インド鉄道の近代化
三 輪 吉 郎
1.序
2.19世紀におけるインド鉄道 3. インド鉄道の近代化 一1900年より1939年まで一
(1)建設過程
(2)行 政 (3)財 政 (4)経 営
4. 身ンド鉄道における諸問題 5.結 語
序
19世紀における英国の対インド経済政策は・支配国の利益を第一とする典型的な植民地 経済政策であった。しかし乍ら斯る対インド経済政策は,19世紀の未葉に至り漸く激しい非 難を受けるに至り,やがて英国支配に対して大なる反対運動を惹起せしめることとなり,
凡ゆる人々はインドにおける英国支配の結果を批判し,完全なる経済政策の自立を要求し はじめた。かくて20世紀に入るやインドの経済政策は大きな転換を迫られ,従来の支配国 優先の政策から次第にインド自身の利益の政策へと変革していったのである。
20世紀初頭における斯る政策の転換は鉄道政策においても例外ではなかった。出現以来 19世紀の50年間に一応の完成をみたと言われるインド鉄道も,度重なる建設政策の変換に よる複雑な所有並びに経営組織と支配国優先という歪められた鉄道政策をもち,その発展 の歴史は又典型的な植民地鉄道発展の歴史でもあった。20世紀に入るやその鉄道政策は数 々の非難を受け,植民地政府もその経済政策の転換と共に鉄道政策についても次第に熱心 に検討をはじめ,多くの鉄道改革のための委員会を任命して研究せしめ,19世紀における 数々の諸問題を改善するに至った。本論文は1900年より第2次世界大戦前までの斯るイン
ド鉄道の変革の過程を,インド鉄道の近代化として論ぜんとするものである。
二 19世紀におけるインド鉄道
19世紀の初頭,産業革命による英国産業の発展は,当然英国の植民地にも多大の影響を 与えた。莫大なる天然資源を蔵する広大な植民地であるインドも,当然此の影響を受け,
168
社会及び産業の構造に多大の変革をもたらした。その影響のうちで,最も大なる変革を与 えたもの㌧一つは鉄道の出現であろう。インドを原料資源及び綿製品のための市場とみた 綿業者達は,自己の販路の拡張と原綿を速かに輸送するために鉄道建設を希望し,又当時 英国において急激に発展しつ\あった鉄鋼業も,その市場拡張をインドの鉄道建設に期待 し,又貿易時代蓄積せられた巨額の資本は,政府の保証による鉄道建設の如き安全で信頼 のおける投資を望んでいた。一方インド国内においても,打続く内乱鎮圧のための大量か つ迅速なる軍隊輸送という軍事目的と海外貿易促進という商業上の目的に加えて,飢謹救 済のためにも鉄道建設への意欲が高まり,かくして1853年東洋最初の鉄道をインドに出 現せしめた。以来今世紀に至るまでの50年間に,インド鉄道は一応の発展を遂げたと言わ れているが,しかしその発展過程は決して順調なものではなかった。
19世紀におけるインド鉄道の発展過程は,大要次の三つの時期に分けられる。
第1;期 保証会社による建設及経営の時代 (1850年〜1868年)
第2期 政府による建設及経営の時代 q869年〜1$82年)
第3期 私的会社による建設及経営の時代 (1882年〜1902年)
インド鉄道は,最初建設資金の利子保証を政府が行う私的会社,所謂保証会社(Guara・
ntee Campany)により建設せられ,かつ経営せられた。 しかし建設資金の増大と共に 政府の負担が増大し,そのため1869年,以後の建設は政府が直接行う事とし,政府により 建設せられた鉄道は政府が所有,経営を行った。しかし政府の財政的窮乏と飢謹救済のた めの鉄道建設の促進が測られ,1882年以後は再び私的会社の建設経営を許す事となった。
斯くして19世紀において建設せられた鉄道は,約25,000哩に上ったが,しかし之等鉄道 の建設は様々な問題を残すこととなった。之等の問題点を列挙すると次の如くである。
1。種々なる方法で建設せられた鉄道は,様々な所有経営管理形態を生むこととなっ た。即ち,政府の所有経営する路線,政府の買収により政府が所有し会社が経営する路線,
会社が所有経営する路線,独立州(native state)が所有経営する路線,独立州が所有 し会社経営による路線,その他種々の形態がとられ,1900年には33の個別管理機関があっ たと言われ,その態様は極めて複雑であった。
2.保証会社に対する政府の保証は,政府財政に多大の負担を与え,又鉄道財政にも多 くの問題を残した。
3.軌幅が統一されず,連絡輸送が極めて不便であった。
4.鉄道運営において輸出品目が優先せられ,旅客輸送にも差別が行われ,運賃政策に も合理性を欠き,植民地鉄道の悪弊をもっていた。従って斯る政策はインド産業とインド 民衆に必ずしも好結果をもたらさなかった。
5.鉄道出現による急激な産業の発展により,/ンドの産業構造に格差を生じ,それが ため鉄道の出現は必ずしもインドの利益とならなかった。
等々である。
勿論鉄道の出現はインドの産業と民衆の利益に大きく貢献したこどは言うまでもないが 以上の如き諸結果から・インドの鉄道は・20世紀に入り・あらゆる面におけぐ再檎詳が必 要となり,近代化への脱皮を迫られたのである。
(1)
註(1)19世紀におけるインド鉄道の発展については長崎大学東南アジ ア研究所研究年報第一集81頁一 134頁の拙稿を参照されたい。
三 インド鉄道の近代化
一1900年より1939年まで一
19世紀におけるインド鉄道は,一応の完成をみたと言われる程発展した。今世紀はじめ におけるインド鉄道の発展情涜を当時の主要各国と比較してみると第一表の如くである。
(1)
第 一 表
国
名 機方則人 ・i鑓開点数三三制鯉揚郵イギリス(1902)
ドイツ(1901)
フランそ1(1902)
煽謄(19禰.
イ タ リ F一 (1903)
日 本 (1901−1902)
インド(1905)
ロシヤ帝国(1902)
アメリカ合衆国(1902)
121,02了
208,830 ,207,050241,330 110,550 161,113
、」,了65,18了
、β,660,395 3,567,560
4・2,3了2,556 56,367,180 30,961,950 45,40与,270
、.32,961,000 46,634,000 2=94,884,56了 129,004,520 76,303,400
22,152 32,878 24,249 22,917 9,960 4,116 28,054 37,28了 203,132
1,913 1,714 1,607 1,981
3,309 11,330 10,511 3,460
376
5 6 8
10
11
39 63
232 17しかしその発展は様々な形態でなされ,1.かつ必ずしも合理的な発展を遂げだものでなく 多くの困難な問題を有していた。今世紀に入るや漸く之等のインド鉄道のもつ諸問題の検 討が呼称されるに至り,イ・ンド鉄道は漸次近代化の過程を歩みはじめた。本節では1900年
より第二次世界大戦勃発前(1939年忌で)をインド鉄道の近代化の時代としてその過程を 建設,行政,財政,経営の諸点つき論ずることとする。
(1)建設過程一
ω 建設情況 1900年に24, 752哩の哩数をもって20世紀に入ったインド鉄道 は,1939年には,41,156哩に達し約18,400唾の建設哩数を得たが,此の様な発展情況も決し ・1(2)
て順調なものではなく,第一一次世界大戦と1929年から30年にかけての世界的大不況に遭遇
170
し,苦難のうちに建設が進められた。その建設情況を年代順にみると第二表の如くである。
(3)
第二表 インド鉄道建設情況 1900〜1939
年
代延 哩 数
年 代
延 哩 数
1900
24,752
1926
38,579 1903
26,956
1927
39,049 1905
28,054
1928
39,了12
1908
30,576
1929
40,950 1914
34,656
1930
41,724 1919
36,616
1935
42,805 1920
36,735
1936
41,073 1925
38,270
1939
41,156
1900年より第一次大戦前の約14年間には,40年間の建設哩i数の半数以上である9,894哩 が建設せられ,年平均約707哩に達し,その進展情況は満足すべきものであった。しかし 乍ら第一次大戦が勃発するや建設の進度は急速に弱まり,1914年から1925年の約11年間に わずか3,600周前建設されたにすぎず,年平均325哩が建設せられたにとゴまった。 (此の 間における最高は1913年から14年の1,172哩,最低は1917年から18年の47哩である。)今世 (4)
紀に入ってから1924年までに新しく開通した路線(但し50哩以上のもの)は第三表の如く (5)
である。
第三表 1903〜1924に建設された50マイル以上の重要路線
路 線 名
1.Agra・Delhi Chord 2.Cawnpore・Banda 3.Burwa Extensions
4. Southern Shan State
5.Piyumana・Taungdwingyi 6.Moulmein・Ye7.K:alka・Simla&Kohat Tha1 8.Srtpura
9.Morappur・Hosur 10.Pwruali・Ranchi 11.Trans・lndus 12.Ballarsha・Warranga1 13。Travancore
14. Jaipore
15。 Morvi
16.Hingoli Branch
鯉山三障幅
州 路 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃
線
半独立州路線 〃 〃 〃 〃
5/6
〃
メ戸トル
〃 〃 〃 2 6〃 〃 〃 〃 5/6
メ門トル
〃 〃 〃開通年度 1904 1913 1907 1912 1922 1923 1903 1903 1906 1907 1913 1924 1904 1905 1905 1912
開通哩数
123
76
188
8667
70112
627
73115
162 5896
179
90
50路 線
名
摩理繊纐隊酬開通鞭陣融数17.Secunderabad・Gadwa1 18.Kolar District 19.Ludhiana Extension 20.Amritsar patti 21.Sutlej Valley 22.Jullunder・Doab 23.Sara・Serajgunj 24.Elichpore・Yeotma1 25.Jacobabad・Kashmor
26.Darjeeling Himalayan Extension 27.Chaparmuk・Silghat
28.Baukura・Damodar 29.Mymensing Bhairabbazar 30.Jamnagar・Dwarka 31.Bezwada.Muslipatam 32.Baraset・Basirhat 33.Sal)adhara・Saharanpore 34.Arra.Sasaram
半独立州路線 〃リベ戸ト契約に
よる地方路線 〃
〃 〃 〃 〃 〃 〃
保証契約による 地方路線
〃 保証及リベFト契 約による地方路線
〃 地方鉄道路線
補助会社
〃
〃
メートル
2 6 5/6
〃 〃 〃 〃
2 6
〃
2/0
メFトル
2/6
メρトル
〃 〃2 6
〃 〃
1916 1913 1905 1906 1940 1912 1915 1913 1914 1914 1920 1916 1917 1922 1908 1905
1907 1911
108 64 153
54127 133
53118
7795
5160
10166
52 52 9365
戦時中における鉄道は,戦略物資や軍隊の輸送,船舶貨物の鉄道への転換等により施設 は過重にあえぎ,資材の輸入が不可能なため路線施設は荒廃し,又一部の鉄道は,撤去さ れてアフリカその他へ送られるなど発展よりもむしろ退化の時期であったと言い得よう。
しかし,此の期間に戦略のための路線は約2,000哩建設せられている。
(6)
1925年,戦後の打撃から漸く立直り建設も順調に進展するかにみえたが,しかし1930年 の大不況はインド鉄道にも大なる影響を与え,建設はあまり進展せず,1925年から1939年 の15年間に約4,700哩が建設せられたが,このうち約1,800哩は,ビルマの分離と共に減少
した。
@建設政策 鉄道建設に対するインド政府の政策は,基本的に1925年までは 19世紀においてとられてきた従来の政策に従ったものであった。既設主要鉄道の延長につ いては,その建設主体は夫々の管理主体により行われ,従って州政府,半独立州政府,保 証会社及び補助会社等により行われ,此の方法は新設路線においても同様であった。しか し,新設路線においては,19世紀の終りにおい℃,政府が支線及び倍界線の建設に力を注 ぎはじめ,又多くの重要路線の所有権が政府に移譲されつ㌧あったことにより,第四表の (7)
ぐζく,主とレて州政府,半独立州政府及び文線会社が中心とレて建設を行った。
172
第四表 管理主体別建設路線数及哩i数 1924
営 理 主 体 路 線 数 哩 数
1.
2.
3.
4.
5。
6.
了.
8.
9.
10.
州 政 府
補助会社(州政府)
半独立州政府
半独立州政府による保証又は補助会社 保証契約による支線会社
リベード契約による支線会社 保証とリベード契約による支線会社
地方鉄道局
地方鉄道局による補助会社 援助をうけない会社
計
23
2 19
3 919 2
5 4 389
2,035 117 1,010 139 277 1,165 16了 140 187
30
5,267
支線及倍二線の建設については,当初政府はポンドの保証を行わない民間会社による建 設計画をたてたが,これは失敗に終り,そこで1893年,ルピーを資本とする会社を設立し 之に対し特別の支線及倍養線建設の契約条件をあた:える政策を計画した。この契約条件は 次の如くである。
(8)
①土地は自由に提供する。 ②調査は政府の負担で行う。 ③資材は特別運賃で政府 鉄道により運搬する。 ④車輌の供給維持は政府により保証せられ,又路線の運行は特 別賃率で幹線鉄道の管理者が行う。 ⑤資本の4%の配当が幹線路線の収輩から保証さ れる。
此の様な契約条件は,1895年,・1896年に一部修正され,路線の建:設場所及び二幅,哩数:
等すべて政府の監督の下で決定することや,保証の方法は,政府が3%の保証を行うか,
幹線鉄道から3。5%のリベートを行うか又はこの両者を摘要するかの何れかにすることと した。かくして政府は支線及倍養線の建設を促進せしめようとし,此の契約条件を長期に わたり行うことを宣言したが,此の様な条件は,当時の金融市場の事情もあって民間会社 にとって何の魅力にもならず,1898年から1909年にわずか二つの支線建設の小会社が作ら れたにすぎなかった。1903年,ロバートソン委員会(Robertsgn Committee)は之等の (9)
条件の緩和を勧告したが政府のとり上げるところとならず・1908年・インド鉄道の経済及行 政問題調査のために任命されたマッケィ委員会(Mackay Committee)も,主要鉄道会 社は自力で支線建設を行うべきであり,政府の統制を緩和すべきであるという勧告を行う
に至り,1910年,一部変更を認め,更に1914年に再度修正を行ったが,依然として支線及倍 養線の建設は政府の計画通りの進展を示さなかった。
1920年,斯る状態に対し,アクワース委員会(Acworth Co1nmittee)は7支線及倍養
線会社は無用のものであり,自ら資金調達も充分行い得ず,結局政府と主要鉄道会社の負 担をますだけであることを勧告した。
1925年,以上の如き政策の失敗から政府は此の支線建設政策を全く拗棄し, 以後は夫々 の管理主体が独自の政策で行うこととしたのである。
既述の如き支線建設の変i換と共に1925年,政府は鉄道の完全な国有国営への政策を決定 し,それに依り鉄道建設も以後は殆んど政府の手で行われる政策がとられること\なった。
第五表 軌幅別鉄道建設情況 1900〜1939
年
広軌(5/6 )
メ・一トル軌幅 (3/3 ) 狭軌(2,6 )(2/0 )
計
年
広軌(5/6 )
メートル軌幅 (3/3 ) 狭 軌 (2/6 )(2,0 )
計
1900−1
13,900 10,110742
24,752
1925−26から 1929−30平均 19,692 16,423 3,886 40,001
1903 14,477 11,421 1,058 26,956
1930−31から 1934−35平均 21,074 17,585 4,146 42,805
1908 15,951 12,863 1,762 30,576
1935−36 21,196 15,704 4,158 41,058
1913−14 17,641 14,389 2,626 34,656
1936−37
21,19了 15,了18 4,158 41,0了3
1918−19 17,994 15,078 35,44 36,616
1937−38
21,19了 15,757 4,122 41,076
1924−25 18,782 15,了65 3,723 38,270
1938−39 21,154 15,899 4,103 41,156
㈲ 軌幅問題 インド鉄道の悩みの一つは,種々なる軌幅をもって路線が建設 せられたことにあったが,此の期間においても依然として第五表の如く種々なる図幅をも 層・(10)
つ路線が建設せられた。しかし乍ら斯る多種類の軌幅をもっことは,鉄道の連絡輸送等の能 率的運営を妨げるもあであり 軌幅統一の問題が大きな課題として論議せられた。1903年ロ バートソン委員会は,様々な軌幅を採用したことはインド鉄道の大きな誤りであり,その 中で多くの部分を占める広軌の採用も必ずしも妥当でないとの見解を表明した。インドに おける標準軌幅は広軌の5/6 とメートル軌幅の二つであったが,ロバートソンは, イン
ドにおける広軌路線は欧米の標準三幅より大であるにも拘らずその効率は悪く,むしろメ ートル振幅の方が効率を充分に発揮している。従って広軌はメートル軌幅程役立っていな い。並幅の統一は,単に輸送費用の増大のみならず輸送の遅延を打破するためにも望ましい もの働御と述べ此のためには欧米の騨軌幅である4・8妾〃に続する・こと稀回し
た。軌幅の転換は,莫大な転換費用と運行の不備による運行費用の浪費との比較において
(11)
決められるものであろうが,ロバートソンの見解に対し,軌幅の転換は通常でも莫大な費用 と長年の期間を必要とするものであり,従って両者共転換するよりもどちらかに統一する 方がより望ましいとの論議が多かった。当初メートル軌幅への統一の見解もあったが,19 Q6年のアプコット(Sir F, upcott)の見解やアクワース委員会の見解又1922年のロイヤ
1了4
ルドウソン(F.G. Royamawson)の見解等は,何れも広軌の運行能率を改善して之に 統一することを望んだ。しかしメートル軌幅を広軌に転換する事について,広軌にするか,
メートル軌幅を複線にすべきかに問題があり,種々なる論議が交わされた。この様な種々 な論議にも拘らず,インド政府は軌漏話一一について何等の決定的な見解も持たず,結局は 従来の政策をそのま\踏襲し依然として四種類のま\建設が続行されたのである。
(2)行 政
α)国有国営化について インド鉄道の最大の苦悩は,過去における幾度か の建設政策の転換によりその所有と経営が多くの場合別個の機関により行われ,又種々な 管理機関をもつことであった。1900年には,既述の如く24の民間会社を含む33の管理機関 が存在し,その形態は次の如きものであった。
(1鋤 1 会社経営に依る州政府所有路線
2 3 4 5 6 7 8 9 10
此の様な複雑な組織は,
を阻害していた。政府は19世紀の末葉より主要鉄道の所有権の獲得を行いっ〜あったが,
経営管理は依然として鉄道会社に委託され,政府はあらゆる統制権をもってはいたが未,
だ自ら経営を行う完全な国有国営への政策にふみきれなかった。インド政府をして此の様 な政策に踏切らしめなかった重要な原因は,鉄道が未だ充分な経営を行い得ず赤字経営で あったこと,当時他国における国有国営鉄道の経営状態が必ずしも順調なものでなかった
ことによるが,しかしアンスティ(V.Anstey)も指摘するごと之,インド鉄道は完全多 ⑬
数の民営鉄道が存在していたにも拘らず,之等の民営の鉄道は政府の厳重な統制の下にお な国営でなくかれているため,民営鉄道のもつ利益も,又国営の利益ももたずたゴ国営鉄 道のもつ欠陥のみを備えていたと言い得るであろう。
(1の
今世紀に入るや此の様な管理組織上の欠陥は,何等かの形で是正されるべきだとの動き が強まってきた。
1903年,ロバートソンはミ直接鉄道を政府が経営することは利益よりも不利益を増加さ せる9しかし現在の鉄道;運営の朱敗は,政府政策の欠陥よりも政府と会社という経営上の
州政府の所有経営する路線
旧契約の保証会社の所有経営する路線 新契約の保証会社の所有経営する路線 地方局(District Board)に依る路線 補助会社の所有経営する路線
会社経営に依る半独立州所有路線
州政府に依り経営せられる半独立州所有路線 半独立州の所有経営する路線
外国地域の路線
インド鉄道の機能を著しく害い,又鉄道の産業や民衆への貢献
二重性格が原因である。従ってこの様な二重性格は解消され統一されなければならない。
政府はすべての鉄道を会社経営にゆだねるべきであり,そうすることに依り国家はより多 くの利益を得,又適正な競争により民衆もより利益を亨出することとなる。 と勧告した。
㈲ 又マッケイ委員会も1908年,政府の負担を除くため会社に経営をまかせるべきであること
を勧告した。
一方インド民衆の意見は異っていた。植民地的な鉄道政策による高まれる高運賃政策や 輸出貨物への優先及び人的差別政策等は,当時インド自立主義が高まりつ、あったことと 加えて民衆を刺戟し,鉄道をすべて国有国営として之等の欠点を是正し,正しい政策で鉄 道の運営が行われることを主張していた。
しかし政府ぽ何れの見解にも同意せず依然従来の政策を保持していた。
第一次世界大戦終了後,戦争の影響によるインド鉄道の疲弊はサービスの悪化と運賃の 騰貴を招来し,民衆の鉄道への批判は再び厳しくなった。民衆は政府がその経済政策を樹 立する場合インド自体の利益を第一と考えていないことを指摘し,鉄道は完全に国有国営 化され,インド民衆の利益を第一として運営すべきことを強く主張した。更に,1919年,東
インド鉄道会社の契約満了の時期が到来してより重大化した。此の契約は一時的に1924年 まで条件の変更なく延期せられたが,政府1ま国営の問題を充分に検討するため,1920年,ア
クワース(William Acworth)を委員長とする10人の委員からなるインド鉄道委員会
(lndian Railway Committee)所謂アクワース委員会(Acworth Committee)を
任命した。
アクワース委員会においては,現状は満足すべきものではなく,インドの鉄道がインドに 在住しない英本国の会社により運営せられることは,望ましくないことには意見の一致を みた。しかしそれに代るものとして,如何なる経営形態が良いかという点については意見が 異っていた。委員長のアクワースを含む5人の委員は,責任を分割さ津る制度は能率を促進 せしめ得ないものであり国営が望ましいとの意見をもったが,一方口の5人の委員は,英 国にある会社からインドの会社に経営を行わしめるべきだとの意見をもった。しかし結局 は斯るインドにおける会社による経営は実質的に政府との関係なくして会社を設立し得な いものであり,従って事態を何等好転せしめないものであり,国営こそは,経営を合理化 し運賃を低廉化しインド人にも外国人にも公平な取扱をなし,より良き施設をもたらすも のであるとの見解が容れられた。
(1励
1921年,アクワース委員会は,現状は満足すべきものでなく,又インドの事情は他国とは 異っており,国営こそが最も望ましいものであり,インドの交通の発展は交通機関が国家 により所有され経営される時のみに可能であることを勧告した。
従来国営問題に決定的な見解をもたなかった政府は,此の勧告を殆んど受容れ,1923年,
インド行政会議(Indian Legislative Assemhly)に国営議案を提出し議決された。こ れによってインド鉄道は,国有国営への歩みを確立せしめ,1925年,東インド鉄道と大イン
176
〆
ド半島鉄道の二大鉄道の経営権を取得し,以来1950年までに漸次国営化すること≦なった のである。
㈲
@ 監督機構の改革 インド政府は,20世紀に入るや鉄道監督行政機構を 強化改善する事を意図し,1901年内務大臣により鉄道行政の調査を目的とする既述のロバ
ートソン委員会を任命した。ロバートソンは1903年勧告書を提出し,既存の公共事業省(
Public Works Department)の鉄道部に代る鉄道業務に明るい三人のメンバーからなる鉄 道監督庁(Railway Controlling Authority)の設立を勧告した。政府は此の勧告を受 容れ,1905年,公共事業省の鉄道部を廃止し,1905年鉄道局法(Railway Board Act,1905)
を制定して,特殊の鉄道局(Railway Board)を設立した。新設の鉄道局は鉄道に対する 審査と監督のあらゆる権限があたえられ, その長は総督評議会(Viceroys Council)の
メンバーであり,又鉄道局は通商産業省(Department of Commerce and Industry)の 下におかれた。
鉄道局の職能は次の如くである。
(18)
1 鉄道支出計画の作製 2
3 4 5 6 7 8
鉄道政策と行政に関する問題の検討 国家による新路線の建設と開通路線の業務 経済性と公共の利益のための鉄道経営の改善 直通輸送への調整
民間鉄道会社所有並びに経営路線に対する監査 鉄道に関する事件の処理
国有国営鉄道のスタッフの監督
斯くして鉄道監督行政機構は改革せられたが,しかし鉄道局の活動は通商産業省による 過大の千渉と監督の行過ぎのため円滑に行われず,その機能を充分に果し得なかった。19 08年,マッケイ委員会は,通商産業省の不当な干渉を排除し,鉄道局の権限の拡大を勧告 し,その結果鉄道局長官の権限は拡大された。1909年には技術顧問(Collsultant Engille er)が鉄道局の技術諮問機関として設けられた。此の様な再度の鉄道局の強化にも拘らず
その機能は依然円滑に行われなかった6鉄道局は総督評議会の産業メンバーの監督の下に あったが,此のメンバーは鉄道閥題を充分熟知せず,熱意ある態度を示さず・その発展を 測ろうとしなかった。
1920年,此の様な鉄道局の在方に対しアクワース委員会は鉄道監督行政組織の改革を次 の様に勧告した。
α9
1 鉄道や他の交通機関を発展させるために新しい省一運輸通信省(Department of Communications)を設置すべきである。
2 此の省め下に鉄道委員会(Railway Commission)を設け,その長に鉄道委員長
(Chief Commissioner of Railways)を置き,更に補佐として財務委員(Filla−
ncial Commissioner)と他に鉄道を地域的に東,西,南の三区域に分割し夫々に委 員を置く。
3 鉄道局の技術部門を強化すべきである。
4 鉄道局は独自に活動しうる権限を許容さるべきである。
5 一般産業界との関係を円滑にするため専任の委員を設けるべきである。
政府は,之等の勧告に対しすべてを受容れはしなかったが,鉄道局は1922年再編成され た。政府は鉄道局の名称を変更する事は許容しなかったが,再編成されたものは勧告案に一 部従ったものであり,鉄道委員長が1922年鉄道局の長官として任命され,その権限は大幅
に強化され,旧鉄道局長官の権限に加えて,他の機関からの干渉は一切無視し得る力をも つこと\なった。政府はインド鉄道を地域的に分割する案は拒否したが,鉄道局の委員は 増加され,財務委員と技術顧問が任命され,更に1924年,1929年にも夫々増員を行ない,
労働問題処理の専任の委員も加えられた。
此の様に鉄道局は次第に強化されていったが,政府は行政組織を一段と強化するため,
1935年インド政府法(Government of lndia Act,1935)により聯邦鉄道庁(Federal Railway Authority)の設定を決議したが成立をみなかった。その代りとして鉄道局は 1936年再び再編成され,更に1937年鉄道会計調査のため任命されたウェッヂウッド委員会
(Wedgwood Committee)1こより中央会計組織(Central Accaunts Organization)
も之に附加されたのである。
20)
(3)財 政
此の期間におけるインド鉄道の大きな変革は財政組織にみられる。鉄道出現以来,政府 は建設と運営に一般財政より多額の資金を拠出していた。20世紀に達するまで鉄道は毎年 多額の欠損に苦しんでいたが,1899年はじめて11ラクールピー(lakh rupee,1akh−10万)
の純益を得,以後漸くその運営は軌道に乗りはじめた。此の様な鉄道の財政状態は勿論鉄 道国営化への一因とはなったが,しかし政府は依然として鉄道のために毎年多額の支出を 行っていた。此の様な政府の鉄道財政支出は,毎年一般財政の一部として予算が組まれ一 般財政のバランスのために時には無計画に削減されたりしており,長期的な鉄道財政政策 は全くとられていなかった。しかしより合理的な鉄道政策を行うためには長期的に一貫し た財政政策が必要であり,そのため鉄道財政の一般財政よりの分離が望まれるようになっ
てきた。
1920年,アクワース委員会は,鉄道財政は一般財政と分離さるべきこと。又鉄道準備基 金(Railway Reserve Fund)が財政の定安と組織の改善のために必要であることを勧 告し,又1921年に設けられたインチケープ委員会(Inchcape Committee)〔別名財政 緊縮委員会(Retrenchment Committee)とも云われる〕も1923年に一般財政よりの分 離を勧告し,そうすることが政府のためにも鉄道のためにもより良い結果を招来すること
178
を述べたのである。
1924年,鉄道の諸聞題を討議するために開かれた鉄道会議(Convention)は以上のご とき諸委員会の勧告に基き次の如き決議を行った。
⑳ 1 鉄道財政は一般財政より分離する。
2 鉄道は前年度の民間会社及州の資本を除く一般路線資本の1%を一般財政に納入す
る。
3 政府(一般財政)は残りの鉄道利益の20%を受取る。
4 戦略路線の資本利子及損失は一般財政が負担する。
5 残存利益は鉄道準備基金とする。但し鉄道準備金へ移される額が三クロアールピー を越えるときは,超過する額の三分の二は準備基金に持入れ,残りは一般財政へ納入
する。
6 鉄道準備基金は,鉄道:の経済状態の改善や償却並びに一一般財政への納入保証のため に用いられる。
7 鉄道予算は一一般予算提出以前に提示され審議される。
8 減価償却引当基金が設定されるべきである。
9 予算における割当額が不足の場合は鉄道準備基金より借入れることが出来る。
斯くして鉄道財政は㌧一般財政への利益の一部納入を前提として一般財政より分離され,
又鉄道準備基金を設けることにより大なる効果をあげ,1926年,デイッキンソン委員会(
Dickinson Committee)及びローベン委員会(Roven Committee)の二つを任命して 組織改善の強化を測り,その結果鉄道は営業費を低下し経営を改善し,鉄道の財政的地位
を安定せしむること\なったのである。19世紀の終りから1940年までの鉄道の政府の利益 納入及び損失は第六表の如くであり,不況時代に至るまでの鉄道財政及び鉄道準備基金並 ㈲
びに一般財政への納入は第七表の如くである。
㈱
此の様にして鉄道は財政上の大きな改善をなしとげたが,鉄道自体の利益は一般財政へ の多額の納入を義務づけられたために必ずしも増大しなかった。1929年以来の世界的不況 の到来は,鉄道にも深刻な打撃を与え鉄道財政を窮迫へと追いやった。1930年以後の鉄道 財政及び準備基金は第八表の如くである。
⑳
第六表 鉄道が政府に与えた純利益又は損失 年
平均1895−99
』1899−1900
平均19GO−04 平均1905−09 1910−11 1911−12 1912−13 1913−14 1914−15 1915−161916−17.
1917−18 1918−19 1919−20 1920−21 1921−22 1922−23 1923−24 1924−25
1925−26
1926−27 1927−28 1928−29 1929−30 1930−31 1931−32 1932−33 1933−34 1934−35 1935−36 1936−37 1937−38 1938−39 1939−40
純利益又は損失
ラクールピー
一 93
十 /1+129
+163
+302
+568
+720
+718
+323
+611 刊122
+1487
+朽85
+934
+563
−910
+116
+646
+681
+549
+602
+631
+525
+6/4
+5了5
+ 1 十 1
+ 1
+0.6
+0.7
+0.9
+277
+138
+433
第七表
年随利倒霧鰍隣道璽
1924−25 1925−26 1926−27 1927−28 1928−29 1929−30
計
1,316 928 749 1,085
781
404 5,263678
548 601628
523 6123,591
ラクールピー
638 378 148 457 258 208
1,672
第八表
紙離τ製劉獣譜細末払
1931−32 1932−33 1933−34 1934一・35 1935−36 1936−3了 1937−38 1938−39 1939−40
計
536 523 522 515
521 491
468 423 450 4,4490 0 0 0 0 0 276
137
433β46
ラクールピー
536 523 522 515 521 491 192 286
17
3,603
不況のための輸出入の減少は鉄道収入を減ぜしめ,更に洪水や地震及び道路交通との競 争が悪化に拍車をかけた。1931年〜1936年に至るインド鉄道の欠損は4153ラクールピーに 上り,新路線の建設と投資は殆んど行われず多額の資金が鉄道準備基金より引出された。
㈱斯る状態を改善するため,政府は1932年,ポープ委員会(Pope Committee)を任命し,
同委員会は次の如き提案を行った。
⑳
1 障害は職務遂行の非能率にあり,之を改善すべきである。
180
2 3 4 5
施設の利用率を高め,旧式設備は費用節減のため改修さるべきである。
貨物賃率は輸送量の増加に応じて減ぜうるべきである。
大都会の小荷物の取扱い及び一週間の往復切符を開始すべきである。
貨物運送量の測定及輸送能力の充分なる測定を行いうる研究をなすべきこと。
政府は之等の提案を受容れ,鉄道支出改善のためにかなりの効果をあげた。
1936年,英国の財政専門家であるニーメイヤー(Otto Niemeyer)はインド政府に対 し鉄道支出を検討するため鉄道調査委員会(Railway Enquiry Committee)の任命を 勧告し,政府は之に従ってウェッヂウッド委員会を任命した。同委員会の勧告は大要次の 如くである。
⑳
1 鉄道は一般財政への納入を中止すべきである。
2 準備基金及び償却引当基金は増加され,毎年30クロールピーが供託されるべきであ る。
3 道路交通との競争はあらゆる手段により対抗すべきである。
4 中央経済研究委員会(Ceutral Economy Research Committee)を設けるべき
である。
5 余分な職員を削減すること。
6・広報局を設けること。
7 ヨーロッパ人の職員を増加すべきこと。
8 鉄道は非能率な管理のために合同をすべきでない。
その他種々な勧告を行ったが,しかし此の勧告は景気の漸次の回復と共に政府の受容 れるところとならなかった。
(4)経 営
α)経営惰況 インド鉄道の経営形態は極めて多様であり,此の:複雑な経営 組織形態は鉄道運営の大きな阻害要因となってはいたが,収益面においては1899年から19 00年においてはじめて純利益をあげて以来一応順調な経営活動を行いつ〜あった。之等の 情況は第九表の如くである。1900年から第一次大戦までの鉄道の経営は極めて順調であり,
㈱
建設も急速に促進された。しかし乍ら,今世紀に入って漸く鉄道への需要も順調に伸びつ
\あったが(第十表参照)鉄道の諸設備は19世紀においては外国貿易のための輸送を基準 ⑳
としていたため,今世紀に入るや需要に対する設備の不足は漸く問題となり,之は第一次 大戦に入って最:も重大化した。戦争による鉄道設備の疲弊は当然サービスの悪化をもたら
し一面には此の様な鉄道運営の不備が国営への一因をなしたと言い得よう。戦争の影響か ら漸く回復しかけた頃大不況が襲い鉄道経営は再び悪化した。此の期間における鉄道の一 般財政への納入は既述の如く殆んど準備基金に依存しており,資本に対する純収入比率は 大きく減少したが,しかしその度合は第十一表にみられるごとく他国に比して決して悪い 岡
第九表 インド鉄道経営状況純収益と営業費用 1900〜1939
1900 01 02
03
04 05 0607 08
0910
1112
13−14 14−15 15−16 16−17 17−18 18−19 19−20 20−21 21−22 22−23 23−24 24−25 25−26 26−27 27−28 28−29 29−3030−31
31−32 32−33 33−34 34−35 35−36 36−37 37−38 38−39純利益
「ク百アルピF
16.4 17.9 17.2 18.9 20.9 21.7 22.1 23.0 17.8 20.7 24.0 26.4 31.5 30.7 28.0 32.0 37.0 42.0 44.0 38.0 32.0 22.0 33.0 39.0 45.0 42.0 43.0 46.0 44.0 41.0 32.0 28.0 27.0 30.0 32.0 32。0 37。0 38.0 36.0資本支出に対する 純収益の比率 %
5.0 5.3 4.9 5.5 6.0 6.1 6.0 5。9 6.3 4.8 5.5 5.9 6.8 9。2 5.3 6.0 6.0 7.8 8.1 6.8 5.1 3.4 4.7 5.5 6.2 5.6 5.4 5.6 5.3 4.7 3.7 3.2 3.1 3.4 3.6 3.8 4.4 4.5 4.2
マイル当り純収益
ノしピ・一 2.0 2.0 1.9 2.0 2.0 2.0 1.9 1.8 1.4 1.6 1.8 1.9 2.1 2.0 1.76 2.00 2.28 2.68 2.80 2.3了 1.96 1.39 2.07 2.48 2.7了 2.61 2.50 2.55 2.44 2.09 1.68 1.80 1.87 1.99 1.98 1.82 2.04 1.96 1.82
営業費用
ク戸アルピP 15.1 15.了 16。7 17.1 18.8 20.0 22.0 24.3 27.0 26.4.
51.1 28.8 30.2 32.9 33.0 33.0 33.0 35.0 42.0 51.0 60.0 71.0 73.0 68。0 69.0 71.0 70.0 73.0 75.0 75.0 74.0 69.0 69.0 70.0 71.0 68.0 67.0 70.0 71.0
182
第十表
年
1900
01 02 03 04 ・05 06 07 08 09 10 11 12 13−14 14−15 15−16 16−17 17−18 18−19 19−20 20−21 21−22 22−23 23−24 24−25 25−26 26−27 27−28 28−29 29−30 30−31 31−32 32−33 33−34 34−35 35−36 36−37 37−38 38−39
インド鉄道経営状況,旅客貨物輸送量と総収益 。
総 収 益
クロアルピ戸
31.5 33.6 33。9 36.0 39.7 41.7 44.1 47.3 44.8 47.1 51.1 55.3 61.7 63.6 60.0 65.0 71.0 77.0 86.0 89二〇 92.0 93.0 106.0 108.0 115.0 113.0 112.0 118.0 119.0 116。0 107.0 97.0 96.0
100.0 64.6
62.4 67.5 68.9 68.8
貨物収益 クロアルピF
20.4 21.2 21.2 22.4 25.2 26.2 27.6 29.2 26.3 28.1 30.4 32.9 37.9 37.8 35.09 38.76 41.43 44.50 49.14 17.1 48.0 49.5 58.3 60.6 66.8 64.8 64。4 69。6
71.4 69.1 64.6 58.6 57.0
・ 61.了 64.6 62.4 67.5 68.9 68.8
貨物輸送数 旅客収益
100万トン
42。9 43.4 45.5 47.7 52.1 54.9 58.9 62。1 62.4 60.9 65。6 71.3 78.5 82.6 81.0 83.0 86.0 86.0 91.0 97.6 87.5 90.1 93.8 72.8 77.8 89.9 85.8 89.8 90.8 87.4 83.4 74.6 70.6 76.5 84.5 82.9 82.4 87.3 88.4
クロアルピー
9.0 10.1 10.3 11.0 11.8 12.7 .13.7
15.0 15.7 15.7 17.1 18.5 19.6 21.2 20.4 21.0 25.1 25.2 29.0 33.2 34.8 34.3 37.6 38.1 38.8 39.5 38.1 39.2 38.2 38.6 34.3 31.4 31.3 30.1 30。3 29.6
29.4 31.1 30。7
旅客輸送人数 100万人
176
195197
210 227 248271
306321 329
372390
417 458451
464 486 430 460 520 559 570 573 567 576559 ●
604
623
620
634 576 506 502 490 497 483 480521
531
第十一表 各国の資本に対する純収益の比率 %
年 イ ン ド イ ギ リ ス アメリカ合衆国
1929−30 1932−33 1935−36
4.5 2.7 3.4
4.2 2.4 3.4
4.8 1.3 2.6
と言うものでもなかった。
1936年以来回復の兆しは次第にあらわれてきたが未だ充分とは言いえなかった。
@ 運賃及び運賃政策
(a)運賃政策の変革 19世紀におけるインド鉄道の運賃政策はあまりにも高い賃 率と外国貿易優先の差別扱いにより著しく妥当性を欠いていた。従ってインド鉄道の運賃 政策はインド自体の産業の発展を促進するよりむしろこれを阻害し, ミあまりにも諸貿易 港に送られる原材料に対する有利な賃率に帰着していた》のであり,しかも此の政策は基 ⑳
本的には1914年まで全く変更されなかったのである。
20世紀に入るや此の様な運賃政策に対する基本的な検討が試みられはじめ,特に貨物賃 率に対する統一簡易化の動きが強くなった。1900年,インド鉄道同盟組合(lndian Railw ayConference Association)は水運と鉄道との競争による運賃変動も考慮して統一的な ⑤②
貨物等級表を作製するため先づ貨物等級委員会(Goods Classification Committee)
を任命し,更に1905年,同組合は,インド最初の賃率委員会である賃率統一委員会(Tariff Simplification Committee)を任命した。 (1910年之は貨物等級委員会に吸収された。)
之等の委員会は1910年に貨物等級運賃を制定したが,全面的には鉄道局の認可するところ とならず,1911年半に修正を加え,1915年に至って漸く改正等級賃率表は認可された。之 により約6,000の品目につき賃率を減じたと言われるがその賃率表は次の如くである。
團 貨物賃率表『 マウンドマイル当りパイ
1915年以前
i[
1915年改正
等副最韻率 最簾率1陪副鵬賃率 最低賃率
特 級 1 2 3 4 5
0.333 0.333 0.500 0.666 0。833 1.000
0.100
0.166 1 2 3 4 5
特 級
(危険貨物等)
0.333 0.500 0.666 0.833 1.000 1.500
}
て
∫
0.100
0.166
しかし乍ら此の様な改正にも拘らず,第一次大戦による鉄道施設の荒廃と物価の騰貴は