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カール・ビンディングの義務衝突論とその系譜に関する考察(一)

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カール・ビンディングの義務衝突論と その系譜に関する考察(一)

──義務の衝突に関する刑法学説の整序に向けて──

勝 亦 藤 彦

〈目次〉

Ⅰ 問題の所在

Ⅱ ビンディングの義務衝突論の概観 拡張的な Notstand 概念の構成

()拡張的な Notstand 概念とその定義

()「Notstand の定義規定の次元」と「衝突解決の次元」との 相違

Notstand における衝突解決のための一般的な法原理 拡張的な Notstand 概念に包摂される三類型の内実

()義務の衝突(Pflichtenkollision)

(a)義務衝突の解決規準としての第一命題

(b)義務衝突の解決規準としての第二命題

()法益と法益の衝突

(a)緊急権に基づく権利行為としての緊急避難

)緊急権に基づく権利行為の法効果

)緊急権に基づく権利行為の法効果

)緊急権の範囲の限定

)緊急権の範囲の限定

(b)禁じられない行為としての緊急避難

)禁じられない行為の意義と根拠

)禁じられない行為の限定

)禁じられない行為の法効果

)禁じられない行為の法効果

(2)

()法益と法的義務の衝突/法的義務と法益の衝突

Ⅲ ビンディングの義務衝突論に関する検討

義務の衝突に関する Binding の第一命題および第二命題に関 する考察

()impossibilium nulla obligatio est の原則に基づく義務衝突 論の先駆け

()Binding の第一命題および第二命題の実質的根拠の精査

(a)第一命題および第二命題の実質的根拠に関する従来 の評価

)一元的優劣評価説

)二元的併合評価説

a)小損害選択の原則(広義)に基づく二元的併合 評価説

b)小損害選択の原則(狭義)に基づく二元的併合 評価説

(b)Binding の見解と超過的差別説との乖離

()義務衝突の類型と義務緊急避難の概念

(a)衝突義務の類別と義務衝突の類型

(b)義務緊急避難の概念

)実質的な義務緊急避難の概念

)形式的な義務緊急避難の概念

()第一命題および第二命題による法効果

(a)第一命題による法効果

(b)第二命題による法効果

)不定評価論

)免責評価論

)適法評価論

Binding の拡張的な Notstand 概念に属する他の二類型と義務 衝突との対比

()「法益と法益の衝突」と「法的義務と法的義務の衝突」と の対比

(a)「法益衝突における権利行為」と「義務衝突行為」と の対比

(3)

)基本的法定性の要請の要否──義務衝突の実質的 独自性A

a)義務の衝突に関する法律上の規制の困難性 b)基本的法定性の要請の根拠とその妥当範囲

)正当化の基幹原理の相違──義務衝突の実質的 独自性B

)小括

(b)「法益衝突における禁じられない行為」と「義務衝突 行為」との対比

)不可罰性に関する基幹原理の相違──義務衝突の 実質的独自性C

)法効果の相違──義務衝突の実質的独自性D

)法効果の相違──義務衝突の実質的独自性E

)法効果の相違──義務衝突の実質的独自性F

)法効果の相違──義務衝突の実質的独自性G )小括

()「法益と法的義務の衝突」等と「法的義務と法的義務の 衝突」との対比

(a)緊急権に基づく権利行為とされる場合

(b)禁じられない行為とされる場合

()緊急状況を有責に招致した場合における処理の相違

(a)真正の義務衝突および「法益と法的義務の衝突」の 場合

(b)法益衝突および「法的義務と法益の衝突」の場合 Binding の義務衝突論における思考構造と Binding の見解の

位置づけ

()Binding の義務衝突論における思考構造

(a)上位概念の形成と義務の衝突の包摂

(b)下位概念の形成による緊急行為の三類型の区別

(c)緊急行為における違法性阻却の実質的原理の個別的 理解

()Binding の見解の評価と位置づけ(以上、本号)

(4)

Ⅳ ビンディングの義務衝突論の影響──学説の分岐過程の断面──

Binding 以前における Notstand に関する類似の定義

Binding 以降における Notstand の概念・定義と類型的概念の 機能の変遷

()Binding の Notstand 概念・定義および類型的概念の継承

(a)Binding の Notstand 概念・定義の従順な継承

(b)三類型の概念的区別の継受

()Notstand の定義と類型的概念の機能の変遷

(a)Binding の Notstand の定義の修正+類型的概念の 機能の変質

)Julius Würzburger の見解

)Sigismund von Czarnecki の見解

)Rudolf Schultz の見解

(b)Binding の Notstand の定義の修正+類型的概念の 機能の形骸化

)Heinrich Titze の見解

)Moritz Liepmann の見解

)Wilhelm Sauer の見解

Binding 以降における義務衝突の実質的独自性の探究

()義務衝突の実質的独自性の包括的理解

(a)義 務 衝 突 の 実 質 的 独 自 性 の 包 括 的 肯 定 + 拡 張 的 Notstand 概念の維持

)Georg M. Gareis の見解

)Heinrich Henkel の見解

(b)義 務 衝 突 の 実 質 的 独 自 性 の 包 括 的 肯 定 + 拡 張 的 Notstand 概念の消極化

)Hellmuth von Weber の見解

)Max Jansen の見解

()義務衝突の実質的独自性の限定的理解──衝突形態など との関係──

(a)義 務 衝 突 の 実 質 的 独 自 性 の 限 定 的 肯 定 + 拡 張 的 Notstand 概念の維持

)Karl Siegert の見解

(5)

)Ernst Traeger の見解

(b)義 務 衝 突 の 実 質 的 独 自 性 の 限 定 的 肯 定 + 拡 張 的 Notstand 概念の否認

)Heinrich Kroner の見解

)小括

Ⅴ 結びにかえて

()Binding の義務衝突論に関する評価のまとめ

(a)Binding の義務衝突論に関する評価の確認

(b)Binding の義務衝突論の問題点

()Binding の義務衝突論を基点とした定点観測

(a)Binding の義務衝突論における基本思考(定点観測の 基点)

(b)定点観測の有用性とその射程

)Binding 以降の義務衝突論における学説の系譜の 整序

)義務の衝突に関するライヒ裁判所の判例の動向の 理解

)緊急避難と義務衝突を区別するテーゼの検証

)問題意識と今後の取組み

Ⅰ 問題の所在

ドイツ刑法学における義務衝突論に関して、きわめて強い影響を与えて

きた偉大な学者の一人として、カール・ビンディング(Karl Binding)の

名が挙げられよう。Binding は、既に1885年に公刊された名著 Handbuch

des Strafrechts の第一巻の中で、刑法における緊急避難に関して詳細な論

述を行い、その中で、義務の衝突に関しても明敏な考察を行っていた

()

Binding は、いわゆる真正の義務衝突(echte Pflichtenkollision)の問題に

ついては、従来、「法学の文献においておよそ等閑視されてきた」(in der

(6)

juristischen Literatur ganz vernachlässigt werden)と指摘した上で

()

、後述 するように、「価値の異なる義務の衝突」および「同価値の義務の衝突」

を違法論において解決するために、二つの命題(Sätze)を明確に提示し たのである。

Binding の義務衝突論の評価(学説史論) Binding の義務衝突 論に関する評価の一つとして、従来、(A)Binding を刑法学における義務 衝突論の「創始者」(Urheber)として位置づけようとする見解がある。

例えば、わが国における義務衝突論の第一人者の一人である森下忠先生は、

1960年に公表された重要論文「義務衝突の法的構造」の中で、「義務衝突 の問題を最初に提出したのは、ビンディングである。由来、義務衝突論は ドイツ刑法学の課題の一つとされている」と指摘され

()

、「義務衝突の問題 を最初に刑法学の領域で採り上げたのはビンディングである」と評価され ている

()

。また、Max Jansen も、「おそらく最初に、ビンディングが、実生 活 に お け る 数 多 く の 義 務 の 衝 突 を 認 識 し、1885 年 に 公 刊 し た 著 書 Handbuch des Strafrechts において、彼の独特の緊急避難体系の枠内で義 務衝突の本質を究明しようとする大胆な試み(den großzügigen Versuch, den Wesen der Pflichtenkollisionen im Rahmen seines eigenartigen Notstandssystems zu ergründen)を行った」と指摘して

()

、義務衝突論の 研究領域における Binding の功績を高く評価しているのである。

これに対して、(B)義務衝突論の学説史における Binding の見解の位 置づけに関しては、ややトーン・ダウンした評価もみられる。例えば、わ が国における義務衝突論のもう一人の第一人者である阿部純二先生は、

1958年に公表された連載の研究論文「刑法における義務の衝突」の中で、

刑法における「義務の衝突について、はじめて一応の解決をもたらしたの

は、ビンディングであった」と評価されている

( )

。また、日独の義務衝突論

の研究をライフワークとされ、わが国において最も多大な功績を示された

(7)

大嶋一泰先生は、その集大成として公刊された著書『刑法における義務衝 突論の研究』の中で、「ドイツではビンディングが、早くから義務衝突を 緊急避難の一場合と把握した」と指摘されているにすぎないのである

()

たしかに、Binding は、刑法における義務の衝突について拡張的な Notstand の概念の中で論究し、その後の日独の義務衝突論に対して多大 な影響を与えてきたといえよう。しかし、Binding をドイツ刑法学におけ る義務衝突論の「創始者」として評価すべきか否かは、一つの問題である。

森下忠先生は、上記の論文公表の直後に公刊された名著『緊急避難の研 究』の中で、Binding より以前に、Christian Wolff (1679-1754)が「緊 急避難を法と法との衝突、または義務と義務との衝突、すなわち、自分自 身に対する義務と他人に対する義務との衝突と解した」のであり

()

、「ヴォ ルフが緊急避難を法衝突または義務衝突として把握したことは一つの進歩 というべきである」と指摘した上で

()

、「のちに、ビンディングが義務衝突 を緊急避難の一場合と解する見解を展開したが、その萌芽はすでにヴォル フに見られる」と評価されている

(10)

。また、J. A. Oersted も、既に1822年に、

刑法における緊急権(das Nothrecht)に関する論文の中で、「義務の衝 突」の問題についても慎重に考察していたのである

(11)

とはいえ、少なくとも、ドイツ刑法学における義務衝突論のいわば黎明 期において、Binding が殊のほか重要な功績を残したことは明らかであり、

その後の義務衝突論に対してきわめて強い影響を与えてきたといえよう。

Georgios Mangakis によれば、第二次世界大戦前の時代には、義務の衝突 に関する Binding の二つの命題がほぼ一般に承認されていたとされている

(12)

。 また、森下先生は、上記の論文の中で、さらにそれを超えて、Binding が 義務衝突の解決規準として提示した二つの命題が、「ビンディング以来、

支配的見解によって支持されて今日まで及んでいる」と指摘され

(13)

、第二次

世界大戦後の時代においても、少なくとも本論文の公表当時(1960年)に

(8)

至るまで、Binding の見解が強く影響を及ぼしていたことを示しているの である。

Binding の義務衝突論の評価(法的性質論) そこで、むしろ、

Binding の義務衝突論の評価としてより注目すべきなのは、次の点である。

すなわち、義務衝突の法的性質(本質)との関係で、Binding の見解につ いて、義務の衝突を緊急避難の一種と解する見解として捉える評価である。

このような評価は、従来、わが国においてもかなり定着しているように思 われる。

もっとも、このように理解する見解の中には、その説明の表現に微妙な ニュアンスの相違がみられ、Binding の見解については、次のような評価 説明が議論の過程に表出(浮上)してきた。そこには、その深層(水面 下)にある問題意識の微妙な相違が反映しているようにも思われる。

第一に、Binding の見解について、義務の衝突を「緊急避難の一場合」

と解する見解として捉える評価(評価Ⅰ)である

(14)

このような評価における表現それ自体によると、Binding の見解につい て、法益衝突としての通例の緊急避難に対する義務衝突の独自性をおよそ 否定する見解として評価しているとの印象がもたらされよう。ドイツにお いては、従来、こうした表現の下で、緊急避難に対する義務衝突の独自性 を包括的に否定して、義務衝突の法的性質(本質)を緊急避難と解する見 解(緊急避難本質説)もみられるからである。

しかも、こうした緊急避難本質説は、ドイツにおいて、Binding の義務

衝突論がいわば直接的な影響力を特に強く有していた1900年代初頭に、既

に有力に主張されていた。例えば、Julius Würzburger は、1903年に、①

義務の衝突においては、緊急避難の場合と同一の原理(dasselbe Prinzip

wie beim Notstande)が妥当し、②緊急避難と同様の取扱い(die gleiche

Behandlung)がなされることから、③義務衝突は「緊急避難の一場合」

(9)

(ein Fall des Notstandes)とされると論じていたのである

(15)

。しかし、は たして、Binding 自身も、Würzburger と同様に、「義務の衝突の場合に は、緊急避難と同一の原理が妥当し、緊急避難と同様の取扱いがなされ る」と実質的に考えていたといえるのであろうか。この点に関しては、

Binding の見解の内容を十分に精査して検討しなければならないと考える。

また、Würzburger の見解によれば、妥当する原理の同一性(上記①)

および刑法上の取扱いの同一性(上記②)を理由としてはじめて、義務衝 突の法的性質につき「緊急避難の一場合」として認めている。すなわち、

その思考論理においては、上記①および上記②の要素は、義務衝突を「緊 急避難の一場合」と捉えるための必要条件とされると解している。しかし、

Binding の見解に関して上記のように評価するわが国の従来の見解は、必 ずしもこうした実質的な観点にまで踏み込んだ上で Binding の見解の評価 を下しているわけではないように思われる。

第二に、Binding の見解について、義務の衝突を「緊急避難の亜種」と 解する見解として捉える評価(評価Ⅱ)がみられる

(16)

第三に、Binding の見解について、義務の衝突を「緊急避難の概念的な 下位事例」(ein begrifflicher Unterfall des Notstandes)と解する見解とし て捉える評価(評価Ⅲ)がある

(17)

上記の評価Ⅱ・評価Ⅲは、分類概念上の位置づけまたは上位概念と下位 概念の関係という形式的な概念構成の問題のみに着目して、Binding の義 務衝突論について片面的に評価しているにすぎないように思われる。たし かに、後述するように、Binding は、上位概念として拡張的な Notstand の概念を形成し、その中に下位概念として「法的義務と法的義務の衝突」

をも包摂する思考を示していた。しかし、こうした思考は、Binding の義

務衝突論の一部にすぎず、そこから直ちに義務衝突の法的性質(本質)が

確 定 さ れ る わ け で は な い。そ の 確 定 に と っ て よ り 重 要 な の は、

(10)

Würzburger が論じていたように、不可罰性を基礎づける実質的な個別原 理(実質的根拠)や法効果の内容を含めた刑法上の実体的な取扱いの異同 という観点なのである。

第四に、Binding の見解について、義務の衝突を「緊急避難の特殊な場 合」または「緊急避難の特別な場合」と解する見解として捉える評価(評 価Ⅳ)が提示されている

(18)

こうした評価Ⅳにおいては、いかなる意味で義務衝突が緊急避難の「特 殊」ないし「特別」な場合とされるのかという点が問題となる

(19)

。そして、

この問いに対する答えの如何によっては、上記の評価Ⅰ・評価Ⅱ・評価Ⅲ とは一線を画すことになり、さらには、Binding の見解について緊急避難 本質説の一種と捉える評価からも離れることになろう。それゆえ、この問 いに対する答えを模索する理論的な試みが必要となる。

本稿の目的 Binding の義務衝突論の理論的意義をいかに評価す べきかは、一つの重要な問題であり、従来、ドイツの学説においても、

Binding の見解の評価のあり方については、見解の相違がみられる。こう したドイツの論況は、わが国においては必ずしも適確に理解されてこなか ったように思われる。

そこで、本稿においては、Binding の義務衝突論の理論的意義を改めて 問い直し、緊急避難と義務衝突の関係をめぐる Binding の見解について再 評価を試みることにしたい。そこでは、特に、次の点について考察するこ とにする。

私見では、上述のように、Binding の見解について、義務の衝突を「緊 急避難の一種」と解する見解として捉える単眼的な評価(評価Ⅰ〜Ⅳ)に 対しては、疑問を抱いている。それゆえ、まず、(A)形式的な概念構成 に関する観点として、① Binding が提示した拡張的な Notstand の概念

(上位概念)とその定義、②この上位概念に包摂される下位概念を形成す

(11)

る三つの類型の緊急行為の内容を確認した上で、(B)実質的な当罰性に 関する観点として、③これらの三類型の緊急行為の不可罰性を基礎づける ために援用される実質的な個別原理の異同、④三類型の緊急行為の制約的 要素と法効果の異同などを確認しながら、これらの観点を複合的に捉える Binding の複眼的見解の特質を明らかにしてゆきたい。

また、Binding の義務衝突論が直接的な影響力を特に強く有していた 1900年代初頭に至る時期において、ドイツの学説が Binding の見解をいか に受容し、また、いかに修正していったのか、という学説の分岐の様相と その過程についても考察してみたい。Binding の見解を的確に評価し、対 比の定点を適切に設定することにより、これまで十分に解明されてこなか った義務衝突論における学説の進展過程の一端が理解されるように思われ る。また、こうした Binding の見解が提示された直後における学説の受容 と修正の過程(系譜)をも考察することにより、翻って、Binding の見解 それ自体の特徴と問題点も明瞭になると考える。さらに、このような修正 的見解の形成過程の中には、既に当時、今日の義務衝突論における学説の

原型(Urform)ともいえる見解もみられ、一考に値するといえよう。

Ⅱビンディングの義務衝突論の概観

まず、Binding の著作 Handbuch des Strafrechts の第巻(1885年)に

おいて展開された、緊急避難と義務衝突の関係をめぐる Binding の見解の

内容を概観しておきたい。なお、ここでは、Binding の論述の内容をでき

るだけ明確にするために、筆者が創案した見出しを付けながら、その趣旨

を整理・確認しつつ考察を進めることにする。

(12)

拡張的な Notstand 概念の構成

()拡張的な Notstand 概念とその定義

Binding は、ドイツ刑法旧規定52条・54条を超えた「超法規的緊急避 難」(übergesetzlicher Notstand)の概念の中には、「法益と法益の衝突」

(die Kollision von Rechtsgütern)、「法 益 と 法 的 義 務 の 衝 突」(die Kollision von Rechtsgut und Rechtspflicht)および「すべての義務の衝突」

(jede Pflichtenkollision)が 包 摂 さ れ る と 解 し て い た

(20)

。そ れ ゆ え、

Notstand(緊急状態)とは、「当事者が禁じられた行為によってしか、危 険にさらされた法益を保全しえず、または一方の義務を履行しえないとい う 人 間 の 状 態」(die Lage eines Menschen, worin er nur durch eine verbotene Handlung ein gefährdetes Rechtsgut erretten oder die Erfüllung einer Rechtspflicht ermöglichen kann)であると定義した

(21)

。このように、

Binding は、上位概念として拡張的な Notstand 概念とその定義を提示し た上で、その中に包摂される下位概念として三つの類型を区別し、義務の 衝突をその類型の一つとして考えていた。

()「Notstand の定義規定の次元」と「衝突解決の次元」との相違 しかし、Binding は、①彼自身が提示した上記の Notstand の定義は、

単にある一定の状態の定義(die Definition eines Zustandes)を示したに すぎず、当該衝突がいかに解決されるか(wie der Konflikt gelöst werden darf)という実質的な規制内容については何ら述べていないと明言してい

(22)

。ここには、「概念構成ないし定義規定に関する形式的問題」と「衝突

状況における緊急行為の法的解決に関する実質的問題」を明確に区別する

(13)

二元的思考がみられる(形式的な概念構成の問題と実質的な法的解決の問 題の区別)

(23)

。また、Binding は、②正当防衛の定義は、法的に許される行 為の特徴を示すもの(Charakterisierung einer rechtlich erlaubten Handlung)

であるのに対して、Notstand の定義は、法的効果に疑問のある状態の定 義(Definition eines Zustandes mit rechtlich zweifelhaften Folgen)である と指摘している

(24)

。それゆえ、Binding による Notstand の定義から、直ち に法効果の実質的内容が導かれるわけではない(Notstand の定義規定と 法効果に関する実質的判断の分離)。したがって、Binding は、上記①② のいずれにおいても、後者の実質的観点をより重視して、以下のように論 じていたのである。

Notstand における衝突解決のための一般的な法原理

上述したように、Binding は、拡張的な Notstand の概念の中に三つの 緊急行為の類型を包摂していた。その上で、Notstand における「衝突解 決のための法原理」(Rechtsgrundsätz für die Lösung des Konfliktes)に ついて、次のように論じている

(25)

すなわち、法益または義務が衝突する状況においては、「法秩序は、い ずれにしても痛切な損害を被る。しかし、立法者は、緊急状態を解決する ための行為に関して態度を表明する義務(die Pflicht, zu den Handlungen behufs Lösung des Notstandes Stellung zu nehmen)を免れることはでき ない」のであり

(26)

、「そもそも、二つの損害のうち一方が確実に現実化する 状況に国家(der Staat)が直面した場合には、国家は、より大きな損害 を回避してより小さな損害を選択し(das kleinere Uebel wählen)、または、

二つの損害の大きさが同等のときは、生じた損害を甘受する(das eintre-

tende hinnehmen)」としている

(27)

。また、「このような思考は、行政ととも

(14)

に立法をも指導する。そして、まさにこのような思考により、半ば意識的 あるいは半ば無意識的に(halb bewusst, halb unbewusst)、法領域の内外 におけるあらゆる人間生活(alles Menschenleben)が規律される」とし

(28)

、Notstand 全般に関して国家の規制による衝突の解決のあり方を示し ている。ここには、「衝突解決のための法原理」として、いわゆる「損害 の最小化」の思考がみられる。そして、こうした思考を Notstand に関す る不可罰性の一般原理(一般的根拠)として捉え、Notstand における緊 急行為が不処罰とされるための基本的な共通要件(衡量規準)として、

「害の均衡」を要求している

(29)

しかし、Binding の見解においては、①損害の最小化の原理から、

Notstand における緊急行為の不可罰性が直ちに導出されるわけではない

(30)

。 すなわち、損害の最小化の原理は、拡張的な意味における Notstand の不 可罰性を基礎づける一般的な必要条件(一般的要件)にすぎない。また、

②国家がより小さな損害を選択しまたは同等の損害の一つを甘受して Notstand を規制するとしても、こうした国家的規制の対象とされる国民

(行為者)の緊急行為が、刑法上、すべて同様に評価されるというわけで はない。すなわち、Binding は、行為者が Notstand においてより小さな 損害または同等の損害をもたらした場合に、緊急行為の法的性質、不可罰 性の実質的根拠および法効果に関して、上記の三類型において一律に解し ているわけではないのである。

そこで、以下では、Binding の著作 Handbuch des Strafrechts, Bd. 1,

1885 における論述の順序に従って、特に、不処罰とされる当該緊急行為

の法的性質、その実質的な個別的根拠(個別原理)および法効果に留意し

ながら、各類型ごとに段階的に確認してゆくことにする。

(15)

拡張的な Notstand 概念に包摂される三類型の内実

()義務の衝突(Pflichtenkollision)

(31)

Binding は、「法的義務と法的義務の衝突」、すなわち、「真正の義務衝 突」(echte Pflichtenkollision)について

(32)

、裁判官が法的に評価するための 原則として、次の二つの命題(Sätze)を提示した

(33)

。わが国においては、

Binding が義務衝突の解決規準として提示したこれらの二つの命題は、

「義務衡量の原則」または「義務権衡の原則」などと呼ばれている

(34)

(a)義務衝突の解決規準としての第一命題

まず、Binding は、義務衝突の解決に関する第一命題として、「真正の 義務衝突においては、より高次の義務が、より重要性の低い義務を犠牲に して履行されなければならない」(Im Falle echter Pflichtenkollision ist die höhere Pflicht auf Kosten der minder wichtigen zu erfüllen)と主張した。

それゆえ、例えば、自己の庭の樹木の害虫を駆除するよう警察の命令を受 けていた者が、この作業を行うべき際に、謀殺計画(Mordplane)の情報 を入手してこれを直ちに通報しなければならないという場合、前者の作業 が命じられていることを理由として、当該犯罪計画の通報義務を怠ること は、許されないとしている

(35)

価値の異なる義務の衝突の場合には、「より重大な義務の履行は、より

低次の義務の不履行を正当とする根拠として認められる」(die Erfüllung

der schwerer wiegenden Pflicht als Grund berechtigter Nichterfüllung der

niederen anerkannt wird)とする

(36)

。ここでは、両者の義務の間で選択すべ

き内容が指定されている(die Wahl zwischen beiden Pflichten ist ge-

schrieben)。また、故意に一方の義務に違反したにもかかわらず、行為者

(16)

が単に処罰を阻却されるわけではない(Der Täter wird nicht lediglich mit Strafe verschont)。行為者は、より高次の義務を履行しなければならないの であり、「この要請は、他方の義務履行の不可能性を法的に承認する根拠と される」(dieses Muss bildet den Grund rechtlich anerkannter Unmöglichkeit, der anderen Pflicht gerecht zu werden)と論じている

(37)

(b)義務衝突の解決規準としての第二命題

また、Binding は、義務衝突の解決に関する第二命題として、「二つの 同価値の義務については、そのうち一つの義務を履行すべきものとされる にすぎない」(Von zwei gleichwertigen Pflichten ist nur eine zu erfüllen)

と主張した。ここでは、選択すべき内容が法により指定されないため、義 務者が自ら履行しようとする義務を選択することが許され、その選択した 義務を履行したときは、他方の義務を履行しなかった点については決して 否認されない(gegenüber dem Vorwurfe, er habe die andere nicht erfüllt, wahrhaft entschuldigt ist)とする。ここでもまた(wieder)、「その履行 の 不 可 能 性 が 法 的 に 承 認 さ れ る か ら で あ る」(wegen rechtlich aner- kannter Unmöglichkeit der Erfüllung)。それゆえ、単に「処罰を阻却され る不法行為」(ein mit Strafe verschontes Delikt)とされるのではなく

(38)

「第二の義務の履行は法的に要求されず」(die Erfüllung der zweiten Pflicht wird rechtlich nicht gefordert)、したがって、その不履行は不法な 行為とはされない(ihre Nichterfüllung ist also kein Delikt)と論じている

(39)

()法益と法益の衝突

(40)

Binding は、典型的な超法規的緊急避難としての「法益と法益の衝突」

に 関 し て は、そ の 法 的 性 質 を 二 分 し て 理 解 し、(a)「緊 急 権」(das Notrecht)に基づく権利行為とされる場合と、(b)「禁じられない行為」

(unverbotene Handlung)とされる場合とを区別している

(41)

(17)

(a)緊急権に基づく権利行為としての緊急避難

Binding は、緊急権に基づく権利行為としての緊急避難に関して、次の ように論じている。

)緊急権に基づく権利行為の法効果

緊急状態においては、危険にさらされた者に、緊急権、すなわち、同価 値の法益または価値の低い法益を犠牲にして自己の法益を保全する主観的 権利(ein subjektives Recht, seine Rechtsgüter auf Kosten gleich- oder minderwertiger zu retten)が認められる場合がある

(42)

。この場合には、行 為者による当該緊急行為は適法(rechtmässig)とされる

(43)

。また、その避 難行為の相手方は、いわゆる忍受義務(Duldungspflicht)を負うものと され、行為者による法益保全のための侵害行為によって被る当該犠牲を忍 受 し な け れ ば な ら な い(die Opferung still über sich ergehen lassen müssen)。

それゆえ、Binding によれば、こうした緊急権は、より正確には、「侵 害的緊急権」(das Notrecht zur Verletzung)と称されている

(44)

。また、今 日では、「行為権限」(die Handlungsbefugnis)と対置して、「侵害権」

(das Eingriffsrecht)とも称される。

)緊急権に基づく権利行為の法効果

こうした真の緊急権を行使する者に対しては、すべての者が幇助するこ とが許される(Dem ein wahres Notrecht Ausübenden darf jedermann Beistand leisten)

(45)

。また、直接に危険にさらされた保全法益の主体との間 に「密接な人的関係」のない者が避難行為を行うことも許されるとし、

「他人のための緊急避難」も広く許容している

(46)

。このかぎりでは、正当防 衛権(Notwehrrecht)との関係で考慮される「他人のための正当防衛」

の場合とパラレルに解されることになる

(47)

(18)

)緊急権の範囲の限定

しかし、Binding は、生命対生命の緊急状態において、緊急権を認める 見解には疑問があると解している。この場合に緊急権を認めると、複数の 緊急権が相互に衝突して、必然的にともに無力となる(Notrechte wür- den sich kreuzen, also bestimmungsgemäss paralysieren)。つまり、いず れの生命主体(Lebensträger)も他人の生命を攻撃して侵害することが許 され、かつ同時に、いずれも相手の攻撃に対して防御することが許されな いことになる。また、両者が相互に攻撃して闘争になり、ともに命を失う ときは、二つの適法かつ正当な殺害(zwei rechtmässige, also gebilligte Tötungen)が認められることになり、問題があるとする

(48)

)緊急権の範囲の限定

また、Binding は、危険にさらされた者に緊急権が認められるときは、

特 に、そ の 相 手 方 の 正 当 防 衛 権 が 喪 失 す る こ と(den Verlust des Notwehrrechtes auf der Gegenseite)からも、緊急権が認められる範囲は 限定的に解すべきであるとする。それゆえ、法律において緊急権が明文で 規定されている場合、または、こうした緊急権を認める規定の類推解釈が 許される場合にのみ、緊急権に基づく権利行為としての緊急避難が認めら れると論じており

(49)

、緊急権に基づく権利行為の基本的法定性を要求してい る(基本的法定性の要請)。

したがって、Binding の見解によると、「法益と法益の衝突」の類型に おいて、損害の最小化の原理に基づく害の均衡の要件および基本的法定性 の要請が充足された場合に、緊急権に基づく権利行為としての緊急避難が 認められることになる。

(b)禁じられない行為としての緊急避難

Binding によれば、緊急状態において緊急権が認められない場合、常に

避難行為が違法とされるわけではない。すなわち、緊急避難による侵害

(19)

(Notstandsverletzung)が、適法とはされないが、違法でもなく、「禁じ られない」(unverboten)という場合もあるとする

(50)

。Binding の見解では、

上述したように、緊急権が認められる範囲がきわめて限定されていること から、Binding の拡張的な Notstand 概念に属する「法益と法益の衝突」

の類型において中核をなす緊急行為は、禁じられない行為としての緊急避 難行為であるといえよう。Binding の見解においては、こうした行為の場 合にも、以下にみるように、損害の最小化の原理から直ちに避難行為の不 可罰性が基礎づけられるわけではない

(51)

)禁じられない行為の意義と根拠

法は、緊急状態に耐えるよう要求することもあるが、必ずしも法がそれ を望むわけではなく、規範の遵守を放棄すること(auf Befolgung der Norm verzichten)がある。その理由は、危難にさらされた者に対して緊 急状態に耐えるために必要な勇気(den nötigen Mut)を要求しえないか らではなく、規範の遵守を要求すること(ihre Befolgung zu fordern)や 規範に違反する権利を認めること(ein Recht zu ihrer Uebertretung anzuer- kennen)が、いずれも法秩序の利益(das Interesse der Rechtsordnung)に 反するからであり

(52)

、また、危険にさらされた者が自己保全の衝動に屈する こ と(der Gefährdete seinem Triebe der Rettung nachgiebt)が 自 然

(natürlich)であり、法秩序は行為者の本能的な自己保全の衝動(der Trieb der Selbsterhaltung)を考慮すべきだからであるとしている

(53)

このように、Binding は、禁じられない行為の規範的意義に関して、厳

密な意味での規範の例外(die Ausnahme von der Norm)

(54)

、すなわち、規

範遵守の要求の放棄による禁止の否認に限局して、法による承認の評価と

は区別している。また、Binding によれば、緊急状態において禁じられな

い行為は、損害の最小化の原理のみから直ちに基礎づけられるわけではな

く、その実質的な主要根拠として、緊急状態による圧迫(der Druck des

(20)

Notstandes)の下で人間に自然に生起する自己保全の本能的衝動を顧慮し、

いわゆる自己保全の原理を重視している

(55)

。そこには、少なからず、自然法 思想の影響があるといえよう

(56)

)禁じられない行為の限定

より大きな犠牲の下でより小さな被害が回避されるにすぎない場合には、

法は、規範遵守の要求を堅持し、規範違反の行為の可罰性を認めることに なる。これに対し、危険にさらされた者による謙抑的な緊急避難による侵 害(die maassvolle Notstandsverletzung seitens des Gefährdeten)は、規 範に違反しない

(57)

。すなわち、緊急権が認められない場合において、危険に さらされた法益を保全するために同価値の法益または価値の低い法益を犠 牲にしたときは、禁じられないとしている

(58)

)禁じられない行為の法効果

しかし、禁じられない行為の被害者は、法によりこれを忍受しなければ ならないとされるわけではない。例えば、被害者が当該行為により死亡し た場合、その者の死は、法が要望する損害(ein vom Rechte gewollter Uebel)ではなく、法が必要悪(notwendiges Uebel)として耐える損害に すぎないからである。したがって、禁じられない行為の場合には、緊急避 難による侵害をなそうとする行為に対して、正当防衛により対抗すること が完全に許容される(gegen den Versuch der Notstandsverletzung die Notwehr in vollem Umfange zulässig ist)と解している

(59)

)禁じられない行為の法効果

また、こうした規範の例外としての「禁じられない行為」は、基本的に、

危険にさらされた者だけに認められる。それゆえ、避難行為に関与する行

為や緊急救助(die Nothilfe)は、必ずしも「禁じられない行為」とされ

るわけではないとしている

(60)

。Binding は、その理由を次のように論じてい

る。

(21)

若干の緊急権の場合を除いて、緊急避難による侵害は、適法ではなく、

禁 止 さ れ な い と 評 価 さ れ る に す ぎ な い。こ う し た 禁 止 の 否 認

(Unverbotensein)の主要根拠は、緊急状態による圧迫の下にある人間 の自己保全の衝動の考慮に求められるのであり、緊急状態においては、基 本的に、その状態に陥った者だけを直接的に圧迫し、無関係な他人

(Fremde)を間接的に圧迫することはありえない。また、禁止の否認の もう一つの根拠として、二つの損害のうち一つを回避しえないことが考慮 されるにすぎない

(61)

。それゆえ、緊急避難による侵害行為に対する幇助行為

(Beihilfe zur Notstandsverletzung)や、緊急状態の危険に何らさらされ て い な い 者 に よ る 侵 害 行 為(Verletzung seitens eines gar nicht in Notstandsgefahr Geratenen)は、禁じられない行為とはされないとして いる

(62)

もっとも、Binding は、緊急状態による圧迫は、危険にさらされた者

(保全法益主体)だけではなく、その者と密接な関係にある者(die ihm nahestehenden Personen)にも間接的に及び、時には、後者に対して前 者よりも強く作用することさえあるとする。このような密接な関係者は、

いわば「間接的な緊急状態」(mittelbaren Notstand)にあるのであり、そ れゆえ、こうした密接な関係者による避難行為も、危険にさらされた者自 身による避難行為と同様に、禁じられない行為とされると解している

(63)

。し たがって、Binding が法益衝突における「禁じられない行為」を基礎づけ る基幹原理は、広義の自己保全の原理(自己保全または親密者保全の原 理)として理解されよう。

このように、Binding は、避難行為に対する正当防衛による対抗の可否、

避難行為に対する関与行為や他人のための緊急避難が認められる範囲とい う点についても、「緊急権に基づく権利行為」としての緊急避難の場合と

「禁じられない行為」としての緊急避難の場合との間で、実質的な相違を

(22)

認めているのである

(64)

。そして、Binding の見解においては、これらの実質 的な相違は、超法規的緊急避難に関する一般原理としての「損害の最小化 の原理」から直ちに基礎づけられるものではないといえよう。

()法益と法的義務の衝突/法的義務と法益の衝突

(65)

Binding は、緊急状態が「法益と法的義務の間で衝突する形態」(die Gestalt eines Konfliktes zwischen Rechtsgut und Rechtspflicht)となる場 合には、「法益と法益の衝突」の場合と同様の規準(die analoge Regel)

が妥当すると論じている

(66)

。したがって、一定の緊急権が認められないかぎ り、義務に違反して法益を保全する行為(die Erhaltung des Rechtsgut durch eine Pflichtverletzung)、あるいは逆に、法益を侵害して義務を履 行する行為(die Erfüllung einer Pflicht durch Verletzung eines Rechts- gutes)は、より大きな損害を回避するためにより小さな損害を生じさせ た場合、または、二つの同等の大きさの損害のうち一方を回避するために 他方を生じさせた場合には、禁じられないと解しているのである

(67)

Ⅲ ビンディングの義務衝突論に関する検討

上述した「問題の所在」(上記Ⅰ節

ⅱ)において言明したように、

Binding の見解に関する評価として、義務の衝突を「緊急避難の一種」と 解する見解として捉える評価に対しては、疑問がある。

そこで、本節においては、Binding が義務の衝突の解決規準として提示

した第一命題および第二命題の理論的な意義を考察した上で、Binding が

拡張的な Notstand 概念の中に包摂する三つの類型の緊急行為を対比しな

がら、Binding の義務衝突論について私見として評価を試みることにする。

(23)

義務の衝突に関する Binding の第一命題および第二命題 に関する考察

()impossibilium nulla obligatio est の原則に基づく義務衝突論 の先駆け

Binding は、義務の衝突に関する第一命題および第二命題の根拠として、

衝突義務の同時履行の不可能性を統一的に把握し、義務の衝突においては 低次の義務または同価値の義務の一つの履行は不可能であるとし、それは

「法的に承認された不可能性」(rechtlich anerkannte Unmöglichkeit)で あると解している

(68)

。両者の命題の基礎には、義務衝突の状況における義務 衝突行為の不可罰性の実質的根拠を impossibilium nulla obligatio est(不 可能なことは義務づけられない)という原則に求める思考があると解され

(69)

。こうした思考は、その後のドイツの義務衝突論にも強く影響を与

(70)(71)

え 、 現代の議論にも及んでいる。それゆえ、今日の義務衝突論における通説的 見解と同様の実質的思考が、既に1885年当時、Binding の義務衝突論にお いて表明されていたといえよう

(72)

()Binding の第一命題および第二命題の実質的根拠の精査 前述したように、Binding は、第一命題との関係で、真正の義務衝突の 一つとして、「価値の異なる作為義務と作為義務の衝突」に関する事例

(警察命令に基づく作為義務と犯罪通報義務の衝突)を挙げているにもか

かわらず、そこでは、その不可罰性を基礎づける根拠として、「優越的利

益の原則」(das Prinzip des überwiegenden Interesses)または「小損害

選択の原則」(das Prinzip der Wahl des kleineren Übels)

(73)

については直接

に言及していない。また、Binding は、第二命題との関係でも、これらの

(24)

原則については直接に言明していない。そこで、Binding が第一命題また は第二命題の実質的根拠としてこれらの原則をいかなる形で理解している のか、また、これらの原則に基づく思考と impossibilium nulla obligatio est の原則に基づく思考との関係をいかに理解しているのか、という点の 評価のし方が問題となる。

(a)第一命題および第二命題の実質的根拠に関する従来の評価 義務衝突に関する Binding の二つの命題を基礎づける実質的根拠につい ては、従来、次のような評価が示されてきた。

)一元的優劣評価説

まず、Binding の第一命題に関して、もっぱら優越的利益の原則または 小損害選択の原則を根拠とする命題であると評価する一元的な理解(一元 的優劣評価説)がみられる。例えば、Georgios Mangakis は、義務の衝突 においては、「衝突する義務のうちいずれが具体的に法的拘束性を有し、

履行されるべきか」(welche der kollidierenden Pflichten in concreto ihre rechtliche Verbindlichkeit behält und also zu erfüllen ist)が問題となるが、

Binding は、「こうした具体的に拘束する義務の問題について、優越的利 益の原則、換言すれば(anders ausgedrückt)、小損害選択の原則に基づ いて解答し、より重要性の低い義務はより高次の義務に譲歩しなければな らないとした」と評価している

(74)

こうした見解は、価値の異なる義務の衝突の場合に、もっぱら、第一命 題における義務の優劣関係の定式それ自体に着目して、利益衝突または害 の衝突に関する正当化の一般原理とされてきた、優越的利益の原則ないし 小損害選択の原則が援用されると考えているといえよう。

しかし、本説に対しては、次の①〜③の点で疑問がある。

① 本説の根底には、義務衝突を単に利益衝突または害の衝突そのもの

に還元する考え方がうかがえる。それゆえ、そこでは、Binding の見解に

(25)

ついて、少なくとも「価値の異なる義務の衝突」を違法性阻却事由として の「緊急避難の一種」と解する見解として捉える評価を基礎としているよ うに思われ、疑問がある。

② また、本説は、小損害選択の原則を、正当化の一般原理(適法性の 例外的承認の原理)としての優越的利益の原則と実質的に同義に理解して いる。たしかに、Binding は、上述したように、拡張的な Notstand 概念 に包摂される緊急行為の三類型に共通して妥当する法原理として、「損害 の最小化の原理」(害の均衡の原則)を提示し、その一部として、「小損害 選択の原則」を認めていた。しかし、Binding の見解においては、「損害 の最小化の原理」から、Notstand における緊急行為の不可罰性が直ちに 導出されるわけではなく、また、当該緊急行為の法的性質や法効果がそこ から直ちに決定されるわけではない。この点は、Binding の三類型のうち

「法益と法益の衝突」の場合に、最も明確に示されているが

(75)

、Binding は、

「損害の最小化の原理」を三類型に共通する法原理としている以上、義務 の衝突を含めた他の類型においても、同原理の機能に関して同様に理解し ているものと推察される。また、「損害の最小化の原理」の一部とされる

「小 損 害 選 択 の 原 理」に つ い て も、同 様 に 解 さ れ る。し た が っ て、

Binding の見解における「小損害選択の原則」は、正当化の法効果を導く 一般原理として機能する「優越的利益の原則」とは区別すべきであると考 える。

③ さらに、Binding は、上述したように、第一命題および第二命題との 関係で、衝突義務の同時履行の不可能性を統一的に把握し、それは「法的 に承認された不可能性」であるとして、impossibilium nulla obligatio est の原則を実質的根拠として重視していた。それゆえ、本説は、そもそも、

第一命題との関係で impossibilium nulla obligatio est の原則を看過してい

る点で、妥当ではないと考える。

(26)

)二元的併合評価説

特に上記)説の③の問題点を回避し、義務衝突に関する Binding の命 題に関して、損害の最小化の原理または小損害選択の原則と、impossibilium nulla obligatio est の原則を根拠として重畳的に併用する命題と評価する見 解(二元的併合評価説)として、次の二つの見解がみられる。

a)小損害選択の原則(広義)に基づく二元的併合評価説 Binding が義務衝突の解決規準として提示した二つの命題を「ビンディングの二原 則」と名づけた上で、「この二原則の根底」には、「『不可能なことは義務 ではない』(impossibilium nulla obligatio est)との命題および『小損害選 択の原理』(Grundsatz der Wahl des kleineren Übels)という二つの自明 なテーゼが前提とされている」と評価する二元的な理解がある

(76)

この見解においては、上記のように「二原則」と指摘している点で、第 一命題だけでなく、「同価値の義務の衝突」に関する Binding の第二命題 に関しても、impossibilium nulla obligatio est の原則とともに、小損害選 択の原則が妥当すると評価している。それゆえ、ここでいう「小損害選択 の原則」は、Binding が提示した「損害の最小化の原理」(害の均衡の原 則)と実質的に同義と解されることになろう(広義の小損害選択の原則)。

わが国においては、刑法37条1項本文の緊急避難の法的性質に関する違 法性阻却一元説の立場から、価値の異なる法益の衝突の場合だけでなく、

同価値の法益の衝突の場合(法益同等の場合)にも優越的利益の原則(原 理)が妥当するとして、「優越的利益の原則」の意義を広く解する見解

(広義の優越的利益の原則)がみられる

(77)

。それゆえ、上記a)の二元的併 用評価説における「広義の小損害選択の原則」は、このような「広義の優 越的利益の原則」とパラレルに理解する思考に基づいているようにも思わ れる。

しかし、こうした見解に対しては、次の

および

の点で疑問があ

(27)

る。

もし仮に、Binding の見解について「広義の小損害選択の原則」を 想定する場合にも、これを上記のような「広義の優越的利益の原則」と等 質的にパラレルに考えるのは、次の①〜②の点で妥当ではないと思われる。

① こうした広義の優越的利益の原則(原理)を認める見解の代表的論 者である川端博先生は、違法性阻却の原理に関する資質の相違について分 析され、刑法37条項本文の「緊急避難が違法性阻却事由となることを説 明する根拠として、われわれが優越的利益の原理を援用するばあい、それ は『解釈原理』あるいは『説明原理』を意味するにとどまり、『法原理』

であることを主張するものではない」と論じている

(78)

。これに対して、

Binding は、上述したように、損害の最小化の原理をあくまで Notstand における衝突解決のための「法原理」として提示しているのであり、しか も、それは、立法および行政をも指導する国家的規制の原理とされ、これ により、法領域の内外におけるあらゆる人間生活を規律すると解している のである

(79)

② また、緊急避難の法的性質に関する違法性阻却一元説の立場から認 められる広義の優越的利益の原則(原理)は、「違法性阻却事由となるこ とを説明する根拠」とされ、当該原則それ自体から違法性阻却事由という 法的性質やそれに基づく法効果を基礎づけようとする。しかし、Binding による損害の最小化の原理(害の均衡の原則)は、上述したように、当該 緊急行為の法的性質や法効果を直ちに導出するわけではないのである。

前述したように、Binding は、そもそも、国家が二つの損害のうち

一方が確実に現実化する状況に直面した場合には、国家は、当該緊急状態

における衝突を解決するために、①より大きな損害を回避してより小さな

損害を選択し(das kleinere Uebel wählen)、または、②二つの損害の大き

さが同等のときは、生じた損害を甘受するとしている

(80)

。これらの国家的規

(28)

制の規準①②は、「損害の最小化の原理」に基づく害の均衡の要件であり、

拡張的な Notstand に関する共通要件(衡量規準)として認めたものであ る。そのうち、上記の規準①が「小損害選択の原則」の内容を示している といえよう。また、Binding は、別の箇所で、「価値の異なる法益の衝突」

または「価値の異なる義務の衝突」について、小損害選択の原則、すなわ ち、「法秩序は、二つの損害のうち、より大きな損害ではなく、より小さ な損害を優先する」という命題(der Satz, dass die Rechtsordnung von zwei Uebeln nicht das grössere, sondern das kleinere vorzieht)が妥当す ると論じている

(81)

。したがって、Binding の見解においては、「小損害選択 の原則」は、法益または義務の価値が異なる衝突の場合に限定して援用さ れる法原理(狭義の小損害選択の原則)であり、それは、「損害の最小化 の原理」の一部であると解されるのである。

b)小損害選択の原則(狭義)に基づく二元的併合評価説 このよう な評価を基礎として、義務衝突に関する Binding の第一命題に関して、

impossibilium nulla obligatio est の原則および狭義の小損害選択の原則を 根拠として併用する命題と評価する二元的な見解がみられる

(82)

この見解においては、義務衝突の場合における小損害選択の原則の援用 範囲を第一命題に限定して理解している(上記a)説との相違点)。こう した評価によると、Binding の第二命題に関しては、impossibilium nulla obligatio est の原則とともに、小損害選択の原則を除いた「損害最小化の 原理」(害の均衡の原則)が援用されることになる。私見では、こうした 二元的理解が Binding の見解の評価として基本的に妥当であると考える。

しかし、こうした見解においては、価値の異なる義務の衝突の場合に、

当該義務衝突を解決するために援用される「impossibilium nulla obligatio est の原則」と「小損害選択の原則」の関係をいかに解すべきか、特に、

両原則は単なる並列関係ないし対等関係にあると解されるのか、という点

(29)

が問題となる。

Binding 自身は、この点に関しては言明していない。しかし、Binding の見解の公表時点(1885年)以降におけるドイツの学説においては、価値 の異なる義務の衝突に関して、impossibilium nulla obligatio est の原則を 基本原則とし、小損害選択の原則を補充原則と解する見解(補充関係説)

がきわめて有力に主張されていた。例えば、Friedrich Oetker は、価値の 異なる義務の衝突の場合において、impossibilium nulla obligatio est の原 則が「小損害の優先により補充される」(durch den Vorzug des kleineren Übels ergänzt werden)と論じている

(83)

。また、こうした見解をさらに明確 に表明していたのは、Heinrich Henkel であり、「この場合には、

„impos-

sibilium nulla obligatio estの原則が小損害選択の原則により補充される」

(Der Grundsatz„impossibilium nulla obligatio est wird hier ergänzt durch den Grundsatz von der Wahl des kleineren Übels)と論じているの である

(84)

Binding の見解においては、前述したように、拡張的な Notstand 概念 に包摂される緊急行為の三類型に共通に妥当する衝突解決のための一般原 理(一般的法原理)としての「損害の最小化の原理」(害の均衡の原則)

およびその一部としての「小損害選択の原則」は、そこから当該緊急行為 の法的性質や法効果を直ちに導出するわけではない。これに対して、

Binding の見解によれば、「法的義務と法的義務の衝突」の類型のみに妥

当する個別原理(個別的法原理)としての impossibilium nulla obligatio

est の原則は、後述するように、義務衝突行為の法的性質や法効果を基礎

づける原則であると解される。したがって、Binding も、実質的に同様に

上記の補充関係説に立ち、義務衝突に特有の個別原理としての impossibi-

lium nulla obligatio est の原則をより重要な基幹原理として捉えているも

のと解される。

(30)

(b)Binding の見解と超過的差別説との乖離

近時、ドイツでは、「価値の異なる作為義務と作為義務の衝突」の場合 について、優越的利益の原則が妥当することを強調して、この場合を「不 作為による正当化的緊急避難」の一つとして捉え、優越的利益の原則が妥 当しない「同価値の作為義務と作為義務の衝突」の場合のみを独自の正当 化事由と解する見解(いわゆる超過的差別説(Hyperdifferenzierungs- theorie))が主張されている。この見解においては、もっぱら優越的利益 の原則(一般原理)の妥当性の有無を重視しており、これにより、「価値 の異なる作為義務と作為義務の衝突」において、impossibilium nulla obli- gatio est の原則の理論的意義が没却されてしまっている。それゆえ、この 見解は、上記の「一元的優劣評価説」に近似する理解、または、impossi- bilium nulla obligatio est の原則と優越的利益の原則(ないし小損害選択の 原則)の基本・補充関係を逆転させる理解を基礎としているように思われ る。それゆえ、こうした超過的差別説は、Binding の見解から著しく乖離 し、いわばその「対極」に位置づけられることになろう

(85)

()義務衝突の類型と義務緊急避難の概念

ここでは、Binding の見解における義務衝突の類型と義務緊急避難 (Pflichtennotstand)の概念について確認しておきたい。

(a)衝突義務の類別と義務衝突の類型

前述したように、Binding は、超法規的緊急避難の概念の中に包摂され る義務の衝突について、「すべての義務の衝突」(jede Pflichtenkollision)

であると論じていた

(86)

。それゆえ、Binding は、義務衝突の類型について、

衝突義務の種類を区別しながら、次の三つの類型を認めている。

第一に、複数の作為義務(Pflichten ad faciendum)の衝突、つま

り、「作為義務と作為義務の衝突」の類型である。この場合には、危険状

(31)

況に遭遇した者は、外見的(scheinbar)に、二つの不作為犯の間におけ る選択(die Wahl zwischen zwei Unterlassungsdelikten)に直面するとし てい

(87)(88)

る 。したがって、Binding の見解においては、義務の衝突は、いわゆ る外見的義務衝突(scheinbare Pflichtenkollision)であり、「法的に解決 可能な義務衝突」(rechtlich lösbare Pflichtenkollision)とされることにな ると解される。

第二に、Binding は、衝突する義務は、それ自体として適法な義務 であるが、必ずしも作為義務に限られないとしている。それゆえ、命令に より基礎づけられる義務(eine durch Gebot begründete Pflicht)と禁止に より基礎づけられる義務(eine durch Verbot begründete Pflicht)が衝突 する場合、つまり、「作為義務と不作為義務の衝突」の場合も十分にあり うるとしている

(89)

。この点は、Binding が、義務の衝突を包摂する Notstand の定義の中で、「禁じられた行為によってしか、・・・・・・一方の義務を 履行しえない」状態と説明していることからもうかがえよう

(90)

Binding は、具体例として、犯罪を通報すべき義務を果たすために、侵 入が禁止された道路を通らざるをえなかった場合を挙げており、そこでは、

作為義務としての犯罪通報義務(die Pflicht der Verbrechensanzeige)と 道路への侵入をせずにすべき不作為義務(die Pflicht, einen Weg nicht zu betreten)が衝突するとしている

(91)

第三に、Binding は、複数の不作為義務の間における衝突(ein Zusammenstoss zwischen Pflichten ad omittendum)も考えられるとして

(92)

「不作為義務と不作為義務の衝突」の類型をも肯定していたのである。

義務衝突論に関する代表的な研究者の一人である Joachim Hruschka も、

と り わ け、1983 年 の 時 点 で 公 表 し た「義 務 の 衝 突 と 義 務 の 競 合」

(Pflichtenkollisionen und Pflichtenkonkurrenzen)と題する論文の中で、

ドイツのハンブルクで起きたエルベ・トンネル事件などの具体例を挙げな

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