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【追悼文】追悼 雀 妍 先生
著者 加藤 久雄, 劉 美貞, 金 恩希, 坂口 昌子
雑誌名 奈良教育大学国文 : 研究と教育
巻 30
ページ 51‑47
発行年 2007‑03‑30
URL http://hdl.handle.net/10105/10814
追悼 崔 娚 先生
国 際 交 流 協 定 校 の嶺 南大 学 校 の 崔 妊 先 生 が 、 昨 年12月 にお 亡 くな り にな り ま した 。多 く の 方 か ら追 悼 の 文 書 が 寄 せ られ ま した 。 こ こ に、 そ の 一部 を紹 介 させ て い た だ き 、 崔 妊 先 生 の ご冥 福 を お祈 り した い と思 い ま す。全 て の追 悼 文 は 、3月30日 に嶺 南 大 学 校 を訪 問 し、
崔 妖 先 生 の も と に お 届 け し ます 。
2007年2月 加 藤 久 雄
◆
私 が 崔 先 生 に最 初 にお 目 に か か っ た の は 、 大 学 の 入 学 式 の 日で あ っ た 。 入 学 式 後 に各 学 科 別 に分 か れ て 説 明 会 を 開 い て い た 説 明 会 場 で あ っ た 。 学 科 に 所 属 して い る 先 生 方 の 紹 介 が あ り、 お 目 にか か っ た 瞬 間 「な ん っ て 綺 麗 な 先 生 だ ろ う」 と 思 っ て い た 。 そ れ か ら、 一 年 生 の 授 業 が 本 格 的 に始 ま り、授 業 中 の崔 先 生 は と て も厳 し く、い わ ば、 「鬼 」 だ った 。 当 時 の 私 は 、 ま だ浪 人 す る か ど う か で 迷 って いて 、 入 学 は した も の の 大 学 に は あ ま り馴 染 ん で いな い状 態 だ っ た 。 そ れ で 、 学 科 の 行 事 は も ち ろ ん授 業 自体 も休 み が ち で あ っ た 。 そ こ で 、 あ る 日何 週 間 ぶ り に出 席 した 崔 先 生 の授 業 で 、崔 先 生 は 私 を 叱 り、 「時 間 を 無 駄 に す る の で は な い」 とお っ しゃっ た 。 そ の 後 、 まだ 、 大 学 や 学 科 に馴 染 み は持 て な か っ た が 、 「時 間 を無 駄 に す る の で は な い 」 とい う 言 葉 を 心 に刻 ん で 、 一 生 懸 命 生 き て 行 こ う と思 っ た 。 そ れ か ら、 三 年 生 に な った 春 に 学科 内 に三 年 生 を 中心 と した勉 強 会 が 行 な わ れ る よ う にな
り、 三 年 生 の 中で 勉 強 会 の 中 心 メ ン バ ー を 選 ぷ こ と にな っ た。 そ の 際 、 崔 先 生 は メ ンバ ー の 一 入 と して 私 を推 薦 して くだ さ っ て 、 日本 文 学 と文 化 に 関す る勉 強 会 を 担 当す る こ と に な った 。そ れ を き っか け に 学 科 に 馴 染 む よ うに な り、知 り合 い の後 輩 や 先 輩 も増 え て き た 。 そ して 、 大 学 四年 生 の 時 に、 ま た 崔 先 生 の 推 薦 で 日本 文 部 省 国 費 日本 語 日本 文 化 研 修 留 学 生 と して 日本 に来 る よ う にな っ た 。 今 思 え ば、 嶺 南 大 学 に 入 学 し、 崔 先 生 に お 会 い して な か った ら今 の私 もい な か った の か も しれ な い。
先 日、崔 先 生 の お か げで 来 られ た 日本 で 知 り合 った 日本 人 の 親 友 か ら崔 先 生 が お 亡 くな りにな っ た と い う話 が あ る と い う こ とを 真 夜 中 の電 話 で 聞 い た 時 に は 、 ま さ か と思 っ て い た 。そ して 、そ の後 、 自分 に 「単 な る悪 い噂 にす ぎ な い 」か ら大 丈 夫 と言 いな が ら落 ち 着 こ う と して いた 。 しか し、 崔 先 生 が お 亡 くな り にな った とい うの は 、 事実 で あ る こ と を知 り、
とて も悲 し く、 空 し くな り、 し ば ら くは す べ て に意 欲 を 失 って いた 。 今 とな っ て は 、 も っ と崔 先 生 に い ろ い ろ 学 び 、 私 か ら も も っ とや さ し く崔 先 生 に接 して い れ ば よ か っ た な どの 後 悔 のみ が 残 っ て い る 。 本 当 に崔 先 生 の ご冥 福 をお 祈 りい た した い 。 そ し て 、 い つ もあ り が と う ご ざ い ま した と言 いた い 。 崔 先 生 、 本 当 に あ りが とう ござ い ま した 。
劉美貞(大 分大学 非常勤講 師)
◆
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金恩希(韓 国 江 南大学校 非 常勤 講師)
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私 の 手 元 に はか わ い ら しい 韓 国 風 の花 嫁 と花 婿 の 姿 を か た ど った ス プー ン とフ ォー ク の セ ッ トが あ り ます 。2004年 に 崔 先 生か ら私 の 結婚 のお 祝 い に い た だ い た もの で す 。 あ ま り にか わ い ら し くて 使 っ て い な か った の で 、 今 度 の 計 報 を聞 き 、 箱 か ら取 り出 して しみ じ み と眺 め ま した 。 崔 先 生 の 思 い 出 が 、 ぽ つ ぽ つ とわ き 上 が っ て き ま した 。
私 は 、1996年 の4月 か ら97年 の3月 の 約1年 間 、崔 先 生 の勤 めて お られ た 嶺 南 大 学校 で 日本 語 教 師 の仕 事 を さ せ て いた だ い て い ま した 。 そ の 後 も時 々 ク リス マ ス カ ー ドや 年 賀 状 で 崔 先 生 と は 交 流 して い ま した が 、97年 以 降 は 直 接 お 会 いす る機 会 は あ り ま せ ん で した 。 帰 国 の途 に つ く2月 末 、 釜 山空 港 に 送 りに 来 て くだ さ った 崔 先 生 を 出 国 の ゲ ー トか ら振 り 返 って 見 た の が 最 後 の 姿 とな っ て しま い ま した 。
実 は 一 昨 年 も崔 先 生 の 紹 介 で 嶺 南 大 で研 究 調 査 を さ せ て いた だ い た こ と も あ り ま した 。 そ の と き 、 先 生 は 日本 に留 学 中 で お 会 いす る こ と はか な い ませ ん で した が 、 私 の た め に 宿 舎 を押 さ え 、 学 生 さん や 他 の 先 生 方 の 協 力 を仰 い で くだ さ り、私 は とて も調 査 が ス ム ー ズ に進 み ま した 。 崔 先 生 は い つ も な さ る こ と は完 壁 で 、 一部 の 隙 も な い方 で し た。 誰 か の た め な ら、 一 生 懸 命 に 自分 の 近 しい 方 を総 動 員 し てで も 、尽 力 して くだ さ い ま した 。
私 が 赴 任 した 時 も 、 ま だ 若 く教 育 歴 のな い 私 の た め に 、 学 生 た ち や 、 他 学 科 の 先 生 た ち に引 き 合 わ せ て くれ 、 とて も仕 事 が しや す か っ た こ と を覚 えて い ます 。 崔 先 生 の 誇 大 広 告 が な け れ ば 、私 は も しか した ら学 生 に協 力 して も らえ ず、 教 え に くか っ たか も しれ ませ ん 。
研 究 室 も整 え 、 ア パ ー トも美 し く整 え て くだ さ り、 私 の 約1年 間 の韓 国 生 活 は 、 とて も 心 地 よ く、 充 実 した も の と な りま した 。 これ もす べ て 崔 先 生 の ご尽 力 の お か げ で した 。
今 回 の崔 先 生 の突 然 の 言卜報 に は 、 驚 き ま した 。 あ ん な に精 力 的 で 努 力家 の 先 生 が 、 病 に 倒 れ られ る と は 想像 も して お りま せ ん で した 。 こん な に早 く逝 って しま われ る とは 、 ど ん
な に ご無 念 で あ っ た ろ う と思 い ま す 。 今 は ど う して も直 接 お 伝 え す る こ と の で き な くな っ た 感 謝 の 気 持 ち を何 か 形 に した く、 こ うや って 感 謝 の 心 を 示 す こ とで 、先 生 へ の 追 悼 の気 持 ち を示 した い と思 い ます。 先 生 の ご冥 福 を心 か らお 祈 り しま す。
坂 口昌子(京 都外 国語 大学 外国語学 部 専任講師)
◆
2006年12月16日 の 夜 、私 はJR法 隆 寺 駅 か らひ と り電 車 に乗 り家 路 に つ き ま した 。 既 に 八 時 を 過 ぎて い ま した 。 奈 良 に着 く頃 、 携帯 電 話 が な り、 そ れ は 、 本 学 の 国 際 学 生 宿 舎 に住 ま う嶺 南大 学校 の 三 名 の 留 学 生 の ひ と りか らで した 。 「先 生 。崔 先 生 、お 亡 くな りに な りま した 。お 伝 え し ま す。」私 は 、咄 嵯 の こ と で 「み な 元 気 に して い ます か 。大 丈夫 、安 心 して 。 こち らか ら、 か け な お し ます 。」 と しか 言 え ませ ん で した 。 そ の 年 の11月 、 私 は五 度 目の 韓 国 で 、 初 め て 、大 邸 に は 行 か な い旅 を しま した 。 関 空 と仁 川 の 空 路 、 機 中で 崔 先 生 は ど うさ れ て いる か な と 、 な ぜ か 気 にな りま した 。 病 に 伏 され て い る こ とを 知 り ませ ん で した 。今 思 う と、 大 邸 に寄 る こ との な い旅 を した こ と に 後 悔 の 思 い を禁 じ得 ませ ん 。
1990年 、嶺 南大 学 校 か ら私 の 研 究 室 に 、ひ と りの 日本 語 ・日本 文 化 研 修 留 学 生 が 来 て く れ ま した 。 それ が、 私 と嶺 南 大 学 校 との 交 流 の始 ま り、韓 日交 流 の始 ま りで した 。 以 来 、毎 年 ひ と りず つ 、嶺 南 大 学 校 か ら 日研 生 が来 て くれ て い ま す。 今 年 で17人 とい う こ と にな り ます 。1995年12月 には 、嶺 南大 学校 の 招 き で 、本 学 赤 井 学 長 が 大 邸 に赴 き ま した 。今 後 の 交 流 に つ い て の 話 し合 い が 行 わ れ ま した 。 私 も 同行 し ま し た 。1gg9年2月 、 嶺 南 大 学 校 と 本 学 は 国 際 交 流 協 定 を締 結 す る こ とに な り ま した 。 当 時 、 国 際 交 流 委 員 会 委 員長 を して い た 私 は 、 日本 側 の 担 当 を し ま した が 、 これ らの 交 流 の 韓 国 側 の ま とめ 役 が 崔 好 先 生 で あ り、
そ れ は ま た 両 大 学 の ま とめ 役 で も あ りま した 。 崔 先 生 の存 在 が な け れ ば 、 始 ま る こ との な か った 韓 日交 流 が 正 式 にス ター ト した の で す 。
先 生 は 、本 当 に 何 事 も き っち り とさ れ る 方 で した 。 そ して 、 歯 切 れ の よ い 日本 語 は 明 る い お 人 柄 そ の もの で した 。 張 り の あ る お 声 は 、 芯 の し っか り した 方 で あ る こ と を うか が わ せ て い ま した 。韓 日交 流 の 中で 、多 くの 先 生 方 と接 して き ま した が 、 崔 妊 先 生 ほ どの 熱 意 と気 迫 に勝 る 先 生 を 私 は 知 りませ ん 。 嶺 南 大 学 校 の 学 生 を 一 人 で も多 く 日本 に 送 り、 勉 強 させ て や ろ う と い う お 気 持 ち が 痛 い ほ ど伝 わ っ て き ま し た 。事 実 、 嶺 南 大 学 校 か ら来 る 学 生 た ち は一 様 に ま じめ で 熱 心 な 学 生 ばか りで した 。
そ の よ うな お気 持 ち は 、 韓 国 の 学 生だ け に 向 け られ た も ので は あ りま せ ん で した 。1996 年 の8月 に、 私 を含 め 十 名 ほ どの 本 学 の 学 生 が 夏 期 セ ミナ ー に参 加 しま した 。そ の 時 の 崔 先 生 の ご配 慮 は 、 ま っ た く一 分 の 隙 もな い ほ どで 、 何 もか もが 完 壁 に ア レ ン ジ さ れ て い ま した 。 どれ ほ ど の時 間 を 準 備 に 費 や され た の か と思 う と、 今 も頭 が さ が ります 。
あ ま り に も早 く私 達 は 大 切 な 方 を亡 く した と い う思 い を 、 今 、 新 た に して お りま す 。そ して 、 私 は、 人 生 で 初 め て 、 「故 人 の遺 志 を 継 ぐ」 と い う思 い を 実感 して い ます 。 「韓 日交
流 」、崔 妖 先 生 が 私 に く だ さ っ た テ ー マ で もあ り喜 び で も あ ります 。崔 妊 先生 、本 当 に あ り が と う ござ い ま した 。呑 朴 響 月 叫 。 心 か ら ご冥 福 をお 祈 りい た し ます 。勉 層 司 升 矧 豆 。 加藤久雄(本 学教授)
◆
崔 妖 先 生 略 歴
梨 花 女 子 大 学(国 文 学 専 攻)卒 業 、 韓 国 外 国 語 大 学 文 学 修 士(日 本 文 学 専 攻)修 了 、 韓 国 外 国 語 大 学 校 文 学 博 士(日 本 文 学 専 攻)、 東 京 大 学 大 学 院 比 較 文 学 博 士 課 程 修 了 、 著 書 に 、 「基 礎 日本 語 会 話 1」(19g7.2)、 「初 級 日本 語1」(2000.9)「 初 級 日 本 語ll」(2004.2)、 「日本 文 学 の 道 案 内 」(2001.4) (以 上 共 著 い ず れ も嶺 南 大 学 校 出 版 会)、 「キ ー ワ ー ドで 読 む 日本 文 学2夏 目 漱 石 か ら村 上 春 樹 ま で 」(2003.12共 著 韓 国 日 語 日文 学 会)、 「韓 林 新 書 日本 現 代 文 学 代 表 作 選21放 浪 記(上) (下)」(2001.6単 著 図 書 出 版)、 「夏 目 漱 石 文 学 研 究 」(2001.5共 著JNC)な どが あ る 。 嶺 南 大 学 校 教 授 。 享 年53歳 。