書 評
森 雅秀『インド密教の儀礼世界』
京都:世界思想社、2011年、xxiv+339頁、6800円+税、ISBN 978-4-7907-1498-9杉木恒彦
著者である森雅秀氏は、インド・ネパール・チベット密教の儀礼・図像 研究の分野を国内外においてリードする研究者であり、この数年は日本の 儀礼・図像研究も意欲的に行っている。2010年は、インド密教を代表す る学僧アバヤーカラグプタ(Abhayākaragupta、11 ~ 12世紀)による 儀礼集成書『ヴァジュラーヴァリー』(Vajrāvalī)の精緻なサンスクリッ ト語・チベット語校訂テキスト(Vajrāvalī of Abhayākaragupta: Edition ofSanskrit and Tibetan Versions
, Tring, UK: Institute of Buddhist Studies)を
刊行し、世界中の研究者に対し大きな貢献を行っている。 本書『インド密教の儀礼世界』の大部分は、著者が今まで各方面の論 集等で発表してきた論文を、部分修正・調整を行ったうえで再録したもの である。その主要テーマは、上述アバヤーカラグプタの三部作──『ヴァ ジュラーヴァリー』、『ニシュパンナヨーガーヴァリー』(Niṣpannayogāvalī)、 『ジュヨーティルマンジャリー』(Jyotirmañjarī)──とその他関連諸文 献が描くインド・ネパール後期密教の儀礼世界を、ヒンドゥーの儀礼世 界との比較・関連付けも行いつつ、明らかにすることである。言い換え れば、本書は、主としてアバヤーカラグプタと彼の周辺ならびに、彼の 系譜に属する密教者たちの儀礼世界を論じたものである。アバヤーカラ グプタは、それまでの多様なインド密教の諸伝統を総合させ、ネパール とチベットの密教伝統の形成にも大きな役割を果たした人物である。本 書は、インド密教研究にとって大変重要なテーマを扱っている。 本書の分析の基本スタンスは、文献学をベースとしつつ、密教の儀礼 世界の本質的要素を「儀礼のイコノロジー」という著者独自の手法で解 明するというものである。儀礼のイコノロジーとは、美術史研究におけ るイコノロジーを理論化したパノフスキーやその先駆者であるヴァール ブルクの発想を応用し、所作や道具など儀礼の細部に目を向けることにより儀礼の意味を解明していく手法を指す(ii頁)。このようなスタンス からなされる本研究は、著者が述べるように、密教儀礼の歴史的研究と いうよりむしろ「共時的研究、あるいは定点観測のような作業」(7頁) である。このため、密教史におけるアバヤーカラグプタの意義──アバ ヤーカラグプタはそれまでの多様な密教伝統の流れに対しどのような 思想を以って何を行い、密教伝統をその後どのような方向に導いていっ たのか──は部分的な検討にとどまっている。もっとも、多くのサンス クリット語文献が未校訂の状態にある密教研究の現状にあってはこの テーマは大変難しく、本書「あとがき」からうかがわれるように、今後 の課題として著者自身も強く意識しているように思われる。だが史的研 究に関心をもつにしろそうでないにしろ、南アジア宗教(ならびに他地 域の密教伝統)の儀礼研究を行う研究者たちにとって、本書が今後重要 な参照点となるであろうことは疑いない。 本書は、序章を経て、第1部「密教儀礼とテキスト」(第1~第3章)、 第2部「奉献タイプの儀礼」(第4~第7章)、第3部「儀礼による聖化」 (第8~第10章)、第4部「儀礼と空間」(第11 ~第14章)という構成に なっている。以下、イントロダクションである第1を除き、各章の内容 を要約していく。 第2章「インド後期密教の儀礼集成書」では、『ヴァジュラーヴァリー』 の構成が以下のように論じられる。⑴『ヴァジュラーヴァリー』の基本 構成は、〈マンダラの制作法を中心とし、そのマンダラを用いたプラティ シュター(pratiṣṭhā:仏像・寺院等の完成儀礼)とアビシェーカ(abhiṣeka: 弟子の入門儀礼)を説くもの〉と整理することができる。⑵『ニシュパ ンナヨーガーヴァリー』と『ジョーティルマンジャリー』は、『ヴァジュ ラーヴァリー』が説く各種儀礼の一過程として行われるマンダラ観想法 とホーマ(homa:息災等の成就のための火の儀礼)の詳細をそれぞれ 説明したものであり、したがってそれら2書は『ヴァジュラーヴァリー』 を補完する文献である。 第3章「『ニシュパンナヨーガーヴァリー』の構成」では、『ニシュパ ンナヨーガーヴァリー』の構成の意図が、『ヴァジュラーヴァリー』を参 照しながら以下のように解読される。⑴『ニシュパンナヨーガーヴァ リー』には26種類のマンダラが順に説明されるが、その順序は各マンダ ラの典拠となる文献群の成立順や各マンダラが属する伝統の区別に即
したものではない。⑵それは、秘密集会ジュニャーナパーダ流の文殊金 剛マンダラ(そのマンダラの構成)を基点とし、実際にマンダラを地面 に描くときの方法の共通性、すなわちマンダラの形態上の類似を考慮に 入れた順序である。 第4章「インド密教における水の儀礼」では、奉献タイプの儀礼で用 いられる四種水の考察が、『ヴァジュラーヴァリー』『ジュヨーティルマ ンジャリー』等を用いて行われる。⑴儀礼の水を大きくAタイプ(礼拝 対象に向けられる水)と
Bタイプ(儀礼行為者自身と彼に属するものに
向けられる水)に分けた時、本来、アルガ水(argha)とパードヤ水 (pādya)はAタイプ、浄化・除災を旨とするプロークシャナ水(prokṣaṇa) はBタイプ、アーチャマナ水(ācamana)は双方のタイプに属するもの であった。⑵この性質を一定程度保ちつつも、密教では、アーチャマナ 水とプロークシャナ水を入れる容器が兼用され、また四種水全てがAタ
イプの水として用いられ、Bタイプの水としてプロークシャナ水の代わ りにアビウクシャナ水(abhyukṣaṇa)が用いられるケースが見られる。 第5章「ホーマ儀礼の構成原理」では、主に『ジュヨーティルマン ジャリー』を用いて、密教のホーマの体系の形成・展開が以下のように 論じられる。⑴ホーマ体系の形成・展開には、〈右/左〉〈浄/不浄〉〈吉 /凶〉といった宗教的二元論が重要な役割を果たしている。⑵この二元 論の導入の背景として、a調伏に類する黒魔術的修法のヴァリエーショ ンが充実し、それらと息災・増益・敬愛といった非黒魔術系修法との区 別が一層意識されるようになったこと、b浄・不浄の価値基準が定着し たこと、c逆転がもつ宗教的意味が受容されるようになったこと、d対 立する二項が相互補完的に「全体」を構成するという発想法があったこ と、が考えられる。 第6章「ホーマの修法と火炉に関する考察」では、ホーマの火炉の種 類・形態とその展開が、『ジュヨーティルマンジャリー』と『ヴァジュ ラーヴァリー』を主資料として論じられる。⑴火炉の形態に関して、〈息 災〉と〈増益〉と〈敬愛〉と〈調伏〉の基本四種法に、〈すべての儀礼 行為〉を加えた五種が基本となっている。⑵〈息災〉の炉形を円形、〈増 益〉の炉形を方形とする見解は多くの密教文献に共通しており、〈調伏〉 の炉形を三角性とすることもおおむね共通している。だが〈敬愛〉の炉 形と〈すべての儀礼行為〉の炉形についてはそうではない。 ⑶〈すべての儀礼行為〉の炉形が蓮華形である場合、それは蓮華形をとる〈敬 愛〉の火炉(それは本来男女の和合を目的としたものである)が〈すべ ての儀礼行為〉の火炉(それは四種法を包摂するものである)へと展開 したものである。生殖・豊穣や包摂性といった、蓮華がもつシンボリズ ムがこの展開に関連している。 第7章「施食の儀礼バリ」では、『ヴァジュラーヴァリー』を中心に密 教のバリ儀礼の性質が論じられる。⑴『ヴァジュラーヴァリー』によれ ば、施食儀礼であるバリ儀礼が儀礼の始まりと終わりに行われるのは、 儀礼を妨害する霊的存在を慰撫するためである。だが同書のバリ儀礼で は、実際には献供の対象はより広く、マンダラの内部の尊格、その周辺、 マンダラの家屋の外側の様々なレベルの霊的存在たちに対して献供が 行われる。 ⑵ゆえに、同儀礼は、献供を通して、マンダラを中心とした 空間の広がりと、その空間たるコスモスの中における霊的存在たちのヒ エラルヒーを確認する作業であったと解釈できる。 第8章「アビシェーカ儀礼の起源と変遷」では、密教のアビシェーカ が形成されるまでの経緯と形成後の展開を簡潔に跡付けつつ、密教アビ シェーカの基調が論じられる。⑴『大日経』やそれ以前の経典における アビシェーカには、僧侶たちが楽器を演奏し、吉祥なる歌を唱和すると いった祝祭的な雰囲気が強かった。⑵後代、アビシェーカの内容は複雑 化し、秘儀性も高めていくが、上述のような祝祭的雰囲気がアビシェー カの基調である。 第9章「アビシェーカとプラティシュター」では、グリヒヤスートラ やプラーナといったバラモン・ヒンドゥー教文献も参照しつつ、密教に おけるそれら二つの儀礼の構成と関連が、『ヴァジュラーヴァリー』等を 用いて論じられる。⑴弟子に対して行われるアビシェーカと、仏像や僧 院・仏塔に対して行われるプラティシュターは、対象こそ異なるものの、 ともに類似の儀礼プロセスを通して対象に聖性を付与するという構造 を共有しており、相互関連が強い。⑵国王即位儀礼における灌水がアビ シェーカの灌水の理念的深淵であるが、全体の儀礼構成という観点から すれば、グリヒヤスートラ等に見られる古いヒンドゥーのプラティシュ ターが、仏教では弟子のイニシエーションに応用されて密教のアビ シェーカとなり、仏像等の完成式として展開して密教のプラティシュ ターになったと言える。
第10章「成就法と儀礼」では、主として『サーダナマーラー』 (Sādhanamālā:アバヤーカラグプタはその編纂者の1人)と『ヴァジュ ラーヴァリー』を用いて、サーダナ(sādhana:マンダラの観想法)の 構造が検討される。⑴サーダナはアビシェーカやプラティシュターの一 過程としてほぼ同じ文脈で実践される。⑵サーダナはアビシェーカやプ ラティシュターと類似の構成をもち、その構成のモデルとなったのが プージャー(pūjā:供養儀礼)の構成である。⑶ヒンドゥー教のサーダ ナと密教のサーダナの相違点として、後者には〈三昧耶薩埵と智薩埵の 合一〉というプロセスがある。三昧耶薩埵とは救いという仏の本誓が瞑 想者の内にあることを表わすものであり、智薩埵とは仏の智慧であり法 身を表わす。 第11章「ヴァーストゥナーガに関する考察」は、『ヴァジュラーヴァ リー』をはじめ仏教内外の多くの関連文献と図像資料を用いた、ヴァー ストゥナーガ(vāstunāga:「敷地のナーガ」)の儀礼の包括的研究であ る。⑴ヴァーストゥナーガの儀礼とは、寺院建築やマンダラ作成にあた り儀礼が執行される敷地を浄化するために行われる儀礼である。文献に より儀礼の細部や目的の一部に細かな相違が見られる。⑵だが、ヴァー ストゥナーガが敷地という空間の全体を1年かけて一周する、空間と時 間を表象するコスモロジカルな存在であるという発想は共通している。 本章を受けて、続く第12章「日本に伝わるヴァーストゥナーガ」では、 上述の儀礼の日本版とも言える龍伏次第が扱われている。 第13章「インド密教における聖地と巡礼」では、密教の聖地論と仏 教に伝統的な四大聖地(ならびにそれが展開した六大、八大聖地)の検 討を通して、〈実在する聖地〉と〈実在しない聖地、フィクションとして の巡礼〉という聖地理解のパラダイムが提示される。密教の母タントラ の伝統で説かれる一部の聖地の非実在性、そして仏教衰退の流れの中 で四大(六大、八大)聖地の一部も〈実在しない聖地、フィクションと しての巡礼〉となっていたこと等が述べられ、循環的な理念的巡礼ルー トと仏教衰退期の現実の巡礼ルートのずれが、密教の聖地・巡礼の特質 であると論じられる。 第14章「密教儀礼と聖なる空間」を著者は本書全体の「総括的な章」 (18頁)として位置付け、密教の儀礼空間の理解のためのモデルの構築 を試みている。⑴ここで儀礼空間とは、儀礼の執行を通してその儀礼執
行者が自分を取り巻く空間を認識するあり方を指す。客観的な空間とい うより、儀礼執行者にとっての主観的な空間が問題となる。空間認識の パターンとして、「右旋型」(空間を右回りに構成していく型)、「放射型」 (空間を中心から放射状に広げていく型)、「鳥瞰型」(外から空間全体を 見下ろす型)を挙げることができる。⑵一つの儀礼の中に複数の空間認 識の型が現れ、それらは複数の時間帯と対応している。儀礼は複数の空 間認識と複数の時間帯を内包するのである。⑶たとえばマンダラを観想 する際、まず行者は外からの視点でマンダラの外郭部と楼閣の全体を観 想した後(鳥瞰型)、次にその楼閣の内部の中尊へと視点を移し、その 中尊の視点から周囲に他の尊格を放射状に観想していく(放射型)。⑷ これら複数の空間認識の型と時間帯の共存を可能にし、その変化・運動 のなめらかさを保障しているのが、中心をもち、円や正方形というシン メトリカルな閉ざされた空間(上記の例では楼閣やその内部のマンダラ) である。 以上が各章の要約である。紙数の都合から各章の論に対するコメント を今は行わず、本書の全体の論に対するコメントを行うことにより、本 書評の締め括りとしたい。本書は各章の分析を通して一つのまとまった 結論へと論を収束させていくというより、儀礼世界の各側面を各論とし て各章で個別に扱うことにより儀礼世界の各側面を読者に明かしてい くという構成になっている。だが同時に、密教儀礼世界の全体像の構造 がアビシェーカとプラティシュターを軸に確かに浮き彫りにされており、 最終章にてそのような儀礼世界を空間論の視点から理解する道を読者 に示していることは意義深い。本書はその目的であるアバヤーカラグプ タとその周辺の密教者たちの儀礼世界全体の構造を明らかにするにと どまらず、広く密教儀礼一般を総体的に理解する道筋と方法を提示する 試みにもなっていると言えよう。 すぎき つねひこ ●日本橋学館大学講師