというように,また,社会的に必要な労働時間によって決 定されるということは,この商品大量の生産部門において過半の生産量を支配 している生産条件(併存している,発展度の異なる,さまざまの生産条件のう ちで)のもとで必要とされた労働時間によって決定されるというように,具体 的な形態をとることになる。 しかし,このようにみてくると,商品の市場価値 もまた, その生産過程においてすでに生産され,決定されているものであるこ とはいうまでもない。 (3) だが,生産過程において生産・決定されているとしても, それはまだ. 抽象的な存在でしかない。現実に具体的なものとして存在しているのは,生産 においてさまざまの生産者によって支出された個別的価値であって,その平均 としての市場価値は,まだ個別的価値の背後にかくれている。 それはまだ,交 換当事者にとって感知し得るような形態をとって存在しているわけではない。 市場における,同一生産部門に属する生産者たちの閣の競争こそは,抽象的な ものとしての市場価値を個別的価値から分離,独立させ,現実に具体的なもの に転化し還元する作用を営むのである。生産過程で生産,決定された市場価値 と市場競争を介して形成される市場価値は,量的には一致する。市場競争は, 生産過程で抽象的に行なわれる平均化を現実に執行するだけであり,抽象的な ものとしての市場価値を具体的なものに転化,還元させる作用を営むだけのこ とである。 このことはまた,生産者たちが無意識的であるが,なぜ,いかにして価値法 則にもとづく交換の法則によって支配されざるを得ないかを明らかにする。か.
(10) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 4 7. 農業における価値規定の特殊性. (4). ‑101‑. れらは, ただ盲目的に自分の生産した商品を実際に要費した個別的価値で売ろ うとするが, このことを通して結局かれらは価値による交換の強制法則に従う ことになるのである。. (4) 『資本論』の第 3部第 2篇 1 0章における市場価値論では,市場における 同一生産部門に属する生産者たちの競争が,いかにしてこの転化・還元を行な うかの具体的な機構が研究される。中位の生産条件のもとでの生産量が過半を しめている場合,上位または下位のもとでの生産量が過半をしめている場合に わけで,この転化・還元がいかにして行なわれるかの過程が分析される。さら に,需要と供給のたえざる変動というより複雑な条件のもとでの転化・還元の 機構が研究される。 以上が,マルクスの価値論における市場価値論の理論的な意義と地位である。 ところが向坂氏は,市場価値論は価値論の論理的な前提になっていると考える。 このことは,生産過程の分析,すなわち(1)を,したがって(2)や(3)をぬき にして, (4)を切り離して独立にとりあげることを意味する。これはマルクス の市場価値論を歪曲するものであり,市場価値は生産過程とはかかわりなく市 場の競争によって形成,決定されると考える道を聞くものである。『資本論』の 第 3部第 2篇第 1 0 章の市場価値論は,それだけとしてみれば,もっぱらあるい は直接的には,競争による市場価値の形成の具体的な機構だけについて叙述し ているのであるから,市場価値の形成,決定にとって市場の競争を一面的に強 調する結果となる。 向坂氏は,上掲論文において次のようにのべている。「いま次のような場合を考 えることができる。その生産部門の多くの経営者が,大体中位の生産諸条件を もっている。そして少数の経営者がこれよりすぐれた生産諸条件をもって生産 しており,他の少数の経営者が最も不利な生産諸条件をもっている。これらの 人々は価格の競争をやる。最も不利な生産諸条件をもっている経営者は, その 個別的価値を実現するようにできるだけ高い価格で売ろうとする。最もすぐれ た生産諸条件をもったものは,その個別的価値が最も低いので,最も強い競争 力をもっていて,価格を他の二者に比較してずっと引下げることができる。 し.
(11) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑102‑. 第5 7巻 第 2号. 3 4 8. かし,その生産物だけで需要を満足させることはできない。そのかぎりでは, 価格はこの個別的価値まで低下することはない。最も劣悪な条件をもつものは, その価格をできるだけ高めようとするが,この力は,最もすぐれた生産諸条件 をもつものの競争力のために貫かれえない。部門全体の生産物は与えられた需 要を充足せしめるために必要である。そこで,もし最も優良な生産諸条件をも っ生産者と最も劣悪な生産諸条件をもっ生産者の競争が相均衡化すれば,この 生産部門の生産物の価値は,その大部分を生産する中位の生産諸条件をもっ生 産者の生産物の個別的価値によって決定される。もし両端の価値が相伯仲して いなければ,中位的条件の生産物の個別的価値からいずれか一方のヨリ強い方 に,多少とも近づいたところで平均されてこの点で決定される。 J i次に,市場 価値の成立について次のような場合もありうる。最も劣等な生産諸条件をもっ 経営の生産物が,この部門全体の生産物の大部分を占めており,中位的諸条件 をもっ生産物も,最もすぐれた諸条件をもっ生産物も比較的少量であるとする。 いうまでもなく,与えられた需要に対して,この生産部門の生産物の全量が必 要なのであるから,この生産部門の商品の価格決定にとっては,劣悪な生産諸 条件をもっ生産物の個別的価値は,決定的な意味をもっている。しかし,もち ろん,この生産物のみをもってしては,この需要を充たすことはできないので あるから,この競争においては,最もすぐれた生産諸条件をもっ生産物も,中 位のそれをもっ生産物も,一定の圧力をもちうる。劣悪な生産諸条件をもっ生 産物は,この個別的価値どおりに売られるわけにはいかない。なぜかというに, ヨリすぐれた生産諸条件をもっ商品が,少量ではあっても,存在し,その競争 力によって価格は圧迫されるからである。かくして,この場合においては,市 場価格は最も劣悪な生産諸条件をもっ経営の生産物の個別的価値に極めて近く 決定される。 J i最後に,最もすぐれた生産諸条件をもった経営の生産物が,こ の生産部門の全生産物中で圧倒的多量を占め,これに対して中位の生産諸条件 をもっ生産物と劣悪な生産諸条件をもっ生産物とは,相対的にはるかに少量で. ( 1 5 ) 向坂逸郎『マルクス経済学の基本問題J 2 6 5 ページ。 ( 1 6 ) 向上書, 2 6 8 ページ。.
(12) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 4 9. 農業における価値規定の特殊性. (4). ‑103ー. あるとする。 この場合には,もちろん,これら二つのヨリ劣等な生産諸条件で 生産された商品も,需要を充足するために必要であるから,最もすぐれた生産 諸条件をもっ生産物は,その個別的価値で売ることをしない。必ずそれ以上の 価格をもって売る。中位的のおよび劣悪なる生産諸条件をもっ生産物は,むろ んその個別的価値をもって売ることはできない。かれらはその商品を売るため には,価格をその個別的価値以下に引下げざるをえない。かくして,競争は価 値の平均化を行ない,市場価値は,最もすぐれた生産諸条件をもっ生産物の個 別的価値に近く平均され,ここで決定される。」 これらの文章は,表面的には~資本論』の市場価値論におけるマルクスの叙. 述と大たいにおいて同じである。しかし,市場価値を価値論の一環として『資 本論』でのように位置づけるか,それと切り離して価値論の理論的な前提とし. 長. lflillit‑‑if''ililt. て位置づけるかによって,その意味内容はまったく違ったものとなる。向坂氏 にあっては,生産過程において支出され,生産された抽象的人間労働や価値の 大きさは第 2次的なものとして後景にしりぞき,市場価値は市場の競争によっ て決定されることになるのである。 かかる流通主義的な見解 ζ そは,「虚偽の社会的価値」の本質に関する氏の「流 通説」的な見解の根源をなすものである。氏は,農業生産物の市場価値は, そ の生産過程において支出され,生産された抽象的人間労働や価値の大きさとは かかわりなしただ市場における競争によって形成,決定されるものと考える。 ここからして農業生産物の市場価値は,労働のうらづけを欠くものであっても よいことになり, したがってまた,不等価交換を公然と認め, マルクスの価値 法則を根底からくつがえす結果となったのである。 たしかに,一見すれば, 1 0クォーターは 2 4 0シリングであらわされる労働しか 含んでおらず, 2 4 0シリングの価値しか生産されていないように見える。向坂氏 は,氏自身の価値論からして,そうであってもよいと即断したのである。われ われは,上のマルクスの価値論は農業生産物の場合にも例外なく適用されるべ. ( 1 7 ) 向上書, 269‑270ページ。.
(13) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑104‑. 第5 7巻. 第 2号. 3 5 0. きものと考える。市場において,競争によって形成される市場価値の総額が6 0 0 シリングであるならば,その生産過程において生産される市場価値の総額も 6 0 0 シリングでなければならないはず¥である。かくしてわれわれは,生産過程の中 にわけ入り,いかにして 6 0 0シリングのものが生産されたかを探求したのであ る。さきに落流の事例でみたように,制限され,独占されたものとじての落流 は,社会的に一般的な生産条件をなすものでなく,正常な生産条件ともなり得 ないものであるが故に, そこでの個別的労働時間,個別的生産価格は,市場価 値の決定には参加しない。蒸気機関のみが社会的に正常なものとしてあらわれ るのであって,そこでの個別的労働時間,個別的生産価格が市場価値を決定す る。同様に,所与の生産量にとっては制限され独占されたものとしての諸優等 地は農業生産物の市場価値の決定に参加しないのであって,最劣等地一一それ は経済的には制限され独占されたものとしてはあらわれないーーのもとでの個 別的労働時間,個別的価値が市場価値を決定する。 1 0クオ}ター全体の市場価 値は 6 0 0シリングである。個別的労働力が平均的な労働力である限りでのみ社会 的なものとみなされる商品社会では,諸優等地の生産物は,社会的に正常な生 産条件としての最劣等地において,そこでの個別的労働力によって生産された ものとみなされるのであり,それによって生産されたのである。 ここではまだ,生産過程を問題にしているだけであって,市場も競争も,さ らには需要も供給も登場していなし=。市場価値は生産過程において生産,決定 されるわけである。 さらに,市場価値が生産過程において生産,決定されたものである以上,そ の一部分としての 3 6 0シリングの部分. r 虚偽の社会的価値」とマルクスが名づ. けた部分も,当然に生産過程で生産,決定されているといわざるを得ない。 そこで次に,市場競争が登場する。市場では,優等地の供給だけではどうし ても需要をみたすことができず,最劣等地の生産物 1クォーターが必要である という土台の上で競争が行われる結果として,市場価値は最劣等地の個別的価 値によって決定され,総計で6 0 0シリングの市場価値が形成,実現されるのであ る 。 ここでも,市場での競争は,生産過程において抽象的に規定されたことが.
(14) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 5 1. 農業における価値規定の特殊性. (4). ‑105ー. らを現実に執行し具体的なものとして実現するだけのことである。. 2 次に,山田勝次郎氏の見解をみてみることにしよう。 氏の詳細な見解は,戦前の著作 r地代論論争批判』および戦後の著作『地代 論』において展開されているが,戦後のものを中心としてその紹介をすること にしよう。 (1) rまず第 1に攻究すべきことは,資本主義的に経営される農業部門特有. の,したがって非農業的生産部門(農業部門に類似の鉱山業部門を除いて)に は存在しない,二つの本質的な特殊性である。 (イ)その一つの特殊性とは,土地の制限性をその自然的基礎とする経営の独 占化ということである。/ここで土地の制限性というのは,土地が資本主義的に. よって占有されているという,現実的状態を意味するのである。 したが匂って, この場合には,農業経営の対象としての土地が問題になっているのであって,. ﹂. ;ilI‑tii?? ・. 経営される場合,その必然的条件として,土地の全体が多数の個別的経営者に. 所有権の対象としての土地のことではない。すなわち,土地に対する所有権の 有無や,占有の独占化や,さらに土地所有制度の歴史的諸形態などの事柄は, すべて度外視されている。. . . . o "・. (ロ)もう一つの特殊性は,土地豊度の不等性および漸減性をその自然的基礎 とする,各経営資本の生産力の不等性および漸減性ということである。/土地の 経済的豊度の差異が,同一面積の諸地所に投下された等量の諸資本の生産力を, 不等にするという事情については,すでに論証したところであって,この点に おいても,工業と農業とは本質的に区別されるのである。/さらに,それのみで なく,土地豊度の漸減性という点も,資本にとっては重大な意義をもっている。 すなわち,一国内の経済的可耕地がすべて耕作され,しかも農業資本が絶えず 増投されているような発達した段階では,たとえどんな優良地の経営であって も,その生産規模を増大させていく場合,土地面積だけは不変だとすれば,そ の労働生産性の増進は,投資の増大と常に正比例するものでなく,ある一定限.
(15) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑106ー. 第5 7巻. 3 5 2. 第 2号. 度を超えると減退しはじめ,遂には零になり,さらにマイナスにさえ逆転する ようになる事実は,歴史的に,通例経験されてきたのである。」. (2) 「上述した(イ)および(ロ)の二つの特殊性のために,一般的生産部門の 場合のような, その支配的なまたは平均的な生産諸条件での生産価格が市場調 節的価格となるという風にはならずに,最劣等地の生産力(豊度)ーーすべて の地所に等量の資本が投下されると計算してーーをあらわす土地での個別的生 産価格が,常に,現実的な市場調節的価格となるのである。なぜなら,もし市 lili‑‑ltIt‑‑Elif‑‑;1"jfsilis‑li. 場価格が最劣等地での生産価格以下で規定されるならば,その経営者はその販 売を差し控えるであろうし,また資本の自由な増投によってたやすくその不足 分を低落した価格で供給することは困難であるから,市場にたいする供給量は 不足し,結局,市場価格は,最劣等地の経営者を満足させる点まで高騰するか らである。/土地生産物の市場価格規定に関するこういう特殊性は,一般的市場 法則そのものの否定では決してないのであって,その支配の一種の偏侍にほか ならない。」. (3) 「ぞれと同時に,最劣等地以外のヨリ肥沃な各耕作地に投下された同一 種類の労働は,それぞれ,必然的に,各経営地の相対的豊度の高さに比例した 程度に強められた労働として作用するので,かように強められた労働に相当す る rョリ大きな社会的価値』との統一物を,等しい時間内で創出することにな る。そして,各経営地でこのようにして創出された『ヨリ大きな社 会価値』は, i. いうまでもなく,最劣等地の個別的生産価格の水準に規定された一般的生産価 格に,各等級地で生産された『ヨリ多くの生産物』の数量を乗じて得られるそ れぞれの価値量に等しい。それだけでなく. r ー商品の現実の価値は,その個別. 的価値でなく,その社会的価値である』とマルクスが確認しているように,各 経営地で生産される『ヨリ大きな社会的価値』こそ,真実の価値として一般的 に適用するものなのである。」 ( 1 8 ) 山田勝次郎『地代論J 5 0 ‑ 5 2ページ。 ( 19 ) 向上書, 5 3 ‑ 5 4ぺ}ジ。 ( 2 0 ) 向上書, 65‑66ページ。.
(16) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 5 3. 農業における価値規定の特殊性. (4). ‑107‑. (4) 「そこで,マルクスは,この C型のような超過利潤にたいしてはIl"不. 当な社会的価値』という特殊の規定を与えることによって,それが創出される 独特の関係を言表わしたのである。すなわち,この場合の『不当な』 という用 語の意味を数桁してみれば,労働力自身の価値に決定的な影響力をもっ,農産 物のような重要商品の市場価値を構成する社会的価値として,こういう独自的 性格の超過利潤が創出され実現されるのは,資本蓄積の運動法則からみれば, 必然の悪とでもいうべき,避けられない不合理なことだという意味に外ならな いのである。 J r 農業部門特有の超過利潤として成立する剰余価値は,現実の社 会的価値として実現されたものではあるが,しかし,利潤率の平均化運動を基 礎的前提としてはいても,その運動自体を通過しないで実現されたもの,すな わち,社会的価値の常則的な実現過程からみれば,変則的に実現される特殊関 係を表わすものだという意味において,さらに数桁していえば,資本運動の観 }4LIe‑:iaib‑‑sJEB﹄kfftfiBtti. 点、からみれば,農業部門特有の超過利潤の実現は必然の悪ともいうべき不合理 なものだという意味においてIl"不当な社会的価値』という特殊的規定を与えら れたのである。/マルクスの例解によれば,土地生産物は,その総量ではその市 場価格の総額が現実の生産価格の総額に比べて,また,その単位量ではその市 場価格が現実の平均生産価格に比べて,常に,一定の一一例解では, 250%すな わち 2倍半の一一高値で,つまり 150%すなわち 1倍半の謄貴率を示す高値で, 規定されるのである。そして, この謄貴しただげの社会的価値は,一般的市場 法則の鏡に照せば正常でない, したがって,利潤率の平均化運動を基礎とする 資本蓄積の一般的法則からみれば必然の悪ともいうべき意味において[j"不当 な』剰余価値であって,差額地代として借地農業者の手から土地所有者の懐中 に這入る,それ故,かような事態は,マルクスの表現によると,一面からみれ ば『土地生産における社会の労働時間の表現の一つのマイナス』 といわねばな. ( 21 ) 同上書, 6 6 ページ。ここで山田氏のいう C型とは「農業部門に発生する独特の超過利潤」 4ページ)のことである。因みに,氏は,一般の生産部門で生ずる超過利潤を (向上書, 6 A型,落流の事例のもとで生ずるような超過利潤を B型とよんである(向上書, 6 1ペー ジ ) 。.
(17) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑108‑. 第5 7巻. 第. 2号. 3 5 4. らぬが,他面からみれば,社会が資本主義の段階にある限り無意識で無計画で 遂行する一つの行為であるばかりか,解決困難な一つの矛盾となってきたので ある。」 この山田氏の見解のうち, (1)と(2)の箇所については,それ自体としては, 異論のないところであろう。向坂氏の見解についてのべたのと同様に, (1)に おける「土地の全体が多数の個別的経営者によって占有され独占されている」 というのは問題であるし, また, (2)における「土地生産物における市場価格 規定に関するこういう特殊性は,一般的市場法則そのものの否定では決してな いのであって, その支配の一種の偏僑にほかならない」 というのも疑問である ヵ~,. これらの問題や疑問を除けば異論のないところであろう。. 氏の見解のうちとくにとりあげなければならないのは, (3)と(4)の箇所で ある。 山田氏によれば,農業生産物は一般的生産価格が最劣等地の個別的生産価格 によってつねに決定される結果として,一般的生産価格の総計は個別的生産価 格の合計を超過することになり,マルクスの事例でいえば3 6 0シリングの剰余価 、値が実現されるが,これは,農業内部において生産されたものである。すなわ ちそれは,優等地における労働が「強められた労働」として作用する結果とし て生産されたものである。 この点に関する限り,氏の所論は正しいといわなけ ればならない。農業生産物の一般的生産価格は,当然に労働のうらづけをもち, また, その生産過程において生産された一般的生産価格と市場において形成さ れる一般的生産価格は一致するのであって,向坂氏の場合のように,労働のう らづげなき価値であるとか,生産された価値にもとづかない価値であるとかと いった奇妙な結論が生じてくることもないし,不等価交換による価値法則の否 定にいたることもない。 だが,残念なことに,山田氏のこの見解は結論としては正当であるとしても, それにいたる論証を欠いている。 この 3 6 0シリングの部分は「強められた労働」. ( 2 2 ) 同上書, 84‑85ページ。.
(18) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 5 5. 農業における価値規定の特殊性. ( 4). ‑109‑. によって生産されたというのであるが,なぜいかなる根拠にもとづいてそうい えるのかは明らかにされていない。 3 6 0シリングの部分に相当する労働,価値は, 向坂氏によれば,他の生産部門から交換を通して流入してくるのであるが,山 田氏によれば. r強められた労働」により農業内部で生産されたものである。だ. が,その論拠は与えられていないのである。 何よりもまず,農業生産物の一般的生産価格の総額6 0 0シリングが,農業の生 産過程で生産されたものであることを明らかにしなければならないであろう。 それによって,その一部分としての 3 6 0シリングの部分が農業の生産過程によっ て生産されたものであることが明らかとなる。そのあとではじめて,それでは この部分はいかにして生産されたのかの問題を提出し得ることになるのであ る 。 くりかえしのべるように,諸優等地は,経営的に制限され独占されたものと して,一般的生産条件を構成するものではなく,社会的に正常な生産条件たり 得ないものである。農業生産物の一般的生産価格は,社会的に正常なものとし ての最劣等地のもとでの個別的労働時間,個別的生産価格によって規定される ことになる。このように農業生産物の一般的生産価格は,市場競争からは独立 的に,何よりもまず,農業の生産過程の特殊事情によって規定されている。農 業生産物の一般的生産価格もまた,それが市場にもち出される前に,その生産 過程において生産・決定されているのである。であるとすれば,その一部分で ある 3 6 0シリングの価値部分もまた,農業の生産過程において生産されたもので あるということになる。しかるに, 1 0クォーターの生産のために実際に投下さ れた労働は, 2 4 0シリングであらわされる大きさでしかない。このことは, 2 4 0 シリングであらわされる労働が「強められた労働」一一「何乗かされた労働」 として作用し,より多くの労働を 1 0クォーターという総生産物に体化し,した. ( 2 3 ) この点は流通説」に立つ鈴木鴻一郎氏によって指摘されており(鈴木鴻ー郎『地代. 論論争J 4 0 ‑ 4 5 ページ),また同じ『生産説』に属する平田清明氏も指摘している(平田清 明『差額地代の源泉について=山田勝次郎「地代論論争批判」研究 =J く季刊『理論J 7 号 , 1 9 4 8 年1 2月号所収>)。.
(19) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑110‑. 第5 7巻 第 2号. 3 5 6. がってより多くの価値を生産するものとして理解するほかはない。そのように 解釈するほかに解釈のしょうがないということである。しかるに山田氏は,何 の理論的な根拠もなしに,すなわち, 3 6 0シリングの価値部分が農業の生産過程 で生産されたものであることを何ら明らかにすることなしに,いきなりいかに して生産されたかを説明しているのである。あえていえば,それはそういう説 明もできるというだけにとどまっている。 ところで,山田氏の理論構造に立ち入ってみてみると,そこには lつの大き な問題が含まれているようである。氏はまず最初に r 一般的市場法則の作用ま たは支配が偏侍する」ために, 3 6 0シリングの価値部分が形成,決定されること をとき,しかるのちに,この価値部分は. r 強められた労働」の作用の結果とし. て農業の生産過程で生産されたものであると説明するのである。われわれも, この価値部分は市場競争によって形成されると考えるが,しかし,山田氏と同 様の意味においてではない。それは,農業の生産過程においてすでに生産され かつ決定されているのであり,市場競争によるその形成は,その現象形態にほ かならないと考える。市場の競争は,生産過程において抽象的,法則的に与え られたものを,現実に執行し実現する役割を演ずるにすぎない。だが山田氏は, 市場の競争による「実現」といういい方をしばしばしているが,市場の競争に それ以上の役割を与えているのである。ここには,向坂氏の場合と同じような 「流通主義」的な偏向がある。 このようにみてくると,山田氏においては, 3 6 0シリングの部分が「強められ た労働」により生産されたものであるという論証は,もともと不可能ではない かと思われる。 3 6 0シリングが「強められた労働」の作用により農業の生産過程 で生産されたものであることを論証するためには,それを一部分として含む総 計6 0 0シリングの一般的生産価格が農業の生産過程で生産され決定されるもの. であることを明らかにしなければならない。しかるに,氏においては,この 6 0 0 ( 2 4 ) 山田理論のもつかかる矛盾については,すでに鈴木鴻一部氏によって,さらに平田清明 氏によっても,指摘されている(鈴木鴻一郎『地代論論争J1 9 1 ‑ 1 9 2 ページ,平田清明『地 r 講座「資本論」の解明』第 5分冊,理論社. 1 9 5 3 年. 1 4 5ページ>) 代論論争の問題点 J <.
(20) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 5 7. 農業における価値規定の特殊性. ( 4). ‑111ー. シリングは,何よりもまず市場における競争によって形成,決定されることに なっているのである。 次に(4)の箇所について。 山田氏は, 3 6 0シリングの価値部分は. r 社会的価値の常則的な実現過程から. みれば,変則的に実現される特殊関係を表わすものだという意味」において, 「さらに数桁していえば,資本運動の観点、からみれば,農業部門特有の超過利潤 の実現は必然の悪とでもいうべき不合理なものであるという意味」において, 「不当な社会的価値」であるという。 だが, そもそも第 1に,市場価値法則に常則的なものと変則的なものという 区別があり得るのであろうか。これは向坂氏にもいえることであるが,山田氏. ﹂. ili‑‑!;il‑‑!ltptill‑‑lilt. は r一般的な市場法則の作用または支配が偏俺」するとのべているが,市場価 値法則に偏傍しない場合と偏侍する場合とがあり得るのであろうか。 3 6 0シリン グの価値部分が市場価値法則の変則的な作用の結果として, あるいはそれが偏 {奇する結果として実現されるというのはどういうことであろうか。諸優等地は 経済的に制限され独占されているために,一般的な生産条件ではなく,祉会的 に正常な生産条件ともなり得ないものである。かくして、そのもとでの個別的 生産価格は農業生産物の一般的生産価格の規定には参加しないのであって,. V. ' ‑ ‑. ζ では自由に利用し導入することが可能な一般的な生産条件としての最劣等地. のもとでの個別的生産価格のみがその規定に参加する。社会的に正常な生産条 件のもとでの個別的生産価格によって一般的生産価格が規定されるという点で は , 一般の生産物と農業生産物の聞には何の差異もない。農業部門では,制限 的で独占的な生産条件のもとでの個別的生産価格が排除されることによって, 市場価値法則が貫徹する。変則,偏僑どころか,名実ともに常則的に偏侍する ことなく貫徹しているのである。一般の生産物と農業生産物とで違っているの は,市場価値法則の貫徹の形態,仕方だけのことである。 第 2に,農業生産物の一般的生産価格が最劣等地のもとでの個別的生産価格 ( 2 5 ) 山田氏は, e i nf a l s c h e rs o z i a l e rWertを r1つの不当な社会的価値」と訳出すべきで あるとしている(山田勝次郎『地代論J 2 4 2ページ)。.
(21) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑112ー. 第5 7巻. 第 2号. 3 5 8. によって規定されることが,資本運動一一資本主義の立場からして「不.合理」 であるということも当らない。農業生産物の一般的生産価格も市場価値法則の 貫徹の結果であるという点では一般の生産物の一般的生産価格と同じ性質のも のである。一方が合理的で他方が不合理的であるなどということはあり得ない。 資本主義的な関係の枠内ではそうである。 農業では,市場価値の総計が個別的生産価格の合計を上まわっているとマル クスはいっているカむ またかれは, これを e i nf a l s c h e rs o z i a l e rWertとよん でいるが, 『資本論』におけるこの叙述箇所をみると,それが商品社会や資本主 義社会でなく. r 意識的な計画的な結合体」としての社会の立場からのべられた. ものであることは明らかである。 そこでは,個々の農業生産物は実際に支出さ. liti‑‑. れた個別的労働時間, それがもっ個別的生産価格にもとづいて引きとられるの. 4 0シリングであらわされる労働を, 2 4 0シリングの個別 であり, それは合計で2 的生産価格を含んでいるにすぎない。(個別的生産価格とはいっても,生産価格 というものはこのような在会では存在しないのであって,マルクスは資本主義 社会との比較の意味で用いているのであるが。)資本主義社会では, だからそれ は , 3 6 0シリングの部分だけ高く引きとられているのである。文字通り,不等労. a l s c h e rの語をこのような意味におい 働交換,不等価交換である。マルクスは, f て用いているのである。. 3 「虚偽の社会的価値」の本質をめぐる論争は,昭和初期にはじまるが,最初は, 「マルクス批判家」と「マルクス擁護者」との間で行なわれたが,やがて. rマ. ルクス擁護者」の陣営内部に「流通説」 と「生 産説」という 2つの対立的見解 i. のあることがますます明らかとなり,論争は両者の間で行なわれることになっ たのである。しかし 田氏も. r 流通説」と「生産説」の代表的な論者である向坂氏も山. rマルクス批判家」の批判に決定的な打撃を与えているのであろうか。. 最後に, この点に箇単にふれておくことにしよう。 「マルクス批判家」が提起した問題は,大要次のような内容のものであった。.
(22) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 5 9. 農業における価値規定の特殊性. (4). 一‑113一. 第 1に,マルクスは,商品の価値は, その生産において支出された社会的必 要労働時間によって決定されるものであるとし, したがって市場価値は, 一部 門におけるさまざまに異なる個別的価値の平均によって決定されるとしてい る 。 ところがかれは,農業生産物の市場価値の場合は,最劣等地の個別的価値 によって決定されるという。これは,明らかに上の価値法則と矛盾するもので ある。 さらに第 2に,マルクスは,農業部門では個別的価値の合計をこえる市 場価値の総計の超過分としての価値,剰余価値が存在するとしているが,価値 法則による限り個別的価値の合計と市場価値の総計は一致するのであるから, かかる超過分は存在しないはず、であって,これまた価値法則と矛盾してくる。 この超過分が存在するとすれば,それは,価値とも剰余価値とも異なる別もの ではないのか。 ・ 2PEtal‑‑ liefiiihzflilfl1i. 一応念のために rマルクス批判家」の所論を引用紹介しておくことにしたい。 まず,二木保幾氏のものを紹介することにしよう。 「農産物の市場価値或は価値は競争に依ると否とを聞はず平均価値でなけれ ばならぬ。然るにマルクスは較差地代論に飴いては農産物の生産価格は地代一 ー『絶対地代』 とは異る較差地代一ーを支払はない土地の生産物の個別的価値 に支配せられると説くから,農産物の生産価格は多くの場合に於て個々の農産 物の個別的価値以上の価格であるのみならず,また常に市場価値,価値,社会 的価値,或は平均的価値以上の価格でなければならぬ。従って此の較差地代の 社会的総計額は此の生産部門に妙ける剰余価値の社会的総合量を超過する部分 となり,唯だ絶対地代のみが剰余価値の社会的総合量の中に入り来たることと なるであらう。 J r 6 0 0志から 2 4 0志を差し号│いた残額3 6 0志はマルクスの労働価 値論からすれば確かに虚偽の社会的価値である。何となれば,其れは彼れの価 値論に胎て商品の価値量を決定するものとされていた社会的に必要な労働量と は全く関係がないからである。然かも此の虚偽の社会的価値が生ずるのは,マ ルクスが言う様に競争や資本主義的社会形態や土地私有制度の為であるのみな. ( 2 6 ) 二木保幾 rマルクスの価値論に於ける平均観察と限界原理との矛盾』く『中央公論』昭和 4年 1 2月号所収入.
(23) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑114‑. 第5 7巻. 第 2号. 3 6 0. らず,文彼が先に第 1巻に於ける価値と殆ど同一物なるかの如くに取扱ってい た市場価値を,抵では却って『現実的生産価格』或は『現実的平均価格』 と呼 び,而して本来市場価値でないものを市場価値と呼んだことの結果でもある。 斯くして,少なくとも較差地代は剰余価値の一部分の転化したものではなく, 全く虚偽の社会的価値の転化したものに他ならない事が,マルクスの言う意味 に於ても亦私の言う意味に拾ても,明瞭になった。 J r 要するに『資本論』第 1 巻から第 3巻の前半に至るまで平均観察を一貫させて来たマルクスの価値論 は,第 3巻の後半に於ける較差地代論に訟でIi市場価値』は最劣等耕作地即ち 限界耕作地の個別的な生産価格或は個別的な価値即ち限界生産価格或は限界価 値に統制されると説かれるに至って,寛に較差地代を剰余価値の分野以外に押 しやらざるを得ないと云ふーの矛盾に陥った。此の矛盾は畢寛平均観察と限界 原理との矛盾に外ならない。然かも此の矛盾を生ぜしめてゐるーの条件は較差 地代を剰余価値から導かんとすること其れである。較差地代をリカードの如く 取り扱えば此の矛盾は除去されるが,然し之と同時に較差地代をも労働者階級 のみからの掠奪と観ょうとする立場も亦撤去されざるを得ない。是れより湖っ てマルクスの価値法則其のものに既に初めから労働者階級の被掠奪,被搾取を 理論づけようとする動機が潜在していたか否かを問うことも出来よう。何れに しても平均観察に斡ては『剰余利潤と負の利潤とは相殺する。それ故に地代は 消滅する。』之に反して較差地代を成立させようとすれば,商品の価値量は其の 商品の生産に社会的平均的に必要なる労働量に依って決定されると云う価値法 ( 2 8 ). 郎を否定し去らなければならない。」 さらに高田保馬氏も,二木氏とほぽ同じようなことをのべている。「生産価格 の合計は 2 4 0シリング,市場価格は 6 0 0シリング,此差額は 3 6 0シリングである。 此3 6 0シリングの差額だけはまさに,価値なき価格,云はば虚偽の社会的価値に 外ならぬ。一体,一々の商品の価格が此商品に転化せられたる労働の数量によ りて決定せられずとは云うものの,なお労働価値説の支配の認めらるる所以は,. ( 2 7 ) 向上番。 ( 2 8 ) 同上書。.
(24) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 6 1. 農業における価値規定の特殊性. (4). ‑115ー. 社会の総生産物について見る時,価値の総額が市場価格の総額に等しく,剰余 価値の総額が利潤の総額に等しいと云うことにあった。然るに,援に述べたる ところにより知られることは次の通りである。利潤の総額は剰余価値の総額よ りも大である。その聞の差額はまさししこの虚偽の社会的価値の大きさだけ に当る(差額地代の成立と云う事情以外の事情からかかる差額の生ずるや否や は,後に取扱おうとする問題であるが)。地代は利潤の転化したるものに外なら ず,而して利潤の総額は即ち剰余価値の総額に外ならずとすれば,剰余価値を 源泉とせざる,若しくは剰余価値の土地所有者に対する割当てではないところ の地代はあり得ないはずであろう。然るに,差額地代はまさしく虚偽の社会的 価値に当る。剰余価値は一方絶対地代を構成し,他方生産価格の中にふくまれ. lill. るところの,従って平均利潤を構成するところの利潤の一部分をなす。而して 此二者以外にそれが転化し行く先を考えることが出来ない。従って,地代は利 潤の一部分をなすにせよ,剰余価値からそれの流れ出づる余地はない。これに よって,あらゆる相異なる生産諸部門に静ける利潤の総額は余剰価値の総額に 等しく,社会的総生産物の生産価格の総額は価値の総額に等しくなければなら ないことになる。 この命題はマルクス自身によって破られていると見ざるを得 ない。一方からはIr生産物の余剰価値の一部』が地代となる。即ち,一切の地 代は余剰価値であるに拘わらず,他方からは,地代は虚偽の社会的価値であり, 従って価値でなく,延いて余剰価値ではない。」 ところで. rマルクス批判家」は,第. 1に , マルクスの価値論や市場価値論に. は重大な矛盾が含まれているというのであるが, これが謬見であることはいう までもない。 ここでさらにくりかえしていえば,価値,したがってまた市場価値というも のは,すぐれて生産過程と結び、ついた概念である。価値はー商品の生産に社会 的に必要とされる,あるいは平均的に必要とされるであろう労働時聞によって 決定される。 したがって市場価値は,ある部門で必要とされたすべての個別的. ( 2 9 ). 高田保馬 rマルクス価値論の価値論J <京都帝国大学経済学会機関紙『経済論叢』第 3 0 巻第 l号所収〉。.
(25) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ ‑116ー. 第5 7巻. 第 2号. 3 6 2. 労働時間の平均によって, あるいは, 一部門において社会的に必要とされた, つまり,生産量の過半を支配している生産条件のもとで必要な労働時間によっ て決定されるものである。だが,すでにみたように,農業では,諸優等地は制 限され独占されていて,資本家一般には自由に利用することも導入することも できないものであるから,一般的な生産条件をなすものではなく,社会的に正 常な生産条件ともなり得ないものである。ここでは最劣等地のみが社会的に正 常な条件としてあらわれる。かくして,農業生産物の市場価値は,諸優等地の 個別的価値を除外し,最劣等地の個別的価値によって決定されることになる。 かくして,農業でも,価値法則は例外なく,何の偏侍も受けることなく貫徹し ているのであれこのようにして規定された市場価値は真実の市場価値である。 このように考えるならば. r 資本論』の第 1部第 1篇第 1章における価値法則お. it‑‑ihbl一 ifeli‑‑‑ill‑. よび第 3部第 2篇第 1 0 章における市場価値法則に関する叙述と,第 3部第 6篇 第3 7 章の差額地代論における叙述との聞には,いささかの矛盾もないことがわ カ 冶 る 。 だが,向坂氏も山田氏も,農業の生産過程にわけ入って,最劣等地での個別 的価値によって現定された市場価値が真実の価値であること,マルクスの『資 本論』には何らの矛盾も存在しないことを証明していない。すでに紹介したよ うに,両氏ともに,市場価値をすぐれて生産過程と結びついた概念としてとら えようとせず,何よりも市場の競争と結び、ついたものとして,市場の競争によ って形成,決定されるものとして主張しているのみである。これではいくら最 劣等地によって規定されたものであっても市場価値であると一方的にいい立て ても. rマルクス批判家」を納得させるにたる説明になっているとはいいがたい. であろう。 さらに,最劣等地によって決定された農業生産物の市場価値が真実の市場価 値であることを明らかにし得ていない以上,両氏ともに,第 2の問題一一都値 法則による限り個別的価値の合計をこえる市場価値の総計の超過分としての価 値ないし剰余価値は存在し得ないはずであるという問題に,もし存在するとす れば, それは価値でも剰余価値でもない別のものであるという問題に,答えて.
(26) OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ 3 6 3. 農業における価値規定の特殊性. (4). ‑117‑. いないことは明らかである。 向坂氏も山田氏も, この点を明らかにしないままに,この超過分は価値ない し剰余価値であるとくり返し主張するのみである。 この点では両氏は同じであ る。ただ、違っているのは,向坂氏が, この超過分は交換を通して他の部門から 農業部門に流れこんでくるとすることによって不等価交換を認め,マルクスの 価値法則を根底からくつがえす結果となったのに対して,山田氏は,論証なき ままにこの超過分は農業の生産過程において生産されたとすることによって向 坂氏的な結果を回避しようとしたということである。. ifi‑‑Irillit‑‑tiltiJlil‑‑‑.
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