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企業生成・発展の変動要因としての企業家

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Academic year: 2021

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(1)

前稿では,企業家に関する論議をカンティヨン(Richard Cantillon)を源 流(その最初の一滴)とみて(イギリスは産業革命期にあったがいまだ欧州 大陸は産業革命は迎えていない時期における),カンティヨンの所説を検討 した。次いでその影響を大きく受けた2人の研究者,すなわちスミス(Adam Smith)とセイ(Jean B. Say)の所論に加えて,さらにはミル(John S. Mill)

の立論に検討を加えた1)

小稿では,英国でも欧州大陸(仏独)でも産業革命を終え,そして資本主 義経済が確立した時期以降のシュモラー(Gustav Schmoller),メンガー(Carl Menger),マーシャル(Alfred Marshall),ウェーバー(Max Weber)の4人

1)川上義明[2006年]

企業生成・発展の変動要因としての企業家

(Ⅲ)

―― 産業革命期以後の段階の考察 ――

川 上 義 明

はじめに

1.シュモラーにおける企業家 2.メンガーにおける企業家 3.マーシャルにおける企業家 4.M.ウェーバーにおける企業家

むすび

−19−

( 1 )

(2)

の研究者がどのように企業家をみていたのか検討してみたい。

1.シュモラーにおける企業家

!

企業と企業家

ドイツ歴史学派で,社会政策学会の創設に尽力し,長くその会長をつとめ たシュモラー(Gustav Schmoller:18〜17年)は,その著『一般経済学 原理』において企業家を論じている。

シュモラーは,「企業こそが今日の商業および生産の担当者として活動す る重要な社会的機関である」とみる2)。加えて,人類が近い将来において一 変せざる限り,自己の責任において経営し,その危険を負担するところの企 業は存続せねばならないとする3)

シュモラーは,企業を創始し,リスク(Gefahr)を負担する者が企業家

(Unternehmer)であるとしている。けだし,企業の責任は,各個人が負い,

企業家はその活動に対して,自己の名誉と財産とを賭ける4)。企業家は企業 の中心にあって指揮者なのである5)

!

諸産業分野における企業家 a.農業分野における企業家

シュモラーは,農業や商業,手工業,さらには工業分野の大企業の中に企 業家をみ,その役割を観察している。

まず,シュモラーは古くは農民の中に「企業家」をみている。

0〜10年の間に農民開放,近世的国民経済の成立,技術の改良によっ

2) Schmoller [1908], S.460. 邦訳書(増地訳),1ページ。

3) Schmoller [1908], S.560. 邦訳書(増地訳),310ページ。

4) Schmoller [1908], S.557. 邦訳書(増地訳),299ページ。

5) Schmoller [1908], S.460. 邦訳書(増地訳),2ページ。とはいえ,企業は企業家に 隷属しているのではない。

−10−

( 2 )

(3)

てようやく農業には小企業家(Kleinunternehmer)が現われた。市場向け生 産は農民にとって次第に自給自足以上に重要となった6)

9世紀末になって農民は,計算,記帳を学び,市場価格にしたがうことに 習熟し,また商業上,技術上の進歩を利用するにしたがい,さらには企業家 としての地位に適合するにしたがい次第に繁栄することができた7)

このように,シュモラーは農民の中にまず企業家を見出す。

b.手工業分野における企業家

さらには,シュモラーは手工業(Handwerk)8)分野に中に企業家を見出す。

つまり,手工業における親方は,家長,技術者,小資本家そして企業家を 同時に兼ね,自らの道具を所有している9),と。

この親方はつねに道具と原料とを調達し,仕入れと販売とを行い,職人お よび顧客を適当に取り扱う能力がなければならない。それゆえ,手工業の繁 栄は企業家精神(Unternehmergeist)が技能,思慮および手腕と結合する 場合に限られる。親方に利潤欲がない時は手工業は存立することができな 10)

この企業家精神の持ち主こそ,企業家であるとするのである。

ところで,大工業や家内工業ならびに商人の経営する都市の商店が必然的 に手工業を駆逐することになる。なぜなら,手工業が完全なる企業となり,

その経済的長所を発揮しないからである11)

であるとすれば,手工業における親方は,いよいよ企業家たらざるをえな

6) Schmoller [1908], S.469. 邦訳書(増地訳),27ページ。

7) Schmoller [1908], S.469. 邦訳書(増地訳),28ページ。

8)シュモラーが取り上げている「手工業」とは,パン屋,建築職,指物師,仕立 職,紡績工,織物工,桶職,綱職,醸造者,石鹸工,釘工,靴工,鍛冶職,車匠,

装飾職,製本職,皮職,肉屋,張職,理髪師などである。

9) Schmoller [1908], S.479. 邦訳書(増地訳),60ページ。

10) Schmoller [1908], S.473. 邦訳書(増地訳),40ページ。

11) Schmoller [1908], S.479. 邦訳書(増地訳),60ページ。

企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −11−

( 3 )

(4)

くなるであろう。

!

企業家の役割

シュモラーがみるところ,企業家は無産者に対して富による優越力をもつ。

とはいえ,もし卓越した精神力と技術的能力や商人的能力,組織的能力によっ て正当な待遇の仕方と相互に牽制するよい制度と適当な支払方法とを持続的 に調和させることができないとすれば,使用人に悪い感情を持たせ,経営全 体を混乱させるであろう12)

個人企業を営むところの手工業者および商人,農民,製造業者は事業の唯 一の所有者であり,指揮者である。その事業に関する技術および取引,資本 があまり大きくなく,複雑でない場合には,彼らは(失敗した場合の)責任 を引き受け,(従業員の)士気を統一するという目立った特徴を持っている。

企業家の財産と名誉と将来の運命とは一に事業指揮の当否にある13) このように,シュモラーは,一方では,①企業家を経営の指揮者としての 機能(組織を統括する機能など技術的機能)を果す者として,もう一方では,

②リスク負担者としての機能(取引上の機能〔筆者はこれを経済的機能と呼 ぼう〕)を果す者としても捉える。つまり,企業家とは,技術的機能と取引 上の機能(経済的機能)の双方を果す者として統一的に把握されている。シュ モラーは,田村信一教授もみるとおり,「この両者の統合された能力を『企 業家精神』と呼び,さらにはそれを……『証人的・技術的能力』とも呼んで いる」14)。企業家精神の持ち主こそ,企業家であるとみているのである(補注)

12) Schmoller [1908], S.515. 邦訳書(増地訳),164ページ。

13) Schmoller [1908], S.516. 邦訳書(増地訳),169ページ。

14)田村信一[1993年],295ページ。

−12−

( 4 )

(5)

(補注)なお,シュモラーは企業家への刺激と役割に対する報酬について,次の ように一定の制限内で認めるべきであるとする。

すなわち,営利への衝動が企業家を刺激するということは,使用人がその 報酬に対して受けるところの刺激と比較できないくらい大きい15)。ただ,国 民全体の利益とその健全な発達とに関して,企業家の利潤欲に制限を加える べきであろう16)

けだし,企業家は,利潤が1〜2%に下がれば投資を拒絶し,10%になっ てようやく大胆に,50%になれば冒険的に,10%となれば一切の人的規範を 蹂躙し,30%にもなるといかなる犯罪をも犯してしまうといった企業家活動 の暗黒の面があるからである17)

シュモラーは,企業を創始し,その活動に自己の名誉と財産とを賭け,リ スクを負担する者(リスク・テーカー)が企業家であるとみる。企業家を商 業や手工業・工業のみならず農業の中にも見出す。シュモラーは企業家精神 の持ち主こそ,企業家であるとした。しかして,企業家精神の内容をなす,

卓越した精神力,技術的能力,組織的能力,商人的能力が事業の成否の鍵を 握ることになるのである。

2.メンガーにおける企業家

オーストリア学派(限界効用学派)のメンガー(Carl Menger:10〜1 年)も企業家について論じている。

メンガーが説くには,企業家活動(Unternehmerthätigkeit)は技術的労働用 役によって財の生産にとって欠くことができない。生産の分野においては,

高次財(Güter höherer Ordnung)18)を生産するために,技術的労働用役を振り

15) Schmoller [1908], S.516. 邦訳書(増地訳),169ページ。

16) Schmoller [1908], S.559. 邦訳書(増地訳),309ページ。

17) Schmoller [1908], S.559. 邦訳書(増地訳),307ページ。とはいえ,シュモラーが 言うところ,このことは企業家においてのみ特別にそうなのではない。人はだい たいにおいてそうなのである。

企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −13−

( 5 )

(6)

向けるという意味で工業企業家は労働者である。ところで,企業家が企業家 たり得るのは,その技術的用役故にではなく,企業家が経済計算をし,その 生産目的によって生産するからである19)

こうして,企業家活動には次のものが含まれることになる20)

①経済情勢に関する情報

②生産過程の前提となる経済計算

③財がある生産に振り向けられるための意思行為(Willenact)

④生産計画を可能な限り経済的に遂行するための監視(Uberwahung)

である。

メンガーは企業家活動を企業規模別にみている。小企業の場合,企業家は 企業活動にはわずかの時間しか使わないであろう21)

では,株式会社制度・証券制度が整って,大企業が出現してくると企業家 活動はどうなるのだろうか。

メンガーは,大企業の場合,企業家自身はもちろん,しばしば数人の補助 者が全面的に企業家活動のために必要となるとする。とはいえ,これらの補 助者の活動がいかに大きくなっても,企業家活動には上の4つの活動がみら れる22)

メンガーの所論においては,企業家が自ら「リスクの負担」をするかどう

18)メンガーは,①人間の欲望を直接満足させる例えばわれわれが食べるパンを第1 次財とするならば,②パンを焼く設備,パン業者の特殊な労働用役,小麦,裸麦,

小麦粉を作るために必要な水車と労働用役を第2次財と,③これら第2次財をつ くるために用いられる労働用役などを第3次財と,④耕地,耕地を耕すために必 要な道具と設備,農夫の特殊な労働用役を第4次財……と名付けている ―Menger

[1871], SS.89.邦訳書(安井・八木訳),10ページ。これからして,第1次財に対

して第2次財が,第2次財に対して第3次財……が,あるいは第1次財に対して 3次財が,第1次財に対して第4次財……がそれぞれ高次財ということになる。

19) Menger [1871], S.136. 邦訳書(安井・八木訳),118ページ。

20) Menger [1871], S.136. 邦訳書(安井・八木訳),118ページ。

21) Menger [1871], S.136. 邦訳書(安井・八木訳),118ページ。

22) Menger [1871], S.136. 邦訳書(安井・八木訳),118ページ。

−14−

( 6 )

(7)

かはつまびらかではない。メンガーは,生産に関する「リスクの負担」(Ueber- nahme der Gefahr)は企業において本質的ではないとみる。なぜなら,危険 はなんらか偶然的なものにすぎないからであり,損失のチャンスがあればま た利潤を得るチャンスがあるからである23)。だが,これは企業家が「リスク の負担」をしないということを意味するわけではない。規模の小さい企業に おいては,当然,直接,企業家はリスクを負うことになるだろう。

メンガーは財の生産において企業家活動が欠かすことができないと考えた。

企業家が企業家たり得るのは,経済計算を自らなし,生産目的によって生産 するからである。メンガーは規模の小さい企業においては企業家は企業家活 動にわずかの時間しか割けない。大企業の場合には企業家は補助者を用いて 企業家活動を行うと考えた。メンガーは強調しないけれども,企業家はリス クを引き受けると考えられているといってよいであろう。

3.マーシャルにおける企業家

!

企業家の要件

新古典派(ケンブリッジ学派)を代表する経済学者,マーシャル(Alfred Marshall:12〜14年)も「企業家」(business undertaker, undertaker)につ いて『経済学原理』(初版第1巻は10年)で触れている。そこでは,「企業 家」はどのように捉えられているのだろうか。

マーシャルは工業部門だけではなく,その他農業部門24),商業部門などに 23) Menger [1871], S.136. 邦訳書(安井・八木訳),118ページ。

24)前稿(川上義明[2007年])でみたカンティヨンの場合も,借地農を企業家とみ ていたが,マーシャルにおいては,「農場主は,地主から土地を借り入れ,必要な 労働力を雇用し,経営者として経営の任に当たり,生じるビジネス上のリスクに 対して責任を負う」(Marshall [1959], p.617.邦訳書(Ⅰ),146ページ)としている から,この限りで,農場主=企業家としてよいであろう。

企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −15−

( 7 )

(8)

「企業家」をみる。諸産業に最も大きな変化をもたらす要因を企業家に求め ている。

企業家の要件のうち,最も重視されるのは,企業家が,直接,事業のリス クを負うということである。マーシャルは言う。企業家とは産業において

「リスクを負担し,企業の経営を引き受ける人々」25)であると。

この点をもう少し詳しくみてみよう。

マーシャルがみるところ大部分の企業では,生産を指導する役割は雇用者 の専門的な集団ないしは「実業家」(business man)の手に委ねられている。

実業家は事業のリスクをあえて冒しあるいは引き受ける(undertake)。実業 家は,仕事に必要な資本と労働力を結合させ,一般的な計画を立てあるいは うまく処理する。細部においては監督もする。実業家は肉体労働者と消費者 との間に介在する仲介人(middleman)とみなせる。ある種の実業家の中に は自ら大変なリスクを引き受け,その取り扱っている商品の生産者と消費者 の双方の福祉に重大な影響を及ぼしている26)

この場合,「実業家」となっているが,ところでギルボウ(C. W. Guillebaud)

も注釈でそうしているけれども,ここでは実業家を企業家としてよいであろ う。なぜなら,実業家が単なる経営者なのではなく,上でみたように「自ら リスクを引き受ける者」と考えられているからである。

!

マーシャルにおける企業家の「水系」

a.企業家の源流

企業家はいつ頃からみられるようになったのか。マーシャルはその端緒を 5世紀の羊毛工業にみている。

さて,製造業における企業家の出現傾向は,英国の外国貿易発達に先んじ

25) Marshall [1959], p.617. 邦訳書(馬場訳〔Ⅰ〕,146ページ。

26) Marshall [1959], pp.244245. 邦訳書(馬場訳〔Ⅱ〕,284ページ。

−16−

( 8 )

(9)

て始まった。実際,その発端は15世紀の羊毛工業に見出されると27)。このよ うに工場制が出現する以前に企業家は存在したというのである。

例えば,紡績業は,比較的少数の企業家によってコントロールされて いた。企業家はいつ,どこで売買するのが最も有利か,どのような商品 を作るのが最も収益が高いかを探り出して,全国各地に広く分散してい る多数の人々にこの商品を注文し,これを生産させた。企業家は,一般 的には原料を注文し,時には使用する簡単な道具さえも提供した。注文 を受けたものは自分とその家族の労働,時には少数の助手(assistant)

の労働を借りて生産を行った28)

また,被服業においては「家内工業」(house industry)制度が取り入 れられていたが,この制度の下では,大きな企業家が小屋か非常に小さ な仕事場でやるような仕事を注文に出していた。イングランドでは辺ぴ な村へ大きな企業家の代理人が回って来て,村人にあらゆる種類の品物,

とくにシャツや襟,手袋などの被服類の半製品を引き渡し,その完成品 を引き取っている29)

さらに,大工場時代の始まる直前の羊毛業においては,企業家は投機 的な仕事と販売および購入に伴う広範なリスクは引き受けるが,自分で は労働者を雇用しなかった。小規模な親方たちが,監督の細かい仕事を 引き受け,締結した契約を実行することに伴う小さなリスクだけを負担 した30)

このように,マーシャルは工場制が生まれる以前の企業家をみている。で は,その後工場制がみられるようになった時代の企業家とはどのような者 だったのだろうか。

27) Marshall [1959], p.618. 邦訳書(馬場訳〔Ⅰ〕,144ページ。

28) Marshall [1959], p.618. 邦訳書(馬場訳〔Ⅰ〕,145ページ。

29) Marshall [1959], p.246. 邦訳書(馬場訳〔Ⅱ〕,286ページ。

30) Marshall [1959], p.246. 邦訳書(馬場訳〔Ⅱ〕,285ページ。

企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −17−

( 9 )

(10)

b.大工業時代の企業家(=資本家的企業家)

マーシャルがみるところ。動力が水力から蒸気力へと換わり,大規模な工 場が出現してくると,しだいに企業家は,工場内に多数の労働者を集め,工 場労働者を大口で雇用することになった。特殊な能力を持った「資本家的企 業家」(capitalist undertaker)が支配する大企業(large business)がみられる ようになった31)

企業家は,たくましい応変の才を持った人々であり,企業心に富んだ人々

(enterprising men)である。新しい種類の(race)企業家は,主として自ら産 をなした32)

!

企業の誕生,成長,衰退と企業家

マーシャルは,企業の勃興,成長,衰退との関連から企業家を次のように 説く。

とある「有能な者」(筆者がみるところ,これこそが企業家である)

は,何らかの幸運に恵まれて,業界に確固とした足場を築き,よく働き,

つつましく生活していって,その自己資本を速やかに拡大させ,いっそ うの資本の借り入れを可能にする信用を急速に伸ばしていき,ふつう以 上の熱意と能力を持った部下たちをその周囲に集める。部下たちは誰も が適した仕事を分担し,これにその活力を注ぎ込む。成功は信用を呼び,

信用はさらなる成功をもたらす。信用と成功とは古い顧客を離さずにつ なぎとめておき,さらに新しい顧客を増やす。その有能な者の活力(en- ergy)や機略(enterprise),創意(inventive),組織力(organizing power)

が保たれ,彼が初心を忘れない限り,どこまでも続いて行くであろう。

事業にはつきもののリスクによって彼が非常に大きな損失でも被らない

31) Marshall [1959], pp.618619. 邦訳書(馬場訳〔Ⅰ〕,145〜146ページ。

32) Marshall [1959], p.620. 邦訳書(馬場訳〔Ⅰ〕,149ページ。

−18−

( 10 )

(11)

限り,この過程が中断されることはあるまい33)

ところがである。人の生命には限りがある。やがてはその「有能な者」

(=企業家)はリタイアすることになる。ところが,その企業において「有 能な者」(=企業家)が後継者として現れつづけることはないであろう。

マーシャルが言うには,「仮に事業の繁栄に対する積極的な関心の強さに おいては劣らないとしても,活力(energy)や創造的な天分(creative genius)

が劣った人々の手に,しばらくするとその企業の指導(権)は移っていく」34) こうして,その企業は力を失っていき,後から生まれた若い企業との競争に 敗れることもある(補注)

(補注)マーシャルの諸企業への視点は,「森の木の比喩」あるいは「若木成長論」

といわれる。「巨大な株式会社企業」が出現するようになったから,やや例外 はみられるようになったものの,諸企業の「勃興」(rise)と「衰退」(fall)

「上昇局面(ascending phase)にある企業」と「下降局面(descending phase)

にある企業」が森の木のようにみられるのである35)

マーシャルは,企業の源流を遠く15世紀に求めている。企業とは,単なる 経営者ではなく,みずからリスクを引き受ける「有能な者」である。誰でも

「企業家」になれるのではない。マーシャルは,活力や機略,創意(創造 的な天分),組織力といった特別の才をもったものを「企業家」としてい る。

もう1点は,マーシャルの場合,彼の企業観とも関わる。すなわち,容易 なことでは衰退しない大企業(株式会社)という例外がみられるようになっ

33) Marshall [1959], pp.262263. 邦訳書(馬場訳〔Ⅱ〕,311ページ。

34) Marshall [1959], p.264. 邦訳書(馬場訳〔Ⅱ〕,312〜313ページ。

35) Marshall [1959], p.264. 邦訳書(馬場訳〔Ⅱ〕,313ページ。

企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −19−

( 11 )

(12)

たとはいえ,マーシャルの「若木成長論」「森の木の比喩」においては,一 に企業家に企業の誕生,成長,衰退の要因が求められているといってよいで あろう36)

4.M.ウェーバーにおける企業家

!

前資本主義(経済)と近代資本主義(経済)

次いで,ドイツの社会学者であり,経済学も独自の視点から展開したマッ クス・ウェーバー(Max Weber:14〜10年)も独自の視点から企業家に ついて触れているので以下,やや詳細に検討してみよう。

さて,ただちに議論になるところだろうが,ウェーバーは歴史上すべての 時期において「資本主義〔経済〕」が存在したとみている37)。すなわち,そ の著『一般社会経済史要論』38)において,ウェーバーはこの「資本主義〔経 済〕」を「前近代的資本主義〔経済〕39)と「近代資本主義〔経済〕40)に区分し ている。紀元前から資本主義(経済)があったとし(前近代的資本主義〔経 済〕,産業革命期以降,近代資本主義経済が一定の条件のもとで生まれたと

36)なお,池本正純教授は,マーシャルの系譜をひく研究者として,カーズナー(Kir- zner [1973]),ナイト(Knight [1921]),ペンローズ(Penrose [1959])を挙げている ― 池本正純[1984年]

37) Weber [1924], S.239. 邦訳書(黒正・青山訳・下巻),120ページ。

38)ただし,この著作は,編集者たち(S. HellmanM. Palyi)が「編者序言」で述 べているように,1919年〜20年にかけての冬学期に「一般社会経済史要論」とい う講義を行った際の講義ノートを整理したものであるから,厳密にはウェーバー 自身による著作とはいいがたい。

39)ウェーバーは,「前近代的資本主義〔経済〕」を「非合理的資本主義〔経済〕」で あるとする。「われわれが世界史上ありとあらゆるところにおいて,その上ありと あらゆる時代において遭遇するのは多種多様なる形態における『非合理的資本主 義〔経済〕』である」と ―Weber [1924], S.286.邦訳書(黒正・青山訳・下巻),209 ページ。

40)これをウェーバーは,「合理的資本主義〔経済〕」と呼んでいる。「合理的資本主 義〔経済〕は,市場機会を目的としており,合理的であればあるほど,いっそう 大量的・大衆的なる販路や大量的・大衆的なる欲望充足の機会を目的とするよう になる」―Weber [1924], S.286. 邦訳書(黒正・青山訳・下巻),210ページ。

−10−

( 12 )

(13)

説く。

ウェーバーは,近代資本主義(経済)の生成を人々の内側から推し進めて いく,心理的機動力,精神 ―― 後述する「資本主義の精神」―― と禁欲的プ ロテスタンティズムの関係に求める41)

やや掘り下げれば,前近代的資本主義(経済)においてそれを担った主体 の1つが「企業家」(Unternehmer, Unternehmertum)であ っ た。さ ら に 近 代 資本主義(経済)の勃興を担い,近代資本主義(経済)そのものを担ってい るのも企業家であり,もう1つの主体が,労働者(それも「自由労働者」42) であった。

"

近代資本主義(経済)の成立とプロテスタンティズム ウェーバーは,初期に執筆した大きな論

!

!

「プロテスタンティズムの倫理 と資本主義の精神」の中で,前近代的資本主義(経済)から近代資本主義(経 済)への移行を成し遂げたのは,あるいはその後の近代資本主義(経済)存 続の担い手としての企業家と労働者をその内面から始動せしめたのは,商 業・金融活動を活発に行ったユダヤ人でもカソリック信徒でもなく,ほかな らぬプロテスタントだったとみる43)

さて,プロテスタンティズムの中でもとくにはピューリタニズムの人生

41)ウェーバーは,企業家が物的獲得手段を専有すること,市場の自由,合理的技 術(機械化された技術),合理的法律,自由なる労働,経済の商業化の6つを近代 資本主義(経済)の前提条件と考えている ―Weber [1924], S.239.邦訳書(黒正・

青山訳・下巻),121〜122ページ。また,近代資本主義(経済)を生み出した要因 として,合理的な持続的企業,合理的簿記,合理的技術,合理的法律を挙げてい る。さらには,人間の内面的なもの,すなわち合理的精神,生活態度の合理化,

合理的な経済倫理をその要因として挙げている ―Weber [1924], S.302.邦訳書(黒 正・青山訳・下巻),237ページ。

42)「自由労働者」とは,自己の労働力を自由に市場で売ることが法的に許されて いるのみならず,経済的にそうせざるを得ない人々のことである ―Weber [1924],

S.239.邦訳書(黒正・青山訳・下巻),121〜122ページ。

43) Weber [1920], S.19. 邦訳書(大塚訳),8ページ。

企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −11−

( 13 )

(14)

観には,どのような場合にも市民的な,経済的に合理的な生活態度へ向かお うとする傾向があり,それは近代の経済人(Wirtschaftmensch)の発祥地と なった44)

ウェーバーがみるところ,まさにこれらの層から西洋の資本主義(経済)

に特徴的な工業労働の市民的=私経済的組織が生まれた。大富豪たち,すな わち独占的資本家,御用商人,御用金融業者,植民地企業家,会社発起人と いった人々の手でこうした組織は,作り出されたものでは決してなかったと いうのである45)

!

プロテスタンティズムにおける禁欲と天職(ベルーフ)

a.プロテスタンティズムにおける禁欲

宗教改革後,禁欲的プロテスタンティズムでは,旧来の商人たちの暴利は 倫理的に最大の悪事であるかのように考えられ,厳しく取り締まられた。と ころが,プロテスタンティズムの国で近代資本主義(経済)が生まれた。で は,何故にプロテスタンティズムとくにはピューリタンが近代資本主義(経 済)成立に資することがあったというのだろうか。

ウェーバーはプロテスタンティズムの禁欲にそれを求める。

プロテスタンティズムの禁欲は,労働を「天職」(Beruf)とみた。ピュー リタンは天職人(Berufmensch)たらんと望んだ46)

天職として労働義務を遂行し,それを通して神の国を求めるひたむき な努力と,ほかならぬ無産階級に対して教会の規律が自ら強要するよう な厳格な禁欲とが,資本主義的な意味での労働の生産性を促進した。労 働を天職とみなすことが近代の労働者の特徴となった。さらに,プロテ

44) Weber [1920], S.195. 邦訳書(大塚訳),257ページ。

45) Weber [1920], S.195. 邦訳書(大塚訳),259ページ。

46) Weber [1920], S.203. 邦訳書(大塚訳),267ページ。

−12−

( 14 )

(15)

スタンティズムの禁欲は企業家の営利をも天職と解して,それによって この独自な労働意欲の搾取をも合法化した47)

できる限り利得するとともに,できる限り節約する者は,それを手元 では消費せず,また恩恵を増し加えられて天国に宝を積むために,でき るかぎり公のために役立てようとした48)「天職という概念」(Berufsbe- griff)が明らかにされた結果,先ず近代の企業家が驚くべく善良な良心 を持つに至った。そして,「天職という概念」によって,もう一方では 労働を嫌がらぬ労働者が提供されるようになった49)

こうして,企業家にしろ労働者にしろできるだけ利得を得ることは神の道 にかなうことになったのである。

b.資本主義(経済)確立後の禁欲

ところで,近代資本主義(経済)が確立すると,もはや禁欲の精神という 支柱は必要とされなくなった。つまり,資本主義(経済)における営利活動 においては宗教的・倫理的な意味が取り去られ,資本主義(経済)ではその 法則が人々を支配するようになったとウェーバーは言いたいのである。「プ ロテスタンティズムによらなくても,今度は,今日の資本主義社会は自らが 必要とする経済主体すなわち企業家と労働者を教育し,作り出していくよう になった」50)と。

大塚久雄教授もかつて言ったように,ピューリタンたちは,新しい資本主 義(経済)が確固たるものとなると,その法則から今度は儲からなければ経 営を続けていけなくなるようになってくる。資本主義経済システムが逆に彼 らに世俗的禁欲を外側から強制するようになってしまった。こうなると,信 仰など内面的な力はもう必要とはならない。信仰は薄れていく。こうして,

47) Weber [1920], SS.200201. 邦訳書(大塚訳),264ページ。

48) Weber [1920], S.197. 邦訳書(大塚訳),258〜259ページ。

49) Weber [1924], S.313. 邦訳書(黒正・青山訳・下巻),256ページ。

50) Weber [1920], S.37. 邦訳書(大塚訳),37ページ。

企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −13−

( 15 )

(16)

宗教的革新はしだいに失われて,金儲けを倫理的義務として是認するように なってしまった。これが「資本主義の精神」である51)

!

企業家

a.前資本主義(経済)における企業家

それでは,ウェーバーは前近代的資本主義(経済)において企業家をどの ようにみているのであろうか。

かつて,企業家がエルガステリオン(Ergasterion:ギリシアやビザン チンの「仕事場」)で自己の奴隷を自己のために労働せしめたこともあ る。企業家はその生産物を自分のところで販売することもあるが,相当 の献納をとって,その販売を奴隷に委ねたことがあった52)

さらに,遠くは紀元前のエジプト国王(ファラオ)に始まった手工業

(オイコス手工業)は,その後,中世の王侯,荘園領主,僧院などの経 営にいたるまで,いろいろ姿を変えていった。この場合には,家計と企 業との区別はなかった。企業は一般的にはただ企業家の副業的経営にと どまった53)

これからして,エジプト王朝に企業家の源流が求められるのかどうかは特 定できないけれども,ウェーバーは企業家の源流をギリシア時代にまで遡り,

あるいは中世の王侯や領主,僧院が企業家である場合があったとしているこ とが理解できよう。

b.近代資本主義(経済)における企業家 ――「近代企業家」の登壇 ところで,産業革命は,18世紀後半に英国に始まり,爾後19世紀に欧米や 日本へと波及していった54)。工業は工場制手工業から機械制大工業へ急速に

51) Weber [1920],邦訳書(大塚訳)の「訳者解説」,302〜303ページ。

52) Weber [1924], S.114. 邦訳書(黒正・青山訳・上巻),247ページ。

53) Weber [1924], S.115. 邦訳書(黒正・青山訳・上巻),248ページ。

54)川上義明[2006年]163ページの図表3−1を参照。

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( 16 )

(17)

発展した。

この場合,言わば「生産の単位」は,「工場」であった。この「工場」が 確立するためには,一定に前提条件が必要であった(補注)

(補注)その前提条件は以下の3つである。①大量の販路および継続的販路があ ることである。市場が不安定なこと,景気消長のリスクは直接企業家の双肩 にかかっている。②持続的に市場を確保しようとすれば企業家は家内工業や 問屋制度の伝統的技術よりもいっそう安価に生産することが必要となるから 生産過程における技術が比較的安価なことである。③十分に多くの「自由な る労働者」が必要となる。奴隷労働の基礎の上では工場の成立は不可能であ 55)

その前提条件が満たされ,「近代工場」56)が確立した。

工場は自由なる労働と固定資本(当時のことゆえ,馬力による起重機でも,

水力でも)とをもってする「仕事場経営」である。この工場において決定的 なのは,家計と経営が分離していることと,企業家が固定資本をもって,資 本計算を行い,運営していることである57)

c.企業家の資質

以上でみたように,ウェーバーがみるところ近代資本主義(経済)拡大の 原動力は,物的,制度的な要因はもちろんであるが,何にもまして「資本主 義の精神」である。それを体現している者の1つが企業家である。では,企 業家はどのような資質を持っているとウェーバーはみるのであろうか。

55) Weber [1924], SS.149150. 邦訳書(黒正・青山訳・上巻),303〜304ページ。

56)仕事場,道具,動力源,原料が企業家の手中に専有せられることが近代工場の 決定的標識である。こうした専有の集中は,18世紀以前においてはつねに孤立的 散在的であった ―Weber [1924], S.260. 邦訳書(黒正・青山訳・下巻),154ペー ジ。ウェーバーは,最古の「近代工場」として,(近代資本主義〔経済〕時代では なかったが)1717年から水力で運転されたイギリスのダービー(Derby)村の絹織 物工場を挙げている。この工場の労働用具やその他を企業家が専有していたとい う意味で,「近代工場」なのである ―Weber [1924], S.260. 邦訳書(黒正・青山訳・

下巻),155ページ。

57) Weber [1924], S.149. 邦訳書(黒正・青山訳・上巻),303ページ。

企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −15−

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企業家は経済的に道徳的に破滅に陥らぬためには,きわめて堅固な性 格を必要とする。また,企業家は明晰な観察力と実行力とともに,とり わけ決然とした顕著な倫理的資質をそなえていなければ,顧客と労働者 からの信頼を得ることはできない58)

企業家は見栄や不必要な支出を好まないばかりか,故意に権勢を利用 することを嫌う。加えて,現に自分の得ている社会的名声に対して外か ら褒賞を受けることさえ喜ばずにこれを避ける59)。多数の人々に労働を 与えて,経済的繁栄のために尽力したという満足と誇り,こうしたもの すべてが,企業家層にとって独自の人生の喜びであり,かつ理想主義的 な意味を持つ60)。企業家には,厳格でかつ実直なこと,行動的な信条を 持つことが要請される61)

このようにウェーバーは,企業家の資質を指摘するのである。

d.企業家=所有者,リスクの負担者

企業家とは一般的には単なる経営者ではなくて,所有経営者であり,リス クを直接負担する者である。この点をウェーバーはどのようにみているので あろうか。

ウェーバーは,別の論文「身分と階級」の中で,①財産のある階級を「特 権ある財産階級」と規定し,また,②財産がない者かあるいは債務者よりな る階級を「特権のない財産階級」と規定する。③この①と②の間にある階級 が「中間階級」である62)

この「中間階級」には,財産とか教育が与えられ,それによって利得を得 る者が含まれる。ウェーバーは,この中に企業家が含まれるとする63)

58) Weber [1920], S.53. 邦訳書(大塚訳)邦訳書,55ページ。

59) Weber [1920], S.55. 邦訳書(大塚訳),57ページ。

60) Weber [1920], S.61. 邦訳書(大塚訳),65〜66ページ。

61) Weber [1920], S.145. 邦訳書(大塚訳),185ページ。

62) Weber [1976], SS.177178. 邦訳書(濱島訳),119〜120ページ。

63) Weber [1976], S.178. 邦訳書(濱島訳),119〜120ページ。

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( 18 )

(19)

例えば工業の場合,その企業家は生産手段の所有者(=出資者)であると みている。ところで,近代工場の所有者は企業家である。そこで働く労働者 の主人は市場のために生産する企業家である64)

ウェーバーも企業家とは所有なき経営者ではなく,所有経営者とみている のである。

独特の研究方法から資本主義(経済)の成立と展開を説いたのがマック ス・ウェーバーであった。ウェーバーは前近代的資本主義(経済)から近代 資本主義(経済)への移行とその後の近代資本主義(経済)存続の担い手と して企業家と労働者を定立する(なお,前資本主義〔経済〕においても企業 家を認めている)。近代資本主義(経済)の生成において,ウェーバーは彼 らをその内面から起動せしめたのは,ほかならぬプロテスタントだったと考 えた。近代資本主義(経済)が確立し,その法則が人々をして支配するよう になると,もうプロテスタンティズムによらなくとも,今度は近代資本主義

(経済)は自らが必要とする経済主体である企業家と労働者を自ら教育し創 出するようになった。

ウェーバーにおいては,近代資本主義(経済)拡大の原動力は何にもまし て「資本主義の精神」であり,それを体現している者の1つが企業家である。

企業家は一定の資質を必要とし,リスクを引き受ける。また,ウェーバーは 企業家を社会階級的には「中間階級」に位置付けている。

小稿では,英国でも欧州大陸(独仏)でも産業革命期を終え,資本主義経

64) Weber [1924], S.159. 邦訳書(黒正・青山訳・上巻),318ページ。

企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −17−

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(20)

済システムが確立した時期以降の研究者4人(シュモラーおよびメンガー,

マーシャル,M.ウェーバー)がどのように企業家とその機能をみたのか検 討した。

まず,シュモラーは,商工業はもちろん農業の中にも企業家を見出した。

シュモラーにおいては社会的機関としての企業の中心にあるのが企業家であ る。特徴的は,取引上の機能(経済的機能)と技術的機能を果たす者が企業 家とみられていることである。

また,メンガーにおいては,技術的用役を提供するだけでなく,経済計算 を行い,生産目的をもって生産する者が企業家である。メンガーにおいては,

産業革命を経て,大企業が出現すると企業家の活動には補助者が必要になる が,依然として経済情勢に関する情報の収集や経済計算,生産に関する意思 決定,監視といった企業家活動は不変だとする。

さらに,マーシャルは企業家の源流を15世紀にまで遡る。マーシャルにお いて,企業家は肉体労働者と消費者との間に介在する仲介人である。たくま しい応変の才をもった,企業心に富んだ,新しい種類の企業家が産をなした。

だが,後から生まれた若い企業との競争に敗れる企業もある。なお,彼の立 論上例外的とみざるをえないのだが,マーシャルは容易には死滅しない企業

(大企業株式会社企業)における資本家的企業家を認めた。

加えて,ウェーバーにおいて特徴的なのは何も資本主義(経済)は「近代 資本主義〔経済〕」だけではなく,その前に「前近代的資本主義〔経済〕」が 存在したと説いたことである。この前近代的資本主義(経済)においてそれ を担ったのが企業家であった。前近代的資本主義(経済)から近代資本主義

(経済)の生成をウェーバーは人々の心理的起動力に求めた。つまり,近代 資本主義(経済)存続の担い手は,プロテスタンティズムの禁欲から生まれ た企業家であり,また労働者である。企業家とは一定の資質をもった者であ るが,ところで,いったん近代資本主義社会が生まれると,信仰は薄れてい

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( 20 )

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き,そこではそれの存続に必要な企業家と労働者をその社会そのものが生み 出していくようになると説いた。

このように,小稿でみたのは,(近代)資本主義(経済)以前の企業家と その機能,近代資本主義(経済)生成と確立の主な要因としての企業家とそ の機能である。

かくして,次なる課題が明らかとなる。近代資本主義経済システム確立以 降における企業家とその機能である。

引用・参考文献 1.和文

〔1〕池本正純[1984年]『企業者とはなにか』,有斐閣。

〔2〕川 上 義 明[2006年]「企 業 生 成・発 展 の 変 動 要 因 と し て の 企 業 家(Ⅰ)

― 序 ―― 」『福岡大学商学論叢』,第51巻第2・3号,福岡大学研究推進部。

〔3〕川上義明[2007年]「企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅱ)―― 産 業革命期とそれ以前の段階の考察 ―― 」『福岡大学商学論叢』,第52巻第1号。

〔4〕田村信一[1993年]『グスタフ・シュモラー研究』,御茶の水書房。

2.欧文

〔1〕Kirzner, I. M. [1973],Competition & Entrepreneurship, University of Chicago Press.

〔2〕Knight, F. H. [1921],Risk, Uncertainty and Profit, Houghton Mifflin.

〔3〕Marshall, Alfred [1959],Principles of Economics(eighth ed.), Macmillan & Co. Ltd

(1st ed. 1920). 馬場啓之助訳『マーシャル経済学原理Ⅰ』,1965年。馬場啓之助

訳『マーシャル経済学原理Ⅱ』,東洋経済新報社,1966年。

〔4〕Menger, Carl [1871],Grundsätze der Volkswirtschaftslehre, Erster, Allgemeiner Theil,

Wilhelm Braumüller. 安井琢磨・八木紀一郎訳『メンガー 国民経済学原理』,日

本経済評論社,1999年(旧訳:安井琢磨訳『メンガー 国民経済学原理』,日本 評論社,1937年)

〔5〕Penrose, E. T. [1959],The Theory of the Growth of the Firm, Basil Blackwell. 末松 玄六訳『会社成長の理論』,ダイヤモンド社,1962年。

〔6〕Schmoller, Gustav [1908], Grundriss der Allgemeinen Volkswirtschaftslehre, Verlag von Duncker & Humblot (erster Ed., 1900). 増地庸治郎訳『改訳企業論』,同文館,

1926年 ―― 原書の部分訳(第1巻第2篇第7章および第8章)

〔7〕Weber, Max [1920], Die protestantische Ethick und der Geist des Kapitalismus,Ge- sammelte Aufsatze zur Religionssoziologie, Bd. 1, J. C. Mohr.大塚久雄訳『プロテス タンティズムの倫理と資本主義の精神』,岩波書店,1988年。

〔8〕Weber, Max [1924], Wirtschaftsgeschichte : Abriss der universalen Sozial- und 企業生成・発展の変動要因としての企業家(Ⅲ)(川上) −19−

( 21 )

(22)

Wirtschafts-Geschichte, Verlag von Duncker & Humblot. 黒正 巌・青山秀夫訳『一 般社会経済史要論』(上巻)(下巻),岩波書店,1954年・1955年。

〔9〕Weber, Max [1976], Stände und Klassen, Wirtschaft und Gesellschaft : Grundriss der verstehenden Soziologie, fünfte, revidierte Auflage, 1. Halbband (erste Auflage : 1976), J. C. B. Mohr (Paul Siebeck). 濱 嶋 朗 訳「身 分 と 階 級」『M・ウ ェ ー バー 権力と支配』,有斐閣,1988年,所収。

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参照

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