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農産物マーケティングについての一批判

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(1)

農産物マーケティングについての一批判

その他のタイトル An Examination of "Marketing Farm Products"

著者 柏尾 昌哉

雑誌名 關西大學商學論集

巻 7

号 5

ページ 377‑398

発行年 1962‑12‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021654

(2)

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ン グ

に つ

い て

の 一

批 判

というのは︑商業学にしろ配給論にしろその科学名は︑ 給論に当るとか︑ いうような理解の仕方は適当でない︒

ア メ リ カ に お け る マ ー ケ テ ィ ン グ 展 開 の 契 機

農産物マーケティ

現在使用せられているマーケティング

(M ar ke ti ng )

という用語は︑単にそれが︑

れ発展させられたものであるからである︒即ち︑ 日本の商業学に当るとか︑配

一定の歴史的背景の下に一定の役割を担って成立させら

アメリカにおいて︑商業学及び配給論という科学名よりもマーケ

ティングという科学名がより大きく生成発展して来たのは︑特有の歴史的背景があったからである︒勿論︑このア

( 1 )

2

) 

メリカ的マーケティングを商業学や配給論の中で取扱うこと自体は矛盾しない︒けれども︑このために︑従来の独

自の商業学や配給論をマーケティングに迎合させる必要はない︒

だから︑現在のマーケティングは︑あくまでもアメリカ資本主義の生成発股の分析を通じてのみその本質が正し

く認識され得るということになる︒社会経済学的なマーケティング研究にしる︑経営経済学的なマーケティング研

究にしろ︑或は経営技術的なマーケティング研究にしろ︑右に述べたような分析を経なければ正当な理解には到達 柏

ングについての一批判

昌 哉

(3)

又︑軽工業から重工業への移行も見られるからである︒

つ ま

り ︑

一八八二年頃までは産業資本主義段階︑それ以後

ち ︑

あり︑二つは︑

と こ

ろ で

アメリカにおいてマーケティングが展開され発展されたのは︑二つの時機的ボイントを転機としてお

この二つの時機的ポイントによる段階区分というのは具体的に何時のことであろう︒

︑ ︑

︑ ︑

一九二九年以降である︒いうまでもなく︑

に見舞われた時機である︒ 一八八二年も一九二九年もアメリカを含めて世界的恐慌

一八八二年の恐慌を契機とするマーケティングの端緒段階に目を移そう︒

一 八

00

年台において︑既にアメリカは︑三七年︑四八年︑ 五七年︑六五年︑

七 三

年 ︑

八二年︑九三年と恐慌の

洗礼を受けて来ている︒この略ミ確実な周期をもって到来するアメリカの恐慌の中で︑特に一八八二年のそれが契

機になっている理由は︑この恐慌をはさんでアメリカ資本主義の発展段階に大きな変化が見られるからである︒即

( 3 )  

アメリカ資本主義はいわゆる独占資本主義段階へ突入したと考えられるし︑ 一八八二年の恐慌を契機にして︑

は独占資本主義段階であると理解して差支えないということである︒そして︑

階ではまだマーケティング問題が発生するに至っていない︒ 一八八二年頃までの産業資本主義段

一八八二年頃から一九二九年頃に至る期間は︑独占資本主義の第一段階であると同時にマーケティングの端緒形

( 4 )  

態の現われる時機でもある︒その端緒形態の代表が配給費節約の問題である︒

大体︑独占資本主義段階で最も特徴的なことは︑独占的資本が︑価値以上の独占価格設定による独占利潤を目指 り︑その内容も前段の後段とでは大いに違っている︒ し得ないだろう︒

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ソ グ

つ に

い て

の 一

批 判

︵ 柏

尾 ︶

︱ つ

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︑ ︑

︑ ︑

一八八二年以降で

(4)

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ン グ

に つ

い て

の 一

批 判

︵ 柏

尾 ︶

る︒マーケティングは︑

今 日

題生起をもってマーケティングが成立するとする論法は︑ マーケティングが配給問題に限定されることになり︑今 すということである

C

そのため︑非独占を圧迫︑併合︑従属して行くことは勿論︑流通過程における商業資本を掌

握するか或は排除するかしなくてはならない︒こうすることが︑とりもなおさず独占利潤を保証することになるか

ら で

あ る

ということは︑独占が進行して行くためには︑独占的資本は︑商業資本の独自性を逐次奪って行かなければなら

ないということを意味し︑経済学的には産業資本の商業資本への圧迫

( 1 1

商業利潤圧迫︶の過程を意味していいる︒

一八八二年頃一九二九年頃に至るマーケティングの端緒形態の段階では︑それが︑産業資本の商業資本

への圧迫の過程とはいっても︑圧迫そのものはそれ程本質的なものではなかった︒即ち︑それは︑商人の独自的領

域である流通過程そのものを浸蝕するものでもなければ︑流通過程を通じて生産過程への配慮をもたらすものでも

なかった︒その中心は︑合理的な配給経路の研究即ち如何にして配給費を節約するかという点に焦点が集められて

いたにすぎない︒この配給費節約の問題こそが正しくマーケティングの端緒形態といえる︒

( 5 )  

けれども︑この段階でマーケティングが成立したという論には贅成しがたい︒何故ならば︑この配給費節約の問

日われ/\が問題にするマーケティングの全部ではなく一部分を占めるにすぎないからである︒

マーケティングとしてとり上げられている内容は︑独占的資本の流通過程への直接的進出︵直売店設置・

チェーン・ストア設置など︶とこれに基づく生産計画樹立などに見られるような生産から販売までのすべてを包含

した綜合的経営の道としてのそれであり︑あくまでも独占的企業の立場から個別資本的にとりあげられたものであ

﹁市場問題の激化に際しての独占資本の市場争奪競争の手段であり︑独占資本による市場

し か

し ︑

(5)

支配のための諸方策の総称なのである﹂という荒川教授の指適は誠に適確である︒

右のようにマーケティングを理解すると︑社会経済的には︑商人の側から見れば︑明らかに地位の低下であり︑

流通部面における独自的地位を失いつ

4

あることを意味している︒

マーケティング段階では︑

商業資本の独自的領域であった流通過程をも支配包含し始める段階である︒

それが商業資本の独自的領域であった 流通過程そのものへの進出であり支配であるという点において何よりも特徴的である︒

一九二九年の恐慌以後の段階こそ以上のようなマーケティングがはっきりと成立した時機なのである︒正しく一 九二九年の恐慌は重要なマーケティング成立の契機であった︒既にヴァルガが指適しているように︑この段階は資

( 6 )  

本主義経済の一般的危機の第三期であり︑資本主義の独占段階は高度化し︑しかもより高度の独占資本間の競争が 一層淑化し︑資本主義経済の本質的矛盾が恐慌と危機とを同時に招来するような段階である︒そして︑産業資本は このような歴史的背景の下に︑その具体策として独占的企業の立場からとり上げられたのがマーケティング活動

つ ま

り ︑

マーケティソグの中核は︑商業資本の地位の相対的低下という現象から考えれば必然的に産業資本に

帰着する筈である︒

マーケティング活動の主体はあくまで独占的企業であり必然的に生産的資本でなければならな

︵ 注︶ ︵ 1

(2 )

( 3)

ア メ リ カ 資 本 主 義 経 済 の 独 占 段 階 移 行 の 時 機 に つ い て は ︑ 七 二 年 ︑ 八 二 年 の 何 れ か の 恐 慌 に 契 機 を 求 め て い る よ う で

あ る

が ︑

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テ ィ

( fr o n ti e r )

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は 来

た が

そ の

であった︒だから︑ より高度の圧迫過程であることに変りはないが︑ 農 産 物 マ ー ケ テ ィ ン グ に つ い て の 一 批 判 ︵ 柏 尾 ︶

つまり︑産業資本の商業資本即ち商業利潤への

(6)

農産物マーケティングについての一批判︵柏尾︶

現在アメリカにおいてマーケティング活動が盛行しマーケティング論が輩出しているが︑これは︑

く資本主義経済の本質的矛盾の激化を背景にして︑独占的企莱が個別資本の立場において︑その難局打開に狂奔し

ている姿である︒そして︑社会経済学的には︑産業資本が商業資本の独自的領域であった流通過程をも支配し包合

して行く時代であることも既に述べた︒

二 ︑

マーケティング概念の整理

般化は八

0

年代以隆のことであるから︑八二年に契約を求める方がより妥当と思われる︒

堀江保蔵﹁アメリカ経済史概説﹂参照 宇治田富造・神野琉一郎﹁アメリカ資本主義の生成と発展﹂参照

小原敬士﹁アメリカ資本主義の歩んだ道﹂︵経済評論一九五三年九月号︶

F .A .  S ha nn or

A

me ri ca 's ec on om ic   gr ow th ,  1 9 40

L.M•Hacker「The

Tr iu mp h  o f   A me ri ca n  c a pi t a li s m ̀1 9

4 9

(4 ) 荒川祐吉﹁現代配給理論﹂一四頁 ( 5 )

例えば︑奥村氏は﹁⁝一九

0

0

年の⁝一九二

0

年までのマーケティングは生産と消費がバランスをもって成長してき

た時期であり︑それは単にディストリビューションの意味であった﹂と述ぺておられるし︑桐田氏もこの時代にマーケ

ティング成立の基因を求めておられる︒

奥村鵬「オートメーションとマーケティング」(東商・一九五七•五)八頁

桐田尚作﹁マーケティング論への反省

( P

R

七巻七︶四七頁

桐田尚作﹁マーケティングとマネジメット﹂

( P

R

九巻九︶六頁

(6 ) 荒川祐吉﹁現代配給理論﹂︱二頁 (7 ) 武山泰雄﹁アメリカ資本主義の構造﹂一ー六五頁参照

いうまでもな

(7)

(1

ン セ

( H

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)

は前者に当る 第二次大戦後もアメリカ資本主義は依然として繁栄の道を進んでいるように見える︒けれど︑資本主義経済の本 質的矛盾はいよ

lv

\激化して来ている︒中でも︑資本家の生産拡大と狭い有効需要との間の矛盾は益々増大し︑

九四八年︑五三年と二回にわたって深刻な過剰生産現象が現われている程である︒

( 1 )  

このような状況下において︑独占的企業は︑資本の有機的構成の極度の高度化にともなう︑独占強化

( 1 1

巨大資

か く

て ︑

本間の競争激化︶という事態の下で︑狭い有効需要に対面して行かなければならなくなった︒

工業生産維持のためあらゆる人為的操作が行われ︑その要としての役割を果そうとするのが個々のマー

ケティング活動であり︑社会経済学的にはいわゆるマーケティングなのである︒

ところで︑現在アメリカを中心に輩出しているマーケティング論は必らずしも一様ではない︒ マーケティングが

生産者から消費者へ財を移転させることに関するすべての活動の統合であるという正確な定議の範囲内においても︑

だがこれらの多様の概念を先ず基本的立場から二つの範疇に分けるとすれば︑表言の相違や言葉の用い方は違っ

ていても︑社会経済学的立場と経営経済学的立場とであろう︒例えば︑

( 2 )  

し ︑

(H•L•Hansen)やメイナード

概念の違いが見られる︒

ナイストローム

( 8 )  

( M

a y

n a

r d

)

は 後 者 に 当 る ︒

現実にマーケティング研究は︑いわゆる理論体系化の過程にあるといえようが︑これが例い︑

( 4 )  

ミックスとして総合的︸

1

統合しようとする方向に進もうと︑行動体系の組織として統一的に理解する方向へ進もう

と︑前述の二つの基本的立場の何れかの概念から外れるものではない︒

例 え

ば ︑

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物 マ

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テ ィ

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の 一

批 判

︵ 柏

尾 ︶

マーケティング・

一 九

二 九

ー ︱

︱ ︱

八 年

︑ 三

五 億

ド ル

 

(8)

畏 産 物 マ ー ケ テ ィ ソ グ に つ い て の 一 批 判 ︵ 柏 尾 ︶

業資本の利潤が全部は実現されていないからである︒ 販売価格との差を利潤とするのであるが︑

九四五ー四九年︑一四四億ドル︑一九五

OI

五四年︑ニ︱︱︱二億ドル︑と急上昇を示している︒

ヴ ァ

ル ガ

﹁ 戦

後 資

本 主

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に つ

い て

﹂ ︵

名 和

・ 玉

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﹁ 現

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恐 慌

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︱ ︱

頁 ︒

(2)p•Hystrom'

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(3)H.L•Hansen

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N o. 3 .   1 9 6 1)  

資本主義社会における商業資本の役割は︑産業賓本の総再生産過程の一段階である流通過程の或る部分を担当す

るにすぎない︒従って︑商業資本は︑商品の資態変換をもたらしても何らの価値も剰余価値をも造り出すものでは ないことはいうまでもない︒しかし︑商業資本は︑産業資本の流通過程の或る部分を担当し︑その総再生産過程を 促進する役割をもっているのであるから︑当然利潤を要求する︒だから︑商業資本は︑利潤そのものを造り出す生

産には参加しないで︑

しかも利潤の分配には参加する資本なのである︒現実には︑商業資本は︑商品の購買価格と

それは商品を価値以上に売るということではなく︑購買価格において産

独占高度化とマーケティング

(9)

そこで︑商業資本の介入ということは産業資本の利潤をそれだけ減少させることになるのである︒それにもか

A

わらず︑商業資本が発達した資本主義経済機構の中でなおかつ存在する理由は︑前述したように総再生産過程を促

この機能については既にマルクス

( K . M a r x )

が商業資本が必要な比率を超過しなければと前提して︑資本節約︑

C 1 )  

流通時間の短縮︑市場拡大及び資本分業の促進という三点を指適している°

ところで︑資本主義が独占段階に突入し︑それが益々高度化して来ると︑産業の集中に比例して商業も変って行

かなければならなくなった︒いよ/\大規模化した大資本企業の危大な商品をさばくためには商業資本も集中して

強力なものとならねばならない︒ところが︑産業における資本の集中独占の進行は商業資本の活動範囲を相対的に

は狭めて来るである︒ つまり︑独占段階の高度化は︑生産手段生産部門の産業を急激に成長させ︑

の部門の流通は商人の手を経過しないことが多いからである︒又︑消費資料生産部門の産業でも大規模化が進めば

進む程︑不完全競争が激化し︑商業操作は単純化の方向に進むからである︒

だから︑独占の進行は︑商業資本自体の資本集中をもうながすけれども︑結極︑全体的に見れば︑商業資本は産

業資本に対比して次第に縮小し弱体化して行く︒正しくヒルファデングの﹁独占的結合は︑商業の独自性を止揚す

( 2 )  

る傾向をたどるであろう﹂という言葉の通りの傾向が現われて来るといえよう︒

このような産業資本に対する商業資本の比率低下即ち商業資本の縮小弱体化という現象は︑先にマルクスが指適

した商業資本の有用な機能が独占高度化にともなう不完全競争激化の段階では︑もはや充分な機能を果し得なくな

( 3 )  

って来たことを意味している︒そして︑このような社会的背景においてこそマーケティングが生成し発展して行っ 進する機能をもっているからである︒

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ン グ

に つ

い て

の 一

批 判

︵ 柏

尾 ︶

しかも︑これら

(10)

を意味している︒

従 っ

て ︑

い で

あ ろ

う ︒

一般的な農産物マーケティングとしての意味が見

マルクス・長谷部文雄訳﹁資本論﹂︵第三部上︶三九六ー三九八頁ヒルファデイング・林要訳﹁金融資本論﹂二四六頁︒拙脳﹁マーケティングについての理論的分析と批判﹂一三ー︐一四頁

現在農産物という名前で呼ばれているものは非常に多い︒

類︑野菜類︑果実類︑茶類︑ 工芸作物類︑養蚕︑畜産と誠に多種に分れており︑これらを更に種類別に述べ上げる

と簡単に数百種に及んでしまう︒これらはどれも農産物の範疇に属するものであり︑その限りにおいて農産物と一

括してとり扱えるものなのである︒

ところで︑このように多種多様な農産物個々を個別的商品としてそのマーケティングを研究するのならば︑

ゆる商品別方法

( C

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)

と同じことであり︑

失われて来る︒ということは︑

いう点

( 1 1

農産物の共通点︶

(1 ) (2 )  ( 3)  

四 ︑

たといえよう︒

い わ

われ/\が農産物と一括して称える場合は︑あらゆる農産物が正に農産物であると

をこそ問題にすべきであって︑農産物個々の違いはむしろ第二義的なものと考えてよ

ここで問題としてとり扱う農産物とは︑それが農産物であるが故に特徴的に共通して有している農産物

独 占 高 度 化 と 農 業

一寸種類別に数え立て

4

見たゞけでも︑米殻類︑蓑寂

(11)

競争も起らないということができる︒ ところで︑既に述べたように︑

マーケティングは︑独占高度化にともなう不完全競争激化の段階での︑独占資本 による市場支配のための方策を総括したものである

3

だから︑その活動の中核は︑

農産物生産を行う農業部門は果してこの原則に合致しているであろうか︒

資本主義の発逹は︑必然的に社会的分業として農業と工業とを分離し︑

いうまでもなく独占的企業であ

いわゆる面業的農業を造り出して行くの

であるが︑その資本主義的発展の速度は農業においては工業より遥かに遅いものとして現われる︒

その主要な原因は︑農産物という商品自体の特殊性にも由来しているけれども︑何よりも農業の必須生産手段で ある土地の経営独占と私的独占とに由来しているといえよう︒いうまでもなく土地という主要生産手段は資本のカ をもってしても自由に再生産することができない︒この事情が農業における資本の集中独占の速度を極端に遅らせ

ているのである︒勿論︑この他にも︑

工業に較らべて農業では技術適用が困難である点や農業機械の効率の低さや

( 1 )  

農業における機械採用の経済力が工業より低位にあることなども農業の資本蓄積を不利なものにしているであろう

( 2 )  

し︑農産物自体がもっている物理的性質が流通過程で不利に作用していることも挙げられるであろう︒

しかも︑以上のような諸事情は︑独占が高度化すればする程顕著となり︑農業は工業に対して資本主義的発展の 遅延を益々増大させて行くものなのである︒いわば︑農業は高度の独占資本主義段階について行けないということ である︒このことは農業という産業部門をも含めて独占資本という概念が成立しないことを意味する

3

占高度化の段階といっても︑農業においては一般的に巨大な独占企業体は現出せず︑従って又農業部門では不完全 り産業資本でなければならないのである︒ 農 産 物 マ ー ケ テ ィ ソ グ に つ い て の 一 批 判 ︵ 柏 尾 ︶

1 0  

つまり︑独

(12)

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ン グ

に つ

い て

の 一

批 判

五 ︑

の収奪を受ける立場へ廻らなければならないだけである︒

ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国のように食

けれども︑独占高度化の段階では︑巨大な独占企業体をもっていない農業部門といえども全体的には高度の独占 段階の渦中にまき込まれていることはいうまでもない︒たゞ︑農業は資本主義的に弱体な産業部門として独占資本

われ l¥

︑は農産物マーケティングをこのような視角から把握しなければその本質を見失ってしまうだろう︒単に︑

若干の例外的な食品産業部門に現われた部分的農産物のマーケティング技術のみに目を奪われてはならない︒少<

とも農産物マーケティングとしてわれ/\が一括して問題にする以上︑農産物として有する一般的な共通点に視野

をそ

4

ぐべきであろう︒

(1 )

石渡貞雄﹁農産物価格論﹂︱︱︳六

I ‑

(2 )K ar l  A .  F ox

^

Th e  A na ly si s  o f   D em an d  f o r   Fa rm   Pr od uc ts

"

  宍戸寿男・三枝義情訳﹁農産物需要分析﹂参照︒

独 占 資 本 と 農 産 物 いわゆる農産物と呼ばれているものの大部分は人間の食糧である︒

生活が相当合理化されたところでも︑農産物の大部分が直接或は簡単な加工段階を経た後に食糧とされる点では決 して例外ではない︒たゞ︑若干加工食物が多用されるという点が違っているだけである︒

このように人間食糧を一手に引受ける農業部門は︑前項で既に述べたように巨大資本が存在しないのである

3

本のように家族中心の小生産形態をとっているところは勿論︑

アメリカ合衆国のように或る程度大規模農業経営の

(13)

各 国 の 年 間 一 人 当 り 食 糧 供 給 量 (1953‑54年) (単位kg) 種 別

国別

ア メ リ カ イ ギ リ ス

フ ラ ン ス 西ドイツ

イ ク リ ア 日 本

72  92  108  98  155  149 

8 7 1 2 9 3   7 5 7 4 1  

5 9 9 7 6 7  

0 1 2 3 2 2   2 2 1 2 1  

239  212 

71 34 34  

23  13  162 11  8 7 7   国 民 経 済 研 究 協 会 編 「 日 本 人 の 食 糧JP.5より引用

果実

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6 8 3 4 5 6   4 9 2 7 4 5   1 1  

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7  

6   191  108  186

117 I 3  168 

73 

14 

48  47  30  26  16  13 

つの事惰によって解明することができよう︒ 行われているところでも︑巨大資本特に独占的大企業は生成してい

このようにいわば資本主義的発展に立遅れている農業部門はいわ ゆる独占資本にどのような取扱いを受けているであろうか︒その最 も象徴的な現われは農産物価格形成を通じて看取することができる>

独占資本主義段階特にそれが高度化して来ると︑資本主義経済の

矛盾は一層激化するが︑ それにもか

A

わらず独占資本は︑矛盾した 制度にかじり付いて独占利澗や最大限利潤を求め続けようとする

J

この独占資本の独占利潤や最大限利潤追求の鋒先が農産物へ向け られたとき農産物価格の不当な低下となって現われる訳である︒

いうことになるのである︒とすると︑

つ より具体的には如何なる事情

によって農産物価格が不当に低下させられるのであろうか︒次の四 第一は︑独占資本の独占利潤獲得によって引起される事情である︒

独占資本が法外な独占利潤を手に入れるということは︑独占のカ

まり︑独占資本主義段階では農産物価格は不当に低下させられると マーケティング活動もそのための︱つの現われであった)

oなし

農 産 物 マ ー ケ テ ィ ン グ に つ い て の 一 批 判 ︵ 柏 尾 ︶

(14)

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ン グ

に つ

い て

の 一

批 判

あ る

か ら

を利用して自己の商品価格を正常な価値以上へ大きくつり上げることに起因している︒即ち︑独占資本が自己の商

品を価値以上で売却できるということは︑社会の生産した価値を不当に多く吸収することになり︑何処かの部門へ

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

そのしわよせが行われなければならないことになる︒このしわよせが資本主義発達の遅い換言すれば資本主義の弱

い環である農業部門へ向けられるのは当然の成り行きであろう︒

第二は︑独占資本と農業者との間の直接的商品取引を通じての不等価交換の形成という事情である︒

農業者或は農民が生産のため購入する農機具や肥料や農薬などは独占資本の商品であることが多い︒叉︑消費資

料にしても大部分がそうである︒こうして農業者や農民が購入する商品は原則として価値以上の高い独占価格であ

るのに︑彼らの販売する農産物は価値以下である︒この限りにおいて︑ これは直接的な不等価交換を意味し︑

の交換を通じて農民の価値が無償で独占資本の側へ移行するという事実を示している︒この最も激しい形態をわれ

( 1 )  

l \はシェーレ現象として理解している︒

元 来

シェーレの現われないときでも独占資本の独占利潤によって農産物価格は不当に低下させられているので

シェーレの現われるときは農産物価格は言語に絶する低さを示しているのだといって差支えない︒とい

うのは︑生産力発達の速度の非常に早い工業と遅い農業とでは一定の年を基準にして比較することが無意味である

からである︒即ち︑生産力発展の著るしい工業では︑如何に独占されているとはいえ急激な価値低下にともなう価

格低下が現われるのが当然であって︑必然的に逆シェーレになる筈だからである︒例え︑逆シェーレになっても独

占利潤がある限り農産物価格は不当に低くされるのはいうまでもない︒とすると︑短期間にもせよシェーレ現象が

現われるということは︑農産物価格というものはよく/\低い段階におし下げられるものであるということを示し

(15)

う事情がある︒ 不利にしていることも否定できない︒ 第三は︑農産物という特殊な商品であるが故に流通過程においても価格形成上常に不利を蒙っているという事情 腐販性商品であるということ︑生産が季節的で弾力性の乏しいということ︑品質が不統一 いうこと︑輸送及び貯蔵が困難であるということ︑需要が多元的であるということ︑どの事情をとり上げても価格 形成上不利になるようなことばかりである︒これらの事情が︑第一第二の事情とからみ合って農産物の価格形成を

最後に︑以上の諸事情を最も効果的に演出する担い手として国家政策を通じて農産物価格を低位にすえおくとい

独占資本が自己に最も利益になるように農産物価格を定めるには︑独占資本だけの力では完全とはいえない︒こ

れを完全に行うには︑常に人民の利益という大義名分の下に国家権力を通じて行う以外にはあり得ない︒独占高度

化の段階では国家はいうまでもなく支配階級である独占資本の機関にすぎない︒だから︑国家の行動は︑独占資本

の利潤追求という点に焦点が合わされる筈である︒国家権力による農産物価格の統制或は公定というのはこの現わ

れ で

あ る

以上述べた諸事情により独占資本主義段階では︑農産物価格は不当に低下︵価値以下の価格へ︶させられること

が明らかとなった︒このような農産物価格の価値以下への不当なおし下げということは︑それ自身︑独占資本の独

占利潤追求に奉仕させられることを意味するものであるが︑この他にもまだ理由がある︒それはこうである︒ で

あ る

ているといえよう︒

農産物マーケティングについての一批判

︵ 柏

尾 ︶

︵ 非

標 準

品 ︶

であると

(16)

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ン グ

に つ

い て

の 一

批 判

アメリカにおける所得高と牛乳消費量 (1950

所得(ドル)

│ 

499 1,000 11,500 2,000 13,000 13,500 

乳量(クオート)│ 2.86 │ 3.24 │ 3.47 │ 4.02 │ 4.06 

I

田所哲太郎「酪農製品」 P.17より引用

これが︑農産物価格の不当な低さという事態を通じてもたらされる独占資本の間接的マー

ケティングであるといえよう︒だから︑結論的には︑独占資本のマーケティングの農業部門 もたらされるものでなければならない︒ し

て い

る ︒

生活水準の低いところほ勿論︑生活水準の相当高いところでも︑生活費の中で食糧費の占める比重は重要である︒

例えば︑世界一の平均所得を示すアメリカでも︑所得増加に比例して食費も増大している︵上表は牛乳で示したが

他の食品も大体同じ傾向を示している︶のである︒このような事情は︑もし食糧のほとんど

を占める農産物価格が騰貴すると直ちに賃金の引上げにはね返って来るという因果関係を示

つまり︑農産物の価格が不当に安いということは︑全体として労働者階級の賃金上昇を圧

え︑独占資本の最大限利潤獲得に奉仕しているということになるのである︒正に︑低い農産

物価格という事情は独占資本にとって最も望ましい形態なのである︒

( 2 )  

だから︑農産物マーケティングとして単に農産物配給の能率化を問題にしたり︑農産物小

( 3 )  

売のセルフ・サービスを問題にしたりすることには賛成しがたい︒むしろ︑これらは独占資

本のマーケティング活動に対応する自己防衛的な現象でしかあり得ないと思われる︒

既に述べた通り︑ マーケティング活動の主体は独占的企業体でなければならない︒独占的

企業体の生成していない農業部門では︑内部からの自力によるマーケティングは展開されな

い筈である︒農業におけるマーケティングは︑農業部門では育たなかった独占資本によって

(17)

ツェーレ現象とは一般に次のように理解されている︒

農産物と工業品︵独占資本の商品︶との不等価交換の状態をグラフ化して把握しようとする場合︑或る一定の年の農産

物と工業品︵農民購入︶との価格を一

00

として︑以後の両商品価格をグラフ化する試みがなされる︒この場合︑農産物 価格の線が下廻り工業品価格が上廻って鋏状になるときシェーレといわれている︒

(2 )

久保村隆祐﹁農産物配給能率に関する一考察﹂︵マーケティソグ・シンポジウム九三ー

'1 0

Ge

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  p.197p

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98

 

‑ $

(3 )

佐藤光威﹁小売店経営におけるセルフ・サーヴィスの研究﹂︵マーケティング・シソボジウム一三五''一五二頁︶

独占高度化の段階における農産物マーケティングは︑不当に低い農産物価格の形成にこそ本質的なものがあると

いう一見奇異にも思われる結論を前項において展開したのであるが︑これはあくまでも本質的な視点に立った場合

であり︑部分的にはいわゆる独占資本の工業品のマーケティング活動と類似したものもない訳ではない︒以下この

点に焦点を合わせて行こう︒

(1

六 ︑

で如何にして生起することができるというのであろうか︒ への現われは何よりも不当な低さの農産物価格という点で本質が示されるものと考える︒もとよりこの結論は社会 経済的視点に立って農産物マーケティングを見た場合のものであるが︑ さりとて︑農産物配給の能率化や農産物小

売のセルフ︒サービス問題が経営的視野に立った農産物マーケティングであるとも思えない︒というのは︑この高

度の独占段階で独占的企業の運動としてとり上げられるべきマーケティング活動が非独占部門である農業部門内部

独占資本と農産物

農産物マーケティソグについての一批判

(18)

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ン グ

に つ

い て

の 一

批 判

乳製品︑薬などがこれに当るといえよう︒

一 七 コ

ー ヒ

ー ︑

ク バ

コ ︑

われ/\が農産物として理解しているものが極わめて多種多様にわたっていることは既に述べた︒これらの農産

物が大部分は︑生鮮のま

4

或は簡単な加工の後︑人間の食糧となるということも説明した︒しかも︑農業部門にお

いては強力な独占的資本は生成していない︒以上のような事情の下で大資本が農業分野に入り込むことがあるとす

れば︑それは特に高度の加工過程を経てや

4

高級な食糧品を造り出すことができるときだけに限られる︒つまり︑

その高級な加工食品に関しては或る程度の独占が可能であり︑従って又︑独占利澗が獲得できるということなので

ある︒逆にいえば︑原料入手が容易で加工が簡単な農産物では対象とはならないということである︒

例えば︑缶詰加工は何処の国でも非常に広汎に行われているが︑原料生産者が分散しており︑叉︑加工が非常に

簡単であるから︑独占が困難である︒このような商品は決して大資本のねらうところではない︒

だから︑大資本がねらう農産物というのはかなり狭い範囲に限定されている︒原料を或る程度総括的に掌握でき︑

しかも高度の加工によって高級食品となり得るようなものに限られる訳である︒サトウ︑茶︑

これらの部門には巨大資本が進出し︑これらの農産物生産者を系統下に包摂して独占を強化し︑独特の加工過程

を経過することによって高級食品を造り出し︑

日本でもビール企業やパクー︑ いわゆる農産物を扱いながらも独占利潤を獲得するに至っている︒

チーズなどの酪農製品の企業ほ︑これに該当する︒たゞ︑ビールが日本で独占的企

業として独占利潤を獲得できるというのは︑いわゆるビール業界の独占が完成しつくされているからであり︑又︑

バクーやチーズ製造を大企業が独占的に掌握できるのも︑ 日本には乳牛が少なくて系列下に独占的に包摂すること

が容易であるという日本的な事情によっているといえる︒このように︑各国の農産物生産の事情如何によって︑独

(19)

第 二

面 は

占的資本が農産物部門に侵入するコースは色々違って来るが︑最初に述べた基本的な条件には変りはない︒

さて︑こうして部分的にもせよ巨大資本が加工農産物を独占してマーケティング活動を行うとなると︑

マーケティング活動に類似の現象が現われて来ることはいうまでもない︒けれども︑この場合でも︑あくまで食糧

品としての農産物という範囲を出ることはできないから︑

ある︒この点は︑部分的な農産物マーケティング活動を具体的な二面において把握することによって明瞭になる︒

第一の面はこうである︒特定の農産物を資本が自己の原料として購入する場合︑例えば︑ビールの原料としてビ

ー ル

麦 ︑

サトウの原料としてのビート︑乳製品原料としての牛乳などを購入する場合︑自己の独占的地位を強固に

するために︑特約を結んだり︑前貸を行ったりして原料を排他的に手に入れようとする︒これが既にマーケティソ

既に述べたように農産物価格は独占資本主義段階では不当に低くなっているが︑これは独占的資本にとっては願

ってもない好条件である︒農産物原料の特約や前貸による排他的購入というのは︑農産物価格をおし下げた段階で

の購入ということを意味している︒即ち︑独占高度化の段階では︑独占が完備しているから︑独占企業体に対して

農産物原料生産者は完全に従属的立場に立たねばならないし︑ かといって他に競争的資本の介入して来ることもな

いから従属から離脱することもできない︒このような体制を固めて行くことこそ︑部分的な農産物マーケティング

活動の第一面なのである︒

一般工業品のマーケティング活動と完全に同じ様相を呈する︒たゞ︑この部分的な活動は農産物全般

を代表していないことを忘れてはならない︒即ち︑部分的マーケティング活動をもって社会経済的に農産物マーケ グなのである︒

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ソ グ

に つ

い て

の 一

批 判

︵ 柏

尾 ︶

一般的なマーケティング活動と違った何物かゞある筈で

一 般

的 な

(20)

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ン グ

に つ

い て

の 一

批 判

は中小小売商業ということになるのである︒ ティングとするのほ不当だと思われる︒ところで︑農産物は一般的にいって腐敗性が強く貯蔵や輸送が困難である こと︑標準化が充分でないこと︑需要が極わめて多元的であること︑などの特殊性がある︒

従 っ

て ︑

七 ︑

︵ 柏

尾 ︶

いわゆる販売促進といっても一般工業品の場合とは若干の異同がある︒即ち︑

一 九

ング活動は商業組織の合理化︵配給費節約︶を通じて究極的には︑大生産者の直接販売に向う傾向を示すものであ

るけれども︑食品の場合は︑それが食品という特殊な性格を持つものであるが故に︑独特の配給ルートに乗せねば

な ら

ず ︑

た め

に ︑

工業品の場合程消費者との直結が実現しにくいことは否定できない︒

農業協同組合の意義

独占資本のマーケティング推進によって最も直接的な打撃を蒙むるのは︑独自的商業資本である︒具体的には︑

大規模小売の出現や生産者直接販売の進出によって極度に圧迫される中小小売商業において最も甚だしい︒もとよ

り︑商業組織合理化で最大の打撃を受ける筈のものは︑卸売商業であるが︑現実的にはかなりの資本を有している

ものが多く︑加わえて︑中小生産者や貿易という方向に追加利潤の源泉をもっているので︑打撃の直ぐ現われるの

( 1 )  

いわゆる小売商業者が行うマーケティングとか卸売業者が主導権を握るマーケティングとかいわれるのは︑決し

て本質的なマーケティングではなく︑むしろ︑本来のマーケティング活動に対する自己防衛的なものに過ぎないと

い え

よ う

か ︒

マーケティング活動はそれが小売商業面に現われたとしても︑本質的にはあくまで独占資本の立場か

ら行われるものでなければならないからである︒だから︑小売商業部門で現われるマーケティング活動は︑小売商 一般にいってマーケティ

(21)

うことほ充分プラスの要因ともなり得るのである︒ 存在である産業資本とは共に繁栄して行ける性質のものである︒ 業者の自己防衛的なものか︑さもなくば独占資本によっておし付けられたものということができょう︒

ところで︑農業協同組合も同じく商業組織の合理化の線に沿うものであり︑同時に自己防衛的なものでもある︒

しかし︑これは小売商業者の自己防衛とは範疇が違っていることはいうまでもない︒即ち︑小売商業者のマーケテ

ィング活動は︑部分的には独占資本に対して迎合的な自己防衛の性質をもっているが︑協同組合の活動は独占資本

の系列下にある或は迎合している商業者に対する攻撃的自己防衛であるからである︒

しかしながら︑このように協同組合特に消費協同組合が商業資本の一部を代位し流通費用を節約するということ

は︑その出資金が利潤︵平均利潤︶を目的とするものでないが故に︑社会全体の総生産資本の利潤獲得とは相矛盾

しない︒つまり︑消費協同組合は︑商業資本とは共に栄えることができない存在であるが︑資本主義社会の中心的

だから︑独占高度化の段階においても︑消費協同組合が発達するということは︑経才的には独占資本の独占利潤

獲得にとって決してマイナスとはならない訳である︒むしろ︑理論的には協同組合の大きな連合組織ができるとい

現在の独占資本のマーケティングは︑複雑な商業組織合理化という点を中心に推進されているが︑これが協同組

合の連合組織相手ということになると︑事は遥かに簡単且つ単純になるからである︒つまり︑独占資本にとっては︑

協同組合が生成発展することによってマーケティングが或る程度他力本願で成就されることになるからである︒

消費協同組合の発展は︑以上述べたように独占資本にとって必らずしも不都合なことではないが︑生産的な協同

組合ともなれば若干事情が違って来るような印象を与えている︒しかし︑現実に農民など小生産者の組合の生産事

農 産

物 マ

ー ケ

テ ィ

ン グ

に つ

い て

の 一

批 判

1 1 0  

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