はじめに
わたくしは、さきに、19世紀初頭のドイツでおきた「シュテーデル美術館 事件」に触れる機会を得た1)。遺言者が、その遺言でもって財団を設立し、
と同時に、この財団を相続人に指定したり、遺贈したりすることは可能か。
遺言作成時ないし遺言者死亡時にはいまだ存在しない、権利能力なき財団に 遺贈することが、どうして有効になるのか。
類似の事件は、その後も各国2)で発生した。本稿は、19世紀後半フランス を取り上げたい。フランス民法典には、日本民法典第42条第2項3)のように、
遺言による財団設立と遺言の解釈
−1 9世紀後半フランス裁判例管見−
野 田
!
一*はじめに 1 裁判例一覧
2 事実関係のあらまし・裁判所の判断 3 遺言の解釈
むすび
文中[ ]は、筆者による挿入部分を、...は省略部分を示す。
* 福岡大学法学部教授
− 1 −
(1)
この問題を一義的に規律する条文がない。しかし、このことは、19世紀後半 フランスにあってこのような財団が発生しなかったことを意味しない。その さい採られた法律構成が、とりわけ負担付包括遺贈であった。遺言者が、遺 言で包括受遺者を指定し、かつこの受遺者に財団の設立を負担として課する、
という法律構成である。遺言者自らがこの法律構成を遺言で表示したばかり ではない。「専権的評価」appre´ciation souveraine 権限4)を有する事実審裁 判官 juges du fond も、また、法律審である破棄院も、争いの対象となった 遺言をしばしば負担付包括遺贈と認定することで問題に対処した。だれが包 括受遺者に指定されたかすら、遺言の表示にかかわらず、裁判官が解釈でもっ てこれを認定する事例があった。負担の内容についても同様に裁判官の解釈 が及んでいる。これらの事例は、この当時のフランスにおける裁判官の遺言 解釈の一斑を具体的にあきらかにするであろう。
本稿で取り上げるのは、遺言者が、遺言でもってなんらかの財産の拠出を おこない、その財産の拠出がなんらかの財団または施設の設立をめざした裁 判例に限定される。素材とするのは、おもにダロズ Dalloz の裁判例集5)にお いて、1845年から1902年にかけて登載された裁判例である。これらは、裁判 例集の編者によってすでに取捨選択された裁判例という、史料的限界を内包 する。しかも、わたくしが見落とした裁判例も少なくないかもしれない。と りあえず、参看できた裁判例からあきらかにできたことをいわば中間報告と して取りまとめ、今後の研究のための一里塚としたい6)。
注)
1)野田!一「十九世紀初頭ドイツにおける理論と実務−シュテーデル美術館事 件をめぐって−」『原島重義先生傘寿 市民法の歴史的・思想的展 開』(2006 年 信山社)205−241頁。
2)ドイツについては、別稿を準備中である。
3)一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(2006年公布)第164条第2項。
− 2 −
(2)
4)専権的解釈 interpre´tation souveraine とも表現される。山口俊夫[編]『フラ ンス法辞典』(2002年 東京大学出版会)567−568頁参照。
5)Jurisprudence ge´ne´rale. Recueil pe´riodique et critique de jurisprudence, de le´gislation et de doctrine, Paris1845−1902.前後の時期については未確認。
なお、時代を限定せざるをえなかったことは、もっぱら紙幅と能力の理由に よる。
6)本稿は、本来、小山 勉先生の『古稀祝賀論文集』のために執筆されたもの であった。先生は、2006年12月末に、突然ご逝去になった。『古稀祝賀論文集』
は、急遽、『追悼論文集』となった。19世紀フランスをご専門となさった先生に は、本稿が成ったならば、種々お話しをおうかがいしたい、と楽しみにしてい たが、果たせぬ夢となった。互いの研究室が斜向かいだったので、先生からは、
励ましの言葉を、毎日かけていただいた。とくに研究者としての「覚悟」にか かわる数々のお教えは、生涯忘れることはあるまい。本稿は、文字通り、視野 の狭い「管見」にすぎないが、謹んで先生のご霊前に奉呈できれば、と思う。
1 裁判例一覧
取り上げる裁判例は、つぎのとおりである。以下、①②③...と番号で引 用する。
①1859年11月7日破棄院判決1)。
②1864年5月2日破棄院判決2)。
③1869年11月12日カーン Cean 控訴院判決3)。
④1874年4月8日破棄院判決4)。
⑤1875年6月14日破棄院判決5)。
⑥1879年5月14日ディジョン Dijon 控訴院判決6)。
⑦1881年8月22日破棄院判決7)。
⑧1886年7月5日破棄院判決8)。
⑨1891年3月26日ブザンソン Besan!on 控訴院判決9)。
⑩1891年4月8日破棄院判決10)。
⑪1892年2月6日ナンシー Nacy 控訴院判決11)。
− 3 − 遺言による財団設立と遺言の解釈(野田)
(3)
⑫1892年6月17日パリ Paris 控訴院判決12)。
⑬1893年6月30日ディジョン控訴院判決13)。
⑭1897年8月5日セーヌ la Seine 民事裁判所判決14)。
⑮1899年6月5日破棄院判決15)。
⑯1899年6月27日破棄院判決16)。
⑰1902年5月12日破棄院判決17)。
各裁判例における遺言者・原告・被告は、つぎのとおりである。
遺言者 原告 被告
① la dame D D 市市長 包括受遺者 J
② la dame de C(寡婦) B 市・慈善事務所? 相続人 M ら
③ MmeM 保護協会 A 市
④不詳 相続人 L A 市の庇護施設
⑤ la dame B 相続人 C 市
⑥ sieur S B 市・慈善事務所 相続人
⑦ sieur M(元公証人) B 市の慈善事務所 相続人 M
⑧ la demoiselle B 相続人 C ら 包括受遺者 A
⑨ EG 包括受遺者 FB F 市市長 EV
⑩ la dame RL 相続人 G D 市
⑪C 相続人 H 受遺者(主任司祭)V
⑫R(寡婦) S 市市長 包括受遺者 M
⑬ MD(司祭) V 市 相続人 B
⑭ EdG(作家) 相続人 dG 包括受遺者 D および H
⑮ la demoiselle G 相続人? 包括受遺者 E
⑯ MS(寡婦) 包括受遺者 G 相続人 S
⑰ MG(金利生活者) 相続人 包括受遺者 E・S・S 登場する遺言者の中では、女性、しかも寡婦が目立っている。訴訟当事者
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(4)
として頻出するのは、相続人・包括受遺者・自治体である。相続人としては、
包括遺贈ないし遺贈が無効になれば、法定相続が始まり自己に遺産が帰属す ることになることが関心事であった。包括受遺者としては、遺言者が課した 負担の履行が、避けることのできない、その責務であった。自治体ないし慈 善事務所 bureau de bienfaisance18)としては、遺産が、自治体ないし慈善事 務所に帰属することを望んだ。これらの利害関係のさなかで、それぞれの裁 判例では、いかなる点が争われ、また、裁判所は、どのように判断したのだ ろうか。
注)
1)D.1859.1.444.
2)D.1864.1.265.
3)D.1869.2.225.この上告審については、後述「むすび」注3)参照。
4)D.1876.1.225.
5)D.1876.1.132.
6)D.1880.2.11.
7)D.1882.1.476.
8)D.1886.1.465.この事件は、破棄後移送された。移送後の判決については、
後述「むすび」注1)参照。
9)D.1893.2.1.
10)D.1892.1.390.
11)D.1892.2.268.
12)D.1892.2.381.
13)S.1894.2.185.これは、Sirey に拠った。
14)Gazette du Palais, ann.1897.2.457(456).これは、reprint.ed.1995を参看した。
15)D.1899.1.373.
16)D.1899.1.592.
17)D.1902.1.425.
18)慈善事務所とは、貧困者らにその住所地で救援を提供することを任務とした 公的施設である。フランス各地に設置された。その数は、内務省統計によれば、
フランス全土で、1833年には、6,275、1847年には、9,336、1872年には、13,348施設 に及んだ。La grande encyclope´die inventaire raisonne´,1886‐1902,Paris, Tom.6, p.756 et seq.
− 5 − 遺言による財団設立と遺言の解釈(野田)
(5)
2 事実関係のあらまし・裁判所の判断
以上の裁判例につき、遺言事項・遺言者死亡後の経緯・争点・裁判所の判 断を、概観しておこう。なお、人名・地名は、原則として仮名とし、さきの 一覧表における表示とは一致しない。
① Z は、遺言で、D 市の少年少女のための庇護施設の設立を、包括受遺 者 J に課した。この庇護施設は、「諸聖父」との名称を帯び、D 市の市長・
第一助役・D 市居住の3名の多額納税者を構成員とする委員会によって運営 されるものとされた。また、政府の許可がおりないときは、庇護施設のため の遺産は包括受遺者がこれを保有すると定められた。
Z 死亡後、D 市および D 市の慈善事務所が、Z の庇護施設設立は、D 市へ の遺贈であると主張して、県知事に対して、Z の遺贈を受け取ることに関す る許可を申請した。申請を受けた県知事は、許可を付与した。県知事による 許可にもとづいて、D 市は、Z の包括受遺者 J に対して、Z の遺産の引渡し を求めた。これに対して、包括受遺者 J は、Z が設立を意図したのは、D 市 とは独立した私的な庇護施設であって、D 市の施設ではなかったと反撃した。
D 市から庇護施設の許可申請を受けた公教育大臣は、県知事に対して、D 市の申請と Z の遺言との間に齟齬があるという事実、Z が定める委員会構成 人員が、1855年3月21日のデクレ第14−15条1)の規定(委員会委員は県知事 の指名する女性から成り、市長が主宰)に抵触するのではないか、との疑問 を指摘する書状を送った。
第一審判決は、Z の遺言を、D 市への遺贈とする D 市の主張を認めた。
控訴審判決は、D 市とは独立の庇護施設設立を J に負担として課した負担付 包括遺贈を認定した。そのうえで、Z の遺産は J に帰属するのであって、D 市には帰属しないとして、第一審判決を取消した。破棄院は、控訴審判決の 解釈を、事実審裁判官の専権的権限による解釈だとして、これを支持した。
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(6)
② Z は、遺言で、さまざまな特定遺贈をおこなった。そのうえで、Z は、
同じ遺言で、B 市に施療院を設立し、と同時に、設立されるべき施療院に全 残余不動産を遺贈した。これは、かのシュテーデル美術館事件におけるシュ テーデルの遺言に酷似する。
B 市が、Z の相続人に対して、全残余不動産の引渡しを求めて、訴えを提 起した。相続人は、設立されるべき施療院への遺贈が、法的には存在しない 施設への遺贈だから無効だと反撃した。
この争点に関する第一審判決の判断は、あきらかでない。控訴審判決は、
Z の遺言が、B 市および同市の慈善事務所への負担付包括遺贈として有効だ と判断した。その負担とはフランス民法典第910条2)が定める許可を政府か ら獲得し、かつ施療院設立について Z の意思に従う、というものである。B 市への遺贈は、Z の遺言それ自体からは、うかがえない。しかし、Z が、特 定遺贈の中で B 市に(施療院用として)一棟の館を遺贈したことに着目し たのであろうか、控訴審判決はうえのように解釈することによって、Z の意 思を実現した。破棄院は、控訴審判決を、事実審裁判官の専権的評価に属す る判断だとして、これを支持した。本件遺贈が有効となる要件は、B 市の権 利能力であって、施療院のそれではない、という。
③ Z は、遺言で、D を、その包括受遺者に指定し、負担を課した。負担 は、遺産中より国債購入のための金銭を支払うことであった。この国債は、
A 市の市長が管理するものとされた。A 市は、A 市に設立されるはずの貧 困少年少女のための職業訓練保護協会に、かの国債から定期払利息を毎年支 払うものとされた。
Z 死亡後、包括受遺者 D が国債を購入した。A 市は、国債の受領につき、
第910条により政府の許可を受けた。包括受遺者 D は、A 市に、国債を引渡 すことに同意した。A 市は、国債受領以来約2年間は定期利息を支払って いたが、債務超過になったとの理由で支払いを中止した。その後、保護協会
− 7 − 遺言による財団設立と遺言の解釈(野田)
(7)
は、政府により法人格を認められた。保護協会は、A 市に対して国債の定 期払利息の支払いを求めた。
第一審判決は、A 市に支払いを命じた。その理由は不詳である。控訴審 判決も第一審判決を支持した。控訴審判決は、Z の遺言が、A 市への負担付 遺贈であると判断した。負担とは、かの保護協会への定期払利息の支払いで ある。この負担があるにもかかわらず、A 市が、国債の管理を怠り債務超 過に陥ったのは、A 市のフォート(過失)である。
④ Z は、遺言で、F を、その包括受遺者に指定し、Z が存命中に設立のた めに尽力しながら達成できなかった庇護施設を設立することを F に求めた。
Z 死亡後、F は、庇護施設を設立した。庇護施設は、政府の許可により法 人格を付与された。その後の経緯はあいまいだが、F は、自らおこなった庇 護施設の設立の無効を後になって主張したようである。控訴審判決は、庇護 施設の設立が有効な負担付包括遺贈における負担の履行である、と判断した。
破棄院は、これを、事実審裁判官の専権的評価による正当な解釈だとして支 持した。設立中の慈善施設には、直接遺贈を受け取る能力はないが、包括受 遺者が慈善施設を設立するという負担を課されるのは、法認されるのである。
⑤ Z は、遺言で、25名の70歳以上の貧困な高齢者にそれぞれ毎年200フラ ンを、また、50名の65歳から70歳までの貧困な高齢者にそれぞれ毎年100フ ランを与えることを定め、C 市の4つの地区の治安判事を、遺言執行者に指 定した。これらの治安判事には、負担として、適格な受益者を選任すること、
また、Z の財団 fondation を監督することが課された。Z は、設立されるべ き財団が、都市の慈善事務所その他の施設のいかなる管理のもとにも置かれ てはならないことを、遺言で定めた。
慈善事務所は、75名の貧困な高齢者におこなわれた遺贈を受け取ることに ついて、政府のデクレにより許可された。相続人が、Z の遺贈の無効を求め、
遺言執行者らに対して、訴えを提起した。慈善事務所が、この訴訟に参加し
− 8 −
(8)
た。
控訴審判決は、本件遺贈が、第910条および第937条3)による貧困者への直 接的遺贈であり、慈善事務所が貧困者らを代表する、と判断した。控訴院に よれば、慈善事務所を財団管理から排除する遺言条項は法律に違反しており、
民法典第900条4)により、書かれなかったと見られる。破棄院はこれを事実 審裁判官の専権的解釈によるものとして支持した。
⑥この事例は、遺言者の遺贈をめぐる都市自治体と都市の慈善事務所との 間の係争事例である。Z は、遺言で、B 市にオーストリア鉄道株を遺贈した。
ただし、この株の定期払利息は、貧困者らに配分されることを定めた。
Z 死亡後、相続人が、Z による B 市への遺贈の無効を主張した。B 市にあ る慈善事務所は、1852年3月25日のデクレ5)を遵守して設立されなかったの だから、この慈善事務所には受け取る能力がないというのが理由であった。
B 市が本件訴訟に参加した。B 市は、B 市それ自体が、Z の遺贈の受遺者で あると主張した。これに対して、慈善事務所は、本件遺贈が、都市の貧困者 への慈善遺贈であること、慈善遺贈についてはその受遺者となれるのは、慈 善事務所であることを主張した。
第一審判決も、控訴審判決も、本件の受遺者は B 市ではなく慈善事務所 だと判断した。当該慈善事務所は1846年に設立され、1852年のデクレは、施 行前に設立されていた慈善事務所には遡及的には適用されないから、このデ クレの遵守がなくても慈善事務所には法人格がある、というのであった。
⑦遺贈が、遺言者の定めた用途とはことなる用途に使用されたときに、当 該遺贈の取消を、相続人に認めた事例である。Z は、遺言で、B 市に10,000 フランを遺贈した。Z は、この金額が、B 市に隣接している施療院における 貧困な病人のための食事付宿泊施設 lit 設立のために使用されるべきこと、
この使用について、B 市の市長と Z の兄弟 E が配慮するべきことを定めた。
Z 死亡後、Z の相続人 X らは、この遺贈に同意を与えた。県知事のアレテ
− 9 − 遺言による財団設立と遺言の解釈(野田)
(9)
が、本件遺贈を受け取ることについて、B 市に許可を与えた。その後、B 市 の市長および E が F 市の修道会と協定を結んだ。それによれば、修道会は、
Z が遺贈した10,000フランでもって、B 市の貧困者および娘を修道会に収容 するものとされた。政府は、この協定について許可を拒絶した。B 市の慈善 事務所は、かの協定にもとづいて、10,000フランの引渡を、相続人 X らに 請求した。X らは、これを拒絶した。
第一審判決は、B 市の慈善事務所の請求を認め X らに引渡しを命じた。
控訴審判決は、第一審判決を取消し、慈善事務所の請求を棄却した。理由は、
こうである。本件遺贈は、B 市への負担付遺贈である。負担の内容は、B 市 に隣接する施療院における病人のための食事付き宿泊施設を、永久的財団と して設立することである。B 市は、この負担を履行しなかった。負担を履行 しなかった以上、B 市の慈善事務所には、遺贈引渡し請求権がない。破棄院 は、控訴審判決を、事実審裁判官の専権的解釈だとして支持した。
⑧第一審判決および控訴審判決では、民法典第911条6)が無効とする介在 者遺贈と判断された負担付包括遺贈が、破棄院において、有効な真の負担付 遺贈とされた事例である。
Z は、遺言で、B をその包括受遺者に指定したうえで、「条件」を課した。
「条件」とは、A 市において、カトリック修道会に属する教師が指揮する カトリックの私立学校を設立することであった。
Z 死亡後、Z の親族 X が、Z の遺言意思は、つまるところ修道会への遺贈 を隠蔽するための B をわら人形とする介在遺贈であって、第911条により無 効だと主張した。
第一審判決および控訴審判決は、X の主張を認めた。破棄院は、これを破 棄した。破棄院によれば、負担付包括遺贈が有効であるためには、受遺者の 受益は問題ではない。たとえ、本件におけるように、包括受遺者 B の受益 がゼロであるにせよ、B が、Z の人格の承継人であるかぎり、本件負担付包
−10−
(10)
括遺贈は有効であると解された。
⑨ Z は、遺言で、甥姪の息子 F を、包括受遺者に指定した。Z は、F に 負担を課した。それは、Q 市に居住する、貧困な、4歳ないし16歳の孤児女・
高齢者・病人を収容する慈善救護施設を設立することであった。この施設は、
Z 所有の特定地(この特定地は永代譲渡禁止と定められた)に建設され、特 定の名称(Goguillot-Sergent)を冠するものとされた。また、この施設は、
C 市の修道女らによって運営されるものとされた。Z は、遺言変更証書で、
この施設に関し、国家・自治体・地区の介入禁止を明示していた。
Z 死亡後、F は、C 市の修道女に、再三、施設運営を要請した。だがしか し、修道女は運営を引き受けることを拒絶した。Q 市の市長 V が、Q 市の 慈善事務所長の資格で Q 市の貧困者を代表して、包括受遺者として登録さ れた。V は、F に対して、Z の遺産の引渡しを求めたが、F は、拒絶した。
第一審判決は、V の引渡し請求を棄却した。Z が本件施設への自治体の介 入を禁止し、また、Q 市の貧困者はたんなる受益者であって受遺者ではなく、
したがって、Q 市の貧困者を代表する Q 市の市長には、遺産引渡し請求権 は帰属しない、というのである。
だがしかし控訴審判決は、第一審判決を取消して、V の引渡し請求を認め た。理由は、第一に、Z の遺言による土地永代譲渡禁止の定めは無効であり、
第二に、運営を要請された修道女は、運営を引き受けることを拒絶しており、
第三に、Z の遺贈は貧困者への遺贈であってこの貧困者への遺贈にあって公 権力の介入を禁止することは、法律違反ということであった。これは、民法 典第900条により書かれなかったものとみなされる法律違反の条項である。
法律違反の諸条項を一部無効とすれば、本件遺言それ自体は、貧困者への遺 贈として有効である。
⑩ Z は、遺言で、D 市において設立されるべき施療院に、動産・不動産 を遺贈した。この施療院は、主任司祭 L が贈与した、D 市所有の土地に設
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遺言による財団設立と遺言の解釈(野田)
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立されるはずであったが、資金不足のために未設立のままになっていたので ある。
D 市の市長が、本件遺贈は、D 市への遺贈だとして、Z の相続人に当該遺 産の引渡しを請求した。Z の相続人は、本件遺贈は、D 市ではなく、設立さ れるべき施療院への遺贈であるところ、当該施療院は、Z 死亡の時点で設立 されておらず、受遺者不存在で、無効だと主張した。
第一審判決も、また、控訴審判決も、本件遺贈を、D 市への遺贈だと判断 して、D 市の市長の請求を認めた。破棄院は、遺言の諸条項の意味を確定し、
かつ解釈する、という事実審裁判官に属する専権的評価だとして、これを支 持した。
⑪これは、抽象的に「主任司祭」を受遺者とし、この受遺者に、カトリッ クの私立学校を設立する目的で土地を遺贈する、という Z の遺言の有効・
無効をめぐる事例である。
第一審判決は、この遺言を有効とし、これを無効だと主張する相続人の主 張をしりぞけた。控訴審判決は、本件遺贈を、主任司祭への遺贈ではなく、
実は、設立されるべき、Z 死亡時には存在しない学校への遺贈であって、第 911条により無効だと判断した。遺言によって設立されるべき財団がカトリッ
クの私立学校であるときは、解釈は厳格である。
⑫ Z は、遺言で、包括受遺者に、従兄弟 Y1・Y2を指定した。Z は、遺 言変更証書で Y1・Y2が S 市において高齢者の庇護施設を設立するべきこ とを定めた。Y2が死亡した。包括受遺者は Y1のみとなった。
Z 死亡後、S 市の市長 X が、貧困者らの法定の代表者として、Z の遺贈を 受け取ることについて政府の許可を受けた(民法典第910条)。
X は、この許可にもとづいて、Y1に対して、Z の遺産の引渡しを請求し た。
第一審判決も、また、控訴審判決も、Z の遺贈が高齢者の庇護施設設立を
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(12)
負担とする、Y1への負担付包括遺贈であって、S 市の貧困な高齢者への遺 贈ではなかったと判断し X の請求を棄却した。Z 自身が、遺言で、設立さ れるべき財団を「高齢者の庇護施設」あるいは「S の庇護施設」とは表示し たが「貧困な」という用語を使用することがなかった。Z が、もっぱら貧困 な高齢者にのみ遺贈することを意欲した、ということは証明されていないの である。Z の意思は、私的な、自治体とは独立した施設を設立することであっ て、けっして、S 市の貧困者ないし S 市それ自体のための施設を設立するこ とではなかった。
これは、遺言の解釈でもって、結果的には、自治体の介入を阻止した裁判 例と言える。
⑬ Z は、遺言で、V 市の教会の教会財産管理委員会に、Z 死亡時に V 市 に所在する Z 所有のすべての不動産を遺贈した。それは、V 市の小教区に おいて、若い娘の知育施設を設立するためであった。この施設は、カトリッ クの女子修道会の修道女らから選任される女教師によって構成されるものと 定められた。また、遺贈された不動産は、これらの女教師の宿舎としてもち いられるべきであって、他の用途に転用することが禁止された。
V 市は、国王のオルドナンスによって、教会財産管理委員会に代わって、
Z の遺贈を受け取ることについて許可され、Z の遺言が定めた、娘らのため の公立学校を設立した。その教師は、これまた、Z の遺言どおり、カトリッ クの修道女から選任された。
その後、1886年10月30日の法律第17条7)が、フランス全土について、公立 学校の教師は非聖職者に限定されることを定めた。県知事のアレテにより、
本件学校も「世俗化」された。カトリック修道女である教師らが排除された。
Z の相続人 X らが、Z の遺贈の取消および遺贈された不動産および当該不動 産売却でもって購入された国債の引渡しを求めて、V 市を相手に訴えを提起 した。
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遺言による財団設立と遺言の解釈(野田)
(13)
第一審判決も、また、控訴審判決も、X らの請求を認めた。
遺言によって設立されるべき財団=学校が、設立後の事情変更により、も はや遺言者の定めとは、本質的にことなるものとなったときに、遺贈の取消 を認めた事例と言える。
⑭これは「ゴンクール賞」で有名なエドモン=ド=ゴンクール Edmond de Goncourt8)(Z)の遺言にかかる事例である。Z は、遺言および遺言変更証書 で、Y1(アルフォンス=ドーデー Alphonse Daudet9))および Y2(レオ ン=エニック Le´on Hennique10))を遺言執行者に指定した。後に、法律的に 瑕疵のないものとすることを意図して、Y1・Y2を包括受遺者に指定した。
Z は、Y1・Y2に、負担を課した。それは、なかんずく、Z 死亡後1年以 内に、文芸協会を設立することであった。また、Z は、文芸協会設立につい て政府の許可がおりないときには、特定の慈善施設に寄付することを定めた。
Z 死亡後、Z の法定相続人 X が、Z の遺言の無効を主張した。Z は、Y1・
Y2を包括受遺者に指定した。Y1・Y2はたんなる遺言執行者ないし介在 者にすぎないのであって、実は、設立されるべき文芸協会への遺贈が Z の 真意であった。Z 死亡時、文芸協会は設立されていなかったから、Z の遺贈 は、存在しない無能力者への遺贈であって第911条により無効である、という。
第一審判決は、Z の遺贈を有効な負担付包括遺贈だと判断して、X の請求 を棄却した。理由は、こうであった。第一に、本件遺贈は、Y1・Y2への 包括遺贈である。包括遺贈が有効であるためには、Y1・Y2に受け取る能 力があること、および、Y1・Y2が遺言者の遺産の総体を受け取ることで 十分であって、Y1・Y2が、当該遺贈から受益するかどうかは有効要件で はない。第二に、なるほど、文芸協会は、Z 死亡時には設立されておらず存 在しなかった。だがしかし、文芸協会は、Z 死亡後、設立を許可されて、法 人格を取得するや、包括受遺者 Y1・Y2から有効に遺産を受け取ることが できる。
−14−
(14)
X が控訴した。控訴審判決11)も第一審判決を支持し控訴を棄却した。Z の 意図した文芸協会が「ゴンクール協会」として政府の許可を受けたのは、
1903年のことである12)。
⑮ Z は、遺言で、A を包括受遺者に指定した。さらに、Z は、別途「わ たしの包括受遺者に」と名宛てられた書面で「良心の観点」から、A に、
神学校のための奨学金を設立することを求めた。この奨学金を管理するのは、
S 市の主任司祭である。奨学金支給対象者は S の小教区の信者であって、神 学校在学中に奨学金を必要とする者である。
Z の死亡後、Z の相続人 X らが、本件包括遺贈の無効を主張した。
第一審判決は、本件包括遺贈が、民法典第896条13)の禁止する補充指定で 無効だと判断した。Z の意図は、Y1・Y2を介して、神学校に遺贈するこ とであったから、という。
控訴審判決は第一審判決を取消した。控訴審判決によれば、Z の Y1・Y2 への要請は「良心の観点」からのものであって、法律上の拘束力を有するも のではない。Y1・Y2がこの言うなれば倫理的債務ないし自然債務を履行 するか否かは、法律の関知するところではない。破棄院は、控訴審判決を支 持して、X らの上告を棄却した。破棄院によれば、民法典第911条の禁止す る補充指定に該当すると言えるためには、第一順位で指定された受遺者に、
第二順位で指定された第三者に遺産を引渡す債務を負わせていることが必要 である。だがしかし、Z は、A を無条件で包括受遺者に指定しており、こう した債務は定められていない。また、神学校のための奨学金設立は、たんな る自然債務にすぎない。
⑯ Z は、遺言で、G を包括受遺者に指定した。そのうえで、遺産のうち、
M 銀行の当座預金としてある10,000フランが、修道院の設立に充てられる べきものと定めた。この修道院は、S 修道会の修道女らによって運営される ものとされた。
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遺言による財団設立と遺言の解釈(野田)
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Z 死亡後、Z の法定相続人 X が M 銀行当座預金には10,000フランが存在 しないから本件遺贈は無効だと主張した。
控訴院判決は、X の主張をしりぞけた。Z が G におこなったのは、10,000 フランの特定遺贈ではない。それは、当座預金における金銭の有無にかかわ りなく、修道院設立という「なす債務」としての負担付きでの G への包括 遺贈である。この負担付き包括遺贈は、有効である。破棄院は、控訴審判決 を、事実審裁判官の専権的判断であるとして、これを支持した。
⑰ Z は、一人息子および妻に先立たれた。Z は、推定相続人を廃除した。
そのうえで、Z は遺言で、「一般的包括相続人[包括受遺者]」に、Y1・
Y2・Y3を指定した。Z は、遺言作成と同時に、別途遺言変更証書を作成 し、その中で、F 市における病院慈善施設の設立を負担として課した。この 施設の運営は、修道女に委ねられるものとされた。また、Z はこの施設が永 久的なものであることを担保するため、Z の相続財産管理のための組合を締 結し各自の個人財産と Z の相続財産を区別することを包括受遺者らに「勧 奨」した。
Z 死亡後、Z の血族相続人 X が、Z の遺言は無効であると主張した。Y1・
Y2・Y3は介在者にすぎず、設立されるべき病院慈善施設への遺贈が Z の 真意であった。設立されるべき病院慈善施設は、Z 死亡時には存在しないか ら、遺贈を受け取る能力を欠いた。したがって、本件遺贈は、第911条によ り無効である。これらが、主張の根拠であった。
第一審判決は、X の主張を認めて、Z の Y1・Y2・Y3への遺贈を無効 と判断した。
控訴審判決は、第一審判決を取消し、本件遺贈を有効な負担付包括遺贈だ と判断した。判決理由は、こうであった。第一に、Z の遺産総体の所有権が、
現実に Y1・Y2・Y3に移転する。第二に、包括受遺者なるものは、債務 超過であれ、依然包括受遺者であるから、Y1・Y2・Y3は、なんら受益
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しなくても包括受遺者である。第三に、Y1・Y2・Y3は、権利能力を有 するから、Z の遺産総体を受け取ることができる。第四に、設立されるべき 施設が公益施設にあたるかどうかは、Z の遺言が有効かどうかとは、まった く別個の問題である。第五に、本件における負担は、慈善施設の設立であっ て法律や公序に違反するものではなく、財産の流通を妨げる永代財団 main morte を成すものではない。最後に、包括受遺者らが負担を履行するかどう かについては、血族相続人がこれを監視できる。
破棄院は、Z の処分は有効な負担付包括遺贈だと判断して控訴審判決を支 持した14)。
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遺言による財団の設立それ自体に関する直接的規定はフランス民法典には ない。にもかかわらず、あるいは、まさにそれゆえに負担付包括遺贈という 法律構成を取ることで、実質的には、遺言による財団設立および設立される べき財団への財産の拠出が認められた。
だがしかし、この法律構成を取ることが妥当かどうかそれ自体がまず争わ れた。遺言を無効として法定相続の復活を目論む法定相続人または、遺産が 自治体に帰属することを目論む自治体(市長)もしくは慈善事務所と、遺言 者が遺言で明示した包括受遺者(聖職者その他)との間での利益調整をどう するか。負担付包括遺贈を認めるにせよ、その包括受遺者はだれなのか。遺 言者自身が、行政の介入を遺言で明示的に排除しているときに、自治体への 遺贈を認定することは可能なのか。負担付包括遺贈にいわゆる「負担」の本 質的要素はなにか。これらの争点は、要するに、遺言の解釈にかかわるもの であった。では、裁判官がおこなった遺言の解釈は、いかなるものであった のか。章を改めてまとめてみよう。
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遺言による財団設立と遺言の解釈(野田)
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注)
1)第14条「...庇護施設の存在する各自治体において、かつ、パリでは、各区に おいて、知事が指名する保護地方委員会が設置されることができる。地方委員 会には、主任司祭が、法律上当然に参加する。また、地方委員会は、市長が、
これを主宰する。この地方委員会は、管轄地域の庇護施設の保護を分担する」。 第15条「保護地方委員会は、その管轄地域の庇護施設のための公的慈善の提供 を受け取り;市町村、県または国によって、これらの施設に与えられた基金の よき使用および公的な庇護施設のために採用された方法の維持を監視すること を任務とする。地方委員会は、中央委員会の注意を惹くに値すると判断するす べての事項を審議する。当委員会は、最低毎月1回会合する」。21 MARS=13 MAI 1855. −De´cret impe´rial concernant les salles d asile, in : J.B. Duvergier, Collection complète des lois, decrets, ordonnances, règlemens et avis du Conseil d E´tat, Tom.55, ann.1855, Paris, p.175.
2)第910条「生存者間での、もしくは遺言による処分で、施療院、市町村の貧困 者または公益に属する諸施設のための処分は、それらが国王のオルドナンスに よって許可されたときにのみ、効力を有する」。Les codes fran!ais collationne´s sur les textes officiels, e´d. Louis Tripier, Paris, 1868, p.128−129. なお、「国王の オルドナンス」は、民法典1804年初版では「政府のアレテ(命令)」とある。
翻訳にあたり、法務大臣官房司法法制調査部編『フランス民法典−家族・相 続関係−」(1978年 法曹会)を参考にした。ただし、訳文は、必ずしも一致し ない。
ちなみに第910条の規定は、古法期−革命期−反動期における歴史(この概観 につき Merlin, Re´pertoire universel et raisonne´ de jurisprudence, Tom.6, Paris 1827, p.752et seq., art. fondation を参照した)の所産と言える。
古法期の Denisart, Collection de de´cisions nouvelles et de notions relatives à
la jurisprudence actuelle, Tom.2, Paris 1761, p.141 et seq. art. fondation では、
財産の拠出 fondation とは「教会・聖職禄・学校・慈善救済施設・修道院設立を 目的とするか、または既存の修道院・教会にミサもしくは毎年の祈祷またはな んらかの慈善を負担として課す贈与または遺贈」である。この意味での財産の 拠出は、しばしば王令によって禁止された。もっとも有名なのが、1749年ルイ 15世の王令(E´dit aou^t 1749; in : Isambert, Recueil ge´ne´ral des anciennes lois Fran!aises, Tom.22, Paris 1838, p.226 et seq.)であった。その第2条は、聖俗を 問わず、いっさいの施設をあたらに設立するための、またはこうした施設を設 立することを負担として課される人々の利益のための終意処分を禁止した。革 命期には、まず1789年11月2日デクレが、すべての教会財産を国有財産だと宣
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言した(De´cret 2=4 NOVEMBRE 1789, in : Duvergier, Collection comple´te des lois, Tom.1, Paris 1834, p.54‐55)。1791年9月26日デクレは、フランスの国制に あっては、団体 corps, ordre, corporation がもはや存在しないことを宣言し、こ れらの財団 fondations の財産を、国有財産として管理・売却すると規定した
(De´cret 26 SEPTEMBRE=16 OCTOBRE 1791, in : Duvergier, Collection, Tom.3, p.368)。1792年8月18日デクレは、一連のキリスト教宗教団体および慈 善施設の廃止を宣言した(De´cret 18=18 AOU^T 1792, in : Duvergier, Collection, Tom.4, p.324 et seq.)。1793年3月19日デクレは、貧困者の支援を国家の義務だ とし、慈善救済施設の財産・貧困者のために拠出された財産の売却を定めた
(De´cret 19=24 MARS 1793, in : Duvergier, Collection, Tom.5, p.204‐205)。革 命暦第2年霧月13日デクレは、教会財産管理委員会および拠出されたすべての 資産を国有財産だと規定した(De´cret 13=14 BRUMAIRE an 2:3=4 NOVEM- BRE1793, in : Duvergier, Collection, Tom.6, p.273‐274)。この動きは、革命暦第 2年収穫月23日デクレ(De´cret23MESSIDOR an2:11 JUILLET 1794, in : Du- vergier, Collection, Tom.7, p.217‐220)において頂点に到達した。このデクレは、
慈善救済施設の資産・債務は国家の資産・債務とされ、国有財産に関する法律 にもとづいて管理・売却されることになった。だがしかし、この直後に、テル ミドールの反動が始まった。反動期にあっては、革命暦第3年実月9日デクレ が、高齢者・病人・子らの施療院などの慈善施設の財産売却を停止した(De´cret 9 FRUCTIDOR an 3:26 AOU^T 1795, in : Duvergier, Collection, Tom.8, p.246)。
その後、革命暦第4年霧月2日デクレは、慈善救済の最終的組織完成まで、さ きの革命暦第2年収穫月23日デクレの施行を、慈善救済諸施設の収益の管理お よび徴収に関し停止した(De´cret 2 BRUMAIRE an 4:24 OCTOBRE 1795, in : Duvergier, Collection, Tom.8, p.343‐344)。革命暦第4年芽月28日法律(Loi28 GERMINAL an4:17AVRIL1796, in : Duvergier, Collection, Tom.9, p.81)が、
この停止を継続したうえで、世俗的諸施療院に、財産および定期金の享有を認 めた、また、さきの革命暦第2年収穫月23日デクレによりすでに売却された、
これらの世俗的施療院の財産を、国家財産で補償することを規定した。
フランス民法典第910条は、この反動期に誕生した。第910条が規定するのは、
もっぱら世俗的な施療院・市町村の貧困者・公益に属する諸施設に限定され、
宗教的施設である教会・修道院が登場しない。また、世俗的慈善救済施設への 出損であっても、政府の許可が、こうした出損を受け取ることについての要件 とされた。起草者ビゴ=プレアムヌウ Bigot-Pre´ameneu は、この規定が、フラ ンス人を特徴付ける「慈善の精神」でもってこれらの慈善救済施設が革命期に こうむった損失を補うものであること、また、同時にこれらの施設への財産の
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遺言による財団設立と遺言の解釈(野田)
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拠出において、「非難するべき逸脱」を阻止するために、政府の許可・統制が必 要である、と説明している(Expose´ des motifs, fait par M. Bigot-Pre´ameneu... dans la se´ance du corps le´gislatif du 2 flore´al an XI :22 avril 1803, in : Locre´, Le´gislation civile, commerciale et criminelle, Tom.5, Bruxelles 1836, reprint. ed., Frankfurt am Main1990, p.315)。
3)第937条「施療院、市町村の貧困者または公益に属する諸施設のためにおこな う贈与については、これらの市町村または施設の管理者が、適法に許可された 後にこれを承諾する」。Tripier e´d., Les codes Fran!ais, p.133.
4)第900条「...遺言による処分すべてにおいて、...諸法律違反の条項は書かれ なかったと見られる」。Tripier e´d., Les codes Fran!ais, p.127.
5)25‐30 MARS 1852. −行政の地方分権化に関するデクレ。このデクレは、従来 国家元首または内務大臣が担当してきた行政事務につき、以後県知事に権限委 譲する旨を規定した(第1条)。別表 A−y はその一として慈善事務所(慈善救 済施設、施療院、慈善事務所、公営質屋)の設立を挙げる。De´cret sur la de´cen- tralisation administrative, in : D.1852.4.90., p.90‐92.
6)第911条「...遺言による処分を受け取ることについての無能力者のための処 分はすべて、有償契約の形式のもとでそれを仮装するのであれ、介在者の名の もとにそれをおこなうのであれ、無効である」。Tripier e´d., Les codes Fran!ais, p.129.
7)第17条「あらゆる種類の公立学校では、教育は、もっぱら非聖職者に委ねら れる」。30=31 OCTOBRE 1886. −Loi sur l organisation de l enseignement pri- maire, in : Duvergier, Collection comple´te des lois, Tom.86, ann.1886, Paris, p.383. 公立学校教員から聖職者を排除したこの法律(いわゆる「ゴブレ法」)に つき、小山 勉『教育闘争と知のヘゲモニー フランス革命後の学校・教会・
国家』(1998年 御茶の水書房)364頁参照。これは、故小山先生より贈呈され た書物。
8)1882年−1896年。斎藤一郎編訳『ゴンクールの日記』(1995年 岩波書店)参 照。
9)1840年−1897年。桜田 佐訳『風車小屋だより』(1958年 岩波文庫)参照。
10)1851年−1935年。これら3名は、いずれもゾラを中心とする「メダン」Me´dan 集団のメンバーだった。
11)パリ控訴院1900年3月1日判決(S.1905.2.78)。
12)De´cret qui reconna^lt comme e´tablissement d utilite´ publique la Socie´te´ dite des Goncourt, dont le siège est à Paris, in : Duvergier, Collection complète des lois, Tom.103, p.260. このデクレの抜粋は、Henri Le´vy-Ullman et Paul Grune-
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