長崎大学教育学部人文科学研究報告 第五十二号 〜二〇︵一九九六︶
﹁表現﹂ということについて(冒頭要旨)
︱散文から韻文にわたって︱
昆
豊
On Expression in Prose and Verse
Yutaka KON︵OZ
散文については明治・大正期を中心とする小品物︑ショート・シ
ョートを︑韻文については近代詩と近現代短歌を主な対象として論
じてみたい︒はじめとおわりには自作例をも披露しながら︑具体的
に﹁表現﹂というものについて迫ってみるつもりである︒最近︑妙 かたわに創作欲が研究論文を書く傍らで起って来て︑それを抑えることに︑
むしろ疲れ果ててしまった感がある︒そこで︑まず︑中心に先人た
ちの創作意欲と実作との関連から全般的に考察を加えてみたくなっ
たわけで︑私の散文と韻文との具体例は︑その添えものと思って下
さればありがたい︒
小説の場合︑﹁明治・大正期﹂などと安易に考えていたのは︑従来
の型にはまった節があって︑実際は漱石から村上春樹までを視野に 入れた論となるだろう︒韻文の場合︑雅から俗へという流れ パコスペクティブを背景としながら︑文語定型詩から口語自由詩︑そして現代詩にま ひろで論を拡げて論じてみたい︒また︑短歌については新派和歌から近代短歌と現代短歌とを対象として論じようと思う︒あまりに欲ばった発表となりそうだが︑共通項は﹁表現﹂ということに尽きそうである︒尤も︑﹁表現﹂に加えて︑時代思潮というものが︑その﹁表現﹂の背後にあることは先刻承知しているつもりである︒学会の研究発表という場をかりて︑従来の学会発表のパターンを︑より自由に解き放ってみたい心づもりがあることは自明の理であろう︒以上が骨だけで︑発表当日には各作品例を従来型の資料としてお配りしたいと思う︒それをネタにした自由奔放な発表としたいのが私のねらい です︒鴎外の抵抗ではないのだが︑作品・作家の魔性性︑いや︑詐
術性を論ずることになりそうだ︒
昆
豊
ご
﹁表現﹂ということについて
(一
繼繻ワ・一〇・入︶
はじめに
散文から韻文にわたって本題に入る前に拙作の一つの実例を挙げよう︒
﹃おさんどん﹄︵痴話喧嘩より︶
﹁お前は俺のなんなのさ﹂
﹁それを言っちゃ︑おしまいでしよッ﹂
﹁でも︑実際そうなんだから﹂
﹁恋人ぢやなかったのかねえ﹂
﹁今更︑愛なんて!﹂
フウフ﹁夫婦ぢやなかったのかねえ﹂
﹁そりゃそうよ﹂
﹁姉貴ぢやなかったのかねえ﹂
﹁年上だから?﹂
﹁母親でもあるわけだ﹂
﹁なにいってんのよオ﹂
コ ﹁私はあんたの母親になったつもりはないよオ﹂
﹁別に年上だとか年のこと言ってるんぢやないよッ﹂
﹁何から何まであ一しなさい︑こ一しさないと言うのは︑母親の感覚
だよ﹂﹁そう言われないようにすればいいのよッ︒ そんな大きな馬鹿息子持った覚えはないよオ﹂﹁母性喪失なら︑もとに戻って︑お前は俺のなんなのさ﹂﹁おさんどんよッ﹂ 11おわり一 右の四百二十字以内のショート・ショートは私の日常のありふれた夫婦の会話を模写したものである︒ノンセンスな痴話喧嘩を再現してみただけの文章である︒すべて会話体に終始しているので︑文末のニュワンスを示すために︑﹁オ﹂﹁ツ﹂﹁ア﹂の語尾を原作では示 パユスペクテイプしてある︒会話体は地の文より自由な表現なので︑話の背景は読者
︵聞き手︶の想像力に委ねたものである︒
小品であろうとショート・ショートであろうと︑また短編小説で で だあろうと︑散文の場合︑出出しの文章と結びの文章とは重要な意味
を持つことは周知の事柄である︒私の拙稿だけでなく︑資料①を参
照いただければ︑納得していただけるものと思います︒ただ︑話の
山場は出だしの表現で暗示されてはいるものの︑サンドウィッチさ
れた展開部にあることも自明の理である︒拙稿で言えば︑男女の関
係に即ち夫婦の関係において︑緊張を与える部分が山場となるわけ
です︒﹁年上﹂﹁母親﹂がそうである︒妻の感情の起伏は日頃気にかけ
ている︑触れてもらいたくない部分に触れた時に︑最高の脈拍数に
達するわけである︒恋人であり︑妻であり︑年上の姉貴であり︑母
親でもある女房をいたぶって平然としてる夫がいる︒それに対する
抗議が﹁おさんどん﹂の言葉に集約︑収敏されてノンセンスなショ
ート・ショートが終息しているわけです︒実は右の山場には詐術が
仕掛けられている︒登場人物ばかりではなく︑読者︵聞き手︶を挑 ほどこ発するところに仕掛けが施されていたわけである︒﹁表現﹂というこ
とを考える時︑そこに面白さが感じられれば︑
いう次第なのです︒
一、
{論1︵散文︶ 作者冥利に尽きると
個人の自立と解放が物心両面から急速に進んだ現代でも︑男女の よのなか性のタブーが存在することは不倫一つとってみてもわかるし︑社会
のタブーとして人種偏見︵白と黒と黄の人種︶は存在し︑部落民に よのなか プレッシャ 対する差別も現存する︒それに対して社会の抑圧が強かった時代に
書かれた島崎藤村の﹁破戒﹂と三島由紀夫の﹁金閣寺﹂とは次の点
で一致点を持つ作品なのである︒絶対者である父の戒めを破る青年
教師のエネルギーと︑美の殿堂を焼きつくす青年破戒僧のエネルギ よのなか一とは︑ほぼ同じ意味をある面では持っていたことになる︒社会の
タブーと伝統美の破壊がタブーとなっている点も奇妙に一致してい
たからである︒明治三十九年︵一九〇六︶作の小説と昭和三十一年
(一繻ワ六︶作の小説との問に半世紀五十年の歳月が流れている︒﹁破
戒﹂が明治日本自然主義の紀念碑的作品と定説化されているが︑私
は浪漫的色彩をとどめ︑自然主義的描写を駆使した問題作品とみて
いる︒千曲川の岸辺やテキサス行きがそれを実証しているからだ︒
ともあれ日本自然主義と耽美的三島文学の類似という比較検討だけ−
でも刺激的な研究課題となり得るはずである︒近代文学研究の盲点
はまだ沢山山積している︒右の二作にみちれる死の匂いと生きたい
とねがう心情との一致も然りなのである︒また︑信じていたものを
裏切る行為という点でも同様である︒芥川龍之介の昨日論じられた
﹁羅生門﹂にも︑その意味で同様のテーマを見出し得る︒また︑漱石 の﹃それから﹄における婚姻という男女の社会的タブーと対決も︑太宰治の﹃ヴィヨンの妻﹄における姦通は法的にゆるされる設定とは言え︑それは﹃桜桃﹄の世界に直結し︑身障者の子を持つ夫婦の涙の谷問をかい間みさせているではないか︒建てまえ社会に生きる日本人の哀感を︑本音で語る小説が現われるのも理の当然である︒ ふるいよしきち り む 次は古井由吉︵昭12︑一九三七〜11︑19東京生58本目の﹃楽天記﹄
︵平2︑一九九〇・1〜平四︑︼九九二︑9﹁新潮﹂連載︶中の﹁息
子﹂の冒頭と結びの部分である︒
﹁長い旅から戻ると︑息子が家に帰っていた︒たっぷりとした太編 しらが コ みの毛糸の物を着込んで︑白髪のだいぶになった頭をうつむけ︑ すみ ざたく 父親の留守中に二階の隅にあたる勉強部屋の︑昔のままの坐卓に
向かってもう半年も居るように落着いていた︒遠くで大工仕事の ・ ● ・ ・ ︒ ・ ・ ● ● ︒ ● ●に︒お・ 音が立って日足は障子に傾いたが︑朝から続いた晴天の匂いが黄
み のがみ の ばんだ美濃紙からふくらんで︑晩秋ながら日の永そうな背つきに
の む の 見えた︒⁝⁝⁝また難儀な宿題を︑たまたま朝方に妙な夢を見た
の む む ばかりの年寄にのこして行ったものだ︑と柿原は青年を送り出し くつぬ たあとで︑沓脱ぎのところに立ってひとり苦笑した︒/そのうち
に︑ここの家で西日の差しこむのはもっぱらこの玄関口だけでは
ないか︑とそんなことにいまさら驚いて︑赤く照る我身を見まわ
した︒﹂
︵傍点︑筆者︶
第二節からなる短編小説だが︑前半は﹁二十年來︑あらかたの日 なりわい を家の内で机に向かって過すことを生業﹂としている柿原が見た夢
を中心に語られている︒その夢が漱石の﹁夢十夜﹂ではないが︑よ
く出来ている夢なのである︒﹁柿原は五十の坂を幾つか越した現在ま
﹁表現﹂ということについて
三
昆
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で︑息子というものを持たない﹂のに﹁妻と成人した二人の娘﹂の
存在を意識しながら﹁出もどり﹂の息子の夢を見る︒主人公と十と
違わない妻子のある厄年頃の息子のイメージは塗しいまでにクール かげで美しい︒この世の者ならぬ存在として﹁騎りがないと言うよりは︑
ひとみ しろめ あおみ妙に薄い瞳の色だった︒白眼との境の輪郭も淡くて︑かすかな蒼味
ひとみを帯び︑病みあがりとも病みなずみとも︑感じ分けがっかない︒﹂瞳 たと の色を表現している︒それを喩えて﹁ちょうど赤々と障子を照らし・ ● o ● ⁝ ● ● ● ・ ・ ● ・ ● うる ま趣た● ・た夕日へ︑まぶしさに苦しむでもなく︑潤むようでもなく︑瞼をゆ
みひらるりとひらききりにしていた﹂と︑バッチリ見開かせてもいる︒息 いきつま子との対話も息詰る感がある︒﹁赤々と⁝⁝照らした夕日﹂は結びの え一文と照応しているが︑この息子の悟り澄ました笑みといい︑﹁デッ いきド﹂﹁デエーッド﹂と息つく口調が気になるところで︑﹁自分はもう死
んだようなものなのでとつぶやいた﹂ら﹁声が返ってきた︒まわり
こそ︑人も世も︑お前にたいして︑とうに死んでいるのだ︑と︒⁝⁝ 死んだと言うのが不穏当なら︑たがいに無効になった︒⁝⁝たがい
き ま じ めに閑散﹂でもいいと生真面目な口調が続くくだりは︑まさに古井由
吉の独壇場であり︑詐術性を端的に示すくだりである︒声ばかりの なげ息子の細君の嘆き節も夢の空虚さを強調する詐術なのである︒前半
の末尾に登場し︑後半︑主人公と対話する関屋青年︵編集者か︶も︑
息子も作者の分身であることは論を待たない︒ もど 前記の冒頭と結びの部分に話を戻そう︒﹁たっぷりとした太編み物
しらが コを着込んで︑白髪のだいぶになった頭をうつむけ︑⁝⁝もう半年も はんすう居るように落着いていた﹂息子のイメージは夢を反志するくだりの コ からだ表現﹁いつのまにかまたすっかり背を向けてうつむきこんだ身体が︑ くボ 全体としてなにやら︑穏やかに窪んでいる云々﹂と重なる︒また︑
四
にお﹁晴天の匂い﹂とは乾草の匂いであり︑﹁背つき﹂とは息子の﹁陥没に
なご和んだ隔離の背つき﹂であることが後でわかる装置になっている︒ いんえいこの幻の人物が影となって︑作品全体に春信を与えている︒シャド
ウ文学︑影法師の文学たり得ている︒昭和六十一年︵一九八六︶夏 ていだん季号の﹁三田文学﹂において︑阿部昭︑田久保英夫との鼎談︵﹁作家
の発現一いま何を考えているか一﹂︶の冒頭近くの部分の会話による
と︑
︹阿部︺﹁小説は死んだか﹂とか︑﹁小説はどこへ行くのか﹂とかいう
よりも︑﹁文学はどこへ行ったのか﹂といっちゃった方が早いよ︒
もはや一小説の問題ではないね︒僕は︑別に小説はどこへ行って も︑どう変わってもいいんだけれども︑肝心なのは文学です︒文
章です︒そういうものがどこへ行ったのだろうということをいっ
た方が早い︒
︹田久保︺でも僕は︑余り悲観的な見方だけしたくないんだな︒現状
の見方もそれぞれ違うだろうけれど︑このごろ︑純文学の衰退と
か︑文学はどこへ行ったかというような悲観的な見方が多いね︒
/しかし︑よく考えてみると︑これからひそかに︑徐々に徐々に
実りを上げていくような要素もある︒その辺のところはどこかな
といつも考えてるんだ︒
︹古井︺僕は悲観論が大好きなのね︵笑︶︒悲観論をしまくるの︒なぜ
かというと︑どこかで楽天に転じる場面がある︒現に書いている
のは楽天だ︒もう少し正しくいえば︑今書いているという楽天を
どうやって裏づけるか︑それをやるには悲観論をしまくるに限る
︵笑︶︒/文学というものは︑どこかに行つちまった後まで文学とい
うところがあるでしょう︒文学がどこかへ行つちまった︑なくな
つた場もまた文学の場である︒行つちまったものの先回りをして︑
その前につながるということはあるだろうね︒どこかへ行つちま す つたと腹を据えてやったほうが書きやすいし︑望みが出る気がす
るんだ︵笑︶︒
古井のいう﹁楽天﹂という言葉にこめられた特異なニュアンスに とうかい注目せずにはいられない︒場の︵笑︶を誘った物言いに︑轄晦の気
配はない︒﹁息子﹂の後半部で風邪の流行とコレラ︑ペストの疫病を
コ の コ関屋青年と対話するうちに﹁楽天性免疫不全症候群﹂と訳の分から こ ろぬ語呂合せを柿原は胸の内でころがして︑関屋の沈黙につきあって
いる︒﹁行つちまったもの︵筆者注︑小説︿文学﹀は死んである形式 つぶやだという古井の認識︶の先回りして眩く言葉が楽天性免疫不全症候
群なのである︒﹁どこかへ行つちまった文学︿小説﹀であるからこそ ま じ め生きられるという小説の場があり︑望みが出る気がすると眞面目に
古井は考えている︒それが﹁息子﹂作中の﹁デッド﹂﹁デエーッド﹂ かかとなり︑人の生き死に関わるだけでなく小説とも関わることになる︒
﹃楽天記﹄は当初のうち︑柿原の関心は︑楽天が人を死に追い込むと しっぺいいう所に置かれるが︑﹁息子﹂では︑江戸時代の大疾病とその前後の
風邪︵感冒︶流行の微妙なつながりを博覧強記の関屋青年と語り合 しょいうところから︑結びの﹁難儀な宿題﹂を年寄の柿原が背負込むこと
コ コ になる︒沓脱ぎのところに立ち尽して﹁赤く照る我身を見まわ﹂す と ことにもなるわけである︒古井文学の一端だけを把らえて影法師の
文学などと私が名付けたが︑死んでしまったが生きてある青年像を
リアルに描いた﹁息子﹂のみの話に本日はとどめておく︒
次に村上春樹の﹃夜のくもざる﹄︵一九九五・六︑平凡社刊︶中の
﹁ホルン﹂の冒頭と結びの部分である︒ ﹁たとえばホルンという楽器がある︒そしてそのホルンを吹くこと む む む む む む む む む を専門的職業とする人々がいる︒これはまあ世の中の成り立ち方 ロ としては当然のことなのかもしれないけれど︑そういうことにつ む ム ム ム いて真剣に考えはじめると︑僕の頭は立体的な迷宮みたいに混乱 してしまう︒/何故それはホルンでなくてはならなかったのか? 何故彼はホルン吹きになり︑僕はなちなかったのか?⁝⁝やがて ム ム コ の コ ﹃フラッシュダンス﹄みたいなおきまりの苦節を経て︑ホルンとホ コ ム ム ム ム ム ルン吹きは禁手に手をとって晴々しい舞台に立ち︑ブラームスの ピアノ・コンチェルトの冒頭の一節を奏しているのだ︒/コンサ ート・ホールの椅子の上で︑僕はふとそんなことを考えてしまう わけだ︒それから別の森の奥で誰かが通りかかるのを待ち受けて コ コ の いるかもしれないチューバのことなんかも︒﹂ つのがき 本の背に﹁村上朝日堂超短篇小説﹂という角書があり︑作者も﹁あ とがき その一﹂の中で﹁短い短篇﹂︵というのも変な言い方だけれ ロ ど︑ほかに適当な呼称が思いつかないので︶と記してある︒角書は江戸戯作の匂いを放っているが︑今は問題にしない︒ 問題にしたいのは︑なぜ村上春樹はホルン吹き奏者の身の上を考えると︑収拾がつかなくなるほど混乱してしまうのか?それを作者 コは次のように説明する︒﹁ある一人の人間がホルン吹きになるという コ 行為には︑ある一人の人間が小説家になるよりはずっと深い謎が含まれているように僕には思える﹂と︒フォルン吹きと小説家とを相対化した構図だが︑職業選択の深い謎をホルン吹きに託した﹁表現﹂ だが︑その深い謎を﹁それを解けば人生が何もかもばらりとわかってしまうような謎が︒﹂と補足説明している︒村上はおそらくホルン
吹きになる決心の困難さを強調したいばかりに︑いかに喩えの次元
﹁表現﹂ということについて
五
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とは言え︑﹁それを解けば⁝⁝﹂と口走ってしまっている︒人生の謎 いなとはそんなに手軽なものだったのだろうか︒否と私は言いたい︒し わな かし︑現実は作者の仕掛けた罠に読者がはまる仕掛けになっている︒ キ ザ村上文学が多くの読者に迎えられる秘密は手軽なポーズにあること
は心ある文学理解者がすでに気が付いていることである︒ただ︑私
のように具体的に語らなかっただけのことである︒ホルンの音色は
高低の音にかかわらず︑﹁森の奥﹂や高原の澄んだ音色を思わせる︒ パ ン つのぶえそれは牧羊神の角笛を模した西洋楽器なのである︒村上はそれに触 れることを避けて﹁チューバ﹂楽器への思いへ変奏させて︑この短
とい短篇を閉じている︒パンチイズムへの想像力を働かせない点でも
私には不満な短篇小説である︒ピアノやバイオリンが主流の音楽界
にあって︑ホルン奏者になることが︑どんなに勇気のいることかと
いう次元で書かれた短篇だったのである︒﹁人生の謎﹂はもっと深い
ところにあるのだから︑この作品に即して言うならば︑小説家にな かずる決心なぞものの数に入らぬことを告白しているわけなのである︒
なぞと なりわい人生の謎解きを生業とする作家が手軽にホルンとホルン吹きの出会
いと意気投合ぶりを語る山場にしても軽薄そのものである︒ホルン
がホルン吹きとなる彼に語った身の上話とは﹁辛い少年時代や複雑
な家庭環境や︑容貌上のコンプレックスや︑性的な悩みとか︑そう
いうことを︒﹂だけである︒もうこれ以上︑ホルンの独白について語
る気も失せてしまった︒要するにこの短篇は﹁たとえば﹂で逸った
とぎぱなしお伽酷なのである︒村上朝日堂というケチな瓦版屋が楽しみにもの
した現代戯作と名付けておこう︒情報文化社会のお江戸と現代とは
なぜか近親感がある︒なぜ︑村上流の小説が読者に迎えられるのか︑
その答えは右の事情と密接不可分なものである︒第一にホルンの身
六
かか の上話を思い起せば︑今日の小・中学生が携えているつっぱりの原
因であるとともに︑﹁いじめ﹂の構造の母胎なのである︒小・中・高 の先生方ならば日常茶飯の教育相談ごとであることにすぐ気が付く
はずである︒研究者ならばなおのことである︒そんな心淋しいホル やさンにほだされた彼︵ホルン吹きになる︶こそ心優しい小説家よりも
心優しい孤独者といえよう︒表現ということにこだわれば︑﹁世の成
り立ち方﹂とか﹁立体的な迷宮﹂という表現にケチをつけることは
やさしい︒引用した冒頭部の﹁⁝⁝みたいに﹂とか︑結びの﹁﹃フラ
ッシュダンス﹄みたいな﹂という比喩表現が多用されている点に触
れなければなるまい︒それよりも気になる表現として私は﹁おきま
む コ さわりの苦節﹂﹁手に手をとって﹂﹁チューバのことなんかも﹂が気に障る
箇所である︒更に引用以外でも﹁⁝⁝かもしれない﹂が頻出するの きざわが気障りだが︑お伽話であってみれば︑それは必然的に使用しなけ
ればならなかった事情と推察できなくはない︒部分的にはうまい表 現がある︒﹁それを解けば人生が何もかもぱらりとわかってしまうよ
うな謎が︒﹂の倒置法と擬態語である︒村上文学を批判していれば文
学時評として受け入れられる側面があることも同時代評として気に
かかる︒要は流行と不易という面で論ずる限り︑大きな誤りはない
のだが︑嫉視的な感情批評を私は拒否する︒村上文学は古井の言を
もってすれば︑小説が死んであるところがら出発した側面を無視で
きない︒あのアッケラカンとしたわかり易い文体と語り口の面白さ
までを否定はできない筈である︒面白く読むことも批評・研究には
必要なのである︒
そろそろ夏目漱石に登場してもらおう︒竜之介の﹁羅生門﹂と同
じ様に︑﹁夢十夜﹂については諸説紛々たるものがある︒しかし︑﹁夢
十夜﹂は小説ではなく︑十の小品として漱石の小説を解く鍵が豊か のぞに内臓されている︒それは創作家の手の内を覗く趣きを呈している︒
漱石の背後から執筆している手元へ手を伸ばすような感覚にとちわ さぐれるのは私だけであろうか︒漱石の小説手法を探るにはもってこい
の小品︑十作である︒以下︑資料に則して︑管見を述べてみたい︒
﹁夢十夜﹂︵東京・大阪﹃朝日新聞﹄明41・7・25〜8・5︶の第
一夜の冒頭と結びは次の通りである︒
ム ム ム ム ム まくらもと すわコ コ あおむき ﹁こんな夢を見た︒/腕組をして枕元に坐っていると︑仰向に寝た
女が︑静かな声でもう死にますという︒女は長い髪を枕に敷いて︑
りんかく うりざねがお まっしろ ほお 輪郭の柔ちかな瓜実顔をその中に横たえている︒真白な頬の底に
ほど む む む む 温かい血の色が程よく差して︑唇の色は無論赤い︒到底死にそう ゆら いただき には見えない︒⁝⁝と思うと︑すらりと揺ぐ茎の頂に︑心持首を
かたぶ つぼみ コ はなびら ゆ 傾けていた細長い一輪の蕾が︑ふっくらと辮を開いた︒真白な百
り こた はるか の コ 合が鼻の先で骨に飼えるほど匂った︒そこへ遥の上から︑ぽたり
つゆ コ と露の落ちたので︑花は自分の重みでふらふらと動いた︒自分は したた はなびら せっぷん 首を前へ出して冷たい露の滴る︑白い花欝に接吻した︒自分が百
合から顔を離す拍子に思わず︑遠い空から見たら︑暁の星がたっ またた た一つ瞬いていた︒/﹁百年はもう来ていたんだな﹂とこの時始
めて気が付いた︒﹂ む む 夢が言語という意識作用の記号によって表現された文学作品の場
合︑夢が作為され︑虚構されているのは自明の理である︒それは﹃夢
十夜﹄でもあてはまる︒久保田芳太郎氏の﹃漱石1その志向する
ものII﹄︵一九九四・十二︑三弥井書店︶中で︑﹁この作品は夢を大
コ の コ 本としながち︑夢の形象や特性に縦貫して︑作者漱石自身がかかえ
の コ コ た諸命題を意図的に言語空間の中に試みたものでなかったかと考え られるのである﹂と述べちれ︑﹁その諸命題とは︑﹃父母未生以前﹄にかかわる存在︑死とエロス︑罪と罰︑西と東などといった︑今日ま ふえんでもまだ揚棄し得ぬ諸矛盾にほかならない︒﹂と敷衛されている︒解釈の自由を求められた久保田説を縦糸にしながら︑私は横糸の説をたててみたいと思う︒ ﹁第一夜﹂は︑エロスと死を主題とした夢の話だ︒いいかえると︑エロス タナトス愛と死とをめぐっての﹁死よりも強い愛﹂︵﹃オルペウスとエウリュディケの物語﹄︶という︑西洋的形相をめぐってのものなのである︒冒頭は﹁こんな夢を見た﹂という文句ではじまっている︒またこの文 むか句はほぼ他の話にも使われている︒自分に向ってあおむけに寝てい ひとみる女が﹁もう死にます﹂といった︒女の﹁真黒な眸の奥﹂に自分のすがたが鮮やかに映っていた︒相互に自分という存在が他我化され ジつている︑ふたりきりの世界である︒ついで女は︑﹁死んだら︑埋めて下さい︒大きな真珠貝で穴を掘って﹂といい︑さらに天からの星の か け﹁破片﹂を墓標に置いて墓の傍で待っていてくれと頼み︑また﹁逢ひに来ますから﹂という︒久保田氏はこの真珠貝はボッチチェルリの﹃ヴィーナスの誕生﹄における美とエロスのイメージを想わせるものだと連想している︒ともかくさらにまた女は﹁百年待ってみて下さい﹂という︒そこで自分は女のいったとおりにする︒この百年という時間について︑コ夜﹂︵明38・7・26︶にこんな叙述がある︒﹁又思ふ百年は一年の如く︑一年は一刻の如し︑一刻を知れば正に人生 みを知る︒日は東より出で・必ず西に入る︒月は盈つればかくる︒徒ちに指を屈して白頭に到るものは︑徒らに荘々たる時に身神を限らる・を恨むに過ぎぬ︒日月は欺くとも己れを欺くは智者とは云はれ コ まい﹂︒この文は百年は一年︑一年は一刻に匹敵し︑=刻を知れば正
﹁表現﹂ということについて
七
昆
豊
八
に人生を知る﹂ということをいっている︒したがって端的にいうと︑
この場合の百年遅時間の単位であるとともに時間の象徴でもあり︑
さらにまた時間を超える時間すなわち永遠として規定されている︒
だから﹁第一夜﹂の百年もかような意味で考えるべきであって︑超
時間ないし時間が停止した永遠というふうに解すべきであろう︒
それはそれとして︑女が死んでから自分は︑東から西へと落ちて
いく﹁大きな赤い日﹂の数を勘定しきれないほど勘定していく︒だ
が百年はなかなか来ず︑﹁苔の生えた丸い石﹂を眺めてついに女に欺
かれたのではないかと思う︒すると石の下から青い茎が伸びてきて はなびら一輪の蕾がふっくらと辮を開いて真白な百合が鼻の先で匂った︒自
分がその百合の花に接吻する︒このときはじめて﹁百年はもう来て
みたんだな﹂と気がつく︒百年後︑女は白い百合と化して復活した
のである︒エロスはタナトスよりも強く︑永遠であるという原点が
肯定され︑固く措定されている︒そしてこの夢の世界にはまったく
音がなく︑時空間を超えた永遠の静寂そのものなのだ︒さらにこの
ようにエロスが肯定されているのは︑すでに指摘されているように
この﹁第一夜﹂のみだ︒﹁第二夜﹂以降において︑エロスは懐疑的か
つ否定的な暗い悲劇として描かれるか︑あるいはパロディーとして
とらえられている︒とすれば︑これは何を意味しているのだろうか︒
久保田氏は﹁第一夜﹂とE・A・ボーの小説﹃エレオノーラ﹄︵一
八四二年︶との類似性をその筋まで紹介したあとで︑﹁このボーの小 エロス タナトス説も︑やはり愛と死をあつかっている︒女が死んでも霊魂は存在し︑
﹁天使の釣り香炉﹂の音や香気︑﹁やさしい溜息﹂などを通して存在し
ていることをうっすらと暗示し︑さらに一度だけ︑唇に唇があてち
れるのを感じたのであった︒そして最後の違犯︵他の乙女を愛し︑ 結婚したこと︶の罪も愛の名において許されるのであった︒つまるところ︑死を乗りこえての愛の不滅もしくは復活の物語なのである︒換言すると︑ここでも﹁死よりも強い愛﹂という措定がいきている ならのだ︒したがって︑エロス︑タナトス︑復活︑永遠という名辞を列べてみると︑﹃エレオノーラ﹄と﹃第一夜﹄との類似性に気がつく︒しかし︑だからといって客観的な資︐料がない以上︑ボーの作品を読んで漱石が影響を受けたとはいえない︒だが興味あることだ︒ 以上が久保田氏説のあらましである︒第一夜の冒頭部分に戻って私なりの考えを述べよう︒この夢は冒頭部分から霊妙な幻想の世界 みちび ほどこ に読者を導く仕掛けが施され︑夢の夢を見る思いがする︒女の臨終 まくらもと すわの席だというのに自分︵主人公︶は﹁腕組をして枕元に坐っている﹂のであるが︑﹁腕組をして﹂は非日常性を暗示した表現なのだろうか︒厳粛な臨終の席にふさわしく気むずかしく構えたポーズととれ ふばそれまでだが︑愛人の伏せている枕元でこんなポーズをとること自体︑死の実感から遠い主人公の姿勢であることに変りはなかろう︒ あおむきむしろ﹁仰向に寝た女﹂にかがみ込む姿勢の方が日常性に近い表現だと私は思う︒漱石作品を読む場合︑登場人物の姿勢に注目すべきだと愚考する︒また﹁輪郭の柔らかな瓜実顔﹂の女性に対する漱石のこだわりが尋常一様のものでないことは周知の通りである︒それよりも次の文章は異様である︒﹁唇の色は赤い﹂と言えばよいところに︑﹁無論﹂の語を主部と述部の間に挿入した点である︒﹁無論の事﹂ コ コ のの論ずるまでもなくと副心的に使っているのだが︑﹁死にます﹂と静かな声で言った女の唇の色なのである︒その唇のなまなまい朱色を単に強調した語句というよりは︑妖しいまでに美しい一種の幻想を ねら読者に与える効果を狙った表現である︒文脈の流れを無視している
む りことは︑次の文章﹁到底死にそうには見えない﹂であるから﹁無論﹂
なのであって︑文脈の時制を無視した飛躍的な表現であることに変
りはない︒タナトスとエロスを主題とする﹁第一夜﹂の冒頭部では
む﹁唇の色は無論赤い﹂とエロスの伏線をはって︑﹁到底死にそうには見
えない﹂と﹁到底﹂の副詞︵つまり︶で駄目を押す必要があったの
である︒いずれも夢を︑日常性と非日常性とのめくるめく交差点と
してつかまえている︒時々と空間のぞとへ︑時空間を超えて飛翔す
るものとして把握しているのだ︒そして﹁しかし女は静かな声で︑
の はっきり たしかもう死にますと判然いった︒自分も確にこれは死ぬなと思った︒﹂と
続くわけです︒タナトスが避けらぬと悟ったのは﹁もう死にます﹂ はっきりと女が静かな声で﹁判然いった﹂からだが︑﹁自分も確かにこれは死
ぬなと思った︒﹂という文章は翻訳体の文章である︒新しい文体と文 たしか章をつくろうとした文章家漱石がそこにいる︒﹁確にこれは﹂の﹁こ
れは﹂を普通の日本の作家は取っちゃって︑書かないだろう︒それ
をあえて﹁自分も⁝⁝死ぬなと思った﹂とするのは︑あきらかに翻 プロット訳体です︒このあとに続く山場までの筋書については割愛する︒た
コ わたし コ だ﹁じゃ︑私の顔が見えるかいと一心に聞くと︑見えるかいって︑
む ロ コ の コ コ コそら︑そこに︑写ってるじゃありませんかと︑にっこり笑って見せ
む む り た﹂という﹁そこに﹂が︑なぜ﹁ここに﹂ではなかったのか︒竹盛
天雄説︵﹁イロニーと天探女﹂昭51・11〜12︑国文学︶も笹淵友一説
(『ト目漱石1﹁夢十夜﹂論ほか一﹄︵昭61・2︑明治書院︶も三上公
子説︵﹁第一夜﹂考︑昭51・2︑国文目白︶も非論理的表現の前で右
往左往しているだけだ︒前記久保田芳太郎説は直接意識はしていな む む むいが︑話のあらすじとして﹁相互に自分という存在が他我化されて
む む む む り む むいる︑ふたりきりの世界﹂とまとめている︒まだ︑久保田氏の読み が漱石が表現しようとした地点に近い︒久保田氏が類推のテキストとしたポオの﹃覚書︵マルジテリア︶﹄︵1844〜48︶﹁表現﹂︵吉田健一訳︶の中で夢と幻想について面白いことをいっている︒思想ではなく︑一種の霊妙な幻想を﹁それを仮に幻想と呼んだけれど︑それは何か名前を付けなければならないからであって︑私が言いたい
む む む影の影は︑普通言う幻想とは︑似ても似つかぬ性質のものである︒ むそれは智的であるよりも︑寧ろ霊的なものである︒その種の幻想は︑
心理的にも生理的にも完全な健康状態に於いて︑魂が極度に落着い
た時にしか起って来ない︑1番目てそれもこれから眠ろうとする︑
夢と現の問の瞬問にだけである︒﹂︵傍点︑筆者︶と︒結論から言えば む む む む む ひとみむ﹁そこ﹂とは︑あなたの眸の奥を指しているのであって︑女の眸の奥 あざやか うつに﹁自分の姿が鮮に﹂﹁写ってる﹂のと同様にあなたの眸の奥に﹁私
の顔﹂が写ってるのが︑よい証拠ぢやないかと教えさとす表現なの ロわらである︒﹁にこりと笑って見せ﹂る余裕からみて竹盛氏の言う﹁年上
コ の女﹂なのである︒久保田説を補強すれば︑たがいの眸の奥に自分
ナつつ コ という存在が他我化されて写し出された︑ふたりきりのエロスの世
界なのである︒漱石の描く夢がポォの言う﹁影の影﹂をとらえ︑霊 いざな的な幻想へと読者を誘ったのは︑女が死ぬ直前に︑その﹁魂が極度
に落着いた﹂瞬間︑しかも﹁これから眠︵永眠︶ろうとする︑夢と
うつつ おこ現の間の瞬間﹂にだけ起る霊妙な幻想だったからである︒池田美紀 子の﹃漱石とポォ﹄︵﹁比較文学研究﹄昭53・6︶や山田晃の﹃夢十夜
参究﹄︵一九九三・十二︑朝日書林︶はすぐれた示唆に富む論究であ
った︒ポォについて漱石は﹁人生﹂︵﹃函南会雑誌﹄明29・10︶という
評論で︑自己および人生の﹁真相﹂﹁心の歴史﹂について論じてもい
る︒
﹁表現﹂ということについて
九
昆
豊
さて︑﹁第一夜﹂の結びを読み返して貰いたい︒﹁すらりと﹂﹁ふっ
くらと﹂﹁ぽたりと﹂﹁ふらふらと﹂等︑擬態語の頻用が表現上の特色
となっている︒有名な﹁のっと﹂の擬態語で︑大きな赤い夕日が﹁赤
いまんまでのっと落ちて行った﹂の表現は︑芭蕉の﹁むめが・にの
っと日の出る山路かな﹂の句を受けたものである︒真白な一輪の百
はなびら こた合の花辮が開くと︑その匂いが﹁骨に徹えるほど﹂匂ったという表
現もすぐれている︒﹁白い花辮に接吻した﹂瞬間に﹁百年はもう来て
いたんだな﹂と悟るくだりも同様である︒第一夜の中で女︑ならび
に女の化身︵復活︶にキッスしたのはこの結びの場面だけである︒ にくらエロスの象徴としての接吻を最高の場面で見せた漱石の表現の憎し
さが余韻となって︑以下の第二夜以降が期待されるわけである︒講 うちどめ演の時間がなくなったら︑ここで打留にする︒
ただ︑﹁第二夜﹂の読みで︑従来の諸説に異をとなえたいのが結び
の解釈問題である︒二つ目の時計のチーンと打った音のあとに繰り
広げられるであろう世界を︑私は結論的には悟りの世界へ侍は導び
かれたものと解釈している︒漱石の﹃京に着ける夕﹄︵明40・4・9
〜11︶が興味ぶかいヒントを与えてくれる︒
﹁真夜中頃に︑枕頭の違棚に据ゑてある︑四角の紫檀製の枠に嵌め
込まれた十入世紀の置時計が︑チーンと銀椀を象牙の箸で打つ様
な音を立て・鳴った︒夢のうちに此の響を聞いて︑はっと眼を醒
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⁝ 新 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⁝ ましたら︑時計はとくに鳴り巳んだが︑ 頭のなかはまだ鳴ってゐ
こまや る︒しかも其の鳴りかたが︑次第に遠く︑次第に濃かに︑耳から︑ し 耳の奥へ︑耳の奥から︑脳のなかへ︑脳のなか・ら︑心の底へ浸 つ み渡って︑心の底から︑心のつながる所で︑しかも心の轟いて行 はる く事の出来ぬ︑遙かなる国へ抜け出して行く様に思はれた︒此涼
6
りん ね すか しき鈴の音が︑わが肉体を貫いて︑わが心を透して無限の幽境に せつおう 赴くからは︑身も魂も氷盤の如く清く︑雪甑の如く冷かでなくて いよく はならぬ︒太織の夜具のなかなる余は愈寒かった︒
夢の中で﹁十八世紀の置時計﹂の打つ音で眼をさました︒音は鳴 やり巳んだが︑頭のなかには余韻が残って﹁遙かなる国へ抜け出して りん ね つらぬ行く様に﹂さえ思われた︒﹁此涼しき鈴の音﹂色が肉体を貫き︑心を
すか透して﹁無限の幽境﹂へと赴かせるというのである︒チーンという
ねいろ音色が﹁遙かなる国﹂﹁無限の幽︵玄︶境﹂の夢の世界と︑寒い現実
とを結びつける役割を果していることに注目すれば︑第二夜におけ りんる時計の鈴の音色は﹁侍の存在を引き裂く音﹂︵久保田︶ではなく いざな りんて︑無限の幽境へ誘う︑即ち悟りへ向う音色だったのである︒鈴の
音が非日常性の夢の時空間と日常性の現実の時空間をつなげる役割
を果していることを﹃京に着ける夕﹄の漱石文が示唆していたから
である︒ 以上で散文については打切りとし︑次に韻文の表現について考え
てみたい︒
近代から現代までの詩については︑私が中心になり︑水本精一郎
氏︑首藤基糧嚢︑山本哲也氏に早川雅之氏を加えた現代詩研究会編 あ集委員の方々の御助力で編んだ﹃日本の詩﹄︵平成4・4︑桜楓社︶
を参照ねがいたい︒
時間の節約上︑別紙資料恥4の短歌について論じたい︒正岡子規
に始って茂吉・赤彦・千樫・憲吉・空穂・英一・文明・邉空・勇・
善麿・啄木・牧水・昌子・鉄幹等々︒以上漁1〜恥4までの参考資
料と資料ω②を参照されたい︒
︹参考資料︺
①おさんどん︿散文﹀
まえ おれ ♂﹁お前は俺のなんなのさア︒﹂
♀﹁それを言っちゃ︑おしまいでしヨ︒﹂ じっさい ♂﹁でも︑実際そうなんだからさア︒﹂ こいびと ♂﹁それぢゃ︑恋人ぢやなかったのかねエ︒﹂ あい ♀﹁今更!愛だなんてエ⁝⁝︒﹂
フウフ ♂﹁夫婦ぢやなかったのかねエ︒﹂
ふ と ♀﹁フウフウ⁝⁝︑吹けば飛ぶよなア︑そりゃそうよ︒﹂
あねき ♂﹁姉貴ぢやなかったのかねエ︒﹂
としナつえ ♀﹁年上だから?︒﹂
ははおや ♂﹁母親でもあるわけだ︒﹂
♀﹁なにイいってんのよオ︒﹂
♀﹁私はあんたの母親になったつもりはないよオ︒﹂
♂﹁べつに年上だとか︑年のこと言ってるんぢやないよッ︒﹂
なに かんかく ♂﹁何から何まで︑あ一しなさい︑こ一しなさいと言うのは︑母親の感覚
だよオ︒﹂
♀﹁そう言われないようにすればいいのよッ︒﹂ ばかむすこも おぽ ♀﹁そんな大きな馬鹿息子持った覚えはないよオ︒﹂
ははおやしっかく まえ おれ ♂﹁母親失格なら︑お前は俺のなんなのさア︒﹂
♀﹁おさんどんよッー﹂
一おわり一 ②羽田発福岡ゆき最終便︿散文詩﹀韻文ω ーモノレールの中での眩き一 くさ カミサン ﹁東京はオシッコ臭い﹂と︵あからさまに︶家内が言う︒ カミサン 東京生れの家内がモノレールの中倒 羽田行きのモノレールの中剛 怒気を交えて眩いた言葉が一 わが胸を撃つ︒
地下鉄大手町から東京駅へむかう︑
地下道にたむろするホームレスの姿を見て︑
カミサンおびえた家内の黒い瞳には涙が光り︑
﹁あの世にもホームレスのような亡者がいるのかしら﹂
と眩いた言葉にガクゼンとしたばかりだった︒
*
竹橋会館ではこの日一日︑
晴れ着姿の人々が溢れかえっていた︒
そのフロント︑フロアーのソファーの中矧
彼等がさんざめく喧燥の中剛
カミサン 家内は終日︑疲れたソファーの一角倒
ひっそり童女のように眠っていた︒
私は終日︑一階のフロアーのその一角周
約束したはずの友を待つ︒
一人は約束を破り︑
﹁表現﹂ということについて
昆 豊
一人は約束通り︒
カミサンひっそり眠る家内を放置して︑
二階のコーヒーハウスへ昇る︒
カミサン ︵放置された家内は夢の中倒
母そっくりのわが友を見てガクゼンとする︒︶
夫のいないフロアーのさんざめきの中剛
カミサン家内はまた他人のように眠り続ける︒
私は二階のコーヒーハウスの一角矧
喧燥から遠ざかったコーヒーハウスの一角劃
カミサン家内の母そっくりの友と久方ぶりの挨拶のかわりに︑
ビールで乾杯しながら︑退官後の再就職
その友もからんだ再就職方法を夢中で話合う︒
母校早稲田へ客員教授としてまずは二人剛
分ち合おうと︑友の同意を求める︒
母そっくりのわが友はケゲンな顔をしたが︑
を浴びせてくる︒
すでに私は昼のビールとワインで酔心地
動機に不純なものは一切ないの剛
早稲田の文学部の危機的状況から︑
評論家風に現状打開策の一手を 母校を退官する先輩の講座を私が本気だとわかって︑質問 外部の早稲田OBが果たす時だと語る︒
三
友のケゲンな表情が薄れてゆくのを楽しみながら︑
色気のない話に区切りを打つ︒
*
一階のフロアーに戻ると︑
青山葬儀所での合同葬以来︑
目黒の小田切秀雄宅周辺から︑
東京中をあちこちひきまわされて︑
カミサン疲れ切った家内が童女のように眠り続けていた︒
カミサン やがて二人に気付いて目覚めた家内は1母そっくりのわが友を見てびっ
くりする︒ カミサン わが友の優しさを見抜いた家内釧︑
恥らいながら初対面?の挨拶をする︒
カミサン家内には化粧気はないのである︒
カミサン 素肌のま・で四十代でも通用するわが家内は︑背筋をピインと張って︑友
と受け答え︒
母そっくりのわが友は︑後日を約して︑竹橋会館地下の東西線の階段へ︒
見送る我らにぎつくり首の体をひねって︑地下鉄駅竹橋へと下りて行く︒
ビル風が鳥肌立ってつめたかった︒
︵友とは早稲田に勤める先輩と
三月末には三人で︑湯布院で再会の約︶﹁東京はオシッコ臭い﹂ カミサンと家内が言う︒
私はポロ酔いの眼を西東へ転じた︒
皇居の森とその彼方に国会議事堂司
またその彼方に富士が峰洲
寒風をさえぎって飛ぶ皇居の鳥たちの
飛翔する姿と重なって見えた︒
重い荷物はペリカン便矧
おみやげに三越で買った品物も︑
ダンボ:ルにつめこんで送る手続きー
フロントの係は親切矧
帰り仕度はすぐに済む︒
しかし︑地下鉄竹橋駅は人気無し︒
次の大手町で降り立てば︑
地下の柱ごとにダンボール族一
しらみに食われた腕をさする︒
そのみじめさに目をそらす︒
彼等ばかりか︑酔いどれの
サラリーマンか 地下道に
ションベンの悪いちぢるし︒
その悪臭に堪えられず︑ カミサン鼻のよくきくわが家内は思はず鼻に手をあてた︒ 私は羽田行きのモノレールに乗りかえて︑カミサン家内の言葉に思いつく︒私が学生のころ︑国会議事堂内でションベンをしてやめたK議貝さんがおったけど︑国政を司どる国会議事堂にも︑ダンボール族︑ホームレス族︑売国奴みたいな政治屋やその他もろもろの族議員たち一悪臭にみちた選良が︑オシッコ臭いレベルにて ぎゅうじ国会議事を牛耳る︒わが日本国そのものの進路をた違がえて︑どこへ行く︒腹は煮えくりかえれども︑羽田発福岡ゆき最終便ーオシッコ臭い東京の空に飛び立ち︑みかえりて︑明りの渦ヘションベンをする︒カミサン つれ家内は機内の連ションで化粧室へ入る︒東京の空には虹が立つだろう︒
(】
繼緕O・一・二十四︶
﹁表現﹂ということについて
三
昆 豊
③ノンセンス歌︿短歌﹀韻文②
1︑学会もつるの一声なかりしを︑
淋しくもあり⁝⁝
嬉しくもある︒
×
2︑文化の日︑十三夜とは︑
おつ 乙なもの一 くら 鳥︑串刺に食う人かな︒
×
ふと ばら 3︑肥ったらガス腹になる こま ﹁ガス腹は困っちゃうなア﹂ ところ 処かまわず
×
4︑松山の学会にては多弁なりき︒
魔性のごと ぜめ 質問責にす︒
× そう 5︑﹁あッ躁かア﹂﹁それなんですよ︒﹂
そう で ﹁躁なんて⁝⁝ゲロが出そうね︒﹂ いや ﹁フルフル⁝嫌ねえ︒﹂
×
6︑﹁世の中⁝⁝バラ色ばかりなんて嘘i﹂
こんな不景気ノ
何かがおかしいよ︒
×
(】
繼繻ワ・ 一・一三︶
(一
繼繻ワ・一一・三︶
(一
繼繻ワ・一〇・二九︶
7 8
9
、
、 、
﹁第一ね︑大蔵省って何省?﹂
たみ ﹁民の生活⁝⁝
省ってあるの?﹂
×
﹁早く平常心になれノ﹂
﹁こんなに神経使っちゃ!
生きて行けないよ︒﹂
× ゆアンドロペザ星群に行きたや︒
二百万年−
光年の輝き︒
西
(一
繼繻ワ・一〇・一七︶
︹資料︺①
気楽に書き出された小説︵小品︶は面白い︒
①古井由吉﹃楽天記﹄︵平成4・3︑新潮社刊︑平2・1〜平4・9﹁新潮﹂
連載︒︶第一話﹁息子﹂︒
﹁長い旅から戻ると息子が家に帰っていた︒たっぷりとした太編みの毛糸の
しらが コ 物を着込んで︑白髪のだいぶになった頭をうつむけ︑父親の留守中に二階
すみ ざたく の隅にあたる勉強部屋の昔のままの坐卓に向かってもう半年も居るように
落着いていた︒遠くで大工仕事の音が立って日足は障子に傾いたが︑朝か oOo㌔お︒ みのがみ ら続いた晴天の匂いが黄ばんだ美濃紙からふくらんで︑晩秋ながら日の永
む む む ロ コ コ コ り り り そうな背つきに見えた︒﹂⁝⁝﹁また難儀な宿題を︑たまたま朝方に妙な夢
む む り リ コ コ を見たばかりの年寄にのこして行ったものだ︑と柿原は青年を送り出した くつぬ あとで︑沓脱ぎのところに立ってひとり苦笑した︒/そのうちに︑ここの
家で西日の差しこむのはもっぱらこの玄関口だけではないか︑とそんなご