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南アジア研究 第21号 009書評・井上 貴子「田中多佳子『ヒンドゥー教徒の集団歌謡─神と人との連鎖構造─』」

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全文

(1)

田中多佳子『ヒンドゥー教徒の集団歌謡

─神と人との連鎖構造─

京都: 世界思想社、2008年、450頁、6500円+税、ISBN978-4-7907-1309-8

井上貴子

本書は、北インドのヒンドゥー教徒が歌う宗教歌謡バジャンのうち、特 に、クリシュナ神の聖地ブラジュ地方の寺院に伝わるサマージュ・ガーヤ ンと呼ばれる器楽伴奏付の集団歌謡に焦点をあて、鳴り響く音響としての 側面、宗教思想の発露としての側面、文学作品としての側面を観察し、そ れらを統合する構造の一端を明らかにするものである。 本書全体の構成は、まず、序で研究概要とサマージュ・ガーヤンとは何 かが説明された後、音楽構造を扱う第Ⅰ部、思想的背景を扱う第Ⅱ部、以 上をふまえて音楽と思想との連鎖構造を解明する第Ⅲ部に分かれている。 第Ⅰ部は

4

章に分けられ、音楽構造分析の方法を示した後、歌唱構造、リ ズム構造、音階構造が論じられる。第Ⅱ部は

6

章に分けられ、バクティ思 想とは何か、バクティ思想と宗教歌謡の関係、サマージュ・ガーヤンを育 んだ思想風土、具体例としてチャイタニヤ派バット寺院とハリダース派の サマージュ・ガーヤン、現代の宗教歌謡の諸相が論じられる。第Ⅲ部は

6

章に分けられ、ヒンドゥー教の儀礼とコスモロジー、ヒンドゥー教の時間 の観念とリーラー、「連鎖」を意味するシュリンクラー、宗教歌謡とラー ガ名の関係、宗教思想と詩形の関係、近現代における宗教歌謡の変容が論 じられる。 さて、サマージュ・ガーヤンは、ニンバールカ派、ラーダーヴァッラバ 派、ハリダース派、チャイタニヤ派の諸寺院に伝承されており、その大半 はヴリンダーバンに集中している。著者は、このうちチャイタニヤ派のマ ダン・モーハン(バット)寺院とハリダース派のハリダース奉賛会の伝承 を中心に調査を行っているが、より重要な点は、著者が長年にわたって北 インドを中心にバジャンと総称される宗教歌謡の収集に努め、膨大な録音 資料を駆使して本書を執筆していることにある。それが生かされた本書は、 単に特定の伝承の叙述のみにとどまらず、多様な形態や構造をもつインド の宗教歌謡を相互に比較検証し、その結果をふまえて、サマージュ・ガー ヤンの特徴を浮き彫りにすることに成功しているといえよう。 書 評

(2)

著者の指摘するサマージュ・ガーヤンの際立った特徴とは、複数の歌い 手が、主従関係にある一対複数または複数対複数の二者に分かれ、かけ合 いによって歌う形式を持つことである。固定された歌詞と旋律の細かな単 位の各部分が、相手の歌う部分との結び目をもってつなぎ合わされており、 人々はそこに参加して共に歌うことによって、複雑な音楽の側面を自然に 身体化していくことができる。この集団性が強調された歌唱形式の持つ意 味は、「シュリンクラー」すなわち「連鎖」という概念によって説明される。 これは、先人が残した数多くの詠歌を自らの思いに合わせて組み替え、連 結させて一連の詠歌とすること、すなわち詠歌の連鎖をさして用いられて いる言葉である。詠歌の連鎖は神のリーラー(遊戯)の連鎖でもある。神 は、ヒンドゥー思想を背景として生まれた季節や時間の観念と結びつきな がら、ブラジュに生きる人々と連鎖する。この連鎖は、二手に分かれた集 団同士のかけ合いという音楽構造をもつサマージュ・ガーヤンによって実 現され、そこでは人と人との連鎖が強調される。さらに音楽的な要素と神々 の世界は、季節や時間を想起させるラーガによって結びつけられる。この ような多重の連鎖構造は即興的な挿入が許されないものであるが、それゆ え、この構造に従えば確実に歩んでいけるものでもある。この連鎖は終着 点を求めるものではなく、円環をなし、正確に繰り返される。それは、宇 宙の秩序の中で果てしなく続けられてきたリーラーをシンボリックに表す。 著者は、サマージュ・ガーヤンの目的はリーラーを行うこと、そして、そ れを支えてきたのがこの連鎖構造であったと結論づけている。 以上のような著者の結論は説得力をもっている。サマージュ・ガーヤン のような特殊な宗教歌謡の場合、詳細な音楽構造の分析結果を、ヒンドゥー 教のバクティ思想を背景とする実際の寺院儀礼のあり方と結びつけながら 解釈することに、一定の有効性を認めてよいと思われる。確かに、ヒン ドゥー教の宗教歌謡の多くはバクティ思想を背景としているし、本書はこ うした多様な宗教歌謡にも言及している。しかし、サマージュ・ガーヤン と他の宗教歌謡を比較検証することによってこそ、前者の特殊な音楽構造 の持つ意味を明確化することが可能なのであり、本書の目的のために、そ れは必須であったといえるだろう。 さて、次に本書の内容について、若干の疑問点を指摘しておきたい。評 者がインド古典音楽研究を専門とするためもあって、最も疑問に思うのは、 第4章において、著者が採用したラーガのコンピュータ解析の妥当性であ

(3)

る。著者は「ラーガ性」の客観的基準として、音階的特徴を重要視してい る。音階的特徴がラーガを決定づける要因の一部であることは否定しない が、それを第一義のものとして選択した理由は明確ではない。ラーガが西 洋音楽でいうところの音階と大きく異なることは、インド音楽の研究が開 始された当初から繰り返し論じられ、

1980

年代にはメログラフを用いた 詳細な分析が、アメリカとインドの音楽学者の共同で盛んに行われたが、 妥当性のある結論を得ることができなかった

[

井上

2006

:

174

-

175

]

。それ にも関わらず、著者が詳細な旋律分析を可能にしたメログラフ以前に戻っ たような五線譜による採譜に基づく方法を用いる理由は何なのだろう。も ちろん、著者自身、その方法の限界について認識しているのだが、それで もなおかつ、この方法が「一つの有効な手段になり得る」(

123

頁)と考 えたのはなぜだろうか。 実際の方法と分析結果にも問題がある。著者はラーガ・ケーダーラウの 記載があるサマージュ・ガーヤンの二つの録音を事例として取り上げてい る。現行のヒンドゥスターニー音楽と比較するならば、まずは、ケーダー ルと呼ばれるラーガとの比較が重要だろう。しかし、なぜか著者はケーダー ルに関する記述を参考にせず、シュッド・ケーダーラウとチャンドニー・ ケーダーラウという、異なったラーガの記述に照らして判断している。著 者が参考文献にあげている

Raga Nidhi [Rao

1965

:

34

-

35

]

のなかには、ケー ダール(ケーダーラ)に関する記述が存在するし、今日もよく演奏される 非常にポピュラーなラーガであり、数百年前の成立とされるサンスクリッ ト語による音楽理論文献にも登場する長い歴史をもつラーガである。著者 の採譜が詳細を捨象していることを承知の上で、評者が、採譜例、ケーダー ルに関する複数の記述、現行の古典音楽の演奏を併せて判断する限り、譜 例

1419

は現行のケーダールと非常によく一致しているが、譜例

1421

は一 致しない。ただし、著者がたびたび言及するバートカンデーのサンスクリッ ト文献研究によれば、かつて、ケーダーラは今日のビラーヴァル・タート (西洋音楽の長音階に相当し、シュッダ音のみ用いる)にあたる音階の名 称として使用されていたと指摘されている

[Bhatkhande

1990

:

18

]

。一方、 今日のケーダールはカリヤーン・タートから派生するラーガとされ、サン スクリット文献の記述とは異なる。譜例

1421

はビラーヴァル・タートか ら派生するラーガに基づくと考えられ、今日のケーダールとは異なる古い ラーガの形を残していると推測することも可能である。このことは、おそ

(4)

らく評者のようにインド古典音楽を専門とする者からすれば、著者の採譜 に詳細が書きこまれていなくても一目瞭然である。 さらに、著者は「理論書では、ガは上行においても下行においてもヴァ クラすなわちジグザグ進行しなくてはならない音であると記述されている が、採録例ではガが上行にしか現れない、などやはり該当しない点がある」 (

118

頁)と記しているが、これはジグザグ進行の意味を著者が誤解して いると思われる。理論書における上行、下行とは、上行形あるいは下行形 のフレーズの意味で、採譜例

1419

では、上行でパガマダ、下行でパガマ リサといういずれもジグザグ進行するフレーズが際立った特徴を示してい る。ジグザグ進行しているかどうかは、フレーズ全体のなかで判断すべき あって、当該音自身が上行するか下行するかを問うものではない。そもそ も、著者は

2

音間の進行ばかりに気をとられて、フレーズ全体に目配りし ていないが、むしろ、ラーガを決定づける最も重要な要因はフレーズの作 り方にあるといっても過言ではない。同じ音高をもつ数十にものぼるラー ガを

2

音間の進行だけで判断するのは不可能であり、フレーズを無視した コンピュータ解析はむしろ混乱を招く。多数のサンスクリット文献がラー ガの特徴の叙述に多くを費やしているにもかかわらず、なぜインドでは ラーガの「体得すべきもの」としての側面が強調されるのか。ラーガの分 析にはもっと慎重であってほしい。 次に、サマージュ・ガーヤンの詠歌は

18

世紀頃には固定化されたであ ろうことが示されている(

221

頁)。この時代は、ムガル帝国の衰退とイ ギリスの進出に伴う社会変動が顕著であった。そのような時代に、サマー ジュ・ガーヤンは固定化が促進されたのである。その結果、各地のガラー ナー(流派)の個性が際立ち、以前からの大きな変容を余儀なくされたヒ ンドゥスターニー音楽とは異なり、それ以前の音楽の姿をより強くとどめ ることが可能になったと推測することが可能である。この点を明らかにす るために、まずは

18

世紀以前に書かれた音楽関連文献の記述の検証が必 要であろう。本書の記述は、全体的に現代の文献に依拠しすぎているよう に思われる。サンスクリット語をはじめとする過去の文献を検証すること によって、特に、歴史的な側面からのさらなる展開を切に望む。 最後にもう一点、「ブラジュの外の世界で、バクティ思想にもとづいて 歌われる歌の大半は、神の恩寵を期待して人間が一方的に行う信仰告白で あった」(

300

頁)と記されているが、果たしてそうだろうか。南アジア

(5)

各地で行われているヒンドゥーの宗教的な芸能の多くは、一方的な信仰告 白ではなく、神々と人々が世界を共有するものではないのか。特に南イン ドを中心に様々な芸能を観察してきた評者からすれば、神々のリーラーを 人々が体験するという信仰形態はブラジュだけの特権ではないように思わ れる。 以上、紙幅の許す範囲で若干の疑問点を指摘したが、この他にも著者に 尋ねてみたい点はいくつもある。それは、この研究テーマがそれだけ有意 義なものだと評者が考えているからであり、著者には今後のさらなる展開 を期待したい。 参照文献

Bhatkhande, V. N., 1990, A Comparative Study of Some of the Leading Music Systems of the 15th,

16th, 17th, & 18th Centuries, Delhi: Low Price Publications.

井上貴子、2006、『近代インドにおける音楽学と芸能の変容』、青弓社。

Rao, B. Subba, 1965, Raga-nidhi: A Comparative Study of Hindustani & Karnatak Ragas, Vol.3, Madras: The Music Academy, Madras.

参照

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