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Vol.47 , No.1(1998)073佐野 靖夫「自己の行為から他者の行為へ -アビダルマにおける「業」伝達の解釈-」

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印度 學佛 教學研 究第47巻 第1号 平 成10年12月 (147)

自己の行為 か ら他者 の行為 ヘ

―ア ビ ダ ル マ に お け る 「業 」 伝 達 の 解 釈―

十 不 善 業 道 の 一 に 数 え ら れ る 殺 生(pranatipata)は,通 仏 教 的 に 否 定 せ ら れ る 悪 で あ る.本 研 究 は この殺 生 の もた らす 業 に つ い て,特 に,自 分 自身 で行 う殺 人 で は な く他 者 に命 令 を下 して殺 人 を な さ しめ た場 合,そ の 殺 人 が 行 わ れ た 時 点 で の 命 令 者 に対 す る業 の 作 用 を考 察 す る.と りわ け,実 行 者 の成 功 も し くは失 敗 とい う, 命 令 者 にお け る意 志及 び 行 為 とは時 間 空 間 的 に か け離 れ た フ ァク タ ー に お い て の 業 の 影 響,さ らに は,実 行 者 の 殺 人 の結 果 を命 令者 が 永 久 に知 り得 な か っ た場 合 等 の 業 へ の 影 響 を問 題 と した い. AKBh.は 説 一・切 有 部,経 量 部 の 業 道 にお け る表 ・無 表 論 を示 す1).一 般 に殺 生 業 道 を成 ず る相 は,① 殺 害 の 意 志 を発 し② 他 の 有 情 にた い して で あ り③ 明 らか に 他 の 有 情 で あ る とい う 自覚 を持 ち④ 殺 生 の加 行 を起 し⑤ 間 違 い な くそ の 有 情 を殺 害 す る2)の5つ を満 た す もの で な けれ ば な らな い とされ る.AKBh.の 記 述 か らは, 業 を担 う もの が無 表 色 で あ るか 種 子 で あ るか の 違 い は あ る が,説 一 切 有 部 ・経 量 部 とも に,ま さ し く命 令 者 にお い て も殺 害 が確 か に行 われ た な らば 刹 那 等 起 の 一 倶 轄 の思3)が 伴 い殺 生 業 道 は成 就 す る4㍉ 説 一 切 有 部 の 正 義 で は,不 善 と善 の 有 漏 が 異 熟 因 を作 る5)こ とか ら,殺 害 の命 令 者 は命 令 を行 っ た 時 点 で,殺 害 の命 令 とい う不 善 か ら異 熟 因 を形 成 し,そ れ は 無 表 色 と して 命 令 者 の 身 中 に と ど ま る.け れ ど も,こ の 時 点 で は殺 害 は な され て お らず,し た が って 殺 生 業 道 成 立条 件 の ⑤ を欠 くた め殺 生業 道 は成 立 し な い.命 令 者 は,実 行 者 に命 令 とい う語 業6)に よ って 同類 因 を あ た え る.実 行 者 に お い て は,命 令 の執 行 とい う等 流 果 と,新 た に 自分 自身 の意 志 に よ る殺 害 の 同意 とい う 不 善 の 異 熟 因 を形 成 し,殺 害 の実 行 とい う現 行 か ら殺 生業 道 が 成 立 す る.こ の 時 点 か ら命 令 者 にお い て も殺 生 業 道 が成 立 す るの で あ るが,こ こで は 以下 の2点 に つ い て 問 題 にす る.す な わ ち 異 熟 因 形 成 時 の意 志 の 強 弱 が,無 表 色 形 成 の前 提 と な る こ とか ら,i)命 令 の 意 志 の強 弱 と実 行 者 の 意 志 の強 弱 との 関 係.ま た,ii) 命 令 者 と,異 な る客 体 で あ る実 行 者 との相 互 に働 く動 因 の主 体 を考 察 す る. 364

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(148) 自己 の行為 か ら他 者 の行為 へ(佐 野) i)命 令 者 の 意 志 の 強 弱 と実 行 者 の 意 志 の 強 弱 と の 関 係. 命 令 者(A)の 意 志 が 強 く,実 行 者(B)の 意 志 も強 力 で あ った 場 合,こ れ まで の 理 由 か ら問題 な く(A)(B)共 に殺 生業 道 が 成 立 す る.命 令 者(A)の 意 志 が 強 く, 実 行 者(B)の 意 志 が それ ほ どで は な い場 合,つ ま りは命 令 され て仕 方 な く殺 害 を お こな った 場 合 で も,(B)は 実 行 者 で あ るの で,や は り(A)(B)共 に殺 生 業 道 が 成 立 す る7).命 令 者(A)の 意 志 が 強 く,実 行 者(B)の 意 志 も強 力 で あ り,し か し な が ら(B)が 誤 って(A)の 指 示 した 者 と違 う者 を殺 害 した場 合 は,(B)に 殺生 業 道 が成 立 す るが,⑤ の理 由 で(A)に は殺 生業 道 は成 立 しな い こ とに な る.最 後 に, 命 令 者(A)の 意 志 が 弱 か った 場 合 一 一 例 え ば,命 令 を す る立場 の もの が,自 分 の 意 志 に反 して 命 令 を下 さね ば な らな か っ た場 合一 実 行 者 の(B)に は 殺 生 業 道 が 成 立 す るが,は た して(A)に 殺 生 業 道 が 成 立 す る の で あ ろ うか.筆 者 は 残 念 なが ら こ の 問 い に対 す る明 確 な 記 述 を論 書 等 か ら未 だ 見 出せ て い な い が,お そ ら く, 命 令 者 の 地 位 に と どま る とい う意 志(つ ま り,自 分 が命 令す る ことに よって誰 かが殺害 され るだろ う とい うことよ りも,自 分が命令 者の地位 に あ りたい,も し くは あったほ うが よい とい う判 断 あるいは意 志)は 命 令 者 に存 した で あ ろ う こ とか ら,異 熟 因 た る無 表 を形 成 す る前 提 は整 う よ う に思 わ れ る.し た が っ て,(A)に も殺 生 業 道 が 成 立 す る はず で あ る8). ii)命 令 者 と,異 な る 客 体 で あ る 実 行 者 と の 相 互 に働 く動 因 の 主 体. AKBh.で は 唯 一 身 業 を生 ず る勝 因 と して,

Srnrtijo hi cchandah cchandajo vitarko vitarkat prayatnah prayatnad vayus tatah karmeti. 11 ま た,『 順 正 理 論 』 に は, 諸別計 有加 行心生.於 身聚中勢力差別.爲 身無 間異方生因.… …勢力差別即 是風故.1の 使所 作成 時有力能.引 如是類大種及造色生.11) と説 明 して い る.つ ま り,憶 念 ・意 欲 ・熟 慮(尋)と い う心 の 働 きか ら勤 勇 の 努 力 が起 され,身 業 を 引発 す る 《風(v互yu)》 とい う衝 動 の 活 動 に よっ て 形 色 が形 成 さ れ る とい う.こ れ らの主 張 か ら は,業 は 《風 》 も し くは 《力 能 》 を媒 体 とす る と い う こ とか ら,命 令 者 にお け る業 道 の成 就 とい う,他 者(自 分 以外 の客 体)の 無 表 に 対 す る影 響 の 説 明 にお い て不 十 分 で あ る.と い うの は,命 令 者 自身 の 無 表 色(も し くは種子)の 形 成 に つ い て は説 明 可 能 と して も,時 間 空 間 的 に離 れ た実 行 者 の行 為 が 命 令 者 の刹 那 等 起 の 一 倶 轄 の思 に どの よ うに フ ィ ー ドバ ッ ク さ れ た影 響 を与 363

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自 己 の 行 為 か ら他 者 の 行 為 へ(佐 野) (149) え るの か 明 らか で は な いか らで あ る. 説 一 切 有 部 は,無 表 業 の髄 を四 大 種 所 造 の色 とす る.無 表 色 が 物 質 で あ っ た場 合,刹 那 等 起 が 他 所 で成 就 した 時,そ の成 就 の 刹 那 を知 らせ る何 が しか の伝 達 シ ス テ ムが 必 要 で あ るは ず で あ る.あ る い は,経 量 部 の 説 くよ うに思 の種 子 が業 の 主体 で あ る な らば,殺 害 完 了 の 情 報 を命 令 者 が 知 り得 な か った 場 合 に,思 の種 子 に い っ た い何 が働 きか け るの で あ ろ うか.『 大 毘 婆 沙 論 』,に よれ ば 得(p⑳ti)は 意 識 の 所 識 で あ り,八 智 の 所 知 で滅 智 と他 心 智 を除 くと され る12と したが っ て実 行 者 の成 就 の 情 報 が 世 俗 智 と して 伝 達 され た 時 点 で 殺 生 業 道 は確 か に成 立 す る.け れ ど も実 行 者 が 殺 害 した に もか か わ らず 偽 りの報 告 を 命 令 者 に した場 合,説 一・切 有 部 の よ うに業 は三 世 に 實 有 な る法 の作 用 に ほ か な らな い と して も因等 起 の み で は殺 生 業 道 は成 立 しな くな る.こ の 点 に 関 して,AKBh.『 順 正 理 論 』 『大 毘 婆 沙 論 』 共 に歯 切 れ が 悪 い.煩 項 哲 学 と称 さ れ るア ビダ ル マ にお い て も,個 に 対 す る 関 心 の 高 さ に比 べ て,個 と個 の 関 係 も し くは個 と社 会 の 関 係 に関 す る記 述 の 少 な さ は,そ の 限 界 を示 唆 して い る もの だ とい え るか も しれ な い.

1)説 一説 有 部 の 無 表 業 實 有 論 の 第 四 謹 と して, "akurvatas ca svayam paraih kara -yatah

ka-rmapatha na sidhyeyur asatyam avijnaptau. na by ajnapana-vijnaptih maulah karmapatho yujyate. tasya karmano 'krtatvat. kite 'pi ca tasyah svabhava-visesad iti., P. Pradhan. ed. Abhidharm-Koshabhasya of Vasubandhu, 1967, p. 196.11.16-18, (T. vol. 29, p. 69a), また経量部の破

と し て," tat prayogena pare^sam upaghata-visesat prayoktuh suksmah samtati-parinama-viseso

jayate yata ayatyam samante 'pi bahutara-phalabhinirvarttana-samartha bhavatiti svayam api ca kurvatah kriya-phala-parisamaptav esa eva nyayo veditavyah. so 'sau samtati-parinama-visesah karmapatha ity akhyayate.", ibid., p. 198.11.3-5, (T. vol. 29, p. 69c)

2) Ibid., p. 243.11.10-20, (T. vol. 29, p. 86c) 3) Ibid., p. 251-11.9-10, (T. vol. 29, p. 89c)

4)See.『 順 正 理 論 』(T.vol.29,pp.542c-543a)

5) Op. cit., P. Pradhan. ed., p. 89.1.16. f., (T. vol. 29, p. 33a)

6)こ の 語 業 が 得 す の で は な い こ と はsee.ibid.,P.196.i1.16-i8,(T.voi.29,P.69a) 7)能 殺 者 が 団 体 の 場 合 は,op.cit.,P.Pradhan.ed.,p.243.11.4-9,(T.vol.29,p.86b)

8) Cf. "yas tarhi balann iyate so 'pi samanvagato bhavaty", ibid., p. 243.1.8, 9) Ibid., p. 477. 11. 1-2, (T. vol. 29, p. 158c) io)『 順 正 理 論 』(T.vol.29,p.535c) 11)Ibid.,(T.vol.29,p.543a) 12)See.『 大 毘 婆 沙 論 』(T.vol.27,p,805b) 〈キ ー ワ ー ド〉 業,表 無 表,殺 生 業 道,刹 那 等 起 (立正大学大学院) 362

参照

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