都 鄙 人 口 に 就 て の 若 干 の 統 計 的 考 察
塚 原 仁
一 人
口 の 都 倉 化 現 象 は 人 口 現 象 に 於 け る 最 も 宙 著 な る 現 象 の 一 つ で あ る
︒ ニ ュ ー ズ ホ ル ム は 之 を
. 以 て 過 去 百 年 間 に 於 け る 人 月 の 鼓 も 船 級 的 な る
︑ 而 し て 永 抗 的 な る 特 色 の 一 に 数 へ
︑ 之 が 一 国 内 の 現 象 に 非 ざ る 事 を 指 摘 し て ゐ (
1 )
る
︒ 都 倉 化 現 象 に 封 し て は 古 来 茂 多 の 論 者 に よ っ て 諸 柾 の 諭 が 残 さ れ た る 所 で あ る
︒ 或 者 は 之 を 以 て 文 化 の 進 歩 蔑 展 の 折 遠 と し て
︑ 甚 だ 好 ま し き 現 象 友 江 と 考 へ て ゐ る
︒ 我 国 に 於 て 紀 元 二 千 六 百 年 の 紀 念 事 業 と し て 周 遊 に 在 る 田 園 村 落 を 併 合 し て
︑ 市 制 を 布 く と 云 ふ が 如 き 事 は
︑ 腐 る 通 常 た る 事 業 な り と 考 へ
︑ 昭 和 十 五 年 に 於 て 市 制 を 布 き た る も の 1 数 は 賢 に 二 十 四 を 数 へ
︑ 人 々 は 之 を 以 て 其 町 村 の 畿 展 の 表 徴 な り と し て ゐ る も の 1 如 く で あ る
︒ 人 口 が 多 く あ る と 云 ふ 事 は
︑ 俗 語 的 表 現 を 以 て す れ ば
︑ 所 謂
﹁ 景 気 の よ い 事
﹂ で あ り
︑ 叉 何 で も 大 き い 事 を 好 む の は 人 情 の 常 で あ り
︑ 此 意 味 に 於 て 軍 純 に 人 口 の 膨 脹 を 歓 迎 し
︑ 人 口 の 大 を 誇 る と 云 ふ 気 持 が 相 常 強 か る べ き 事 は
︑ 容 易 に 理 解 し 得 る 所 で あ る
︒ 人 口 一
− 二 轟 の 町 村 よ り は 人 口 三 高 と か 四 番 の 市 の 方 が 何 か 偉 い 様 な 気 特 が し
︑ 1)A.Newsholme,TheElementsofVitalStatistics.P.38.
都鄙人口に就ての若干の統計的考察 一
商 業 と 惚 済 叉其都市が後展せる詮左なりと考へらるL所に︑流行的なる市制施行があり︑町村の併合が行はれたりとする乙 主は︑誤りたりとするも事賢に速からざるものと思惟されるo勿論市制を布くととは人口が都合化Yるととでは
ない︒それは阜に玩に都合化せる人口集固に封して法律的に︑市なる資格を奥へるととに外ならざるものである
が︑そとには人口の都合化を歓迎し︑之を喜ぶ心理が士(底流を魚せるととは明かであるoトンプソンが米国に就
て大都市が益々大を致す理由の一として︑大さに封する畏敬の心理を事げてゐるが︑市制施行を喜ぶ心理が之と
共通するものであるととは云ふ迄もたい︒
如斯にして人口の都合化を喜び︑之を歓迎する心理が一般的なるかの如く考へらるLのであるが︑叉他国古の
哲人︑詩人︑宗教家は田困に紳の路理を見︑都市に人間の邪惑を見るを常とした︒此考へ方は今日に於ても亦多く
の共感者を見出す所である︒コアヘルは世界都市の成立に夕陽諸図の没落の根源を求めんとし︑都合化に具現さ
れたる文明現象に文化の墜落を観じ︑痛烈に論難してゐゐo都合化現象を文化後民の様相として之を歓迎すべき
か︑将叉之を以て文化の墜落現象として之を痛嘆すべきかは︑単純に決し符ざる所である︒そは兎も角として既
それが有する文化的︑経済的︑社合的意義を悶明するととは喫に人口の都合化現象が現賓の勢として存する時︑
緊の事に属する︒併し・ながら︑此現象の全面的なる研究の如きは本稿の如き小論の能くする所ではない︒十訟には
只此問題に関聯して都部人口に就き若干の統計的考察を行ふ事に致したい︒
W. S. Thompson, Population Problems. p. 328. R.I王orherr,Geburtenruckgang. S. 20
都合化現象は要するに人口の田合より都合への集中現象に外たらざるものである0.従て其研究の前提として︑
何を都合人口と裕し︑何を田合人口と呼ぶかを明かたらしむるを要する︒云ふ迄も友く都合人口は都合に居住す
る人口であり︑田合人口は田合に居住する人口である︒併し此定義に依つては未だ都合と田舎の意義が閤明され
てゐたいのであるから︑都合人口や回合人口の概念規定に先だって郡部其ものL区別を述べたければたらたい︒
元来郡部の別はそれ自身人口の茨積皮の厚海に依存するものにして︑人口を限れて郡部概念の封立はあり得たい
のであるから︑部部の別を明かにする事は同時に郡部人口の匡別を云々するととLもなるのである︒
素朴に都合とは田合に封︑立するものとして如何たる人の集固たる吐舎を指すかと云ふに︑人は百一に一定地域に
人口が多く集合して生活せる吐舎を指揺する・が如くである︒換言すれば都合は田合に比して人口の表積度の高い
一位舎であるとするのである︒印ち五日人は郡部を区別する椋準の一として忍に霊的なる尺度の存在を否定するとと
は出来ない︒只問題となるのは如何なる人口の表積ある時︑之を都合と呼び︑田合と呼ぶかと云ふ財である︒此
賠に於て郡部の直別は極めて怒意的と左らざるを得ない︒即ち或人口数以上を有するものは都合であり︑或人口
数以下を有するものは同合であると云ふ椋に怒定的た境界紋を劃するとと与なるのである︒例へば米図のセンサ
スピユIローに依れば人口二千五百人以上の法人格を附児されたる自治慌を以て都合としてゐる︒然るに人によ
~' b
都部人口に就ての若干の統計的考察
商 業 と 経 済
四 つては五千人︑八千人︑或比一再人を境界線としてゐる︒故上回貞弐郎博士は我図に於ける都市人口の増加を考 察するに営って人口一再以上集回の地を以て都市として論ぜられてゐるし︑叉プルグドョルファーも凋逸に就て人
口一一角を以て都郡の限界としてゐる︒如斯にして賢際家並に草者が用びてゐる人口敢による郡部の別は可成り相
違してゐる︒従て回定的たる量的標準によって一刀雨断的に部部人口を区別するととは︑都合又は田合と稿せら
る
aA
もの
tA
中に幾多の階居が存在するのみたら守︑更に士(境界に近きものは僅少の教の相遼によって都部と云ふ
が如き全く別の範障に入れると云ふが如き不合理を政てする畏れなしとしたい︒併したがら如斯は量的標準に依
って区別を設けんとする場合には常に不可止の事である︒只之によって生起せしめらるL活設が吾人の研究目的
の達成に営って左したる障碍を興へる程度のものでなければ︑それを以て満足すべきである︒
都部の封立が量的の標準に依援するものである事は以上述べたるが如くであるが︑それは又同時に質的なる封
立の存在を否定するものではないの仮令人口の茨積度は小たりとも︑換言すれば︑人口は少くとも都合的なる所
又人口はより大であっても回合的なる所もある︒
もあ
れば
︑
従て都部の区別として更に質的たる標準を持ち来
たる事が大切である︒否考へ様によっては此質的なる標準による国別が逆に人口の緊積度を規定するとも一式へ
るのである︒都部の質的区別の最も重要たるものは経済的特徴として現はるL所の都部に於ける職業構成に於け
る相遣である︒換言すれば田合が農業を中心として共職業分化が比較的車純であるのに封して︑都合が商工業︑
自由業主︿他の農業以外の職業が重要なる地位を占めて︑共職業分化が極めて複雑多岐化せる黙に於て︑都部雨
社舎に於ける特徴が者取さるaAのである︒農業が土地と結びつき︑庚大なる地域を必要とし︑人口の密集生活に
泡せざるととが田舎に於ける人口の疎漫を招来せるものにして︑商工業主(他の原始産業以外の職業は密集的生活
を寧ろ有利と宇石ものにして︑此貼よりも都舎が人口の密集を要請するととは見やすき道理である︒更に都部の
それよ¥の世舎環境を土壌として醸成し来売る保健︑教育
4吐
政治︑枇合︑経消問題をして全く種類の具りたるものとして出現せしめる︒此等の肝細に就ては農村一世舎翠叉は都 封立は士(居住者の世界観に影響を興へるのみたらみy︑
市社合問中等に於て究明せらるL所であって︑今は此問題に就て論及する事を止めたい︒(註ご
乍序我図に於て通常都合と云へば市制を布いた自治胞を指稲するが如くである︒市制を施行せる自治陪は市制
を施行せざる町村に比して人口の緊積疫が大であり︑又共文化的︑経消的特徴に於て大いに都市的たるもを抱有
ずるものにして︑此意味に於て市が都合なる事に就ては何等疑の存せざる所である︒只市制を布かざる町村に於
ても共人口に於ては却って市を凌駕するものもあり︑従て市制の施行如何を以て郡部の別を立てるととは法律的
機械的︑形式的のものと云はざるを得ない︒乍併既述せるが如く或人口数を以て郡部の直別をたずにとが︑一世舎
墜的︑経消息ナ的立場よりは寧ろ安営なるものであり︑叉従て人口階救別によって郡部の人口墜的研究を行ふ事が
より正確を期する所以ではあるが︑此に関する統計の完備せるものが依けてゐるから︑便宜市部と郡部とによっ
て形式的区別を行ふととも亦不可止の事と考へらるLO
(詰ご
ソロキン・チンマ
I T
シは郡部聞社合の官一一段なる質的並に任一一的特徴・に就き︑下記の致項に分ち封限を行ってゐる︒
都部人口に就ての若干の統計的考察
五
,
V. P. Thompson. ibid. p. 106. 4)商 業 と 経 済
..........
ノ
、
(ご職業︑(ニ)環境︑三一一)自治挫の大きさ︑(四)人口密度︑(五)人口の異質性及び同質性︑(六)批合的分化と階層化
MO
(七)移到性︑(八)相互作用組織︒グνy
ト は 都 部 雨 枇 舎 が 種 類 的 に は 呉 る も の に 非 ざ る 事 を 説 明 し た る 後
︑ 雨 者 の 比
較を行うてゐるが︑其要賠は︑(一)人口の相違︑(ニ)経済上の相違︑三一)家居︑(四﹀敦化及娯楽︑(五)思想︑(六)批
p o
合組織である
c
人口の都合化現象を把握する震には︑直接に人口の図内的移動を捕捉するととが望ましいのであるが︑主(調査
が中々完全に行はれ難い事情が随伴する矯に︑警察的届出や出入寄留屈等による調査もたい語ではたいが︑信沼山
するに足る全図的調査は殆ど見合らざる資信に在る︒総て此現象の研究に営つては人口の部部的分布に関する図
勢調査の結果に依って間援に都合化現失'を把握する方法が一般に行はれでゐる︒
第一表(単位千人) 我園に於ける都部人口の分布が如何たる設展を示したかはベ之を次表に明に見る事が出来る︒
人口階級別人口
年 失 明 治 三 十 一 年 末
五 千 人 未 満
二 回︑ 五
回 一
二高人未満 ニ ︑ { ︺
O回
二千人未満
玉 ︑九 五
一
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同
十. /
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也 六
︒ ︑ 占 一 一 一 六
回 ︑也 四
回
八 ︑ 六
O一
同 四 十 年 末
一 号八 一
三
五高人未満
一 ︑七 六
九 四 六
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︺ 四 一 五 八 六
回 二 一 一 一
十 高 人 未 七 七 一 一 満
十高人以上
一 品 ︑ 四
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︺ 屯 屯
回 ︑ 六 七
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互五
玉 ︑正 一
毛
5息 人 四 五 ︑ 口 回 ( ) 一 一 一 回 八 ︑ 一 古 一 一 一
五 一 ︑ し
唱 四 ニ
5) 京野正f9"J諜ソローキン .yイシマーマン都市と農村、前前第二軍参照
的 原澄次誇良村長土合皐、第三編・?Jt'}四ZF:参 照
大 正 二 年 末 同
ブL
年
同九年十万一日
同十四年十月一日
昭和五年十月一日
同十年十月一日
3ド
次
明治三十一年末
同
一十六年末
同
四十一年末
大 正 二 年 末 同 大ふ 年
同九年十周一日
同十四年十月一日
昭和五年十月一日
同十年十月一日
︑回 五六
末
一品
︑五 一己 回︑ () づ一 六
ニ回
︑一 一一 四六 ニ 一品 ︑ 一 岳山 (
︺ ニ 一品 ︑ ( ︺昔 (
︺ ニニ
︑五 一一 一回
︑一 ニ(
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五千人未溺
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︑九 一一 一八
(人口千人中)
五回 (︺
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屯・ ニ 一 回 一 一 一
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回︑ 四九 也 五 ︑( ︺ 一 (一 一 一 五︑ (︺ 吉山 玉︑ ニニ 九 玉︑ 占一 八 亙五
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一 一元 ・
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︑一 一三 五人
︑(
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︑九 六一
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四 六・ 一 一 一 日中 八・ ニ 〆一 一己 五二 一
右は何れも我図に於ける人口の都合集中傾向を一示すものであるが︑主数字は之を約百通りに受取り得ざる事に
ニ五 づ一
・0
ヨ 一︑ 八 屯 一品 一‑ 一︑ 五六 五 三︑ 回ニ 屯
第二表
同
""""
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二千人未部
末
六0
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五 ・一 一 一 屯ニ
四一 二・ ニ 六回
・
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・五
都部人口に就ての若干の統計的考察
八 六 人
九0
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一 一 ︑ 四
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互主
七
商 業 主 経 済
八,
注意するを要する︒先づ第一には市町村区域の鑓更に基く障碍である︒詳言すれば数ケ町村を合併して一市を設
くるが如き場合︑併合されたる町村人口はそれA¥の人口階級中よりは除かれ℃︑新に設置されたる市のより大
たる人口階級中に抱合さるL事とたり︑之が魚に宮際に於ける人口の集中はたくもそれが市に併合さるL
と一
式ふ
形式的たる鑓化に依って︑恰も人口の都市集中が行はれたると同一の結果を生やるととLなる︒従て新友る市制
の施行とか都市による近接町村の併合等の如き行政的手段による人口栄積の損大が在るととを充分に考慮に入れ
る要がある︒第二に之は特に我図に就て云ふべきであると考へるが︑我閣に於ては大正九年十月一日初めて人口
が科皐的︑組織的調査に依って確定されたのであって︑共以前は帳俗調査に基くものであって︑立︿庭に相官の虚
数の含まれてゐた事は周知の如くである︒主(一諮左は既掲第一表に於ても之を求めるととが問来る︒印ち大正九
争十月一日現在の人口総数は五五︑九六三︑O五三人たるに封し︑同年末の人口は五八︑O八七︑ご七七人とた
一三一︑二七O人である︒印ち我図に於ける帳知人口を土塁とする現住
人口によれば︑大正九年末は十月一日の国勢調査の結果に比して二百高鈴も多くなってゐるし︑大正二年が五千 っ
て居
り︑
叉大正二年末の人口は五五︑
五百十三高僚にして︑大王九年の国勢調査結果に泣い数字を示してゐるととは︑同勢調査の正確を信やる吾人と
しては︑到底之を其佳に受取る語にはゆかね︒此黙に於て上抱表は大正九年前と後とは之を一也に比設し能はざる
ものなるととを知らねばたらぬ︒乍併︑大正九年十月一日の図勢調布一を基礎として其以前に於ける数字を調繋す
叉大仰の傾向を窺知する上に於てるととも考へられ符ざる事ではないが︑主(賢行は頗る困難とする所であるし︑
は上記表の数字を用ひるもさしたる不都合はない様に考へらるLから︑暫く上掲二表の数字の示す所に従って若
干の説明を加へるととL
した
い︒
叉それが如何たる費動を示し
たるやを明かに示すものであるが︑仔細に各人口階級に就て見るに必やしも其総てが一貫したる傾向を示ナもの 第一表も第二表も我図に於ける人口の人口階級別分布が如何なるものであ.るか︑
とは云ひ能はざるものであるが︑概括的には人口五千以下の所謂農村的人口階級に所属する人口に於ては絶封敦
に於て減少せるのみたら守︑相封数に於ても減少を示してゐる︒それ以上の階級に於ては絶封数は例外もたい諒
ではないが大胞に於て増加してゐる︒特に人口十両以上の所謂大都市に於ける人口の増加は著しいの之は第二表
に於ても明白に指摘し得る所である︒印ち明治三十一年金人口の八割二分飴を占めたる人口一高未潟の町村居住
者は次第に主(割合を減じて︑昭和十年に於ては五割四分飴となってゐる︒此言はど非都合的人口の減少と著しき
封照を示すものは人口十高以上の大都市人口の増加である︒印ち明治三十一年一割にも満たざりしものが︑昭和
十年には二割五分印ち全人口の四分一を抱有するに至ってゐる︒大都市人口は約四十ヶ年間に割合に於て約三倍・
(究
数に
ては
五倍
)飴
に増
加し
てゐ
る︒
今之を諸外国に於ける同種事象と比較せんに︑濁逸に於ては一八七一年にして大都市人口は一九三三年には七
倍宇とたり︑全人口の三分の一が大都市に居住してゐるし︑仰関西にては一八七二年に全人口の九%を占めたる
大都市人口は一九=二年は一五・七.%となり︑英図に在りでは二七%たりしものが三九・八%と増加し︑叉米合衆図
都部人口に就ての若干の統計的考察
九
商 業 と 経 済
O
にては一八九O年に一五%に過ぎなかった大都市人口には一九三O年には二八・八%どたり︑濠測は一九
OO
年
頃にコ二二%たりし大都市人口は一九三三年には四七・五%と震に全人口の約宇教を占むるに至ってゐる勾之に依
って之を見れば我閣に於ける大都市膨肢は其速度並に其分量に於て欧米諸国に比してさしたる遜色を示さいふるも
のと
一式
仏得
る謹
であ
る︒
都合化現象が既に奥へられたるものとすれば︑次に問題となるのは此都合化現象の分析でたければならぬ︒市巴
して其分析たるや之を種々なる角度より行ひ得るのであるが︑認には恰も事業合計に於て吸収されたる資金が如
何に運用され売かを明かにするととによって︑資本運皆の誼否が判断さるtふと同様の方法によって︑増加入口の
行衛を探究するととにしたい︒既に述べたる如く︑大正九年以後と以前との数字は之を同日には論じ得ざるもの
であるから︑悲にば大正九年以降の統計に就て述べるととL
ずる
︒ 第 三 表 人 口 階 級 別 人 口 増 減 表
大 正 九 年 に 封 ず る 大正十四年の増減数
大正十四年に封ずる 昭 和 五 年 晴 減 数
回︑ 七一 一ュ
︑一 八一 一一
昭 和 五 年 に 卦 す る 昭 和 十 年 宿 ー 減 数
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︑八 九六
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︑一 一元 四ご 一一
︑六 六七
〈一) (ー) {ー) Eヨ
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︑ニ ニ回 六五 回︑ (︺ ニ一 品
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(一〕 八・ 八
判ニ(︺・五
五千人以上一高人未満
九九六︑八三回
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R. Korherr, a. a. 0., SS. 2G, 27.
一高人以上二高人未満
回 八 八
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︺ 一
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五 一 宍
︑ 四 一 一 一
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一 三 五 ︑
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ニ 一 号 一 ︑ 六 八 ‑ 一
九 五 也 ︑
回 九 九
七 回 ︒
︑ ( ) 五 一
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︑ 一 一 五 五
(一)
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一 ︑ 一 三
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証. L'$..
十
人
高
六 ︑ ( ) ゴ 一 六 ︑ 七 人 一 告でデパ
Iルシュは﹁都合人口が密集し得るのは田合の犠牲に於てどある﹂と述べた以内︑此事震は右表に於ても 目
、 上
五 子 占
五 八 ・
一 一 一 一 千 占 極めて明白に指摘し得る所である︒印ち大正十四年に於ても︑昭和五年に於ても前の調査年次に封ずる総人口の 増加数の牛数以上が十高人以上の大都市に於いて増加してゐるのに封し︑五千人未満に於ては却って減少を示し てゐる︒殊に著しいのは昭和五年に封する昭和十年の増加にして総人口の増加数以上の増加が大都市に於て現出
してゐるが︑之には所謂大東京︑九大阪の出現が其主要原因であって︑其教が示す通りに大たるものではたく︑
相営割引を要すべきは云ふ迄もたいが︑
それでも相官大たる大都市への集中が行はれ売る事は想像に難からざる
所である︒そとで問題となるのは此人口の都合への集中が何に原因するものであるかと云ふ事である︒一式ふ迄も
なく︑人口の増減を規定するものには出生死亡と云ふが如を自然的原因と人口の来牲の如き社合的原因に因るも のとがある︒従て吾人は右去に於ける人口十官円以上の大都市に於ける人口の者増を以て皐純に都合化現象とし て︑之を片づける事は許されない︒郎ち其増減の何%が自然的原因
r
基くものであるか︑叉士(何%が社合的原因に因るも︑のであるかを明かにするを要する︒併しながら之は頗る困難なる事である︒査し人口の来往に関する正
確たる統計が存せざるが故である︒従て此吋引に関する分析は必然に人口静態に於ける変動と人口の自然的動態と
都部人口に就ての若干の統計的考察
E. Levasscur, La Population Francaise, II. p. 338. 8)
h質 ・旧に 払就
仰h 戸性
FI 4μ
o晴生残者数を賢際人口数︑換一一目すれば一年齢階級叉二年齢階級をやらした人口と比絞するたらば︑之に依って人口の伽同
的
・ 問 中 肌
来往に因る教を推計し得る語であるo併しながら︑各都市叉は郡部別の各年齢階級別の正確たる死亡率を確定しM涼 其生残率を知るととは特殊の場企を除いては頗る困難とする所ぞあるo
印 ち 猪 問 慎 一 氏 が 東 京 市 に 就 て 其 増 加 入 a ピ
閣時 日 中 州
E 唱 団 第
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商 業 と 経 済
に基いて推計を行ふ事によって︑間援に都合化現象の程度に就ての認識に到達し得るに過ぎない︒之に次の如き
方法がある︒印ち或調査年次に於ける五歳又は十歳階級別人口に就て︑調査年次問に於ける各年齢階級別の正確
なる死亡率を計算するととに依って︑十年なり五年たり後に於ける同年齢階級の生残者数を計算し得るから︑此
口の分析を行はるLに営って︑大正十四年と昭和五年に於ける全国人口とに依って全図的に各年齢階級の生残率
を算出し︑之を大正十四年に於ける其年令階級の東京人口に来やるととに依って昭和五年に於ける東京の推計人
口を算出し︑之を現賓の人口と比較する簡便方法を採られたる所以である︒此方法は確かに筒便たる方法ではあ
るが︑同氏も認めて長らるL様に︑﹁東京で全国と同じ割合で人間が死ぬとすれば﹂と云ふ僚件を前提とせるもので
あるが︑東京と全国との死亡率又従て﹁生残割合が同一であると云ふ仮定は必守しも支持し得ないから︑﹂その﹁結
果に封する解程が多岐に分れて︑甚だ不完全なるを菟がれないが︑併し極端な或は顕著なる数字が結果として出
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て来れば︑叙上の解躍の目安を利用して︑或程度迄の判断はつくであらう︒﹂
更に間接に都合化の程度を測定する方法としては︑郡部に於ける図勢調査時に於ける人口に次の図勢調査時に
至る期間に於ける人口の自然増加を計算し︑之を加へたるものと現置の図勢調査の結果とを比較せんとするもの
である︒此方法は総括的に人口の都合化の程度を知らんとするものであって︑大局的に人口増加のどれだけが人 口の来往住に依るものであるか︑自然増加に依るものであるかを明かにするととが出来るo美濃ρ
悼次郎氏は此
方法に依って我図に於ける人口の都市集中を研究して居られるが︑共結果を示せば次の如くである︒
本邦市部人口の増加第四去
大正九年!大正十四年 大正十四年
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昭和五年 昭和五年
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昭 和 十 年 大正九年
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大正十四年 大正十四年
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昭和五年 昭柏五年
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昭 和 十 年
合同
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* 右去に於ける噌加数は昭和十年に於ける市域に就て煩雑なる手績によって計算換されたるものである
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方去は明かに都市に於ける人口の膨脹が自然増加よりは世舎的原因に依るものである事を一不すと同時に︑郡部
人口が自然増加に於ては郡市人口に勝れるも︑社合的原因によって︑主(増加が透かに都市人口に及ばざる事を如
買に示してゐる︒
本邦郡部人口の増加
中 小 一 ︑
ニ 一 一 一
八 ︑ 一 一
二 ニ 一 一
一 ︑ 一 回
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八 中 小 ニ ︑ ( ︺
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︑ 六 五 回 ︑ 八 一 都町人口に就ての若干の統計的考祭
五 ・ 回
五 ・ 九
一 一
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占 ・ 六 回 ・ 屯
八 ・ 占 回 ・ ロ
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美濃口時次郎,人的資源論.p. 188.
11)
商 業 と 経 済
四
兎も角も此方法に依って社合的原因や自然的原因に基く都部人口の増加の割合を明かにする事は出来ても︑其
増加が男女何れの階級に多きや︑叉如何なる年齢階級に於て人口の来往が大であるか等︑人口の社人目的流動の態
様を知るととが出来たい憾がある︒
何れの方法に依るにもせよ︑人口の都合化現象の民認識に到達するに常つては︑先づ郡部に於ける人口の構成
並に主動態(自然的)に現はるふそれ
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の特色を把握するととが︑此問題を解明する前提を魚すととは疑なき所
である︒依って次に都部人口の人口準的特徴の芳干に就て筒車に考察するととL
し売
い︒
四
都部人口の構成的特徴を明かにするに営つては︑之を種々の立場より検討すると之が出来る︒躍性構成︑年齢
構成︑出身地構成︑職業構成金寸は其主なるものである︒此中位性構成に就ては﹁郡部と性比﹂たる拙稿に於て概説
した事があるが︑ザ訟には年齢構成との関聯に於て述べるととふする︒(統計皐雑誌第六百五十二波多照)
年 齢
1菩 成
我図に於ては人口の年齢椋成に於ける郡部の特徴を示すべを人口階級別の統計は後表されてゐないから︑認に
は市部及び郡部に之を分ちて検討するととL
した
い︒
第五表昭和十一年に於ける都部年齢構成